暁の明星 宵の流星 #43
…━━━━━━ 今度は…何だ? ━━━━━━……
またアムイは夢の狭間にいた。
だが今度のビジョンはいつのだろう?
まるで靄がかかったようにはっきりとしない…。
だが夢の中でのアムイは、恐怖で声が出ないのに、必死になって心の中で叫んでいるようだ。
(だめだ!早く逃げて!お願い!)
これは自分の子供の頃の声なのだろうか…。
霞みがかった映像に、男性の背中がぼんやりと見えてきた。
(嫌だ!嫌だ!やめてお願い!)
小さな自分は恐怖でおかしくなりそうなくらい、動揺している…。
男の背中に覆いかぶさるようにして、大きな人影が目の前に現れた。
(やめて!!)
次の瞬間、大量の血しぶきがアムイの目の前を飛んだ。
母親が死んだ時と同じ、真っ赤な血の海。
この不鮮明な映像は次にふたりの人影を浮かび上がらせていた。
ひとりはもうひとりの血まみれの人間を掻き抱き、乱心したかのように叫んでいる。
(早く、早くこうするべきだった…!)
生きている方は顔はよく分からないが、涙を流しているらしい。
(私も今一緒に参ります。私も共に謝罪しましょう)
何のことを言っているんだ…?
━━━…これはいつの記憶だ!?
アムイは心臓を掴まれたかのように喘いだ。
次には頭の上の方で女の声がする。
(…お前がいるせいで…お前達が生まれたせいで…)
アムイは恐怖で固まった。
(お前達のせいでこの方の人生は狂ったのよ)
この方…?
(なんでお前は生きているの?口惜しい…。あの女の子供!
汚らわしいあの女の子供!)
やめてくれ…
(お前も罪の子として葬られればいい)
助けてくれ!…
アムイの意識は闇の中に引きずり込まれようとしていた。
その時わかった。
これは自分が昔、自分で封印した記憶。
自分の心が壊れる寸前に、自分を守ろうと、封印した忌まわしい記憶。
(アムイ!!こっちに戻って来い!!俺の所に戻って来てくれ!!)
幼い子供の声がして、アムイは闇から抜け出した。
眩い光の洪水と共に。
暖かなその声に導かれ…・。
ああ…。あれはキイの声か……。
現実に戻ったアムイは、かなりの寝汗を掻いていたのに気が付いた。
しばらく息を整えるために、ずっと寝床の上で天井を眺めていた。
そしておもむろに重い体を無理やり起こすと、そのままふらふらと部屋を出て行った。
森はまだ薄暗かったが、はるか東の方向は薄っすらと日の光が射し込んで来ていた。
空気も新鮮で心地よく、塞ぎこんでいるアムイを優しく包んでいる。
だが、彼の落ち込んでいる感情は、その事にはなかなか気づかないでいた。
アムイはずっと、森の近くに流れる川のほとりの大きな岩に、ひとり座って川の流れを見ていた。
川は流れる。キイの気と同じだ。流れる水はあらゆる障害物にぶつかり、流れを変えていく。そしてたまに草木や岩に塞き止められ、穏やかに停滞する。
そしていつしか川の流れは海という大きな器に受け止められ、その姿を昇華する…。
育ててくれた聖天師長(しょうてんしちょう)、竜虎(りゅうこ)はかなり斬新な考えの持ち主であり、また冗談のわかるユニークな男だった。いつも冗談を言ってアムイとキイを和ませながら、大事な事はその中にちゃんと織り交ぜて彼らに話して聞かせた。
天理の法則。
天地の関係。
神と天がこの地を創った話…・。
体を作る事を大事にしながらも、彼は優しくこの戦災孤児二人に自分の今までの知力を惜しげもなく伝えた。
本当に彼は実の子以上に二人を可愛がってくれたのだ。
アムイの感情は今何処で彷徨っているのだろうか。
その狂おしい感傷を何処にどのように解放すればいいのだろうか…今のアムイにはまったくわからない。
「あっ!ご免なさい!!」
突然後方から子供の声がして、アムイは驚いて振り向いた。
そこにはアイリン姫が立っていた。
「なんだ、アイリンか…」
アムイは不思議そうに彼女を見た。
「で、なんで謝るんだ…?」
その言葉にアイリンは少し遠慮がちに小さな声で答えた。
「あ、あの私、アムイが泣いていたような気がして…だから…」
「俺が泣く?」
思いがけない彼女の言葉に、アムイは目を丸くした。
「…そう見えたんですもの…」
アイリンは消え入りそうな声で呟いた。
その様子にアムイは珍しく微笑んだ。
きっとサクヤやイェンランが見たら、卒倒するほど驚いたに違いない。
アイリンはいつもの夢見のせいで、珍しく明け方に目が覚めた。
どうしても再び眠れなくなった彼女は、お供の二人を起こさず、ひとりそっとテントを抜けた。
その時ちょうどアムイがふらふらと川の方に向かうのを、彼女は見かけ、つい追いかけたのだ。
「大の男が泣くわけないだろ?面白いな、おチビさんは」
と言いつつ、アムイは彼女の頭をくしゃくしゃした。
突然触られて驚いたアイリンだったが、意を決したようにアムイに言った。
「…私…。今、見えたの。小さいアムイが暗い森の中で小さな箱を抱えて泣いている姿が」
彼女の頭に置いたアムイの手が止まった。
「あ、あの、ごめんなさい…。あまり変なことを言うと皆困るから、普段は言わないのだけど…」
アムイは目線を彼女から落として暗い顔をして言った。
「いや、大丈夫。わかるよ。君は巫女にとまで望まれた子供だろ?そのくらい不思議な力があるのは当たり前だ」
その姿に、幼い彼女は何かを感じたのか、そっとアムイの傍に座った。
「ねぇ、アムイ。男の人だって泣いてもいいのよ」
いきなりアイリンは子供らしかぬ言い方しながら、アムイの顔を覗き込んだ。
「え?」
「涙をね、我慢しちゃいけないんだって、死んだお母様が言ってたわ」
アムイはじっと小さなアイリンの煌く大きな瞳を見つめた。
「涙も色々な種類があるけど、感情に一番係わる涙は我慢しないで出しなさいって。
男の子だから、地位が高いからって、我慢しちゃだめって。
…お母様が亡くなる時、涙を堪えていたお父様にそう言ったの」
「……」
「辛い、悲しい、寂しい、苦しい…。この感情を解放するには泣く事が一番早いのよ、アムイ。
何も格好悪い事なんてない。その方が人間は早く次に進めるから」
彼女の大人びた言い方に少々困りながらも、アムイはキイにしか見せないような切ない顔をした。
「そうなんだな。そうして人間は感情を涙で流すのか…。
だけど、アイリン。せっかく心配してくれて嬉しいけれど、俺は泣いた事がないんだよ」
いや、正確にはあの日から、涙が止まってしまったのだ。
その言葉にアイリンは驚いた。
「正確に言うと、涙が出ないんだ。泣くのを我慢しているんじゃない、泣けないだけなんだ」
アイリンはたまらなくなって、大きな瞳から大粒の涙がこぼれた。
アムイは慌てた。
「おい、何で君が泣くんだ?」
「だって…だって…」
アイリンも慌てた。だって、涙がとめどなく溢れてくる。押さえ切れないくらいに。
「同情なんてよしておくれよ。しかもこんな小さな子に…」
バツの悪そうな顔をして、アムイは泣きじゃくる彼女を持て余していた。
(違う…)
アイリンは手の甲で涙を拭った。
(違うわ同情なんかじゃない…)
彼女の小さな声は川の音に掻き消されて、アムイの元には届かなかった。
このときの二人に流れる空気は、特別な魂の交流でもあった。
アムイは不思議だった。
こんな小さな姫君に、何故か素直な自分が出せる気がする。
まるで、キイと一緒にいるような感覚だった。
これも巫女の血のなせる業なのか…。
アムイは彼女が自分の代わりに泣いてくれたお陰で、心が少し軽くなったような気がした。
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