暁の明星 宵の流星 #66
セドの元第五王子は死の間際にいた。
セド王国より東南に抜け海岸を渡った小さな島に、ラムウ達は身を寄せていた。
そこは長年アマトの世話をしているハルの母方の故郷であった。
アマトが体に、特にわき腹に致命傷を受けて、もう2日。
ラムウは生きた心地がしないのと同時に、このような状況を許してしまった自分を責めていた。
そして寝ずに彼は神に祈り続けていた。
あの日、タカト達が何を考えているか、早く気が付けばよかった。
追放とされているはずのアマト様をわざわざ城まで呼び寄せた事に…。
セドの城に着いていきなり、お抱え術者のグループがやってきて、小さなキイを奪うようにアマトから取り上げた。
「その子の父親は私だ!いきなり取り上げるなんて、失礼ではないか!」
術者たちは青い顔して、アマトを見た。
その様子に不安を覚えたアマトは、眉をしかめた。
「申し訳ありません!アマト様!」
術者総括責任者の百蘭(びゃくらん)が慌てて叫びながら飛んできた。
「…百蘭、一体どうかしたのか、何かおかしいぞ」
「アマト様!キイ様は私どもにおまかせして、早く城からお出になってください!」
「どういうことだ…」
アマトが彼に詰め寄ろうとしたその時、背後からいきなり多勢から剣を突きつけられた。
ラムウはその時、元部下にたわいもない事で、城に入る手前呼び止められ、アマトの側に行くのが少し遅れた。
そのためにこのような状況を許してしまった。
今思えばそれも城内での策略だったのだろう。
「これは…何だ?」
アマトは唸った。
「見ての通りだよ、セド王国元第五王子アマト。よく戻って来てくれた」
タカト神王が暗い眼をしてアマトの前に現れた。
「私はお前の兄として、頼みたい事があってな」
「頼みたい…事?」
「なぁ、お前が大聖堂での温情により王位継承権剥奪および追放という事と、我々も子供の事があるから大目にみていたのだが、やはりお前には死んでもらう事にしたんだ」
「タカト!」
タカトは薄笑いを浮かべると、一応眉だけは寄せて困ったような顔をした。
「……大聖堂が、この件を調べているみたいなんだ…。本当の事がわかったら、ま、お前は死罪確実としていいとしても、このセドだって何かの責任取らなければならないだろう。それよりもお前と巫女の子供の存在が今知られたらもっとまずい。だからなぁ、アマト。この件が明らかにならないうちに、先にお前の首を送って謝罪した方が、大聖堂も変な勘繰りをやめてくれるかもしれんと思ってね。彼らの目をお前の処刑に向けさせるんだ」
「……それで私を…」
アマトは唇を噛んだ。頭にキイの顔が浮かんだ。
今死ぬわけにはいかない!
アマトが反抗的な顔をしているのに気づいたタカトは舌打ちした。
「アマト。お前が死んでくれれば、取りあえず収まるんだよ。…お前も妃から聞いて知っていたろう、兄弟達の死を」
アマトは息を吸い込んだ。
「…セド王国ではお前が神を冒涜した行為を行ったから…つまり姫巫女と駆け落ちしたから…神が大変お怒りになっていると国民が不安がっているんだよ。…王家の中でも…神の天罰だとか、呪いとか、皆恐れをなしてる。
実は…兄弟達の死もそうだが、我々にも不幸があってね…。ミカ妃が先日早期流産して、もう子供を持てない身体になってしまったんだ…」
タカトは本当に辛そうな顔をした。心底彼女を心配しているようだった。
(流産……?)
アマトはそれがあの時の子だと、直感でわかった。
そうか…流れてしまったのか…。
アマトの心は複雑だった。自分の意に沿わない不義の子だったとしても…多分私の子。可哀想な子…。
しかし心の片隅では、もうこれ以上辛いものを背負った子が、この地に降りず早々に天に帰ったのは良かったのかもしれない、とほっとした。ミカの事を考えると辛かったが。
「あれから彼女は乱心してしまって…床から出ようとしない…。私にも大事な二人目だった。……これも神の怒りかもしれない、と私は思ったのだよ。…だからさ、許しを請うにはお前の首が必要なんだよ、アマト。お前の息子の事は大事に育てる。だから安心して首をはねられてくれないか」
タカトの目に狂気の色が浮かんでいた。彼は本当に自分の首をはねるつもりだ。
アマトは腰の剣を構えようと身を動かそうとした。が、それをすぐに察知した兵士の一人がすぐにアマトを襲ってきた。
ザッ!!嫌な音がして彼は服もろとも上方から前を斬られた。
「くっ!!」
アマトはよろけた。その時騒ぎに気づいたラムウが突進してきた。
「アマト様!!」
剣に覚えのある味方達も、アマトを助けようと斬り込んで行った。
が、数十人以上の敵に、たった四人ほどではかなりの苦戦だった。
ラムウも元部下達に応戦しながらも、アマトの側に駆けつけた。
その時、敵がアマトめがけて剣を振った。咄嗟にラムウがアマトを庇う。
ぐさっという肉を切る嫌な音がしてラムウの腕に貫通した。
「!!」
「ラムウ!」
その一瞬の隙をついて、他の敵がアマトのわき腹に剣をつき立てた。
「ぐっ…!」
真っ赤な血が噴出した。
ラムウは蒼白になった。「アマト様!!」
他の味方は早々に皆斬られてしまっていた。ラムウはもうここから撤退する事しか頭になかった。
彼は痛みのある腕にかまわず、アマトを抱えると、その場から開いている窓の方に向かった。
ここは城の一階部分だが、高台に建てられているため、裏手は崖になっていて、下には堀がある。
ラムウは敵をなぎ払いながら、窓からアマトと共に堀の水に飛び込んだ。
「くそ!」
兵士達は二人を追おうと窓の下を覗き込んだ。
かなりの高さがある。
「神王様!」
「もうよい。…この高さ、あの傷の深さ、かなりの出血であろう。もう助かるまい」
廊下に残った血糊を見ながら、タカトは面倒臭そうに呟いた。
「…ですが、大聖堂には…」
「うん。あいつの従者の遺体でも切り刻んで、アマトを処刑した証として送りつけてやれ。
偽者かどうかなんて、わかりゃしないさ」
タカトは本当に恐ろしかったのだ。神の呪いで、そのうち自分も罰を受けるかもしれない、と。
流れてしまった我が子のように…。
彼は自分が思ったよりも妃に入れ込んでいたらしい。二人目ができた事が、大変嬉しかった。
だが彼女が流産し、乱心し、毎日泣き崩れて弱っていくのに、自分は辛くて怖くて仕方なかった。
だからこそアマトを神に差し出そうと考えたのだ。大聖堂の件も追い討ちをかけていた。
タカトはアマトがこの世にいなくなればそれでよかった。
かなり重傷を負ったアマト様に無茶をさせてしまった…。城からかなり外側の堀から、必死の思いで這い上がったラムは人がいないのを確認すると、すぐアマトに止血した。
血の気のない顔を見てラムウは体が震えて仕方なかった。
…とにかくここから出なくては…。
アマトの傷は見るからにひどい。即死でもおかしくなさそうだった。
それでもまだ息のあるアマトを抱え、自分も深手を負いながら、ラムウはセド国境にいた仲間達と合流し、逃げるようにこの島に来たのだ。
結局キイ様はセドに取られてしまった。
アマト様は今、生と死の狭間にいる。
もう少し、自分が早ければ…。ラムウは苦悶した。
あの時と同じ、自分はまた王子の一大事に間に合わなかったのだ。それが彼を追い詰めていた。
「神よ、罰するのならこのわたくしを!どうか、どうか…私からアマト様を奪わないでください…」
悲痛なラムウの祈りの言葉はずっと彼の近くで響いていた。
船上でそのいきさつを知ったネイチェルは、全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
心配したハルが彼女を支えようと手を伸ばした。
「だ、大丈夫よ…ハル。…で、今アマトの容態はどうなの?」
彼女は震える声で聞いた。
「…意識も戻っておりません…。それが熱も出てきまして…。医術に詳しい貴女様なら、アマト様を助けていただけるのではないかと……」
「ええ、ええもちろんよ!」
彼女は無意識に祈っていた。
それは神以上に、天そのものに直接請うかのように。
(天よ!命全てを見守る宇宙(あま)よ!
どうか間に合いますように。あの人を失いませんように。
……あの人を…私からどうか奪わないで…)
アマトは生死の境を彷徨っていた。
これは夢かそれとも現実なのか、今自分がどこにいるのか、彼はわからなかった。
確かに体に激しい痛みと熱い衝撃を受けた…のは覚えている。
そして今はぐるぐると、子供の頃からの映像が自分の周りを回っている。
初めてラムウに出会って、剣を教えてもらった事とか、母が悲しげな顔をして自分を抱きしめ、城を出て行った事とか、初恋の女の子と初めて口付けを交わした事とか…。それらが走馬灯のように駆け抜けて、まるで今までの自分の人生を見せられているようだった。
私は黄泉の国に行くのか…。
アマトは思った。
そうか、神は私に罰をお与えになったのだな…。
何故か素直に納得している自分がいた。
あれだけの大罪…。神がお許しにならないのは分かっていた事だった。
気が付くと、ふらふらと不思議な黄金色の空間を自分は漂っていた。
目前に何やら光が見えている。
あれは何だろう…?
何故か懐かしい気持ちになって、その光に向かって手を伸ばそうとした。
(だめよ)
その時鈴の音のような声がして、アマトは誰かに手を掴まれた。
振り向くとそこにはラスターベルが自分の側に立っていた。
(ラスターベル?)
気が付くと、そこは一面の花畑だった。
赤、青、黄色、白、…桃色…紫。この世のあらゆる花という花が咲き乱れているかのような、何とも美しい世界。
まるで…昔話に聞いたような、天の奥にあるという神界の世界。
彼女はそこで、神々しい女神のように佇んでいた。
アマトは切ない気持ちになった。
(ラスターベル…。君は天界に行けたんだね?私が君に禁忌を犯させてしまって…とても心苦しかったんだ。君はここにいるんだね?)
アマトはずっと彼女に対して罪悪感を持っていたのだ。
(…ああ、やはり私は罰を受けたんだね…。でも、これでよかったのかもしれない。君にこうして会えた。会えてやっと君に謝る事ができた。本当に君にあんなひどい事をして、ごめん…)
アマトは彼女の前で頭を下げた。どうしても自分がした事を許せなかった。
あの時の自分の浅はかさを、彼はずっと悔やんでいた。
(いやだわ…。私は謝ってほしくないわ、アマト…)
ラスターベルはそう言って、彼の両手を取った。
(え…?)
(貴方に謝られたら、私とキイの存在を否定されてしまう事になるわ。
だから、お願い。自分を責めないで…。
お互い辛かったけど…。これも運命だったのよ…。
貴方には言わなかったけど、私、キイを授かり、キイを産んだ事は後悔していないの…。
…だから…貴方とこうなった事も、私は後悔していないのよ。
ただ、ひとつ後悔しているといえば、貴方達の側に生きて存在できなかった事くらいかしらね)
そう言って彼女は優しく微笑んだ。
(ラスターベル…)
彼女は何て優しいのだろう。これが自分の都合のよい夢だとしても、アマトに温かな気持ちが広がっていくのを感じた。
生前彼女は、巫女の能力と共に、癒しの能力を持つ光の聖女として、大聖堂に存在していたのを思い出した。この穢れない女性が、天に召され、天界に住まうのは当たり前なのだ。…いくらこの卑しい自分が穢したとしても。彼女には何の意味などないのかもしれない。
(貴方って…。本当に自分を卑下しやすいんだから…。
もっと強く生きて欲しいのよ、私。
貴方にはまだまだやってもらわなきゃならない事があるんですから。
天が許すまで、貴方は今の自分の生を全うしなければならない努めがあるのよ)
彼女には自分の考えている事がわかってしまうのだろうか?
アマトは不思議な気持ちで彼女をみつめた。
(だから、ね。貴方はここにはまだ来てはいけないの。
まだ課題が残っているのよ。大きな課題)
アマトには彼女の言っている事がわからなかった。
きょとんとしていると、彼女は自分の手を再び力強く握った。
(ほら、よく自分の中の声を聞いて!まだここへは来てはいけない理由がわかるわ。
辛くても、厳しくても、…苦しくても。貴方は戻らなくてはいけないの。
貴方を必要としている人の声、聞こえてる?ほら、貴方の大切な人の…)
アマトは繋がれた手が、熱を帯びてくるのに驚いた。
まるで本当に誰かに手を掴まれているようだ。
彼は心を澄ました。
もうラスターベルの姿はなかったが、彼の手のぬくもりはどんどんリアルになっていく。
(帰ってきて)
聞き覚えのある声。
(お願い、私の元に帰ってきて!)
突然聞こえたその声に、アマトは狂おしい衝動に駆られた。
(ネイチェル!!)
そうだ、忘れられるわけがない、私の大切な人。
何故自分はこうも彼女に惹かれてしまうのだろう。
まるで磁石のように、彼女に吸い寄せられてしまうのは、どうしてなのか。
彼女の気持ちはよくわからないが、何となく、彼女も自分と同じなのではないかと、自惚れてしまう事もあった。
彼女を思うとどうしようもなくなる。自分が自分でなくなる。
誰かに聞いた事がある…。人の間には見えない絆がいくつもあって、その中でどうしても引き合い、ひとつにならなければならない強い存在があるのだと。魂の片割れ、もう一人の自分…?何かそんな難しい事を誰か言っていたような気がする。
……ああ、あれは母上だ…。子供心に夢見がちな事を言うなぁ、と思ってた。
運命を感じる人…。このような立場の母でも、その夢は捨ててなかったみたいだ。
その時、父上はどうなの?と聞いたら、小さく笑って困ったような顔をしていた。…今の夫は彼女の運命の人なのだろうか。彼女が幸せなら、きっとそうなのだろう。
アマトは段々強くなっていく手の感触に、引っ張られる感覚を覚えた。
それはぐいぐいと下の方に向かっていく。
(アマト!)
彼女の悲痛な声が耳にこだまする。
戻りたい!
アマトは痛切に思った。彼女の元に戻りたい。
だって、だってまだ伝えていない。
自分のこの気持ちを…。
禁忌がなんだ?罪悪がどんなものだ?
この気持ちを罪というのなら、私は甘んじて受けよう。
そして戻ったらこの手で彼女を抱きしめて……。
「アマト!!」
ネイチェルは彼が目を開けた事に安堵した。
自分はこの何日か、ずっと寝ないで彼の側で看病していた。
自分で処方した薬を、セドの百蘭に内緒でお願いして作ってもらい、傷を消毒し、汗を拭き、熱を下げる諸々の努力をし、それ以外ではずっと彼の手を握って、彼の名を呼び続けた。
彼に戻って来て欲しかった。
彼女もまた、自分の気持ちを彼に伝えていない事に、もの凄い後悔を感じていた。
彼が目を開けたら、今度こそ自分に正直になろう…。
どんな風に思われてもいい、彼の側をもう自分は離れる事はできない。
この気持ちをわかってもらおう。それが禁忌というなら、それでもかまわない。
自分は彼の方が大切なのだ。
二人は万感な思いで、お互い目を合わせた。
アマトはネイチェルの涙を見て、彼女の元に帰って来れた事を、天に感謝した。
「ネイチェル…」
かすれた声でアマトは呟いた。
「アマト…!ああ、よかった!本当によかった…。意識が戻って…本当に…」
これで峠は越した。まだ安心はできないけど、取り合えず彼は戻って来てくれた。
「私は…」
彼の声は苦しげだ。
「アマト?だめよ、まだ喋っては…」
意識は戻っても、彼はまだ少し朦朧としている。
余計な体力を使わせたくない。
だが、彼は彼女が握ってくれている手を弱々しく握り返した。
「ネイチェル…私は…君が好きだ…」
そうやっと呟くと、そのまま再び目を閉じてしまった。
ネイチェルは固まった。
聞き間違えじゃない…わよね?
熱に浮かされての戯言じゃないわよね?
呆然としながら、彼女は彼の寝顔から目が離せなかった。
窓から神々しい朝の光が差し込んできた。
ネイチェルはたまらなくなって、彼の手にそっと唇を寄せた。
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