暁の明星 宵の流星④
その2.暁の男
大陸の中心にある小国ゲウラは、他国に囲まれているが故、昔から中立的な立場を保っている珍しい国であった。そのため、一民族・一国家が多い大陸の中でも多民族が入り乱れている独特な国でもある。
世界からいろんな国・民族の人間がゲウラを訪れ、商いや観光、遊びに永住と、ここでは敵同士であっても争う事は許されぬ、大陸の中で一番安全で平和な自由な国だ。
今春、ゲウラ国家誕生200年を祝う祭りで賑わいを見せるこの国の首都バンガのはずれに、女だけ集めた城、最高級娼婦がいる桜花楼がある。
桜花楼は唱館であると同時に、独特な自治で治められたひとつの町でもあった。
その町の中に入るには自由だが、中心に建つ桜花の城には許可証や招待状がなければ出入りができない。
それは中に住む商品の女達を守るためと、逃げ出さないための警備がとても厳しいことを意味している。
それでも桜花の女たちにまるっきり自由がないわけではなく、城下町に出るくらいは、許可を取ればできるのだった。しかしそれは最高級のランクを与えられた娼婦【上級娼婦・夜桜(よざくら)】【中級娼婦・満桜(みざくら)】あたりは商品価値が高いため、もっと自由は制限され、余程の事がない限り一般のお客の前に姿を現す事はない。
入城したばかりや、新人の【見習い娼婦・蕾】や中級に上がれなかった【下級娼婦・葉桜】は城下にて遊びに来ている客人の相手を気軽にできる身分であった。それでも見習いの【蕾】は客人に慣れる事という研修の一環も含まれているので、城下に出るときはお目付け役の先輩娼婦、もしくは城の下僕と同行する事になっているので【葉桜】よりは自由がない。
女が少ないこの大陸では、極上の女の自由を奪い、ある意味保護する事で、ある種の均衡を保っていた。
特にここ桜花楼のお陰で、ゲウラは中立国として存在できているといっても過言ではなかった。
桜花の城を取り囲むように、たくさんの桜が狂ったように花を咲かせる季節。
今年の春はいつもの春とは違っている。
ゲウラ建国200年を祝うお祭りだ。
このお祭り気分はひと月も続き、いろんな国からいろんな人間がやってくる。
桜花楼とて例外ではなく、いつもは警備の厳しい城内でも、金さえ払えば誰でも第一城内(ここは中級娼婦までお目にかかれる)で開かれる宴の席で楽しめるようになっている。
今宵も日が暮れると同時に酒宴が始まり、女たちの煌びやかな舞や歌が披露され、それはまるで夢のような時間が訪れるのだ。
そして中には、心慕う客人をその宴に来る事を心待ちにしている女も少なくなかった。
【満桜】であるヒヲリ(ひをり)も例外ではなかった。
この第一城内において、その美貌と気立ての良さで入城してからあっという間に【満桜】に昇り詰めた。
もうそろそろ【夜桜】になってもおかしくない、とまで言われている。
ヒヲリはそろそろ始まる宴のために、緩やかに艶やかな絹糸のような髪を結い始めた。
彼女の部屋の窓からは見事なまでの桜の花が風にそよいでいる。
思わず小さな赤い唇からほっと息が漏れる。
今まで色々な男性と会って来たが、こんな気持ちにさせるような男はいなかった。
しかも自分が客人である彼を、こんなに待ち侘びようとは思ってもみなかった。
あの方は他の男とどこか違う・・・。
ヒヲリは何度となく“あの方”に抱かれた事を思い出す。
女である自分を求め、その激しさに彼女の心は悦びに震える。
だけどその反面、幾度となく商売とはいえ肌を重ねてきたのに、一向に彼の心は閉ざされたままであった。
そう、職業上彼女は肌で感じ取っていた。
激しい行為の後、ヒヲリが気付くといつも彼は床から抜け出てこの窓の桜を虚ろに眺めている。
彼の眼差しの先は桜ではないような気がいつもしていた。
(あの方には誰か想う方がおられる・・・・)
その事がヒヲリの胸を掻き乱す。
それは幾度も抱かれるたびに感じていたことだ。
自分を求めているようで、本当は違う。
こんな事、商売上思ってはいけない感情なのに、彼に逢える嬉しさと共に虚しさと切なさを感じている。
その気持ちを抑えきれなくなって、2ヶ月前、思い余って男に訊いてしまった。
「私のこと、どうお思いですか?」
そんな事を商売女に訊かれた事なんてなかったのだろう、男の目が不思議そうに見返してきた。
「お前さんはいい女だよ」
「・・・少しは・・・私を好ましく思ってくださっているのでしょうか・・・」
「何でそんな事を訊く?」
「・・・・・いつも可愛がってくださるのは・・・嬉しいです・・・。でも・・・」
ヒヲリは思い切って言った。
「貴方の心の奥には、どなたかがいらっしゃるのですか」
「!!」
突然男の顔色が変わった。
黒い瞳にうっすらと悲嘆と怒りが混ざった感情が映し出され、微かに瞳の奥が赤く染まったように見える。
そして身体の震えを抑えるかのように、男は彼女の傍らのシーツの端を掴んだ。
まるで何かの衝動を堪えているようだった。
そしてしばらくして口の端から声をゆっくりと搾り出した。
「お前には関係ない」
その声の冷たさに、ヒヲリは言ってしまった事を後悔した。
彼の触れてはいけない何かに、触ってしまったようだ。
「ごめんなさい・・・・。変なことを言ってしまったわ・・・。本当にごめんなさい・・・」
思わず零れたヒヲリの涙に男は小さな溜息をつくと、
「また来る」
と、無駄のない動きで身支度を済ますと、何も言わず彼女の元から去った。
そんな事があったのだから彼はもう自分の元には来てくれないだろう・・・という、彼女の不安は杞憂に終わった。
男はまた10日程してふらりとここに訪れ、いつものごとくヒヲリを指名した。
そして何事もなかったかのように、男はヒヲリを抱いていく。
ヒヲリはまた通ってくれる事に嬉しさを感じながらも、男が何かを待っているような気がしてならなかった。
それとも何かを捜している・・・・?
いやいや、これ以上“あの方”を詮索するのは止めよう。
最近は頻繁に自分の元へ通って来てくれているではないか。
ヒヲリは彼を失いたくなかった。
自分をただの商品としか見ていなくても、自分に心を開いてくれなくても、男が自分に触れてくれるだけでいい。
ヒヲリは自分の激しい感情を心の奥に仕舞い込んだ。
「ヒヲリ!ヒヲリ!」
【満桜】の番頭、雷雲(らいうん)の野太い呼び声でヒヲリは我に返った。
「いきなり何?びっくりするじゃないの」
ヒヲリは手に持っていた櫛を置き、興奮気味の禿げた大男に振り向いた。
「ヒヲリ、今第一城内からの連絡があって、あの方がいらっしゃったと」
どきん、と心臓が高鳴った。
「いや~、もう第一城内の女どもが色めき立っちゃって、大変な騒ぎだ。あの方が来るとすぐにわかるなぁ」
「まぁ、もう?少し早いのでは」
「今宵は無礼講だからな・・・。宴会をお楽しみにしておられるんだろうよ。
・・・それにしても・・・。
いつもながらにいい男っぷりだ。精悍であんなに腕っぷしもよくて、なのにどこか気品があるなんて、なかなかいないぞ。男でも惚れちまいそうなくらいなんだ。女たちは一溜まりもないわな」
カッカッカッ、と豪快に笑いながらも雷雲は落ち着かない。
ヒヲリはいつもながら珍しい、と思う。
普段客人の事はお金としか思っていないあの雷雲が、お金以外で客を褒めるなんて。
「雷雲はあの方を気に入ってるのね」
ヒヲリの言葉にニヤリとしながら雷雲は言った。
「何を言う。暁の方は東から来た伝説の武人じゃないか。
お前さんだって知ってるだろう?あの有名な・・・。
動乱の東の国での数々の武勇伝!
【暁の明星】と異名を称する、天下のアムイ・メイ様だからな!」
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