暁の明星 宵の流星⑫
「どう?落ち着いた?」
すでに夜は更け、灯りに照らされて白く浮き上がっている満開の桜が、窓から覗いている。
その美しさに、うっとりしながら、イェンランは小さく頷いた。
ヒヲリの優しい手が、イェンランの長い髪を櫛で丁寧に梳かしていく。
「ヒヲリ姐さん・・・。ごめんなさい・・・」
イェンランはぼそりと言った。
「何を言ってるの・・・」
優しく笑うと、ヒヲリは彼女の耳の両側から髪をすくい、頭の頂で器用にまとめ上げると、綺麗な花の髪飾りをそっとつけた。
「ほら、可愛い!」
イェンランは頬を染めて、自分の顔を目の前の大きな鏡で確認した。
自分の後ろに、ヒヲリの笑顔がある。
彼女は、ヒヲリのこの可愛らしい笑顔が好きだった。
笑顔が、あの人にどことなく似ている、といつも思っていた。
それ以上に、この桜花楼の中で彼女の存在は、押しつぶされそうになる自分にとって救いのひとつでもあった。
まだ【蕾】になりたての頃、【満桜】になったばかりのヒヲリに、勉強のため付き添った事があった。
男客の相手、同僚達の嫉妬や妬み、意地悪。加えて上からの押さえつけ。全てがイェンランの精神を消耗させていた頃に、彼女の優しい気遣いや、本当の妹のように接してくれる事が、どんなに心に潤いをもたらせてくれだろう。
そしてプロとしての心構えや教養やたしなみ。ヒヲリに接していくうちに、好意は憧れと尊敬に変わっていった。
こんな女(ひと)もいるんだという驚きと、そこまで自分はなれないという思い。
イェンランにとって、彼女は初めて心を許せる女性だったのだ。
ヒヲリにとってもまた、イェンランが可愛くてしょうがなかった。
彼女は今まで接してきた女の子とちょっと違っていた。
もちろん、ここに入城しても適正が合わずに、あぶれてしまう問題ある娘は、何もイェンランだけではなかったが、何故かヒヲリは彼女を放っておけなかった。
気丈そうでいて、実は脆いところがあって、大胆に見えて繊細なところがあったり・・・・。
彼女のそういう捉えどころのないのが、ヒヲリの保護本能を掻き立てるのかもしれない。
「ねぇ、イェン。ここはあなたにとって、辛い場所だとわかってるわ。でも、ね、世話役の気持ち、私も痛いほどわかるのよ。だって、本当にもったいない、っていつも私思っているんだもの」
ヒヲリの言葉に、イェンランは俯いた。
「あなた、こんなに綺麗なのに」
ヒヲリは彼女の髪を優しく撫でている。
「大丈夫。今宵はきっと楽しい宴になる。仕事で本城内の予備部屋に行く事がたまにあっても、第一城内には初めて行くんでしょ。しかもお客様が沢山いる所に。私、うきうきしてるの。きっとあなたに注目が集まるわ」
「姐さん・・・・」
「もしかして、その中に運命の出会いがあるかもしれないし」
「・・・・・」
「ほら、そんな顔しないの。わかってるわよ、あなたに想う人がいるということぐらいは・・・・」
ヒヲリはにっこり笑った。イェンランの大好きなあの人に似ている微笑で。
「でも、もしかしたら・・・。その人があなたを訪ねてくれるかもしれないじゃない。彼はあなたの身元を知っているんでしょ?あなたがこれからどんどん表に出てくるようになったら、きっとその人の耳にも入る。こういう無礼講な宴はめったにないけど、それでも城内で軽い酒宴はあるのだから、望みを捨ててはいけないわ」
(きれい・・・・。これを持っていたら、あなたにまた会える?)
(・・・はは。そうだな。こいつは自分の仲間を恋しがるから、君が大事にしてくれれば、きっと)
イェンランはあの時の会話を思い出していた。
(私のお守り・・・・。これがある限り、希望を捨ててはいけなかったんだ。ただの気休めに言ったのかもしれないけど、あの人の言ってる事が本当なら、きっと彼を呼び寄せてくれるはず)
イェンランの瞳に生気が宿ったのを、ヒヲリは見逃さなかった。
「イェンは凄いわ」
「?」
「・・・・だって、たった一度会った人なのに、ここまで想うことができるなんて」
ヒヲリにとって、これは本音だった。
小さい頃から生まれ持った自分の魅力にほとんどの男性が跪いてきた。自惚れるほどではないが、彼女にとってそれは当たり前の事で、それはひとつの武器でもあった。だから、今まで自分から男性を慕う、という意識を持った事がなかったのだ。何故なら、自分は黙っていても男の方からやってくるのだから。
ヒヲリは恋とか愛とかに疎いまま、歳早くして入城したので、初めから高いプロ意識を持って桜花の女になった。
男性に対しても、客、という認識しかできなくて、他の桜花の女達が叶わぬ恋に身悶えたり、先輩で恋に走って罰を受けた話などを聞いても、実感、共感した事がなかった。
・・・・そう、今までは・・・・・・。
ヒヲリは深い溜息を漏らした。
だから今まではイェンの恋の話も、まるでお伽話を聞いているような気分で聞いていた。
でも今は・・・・。今は・・・・・・・・・・。
「姐さん」
ヒヲリの顔が憂いだのを気にしてイェンランは声をかけた。
「ごめんなさい。姐さんの気持ち、私考えてなかった・・・・。
私もう、大丈夫です!
姐さんの想ってる人、来てるんでしょ?
早く行きましょう!ね?」
「イェンランったら・・・」
二人は顔を見合わせて気恥ずかしそうに笑った。
あれからしばらくして、アムイは何事もなかったかのように席に戻ってきて、酒を追加した。
昴老人もサクヤも、アムイのこの様子を見て、先程の件を問いただすような事はせず、むしろ触れないように当たり障りのない話で盛り上がっていた。
いつもは所かまわずアムイに纏わり付いているサクヤであるが、人の心にずけずけと土足で入り込むような性分ではなかった。
「おお・・・そろそろ老人は帰って寝るかの」
「え~?もう帰っちゃうんれすかぁ?ご老人~。もっと北の国の話をしてくださいよぉ。オレ、寒い国って行った事ないから憧れてるんすよ。
雪!雪って本当に味も何もないんれすかね?」
「おい・・・。もう酒やめろよ。お前かなり酔ってるぞ」
今まで会話に参加してなかったアムイがぼそっと言った。
「酔ってらいもん!南の男は酒に強いって、知らないんれすかぁ?もぉ~兄貴ってば~」
サクヤに背中をバシバシ叩かれて、アムイは酒にむせた。
「いやぁ、申し訳ないがこの歳でこれ以上はきついでの。いや、本当に楽しかった。ありがとう」
昴老人はゆっくりと立ち上がると、満足げにアムイを見た。
「暁の方。今晩そなたに会えてよかった。噂通りの方じゃった。
ではまたご縁があったらお会いしましょうの」
にっこりと笑って老人はアムイの肩を軽く叩いた。
「おお、それとお弟子の方にもよろしく、と言って下され。ま、ここでは風邪はひかないと思うが」
アムイは老人の視線の先を追った。
そこにはいつの間にか酒瓶を抱え込んで、気持ちよく寝息を立ててるサクヤの姿があった。
(まったくこいつは・・・・)
アムイが吐息した後、振り向くとすでに老人の姿は跡形もなく消えていた。
(あの老人は一体・・・・・?)
アムイは何やら寝言を言っているサクヤの隣に再び座ると、しばらく物思いにふけった。
宴はもうほとんど出来上がっていて、金持ちはそろそろお目当ての女と一晩過ごそうと、口説きにかかったり、城の者と交渉しだしたりしている。
アムイは溜息をついた。最近自分がよくわからなくなる時がある。
ここに来て2年。ただ自分の気持ちのままに流れてきた。
これで正しいのか?それとも自分の思い込みか?
アムイはいつも自問自答していた。
彼は早く欲しかった。
その答えを。確証を。
その時だった。
胸にちくり、と痛みが走った。
それは懐かしくも甘美な“痛み”だった。
その痛みはざわつきとなり、それが身体全体に広がっていく。
また、あの、感覚だ。
アムイは弾かれたように席を立った。
どこだ?
かなり遅れてしまったが、ヒヲリはイェンランと他の【満桜】候補を数名引き連れ、宴の席に現れた。
彼女の評判を聞きつけて、一目見ようという男達の視線が一気に集まる。
次期【夜桜】と名高いヒヲリを拝見できる、という事もあって、今宵の宴は盛況であった。
彼女の艶姿は、客人の満足以上のものだった。
自分には高値の花ではあるが、姿を拝む事くらいは許されよう。
男達のそんな熱い視線を受けながら、ヒヲリは優雅に歩を進めていく。
もちろん、あからさまにはできないが、彼女は瞳の端々で彼の人の姿を捜していた。
「ヒヲリ、遅かったではないか。客人がこぞってお前をお待ちかねだぞ」
ひっそりと雷雲は彼女達一行に近づいた。
「すみません・・・あの・・・私が・・・」
ヒヲリのすぐ後ろで着飾ったイェンランが恐る恐る大男を見上げた。
「イェン!お前、とうとう第一城内に来たな。・・・ふぅーん、そうか。なるほどなぁ」
雷雲はヒヲリとイェンランを交互に見た。
「ま、これでお前も【開花桜】確定だな!いいことだ。その花飾り、お前によく似合ってるぞ」
上機嫌でニヤリ、とイェンランに笑うと、今度はヒヲリの方に話しかけた。
「暁の方なら、右手の奥の座敷におられる。一通り客人をおもてなしたら、充分にお相手さしあげな」
ヒヲリの頬が桃色に染まった。
あの初めての出会いで、【暁の明星】がヒヲリをいきなり指名した事は、当時城内に限らず、町でもかなりの話題になった。
金を貰うよりも桜花楼の常連になったのは、きっとヒヲリを見初めたに違いない、と雷雲のみならず、皆そう思っていた。事実、アムイは最初の頃、他の【満桜】を2-3人指名した事があったが、結局ヒヲリを指名する方が数段多かった。最近ではもう完全に彼女しか指名する事はなかった。
ヒヲリ達がそんな話をしていた時、アムイが彼女ら一行の前に姿を現した。
「あ、暁の方!」
最初に気付いた雷雲がヒヲりをつついた。
ヒヲリは胸が躍ったが、何か様子が変だ。
彼の目には彼女達の姿がまるで映っていないように、辺りを見回している。
(どうされたのかしら)
ヒヲリは胸騒ぎを覚えた。
案の定、アムイはヒヲリに気付かず、一行を通り過ぎた。
が、その直後、
アムイは弾かれるように振り向くと、勢いよく引き返し、ヒヲリ達の方へと向かってきた。
「暁の方・・・?」
普段とは違うアムイの様子に、皆が息を呑んだ。
「お前!」
いきなりアムイは、ヒヲリではなく彼女の後ろに隠れたように佇んでいた、イェンランの腕を掴んで引き寄せた。
「痛いっ!何すんのよ!」
急に引っ張り出されて驚いたイェンランは、アムイから逃れようと抵抗した。
が、それ以上にアムイはまるで逃がさないぞ、とばかりにイェンランを胸に抱えると、力を込めた。
「お前だ」
その言葉は近くにいたイェンランしか届かなかった。
周りは騒然とした。
ヒヲリも何が起こったのか、しばらく把握できずにいた。
皆がどよめく中、アムイは表情を変えず近くにいた雷雲に言った。
「この娘にする」
「は?・・・あ、あの・・暁の方?」
「先客がいるのか」
只ならぬ声の迫力に、雷雲は慌てた。
「いえ、その子は今日初めて城内に来た【蕾】ですよ、旦那。まだ部屋もない・・・」
「なら、今すぐ部屋を取ってくれ」
毅然と言い放つアムイに、周りは息を呑んで見守っている。
「は、はい、今すぐ・・・・」
尋常じゃない彼の気迫に押されたか、雷雲は転げるように手配しに行った。
そしてアムイは無表情のまま、驚くイェンランを抱え、雷雲の後を追った。
残されたヒヲリも皆も、ただ唖然と二人の去った方向を眺めてるだけだった。
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