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2010年4月 4日 (日)

暁の明星 宵の流星 #60

「ああ!いや!もうここには来ないで!!
貴方のした事は、私を地獄に突き落としたと同じ。
王国のため?大陸のため?そんなの私は望んでなどいなかった!
貴方は私を穢したのよ!私をただの女にした!
私はもう、神の声が、天の声が聞こえない!
貴方は私に恐怖をくれただけ。今更言い訳したって、この事実は…。
貴方が私にした大罪は消す事はできないのよ!!」


姫巫女はアマトが部屋に訪れる度、そうやってなじった。
彼は百も承知だった。
だが、彼は彼女をそのまま放り出す訳にはいかなかった。
なじられながらも、叩かれながらも、彼は一生懸命彼女を説得しようと試みた。
そして必ず、全てを出し尽くした後、彼は彼女を抱いた。
最初は抵抗していた彼女も、諦めの気持ちが出たのか、最後は抵抗しなかった。
アマトは、この美しい女性を穢したことについて、一生責任を取るつもりでいた。
嫌われようと、疎まれようと、それは彼が唯一できる誠意だった。
彼女に子供ができれば、もしかしたら気持ちが和らいでくれるかもしれない。
そんな甘い一筋の希望をアマトは持っていた。
だが、彼女の心は益々閉ざされていった。
アマトはもう成す術がなくなっていた。
そういう関係が、一月続いたある日、彼女の身体に異変が起きた。
妊娠したのである。
アマトは彼女の身体を考え、また、精神的にも疎まれている自分が顔を出さない方がいいのではないかと思い、それが判明した以降、彼は彼女の部屋に通うことを控えた。
その事こそが、彼女を益々精神的に追い詰めてしまったという事も、アマトにはわからなかった。
彼女は、彼がやはり子供を作る目的だけのために、自分を穢し続けたのだと涙した。
子供を宿した途端、彼が自分の所に寄り付かなくなったのは、その証だと思った。


ネイチェルが、やっと幽閉を解かれたのは、ラスターベルの懐妊が明るみになってからだった。
彼女はその事実に眩暈し、そのまま相手であるアマトに怒りをぶつけた。
「この盗人!!大罪人!!」
ネイチェルは何度もアマトの頬を平手打ちした。
「あなたがした事は、ただの獣と同じ!!この極悪人!!この悪魔!!」
アマトは彼女のされるがままだった。
何故ならネイチェルは自分を叩きながら、とめどなく涙を流していたからだ。
自分のした事を、彼女に言い訳する気はさらさらなかった。
怒りは甘んじて受けるつもりだった。
アマトは、彼女の瞳を初めて見たあの瞬間に沸き起こった感情を忘れようとした。
いつか必ず後悔する……。その予感が、現実になりそうで怖かった。


「月光天司!!」
その様子に気づいたラムウが青くなって彼女を止めに入った。
「いい!止めるなラムウ!!」
アマトは叫んだ。
「天司の怒りはもっともだ!わたしは神に背いた大罪人なのだから!」
ラムウは唇を噛んだ。ああ我が君。
ネイチェルはその言葉にわっと床に突っ伏して号泣した。
私は守り切れなかった…。私の巫女…。
ラムウは一言も彼女に声をかけれなかった。
彼女の気持ちがよくわかる。自分もまた、愛する王子を守りきれなかった。


だが、ネイチェルはそうしてずっと泣いてばかりいられなかった。

彼女はラスターベルの身の上を危惧していた。


彼女が慰問で各地の土地を回った時も、意に沿わない妊娠をした女性達をたくさん見てきた。
彼女達の苦悩。恐怖。そして自分自身の身体の変化に伴う精神的苦痛。

子供は宝だ。だが、世の中には親に望まれないで生まれてくる子もあるのだ。
どうしてそういう人間ができるのだろう。
生物的な欲望のひとつだとして、知性も理性もある“人”ではないか。
彼女はさっきはああ言ったが、獣だって同意の上子供を作っているではないか。


ネイチェルの心配は現実となっていた。
ラスターベルの精神はもうどうにかなりそうな所まできていた。
彼女はネイチェルを見るや、力なく涙を流した。
「ネイチェル…私…。怖いの。何だか自分の身体じゃないみたいなの…。
怖い。すごく怖い…。もう神も天も私には何も答えてくれない…。
ううん、穢された私では、もう天は語りかけてくれないのよ……」
ネイチェルは辛かった。まさか神の申し子が、このような目に合うとは…。

ラスターベルの精神不安は、お腹が大きくなるにつれ、どんどんひどくなっていった。
時には彼女は錯乱した。
お腹の子供が動く度、得体の知れない生き物を身体に飼っているようで、恐怖は最高に達した。
そして時には心を閉ざし、何も口にしない事もあった。
心配したアマトが様子を見に来ても、彼女は大きなお腹を抱え、彼をなじった。
ネイチェルはいたたまれなくなって、アマトに顔を出さないように申し出た。


そうこうしている内に、ラスターベルは臨月を迎えた。
彼女の恐怖は半端ではなかった。
この、今まで体内で蠢いている得体の知れぬ罪の子供を、想像を絶する痛みと共に体の外に出さなくてはならないのだ。
「いや、怖い、助けてネイチェル!」
その数日後、陣痛が始まり、下腹部の痛みが激しくなるにつれ、彼女の恐怖は増加した。
このままでは母子共に危険だわ…。
医術を学んでいる中で、何度か偶然子供を取り上げた事もあったネイチェルは、とにかく落ち着かせなければとラスターベルに優しく声をかけた。
「姉(あね)様!ネイチェルがついていますからね。大丈夫ですよ、さぁ、ゆっくり深呼吸して…」
「痛い!いやぁ!痛いわ、助けて!」
「ゆっくりと…。姉(あね)様、ほら、姉(あね)様の好きな花を思い出しましょうよ。そしたらネイチェルと一緒に同じく息をしましょうね」
ネイチェルは彼女の手をきつくにぎりそう励ました。
ラスターベルはネイチェルの誘導で、息にリズムをつける事ができた。
ネイチェルと二人、共同で鼓動を合わせているようだった。
「はい、そこで息を止めて!力を入れて…」
ネイチェルの言葉がラスターベルの心を取り戻していくようだった。
この、規則正しいリズムの中、ラスターベルの恐怖はいつの間にか消えてしまっていた。
痛いし、苦しかった。
だが、意識の果てはそれ以外の気持ちが湧きあがろうとしていた。
その一瞬の無の境地の時に、彼女ははっきりと声を聞いた。
それは彼女がいつも、会話をしていた懐かしい声でもあった。
その声は暖かく、彼女の頭に響いている。
(……もうすぐ、もうすぐよ……。もうすぐ会えるからね…)

彼女はそう聞こえたような気がした。

その瞬間、大きな産声と共に、男の子が生まれた。

「何て綺麗な赤ちゃん!」
助手をしてくれていた王子の使用人の女性が、思わず感嘆の声をあげた。
生まれたばかりの男の赤ん坊は、今まで見たこともないほど綺麗な子だった。
ネイチェルは感動の涙を流しつつも、少々不安になりながら、ラスターベルの胸の近くに赤ん坊を乗せた。
その時、ネイチェルにとって奇跡が起こったのだ。
「……可愛い…」
「姉(あね)様…」
「…なんて可愛いの?私の赤ちゃん………」
そう言ってラスターベルも涙を流していた。
ネイチェルは嬉しかった。
意に沿わない出産をして、生まれた子供を忌み嫌い、親権放棄する母親も多く知っていたからだ。
生まれてくる子供には罪はない。
だが、母性というのは女だから必ず持っているものとは限らないのだ。
ネイチェルはとりあえず安堵した。
あれほど恐怖に自分を見失っていた彼女が、生まれた赤ん坊を可愛い、と言った。
“私の”赤ちゃんと言ってくれた。

それだけで、ネイチェルに希望が湧いてきたのだった。

生まれた子供はキイ・ルセイと名づけられた。
アマトは初めて見る我が子に涙が出た。
小さくて、本当に守ってやらなければならない、と思った。
そしてアマトは再び決心した。
この子のためにも、もう一度、彼女と上手くやっていこう…。
反面、自分を脅かす、神の力の件が頭に浮かんだが、彼は今その事を考えたくなかった。
子はかすがい、というではないか。
何年経ってもいい。家族としてずっと仲良くやっていきたい。
アマトは切実に思っていた。

だが、思わぬ事にラスターベルは産後の肥立ちが悪かった。
というよりも、妊娠中に無理していた事が、彼女の体力を弱らせていたのだ。
この出産は本当に奇跡だったのである。


アマトは出産後、初めて彼女を見舞った。
顔色がとてもよくない。憂いた顔でアマトは言った。
「今日は…私を追い出さないのですね……」
ラスターベルは、初めて彼に微笑んだ。
「坊やは今日、大丈夫でしたか?私を恋しがっていなかったかしら」
声もとてもはかなげで、彼は彼女にした大それた事を、本当にこのとき痛感したのだ。
「……貴女に似た、本当に可愛らしい子だ」
ラスターベルは、アマトの顔をじっと見た。
「……アマト。貴方がこうまでして欲しかった子です。どうですか?どう思われますか?」
彼は彼女が自分に皮肉っているのかと思って悲しくなったが、それも自分が悪いのだ。最後まで、自分は彼女の心を溶かすことは出来なかったらしい…。落胆しつつも、アマトは言った。
「……ありがとう、ラスターベル。私はこの子が可愛いですよ…。私の初めての子だ。大切に思います」
その言葉にラスターベルは安堵した。そして嬉しかった。
彼女は皮肉で聞いたのではない。本当に彼が、自分が生んだ子を歓迎してくれているのかが知りたかっただけであった。

その晩、彼女は久々に穏やかな時間の中にいた。
ずっと恐怖と悲しみと怒りの中で、自分を見失っていた。
…ラスターベルは、自分の死期が近いことを、本能で感じていた。
彼女は涙が溢れてくるのを堪え切れないでいた。
……可愛い私の坊や!
自分の死が近づいて、やっと自分を取り戻すなんて。
いいえ、昔の自分は身体だけは大人で、心は子供のままだった。
こうなって初めて、やっと自分と向き合えるようになった、という方が正しい。


すると彼女は、自分の力が戻って来ている事を感じた。
あの、何年も付き合ってきた……天からの声が……。

彼女は自問自答した。
やっとその余裕ができたのだ。


恐怖は今まで経験していない事柄に対してのもの。
……幼いときから自分にとっては無関係だった経験と、神への罪悪。そして男性の力。
それらが彼女の恐怖の正体だった。

悲しみは、天の声を聞く巫女ではいられなくなってしまった事。

では、怒り……。自分のこの怒りの理由は……。


頭の中で懐かしい声が響いた。


(そう、そうよね…。そのとおりだわ…)
彼女はうっすらと微笑み、そして堪えきれなくなって、嗚咽した。

「私は、……私は……本当は私自身を愛して欲しかったのだ」
ラスターベルは自分の思いを声に出した。

彼女は自分の心の底に渦巻く、このどす黒い感情を、やっと冷静な目で見ることができたのだ。

彼女は自嘲した。
涙を流しながら弱々しく笑った。

(なんという理由!何ていう女の業。
この怒りは、自分は神の意思を担い崇高に生きてきた、
その誇りを奪われ神から遠ざけられたことに対してだと思っていたのに………。

本心はただの女としての怒りだったのだ。

あの人に……
姫巫女だからではない。
他の理由や大義名分ではなく、
私は彼に私自身を求めて欲しかったのだ…。
私に恋し、私自身を愛し求めて欲しかったのだ。
その事に、私の本心はずっと怒り苦しんでいたのだ。)

彼女はそっと両手で顔を覆った。

何回も彼が自分に会いに来る度、差し伸べられた手を跳ね除けてきた。

あの時、私がその気持ちに気づいて、あの人の手を取っていたのなら、また違う人生があっただろうか。


彼女は愛くるしい、自分の息子を思いやった。
何回か胸に抱き、乳を含ませた。
柔らかくて、温かい……。

ああ、私の坊や。愛しい坊や。

彼女は後悔していた。彼がお腹にいた時に、いくら恐怖に慄いていたからといって、ずっと彼を否定してきた。
自分の命が短いのであれば、もっと彼といたかった。
いくら気が付かなかったとはいえ、その時間を無駄にしてしまった。

ラスターベルは、重い身体をやっとの思いで起こし、自分の髪にいつも飾っていた、虹色の玉の髪飾りを枕の下から取り出した。
それは虹色に輝き、まるで生き物のように煌いていた。
彼女はその玉をひとつひとつ、丁寧にばらし始めた。
心を込めて、思いを込めて。……そして魂と命を込めて。


(私の坊や…。お前はこれからこの生まれのせいで、この世で辛い思いをするでしょう。
だからこそ、私が本当にお前を愛していた事を、どうかわかって欲しいのです。
自分の存在を私が望んでなかったと思うかもしれませんが、本当にお前の存在を、母は愛しく思っていた事を…知って欲しいのです。この玉は私とお前を繋ぐ魂の化身。きっとお前を守ってくれる…)

ラスターベルは震える指で、ひとつづつ、玉を糸に紡いでいく。


そうして彼女は明け方に、ネイチェルを自分の枕元に呼んだのだった。

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