暁の明星 宵の流星 #55
「違う!俺は王子なんかじゃない!」
昴老人の言葉に反してアムイは叫んだ。
「アムイ…」
「王族名簿には俺の名前なんて刻まれていない。
確かに父さんはセド王家の人間だったかもしれないが、俺は違う!
俺は王家とは関係ないんだ!」
アムイと昴老人の会話を聞いていたシータが、恐る恐る二人に割って入った。
「…あの…老師…。この話って…我々が聞いていて大丈夫なのでしょうか?
……内容からすると…アタシ達が聞いていいレベルの話ではないような気がするのですが…」
「いや、今ここにいる者は全てが天の采配。そなた達はアムイの味方じゃ。何も問題ない。
……それに、この事を知ってもらう事は、これからのアムイ達には大変な力となるじゃろう」
昴老人は深い溜息をついた。
サクヤもイェンランも、思いがけないアムイの素性に、ただ息を呑んで見守っている。
昴はアムイの近くに寄ると、彼と同じ目線になるようしゃがんだ。
「アムイよ…。確かに石版には主の名前はない。だが…、そなたがセドの王子の血を引くのは事実。
王族名簿に名はなくとも、お主がセド王家の直系という現実は隠す事はできないのだぞ」
だがアムイは震える唇で、昴老人にはっきりと言った。
「その王子が禁忌を犯し、王家を追放された…後に生まれた子だとしても?」
「アムイ…」
アムイはこのような感情の高ぶりにさえ、決して潤む事のない乾いた自分の目を恨んだ。
「俺が王家の石版に名がないのは、父さん…セドの太陽が禁忌を犯し、王位を剥奪され追放されたからだ」
アムイの脳裏に、キイの寂しげな横顔がよぎった。
「俺は許せないんだよ。……たとえどんな理由があったにしろ…。
父さんがキイの母親にした事を…許す事はできないんだ!」
(父さんが、大罪人?)
(よせよ、ソウ。まだチビだから話したって意味なんかわからないさ)
小さいアムイは、もうすでに思春期を迎えていたキイの従兄弟だというセドの王子達に呼び止められ、とんでもない話を聞かされた。
(どういう事?なんでおれの父さんが罪人なの?)
彼らは卑しい笑いを浮かべると、アムイをなぶるようにこう言ったのだ。
(お前の親父はとんでもない事をやらかしたのさ。神を冒涜したんだ。ぼ・う・と・く!わかるか?
お前の親父は神聖なる巫女だったキイの母親を暴行してキイを産ませたんだ。
本当は死にも値する大罪なのが、神の血を引く王家の人間だという事で、追放されただけですんだんだぜ)
(ぼ…うこう?)
(おい、わかるわけないじゃん。まだ子供がどうしたらできるかもわからないチビに)
彼らはそう言ってまだ小さいアムイを嘲った。
(とにかくキイはお前の親父の子供なんだよ。お前とは血が繋がってるって、知っていた?)
その時、烈火のごとく怒り狂ったキイが彼らに突進してきた。
(貴様ら!アムイにそんな話、するんじゃねぇ!!)
その剣幕にキイよりも年上の王子達は、半分笑いながら早々に退散した。
キイは怒りで身体が震えている。
(キイ…)
はっとしてキイはアムイを振り返った。
(今の話、本当なの?キイはおれのお兄さんなの?)
(アムイ!)
キイはアムイを抱きしめた。
その時の彼の悲痛な声が今でも忘れられない。
(お前はそんな事、知らなくていい!知らなくていいんだ!)
「禁忌を犯して儲けた子供と、大罪を犯しておきながら別の女との間に子供を作った父親。
そんな父親が王家の血を引くからって、俺達が罪人の子であるのは、血筋と同様に事実だろ?
そうさ、父さんがした事は、紛れもない事実。それはキイの存在が全てを語っているじゃないか。
それは消す事ができない、これこそが現実だと、爺さんは思わないか?」
セド王国は禁忌を犯し、神の逆鱗に触れて、一夜にして滅んだ………。
そうだよ。
だから滅んだんだ。
だから母さんは血の海の中で息絶えたんだ。
だから神は父さんを許さない。
……俺達の事も、俺達が王家の子だという事だって、きっと許すはずがない。
サクヤ達はアムイの苦悩を目の当たりにして、その場を動く事ができなかった。
息苦しい、重い空気がその場を支配していた。
(キイとアムイが…兄弟…)
イェンランは胸が詰まった。
確かにそう言われてみれば、まるっきり正反対なのに、どこかしら二人は似ている…。
二人の切れない絆はここからくるものなのだろうか?
だがアムイはその事については本当は考えたくなかった。
血の繋がりなんて、俺達には何の意味も持たない。
現実を突きつけられ、かえって煩わしいだけだ。
…母は違えど、同じ父を持つ俺達…。
その現実は哀しい事に、父が犯した罪悪を思い起こさせる。
アムイにはキイの存在だけ。
彼の魂だけが自分の世界の全て。
本当にそれ以外、自分は必要じゃない!
キイもそうだ。
彼もまた、アムイの魂、アムイの存在だけが全てだった。
血の繋がりなんていらなかった。
自分がこんなに流動的なのも、不安定なところがあるのも、
全て自分の生まれのせいだった。
彼にとって親と認めていたのは、自分をこの世に生み出した母親だけ。
種のもとなど関係なかったし、興味なんてなかった。
キイもその事実については考えたくない。思い出したくない。
アムイが苦しむのを見たくなかったから。
だけど事実はそこにあった。紛れもないその事実。
それでもキイにとってはアムイの魂が、差し伸べられた手が、互いの“気”の交歓が全てだった。
(ねぇ。見てごらんよ!外の世界はこんなに綺麗だよ!
君と同じくこんなに綺麗だ!)
そう言ってこの世を漂っていた自分に手を差し伸べ捉まえた小さなアムイ。
この時からキイはこの世界にいようと思ったのだ。
だからあの日が来るまでは、その事実はあれ、二人には幸せな時だけが過ぎていったのだ。
この現実を目の前に突きつけられ、アムイを恐怖と絶望に追い込み、自分は越えなければならない試練を与えられ…心の地獄に陥れた、あの日が来るまでは。
キイは己が犯した心の闇を、アムイのために越える決意をしたのは、それからかなり経ってからだが、ズタズタに引き裂かれたアムイの心は戻らなかった。
彼は毎夜、迫り来る恐怖に脅かされた。
目を閉じる度、封印した記憶が暴れ始めるのだ。
その度に小さなキイは苦しんだ。それでもぎりぎりの所で、アムイを失わずにすんだ事を喜ぶ自分がいた。
次は自分がアムイを救うんだ…。
キイはそうして毎夜アムイの傍から離れはしなかった。
己が持つ癒しの力なら、もしかしたら彼の心を取り戻せるかもしれないと信じて。
アムイもまた、あの日を封印してから、自分が他人に心を開く事ができないでいた。
彼にはキイしかいなかった。
キイの傍なら安心して眠りにつく事ができた。
本当は知りたくもなかった。
人の醜さ、業、全ての忌み嫌う負の感情………。憎悪、妬み、愛憎、狂気。
まだ何も知らなかった純真無垢な自分に襲ったそれらの闇の襲撃は、彼のトラウマとなり、大人になった今でも苦しみ続けている。
だからアムイには、自分の片割れであるキイしかいらない。
このままキイが傍にいれば、他の人間なんて自分にとって必要ない。
現実を全て封印し、なかった事にしたかった。
だけど………。
アムイは暗い瞳を宙に漂わせた。
……俺はそう今まで思って生きてきた。
キイと離れてしまうまでは……。
だが、実のところ、本当はこのままではいけないと、半分心の底では感じていた。
俺はキイに甘え、目を瞑っていた。
それがキイの存在が自分から離された事で初めて、自分の闇に焦燥を感じたのだ。
なのに不甲斐ない俺は、まだ往生際悪く逃げ回っている。
……父さんに全て押し付け、あの時の闇と恐怖を封印した箱を抱えながら……。
「アムイよ。お主の言う通りじゃ。お主の父のした事は紛れもない事実。
決して消せぬ現実じゃ。
……だがわしは、お前が失ってしまった…いや、己が封印してしまった記憶がどうしても気になる。
18年前のあの日。セドの首都が一夜にして壊滅。そして国は半壊にして崩壊…。
生き残ったお前達。
何が起こったのかは…竜虎に聞いて大体の状況はわかっておる。
何が起きて壊滅したのかはな。
…だが。キイも口を閉ざす、お主も心は閉ざす。あの日、一体何があったというのじゃ。
お主を苦しめ続けている心の傷。本来のお主を封印してしまったほどの体験。
……ここのまま放っておく訳にはいかないと、わしは思うのじゃよ」
昴老人の声は限りなく優しく、心からアムイを心配しているとわかる。
「のう、アムイ。わしはお主の父に何度か会って話をした事がある。
……お主が父を許せない気持ちもわかるが、ならば記憶の中の父はどうじゃった?
大罪を犯すに似つかわしい人物か?それともそれすら忘れてしまったか……」
アムイはじっと昴老人の話を聞いていた。
自分の中の、父の記憶。
わかっている!
だからこそ辛いのではないか。
優しくて、そこにいるだけで、周りを明るくさせる、本当に太陽と呼ばれるにふさわしかった父。
日の光のように、自分を温かく包み込む腕の中が大好きだった。
だからこそ、許せないのではないか。
父のした事。父の存在。…父の記憶。
昴老人は遠い眼をして何十年も昔に思いを馳せた。
もし、過去を垣間見える術がこの世にあるのなら、昴はそれで過去の真実をを知りたいと思う。
「どの歴史でもそうじゃが、周りが把握している事実と、中の真実にズレがある事もある。
特にその出来事に関わった人間の内情ほど、当事者でなければわからないものじゃ」
セド王国に、太陽と称された若き王子がいた。
彼は第五王子であったが、次の神王となるべくにふさわしい全てを持っていた。
現神王も、国民も、皆が待ちに待っていた期待の王子だったのだ。
なのに何故それほどの彼が禁忌を犯し、王位継承権を剥奪され王家を追放されたのか。
王国の存続のため、大罪を犯す必要があったのか…。
その証である背徳の王子は神の秘宝を握るとされ、今は他国の有力者の野望の対象とされている。
一夜にして王国が滅ぶほどの力を持つ、神の秘宝。
セドの太陽はこの力を手に入れるために大罪人となったのか。
では、その大罪人の血を引くアムイは何なのだ。
彼もキイと同じく背徳の王子であるのか。
それはセドが滅し、真実を知る当事者もこの世にいない今、全ては闇に葬られている。
それはもう、生き残った二人でさえも永遠に知らされることはない、ただ事実だけがそこに存在しているという、遠い過去の出来事。
神の子孫である神王を頂く大陸最古の民族セド。
その王国は28年前、国の存続の為に禁忌を犯し、神を裏切り、神の宝を奪った。
怒り狂った神は、その後一夜にして王国を壊滅した。
だが神は、その証といえる二人の王子を何故かこの地に残した。
この今も荒れ狂う動乱の大地に…。
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