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2010年4月13日 (火)

暁の明星 宵の流星 #67

アマトの意識が戻った事に、ラムウ以下従者達に安堵と喜びが沸き起こった。
特にラムウは人前で涙を拭おうともしなかった。

意識が戻ってからは、アマトの容態は一気に良くなっていった。
しかしまだ完全ではなかったので、それからひと月、彼は寝たきりの生活を送らなければならなかった。
ネイチェルがアマトの全ての世話の管理をし、彼女が聖職者である紋章をつけていない事に気が付いた者がいても、皆、あまり気にしなかった。何故なら彼女が、大聖堂に許可なく去ったという話からと、この島では聖職者は珍しいため、目立たぬようにしているからだ、と思っていた。

かなり容態が安定してから、アマトだけはその事について、彼女に質問した。
それまではずっと看病やら、他の人間が入れ替わり立ち代り彼の側にいたので、ずっとこうして二人でじっくりと向き合う時間がなかった。

その日は珍しく、他の者は出払っていて、アマトとネイチェルの二人だけになった。

彼女は随分体調の戻ったアマトに、髭を剃らないか、と提案した。
かなり放ったらかしにしていたため、かなり伸びてきてまるで別人だ。
「今日はかなり陽気もいいし」
彼女は剃刀を持ってきた。
「いや」
アマトは自分の顎の髭を触って、陽気にこう言った。
「……このままでもいいような気がする。私は死んだ人間だし。別人として生きるなら尚更に」
彼が助かった事は、誰もが世間に知られてはならない、と思っていた。
アマト=セドナダは死んだのだ。それを世に知らしめようと、残った従者達は考えた。

(今日からアマト様はライ、と名乗ってください)
ラムウはそう言った。
彼はアマトが死んで、自分はかろうじて生き残ったと、セド側に申し立てた。
これからの事を考えて、自分は身を潜めず、世間の表に立とうと思ったのだ。
もうすでにラムウの存在も顔も、世間に、もちろん他国までにも、広まっていたからだ。
かえって身を隠すと、いらぬ疑惑を持たれるかもしれない。
そして自分は主君を失くしたフリーの武人となって、各国を回っている、という事にした。
もちろんもうセドには戻らない。
あのタカトの顔を見るのも嫌だった。


「でも、それじゃあまりにも清潔とは言えないわ。まるで浮浪者みたい」
ネイチェルは顔をしかめた。
「そ、そうかな…」
「全快してから伸ばしましょうよ。今はすっきりさせた方がいいわよ」
彼女はそう言って彼の頬に泡立てた石鹸をくっつけた。
「いいよ、自分でやるから」
アマトは赤くなって、彼女の手から剃刀を奪った。
「遠慮しなくていいのに…」

何故かむすっとしたまま、アマトは寝台の近くに置いてもらった鏡を覗き込みながら、髭を器用に剃り始めた。
ネイチェルは自分の気持ちが決まってからは、何事にもどっしり構えて行動できるようになっていた。
なのでもう、恥ずかしいを通り越していた。まぁ、自分は医術者でもあるし。

(あのね、私は貴方が寝たきりの時、体だって拭いたし、髪だって洗ったし、…まぁ、ちょっと下の世話はハルにお願いしたけど、今まで世話をしてきたのはほとんど私じゃない。…今更何を恥ずかしがってるのよ…)

ネイチェルはつまらなそうに彼の姿を見ていた。
本当は彼の世話を焼きたかった。彼に触れていたかったのである。
「ねぇ、ネイチェル」
突然、髭を剃りながらアマトが言った。
「なあに?」
「君、やはり本気なのか。私がよくなったらセドに行く、というのは」

実はキイに関して朗報があった。
キイを今見てくれている気術者の百蘭(びゃくらん)は、密かにアマト達の味方だった。
彼はキイの世話を手伝う侍女を、アマト側の人間から選んでくれたのである。
もちろん素性は隠して、である。これはアマト達と百蘭しか知らない。
今はずっとキイを見ていた使用人の娘が側にいてくれて、逐一キイの様子を伝えてきてくれている。
だがらネイチェルは、アマトの代わりにキイの側にいようと考えたのだ。
そして今の使用人の娘と交互に、ここと行ったり来たりするつもりだった。
もちろん細心の注意を払って、セド側に知られないようにしなくてはいけないが。

だが、アマトはそんな危険な事を、彼女にさせたくなくてずっと反対していた。
「やはり気が進まない。何でそんな危険をしてまで…」
「大丈夫よ。私は向こうには顔を知られてないから、好都合でしょ。それに医術関係者はあまり疑われないものよ、安心して」
アマトは浮かない顔をしている。
しばし無言のまま、彼は綺麗に髭を剃り落とし、剃刀を彼女に返した。
「…ネイチェル。君はどうして聖職者の証である紋章を外したのかい?」
いきなりこう質問されて、ネイチェルの心臓は跳ね上がった。
……これはもしかしたら、自分の気持ちを伝える絶好のチャンスなのでは?
彼女はそう意気込んだ。
実は…彼の意識が戻ったら自分の気持ちを伝えようと決心した割には、タイミングを逃してしまった事や、恥ずかしいのもあって、なかなか勇気がなくて言い出せなかったのである。
「……そ、それは…。……私…聖職者をやめてきたの…」
彼女はやっと、彼に言えた。
「やめた?」
「…だから、その。紋章はオーンに置いてきたというか、まだ大聖堂には申請してはいないけれど」
「君は…。何故だ?どうしてそんな事を。自ら聖職者を辞めるなんて…それは自分から罪人として生きる、という事じゃないか」
アマトは苦しそうに言った。彼もまた、自分の本当の気持ちを言いそびれてしまっていた。何か意識が朦朧としていた時に、告白したような気がしたが、彼女の変わらぬ態度に、あれは自分の思い違いかと思っていたのだ。
だから、二人きりになったこの機会に、彼は彼女の気持ちを確かめたかったのである。
今、ネイチェルは自分が素直になるべきだと思った。
彼女は彼が怒るかもしれないのを覚悟して。
「…そんなの、とっくに承知してるもの。…じゃなければ私はここにはいないわ、だって…」
突然、彼女の手を、アマトが取った。
ドキッとしてネイチェルは彼の顔を見た。
アマトは真面目な顔をして、自分をじっと見つめている。
「私の自惚れでなければ…」
彼があの甘くて優しい低い声で囁いた。彼女の体に電流らしきものが走った。
彼は彼女の手を大事そうに両手で包むと、意を決したように言った。
「君は私と共に生きてくれるという事なのか?」
彼の瞳に情熱の炎が見える。彼女は息を呑んだ。
「私と共に、一生を…。私の側で、この先の人生を共に生きてくれる気持ちがあるからなのか?」
ネイチェルの瞳が徐々に潤んできた。
「この大罪人の自分と、自ら罪びととなって、添い遂げてくれる覚悟があるというのか」
「アマト…」
「私は大罪人だ。それはもう変える事はできない事実。
だけど、君に迷惑をかけることを承知で、私は伝えたかった…」
彼の声は切なく彼女の心に響いた。
「君を愛している」
ネイチェルは胸が苦しくなって、涙がこぼれ落ちた。ずっと隠してきた想いを、今自分も告げていいのだ。
「…迷惑じゃないわ…。もう、もうとっくに自分の気持ちは決まっていた。
私は貴方の側にいたいの。これからずっと。この命が終わるまでずっと。
……貴方が嫌だといっても、私は側にいる覚悟よ…、アマト。
私も…」
最後まで言わないうちに、アマトは彼女を引き寄せ、力を込めて抱きしめた。
「ネイチェル…ありがとう…」
彼は震えていた。
「君に、君に罪を犯させてまで、私は君と一緒になりたい。
何もしなくていいい、ただ、こうして一緒にいてくれ、ネイチェル」
「いるわ、ずっといさせて、アマト…」
そうしてアマトはやさしく彼女の唇に自分の唇を重ねた。
本当に羽のようなやさしい口づけだった。
それが彼の彼女への愛の印でもあった。

二人が自分達の気持ちを確認したのと同時に、思ったよりも早くに、ネイチェルがセドと隠れ家のある島との行ったり来たりが始まった。あのやさしいキスの後、二人は完全に清い関係が続いていた。
すれ違いも災いして、なかなか二人きりになれない事も原因だったが、互いの気持ちを確認したのに、アマトの態度は全くといっていいほど、いつもと変わらなかった。
禁忌を犯す覚悟のネイチェルは、ちょっと肩透かしをくらっている気分だった。 
たまに顔を合わせ、二人きりになる機会があっても普通に話しをし、人がいないのを確認してはお休みの軽いキスをするだけ。


……えっと…自分は、彼の正規でないが事実上の妻…になる…という事ではなかったのかしら…。
これでは前と全然変わらないんですけど…。いえ、一応キスは交わすから、恋人にはなってるのよね…。


女は覚悟を決めると、腹が据わるものだ。
全く自分が聖職者だった、という事を忘れている。
だって、紋章を置いて、罪を犯す覚悟をしてから、自分は普通の女になったのだ。
ネイチェルは23歳にして初めて恋する女の気持ちを知った。
しかもずっとずっと気持ちを抑えてきた相手である。
もっと近づきたい、と思うのは自然な事ではないか?

ただ、ネイチェルには一抹の不安があった。
(何もしなくていいい、ただ、こうして一緒にいてくれ、ネイチェル)
……何もしなくていい…。まさか、そういう意味?
考えてみれば、彼はあれだけはっきりと、誰とも契らない、子供を作らない、と宣言していた。
……つまり、このまま清い関係のままで、私は彼の側にいる、という事?聖女として?
それって拷問じゃないの?

彼女は自嘲した。
いやだわ、これがまかりなりにも、月光という異名まで貰った、もと天空代理司(てんくうだいりし)の台詞かしら。
精神的には禁忌を犯したから、もう自分は聖職者には戻れない。なのに体は清らかなまま?
……何だか自分が恥ずかしくなってきた。
自分だけが彼の全てを求めているみたいで、まるで発情期のメスみたいで…。


ということで、彼女は心の底では日々、悶々とした生活を送っていたのだ。
それでも一向にアマトの自分への態度は変わらない。彼女の溜息はどんどん増えていった。
いつかはこの事について、じっくり話し合わなくちゃ…。
そう思いながらも、お互い忙しい毎日のため、なかなかそういう機会がなく、時間は過ぎていった。

アマトはかなり体力も戻り、体のリハビリを始めていた。
もうそろそろ、外にも出て、働く事もできるだろう。
アマトが働きたい、といった時、あの事件から共について来ていた、ハル以下の5人の従者達は、口を揃えて反対した。
他の従者には申し訳なかったが、アマトを死んだ事にしたため、連絡も出来ず、とにかく島に同行できた5人のみが、彼に付き添う事にしたのだ。その内のひとりはキイの世話のために今セドに行っている、使用人の娘だ。彼女はハルの姪でもあった。

「アマト様は外に出ない方がよろしいのでは?もし、知っている者に気づかれたら…」
「今まで私がセドから出たのは数えるくらいしかないよ。他所の土地では私の顔を知ってる者はいないだろう。もし、心配なら髭でも生やすかな」
と、笑って皆に言った。
「…もうこれ以上、皆に迷惑かけれないよ。…アマト=セドナダは死んだんだろ?
私はライだ。かえってその方が、変にこそこそしているより、よっぽど良くないか?」

ネイチェルはアマトとの時間がほとんどないままにセドに滞在していた。
ハルの姪、ナミとは一週間ごとに交代している。
そして、今、彼女はセドの城から少し離れた屋敷で、術者達と共にキイの面倒を見ていた。
キイは離乳も完全にでき、最近つかまり立ちし始めていた。
術者たちの日々努力と研究のお陰で、キイの負担は少しずつ軽くなっているように見えた。
だが、いきなり来る“気”の放流は相変わらずで、その度キイは不安定になるのだ。
一同は毎日どうしたらいいか、思い悩んでいた。
……そしてもう一つ、気になる事があった。
それはキイの感情だった。


「喜怒哀楽が…ない?」
アマトは帰ってきたネイチェルから告白されて驚いた。
「…前から…何かおかしいとは思っていたの。
例の症状になる時だけは、大騒ぎして泣き喚くのだけど、…普段は、何も反応しないので変だなって…。
生まれてからずっと…キイ様が笑った顔を見たことがない。私達の姿すら、見えてない感じで、もしかして本当に目が見えないのか、耳が聞こえないのか…ずっと疑っていたの…。でも」
ネイチェルは俯いた。
「ずっと今まで観察して、診察して、最近やっとわかったの。…キイ様に感情、というものがないのよ」
アマトはその事実に愕然とした。
「私達だけでない、キイ様はこの世界すら見えてない…いいえ、興味がないみたい…。ただ、生物的に生きているってだけで、本当の意味で生きていない…。ただ…」
「ただ?」
「姉(あね)様がキイ様に贈った、あの【巫女の虹玉】にだけ反応するの。まるで会話をしているかのように…」
二人に辛い沈黙が訪れた。
キイはもしかしたら、この世界に生まれた事を拒否しているのではないだろうか?
やはりあの子は天から無理やり呼んでしまった子で、本人は天に帰りたいのではないか?
そのアマト達の不安は、キイが物心つくであろう年齢になって、的中してしまう事になってしまう。
だが、今はもう少し様子をみようと、見守ろうと二人は話し合った。成長には個人差があるもの。もしかしたら発達が遅いだけかもしれない…と。

「で、君はどのくらいここにいるの」
アマトは最後に彼女に聞いた。
「一週間よ。いつもの事じゃない、どうしたの?」
ネイチェルはちょっと期待して答えた。
もしかしたら彼は自分とずっと一緒にいたいと思ってくれてる?

「そうか…。ラムウが他国に偵察兼ねて、一ヶ月間、他の豪族の護衛に行くんだ。その間、職でも探しに行こうと思ってるんだ。…何せラムウの奴、私が働きに出るのをすごく反対していて…」
「で?それが私と、何の関係があるの?」
ネイチェルの冷たい声に、アマトは不思議そうな顔をした。
「いや…その、君のいる一週間、私は家を度々空けなくてはならないから…。また会えなくなるかと」
「ふうん、そう」
ネイチェルは不機嫌になって、アマトの側を離れた。
アマトは彼女の様子に慌てて、急いで話を続けた。
「だから、さ、久しぶりに明日、私が出かける前に、二人であの場所に散歩がてら行かないかな、と思って」
「あの場所?」
ネイチェルは、アマトがリハビリを兼ねて散歩につきあった時の事を思い出していた。
その時偶然見つけた、美しい場所。
人が誰も訪れた事がなさそうな、そんなに大きくもないが綺麗な泉が湧いていて、それを取り囲むように、木々が茂っている。泉の周りには、まるで絨毯のような短くて柔らかな草が敷き詰められていた。
その場所だけ、まるでおとぎの国の妖精が存在しているような、不思議な空気が流れていた。
二人はその場所が一目で気に入った。そしてここを二人だけの秘密にしよう、と約束した。
あの秘密の場所…。
ネイチェルは少し心が動いたが、彼が取ってつけたように言った気がしたのと、落胆と疲れもあって、もうどうでもよくなっていた。
「無理に気を遣わなくていいわよ。…それに私疲れてるし、明日は遅くまで寝かせてもらうから。
どうぞ好きに家を空けてくださいな。私は全然構わないわ」
と言い放つと、いつものキスを待たずに、彼女は彼の部屋を出た。


翌朝、ラムウはひと月も家を空けるので、全員に挨拶をしていた。
アマトは遠くから姿を現したネイチェルをちらりと見た。
(…昨夜、今日は遅くまで寝てるって言ったのに…)

アマトは彼女が最近、不機嫌なのを察していた。
自分が何か悪い事でもしたのだろうか?
それを考えると、本当は何も手につかないのだが、何となく彼は二人の会話が少ないせいだと思った。
ちゃんと時間を作った方がいいよな…。
それはアマトも感じていた。
でも仕方ないじゃないか。キイの件で感謝はしているが、自分の心配を押し切ってセドに行ってしまったのは、他ならぬ彼女じゃないか…。本当は自分だって彼女とたくさん話したいのだ。
時間がまたなくなると思ったが、やはり仕事も見つけたかった。今のままでは本当に自分は不甲斐ない。
すれ違いが多くなっているのは、自分だってわかっていた。
アマトは溜息をついた。
27年間も生きてきて、自分を見失うほどひとりの女性を好きになった事がなかった。
今まで淡い想いを持った人もいたし、ちゃんと恋愛経験してきたとも思っていた。
だが……。彼女の前では、どうも情けない男になってしまうのだ。
どうしたらいいのか、全くわからない。しかもいつも的外れになってしまうようだ。

悶々としていたのは、アマトも同じだった。


「すまない、私がいない間、皆アマト様を頼む」
ラムウはそう言って朝早く出発した。
本音を言えば、彼の側を離れるのが不安だった。
でも大事なアマト様は傷の経過もよく、かなりお元気になられた。
それに諸国の思惑や内情も気になる。
ここで稼ぎながら色々探るのは都合がよかった。
まぁ、あの高潔な月光天司もいる事だ。アマト様に無理などさせないだろう。
ラムウはそう思いながら島を後にした。

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