暁の明星 宵の流星 #62
アマトは一年ぶりにミカ王妃と再会した。
彼女は自分を見ると、瞳に嬉しそうな色を浮かべた。
だが、彼女の持ってきた話は、アマトを驚愕させた。
「…ええっ?第2王子並びに3人の王子が…しかも末の王子まで…亡くなった?」
「ええ、アマト様がお隠れになってから、たて続きに…。
第2王子フジト様は、アマト様の件でかなりショックを受けられていて、体力が落ちた所で肺炎になってしまって…。ただ、他の王子達なんですけど……」
「他の?」
「それが…死因がわからないのと、見るからに殺された疑いがあるのと」
「こ、この一年の間に?兄弟が5人も亡くなった、というのか!?」
「はい」
「え…。そんな…。私は知らなかった…。王子達が…」
ミカは顔色を変えないでアマトに言った。
「アマト様は今、表向きには追放、という事になってますから…。そうしょっちゅう王家と連絡を取れませんでしょう?」
「?表向き?私は本当に追放されたのでは…」
「……お子様の件がありますから…」
ミカは搾り出すように呟いた。
「その方が大きくなられ、我が城に引き取るまでの間、神王は実父であるアマト様が養育した方がよい、と」
「ほぉ、さすがセドの神王。心が広いお方ですなぁ」
彼女の言葉を受けて、マダキはわざとらしく言った。
「…確かに王家はアマト様を追放しましたけど、こうしてお子様のためにも、たまに連絡を取りたい意向だそうよ、神王は…。ま、まかりなりにもアマト様は直系。したがって巫女様の産んだ子も神王になられる予定なのでしょ?」
「……やはり…セドは我が息子を所望するというのか…」
アマトは震えた。
本来はその目的のために子を成したのではなかったか。
そう彼はわかってはいたのだが、実際生まれた可愛い我が子を見て、心に迷いが生じた。
あの子を手放すなんて…自分にはできない!
しかし、その我が子は……普通の子供ではない。
「だが、それにしても…兄弟達が死んでいたなんて……。何者かに殺された、という事は?」
アマトは王家からの訪問者に問うた。
「…現在はまだ調査中ですわ、アマト様。…私も毎日が安心できませんの。でも城では神の呪いではないかと、噂が立っているのです。……アマト様が禁忌を犯したため、神がお怒りになっている、と」
そうやってミカはちらりと何か言いたそうにアマトを見た。
彼女の言葉に辛そうに俯き、眉をしかめている彼の姿を見て、ミカはなりふり構わずに飛んでいって抱きつきたい衝動に駆られた。私のアマト様。本当なら私が貴方の子を産む立場だったのに!
だからこそ彼女は全く諦めてはいなかった。準備は完璧だ。今宵しか、自分にはチャンスがない。
その後マダキを連れて、アマトはキイの部屋に向かった。
丁度キイはむずがっている最中で、いつものごとく、得体の知れない“気”が部屋に渦巻いていた。
「こ、これは」
マダキは一目見て、感嘆するように言った。
「…す、素晴らしい…!!この“気”は!やはり私の思ったとおり!さすが巫女の能力を受け継いだ子供!」
「どういう意味ですか?貴方は息子のこの状態について何か判っているんですか!?
お願いだ!何でもいい、分かっている事を全て私に教えて下さい!!」
アマトはその後聞いたマダキの話に打ちのめされ、二人が屋敷を離れた後、灯りもつけない自分の部屋に引きこもった。
(お子様の事は、オーンには今、絶対に知らせない方がよいと存じます。
この方が大きくなられてから、ご存在を説得された方か得策かと思いますよ…)
そうマダキは言って、我が子が放つ“気“をうっとりと眺めた。
(さすが姫巫女様。お子様の存在を黙したのは賢明ですな。……いくら聖職者を離脱したとはいえ、巫女様が禁忌を犯して生んだお子様。オーンが放っとくわけがございませんでしょうね)
そしてマダキは高揚してキイの現象をアマトに語った。
キイが乳を離れた頃、専門の気術者の元で養育した方がいい、とも力説した。
アマトは寝台に腰をかけて、ずっと頭を抱えていた。
……そうか…神の力を手に入れる…。
そういう意味だったのか………。
私は…神の宝を穢しただけでなく、神の宝まで天から奪ったというのか……。
私は……なんて事をしてしまったのか……。
キイの今暴れている“気”は…。この世にはまだ使いこなす人間がいないという、稀有な特殊な“気”。
だからこそ、この小さな息子の中で暴れているのだ。
そして今だかつて、人はこの“気”を扱った事も、使いこなした事もない。
この“気”が使いこなせるのは、絶対神かそれに相当する者のみ。
私は天から、この力をこの地まで奪ってきてしまったのだ………。
自分の可愛い息子は、この力を持って生まれてきてしまった。
このコントロールが難しいであろう力を。
それはきっと息子にとって、想像を絶する激しい苦しみなのではないか?
あの小さな子が…耐え切れない苦しみを持って、生まれてきてしまったのではないか?
だからあの子は不安定なのではないか??
あの子はこの地の浅はかな人間によって、力づくで呼び寄せてしまった天の宝。
天から奪った宝は、天に返さなければならないのではないのだろうか………。
アマトは顔を両手に埋めた。
自分がしでかした事の、取り返しのつかない現実に、彼は完全に打ちのめされたのだ。
その時、かけていた鍵が何者かによって開く音がした。
「……?」
アマトは不審に思って、扉の方を見た。
がちゃり…。
重い扉がゆっくりと開き、薄暗い部屋に女が入ってきた。
「誰だ?」
アマトは驚いて立ち上がった。
「アマト様…」
その声に聞き覚えがあった。
「ミカ…?」
「ええ、アマト様」
彼女は短くそう言うと、扉を静かに閉め、ゆっくりと鍵をかけた。
「な…?どうしたというのです?こんな夜更けに…。一国の王妃が男の部屋になんて…」
アマトは驚いて彼女を見た。
「君はもう城に戻ったのでは…」
「ええ、そのつもりでしたけど、どうしてもアマト様とお話がしたかったの」
「ミカ王妃、それは困ります。…神王も王子もきっと心配している…」
「大丈夫よ、アマト様。神王は心が広いお方なの。私の事を不憫に思ってくださっているの。
いくら国のために駄目になったとはいえ、私、貴方の婚約者だったんですもの。
…昔話くらい、してきなさいって」
アマトはいぶかしんだ。…タカトがそんな事を言うなんて…。
もちろん、それは彼女の嘘であった。
彼女は今晩のために、神王に強い眠り薬を飲ませるよう、腹心の侍女に命令していた。
それは最近、彼女がよく使う手だった。少し幻覚剤も入っているこの薬を、彼女は夫にたまに飲ませていた。そうすると夫は現実と夢の区切りがよくわからなくなり、自分とコトに及んでいる様な錯覚をしたまま、深い眠りについてくれるのだ。…それは彼女が自分の実家の術者に泣きついて作ってもらった薬だった。もうあの男と子供を作りたくない、彼女の執念だった。そのおかげで、夫は自分といたしているという、いい夢を見て満足しているのだ。
それにそうしているのは、実はもうひとつ、彼女には目的があったのだ。
「アマト様、ミカの我儘を聞いてください…。小さい頃のように。これが…最後のお願いでしょうから…」
そう言いながら、彼女は灯りをひとつ灯すと、大きな袂からお酒の瓶を取り出した。
「ほら、セドの梅の実を漬け込んだお酒よ!アマト様お好きだったでしょ?特別にもらってきたの」
そうはしゃぎながら、彼女は近くの棚に置いてあったグラスを二つ取り出すと、その酒を注ぎ、彼に渡した。
「…ただ、ミカは少し昔話したかっただけなの。アマト様を困らせたいわけではないわ。私だって自分の立場くらいわかっているもの。でも今晩くらいしかもうお会いできない、と思ったら…。最後の時だって、ちゃんとお別れできなかった事がとても心残りだったのよ?」
彼女はまるで子供の頃に戻ったような気安さで、アマトを安心させた。
「ねぇ、…何か、小さい頃を思い出さない?よく侍女たちの目を盗んで、夜中にこうしてお喋りしたわよね!あ、あと憶えてる?…」
明るく昔話を始める彼女に、アマトは冷たい態度を取れなかった。
小さい頃から妹のように可愛かったミカ。
このまま何もなければ、自分は普通に彼女と結婚して家族となっていただろうに…。
しばらくたあいもない話をした後に、ミカはアマトがグラスの液体にじっと目を落として動かない事に気が付いた。
「アマト様?何かとても元気がない…。そうよね、無理もないわね。身内が立て続きに死んだのですもの…。ご兄弟も、……巫女様も」
彼女はそこで暗い目をした。
「巫女様…って、どんな方でした?」
アマトはその名を聞いて、胸が痛んだ。
「……赤ちゃん…綺麗な坊やですってね…。私は今回会うのはご遠慮したけど。
巫女様に似てるって…聞いたわ」
アマトは何か答えようとしたが、喉が詰まって咳き込んだ。喉がからからだった。
彼は琥珀色をした液体を喉に流し込んだ。
ラスターベルの事を思い出すと、身を切られるほど辛かった。
彼女にした事を、自分が犯した罪を、思い出すたび喉が詰まる。
ミカは彼の様子をじっと見ていた。
カラーン…。
いきなりアマトのグラスが手から離れ、床に転がった。
「あら?アマト様?どうかなさったの?随分ご気分が悪そう…」
ミカはそう言って、彼に寄ろうと立ち上がった。
アマトは自分で身体を抱えるようにして下を向き、荒い息を繰り返していた。
「駄目だ!こちらに来てはいけない…!」
彼の白い肌はまるで、上気したように赤く火照っていた。心臓が早鐘を打ち、下半身に何とも言い難い衝動が大きくなるのに困惑した。
「……お辛そう…。かわいそうなアマト様」
ミカは彼が、悶え、苦しそうにその場に蹲るのを、冷ややかな瞳で見下ろしていた。
「…ミ、、ミカ?君は一体、私に何を……」
息も絶え絶え、彼は潤んだ目で彼女を見上げた。
「…だって…。こうでもしなければ、アマト様はミカのものにならないでしょ?」
その言葉にアマトはショックを受けた。
「ミ、ミカ!!」
彼女は唇の端で笑った。
じりじりと、彼女は彼に近づいていく。アマトはこの自分の身体に起こっている激しい衝動と戦いながら、懸命に彼女から遠ざかろうと後ろに下がった。
「何故、逃げるの?本当は私達、夫婦になるはずだったじゃない」
「いけない!いけないミカ!こんな事は許されない!姦通の罪は……」
「姦通の罪…?」
ミカは喉の奥で笑った。目に悔し涙が溢れた。
「巫女と姦通した貴方の台詞じゃないわ、アマト様。いいじゃない、もうすでに大罪を犯したのだから、このくらい」
それでもアマトは抵抗した。
彼女に、そして自分の狂おしい身体の衝動に。
「な…何故だ…。何故、君はこんなことを…」
うわ言の様に繰り返す彼の問いに、ミカは涙を流しながら答えた。
「当たり前じゃないの。…ミカは貴方の子供が欲しいのよ」
そのために、この夜のために彼女はずっと準備をしてきたのだ。
自分の身体のリズムを知り、整え、その日を目指して、全ての用意を整えた。
こうして彼に個人的に会えるのだって、またいつになるかもしれない。
意外にあの夫は嫉妬深かった。夫に疑われぬよう、気が付かれぬ様、彼女は心を砕いた。
そして夫と完全に通じないために、薬も使った。
それもこれも、この日のため。
彼女は同じく術者に作ってもらった媚薬を酒に忍ばせて、今宵に賭けたのだ。
これからの人生、自分は愛する男の分身と共に生きるのだ。
彼女はすがるものが欲しかった。
彼自身を手に入れられないとしたら、こうする以外、どうしようもないではないか。
だから彼女はラムウをも利用した。
あの男!
ミカは嘲笑した。
何が敬虔なオーンの信徒よ。中身は私と同じ、暗い闇を抱えている偽善者じゃないの。
彼女は利用できるものなら、何でも利用したかった。
ラムウの闇を偶然知ってから、彼女はこれを使わない手はない、と思ったのだ。
(は…?今宵アマト様の部屋にお忍びで…?)
一時屋敷を去る直前に、彼女は人気のないところにラムウを呼んだ。
(王妃、何故そのような事を…)
(ね、一生のお願いよ、ラムウ。今晩だけしか、多分私アマト様とじっくりお話できないと思うの)
(しかし…。そんな夜半に男の部屋に…)
(あら?何を心配しているのかしら、ラムウは。まかりなりにも私は神王の妻よ。そんな大罪犯す心配ないでしょ?ただ私はアマト様と昔話したいだけなのよ。まぁ、前は婚約者だったかもしれないけど、私達は兄妹みたいに育ったのだもの、ちょっと身内の込み入った話をするだけよ)
(王妃、ですが)
(二人きりじゃなきゃ意味ないのよ。身内の話って言ったでしょう?)
ミカは苛々した。噂通り、頑固な男!
(王妃、もしその様な事、誰かに見られたなんてしたら…)
(貴方のように?)
ミカの冷ややかな声に、ラムウの息は止まった。
(私…。義弟の部屋から出てくる貴方の姿を偶然見かけたの。おかしいわねー。その時には貴方、もうすでにアマト様について国を脱していたはずなのに)
いつものごとく、表情を変えないラムウであったが、拳が小刻みに震えているのをミカは見逃さなかった。
彼女は小声で彼に言った。
(……その次の朝だわよね、義弟が心臓発作で死んでいたのが発見されたのは)
ラムウはずっと押し黙ったままだ。
(あら、ラムウ、私はそんな事で、貴方を責めてはいないのよ。どちらというと、私は貴方の味方だもの。
アマト様の苦しみを考えたら、きっと私も同じ事をしたわ……きっと)
(何のことですかな?王妃)
ラムウはまだしらばっくれようとした。ミカは鼻を鳴らした。
(まぁ、いいわ。貴方にとって、王族殺しなんて大事な主人に比べたらどうでもいいことよね。
……でも、あの事はどうかしら?あの事を知ったら、アマト様はどうお思いになるかしらね?)
ラムウは横目で彼女を見た。一体、何が言いたいのだ、この女は…。
ミカは待ち構えたかのように気味悪く笑って言った。
(貴方の元部下の子よ。随分と貴方、その子可愛がってあげたようじゃないの)
ラムウの顔色が変わった。
(……その子本当に貴方にご執心なのねー。毎晩貴方を恋しがって泣いているっていうじゃない。何でその子も連れて行ってあげなかったの?
……ま、わかるけどね。清廉潔白なオーンの信徒さん。
あの子を連れてはいけないわよねぇ。……だってあの子、アマト様に似てるじゃない)
表情を変えないラムウが珍しく眉間に皺を寄せている。
そして彼は黙ったまま、ミカに王子の部屋の合鍵を渡した。
彼女は嬉しそうにそれを受け取った。
(ありがとう、ラムウ。昔話をしたらすぐに出て行くわ、心配しないで。
もちろんアマト様には内緒にしておいてあげる。だって、私は貴方の味方ですもの)
(子供……?)
その言葉にアマトは凍りついた。
だが、身体は火のように熱い。
「だめだ!いけない!お願いだ、そんな事をしてはいけない……」
アマトは懸命に手で払うように宙をかいだ。
もうこれ以上、罪な子供を作ってはいけない。
だが、火をつけられた彼の身体は、もう限界に近づいていた。
ミカはするりと自分の衣服を脱いだ。
「アマト様。…私を見て」
「だめだ!頼む、ミカ!こちらに来るなっ!!」
彼女は苦しく喘ぐ彼の側に容赦なく近づいた。
「もう、楽になりましょうよ、アマト様。
……ね?ミカが楽にしてあげる…。何も考えないで……」
そう言いながら彼女は彼の熱い肌に触れた。
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