暁の明星 宵の流星 #48
ぬちゃっとした、ナメクジのような感触が、イェンランの胸を這った。
もの凄い嫌悪感が彼女の全身に走る。
男達の生温かい息と、男特有の体臭が鼻につき、息ができないほどだった。
男達は彼女の白い足を掴み押し広げようと力を入れる。
イェンランは反射的に恐怖で足をバタつかせようとした。
だが、男の力で難なく屈服させられてしまう。
「早くしろよ」
ひとりがせかした。
「もう諦めな。女は大人しく男に従ってりゃいいんだ」
そう言って男は彼女の体にのしかかったその時、
バタン!
と大きな音が響いて扉が開き、凄まじい風雨と共にひとりの男が突進して来た。
そのせいで小屋の中にまで激しい風が吹き込んで、男達に直撃し、驚いた彼らは動きを止めた。
「な、何だ?」
いきなりな事で驚いた男達は、開け放たれている扉の方を振り向いた。
その直後、風雨と共にやってきたアムイは、イェンランの上にに乗っかっている男の首根っこを鷲掴みにすると、勢いよく投げ飛ばした。
突然の侵入者に男達は固まった。
「イェン」
アムイは彼女のむき出しになった白い胸と、暴行を受けたであろう頬の痣と口元の血を見て、怒りが爆発した。
もの凄い目で男達を睨むと、近くにいたもうひとりをアムイは力任せに拳で殴った。
「ひ、ひぃっ!」
男達はアムイの鬼気迫る迫力に恐れをなし、倒れている仲間を引っ張って逃げ出した。
アムイは男達を追いかけようと体勢を整えたが、イェンランのうめき声で我に返った。
そして小屋の中に落ちていたマントを拾うと、急いで彼女にかけてやった。
「大丈夫か?イェン!」
イェンランはアムイの声に気が付いた。
痛む体を無理やり起こそうとするが、力が入らない。
(アムイ…助けに来てくれたんだ…)
イェンランは彼の声にほっとして涙が溢れてきた。
「ごめん…迷惑かけて…約束破って…」
そう言いながらやっと自分で半身起こしたが、すぐによろめいた。
アムイが慌てて彼女の体を支えようと両腕に手をかけた時、アムイの男の手の感触と、男性の臭いに、先程の恐怖が甦り、我慢できなくてイェンランは激しく嘔吐した。
駆けつけたサクヤと町民のお陰で何とか宿に戻った彼女だが、あまりにもの衝撃で、体の震えは止まらず、何度も嘔吐を繰り返していた。心配しているアムイとサクヤが近づこうとしただけでも、男性というだけで彼女は気分が悪くなってしまう。
仕方なく彼らは老婆に彼女を任して、部屋の外で無言のままずっと佇んでいた。
その時、血相を変えてシータが人を連れて二人の前に現れた。
「お嬢が襲われたって?」
「シータ!戻るのは明日じゃなかったのか?」
「意外と早くお会いできたのよ」
と、言ったシータの後ろについて来ている人物を見て、サクヤは驚いた。
「北のご老人!」
その言葉に驚いてアムイもシータの後方を見た。
「爺さん!」
そうシータがつれて来たのは桜花楼で出会った昴老人(こうろうじん)であった。
「何でシータが爺さんと…」
「その話は後で。とにかくお嬢はどうなのよ」
その時老婆が洗面器を持って部屋から出てきた。
「すみません、世話をかけます」
サクヤが頭を下げた。
「いいんですよ、こっちは娘さんのお陰でうちの孫は無事だったんだ。
お礼を言うのはこっちですよ。
だけど…今はかなりショックが大きいようで…。誰か傍についていてやんないと…」
しかし、男では今の彼女には酷過ぎる。
アムイは振り向かないまま、シータに言った。
「シータ。頼む。お前、イェンについていてくれないか?」
シータはアムイが初めて自分にものを頼むのを聞いて驚いた。
「男の臭いがしないお前なら、あいつの傍にいてやれると思う。帰ってきた早々悪いんだが」
「もちろんよ」
シータは快諾し、サクヤに言った。
「サクちゃん、その代わりご老人を丁重にお相手しててくださらない?
話によるとアンタ達、知り合いみたいじゃないの」
そう言って彼はイェンランの部屋に入っていった。
イェンランは自分でも抑えきれないほど震えを止められないでいた。
目を瞑ると、先程の恐怖が現れる。彼女は眠るのでさえ怖かった。
つい、あの男達の手の感触を思い出して、彼女は胃液が逆流した感じを何度も味わった。
今までも自分の女としての性を呪ってきたと思ってきたが、今以上自分を消してしまいたいくらいの感情に支配された事はなかった。
イェンランの頭の中では、何故自分は女として生まれたのか、どうして女だからこのような目に合わなくてはいけないのかと、怒りと絶望と自虐的な思いがぐるぐると渦巻いていた。
本当に今の彼女は女としての自分を消してしまいたかった。
涙で霞んだ瞳を空虚に部屋の中に漂わせる。
そこに彼女が持っていた護身用の剣の鞘が、脱いだ服の下で光っているのに目が止まった。
きっと誰かが小屋から拾って来てくれたのだろう。
ふらふらと重たく、なかなか動かない体を懸命に動かしながら、彼女は震える手で剣を取った。
そしてその場に力なく跪くと、鞘を抜いた。
ぎらりとした銀の刃が、彼女の痛々しい顔をぼんやりと反射している。
イェンランは涙が込み上げてきた。
自分がとても汚らしい存在に思えた。
男達が自分をそういう目で見るたびに、彼女は自分の姿を、体を、嫌悪していた。
女としての自分を呪っていた。
イェンランは泣きながら自分の長く美しい髪を一束握ると、剣の刃を当て、思いっきり引いた。
ばらばらと黒髪が床に散った。
心配性の次兄が、唯一彼女に許してくれた自慢の黒髪だった。
この世界では男も長髪は当たり前なので、女の長い髪を女性の象徴と捉えている者は多くない。
だが、やはり豊かな髪は女をより女として見せてくれる。
女として生まれた事に怒りながらも、彼女はどこか女である部分を好きでいたかったのだと思う。
性への嫌悪感が自分の女性性を閉じているだけだった。
だけどもうそんな事を思う余裕も、今日の事で彼女の中でなくなってしまった。
唯一女性として彼女を存在させていた長い黒髪でさえも、今の自分には忌み嫌うもの。
イェンランは自分の髪を切るたびに、目から涙が溢れ出すのを止められない。
「お嬢!何してるの!」
部屋に入ったシータの目に飛び込んできたのは、彼女が泣きながら髪を切っている姿だった。
「止めなさい!」
シータは彼女から剣をもぎ取った。
彼女の両サイドの髪は肩の所で無残にも不揃いに切られ、涙を流している顔は腫れて何とも痛々しい。
たまらなくなってシータは彼女を抱きしめた。
「ごめんね!ああ、お嬢!アタシがついていたらこんな辛い思いさせなかったのに!」
「シータ…?」
イェンランはシータの優しい香水の匂いに気が付いた。
「お願いよ、お嬢。頼むから自分の女の部分を否定しないであげて。
アンタが悪いんじゃない。アンタは汚らわしくない!
お願いだから自分を責めないで!」
シータの目にもうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
イェンランはその言葉に、わっと堰を切ったように泣き出した。
シータにすがりつくようにして、彼女は号泣した。
その彼女を、シータは落ち着くまで、黙って抱きしめていた。
しばらくサクヤと雑談していた昴老人は、年寄りは早寝しないと、と言って、すぐに寝床に引っ込んでしまった。
アムイはずっと険しい顔して黙りこくったままだ。
サクヤは意を決したように、アムイの傍に行った。
「兄貴…、オレ」
「ああ」
「もしかして、同じ事考えていた?」
「多分な」
サクヤの口元に不敵な笑みがうっすらと浮かんだ。
「じゃ、行きましょうか。世話になった礼をしに」
この町を恐怖に陥れていたのは、他村から流れてきた20人ほどの男達だった。
この者達のせいで、町は荒れ放題だ。
「ったく、情けねぇ。お前ら四人もいて、獲物を残して逃げ帰ってきたのかよ?」
中心核の男が大声で言った。
「だって、すげえ強かったんですよ、あの男」
投げ飛ばされた男が打ち付けられた腰をさすりながら弁明した。
「顔は恐ろしいほど綺麗だったがね」
もうひとりが顔を歪めた。
「だが上玉を逃したのは痛かったな!今度は人数束ねて女を強奪しに行こうぜ。
いくら強くても、多勢には勝てんだろうさ。それともこれから行くか」
そう言った時、一味が隠れ住んでいる家の玄関が開く音がした。
「誰か来たのか?」
見張りが報告して来ないのをいぶかしんだひとりが、様子を見ようと部屋から出ようとした時だった。
いきなり部屋の扉が開き、二人の男がずかずかと部屋に入ってきた。
「あ!お前!」
顔面に怪我を負っている男が叫んだ。
アムイとサクヤだ。
「なんでぇ貴様ら!」
中心核の男が睨み付けた。
「こいつですよ!こいつがすげぇ強い…」
アムイにやられた男が耳打ちした。
「何か用か!?」
別の男が叫んだ。
アムイとサクヤは二人肩を並べ、大勢いる男達を涼しい顔で眺めた。
「さっきは妹が世話になったな」
いきなりサクヤが言った。
「ちょっとお礼がしたくてね」
アムイが尊大な顔をして言い放つ。
「何だとこいつら!」
その声で男達はわっと二人を囲んだ。
「やっちまえ!」
アムイとサクヤは二人同時に口元に笑みを浮かべた。
「思う存分、どうぞ」
次の日、シータのお陰で自分を取り戻したイェンランは、まだ思い出すと気分が悪くなるが、かなり落ち着いていた。暴行未遂という事もあり、寸でのところで助かった彼女は、今は男性が近くに寄っても、何とか吐く行為は収まっていた。それでも昨日の心の傷は簡単に癒えるものではない。
朝食をイェンランに持っていくとき、シータはアムイにポツリと言った。
「あの子を助けられるのは…キイしかいないかもしれない」
アムイはその言葉を黙って聞いていた。
窓際のテーブルに座って朝食を口に運んでいたサクヤは二人に言った。
「もう今日中に次に向かおう、兄貴。
…それよりもシータ。昴老人も同行するなんて、言ってなかったじゃん」
「まあね。落ち着いたら事情は説明するわよ。
だーいじな人なんですからね、失礼の無いようにしてよ。特にアムイはね」
と謎の言葉を残し、シータはイェンランの部屋に向かった。
午後になって、一行は宿の人間に沢山の食料をお礼にと貰い、この町を後にした。
シータは昴老人を後ろに乗せ、他の者は一人づつ馬に跨った。
イェンランを心配する声に、彼女は気丈にもひとりでも大丈夫だから、と率先して馬に乗った。
その方が自分の気が紛れるからだった。
イェンランの髪は、シータによって綺麗に切り直され、正面のサイドは肩くらいの長さで流れていたが後ろはそのままだ。
本当は皆と顔を合わせるのはとても恥ずかしかった。
でも、アムイもサクヤも何一つ彼女に文句も説教も言わなかった。
しかも自分を気遣って、程よい距離で接してくれている事が、今の自分にはとても在り難かった。
「なんかねぇ」
一緒に馬を並べて、歩を進めているシータが突然言った。
「昨晩、誰かわからないけど、この町を牛耳っていた奴らをこてんぱんにしちゃったそうなのよ。
さっき町の警護官が喜んで宿まで報告しに来たわ。
あれだけの多勢、一晩であっという間だって」
その言葉にイェンランはつい、後方でゆっくりついて来ている馬上の二人を見た。
アムイとサクヤは何事も無かった顔して馬を進めている。
イェンランは前に向き直った。
「でもよかったわよねぇ。これであの町も当分平和よ」
シータは含み笑いした。
イェンランは後ろの二人に感謝した。
そして暖かな気持ちが広がっていくのを感じた。
まるでフォンリー兄さんに感じたような同じ気持ち。
兄さんもよく、自分が嫌な目に合った時、彼女の知らないところで手を回してくれていた。
彼女は自分ひとりが不幸だと絶望していた。
だけど、知らないところで自分は守られている事を、このとき悟ったのだ。
彼女の目に熱いものが込み上げてきた。
だが、皆に知られると恥ずかしいので、きゅっと歯を噛み締めて我慢した。
そうして五人は荒野を抜けて、次の村に向かった。
その村を抜け、山に行けば目的のゼムカ前王の館がある。
アムイ達がそこまで来ている事を、ゼムカの隠密が気が付いていたのも知らず、五人は目的地に進んでいく。
いや、キイの事でピリピリしてるであろうザイゼムの事、抜かりはないのは予想の範疇だ。
アムイは気を引き締めて、焦る気持ちを一生懸命抑えていた。
その前王の館に、丁度ザイゼムが訪れていた。
彼は容態のよくない自分の父親を見舞うため、一時この館に寄ったのだ。
ザイゼムが尋ねた高僧は、丁度旅に出てしまったとかで、結局会えなかった。
落胆する暇もない彼は、事情を説明し頼み込んで高僧の行きそうな所を聞いた。
しかし、彼はもうすぐ隠居の身なので、自由に出かけてしまっているため、他の者も要領を得ないらしい。
高僧が是非戻ってきたら教えて欲しい、と切実に頭を下げる一国の王を不憫に思って、その症状ならと、例の高僧が作ったといわれる秘薬を、寺の人間が分けてくれた。
「これなら最悪な状態でも意識を上に戻してあげられると思いますよ」
寺の僧はそう言ってザイゼムに掌に収まる薬の瓶を渡してくれた。
ザイゼムは丁寧にお礼を言って、北の北天星寺院(ほくてんせいじいん)を後にした。
そしてはやる気持ちを抑えつつも、山の隠れ家に戻る途中、父王の顔を見に来たという訳だった。
久しぶりの親子の対面。奔放なザイゼムでも、いくら緊急な事情があったにしろ、父親の夢を砕いてしまった事に心が痛んでいた。
「父さん、具合はどうです?」
ザイゼムの言葉に、寝台の上で休んでいた前王は、ゆっくりと顔を息子に向けた。
「うむ。まぁ、何とかな。お前も元気そうでよかったじゃないか」
父親のやつれた顔に胸が詰まりながらも、彼は明るくこう言った。
「これからはこの辺一帯、緑が綺麗でしょう。気候もよくなる。早くよくなって散歩しなくてはね」
「散歩か…」
前王は懐かしそうに目を宙に漂わせた。
「なあ、ザイゼム。どうして私がここに最後の居を構えたか、わかってるだろう?」
ザイゼムは言葉に詰まった。
「…お前は本当に母さんにそっくりだなぁ…。奔放さといい、豪胆さといい」
ゼムカ前王には3人の妻と5人の愛人がいた。
そしてその女達の間に子供を18人も儲けた。
その精力絶倫の彼が、まだ若き王子だった頃、出会ったのがザイゼムの母親だ。
「お前の母親は…知っての通り、外大陸から来た女だ。北の沿岸で、あれの乗った船が遭難して…私達が助けた。その時まだ16だったお前の母さんと出会って…恋に落ちた」
ザイゼムは黙って父親の話を聞いていた。
「あんなに我の強い奔放な女!私は初めてだった!こんな女、どこにもいない。若さも手伝って私は夢中になった。彼女とは一緒に大陸全土を回った。刺激的で、本当に楽しかった。
…そしてお前が生まれて、私は幸せだった。
だが、やはりお互いの価値観の溝は、時間が経つにつれて大きく開き始めた。
私には王位を継いで、後継者を残す責務がある。平和な世ならいざ知らす、特にこのように情勢が危うい時代、王家の血を絶やす事はどうしてもできない。だから私はこの大陸になぞって、他の女との間に子供を作った。…この世界では当たり前の事だろう?だが、彼女はそれが我慢できなかった。外大陸では一夫一婦制とかで、私の考えが理解できなかったらしい」
前王は溜息をついた。
「ま、私も頑固で、自分が正しいと思っていたからな。お互い様だが…。
自分を愛してくれているなら、自分を理解してくれなければ困る、と私はお前の母親に自分の考えを押し付けていたのかもしれんな…。彼女が私の元を去ってから、私は激しく後悔したよ。
だがそんな感情…一国の王には無駄なもの。私は退位するまでずっと自分を偽ってきた。
…この土地は、初めて出会った頃、遭難したお前の母さんを癒すため、少しの間暮らした土地だ。
彼女はこの土地の自然が好きだったなぁ。よく二人で色々話しながら散歩をしたものだ」
前王は懐かしそうに目を閉じた。
「この歳になって、思い出すのはお前の母親の事ばかりだ。…こうならないとわからないなんて、自分は彼女の夫としては失格だった。なあ、お前にはそういう思いして欲しくないのだよ、ザイゼム。そういう相手はおるのか?」
ザイゼムはちょっと困ったように笑うと、自分の父親にこう答えた。
「まぁ、妻、という概念で言えば、私は根っからの狩猟タイプだから、女だったらやはり大地に根を張って、安定して子供を育てながら男を待っているのがいいですけどね」
「ふふ。そうか」
「でも父さん、我が民は男だけだし、別に妻とか妃とかの必要性はありませんがね。父さんのように女は大して私には重要じゃないんですよ。…ただ…」
「ただ?」
「自分の一番近くにいて欲しい人間は、やはり自分と共に戦う者がいいようです。
それは男でも女でもいい。自分と共に人生を戦って生きる人間がいてくれれば…」
ザイゼムはキイのあの自分に通じる奔放さを愛していた。
初めて彼に会ったときの、心の躍動感を思い出し、ザイゼムは苦笑いした。
そんな自分の愛する息子の顔を、ただ黙って前王は見つめていた。
だが、父は何もこれ以上言わなかった。
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