暁の明星 宵の流星 #38
ここはちょうど森の入り口の川沿いで、サクヤは急いでその場に火を焚いた。
もう景色はうっすらと暗くなり始めている。
「悪い!ほんっとうに申し訳ない!」
何とあのアムイが、珍しく焦って頭を下げていた。
相手の子は先程アムイに無残にも服を脱がされてしまった…北の国モウラの姫君、アイリン=モ・ウラである。
彼女は9歳なのに本当に小さくて痩せていた。そのせいで、大きな灰褐色の瞳が益々目立つほどで、色も白く、見るからに貧弱であった。短く切りそろえた柔らかな栗色の髪の毛が、焚き火の光を受けて、きらきらしている。今は男の格好をしているため、姫君にはまったく見えない。
アムイが頭を下げている間、彼女はちょっと頬を染めて、困ったように彼を見上げていた。
「許さなくていいですよ!姫」
レンが憮然として言った。
「そうです。いくら何でも失礼に程がある」
フェイも腕を組んでアムイを睨み付けている。
その様子を、サクヤ達は面白がって黙って見ていた。
…いや、イェンランだけを除いて。
「フェイ、レン、そんな言い方ってないわ。アムイは私達の命の恩人じゃないの」
彼女はようやく口を開いた。可愛らしい声が、男の子ではない証だ。
「姫!それでもこいつが姫にした事は、いくらなんでも許せる事ではありません!」
「そうです!嫁入り前の姫に対してなんという恥知らずな」
双子の怒りはどうも収まりそうになかった。
「二人とももうやめて!もう、いくら乳兄弟とはいえ、そこまで…。
どうか頭を上げてください、アムイ。
あの時だって、私を心配してやってくれた事だし…。
私がちゃんと女だって言わなかったのがいけないんですから」
アイリンはまっすぐ彼の瞳を見つめた。
一滴の濁りもないアイリンの目。それが彼女の純真さを物語っていた。
アムイは彼女のその言葉にほっとした。
「いや…。そうだとしても、浅はかだった。女の子と見抜けなかった俺が悪い。
本当にすまなかったな、姫君」
「アイリン、と呼んでください。本当に命を助けてくれてありがとう」
それでも双子は膨れたままで、じっとアムイを睨んでいる。
「もうっ!二人ともちゃんとお礼言いなさいよ!」
アイリンは一喝した。
その様子を少し離れた所で、ニヤニヤしながら眺めていたサクヤとシータだったが、イェンランの様子がおかしいのにサクヤの方が気が付いた。
イェンランはさっきから腕を組んで、じっとアムイを睨み据えている。
その様子がまるで殺気立っている事に、サクヤは恐る恐る彼女に問うた。
「あ…れ?イェンどうかした?何か怖いんだけど…」
彼女はぼそっと呟いた。
「…私には謝ってないんですけど……」
「は?」
「アムイの奴、私にもあの子と同じ事しておきながら、ぜんっぜん謝ってないんだけど!!」
イェンランは悔しげに声を絞り出した。
「あ!…そ、そういえば…」
サクヤは初めてイェンランと出会った時を思い出した。
一糸纏わぬイェンラン…。つい、口元が緩んでしまうサクヤだった。
「何思い出してんのよ!!」
ギロリとサクヤを睨みつけると、イェンランはまるで沸騰したかのごとく、真っ赤になった。
「私の方がガキの裸で悪かったわよね!」
「…で、どうした訳よ、さっきからお嬢は…」
眉を吊り上げ、ピリピリしているイェンランを横目で見ながら、シータは簡単な食事を作ろうと、サクヤと共に焚き火の近くで作業していた。
「…色々大人の事情があって…」
と、汗だくになりながらサクヤは答えた。
「それよりもあの子達、どうしてこんな危険な所にいたんでしょうね。今兄貴が詳しい事聞いてるみたいだけど」
「何か迷子って感じよね」
もう随分日も落ちてしまって、彼らの焚き火の灯りがますます輝きを放っていた。
イェンランは面白くないという顔をして、森の方へと行こうとした。
「お嬢?何処行くの。もう暗いから危ないわよ」
「自然現象!すぐ戻るから」
イェンランはそう言って、危険な山林とは反対の森の方向の茂みへと向かった。
彼女はとにかく済ます事は素早く済まし、仲間のいる場所に急いで戻ろうと、茂みを掻き分け何歩か進んだ時だった。
「どなたかいらっしゃるんですか!?」
いきなり遠くから叫ぶ声がして、誰かが自分の方向に近づいてくる音がしてきた。
イェンランは突然人が現れたせいで、心臓が止まるくらいにびっくりして固まってしまった。
(だ、誰?)
アムイ達がいる焚き火の方まで、走ればあっという間につく距離だったが、足が地にくっついてしまったように動かない。そんな彼女の前にがさごそ音を立てて、一人の若い男が小さな灯りを持って現れた。
薄暗い中で二人は目が合った。
相手も彼女の存在に驚いたようだった。
「あ…!あの…遠くから灯りが見えたので…」
爽やかで、優しい声の持ち主は、見るからに育ちがよさそうな青年だった。
シンプルな服装だったが、よく見るとかなり高価な生地を使っている。
イェンランでなくても、この人物はかなりの身分の高い人間だとすぐにわかった。
絶対に賊には見えない。
それに気づいた彼女は警戒しつつも、何となくほっとした。
「いきなり現れて申し訳ない、実は人を捜しているんです。まだ9歳の子供三人なんですが、見かけませんでしたか?」
その人物は相当慌てていたらしく、息を少し切らしながら突然こう言った。
「ああ!あの子達の?よかった!捜してる人がいたのね!」
イェンランは完全に警戒を解いて、彼に輝くばかりの笑顔を見せた。
彼の目が一瞬賞賛で輝いた。
「本当ですか?よかった!ずっと捜していたんです。途中我々とはぐれてしまって……」
「あの子達なら仲間が焚き火の所で保護してます。何でこんな所でって、思ってたの」
焚き火を指さしながら彼女は彼と歩き出した。
「それにしても、随分と慌ててたんですね。この焚き火が賊のものかもしれないのに」
「ああ!言われて見ればそうでした…。子供達の事ばかり考えていて…もっと危険に敏感でなければいけなかった。私もまだまだだな…」
と、ちょっと照れながら青年は頭をかいた。
イェンランが青年を連れて、シータ達の前に現れた。
「あら?お嬢。その素敵な若い人はどなた?」
「あの子達のお連れさんで、ずっと捜してたんですって。あの子達は?」
「川沿いにいるわよ。そう、よかった!やはり迷子だったのねぇ」
「本当にご迷惑かけて申し訳ありません!保護していただいて感謝します!」
青年は頭を下げた。
「とにかく私、あの子達連れてくる!」
と、駆け出したイェンランの後姿に見惚れている青年にシータは気づいた。
(ふーん、なるほどねぇ)
ほどなくして子供達を連れ、アムイ達は焚き火の方に戻ってきた。
「君達!本当に皆心配して探し回ってたんだぞ!」
三人を目の前にした青年は、腕組しながら厳しい声で言った。
子供らはシュンとしてうなだれている。
「私は君たちの事を信用されて任されたのだ。何かあったら、アイリン様の父君に顔を合わせられない」
「も、申し訳ありません…」フェイが小さな声で言った。
「フェイもレンも、小さいとはいえお守りするために一緒に来ているんだろう?旅は危険だともっと自覚してくれないと」
「待って!二人は悪くないの!私がつい、珍しい鳥に気をとられて山の方に迷い込んじゃったのよ。二人はそんな私を守ろうと追いかけて来てくれて…で、ビャクに」
アイリンは青年に訴えた。
「山!ビャク!!」
青年は驚きのあまり喘いだ。
「あ、でも、この人達が私達を助けてくれたの!あのビャクから…」
額を右手で押さえていた青年は、顔を上げると改まってアムイ達に頭を下げた。
「何て感謝してよいのか…。本当にありがとうございます」
「いえ、当たり前の事ですよ!どうか頭を上げてください」
サクヤはこの見るからに身分の高そうな青年に恐縮した。
そして彼はアイリン達に再び振り向くと、腰を屈めて三人を自分の両腕で包んだ。
「とにかく、ご無事でよかった…。生きた心地、しませんでしたよ」
その優しい声に、三人は今までの緊張が解け、たまらず泣き出した。
「ごめんなさい!」
「本当に心配かけてごめんなさい。王子!」
「え…、王子?」
子供達の言葉に驚いてイェンランが彼の顔を見た。
「あ、ああ…。名乗りが遅れて申し訳ありません」
青年は、子供達の涙を拭いてやった後、爽やかに微笑みながら立ち上がった。
「私はリシュオン=ラ・ルジャング。西のルジャン王国の第四王子です」
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