暁の明星 宵の流星 #53
キイ、何で泣いているの?
辛いの?またあれが暴れてるの?
おいでよ。おれが受けてやる。
早く。手を出して…。
また狭間で何やら映像が蠢いていた。
そこにはキイがいた。
〈違うよ、アムイ。俺はお前が心配なんだ〉
小さい頃の映像から突然、大人になったキイが、辛そうな表情で自分の前にいる。
(俺が心配…?心配しているのは俺の方だよ、キイ。
このまま俺達、逢えなかったら、どうしよう?
お前がこのままこの世を去ってしまったらどうしよう?)
〈馬鹿だな、アムイ。お前がこの世界に俺を繋ぎとめてるんだ。
お前がここにいる限り、俺はずっとお前の傍にいるぞ〉
キイはいつも俺にそう言っていた。
〈俺達はふたりでひとつ。離れがたい魂の片割れ。
絶対に離れちゃいけないんだろ?〉
だけど何故、今お前はそんなに儚いんだよ。
お前ともう、こんなに離れてしまって、俺はどうしたらいいか本当はわからないんだ。
いや、俺は自分で、お前の気持ちに気づいていた。
お前が俺に、この世界でちゃんと生きれるように心を砕いている事を。
(何か、昔と反対になっちゃったなぁ)
〈ははは、アムイ。俺達は本当はひとりの人間として生まれるはずが、何か間違いがあってふたりに別れちまったみたいだよな。陰と陽。光と影。流動と安定。……だけど、ただ一つだけ…天は俺達を同じにした…。
それは…〉
あの、自分が好きな柔和なキイの横顔が、段々曇っていく。
……キイ。俺はお前と違って、本当は凄く女々しいのかもしれない。
お前にいつも、支えてもらっているだけだ。
夢の中でのキイが再び自分に向き直った。
人前では見せない、自分だけに向けてくれる慈しみの表情で。
〈ほら、お前こそ来いよ。俺の手を取れ、アムイ。
……眠れないんだろう?〉
そう言って手を伸ばし、俺の手を取る。
甘い、花の香りと共に、いつもの優しいあいつの波動が俺を包む。
そうやって子供の頃からいつもあいつと一緒だった…。
昼も夜も。眠りの中も。
俺はキイさえいれば、後は何もいらなかった。
甘い花の香り。本当はお前、いい匂いがするんだけど…。
花の香り……?
アムイは自分の鼻腔をくすぐる甘い芳香に、突然現実にに引き戻された。
頭の隅が、甘く痺れている。
思わず右手を動かそうとして、木に鉄の手錠で固定されているのに気づいた。
さっきの場所で木に寄りかかったまま、自分は浅い眠りにいたはずだ。
この甘い芳香は、覚えがある。
……術者秘伝の香…眠りを誘う、あの…。
アムイはそのままの体勢で自分が何者かに囚われているのにやっと悟った。
それにしても何か不十分な捕らえ方だな。俺に対して。
そう思った瞬間、暗闇の中、自分の目の前で女の声がした。
「なーんだ、もう目が覚めてしまったの?」
その残念そうな声に聞き覚えがあるような、ないような…。
気がつくと、女は自分の身体の上に覆い被さる様に乗って、顔を覗き込もうとしている。
「お前…」
女の顔が近寄って、初めてアムイはその人物が誰か思い出した。
「何年ぶりかしら、アムイ。四年?もう五年経つかしらね?」
「リー・リンガ」
「あら、嬉しい!わたくしの名前、憶えていてくれたのね」
アムイは溜息をついた。
憶えるも何も…。
「本当は思い出したくないんだが」
「あら、相変わらず冷たいのね」
リンガはぷっとふくれた。
「それにしても、いい大人になったわよね…。昔はまだまだ子供っぽさが残ってたけど」
「何でお前がここにいるんだ?」
「あら、一国の王女に対してお前呼ばわりとは…。ま、そこがたまらないんだけど」
リンガは喉の奥で笑った。
「…で、これは何だ、これは」
と、アムイは自分の右手が繋がれている鉄の手錠をじゃらじゃら振った。
「だってぇ。逃げられちゃ困ると思って」
「…あの秘香もお前か」
「そうよ。宰相に分けて貰ったの。あんまり効かなかったわね」
と言いながら、彼女はアムイの胸に手を滑らす。
「で、何が目的だよ?」
アムイは彼女に冷ややかな目を向ける。
本音を言えば、こういうタイプの女は苦手だ。
「もちろん、暁。貴方に決まってるでしょ」
「俺?」
「あの時は簡単に逃げられちゃたけど、今晩は逃がさないわ」
と、彼女はアムイの頬を両手で包む。
「で、正直に言いなさいよ!初めての女ってどんな人?」
一瞬アムイは頭が白くなった。
「は?何だそれ」
「貴方、あの時は女知らなかったじゃないの。わたくしが教えてあげようと思ってたのに!」
(何なんだこの女は…)
だが、彼女の声は本当に悔しそうだ。
「噂では貴方、二年も桜花楼に通ってたっていうじゃない!二年も!という事は馴染みの女くらいいたって事よね?その女なの?ねぇ、ちゃんと答えて」
「あの…。なんでお前にそんな話しなくちゃならないんだ…」
アムイは段々頭が痛くなってきた。しかし、彼女の剣幕では簡単に解放してくれそうもない。
リンガはリンガで、自分が彼の初めての女になる事に意欲を燃やしていたのだが、あっさり五年前、キイと宰相の事件?でおじゃんになってしまった。その後、暁が桜花楼に通っている話を他所から耳に入って、歯噛みするくらいに悔しかったのである。そこで彼女は自分がアムイに対して火遊びじゃなかった事に気が付いた。
初めて会ってあの黒い瞳を見たときから、彼女はずっとアムイに惹かれていたのだ。
アムイは溜息をつき、自由になるもう片方の手で彼女の腕を押しやった。
「…憶えていない」
「は?」
「実は憶えてないんだよ。初めての時」
キイと離れて、最初のうちは懸命に彼の“気”を追っていた。
それがいつしか消え、絶望したアムイは半年の間、自暴自棄になっていた事があった。
確かに色んな事が、キイと離れた四年間自分に振りかかっていた。
キイがいた時は彼の庇護の元、多数の人間と接するなんてなかったが、ひとりになった今ではそんな事を言ってられなかった。今思えば確かに荒療治…。
かなりきつくて辛かったが、今こうして普通に他人と渡り合う事が何とかできるのは、キイと離れたお陰というのも皮肉なものだ。
あの時も酒場で正気を失うほど酒を浴びたあげく、言い寄ってきた男達と大乱闘になり、半分ボロボロになりながらアムイは酒場の路地裏に転がっていた。
もう何でもよかった。キイへの手がかりもぷっつり消えてしまった。
アムイは孤独の海の中、放り出された子供のようだ。
その時誰かが手を差し伸べれば、ついすがりつきたくなるのも人間じゃないか。
朦朧とした記憶の中で、確かにアムイは女に手を差し伸べられた。
甘い、香水の匂いがキイの香りと少し似ていた気がする。
(こんなところで寝ていたら、死んじゃうわよ)
女の声が頭上にした。(私と一緒に…来る?)
次の朝、ズキズキと痛む頭を抱えながらアムイは宿の寝台の上で目が覚めた。
一緒にいたであろう女の姿はもうなかった。
「だけど、まあ、ちゃんとコトに及んだ事実は、体が覚えていたから」
アムイは淡々として言った。
その後、何かに呼ばれる気配を感じて、アムイの自虐的生活は終わった訳だが…。
「ねぇ、今度は年増に迫られてるわよ?アムイ」
「いいなぁ~。あんな大人の女の人と…。兄貴ってずるいよなぁ」
アムイ達から数メートル先にある葉陰で身を潜めながら、イェンランとサクヤは先の二人を観察していた。
実はつい先程、二人はシータにアムイを捜しに行って欲しいと頼まれたのだ。
その少し前、昴老人が気持ちよく寝てしまったのを合図に、後片付けをしていたシータは、イェンランがふらふら自分のところに手伝いに来たのに微笑んだ。
「何か、随分と夢中になってたわね」
「うん、ほぼ完璧」
彼女が何を作っていたのかはわからないが、まぁ、あの日よりかなり落ち着いてくれてほっとした。
彼女は随分自分を取り戻したみたいだった。だが、あの時の後遺症で、男性に触られると気分が悪くなるのは仕方ない。アムイもサクヤも、その事は承知していたらしく、なるべく彼女に触れそうな距離には近寄らなかった。
「…ねぇ、兄貴は?」
そうしているうちに、さっきまで酔って寝ていたサクヤが、頭を掻きながら二人の所にやってきた。
「あら、もう起きたの?あまりにも気持ちよさそうだったから、そっとしておいたのに」
シータは水筒から器に水を注いでサクヤに渡してやった。
「ありがと。オレ、ちょっと一眠りすれば酔いが醒めちゃうの。…で、兄貴どこ?」
「アムイならここら辺を散歩するって、どっか行ったわよ。
……また眠れないんでしょう、いつものごとく」
シータは溜息をついた。
「前にも言ってたわよね?アムイってもしかして不眠症?」
その言葉にシータはちょっと困ったように微笑んだ。隣でサクヤはじっと器の中の水を眺めている。
「……オレ、もう一年以上も兄貴といるけど、熟睡している兄貴って見た事ない。
この人は本当に他人といると神経が休まらなくて、なかなか安心して眠れないのかと思ってた。ちょっと…気になっていたんだ…」
サクヤの話にシータは優しい目をして手元の食器を袋に入れながら言った。
「……サクちゃん、本当にアムイのこと、気にしてくれるのね。アイツ、幸せ者だわ。
キイ以外に、心配してくれる人ができて。
…アイツの不眠症は今に始まった事じゃないのよ。
アタシ、同期の中で一番の年長で、アイツらが子供の頃から知ってるんだけど、…アムイはもうすでにそんな感じだったわね。いつも眠れないって、キイに泣きついてた」
サクヤはシータを見た。この人は、どれくらい二人の内情を知っているんだろう?何かやけに詳しいのは、昔から二人を見ていたからなのか。
「だからキイはいつもアムイの抱き枕だったのよ」
突然の爆弾発言に二人はその場で固まった。
「…抱き枕?」
サクヤとイェンランは顔を見合わせた。
「……これは小さい頃からあの二人を見ている、アタシしか知らない事だったんだけど、上期生の子に見られちゃってね、二人で同じ寝床にいたとこ。それから凄い噂になっちゃってさぁ。アムイはキイの崇拝者達に総スカン。
あれで当のキイが収めなかったら大変な事になってたかもねぇ」
シータはさらりと大した事でもないように言った。
「はぁ…、抱き枕…」
「ま、キイもアムイとくっついていた方が安定するし、一石二鳥だったんだけど、さすがに大人になったらまずいわよね」
「………」
と、突然シータの手が止まった。
「どうかしたの?」
彼の変化に気づいたイェンランは声をかけた。
「…この匂い…」
「え?…何も匂わないけど…」
「確かだわ。この匂い、秘香じゃない。…誰が…」
サクヤとイェンランは彼の言動に戸惑った。
「ねぇ、アムイを捜しましょう。アタシ、何か嫌な予感がする。
お願い二人とも、その先の茂みの方にアイツ行ったから、とにかく捜して。
アタシ、ここをすぐ出る準備してから追いかけるから」
と、シータは二人に頼んで、荷物をまとめ始めた。
ということで、二人はこの湖畔に出、アムイが女に乗っかかられているのを見つけたわけだ。
「で…どおする?この状況」
サクヤは溜息をついた。
何かこのまま妖しげな雰囲気になってきそうだ。
「んなこと、決まってるじゃない。邪魔するのよ」
と、言いつつイェンランは腰にくくりつけていたある物を取り出した。
「…で、それがお前に何の意味があるんだよ」
アムイは苛々して言った。
「あら、気になるわよ。わたくし以外の女のこと。
だって貴方の子供を産むのはわたくしだけだからよ」
その言葉にアムイは固まった。
「……おい。俺の意思は全くの皆無かよ。
…悪いが俺はそういう女はご免だね。他当たってくれよ」
確かにアムイは生々しい女という生き物が、昔から苦手だった。できれば避けて通りたいくらいだ。
加えてキイの女を勧める言動にも拍車をかけて、アムイは益々女と交わる事を拒んだ。
が、まぁ。経験してしまったらしたで、なかなか良いものだと認めざるを得なかったが、やはりこういう生々しい話を持ちかける女は嫌だった。
「それじゃ意味ないじゃないの!いいのよ、実力行使するから!」
え!?って、どういう事だそれ。おい!だから手錠なのかよ!
アムイはらしくもなく焦った。
リンガはいきなり彼の顔を両手で固定すると、唇を重ねようとした。
(おい、ちょっ……)
アムイは再びもう片方の手で、彼女を押しのけるため力を入れようともがいた。
と、その時。
リンガの頭にパーンと何かがぶち当たった。
| 固定リンク
「自作小説」カテゴリの記事
- 暁の明星 宵の流星 #204(2014.11.24)
- 暁の明星 宵の流星 #203(2014.11.05)
- 暁の明星 宵の流星 #202(2014.08.10)
- 暁の明星 宵の流星 #201(2014.07.13)
- 暁の明星 宵の流星 #200(2014.05.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント