暁の明星 宵の流星 #22
イェンランはどんどん暗くて寂しい場所に誘導されて、少々戸惑っていた。
(こっちで、間違いないわよ、ね?)
廊下の照明はほとんどが全て行灯(あんどん)で賄っているため、意外と薄暗い。それを調整する為に、数を増減するのだが、今イェンランがいる場所は、人が多くいそうな所よりも、かなり行灯が少ない。
さらに、“目印”がある場所の先の廊下は本当に行灯が少なくて、この先には誰も何もないような雰囲気を醸し出している。
イェンランは辺りを見回した。
どう考えてもこの先へ行け、という事だろう。
廊下の入り口には造花の花篭さえなかったが、その場所を照らす行灯に、上手い具合に八重桜の造花が挿してあった。
彼女は決心した。少々怖かったが、サクヤの仕事には抜かりがないだろう。
ほのかな行灯の光を頼りに、そろそろと長い廊下を歩いて行った。
追いかけていたヒヲリも、思ってもみないような場所に、彼女が進んでいくのに不安を感じていた。
(一体どこへ行こうとしているの?・・・・・まさか、盗・・・)
咄嗟に彼女は頭を振った。
(ばかね、あの子がそんなことするわけないじゃないの)
そうでなくとも。
貴賓客の場所で、こんな行動して許されるわけがない。
この事が知れたら、どんな処罰を受けるかわからない。
━━━止めなくちゃ。
ヒヲリは急いでイェンランの後を追い、寂れた廊下を目指した。
(さすが、サクヤ)
廊下を突き当たり、五つほどの扉が彼女を迎えた。
一瞬躊躇した彼女だったが、その右手奥の扉にだけは、行灯ではなく八重桜の絵付けしてある、小振りの蝋燭がひっそりと備え付けられていた。
桜花楼で使われる備品は全て様々な桜を元にした図柄が多く、それが城内を華やかにしていた。
もちろん蝋燭にも、行灯の囲いにも、だ。
三人で決めたのは濃い桃色の八重桜の“目印”。
サクヤはそれを上手く使って、目的の場所に誘導したのだ。
(この部屋だわ)
イェンランは足音を立てないように、扉に近づくと取っ手に手を掛けた。
ガチ・・・。
やはり鍵が掛かっている。
彼女は頭の上の一箇所に纏め上げていた髪の中から、小さな針金のような物を抜き出した。
アムイから渡されたそれを、取っ手下の鍵穴に差し込む。
ぱんっ、と小さな音を立て、なんと鍵が開いた。
そしてイェンランは息を整えると、静かに取っ手に力を入れた。
もう時間になっているはず・・・・。
ギィ・・・・・と鈍い音を立てながら、扉を少し開け、彼女はそっと中を覗き込んだ。
何やら甘い、妖しい香りが鼻腔をくすぐり、思わず手で鼻と口を覆う。
部屋の応接間には四ー五人の人間が各々が倒れていた。
きっと介護の者と警護の者。
全員が深い眠りについているようだ。
アムイって、やっぱり凄い!
だてに聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)を出ていないのね。
イェンランは感嘆した。
先程の鍵を壊した針金もそうだが、サクヤが部屋に備えた特別な蝋燭も、アムイが用意した。
人・智・体・心を磨き育成する武術・気術の修行の聖地、聖天風来寺では、武術を修行する者でも全て、気を操る修行の一環として、基礎的な術者の術(すべ)を習得させられる。普通の人間からみれば、魔法のように思える術でもあるが、ちゃんと修行し才ある者には簡単なレベルな物である。
針金はアムイの気を使い、小さく凝固し、鍵穴に入れれば反応し開錠するように作った。
蝋燭は、吸った人間をしばらくの間深い眠りにつけさせる、術者秘伝の香を蝋と練り合わせた物を、時間配分を考えて普通の蝋とくっつけて作った物だ。時間がくると、自動的に秘香が部屋を充満する、という寸法だ。
その秘香も僅かな残り香となっている。このくらいでは眠るには足りないだろう。
イェンランは気合を入れて、部屋に入った。
そして倒れている人間を踏まないように、ゆっくりと奥にある寝室の扉に向かう。
扉の横に八重桜を絵付けした蝋燭が半分程に溶けて、その灯火はイェンランを誘うように揺らめいていた。
彼女は逸る胸を抑えつつ、扉を開けた。
薄ぼんやりとした室内に、寝台の上で上半身を突っ伏している、ルランの姿が浮かび上がった。
寝室と応接間を繋ぐ扉には床下から10センチ程の隙間が開いている。
計算通り、こちらにも秘香が回っていた。
ルランも深い眠りに落ちているようだった。
イェンランは次に窓辺の方へ視線を移した。
窓際に背を僅かに起こした寝椅子が置いてある。
外の灯りを受けて、その姿は幻の様におぼろげに見えた。
そこに人らしき影が横たわっているのを彼女は認めた。
高まる胸を抑えつつ、寝椅子の人物を確かめようと部屋に入ったその時だった。
『イェン!』
小声で呼ばれながら、イェンランは誰かに肘を掴まれた。
イェンランは死ぬほどびっくりした。
それは彼女をずっと追いかけていた、ヒヲリだった。
あまりにも予想外の事で、イェンランの頭は真っ白になってしまった。
何で?何で姐さんがここに・・・・?
「貴女、一体何をしてるの!? そ、それにここの人達どうしちゃったの・・・。」
ヒヲリも自分の想像をはるかに超えている状況を見て、かなり動揺していた。
「ね、イェン。貴女こんな所に何の用があるの?もし見つかりでもしたら、大変な事になるわよ!今のうちに一緒に戻りましょう!」
ヒヲリはイェンランの腕を掴んで引っ張った。
と、その時。
イェンランの胸元に熱いものが触れた。
【巫女の虹玉】だ。
イェンはまるで何かに取り付かれたように、ヒヲリの手を外すと、躊躇もせず寝椅子に向かった。
「イェン?」
ヒヲリは彼女の只ならぬ様子に不安を感じた。
「どうしたの?どこに行くの?」
慌てて追いかけるヒヲリを無視して、イェンランは寝椅子の近くに寄った。
「・・・・・キイ・・・・」
イェンランの言葉に、ヒヲリは驚いて彼女の顔を見た。
名前に聞き覚えがある。確か、それはイェンの・・・・。
イェンランはずっと寝椅子に横たわる人物を見下ろしていた。
何とも言えない切ない顔で。
しばしヒヲリは彼女の顔を見つめていたが、自分も誘われるように彼女の視線をたどった。
そしてその寝椅子の人物を見て息を呑んだ。
僅かに背起こされた椅子の背もたれに、全身を完全に預けて、その人物は眠っていた。
ヒヲリはその人物のあまりにもの美しさに絶句した。
長い着物に薄絹の肌掛けを腰から纏い、白くて綺麗な左手が力なく腹の上に置かれている。
長い緩やかな茶色の髪は腰まであって、それがまるで絹糸のように本人自身を飾っている。
その寝姿は、まるでこの世には存在してはならない天界のモノのようで、閉じられた長くて濃い睫毛の陰影がまるで清純無垢な乙女のようにも見える。だが・・・。
「・・・こ、この人・・・。男・・・の人よね?」
ヒヲリは思わず呟いていた。
印象はまるでかの有名な大聖堂に飾られている、女天神のように、愛らしくも清純な雰囲気をかもしだしているが、骨格は男性そのものであった。美しい整った顔も、よく見るとちゃんと男性的な輪郭で、決して女性的ではない事にヒヲリは気づいた。
そう、彼は女のように美しい男、なのではなく、そこにちゃんと男性的な美しさも持っている男、だったのだ。
その抜群な両性のバランスが、彼を特別に見せていた。
背が高く、手足が長く、ほっそりとしているが骨格には鍛えた筋肉をきちんと備えた男性。
しかも顔は男性の力強さを持ちながら、まるで聖女のような可憐な美しさ。
ヒヲリは今まで色々な人間を見てきたが、今だかつてこんな人間を見た事がなかった。
両性をも魅了する人間、といっても過言ではない、と素直に彼女は感じた。
と、そこまで思い耽っていた彼女は気づいた。
(ザイゼム王の美貌の愛人)
その噂は、もちろんヒヲリ達の耳にも届いていた。
王がひた隠しに隠し、その上、なかなか手元から離さない、王の愛人。
此度の面通しにすら、連れてくると思われていた、王の寵愛を一身に受けている人間。
接見の最中にすら、寝所に待たせてるのではないか、とまで噂されていた人物。
・・・・・彼しか思い当たらないではないか。
その人物が、イェンの想い人?
イェンはこの事を知っていたの?
ヒヲリの頭は混乱した。
そして、彼の一指も動かぬ死んだような様子に不安を覚えた。
「ね・・、ねえ、イェン・・・。この人・・・・本当に生きてるの?」
そんな不謹慎な言葉が出るくらい、キイは人形のように動かない。
息すらしていないような感じでそこに存在している。
その言葉にイェンランは弾かれた様にキイの枕元に寄った。
「・・キイ?」
イェンランはキイの顔を覗き込み、息をしているかどうか確認しようと手を伸ばした。
その時、キイの睫毛がぴくり、とかすかに動いた。
イェンランの手が止まった。
陰影を作っていた長い睫毛がゆっくりと震え、うっすらとキイの瞼が開いた。
「キイ!」
目を開けたキイは、ゆっくりとイェンランの方に顔を向けた。
長い睫毛に縁取られた美しい黒い瞳。・・・・だが、そこにはイェンランの知っているあの輝きがなかった。
イェンランはぞっとした。
深い、何かに阻まれているような暗い暗い瞳の色。
キイは何かに取り付かれているかのように、イェンランに向き合った。
だが、彼の瞳は彼女を全く捕らえていない。
彼の何も映さない瞳は、イェンランの胸元に注がれている。
どくん・・・・!
また、あの虹の玉が熱く反応する。
そして彼はゆっくりと半身を起こすと、イェンランの胸元・・・【巫女の虹玉】が存在する辺りに手を伸ばした。
その表情は何とも言えない恍惚とした表情(かお)・・・・。
まるで、本当にこの世の人間ではないような・・・・・。
しばらくキイは、そうしてイェンランの胸元に自分の手をかざしていたが、徐々に力がなくなったのか、伸ばした手をはたり、と膝に落とした。
イェンランははっとした。
そしていぶかしむヒヲリにも全く気づかず、慌てて懐に手を入れながら、窓辺に走った。
「どうしたの!?イェン」
ヒヲリも慌てて彼女の後を追った。
「何をするつもりなの?」
イェンランは懐から、待機部屋で確認した、丸い小さな玉を取り出し、窓ガラスに思いっきりぶつけようと構えた。
「アムイを!」
そして力の限り玉を投げつけた。
「アムイを呼ばなきゃ!」
ヒヲリはいきなり【暁の明星】の名前が出た事に驚いて彼女を見た。
ぱーんっ!!!
玉は砕けて赤い塵となりガラス窓に飛び散った。
それがアムイへの最後の合図だった。
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