暁の明星 宵の流星 #36
(ネイチェル?ネイチェル!誰だ!誰がやったんだ!!)
あれは……・父さんの声?
(ネイチェル・・・ああ、しっかりしろ!今誰か呼んでくる!)
母さん?母さんがどうかしたの?
(来るな!アムイ!こっちへ来るんじゃない!子供が見てはだめだ!!)
何で…?母さんがどうかしたの…?
父さんが泣いている。
(今すぐ戻るから…アムイ、お前は向こうへ行ってなさい!)
父さん?何処へ行くの?
あれ…?母さん……。何で…何で…真っ赤なの?
横たわる母さんの白い手が真っ赤に染まって、力なくおれを手招きする。
(アムイ…・。お願い、ここに来て。お前に言いたい事があるの)
まるで母さんの体が真っ赤な花になってしまったようだ。
(お願い…よ、アムイ。キイ様の傍を離れないでね。キイ様をお守りしてあげてね)
どうしたの?母さん。声が…声が聞こえなくなっていくよ…。
(キイ様の存在をお前が守るのよ……・・・・・)
いやだ!母さん!!目を閉じないで!!
お願い!キイ、助けて!母さんを助けて!
〈………女はね…・。月に一度、血を流すのよ。
命になり損ねた塊を吐き出すために………・〉
嫌だ!!やめろ!!!
助けて、キイ!!!
おれの傍にいて!!おれの体を支えて………・・・・キイ!!
「う、うわぁぁぁっ!!」
思わず叫んでアムイは飛び起きた。
ぐっしょりと寝汗を掻いている。
不覚にも、夢を見ていた。
途切れ途切れの眠りの狭間に、こうして昔のビジョンが紛れ込んでくる。
しかも、ここ何年も忘れていた過去の記憶だ。
これも【巫女の虹玉】の影響なのだろうか。
まだ幼かった自分が体験した母の最期…。
アムイはどうやらうたた寝してしまったらしい。
ずっと不眠症のような状態が、キイと離れてからは続いていて、たまに気を抜くとこうして突然浅い眠りに入る。
そういう時は決まって、昔の記憶が夢として流れてくるのだ。
(こんな昔の記憶がはっきり現れてくるなんて…)
アムイは額に浮かぶ汗を手の甲で拭った。
こんな時こそ、キイに傍にいて欲しかった。
あの優しい波動で、自分を包んで欲しかった。
(なぁ、キイよ。俺たちはいつまでこうして苦しまなくてはならないんだろう。
お前は俺よりも…精神的に強いけど、不安定な気のせいで、脆くなる事がある。
俺の深い闇はまだあそこにずっとあるが、お前はその強靭な心で自分の闇を越えていった気がする)
アムイはたまらなく切なくなって目を閉じた。
(だけど。
俺が一番辛いのは、こんなに離れてしまって、お前の気を受け止めてやれない事だ。
お前を受け止めてやれるのは、この俺しかいないのに……)
アムイは何気なく窓の外に視線を移した。
空がうっすらと茜色に染まっている。
アムイは重い体をゆっくりと起こし、シャワーを浴びようと服に手をかける。
もう出発の時刻が近づいていた。
イェンランに会った後、シータは首都から東風(こち)と共に海の方向に下り、水天宮の迎えの者に東風(こち)を無事に届けて、さっき帰ってきたばかりだった。
「やはりお前もついて来るのか」
支度を済ませて、下のロビーで待っていたアムイは言った。
「朝にちゃんと言ったでしょ。
もう聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)には文書で説明済みだから。
それにアタシ、この責務が終わったら国にでも帰ろうと思って、長期休暇届け出していたから問題ないわ」
「じゃ、国に帰ればいいだろうに」
そっけないアムイの言葉に、シータは膨れた。
「相変わらず冷たいわね。
本当の事を言えば、アタシ、聖天風来寺からアンタ達のこと、どうなっているか調べてくれって言われていたのよ。
破門されたとはいえ、アンタ達はあそこで育ったんだもの。
心配してくれる人間も、かなりいるって事。有難いわよね」
その言葉にアムイはぶすっとして荷物を手にした。
シータはすでに聖天風来寺を卒門して、現在お抱えの用心棒として席を置いていた。
将来師範代試験でも受ける気かもしれない。
そうこうしているうちに、サクヤが宿のチェックをすまして二人の元にやって来た。
「終わったよ、兄貴。これから馬宿の方に馬を取りに行こう」
「ああ」
と、三人が宿を出ようと足を進めようとした時、
「ちょっと待ってよ!勝手に行かないでくれる?」
イェンランが自分の荷物を持って駆け出してきた。
「お嬢!」
シータは目を見開いたが、次の瞬間優しい眼差しで彼女を見た。
「大丈夫なのか?イェン。君はここに残った方が…」
サクヤが心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「何言ってんの。早く行こう。時間がなくなっちゃうわよ」
彼女はそう言うと、皆の前をすたすた歩いて行く。
アムイが彼女の傍に近づいた。
「行くのか」
「うん。私いくら考えても、たったひとつの答えしか浮かんでこなかった。
やはり私、キイに会いたい。会って確かめたいの。
人の話じゃなく、自分自身でキイを知りたい。
そして自分の気持ちが何なのか、今度こそはっきりさせたいの」
と、毅然と宣言する彼女をじっと見ていたアムイは、何か感じたらしく少し遠慮がちに言った。
「…お前には詳しく教えてあげられないが」
その言葉に、イェンランは振り向いた。
「キイが女に甘すぎるのは…。ま、女好きは本当だけど。
それだけじゃくて…。
あいつが異常に女に弱いのは、あいつの母親が関係しているんだ。
これ以上は言えないけど、あいつは本当に女を軽く扱えない奴だよ。
それだけは知っていてくれ」
アムイは暗い目をしてそう言うと、彼女より足を早め、先に行ってしまった。
(キイの…お母さん?)
イェンランはその時、アムイとキイが何か大きなものを背負っているような、そういう感じを強く受けた。
それが何かはわからないけど。
そう、自分の範疇を越えるくらいの何かを。
「ま、お嬢はなるべくアタシが面倒見るわよ、ね?」
シータは彼女に片目を瞑った。
「ありがと…、シータ」
イェンランは頬を染めて彼に微笑んだ。
一行が馬宿の方に向かっている最中に、数名の人間が揉めているのにアムイ達は遭遇した。
それはこの宿の使用人と思われる複数の男達と、長旅をしていたであろうと思わせる、身なりがぼろぼろの一人の男が争っているようだった。
「うるさい!ここにはお前みたいな奴が働く場所なんてないんだ!」
中心株と思われる大男が旅の男に怒鳴った。
「お願いです!何でもします!だから、私に仕事をください。
どうしてもこの国で働きたいんです!」
旅の男は地面に額をこすり付け、男達に懇願していた。
「悪いがお前にやる仕事はねえよ。俺たちだってやっと自分の仕事にありつけてんだ。
よそ者のあんたにわけてやる仕事なんてない」
違う男が蔑む様な目で旅人を見下ろした。
「特にあんた、東から流れてきたんだろう?
あんな無法地帯から来る人間を、おいそれと信用なんてできるか」
また別の男が唾を吐きながら言った。
「お願いです!本当に何でもやります!そうしなければ…。
この国で生活できるようにならなければ…。
置いてきた家族を呼ぶ事ができない…。
そうしなければ、子供達が…。私の子達が人買いの手に渡ってしまう…!!」
旅人は我慢できず、涙をぽろぽろと流した。
その言葉にサクヤは胸を掴まれ、身体が固まった。
(ああ、何てことだ…)
サクヤはこういう話を聞くととても辛くなる。どうしようもない怒りと共に。
使用人達は尚すがり付こうとする旅の男を足蹴にすると、こう吐き捨てた。
「恨むんなら、あんた、東を統合していたセドの王国を恨みな!」
「確かにあの王国が滅びなければ、東の国もこんなにならなかったかもしれねえなぁ」
からかうように大男が言った。
「ま、あの話が本当なら、あんな王国が統合していた国なんて、やはり最低には変わりねぇだろうが」
そして蔑むような顔をするとこう言い放った。
「セドの王国は己の存続のために禁忌を犯し、神の逆鱗に触れて一夜にして滅んだ」
「それがまだ二十年くらい前の話ときちゃ、東の人間も可哀そうだよなぁ」
男達はニヤニヤしながら宿の勝手口の方へと帰って行った。
取り残された旅の男はがっくりとうなだれて放心状態になっていた。
シータは思わずアムイの様子を伺った。
アムイはいつも以上に顔をこわばらせ、瞳は暗く沈んでいる。
しばらく旅の男を遠くから眺めていたアムイだったが、突然その男に近づくと声をかけた。
「…おっさん…。この国で働きたいのか」
その言葉に、男ははっとしてアムイを見上げた。
「このくらいあれば、当分はしのげる。
きちんと身なりを整えて、この国の役所にちゃんと行った方がいい。
持っていきなよ」
と、懐からお金の入った袋を旅人の手に渡した。
「…い、いいんですか?」
「あんた、国で子供が待ってるんだろう?あんたがしっかりしないと、家族が路頭に迷うんだろう?」
「はい……」
男は涙を拭った。
「俺はこんなことしかできないが、後はおっさんが何とかしな」
と、言うと男を残し、そのまま皆と合流せずに馬舎の方に向かった。
「あ、ありがとうございます!お若い武人さん!本当にありがとうございます!」
旅の男は手にした金の袋に何度も頭をこすり付けて、大粒の涙をこぼした。
その様子を呆然とサクヤとイェンランが見つめていた。
「兄貴があんな事をするなんて…」
サクヤの呟きに、シータが言った。
「すごく、意外?」
「ええ…。あまり他人とのいざこざには自分から首を出さない人だったから…」
「……今のはアイツもどうしようもなかったのかもねぇ」
シータの言葉に、サクヤは不思議な顔して彼を振り向いた。
「アイツ、東の戦災孤児だったらしいから」
「え…」
「運良く聖天師長(しょうてんしちょう)様に引き取られて教育を受けられたみたいだけど、まかり間違えばアイツだって、今の人の子供のような感じだったでしょうよ」
(兄貴が…東の戦災孤児……)
サクヤは先程以上に、胸が締め付けられて苦しくてしょうがなかった。
そして何となく、アムイが人を寄せ付けない理由が、そこにあるのではないかと思った。
アムイはこの森の多い国で、思い出したくもない記憶が一部押し寄せてきて、かなり翻弄されていた。
そしてキイの記憶も思いも、自分を切なくさせていた。
いつかは向き合わなければならない時が来る。
いつまでも逃げていてはいけないのかもしれない。
だが……。
アムイにはまだ心の準備ができていなかった。
アムイの心に存在する追憶の森は、これから訪れるであろう嵐を待っているかのように、ざわざわと騒がしく意識の底で蠢いていた。
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