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2010年4月15日 (木)

暁の明星 宵の流星 #69

その晩はまるで別世界のような美しい夜だった。
大陸で珍しい月、しかも美しい満月が夜空に輝き、うっすらと下界を照らしていた。
いつも見える満天の星空は、月の光に遠慮して目立ちはしなかったが、それでも星は優しく瞬いていた。
ネイチェルはその月に導かれるように、秘密の場所にたどり着いた。
ほのかに明るいその場所は、まるで彼女を歓迎しているようだった。
不思議な静寂が、夢の中にいるような気分にさせていた。

パシャ…。

微かに泉から水の跳ねる音がする。
ネイチェルはふらふらと吸い寄せられるかのように、音のする方へ進んだ。
透明な泉の水は、まるで鏡のようだ。
月に照らされ、周りの景色を映しこんでいる。
彼女が泉の近くに来た時、大きな水音がして、ひとりの人間が水から上がってきた。
ネイチェルはそれが誰か、すぐにわかった。
彼は上半身何もつけてなかった。
前から斬られた傷は意外と浅かったので、塞がるのは早かった。
ただわき腹の傷は深かったので、かなりよくなるまで時間がかかった。
だからこうして水に入れるようになったのはつい最近の事だ。
もちろん傷はきちんと保護されているが、その痛々しさをも通り越してまでも、彼はやはり美しかった。
照らされた水の雫がきらきらと彼の優美な体にまとわりつき、その姿に彼女は見惚れた。
太陽と謳われた王子。
だが彼は今、月に愛されてそこに存在していた。

「ネイチェル…?」

彼の、あの甘くて優しい低い声。…まるでその宵闇のような声が、彼女の心を締め付けた。
「こんな時間に…。君がここに来るなんて」
アマトは心底驚いているようだった。
近くに置いてあったタオルを手に取ると、頭を拭きながら彼女の傍に近づいた。
「やはりここで泳いでいたのね?」
ネイチェルは彼から目が離せない。
「……今晩は、色々と考えたい事があったんだ」
その言葉に彼女は胸が高鳴った。
「考えたい事?」
彼は彼女に優しく微笑むと、そっと手を取って、近くの茂みに腰を下ろすよう促した。
「君とこれからちゃんと話そうと思ってたんだ。色々考えていて、気が付いたら目の前に君がいるんだもの」
アマトは笑った。
「私はまた、君に嫌われてしまったのかと、いつも苦しかったんだよ」
「そんな…嘘よ。苦しいなんて。いつも貴方は普通だったじゃない」
「そうかい?そんな風に見えた?」
アマトは彼女の顔をじっとうかがった。いつも忙しくて、こうしてちゃんと彼女を見たのは久しぶりだった。
彼女は月の光を受けて、きらきらと輝いていた。
まさしく私の月光の君。アマトの心に愛しさが込み上げてきた。
「そうよ…。私こそ、貴方は私の事なんて、全く興味がないと思っていたわ」
その言葉にアマトは少し驚いた。
「興味ないなんて…。そんなこと、どうしてそう思うんだ?私はこれからの人生は君と共にいたい、って言った気がするんだが…」
アマトは彼女がどうして不機嫌なのか、やはりきちんと聞かないといけない、と思った。
自分は結構、女心に疎い所があるみたいだ。それは彼女と付き合ってみて、最近分かった事だった。
「あのね、ネイチェル。私は君とこうしてきちんと話さなきゃ、ていつも思ってたんだよ。…確かにお互いすれ違いばかりで、よくないとは思っていた。…せっかく君が戻って来てくれたんだ、私はもっと君と話がしたいんだよ」
ネイチェルも、今こそ自分の気持ちを言わなきゃ、と思った。…恥ずかしくても。
ううん、大事な事よ。だって、私達これからずっと一緒にいよう、って誓い合ったのだもの。
「…話したい…だけ?」
「え?」
ネイチェルは彼を真剣な瞳で見上げた。そして勇気を振り絞って言った。
「そう思ってくれてるのなら…。どうして私を抱いてくれないの?」

アマトの息が止まった。というか、固まった。
「…私達…、気持ちを確かめ合ってから、全く以前と変わらないし…」
ネイチェルは務めて真面目に話そうと意気込んでいたので、彼が赤くなって困ったような顔をしてるのにも構わず、完全にムードも何もない様子で話を続けた。
「私、きちんと話し合わなければ、と思っていたの。貴方は私と一緒にいたい、って言ってくれたけど、話をしたいだけなら、別に友人のままでもいいわけじゃない?…それに貴方は前に、誰とも契らないし、子供も作らないって宣言したし、確かに…子供を無責任に作るのは問題あるわよね。だからそれは抜きで私は形だけの恋人でいて欲しい、という事なのかしら。…それとも本当は私に何も感じないから…。その、妹みたいに思っているのかと…」
アマトはゆっくりと息を吐いた。
「あのね、ネイチェル。…君をただの友人だとか、妹だとか、思ったことないよ」
「…じゃあ、貴方はやはりあの宣言前提で私と付き合うつもりだったの?だったら初めからそう言ってくれれば…」
「ちょっと、待って。確かに私はそう宣言したよ。その方が罪を広げなくていいと思ってたし。…ラスターベルにすまないと思ってたし。
…でも、君を好きになって、君が罪を犯す覚悟で答えてくれた時から、私は甘んじて罪も罰も受ける覚悟だ。
だから…子供の件は…自然にまかせたいと思っている…」
本音をいえば、アマトは彼女との子供がとても欲しかった。二人を繋ぐ確かな存在。
…自分がした事に、もの凄い罪悪感を持ち、それが今も消えた訳ではない。
生まれてくる子だって、世に出ると同時に罪人の子としての宿命を背負わせる事にもなる。
だが……。
「…子供、作る気があるの…?じゃあ、何故…」
アマトはちょっと言いにくそうに彼女に言った。
「君は…その、こういう事は初めてだろう?」
ネイチェルは言葉に詰まった。…当たり前じゃない…だって私、聖職者だったんだもん…。
確かにこの大陸で、はたち過ぎても処女なのは、聖職者ぐらいなもので、女は皆15過ぎれば当たり前のように経験済みな世の中だった。…それって、やはり問題があるわけ…??
「……私はもっとじっくり時間をかけてもいいと思っているんだ…。その…君が初めてだから…」
「あの…私だってもう大人の女だけど…。これでも医術者でもあるのよ?体の構造とかだってわかってるし、男女が何をするかだって知らないわけじゃないわよ」
アマトは溜息をついた。
「…君、本当にわかっている?……何故私が君に深く触れないのか」
ネイチェルはドキッとした。何故なら、彼の瞳がいつもと違う色を帯びていたからだ。
でもそれは彼女自身も知りたい事だった。
いつも挨拶程度のキスばかりで、彼がそれ以上自分に触れなかった訳…。

アマトは意を決すると、そっと手で彼女の頬に触れ、優しく彼女の唇に自分の唇を重ねた。
突然の事で、ネイチェルは緊張したが、彼の優しい口づけに、彼女はうっとりと溶ける様な気分になった。
だが、その口づけはどんどん深くなり、激しくなっていく。ネイチェルは息も出来なくて苦しくなった。
いつもと違う激しさに、彼女は少し怖くなった。苦しさもあって、彼から逃げようとしたが、いつの間にか腕をがっしりと押さえ込まれた上に、彼はびくともしない。
まるで貪るような唇の感触に、彼女は頭が痺れてくるのを感じた。身体の芯が熱くなっていく。
何これ?私、こんなの知らない…。こんな感覚知らない…。
彼女は怖さを通り越して、彼の情熱を全身で感じ取っていた。
彼女の力が抜けたのを感じて、アマトはやっと唇を離した。
お互い、息が荒い。
「……わかっただろ?」
ぼうっとしているネイチェルに、彼は辛そうに言った。
「え…?」
彼女の思考回路はまだちゃんと動かない。わかったって…何が??
「だから…。私は自信ないんだよ。…その…君に触れてしまうと、こうやって我を忘れてしまうんだ。
…自分を抑える自信がないんだよ」
ネイチェルは真っ赤になった。…何かやっと彼の言ってる事が分かった気がした。
彼もまた、溢れる感情と身体の衝動が暴れださないようにするのに、かなり苦労した。
「特に君は初めてだろう?……そういう女性を…その、無理やりしてしまうのが…相手をとても傷つける事になるのは…私は身を持ってわかっているんだ…。だから、私は時間をかけて…」
その言葉に彼女はやっと、彼のもう一つの苦悩も知った。
アマトは、自分がキイの母親にしてしまった事を、後悔し、ずっと心の傷になっていたのだ。
彼女の泣き叫ぶ声や、彼女の身体に及ぼした激痛が、ずっと彼の心を苦しめていた。
あの時の自分はどうかしていた。大義名分ではなく、本当に彼女を愛していたら、あんな残酷な事はしなかったのに…。
だから、彼は怖かったのだ。
特に今まで気持ちを抑えていた分、ネイチェルに触れるとアマトは暴走してしまいそうだった。
抑制が利かない自分は、初めての彼女を傷つけてしまいそうで。壊してしまいそうで。
そんな風になりそうな自分が怖かったのだ。
「だから…。もう少し時間をくれないか、ネイチェル。君の身体に辛い思いをさせたくないんだ。初めてのときはゆっくりと…その、時間をかけて…。私がそういう自制ができるようになるまで…その…」
アマトが最後まで言わないうちに、ネイチェルは彼の胸に飛び込んだ。
「ネイチェル?」アマトは慌てた。

ネイチェルの気持ちも、今にも破裂しそうだった。…彼の気持ちが嬉しくて、そして切なくて。
自分から男性に抱きつくなんて、生まれて初めてだ。…幼い頃、父親にはしたけど。
彼女は彼に対する愛おしさが溢れてきて、もう我慢の限界だった。
「……私は待たなくていい。ううん、待ちたくなんかない…。
だってずっと貴方への気持ちを抑えてきたのよ…。
お互いの気持ちがやっと確認できたというのに。……一時は生涯の別れになるかもしれなかったのに」
ネイチェルは彼を失うかもしれない、という、その時の恐れや辛さを思った。
「その時の辛さに比べたら…。身体の辛さなんて。
それに私、結構身体は鍛えているし、痛みにだって強いのよ?
何が問題あるの?」
アマトは彼女のその言い方に思わず笑ってしまった。
本当に彼女が愛しかった。私の月光…。
アマトは震える手を彼女の背中にゆっくりと回し、力強く抱きしめた。
「…太陽と月の契合(けいごう)…だな…。もう止められないぞ」
「何それ…。アマトってたまに変な事、言うわよね」
「しっ。もう黙って…」
そう言って、彼は再び彼女と唇を重ねた。


二人を照らしていた月が、まるでその事に満足したかのように、いつの間にか姿を消していた。
ネイチェルは彼の肩越しに、満天の星空を感じた。
まるで、宇宙空間の中に二人が存在しているような感覚に陥った。
星は瞬き、まるで二人を優しく見守っているようだった。
二人の嵐のような熱情が交差し、求め合う全てが痛みを伴って一つになった時、それを歓迎するように流星が降って来た。
互いの生のエネルギーの交換…。それは心も体もどちらも欠けてはならない、愛の交歓。
二人は初めての感覚に感動していた。
これが全てを求め、全てを受け入れ…全てを愛する事なのか…。
こうして陰と陽は融合し、新たな命を呼び込む磁場となる。
互いの目に涙が浮かんだ。


「大丈夫…?辛くさせなかった…?」
激しい情熱が甘美な疼きを経て、二人にゆったりとした時間が訪れた。
アマトは荒い息を整えながら、汗でしめっている彼女の額の髪を、優しくかき上げた。
「ええ…大丈夫…」
ネイチェルも呼吸が乱れているのを隠そうとはしない。
本当は身が裂かれるほど痛かった。
でも、彼女はそれ以上に、彼と一つになった感動の方が勝っていた。

「見て。…凄い流れ星…」
ネイチェルは彼の背後に広がる、星空を指差した。
彼は振り向き、感嘆した。
珍しいほどの流星群。
きっと二人はこの日の事を一生忘れない…。

そうして二人は、彼女がセドに行くまでの一週間、毎晩のように秘密の場所で、たくさん話をし、そして愛を確かめ合った。幸せな、幸せな時間が、ずっと流れていた。


アマトは彼女がまたセドに行く前日に、皆にきちんと二人の事を話した。
従者達は驚いたが、二人の幸せそうな顔を見て、とても喜んでくれた。
ハルなんて特に、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
二人はなんとなく、気恥ずかしいのと嬉しいので、困ってしまった。


…ただ、ラムウに伝えるのは彼が戻って来てからになる。
彼に何と言おう…。アマトは少し不安だった。


そう、ラムウが二人の事を知ったのは、彼が帰って来て、すでにネイチェルのお腹に新たな命が宿っていた時だった。

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