暁の明星 宵の流星 #23
南から吹く夜風は変に生暖かく、アムイの髪をなぶりながら去っていく。
桜花楼の最上階を見渡せる事ができる、大きな桜の木の上で、アムイは雑念を払うかのようにじっと目を閉じ、その時を待っていた。
聖天風来寺で精神修行をしていて、己の心と気を一定に保つ術には定評のあったアムイだ。
・・・だが、今はそれも少し自分でも自信がない。
それほどにまでアムイは、押し寄せてくる嫌な予感と戦っていた。
ある日突然消えたキイの気、存在。
そして二人から聞いた、彼の様子。
・・・・何もかも今までにない事だったからだ。
━━━しかも。しかも四年。
既に四年もの歳月が流れている。
こんなにお互いが離れていたこともかつてない。
それ以上にアムイを不安にかき立てたのが、キイの現状だ。
あの男がこんなに長い間、自分で何とかしないはずがない。
・・・・・考えられるは、しないのではなく、できない、のだ。
それが自分の中でどんどん明白になって、アムイは動揺していた。
(何があった、キイ)
アムイは唇を噛んだ。
抑えている自分の気が少しの事で開放されてしまいそうだ。
だからアムイは、どんな事をしてもキイに会わなければならなかった。
どんなに危険でも、本人に会って確かめなければならない。
できれば大事にする前にひっそりと、キイ自身に会って確かめたかった。
今の彼の状況を。
(つまり、貴賓の間には出入りするところが2箇所だけなんだな)
三人で計画を練っていた時、アムイは図面を見ながら呟いた。
(そうなんですよ。問題は兄貴がここに侵入するにはどうしたらいいか・・・という事なんだけど)
(他に抜け道みたいなのないの?)
(う~ん・・・この短期間じゃ、そこまで発見できなかったなぁ。結構色々チェックしたんだけど)
サクヤもどうしたらいいか、ずっと悩んでいた。
(アムイも何かに変装して潜り込むしかないんじゃないの?)
二人があれこれ案を出し合っていた時、アムイは事も無げに言ったのだった。
(簡単じゃないか、そんなの)
(は?)
二人は顔を見合わせた。
(内部が無理なら、外から侵入すればいい)
二人は驚いた。
(な、何を言ってるんですか!兄貴、この城の最上階ですよ?外からなんて・・・。どのくらいの高さだか・・)
(アムイ、正気?)
と、二人とも言ってから気が付いた。
そうだ、この人は普通の人じゃなかった・・・・。
聖天風来寺出身の武人なら、どんな場所でもこなせる身体能力がある。
どんなに高い山だって、きっと軽々と登っていくに違いない。
そういう訓練を受けているはずだ。
(だから俺に教えてくれるだけでいい。あいつがいる部屋を。どんなことをしても俺はそこへ行く)
そしてアムイはイェンランに小さな丸い玉を渡した。
これもまた簡単な気を凝縮し固めたもので、砕けると中の気が拡散し、作った本人しか見えない色をその場に漂わせる。だからどんな場所でも、アムイはすぐに見つける事ができるのだ。
突然耳の奥で玉の砕ける音がして、アムイはかっと目を見開いた。
薄ぼんやりと、左側の一番はずれの窓に赤い閃光が走ったのが目に映った。
(来た!)
アムイは軽い身のこなしで桜の木から木へと移動し、赤くぼやけた光を放つ窓辺へと急いだ。
「イ、イェン・・・。どういうことなの?アムイって・・・。暁の方の名前がどうしてここに・・・」
ヒヲリはイェンランの腕を掴み、彼女を揺すった。
イェンランはもう隠しておけない、と思った。
姐さんには不本意ながら、ここまで見られてしまった。
それに多少なりともアムイを想っていた姐さんには知らせてもいいのではないかとも思った。
イェンランが口を開こうとした、その時。
がちゃり・・・・。
窓に人のシルエットが浮かんだかと思うと、その窓を開いて誰かがが部屋に降り立った。
アムイ、だ。
ヒヲリは思わぬところで見た自分の想い人を、驚きのあまりに声もなく見つめていた。
彼は佇んでいる二人の元へ近づいた。
「アムイ・・・」
口を開いたのはイェンランだった。
「アムイどうしよう・・・!キイがおかしいの。何か変なのよ!」
彼女の声は震えていた。
アムイはイェンランの顔を見つめると、意を決したように、半身を起こして微動だにしないキイに近づいた。
四年ぶりに懐かしい顔を見た。
心なしか、昔よりも痩せているように思えた。
そして震える両手で彼の頬に触れる。
「キイ?」
アムイは彼の空虚な瞳を覗き込んだ。
その瞳を見た瞬間、アムイの心は決壊した。
「キイ!」
思わず彼を揺さぶった。
「お前、どうしたんだよ!!」
アムイの背中に冷たいものが走った。
それが全身を蝕んでいく。
めったに流れない脂汗が体を伝っていく。
「キイ!!」
アムイは彼の名を夢中で呼んだ。
そしてキイの頭をかき抱き、額と額をこすり合わせる。
そのアムイの苦痛の表情が、この人物が彼にとって唯一無二の大切な存在だという事を証明していた。
イェンランもヒヲリも、いつものアムイと違う様子に、ただ息を潜めて見守るだけだった。
こんなアムイを、二人は見た事もなかった。
この時ヒヲリは確信した。この美しい人が、あの方の心の中にいた人物なんだ、と。
額に違和感を感じで、アムイは手で彼の髪を掻き上げた。
額の中央に黄色い小さな玉が埋め込まれている。
(・・・・封印の玉!)
アムイは注意深く他を調べた。
(誰かが・・・。どっかの術者がキイの気を封印したのか。しかもこんな物で!だからこいつの気を今まで感じなかったんだ。・・・・だが・・・・)
それは術者なら誰でも扱えるような封印の術。
キイほどの者が、自分で上手く術を解けなかったのだろうか・・・。
いや、とアムイは思い出した。
これは単純な封印の術だが、キイに限ってはこんな簡単な物でも、封印となれば話は別だった。
キイの持っている気は特殊な物で、それは彼のコントロールの域をいつも超える。
聖天風来寺での修行のお陰と、年齢を重ねた結果、昔ほど自分で制御できなくなる程に暴走する事はなくなった。それでも彼の気は不安定で、ともすれば自分の体調まで崩しかねない。
流動的なキイの気。・・・流星という異名の由来でもあった・・・・
それはアムイの持つ金環(きんかん)の気とは真逆なもの。
安定の気を持つアムイは、昔からキイの気を受け止めてきた。
そして安定させ、彼に返す。
それをするためにキイは幼い頃、最高位の賢者に、気が常に流動するように調整してもらったのだ。
この微妙で特殊な経緯のために、キイの気はむやみやたらに手を加えてはいけない物なのだ。
どこでバランスが崩れ、どんな事になるかわからない。
だからたかが封印、と言っていられなかった。こんな事を勝手にされた、という事は内情を全く知らない者の仕業か、それとも何か他意があってしたのかのどちらかだろう。
だが。
それにしても何かがおかしい。
この程度の封印ならば、キイの意識ははっきりしているはずだ。
気を封印しているだけなのだから。
なのに何だ、この状態は。
これがあの天下の【宵の流星】と呼ばれた男なのか。
元々白い肌はますます透き通るように白く、体には力が全く入ってなく、心がどこにもないような・・・。
アムイはキイの黒い瞳を再び覗き込んだ。
暗く、沈んだ色。
その瞳には何も映っていない。
アムイはもっと集中して彼の瞳の奥を見つめた。
何かがわかるのではないかという気持ちで。
しかしキイの深くぼやけた視点は、アムイを恐怖の沼に引き摺り下ろしていった。
意識が・・・。
アムイは寒気がした。
意識が奥に沈んでる・・・・?
まさか・・・。
アムイのこめかみから一筋の汗が流れ、それがキイの手に落ちた。
キイは力が尽きたのか、ふっと瞼を閉じてしまった。
ぐらりと傾くキイの体をアムイは咄嗟に支えた。
抱きしめる腕に力が入る。
似たような状態を、アムイは一度だけ遭遇した事があったのを思い出した。
キイの体にきちんと心が入っていない状態・・・・。
あの時とまさに今の状態が似ている!
でもまさか・・・あの時はまだ幼くて、キイはずっとそのような状態でも、普通に生活はできていた・・・。
しかし今は完全に意識が奥に沈められている状態だった。
一体何があったんだ!
それとも何かされたのか?
アムイは心の底から激しい怒りが湧いてきた。
俺のキイはこんな人形のような人間ではない!
誰よりも勇敢で誰よりも尊大で絶対に媚びず誇り高い。
それをこんなにしたのは誰だ。
返せ!俺のキイを!いつものあいつに戻してくれ!!
アムイの狂おしい心の激流は、抑えていた全てを解き放ち、大きなうねりとなって開放された。
それは金環の気と共に、貴賓の間に行き渡り、王の部屋で警護に当たっていたアーシュラの元まで届いた。
(アムイ!!)
アーシュラは弾かれたように立ち上がった。
「どうされましたか?アーシュラ様?」
驚いた部下が走り寄ってきた。
「あいつだ」
「は?」
「アムイが来ている!!」
そう言うと血相を変えてアーシュラは走り出した。キイの元へ。
「アーシュラ様!!」
その様子に部屋の中は大騒ぎになった。
その騒ぎに、接見の途中だったザイゼムが半裸で姿を現した。
「何だこの騒ぎは」
「【暁の明星】です」
警護のひとりが叫んだ。
「何!?」
ザイゼムも顔色を変えて簡単に上着を羽織ると、自分の剣を取り出すと大声で戦士達に指示した。
「賊だ!私の宝を盗みに来た不届き者が侵入している!皆武器を持て!絶対に逃がすな!!」
そして彼もまたアーシュラを追って、キイの部屋へと急いだ。
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