暁の明星 宵の流星 #31
イェンランは今、シータが何を言ったのか、一瞬理解できなかった。
シータは彼女に一応気遣いながらこう続けた。
「でも、ね。現実はいつか知らなければならなくなる。ならば、早く夢から醒めた方が幸せだと思う」
うんうん、とシータは彼女の両肩に自分の手を置いて、ひとりで納得している。
「あ、あの・・・。シータ・・・さん」
「あら、シータ、でいいわよ?」
「もう一度、言ってくれませんか?あの・・・えっと。キイが・・・」
イェンランの様子を見て、シータは溜息をついた。
「女に手が早い」
今度ははっきりと、ゆっくりと、シータは言った。
イェンランは少し頭が混乱した。
何故に?何故いきなりこんな話が。
「あいつに女を近づけたらまずいのよ。お嬢もよかったわよねぇ。出会ったのが普通の状態じゃなくて」
「・・・・・・」
「ごめんね。あんたの夢を壊そうとは思ってなかったのだけど」
(いや、充分破壊してるでしょ)
「ね、だからあいつはやめなさい。とんでもないから。皆あいつの容姿に騙されてるのよ」
(え、えええ?どんだけどうしようもないの?)
イェンランは更に混乱してしまった。
「あんな女好き、アタシ他に知らないわ」
「おい、何の話をしているんだ」
いきなりアムイの声が頭上で飛んだ。
どうやら戻って来たらしかった。手には朝食の盆を持っている。
「イェンランに本当の事を言ってやるのも親切だと思うが、益々男嫌いになったらどうするんだ」
「あら、アムイ」
シータは振り向いてニヤリと笑った。
「へぇえ、あんたが女の子の心配するとはね。キイが聞いたら泣いて喜ぶかしら。
・・・・て、お嬢は男嫌いなの?」
イェンランは意外だった。そんなに自分の事情をアムイに話した覚えもない。
なのに自分の心の奥で渦巻いている闇を見抜かれていた。
自分の女としての性を、自分で忌み嫌っていて、そのような対象で自分を見る男がとても汚らわしく思えていたことも。イェンランはこの闇をずっと抱えていたのだ。小さい頃から、女だということで、周りの男達のいやらしい視線を浴びて生きてきた彼女にとって、本当は男とそのような関係になるのは耐え難い苦痛でしかなかった。
できれば、自分の女の部分を消し去りたかった。その方がなんて気楽なことなんだろう。
イェンランはわざと気にしてない様子で笑った。
「あら、本当に男が嫌いだったら、こうしてあんた達にくっついてくる訳ないでしょ。可笑しいの」
アムイはじっと彼女の顔を見ると、何も言わずに真向かいの席に座った。
「で、何でキイの女好きの話が出てきているんだ?」
シータはアムイの言葉にふふん、と鼻先で笑った。
「あら、気になる?あんたのお仲間に教えてあげてるの。聖天風来寺でのあんた達のこと」
ぶっ!
アムイがその言葉で珍しく吹いた。
そして何回か咳をすると、シータの方をぎろりと睨んだ。
「・・・・何を言ったんだ」
「何をって、これからよねぇ、東風(こち)♪」
何かシータはアムイが不機嫌になっていくのを面白がってるようだった。
東風(こち)は緊張してか、笑いが引きつっている。
「確かぁ~。あの時もアムイ、あんた、キイを庇おうとして墓穴掘ってたわよねぇ・・・」
「シータ!」
「ああ、女人禁制、天下の聖天風来寺、でよ?キイの奴、女連れ込んで大騒ぎになったじゃん」
アムイは頭を抱えた。
「しかもあいつ!なんて言ったと思う?
“だって仕方ないだろ?ちょっと笑っただけで女の方がついて来ちゃたんだから”
てさ、いけしゃあしゃあと」
「シータ・・・・」
「アムイ、あんたそのためにキイを庇った罰として二人で3日間も独房に入れられたのよね・・・。ご愁傷様で」
「あ、あの、じゃあ・・・。キイさんって、凄いもてたんですね。オレ、結局お目にかかれなかったんですよ。あの時」
サクヤが周りを気遣いながら、おそるおそる言った。
「もてる?」
シータの目が光った。
「あいつはそんな言葉では片付けられないのよ。存在自体が危険なの!男も女も、あいつの前じゃ歯が立たないわ。存在そのものがエロスの塊みたいな男だもの」
「シータ・・・・それはちょっと言い過ぎだと思うぞ・・・・」
アムイがこめかみを押さえながらシータを制した。
「とにかく、あんた達、聖天風来寺ではすっごい世話になったんだからね。・・・・特にアムイ。キイは行方がわからないから仕方ないけれど、あんた達を育ててくれた、前聖天師長(ぜんしょうてんしちょう)様の法要くらい、顔出しなさいよ」
「・・・・しかし、俺は聖天風来寺を破門された身だし・・・・」
「それとこれとは、別よ」
シータは突然優しい声で言った。
「親代わりにあんた達を育ててくれたんでしょ。もう誰も咎めないわよ・・・」
二人の会話に、サクヤはつい問いかけた。
「え、という事は、兄貴は本当に聖天風来寺を追い出されたって事ですか?」
アムイはバツの悪そうな顔をした。
「・・・まぁその・・・。ちょっと騒ぎを起こしちゃったんですよね、シータ様」
東風(こち)が遠慮がちに言った。
「ちょっとどころじゃないんじゃなぁい?」
シータは打って変わって冷たい声になった。
「じゃ、相当アムイ、暴れたんだ。だって、聖天風来寺って、滅多な事しなければ、そう簡単には破門にしないっていうじゃない。やはり噂は本当だったのねぇ」
イェンランの言葉に、東風(こち)は言いにくそうに呟いた。
「いえ・・・・。それが、暴れていたのは・・・・宵様なんで」
「は?」
「聖天風来寺を追い出されたのは宵様で、暁様は責任を取って一緒に破門された、というのが真相なんです」
「・・・マジで?」
二人は絶句してアムイの方を見た。
アムイはずっと、むすっとしたままだ。
「キイの奴、聖天師長(しょうてんしちょう)様が神国オーンから、友好の証として頂いた神仏像を、ことごとくぶっ壊して行ったのよ!
それじゃあ聖天師長様も、もう庇いきれないわよねぇ。いくらなんでも。
で、アムイはそれを止められなかったという事で、責任取らされて一緒に追い出されたのよ」
確かにキイは自由奔放、大胆で豪快。
その容姿に似合わない滅茶苦茶ぶりだった。
その反対にアムイはずっと物静かで、何を考えているかわからないような少年だった。
しかもかなりの秀才で、優等生。僧侶達の信頼も厚く、師の間でも評価は高い。
「本当にねぇぇ・・・。アンタが聖天風来寺を去ってから、お師匠さん達の嘆きったらなかったわよ」
シータは爪を眺めながらポツリと言った。
「キイもね、あいつの自称親衛隊の輩の嘆きも相当ひどかったけど。ま、仕方ないか。
あんた達って本当に二人でひとり、みたいだったもんね」
アムイは生き生きとしていたあの時のキイを思い出していた。
それは今の状態の彼とは全く違う。
「だからアタシはどうしても解せないのよ。あの豪胆で奔放なキイが・・・。あのキイと互角に渡り合えるのは、あのゼムカの王くらいだろうって、噂してたのにね・・・・。その噂の主に、あいつが簡単に手に落ちたのが、本当に信じられないのよ・・・・。アムイ、アンタの不安も、そこなんでしょう?」
シータの言ってる通りだ。
本当のキイは、あんなザイゼムの様な男に簡単に屈したりしない。
しかも、キイと一番に気が合って、キイの事をよくわかっているアーシュラもいるのに。
ただ、ひとつだけ考えられる事がある・・・・。
キイがこんな状態に陥ってしまった理由・・・・。
しかし、その考えに至るには、心の準備がアムイにはまだできていなかった。
自由奔放、誰にも媚びず、誰にも屈しない、俺のキイ。
アムイは再び瞼を閉じた。
思いはお互いが一番強く結びついていた時代。
当たり前のように、お互いがお互いを必要としていた時代。
そして聖天風来寺に入って、お互い以外の、他の人間と共に暮らさなければならなかった時も。
アムイの心はしばし時空を越え、あの頃に戻っていった。
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