暁の明星 宵の流星 #63
寝苦しい夜だ。
大陸に滅多に顔を出さない月が、今宵に限って姿を現している。
しかも完璧な満月だ。
ラムウはひとり、暗闇の中でその月を眺めていた。
庭には亡くなった姫巫女のために植えられた花々が色付いていて、月の光と共に何とも幻想的な世界が広がっていた。
(貴方の元部下の子よ。随分と貴方、その子可愛がってあげたようじゃないの)
あの女、どこからそのような事を知ったのか…。
ラムウは目を閉じた。
まだ若い部下のひとりだったセインが自分を慕っていたのは知っていた。
彼は若い時のアマト様に確かに似ていた。
顔立ちもそうだったが、その彼の雰囲気が、アマト様を思い起こさせた。
つい懐かしくて自分は彼が、自分を慕ってくれる事にも気を許してしまっていたのかもしれない。
だが自分は敬虔なオーンの信徒。今までも男も女も自分を慕ってやってきたが、己を律するためと、王子への忠誠を貫くため、彼は聖職者でないにしろ、一生独身を貫く決意をしていた。だからみな、そういう申し出を全て断ってきた。だが、あの日は……。
アマト様が禁忌を犯し、それを止められず、しかも聖なる巫女と姦通する事を許してしまった自分。
あの時から自分は普通じゃなかったのだ。
アマト様達を安全な土地に移動させた後、ラムウは自分の部下達に別れを告げに、そして残しておいた荷物を取りに、あの日は兵士の宿舎に寄った。
全てのやるべき事を終え、自分はすぐにでも自分の大切な王子の元へ戻るつもりだった。
だが…。宿舎を出ようとした自分を、セインが思いつめた顔をして引き止めた。
(お願いです、ラムウ様!僕も一緒に連れて行ってください!)
ラムウは困った。彼は若いながらも有能な戦力。セドの国には彼は必要だ。
ラムウは彼に一生懸命説得を試みた。だが、彼は納得できなかった。そしてとうとう彼の熱い思いが噴出したのだ。
(ならばせめて、せめて僕に思い出をください…)
そう泣いてすがってきた彼の姿が、あの辛そうにしているアマトと重なった。
ラムウはセインの情熱に抗う事ができなかった。自分らしくなかった。
自分は男と通じてしまったのだ。
オーンでは正当な結婚以外は全てが姦淫の罪。
欲望のままの性行為は禁じられているのだ。
ラムウは笑った。
私もこれでアマト様と同じ、大罪人なのだ。
……神に背いた罪悪感よりも、アマトと同じ立場になった喜びの方が勝っていた。
その事に彼は、自分の何かが壊れていくのを感じた。
だが、この事は私のアマト様には絶対知られてはならぬ。
お優しい方だ。きっと自分のせいだと、ご自分を責められるに決まっている。
我が君はそういう方。人をなじるよりも全て自分の責任だと思ってしまう。
これ以上他の雑音で、あの方を苦しめる事はできない。
それこそが、自分が一番辛い事なのだ。
何やら人の気配を感じて、ふと目を開けると、庭をふらふらと横切るアマトの姿が目に映った。
「アマト様……?」
いつもの彼らしくないその姿に、ラムウはいぶかしんだ。
まるで、心がそこにないようだった。
しかもシャツも着崩れていて、ボタンも半分も止まっていなかった。
その無防備な姿は、月の光に照らし出されて、何ともいえない妖艶な美しさを放っている。
ラムウの胸は締め付けられた。
あの太陽と謳われた私の王子。
彼がその光を閉じてしまってから、私の苦悩は始まったのだ。
「アマト様!」
ラムウは嫌な予感がして、彼の後を追った。
「いかがされたのです?アマト様。このような格好されては風邪をひきます…」
ラムウは自分の上着を脱いで、彼の肩にかけた。
アマトはラムウのされるがままだ。
(まさか…。何かあの女とあったのか…?)嫌な汗が出た。
「アマト様、何かあったのですか?……様子が変ですよ…」
「……ラムウ…」
アマトはあの低い声で囁くように呟いた。
「はい…?」
「私は自分で犯した大罪を、どうやっらたら償えると思うか?」
「アマト様…」
アマトは暗い目をして、じっと地面を見ていた。
「………やはり、死を持って償うしかないだろうな…」
ラムウはその言葉に凍りついた。
「お前も…そう思うだろ?ラムウ」
アマトの生気のない声に、ラムウは言葉を失った。
「…許される事ではない…。私は大変な過ちをしてしまった…。
ならば死を持って神に直接許しを請うしか…私にはもう、道はないのではないか?
いや…許してもらおうなんて、虫が良すぎる。
地獄の炎に焼かれ、私はこの身を消してしまいたいのだ」
重苦しい沈黙が続いた。
そうか…。それも致し方ないのかもしれぬ。
ラムウは思った。その方がアマト様が楽になるのであれば、それもいい。
神に直訴しても許していただけるかはわからない。
だがこのラムウがいる。
「アマト様、大丈夫です。私も一緒に神に許しを請いましょう。
心から謝罪すればきっとわかっていただける。
私も死して神に直訴しましょうぞ。
だからアマト様が行くと言われるのなら、私は…喜んで地獄までお供いたします」
その言葉にアマトははっとして顔を上げた。
そして息を整えると、ゆっくりとラムウを振り返った。
「ラムウ、今のは私の愚痴だよ。本気にしないでくれ。
……私には息子の事もある。彼に対しての責任だってある……。
勝手に死ねるわけがないじゃないか」
アマトは弱々しく微笑んだ。
「アマト様…」
「ラムウはいけないね。
自分は罪も犯していないのに、こんな大罪人と共に死ぬなんて。
頼むからそんな戯言、言わないでくれ」
アマトはそういうと、彼の手を優しく跳ね除け、上着を返した。
「ラムウは本当に心配性だ。こんな暖かさで風邪なんてひかないよ。
…お前も早く寝なよ。明日は色々と忙しいんだろ?」
そう言いながら自分から去ろうとするアマトに、ラムウは急いで声をかけた。
「アマト様!どちらへ…」
「心配するな、キイの寝顔を見に行くだけだ。…急に顔が見たくなってね…」
アマトは儚げな表情を浮かべると、何事もなかったかのように子供部屋のある離れに向かった。
ラムウは切ない瞳で、彼の姿が消えるまで離れの方向を見つめていた。
我が君…。私は貴方のためなら、死ぬことなんて怖くはない。
もちろん、神が忌み嫌う大罪でさえ犯す事も。
私が恐れているのは、貴方が私の前から消えてしまう事なのだ…。
「その時は、私もこの世にはいる事ができますまい」
ラムウは思わず声に出して呟いていた。
それほどまでに、自分は彼を……。
アマトは迂闊だった。
こんな事を言えば、責任感の強い彼の事だ。簡単に後を追いかねないではないか。
…そんなこと、させてはいけない。
死ぬのは自分と……だけでいい。
彼は涙がこみ上げてくるのを必死で堪えた。
子供部屋は珍しくひっそりとしていた。
キイが眠ってくれているのだろう。
彼はネイチェルがいるかと思って、寝室前の部屋にそっと入った。
……彼女は疲れて寝てしまっているらしい。
テーブルに突っ伏して、腕を枕に彼女は安らかな寝息を立てていた。
アマトは彼女を起こさないように、足音をたてないよう、寝室に向かった。
彼女には本当に辛い思いをさせてしまった。
アマトはあの予感の通りに、今、激しい後悔をしていた。
自分が姫巫女にあんな残酷な事をしなければ。
普通に彼女と出会っていたら…。
いや、それだって自分は切ない思いをするには違いない。
あの時二人の間に流れた空気。
何度も否定し、何度も忘れようとした。
相手はまかりなりにも聖職者。その人間に対し、持っていい感情ではない。
……それこそが罪悪。
自分のこの罪深さに、アマトは自嘲した。
何故、人は人を好きになり、相手を求めるのか。
何故、このような罪深き感情を、神は人にもたらしたのか。
自分の可愛い息子は、すやすやと気持ちよく眠っていた。
我が子ながら、本当に美しい……まるで、天の子だ。
……いや、まさしく天の子。
貴方がこうまでして欲しかった子供です…
ラスターベルの声が、彼の脳裏にこだまする。
アマトは息子が眠る子供用の寝台の横に跪いた。
(私は……なんて事をしてしまったのだ)
アマトの目から、堪えきれなくなって涙が落ちた。
(天から奪った宝は、天に返さなければ…)
アマトは意を決した。
彼は、自分が隠し持っていた護身用の短剣を、腰の下から取り出した。
(大丈夫だよ、キイ。父も共に逝くからね…。
お前を天に帰してあげる…。母親の元に連れて行ってあげる。
もう、この恐ろしい“気”に翻弄されなくても済むんだ。
…ごめん…ごめんな…。こんな愚かな人間がお前の父で……)
瞳からは止めどなく涙がこぼれて仕方がなかった。
震える手で鞘を抜くと、短剣を赤ん坊にかざした。
(私は汚い。…汚らわしい…。こんな父親を持ったお前は不幸だ。
ならばまだ間に合うかもしれない。何もわからない赤ん坊ならまだ…)
アマトはキイの小さな体めがけて、刃先を突き立てようと手に力を入れた。
「やめて!!」
突然、叫び声と共にアマトの背中に誰かが抱きつき、振りかざした腕を押さえた。
カシャーン……。
軽い金属音と共に、短剣は床に転がった。
「何をするの!!アマト!貴方、自分で何をしようとしたか、わかってる!?」
ネイチェルだった。
彼女は突然、何かに呼ばれたような気がして目が覚めた。
嫌な予感がして、急いでキイの様子を伺いに来たのだ。
アマトは崩れるようにその場に手をついた。
ネイチェルはこの時、彼が放心状態で涙を流している姿に気づき、愕然とした。
……こんな、ボロボロな彼を見たのは初めてだった。
ネイチェルは自分の中から湧き上がってくる感情に震えた。
今まで彼女が感じた事のない、未知なる感情……。
訳がわからぬまま、彼女は彼に触れようとした。
「触るな!!」
いきなりアマトは叫んだ。
ネイチェルはその場に固まった。
「…触っては…いけない…。君は私に触ってはいけないよ、月光天司。
この汚らわしい私に…」
「アマト?」
「そうさ、私は君の言うように、汚れている大罪人なんだ。
そんな人間に、君は触れてはいけないんだよ。君が穢れる……」
そして彼は苦悶の顔で、自分の額を右手で押さえた。
「…だから、頼む。私を神の元へ行かせてくれ。
キイと共に、神と、ラスターベルに会いに…。
私は…罪を重ねた私は…もうこれしかないのだ。
死して神に懺悔し、天から無理やり奪った子供を、天に返す事しか……」
アマトの悲痛な言葉に、彼女は彼が、子供を道連れに死を覚悟している事を知った。
ネイチェルは、悲しみと切なさと、やりきれない思いと…そして怒りが湧いてきた。
「しっかりしなさいよ!」
彼女はアマトを一喝した。
「そんなので、責任取るつもりなの!?
冗談じゃないわ!
そんなのただ自分が楽になりたいからじゃないの!?」
ネイチェルの言葉が、アマトの心に突き刺さった。
「いい加減にしてよ、アマト…。
何でそんな風に簡単に考えちゃうのよ…。
だったら何?死ねばそれまでの事はそれで全部なくなるというの??
命がけでキイ様を産んだ、姉(あね)様の気持ちはどうなるの!!
あんなに辛い思いまでさせて、新たな命をこの世に送り出した貴方の責任は!?」
彼女も言いながら涙が出てきた。
「この世に生まれし子供は、全て意味を持って生まれてくるもの。
それを貴方は自分の罪の意識のために、せっかくこの世に授かった命を奪うというの?
それはただの傲慢よ。天の意ではない」
彼女は涙を手の甲で何度も拭いながら、彼の側に跪いた。
「もし、本当にこの世に必要のない命なら、生まれる苦しみまで持ってしてまで、この世に生まれ出る事なんてないのよ…。天から授かりし命は天に許されてこの世に降り立つ。いくらこの地に生まれたくても、生まれる事ができない魂だってある。……今、こうしてキイ様はこの世界で生きている。それが全てではないの?」
(天から授かりし命は……この世に降り立つ…。全て意味を持って…)
アマトはじっとネイチェルの言葉を聞いていた。
「自分が罪を償いたいと思うのなら、生きて償いなさいよね!その方がきっと、数何倍も辛いから!!
天から死を許されるまで、貴方はこの地で生きて、自分の成す事を考えなさい。
罪を償い、そこまでして手に入れたキイ様を守りなさいよ!
もし死ぬ事を天が許しても、私は許さない!!そんな無責任な事、私はぜーったい、許しませんからね!!」
いつの間にか彼女は、アマトの手を取って握り締めていた。
二人は泣いていた。
あの気難しいキイが、珍しく静かに眠っていた。
こんなに近くで大声をだしているのに……。
アマトは目が覚める思いがした。
己の弱さに呆れるばかりだった。
天がキイを取り戻そうとするのなら、もうとっくにしているだろう。
命は人が考えているほど、単純なものではないのかもしれない。
ネイチェルの言う事が真実ならば、キイはこの世に使命を持って生まれたのかもしれないじゃないか。
それを邪魔する方がよくないのだとしたら…?
ならば、私は彼をこの地に呼び寄せた責を全うせねばならない。
彼がこの世にいなくなるまでは。
…それが私の贖罪なのだ。自分の成すべき事なのだ。
繋がれた手が熱い。
二人はそのまま夜が明けるまで、その体勢のまま、その場を動かなかった。
もう言葉はなくても、彼女の思いは彼に届いている。
だけど。
自分達に流れているこの感情の渦だけはお互い見ない振りをした。
苦しい思慕は、いつか必ず昇華される…。
ネイチェルも自分と葛藤していた。
私は聖職者。それは紛れもない事実。
神と民を差し置いて、一人の男にだけ愛を感じる事は許されない。
それ以上に、自分が罪を犯す事よりも、彼にさらに罪を重ねさせる事はできない。
(私はもう誰とも契らない。子供を作らない。キイが生まれてからそう決心した)
そう宣言した彼の瞳が痛々しかった。
これを運命と言うならば、天は二人に何ていう試練を与えたのか。
……それでも彼女は彼の側を離れたくなかった。
この太陽と謳われた美しい王子が、本来の自分に戻ってくれるまで、彼女はここにいたかった。
窓からその太陽の光が優しく差し込んできた。
キイがお腹をすかせて大泣きしたのを合図に、二人はやっと手を離した。
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