アーシュラは尋常でない二人の様子に恐怖を感じた。
ザイゼムとキイは一歩も互いを譲らず、火花を散らしている。今にも激突しそうだ。
しかし、額の封印と、気との戦いでキイはいつもの身体ではなかった。
本当は足がすぐにでもその場で崩れ落ちそうなくらいだった。
だが、ここで今引いてしまったら、キイはいつアムイに逢えるのだろう。
本来の自分ではないのに、この男と戦って勝てるのだろうか?
こんな状態でなければ、自分は絶対負けはしない自信はある。
キイは悔しかった。今の自分の状態を呪った。
ザイゼムもまた、言い知れぬ激情の渦の中にいた。
それは何年もこの歳まで生きてきて、今まで経験した事もない感情だった。
これが“嫉妬”というものなのか?
目の前にいる男に、可愛さ余って憎さがどんどん増していくのを彼は抑えきれなかった。
ザイゼムは、キイを傷つけたくなった。
初めてだった。
自分の中にこんなどす黒い感情が渦巻いて、それを相手にぶつけようとするなんて。
「お前をここから出すわけにはいかない」
ザイゼムは唸るように言った。
「そこまでして何で俺にこだわるのかわかんねぇよ!」
キイは吐き捨てるように言った。
「最初から俺の事をモノ扱いしやがって、俺はあんたのモノなんかじゃない!」
ザイゼムの目が怒りで黒ずんだ。
「ならばお前はアムイのものだというのか」
キイもザイゼムを睨み返し、彼の怒りに対抗した。
「そうさ」
キイはわざと挑発するように言った。
「俺はアムイのものなんだよ!生まれた時から、いや、未来永劫、俺はアムイのものだ!」
その言葉にザイゼムは我を忘れた。
いきなりキイを平手で張り倒すと彼の髪を掴み、顔を自分の方に向かせた。
「陛下!!」
突然の事で、アーシュラは真っ青になった。
キイの唇が切れて、一筋の血が顎まで伝っている。
それでもキイは屈しない。ぎらぎらと光る目で、じっとザイゼムを威嚇し続けている。
「だが今は俺の手の中だ。キイ」
静かに、だが威圧的にザイゼムは断言した。
キイは負けじと自分の髪を掴んでいるザイゼムの手首を掴むと、引き剥がそうと力を入れた。
だが、やはり本調子でないキイは、簡単にザイゼムにその手をもう一つの手で固定されてしまった。
「無駄な抵抗はよせ、【宵の流星】。
今のお前は赤子も同然。私に敵う訳がない」
アーシュラはもう我慢できなかった。
必死でザイゼムを止めようとした。
「陛下!お願いです!お気を静めてください!キイは今普通の身体じゃないんです!」
「うるさい!アーシュラ!」
ザイゼムは怒鳴った。
だが、アーシュラもこのまま引っ込む事は出来なかった。
「陛下!」彼はもみ合う二人の間に入った。
「どけ!アーシュラ!」
ザイゼムは怒りのまま、アーシュラを片手で払いのけた。
アーシュラはそのまま飛ばされる。
「いけない…。いけません陛下…」
アーシュラは急いで体勢を整えようとした。
それに気づいたザイゼムは、キイを掴んで無理矢理自分の方に引き寄せると、顔を近づけてこう言った。
「私がお前にこだわる理由を教えてやる」
「陛下!!」
アーシュラの声は悲痛を増した。
ザイゼムはアーシュラを無視して、嫌がるキイをもの凄い力で担ぎながら、向かいの部屋に移動した。
「おやめください!陛下!」
アーシュラは二人の後を追った。
が、しかし、彼の鼻先で扉は閉まり、勢いよく鍵をかける音が静まった廊下にこだました。
部屋に入ったザイゼムはキイを突き飛ばすと、彼が抵抗しないように後ろ手にして自分の腰紐で手首を縛った。
キイは両手が使えぬまま、ザイゼムに傍にあった椅子に座らされた。
「畜生…」
ザイゼムから受けた屈辱は、キイのプライドをズタズタにした。
本来の自分なら、こんな辱めを受ける隙など与えないのに。
怒りを持続させながらも、キイはザイゼムの顔を見上げた。
彼の顔は氷のように冷たい。
「…これで邪魔は入らない」
ザイゼムの声も地獄から響いているかのようだ。
キイは息を整えた。
「お前が俺にこだわる理由とやらを教えるって言うのか」
「…ああ」
「じゃあ、聞いてやる。お前の目的は何だ」
それこそ本来、キイが聞きたかった事だった。
キイはそのためにザイゼムの近くにいたというのは過言ではない。
この男、どこまで知っているのか…。
「本当にお前は誇り高く、誰にも屈しないのだな。
このような目にあっても」
ザイゼムは目を伏せながら言った。
彼の表情はわからないが、まるで自分を賛美しているように聞こえる。
「……お前は本当に美しい。この美しさはこの世ではなかなかお目にかかれない。
たとえ誰かに陵辱されたとしても、お前の美しさは損なわれやしないだろう。
身も心も」
その言葉に、キイは反応した。
ザイゼムは探るように彼を見つめながら言葉を続けた。
「見た目のことだけでいえば、お前ほど不思議な人間はいないと思うよ。
ある時は聖人聖女のごとく、神聖な美しさを持ちながら、反面、人の欲望をそそる様な背徳を感じさせる妖艶な色を持っている。まるで神を裏切った天の申し子ようだ」
キイの表情がどんどん冷たくなっていった。
それは青ざめたというよりも、感情を押し殺しているように見えた。
伏目がちにした瞳は、周りの景色を映してないようで、陰影を作るほどの長い睫毛の下で黒ずんでいる。
だが、不思議なのは、彼の微かな口元の笑みだった。
その様子を観察しながらも、ザイゼムは話を続けた。
「私は若い頃、面白い話を東の小さな村で聞いた。
これは本当なのか、私は胸が躍ったよ。
その村は元々、セド王国が所有していた古い村だった。
神王が統べたという、最近一夜にして滅亡した国だ。
お前も記憶にあるだろう?」
キイの表情はピクリとも変わらない。
「東の国で前からまことしめやかに囁かれていた…噂。
“セド王国は己の存続のために禁忌を犯し、神の逆鱗に触れて一夜にして滅んだ”
今じゃこの噂も、東から流れた人間が、広めているらしいが」
ザイゼムはキイの周りをゆっくり回りながら、話し続ける。
「その噂にはもうひとつ、面白い話がくっついていた。
そう、それが…セド王国最後の秘宝の話だ。
セドは神が怒るのを承知の上で、秘宝を天から奪ったらしい、と。
だからこそセドは滅んだのだ、一夜にして。
しかも、だ。その秘宝を手にした者は、巨大な神の力を得、世界を牛耳る力をもたらすというじゃないか」
キイはまったく反応しない。瞬きすらもしない。
「面白いだろう?あの昔から続く、しかも神国オーンとも繋がりが強かったセド王国が一夜にして滅して、他の国や貴族、豪族達が、興味持たないなんて嘘じゃないか。
私もそうさ。だから若い頃、様々な所へ行って、色々と調べたんだよ」
彼はそう言いながら、キイの顎に手をそえ、自分の方に顔を向けさせた。
それでもキイは無表情でザイゼムの顔を見ようとしない。
「…そうしたら、もっと興味深いことがわかったのさ。
あの一夜で王国の者は全て絶えたと言われていたが、…なんと、生き残りがいたらしい」
キイはじっと彼の言葉を聞いている。ザイゼムはもっと彼の顔に自分の顔を近づけ、囁いた。
「……その人物は難を逃れてある所に預けられた。異名を貰って。
最後の秘宝の鍵を握って……」
キイが震えるように息を吸い上げた。
ザイゼムは目を細めた。
「私はその人物に凄い興味を持ったよ。だから何年もかけて探し出し、自分の腹心をその人物の近くに行かせたんだ」
キイの目が微かに見開いたのを、ザイゼムが見逃すはずはなかった。
「どれだけその人間に私は会いたかったか…。報告を受ける度、ぞくぞくしたよ」
「ルラン!ルラン!」
アーシュラは嫌な予感に突き動かされて、何とかしようと必死だった。
彼はもう就寝してるであろう、ルランの部屋を叩いた。
「あれ…?アーシュラ様…、どうかされたんですか?」
すぐさま目を擦りながらルランが出てきた。
「お前!合鍵、持っていたよな?」
アーシュラはいきなり言った。
「は?」
ルランは突然の事に、訳がわからなくて目を瞬いた。
とにかくアーシュラの剣幕に押されて、ルランは言われたとおりの部屋の合鍵を渡した。
あのいつも冷静なアーシュラ様が…。
ルランも嫌な予感で胸が苦しくなった。
二人は急いで鍵を開けた。
本来なら王がする事を阻止しする事だ。かなりの大罪になるかもしれぬ。
だが、それよりもアーシュラは、キイとザイゼムの関係を心配していた。
陛下があのような振る舞いをするなんて余程の事なのは、ずっと仕えてきた二人ならよくわかっている。
取り返しのつかない事にならなければよいが…。
特にアーシュラはキイが心配だった。
似たような激しい二人。
お互いぶつかり過ぎて、互いが自滅しなければよいが…。
が、駆けつけた二人が見たものは、静かに対峙しているキイとザイゼムの張り詰めた空間だった。
ザイゼムは続ける。
まるで、獲物を追い詰める、文字通り狩人のように。
「それが聞いてくれよ。今日、面白い情報を手に入れた。
東のある州の幹部が、内密に私に教えてくれたんだよ」
口の端で笑いながら、高揚して彼はキイに話した。
「あいつらはセドの秘宝を手にしたくても、自分達に力がないからこうして我々みたいな力ある国や一族に寄生する為に情報をくれるのさ。
…その幹部は、昔、神国オーンに神官として務めていながら規則を破り、オーンを追われた罪人を手にすることに成功したらしい。しかも凄いお土産つきで」
キイの目が揺らいだ。
「セド滅亡時、全て瓦礫となったと思われていた、王家の王族名簿を記した石版だよ。
王位継承者、ならびにその相手を記載した、門外不出、セド王家と天空飛来大聖堂しか閲覧できないという石版だ。…セドはオーンが崇めてる絶対神の血筋という事になる。本来は大聖堂に保管しているはずなのだがね」
ザイゼムは話に夢中になって、部屋に飛び込んできた二人に気づかなかった。
「私はね、キイ。なんでオーンが当時兵を出すまで怒り狂ったのか、それを知りたくなったんだよ。
他の者は皆、秘宝の方ばかり気を取られているがね。
…そうさ、セドの秘宝以上に、私は知りたかった。神をも逆鱗させた“禁忌”の正体を。
セドが犯したとされる“禁忌”の内容が…」
ザイゼムはキイの息が荒くなったのに気づいてニヤリとした。
彼はまるで兎を追い込む狼のごとく、ゆっくりとキイの後ろに回ると、彼の耳に自分の口を寄せた。
「なぁ、キイ。私は知ってしまったんだよ。…その生き残った人間の真実を。
石版の最後に刻まれた名前。そして…セド王国が己の存続の為に犯してしまった最悪な大罪を」
ザイゼムはキイの髪を指に絡ませ、耳元で悪魔のごとく囁いた。
「セドの王子が、神の一番の申し子であるオーンの姫巫女を無理やり陵辱し、その果てに産ませた王子。
…最後の石版に刻まれた背徳の王子の名前。それがお前だ、キイ=ルファイ。
………………いや、
キイ・ルセイ=セドナダ。
禁忌の末に生まれたセド王国の最後の王子」
ザイゼムの言葉は波紋を呼び、呆然と立っている二人にも届いた。
今の話が全て真実ならば、あの時キイが言っていた、“存在自体が罪悪”というのは…。
だが、当のキイはまるっきり顔色を変えず、しかも含み笑いまでしているではないか。
ザイゼムはいぶかしんだ。
「それで?」
あの、いつものからかうような声。
「だから何?それでお前は俺を…どうしようというのか?」
ザイゼムはむっとした。
「背徳の王子であるお前が握っているその王家の秘宝を私がいただく。
そのためにはお前を逃がす訳にはいかないのだ」
「そうか…やっぱりな…」
まるでキイは予想していたかの様に呟いた。
「……じゃあ、このセドの王子である俺様が、【暁の明星】が是非必要なんだ、と言ったら、お前は俺にアムイをくれる気があるか?」
一瞬、何故そのような質問をされるのか、皆は検討もつかなかった。
「なぁ、正直に答えなよ。この俺に、暁をくれるのか、くれないのか」
ザイゼムはキイの真意がわからないまま、こう答えた。
「…何故、お前に暁を与えなければならない?あの影のようにいつもお前の傍にいる…目障りな小僧を」
アーシュラはその時、キイの取り乱した様を思い出した。
確か、キイの気は特殊で…しかもそれを受ける事ができるのが……。
アーシュラが何かを掴みそうなその時、キイがいきなり小さく笑い出した。
一同、その様子に驚いた。
「…ふふ、ふ、ふ、ふふふ、ふ、はは…ははは…」
下を向いていたキイの顔は、笑いが大きくなるにつれてどんどん上の方を向いていく。
「ははは、あーっははっはっ!」
その大きな笑いに、皆は彼の気が触れたのではないかと思った。
笑いながらキイは、自分の懐で脈打つ、小さな玉に思いを馳せていた。
彼はひとしきり大声で笑うと、いきなり椅子から立ち上がり、一瞬で隣にある寝台の上に飛び乗った。
そして器用に肩の関節を緩めると、後ろ手に縛られた手を目の前に戻し、結ばれていた手首の腰紐を、思いきり歯で引きちぎった。
「キイ?」
突然の彼の所業に、皆は唖然としているだけだった。
キイはもう周りを見ていなかった。
切なげな、だが嬉しそうな表情を一瞬浮かべると、自由になった手で、いきなり懐から8粒ほどの虹色の玉を取り出した。
ルランにはそれが見覚えがあった。あの夜の不思議な玉たちだった。
そして次の瞬間、キイは意を決したように目をカッと見開くと、
その玉を全て口に運び…飲み込んだ……。
「キイ!何をするんだ!!」
我に返ったザイゼムは、慌ててキイの傍に駆け寄る。
が、もう遅かった。
全ての玉を飲み込んだキイは、壁に寄り掛かりながら、その場に座るように崩れ落ちた。
「キイ!」
ザイゼムがキイの前に跪き、肩を荒々しく掴んで揺さぶった。
「キイ!」
アーシュラ達も蒼白になってキイの様子を確認する。
皆は息を呑んだ。
キイは空ろで何も映していない目を見開きながらも、もうすでに意識はそこになかった。
その時はまだ、身体は無意識のうちに、動き、生きている事は、微かに動く唇でわかった。
ただ、意識だけを彼は自分でどこかに閉じてしまったようだった。
彼は
自分の意志で、自分自身の意識を封じた。
気を封じられ、また自らの意識を封じ込め、キイは自分で己の存在を封印した。
それはまるで、
セド王国最後の秘宝と道連れしたがごとく、己の気の暴走を食い止めるがごとく、
死との隣り合わせの荒業を、キイは自ら進んで決意したのだ。
いつしか己の片割れが自分を引き戻す事だけを信じて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アーシュラの激しい後悔は、キイの命の火が消えかかるまで決意できなかった事だった。
我が陛下への忠誠と、キイへの思いの板ばさみで、アーシュラはいつも迷っていた。
だが、もう自分の本当の気持ちがわかった。
自分は陛下への忠誠心以上に、キイの命が大切だったのだ。
その事に気づくのに、三年もかかってしまった。
時間がかかり過ぎてしまった。
もう遅いかもしれない。だが、少しでもキイの希望を叶えたかった。
(頼む、アーシュラ。お願いだ、アムイに逢わせてくれ…)
「…行こう、キイ。俺が絶対アムイに逢わせてやる。お前が俺に頼んだ事、きっと叶えてみせるから」
アーシュラはそう言うと、キイを大きめなローブに包んだ。
「アーシュラ様?」
ルランが青くなって叫んだ。
「な、何をされるのですか?まさか…」
「キイをアムイの元へ連れて行く」
「いけません!そんな事をしたら陛下が…」
「頼む、ルラン行かせてくれ。頼む」
アーシュラはここ何ヶ月も仮死状態に近かったキイの身体を抱き上げた。
(軽い…)
自分と同じくらいの背の高さの男の重さではなかった。
(こんなに軽くなってしまって…)
ここ、何ヶ月も意識が戻らないキイは半分仮死状態で、ほぼ何も体内に取り入れる事ができなかったのだ。
だが、不思議なことに彼の体内で何かが生きているようで、それらが彼の生命を維持しているようだった。
それは多分、キイの分身でもある虹の玉。
キイの母親である、オーンの最高位、姫巫女が彼に託した【巫女の虹玉】。
だが、その虹玉の力も、三年という長き時にあたって、効力を失いつつある。
文字通りキイの命は風前のともし火であった。
アーシュラは彼を馬に乗せ、固定すると、足場の悪い麓を過ぎるまで、自ら慎重に歩きながら馬の手綱を引いて行った。
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