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2010年2月

2010年2月28日 (日)

暁の明星 宵の流星 #31

イェンランは今、シータが何を言ったのか、一瞬理解できなかった。
シータは彼女に一応気遣いながらこう続けた。
「でも、ね。現実はいつか知らなければならなくなる。ならば、早く夢から醒めた方が幸せだと思う」
うんうん、とシータは彼女の両肩に自分の手を置いて、ひとりで納得している。

「あ、あの・・・。シータ・・・さん」
「あら、シータ、でいいわよ?」
「もう一度、言ってくれませんか?あの・・・えっと。キイが・・・」
イェンランの様子を見て、シータは溜息をついた。
「女に手が早い」
今度ははっきりと、ゆっくりと、シータは言った。
イェンランは少し頭が混乱した。
何故に?何故いきなりこんな話が。
「あいつに女を近づけたらまずいのよ。お嬢もよかったわよねぇ。出会ったのが普通の状態じゃなくて」
「・・・・・・」
「ごめんね。あんたの夢を壊そうとは思ってなかったのだけど」
(いや、充分破壊してるでしょ)
「ね、だからあいつはやめなさい。とんでもないから。皆あいつの容姿に騙されてるのよ」
(え、えええ?どんだけどうしようもないの?)
イェンランは更に混乱してしまった。
「あんな女好き、アタシ他に知らないわ」

「おい、何の話をしているんだ」
いきなりアムイの声が頭上で飛んだ。
どうやら戻って来たらしかった。手には朝食の盆を持っている。
「イェンランに本当の事を言ってやるのも親切だと思うが、益々男嫌いになったらどうするんだ」
「あら、アムイ」
シータは振り向いてニヤリと笑った。
「へぇえ、あんたが女の子の心配するとはね。キイが聞いたら泣いて喜ぶかしら。
・・・・て、お嬢は男嫌いなの?」
イェンランは意外だった。そんなに自分の事情をアムイに話した覚えもない。
なのに自分の心の奥で渦巻いている闇を見抜かれていた。
自分の女としての性を、自分で忌み嫌っていて、そのような対象で自分を見る男がとても汚らわしく思えていたことも。イェンランはこの闇をずっと抱えていたのだ。小さい頃から、女だということで、周りの男達のいやらしい視線を浴びて生きてきた彼女にとって、本当は男とそのような関係になるのは耐え難い苦痛でしかなかった。
できれば、自分の女の部分を消し去りたかった。その方がなんて気楽なことなんだろう。

イェンランはわざと気にしてない様子で笑った。
「あら、本当に男が嫌いだったら、こうしてあんた達にくっついてくる訳ないでしょ。可笑しいの」
アムイはじっと彼女の顔を見ると、何も言わずに真向かいの席に座った。
「で、何でキイの女好きの話が出てきているんだ?」
シータはアムイの言葉にふふん、と鼻先で笑った。
「あら、気になる?あんたのお仲間に教えてあげてるの。聖天風来寺でのあんた達のこと」
ぶっ!
アムイがその言葉で珍しく吹いた。
そして何回か咳をすると、シータの方をぎろりと睨んだ。
「・・・・何を言ったんだ」
「何をって、これからよねぇ、東風(こち)♪」
何かシータはアムイが不機嫌になっていくのを面白がってるようだった。
東風(こち)は緊張してか、笑いが引きつっている。
「確かぁ~。あの時もアムイ、あんた、キイを庇おうとして墓穴掘ってたわよねぇ・・・」
「シータ!」
「ああ、女人禁制、天下の聖天風来寺、でよ?キイの奴、女連れ込んで大騒ぎになったじゃん」
アムイは頭を抱えた。
「しかもあいつ!なんて言ったと思う?
“だって仕方ないだろ?ちょっと笑っただけで女の方がついて来ちゃたんだから”
てさ、いけしゃあしゃあと」
「シータ・・・・」
「アムイ、あんたそのためにキイを庇った罰として二人で3日間も独房に入れられたのよね・・・。ご愁傷様で」
「あ、あの、じゃあ・・・。キイさんって、凄いもてたんですね。オレ、結局お目にかかれなかったんですよ。あの時」
サクヤが周りを気遣いながら、おそるおそる言った。
「もてる?」
シータの目が光った。
「あいつはそんな言葉では片付けられないのよ。存在自体が危険なの!男も女も、あいつの前じゃ歯が立たないわ。存在そのものがエロスの塊みたいな男だもの」
「シータ・・・・それはちょっと言い過ぎだと思うぞ・・・・」
アムイがこめかみを押さえながらシータを制した。
「とにかく、あんた達、聖天風来寺ではすっごい世話になったんだからね。・・・・特にアムイ。キイは行方がわからないから仕方ないけれど、あんた達を育ててくれた、前聖天師長(ぜんしょうてんしちょう)様の法要くらい、顔出しなさいよ」
「・・・・しかし、俺は聖天風来寺を破門された身だし・・・・」
「それとこれとは、別よ」
シータは突然優しい声で言った。
「親代わりにあんた達を育ててくれたんでしょ。もう誰も咎めないわよ・・・」
二人の会話に、サクヤはつい問いかけた。
「え、という事は、兄貴は本当に聖天風来寺を追い出されたって事ですか?」
アムイはバツの悪そうな顔をした。
「・・・まぁその・・・。ちょっと騒ぎを起こしちゃったんですよね、シータ様」
東風(こち)が遠慮がちに言った。
「ちょっとどころじゃないんじゃなぁい?」
シータは打って変わって冷たい声になった。
「じゃ、相当アムイ、暴れたんだ。だって、聖天風来寺って、滅多な事しなければ、そう簡単には破門にしないっていうじゃない。やはり噂は本当だったのねぇ」
イェンランの言葉に、東風(こち)は言いにくそうに呟いた。
「いえ・・・・。それが、暴れていたのは・・・・宵様なんで」
「は?」
「聖天風来寺を追い出されたのは宵様で、暁様は責任を取って一緒に破門された、というのが真相なんです」
「・・・マジで?」
二人は絶句してアムイの方を見た。
アムイはずっと、むすっとしたままだ。
「キイの奴、聖天師長(しょうてんしちょう)様が神国オーンから、友好の証として頂いた神仏像を、ことごとくぶっ壊して行ったのよ!
それじゃあ聖天師長様も、もう庇いきれないわよねぇ。いくらなんでも。
で、アムイはそれを止められなかったという事で、責任取らされて一緒に追い出されたのよ」

確かにキイは自由奔放、大胆で豪快。
その容姿に似合わない滅茶苦茶ぶりだった。
その反対にアムイはずっと物静かで、何を考えているかわからないような少年だった。
しかもかなりの秀才で、優等生。僧侶達の信頼も厚く、師の間でも評価は高い。
「本当にねぇぇ・・・。アンタが聖天風来寺を去ってから、お師匠さん達の嘆きったらなかったわよ」
シータは爪を眺めながらポツリと言った。
「キイもね、あいつの自称親衛隊の輩の嘆きも相当ひどかったけど。ま、仕方ないか。
あんた達って本当に二人でひとり、みたいだったもんね」

アムイは生き生きとしていたあの時のキイを思い出していた。

それは今の状態の彼とは全く違う。

「だからアタシはどうしても解せないのよ。あの豪胆で奔放なキイが・・・。あのキイと互角に渡り合えるのは、あのゼムカの王くらいだろうって、噂してたのにね・・・・。その噂の主に、あいつが簡単に手に落ちたのが、本当に信じられないのよ・・・・。アムイ、アンタの不安も、そこなんでしょう?」

シータの言ってる通りだ。
本当のキイは、あんなザイゼムの様な男に簡単に屈したりしない。
しかも、キイと一番に気が合って、キイの事をよくわかっているアーシュラもいるのに。

ただ、ひとつだけ考えられる事がある・・・・。
キイがこんな状態に陥ってしまった理由・・・・。
しかし、その考えに至るには、心の準備がアムイにはまだできていなかった。

自由奔放、誰にも媚びず、誰にも屈しない、俺のキイ。
アムイは再び瞼を閉じた。
思いはお互いが一番強く結びついていた時代。
当たり前のように、お互いがお互いを必要としていた時代。

そして聖天風来寺に入って、お互い以外の、他の人間と共に暮らさなければならなかった時も。

アムイの心はしばし時空を越え、あの頃に戻っていった。

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暁の明星 宵の流星 #30

あまりにものショックでぶっ倒れたサクヤを介抱しながら、アムイ、イェンラン、シータ・・・そして若い僧侶は宿のオーナーに丁重にもてなされていた。
「本当にこの件ではお客様にご迷惑をおかけしました」
現れたこの宿のオーナーは、なんと上品な中年のご婦人で、その事にイェンランは驚いていた。
「お客様のお陰で、あの不埒者を牢屋に入れる事ができましたわ。
本当に困っていたのですよ。東からの流れ者が最近多くなってきて・・・・」
アムイは腕を組み、さっきからずっと目を瞑っている。
「北の方もかなり神経を尖らせているようですが、我が国も色々と方針を考えないといけないでしょうね。
南は最近自国を強化するといって、ここ数年かなりよそ者には厳しくなり、そこ経由では流れてこないのですが、かなり中立国からこちらに来るのが多くって・・・・」
女支配人は溜息をついた。
「なのでお詫びといってはなんですが、宿代はいただきませんわ。どうかゆっくりと我が国を堪能してくださいね」
と、呼び鈴を鳴らすと、若い男性の使用人がやってきた。
「お前、この方達にとびきりの部屋を用意してあげて。あ、それからお客様の中に可愛らしいお嬢様方がいらっしゃるから、それ様の綺麗な個室を用意してあげてくれる?」
「え、お嬢様って・・・私達のこと?」
「みたいね」
目を丸くしているイェンランに微笑みながら、シータは言った。
「この国はルジャング王家のお陰で、大陸一、治安も安定していますわ。
森と水が豊かで美しい国・・・・。私達は誇りに思っているのです。自分の国を」
そう言い切る女支配人に、イェンランは羨ましさを感じた。
比べるつもりはなかったが、こうまで自分の故郷と差があるものなのか・・・・。
それにしても・・・・。
「あの、オーナー・・・。ひとつ聞いてもいいですか?」
「何でしょう?お嬢さん」
「失礼な事言ってすみません。実は私、驚いたんです。だって、女性の支配人って初めてだったので」
それを聞いた女支配人はコロコロと笑った。
「いいえ。他国から来られる方にはいつもそう言われるんですよ。
珍しいですよね、この大陸では・・・・。
女性の地位が本当に低いですからね。こんなに女が少なくなってきているのに、今でも道具のように扱う人間もいて、本当に憤りますわ。もっと女を大事にした方が、世の平和のためなのに」
「世の平和のため?」
「あら、すみません。つい、王子様の受け売りで」
と、彼女は頬を染めて言った。
「王子様?」
「噂ではお聞きになったでしょう?外大陸を見てきた第4王子のリシュオン様。
あの方ほど、先見の明があるお方を知りませんわ。あの方のお陰でこの数年、女性の地位も上がったものですから。だからこの国では女性でも能力あれば認められるのは当たり前。それ以前に女性というだけで大事にしてもらえるのですよ。他では珍しいでしょう?」
ああ、サクヤの言っていた例の王子様の“それだけではない”というのはこの事なのか。
「私ももっと若かったら、王子様のお相手にと立候補するのですけどねぇ。この国の若い娘はこぞって、リシュオン様がお選びになる女性は誰か、の話題ばかりなのですよ」

部屋に案内されながら、イェンランは今まで自分が狭い世界の中で生きてきたことを痛感していた。
所変われば、人も変わる。
この世の価値観なんて、ひとつではないのだ。
という事は、自分の価値観だって気持ちを変えれば変わるのだ。
(それが上手くできればねぇ・・・・)
人間、今まで染み付いてきたしがらみも思い込みも、なかなか捨てられるものではない。
それよりも、先程からアムイはずっと押し黙ったままで、気を失っている(今でも!)サクヤを淡々と担いでいる。
その表情から彼が何を考えているのか全く読めない。
ま、今に始まったことではないけれど。
そしてその横で、若い僧侶が憧憬の眼差しで彼を見上げている。

(暁様!)
騒動の直後、僧侶は嬉しそうにアムイの元に駆け寄った。
(お久しぶりです、暁様・・・。よく、よくご無事で・・・)
(何だ、一緒にいたのは東風(こち)だったのか。随分大きくなったな)
(覚えていてくださったんですか?嬉しいです。暁様もますます凛々しくなられて・・・)
(おい、大げさな事を言うな。それよりもお前達何でここにいるんだ)
(ええ、私はこれから西の水天宮に、一年研修に行く事になりまして・・・。それでシータ様が護衛をと)
(おい、シータ。さっき見ていたがお前、ちゃんと仕事してるのか)
その言葉に、シータは口を尖らせた。
(してるわよ。失礼ね。
ほんと、アムイって昔から無愛想な上に、責務にはすっごい厳しいわよね。
ま、そういう所が僧侶にはいつも受けがいいんだけど)
(してる?その格好でか)
(あら)
シータは自分の格好を見回した。
(まったく問題なくってよ?)
アムイはまた頭を抱えた。
(一体、聖天風来寺もどうなってんだ・・・)
その様子に、東風(こち)はくすくす笑って傍にいたイェンランに言った。
(何か暁様、昔より随分話しかけやすくなったなぁ。昔はまるで切れる刃物みたいで、いつも宵様がフォローしていたんだよな)
(そうなの?宵様・・・・って、もしかしてキイの事?この二人ってやはり聖天風来寺にいたんだ)
その言葉に気が付いたシータがイェンランをちらりと見ると、真顔になってアムイに話しかけた。
(アムイ。聖天風来寺でもキイの現状は知れているわよ。もう何年もあいつ、行方知れずなんだって?)
アムイはその言葉に固まった。
(ここで会ったのは丁度いいわ。最初から話なさいよ。現聖天師長様も随分心配なさっている)


という事で、アムイは女支店長が詫びにくるまで、簡単に事の説明をシータにしなければならなかった。

そして一夜明けて、やっと復活したサクヤと、アムイ以外の三人は、早目の朝食を取っていた。
「アムイ、何処に行っちゃたのかしら」
「何か眠れなくて夜明け前からどっか行ったわよ。・・・・・相変わらず」
シータが野菜を口に運びながらさらりと言った。
「眠れない・・・・」
「そんな事よりも、お嬢はよく眠れた?枕が変わっちゃうと眠れない人もいるっていうじゃない」
「あ、私はそんな柔なタイプじゃないから、大丈夫!」
「そう」
と言って、シータはにっこりした。
そしてそのまま、イェンランの隣で、今だぐったりしているサクヤに声をかけた。
「ね~、サクちゃん。いい加減そんな顔やめてよ」
サクヤは少々涙目になって、フォークでとうもろこしをずっと突付いている。
「だって・・・だって・・・。詐欺だもん。綺麗なお姉さんだとばっかり思ってたのに。ひどいよ」
「あら、“綺麗な”には変わりないじゃないの、何が不服?」
「だってオレ、年上の女の人が好きなんだもん!男なんて詐欺じゃないですかぁ」
と、テーブルに顔を突っ伏した。
「男で悪かったわね」
「へぇぇ、初めて知った!サクヤってそういうのが好みだったんだ!でもあんた年上の男には異常にモテるじゃない。こうなったら、どぉ?趣旨替えするってのは!」
と、イェンランは屈託なく指を立てて提案した。
「馬鹿言うなっ!男はご免だ。絶対にいやだぁ~」
と、イェンランの容赦ない言葉にサクヤは耳を塞いだ。
「あら、まぁ。もったいないわねぇ、サクちゃん。あんた、本当にごっつい男が好みそうな男の子、って感じだもん。
この世の中、女は少ないんだから、贅沢言ってられないんじゃないの?」
「馬鹿にしないでくださいよ、オレはもう25です!男の子じゃありません!」
と、シータに言い放つと、また再びがっくりとテーブルに顔を埋めた。
その様子を見ていた東風(こち)が、何とか話題を変えようと話しかけた。
「そういえば、お二方は暁様と、宵様を捜して旅をなさってるんですよね」
「宵様・・・キイの事よね。私、キイには会った事があるけど、彼が【宵の流星】って呼ばれてて、アムイと同じ最強の武人って、言われてるの、知らなかった・・・。というか、ほんのちょっとだけど、どうもそんな強い感じに見えなくて、特にアムイと比べると想像できないっていうか・・・」
その話題に、ふて腐れていたサクヤが食いついた。
「そうなんですよ。オレも暁の兄貴が、東で暴れていた事はよく耳にしていたけれど、自分のところまではキイさんの話題が届いてなかったので、驚いたんです。あの兄貴の相棒、と言われる位だから、相当強いんでしょ?」
「・・・まあね」
シータはポツリと言った。
「二人は聖天風来寺出身だっていうじゃないですか。在籍中はどんな感じだったんですか?何か噂では兄貴、暴れまくって追い出されたとか、何とか」
サクヤはアムイ本人に聞けない分、もう自分の好奇心を止める事はできなかった。
それはイェンランも同じで、目をキラキラさせて、シータの返事を待っている。
「う~ん、そうねぇ・・・」
何故かシータは口ごもった。
そして東風(こち)と目配せし、二人にこう言った。
「昔の事をぺらぺら喋ったら、多分アムイに殺されそうだけど・・・・。ま、そんなのアタシは怖くないし。
ただねぇ・・・・」
何か、どうも歯切れが悪い。
イェンランは不思議に思ってシータに聞いた。
「何かまずい事でもあるの?」
「私はいいんだけど、お嬢がねぇ・・・・」
イェンランとサクヤは顔を見合わせた。どういうこと?
その二人を見ていたシータは咳払いすると立ち上がった。
「あのね、お嬢。あんた、本当にキイがいいの?」
いきなりこう言われてイェンランはきょとん、とした。
「・・・ま、いいか。あのね、噂って本当のこともあればガセもあるワケよ」
二人は彼が何を言っているのかわからなかった。
「それに対象の人物の評判なんて、実際接してみないとわからない部分もあるわけで・・・・」
と、ここまで言って、シータは何か決意したような顔をした。
「いいわ。いつかは現実と向き合わなければならないんだものねぇ・・・」
と、何やら訳の分からない独り言をいうと、テーブルをくるりと回って、シータはイェンランの隣にストン、と座った。
そして意を決したように、イェンランに向かってこう言った。
「お嬢・・・あんたの夢、壊して悪いんだけど」
シータは彼女の肩に手を掛け、一呼吸置いた。

「キイ、あいつ女にすっごい手が早いわよ?」


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暁の明星 宵の流星 #29

北の国に、ゼムカ前王の隠居後の館がある。
その館の裏手には、深い森が続く険しい山があって、その奥のひっそりとした屋敷にアーシュラ達はいた。
ここは昔、自分が幼い頃まで暮らしていた隠れ家みたいなものだ。

財政苦しい北の国は、お金さえだせば、各国、各民族の人間に自国の広大な土地を、簡単に明け渡してくれる。
この土地で前王が何故余生を送ろうと思ったのかは、本人しかわからないだろうが、とにかくこの森の中の屋敷はアーシュラにとって、思い出の深い場所であった。

女にしては珍しく行動的で自由奔放だった母親に連れられて、自分は幼い頃からあちこちと旅してきた。
物心ついた時にはもうすでに父はなく、気が付いたら母と共にあらゆる場所に行っていたような記憶がある。
そして母は、旅に飽きると必ずここに戻ってくるのだ。
たまにアーシュラを子守に託して、ひとりでどこかに行ってしまう事もあったが、それはそれで、この場所が好きだった彼にとっては、母親と離れていても全く寂しさを感じなかった。
その母親も、自分が7歳の時に流行り病で亡くなった。
事実上、自分はこの世でひとりきりになってしまった。
この屋敷で、アーシュラは毎日心細くて泣いていた。
食べ物は、全て森の中で調達できた。サバイバルな母親は、何かあった時のために、自分に生きる術を叩き込んでいったのだ。だけど、彼の孤独感は半端なものではなかった。
まだ年端もいかない子供が、たったひとりで生きていく・・・。
その恐ろしさに、アーシュラはいつも戦っていたのだ。

ところがある日、ひとりの男がこの屋敷にやってきた。
精悍で野性味の溢れるひとりの若者。
いつもは知らない人間には警戒心を持つアーシュラだったが、長い孤独のせいか、はたまたその青年の思いのほか情愛のある瞳のせいか、素直に彼の訪問を受け入れた。
(お前はゼムカの子だぞ)
彼は言った。
(俺はお前を捜していた。たったひとりで寂しかったろう?もう大丈夫だ)
(ぼくがゼムカの子?)
(そうだよ、お前の仲間が沢山待っている。俺と共に来い。そして、お前は俺といつも一緒にいるんだ)

あの時からアーシュラは彼のために生きることを決めた。
あの人が孤独だった自分を救ってくれたのなら、自分は彼の傍にいて、ずっとお守りするんだ。
そしてあの人がゼムカの頂点に立った時は、自分のごとく誇らしかった。
ザイゼムのたっての要望で、自分は聖天風来寺に入って修行もさせて貰えた。

私の王よ・・・。

この忠誠心は生涯変わらないだろう。
だが、個人的な感情では、アーシュラの気持ちはかなり揺らいでいたのだ。

それはキイの存在だった。

今更ながら・・・。
アーシュラは自嘲した。
自分はあの汚らわしい馬賊の奴らにあいつを渡したくないだけだった。
もちろん他にも事情があったが、ザイゼムの思惑と、自分の個人的感情も一致して、奴らからキイを強奪してやった。
美しいキイ。
自分は自分のできる事で、彼を守ってやりたかったのだ。
だが・・・・。嫌な予感はしていたんだ。
あの誰にでも執着しない・・・・、お気に入りは傍に侍らす人だが・・・深い所での愛という対象という意味で、全く誰にも心を動かされた事のないあの人の、初めてキイを見た瞳の輝き。
アーシュラの心の地獄はそこから始まったのかもしれない。

アーシュラは、まるで死んだように眠る愛しい顔を、一晩中ずっと目を離す事ができないでいた。

それにしても、あのアムイに仲間がいたとは・・・・。
アーシュラにはそれが意外だった。
何年ぶりかで再会した、憎らしい男の顔。
アーシュラはアムイが大嫌いだった。
当たり前のようにキイの傍にいて、昼も夜も彼から離れようとしない。
アムイの存在に始めは苛ついていただけだったが、長く一緒にいてわかったのだ。
アムイはキイ以外の人間を必要としていない事を。
何故なのかは本人ではないのでよくわからないが、アムイは全くキイ以外の人間には決して心を許そうとはせず、深い、深い殻に閉じこもって出てこないのだ。
キイはそんなアムイを甘やかしつつも、何とか他人と係わらせようと必死だったのを、アーシュラは見抜いていた。
下手をすると、キイがいなければ奴はいつもひとり。
必要以外他人と話もせず、やもすれば自分のテリトリーから簡単に他人を追い出すだろう。
そのアムイが他人と行動している!
まさか、奴に仲間がいて、その協力でキイに会いに来るとは全く予想にしていなかった。
キイと離れたからか・・・?
この何年かの間、奴も成長し大人になった、という事なのだろうか。

アーシュラはキイの白い顔にそっと手で触れた。
キイがもし目覚めて、今のアムイの様子を知ったら・・・、どう思うのだろうか。
喜ぶだろうか。それとも寂しがるのだろうか・・・・。

「アーシュラ、私のものに気安く触るな」
突然ザイゼムの声が飛んで、アーシュラは驚いて手を引っ込めた。
「陛下!」
「まったく、油断も隙もあったものじゃない。俺のお前への信用を無にだけはするなよ」
アーシュラは拳を握り締めた。
「ええ・・・陛下。それよりも、予定より随分早いではありませんか。到着は明け方では・・・」
「もう明け方だぞ」
そう言われて、アーシュラは外がうっすらと明るくなっていたのに気が付いた。
「申し訳ございません!お迎えもせずに、何というご無礼を・・・・」
慌てて頭を下げるアーシュラに、ザイゼムは溜息をつくと、身支度を解き始めた。
「まあ、いい。キイの様子をよく見ていてくれた。どうだ、変わりはないか」
そう言いながら、ザイゼムはキイの寝顔を覗き込んだ。
「・・・・はい。今の所は安定しています。・・・・ですが・・・。たまに息が途切れる事があります。
もう、限界なのでは・・・」
「うん」
「南の宰相とはどうなっているんでしょうか。またキイを診てもらえるのでしょうか」
突然ザイゼムの顔が険しくなった。
「いや。南とは決裂してきた」
「え!?何故です?」
意外な言葉にアーシュラは動揺した。
「奴ら・・・・。我々に近づき、あの宰相をよこしたのは・・・。
魂胆があった事がわかったからだ」
「魂胆・・・。まさか」
ザイゼムの瞳は怒りで燃えている。
「奴らの目的は【宵の流星】だ」
「!!」
「ま・・・。少しは警戒してはいたが、やはりそうか、っていう感じだな」
ザイゼムは吐き捨てるように言った。
「奴ら・・・・。どこまで知っているのか分からないが、奴らがキイを狙って我々に近づいたのは確かだ」
「・・・・・」
「この分では他の王族の奴らにも、どのくらい話が出回っているか、分かったものじゃない」
ザイゼムは歯噛みした。
「これ以上、キイを世間に晒す事はできぬ。この状態も我々で何とかせねばならぬ」
アーシュラはかなり動揺していた。
今までザイゼムに対しても、周囲にも、あのキイにでさえも、自分の考えをはっきり示した事はなかった。
だが・・・・。
「しかし、陛下!ではこの今の状態のキイをどうしろと?
間に合わなかったらどうするんですか!!
今でもこうして彼の意識は沈み続け、それが肉体にまで影響しているんですよ!
早く手を打たないと、手遅れになってしまう!!」
「わかっている!!」ザイゼムは叫んだ。
「そんな事、私だってわかっている!!
だがそれ以上にキイを野望の対象としか見ていない奴らに、簡単に渡せるほど私は愚かではない!」
「あなただって・・・」
普段と違うアーシュラの様子にザイゼムはいぶかしんだ。
「なに?」
「あなただって、最初はキイを野望の対象としか見ていなかったじゃないですか!!
そんなあなたと彼らと、どのくらいの違いがあるっていうんだ!!」

ガキッ!!

いきなりザイゼムの拳がアーシュラの頬に飛んで、彼は勢いよく吹っ飛んだ。
「アーシュラ、聞き捨てならないな」
ザイゼムはアーシュラを見下ろした。
アーシュラは半身を起こし、切れた唇の血を手の甲で拭った。
「まぁいい。今のはキイに免じて忘れてやる。
だが、この先は私に対する口の利き方に気をつけろ。いくらお前でも場合によっては許さん」
ザイゼムは威圧的な態度でアーシュラを一瞥すると、再びキイの方に顔を向けた。
「とにかく今はこの状態を何とかする方が先だ」
ザイゼムは愛しそうにキイの髪を撫で上げる。
「・・・陛下」
アーシュラはよろよろと立ち上がった。
「やはりキイを、聖天風来寺に戻した方がいいのではありませんか」
その言葉に、ザイゼムの手が止まった。
「何だ、今更」
「・・・・・あそこにはかなりの術に長けている高僧もおります。それに・・・・キイはあそこで幼少の頃から育ったと聞きいてます。何かこの状態について、分かる者がいるかもしれない・・・・」
「こいつを育てたという、聖天師長はすでに3年前亡くなったと聞く。という事は聖天風来寺は、キイに関する何かの事情を知っているだろう。そこにキイを連れて行けば、決して我々にキイを返す訳がない。それだけは困る」
アーシュラは溜息をついた。
「でも・・・それではキイは・・・」
「おい、アーシュラ。ならばアムイはどうだ?」
思いがけない言葉にアーシュラは凍りついた。
「アムイ・・・?」
「お前の話だと、あいつはずっと子供の頃から一緒だったらしいじゃないか。まるで影のようにぴったりと」
「・・・・・」
「あいつこそ、キイについては心身共に詳しいんじゃないか。
何せ仮にも【恒星の双璧】の片割れなんだからな」
アーシュラは思わず唇を噛んだ。
その様子にザイゼムは意地悪く言った。
「ま。それは無理か。何せお前は異常にアムイを毛嫌いしているし、アムイの方だって我々を憎んでるだろうしな」
と、ザイゼムは再びキイの頭を優しく撫でるとこう言った。
「実はこの北の国に、北天星寺院というのがある。そこにいる高僧が、大陸でも指折りの術者であって賢者衆のひとりらしい。私は今日、そこを当たってみようと思う。・・・・・この状態のこいつを置いていかなければならないのは辛いが、致仕方ない」
「陛下・・・」
それでも不安そうに自分を見つめるアーシュラにザイゼムは釘を刺した。
「私が戻るまで勝手なことをするなよ、アーシュラ。ルランにもお前を監視するよう言っておく」

そう言い放つと、ザイゼムはキイとアーシュラを残して部屋を後にしたのだった。


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2010年2月27日 (土)

暁の明星 宵の流星 #28

そろそろこの大地にも初夏が訪れようとしていた。
新緑が目も眩しく、窓に映し出される山々の木が、清涼な空気を放っている。

ルランはキイの寝姿を確認すると、洗い物を持って彼の休んでいる部屋を後にした。
「おい、ルラン」
ルランは廊下で小姓のひとりに声を掛けられた。
「何か用?シモン」
その少年は、ルランとは同じ頃からザイゼムに仕えたひとりだ。
あの当時はどちらが早く陛下の寵愛を受けるか、競争していたっけ。
もちろん器量のみならず、気配りや頭の回転のよさで、あっという間にルランに軍配が上がったのだが。

「よかったじゃないか、ルラン。お咎めなしで。さすが衰えても陛下の一番のお気に入りだな。
それにしても、不覚にも眠らされて失態を犯したお前に、よく陛下はまた宵の君の世話を任せるよなあ。
・・・お前、余程陛下に信用があるんだな」
シモンはいつもこうしてルランに棘のある言い方をする。
昔は一々突っかかっていたけれど、今はそれが彼の友情の裏返しだと、最近気が付いた。
「そんな・・・・。宵の君のお世話は昔から僕がやってきていたから・・・。今更変更するには支障をきたすからだよ。
それに完全に陛下の信用を回復しているわけでもないさ。
その証拠に、僕にアーシュラ様をお付けになった」

あの陛下が。
日夜全て、四六時中、心配で宵の君の傍を離れられなかったのは知っている。
そして腹心のアーシュラ様だって、一度たりとも傍から離さなかったのに。
そして陛下は僕とアーシュラ様に彼の君を託し、南の国へ行かれてしまった。

「しかしお前・・・・。よく勤まるな・・・。いつもながら感心するよ。
なぁ、陛下の寵愛を独り占めにしている人間に、嫉妬とかないの?」
ルランは俯いた。
「まったく、陛下も罪なお人だ。ルランの・・・我々の気持ちだって知ってるくせに」
シモンはルランの様子を見て、やるせない気持ちになった。
「いや、シモン」
ルランは顔を上げ、にっこりと笑った。
「そりゃ辛くないといえば嘘だけど。でも僕、負け惜しみじゃなくて・・・宵の君・・あの方を嫌いじゃないんだよ」
「ルラン」
「陛下があの方にご執心なさるのもよくわかるんだ」
(そう、そしてアーシュラ様も・・・・)
ルランは遠くから感じるアーシュラのキイへの熱い眼差しを、何度も目撃しているのだ。

それにしても・・・・。
と、ルランは昔を思い出して思わずクスっとしてしまう。
あんなに魅力的な二人に恋焦がれられて、当の本人は全くのどこ吹く風。
しかもあの陛下を上回るほどの奔放さ。
三年前までは宵の君だってこんな状態じゃなかった。
額に封印されてはいても、彼は相変わらずゼムカの中で好き勝手やっていた。
そう、あの時までは・・・・。

ルランは首を振って雑念を払った。
「どうしたよ、ルラン」
シモンが心配そうに自分を見るのが少しだけ辛かった。

「ねぇ・・・、シモン。彼の君はねぇ・・・。
何かをずっと待っているみたいだった。いつも、夜更けになると泊まった屋敷の窓から、外を眺めていたんだ。
何を待っていたんだろう。
それとも誰かを待っていたのだろうか」

ルランは三年前のある夜を思い出す。
あの夜は寝苦しくて、つい自分の寝所を抜け出し、ふらふらと外を歩き回っていた。
ふと、皆が泊まっているゼムカのご用達の屋敷の方を、何気なく振り向くと、一つの窓から、ぼぅっと淡い光が浮かび上がっているのを見つけた。
不思議に思って近づくと、奥の王達が使われている部屋の一階部分だった。
その光が浮かび上がっている窓に近づいて、ルランは息を呑んだ。

宵の君だった。

それはまるでお伽の世界のように幻想的で、この世のものとは思えない美しい光景だった。

キイは一階の自分の部屋の窓辺に腰を浅く腰掛けて、手を優しく上に向けて光と戯れていたのだ。
丸い数十個の淡く光る玉粒を、彼は愛しそうに宙に浮かばせ、落ちてくるものを受け止め、・・・・光と思われた物は、その淡く光る小さな玉だった・・・・・その表情は切なくて寂しげで、普段皆に見せる顔とまるっきり違っていた。
思わず見とれていたルランはつい、引き寄せられるようにふらふらとキイの前に出て行ってしまった。
はっとキイがその事に気づいて、慌てて光る玉を掻き集めると自分の懐に仕舞った。
「す、すみません・・・つい、その僕・・・」
現れたのがルランと知って、キイに笑みが浮かんだ。
「おう、ルラン、何だこんな時間に。眠れないのかい?」
からかう様だが、優しい低音の声。ルランは彼のこの声が好きだった。

宵とはよく言ったもの。彼の君の声は闇夜に響く。心地のよい音を震わせて。

「あ・・・。なんか寝苦しくって。どうしても眠れなくて・・・」
その言葉にキイは笑った。
「じゃ、眠らせてやろうか?」
「え?」
「ははは、冗談冗談。ザイゼムお気に入りのお前に添い寝なんかしたら、奴に殺されちまうかもな」
キイは片目を瞑り、ルランはその言葉に赤面した。
(いや、そんなことしたら、殺されちゃうのは僕の方でしょう・・・)
と、喉まで出掛かってやめた。
「いや、何ね。いつもそんな事言う奴がいてよ。何か久しぶりにそういう言葉聞いたなーと思ったらつい、ね」
「どなたなんですか?」
キイはニッと笑うと、くるりと身を翻し、窓から部屋の中に転がった。
窓の真下には寝台があって、柔らかに彼の優美な肢体を受け止めた。
ルランは自然にキイの部屋の窓に近寄った。
そっと窓の中を覗くと、寝台の上で、まるで高貴な猫のように、身体を横たえている彼の姿が見えた。
「なぁ、ルラン」
キイはいつになく真面目な声で言った。
「はい?」
「お前、好きな奴に抱かれて幸せか」
いきなりこう訊かれ、ルランは息が止まりそうになった。
「な、何をいきなり・・・」
「そいつが男でもか?」
「宵の・・・君?」
「まぁ、・・・あれだ。まだ14になったばかりのお前に訊くような質問じゃないわな。すまない。訊かなかった事にしてくれ」
と、キイはくるっと寝返りを打った。
その様子にルランは何ともいえない気持ちになって、そっとこう言った。
「僕は・・・・その・・・。12の時からあの方に仕えてきました。
僕、ずっとあの方に憧れていて・・・初めて夜を共にしたのは・・・13のときでしたが・・・。 
実のところ、あまり男だとか女だとか、考えたこともないんです。
だって、我々は物心ついた時からこのように男ばかりの世界で・・・。女は育ててくれた乳母くらいしか知らないのですから。・・・ただ、自分はこの世界の中で、荒くれた戦士達の中にいますけど、多分女性性が強いのかな・・・。だから自分にない、男性的なものに憧れる・・・。そしてその力を受け止めたい。それが自然に思えるんです」
ルランの言葉に、キイは驚いて振り向いた。
「お前って・・・・。本当に14か?何かこの世を達観してるよな・・・。うん。だからだな。年齢に比べてお前のその精神年齢の高さが、ザイゼムには意心地がよいのかもな・・・」
「そうでしょうか」
「そうだよ。ま、裏を言えば子供らしくないぞ。何でも悟ってますっていうのも、辛くないかい?」
ルランは何と答えたらよいか困ってしまった。
そうかな・・・そんなに僕って子供らしくないのかな・・・・。
そんなルランをまじまじと見ていたキイだったが、ふっと笑うとこう言った。
「羨ましいよ」
「え!?」
思いがけない言葉にルランは思わず声が出てしまった。
「・・・お前、素直なんだな・・・。自分の欲望に素直。愛する人間に素直。何のしがらみも生理的枷もなく、相手を素直に受け入れ、与える事を自然にできる人間・・・・・。
お前はきっと相手が男だからとか、王だからとか、意外に考えてないんじゃないか。
ただ、愛した人間が、たまたまそういう人間だった・・・と」
「宵の君・・・・」
「純真無垢な天の子だな、お前。ザイゼムの野郎も、お前みたいな子が傍にいる事に感謝するべきだ」
「そ、そんな、大げさですよ、いくらなんでも」
「いや」
キイはまた、あの遠い目を窓越しの夜空に向けた。
「俺はだめだ。思いっきり枷に縛られている。自分でも闇は超えたつもりだったが、たまにこうして切なくなる。
でも仕方ないか。俺がお前のようだったら、多分・・・・・もうこの世にはいられないだろうよ」
その言葉の意味は、頭のよいルランでさえ全く理解できなかった。だが、宵の君が何かを・・・・いや、誰かを想って言っているのではないか、とは感じた。
何故なら、彼の瞳はいつも、遠い遠い空の彼方を彷徨っていたからだ。

この世の中で、貴方ほど美しい人を、僕は知りません。

ルランは素直にそう思った。
きっとそう言うと、宵の君は怒るだろうけど。


「おい、ルラン」
シモンの声でルランは現実に引き戻された。
「大丈夫か?何か具合でも悪いんじゃ・・・」
「何でもないよ。ただ、ちょっと考え事をしていただけだ」
ルランは力なく微笑んだ。
その時、廊下の先からルランを呼ぶ声か聞こえてきた。
「おい、アーシュラ様だぞ」
シモンはそう突付くと、声の方を指差した。
「ルランはどこだ?」
「あ、はい、アーシュラ様。いかがされました?」
アーシュラは大股でルランに近寄った。
「明後日、陛下がここに来られる」
「え」
「キイの身体の事を、とにかく心配されていた。悪いがなるべくあいつの傍を離れないでやってくれないか」
「はい・・・。あの、陛下は南との話は終えられたんですか?予定より随分お早いみたいですが」
「・・・・とにかく、キイをよろしく頼む。たまに呼吸を確認してくれ。俺は陛下を迎える準備をする」
呼吸を・・・・。という所で、ルランは血の気が引いた。
確かに宵の君の容態が芳しくない。最近では全く目を開けない日が続いていた。
まるで仮死状態のような・・・・。
考えてみればこのような状態は、すでに三年目に入っていた。
最初は意識がなくても普通に生活できていた宵の君も、徐々に時間が経つにつれ、体も動かなくなる日が多くなっていった。
それが昨年の終わり頃、急に容態が悪化した。
このためにあの陛下が様々な術者を頼って、大陸中を移動し続けたのだ。
そして昨今力をつけてきた南の帝王からのたっての要望で、ゼムカと物支援の協定を結んだ。
この縁で、南の国の宰相がかなりの腕ある術者という事を知り、内密に彼を診ていてもらっていたのだ。
その成果か、今年に入り、意識はないが再び起きる事ができるようになって、皆ほっとしていた矢先だった。

ところがあの【暁の明星】との件から、また宵の君の容態が悪くなった。
最近では、今まで聞こえていた寝息でさえも、たまに途切れるようになり・・・・・・。

そしてこの後、ルランは珍しくザイゼムとアーシュラが争う声を聞く事になる。
いつもザイゼムには従順で、影のように仕えてきた、あのアーシュラが・・・・。

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暁の明星 宵の流星 #27

西の国、ルジャンは森が多く、水の豊かな美しい国である。
その首都であるウェンディーは、王宮を中心に活気溢れる割と裕福な町だった。
ルジャンには現国王と5人の王子がおり、一番上の王子がすでに次の王として現王を補佐していた。
第一王子にはすでに妃と二人の息子がいて、その14歳の長男キリーは祖父、父と、順当にに王位を継ぐ存在だ。
そして他の4人の王子はどうかというと、現王と王太子を支えるため、色々な分野で国政に携わっては、国を盛り立てていた。
その中でも特に若干22歳の第4王子は、人物といい、功績といい、国民に絶大な人気を誇っていて、国の女性は特に彼の寵愛を受けたい、とこぞって思っているくらいだった。

と、首都ウェンディーに深夜遅く到達したアムイ達一行は、馬と荷物を宿に預けて日中町に出ていた。
アムイは情報収集と、これからの旅に向けての準備で、ふらふらと色んな店に立ち寄りながら、今日は過ごすつもりらしかった。
初めて見る異国の美しい町並みに感嘆しているイェンランを連れて、サクヤもアムイとは別行動で買い物に出かけていた。
「すご・・・。噂には聞いていたけど、西って裕福なのね・・・・」
イェンランは自分の故郷と比べて言った。
「この国は王族がしっかりしているらしいからね。特に補佐にまわっている王子達の中には、新しい考えややり方を国政に生かそうと、かなり努力しているらしい」
「へえ」
「何でもこの国の第4王子って、意外と行動的な人らしくて、外大陸(そとたいりく)にまで勉強しに海を越えたっていう話だよ。あと、他王国にもかなり訪問したりして、若いのに、この大陸にもかなり人脈があるらしい」
「外大陸!?あんな遠い所まで行く人間なんていたんだ!!」
イェンラン達のいるこの地は、他所の大陸や島から見たら、かなり外れた僻地にあるという認識で、【果ての大陸】と呼ばれていた。なので違う大陸とは、気が遠くなるほどの距離の海を超えて行かなくてはならない。
しかもその間には、自然の驚異や海賊やらで、とても気軽に行き来できるような場所ではなかった。
なのでこの第4王子、まだ十代で供を引きつれ、2年をかけて異大陸を視察しに行ったのを成功させた、という偉業の持ち主で、その成果は、国民の王家に対する誇りと敬意、忠誠心を固くさせたのだ。
「それに話によるとそれだけじゃないんだ」
「それだけじゃない?」
「うん、まぁ、この国にいればなんとなくわかると思うけど・・・・」
サクヤは武器を扱う店に入って行った。
「ところで、イェンラン。何か君、武器を用意しないと。まだこの国は治安がいい方だけど、ちょっと外れた森や国境近くは意外と物騒なんだよ。何か使える物あるかい?」
ずらりと並んだ様々な武器に、イェンランは圧巻されながら、きょろきょろと辺りを見回した。
「とにかく、まずは剣くらい使えなければだめだ。女性の護身用の軽いのなら・・・これ、どうかい?」
と、銀色の細くて華奢な剣を手に取った。
「うん・・・。自分の欲しいのが、ここにはないみたいだし」
と、サクヤから手渡された剣を彼女は手に持って軽く振ってみる。
「軽くてよさそうね。これにする」
「じゃ、これにしよう。すみません、これを・・・」
と、サクヤが言いながら代金を払おうとすると、イェンランはそれを制した。
「待って。自分の物くらい、自分で出すわよ。おいくら?」
彼女は腰にくくり付けた袋からお金を出した。
「大丈夫。絶対必要だと思って、ちゃんと準備してたんだから」
この大陸では、国が違っても同一通貨なので、煩わしい事は何もない。
イェンランは親に支払われた金を自分の身で返すため、桜花楼では個人的にお金を持たせて貰えなかった。
ただ、身の回りや身支度の物には、年間としてかなりの額が支給される。
それを世話役が大事に保管し、必要な時に使うのだった。
ということで、抜け出す当日に世話役の目を盗んで、ちゃっかりこのお金を持ってきていたのは確信犯である。
イェンランは最初から、桜花楼を飛び出す決心をしていたのだ。

そうこうしているうちに日が暮れて、三人は宿の一階にある食堂兼酒場で落ち合った。
「どうですかねぇ。何か進展ありました?」
サクヤは出されたチキンをほおばりながらアムイに言った。
「特に変わった事はなかった。ただ・・・」
「ただ?」
イェンランがフォークで豆を拾いながらアムイを見た。
「凪の予想通り、ザイゼム王は南に行ったらしい」
「そうか・・・」
「ただキイと一緒だったかは定かではないんだ。目撃者の中には王とお付きの者数名、と言う者もいて・・・」

その時、自分達のテーブルのかなり後方でちょっとした騒ぎが起こった。
酔っ払いの集団が、何やらテーブルに座っている二人の人間に絡んでいるようだった。

「綺麗な姉ちゃん、どっから来たのかな~」
「本当にここでは見かけないべっぴんさんじゃねーか!なんでまたこんな坊主と一緒なのよ。
俺らと飲もうぜ!こんな奴よりうんと楽しませてやるぞ」
5~6人の男達が、かなりの美人とその隣にいる小柄な若い僧侶を取り囲んでいた。

「やだ、何あれ。この国って治安がいいんじゃなかったの」
イェンランが嫌な顔して呟いた。
確かに今のイェンランは、自分の体に合った男物の服を今日調達し、髪もきりっと一つに束ねていて、なるべく目立たぬ格好をしていた。桜花楼にいた頃の煌びやかな衣装を纏っていた彼女とは全く違った印象である。
そのせいもあって、人の目を惹く事もなく、彼女は伸びやかな気持ちだった。

だがこの絡まれている美人は、何ともイェンランとは全くの真逆で、動きやすい服装なのだが、そのせいか綺麗な脚線美を腰に巻いた短めの布に隠された、丈の短いパンツから惜しげもなく晒し、上半身には幾重にも重ねた柔らかなシフォンのスカーフを胸元に飾っていた。髪は柔らかな色の金髪で、それがその人物の白い肌を明るく見せている。その髪をきりっとひとつに纏め上げ、色のついた石で飾った髪飾りを付けているそこからは、幾本かの三つ網にした髪が、まるで簾(すだれ)の様に肩まで落ちていた。しかもじゃらじゃらと耳にも指にも金銀のアクセサリーを付け、しっかりと化粧した顔が妖艶な色香を醸し出している。赤い唇に挑発的な茶色の瞳。誰もが振り返る程の派手な格好だった。これじゃ絡んで下さい、と言っているようなものである。
しかも連れは地味な服装の僧侶。男達が興味津々なのはわからないでもない。
何も反応しない二人に痺れをきらしたか、男達は実力行使に出ようと、美人の手を取った。
「こっち行こうぜ、姉ちゃん、一緒に飲もうや」
「や、やめて下さい!お願いですからこんな場所で・・・」
今まで下を向いていた若い僧侶が我慢できなくて叫んだ。
それにカチンときた仲間のひとりが、勢いよく僧侶の胸倉を掴んで持ち上げた。
「うるせぇぞ!このくそ坊主!!」

それを見ていたサクヤは慌てて立ち上がった。
「やばいですよ、兄貴!何とかしなくちゃ」
イェンランは段々大きくなっていく騒ぎに固まっている。
「ねぇ、兄貴!!」
サクヤはアムイを振り返った。
いつもは騒ぎには無頓着なアムイであったが、サクヤがいつにない剣幕だったので、のろのろと立ち上がって一応騒ぎの方を眺めた。
「兄貴!か弱い女性とお坊さんだよ!誰かが助けなきゃ!」
「いや」
アムイは絡まれている人間を見て妙に複雑な表情をした。
「いやって・・・」
「行く必要ない」
サクヤはその言葉にむっとした。
「じゃあオレひとりででも助けに行きます!」
と捨て台詞を残し、弾かれたように騒ぎの中心に身を投じて行った。

周りの客達は遠巻きにこの騒ぎを恐々と眺めていた。
誰も抵抗する者がいないとふんだ男達は、ますます調子に乗っていった。
「そんな坊主、のしちゃいなよ」
男達はニヤニヤしながら締め上げられている僧侶を見ている。
「なぁ、それよりも姉ちゃん、こっちでいいことしようぜ」
他の男が美人の体に手をかけた。
その時、その男の手をサクヤの手が捻り上げた。
「いてぇっ!!何するんだ!」
「こんな綺麗な人に汚い手で触るな!」
勢いよくサクヤは叫ぶと、素早い身のこなしで、男の体をテーブルに押し付けた。
「何だと!若造のくせに生意気な」
他の男がサクヤに掴みかかってきた。
それを合図にわらわらと男の仲間がサクヤに襲い掛かる。
男達にキレのよい動きで応戦しながら、サクヤは叫んだ。
「早く!早く逃げてください!」
それでも意外と男達は強敵で、何人すっ飛ばしてもまた掴みかかってくる。
「う、うう・・苦し・・・」
締め上げられていた僧侶が呻き、サクヤはそちらに向かおうとした。
だが、意外に男達の攻撃は激しく、サクヤは思うように僧侶の元へ行けないでいた。
「シ、シータ様・・・・」
その僧侶の呟きで、ふらりと美人はやっと立ち上がった。
そして周りが目を疑うほど優雅な速さで、僧侶の元へ移動したかと思うと、手刀で僧侶を絞めていた男の手を振り払い、、電光石火の速さでその男のわき腹を綺麗な足で蹴り上げた。
「ぐぁ!」
男は大きな音を立てて吹っ飛んだ。
美人は軽々と僧侶を抱えると、そっと下におろし、すっと姿勢を正しながら立ち上がった。
そして一呼吸整えると、これもまた素早い身のこなしでサクヤの元に向かい、鮮やかな足捌きと拳で、あっという間に男達を伸していってしまった。
気が付けば、サクヤの周りには彼らのぶざまに倒れた姿が転がっていた。
予想外のでき事に唖然としたしていたサクヤは、その美人のハスキーな声で我に返った。
「ボク、ありがと。アタシを助けに来てくれたのね。嬉しかったわ」
妖艶なその大人の微笑みに、サクヤは夢でも見てるかのような気分になった。
「え・・・。あ、はい・・・」
サクヤはぼーっとして、相手に見とれていた。
だがその時、心配になって駆けつけて来たイェンランの後ろで、この場を去ろうとしているアムイの姿が目に入った。
「あ、兄貴・・・!」
サクヤはアムイを呼び止めようと手を上げた瞬間、
「きゃぁ~♪アムイ!アムイじゃないのぉ!!」
美人が突然嬉しそうな声をあげ、ぶんぶんと手を振りながらアムイの元へ走り寄って行った。
「へ?」
いきなりな事で、サクヤは頭が真っ白になった。
「アムイ!あんた何年ぶりよ!?もぉ~。しばらく見ないうちにますます男っぷり上げてなぁ~い?かれこれもう5年?6年だったけ?たまには戻ってきなさいよ」
美人はアムイの腕に自分の腕を絡ませて、嬉しそうに話し続けるが、当のアムイは迷惑そうに腕を解こうとしている。
「あ、兄貴・・・お知り合いだったの?」
サクヤはイェンランと共に恐る恐る二人に近寄った。
「知り合いも何も」
美人はにっこり笑った。
「だってアタシ達、同期門下生だったんだもん」
「シータ」
アムイは溜息をついた。
「ど、同期・・・門下生・・・?って・・・」
「そうよ。もちろん、聖天風来寺での」
その言葉に二人は驚いた。
「え、ええっ?」
まさかこんな派手な美人があの天下の聖天風来寺出身?
しかも【暁の明星】と、同期だって・・・・?
しかし、先程の戦いぶり。確かにアムイと通じるものがある・・・。
ま、ほとんどアムイは剣が専門なのだが。
「・・・へ、へぇぇ・・・聖天風来寺には女の人もいるんだ・・・。初めて知った・・・」
サクヤとイェンランは驚きのあまり、声が上ずっている。
「は?何言ってんだ」
アムイがむすっとした顔でこう言った。
「そんなわけないだろう。女人禁制、天下の聖天風来寺だぞ」
「はいっ!?」
すると隣の美人はふっと微笑むと、わざと恥ずかしげに目を伏せた。
「・・・と、いうことなの」
「じゃ、じゃぁ・・・・男・・・・」
サクヤが信じられない、というようにわなわなと美人・・・もとい彼を指差した。
「あら」
彼は震えるサクヤの手を取って、自分の胸に誘導した。
「ね?本当でしょ」
確かにそこには、女性特有の柔らかいものがなかった。
サクヤはもの凄い衝撃を受けて、思わず眩暈を起こし、その場にぶっ倒れた。

「やだ。アタシ何か悪いことした?ねぇ、アムイ」
彼・・・シータ=シリングは訳がわからないという風に上目使いでアムイを見上げた。
アムイはぎろりとシータを一瞥すると、深い溜息と共に額を手で抑えた。

「何か面倒な事になってきた・・・・」


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暁の明星 宵の流星 #26

その5・追憶の森

人の噂も人の評判も、意外と実際とは多少異なっていたりするものだ。

「おい、キイ。お前、昨夜遅かったけど・・・。まさか・・・」
「いや~、昨日出会ったあの娘、俺のことなかなか離してくんなくってさぁ!」
と、輝くばかりの笑顔を見せる自分の相棒に、アムイは溜息をついた。
「だからと言って、なにも付き合って夜更けまでいるこたないだろ!」
むっとしたアムイにキイはふっと意地悪く笑った。
「あ~、悪い。そのせいでお前は眠れなかったんだっけ。
なぁ、だからさ。少しはお前も女の子と遊んでみたらどうなんだよ」
まったく。
二人で聖天風来寺を出てからというもの、最近のキイは二言目(ふたことめ)にはいつもこれだ。
「俺は女なんて、興味ない」
「男ならあるのか?」
キイはわざと目を剥いた。
「そうじゃなくて・・・」
「ったく、お前は本当に女にはきついんだから。それじゃもてないぞ」
「キイの方こそ女に甘すぎる。それだからいつもくっついてくるんじゃないか、女」

数ヶ月前、南の国の王女が東で一番大きな州・風砂(ふうさ)の総督に輿入れするため、東の国にやってきた。
その護衛の仕事を頼まれて、やっと任務が終わり、たんまりと報酬を貰って2ヶ月過ぎた。
この2ヶ月は、揉め事らしいいざこざもなく、トラブルもなく、割と平和な日々が続いていた。
だがキイはその時出会った、あのティアンとかいう胡散臭い宰相に、身体を触られた事のストレスがピークに達していて、もう我慢の限界だった。なのでこっそりと貯めていたその大金を握り締め、ストレス解消のためにある村で豪遊したのだった。
もちろんアムイには内緒で。

「あのな、アムイ。女はいいぞ。柔らかくって優しくって、甘い」
「はいはい」
「本当にお前って堅物だな。一度女抱いてみろ。世界が変わるぜ」
「必要ないよ」
アムイは何となく赤くなって答えた。
その様子にキイは口を尖らせた。
「少しはそういうのも必要だと思うぞ。抱き心地だって最高なんだ。お前もぐっすり眠れるかもな」
「もうそんな話、やめろよ。俺には必要ないんだって!」
アムイはむかむかしてきた。
「俺にはお前がいるんだから。そんなの必要ないんだよ」
その時のキイの顔を、俺はよく覚えている。
あの男が滅多に見せない切ない顔。少し困ったような、寂しげな瞳。
特に最近、あいつのそんな顔が増えてきている気がする。

ああ、そうだ。

それからすぐにこの地方一帯を暴れまわっている馬賊と遭遇し・・・。
まさかあのキイが、奴らにやられるとは思ってもみなかった。
あいつらが喜び勇んで叫ぶ声も今だに耳に残っている・・・。
(やったぞ!!宵の流星を仕留めたぞ!!)
(まさかの宵の流星よ。我が手中に落ちるとは・・・・。)
それからどうなったのか俺にもわからない。
俺は冷静さを欠いた。
無我夢中だった。
気が付いたら微かなキイの気と共に、あいつの姿はどこにもなく・‥…━━━

「兄貴。起きてる?それとも起こしちゃったかな・・・」
アムイはサクヤの声で我に返った。
どうやら少しうとうとしていたらしい。
キイの夢を見るなんて、しかもあいつが姿を消す日の最後の会話。
アムイはキイと離れてから、ずっと深い眠りに落ちていなかった。
浅い、途切れ途切れの眠り。
ただ、少しだけ。
女の肌を自分の肌に感じたときは、心なしか少しは眠れたのだが。
そう思うと、アムイは皮肉にも笑いがこみ上げてくる。
少なからずキイの言った通りじゃないか。
こんな俺を今のあいつが知ったら、どんな顔するよ。

「いや、起きてるよ」
アムイは木にもたれていた体を微かに動かした。
「うん、兄貴の言っていた人が今来てるんだけど」
「やっと来たか」
アムイはがばっと起き上がると、サクヤと共に例の人間のいる場所へと向かった。

ここはちょうど西の国境付近の森の中だ。
ちょっと小振りの丘の上で、アムイ達が見下ろすと、そこは西の国、ルジャンの入り口がある。
「ああ、暁の旦那」
その男はイェンランから温かい飲み物を渡されていた。
「お久しぶりで。いやぁ、まさか旦那にこんな可愛いお仲間がいるなんて思いもしなかったですよ」
アムイは最後の言葉を無視して、いきなり本題に入った。
「凪(なぎ)、悪いなこんな所に呼び出して。例のもの、持って来てくれたか」
小柄で見るからにすばしっこそうな男はにっと笑うと、自分の懐からごそごそと数枚の紙束を出した。
「お約束の通国証で」
アムイはそれをお金の入った小袋と交換した。
「へへ。いつもありがとうございます」
「うわぁ~、偽造通国証!!オレ初めて見た!」
サクヤがアムイの手の中にある紙束を見て声を出した。
「え~、ほんと?あ、すごぉい」
イェンランも覗き込んだ。
大陸にある五大王国の国境には何箇所か隣国との通用門があって、そこを通るには必ず身分証明が記載されている国家承認証が必要だ。
アムイは西の国境近くに在中している、凪・・・この男の仲間に今朝注文していたのだ。
彼は大陸全土に散ばるなんでも屋の組織のひとりで、金さえ払えばどんなものでも用立ててくれる。
もちろん裏でも違法でもなんでもしてくれる、名前そのままの「なんでも」屋である。
その彼らには、情報屋としての側面もあって、確かで早い有力な情報も金で売っている。
この凪という男、東の国からのアムイの馴染みだ。

「あれ?・・・・オレ達の分まである・・・・」
サクヤは紙束に書かれている文字に気が付いた。
それを見たアムイは、通国証をサクヤに無造作に渡すと、
「後で請求するから」
と、ぷいっとして凪の方に体を向けた。
サクヤは思わず笑みが出てしまう。
「あ。ほんとに私の名前まである!」
自分の分の通国証を手にしたイェンランは感心したように書面を見ている。
「兄貴って・・・」
「え?」
「“自分の事は自分で解決する”って言ってなかったけ」
「あ」
「あの人ってこういうところがあるんだよな・・・」
サクヤは何故か口元が緩んでしょうがない。
その彼の様子をイェンランは興味深く見ていた。

「ところで凪、例の件だが何かわかったか」
アムイは二人の事は眼中にない、といった風情で凪と向き合っていた。
「ええ、旦那。お聞きの情報なんですがね」
そこまで言って凪は言葉を止める。
アムイは何の躊躇もなく、金の入った小袋を彼に手渡した。
「ゼムカ族がこの西の国に入ったのは間違いないです。明け方近くだったらしいですが」
と、凪は袋を胸元に突っ込みながら話し始める。
「それでどの方角に向かった」
「それがですね・・・。何か変でして」
「変?」
「今日の夕方、桜花楼からの第2隊が西の国入りしたのは、まぁわかるんですが、その第2隊も、最初に入った第一隊も、皆二手に分かれているんですよ。つまり分散している」
「・・・・・・」
「最初の一行は・・・多分旦那の言う王達でしょう。西の首都ウェンディーからぷっつり北と南に分かれている。で、次の団体も同じく北と南。だから完全にゼムカの奴らがどこに向かったとは、はっきりしないんですよ」
アムイは眉根を寄せた。
という事は、奴らはキイの行方をわからなくするために・・・。
しかもこれだけの情報では賭けに等しい。
どっちが当たりか。
「どちらというと、最近ゼムカの王と親密にしているらしい、南のリドンに王は向かってるんじゃないかと思うんですがね。今は南も独裁者ガーフィン大帝の警備が厳しくて、簡単には入国できないそうですが・・・・。
あと、北の方は最近荒れ気味でして。東の影響を諸に被ってまして、治安がよろしくないです。
北の方で考えられるのは、そこにはゼムカ前王の隠居後の館があるらしい・・・・ということくらいで・・・。
こんな感じなんですよ。すみませんねぇ・・・」
「そうか、ありがとう。また何か掴んだら俺に教えてくれるか。小さな事でもいいから」
と、アムイは凪にまた小袋を手に握らせた。
「わかりました。もちっと探りを入れてみます。
・・・・・ところで、暁の旦那」
「何だ?」
「ここの所、東の荒れ方は半端じゃないです。・・・・暁の明星がいなくなってからは特に。
そのために東の人間が結構北へ西へと流れてきているようですよ。
・・・・なので今財政に苦しんでる北の国はピリピリしちまって、入国審査も南以上にかなり厳しい。
もし北に行くのなら、裏を通るしかなさそうです。まだ南の方が偽造しやすいんですがね」
「わかった。世話になったな、凪」
アムイはそう言うと凪に背を向け、二人の方へやって来た。
「結構厳しそうだね、兄貴」
アムイはサクヤの手から自分の通国証を抜き取ると、懐にしまった。
「とにかく、今夜中に入国を済ませて、首都に入る。とにかく情報収集が先だろう。
・・・・・それから、サクヤ。
勝手についてくるのはいいが、その兄貴呼びは本当に勘弁してくれ。
どうも調子が狂う」
と言い放つと、すたすたと二人を無視して、国境の門を目指して丘を下って行った。
 

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再開します

Photo


少々⑥と⑱を訂正しました。(ほんの少しです)

今までは気の向くままにキーボードを叩いておりましたが、本章突入でこのままだと書いていて話が決壊する!と今更ながら思いまして(遅い)、先程までこれからの展開と大筋を整理しておりました。
なので次回より、ほんの少し色々と変えてみようと思っています。
もちろん文章を書くときの、ほぼぶっつけ本番は変わりませんが、とりあえずこれからの全章はライティング・ノートに脳内メモを全て書き出し、それに沿って話を進める感じになります。(当たり前のことなのですが)
そしてこれからは一章がかなり長くなります。(予定)
それもあって、ある程度まとまったら更新する、という形をしばらく取ってみたいと思います。
目安は週明け毎までの一週間に1度か2度、の更新を予定をしています。
とりあえずこうして自分で予定を組んでみて、やりやすいようでしたらこのまま突っ走ろうと思います。

・・・・・ということで
この話、始めた頃はほとんど内容ができてなかったんですが、書き始めたらあっという間にできてしまいました。
なのであとは書くのみ!です。

実はこういう風に一気に脳内でできる作品は自分では珍しいので、新鮮に書かせてもらってます。

それでは5章から始めさせていただきます。


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2010年2月22日 (月)

#22~#25を一気に更新しました。

〈果ての大陸〉改訂版
Photo_5

先日から、#22~#25まで一気に書き上げました。
お陰様で、やっと第四章(序章部分)が終わりました。

稚拙な文章に、ここまでお付き合いいただいた方、本当にお疲れ様です。
心から感謝いたします!

そしてやっと序章部分が終わりましたので、簡単な設定書をこちらの方にアップさせていただきました。
ご興味がございましたら、どうぞ覗いてやってくださいませ。

http://yaplog.jp/mikankuusoukan/archive/16


こちらにも書きましたように、ここまで一気に書けたのは、遊びに来てくださる方のお陰と、まるで今狂ったように聞き込んでいる、塩谷哲(しおのやさとる)氏の曲、Earth Beat ~大地の鼓動~のお陰です。
この物語がどのような話になるか、設定書とこの曲を聴くと、何となくわかってしまいそうなのですが。

いや・・・。始めた時はどうなるんだろう、と思っていたのが、いざ蓋を開けてみると、意外と苦しみこそすれ、それ以上に楽しい事に気が付きました。
下手っぴな文章と、まずい構成。基本とかもほとんど気にせずぶっつけ本番。
なのに書いているときは、自分はわくわくしているんですよね(汗)不思議。
今このお話に集中しているせいか、無意識のうちに人物の妄想膨らまして自分で楽しんでます。
話もとびとびですが、どんどんシーンが増えてきているので、これからの本題に入るため、少し構成を整理してみようと思います。

またしばらくお時間をいただきたいと思います。

これから西へ北へキャラ達はいろんな人に会いながら移動していきます。
その間々に、過去の話を織り交ぜていく感じになると思います。
でも、あまり話が膨らみすぎて、なるべく長くならないように、主題中心で話を進めて行きたいと思います。
ご興味がありましたら、これからもお付き合いいただけると、自分の励みになります。
どうか、これからもよろしくお願いします。


                kayan拝

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暁の明星 宵の流星 #25

一方、キイを抱えたザイゼムは、大股で貴賓室を横切りながら、側近達に大声で指示していた。
「今すぐ!今すぐ私はここを出る!此度の繁殖期は中止だ!」
「陛下!」
ギガンが慌てて彼の前に出た。
「 賊が出た。今からキイを何処かに隠す」
ザイゼムはもう限界を感じていた。このような状態のキイを、もうこれ以上連れ回す事に。
「いいか、お前は事後処理を頼む。桜花楼には適当に言っておけ!もちろん口止め料と共に解約金を上乗せしてな!」
「陛下、こちらです!こちらから城外に出られます!この通路なら今は桜花楼の守衛はおりません」
側近のひとりがザイゼムを手招きした。
彼は軽く頷くと、他に揃っている側近の者に言った。
「私はこれから西周りで南に入る!リドンのティアン宰相と連絡を取ってくれ。それから他の者は、眠らされていた者を頼むぞ。とにかく二組になって行動するように!」
そう告げると、ザイゼムはキイと共に、奥の部屋に姿を消した。


「危ないから早く戻って来て、イェン!」
イェンランは下の窓枠にしがみついて、今にも隣のベランダに移ろうとしていた。
怖さなんか、全く感じていなかった。とにかく彼女はいても立ってもいられなかったのだ。
頭の上で叫ぶヒヲリに、彼女は叫んだ。
「姐さん!私もキイを追いかけるわ!」
「何ですって!?」
ヒヲリは驚愕した。
「そんな・・・そんな馬鹿な事を・・・・」
そして下に向かって叫んだ。
「イェン、そんなの危険よ!無謀すぎる!女がここを出て、外に出て、無事でいられる訳がない」
イェンランはヒヲリを見上げた。
「どんな危険な事が外の世界にあるかわからないのよ!お願い戻って来て!!」
イェンランは彼女の言葉をじっと聞いていたが、意を決してこう言った。
「私、確かめたいの!」
「え?」
「この気持ちが本当のものなのか」
南風がイェンランの髪をそよがせる。まるで運命を決意した、神話に出てくる姫君のごとく。
「キイに会って、確かめたいのよ!」
「イェンラン」
「姐さん、ごめん。姐さんの言うとおり、ここにいれば普通に生きていられるのかもしれない。でも、やはり私わかったの。ここは私の生きる場所じゃない!!」
ヒヲリは固まった。
「どんな事が待っているか、もしかしたら死ぬかもしれない。
・・・・でも。私きっと後悔しない。だってそれは自分が決めた事だもの!」
彼女は思いっきり笑って見せた。
「人の決めた道を歩んで後悔するより、私は自分で決めた道を生きたい。
私・・・・アムイ達と一緒に行く」
「イェンラン・・・・・」
そしてイェンランは軽々と隣のベランダに移り、アムイ達を追いかけて闇に消えた。
ヒヲリは呆然と、彼女が消えた方向をただ眺めているだけだった。

闇に紛れて馬に乗った数名の人間が、風のごとく城外を出て行った。
それを追い掛けようと、アムイとサクヤは隠し通路を抜けて、ザイゼム達の出て行った方向に走った。
だが、馬と人では足の速さが違う。
アムイは城外のはずれで王達を見失ってしまった。
「くっそう!」
苦々しくアムイは悪態をついた。
「アムイ!待って!」
突然背後からイェンランの声がしてアムイはぎょっとした。
「お前!なんだってここに!」
「私も連れて行って!」
その言葉にもっと驚いたアムイは、信じられないという様子で首を振った。
「馬鹿を言うな!女なんか連れて行ける訳がないだろう!?
足手まといだ!!」
「お願いアムイ!絶対足手まといになんかならないから!私もキイを追いかけたいの!!」
アムイは舌打ちした。
「これは遊びじゃないんだぞ!命の危険だってあるんだ」
「覚悟はできてるもん!」
「それにこれは俺の問題だ。お前達には色々と協力してくれて感謝はしている。だけどこれからは俺ひとりで行動する!」
アムイは声を潜めながらイェンランを睨みつけた。
「勝手についていけばいい?」
彼女は食い下がった。
「この格好がまずければ、男の格好に着替えるわ!それに自分の身は自分で守るから!」
その意気込みに、アムイは溜息をついた。
その時途中ではぐれたサクヤが二人の前に、荷物を乗せた馬を二頭引っ張って現れた。
「兄貴、念のため、馬の確保もしといたから」
にっと笑って片方の手綱をアムイに渡す。
「ね!結構オレって使えるでしょ?いつものごとくオレも追い返す?
今回の件でかなり兄貴の信用を勝ち得たと思ったのになぁー」
アムイはむっとして手綱を手にした。
「勝手にしろ!」
そういうとひらりと軽やかに馬に跨った。
サクヤはイェンランに片目を瞑った。
「イェン、あとでオレの服、貸すよ。君、馬には乗れる?」
「まかせて!故郷では手足のように乗っていたわ」
イェンランは目を輝かせた。
「なら安心した。とりあえずオレの後ろに乗りなよ。あとで用意してやる」
というとサクヤもまた馬にさっと跨った。
イェンランも続いてサクヤの後ろに跨る。
「行こう、兄貴。あいつら西に向かって行った」
二人の様子を見て、アムイは苦みばしった顔をして言った。
「ならば勝手について来い。
その代わり、自分の身は自分で守る。自分の事は自分で解決をする。
これを守れるというのなら俺は何も言わない」
そして勢いよく馬の横腹を蹴ると、西の方向へと駆け出した。
「わかってますよ!」
サクヤは威勢良く言いながら、同じ方向へ馬を走らせた。
イェンランはサクヤにしがみついて、外の世界の風を思い切り受け止めた。

自分で決めた道なら、何があろうと後悔はしない・・・・・。

ヒヲリはイェンランが羨ましく感じた。
もちろん自分の今いる環境は自分が納得して歩いて来た道でもある。
だが、イェンランのように外に向かって生きる生き方ではない。
自分に与えられた環境の中で、最高に生きる、それが彼女の生き方だった。

貴女ならきっとできるわ。
きっと自分の思ったとおりに・・・・。

ヒヲリは天を仰いだ。
天よ、あの子をどうぞお守りください。
彼女が無事に愛しい人に逢える様に。
・・・・そしてイェン。
どうかあの方を頼みます。
皆の行く末にどうかご加護を。


ヒヲリが心の中でそう呟いた時だった。
桜花楼の連中が部屋に駆け込んで来て、部屋の惨状に息を呑んだ。
呆然と佇んでいるヒヲリに、警護の者が問いかけた。
「賊が入ったと聞いた!お前は大丈夫だったのか?」
ヒヲリは力なくこくん、と頷いた。
「賊を見たのか?どんな奴だった!?」
ヒヲリは心ここにあらずの様子で、ぽつり、ぽつりと答えた。
それは、彼女があまりにものショックで、放心状態になってるかのように彼らには映った。
「・・・・・顔は・・・隠していたから・・・わかりませんでした・・・・。大きい男で・・・・」
そして自然に涙がこぼれた。
「私達、連れさらわれようとしてここに・・・。ただ・・・・私の代わりに・・・・イェンランが・・・。
私を助けようと・・・抵抗したため・・・代わりに連れて行かれました・・・」
ヒヲリの目からぽろぽろと真珠のような涙がこぼれていく。
「多分、もう生きてはいないかもしれません・・・・」
そう言うと、彼女は崩れ落ちた。
そして周りの目を気にせず、彼女は顔を覆って泣いた。
その嗚咽は、夜が明けるまで続いた。


二頭の馬は驚くべき速さで西を目指し、もうすでに桜花楼の町を抜け出していた。
そしてうっすらと夜明けの光が三人を照らし始めた頃、西の国、ルジャンの国境が見え始めた。

これから何が自分達に起こるかわからない。
イェンランは思った。
でも今、自分の心は開放感に震えている。
彼女は今、やっと自分のやりたい事に進めるのだ。

神々しいほどの朝日がアムイ達を眩しく包む。

アムイは自分に固く誓った。
必ず、今度こそ救い出してみせる。
どんなことをしても!


三人は高台から遥か西に広がる森を見下ろしていた。

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暁の明星 宵の流星 #24

一通り仕事を終わらせ、サクヤは色々準備を始めていた。
とにかく宵の君がどのような状態なのか、まだわかってはいない状況だ。
何とか上手く気づかれなければ、これからアムイ達と落ち合って、ここから外に出るために色々部屋に細工をしなければならない。そう、このままこっそりと外に出るため、ベランダに細工を・・・・。
と、ここまで思い巡らせているときに、耳のいいサクヤは、人の喧騒が微かに聞こえてきたのに気づいた。
その方向は・・・・。
サクヤはびくっとして振り返った。
(気づかれた!?)
彼は青くなって、アムイ達のいる部屋へと急いだ。


「兄貴っ!!」
サクヤは息を切らせて敵に先回りして部屋の中に滑り込んだ。
「やばい!相手に見つかった!」
アムイはキイを抱く力をさらに強めた。
キイはまるで糸の切れた操り人形のようにぐったりしている。
イェンランもヒヲリも青くなってその場に凍りついた。
「とにかく皆、隣のベランダの方に移動して・・」
と、サクヤが叫び、アムイはキイを担ごうと体を起こした、その時だった。

ヒュッ!

アムイの髪をはらりと一房を散らして、鋭い矢が彼の顔を掠めて飛んで来た。
矢は鋭い音を立てて、イェンラン達の方向にある壁に突き刺さった。
サクヤは慌てて、イェンランとヒヲリを守るために彼女達の元へ急いだ。
そして二人を庇いながら、なるべく隅の方へと誘導する。
「ここにいて」
サクヤは二人にしゃがむように指示した。
そしてアムイは、矢が放たれた方向を凝視して凍りついた。
「お前・・・・」
「キイから離れろ、アムイ!」
入り口からアーシュラが弓を構えて入ってきた。
「お前、アーシュラ!!どうしてお前が・・・」
アムイは驚きのあまり、動きが彼よりも一瞬出遅れてしまった。
アーシュラは弓をかなぐり捨て、背中から剣を抜いた。そしてそのまま勢いよくアムイめがけて振り下ろした。
そのためアムイはキイを手放さなければならなかった。
急いで自分も腰の剣を抜き、アーシュラの剣を受け止めた。

キィーン!!!

金属音がぶつかる音に、イェンランもヒヲリも恐怖で顔を覆った。
アーシュラの背後から戦士達が入ってくるのを見たサクヤは、自分も隠し持っていた短剣を取り出すと、敵に向かって行った。

アーシュラとアムイは剣と剣を交えながら、お互い睨み合っていた。
「何でお前がここに・・・」
「やはり来たか、暁。何年ぶりだよ」
「そうか・・・。お前の継ぐ家業って・・・。武道場じゃなかったんだな。お前、ゼムカの人間だったのか」
アーシュラは力一杯アムイの剣を跳ね返す。
アムイは何とか持ちこたえ、体制を整えた。
その隙を与えまいとして、アーシュラはアムイに大きく振りかぶる。
アムイは間一髪、それを避けて転がった。
「同期のお前なら俺の気を判別できるのは当たり前か」
アムイは唇を噛み締めた。
「ああ、聖天風来寺にいて、よかったと思ってるよ」
アーシュラは自嘲気味に笑った。
そしてアムイを追い込もうと剣を付きたてる。
アムイはそれを軽く払いながら壁の方に追い詰められていった。
アーシュラは期間限定で聖天風来寺に八年在籍していた、特待生だった。
なのでそこいらの雑魚とはまるっきり腕が違う。
この【暁の明星】でさえ、はっきり言って苦戦する相手だ。
「どういうことだ!」
アムイは剣を剣で受けながら叫んだ。
「お前ら、キイに何をしたんだ」
その言葉にアーシュラが反応した。
「何でお前がここにいて、キイがあんな状態なんだ!!」
その言葉にアーシュラの顔が苦痛に歪んだ。
「・・・・守りたかった・・・」
アムイは目を見開いた。
アーシュラは暗い目をして、歯の隙間から声を絞り出すように言った。
「俺はキイを守りたかったんだ・・・!」
アムイは絶句して、彼の悲痛な声に固まった。
その様子にアーシュラは再び剣を突き立てると叫んだ。
「俺はお前が嫌いなんだよ!!」
ガッ!!と鈍い音を立て、アムイが追い詰められていた壁に剣が刺さった。

「兄貴!!」
多数に応戦していたサクヤが叫んだ。
アムイがはっとしたその時だった。
「そこまでだな、【暁の明星】」
低い、威厳のある声が窓辺の方から聞こえてきた。
アムイは舌打ちした。
それは窓を背にし、キイを抱き抱えているザイゼムの姿だった。
二人が接戦しているときに、上手い具合に彼はキイを奪い戻したのだ。
「残念だったな、暁。宵は返してもらう」
アムイは初めてゼムカの頂点に立つ男を見た。
威厳のある、でもどこかしら野生の匂いがする男。
(こいつがキイを・・・)アムイは歯噛みした。
「お前は私を初めてだと思うが、私はお前を知っていたよ」
ザイゼムはニヤリと笑った。
「あの青臭い小僧が、なかなか上手い具合に育ったじゃないか」
その言葉にアムイはかっとした。
「お前らキイに何の用があるんだ!返せ!俺に返してくれ!!」
「俺に・・・?」
アムイの言葉にザイゼムは嘲笑した。
「笑わせるな。これは私のものだ。お前はこのザイゼムから宝を奪おうとした只の盗人」
そう言いながら、ザイゼムは片手で持っていた剣をアムイの目の前でちらつかせた。
「アーシュラ、こいつはお前に任せた。私はここを出る」
ザイゼムが剣を構えながらキイを担いで部屋を出ようとした時だった。
アムイの目が赤く、赤く燃えるように色付き始めた。
体全体の細胞が、徐々に沸騰した泡のようにアムイの体を沸き立たせていく。
それが段々と上に昇っていき、心なしか髪が少しづつ逆立っていく。
「兄貴ッ!!いけない!」
サクヤが叫んだ。
「ここで波動を出しちゃだめだ!!」
しかしもうここまで来たら、アムイの気の凝固を止める事はできない。

アムイの体から赤い閃光が走った。それは大きなうねりを生じ、周りの空気を巻き込んでいく。

ガガーン!!!

アムイの波動は寝室の窓を軽々と吹き飛ばしたのだ。


周りのものは慌てて、崩れる壁から身を守ろうと体を屈めた。
立ち昇る土煙が消えた後、ザイゼムとキイの姿はもう既になかった。
アムイは後を追おうと扉に走った。
それを遮るようにして、アーシュラがアムイの前に立ちはだかった。
「どけっ!アーシュ!!」
アーシュラはアムイの胸倉を掴み顔を近づけた。
「通すわけにはいかない」
アムイはアーシュラの手を引き剥がした。
「このっ・・・!!」
アムイは拳を突き立てた。それをアーシュラはぎりぎりの所で避け、近距離で小さく凝縮した気をアムイに放った。

ドゥン・・・・!

鈍い音を立てて、アムイの体が吹っ飛んだ。
いくらアムイでも、凝縮した気を至近距離で放たれたら一溜まりもなかった。
「くっ・・・・!」転げたアムイは鈍く痛む脇腹を押さえてアーシュラを見上げた。
「馬鹿だな、アムイ」
アーシュラは言った。
「お前、本当にキイの事になると冷静さを忘れるんだな。
隙だらけだよ。
何が【暁の明星】だ。笑わせるな!」
そう吐き捨てると、アーシュラはアムイに背を向け、歩き出した。
「アーシュラ!!」
アーシュラの足が止まった。
「何でだ?アーシュ・・・お前・・・。お前キイの友達じゃなかったのかよ!」
その言葉にアーシュラのこめかみがピクリと微かに動いた。
「友達?」
そして彼は喉の奥で笑うと突き放すように言った。
「違うよ」
彼と他の戦士達は、そのままアムイ達を残して、潮が引くように去って行った。
アムイは怒りと悔しさで、思いっきり床に自分の拳を打ち付けた。

「兄貴!大丈夫?」
サクヤは転がるようにしてアムイの傍に駆け寄った。
「くそ・・・!アーシュの奴・・・!」
「兄貴まずいよ!このままだとこの騒ぎで桜花楼の人間もやって来る!早くここから出ないと!」
サクヤはアムイに肩を貸しながら、ベランダの方に向かおうとした。
「追いかける」
「えっ!?」
「キイを・・・俺はキイを・・・あいつらを追いかける!」
サクヤは絶句してアムイの顔を見ていたが、何か決心したような顔をして小さく頷いた。
二人がアーシュラの後を追って、扉の方向に向かおうとしたその時、
「待って!」
今までイェンランと、恐怖のあまり小さく震えて、部屋の隅にいたヒヲリが立ち上がって言った。
「きっと王達は貴賓室専用の隠し通路で、城外に出るつもりだわ」
アムイは驚いて彼女を見た。
「そんなのがあるのか・・・」
サクヤもびっくりして彼女に言った。
「ええ。ここの貴賓の間には、そういう色々な事情で、抜け道を用意しているの。だからすぐにあの人達はここを出て行ってしまう!誰にも気づかれない道を通って!」
「正攻法で追っかけても、もう既にこの騒ぎは桜花楼に伝わっているわよ。きっと護衛が今頃正当な通路を封じている!」
イェンランもヒヲリの言葉を受けて叫んだ。
「じゃ、どうしたらいいんだ・・・」
サクヤは顔をしかめた。
「やはり外から出た方がいいかもしれない」
ヒヲリは言った。
「前に世話になった【夜桜】の姐さんに聞いた事があるの。昔ここの庭番と恋仲になった【夜桜】がいて、その逢瀬のために、第二城内にある・・・つまり、ここの下なんだけど・・・広間外れのベランダから抜け道を密かに作ってこの裏手にある庭に通じる通路を作ったらしいの。それが見つかって、その入り口には鉄の格子が取り付けられたんだけど、まだ通路はそのままあるわ。そこが使えれば・・・。通じてる庭はちょうど王達がお忍びで出入りする道からとても近いし。その方が追いかけるなら早いかもしれない」
「ありがとう!鉄の格子くらいなら、オレの七つ道具で外せると思う。よかったね、兄貴!」
「それはどこら辺にあるんだ」アムイはヒヲリを見つめた。
「ここから窓を伝って、左手4番目のベランダの右端に行ってみて。城内側に大きい備品箱が置いてあるの。それをどかすと入り口があるわ」
そしてヒヲリは俯いた。
「どうか・・・お気をつけて。後のことは私に任せて下さい・・・」
「お前・・・」
ヒヲリはもう顔を上げる事はできなかった。
顔を上げて、アムイの顔を見てしまったら、きっと涙が溢れてしまう。
そんな自分を見られたくなかった。
「礼を言う」
そんな彼女をじっと見つめていたアムイがポツリと言った。
「早く、兄貴!オレ先に行って格子外すから!」
サクヤはもう既に、壊れた壁から城壁を伝い、下に降り始めていた。
それを見たアムイはすぐに後を追って、自分が壊した外壁に手を掛けた。
そして一瞬躊躇したが、意を決したように彼女を見ずにこう言った。
「俺は気に入らない女は抱かない。世話になった」

ヒヲリは思わず顔を上げた。
だが、もう既にアムイの姿はなかった。
抑えていた彼女の目からどっと涙が溢れ落ちた。
(暁の方・・・!)
涙で霞む外の景色を、彼が去った方向を、ただ彼女は見つめていた。
(その言葉だけで・・・・私はこれからも強く生きる事ができる・・・・)
彼女はこの恋に感謝した。
最初から、叶うはずもない想い、だった。
(でも)
とヒヲリは思う。
(短かったけれど、あの方に出会えてよかった・・・)
ヒヲリが頬の涙を掌で拭っていた時、彼女はイェンランがいないのに気が付いた。
「イェン?」
ヒヲリは辺りを見回した。
「どこに行っちゃったのかしら・・・。イェン!」
まさか・・・。
ヒヲリは嫌な予感がして、壊れた壁に駆け寄り、外を覗いた。
「イェンラン!!」

何と彼女はアムイ達の後を追って、外壁を伝い降りていたのだ!

「何してるの!戻ってきて!危ないわ、イェン!!」

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2010年2月21日 (日)

暁の明星 宵の流星 #23

南から吹く夜風は変に生暖かく、アムイの髪をなぶりながら去っていく。
桜花楼の最上階を見渡せる事ができる、大きな桜の木の上で、アムイは雑念を払うかのようにじっと目を閉じ、その時を待っていた。
聖天風来寺で精神修行をしていて、己の心と気を一定に保つ術には定評のあったアムイだ。
・・・だが、今はそれも少し自分でも自信がない。
それほどにまでアムイは、押し寄せてくる嫌な予感と戦っていた。
ある日突然消えたキイの気、存在。
そして二人から聞いた、彼の様子。
・・・・何もかも今までにない事だったからだ。

━━━しかも。しかも四年。

既に四年もの歳月が流れている。
こんなにお互いが離れていたこともかつてない。

それ以上にアムイを不安にかき立てたのが、キイの現状だ。
あの男がこんなに長い間、自分で何とかしないはずがない。
・・・・・考えられるは、しないのではなく、できない、のだ。
それが自分の中でどんどん明白になって、アムイは動揺していた。
(何があった、キイ)
アムイは唇を噛んだ。
抑えている自分の気が少しの事で開放されてしまいそうだ。

だからアムイは、どんな事をしてもキイに会わなければならなかった。
どんなに危険でも、本人に会って確かめなければならない。
できれば大事にする前にひっそりと、キイ自身に会って確かめたかった。
今の彼の状況を。

(つまり、貴賓の間には出入りするところが2箇所だけなんだな)
三人で計画を練っていた時、アムイは図面を見ながら呟いた。
(そうなんですよ。問題は兄貴がここに侵入するにはどうしたらいいか・・・という事なんだけど)
(他に抜け道みたいなのないの?)
(う~ん・・・この短期間じゃ、そこまで発見できなかったなぁ。結構色々チェックしたんだけど)
サクヤもどうしたらいいか、ずっと悩んでいた。
(アムイも何かに変装して潜り込むしかないんじゃないの?)
二人があれこれ案を出し合っていた時、アムイは事も無げに言ったのだった。
(簡単じゃないか、そんなの)
(は?)
二人は顔を見合わせた。
(内部が無理なら、外から侵入すればいい)
二人は驚いた。
(な、何を言ってるんですか!兄貴、この城の最上階ですよ?外からなんて・・・。どのくらいの高さだか・・)
(アムイ、正気?)
と、二人とも言ってから気が付いた。
そうだ、この人は普通の人じゃなかった・・・・。
聖天風来寺出身の武人なら、どんな場所でもこなせる身体能力がある。
どんなに高い山だって、きっと軽々と登っていくに違いない。
そういう訓練を受けているはずだ。
(だから俺に教えてくれるだけでいい。あいつがいる部屋を。どんなことをしても俺はそこへ行く)

そしてアムイはイェンランに小さな丸い玉を渡した。
これもまた簡単な気を凝縮し固めたもので、砕けると中の気が拡散し、作った本人しか見えない色をその場に漂わせる。だからどんな場所でも、アムイはすぐに見つける事ができるのだ。


突然耳の奥で玉の砕ける音がして、アムイはかっと目を見開いた。
薄ぼんやりと、左側の一番はずれの窓に赤い閃光が走ったのが目に映った。
(来た!)
アムイは軽い身のこなしで桜の木から木へと移動し、赤くぼやけた光を放つ窓辺へと急いだ。


「イ、イェン・・・。どういうことなの?アムイって・・・。暁の方の名前がどうしてここに・・・」
ヒヲリはイェンランの腕を掴み、彼女を揺すった。
イェンランはもう隠しておけない、と思った。
姐さんには不本意ながら、ここまで見られてしまった。
それに多少なりともアムイを想っていた姐さんには知らせてもいいのではないかとも思った。
イェンランが口を開こうとした、その時。

がちゃり・・・・。

窓に人のシルエットが浮かんだかと思うと、その窓を開いて誰かがが部屋に降り立った。
アムイ、だ。
ヒヲリは思わぬところで見た自分の想い人を、驚きのあまりに声もなく見つめていた。
彼は佇んでいる二人の元へ近づいた。
「アムイ・・・」
口を開いたのはイェンランだった。
「アムイどうしよう・・・!キイがおかしいの。何か変なのよ!」
彼女の声は震えていた。
アムイはイェンランの顔を見つめると、意を決したように、半身を起こして微動だにしないキイに近づいた。
四年ぶりに懐かしい顔を見た。
心なしか、昔よりも痩せているように思えた。
そして震える両手で彼の頬に触れる。
「キイ?」
アムイは彼の空虚な瞳を覗き込んだ。
その瞳を見た瞬間、アムイの心は決壊した。
「キイ!」
思わず彼を揺さぶった。
「お前、どうしたんだよ!!」
アムイの背中に冷たいものが走った。
それが全身を蝕んでいく。
めったに流れない脂汗が体を伝っていく。
「キイ!!」
アムイは彼の名を夢中で呼んだ。
そしてキイの頭をかき抱き、額と額をこすり合わせる。
そのアムイの苦痛の表情が、この人物が彼にとって唯一無二の大切な存在だという事を証明していた。
イェンランもヒヲリも、いつものアムイと違う様子に、ただ息を潜めて見守るだけだった。
こんなアムイを、二人は見た事もなかった。
この時ヒヲリは確信した。この美しい人が、あの方の心の中にいた人物なんだ、と。

額に違和感を感じで、アムイは手で彼の髪を掻き上げた。
額の中央に黄色い小さな玉が埋め込まれている。
(・・・・封印の玉!)
アムイは注意深く他を調べた。
(誰かが・・・。どっかの術者がキイの気を封印したのか。しかもこんな物で!だからこいつの気を今まで感じなかったんだ。・・・・だが・・・・)
それは術者なら誰でも扱えるような封印の術。
キイほどの者が、自分で上手く術を解けなかったのだろうか・・・。
いや、とアムイは思い出した。
これは単純な封印の術だが、キイに限ってはこんな簡単な物でも、封印となれば話は別だった。
キイの持っている気は特殊な物で、それは彼のコントロールの域をいつも超える。
聖天風来寺での修行のお陰と、年齢を重ねた結果、昔ほど自分で制御できなくなる程に暴走する事はなくなった。それでも彼の気は不安定で、ともすれば自分の体調まで崩しかねない。
流動的なキイの気。・・・流星という異名の由来でもあった・・・・
それはアムイの持つ金環(きんかん)の気とは真逆なもの。
安定の気を持つアムイは、昔からキイの気を受け止めてきた。
そして安定させ、彼に返す。
それをするためにキイは幼い頃、最高位の賢者に、気が常に流動するように調整してもらったのだ。
この微妙で特殊な経緯のために、キイの気はむやみやたらに手を加えてはいけない物なのだ。
どこでバランスが崩れ、どんな事になるかわからない。
だからたかが封印、と言っていられなかった。こんな事を勝手にされた、という事は内情を全く知らない者の仕業か、それとも何か他意があってしたのかのどちらかだろう。

だが。

それにしても何かがおかしい。
この程度の封印ならば、キイの意識ははっきりしているはずだ。
気を封印しているだけなのだから。
なのに何だ、この状態は。
これがあの天下の【宵の流星】と呼ばれた男なのか。
元々白い肌はますます透き通るように白く、体には力が全く入ってなく、心がどこにもないような・・・。
アムイはキイの黒い瞳を再び覗き込んだ。
暗く、沈んだ色。
その瞳には何も映っていない。
アムイはもっと集中して彼の瞳の奥を見つめた。
何かがわかるのではないかという気持ちで。
しかしキイの深くぼやけた視点は、アムイを恐怖の沼に引き摺り下ろしていった。
意識が・・・。
アムイは寒気がした。
意識が奥に沈んでる・・・・?
まさか・・・。
アムイのこめかみから一筋の汗が流れ、それがキイの手に落ちた。
キイは力が尽きたのか、ふっと瞼を閉じてしまった。
ぐらりと傾くキイの体をアムイは咄嗟に支えた。
抱きしめる腕に力が入る。
似たような状態を、アムイは一度だけ遭遇した事があったのを思い出した。
キイの体にきちんと心が入っていない状態・・・・。
あの時とまさに今の状態が似ている!
でもまさか・・・あの時はまだ幼くて、キイはずっとそのような状態でも、普通に生活はできていた・・・。
しかし今は完全に意識が奥に沈められている状態だった。
一体何があったんだ!
それとも何かされたのか?
アムイは心の底から激しい怒りが湧いてきた。
俺のキイはこんな人形のような人間ではない!
誰よりも勇敢で誰よりも尊大で絶対に媚びず誇り高い。
それをこんなにしたのは誰だ。
返せ!俺のキイを!いつものあいつに戻してくれ!!

アムイの狂おしい心の激流は、抑えていた全てを解き放ち、大きなうねりとなって開放された。
それは金環の気と共に、貴賓の間に行き渡り、王の部屋で警護に当たっていたアーシュラの元まで届いた。

(アムイ!!)

アーシュラは弾かれたように立ち上がった。
「どうされましたか?アーシュラ様?」
驚いた部下が走り寄ってきた。
「あいつだ」
「は?」
「アムイが来ている!!」
そう言うと血相を変えてアーシュラは走り出した。キイの元へ。
「アーシュラ様!!」
その様子に部屋の中は大騒ぎになった。
その騒ぎに、接見の途中だったザイゼムが半裸で姿を現した。
「何だこの騒ぎは」
「【暁の明星】です」
警護のひとりが叫んだ。
「何!?」
ザイゼムも顔色を変えて簡単に上着を羽織ると、自分の剣を取り出すと大声で戦士達に指示した。
「賊だ!私の宝を盗みに来た不届き者が侵入している!皆武器を持て!絶対に逃がすな!!」

そして彼もまたアーシュラを追って、キイの部屋へと急いだ。

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2010年2月20日 (土)

暁の明星 宵の流星 #22

イェンランはどんどん暗くて寂しい場所に誘導されて、少々戸惑っていた。
(こっちで、間違いないわよ、ね?)
廊下の照明はほとんどが全て行灯(あんどん)で賄っているため、意外と薄暗い。それを調整する為に、数を増減するのだが、今イェンランがいる場所は、人が多くいそうな所よりも、かなり行灯が少ない。
さらに、“目印”がある場所の先の廊下は本当に行灯が少なくて、この先には誰も何もないような雰囲気を醸し出している。
イェンランは辺りを見回した。
どう考えてもこの先へ行け、という事だろう。
廊下の入り口には造花の花篭さえなかったが、その場所を照らす行灯に、上手い具合に八重桜の造花が挿してあった。
彼女は決心した。少々怖かったが、サクヤの仕事には抜かりがないだろう。
ほのかな行灯の光を頼りに、そろそろと長い廊下を歩いて行った。

追いかけていたヒヲリも、思ってもみないような場所に、彼女が進んでいくのに不安を感じていた。
(一体どこへ行こうとしているの?・・・・・まさか、盗・・・)
咄嗟に彼女は頭を振った。
(ばかね、あの子がそんなことするわけないじゃないの)
そうでなくとも。
貴賓客の場所で、こんな行動して許されるわけがない。
この事が知れたら、どんな処罰を受けるかわからない。
━━━止めなくちゃ。
ヒヲリは急いでイェンランの後を追い、寂れた廊下を目指した。


(さすが、サクヤ)
廊下を突き当たり、五つほどの扉が彼女を迎えた。
一瞬躊躇した彼女だったが、その右手奥の扉にだけは、行灯ではなく八重桜の絵付けしてある、小振りの蝋燭がひっそりと備え付けられていた。
桜花楼で使われる備品は全て様々な桜を元にした図柄が多く、それが城内を華やかにしていた。
もちろん蝋燭にも、行灯の囲いにも、だ。
三人で決めたのは濃い桃色の八重桜の“目印”。
サクヤはそれを上手く使って、目的の場所に誘導したのだ。
(この部屋だわ)
イェンランは足音を立てないように、扉に近づくと取っ手に手を掛けた。

ガチ・・・。

やはり鍵が掛かっている。
彼女は頭の上の一箇所に纏め上げていた髪の中から、小さな針金のような物を抜き出した。
アムイから渡されたそれを、取っ手下の鍵穴に差し込む。
ぱんっ、と小さな音を立て、なんと鍵が開いた。
そしてイェンランは息を整えると、静かに取っ手に力を入れた。
もう時間になっているはず・・・・。
ギィ・・・・・と鈍い音を立てながら、扉を少し開け、彼女はそっと中を覗き込んだ。
何やら甘い、妖しい香りが鼻腔をくすぐり、思わず手で鼻と口を覆う。

部屋の応接間には四ー五人の人間が各々が倒れていた。
きっと介護の者と警護の者。
全員が深い眠りについているようだ。

アムイって、やっぱり凄い!
だてに聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)を出ていないのね。

イェンランは感嘆した。
先程の鍵を壊した針金もそうだが、サクヤが部屋に備えた特別な蝋燭も、アムイが用意した。
人・智・体・心を磨き育成する武術・気術の修行の聖地、聖天風来寺では、武術を修行する者でも全て、気を操る修行の一環として、基礎的な術者の術(すべ)を習得させられる。普通の人間からみれば、魔法のように思える術でもあるが、ちゃんと修行し才ある者には簡単なレベルな物である。
針金はアムイの気を使い、小さく凝固し、鍵穴に入れれば反応し開錠するように作った。
蝋燭は、吸った人間をしばらくの間深い眠りにつけさせる、術者秘伝の香を蝋と練り合わせた物を、時間配分を考えて普通の蝋とくっつけて作った物だ。時間がくると、自動的に秘香が部屋を充満する、という寸法だ。

その秘香も僅かな残り香となっている。このくらいでは眠るには足りないだろう。
イェンランは気合を入れて、部屋に入った。
そして倒れている人間を踏まないように、ゆっくりと奥にある寝室の扉に向かう。
扉の横に八重桜を絵付けした蝋燭が半分程に溶けて、その灯火はイェンランを誘うように揺らめいていた。
彼女は逸る胸を抑えつつ、扉を開けた。
薄ぼんやりとした室内に、寝台の上で上半身を突っ伏している、ルランの姿が浮かび上がった。
寝室と応接間を繋ぐ扉には床下から10センチ程の隙間が開いている。
計算通り、こちらにも秘香が回っていた。
ルランも深い眠りに落ちているようだった。

イェンランは次に窓辺の方へ視線を移した。
窓際に背を僅かに起こした寝椅子が置いてある。
外の灯りを受けて、その姿は幻の様におぼろげに見えた。
そこに人らしき影が横たわっているのを彼女は認めた。
高まる胸を抑えつつ、寝椅子の人物を確かめようと部屋に入ったその時だった。

『イェン!』
小声で呼ばれながら、イェンランは誰かに肘を掴まれた。
イェンランは死ぬほどびっくりした。
それは彼女をずっと追いかけていた、ヒヲリだった。
あまりにも予想外の事で、イェンランの頭は真っ白になってしまった。
何で?何で姐さんがここに・・・・?
「貴女、一体何をしてるの!? そ、それにここの人達どうしちゃったの・・・。」
ヒヲリも自分の想像をはるかに超えている状況を見て、かなり動揺していた。
「ね、イェン。貴女こんな所に何の用があるの?もし見つかりでもしたら、大変な事になるわよ!今のうちに一緒に戻りましょう!」
ヒヲリはイェンランの腕を掴んで引っ張った。
と、その時。
イェンランの胸元に熱いものが触れた。

【巫女の虹玉】だ。

イェンはまるで何かに取り付かれたように、ヒヲリの手を外すと、躊躇もせず寝椅子に向かった。
「イェン?」
ヒヲリは彼女の只ならぬ様子に不安を感じた。
「どうしたの?どこに行くの?」
慌てて追いかけるヒヲリを無視して、イェンランは寝椅子の近くに寄った。

「・・・・・キイ・・・・」

イェンランの言葉に、ヒヲリは驚いて彼女の顔を見た。
名前に聞き覚えがある。確か、それはイェンの・・・・。

イェンランはずっと寝椅子に横たわる人物を見下ろしていた。
何とも言えない切ない顔で。
しばしヒヲリは彼女の顔を見つめていたが、自分も誘われるように彼女の視線をたどった。
そしてその寝椅子の人物を見て息を呑んだ。

僅かに背起こされた椅子の背もたれに、全身を完全に預けて、その人物は眠っていた。

ヒヲリはその人物のあまりにもの美しさに絶句した。
長い着物に薄絹の肌掛けを腰から纏い、白くて綺麗な左手が力なく腹の上に置かれている。
長い緩やかな茶色の髪は腰まであって、それがまるで絹糸のように本人自身を飾っている。
その寝姿は、まるでこの世には存在してはならない天界のモノのようで、閉じられた長くて濃い睫毛の陰影がまるで清純無垢な乙女のようにも見える。だが・・・。

「・・・こ、この人・・・。男・・・の人よね?」
ヒヲリは思わず呟いていた。
印象はまるでかの有名な大聖堂に飾られている、女天神のように、愛らしくも清純な雰囲気をかもしだしているが、骨格は男性そのものであった。美しい整った顔も、よく見るとちゃんと男性的な輪郭で、決して女性的ではない事にヒヲリは気づいた。
そう、彼は女のように美しい男、なのではなく、そこにちゃんと男性的な美しさも持っている男、だったのだ。
その抜群な両性のバランスが、彼を特別に見せていた。
背が高く、手足が長く、ほっそりとしているが骨格には鍛えた筋肉をきちんと備えた男性。
しかも顔は男性の力強さを持ちながら、まるで聖女のような可憐な美しさ。
ヒヲリは今まで色々な人間を見てきたが、今だかつてこんな人間を見た事がなかった。
両性をも魅了する人間、といっても過言ではない、と素直に彼女は感じた。
と、そこまで思い耽っていた彼女は気づいた。

(ザイゼム王の美貌の愛人)

その噂は、もちろんヒヲリ達の耳にも届いていた。
王がひた隠しに隠し、その上、なかなか手元から離さない、王の愛人。
此度の面通しにすら、連れてくると思われていた、王の寵愛を一身に受けている人間。
接見の最中にすら、寝所に待たせてるのではないか、とまで噂されていた人物。


・・・・・彼しか思い当たらないではないか。

その人物が、イェンの想い人?
イェンはこの事を知っていたの?

ヒヲリの頭は混乱した。
そして、彼の一指も動かぬ死んだような様子に不安を覚えた。
「ね・・、ねえ、イェン・・・。この人・・・・本当に生きてるの?」
そんな不謹慎な言葉が出るくらい、キイは人形のように動かない。
息すらしていないような感じでそこに存在している。

その言葉にイェンランは弾かれた様にキイの枕元に寄った。
「・・キイ?」
イェンランはキイの顔を覗き込み、息をしているかどうか確認しようと手を伸ばした。
その時、キイの睫毛がぴくり、とかすかに動いた。
イェンランの手が止まった。
陰影を作っていた長い睫毛がゆっくりと震え、うっすらとキイの瞼が開いた。
「キイ!」
目を開けたキイは、ゆっくりとイェンランの方に顔を向けた。
長い睫毛に縁取られた美しい黒い瞳。・・・・だが、そこにはイェンランの知っているあの輝きがなかった。
イェンランはぞっとした。
深い、何かに阻まれているような暗い暗い瞳の色。
キイは何かに取り付かれているかのように、イェンランに向き合った。
だが、彼の瞳は彼女を全く捕らえていない。
彼の何も映さない瞳は、イェンランの胸元に注がれている。

どくん・・・・!

また、あの虹の玉が熱く反応する。
そして彼はゆっくりと半身を起こすと、イェンランの胸元・・・【巫女の虹玉】が存在する辺りに手を伸ばした。
その表情は何とも言えない恍惚とした表情(かお)・・・・。
まるで、本当にこの世の人間ではないような・・・・・。

しばらくキイは、そうしてイェンランの胸元に自分の手をかざしていたが、徐々に力がなくなったのか、伸ばした手をはたり、と膝に落とした。
イェンランははっとした。
そしていぶかしむヒヲリにも全く気づかず、慌てて懐に手を入れながら、窓辺に走った。
「どうしたの!?イェン」
ヒヲリも慌てて彼女の後を追った。
「何をするつもりなの?」
イェンランは懐から、待機部屋で確認した、丸い小さな玉を取り出し、窓ガラスに思いっきりぶつけようと構えた。
「アムイを!」
そして力の限り玉を投げつけた。
「アムイを呼ばなきゃ!」
ヒヲリはいきなり【暁の明星】の名前が出た事に驚いて彼女を見た。

ぱーんっ!!!

玉は砕けて赤い塵となりガラス窓に飛び散った。


それがアムイへの最後の合図だった。

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2010年2月16日 (火)

物語の途中ですが

またやっちまいました。
先程までほぼ6割書いていたものを、
自分の不手際で消してしまいました・・・。

うわ~
まじですかー?

これだからぶっつけ本番は危ないと、思われてもしょうがないのですが・・・。
(はっきり言って、立ち直れません)


ここまで毎日更新できたのも、子供の風邪を自分も貰い、ずっと仕事休んでたからできた事なんですが(おいおい)子供らは昨日、今日あたりからそれぞれ通常に戻り、自分は体調を整えるために休みは今日まで。

本当は4章最後の場面まで、一気に書いてしまいたくて、取り付かれたように更新を続けてたのですが、一日一ページが限界とわかり、これからは時間もなくなるので、かなり更新のペースが遅くなりそうです。

こういう「ファンタジー」物は一般受けしないと言う事は十分承知で、読んでくださる方はいないと思って書き始めました。なのでこっそり友人知人を巻き込んで(汗)、(ある方には苦手なジャンルなのに一気に読んでくださって、感想いただいて嬉しかったりで)本当に細々と完結すればいい、と思っていた小説でした。
それなのに、遊びにきてくださってる方もいらっしゃって、本当に書く気力になってます。(ありがとうございます)

なので、今ちょっと他ブログの更新の事もあり、今は気持ちを入れ替える意味で、しばし中断します。
今週の休み明けまでには頑張って4章を書き上げたいと思います

本当に小説を書くのが初めてなので、色々な作品を読み込んでる方には粗が目立ってしょうがないと思いますが、ここまで来たらもう止める事ができなくなってる自分がいて驚きです。

ただ、本当にこの作品。
長くなりそうで怖いです。
まだ4章までは序章です。(あれだけぐだぐた書いて)

長編、となると、読んでもらえる可能性がもっと低くなるのも(0になるのも)・・わかっています(汗)
だって自分がそうなのですから。
自分の練習用に、と思って書いていましたが、やはりひとりでも読んでいただける人がいるのなら、その方に少しでも楽しんでもらえるよう、意識して書きたい、と思いました。
やはりまだまだなのですけれども。
(本格的に勉強してる方の足元にも及びません)


それを踏まえてこの物語は、今自分の中で一番書きたいものになっています。
それを気持ちのままに出し切れると、いいな、と思っています。

こんな危なっかしい小説なのですが、途中で見捨てられないよう、精進いたします。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

                      kayan

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暁の明星 宵の流星 #21

サクヤの覚悟は決まった。
とにかく自分の今までの能力を全て使ってでも、何とか王のいる部屋に入らなくてはならない。
さて・・・。あと二部屋くらいでこの仕事は終わりそうだ。
それからどうやって、王の部屋に入ろうか・・・。
サクヤの脳裏にルランの顔が浮かんだ。
彼には悪いが、利用させてもらうしかないだろう。
サクヤは溜息をついて、最後の部屋の蝋燭を全て替えた。
少々気も重く、廊下で使用済みの蝋燭をバケツの中にまとめていると、ベテラン給仕がサクヤを呼び止めた。
「ああ、サクヤ。申し訳ないんだが、まだ予備の蝋燭は残ってないか?」
「はい・・。ございますが、どうかされましたか」
サクヤは手車に乗せた、蝋燭の入った箱を指差した。
「よかった・・・!全く急に部屋を用意しろ、って言われてもなぁ。こっちだって準備、ってものがあるのに」
ぶつぶつ言いながら彼は蝋燭を数え始めた。
「この時間にですか?それはまた急ですね。一体どなたが・・・・」
「王のお付きの方だよ・・・。ほら、あの青い目の」
サクヤに緊張が走った。
「何か不都合な事があったんですかね。どの部屋ですか?よろしかったらオレ、手伝いますよ」
「あー・・・。そうしてくれると助かるよ。もうすぐ例の行事が始まっちまうんで、俺も手一杯だったんだ。・・・そういえばお前、客人と顔見知りみたいだから、かえってその方が向こうも安心するかもな。お前にやって貰うか」
「ええ、別にオレはこの後、大した用事もありませんし・・・。かえってその方がいいですよ。任せて下さい」
サクヤは逸る気持ちを抑えつつ、にこやかに言った。
「悪いなー、本当に。じゃあ頼むよ。部屋はこの廊下を右手に曲がった奥の部屋だ。かなり奥まった所なんで、普段使わないんだが、あちら様がそれでもいい、と言うんでさ」
「そうなんですか」
「ああ、何か病人が出たらしいんで、その人を静かに休ませたいんだってさ。できるだけ静かでひっそりとした場所がいいらしくて・・・・」

当たりだ!
サクヤは心の中で拳を握り締めた。

王達が賭けに出た!

サクヤは天に感謝した。天は我々の味方かもしれない。

・・・いや、それともこれは罠か・・・。

そうだとしても、もう動き出したのだ。後は己の運を信じて突き進むしかない。

サクヤは武者震いする思いで、手車を押しながら部屋に向かった。


「本当に、お手を煩わせてすみません」
丁寧に頭を下げるルランに、いえいえとサクヤは手を振った。
「ご病人が出たんでしたら、いろいろ大変でしょう。いつでもおっしゃってください」
サクヤはくるりと振り返り、最後の点検をしながら、用意された部屋を観察した。
僅かに広い応接間の奥にこじんまりとした寝室という、一般的な二間続きの部屋だった。
その寝室は、ひとりが休めるくらいの寝台と、テラスにはなっていない普通の窓がある割とシンプルな作りだ。
そこに角度の付けられる寝椅子を窓辺に置き、その脇に色々な物を乗せるであろう小さなテーブルをサクヤは用意した。どう考えても、例の病人はひとり、だ。
寝室から応接間に戻ったサクヤは、その扉の左上に備え付けられている燭台を点検し、八重桜の模様を絵付けした蝋燭に取り替え、火を灯した。
応接間が一段と明るくなる。
「・・・こちらにはどなたかいらっしゃるんですか?」
「どうしてです?」
「いえ、寝室の方にご病人をお連れするだろうと、灯りを少なめに用意したのですが、この部屋にもどなたかが看病とかで待機なさるのでしたら、灯りを増やした方がいいかな、と」
ルランは微笑んだ。
「そうですね、看護人が数名・・・。では、あと二本ほど、増やしていただけますか。
私はこれから、病人を運ぶのを手伝わなくてはなりませんので、終わりましたら外で待機している者に鍵をお渡しください。では・・・」
ルランは軽く会釈をして部屋を後にした。
サクヤはこの部屋に人がいない事を素早く確認すると、選んだ蝋燭を入れる籠の底から、布に包んだ蝋燭をそっと取り出した。同じように八重の桜が絵付けされている。
そしてそれを丁寧に手に持つと、応接間の中央に備え付けられている空の燭台に備え、時間を確認してから慎重に火を点けた。

それは昨日、サクヤがアムイに言われて作った、特製の蝋燭だった。

サクヤは丁寧に灯りを確認すると、外で待機している人間に鍵を渡した。
(あとはイェンランか)
サクヤは時間を気にしながら、急いで自分の持ち場に戻った。
これから自分は逃走準備に取り掛からなければならない。
サクヤが戻って来てからしばらくして、女達の待機している部屋からひとりのゼムカの人間がやってきた。
「すまんが、娘のひとりが気分悪いらしい。誰か温かい物を持っていってくれ」
女達の所から三部屋離れている場所に給湯室があって、そこに桜花の使用人を含め、ゼムカの使用人数名が待機していた。他の者は忙しそうに動いている。
「わかりました。すぐにお持ちしますから」
サクヤは率先して返事をし、茶葉の入った袋を手にした。

それからしばらくして、イェンランとの接触が成功したサクヤは、空の盆を小脇に抱え、出て右手にある化粧室に駆け込んだ。そして自分のポケットから濃い桃色の八重桜の小さな造花を取り出すと、それをさりげなく洗面台の上に飾られている造花の花篭に挿した。

これが二人の“合図”であり、小さな“目印”だった。

後はイェンランが道に迷わぬよう、細工をするだけだ。
(頑張れよ、イェン)
サクヤは何食わぬ顔をして、化粧室を後にした。

一方イェンランはサクヤがくれたお茶のお陰か、随分気持ちが落ち着いてきた。
そうこうするうちにゼムカの関係者が現れ、二番手の ヒヲリを呼んだ。
「行って来るわね、イェン。・・・あの方も旅立ってしまったし、もう私は前に進むしかないと思ってる。
貴女には負けないわ。これで王の妃に選ばれれば・・・子供を儲ければ・・・桜花楼の女として箔がつく。絶対に選ばれてみせるわ」
そう言うと凛として立ち上がり、優雅に歩を進め扉の先へと消えていった。
(姐さんは強い。・・・それにくらべて私はどうなんだろう)
確かにここでは自分は逃げてばかりいる。
ここにいると自分が本当にちっぽけで、ダメな人間に思えてくる。
なんで姐さんのようにこの世界で誇りを持って生きられないのだろうか。
今の自分はどうしたいのか、どう生きたいのか。
ただ、ただ、今の環境が嫌でたまらないだけで。
だから、お前は何をしたいのだ、と問われても、ちゃんと答えられない自分が悔しい。
そこまで考えていて、あ、とイェンランは気が付いた。

あるわ。
今自分がしたいこと。

(キイに逢いたい)

姐さんに比べれば、ちっぽけな事かもしれないけど、今の自分を突き動かしているのは確かだ。
そのために今自分がしなければならない事。
イェンランは気持ちを高ぶらせた。
あともう少し・・・。三人目が呼ばれる少し前がチャンスよ。
彼女は瞼を閉じた。

「・・・あの・・・。ちょっと・・・今度はお腹が痛くなって・・・。化粧室に行ってもいいですか?」
イェンランはお腹を押さえながら、ぜムカの関係者に申し出た。
「またお前か」
「すみません」
「呼ばれるまでまだ時間はあるな。よし、今誰か呼ぶからしばらく待て」
「あの・・・。もう我慢できないんですけど・・・」
と、イェンランは赤くなって下を向きながら体を揺らした。
「緊張しちゃったみたいなんです・・・。すみません。なるべく呼ばれる前までには戻ります!もう限界なんです!」
切羽詰った様子のイェンランに、男は慌てた。
「わかった!わかったからすぐに行け!いいか、できれば30分以内までには戻れよ。場所はわかるな?」
「はい、すみません」
イェンランは駆け出し、サクヤの言った化粧室に向かった。
貴賓の間は、お供の者も全てが泊まっている広い区域だ。その中で身分の高い者が泊まる部屋は、今で言うスイートルームの規模が大きくなったような感じで、入ってすぐの広間を中心に、食事室や、王が寝泊りする寝所、会議室、お付きの者が泊まるいくつかの部屋があって、もちろん部屋ごとに化粧室も浴室もある豪華な作りになっていた。そしてその王のいる部屋を出たその周辺に、多目的に使える部屋が近くにいくつかあり、そのための共同の化粧室がいくつか設けられている。そのエリアを少しはずれると、使用人達の部屋や厨房、給湯室などがあって、それを通り過ぎると使用人専用の出入り口、となる。もちろん身分の高い者用の特別に作られている出入り口は王の部屋の付近にあり、厳重な鍵が掛けられ、使用する意外は固く閉ざされている。なので、出入りが頻繁に行われている、使用人の出入り口の方が、守衛の者が出入りする者を厳重にチェックしているのだ。つまりそのような事もあり貴賓の間内部では、王の部屋と、出入り口付近くらいが一番警護が厳しく、意外に他の場所には護衛の者は用意されてなかった。もちろん、例外はあるが。
その事情は前もってサクヤのリサーチにより明白だったので、イェンランは慌てることなく行動する事ができた。
彼女は急いで化粧室に入ると、サクヤの“目印”を確認した。
(濃い色の八重桜・・・ね)
そして化粧台の奥にある、“用足し”(トイレ)の場所へ行き、人がいないのを確認すると、三つあるうちのひとつに入り、内鍵をかけた。そして意外と軽い身のこなしで、衝立(ついたて)の様な薄くて上部に隙間がある壁を乗り越え、隣に移る。
イェンランは男兄弟の中で育った北の大地の娘。このくらい軽くこなせる身体能力は持っているのだ。
しかも今夜はこのために、なるべく軽くて薄絹の、足が隠れないくらいの丈の着物を着てきた。今が初夏でよかった、とイェンランは思った。そして扉の外の様子を伺い、誰もいないのを確認すると、そっと化粧室を後にする。
すでに王の接見が始まっているため、辺りは人ひとりもいない。きっと護衛はほとんど王の部屋に配置されているのだろう。イェンランは辺りを見渡すと、第2の“目印”を見つけた。
廊下が交差している所には、必ず造花の花篭が綺麗に飾られている。サクヤは道案内として、先程の八重桜の造花を目的の方向にある花篭にさりげなく挿していたのである。
最初の打ち合わせでは、まだキイのいる場所が確定されていなかった。だから応用が利くように色々なパターンを考えていた。だからサクヤのお時間までに、行かれて下さいねは、王の部屋に入る前に、“目印”のある化粧室に行け、と言う事だった。
それはキイが王の部屋にはいない、と言う事を示唆していた。もし最悪王の部屋に彼がいるとしたら、サクヤは“王の部屋にも化粧室があるよ”と告げたに違いなかった。もちろんそれならそれで、イェンランは危険を承知で覚悟はできていたが。
(とにかくもう時間だわ。早く行かなきゃ)
イェンランは昔を思い出して気持ちが高揚してきた。よく兄達に狩猟に連れて行かれた事を思い出していた。
あの躍動感と似た感情が、イェンランが北の大地で育った事を再び呼び起こしていた。
彼女は行く先々に飾られている造花を確認しながら、慎重に目的の場所に急いだ。


(あら?イェン?)
王との接見を終えたヒヲリは、自分の部屋に戻るため、お供を待たせている使用人の出入り口に向かう途中で、偶然にも遠目でイェンランらしき姿が廊下を曲がったのを見た。
それにしても、王はかなりヒヲリの事を気に入った様子だった。その証拠に彼女をなかなか手放さず、他の者よりも接見時間が少しばかり押してしまった。
彼女はそのために少々寝乱れた髪を直そうと、王の部屋を出てすぐの化粧室に寄ろうと思っていた矢先だった。

何故イェンが?しかも待機している部屋ではない方向へ?どうして?

ヒヲリは何故か不安になって、確かめるために彼女の後を追った。

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2010年2月14日 (日)

暁の明星 宵の流星⑳

とうとうこの日がきた。

サクヤは夕食後の片付けを済まし、今は各部屋の灯りを点検して回っていた。
蝋が減った蝋燭を、新しい物に取り替えていく作業が主なのだが、意外と量が多い。
もちろんベテラン給仕も半分請け負ってくれるので、何とか頑張れば時間までには終わらせる事ができるだろう。
そう、あと3時間くらいで、イェンランが王の寝所に行くことになっている。
(今頃は緊張してるだろうな)
サクヤは小さくなった蝋を取り替えながら彼女を思った。
ここでは互いに話す事はほとんどできないため、二人は“目印”を決めていた。
何とか彼女が行動する前に、自分は居場所を突き止めなくてはならない。
実は昨日、色々と情報収集をしたのだが、はっきりお目当ての人物の部屋が特定できなかった。
ただお付きの人達の間で、噂の“王の愛人”の話題は意外と多く聞こえた。
それらの会話で、確かにかなりの美貌の持ち主、という事はわかった。
何故ならは、彼らの話の内容はほとんど、彼の容姿の事ばかりだったからだ。
だが、肝心の居場所については、思ったとおり内密になっていて、側近の者しか把握されてなかった。
その重要な側近達も、昨日は運悪く雑務に追われたのと、ここの間取りを自分の頭に叩き込むことで費やされ、サクヤはひとりも会うことなく過ぎてしまった。
ただひとつだけ確定してる事は、彼は必ず王の近くにいるという事だけだ。
それは多くの従者の人間の話から、当たり前に推察される事で、とにかく今は王のいる奥の間に何とかして行かなければならないかもしれない、とサクヤは思った。
(昨日の話では、彼は普段から王と生活を常に共にしてる、という事と、最近具合が悪いらしくて、王の寝室からほとんど出てこない、という事だけ・・・・)
イェンランが彼を確認した日、倒れた彼の様子をアムイはすごく気にしていたようだった。
だがどんな状態なのかは、この目で確かめてみない事には何ともわからない。
確かに王のいる部屋はガードが固くて、簡単に部外者が出たり入ったりはできるわけもない。
しかも中の警備もここが一番厳しい。
どう考えても、キイはここの何処かにいるには違いなさそうだった。
しかしそうなると、堂々とここに入って行けるのは、今宵、王と接見するイェンランだけだ。
そうなったら、最悪な危険を彼女に冒させてしまう事になるのではないか。
サクヤもアムイもできればそれは避けたかった。
だが、夕飯の支度を運びに来たとき、偶然側近の人間が話しているのを聞いてしまった。
(昨夜はかなり陛下は神経質になっていた・・・。アーシュラ様が【暁】の話をするから・・・・ )
ちょうどサクヤはたくさんの食器をゼムカ側の手車に移し替えてる所で、突然【暁】という言葉が耳に入ってきて一瞬動揺した。側近は作業しているサクヤより、かなり離れていたので、あまり気にする事もなく話を続けている。元々サクヤは耳がよかった。集中して聞き取ろうとすれば、大体の内容はわかる。彼は息を整えた。
(確かに・・・まさかご自分が女達と接見している寝所の続き部屋に、お連れするとは思わなかった)
(まぁ・・・お体が普通であれば、考えられないんだろうが・・・。)
(ルランによると、かなり調子がよくないみたいだからなぁ。いくらなんでも心配だからって、陛下の目の届く所に置くっていっても限度があるし・・・。あのアーシュラ様も【暁】をかなり意識されていて、今晩のあの方をどうしようか、ずっと王と話し合ってたから、今宵はどうなさるのか)
(ああ。結局昨夜は陛下がお相手に集中できなくて、いい成果がでなかったようだし。ギガン殿が大騒ぎするわで・・・。ま、もっと陛下も護衛の者を信じてやればいいんだよ、それで・・・)
ちょうどここで、作業を終えてしまったサクヤは、これ以上長引かせて怪しまれないよう、後ろ髪を引かれる思いで、王の部屋を後にした。
王が兄貴の存在をまさか気にしているなんて。
これは結構やっかいではないだろうか?
何となく勘だが、王または側近の誰かが兄貴自身を知っているのでは。
ならば今宵は昨日以上に、警備が厳しいかもしれない。
イェンに危ない真似はさせたくないが、今夜も彼が王の近くにいるのなら、彼女に頼むしかないのかもしれない。
いや、それとも今夜は違う場所に移る可能性だってある。
蝋燭を替えながら、ずっと考え込んでいたが、サクヤは覚悟を決めた。

サクヤが覚悟を決めたとき、イェンランはずっと気まずい思いをしていた。
これからの事も含め、本当に神経が参ってしまいそうだ。
イェンランはすでに、王がいる部屋の真向かいの一室で、他の女達と時間が来るのを待っていた。
まさか、ヒヲリ姐さんと同じ日になるなんて・・・。
部屋に案内されて、ヒヲリの姿を見たとき、イェンランは心臓が飛び出るかと思った。
彼女は無表情で、イェンランの方をちらりとも見ないでいる。
自分はどうしたらいいかわからなかった。
本当は誤解を解きたかった。でも、それは口が裂けても言えるわけがない。
しかもこの一番大切な時に。
イェンランは気まずさのまま、なるべく隅の方へと場所を取った。
盗み見たヒヲリの表情は何を考えてるのかわからない。
とても声をかけられる様子ではない。
張り詰めた空気にイェンランは本当に気持ちが悪くなってきた。
これから時間になったら王の部屋に、ひとりづつ順番に彼女らは呼ばれるのだ。
イェンランはちらり、と時計を見た。
最初の作戦通り、自分は一番最後に呼ばれるようにならなければいけない。
サクヤが仕掛けるであろう、その一刻と時間を合わせるためだ。
とにかく時間稼ぎ・・・。
と、彼女が具合が悪い事を、部屋係りに知らせようと身をよじった時だった。
ひんやりとした冷たい手が、突然自分の手を取った。
驚いて顔を上げると、そこにはヒヲリの顔があった。
いきなりの展開に、イェンランは混乱し、大きく目を見開いた。
「大丈夫?イェン。顔色が悪い」
懐かしい、いつもと変わらないヒヲリの声だ。
「ゆっくり息をして」
イェンランはヒヲリに言われたとおり、ゆっくりと深呼吸した。
「初めての事だもの、仕方ないわ」
「ね、姐さん・・・」
彼女の驚いた顔を見て、ヒヲリは苦笑した。
「私、貴女と話したかったの」
思いがけない言葉を耳にして、イェンランはゆっくりと彼女の瞳を覗き込んだ。
「だから無理を言って、貴女と同じ日に替えてもらったのよ」
「・・・」
驚いて声もでない彼女の手を、今度は両手でそっと包む。
「私・・・」
そのいつも通りの優しげな声に、イェンランは泣きそうになった。
「私のこと・・・怒ってないの?」
その言葉にヒヲリは首を傾げた。
「どうして?」
「だって・・・・。私、姐さんの想ってる人と・・・」
「ここでは当たり前のことよ」
きっぱりと彼女は凛として言った。
本当はあの時、あまりの仕打ちに、気が遠くなりそうだった。
嫉妬、落胆、絶望・・・。今まで経験した事がなかった感情に、彼女は押しつぶされそうになった。
だが、周囲の憐れみにも似た眼差しを感じて、ヒヲリはかろうじて持ちこたえた。
彼女を立て直したもの。それは誇り、だった。
桜花楼の女として、今まで培い、自分で築き上げた、自分の力で勝ち取ってきたプライド、だった。
自分は将来、最高の【夜桜】になる女。
ヒヲリはそれを思い出したのだ。
そう、ひとりの男に翻弄されてはいけないのだ。
「・・・・だから・・・、その事を思い出させてくれた貴女に感謝こそすれ、恨んでなんかないわ」
イェンランはじっとヒヲリの言葉を聞いていた。
「きっと気まずい思いをしてると思って・・・。どうしても伝えたかった」
「本当に・・・諦めちゃったの?アム・・・いえ、【暁の方】を・・・」
彼の名前が出て、初めてヒヲリの瞳に迷いが見えた。
「正直、心が痛いけど・・・、お客様だもの。
それに初めからあの方の心には、ずっとどなたかが住んでらっしゃる事もわかってたの」
その人、ってもしかしたら・・・・。
それはキイかもしれない、と口の先まで出そうだったが、すぐに呑み込んだ。
もちろん固く口止めされているという事もあったが、それ以上にアムイの、キイに対する感情が何なのか、自分もはっきりわからず、説明しにくかったからだ。
ただの相棒というには腑に落ちないアムイの態度からして、それ以上の絆があるような気がしてならなかった。
あの二人の関係って・・・・。
イェンランは今日も着物の下に身に着けている、例の“お守り”に対するアムイの表情を思い出していた。
結局は、サクヤが乱入したせいで、うやむやになってしまい、今でも自分が大切に身に着けてるけど。
あれ以来、アムイはこの“お守り”の事には全く触れなかった。
【巫女の虹玉】・・・・。キイの分身であるこの石が、今日は何故か熱く脈打っている感覚がする。
(お前には信じられないかもしれないが、そいつは生きている・・・)
イェンランはそっと胸元に手をやった。
その様子を見て、ヒヲリは勘違いした。
「ねぇ、苦しいの?イェン。今晩は誰かと代わってもらったら?」
イェンランは慌てた。
「だ、大丈夫・・。少し休めば・・・。落ち着けば・・・」
と、上目遣いに申し訳なさそうにヒヲリを見た。
「・・・順番・・・代わって貰う?」
「え・・・でも・・・」
「一番最後にして貰ったら?私が掛け合うから」
イェンランは心の中で申し訳ないと、手を合わせた。
そしてヒヲリが親切にもぜムカの関係者に掛け合ってくれている間に、彼女はこっそりと着物の袂から、掌に収まるくらいのひとつの小さな丸い玉を取り出し、素早く確認してからしっかりと自分の懐に納めた。
「イェン、事情を説明して最後にして貰えたから、安心してね。今その事を話したら、何か飲み物を頼んでてくださるって。あとしばらくこうして休んでて」
イェンランは無言でこくり、と頷いた。
とにかく今は、気を緩んではいけないわ・・・。
イェンランが長椅子に持たれかけた時、
「大変お待たせ致しました」
と、給仕がお盆に湯気の立つお茶を彼女の元に運んできた。
イェンランは息を止めた。
サクヤだ。
彼は持ってきた温かいお茶を、彼女に渡すためにさりげなく近づいた。
「大丈夫ですか?お顔の色が優れませんね」
「大丈夫・・・です」
イェンランは目で決意を表した。
サクヤはかすかに頷くと、お茶を手渡しながら意味深にこう告げた。

「ご気分がお悪いのでしたら、外を出て右手に化粧室がございます。
お名前を呼ばれますと、向こうに行かれるまでございませんので・・・。
お時間までに、行かれて下さいね

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2010年2月13日 (土)

暁の明星 宵の流星⑲

宴から一夜明けて、ザイゼムは自分の寝台に横たわるキイの寝姿を、何をするでなくただじっと眺めていた。
朝食の支度ができた事を、自分の王に伝えに来たルランは、ザイゼムが昨夜同様ずっとそのままの姿勢だった事に気が付いた。きっとああして、夜が明けるまで彼の君を見守っていたに違いない。

昨晩、宵の君が倒れられ、アーシュラが大事そうに抱えて広間から去った後、動揺していたザイゼムは、とりあえず気を取り直し、まるで何もなかったかのように宴を続けた。
それはやはり一国の主としての最低限の礼儀であった。
しかし、宴が終わるや否や、ザイゼムは再び血相を変えて、自分の部屋に戻った。
その後の彼の様子は、ルランにとって、辛いものだった。
宵の君のために常に待機させている医術者達に、ザイゼムは鬼気迫るくらいの迫力で詰め寄り、その説明に頭を抱えて寝台の傍らにある椅子に憔悴しきった様子で腰掛けた。
そして寝台の上で、まるで死んでるかのように横たわる、キイの整った白い顔を覆う細くて絹のような髪を、震える手でそっとかき上げ、一秒たりとも目を離すまいという雰囲気で、その場から動かなかった。

朝食をいつものごとくとった後、ザイゼムは何事もなかったように、書面に目を通していた。
今晩から行われる、女達との面会のために、彼は事務的に文面を目で追っていた。
そこにはこれから個人的に会うことになっている、花嫁候補の詳細が書いてある。
「いかがでしょう、陛下。特にお気に召した女はおりましたでしょうか」
参謀のひとりがザイゼムに尋ねた。
「うむ」
ザイゼムは額にかかる前髪を手でかき上げながら、書面を机の上に置いた。
「皆、似たり寄ったりってとこかな。ま、取りあえず試して見ない事にはわからん」
「そうですなぁ。・・・・どうもあの方を見慣れてしまっているせいか、高級娼婦が霞んでしまうのは致し方ないですが・・・。それでもさすが天下の桜花楼。かなりのレベルの女が集まっておりますぞ。ほら、この【夜桜】の貴蝶なんぞどうです?なかなかいい体しておりましたな」
参謀の中で一番の古株である、ギガンが書面を手に持ち、見せるようにして王に言った。
「ふん」
ザイゼムは鼻で笑うと、自分の左後方に立っているアーシュラに背を向けたまま言った。
「アーシュラ、お前はどうだ。気に入った女はいたか」
アーシュラは頬をぴく、と引きつらせた。
「それは陛下がお決めになられる事。私は口を挟む立場ではございません」
「おいおい、やけに冷たいな。・・・・・誰か気に入った女がいれば、お前にも譲ってやろうかと思ったのに。お前もかれこれここ何年も繁殖期に参加していないじゃないか」
ザイゼムは笑ってアーシュラの方に振り向いた。
「陛下のお傍にいるのが私の務め。貴方様を置いて行く事はできません」
「全くお前は固いな。・・・・だが、本当に理由はそれだけか?」
アーシュラの目に何かしらの思いが浮かんだのを、ザイゼムは見逃さなかった。
「ま・・・、どうでもいいか。ただお前なら、このヒヲリとかいう【満桜】はどうか、と思ったんだがな。
何となくだが、微笑んだ顔が誰かを思い起こさせるぞ。しかもかなり有望らしいし」
「陛下」
「ははは、そんな顔するな。さて・・・」
このアーシュラという若い戦士は、長い修行を終えて、ザイゼムが王位についてから護衛隊長として抜擢され、それ以来ずっと、ザイゼムの信頼厚い片腕として傍に仕えていた。王の並大抵ならぬ贔屓もあって、彼は側近達の中でも、かなりの発言力があった。
「後は若い【満桜】候補の娘が4人いるな。ま、子供を作るには、歳の若いのも一人か二人くらいはメインに残してもいいか。・・・・この、イェンランっていう娘はなかなか面白そうだったぞ」
アーシュラの表情が引き締まった。
「結構気の強そうな、いい面構えしていた。ありゃ大人になったらかなりのいい女になりそうだ。
・・・・どことなく母さんと似た匂いがするな。・・・そう思わないか?」
「私にはわかりません」
「そうか」
と、ザイゼムは短く言うと、話題を変えた。
「アーシュラ、お前、何か感じるか」
アーシュラは固い表情で、自分の王を見つめた。
「この貴賓の間がある周辺では何も感じません・・・・・ですが」
ザイゼムは鋭い目を彼に向けた。
「【暁の明星】が、つい一週間前までここに通っていたらしいです。・・・・お目当ての女がいたようで」
アーシュラはの声は氷のように冷たかった。
「【暁の明星】」
この名前を言うのも忌々しい。
「今は長期の旅に出たとかで、ここの許可証を返却したそうです」
「ふうん。あの小僧が、目当ての女に通うとはね・・・・。大人になったものだ」
しかしザイゼムは、アーシュラの腑に落ちない表情を見て、なにやら胸騒ぎがした。
「アーシュラ、何を考えている」
「私はあのアムイが、一人の女に執心するとは・・・どうしても思えない」
ザイゼムはじっとアーシュラの表情を伺った。
「すると何か?・・・・・やはりアムイは何か、掴んでる・・・・とか?」
アーシュラは息を吸った。
「この間から微少ではありましたが、彼の気を感じてました。前に報告しましたように、たまに強い気配も。そして桜花楼にアムイの名残。今以上警戒した方がいいかもしれません・・・・。」
そして静かに瞼を閉じると、こう付け足した。
「特に昔からアムイは、キイ以外の人間をを受け入れられないのですから」


(さて、と・・・)
朝から貴賓室担当として、ベテラン給仕と共に朝食の後片付けをしていたサクヤは、この最高城内奥の区域である、貴賓の間の内部をこと細かく頭に叩き込んでいた。
関係者以外、めったに入れない豪華な場所である。
桜花楼の最上階にあるこの貴賓の間は、3階にある大広間から続く、長い階段を上がった先にあった。
この桜花楼は沢山の桜の木が植わる高台に、かなりの大きさの規模で建てられれていた。
もちろん、娼婦達の住まう部屋の区域と、客が泊まる部屋のある区域は別々にあり、それを広い廊下で各々繋がっていた。そして中央に大勢が集う広間(ほとんどここで宴会が行われる)、特別室やら娯楽室などが全て揃っていて、そのはずれに従業員の区域と、各階に厨房がある。
普段の客は町の宿に泊まり、客人の相手をする部屋を各自持てる【満桜】以上の女の元に通う。なのでここに泊まれるのは、金持ちか、貴人、各国の要人くらいであった。
その客人のトップ、王侯貴族は貴賓の間という特別な区域に通され、丁寧にもてなされる。もちろんこのクラスの高貴な客人となると、普通自分の使用人を連れてくるのが常識なので、この貴賓の間には、お供の者や護衛の者、賄いの者まで泊まれるほどの部屋がある。厨房も全て整えられていて、客人が普段の生活と変わらぬよう配慮されている。中立国ではあるが、他国であるが故の警戒心を考慮して、とも言えた。なので、客人側から申し出がない限り、桜花楼の使用人が貴賓の間で働く事はないのである。なのでこの貴賓の間(貴賓室)は、ひとつの自治区域のようでもあった。もちろん、王侯貴族と身分の低い者の入り口は別に作られ、同じ所を通らないよう作られている。意外と沢山部屋があり、新参者は結構迷うくらいである。
「サクヤ、だいたい内容はわかったか」
先輩の給仕が手に一杯の洗い物を持って、それを置く手車を支えているサクヤに言った。
「ええ、大丈夫です」
サクヤはにっこり笑った。
「お前、さすがここの人に気に入られただけあるなぁ。凄く飲み込みが早くて助かるよ」
「ありがとうございます」(そう、王のいる部屋はもう確認した。後は・・・どこにあの人がいるか、だ)
サクヤは慎重に周りを伺った。・・・多分。いや、普通に考えて護衛が異常に多い場所だろうが・・・。

それにしても、とサクヤは苦笑した。
昨晩は思わず声を荒げてしまった。
全くいつものオレらしくない・・・。
自分でも意外だった。アムイの言葉に異常に反応してしまうなんて。
自分が勝手に彼にくっついて来ているのだ。そんなの初めからわかっている。
サクヤは強くなりたかった。今まで色々な猛者にも会って来た。
だけど皆、今ひとつだった。心に来る物がなかった。
そんな時、【暁の明星】の噂を聞いて、この眼で確かめたかった。
自分と歳の変わらない、若い武人。
初めて彼の戦いぶりを見たとき、何かで頭を大きく殴られたような気がした。
自分が憧れていた物を彼は全て持っていた。
その時からサクヤは自分の意思で、【暁の明星】に疎まれようが何しようが纏わり付いた。
そして他人(ひと)を寄せ付けない彼の性質が、サクヤには意外と気楽な部分があったのだ。
なのに。
彼にとって自分は全く信頼されてないという事が、あの言葉で明白になった気がして、思いの外ショックを受けていた事に、サクヤは自分自身で驚いていた。
(とにかく、明日まで全部頭に入れとかないと)
サクヤは自嘲すると、手車を押す手に力を入れた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あちらこちらから、城外に灯りが点る。
ひっそりと夕闇が訪れるのを感じて、まるで城は待ってましたとばかりに自らを柔らかな灯りで飾っていく。
もちろん城内の外壁もポツリポツリと明るくなって、幻想的な夜の城を演出していた。
その城の周囲は沢山の桜の木に囲まれ、闇夜が徐々に彼らを侵食していった。
そして城の最上階辺りを見渡せる程、大きな桜の木のてっぺんにアムイは佇んでいた。
この日のために、三人で綿密に策を練ってきた。
最近髪に無頓着だったため、アムイの髪は風にそよぐまでに伸び、それが益々彼の精悍さを際立たせている。
とうとう、この日が来た。
アムイは“その時”まで息を潜め、自らの気も殺し、聳え立つ夜城を見つめていた。

三人で・・・・。

アムイは不思議だった。
キイと離れてからはいつもひとりだった。
何をするにも、ひとりでやってきたし、やってこれた。
自分はキイ以外の人間はいらないし、欲しくなかった。
他人が入ってくるのは実際面倒だった。
ひとりで行動する方がどれだけ楽か。

なのに今、同じ目的のため、自分と行動してくれる人間が当たり前のようにいる。
信じられないことに、それがキイではないのだ。
アムイにとって、こんな事は初めてだった。

アムイの髪を夜風が弄ぶ。
自分で動きたい衝動を抑え、二人の“合図”を待つ。

闇がアムイの姿を消していった。

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2010年2月12日 (金)

暁の明星 宵の流星⑱

「やはり・・・そうか」

深夜、イェンランの部屋に上手く潜り込んだアムイは、外部に知られぬようできるだけ小さな灯りの元で、二人からの報告を聞いていた。
「やはり、キイだった・・・」
アムイは表面では冷静さを装っていたが、心は嵐のように吹き荒れていた。
今すぐにでも、あいつの元へ行きたい!
アムイはその激しい衝動を必死の思いで抑えていた。
「でも、サクヤ。あんたやけに来るのが遅かったじゃない。
私はてっきりアムイと落ち合ってここに来ると思っていたわ」
そう、こんな時間になってしまったのは、サクヤを待っていたからだった。
「ごめんごめん、ちょっとさ・・・」
「私はまたサクヤが、あのぜムカの男に寝所に連れ込まれたんじゃないか、ってヒヤヒヤしてたのよ」
アムイの片眉が上がり、サクヤの方を意味深な目で見た。
「そんなのやめてくれよ!・・・ま、確かにあいつしつこかったけど。
・・・それよりイェンラン、お前の方が凄いじゃん。最終に残ったなんてさ!」
「そーなのよ!私もびっくりしちゃった!」

女との面通しが全て終わると、その中から20名を選抜し、これから五日間かけて今度は直に王と個人的に会い、最終的にその中から五名が決定する事になる。そうして花嫁として選ばれた女は莫大な契約金を受け、王との子作りのため、ひと月も身体を拘束される。そしてその間に運良く子供を儲ける事ができれば、それから1年、子供が生まれるまで契約延長、契約金も、もの凄い金額に跳ね上がるのだ。特に今回は一国の王の所望である。金額も半端のないものになるはずだ。

「で、個人的に会うって・・・。個人面接?そんな事なら20人だったら一日で終わらない?」
「うん・・・。それが、日が落ちてから4人を部屋に待機させて、一人ずつ王のいる部屋に呼ばれるんだけど・・・」
サクヤの言葉にイェンランは首を捻った。
「なんだ、ここの人間なのに、知らないのか」
二人のやり取りに、先程まで無言だったアムイが口を出した。
「え?どういうこと」
「王との個人面接・・・・つまりあれだな。花嫁契約するに足りる相手か、王本人が確認するのが目的」
「それはわかってるわよ」
「お前本当にわかってる?つまりさ、顔とか性格とか、王が気に入るかどうかとか・・・。それも大事だろうけど、最終的にはあっちの方が合ってるかどうか、直に確かめたいんだよ」
イェンランは耳まで赤くなった。
「だから、目的は子作りなんだから、体の相性をみるんだろ」
アムイは真顔で言った。
「あー。夜伽の確認ってわけ。ひと月も拘束するんだっけね。確かにそっちの相性は大切だ」
うんうん、とサクヤは何度も頷いた後に、はた、と気が付いた。
「ということは、一晩に四人も!?うわぁー、絶倫━━━・・・」
と、言いながらサクヤはちらりとアムイを盗み見た。
確かにぜムカのザイゼム王は見るからに男としてのエネルギーが半端なく凄かった。
一生懸命捜していただろう自分の相棒が、そんな男の愛人だと知って、兄貴はどう思ってるんだろうか。
サクヤにはアムイが何を感じ、どう思っているのかわからなかった。
それくらい、彼は何事にも動じていない様に見えた。

イェンランはその事を聞いて、気持ちが暗くなった。
だけど・・・しょうがないわよね。あの人に逢うためだもの。
このくらい、何ともないし!・・・あの王様、かなり怖いけど・・・。
と、イェンランが勇気を掻き集めて、やっと覚悟した時だった。
「で、これからの事なんだけど。イェンはいつなの、呼ばれる日」
サクヤが急に自分に話を振ってきた。
「あ、明後日よ」
「じゃ、何とかなるかな」
「それがどうかしたの?」
「へへ。実は今まで遅かったのはさー。
オレ、ゼムカ王の部屋係り担当に決まったからなんだー」
えっ!とアムイとイェンランは驚いてサクヤを見た。  
「あんたって・・・本当にどういう手を使うの、いつも・・・。信じられない・・・」
「まー、人徳ってやつでしょ。オレ、人には警戒心を抱かせないタイプみたい。
ちょっと、ね。ぜムカのお付きの子と仲良くなっただけなんだけどさ・・・」
イェンランはすぐにピン!ときた。
「お付きの子、って・・。あの時キイに付き添ってた青い目の子でしょ?すごぉい」
「誰だ、それ」
アムイは眉根を寄せた。
「彼、ルランっていうんだけど、王の身の回りを担当してる子でさ。
今はほとんど宵の君の世話役をしてるみたいだ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とにかく男はしつこかった。
サクヤは舌打ちした。毎度の事ながら、オレ身体もたないわ、と心の中で呟いた。
アムイはサクヤを天然だと思っているようだが、こういう状態に気づかないほど彼は無知ではなかった。
サクヤは何故か昔からこの手の男に好かれるのだ。しかもかなりの粘着質に。
いつものように一発ぶん殴って、とっとと逃げ出したい気分だったが、今それをする事はできない。
「本当にごめんなさい、オレ、明日も早いんです。帰って準備する事もありますし、もうこれで・・・」
「つれないこと言うなよ~。何ならもっと金出していいぞ!お前だって満更でもないくせに」
ちょうど宴の広間からかなり離れた、彼らが泊まっている部屋に続く廊下の片隅で、二人はもみ合っていた。
もうすでに他の者は引き払って、辺りには誰もいない。
先程のぜムカの戦士は、酒臭い息も荒く、サクヤを逃がさないように腕を掴み、何とか彼を自分の方に引き寄せようとしていた。が、やはり自分が酔っているせいか、それとも相手の力が意外と強いのか、一向に相手が自分の手に落ちてこないので、段々いらついて来たようだった。
「おい!大人しく言う事を聞けってんだ!!天下のぜムカ族屈指の兵(つわもの)を怒らせるとどうなるか、体に教えてやろうか!」
サクヤは心の中で溜息をついた。
しょーがない、一発でこいつを眠らそう。どうせ酔ってるんだ。目が覚めりゃこの事なんて覚えちゃいないだろう。
サクヤは男の急所に蹴りを入れるつもりで、体制を整えた。
その時・・・。
「何をやってるんですか!!」
後ろの方で若い男の声がした。
サクヤは彼の青い瞳を見て、先程宴の席にいた側近の一人を思い出した。
「ル、ルラン・・・どの」
男は酔いが冷めたかのように一瞬で青くなった。
「此度は王の公用にも等しい大切な行事。そのような振る舞い、ザイゼム様に伝えなければなりませんね」
「も、も、申し訳ありません!!どうか、どうか我が君には・・・」
「ならば、立ち去りなさい。あなたのような者がいるから、我々を野蛮人扱いする人間がいるんですよ。ここの人に手を出そうだなんて・・・・陛下の顔に泥を塗るつもりですか」
まだ十代であろう少年に屈強な戦士は一喝され、すごすごと自分の寝所へと去っていった。
その事から、彼がまだ若いのに、王の信頼を・・・いや、寵愛?を受けているのがわかった。
「本当に申し訳ありません。我が国の者がご無礼を・・・。」
ルランはサクヤに深々と頭を下げた。
「あっ、いえ。や・・・その」
ルランはサクヤの顔を見ると、ちょっと寂しそうな顔をした。
「・・・凶暴で非道で冷酷で粗野で・・・・。我々の事をやはりあなたもそうお思いみたいですね」
「そんなこと・・・・」
と、サクヤは言いかけてやめた。
「そうです、・・・すみません。だから、今あなたの言動にびっくりしちゃって・・」
正直な言葉にルランは微笑んだ。
「そうですよね。それが外からの我々のイメージだって知っています。下手に怖がられてる事も。
確かに外敵には容赦はありませんし、あちらこちらに移動する生活ですので、敵や不埒なモノらから危険を防ぐため、昔からの習慣で、鳥獣などのマスクをして旅をしています。元々が狩猟民族、戦う民族なんで、好戦的なところがあるかもしれませんが・・・・。礼儀を重んじ、礼節を美徳とする面もあるということを、ご理解いただきたいのです。関係ない方にご迷惑をおかけする事はありません。安心してください」
サクヤはこの青い目の少年が、見かけよりはずっと大人びているように感じた。
姿かたちは、あどけなさの残る綺麗な少年であったが、十代独特の青臭さがなかった。
何かしら大きな感情を抱えてるようにも見えた。
それは彼の頬にうっすらと残る、涙の跡に気が付いたからだった。
「あの・・・失礼だけど・・・」
サクヤはそう言うと、自分のポケットからハンカチを差し出した。
「あ!」
ルランは赤くなって、自分の頬を押さえた。
「すみません・・・。変なところをお見せして」
「どうかされたんですか?」
「いえ、何でもありません」
ルランは自分が慕い続ける人物の取り乱した姿を見て、今更ではあるが思い知らされたのだ。
陛下の心には彼の君以外、もう自分も、他の者も、全く存在しないという事を。
この二年半、彼の君のお世話する事になるまでは、まだほのかに希望はあったのだ。
自由奔放な我が君。
父親ほどの年齢の大人の男が、自分のような子供を本気で愛してくれるとは最初から思ってなんかいない。
でもそれは、他の人間にも同じだとわかっていたから。ただ、傍に置いてもらえるだけでよかった。
子供の頃から憧れていた陛下に、十二歳から仕えるようになって、彼の近くにいる事、それがルランの幸せだった。でも・・・・。
彼の君が現れてから、陛下は変わった。表面は変わらないけれど、あの飽きっぽくて、束縛を嫌い、誰に対しても執着なんぞ見せなかったあの方が・・・・。
「大丈夫ですか?」
はっとしてルランは我に返った。
「お恥ずかしいです。泣いていたこと、気づかれちゃったんですね。やはり僕も修行が足らないな・・・」
「いえいえ。泣きたいときに泣いておかないと、前に進めなくなりますからね」
サクヤはにっこりと笑った。
「やさしいんですね」
ルランも少し気恥ずかしそうに笑い、サクヤに対して親しみを感じたようだった。
「それで、あなたはここで働いているようですが・・・。給仕さんですか」
「ええ、そうです。あ、オレ早く帰らなくちゃ。怒られてしまう!」
早くアムイ達の所に行かなくては、時間がなくなってしまうではないか。
サクヤは慌ててこの場を去ろうとした。
「さっきは本当に助けていただいてありがとうございました!それじゃオレはこれで・・・」
「待ってください!」
「はい?」
いきなりルランに呼び止められたサクヤは彼に振り向いた。
「お忙しいところ申し訳ありません。実はお願いがあるのですが・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「そう、明日から始まる王との面接で、お付きの者だけでは手が足らない雑用等を、桜花楼に頼みたかったみたい。まぁ、オレがその時たまたまいたんだけどさ、しっかりアプローチしたんだ。すっごいチャンスだろ?本当はそういう貴賓の世話は長年の経験者が担当するんだけどね。上手い具合にその彼に気に入られて、面接時の食事とかの賄いをお願いされたんだ」 
「へー、それはすごい。あんたって人に取り入るの上手いよね」
イェンランはお世辞でなくそう言った。
「まぁね。これでもだてに歳食ってないさ。場数を踏めば何とやら・・・・ってね」
サクヤは思わせぶりにニヤリとした。
「とにかく、サクヤのお陰で何とかキイのいる部屋を割り出せそうだな・・・」
アムイはさっと、最高城内の平面図を取り出した。
二人から色々聞いて、アムイが書いた物だ。
「とにかくどういう部屋が、どれだけあるかはわからないが、この奥が貴賓の間。ここにザイゼム達が泊まっている。というと、イェンラン、お前はどこの部屋で当日待機させられてるんだ」
アムイはペンで、最高城内の南側エリアを丸く囲んだ。
「多分、王が泊まっている部屋の隣かお向かいか・・・。
とにかく近い場所に決まってると思う。明日ならはっきりするわ」
「よし。で、サクヤは賄いで王の部屋まで行ける訳だな・・・・」
そこまで言って、アムイは黙り込んだ。
「兄貴?」
サクヤとイェンランは不思議そうにアムイを見つめた。
「・・・・これでいいんだろうか」
「え?」
しばらくして思いがけない言葉がアムイから発せられた。
「ある意味危険なところに、関係のないお前達を行かせてしまっていいのだろうか・・・。
見つかったら、お前達の命だって危うくなる。
俺の問題なのに、俺が何もしないで待っている・・・というのは、どうも性に合わない・・・・。
やはり俺だけで何とかする。お前達はもう手を出さない方が・・・・」
「今更何を!」
珍しくサクヤが語気を荒げた。
「何を弱気な事を言ってるんですか!兄貴らしくない。
それに兄貴が乗り込んだらもっと危険だ。キイさんは厳重に隠されているんですよ。
このまま会えないで失敗する方が大きいと思う。
・・・それに兄貴の顔、ザイゼムが知っている可能性も否定できない!」
いつにない剣幕のサクヤに、イェンランは驚いていた。
アムイはしばらく、じっと下を向いていたが、
「いいのか、本当に」と、ぽつりと言った。
「兄貴、オレ達を信用してくれよ。・・・・兄貴は簡単に他人を信じない人だと思うけどさ」
その言葉にアムイははっとした。
「そ、そうよ!私達を信用してよ。絶対上手くやってみせるわ。
それに私にとっても、関係あることでしょ!キイに会いたいのは、何もアムイだけじゃないんですからね」

傍にあった蝋燭の灯りが消えかかって、その時のアムイの表情は闇にかき消され、二人は彼が今どんな顔をしているのかわからなかった。
イェンランは慌てて予備の蝋燭を灯した。
再び小さな灯りがほんのりと三人の姿を浮かび上がらせる。
彼女は気になって、ちらりとアムイの方を見た。

気のせいか、アムイの目が少し赤くなっているように見えた。

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2010年2月11日 (木)

暁の明星 宵の流星⑰

各国の要人、特に王侯貴族クラス辺りになると、周りの雑音に煩わされる事を嫌うものが多く、公式訪問など政治目的以外、人目を避けるのがほとんどだった。特にこういう女を買ったり、契約し子供を儲けるなど、プライベートに近しいデリケートな問題は特に“お忍び”が当たり前だった。
いくらぜムカが、愛人の噂を逸らすために、王が子作りすることをアピールしたくても、堂々とやった方がかえってわざとらしくて怪しまれる。それに噂など、後で下々の者にちょいと餌を撒いてやれば、王が花嫁を捜しに来た事なんて、あっという間に流れるものだ。もちろん実際本当の事なので、もし、この件を疑い探りに来た者がいても、何の不都合もない。

桜花楼最高城内の広間では、ぜムカ王一行の歓迎と花嫁候補の面通し(めんとおし)を兼ねて、宴が執り行われた。 たくさんの豪華な料理や上等な酒が次々と運び込まれる。
桜花楼の給仕らも、こういう席もあってか、いささか緊張して客人をもてなしていた。
その中で、サクヤは意外と慣れた様子で、てきぱきと仕事をこなしていた。
「おい、そこの」
王の護衛として来たであろう、ゼムカの屈強な戦士らしき男が、空の酒を運ぼうとしていたサクヤを手招きした。
「はい、何か御用ですか」
サクヤは持っていたお盆を近くのテーブルに置くと、声の主の方に寄った。
「うん、同じのをもうひとつ頼む」
「あ、お酒ですね。では少々お待ちを・・・」
と、サクヤが立とうとするやいなや、男はいきなりサクヤの手を掴んだ。
「お前、戻ってきたら俺の酌をしろよ」
「は?」
「お前、なかなか可愛いな。今晩は女と遊びたくてもできないで寂しい思いをしてたんだ。
心付けくらい、はずむぞ」
サクヤは一瞬心の中で溜息をついたが、にっこりと男に笑った。
いつもの小汚い風貌ではなく、髪をすっきりと上げ、清潔な給仕服に身を包んでいるため、元が見栄えする容貌のサクヤは給仕の中でも一際目立っていた。
「それでは、専用の女性をお呼びしましょうか。私はただの使用人ですので、マネージャーに怒られます」
「じゃ、マネージャーを呼べ。俺はお前がいいって言ってるんだ!客の言う事がきけないのか!」
男はもうすでに酒が回っているのか、顔を赤くしていきりたった。
その様子に気がついたマネージャーは、客の元に慌ててやってきて先程のサクヤと同じ説明をした。
だが男は頑として聞き入れず、不服ながらもサクヤに客の相手をするよう頼んだ。
「おい、適当にあしらっておいていいからな。変な事されたら逃げて来い」
マネージャーは心配そうに耳打ちすると、個人的な親しみを込めてサクヤの肩を撫でた。
「はぁ・・・・」
サクヤは心の中で半ば呆れて呟いた。
(まったくどいつもこいつも・・・・)

一方イェンランは、これから起こるであろうことを考えて緊張していた。
全ては準備万端整えた。
二人のお陰で、何の問題もなく晴れて【満桜】候補・・・・【開花桜】に昇進したイェンランは、十数名の娼婦たちと宴の席を遠巻きに見れる場所に座らされ、肝心の王様の登場を待っていた。

(いいか、俺はこれから城に許可証を預けてくる。長い旅に出ると偽って、ここから出る手続きをしてくる。一般客はいいが、桜花の許可証を持っている者は、許可証を外で盗まれたり偽造されたりする事を避けるため、わざわざ城に申し出てこの町を出るんだ)
(え?じゃあアムイはどうするの)
(うん。・・・・これでお前は晴れて宴の席に出れる。サクヤは上手く潜り込めた。
それで俺はここを出ると見せかけて、準備がてら何処かに隠れる。
これから何が起こるかわからない。これも予防策のひとつだ)
(わかったわ)
(とにかくお前はキイの顔を知っている。王の愛人が誰か確認してくれ。
宴が終わったらサクヤと上手くお前の部屋に行く。その時また策を練ろう)

アムイの言葉を噛み締めながら、彼女は益々緊張で体が震えてきた。
が、ふと宴席の方を遠目で伺って、サクヤが客の酌をしているのに、イェンランは目を丸くした。
(やだ、何やってるのよ。それ、女の仕事じゃない)
イェンランがサクヤに気をとられて数分たった頃だった。

人々のざわめきが耳に入ってきた。
ザイゼム王の登場だ。
宴を催している広間には、上座エリアに主賓客とそのお付の席が設けられていた。
そこに案内に導かれながら王が数名の側近を引き連れて席に向かった。
普段は主賓が席に着くまでは、宴は始まらないものなのだが、今回は特別な宴だった。
王はまず初めに隣の迎賓の間で、桜花楼やゲウラの貴人たちに軽くもてなされる。
その間、隣の間でお供の護衛の人間などに酒を振舞い、和やかな空気を作っておくのだ。
もちろんその広間には、これから王が面通しをする最高級の【夜桜】から下の若い【開花桜】の女達を一同に集めていた。彼女らは階級によって席が設けられていたが、下っぱの【開花桜】には席がなく、ほんの少し一段高い段の上に並んで座らされている。
そして時間になると王が華々しく登場し、宴も益々盛り上がりを見せるのだ。
イェンランもサクヤも初めて見るゼムカの王の迫力に、目が釘付けになった。
ザイゼムは普段着ないような、ゼムカ族の正装である、煌びやかで裾の長い紫のローブを纏い、髪もきちんと後ろに撫で付けていた。がっちりした体格は男らしさに溢れ、大人の男の色気も感じさせた。
四十を超えてるという噂の王に、皆はもっと老け込んだ人物を想像していた。ところが現れたザイゼム王はとても四十も過ぎてるとは思えないほどの若々しさで、女達を驚かせた。
王は圧倒するような風格で、上座の中央の席に着いた。
イェンランは、近くにキイらしき人物がいないか目を凝らした。
8名ほどの側近の一行の中に、まだあどけなさの残る青い目をした美少年が、背の高い人物に付き添いながら席に向かっていったのが何故か目についた。
少年は王が着いたテーブルの端の席に、目立たぬよう丁寧にその人物を座らせた。
その人物は頭からすっぽりとフードを被り、身体を隠すかのようにマントの下に長い着物を着ていた。
しかもイェンランからかなり遠く、顔なんて全くわからない。
ただ、他の側近達とは全く異なる様子に、彼女は確信めいたものを感じた。
あのフードを取って、顔を確認したい!
イェンランはもどかしく感じ、早く近くに寄って見てみたくてしょうがなかった。
チャンスは王の前に出て、顔見世する時だけ、近くに行けるけど・・・・。
フードを被った人物は何か問題があるのか、付き添っていた少年が隣に座り、支えられるようにして席に着いている。

桜花楼の総支配人は、ザイゼム王の紹介を済ますと、最高級の【夜桜】から先に、王の方へ直接引き合わせる。中には数分、王と会話する事が許される。だが、イェンラン達ような下っ端は、何人かのグループ毎で軽く顔を見せるだけなので、どのくらい主賓席の方を見れるかわからない。
イェンランはその事にばかり気を取られていて、側近の一人にあのアーシュラがいる事に全く気づかなかった。

「お前、本当に可愛いな。しかもチビのくせに、やけにいい体してやがるじゃないか。何か鍛えた体してるなぁ。
お前、ただの給仕には見えないぜ」
サクヤは先ほどのぜムカの戦士に、必要以上身体を服の上から触られて、いい加減げんなりしていた。
「なぁ、こんなところで働かないで、俺と一緒に来ないか?俺なら人事にコネが効くんだ。しかもお前みたいな体格なら何も問題ないし・・・」
サクヤは男の話を聞き流しながら、神経は主賓席の方に向かっている。
サクヤもまた、自分の勘でフードの男に注目していた。
「ねぇ」
サクヤはわざと、甘えた親しみやすい声で言った。
「噂に聞いた王様の愛人って、凄い美人らしいね」
「へー。ここまで噂が届いてるのか」
サクヤは男が今まで自分を触っていた手を取ると、ゆっくりと引き剥がし、意識的に少しだけ身体を男に預けた。
「オレ、本物見てみたいなぁ、って。だってこの世のものとは思えない程の美しさだって言うじゃない。オレ、ここで働いているから、【夜桜】の姐さん以上に綺麗な人間いるはずないって思ってるんだ。
だってその人、男、なんでしょ?」
男は鼻の下を伸ばしながら、サクヤの打って変わった態度に喜んだ。
「ははは。あの方は別格だよ、別格。そこいらの高級娼婦が霞むくらいの美しさなんだぜ。・・・一度拝んだ事あるけどよ。あの方に比べたら、ここの女も多分物足りねぇんじゃないか、我が君は」
「ふぅん。今晩はその人いる?ここに」
「おお。でもめったに見せられないお方なんだぜ。我が君はあの方にはえらく神経を使っているのか、嫉妬深いのか、自分のお傍にいないと不安がるくせに、人の目に触れさせないんだ。ほら、あの端に座ってる、お付きの子が世話してるだろう?姿がわからないようにしているからすぐわかる」
やはり・・・。
サクヤは、どうにかイェンランが彼を確認できないものかと、思案した。だが・・・・。

意外とイェンラン達の順番が早くやってきた。
このぜムカの王は目の前の美女達に感嘆するわけでもなく、本当に事務的に女の顔を見ているだけだった。
イェンランはヒヲリが王の前に進んだ時、彼女のアムイへの気持ちを思って胸が痛んだ。
なんとなくヒヲリを見る王の眼差しが熱くなったような気がしたが、それもすぐに終わってしまい、最後の【満桜】が自分の席に戻り、後はイェンラン達が5-6名のグループを作って、王の前に進むのだ。
イェンランは自分の番になって、息が上がったような気がした。
心臓が早鐘を打っている。なるべく近くで見なければ・・・・。
その彼女の様子はかえって他の少女達より浮いてしまい、結果目立ってしまった。
ザイゼムは彼女を面白そうに眺め、そしてその隣にいたアーシュラは体を硬直させた。
アーシュラは憶えていた。あの時の・・・・?
だが、イェンランはそれどころではなかったので、アーシュラには全く気がつかなかった。というより、3年前の出来事だという事と、キイの思い出だけしか忘れたくないのも手伝って、彼女はほとんどアーシュラを憶えてなかった。アムイ達にその時の事を説明する時も、どうも彼の名前は出てこなかった。まさか、彼が王の側近になるくらい地位が高いとは思わなかったのである。
いぶかしむアーシュラがイェンランの視線の先に気づき始めた、その時だった。

がたん!
イェンランの視線の先である、フードの男がいきなりテーブルに突っ伏した。
ザイゼムは血相を変えて立ち上がり、お付きの少年は慌てている。
アーシュラはイェンランどころではなくなった。
すぐに傍に行こうとするザイゼムを制止し、アーシュラは素早く駆けつけ、倒れた人物を抱き起こした。
その反動で、力の抜けたであろう、その人物の白い手が袖から露になり、イェンランの目を釘付けにした。
見覚えのある、白くて形のよい長い指。
そしてアーシュラが大事そうに抱きかかえたとき、わずかだがフードがはずれ、その人物の白い端正な横顔が偶然見て取れた。

間違いない。

イェンランがずっと逢いたいと願ったひと。

・‥………キイだった。

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暁の明星 宵の流星⑯

流浪の民、ゼムカ族一行が桜花楼に着いたのは、桜の花がほとんど散り終わり、目にも鮮やかな緑の葉がところどころ色を添える頃だった。
そろそろ南から来る暖かな風が、桜花楼のあるゲウラの国に届く時期だ。

「今朝の調子はどうだ?」

昨夜遅くに桜花楼に到着した一行は、桜花楼最上階にある、貴賓の間に通された。
通常は、普通の客人が通される第三城内にて部屋を用意されるのだが、今回は最高身分の客人を迎えるため、王侯貴族ご用達の最高級の部屋を桜花楼側は密かに用意した。

そう、次の日から始まる王の花嫁選びのため、ゼムカ側から“お忍びで”という要望に答えるためだ。

一夜明けて、鍛え抜かれた上半身を惜しげもなく晒しながら、ゼムカのザイゼム王は自ら着替えを始めていた。
「陛下・・・!お支度など我々がいたしますのに!」
まだ十代とおぼしき美しい少年が、慌ててザイゼムの着替えを手に駆け寄って来た。
「そんなこと自分でするからいい。それより、今朝の調子はどうか、と訊いている」
少年から自分のシャツをひったくると、彼は優雅なしぐさで身に着けた。
「は・・・はい・・・。今朝はかなり調子がよさそうです。
やはりこの気候のよい場所に来たのがよかったのかと。
珍しくご自分から起きられたようで・・・・」
「そうか」
ザイゼムは上機嫌になった。
「では、今夜の面通しの宴に、あいつを連れて行かれそうか」
少年━━━まだ若干17歳のルランは他数名いる、王の身の回りを世話する一人で、ゼムカの人間にしては珍しい青い瞳を持っていた。その瞳が思わず陰るのをザイゼムは見逃さなかった。
「ルラン」
「あっ、はい」
着替え終わったザイゼムは、ルランに近づくと、少しだけ俯いていた顔を自分の方に向けさせた。
「そんな顔、するな。お前には感謝している。キイの世話もよくしてくれてる」
「・・・陛下・・・」
ルランの青い瞳が潤んでいく。
その様子にザイゼムは短く溜息を漏らすと、彼の唇に自分の唇を合わせ、やさしく舌を差し入れた。
ルランの顔が恍惚に揺らめいている。が、ザイゼムはすぐに唇を離し、ルランは不満の声を漏らした。
「いつものお駄賃だ。これで我慢しろ。
これから私も身体が空かなくなるが、落ち着いたらもっと大きい褒美をやる」
ルランはその言葉が、自分を言いくるめるための嘘だと思った。
いや、今は本当に思ってくれているのかもしれないが、その時になってもきっと陛下の心と体は、彼の君の方へ行ってしまうに決まっている・・・・。
足取りも軽くキイのいる寝所の方へ去って行くザイゼムを、ルランは恨めしそうに見送った。


元々ゼムカにも女はいたが、大陸同様に女の数は減少し、ほぼ数百年前には消えたといわれている。
それに元来土地に執着せず、あちこち獲物を求めて大陸を移動する狩猟民族だったという事も手伝い、連れて移動するには邪魔な女、子供(旅に耐えられぬ老人も)をあえて切り捨てた、ともされる。なのでこの民は他の土地に根付く大陸の国家、民族とは異なる形態をもっていた。

そして女が少なく、男社会でもある大陸では、子供を作る事と性欲を満たす事にはかなり意識に違いがあった。
子供を作る事は女がいなければできないが、性欲を満たしたり、恋愛をするには女でなくともできる。
それに関しては生理的に向き不向きがあるだろうが、世間一般では男同士での色恋をダブー視するような風習はなかった。
特に身分の高い貴人には、必ず小姓のような存在を侍らしているのが当たり前だ。
高い身分の者の身の回りの世話と、性欲を満たすための存在である彼らは、見目もよく、気立てもよくなければならなかった。自分の主人に可愛がれ、愛される事が、彼らの生き抜く手段でもあった。
特に男だけのゼムカ族は顕著であった。

時にこのザイゼム王。
彼ほど色と欲に貪欲な男も珍しかった。
豪胆で強豪で、しかもかなり頭が切れた。だがそれ以上に彼は気まぐれで、型にはめられる事を嫌い、早く王位を継いで欲しい前王と側近たちの願いを、ことごとく蹴ってきた。
それが三十も終わりに近づいた頃、持ち前の気まぐれであっさり王位を継いだ。
気まぐれもそうだが、ザイゼムは意外と飽き易かった。
いつも面白い事を捜し、自分に刺激を与える生活でなければ、満たされなかったようで、今までの勝手気ままな生活に飽きた結果、跡目を継いだものと思われる。
しかし自由奔放な性分が、彼の妖しい程のカリスマ的な魅力となって、崇拝する人間は多かった。
それが18人もの王子を持っていたにも拘らず、前王がザイゼムにどうしても王位を譲りたがった理由である。
普通ゼムカの世代交代は特例がない限り、跡継ぎが二十才半ばまでには王位を継ぎ、世継ぎを作ることが当たり前だった。
それが流浪の民であり、戦いを基本としている男だけの民族の特徴で、彼らは若く行動的で猛々しい人間を、自分達のリーダーに、と望んだからだった。

ということで、引退した王と参謀達は、現王ザイゼムが今だ子供を作っていない事に、しびれをきらしたのだ。
「まあ、あれだ」
今は引退し、自ら安住の地を欲した前王は、北の国のある場所に自分の屋敷を持ち、自適に過ごしていた。
めったに顔を出さない一番のお気に入りの息子を、前王はわざわざこの屋敷に呼び寄せ、一族の参謀達と共にザイゼムの説得に取り掛かったのだ。
「お前が私の願いをきいて、王位についてくれた事は、感謝している」
前王は腕を後ろ手に組みながら、屋敷の窓から荒涼とした広い大地を眺めていた。
その部屋の中央にはザイゼムが面倒くさそうにソファに腰掛けていた。
周りには参謀や側近達が、彼を取り囲むように跪いている。
「だが!」
前王はザイゼムに振り向いた。
「いくらなんでも世継ぎを作るという義務を、放棄してくれたらかなわんのだ。若い頃ふらふら遊びまわっておって、その時手をつけた女どもに子を生ませた事だってあるんだから、お前に子種がないわけじゃないだろう?」
「だから、その中から選べばいいじゃないですか」
ザイゼムはイライラして足を組み替えた。
「お前が適当に種付けしたせいで、その子供はほとんど行方知れずじゃないか」
「父さん、それは言い過ぎですよ。私はその時子供を島に預けようとしたんですけどね。仕方ないじゃないですか。一人は女だったし、二人の息子はそれぞれの母親が手放さなかったんですから」
「だから今度はちゃんと契約した女に子供を産ませろ、と言ってるんだ」
はぁ~、と、ザイゼムは興味なさそうに宙を仰いだ。
「別にいいじゃないですか、私が作らなくても。まだ他に若い弟達だっているんだし。最悪の場合誰かに王位を譲りますよ」
その態度に前王は頭を抱えた。この自分の見込んだ、この息子の血を引く後継者でなくては、何の意味もないからである。
「お言葉ですが、ザイゼム様」
二人の様子にしびれをきらした参謀のひとりが声をかけた。
「・・・今まで黙っておりましたが、貴方様のお客人・・・・。あの方をまだお隠しになりたいのでしたら、父王様のお言葉を素直にお聞きなさった方がよろしいですよ」
ザイゼムの顔色がさっと変わった。
「どういうことだ」
「・・・・あの方にご執心だという事が、かなり噂になっております。しかも隠してるようで、貴方様が自分の傍から離さないため、最近あの方を見かける下々の者が多くなっています。身内だけならいいのですが、最近の他国との交渉で、外部の者に見られた事態が噂の引き金になってます」
「だからどういう意味だ」
「ザイゼム様。あの方の美しさは半端なものではありません。いくら隠しても隠し切れないでしょう。今までは東の国だけで評判は止まっていた。ですが各国を移動する我々と共にいれば、噂も広まるというもの。しかもその美しさゆえ、ゼムカ王の美貌の愛人として益々注目を浴びるに違いありません」
「そうすれば、我々がキイの存在を知られたくない相手にも知られる、ってことですよ、陛下」
ザイゼムの右隣に跪いていたアーシュラがぼそっと言った。
何か言いたげにアーシュラを見つめたザイゼムだったが、深い息を吐いて前王の方に顔を向けた。
「・・・つまり、愛人に現を抜かしてるという噂を逸らすためにも、私は花嫁を娶らなくてはならない訳か」
その言葉に前王は、ここぞとばかり喰いついた。
「その通りだザイゼム!今期の繁殖期はお前自ら女を選んで来い!ひとりじゃ足りん。三人、いや五人くらい契約しろ!早くしないと、お前はもういい歳だからな」

そういう経緯があって、気の進まないザイゼムは、“自分の愛人”を守るためにしぶしぶ桜花楼に出向く事になったのである。

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2010年2月 9日 (火)

暁の明星 宵の流星⑮

4.王の愛人


「あのさぁ!やっぱり困るわよ、これ」
あの宴から1週間が経ち生誕祭も終わり、桜花楼もすっかりお祭り気分が抜けていた。
桜の花も半分以上散って、白くそして淡い桃色の花びらで、道のあちらこちらを飾っている。
今日は特に風が強い。
勢いよく吹く春風に翻弄されるかのように、たくさんの花びらが舞っていく。

まるで故郷の雪みたい。
イェンランは口では文句を言いながら、目は窓の外の花びらを追っていた。

「何が困るんだ。お前が【満桜】候補・・・通称【開花桜】、だっけ?
それになるために俺たちが協力してやってるんだろ」
桜花楼第一城内の予備部屋の一室で、アムイは椅子に深く腰掛け、長い足を持て余しながら、何やら城内の案内図をじっと眺めていた。
「だから、こうしてあんたが私を指名するのが困るのよ!」
イェンランはアムイの方に振り向いた。
「何言ってんだ。第一城内で催される宴に一回以上、客の指名最低7回以上!
このノルマを達成しない限り、ゼムカの面通しの日までに正式に昇格できないぞ。こっちの方が困るじゃないか」
イェンランはむくれた。
「わかってるわよ、そんなこと・・・」
「わかってないね。先週宴に顔出ししたばかりの娘に、すぐに指名なんてつくほど甘くないだろ。
だからこうして俺とサクヤが交互にお前を指名してるんだ。しかもお前にとっては体を強要されることもないんだから、好都合じゃないか。何が困るんだよ」
アムイはむっとしながら図面から目を離し、彼女の顔を見上げた。
「それに関しては・・・ないけど・・・。
あんたが【暁の明星】だ、っていうことが問題なのよ・・・」
最後の声は小さく消え入りそうだった。
その様子にアムイは片眉を上げた。
「ね~、これからはサクヤだけじゃだめー?後2回しかないんだからさ!」
「サクヤはもうだめだ。今晩からここで働く事になってる。身内が指名できるわけないだろ」
「それもそうね・・・」
イェンランはがっくり肩を落とした。
アムイにはまるっきり話が見えてないようだった。何でこんなに落ち込む必要がある?
「で、なんで俺だと困るんだ」
あまりにものアムイの鈍さに、とうとうイェンランは切れた。
「あんた本当にわからないわけ!?姐さんの気持ち、どう考えてるのよ!」
「姐さん?」
「ヒヲリ姐さんよ!あんたがずーっと、ご執心にも通い続けた女じゃないの!」
「は?何でヒヲリの名前が出てくるんだ」
アムイはイライラして髪をかき上げた。
「何でって・・・・。あんた姐さんに恥じかかせたのよ!
ヒヲリ姐さんは普通の【満桜】じゃないの!【夜桜】候補に近いのよ!最高級の桜花の女を、あんたはずっと指名してきたでしょう?そ、それを、姐さんや大勢の目の前で・・・。
いくら事情があるとはいえ、【満桜】にもならない小娘かっさらって、その後も指名を続けるなんて・・・。
しかもその後のフォローもないわで・・・」
「ヒヲリだって仕事だろ?こういう世界じゃ当たり前のことじゃないか」
「それだけじゃなくて!姐さんはあんたのこと・・・。というより、あんたは姐さんをどう思ってるのよ」
「・・・・さぁ?・・・あまり考えたこともなかったな・・・。ここに入るにはどうしたって必要だろ。馴染みの女」
アムイは冷たくそう言い放った。
「あんたって最低!」
イェンランは涙を浮かべながら、くるっと反転し、隣続きにある寝所に駆け込んだ。

やれやれ・・・。
一体何が気に入らないんだ。
これだから小娘は苦手なんだよな・・・。
アムイはうーん、と椅子の上で伸びをして、再び図面に目を落とした。


ひどい!   ひどい!!
なんて奴なの!!!

イェンランは寝床に突っ伏して、泣きながら拳で布団を何度も叩いた。
大切なヒヲリの気持ちを考えると、胸が張り裂けそうだった。
(姐さんは何だってあんな男がいいの?!)
涙でくしゃくしゃになった顔をシーツに埋め、しばらくそのまま嗚咽を我慢する。
イェンランはヒヲリが気になってしょうがなかった。
あの後の騒ぎは、下世話な同僚が逐一教えてくれた。

(あの時の姐さん可哀想!顔が真っ青で、倒れそうだったんだから)
(それでもさすがだったのは、すぐに気持ちを立て直してさ・・・。何事もなく微笑んだのは驚いたけどね)
(あんた、一体どういう手を使ったの?やる気なさそうだったのも手?結構したたかなのねぇ)

周囲の人間の嫌味や妬み、意地悪、いじめ・・・。
元々肩身の狭い彼女だったが、この件で益々居場所がなくなってしまった。
でもそれは今に始まった事ではないので、まだ我慢できる。
それよりもヒヲリに会うのが怖かった。
本当は何度か、彼女に説明しようと勇気を振り絞って部屋まで行こう、と思った。
だがイェンランは男二人に、自分の身に起こったことを、固く口止めされていた。
しかもこの件は、自分の想い人が大きく関わっている。もしかしたら、また彼に会えるかもしれないという喜びで、心が浮かれてしまうのは隠せなかった。
ヒヲりに合わせる顔がない・・・。というよりも、合わせ辛いのだ。
ヒヲリは自分の事をどう思っただろう。
互いに想い人の事を知っているからこそ、イェンランは気まずさで、胸が張り裂けそうだった。

(アムイの奴。ほんっとうに性格悪い・・・)
彼の態度と言葉を思い出して、イェンランはむかむかしてきた。

なんであんな奴を姐さんは好きなのよ。
なんであんな奴をサクヤは崇拝してるのよ。
なんであんな奴があの人の相棒なのよ。

その日はとうとう時間が来るまで、彼女は寝所から出てこなかった。

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2010年2月 8日 (月)

やっとひと休み~

今朝は珍しく2回目の更新です

Tairiku


うわぁ~。ほぼ毎日更新してたー
これも子供がインフルにかかってしまって、仕事に行けないからできたことなのですが・・・。
で、でも、やっとひと休みです・・・(息切れ)

それにしても、ここまでお付き合いくださっている方に、本当に感謝を。
毎回自分の文章力や語彙のなさに、落ち込みながら書いているのですが・・・。
でも、やっとメインが絡んできたので、楽しくて一気に(勢いで)書きました。
お気づきのように、これ、意外と長編になりそうなんです・・・
(上、大陸の設定書参考で↑)
この間は頭の中で色々と整理していたのですが、書きたい事が沢山ありすぎで、上手くまとめられるか不安になりました。オリジナルの長編物、というのは人様に読まれにくい、というのは自分自身でもよくわかってることで、本当はもっと簡単な短編~中編くらいの作品にした方がよかったかな・・・と、ちょっと後悔しています。
でも登場人物がもう自己主張始めてしまっているので、これはもう出してあげなきゃおさまらないかと。(というか出したいです)

でも、今回この初の試みで、自分でも思ってなかった事が起こったのが面白かったです。
書き下ろしてると、人物の主張とか行動とかが、自分が設定していたり、考えていたりしていた事から外れて、勝手に動き出す、というのを初めて経験しました(特にサクヤ)。で、書きながら(おい、こんなこと言っていいのかよ)とか、(そういうことなのね・・・)とかひとりで突っ込んでました。(怪しい・・・・)
話を創る人から、そういう話は聞いた事がありましたが、まさか自分も経験したのは、ライブ感覚ぶっつけ本番で書いているからなんだ、と今更でしたが思いました。(まったく、何で何十年もこういう事しなかったんだろう・・・。と、後悔)
と、偉そうな事を言っていますが、

内容も会話もベタ過ぎて笑える
まだここまでしか展開してない
日本語おかしいじゃん
基本がなってないし、誤字脱字あるし

・・・・という、反省ばかりです。
人様に読んで貰うには本当に稚拙でお恥ずかしい。(といっても、ここに来る方はそんなにいらっしゃいませんが)
それでもせっかく始めたのだから、最後まで突っ走るしかないでしょう、ということで、日々精進する覚悟です。
終わり頃、少しでも文章が上手くなってますように・・・・。
(何せ、今までのプロットは脚本みたいに台詞とト書きだけだったり、絵コンテのみだったりなので、ちゃんとした文章を書いたことありません

なので一息入れまして、(ちょっと自分の他のブログを更新してきます・・・)続きもどれだけ更新できるかわかりませんが、このまま突っ走りますので、ご縁のある方もうしばらくよろしくお願いします。
ところで自分の長編物の特徴ですが、伏線をあちこちばら撒きながら後から拾っていく、というのが多いです。
これはぶっつけ本番書き下ろしなので、そこの所が決壊せず、上手く収まればいいな、と思っています。

本当に年内まで・・・・話終わるんでしょうか・・・・

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暁の明星 宵の流星⑭

「おまっ・・・、いつの間に!どっからやって来たんだ」
「どこって・・・。見りゃわかるでしょ。このバルコニーからですよ」
と、サクヤは涼しい顔して寝床の左側にある、バルコニーに続く開いた窓を指差した。
「まったく、どうなってんだか・・・。ここの警備は厳しいって話じゃなかったんでしょうかねぇ。鍵かかってないし」
「お前・・・・。覗きが趣味なのか?」
「莫迦言ってんじゃないですよ!普段はそんな無粋な真似するわけないじゃないですか。こうして堂々と名乗ってるし」
サクヤは口を尖らせた。
「それよりもお前、さっき酔っ払って寝ちゃったんじゃ・・・・・」
サクヤはにっと笑った。
「ふふふん。南の男を侮っちゃいけませんよ。オレは酔うのは早いけど、ひと寝入りすりゃしらふに戻るんす」
「それ・・・・自慢なのか?」
いきなり現れた知らない男に、イェンランは緊張した。
「いやぁ~、さっきまで城内凄い騒ぎでしたよ。兄貴があんな大胆な事したから・・・。
“暁の方が【満桜】じゃない小娘をかっさらっていった~”とか“暁の旦那が若い【蕾】に乗り換えた~”だの」
その言葉にイェンランはぎょっとした。
「えっ!?じゃ、じゃあ、あんたが噂の【暁の明星】?そ、それまずいわよ・・・・」
「何がまずいんだ」
アムイが顔をしかめてイェンランに振り向いた。
「わかんない?だってあんた、姐さんの・・・」
「それよりお嬢さん、申し訳ないんですが、何か身につけてくださいませんかね。さっきから目のやり場に困ってるんですけど・・・・」
「え?・・・あ。きゃあっ!!」
自分が一糸纏わぬ姿だった事を思い出して、イェンランは真っ赤になりながらしゃがみこみ、床に落とした自分の着物を急いで体に巻きつけた。
「今更きゃあ、って・・・・」
アムイがちょっと馬鹿にした感じでつぶやいたのを、イェンランは聞き逃さなかった。
「ちょっと!あんたが脱げって言ったんでしょ!このえっち!」
彼女の膨れた頬を見下ろしながら、アムイはふふん、と鼻で笑った。
「ガキの裸に誰が欲情するってんだ。ばからし」


「えー・・・・それで、さっきの話なんだけど」
何やら不穏な雰囲気の二人に挟まれて、サクヤは落ち着かなさそうに、もぞもぞと座り直した。
あれからしばらく経って、着物に着替えた膨れっ面のイェンラン、二人に気を遣っているサクヤ、憮然とした表情のアムイ・・・・の三人で、寝床の横に輪になって座っていた。
「オレ、本当はあまり、人の内情とかに入り込むのは嫌いなんだけど・・・・。
ゴメン、兄貴の昔の話、あのご老人から聞いちゃったんだ。
兄貴、人を捜してるんだろ?」
まるで内心を見られたくないかのように、アムイは目を閉じた。
その様子を注意深く伺いながら、サクヤは話を続けた。
「で、兄貴の話と、彼女の話を合わせると、その人の消息はゼムカ族が関係している可能性が高い、ってことで」
イェンランも俯いて弄んでる自分の指をじっと見ている。
先程からこんな調子の二人だったので、彼らから断片的だが話を訊き出すのに、サクヤはかなり骨を折った。
「で、オレさ、何か兄貴の様子が変だな~と思って、ティアン宰相のお付きに声かけたんだ。ここに来るちょっと前」
アムイは驚いてサクヤを見た。
「ちょうど宴が終わったとかで、運良く下りて来てくれてよかったよ。ま、元々同郷の人間だからね。
方言で話しかけたら懐かしがって、結構喋ってくれたよ」
たまにアムイはこういうサクヤの処世術に舌を巻く事がある。
アムイにはいつも不思議だった。サクヤは何故か人の心を掴むのが上手い。特に年上や堅い職業の人間に。
サクヤにかかると口の堅い情報屋でさえ、口が緩くなるんじゃないかと思うくらいだ。
「ゼムカ族の繁殖期ってさー。年に2回あるようで、いつもは選ばれた数十名の男が子作りの為、ここと契約して気に入った女を1ヶ月間、貸しきるんだって。それでその女に運良く子供ができれば、新たな契約をして妊婦をゼムカ縁の子育ての島に連れて行き、子供を生ませ、その子供を島にいるぜムカ族縁の住民が育てるらしい。
で、当たり前だけど、生まれた子が男なら一族に加えるが、女なら桜花楼に還元するらしいよ」
サクヤはズボンのポケットからメモを取り出した。
「でさ、そのお付きの人、ちょうど兄貴と宰相が話していた時に傍にいた人で、その時の兄貴達の様子も教えてくれたんだけど、今期の繁殖期っていつもと様子が違うらしいんだよね?」
メモをめくっていく手を早め、あるところでピタリと止めた。
「うん、あった。これこれ。
えっと、今期が特別っていうのは、わざわざ【満桜】候補以上の女を集めて、最高城内で面通し・・・つまり、女の方を選別するから、って事だと。
ということは、最高権力者・・・・王の花嫁選抜としか考えられないってワケ。
つまり、その日は必ずゼムカの王一行がここにやって来る。もちろん、お忍びでね」
「王が必ずここに来るってことは、王の取り巻きもここに来るって事よね・・?まさかひとりって訳にはいかないでしょうし。・・・・まさか、その中にあの人がいるかもって・・・・?」
「お、イェンちゃん。なかなか読みが鋭いねぇ」
「いや、ティアンが言っていた噂の王の愛人が、もしもキイだとして、話では人目に晒さないよう、かなりガードが固いらしいじゃないか。そんな人間を・・・・。まぁ、あれだな、世間一般ではそんな大事な愛人を、自分の花嫁を選ぶのに連れてくるかって事なんだが・・・・」
アムイの言葉に、サクヤは指を左右に振った。
「それがですねぇ、宰相のお付きの人によると、ゼムカの王は本当に愛人を傍らから離した事が一切ないって、断言していましたよ。どこに行くにも常に自分の傍に置いているほどご執心なんだそうだ・・・。これ、オフレコですけどね、ゼムカとリドンは内密にある契約をしてるらしいです。それが何かは知らないらしいけど、そのため、宰相一行はよくゼムカと接触してるんで、自分も何度かその様子を見ているって言ってました」
アムイは顎に手を当て、気難しそうに眉根を寄せた。
「ということは、愛人を連れて来る可能性が高いって事か・・・」
と、はた、とアムイは気が付いた。
「おい、お付きの者が愛人の事をよく目撃してるんだったら、肝心のティアンが見た事ないって・・・・、あれやはり嘘か!」
「・・・でしょうねぇ~。自分の国の宰相ながら、あの方食えない人ですもんね。さすが術者出身だけある」
術者とは、気や魔術で人をコントロールする術(すべ)を習得している者の事で、よく高僧や武術の達人の中に存在している希少価値な人間の事である。
「しかしまた、何だってわざわざ兄貴に・・・」
「面白がってんだよ、奴は」
あの、何でも見透かしたような蛇の目つき、思い出すほど反吐が出る。
(それとも他に、別の意図があるのか・・・・?)
あいつならあってもおかしくない、とアムイは思った。
「それで・・・。その面通しっていつなの?」                                  
「お忍びなんでね。それは彼も、いや、ここの人間も知らされてる人は今は少ないって言ってた」
「なぁ~んだぁー」
「ふふふー。ま、オレにかかったらすぐにわかったけどねー♪」
「えー!ほんとぉ?」
イェンランはサクヤの方に身を乗り出した。好奇心で目がきらきらしている。
「簡単だよ。桜花楼の厨房に行けばすぐにわかったよ。何たって王族関係者が来るんだぜ。献立のスケジュールはかなり前から知らされてるはず。で、丁度いいときにオレ行ったみたいで、その日人手がないからって臨時で給仕として雇ってもらっちゃった」
その言葉にアムイもイェンランも目を丸くした。
「いつの間に・・・お前・・・・」
「うそぉ・・・。ここで働くって、かなり人選厳しいのに・・・なんでそんなに簡単に・・・・」
固まっている二人をよそに、サクヤは言った。
「そぉ?オレを雇ってくれたマネージャーさん、とても優しかったよ。よかったらずっと働いてもいいよって」
アムイは何かわかったような気がした。
こいつ、自分では気が付いてないけど、あれだ。
男受けするんだ。しかも、年上や地位の高い男に。
アムイはコホン、と軽く咳払いした。
「わかった。だが、これは俺の問題だ。色々調べてくれた事は感謝する。後は自分で・・・」
「だめだよ!」
サクヤがきっぱりと言った。
「だからこれはお前に関係ない・・・」
「関係あるよ。だって、兄貴の大事な人が、ここに来るかもしれないんだろ。弟分として、兄貴をサポートするのは当たり前じゃないか」
そう言いつつも、実はサクヤは興味があった。
【暁の明星】のパートナーの男の存在が。
昴老人の言っていた、【恒星の双璧】の片割れの事が。
「あのなぁ・・・。同年齢なんだから、兄貴だの弟分だのやめろっていつも言ってるだろ!居心地悪い!」
アムイはサクヤの頭を小突いた。
「だって兄貴だもん・・・。じゃ、また最初の頃みたいに“先生”って呼ぶ?それとも“お師匠様”?」
「それはもっとい・や・だ!」
「じゃあ、やっぱ兄貴しかないじゃん!」
「だからさ、お前・・・」
「それよりもちゃんと聞いてくださいよ。悪いけど相手はあの凶暴かつ豪胆な一族なんだからね?いくら腕の立つ兄貴だからって、ひとりで行動するなんて無謀だよ」
サクヤはやれやれ、というように頭を掻いた。
「そうだとは思うが・・・」
「とにかく、せっかくオレが給仕として潜り込めたんだ。これを使わない手はないでしょ」
確かに、とアムイは思った。
「あ、それからイェンラン」
サクヤは興味深そうに二人を眺めていたイェンランに向かって言った。
「君は彼の顔、知ってるよね?もう一度、逢いたいと思ってる?」
いきなり話を振られ、彼女は戸惑った。
「ええ・・・。そりゃもちろん・・」
その言葉にサクヤはニヤっとした。

「じゃあ、イェンランにはすぐにでも“【満桜】候補”になって貰おうかな」


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2010年2月 7日 (日)

暁の明星 宵の流星⑬

暴れるイェンランをびくともしない力で抱えていたアムイは、用意された部屋に入るなり、勢いよく彼女を寝台に放り投げた。
「きゃあ!」
イェンランはその乱暴さに怒りが湧いた。
「あんた一体何よ!?いきなりどういうこと!」
噛み付くように自分に反抗する彼女を、冷ややかな目でアムイは眺めた。
「珍しい。結構鼻っ柱が強いな」
その言葉にイェンランはますます怒りを爆発させた。
「私の意志にお構いなく、こんな手荒なまねしていいと思ってんの!?」
「お前、ここの女だろう」
部屋の灯りも点けず、薄明かり射す窓辺側に立っているアムイの顔は、暗くてよくわからない。
ただ、冷たくも通る濁りのない声が、彼の若さを表していた。
「客には従順に、と習ってないのか」
「客にもよるわよ!」
「そんな身分か」
イェンランはむっとした。
何、この横柄な態度。
そんな彼女の様子に構わず、アムイは険しい顔で言葉を続けた。

「脱げ」
イェンランはびくっとして目の前の男を見上げた。
彼は窓を背に、腕を組んで自分を見ている。
どういう表情で話しているかよくかわからないのが、彼女の不安を掻き立てた。
「な、何で・・・」
「何でって、お前仕事のひとつだろう?」
そのあからさまな物言いに、イェンランは何故か傷ついた。
そう、ここにいる以上、これも仕事のうちなんだ・・・・。
イェンランは何か言おうと唇を開いたが、男の無言の気迫に押され、言葉を呑み込んだ。
それは絶対服従の気迫だ。
イェンランはしぶしぶ寝台から降りると、ヒヲリから貰った赤地に白い花柄の着物の胸元に手をかけ、呼吸を整えた。そして意を決したように、着物を脱いだ。
「それも取れ」
イェンランは震える手で、アムイの前で下着を取った。
彼女の白い裸体が闇に浮かんだ。
アムイが息を呑んだのがわかった。
イェンランは羞恥で顔を上げられず、男の次の行動を待っていた。
だが、いくらかしても一向に何もして来ない。
不思議に思い、思い切って彼女は顔を上げて相手を見た。

アムイはじっと、自分の胸元を見ていた。
その視線の先には、闇の中でほのかに淡い光を放っている、彼女の“お守り”があった。
イェンランは、キイから貰ったこの虹色の玉を、いつも一緒にと細く長い皮ひもで首から下げていた。
しばし空気が張り詰めた後、アムイはゆっくりと彼女に近づき、そっと胸元で光る玉に手を伸ばした。
その時やっとイェンランは、アムイの顔をはっきりと見た。
先程の冷たい無表情な顔ではない、優しく、それでいて哀しげな、何ともいえない表情をしていた。

「お前か」
声もどこかしら柔らかかった。
まるで、何年も会えなかった恋人に向けられたような、切ない声だった。

「お前が俺をずっと呼んでいたのか・・・・・」

彼を何者かに奪われてから、アムイは必死の思いで行方を追っていた。
最初はまだ、彼の気配はアムイの近くにあった。
自分の半身でもある彼を、その時は簡単に捜し出せる、と思っていた。
金環(きんかん)の気を持つ自分と、彼の持っている気は、互いに呼応し引き寄せる不思議な性質を持っている。
だが、そのアムイの楽観も、時間が経つにつれことごとく壊れていった。
キイは元々、気の流れを上手くコントロールができない事があって、そのつど自分が彼を補佐してきた。
その自分がいない今、彼の気は強くなったり弱くなったりで、掴み所がなかった。
それがどんどん弱くなり、しまいには3年くらい前にはほとんど感じることができなくなってしまった。
彼の身に何かが起こったに違いない。
アムイはひとり、焦燥の海を漂っていた。それでも絶望はしなかった。
何故ならそれは、自分がこの世から去らない限り、彼が命を落とすとは思ってはいないからだった。
それだけ二人の絆は深かった。たとえ離れようが互いは呼応し、再びひとつに戻ろうとする。

(宵の星、流れるがごとく。暁に映える星、それを受けてまこと輝く)

アムイは聖天師長の言葉を思い出していた。
だが・・・・。
気を感じなくなってからのアムイはまるで道に迷った子供のようだった。
無駄に時間だけが過ぎていく。気が遠くなるくらい、彼のいない夜を死ぬ思いで耐えた。
そんな頃だ。
アムイが何ものかに呼ばれている感覚を持ったのは。
それは初め胸の痛みから始まった。それが甘い疼きとなり、度々頭の隅で反応した。
そして確信した。
よくわからないが、きっとキイに関することに違いない・・・・。
アムイはその感覚を、自分を呼んでいる何かを求め、流離ってきた。
そしてたどり着いたのはここ(桜花楼)だった。
確かにここで、“呼ぶもの”は自分を求めている。
だが、それはあまりにも微妙で繊細で、アムイはここに通うたび、いつも何も得られずにいたのだ。
気が付くと、そこから2年も時間を無駄にしていた。
思いのほか年月が経っている事に、アムイは自嘲した。
もう自分は、キイと離れた頃の若さだけがとりえの青二才ではなく、あの頃彼にからかわれていたほどの純情な少年でもない。キイと会えないこの4年もの間、色々な経験をひとりで積んで大人の男になった。
キイはこんな自分と会って、喜んでくれるだろうか。
それとも・・・・・。

アムイは突然現実に戻った。
イェンランの不思議そうな視線を感じたからだった。

「お前。何故これを持っている」
冷たい、きっぱりとした声だった。
「触らないで!こ、これは私のよ。私の大事なお守りなんだから!」
「お守り?」
アムイの声はますます険しくなった。
「そうよ・・・。これがないと私・・・」
(あの人に会えなくなる)という言葉を何故かイェンランは呑み込んだ。
「違うね」
アムイの目が冷たく光った。
「これはお前の物じゃない。お前のような者が持っていい代物なんかじゃない。これをどこで手に入れた?」
「そ、そんな言い方って・・・」
イェンランはアムイの氷のような冷たさに恐れを感じた。
「盗んだか」
「違うわ!」
彼女はかっとなって叫んだ。
「これはあの人から貰ったんだから!彼がお守りにって、私にくれたんだから!」
思わず言ってしまって、はっとした。
アムイの息を吸う音がした。
「彼・・・」
彼女は虹の玉を両手で大事そうに抱えるとアムイに背を向けた。
「お前にそれをくれた男は誰だ?お前・・・・・いつ、誰と接触したんだ」
震える手をぎゅっと握り締め、イェンランはずっと下を向いている。
その様子にアムイは溜息を付いて、髪をかき上げた。
「悪かった・・・」
「え?」
「俺の態度でへそを曲げたのなら許してくれよ。どうもキイが絡むと見境がなくなる・・・」
「あなた!あの人を知っているの?」
イェンランの顔に喜びが浮かんだ。
「やはりお前、キイと会ったんだな」
振り向いた彼女の歓喜の表情が全てを物語っていた。
アムイは一呼吸置くと、先程とは打って変わって落ち着いた声で言った。
「それを俺に渡してくれないか」
彼女はびくっとして後ずさりをした。
「だめ・・・!これだけはだめ・・・・」
これを少しでも手放せば、もう2度とあの人に逢えない気がして怖かった。
「頼む。お前が持っている物、それは普通の玉じゃない。キイが生まれた時、あいつの母親が祈りを込めて紡いだ宝玉。
【巫女の虹玉】だ」
そっとアムイは彼女に手を伸ばす。
「お前には信じられないだろうが、そいつは生きている。生きてキイと共にいて、ある意味キイの分身なんだ。俺に返してくれ」
「俺に、って・・・・。あんた、あの人の一体何なの。いきなりそんなこと言われて、はいそうですか、って渡せるわけないじゃないの。ちゃんと説明しなさいよ!」
「何でお前に俺とキイの関係を説明しなくちゃならないんだ!」
「いきなりそんなふうに言われても、納得いかないし!」
「俺を疑ってる訳か」
「当たり前でしょう?自分の説明もなしに信じろと言われてもできるわけないじゃん!」
一歩も譲りそうもない、二人の緊迫?した空気を破ったのは、サクヤの明るい声だった。

「お取り込み中悪いけど、いい情報仕入れてきたよん♪
あ、それから兄貴、そういう態度じゃ相手に嫌われちゃうって、いつも言ってるでしょ」

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2010年2月 6日 (土)

暁の明星 宵の流星⑫

「どう?落ち着いた?」

すでに夜は更け、灯りに照らされて白く浮き上がっている満開の桜が、窓から覗いている。
その美しさに、うっとりしながら、イェンランは小さく頷いた。
ヒヲリの優しい手が、イェンランの長い髪を櫛で丁寧に梳かしていく。
「ヒヲリ姐さん・・・。ごめんなさい・・・」
イェンランはぼそりと言った。
「何を言ってるの・・・」
優しく笑うと、ヒヲリは彼女の耳の両側から髪をすくい、頭の頂で器用にまとめ上げると、綺麗な花の髪飾りをそっとつけた。
「ほら、可愛い!」
イェンランは頬を染めて、自分の顔を目の前の大きな鏡で確認した。
自分の後ろに、ヒヲリの笑顔がある。
彼女は、ヒヲリのこの可愛らしい笑顔が好きだった。
笑顔が、あの人にどことなく似ている、といつも思っていた。
それ以上に、この桜花楼の中で彼女の存在は、押しつぶされそうになる自分にとって救いのひとつでもあった。
まだ【蕾】になりたての頃、【満桜】になったばかりのヒヲリに、勉強のため付き添った事があった。
男客の相手、同僚達の嫉妬や妬み、意地悪。加えて上からの押さえつけ。全てがイェンランの精神を消耗させていた頃に、彼女の優しい気遣いや、本当の妹のように接してくれる事が、どんなに心に潤いをもたらせてくれだろう。
そしてプロとしての心構えや教養やたしなみ。ヒヲリに接していくうちに、好意は憧れと尊敬に変わっていった。
こんな女(ひと)もいるんだという驚きと、そこまで自分はなれないという思い。
イェンランにとって、彼女は初めて心を許せる女性だったのだ。

ヒヲリにとってもまた、イェンランが可愛くてしょうがなかった。
彼女は今まで接してきた女の子とちょっと違っていた。
もちろん、ここに入城しても適正が合わずに、あぶれてしまう問題ある娘は、何もイェンランだけではなかったが、何故かヒヲリは彼女を放っておけなかった。
気丈そうでいて、実は脆いところがあって、大胆に見えて繊細なところがあったり・・・・。
彼女のそういう捉えどころのないのが、ヒヲリの保護本能を掻き立てるのかもしれない。

「ねぇ、イェン。ここはあなたにとって、辛い場所だとわかってるわ。でも、ね、世話役の気持ち、私も痛いほどわかるのよ。だって、本当にもったいない、っていつも私思っているんだもの」
ヒヲリの言葉に、イェンランは俯いた。
「あなた、こんなに綺麗なのに」
ヒヲリは彼女の髪を優しく撫でている。
「大丈夫。今宵はきっと楽しい宴になる。仕事で本城内の予備部屋に行く事がたまにあっても、第一城内には初めて行くんでしょ。しかもお客様が沢山いる所に。私、うきうきしてるの。きっとあなたに注目が集まるわ」
「姐さん・・・・」
「もしかして、その中に運命の出会いがあるかもしれないし」
「・・・・・」
「ほら、そんな顔しないの。わかってるわよ、あなたに想う人がいるということぐらいは・・・・」
ヒヲリはにっこり笑った。イェンランの大好きなあの人に似ている微笑で。
「でも、もしかしたら・・・。その人があなたを訪ねてくれるかもしれないじゃない。彼はあなたの身元を知っているんでしょ?あなたがこれからどんどん表に出てくるようになったら、きっとその人の耳にも入る。こういう無礼講な宴はめったにないけど、それでも城内で軽い酒宴はあるのだから、望みを捨ててはいけないわ」


(きれい・・・・。これを持っていたら、あなたにまた会える?)
(・・・はは。そうだな。こいつは自分の仲間を恋しがるから、君が大事にしてくれれば、きっと)


イェンランはあの時の会話を思い出していた。
(私のお守り・・・・。これがある限り、希望を捨ててはいけなかったんだ。ただの気休めに言ったのかもしれないけど、あの人の言ってる事が本当なら、きっと彼を呼び寄せてくれるはず)
イェンランの瞳に生気が宿ったのを、ヒヲリは見逃さなかった。
「イェンは凄いわ」
「?」
「・・・・だって、たった一度会った人なのに、ここまで想うことができるなんて」
ヒヲリにとって、これは本音だった。
小さい頃から生まれ持った自分の魅力にほとんどの男性が跪いてきた。自惚れるほどではないが、彼女にとってそれは当たり前の事で、それはひとつの武器でもあった。だから、今まで自分から男性を慕う、という意識を持った事がなかったのだ。何故なら、自分は黙っていても男の方からやってくるのだから。
ヒヲリは恋とか愛とかに疎いまま、歳早くして入城したので、初めから高いプロ意識を持って桜花の女になった。
男性に対しても、客、という認識しかできなくて、他の桜花の女達が叶わぬ恋に身悶えたり、先輩で恋に走って罰を受けた話などを聞いても、実感、共感した事がなかった。
・・・・そう、今までは・・・・・・。
ヒヲリは深い溜息を漏らした。
だから今まではイェンの恋の話も、まるでお伽話を聞いているような気分で聞いていた。
でも今は・・・・。今は・・・・・・・・・・。

「姐さん」
ヒヲリの顔が憂いだのを気にしてイェンランは声をかけた。
「ごめんなさい。姐さんの気持ち、私考えてなかった・・・・。
私もう、大丈夫です!
姐さんの想ってる人、来てるんでしょ?
早く行きましょう!ね?」
「イェンランったら・・・」
二人は顔を見合わせて気恥ずかしそうに笑った。


あれからしばらくして、アムイは何事もなかったかのように席に戻ってきて、酒を追加した。
昴老人もサクヤも、アムイのこの様子を見て、先程の件を問いただすような事はせず、むしろ触れないように当たり障りのない話で盛り上がっていた。
いつもは所かまわずアムイに纏わり付いているサクヤであるが、人の心にずけずけと土足で入り込むような性分ではなかった。

「おお・・・そろそろ老人は帰って寝るかの」
「え~?もう帰っちゃうんれすかぁ?ご老人~。もっと北の国の話をしてくださいよぉ。オレ、寒い国って行った事ないから憧れてるんすよ。
雪!雪って本当に味も何もないんれすかね?」
「おい・・・。もう酒やめろよ。お前かなり酔ってるぞ」
今まで会話に参加してなかったアムイがぼそっと言った。
「酔ってらいもん!南の男は酒に強いって、知らないんれすかぁ?もぉ~兄貴ってば~」
サクヤに背中をバシバシ叩かれて、アムイは酒にむせた。
「いやぁ、申し訳ないがこの歳でこれ以上はきついでの。いや、本当に楽しかった。ありがとう」
昴老人はゆっくりと立ち上がると、満足げにアムイを見た。
「暁の方。今晩そなたに会えてよかった。噂通りの方じゃった。
ではまたご縁があったらお会いしましょうの」
にっこりと笑って老人はアムイの肩を軽く叩いた。
「おお、それとお弟子の方にもよろしく、と言って下され。ま、ここでは風邪はひかないと思うが」
アムイは老人の視線の先を追った。
そこにはいつの間にか酒瓶を抱え込んで、気持ちよく寝息を立ててるサクヤの姿があった。
(まったくこいつは・・・・)
アムイが吐息した後、振り向くとすでに老人の姿は跡形もなく消えていた。
(あの老人は一体・・・・・?)
アムイは何やら寝言を言っているサクヤの隣に再び座ると、しばらく物思いにふけった。

宴はもうほとんど出来上がっていて、金持ちはそろそろお目当ての女と一晩過ごそうと、口説きにかかったり、城の者と交渉しだしたりしている。
アムイは溜息をついた。最近自分がよくわからなくなる時がある。
ここに来て2年。ただ自分の気持ちのままに流れてきた。
これで正しいのか?それとも自分の思い込みか?
アムイはいつも自問自答していた。
彼は早く欲しかった。
その答えを。確証を。


その時だった。

胸にちくり、と痛みが走った。
それは懐かしくも甘美な“痛み”だった。
その痛みはざわつきとなり、それが身体全体に広がっていく。

また、あの、感覚だ。

アムイは弾かれたように席を立った。

どこだ?

かなり遅れてしまったが、ヒヲリはイェンランと他の【満桜】候補を数名引き連れ、宴の席に現れた。
彼女の評判を聞きつけて、一目見ようという男達の視線が一気に集まる。
次期【夜桜】と名高いヒヲリを拝見できる、という事もあって、今宵の宴は盛況であった。
彼女の艶姿は、客人の満足以上のものだった。
自分には高値の花ではあるが、姿を拝む事くらいは許されよう。
男達のそんな熱い視線を受けながら、ヒヲリは優雅に歩を進めていく。
もちろん、あからさまにはできないが、彼女は瞳の端々で彼の人の姿を捜していた。
「ヒヲリ、遅かったではないか。客人がこぞってお前をお待ちかねだぞ」
ひっそりと雷雲は彼女達一行に近づいた。
「すみません・・・あの・・・私が・・・」
ヒヲリのすぐ後ろで着飾ったイェンランが恐る恐る大男を見上げた。
「イェン!お前、とうとう第一城内に来たな。・・・ふぅーん、そうか。なるほどなぁ」
雷雲はヒヲリとイェンランを交互に見た。
「ま、これでお前も【開花桜】確定だな!いいことだ。その花飾り、お前によく似合ってるぞ」
上機嫌でニヤリ、とイェンランに笑うと、今度はヒヲリの方に話しかけた。
「暁の方なら、右手の奥の座敷におられる。一通り客人をおもてなしたら、充分にお相手さしあげな」
ヒヲリの頬が桃色に染まった。
あの初めての出会いで、【暁の明星】がヒヲリをいきなり指名した事は、当時城内に限らず、町でもかなりの話題になった。
金を貰うよりも桜花楼の常連になったのは、きっとヒヲリを見初めたに違いない、と雷雲のみならず、皆そう思っていた。事実、アムイは最初の頃、他の【満桜】を2-3人指名した事があったが、結局ヒヲリを指名する方が数段多かった。最近ではもう完全に彼女しか指名する事はなかった。

ヒヲリ達がそんな話をしていた時、アムイが彼女ら一行の前に姿を現した。
「あ、暁の方!」
最初に気付いた雷雲がヒヲりをつついた。
ヒヲリは胸が躍ったが、何か様子が変だ。
彼の目には彼女達の姿がまるで映っていないように、辺りを見回している。
(どうされたのかしら)
ヒヲリは胸騒ぎを覚えた。
案の定、アムイはヒヲリに気付かず、一行を通り過ぎた。
が、その直後、
アムイは弾かれるように振り向くと、勢いよく引き返し、ヒヲリ達の方へと向かってきた。
「暁の方・・・?」
普段とは違うアムイの様子に、皆が息を呑んだ。

「お前!」

いきなりアムイは、ヒヲリではなく彼女の後ろに隠れたように佇んでいた、イェンランの腕を掴んで引き寄せた。

「痛いっ!何すんのよ!」
急に引っ張り出されて驚いたイェンランは、アムイから逃れようと抵抗した。
が、それ以上にアムイはまるで逃がさないぞ、とばかりにイェンランを胸に抱えると、力を込めた。
「お前だ」
その言葉は近くにいたイェンランしか届かなかった。

周りは騒然とした。
ヒヲリも何が起こったのか、しばらく把握できずにいた。

皆がどよめく中、アムイは表情を変えず近くにいた雷雲に言った。

「この娘にする」
「は?・・・あ、あの・・暁の方?」
「先客がいるのか」
只ならぬ声の迫力に、雷雲は慌てた。
「いえ、その子は今日初めて城内に来た【蕾】ですよ、旦那。まだ部屋もない・・・」
「なら、今すぐ部屋を取ってくれ」
毅然と言い放つアムイに、周りは息を呑んで見守っている。
「は、はい、今すぐ・・・・」
尋常じゃない彼の気迫に押されたか、雷雲は転げるように手配しに行った。
そしてアムイは無表情のまま、驚くイェンランを抱え、雷雲の後を追った。

残されたヒヲリも皆も、ただ唖然と二人の去った方向を眺めてるだけだった。

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2010年2月 5日 (金)

暁の明星 宵の流星⑪

桜花楼本城離れに、【蕾】達の暮す館がある。
見習いから、【満桜】候補である【蕾】(別名、開花桜)までが、本城に上がるまで生活を営んでいる少女達の館だ。
彼女達は、見習いを終えると、客を取ることになるが、本城の女達のように自分だけの部屋を与えられていないので、上の者が選んだ客人を、本城で用意されている【蕾】専用の予備部屋で相手するように言われる。そしてそこで評判がよければ、【満桜】へ出世する。まあ、ほとんどの【蕾】は通常であれば、18歳までには余程のことがない限り【開花桜】(満桜候補)にはなれるのだが・・・・。

「いい加減におし!イェン!あんた本当にやる気ないんだから。それじゃ困るんだよ!」
世話役の【葉桜】が館内に響き渡るような大声で、ひとりの【蕾】を引きずって行く。
「あんた、もういい加減18になったんだろう?もう【開花桜】になってもおかしくない年齢を過ぎてるじゃないか」
【蕾】達の住まう館は第一城内の【満桜】達の部屋まで長い廊下で通じていて、この世話役の妙齢の女は、どうもこの嫌がる【蕾】を城内に連れて行こうとしていた。
世話役の手から逃れようとして、彼女は必死になって振り払おうと大きくもがいた。
城内一歩手前の廊下で、世話役は力尽きたのか、あまりにも抵抗する彼女の力が強かったのか、二人とも大きく転倒し、城内【満桜】の部屋まで転がり込んだ。
「いたたたた・・・・」
世話役は打ちつけた腰をさすりながら何とか起きようと顔を歪めた。
一緒に転がった【蕾】も、よろよろと手をついて、荒く息をしている。
「イェンラン!」
世話役は何とか彼女の方へ手を伸ばそうと向き直り、じりじりと進んだ。
「あんた、本当に自分の立場をわかっているのかい?あんたはここに売られてきたんだよ!自分から進んでここに入ったわけでも、薦められて入城したわけでもないんだよ!いいかい?よくお聞き。あんたのために桜花は莫大の金を出してるんだ。あんたはこの身ひとつでその金を返していかなくちゃならないんだよ!」
その言葉に、彼女はキッと世話役の方を振り向いた。
その顔は、女から見ても美しさに凄みがあった。
小柄で華奢な姿と相反して、意思の強そうな瞳の輝きと力強い眉が、彼女の気丈な性格を物語っている。だがそのきつさを毒と感じさせないのは、彼女の柔らかそうな形の良い唇だった。緩やかなウェーブのかかった長い黒い髪は彼女の愛らしい白い顔を際立たせている。

今年、18歳になったイェンランだった。

「・・・・わかってるわよ・・・」
ポツリとイェンランは言った。
「どこがわかってるんだい?あんた今晩の宴に出なければ、【開花桜】になるチャンスを逃すんだよ。こんな大事な時に、なんできちんとした支度もせずに・・・・・」
世話役は口惜しそうにイェンの小さな白い手を取った。
「あんた・・・・。まさかこのまま【葉桜】になろうなんて思ってやしないだろうね?」
イェンランは下を向いて、その掴まれた手をじっと見ている。
その様子に世話役ははぁ~っと深い溜息を漏らした。
「ねぇ、イェン。私をご覧よ。あんたは【葉桜】の惨めさを全然わかっちゃいないんだよ。
お客だって選べない、吐き気を催す相手とだって、金のためなら寝なくちゃいけない。
男に相手にされなくなったら、ずっと死ぬまで奴隷のように働かされて・・・。
【葉桜】の中には、私みたいにある程度教養があれば、こうして城内の世話役をできるけれど、それだって上には逆らえない、それにあんたみたいに言うことの聞かない子を担当すれば、そのとばっちりはくるわで・・・・」
世話役はコホン、とひとつ咳払いして身を正した。
「あのねぇ、イェン。私はきついこと言ってると思うけど、これ、現実だからね?自分の思ったとおりに生きたいなんて、私達にはできないんだよ。だったら限られた世界で、どうして最善を尽くそうとしないんだい。ここの姐さん達はみんなそうして生きているんだ。私らはこうしてご飯を食べさせてもらっているんだろ?
それに比べてあんたの態度は我が儘じゃないか」
(我が儘・・・・)
イェンランはぼうっと思った。
(そんなこと・・・よくわかってる・・・・)
彼女はそう言葉に出そうとしてやめた。どう言ってもいい訳のようにしか聞こえないだろう。
(わかってるけど・・・・)イェンランの黒目がちな瞳が涙で潤んできた。
(そうできるのなら、とっくにやってる。でも、できないの。ここで生きる覚悟ができないの。頭ではわかってる。・・・でも気持ちが・・・。どうしても気持ちが拒否するの・・・)
声にならない言葉が、イェンランの中で溢れ出す。
(ここに来た時は、早く力をつけて、ここから出るって・・・・あんなに思ってたのに)
それ程イェンランにとって桜花楼は自分の想像を越えた世界だったのである。
彼女は桜花の女として生きる、という現実に押しつぶされそうになっていた。
(あの人に、もう一度会うって決めたのに・・・)
現実は厳しかった。ある程度、発言力のある【夜桜】になるにはかなりのコネも人気も教養も、全て持っていなくてはならず、それでも身受けされる以外に、ここから出られないことを知ったイェンランは打ちのめされた。それにそのクラスになる人間は、本当に一握りの女だけだということも。あとは【満桜】に上って、ある程度稼いだところで、ここから出るための金額には程遠い。最後に【葉桜】に落ちぶれれば、ますます町からも出られないことはイェンでも知っていた。あとは脱走くらいしかないが、桜花の警備は意外と厳しく、見つかれば死刑か一生牢獄、という末路が待っている。女たちは皆、簡単に逃げ出せないことを入城早々洗脳され、余程の事がない限りこんな暴挙に出る者はいなかった。
イェンランにとって、ここは生き地獄以外、何物でもなかったのである。

「ねぇ、イェン。あんたちょっと変わってるけど、その気の強さがいいって言う常連もいるんだし・・・。私はねぇ、もったいないと思うのよ。だってあんた、同期の中でもずば抜けて器量いいし、他の女にないものを持ってるし。あんたが本気出せば、【夜桜】でも夢じゃないと本気で思ってるんだよ」
ポタポタと言葉もなく涙を流すイェンランに、世話役は手を握り直し、片方の手で優しく撫でた。
「お願いだよ、イェンラン。大人しく私の言う事を聞いてくれないかい。これはあんたのためでもあるんだ」

「あら、何の騒ぎ?」
二人の後方から優しげな声がした。
「あ!これはヒヲリ様!」
世話役は声の主に驚いてイェンランの手を離した。
やっと仕度を整えたヒヲリが、お供の者を従えて、心配そうに二人を見つめていた。
「まぁ」
ヒヲリは自分の懐から絹のハンカチを取り出すと、涙が止まらないイェンランの傍に寄り、着物が汚れるのも構わず跪いた。そして彼女の涙を優しく拭き取りながら、ヒヲリは彼女の世話役に振り向いた。
「どうしたの?何かあったの?」
「あ、あ、ヒヲリ様にここまでさせて・・・・。申し訳ありません!」
世話役は動揺して頭を下げた。
「いいのよ。そんなことより泣いてるじゃないの、イェンが」
「はぁ・・・それが、いつものごとく・・・・。
今晩の宴に絶対に出ないと困るんですが・・・」
あら、とヒヲリは心配そうにイェンランの顔を覗き込んだ。
「イェンラン。せっかくの可愛い顔が涙でぐしょぐしょじゃない。
・・・・ね、イェン、こうしたらどう?私が支度を手伝ってあげる。
・・・そうそう、私が着れなくなった着物をあげるわ!それにきちんと髪を飾って・・・。お化粧も私のを貸してあげる。
・・・ね?気分を変えて一緒に行きましょう。きっと楽しいわ」
「ヒ、ヒヲリ様にそんなことさせられません!それにお時間だって・・・・」
「大丈夫よ」
ヒヲリはイェンランを優しく立たせながらもきっぱりと言った。
「少しくらい遅れたって、私と一緒であれば誰も何も言わないわ。それに・・・」
ヒヲリは軽く微笑んで言った。
「少しは殿方を待たせた方が効果的よ」
世話役は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
彼女は心から安堵した。
未来の【夜桜】候補のヒヲリ様であれば、きっと何もかも上手くやってくださるに違いない。

ヒヲリはそっと、うなだれているイェンランを促しながら自分の部屋に戻っていった。

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2010年2月 4日 (木)

暁の明星 宵の流星⑩

「待てよ、おいっ!お前、何か知ってるんだろう!?」

アムイが一行に追いついたのは、ちょうど彼らが最上階に向かう階段の前だった。
息を切らし、只ならぬ剣幕のアムイに、お供の者たちの間に緊張が走る。
ティアンは扇子で供の者を軽く制すると、アムイの方に向き直った。

「おや、どうかされましたか、暁の方」
「しらばっくれるな!さっきの話だ。お前・・・・。
ずっとおかしいと思っていたんだ。やけに俺に絡んできやがって」
普段冷静なアムイだったが、まるで人が違ったように相手に掴みかかっていった。
「絶対何か隠してるだろ!
・・・・・ゼムカが関係してるんだな?そうなんだろ!?
お前・・・・・はっきり言ったらどうだ!本当はキイについて何かつかんでるって!!」
ティアンは薄ら笑いを浮かべると、自分の胸元を掴んでいるアムイの手を引き剥がした。
「おや、乱暴はよくありませんよ。昔と全く変わってませんねぇ・・・。
おお、そうか。貴方が我を忘れる時は、決まって宵の君が絡んでる時でしたっけ。
あの時もそうでした。あの時の貴方の拳は、忘れようと思っても忘れられませんよ」

アムイはかっとした。
あの時、あの晩。こいつはこのいやらしい手で、無防備だったキイを・・・・・。
思い出したくない情景が脳裏に過ぎった。
「俺はとっくに忘れたけどな!」
「そうですか。それならよかった。
あの晩、あの方の美しさに負けた事は、私の罪。貴方は相方として当然のことをされただけ。
昔の事です」
言葉だけは丁寧であったが、彼の瞳は面白がっている色がありありと映し出されている。

こいつ、やっぱりあの時殺してやればよかった。
めったに湧かない殺意がアムイの心を支配する。

・・・・そうだった。
その時、気の調整ができず、朦朧としていたキイが、自分のありとあらゆる精神力をかき集め、命がけで俺を止めてくれたんだった。
(アムイ。こんなことはどうってことねぇよ・・・。こんな奴のためにお前の手を汚させたくねぇ・・・。いつもの事さ。俺は大丈夫だから・・・)

「やはり暁の方も、宵の君の消息は把握しておられなかった訳ですか」
ティアンの言葉でアムイは我に返った。
「やはり何か知ってるんだな」
ティアンはくっくと短く笑うとこう言った。
「さぁ?私もあくまで噂を聞いただけですから」
それが嘘か本当か、この男の場合はよくわからないのだ。
イライラしてアムイが何か言おうと口を開いた時、
「私が知っているのは、ザイゼム王の愛人の美しさの話だけですよ。私はまだ拝見したことないのですがね。
あの豪傑かつ冷淡で気まぐれの王がまるで秘宝を扱うごとく、ひとりの人間を大事に隠し持っているなんて。
王は必死に人前には出してなかったようですがね。ゼムカに接した公人の従者が偶然に覗き見るチャンスは、多々あったようです。そこから噂が広まった」
そう言いつつ、ティアンは自分を扇で仰ぎ始めた。
「その美しさは人を超えている。まるで天神のような浮世離れした姿。抜けるような肌の白さと、ほっそりとした優美な肢体に、長きブロンズの髪に深い瞳の色。・・・・・おや?何かどこかで知っているような描写・・・・」
ティアンはピタ、と扇の動きを止めるとアムイをまじまじと見つめた。
「是非、私もそのお方を拝見したいですねぇ・・・・。その方が私の知っている愛しい方なら、面白いのですがね。
おっと、申し訳ない。時間が来てしまいました。
暁の方、またお会いしましょう。貴方が拒否されようが、運命は巡って来るものです。では」
軽く会釈をして、ティアンは階段を上り始めたが、途中で足を止め、先程のように振り向きもせず言葉を付け加えた。
「この世は女が少ないですからねぇ・・・。純粋な愛人は男というのが世の常識。特にゼムカのように男だけの民族では、ほぼ間違いなく・・・・・・」
アムイは息が上がったような気がした。
軽い眩暈を起こしそうだった。

この何年か。
眠れぬ夜を耐えて、さすらい、ここまでたどり着いてきた。

そう、たどり着いたのだ。
導かれるがごとく。
呼ばれるがごとく。

自分が追い求めていたモノの片鱗を、アムイはやっと掴んだような気がした。

今宵、何かが掴める気がする。

根拠のない確信がアムイを支配していく。

もうすぐだ。
もうすぐ・・・・・。

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2010年2月 3日 (水)

暁の明星 宵の流星⑨

アムイは舌打ちした。
大陸全土からあらゆる人間がやってくる桜花楼の宴の席。
各国の要人だって足を運んで来るのは当たり前だ。
いつかは昔馴染みの顔に会うのは致仕方ない、と思ってはいたが、よりによって過去最も会いたくない人物がそこにいた。

「おや?懐かしい名前に惹かれて足を止めてみれば、これはお珍しいお方が」
数名のお供を引き連れた、煌びやかな衣装を纏った先頭の男が、意味ありげに口の端で笑いながらアムイを見下ろしていた。
痩せた顔にひっ詰めた長い銀髪とつり上がった細い目が、男の神経質さと只者ならぬ異様な気を感じさせた。
まるで獲物を見る蛇の様な、厭らしい目つきでアムイを見ると、やけに甘ったるい声で言った。
「やはり階下で聞いた話は本当でしたね。暁の方がこちらにいらっしゃる、と。まさかと思いましたが・・・」
「ティアン」
「私の名前を覚えていてくださって光栄ですよ、【暁の明星】。
相も変わらず精悍なお姿で・・・。
お会いするのは何年ぶりですかね?4年?いえ、貴方がまだ20歳そこそこだったんですから5年も前ですか。
東の国では色々お世話になりましたね。益々腕を上げられたと風の便りに聞いていましたよ」
二人のやり取りを見ていたサクヤは、遠慮がちにアムイの耳元で囁いた。
「・・・兄貴。リドンのティアン宰相とお知り合いなんで?」
「まぁ・・・。昔、東でこいつら一行の護衛を頼まれた事があって・・・」
後は思い出したくない、とばかりにアムイは口を閉ざした。
「そういえば、噂は本当だったのですね。この目で見るまで信じられませんでしたが・・・」
ティアンは右手に持っている扇子で口元を隠し、目をいっそう細めた。
「かの君のお姿をまた拝見できるかと楽しみでしたが、まこと残念です。
暁の方がここ何年かおひとりで活躍されているのが事実だったとは・・・」
アムイの体に緊張が走る。

「私は宵の君の、この世の物とも思えない美しさを、 もう一度堪能したかったのですがね・・・。
【恒星の双璧】が何故消えてしまったのか・・・。いや、もうここ数年、貴方以外の噂も全く聞かず・・・」
ティアンの目が面白がっているように煌めいた。
「ああ、消えたのは【宵の流星】だけ、ですか。
私は貴方にお会いしたら、是非訊いてみたかったんですよ。
宵の君、彼は一体どうされたのですかと」
アムイの表情はいっそう険しくなった。

やはりこいつ嫌いだ。
昔から人が嫌な事をねちねちと攻め立てて、楽しんでやがる。

「それともこれだけ何の話題もないっていう事は、もしや死・・・」
「それはない!」
低く、それでもきっぱりとアムイは言い放った。
「ほぉ、揺るぎのないお答え。事情も知らずこれは大変失礼した。
・・・で、かの君はどうされたんですかね、暁の方」
冷静を装おうとしてはいたが、言い知れぬ感情がアムイを支配する。
今、彼が一番訊かれたくなかった質問だった。
その様子を素早く察した昴老人が、穏やかに話に割って入った。
「ほぉ、お二方はご友人らしいのぉ。積もり積もった話があると言うのなら、この席、お譲り致しましょうか? 」
ティアンは今やっと隣の老人に気付いたようなそぶりを見せた。
「おお、これはこれは、重ね重ね失礼。
つい、懐かしい顔を見たものだから、話が弾んでしまいました」
(お前だけがな)
むっとしてアムイは手持ちの残った酒をぐいっとあおった。
「ご老人、私どもは他に酒宴を用意してもらっておりますので、どうかお気遣いなく。
どうぞご歓談をお続けください」
丁寧、且つ優雅にお辞儀をすると、ティアンは共の者を従えアムイ達から離れる。
一種独特な雰囲気から解放され、自国の宰相に出くわして緊張していたサクヤが気を緩めた時だった。

「ああ、そうだ」
行き掛けたティアンの足が、いきなり止まった。
「最近、面白い話を聞きましてね」
いぶかしむアムイ達を気になどせずに、彼はそのまま背中を向けたまま言った。

「男だけのゼムカ族の、今年一期目の繁殖期が近々始まるそうなんですが、今期は珍しく桜花楼の女を選りすぐり、最高城内にて面合わせをするそうなんですよ。
ここ数年、ゼムカの方が選んだ男達をここに通わせていたのに・・・です。
上階級の貴人達の話では、今期にようやくゼムカ王が跡継ぎを作るのではないかと・・・・。
ゼムカのザイゼム王は王位を継いだのが遅かったらしく、もうすでに四十を越えてらっしゃる。
なのに王となってからなかなか世継ぎを作ろうとなさらなかった・・・。
何故か?
噂では彼には何年もご執心の愛人がいて、ずっと傍らから離そうとしないらしい。
しかもなかなかその愛人を他人の目に晒さないくらいの徹底振り。
その為、ここ何年かは繁殖期のために桜花楼を訪れなかったと・・。
それなのに、今期ザイゼム王自ら一行を引き連れ、女を選びにやってくるとは・・・・。
ちょっと興味引く話だと思いませんか?」

ティアンはアムイ達の視線を背中に痛いほど感じていたが、決して振り向こうとはしなかった。
今、自分が可笑しくて堪らない表情をしているのを、わざと隠すように。
「ああ、別に興味ないお話でしたか。ちょっと上階の方で最近凄い話題になってましたので・・・。
申し訳ないですね、本当に私も無駄なお話ばかりしました。それでは・・・」
ティアンは口元から笑いがこぼれそうなのを、必死で堪えながら足早に去って行った。
取り残された一同は、ぽかん、とティアン達の去った方向を見ていた。

「なんでまた、宰相はゼムカの話なんてしたんだろ・・・」
サクヤが不思議そうにぽそっと言った。
ずっと眉根を寄せていたアムイだったが、突然何かにはっとして顔を上げた。
「兄貴?」
アムイはいきなり席を立つと、ティアンの去った方向に弾かれる様に走り出した。
「どうしたの、兄貴!!」
遠くでサクヤの声がしたが、アムイはそれどころではなかった。

胸騒ぎがする。
そう、もしかしたら・・・・・。

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2010年2月 1日 (月)

暁の明星 宵の流星⑧

3.呼ぶもの

ゲウラ生誕200年の祭も2週間目に突入し、人々は最高に祭の気分に酔いしれていた。
特に今宵は、金はかかるが普段一般の人間が入れない、桜花楼第一城内での宴である。
男達の浮かれ具合は半端ではない。
広大な広間に沢山の酒やら料理。
それ以上に見習いも含め、めったに拝めない【満桜】クラスの女共と酒が飲める事に皆興奮している。
それ故に今日の警護はかなり厳しく、酒宴の席でもマナーを守らない輩はすぐに放り出されるが。

もちろんアムイも今宵の宴に顔を出していた。
他の客人と違い、寄ってくる【満桜】達にも眼中になく、ひとり静かに無言で杯を傾けている。
この様子は意外と目立ったもので、女に夢中の客人でも、誰もがアムイを盗み見て噂している。
近寄りがたいその雰囲気に、誰も彼の隣に座ろうとしていなかったのだが、ひとりの若者が息を切らしてアムイの横に滑り込んできた。周りがぎょっとするのもお構いなく、その若い男は嬉しそうにアムイの横を陣取り、酒を彼の杯になみなみと注いだ。
「あ~にきっ♪ここにいたぁ。
もう、すんごい捜しましたよ~。
まったくいつもながら冷たいんだから、オレまいっちゃいますよ」
天下の【暁の明星】に馴れ馴れしく声をかける青年に、周囲は思いっきり引いたが、気になって恐る恐る様子を伺っている。

アムイの左眉がピクリと跳ね上がり、面倒臭そうに溜息をついた。
「サクヤ」
「ささっ。今晩は無礼講なんでしょ。まぁどんどん、ぐいっといちゃってくださいよ、兄貴!」
「おい、こんなところまで付いて来て、お前金大丈夫なのか」
サクヤと呼ばれた青年は、背は低いががっちりした筋肉質な男らしい体格で、伸びきった前髪と肩までの乱れた黒髪が邪魔しているが、よく見ると意外に綺麗で可愛い顔をしていた。だが、本人は自分の容姿など無頓着なのだろう。よれよれのシャツにダボダボのズボン。しかもひげもところどころ剃り残しがある。それでも何故かそれが汚く感じない、かえって魅力的に映るのが不思議な青年だった。
「へっへー♪オレの金の心配してくれるんだ。やっぱ兄貴って本当は優しいよなぁ」
「いや、そういうことではなくて・・・」
サクヤはもうわかってますよ、という風にニヤつきながらぶんぶんと手を振った。
「まーたまた。そう突き放さなくても、このサクヤ、兄貴がどこに行こうかちゃんと付いていきますからね。オレのこと信用しててOKですッ」
「だぁーかーらー」
普段はほとんど感情を表にしないアムイもいささか我慢できなくなったか、珍しく声を荒げた。
「お前が勝手について来てるんだろ!それに歳だって変わらないのに兄貴呼びはやめろ!」
「えー・・・。だって兄貴は兄貴だし・・・・」
「全く払っても払っても懲りずに追っかけてくる・・・。いい加減頼むよ、もう・・・」
額に手を置き、がっくりとうなだれている天下の【暁】の様子に、盗み見していた周りの人間は皆驚いている。

「はっはっはっは!まるで主人を追う犬コロのようじゃ。天下の【暁】にも手強いと見える。
お主、なかなか将来有望じゃの」
いつの間に座ったのか、アムイをはさみサクヤとは反対側の空いていた席で、小柄な老人が何食わぬ顔をして酒を飲んでいた。
(この爺さん、いつの間に・・・)
いつも気配に敏感のアムイが、この老人が傍に来たのが全くわからなかった。
アムイの気が引き締まる。
「えっ!本当に?本当にそう思う?爺さん!」
アムイは脱力した。サクヤ、こいつ警戒って言葉知っているのか。
「ほっほっほ。これはこれはいきなりですまんの。暁殿がいぶかしむのも無理はない。ワシは北の国の修行僧だったんだが、もうこの年齢での。引退して山に引きこもる前にいろいろと俗世を楽しんでみようかと思ってな。こうしてあちこち旅してるってわけじゃ。怪しい爺ィではないから安心しなさい」
老人は人好きそうな顔でアムイに笑いかけた。
「ワシは昴(こう)という。お前さんが噂の【暁の明星】かい。
先程階下で頭の禿げた男がお前さんの自慢していたのぅ」
 あいつか。
アムイはヒヲリの傍でいつも手もみしながらニコニコしている大男を思い浮かべた。

「それにしても、噂通り若くていい男じゃの。その傍にいるお友達はお前さんの相棒かい?」
ピクッとアムイのこめかみが引きつったのを、老人は見逃さなかった。
「相棒!いい響きっすねー。でも爺さん、悲しいかな。オレはここ1年くらい前に兄貴に弟子入りしたばかりで、そんな大そうなモンじゃないんですよ」
「弟子にした覚えはない!」
嬉しそうに語るサクヤに憤慨してアムイは吐き捨てるように言った。
「ほう、押しかけ弟子かい。これはこれは」
老人はこの様子がおかしくてたまらないように興味深く二人を見ている。
「オレ、最強になるのが夢なんです!だからここ何年か武者修行と思って国を出てきて・・・。
噂には聞いていたけど、偶然兄貴の戦いぶり見て、こりゃ本物だな、と!」
「ほぅほぅ。つまり一目惚れってことかの。さすが暁の方、色男だけのことある」
「そうでしょー。もうオレ、純粋に兄貴の強さにやられたっていうかー。惚れちゃったっていうかー。
戦っているのにあの安定した美しい動き。凄まじい波動攻撃!武術の域を超えた芸術ですよ、げ・い・じゅ・つ♪」
アムイはイライラしながらも、居心地悪そうに二人のやり取りを聞き流している。
「明るいのぉ、お若いの。お国を出られたらしいが、どこの方かな?」
「南です。リドンから来ました」
アムイとは反対に、サクヤは上機嫌で老人の方へ回り、そそと酒を注ぐ。
「ほぉ、リドン。あの熱い国から。ならお主の明るさは妙に頷けるの♪」
「へっへ♪それしか取り得がないもんで・・・・。オレっていつも前向きっていうかー。やーな事みんな忘れちまう性質(タチ)なんで、むっつり暗い兄貴にとっていいサポートできると思ってるんスよね~。いや、もうこの人無口で無愛想じゃないですかー。たまにヒヤヒヤすることもありましてね」
調子に乗ったサクヤは、甲斐甲斐しい妻ぶりをアピールし始めた。
「でも、ま、そこがクールで格好いいっていうか・・・。ちょっと人を寄せ付けない冷たい感じが神秘的っていうか・・・。」
「サクヤ」
アムイはもう限界だった。
「でね、爺さんこの間も・・・」
「サクヤいい加減にしろ!」
「あれ、どうしたの兄貴。オレ、変な事言いましたっけ」
サクヤはお得意のキラキラした目とお祈りポーズでアムイを振り返った。
「本当のことだからって、そう恥ずかしがらなくても・・・。ねぇ、兄貴♪」
「だから兄貴はやめろって言ってんだろ!」
「だって兄貴は兄貴じゃないですか、何を今さら」
「だから!歳も同じのお前にそう呼ばれたくないっていつも言ってるだろ!」

結局堂々巡りの二人のやり取りに、老人はこらえ切れなくて腹を抱えて笑った。
「ひゃぁっ、はっはっは・・・。暁殿はいつも冷淡で感情を出すことがないという評判だったと思ったんじゃが・・。
これはこれは。こんな一面がおありとは・・・。暁殿も人間ですなぁ」
老人の反応に気まずさを感じて、アムイは咳払いし、サクヤをじろりと睨みつけた。
昴老人はすすっと杯の酒を飲み干すと、にこやかに二人を眺めた。
「いやいや、なかなかいい組み合わせじゃ。こういうのもまた面白い。人の巡り合わせは天の意と聞く。お前さん達もそうかもしれんの」
と、アムイの目をじっと見つめながら感慨深く言葉を続けた。
「昔、【恒星の双璧】という猛者の話を東から来た旅人から聞いたことがあっての。先はてっきりお前さん達のことではないかと思とったんじゃ」
アムイの目に赤味が挿した。
「【恒星の双璧】って?」
きょとんとした顔で訊ねるサクヤにアムイは鋭い視線を向けた。
「おや、やはりこの話は東の国止まりだったようじゃな。
“比べ難き明星と流星”“常に二人の勇者あり”“向かうところ敵はなし”“それはまるで鬼神・闘神のごとく”
暁殿がお一人でいられていたと聞いて不思議に思ったのじゃが、もう片方のお方はどうされたのかの?
大そう見栄えのする方だったと【恒星の双璧】を目撃した者から聞いておった」
初めて聞く話に、サクヤはちらりとアムイの方を伺った。
いつも無邪気なサクヤでも思わず遠慮してしまいそうな、ピリピリするような空気がそこにあった。

「ほう、【恒星の双璧】。こんなところで懐かしい呼び名を耳にするとは思わなかった」

アムイの張り詰めた空気を破ったのは、通りすがりの見るからに身分の高そうな貴人の一団だった。                                                                                                                                                                

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