« 暁の明星 宵の流星 #64 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #66 »

2010年4月 9日 (金)

暁の明星 宵の流星 #65

一年半ぶりのオーンは相変わらずこの世の楽園のようだった。
ラスターベルが愛でた、色とりどりの花が咲く庭もそのままだった。
彼女はひとり、その巫女が住まう神殿の庭先に佇んでいた。
潮風が眼下に見える海岸より上がってくる。
彼女はその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「…月光天司!!」
彼女の姿を認めたサーディオ聖剛天司(せいごうてんし)が、大股で丘を登ってきた。
「…聖剛天司様」
久しぶりの再会だった。
まだ若くて精悍なサ-ディオは、緩やかなくせのついた、肩までの金が混じった亜麻色の髪を揺らし、灰がかった群青色の瞳を煌きながら彼女の前に現れた。顔立ちはさすが大陸一美しい、と言われた元姫巫女の弟君だけあって、彼女に面差しが似て、まるで大聖堂の彫刻から抜け出たように麗しかった。まさしく神の申し子、神の化身と賞された人物だった。もちろん、姿だけでなく、高潔で勇ましく、また頭脳明晰で小さい時から神童とまで言われたくらいの優秀さも、持ち合わせていた。文字通り、非のない人物。それがサーディオ聖剛天司である。

「様、はよしてください、師匠。いつものようにサーディオとお呼び下さい」
「貴方こそ、師匠はやめて。もう私よりお強いんですから」
ネイチェルは困ったように笑った。
何せ彼は、聖職者にして初めて、自ら聖天風来寺に修業を志願し、一発で合格を貰った男である。
五年という短い間で、他の者が十年もかかる修業を見事にこなし、三年前、大聖堂に戻ってきたのだ。
その経歴がかなりきいたようで、その一年後、若き聖剛天司が誕生したのである。
「貴女は私の生涯の師匠ですよ、月光天司……。ああ、でも本当にお元気そうでよかった」
彼の心配は、オーンの手紙と共に送られた、カードが物語っていた。

〈心より、貴女様の無事を神に祈っております…〉

それだけで、ネイチェルは彼の辛い気持ちがわかった。
だが、今は真実を話したくなかった。サーディオが真実を知ったら、きっと怒り狂い、悲しみの底に叩き潰されてしまうかもしれない。あれだけ姉思いで、敬愛し、大切に巫女の神聖を守ろうとした彼が…。あの事を知ってしまったら。
聖職者であれ、彼は地獄に突き落とされてしまうだろう。

だから…。彼にも皆にも、自分は本当の事を告げられなかった。
神に懺悔をするならば、自分が姉(あね)様を守れなかった事だけだ。
聖職者が嘘を……。
ネイチェルは力なく心の中で笑った。
もういいの。私は聖職者失格だから。……神以外の対象を愛してしまったから。
ここに戻ってもう3日。彼女は毎日自分自身と向き合い、問いかけを続けていたのだ。

(心の目を閉じてはダメよ。自分の気持ちに素直に生きなさい。迷った時は自分自身にじっくりと聞くの)

姉(あね)様のあの時の言葉がずっと自分の中でぐるぐると回っていた。

(……何故ならその答えは、すでに貴女の中にあるものだからよ)

そして…やっと先程、自分の答えをみつけたのだ。

これから最高天司長様に申し出て、自分を破門、もしくは罪人にしてもらおう、と。
……このまま、この気持ちのまま、神に仕えるなんてできやしない。
現在は宗教戦争前とは違い、死罪、というのは余程の事がなければ、下る事がなくなった。
なので聖職者を辞めても、結局軽罪人というレッテルを貼られ、追放されてしまうが、死する事はない。
……ただし、やはり神の巫女を略奪、しかも陵辱して子を産ませたというのは、死罪中の死罪である。
今ははっきりした事が不明であるという事と、同意の上の駆け落ちと位置づけされ、しかも相手がセド王家直系、ときているからこの程度で罪状はすんでいるが、もし、もし真実が明るみになったとしたら……アマトが死罪になるのは、完全に避ける事ができない…。
ネイチェルはそれだけは絶対にさせたくなかった。だから子供の事も、真実も、口を閉ざした。

……ただ自分の場合、聖職者を辞める理由が、神以外の対象に走ったという事により、通常の罪よりはかなり重いのは覚悟しなければならない。一生、汚らわしい人間として、世間で後ろ指を指されるのを覚悟しなければならない。
だからもし、聖職者を辞めて、普通に結婚したくても、正規の結婚すらできないのだ。

「お顔の色が優れませんね、月光天司。色々貴女も大変だったでしょう…。
姉の事は、本当に世話になりました。礼を言います…」
サーディオは彼女を気遣って、優しく言った。
「…いいえ。サーディオ様には、辛い思いをさせてしまいましたわ」
彼は哀しい目をすると、眼下に広がる海を見渡した。
「月光天司。姉は…本当に幸せだったのでしょうか?……私はどうしても信じられないのです。
あの、恋も知らないような、童女のようだった姉が…。たった一度会っただけの男と、駆け落ちするとは」
サーディオは、事実、信じていなかった。絶対に何か裏があると睨んでいた。
だからネイチェルが戻ってくるのを、ずっと待ち望んでいたのだ。
自分が密かに送っている調査の者も、かなりてこずってるようだったし、彼女が帰ってきてくれれば、本当の事がわかると思っていた。しかし……。
「サーディオ様、貴方は恋、という物をわかっておられませんね。…まぁ、聖職者にはいらない感情ですが…」
ネイチェルは力なく微笑んだ。
「目と目が合って…。そのまま好き合う事なんて世の中には沢山あるのですよ。よく言うではありませんか、恋は頭ではなく…心でするもの。いいえ、する、のではないですね。落ちるものなのですよ。ストン、と恋に落ちる…」
彼女は自分が初めてアマトと目が合った時の感覚を思い出していた。
「これは理屈ではありません。…不思議ですよね。どうしてそういう相手がいるのか」
彼女のまるで呟きのような言葉に、サーディオは眉を寄せた。
「…私は…それでも相手の男が許せません…。いくら何でも、聖職者であり、しかもその上を行く巫女であった姉を、結局は穢し、自分の物とした。大聖堂は許しても、私は絶対に許せない…。
だから、奴が処刑された、と聞いて、私は聖職者であるにも拘らず、安堵しましたよ…」
ネイチェルの時間が止まった。
「…それでも、死んだ姉は戻りませんが…。死を持って償い、姉に謝って欲しかったから…なおさら…」
「サーディオ?」
どこから声が出てるのか、自分でもわからなかった。
「は、はい?」
ネイチェルの様子が変な事に、彼はやっと気づいた。
「今、何て言いました?」
「…だから…。死を持って償い…」
「いいえ、その前よ。…奴が…処刑されたって…」
ああ、言葉にも出したくない。どうか、自分の聞き間違えであって欲しい。
だが、サ-ディオの返事は冷たく彼女を奈落の底に突き落としたのだ。

「…先程、セド王国から連絡と、遺品が届いたんですよ。
元セド第五王子、アマト=セドナダを、王国自身で死罪とし、処刑したと。
その証拠にと、彼の遺髪と…本人の指を送ってきました。
これで、セド王国を許して欲しい、と。
…遺物なんて!まったく、あの国もそこまでしなくてもよいのに……」

ネイチェルはその後、何をどうしたか記憶になかった。
ただ、彼女は一目散に、大聖堂の最高天司長の部屋に駆け込んだのは…覚えていた…。

彼女は最高天司長の足元に蹲ると、取り乱したように訴えた。

「最高天司長様!!どうかわたくしをたった今より、オーンから追放してください!!
月光の異名も剥奪して下さい!!
私は罪深き人間……。
崇高な聖職者の資格はない!
お願いします!
わたくしを罰して!罰して私をただの人間にしてください!!」

突然の彼女の乱心ぶりに皆驚いたが、それもこれも、姫巫女に対する罪悪感で耐え切れなくなったからだ、と思った。とにかく、ネイチェルは帰ってきてから、姫巫女を守れなかった事をずっと懺悔していたからだ。

最高天司長は、突っ伏して泣きじゃくる彼女に、優しくこう諭した。
「月光天司よ。自分を責めてはいけません…。
貴女はよく姫巫女に仕えられた。
きっと姫巫女も天界にまでは行けないにしろ、中界で感謝しておる事だろう。
……それに、大聖堂は簡単に人を罰する事は出来ませんよ。
貴女はここに来る時に、神とお約束なされた。それが全てです。
罪と成すのは、罰を与えるのは、全て神。
貴女が神との契約を破棄し、罪人となりたいというのなら、貴女は大聖堂ではなく、神から罰をお受けなさい。
その覚悟がおありなら、ここを出て構いませんよ」


彼女はとにかく早くこうするべきだった、と激しく悔やんだ。
そう、彼は大罪人。いつこうなってもおかしくなかった。
だったらもっと早くにただの女になって、何故自分は彼の側にいなかったのか。
ネイチェルは次の瞬間、とにかく遺物の置いてある小聖堂の方に向かった。
そこは死した者を分け隔てなく弔う場所で、必ず遺体などを置く場所だった。
彼女はそこに入るなり、冥福を祈っていた自分の同僚に詰め寄った。
「お願い、天司!セドの王子の遺品を見せて頂戴!!」
同僚は驚いたが、彼女の剣幕に押され、おずおずとそれを見せてくれた。
それは黒い髪の束、と、指が何本か木の箱に丁寧に収まっていた。
彼女はそれを見て、激しい衝動が湧き起こるのを感じた。

(違う!)

彼女はその箱に入っていた白い指を一目見て思った。
直感だった。もちろん確かな事は、これだけの遺体の一部じゃわからなかったが、彼女はこれが彼の指に思えなかった。……あの、形のよい、白くて長くて…。

(行かなくては!)
ネイチェルは自分の目で彼の生死を確かめたかった。
とにかく自分は彼がこの世にいなくなったのが信じられないでいた。
気が付くと簡単に身支度をし、オーンの紋章を部屋に置き、勢いよく港町に向かっていた。


ネイチェルが突然乱心し、つい先程紋章を置いてここを出て行った事を知ったサーディオは凍りついた。
彼女が自分の話を聞いておかしくなったのは明白だったからだ。
あの話を聞いた後、彼女は心あらずして、ふらふらと去って行った。
(月光天司…?どうか、されましたか?)
(いえ…。何でも…何でもありません…)
か細くそう答えた彼女の様子に、サーディオは不安になった。だからこうして彼女を追ってきたのだった。
だがまさか、最高天司長様の元に行ったとは思わなかった。
だから今大聖堂で、彼女の話を他の人間から聞いたのだった。
「で、何故それをお止めにならなかった!天司は普通じゃなかった!」
「え、ええ…お止めしようと何人かお声をかけたのですが…。月光天司はまるで何も聞こえてないようで…。あっという間に出て行かれたのです」

サーディオは唇を噛んだ。
「今すぐ彼女を追う。ネイチェル天司は罪人になるつもりだ。それだけは避けたい!」
自分が少年の頃から、尊敬し、慕っていた…年上の女性。いつも高潔で博識で心が広くて…。
憧れだった。自分もそのような聖職者になって彼女に認められるのが目標だった。
その自分にとって聖女に等しい彼女が、神を捨て罪人になろうとするのを、誰が黙って見ていられようか。
サーディオは嫌な予感を感じながら彼女の後を追った。
(ネイチェル天司は…まさか、禁忌を犯すおつもりなのでは…)
それは勘のいい、彼の直感だった。彼女がおかしくなったのは、あのセドの王子の名が出てからだ。
相手がこの世にいないにしろ、もし神でなくひとりの男に身を捧ぐのは、神への裏切り。許されない。
しかもその相手が自分の姉を奪い、通じた男なら尚の事。
サーディオは着の身着のままで大聖堂を後にした。


その少し前、ネイチェルは最終便の船に乗ろうと、波止場にやって来ていた。
何とかその最終便に乗り込みたかった。
彼女は逸る気持ちを抑えつつ、料金売り場に急いだ。
そこで恰幅のいい、初老の男が何やら係員と揉めているのに遭遇した。

「お願いします!!大聖堂に今から行きたいんです!どうか、馬車を出してもらえませんか!?」
「お客さん、困るよ。もう終わったんだよ、大聖堂行きは。それに何の用事があるかわからないけど、今行っても入れてくれないと思うよ」
「会いたい人がいるんです!どうしても!急いでいるんです!」
それでも初老の男は食い下がった。
「よわったなぁ…」
ネイチェルは足が止まった。この声…聞き覚えが…って、間違いないわ!
「ハル!?」
「ああ!ネイチェル様!!」
あの恰幅のいい、人の良さ気な口髭をたくわえた顔。忘れるはずない。
アマトを小さい頃から面倒見てきた人だ。
「な、何で貴方ここに…」
「ああ!!よかった!!お会いしたかったんです、ネイチェル様!」
ハルは涙目で彼女の腕を掴んだ。
その様子で、彼が何かを伝えに自分の所へ来たという事を悟った。もちろんそれは決まっている。
「ハル!時間がないの!とにかく一緒に最終の船に乗ってくれる?話は船の中で聞くわ」


サーディオが波止場にようやくたどり着いた時、すでに最終の船が出た後だった。
彼は自力で船を出そうとしたが、この時間では出せない、と言われてしまった。
とにかく朝になるまで足止めを食らった感じだ。
しかも自分は聖剛天司の立場。簡単に持ち場を離れる事はできない。
彼は夕闇に揺らぐ暗い海を見つめながら、ぽつりと人の名を呟いた。
「クラレンス」
サーディオの背後に影が現れた。
「クラレンス、いるんだろう?そこに」
「はい、聖剛天司殿」
うやうやしく彼に礼をしながら若い男が口を開いた。
「お前には申し訳ないが、引き続き調査をしてくれ。もちろん…姉君の件もそうだが、月光天司様の行方も追って欲しい。有能なお前にしか頼めないのだ、銀翼(ぎんよく)天司」
クラレンス銀翼天司は再びお辞儀をすると、闇の中に消えて行った。

そして船上で、ネイチェルはアマトが今、死の淵にいる事を知った。


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

|

« 暁の明星 宵の流星 #64 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #66 »

自作小説」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 暁の明星 宵の流星 #65:

« 暁の明星 宵の流星 #64 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #66 »