暁の明星 宵の流星 #59
ラムウが何かがおかしい事に気が付いた時、すでに王子は姫巫女の元へ向かった直後だった。
彼は何かしら胸騒ぎを覚えて、一心不乱に数日間寝ずに仕事をこなし、急いで明け方城に戻った。
そこで王子の事がわかって血の気が引いた。
そうなのだ。敬虔なオーン信徒であるラムウは、自分の知らぬ間に命よりも大事な王子が、王太子を辞退し、とんでもない役割を押し付けられていたのに愕然とした。
彼は脱兎のごとく王子を追った。とにかくすぐに自分は、王子の元へ駆けつけたかった。
その晩はやけに生暖かな日だった。
隣島からオーンに明け方戻るつもりで、姫巫女一行は慰問を終え、夕刻港町の宿に泊まった。
何しろ5歳の頃から姫巫女は神殿暮らしだった。
こんな遠出、滅多にない事で、彼女は子供のようにわくわくしていた。
「姫巫女様、お願いです。どうかもう少し自重された方が…」
ネイチェルが思わず忠告してしまうほどに彼女は浮かれていた。
確かにいい年齢の彼女であるが、箱入り娘と同じ、精神的には童女のような所があった。
だからネイチェルは年下ながら、いつも彼女を庇護する気持ちで接していた。
時には姫巫女にとって、それはちょっと煩わしかったけれど。
だから姫巫女はネイチェルの目を盗んで、ちょっと足を伸ばしてみたくなったのだ。
それもひとりで。きっとネイチェルは怒るだろう。
でもこの島はオーン所縁の島、他よりも安全なはずだ。
彼女はそっとひとり、海とは反対の森の方へと向かった。
ネイチェルがその事に気づいたのはかなり外が薄暗くなってからだった。
「姫巫女は?」
ネイチェルは嫌な予感がして部屋も辺りも彼女を捜した。
浜辺も海も、一帯を探し果てて、彼女は森の方をまだ探していない事に気が付いた。
彼女は草花が好きだった。
特にこの島には珍しい花がたくさん咲き乱れている。
ネイチェルは自分の迂闊さを悔やんだ。
もの凄い胸騒ぎがする。彼女はとにかく森へ急いだ。
姫巫女は辺りが暗くなって、初めて自分が花に夢中になっていたのに気が付いた。
「ネイチェルが怒るわ、きっと」
彼女は慌ててその場を去ろうとした時だった。
突然誰かに後ろから抱きかかえられた。
「きゃ…」
大声を出そうとして彼女は口をふさがれた。
恐怖で身体が硬直した。
「申し訳ない、姫巫女」
彼女の耳元で、夕闇のような声が響いた。
この声…。忘れられるはずもない、この低い声は…。
(セドの王子!?)
彼女は混乱した。
「……貴女にするこの無礼…。一生かかっても私は償います、だから…」
彼女は彼が何を言っているのかわからなかった。
切なげで、苦しそうな彼の声に、姫巫女は息が詰まった。
王子は意を決したように、次の瞬間彼女を押し倒した。
覚悟を決めた男の力は、女の身である彼女にはびくともしなかった。
その時になって、姫巫女は彼が自分に何をしようとするのかを察した。
「王子!」
彼の手の隙間から、彼女は声を出した。
「な、何をするの!やめて!やめてください!!」
身体は大人の女性でも、心はまだ未成熟な少女のような彼女であったが、本能で身の危険を感じた。
恐怖が彼女を支配した。
暗闇に、彼女の泣き叫ぶ声がこだました。
その声を微かに聞いたネイチェルは青ざめた。
「姫巫女…!」
彼女は声のする方に懸命に走って行った。
「姫巫女!!」
ネイチェルがその場に着いたとき、暗闇に二人の人影が放心状態で半身を起こし、向かい合っていた。
そのひとりがネイチェルの大切な姫巫女だという事を、彼女がすすり泣いている声で知った。
暗闇でぼんやりとしかわからないが、何があったかは想像がついた。
ネイチェルの頭に血が昇った。
「貴様!何ていう事を!!」
彼女は剣を抜き、相手の男に切ってかかっていった。
カキーン!
彼女の刃は違う方向から来た大男によって遮られた。
「くっ!」
もの凄い力に彼女はひるんだ。
それでもすぐに体勢を整えた彼女は、大男に向かっていった。
「邪魔するな!!この不届き者!我らが大陸の宝、神の申し子に何て所業をしたんだ!!!」
ネイチェルは我を忘れた。
確かに女が少ないこの大陸で、神の声を聞く巫女は今はかなりの希少な存在。
それを穢されたという事は、この世の神の宝を壊したのも同じ。
もの凄い気迫で彼女は相手に切りかかった。
が、相手もかなり腕が立つ。女の彼女は体力的に疲れが出てきてしまった。
「ラムウ!もういい、もういいのだ!」
二人の合戦に、姫巫女の側にいた男が叫んだ。
ネイチェルははっとした。
(この声…アマト王子!?)
「アマト様を…。私の王子を…。いかなる事情であれ、切る事はこのラムウが許さない!
女、剣を納めよ、お前の腕は私にはわかったから」
ネイチェルの相手は、急いで後を追ってきたラムウだったのだ。
彼女もまた混乱した。
何故?何故セドの王子が姫巫女を……?何故!!
彼女の脳裏に王子の黒い瞳がよぎった。あの、手が触れた感触を思い出した。
その一瞬に隙ができた。
ラムウは彼女を峰打ちした。崩れ落ちた彼女を、ラムウは抱えた。
宿の方角が段々騒がしくなったのを見計らったラムウは、周りに潜んでいた者達を呼び、こう言った。
「ここをすぐさま離れる!一行早く船に乗れ。とにかくここを出よう」
姫巫女が、月光天司と共に、行方がわからなくなった事に、大聖堂は大騒ぎになった。
特に姫巫女の実弟、サーディオ聖剛天司は気が気でなかった。
「姉上の行方は?一向にわからぬのか!!」
兄弟姉妹多くいれど、サーディオにとって姉ラスターベルは姫巫女にして神聖。敬愛する一番の人間だ。
しかもサーディオがこれまた尊敬している、月光天司まで行方がわからなくなるとは…。
このまま飛び出ていきそうだ。サーディオが痺れを切らして大聖堂を出ようとした時だった。
「……セドの王子が…姉君に結婚を…?」
その信じがたい話に、サーディオは呆然とした。
「…だから、今、セド王国に確認に行っておる。それまでなるべく騒ぎは内輪だけにしたいのだ」
最高天司長はにべもなくそう言った。
「何故?どうして?セド王国が何故に神の巫女を???」
「それは我々にも要領を得ないのです。王子の説明している事は…どうもよくわからない…」
「それでももしセドが関係していたとしても、巫女を誘拐するとは神をも冒涜する行為。
何故早く兵を出さないのですか!」
「だからちゃんと確認を取ってから、と言ったではないか。…それに、セド王国というのは厄介なのだ。
セドはオーンと縁が深すぎる。身内と言ってもよい。…大事にはしたくないのだ」
「最高天司長!!」
サーディオは納得いかなかった。いくらなんでも冒涜は冒涜。
そこまでセドに義理立てる必要があるのか。
何が女神の子孫だ。何が神の血を引く王だ。
サーディオにとって、そんなのはただの伝説にすぎない。
そしてその後、セドのアマト王子が姫巫女と駆け落ちしたのではないか、という話が浮上した。
セド王国の新しい神王タカトは申し訳なさそうに、オーンに謝罪したのだ。
「我々もおかしいと思っていたのです。…我が弟のアマトの様子が最近変でした。
いきなり王位を私に譲ると、婚約者までいたのにですよ…。
アマトはそれほどまでに姫巫女に入れ込んでいたのか…。あの日以来、彼の行方が我々もわからないのです。
もし、本当にそんな大それた所業をしたのなら、我々も弟を罰せねばなりません。
どうか、オーンよ。大事な姫巫女を略奪したと思われる弟王子を、好きに罰していただきたい」
巫女略奪、という前代未聞のこの所業。
しかも相手は身内のような王家の人間。
普通なら死罪にも当たるほどの大罪。
しかし、今はまだ、真相はわからぬ。
……それにもし、本当に駆け落ちとならば、姫巫女の意向はどうあれ、すでに純潔は失われただの人になってる可能性のほうが高い。……そういうはっきりしない事も手伝って、最高天司長はこの件を保留にしたのだ。
ただ、セド王家には面目が立たないだろうという事で、アマト王子が本当にこの件に関わっているのならば、王位継承権を剥奪、追放、という処罰を下すように申し出た。
だがサーディオだけは、ひとり納得いかなかった。
多分今でも姉と共にいる月光天司の所在も気になる。
彼は何年かかっても、この件をうやむやにするつもりはなく、独自に調査する事を決めた。
「出して!お願い出して!!姫巫女…。
…姉(あね)様!!お願い私を姉(あね)様のところに行かせて!!」
昔懐かしい呼び名を、ネイチェルは繰り返し叫んだ。
気が付いたら彼女は知らない土地の、知らない屋敷の一室に幽閉されていた。
彼女の不安は大きくなるばかりだ。
自分よりも年上だが、本当に純真無垢で、この世の穢れを知らない…いや、知らな過ぎる姉(あね)様。
本当に天の子供のようなあの彼女に、今起きている事実をネイチェルは考えたくなかった。
怒りと、悔しさ、…そして悲しさ…。
ありとあらゆる感情が渦巻いて、ネイチェルを翻弄した。
彼女は拳が血に染まるまで、重い扉を叩いた。
そして心の片隅に、あの王子の黒い瞳がちらついていた。
「すまない…ラムウ」
アマトはラムウの顔を見れなかった。
ラムウは怒りでどうにかなってしまいそうな勢いを、何とか持ち前の精神力で抑え続けた。
王子に怒っているのではない。
自分の大事な彼を、陥れた者達に対してである。
彼は馬鹿ではなかった。
この王子を疎んじ、自分が王に成り代わろうとする人間がいた事くらい、わかっている。
だからこそ、ラムウは自分をも許せなかった。
私の王子…。私達がずっと待ち望んでいた本物の神王となるべきお方を…。
迂闊だった。本当に迂闊だった。己が守りきれなかった。
それなのにこの私の王子は、この大罪を大罪と知って、国のためと信じ、覚悟を決めて決行したのだ。
ラムウは王子には何も言えない。
彼はそういう彼の甘い所をも、愛していたからだった。
だが、この時から、彼の運命も知らないうちに狂っていった。
彼は、大罪を犯してしまった自分の王子と、運命を共にする決心を固めた。
そして大罪をおかしてしまったアマトは、泣き暮れる姫巫女の元へ、毎晩通うようになった。
……彼女を説得するためと、責任を取るため、そして………子を成すために。
それはお互いにとって、地獄のような苦しみでもあった。
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