暁の明星 宵の流星⑪
桜花楼本城離れに、【蕾】達の暮す館がある。
見習いから、【満桜】候補である【蕾】(別名、開花桜)までが、本城に上がるまで生活を営んでいる少女達の館だ。
彼女達は、見習いを終えると、客を取ることになるが、本城の女達のように自分だけの部屋を与えられていないので、上の者が選んだ客人を、本城で用意されている【蕾】専用の予備部屋で相手するように言われる。そしてそこで評判がよければ、【満桜】へ出世する。まあ、ほとんどの【蕾】は通常であれば、18歳までには余程のことがない限り【開花桜】(満桜候補)にはなれるのだが・・・・。
「いい加減におし!イェン!あんた本当にやる気ないんだから。それじゃ困るんだよ!」
世話役の【葉桜】が館内に響き渡るような大声で、ひとりの【蕾】を引きずって行く。
「あんた、もういい加減18になったんだろう?もう【開花桜】になってもおかしくない年齢を過ぎてるじゃないか」
【蕾】達の住まう館は第一城内の【満桜】達の部屋まで長い廊下で通じていて、この世話役の妙齢の女は、どうもこの嫌がる【蕾】を城内に連れて行こうとしていた。
世話役の手から逃れようとして、彼女は必死になって振り払おうと大きくもがいた。
城内一歩手前の廊下で、世話役は力尽きたのか、あまりにも抵抗する彼女の力が強かったのか、二人とも大きく転倒し、城内【満桜】の部屋まで転がり込んだ。
「いたたたた・・・・」
世話役は打ちつけた腰をさすりながら何とか起きようと顔を歪めた。
一緒に転がった【蕾】も、よろよろと手をついて、荒く息をしている。
「イェンラン!」
世話役は何とか彼女の方へ手を伸ばそうと向き直り、じりじりと進んだ。
「あんた、本当に自分の立場をわかっているのかい?あんたはここに売られてきたんだよ!自分から進んでここに入ったわけでも、薦められて入城したわけでもないんだよ!いいかい?よくお聞き。あんたのために桜花は莫大の金を出してるんだ。あんたはこの身ひとつでその金を返していかなくちゃならないんだよ!」
その言葉に、彼女はキッと世話役の方を振り向いた。
その顔は、女から見ても美しさに凄みがあった。
小柄で華奢な姿と相反して、意思の強そうな瞳の輝きと力強い眉が、彼女の気丈な性格を物語っている。だがそのきつさを毒と感じさせないのは、彼女の柔らかそうな形の良い唇だった。緩やかなウェーブのかかった長い黒い髪は彼女の愛らしい白い顔を際立たせている。
今年、18歳になったイェンランだった。
「・・・・わかってるわよ・・・」
ポツリとイェンランは言った。
「どこがわかってるんだい?あんた今晩の宴に出なければ、【開花桜】になるチャンスを逃すんだよ。こんな大事な時に、なんできちんとした支度もせずに・・・・・」
世話役は口惜しそうにイェンの小さな白い手を取った。
「あんた・・・・。まさかこのまま【葉桜】になろうなんて思ってやしないだろうね?」
イェンランは下を向いて、その掴まれた手をじっと見ている。
その様子に世話役ははぁ~っと深い溜息を漏らした。
「ねぇ、イェン。私をご覧よ。あんたは【葉桜】の惨めさを全然わかっちゃいないんだよ。
お客だって選べない、吐き気を催す相手とだって、金のためなら寝なくちゃいけない。
男に相手にされなくなったら、ずっと死ぬまで奴隷のように働かされて・・・。
【葉桜】の中には、私みたいにある程度教養があれば、こうして城内の世話役をできるけれど、それだって上には逆らえない、それにあんたみたいに言うことの聞かない子を担当すれば、そのとばっちりはくるわで・・・・」
世話役はコホン、とひとつ咳払いして身を正した。
「あのねぇ、イェン。私はきついこと言ってると思うけど、これ、現実だからね?自分の思ったとおりに生きたいなんて、私達にはできないんだよ。だったら限られた世界で、どうして最善を尽くそうとしないんだい。ここの姐さん達はみんなそうして生きているんだ。私らはこうしてご飯を食べさせてもらっているんだろ?
それに比べてあんたの態度は我が儘じゃないか」
(我が儘・・・・)
イェンランはぼうっと思った。
(そんなこと・・・よくわかってる・・・・)
彼女はそう言葉に出そうとしてやめた。どう言ってもいい訳のようにしか聞こえないだろう。
(わかってるけど・・・・)イェンランの黒目がちな瞳が涙で潤んできた。
(そうできるのなら、とっくにやってる。でも、できないの。ここで生きる覚悟ができないの。頭ではわかってる。・・・でも気持ちが・・・。どうしても気持ちが拒否するの・・・)
声にならない言葉が、イェンランの中で溢れ出す。
(ここに来た時は、早く力をつけて、ここから出るって・・・・あんなに思ってたのに)
それ程イェンランにとって桜花楼は自分の想像を越えた世界だったのである。
彼女は桜花の女として生きる、という現実に押しつぶされそうになっていた。
(あの人に、もう一度会うって決めたのに・・・)
現実は厳しかった。ある程度、発言力のある【夜桜】になるにはかなりのコネも人気も教養も、全て持っていなくてはならず、それでも身受けされる以外に、ここから出られないことを知ったイェンランは打ちのめされた。それにそのクラスになる人間は、本当に一握りの女だけだということも。あとは【満桜】に上って、ある程度稼いだところで、ここから出るための金額には程遠い。最後に【葉桜】に落ちぶれれば、ますます町からも出られないことはイェンでも知っていた。あとは脱走くらいしかないが、桜花の警備は意外と厳しく、見つかれば死刑か一生牢獄、という末路が待っている。女たちは皆、簡単に逃げ出せないことを入城早々洗脳され、余程の事がない限りこんな暴挙に出る者はいなかった。
イェンランにとって、ここは生き地獄以外、何物でもなかったのである。
「ねぇ、イェン。あんたちょっと変わってるけど、その気の強さがいいって言う常連もいるんだし・・・。私はねぇ、もったいないと思うのよ。だってあんた、同期の中でもずば抜けて器量いいし、他の女にないものを持ってるし。あんたが本気出せば、【夜桜】でも夢じゃないと本気で思ってるんだよ」
ポタポタと言葉もなく涙を流すイェンランに、世話役は手を握り直し、片方の手で優しく撫でた。
「お願いだよ、イェンラン。大人しく私の言う事を聞いてくれないかい。これはあんたのためでもあるんだ」
「あら、何の騒ぎ?」
二人の後方から優しげな声がした。
「あ!これはヒヲリ様!」
世話役は声の主に驚いてイェンランの手を離した。
やっと仕度を整えたヒヲリが、お供の者を従えて、心配そうに二人を見つめていた。
「まぁ」
ヒヲリは自分の懐から絹のハンカチを取り出すと、涙が止まらないイェンランの傍に寄り、着物が汚れるのも構わず跪いた。そして彼女の涙を優しく拭き取りながら、ヒヲリは彼女の世話役に振り向いた。
「どうしたの?何かあったの?」
「あ、あ、ヒヲリ様にここまでさせて・・・・。申し訳ありません!」
世話役は動揺して頭を下げた。
「いいのよ。そんなことより泣いてるじゃないの、イェンが」
「はぁ・・・それが、いつものごとく・・・・。
今晩の宴に絶対に出ないと困るんですが・・・」
あら、とヒヲリは心配そうにイェンランの顔を覗き込んだ。
「イェンラン。せっかくの可愛い顔が涙でぐしょぐしょじゃない。
・・・・ね、イェン、こうしたらどう?私が支度を手伝ってあげる。
・・・そうそう、私が着れなくなった着物をあげるわ!それにきちんと髪を飾って・・・。お化粧も私のを貸してあげる。
・・・ね?気分を変えて一緒に行きましょう。きっと楽しいわ」
「ヒ、ヒヲリ様にそんなことさせられません!それにお時間だって・・・・」
「大丈夫よ」
ヒヲリはイェンランを優しく立たせながらもきっぱりと言った。
「少しくらい遅れたって、私と一緒であれば誰も何も言わないわ。それに・・・」
ヒヲリは軽く微笑んで言った。
「少しは殿方を待たせた方が効果的よ」
世話役は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
彼女は心から安堵した。
未来の【夜桜】候補のヒヲリ様であれば、きっと何もかも上手くやってくださるに違いない。
ヒヲリはそっと、うなだれているイェンランを促しながら自分の部屋に戻っていった。
| 固定リンク
「自作小説」カテゴリの記事
- 暁の明星 宵の流星 #204(2014.11.24)
- 暁の明星 宵の流星 #203(2014.11.05)
- 暁の明星 宵の流星 #202(2014.08.10)
- 暁の明星 宵の流星 #201(2014.07.13)
- 暁の明星 宵の流星 #200(2014.05.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント