その1・宵の男
「金環(きんかん)の気配がします。・・・・・アムイの気配が。
陛下、今年の繁殖期は気をつけられた方がよろしいかと」
すでに就寝していたゼムカ族の王ザイゼムは、薄明かりの中、寝所から薄いローブを羽織りながら声の主まで近寄った。
「という事は、アーシュラ。奴は我々の事に気付いたのかもしれんのか」
自分の寝室の扉に現れた若い戦士、アーシュラの前に立ちはだかったザイゼムの声は、不機嫌な様子を帯びていた。
「御休みのところ申し訳ありません、陛下。今までにない強さを感じましたので・・・・・」
イライラした様子でザイゼムは手を自らの顎に持って行き、何か考え込むように眉間に皺を寄せた。
その様子をじっと窺っていたアーシュラだったが、ふとザイゼムの寝所で人が動めく気配を感じ、視線をそこに移した。
広く大きな寝台のシーツの中で、一人の若い青年の寝姿が見えた。
見えうる限り、一糸纏わぬ姿。長く艶やかな茶色の乱れた髪から覗く白く端正な横顔。
アーシュラの心は締め付けられた。
「何を見ている、アーシュラ」
その様子に気付いたザイゼムの怒気を含んだ声が飛んだ。
「いえ、別に」
何事もなかったかのように淡々と答え、アーシュラは頭を垂れて自分の絶対的な王の寝所を後にした。
しかし心では嵐が吹き荒れていた。
ザイゼムにはアーシュラの気持ちはよく分かっていた。
(だが、アーシュラ)
ザイゼムは口元に卑しみの色を浮かべながらも、寝所に戻り、自分の寝床にうつぶせになって寝息を立てている彫刻のように美しい全裸の男を満足げに見下ろした。
(キイは私のものだ。やっと手に入れた私の宵の流星。
解放なんてする気もないぞ。
誰にも渡す気もない。
アーシュラにも、無論アムイにもだ)
ザイゼムは不敵に微笑んだ。
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イェンランは女として生まれた事を呪っていた。
激しい怒りも感じていた。
気の強い、綺麗な顔が歪み、ずっと涙を堪えていた。
娼館でもある女だけの砦で暮らしてすでに3年。
彼女の気持ちはどうにもならないところまできていた。
イェンランは親に金で売られた。
確かに家は貧しかった。
兄弟もたくさんいた。
この世界では子供を産む女は貴重だ。
だが、この大陸では女の人格など無きに等しい。
男世界中心のこの大陸には5つの国があり、8つの民族がいる。
イェンランは大陸の北にあるモウラという国で生まれた。
8人兄弟の中で、生まれた女の子は彼女だけだった。
貴重な女、しかも器量の良い娘は高く売れる。
大陸の中心にある小国ゲウラのはずれに、女ばかりを集めている城がある。
桜花楼(おうかろう)と呼ばれるその場所は、言ってみれば最高級の娼婦達が住んでいる。
男の欲求を満たし、または子供の欲しい高い身分の男達のために子供を提供する。
ここに集められる女たちは容姿はもちろんのこと、全てレベルが高くなくてはならない。
ここに価値があると認められ、高額な値のついた少女は一生華やかな生活が保障され、その家族も一生優遇される。
もちろんここでトップの女は世の権力者にも影響を与えられるほどで、それが女としても仕事としても誇りとなっていた。もちろんあわよくば豪族や権力者に身受けされ、女王のような生活をする者もいた。
だが所詮は唱館の出。
血統の良い婦女子に敵うわけでもなく、いくら贅沢で安泰な生活ができるといっても所詮地位としては低い。
それでも貧しい女の唯一、二の出世の方法であった。
そのような環境もあって彼女の心は虚しさに溢れていた。
こんな囚人のような生活。
男の機嫌ばかり取っている生活が苦痛でならなかった。
彼女は自由に憧れていた。
故郷のはるか続く高原を思いっきりかける夢を最近よく見るようになった。
ただそれだけではなく、イェンランには忘れられない思い出がある。
それが最近高原よりもよく夢に出てくる。
3年前
自分がここに連れて来られるその途中、決死の覚悟でそこから逃げ出した自分。
なのに深い森で足を取られ、怪我をしてしまい途方にくれていた心細い自分。
それを助けてくれたひとりの若い戦士。
顔をすっぽりと被った鳥獣のマスクでその戦士が男だけの一族ゼムカの人間だとすぐにわかった。
ゼムカ族は凶暴にして絶対的な力を誇示する民族として、他の国の者から恐れられ有名だった。
だからイェンランも初めは恐怖に慄いた。
金品のない自分なぞ、暴行されるか殺されるか、はたまた連れて行かれ売られてしまうか。
その戦士が近寄ってきたとき、恐怖で身をすくめた。
「お願い・・・殺さないで・・・」
自分の声が自分ではないみたいに上ずっている。
だがその戦士は何も言わず、そっと彼女の足元に跪くと、怪我した足首に自分の手をあてがった。
イェンランは驚きで目を見開いた。視線が自分にあてがわれた白い手に釘付けになる。
長くて形の良い綺麗な指・・・・。
傷口から暖かいものが流れてくる感覚と同時に、彼女の心までも日の光を浴びたようなうっとりした感覚になっていく。気が付いたら痛みが完全になくなっていた。
「あ、あの・・・・」
乾いた自分の口から、やっとの思いでかすれた声を絞り出す。
「ど、どういう・・・。あの、今何を・・・・」
かなり混乱していた。
その様子を察した男は、すっと音もなく自分のそばから少し離れると、おもむろに顔のマスクを静かに取った。
「!!」
その禍々しいマスクの下から溜息が出るほどの整った美しい顔が現れた。
この世にこんな美しい人がいるのか、とイェンランは小さく感嘆の声を漏らした。
歳の頃、20も半ば位か。
すっとしたバランスの取れた長身に白い肌。
艶やかに垂れる長いブロンズの髪。
細面の顔に大きな切れ長の黒い瞳。形の良い高い鼻にふっくらした唇。
それに加え心を奪われたのは、かすかに微笑む彼の瞳の輝きだった。
笑うと少し目尻が下がって柔和で可愛らしい雰囲気になる。
だがそれが女性的というわけでなく、男性らしい色香も醸し出していた。
「大丈夫?」
このやもすると中性的にも見える容姿に似合わないような低くて深い声。
まるで宵闇のようだわ、とイェンランは夢見るように思った。
「悪かった、怖がらせて。最初に仮面を取ればよかったね。
今、痛みは抜いたから、あとでちゃんと処置して。
怖がらなくていいよ。君を取って食おうとはしないから」
笑いを含んだ声に、自分の心が解けてゆくのを感じていた。
「ね、ね、今の何?
何の治療?おまじない?
すっごく痛かったのよ、私。
歩けないくらいだったのに!
もしかしてあなた魔法使い???」
イェンランの言葉に思わず噴出しながら
「そんなんじゃないよ」
と、男は満面の笑顔になった。
その笑顔に強く惹かれながら、イェンランは恐る恐る質問した。
「もしかして・・・。ゼムカの人ってそういう力皆持っているの?」
一呼吸置いて彼は答えた。
「・・・いや、俺だけだ。こういう力使えるのは・・・・。」
そしてしばらく思いを巡らした様子で沈黙した後、つぶやくようにこう言った。
「・・・本当は元々ゼムカの人間ではないから・・・」
その言葉に衝撃を受けたイェンランが再び問いかけようとした時、
キィーン!!!
突然、向かい合った二人の間をかすめるように、鋭い音を立てて矢が飛んできた。
はっと身構える二人に鋭い声が響く。
「女!!キイから離れろ!近づくな!」
「アーシュラ!!」
強張った表情でキイは声の方に向き直った。
イェンランも恐怖に顔を引きつらせながら、アーシュラという男の姿を見た。
キイと同じく、細身で背の高い黒髪の戦士。
端正な顔立ちであるがキイとは対照的なぎらぎらした鋭い目。
イェンランはその場に凍りついた。
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