暁の明星 宵の流星 #68
あのラムウが身を隠すでなく、わざわざアマトの死を知らせに来るとは思ってもみなかった。
タカト神王達はその時、アマトの安否を疑った。
「死体も見ていないし、信じられますかな?」
側近でもある長老が、顔をしかめた。
「とにかくアマトが死んだ事は、国中に広まっている。城内も皆安堵している。
……おいおい調べてもいいのだが…。ま、もしあの状態で生きていたとしても、あいつはもうセドの王子ではない。それに、巫女の子供は手に入った。もうあいつの事は考えたくない。それでいいじゃないか」
「しかし神王、その子供の事を他に漏らされる可能性だってあるではないですか。…いくら、元セドの英雄だからといって…」
タカトは引き出しから一通の文書を取り出した。
「これは?」
「奴が敬虔なオーン信徒でよかったよ。神への誓約書だ。
これがある限り、巫女と子供の事は死ぬまで黙するとさ」
と言って、文書を開き、ラムウが血文字で書いたサインを見せた。
これはオーン信徒が、相手の信用を得るために、特別に出す誓約書であった。
相手だけではない、神へも誓って、約束を結ぶ、という重要な文書であった。
これを交わしたら最後、神と誓約したと同じ。必ず果たさなければならないのだ。
破れば…死か、神からの罰を受けるとされる。
長老は頷いた。
「ところで、例の子供を見たか?さすがにあの大陸一の美女と謳われた巫女の子だけあるなぁ。
あのような美しい子供は見たこともない。…しかもあれがアマトの種から、というのもなかなか頷けるな」
アマトの事を昔から憎たらしく思ってはいたが、素直に彼の容姿は認めていた。
さすがに最高級娼婦の子。女をたらしこむのはお手の物だったな。
「…で、あの子供の力ですが…」
「私も初めは驚いた。…マダキの言うとおりだった。あの子がいる限りセドは安泰だ。…あの力があれば、東だけでない、よもや大陸をも手に入れられる!」
将来はあの子を神王に立て、我が息子を摂政にするというのもいいだろう。
タカトは妃の事で暗い気持ちだったのが、これで少し晴れた気がした。
一方のミカ妃は、流れてしまったアマトの子供を思って、毎日泣き暮らしていた。
それに追い討ちをかけるように、彼の死をタカトから聞かされ、ショックで何も考えられなくなってしまった。
しかもあの夫は、自分の気持ちも知らないで、嬉々としてアマトが死んだと告げたのだ。
(これでお前の流れた子の敵を討てたぞ。もう神への呪いを気にしなくてもいいんだよ)
彼女の中で、タカトに対する憎悪と殺意が生まれた。
……できるなら、誰かこの男を殺して欲しい。悪魔でもいい。
この男もあの方と同じ思いをさせてやりたい…。
…自分の手でやれるものならやりたい…。
悶々とした中で、彼女は自分の弱った体を何とかしたい衝動に駆られた。
動けるようになったら、あの方の敵をとるのよ。
ミカはもうすでに半分正気を失っていたのかもしれない。
彼女は自分自身の闇に取り付かれていった。
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東の国には、小さな島がたくさん点在している。
その中には独立した民族もいるが、皆少数で平和に暮らしている。
特に南側には大きめの孤島が多く、その中のひとつが自治国である神国オーンである。
で、アマト達が今世話になっている島も、中くらいの規模で、原住民であるリタン族と大陸から移住してきた人間が、仲良く暮らしていた。南に近い事もあり(東の最南端はオーン)気候は暖かく、過ごしやすかった。
職を探していたアマトも、思わぬところから簡単に仕事が決まった。
「いやぁ、こういう島ですから、子供達に学問を教えてくれる人材が少ないんですよ」
島の案内人がそう言ってアマトを…いや、ライを歓迎してくれた。
実は、アマトは剣の腕はそんなでもなかったが、昔から頭がよく、いつも本ばかり読んでいた物知りな子だった。そのせいもあって、よく城内の家臣の子達に勉強を教えてあげていた。彼は意外と人に教える事が上手かったのだ。剣は教えられないけれど、勉強なら得意だ。
アマトはほっとした。
明日からこの島の港町で子供達に学問を教える事になった。
これで皆に少しでも負担をかけないで済む。
彼は喜んだ反面、ネイチェルの事を思い出して、気分が暗くなった。
彼女がいる一週間…。自分はどうしたらいいのだろう…。
仕事が決まったことで、益々彼女と話す時間がなくなってしまった…。
アマトは重い気持ちで屋敷に戻った。
「ほう、アマト様が教師に」
ハルは益々人のいい顔をほころばせた。
「いや、前から私のアマト様は利発で、人に教えるのが上手かった。…なるほどぉ、教師、合ってますねえ」
「言い過ぎじゃないか、ハル」
アマトはちょっと恥ずかしそうに答えた。
「という事は、明日からアマト様は港町までお仕事に行かれるのですね…。
私はいいのですが、これがあのラムウに知れたらと思うと」
ハルは心配そうにアマトを見上げた。
「う~ん、確かに…。ラムウの怖い顔が目に浮かぶ。あいつは昔から私を過保護にし過ぎるんだ。もう子供ではないのに」
そう言いつつも、アマトはラムウにはいつも感謝していた。
子供の頃からずっと自分の傍にいてくれた。本当は、こんなに彼に甘えてばかりいてはいけないのかもしれない。彼だって、自分の人生がある。もし私と共に来なければ、彼はセドの英雄として…、第一将軍として、華やかな人生を送っていただろうに。こんな自分にいつまでも仕えなければ、彼は…。
アマトはラムウの将来を、自分が潰してしまったようで、心苦しかった。
「まぁ、結局はラムウはアマト様の味方ですからな。ちゃんと話せば納得するでしょう…。
…こんな事言うのは神に対して不謹慎なのかもしれませんが、私はアマト様が第2の人生を幸せに生きてくだされば嬉しいんですよ。アマト様がこの世にお戻りになられた、それは新しい人生を生きてもいい、と天がお許しくださったようで、ハルは…」
何やら最近のハルは涙もろくなっている。年齢のせいかもしれない。
「…ハル、辛い思いをさせてすまない。…それでも私は罪人なのだよ。…それは消しようのない事実だという事は、肝に銘じている。だが、お前の言うとおり、私は第2の人生のチャンスを貰ったのかもしれない。…それはありがたく、天から頂く事にしたんだ」
そう言いつつ、アマトはちらりとネイチェルを見た。
彼女は自分が職を見つけた話を聞いても、何も言ってくれなかった。
アマトはかなり落ち込んだ。でも、第2の人生には彼女は自分にとって必要だ。
ハルはそのアマトの様子を興味深く見ていた。
長年だてにお世話をしてきたわけじゃない。ハルは二人の間の空気を察知していた。
ハルはコホン、と咳をすると、アマトを突付いて言った。
「アマト様、これからはごく普通の生活を満喫して欲しいと私は思ってるんですよ。
…ラムウ達は、貴方に多大の期待を寄せていた…。貴方もそれに答えようと並大抵ならぬ努力をされてきた…。でも、でもハルは、お小さい頃から見てきたハルには、この乱世では、本当にお優し過ぎる貴方が王となるよりも、普通の平凡な生活を送られた方が幸せじゃないか、と常々思っていたのです。
……これはいい機会ですよ。普通に仕事をして、普通に…ご家族をお作りになられて…」
彼の言葉にアマトははっとした。
「ハル、お前…」
彼はウィンクしてアマトに言った。
「ハルは何でもわかってますよ。もうはっきりと彼女を妻だと皆に言ったらどうですか?
あの方なら、私は何も文句ありません。あの方ほど、アマト様にお似合いな方はいらっしゃらない。
ネイチェル様が紋章をお外しになられてから、私はわかっておりましたよ」
「ハル…」
アマトは彼の優しい言葉に目頭が熱くなった。
「だが…。他の者は何て思うだろう…。禁忌を犯した上に、また禁忌を犯すこの私を。
いや、私はもう覚悟は決めている。だが、この私を慕ってついて来てくれてる者たちは…」
アマトの頭にラムウの顔が浮かんだ。
特に敬虔なオーンの信徒である彼を、また落胆させてしまうのではないだろうか。
「アマト様。私達はアマト様をよく知っております。それだからこそ、貴方を慕い、こうしてついて来ているのです。貴方は自分の信じる道を、どうか進んでいただきたい」
アマトはハルの言葉を胸に刻んだ。
……今晩、じっくりとこれからの事を考えよう。そして彼女とちゃんと話そう。
そしてもちろん皆にも…。
アマトは食事の後、ひとりこっそりと屋敷を抜け出した。
そのネイチェルは今、自己嫌悪に陥っていた。
私ったら、まるで拗ねた子供のような態度を、彼に取ってしまった。
今までの自分では考えられない事だ。
どうして彼にはこう素直になるのが難しいの?
何でこうも余裕がないの?
何で彼はあんなに普通でいられるの?
何かいつも自分ばかり気持ちが不安定で…。
…それにちゃんと彼は自分に言ってくれたじゃない、“愛してる”って。
なのにどうしてこうも不安になってしまうの?
ネイチェルはシーツの上で、うつ伏せになって涙をこぼしていた。
こんな感情、今まで知らなかった。聖職者だった頃、本当に無縁だったから。
今まで清らかでいる事が、誇らしいと信じていたあの頃と、全く違う感情の波、渦。
今なら姉(あね)様が言っていた、最期の言葉の意味が分かる気がする。
(ねぇ、ネイチェル…。愛って何かしらね?)
(私は神の愛だとか、言葉を伝えていたつもりだったのだけど、本当に真底、愛を語っていたのかしら…)
(…。私は愛、というものについて、何だか表面的な事しか知らなかった気がするの。
こんなに色んな形があって、たくさんの種類があるものなのね……)
人はこうして様々な感情を経て、何かを掴み取っていくものなのか。
経験が全てではないけれど、自分がそうなって初めてその気持ちが分かる事もあるのだ。
ネイチェルは段々自分に腹が立ってきた。
私はこう見えても、元、月光の異名を貰った女。
剣の道だって、医術の道だって、自信持って突き進んできた女じゃないの!
こんな事でぐずぐずしてるのなんて、馬鹿みたい!
彼女はいきなりがばっと起き上がった。
(自分からちゃんと彼の所へ行って話そう!これからの事…私達の事…。)
彼女はこの気持ちが萎えないうちに、アマトの部屋の扉を叩いた。
だが、彼は部屋にいなかった。
(どこに行ってしまったのかしら…)
彼女はがっかりした。せっかく一大決心をしたのに。
どうしようかと悩んでいたが、その時ネイチェルは思い出した。
アマトは最近リハビリを兼ねて、たまに夜、例の秘密の場所の泉で泳いでいる、と。
もしかしたら…。
彼女は予感がした。彼はきっとそこに行っているに違いない。
ネイチェルはそのまま屋敷を飛び出し、夜空に珍しく輝く月の明りの中、その場所へと急いだ。
その頃、他国で護衛の任に就いていたラムウは、同じく雇われ兵士である胡散臭い男と知り合った。
「貴方があの、有名なセドの将軍でしたか」
男は長い縮れた黒い髪を揺らし、見るからに艶かしい色男、という風情だった。
「元、だ」
ラムウは目を細めた。
「あの東の中心であるセドから出て、どうしてこんな他国で雇われてるんです?
貴方ほどの武人、こんな所でくすぶっているのはもったいないではありませんか?」
「……セドには…もう私が仕える人間がいないからだ」
ぼそっとラムウは答えた。何故かこの男に危険なモノを感じ、彼は警戒した。
「……ああ、貴方はあの追放されたセドの王子に仕えられていたのですってね。
何か神を冒涜したか何かで、最近処刑されたとか…?」
「お主は何が知りたい?」
ラムウはずばっと言った。
男は不気味な微笑を見せると、ラムウにこう言った。
「いや…。ただの好奇心、ですよ。僕は貴方のファンでね。…色々知りたいだけです。貴方の事を…。
どうしてあのセドを捨ててまで、亡くなった元王子に忠誠を誓ってたのか…。
興味ありますねぇ。そんなにいい主人だったのですか?貴方がそこまで入れ込むほどに」
ラムウは益々この男を信用できない、と思った。彼はじっと相手を見た。
「……私はオーンの信徒だ。ひとりの人間に忠誠を誓って何が悪い?それがどんな大罪人であれ」
男はくっくと笑った。
「そうですか。オーンの信徒ですか。…それは本当に固そうだ。
いや、失礼した。…ま、このひと月、仲良くやって行きましょう」
と言って、男はラムウから去ろうとした。
「お主の名は?」
ラムウは追いかけるように男に問うた。
「おっと、これは失礼。申し遅れた、僕はリジェロ。
…クラレンス=リジェロだ。…どうぞよろしく、ラムウ=メイ」
クラレンスはそう言って、ラムウに手を差し出した。
だが、ラムウはその手を取らずに、軽く会釈をしただけだった。
セド王国に向かう馬車の中で、マダキは弟子の若い男をひとり相手に、自分の成した結果を、夢中になって話していた。弟子はその話に目を輝かせて聞いている。
「本当に、本当だった…。
神の申し子である巫女と、神の血を引くとされるセド王家の間に生まれた子。
本当に奇跡だ。あの“気”をお前にも是非見せたい、ティアン!
お前が私の話から、すぐに気術者に転向してくれるとは、嬉しかったぞ…。これで鬼に金棒だ」
「我が師よ、元々私は気術に興味あったんです。
…今だかつて誰も扱った事がない…あの稀有な“気”。
それがこの目で見られるとは…。本当に素晴らしい!」
若い弟子のティアンは、長い銀髪を頭の上に纏め上げ、鋭く細い目が只ならぬ妖気を醸し出しているような男だった。
「結局お前は気術の権威である昴極大法師(こうきょくだいほうし)には、取り入る事ができなかったみたいだな…。
あの大法師は何を考えているかわからん…。
若い頃は、あの竜虎・聖天師長(りゅうこ・しょうてんしちょう)と、コンビ何ぞ組んで、俗世で暴れまわったという変り種だからな……。
ま、仕方ない。とにかくお前は精進して気術のトップになってくれ」
「ああ、デコボココンビ…ですか。よくその話は聞きましたよ。
あの人、本当に気術の天才なのですかねぇ」
ティアンは嘲るように言った。
「…“気”の扱いは、私だって負けていませんよ。
これでも母の実家は術者の家系。…才能では私は上をいきますから…。
どぞご覧になっててください。この1-2年で、賢者衆に入ってみせます」
そうティアンは傲慢に言ってのけた。
マダキはこの男なら絶対やるだろう、と思った。敵にすると恐ろしい奴…。
「しかし、残念だったのは、あの子供をセドに渡す前に略奪しそこなった、という事だな」
マダキは悔しそうに歯を鳴らした。
「雇った者が失敗しなければ、じっくり自分の手元に置いて、研究出来た物を…」
彼の言葉にティアンも頷いた。
「本当に…。是非中央のゲウラにある、私の研究所に連れて行きたかったですよ…」
「悔しいが、まだチャンスはあるさ。取り合えずあの子を診てくれるだけでいい。
ま、楽しみにしておけ、ティアン。…“気”だけでないぞ。あの子供は…一見の価値がある」
「どういう事です?」
「ふふ。お前、綺麗な子が好きだろう?なら絶対気に入るぞ…。
一目見たら、お前も必ずあの子を手に入れたい、と思うはずだ…」
師匠の言葉に、ティアンは生唾を飲み込んだ。
「…言葉通り、大陸の宝だよ…。いや、神の宝そのものだ。
あの子が大人になったらどれほどの破壊力があるのだろうか。
末恐ろしい事よ……」
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