暁の明星 宵の流星⑲
宴から一夜明けて、ザイゼムは自分の寝台に横たわるキイの寝姿を、何をするでなくただじっと眺めていた。
朝食の支度ができた事を、自分の王に伝えに来たルランは、ザイゼムが昨夜同様ずっとそのままの姿勢だった事に気が付いた。きっとああして、夜が明けるまで彼の君を見守っていたに違いない。
昨晩、宵の君が倒れられ、アーシュラが大事そうに抱えて広間から去った後、動揺していたザイゼムは、とりあえず気を取り直し、まるで何もなかったかのように宴を続けた。
それはやはり一国の主としての最低限の礼儀であった。
しかし、宴が終わるや否や、ザイゼムは再び血相を変えて、自分の部屋に戻った。
その後の彼の様子は、ルランにとって、辛いものだった。
宵の君のために常に待機させている医術者達に、ザイゼムは鬼気迫るくらいの迫力で詰め寄り、その説明に頭を抱えて寝台の傍らにある椅子に憔悴しきった様子で腰掛けた。
そして寝台の上で、まるで死んでるかのように横たわる、キイの整った白い顔を覆う細くて絹のような髪を、震える手でそっとかき上げ、一秒たりとも目を離すまいという雰囲気で、その場から動かなかった。
朝食をいつものごとくとった後、ザイゼムは何事もなかったように、書面に目を通していた。
今晩から行われる、女達との面会のために、彼は事務的に文面を目で追っていた。
そこにはこれから個人的に会うことになっている、花嫁候補の詳細が書いてある。
「いかがでしょう、陛下。特にお気に召した女はおりましたでしょうか」
参謀のひとりがザイゼムに尋ねた。
「うむ」
ザイゼムは額にかかる前髪を手でかき上げながら、書面を机の上に置いた。
「皆、似たり寄ったりってとこかな。ま、取りあえず試して見ない事にはわからん」
「そうですなぁ。・・・・どうもあの方を見慣れてしまっているせいか、高級娼婦が霞んでしまうのは致し方ないですが・・・。それでもさすが天下の桜花楼。かなりのレベルの女が集まっておりますぞ。ほら、この【夜桜】の貴蝶なんぞどうです?なかなかいい体しておりましたな」
参謀の中で一番の古株である、ギガンが書面を手に持ち、見せるようにして王に言った。
「ふん」
ザイゼムは鼻で笑うと、自分の左後方に立っているアーシュラに背を向けたまま言った。
「アーシュラ、お前はどうだ。気に入った女はいたか」
アーシュラは頬をぴく、と引きつらせた。
「それは陛下がお決めになられる事。私は口を挟む立場ではございません」
「おいおい、やけに冷たいな。・・・・・誰か気に入った女がいれば、お前にも譲ってやろうかと思ったのに。お前もかれこれここ何年も繁殖期に参加していないじゃないか」
ザイゼムは笑ってアーシュラの方に振り向いた。
「陛下のお傍にいるのが私の務め。貴方様を置いて行く事はできません」
「全くお前は固いな。・・・・だが、本当に理由はそれだけか?」
アーシュラの目に何かしらの思いが浮かんだのを、ザイゼムは見逃さなかった。
「ま・・・、どうでもいいか。ただお前なら、このヒヲリとかいう【満桜】はどうか、と思ったんだがな。
何となくだが、微笑んだ顔が誰かを思い起こさせるぞ。しかもかなり有望らしいし」
「陛下」
「ははは、そんな顔するな。さて・・・」
このアーシュラという若い戦士は、長い修行を終えて、ザイゼムが王位についてから護衛隊長として抜擢され、それ以来ずっと、ザイゼムの信頼厚い片腕として傍に仕えていた。王の並大抵ならぬ贔屓もあって、彼は側近達の中でも、かなりの発言力があった。
「後は若い【満桜】候補の娘が4人いるな。ま、子供を作るには、歳の若いのも一人か二人くらいはメインに残してもいいか。・・・・この、イェンランっていう娘はなかなか面白そうだったぞ」
アーシュラの表情が引き締まった。
「結構気の強そうな、いい面構えしていた。ありゃ大人になったらかなりのいい女になりそうだ。
・・・・どことなく母さんと似た匂いがするな。・・・そう思わないか?」
「私にはわかりません」
「そうか」
と、ザイゼムは短く言うと、話題を変えた。
「アーシュラ、お前、何か感じるか」
アーシュラは固い表情で、自分の王を見つめた。
「この貴賓の間がある周辺では何も感じません・・・・・ですが」
ザイゼムは鋭い目を彼に向けた。
「【暁の明星】が、つい一週間前までここに通っていたらしいです。・・・・お目当ての女がいたようで」
アーシュラはの声は氷のように冷たかった。
「【暁の明星】」
この名前を言うのも忌々しい。
「今は長期の旅に出たとかで、ここの許可証を返却したそうです」
「ふうん。あの小僧が、目当ての女に通うとはね・・・・。大人になったものだ」
しかしザイゼムは、アーシュラの腑に落ちない表情を見て、なにやら胸騒ぎがした。
「アーシュラ、何を考えている」
「私はあのアムイが、一人の女に執心するとは・・・どうしても思えない」
ザイゼムはじっとアーシュラの表情を伺った。
「すると何か?・・・・・やはりアムイは何か、掴んでる・・・・とか?」
アーシュラは息を吸った。
「この間から微少ではありましたが、彼の気を感じてました。前に報告しましたように、たまに強い気配も。そして桜花楼にアムイの名残。今以上警戒した方がいいかもしれません・・・・。」
そして静かに瞼を閉じると、こう付け足した。
「特に昔からアムイは、キイ以外の人間をを受け入れられないのですから」
(さて、と・・・)
朝から貴賓室担当として、ベテラン給仕と共に朝食の後片付けをしていたサクヤは、この最高城内奥の区域である、貴賓の間の内部をこと細かく頭に叩き込んでいた。
関係者以外、めったに入れない豪華な場所である。
桜花楼の最上階にあるこの貴賓の間は、3階にある大広間から続く、長い階段を上がった先にあった。
この桜花楼は沢山の桜の木が植わる高台に、かなりの大きさの規模で建てられれていた。
もちろん、娼婦達の住まう部屋の区域と、客が泊まる部屋のある区域は別々にあり、それを広い廊下で各々繋がっていた。そして中央に大勢が集う広間(ほとんどここで宴会が行われる)、特別室やら娯楽室などが全て揃っていて、そのはずれに従業員の区域と、各階に厨房がある。
普段の客は町の宿に泊まり、客人の相手をする部屋を各自持てる【満桜】以上の女の元に通う。なのでここに泊まれるのは、金持ちか、貴人、各国の要人くらいであった。
その客人のトップ、王侯貴族は貴賓の間という特別な区域に通され、丁寧にもてなされる。もちろんこのクラスの高貴な客人となると、普通自分の使用人を連れてくるのが常識なので、この貴賓の間には、お供の者や護衛の者、賄いの者まで泊まれるほどの部屋がある。厨房も全て整えられていて、客人が普段の生活と変わらぬよう配慮されている。中立国ではあるが、他国であるが故の警戒心を考慮して、とも言えた。なので、客人側から申し出がない限り、桜花楼の使用人が貴賓の間で働く事はないのである。なのでこの貴賓の間(貴賓室)は、ひとつの自治区域のようでもあった。もちろん、王侯貴族と身分の低い者の入り口は別に作られ、同じ所を通らないよう作られている。意外と沢山部屋があり、新参者は結構迷うくらいである。
「サクヤ、だいたい内容はわかったか」
先輩の給仕が手に一杯の洗い物を持って、それを置く手車を支えているサクヤに言った。
「ええ、大丈夫です」
サクヤはにっこり笑った。
「お前、さすがここの人に気に入られただけあるなぁ。凄く飲み込みが早くて助かるよ」
「ありがとうございます」(そう、王のいる部屋はもう確認した。後は・・・どこにあの人がいるか、だ)
サクヤは慎重に周りを伺った。・・・多分。いや、普通に考えて護衛が異常に多い場所だろうが・・・。
それにしても、とサクヤは苦笑した。
昨晩は思わず声を荒げてしまった。
全くいつものオレらしくない・・・。
自分でも意外だった。アムイの言葉に異常に反応してしまうなんて。
自分が勝手に彼にくっついて来ているのだ。そんなの初めからわかっている。
サクヤは強くなりたかった。今まで色々な猛者にも会って来た。
だけど皆、今ひとつだった。心に来る物がなかった。
そんな時、【暁の明星】の噂を聞いて、この眼で確かめたかった。
自分と歳の変わらない、若い武人。
初めて彼の戦いぶりを見たとき、何かで頭を大きく殴られたような気がした。
自分が憧れていた物を彼は全て持っていた。
その時からサクヤは自分の意思で、【暁の明星】に疎まれようが何しようが纏わり付いた。
そして他人(ひと)を寄せ付けない彼の性質が、サクヤには意外と気楽な部分があったのだ。
なのに。
彼にとって自分は全く信頼されてないという事が、あの言葉で明白になった気がして、思いの外ショックを受けていた事に、サクヤは自分自身で驚いていた。
(とにかく、明日まで全部頭に入れとかないと)
サクヤは自嘲すると、手車を押す手に力を入れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あちらこちらから、城外に灯りが点る。
ひっそりと夕闇が訪れるのを感じて、まるで城は待ってましたとばかりに自らを柔らかな灯りで飾っていく。
もちろん城内の外壁もポツリポツリと明るくなって、幻想的な夜の城を演出していた。
その城の周囲は沢山の桜の木に囲まれ、闇夜が徐々に彼らを侵食していった。
そして城の最上階辺りを見渡せる程、大きな桜の木のてっぺんにアムイは佇んでいた。
この日のために、三人で綿密に策を練ってきた。
最近髪に無頓着だったため、アムイの髪は風にそよぐまでに伸び、それが益々彼の精悍さを際立たせている。
とうとう、この日が来た。
アムイは“その時”まで息を潜め、自らの気も殺し、聳え立つ夜城を見つめていた。
三人で・・・・。
アムイは不思議だった。
キイと離れてからはいつもひとりだった。
何をするにも、ひとりでやってきたし、やってこれた。
自分はキイ以外の人間はいらないし、欲しくなかった。
他人が入ってくるのは実際面倒だった。
ひとりで行動する方がどれだけ楽か。
なのに今、同じ目的のため、自分と行動してくれる人間が当たり前のようにいる。
信じられないことに、それがキイではないのだ。
アムイにとって、こんな事は初めてだった。
アムイの髪を夜風が弄ぶ。
自分で動きたい衝動を抑え、二人の“合図”を待つ。
闇がアムイの姿を消していった。
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