暁の明星 宵の流星 #29
北の国に、ゼムカ前王の隠居後の館がある。
その館の裏手には、深い森が続く険しい山があって、その奥のひっそりとした屋敷にアーシュラ達はいた。
ここは昔、自分が幼い頃まで暮らしていた隠れ家みたいなものだ。
財政苦しい北の国は、お金さえだせば、各国、各民族の人間に自国の広大な土地を、簡単に明け渡してくれる。
この土地で前王が何故余生を送ろうと思ったのかは、本人しかわからないだろうが、とにかくこの森の中の屋敷はアーシュラにとって、思い出の深い場所であった。
女にしては珍しく行動的で自由奔放だった母親に連れられて、自分は幼い頃からあちこちと旅してきた。
物心ついた時にはもうすでに父はなく、気が付いたら母と共にあらゆる場所に行っていたような記憶がある。
そして母は、旅に飽きると必ずここに戻ってくるのだ。
たまにアーシュラを子守に託して、ひとりでどこかに行ってしまう事もあったが、それはそれで、この場所が好きだった彼にとっては、母親と離れていても全く寂しさを感じなかった。
その母親も、自分が7歳の時に流行り病で亡くなった。
事実上、自分はこの世でひとりきりになってしまった。
この屋敷で、アーシュラは毎日心細くて泣いていた。
食べ物は、全て森の中で調達できた。サバイバルな母親は、何かあった時のために、自分に生きる術を叩き込んでいったのだ。だけど、彼の孤独感は半端なものではなかった。
まだ年端もいかない子供が、たったひとりで生きていく・・・。
その恐ろしさに、アーシュラはいつも戦っていたのだ。
ところがある日、ひとりの男がこの屋敷にやってきた。
精悍で野性味の溢れるひとりの若者。
いつもは知らない人間には警戒心を持つアーシュラだったが、長い孤独のせいか、はたまたその青年の思いのほか情愛のある瞳のせいか、素直に彼の訪問を受け入れた。
(お前はゼムカの子だぞ)
彼は言った。
(俺はお前を捜していた。たったひとりで寂しかったろう?もう大丈夫だ)
(ぼくがゼムカの子?)
(そうだよ、お前の仲間が沢山待っている。俺と共に来い。そして、お前は俺といつも一緒にいるんだ)
あの時からアーシュラは彼のために生きることを決めた。
あの人が孤独だった自分を救ってくれたのなら、自分は彼の傍にいて、ずっとお守りするんだ。
そしてあの人がゼムカの頂点に立った時は、自分のごとく誇らしかった。
ザイゼムのたっての要望で、自分は聖天風来寺に入って修行もさせて貰えた。
私の王よ・・・。
この忠誠心は生涯変わらないだろう。
だが、個人的な感情では、アーシュラの気持ちはかなり揺らいでいたのだ。
それはキイの存在だった。
今更ながら・・・。
アーシュラは自嘲した。
自分はあの汚らわしい馬賊の奴らにあいつを渡したくないだけだった。
もちろん他にも事情があったが、ザイゼムの思惑と、自分の個人的感情も一致して、奴らからキイを強奪してやった。
美しいキイ。
自分は自分のできる事で、彼を守ってやりたかったのだ。
だが・・・・。嫌な予感はしていたんだ。
あの誰にでも執着しない・・・・、お気に入りは傍に侍らす人だが・・・深い所での愛という対象という意味で、全く誰にも心を動かされた事のないあの人の、初めてキイを見た瞳の輝き。
アーシュラの心の地獄はそこから始まったのかもしれない。
アーシュラは、まるで死んだように眠る愛しい顔を、一晩中ずっと目を離す事ができないでいた。
それにしても、あのアムイに仲間がいたとは・・・・。
アーシュラにはそれが意外だった。
何年ぶりかで再会した、憎らしい男の顔。
アーシュラはアムイが大嫌いだった。
当たり前のようにキイの傍にいて、昼も夜も彼から離れようとしない。
アムイの存在に始めは苛ついていただけだったが、長く一緒にいてわかったのだ。
アムイはキイ以外の人間を必要としていない事を。
何故なのかは本人ではないのでよくわからないが、アムイは全くキイ以外の人間には決して心を許そうとはせず、深い、深い殻に閉じこもって出てこないのだ。
キイはそんなアムイを甘やかしつつも、何とか他人と係わらせようと必死だったのを、アーシュラは見抜いていた。
下手をすると、キイがいなければ奴はいつもひとり。
必要以外他人と話もせず、やもすれば自分のテリトリーから簡単に他人を追い出すだろう。
そのアムイが他人と行動している!
まさか、奴に仲間がいて、その協力でキイに会いに来るとは全く予想にしていなかった。
キイと離れたからか・・・?
この何年かの間、奴も成長し大人になった、という事なのだろうか。
アーシュラはキイの白い顔にそっと手で触れた。
キイがもし目覚めて、今のアムイの様子を知ったら・・・、どう思うのだろうか。
喜ぶだろうか。それとも寂しがるのだろうか・・・・。
「アーシュラ、私のものに気安く触るな」
突然ザイゼムの声が飛んで、アーシュラは驚いて手を引っ込めた。
「陛下!」
「まったく、油断も隙もあったものじゃない。俺のお前への信用を無にだけはするなよ」
アーシュラは拳を握り締めた。
「ええ・・・陛下。それよりも、予定より随分早いではありませんか。到着は明け方では・・・」
「もう明け方だぞ」
そう言われて、アーシュラは外がうっすらと明るくなっていたのに気が付いた。
「申し訳ございません!お迎えもせずに、何というご無礼を・・・・」
慌てて頭を下げるアーシュラに、ザイゼムは溜息をつくと、身支度を解き始めた。
「まあ、いい。キイの様子をよく見ていてくれた。どうだ、変わりはないか」
そう言いながら、ザイゼムはキイの寝顔を覗き込んだ。
「・・・・はい。今の所は安定しています。・・・・ですが・・・。たまに息が途切れる事があります。
もう、限界なのでは・・・」
「うん」
「南の宰相とはどうなっているんでしょうか。またキイを診てもらえるのでしょうか」
突然ザイゼムの顔が険しくなった。
「いや。南とは決裂してきた」
「え!?何故です?」
意外な言葉にアーシュラは動揺した。
「奴ら・・・・。我々に近づき、あの宰相をよこしたのは・・・。
魂胆があった事がわかったからだ」
「魂胆・・・。まさか」
ザイゼムの瞳は怒りで燃えている。
「奴らの目的は【宵の流星】だ」
「!!」
「ま・・・。少しは警戒してはいたが、やはりそうか、っていう感じだな」
ザイゼムは吐き捨てるように言った。
「奴ら・・・・。どこまで知っているのか分からないが、奴らがキイを狙って我々に近づいたのは確かだ」
「・・・・・」
「この分では他の王族の奴らにも、どのくらい話が出回っているか、分かったものじゃない」
ザイゼムは歯噛みした。
「これ以上、キイを世間に晒す事はできぬ。この状態も我々で何とかせねばならぬ」
アーシュラはかなり動揺していた。
今までザイゼムに対しても、周囲にも、あのキイにでさえも、自分の考えをはっきり示した事はなかった。
だが・・・・。
「しかし、陛下!ではこの今の状態のキイをどうしろと?
間に合わなかったらどうするんですか!!
今でもこうして彼の意識は沈み続け、それが肉体にまで影響しているんですよ!
早く手を打たないと、手遅れになってしまう!!」
「わかっている!!」ザイゼムは叫んだ。
「そんな事、私だってわかっている!!
だがそれ以上にキイを野望の対象としか見ていない奴らに、簡単に渡せるほど私は愚かではない!」
「あなただって・・・」
普段と違うアーシュラの様子にザイゼムはいぶかしんだ。
「なに?」
「あなただって、最初はキイを野望の対象としか見ていなかったじゃないですか!!
そんなあなたと彼らと、どのくらいの違いがあるっていうんだ!!」
ガキッ!!
いきなりザイゼムの拳がアーシュラの頬に飛んで、彼は勢いよく吹っ飛んだ。
「アーシュラ、聞き捨てならないな」
ザイゼムはアーシュラを見下ろした。
アーシュラは半身を起こし、切れた唇の血を手の甲で拭った。
「まぁいい。今のはキイに免じて忘れてやる。
だが、この先は私に対する口の利き方に気をつけろ。いくらお前でも場合によっては許さん」
ザイゼムは威圧的な態度でアーシュラを一瞥すると、再びキイの方に顔を向けた。
「とにかく今はこの状態を何とかする方が先だ」
ザイゼムは愛しそうにキイの髪を撫で上げる。
「・・・陛下」
アーシュラはよろよろと立ち上がった。
「やはりキイを、聖天風来寺に戻した方がいいのではありませんか」
その言葉に、ザイゼムの手が止まった。
「何だ、今更」
「・・・・・あそこにはかなりの術に長けている高僧もおります。それに・・・・キイはあそこで幼少の頃から育ったと聞きいてます。何かこの状態について、分かる者がいるかもしれない・・・・」
「こいつを育てたという、聖天師長はすでに3年前亡くなったと聞く。という事は聖天風来寺は、キイに関する何かの事情を知っているだろう。そこにキイを連れて行けば、決して我々にキイを返す訳がない。それだけは困る」
アーシュラは溜息をついた。
「でも・・・それではキイは・・・」
「おい、アーシュラ。ならばアムイはどうだ?」
思いがけない言葉にアーシュラは凍りついた。
「アムイ・・・?」
「お前の話だと、あいつはずっと子供の頃から一緒だったらしいじゃないか。まるで影のようにぴったりと」
「・・・・・」
「あいつこそ、キイについては心身共に詳しいんじゃないか。
何せ仮にも【恒星の双璧】の片割れなんだからな」
アーシュラは思わず唇を噛んだ。
その様子にザイゼムは意地悪く言った。
「ま。それは無理か。何せお前は異常にアムイを毛嫌いしているし、アムイの方だって我々を憎んでるだろうしな」
と、ザイゼムは再びキイの頭を優しく撫でるとこう言った。
「実はこの北の国に、北天星寺院というのがある。そこにいる高僧が、大陸でも指折りの術者であって賢者衆のひとりらしい。私は今日、そこを当たってみようと思う。・・・・・この状態のこいつを置いていかなければならないのは辛いが、致仕方ない」
「陛下・・・」
それでも不安そうに自分を見つめるアーシュラにザイゼムは釘を刺した。
「私が戻るまで勝手なことをするなよ、アーシュラ。ルランにもお前を監視するよう言っておく」
そう言い放つと、ザイゼムはキイとアーシュラを残して部屋を後にしたのだった。
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