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2010年4月16日 (金)

暁の明星 宵の流星 #70

ネイチェルが自分の異変に気づいたのは、セドに滞在していた時だった。
互いを確かめ合った、あの夢のような日からひと月近く経っていた。
…病気らしい病気をしなかった彼女が、最近何故か熱っぽい。
たまにぼうっとするくらい、どうしてだかすっきりせず、最初は風邪でもひいたかと疑った。
「…セアラさん…?調子がよくないのなら、代わりの人を頼みますよ?早めにお帰りになった方が…」
百蘭の助手が心配そうに言った。ネイチェルはここでは“セアラ”と呼ばれていた。
「…そうね…。風邪かしら。キイ様にうつしてしまったら大変よね」
「ご無理なさらなくても、大丈夫ですよ、もう少しでリサさんが島から交代に来てくれますし」
リサとは、ハルの姪、ナミの仮の名だ。
「そうねぇ…」

だが、そうこうしている内に、何だかムカムカしてきたのである。
彼女はそこで、自分の体の変化を知った。
指折り数えながら、ネイチェルは確信した。
……これって…。
ネイチェルは皆の言葉に甘えて、急いで島に戻った。

戻るなり彼女は愛する自分の夫にこの事を報告した。
彼は一瞬、言葉を失った。
「…アマト?」
彼の黙りこくった様子に、やはりもう少し気をつけた方がよかったのではないか?と、彼女は不安になった。
やはりちょっと早い気もするわよね…。
でも、無理よ。だってお互い自制できなかったんですもの。
「…あの、アマト?…やはりちょっと早かったかしら…。その、こんな大変な時に」
いきなり彼が涙ぐんだのに、ネイチェルは慌てた。
「ど、どうしたの?…そんなにまずかった?」
「…違うよ…。その反対」
アマトは懸命に涙を堪えているのか、目が充血して赤くなっている。
「とても嬉しいよ、ネイチェル。…この子に大きな物を背負わせてしまうかもしれないけど…。
でも、私達の所に降りてきた子だ。私達がいる限り、この子を守って、愛してあげようね」
ネイチェルは嬉しくて、彼の胸に飛び込んだ。
「そうよね!この子は私達を選んできてくれたのよね!」
「ああ、そうさ。この世に生まれる命は、全て意味を持って生まれて来るんだろ?」
アマトは嬉しくて優しく妻を抱きしめた。


そうして二人は皆に報告し、セドに行ってくれているナミにもお願いして、出産を迎えるため、自分の代わりの人間を探してもらうよう頼んだ。もちろんそれまでは、いや、産む直前まで、彼女はキイの世話をやめたくなかった。
だが、あの体だけは資本のネイチェルが、思わぬ事で安定期まで動けなくなってしまった。
つわりがひどかったのである。
ちょっと起き上がるだけでも気持ち悪い。食べないと気持ち悪い。吐きそうなのに吐けない。…自分の知ってる妊婦は、吐けば結構けろっとしていたものだったから、自分もそうかと思っていたが、それも個人差があるらしい。
とにかく、ネイチェルは万年船酔い状態に陥った。
これでは船になんて乗れるわけがない。
たまに胃の中のものが出て、すっきりする事もあったが、ほとんどが気持ち悪いのに、吐きそうで吐けない状態だった。仕方ないので、彼女はずっと食べられる物しか口に出来なかった。それも凄い偏食だ。一時はトマトしか口に出来なかった。今は何故か氷菓子だった。
「これじゃあ、体力が…。ネイチェル様、どうしたらいいでしょうか…」
ハルは心配で心配で、日に何回も彼女を見舞ってくれる。
ありがたいが、本当は放っておいて欲しかった。
「……そのうち収まる…と思うのよね」
と、言いながら、彼女は安定期入っても、つわりがあった妊婦を診たことがあったのを思い出して、うんざりした。
こればかりは予測不可能だと知った。


で、当の子供の父親は、妻の症状に心配して、夜も眠れなかった。
彼女が突然、夜中に気分が悪くなって起きてしまうからだ。
「だ、大丈夫だから…放っといて?」
ネイチェルは毎回洗面所で、気丈にその都度こう言った。
「とにかく落ち着くまでは大事にしないと…」
「でも情けないわ、病気じゃないのに」
彼女は悔しそうに涙ぐんだ。皆にもとても迷惑かけてるし。
アマトは彼女をそっと抱き上げると、二人の寝台にゆっくりと寝かせた。
そして自分もその隣に横たわると、彼女を優しく見た。
「迷惑なんて、かけてないよ。君は医術者だろ?今が一番大事だって知ってるはずじゃないか」
「でも…。こんなにひどいものだとは知らなかったわ。私達のおチビちゃん、本当は嫌がってるのかしら?」
アマトはそっと彼女のお腹に手を当てて、優しいあの甘い声で囁いた。
「チビちゃん、あまりお母さんを苦しませないでおくれ。大丈夫、君を辛い目に合わせないよ。
だから少し、協力してくれ」
ネイチェルは照れくさくなって、ついぶっきらぼうに言った。
「…なにそれ?辛い目って」
「生徒のお母さんから聞いたんだ。つわりが強いのは、無意識に赤ちゃんを守るためだって。
本当かどうかは私は専門家じゃないからわからないけど、今この子は懸命に体をつくっているんだよ。
…君は行動的だから、知らないうちに無理しちゃうのを、チビはわかってるんじゃないかな?」
「そ、そうなのかしら…」
ネイチェルは自分のお腹を見た。
小さな命。懸命に自分の中で確かに生きている。
そう思うと、愛しくて、彼女はやはり無理してはいけない、と思った。
「大丈夫。おチビちゃんはわかったってさ。もう少しの辛抱だって、お母さん」
と、笑った彼に、ネイチェルは口を尖らせた。
「んもう、そんな適当な事言って」

ネイチェルがこうして具合悪く臥せっている最中に、他国に行っていたラムウがやっと帰ってきた。
「思いの他、期間が延びてしまって…」
皆にそう報告した後、ラムウはネイチェルがいないのを不審がった。
今はセドにはナミが行っているはず…。キイ様に何かあったのか…?
「アマト様、ネイチェルがいませんが、彼女は今はここにいるのでは?」
「あ、ああ…。いるにはいるのだけど…。あ、あのね、ラムウ、実は…」
アマトは彼に、彼女の事を言わなければ、と焦った。
と、そこへネイチェルが青い顔して、ラムウの前にふらふらと現れた。
「…ネイチェル…。顔色がすごく悪いが…。お主、具合悪いのか?」
ネイチェルはラムウが帰ってきたことを知って、わざわざ部屋から出てきたのだ。
「お帰りなさい、ラムウ。…ごめんなさい、変な姿見せて…」
「何かの病気なのか?大丈夫か?」
「ええ、病気じゃなくて…その……、うう!」
ネイチェルは我慢できなくて、口を押さえ、慌ててその場を駆け去った。
「ネイチェル!だから無理するなと…」
その後をアマトが追いかけて行き、彼女の様子を伺ってから、参ったような顔をして、皆の所に戻ってきた。
「ネイチェル様は大丈夫ですか?」
「うん、心配するなと言うのだけど…」
ラムウは眉間に皺を寄せ、心配そうに彼女の去った方向を見ていた。
「一体どうしたのというのだ。あの体力には自信のある天司(てんし)が…。何か悪い流行病でも…」
「いや、そうじゃないんだラムウ、じ、実は病気じゃなくって…」
「病気じゃない?あんなに苦しそうなのにですか?」
声を荒げたラムウに、アマトは益々言い出せなくなった。そんな自分が情けない。

アマトが言いにくそうにしているので、ハルは見かねて自分が言った。
「ご病気じゃありませんよ、ネイチェル様は今つわりがひどいのです」
「つわり?」
一瞬ラムウは自分が聞き間違えたのかと思った。
聖職者である彼女に、縁のない言葉だからだ。
「……何を馬鹿な事を…」
と、言って、やっと彼はアマトの様子が変な事に気が付いた。
「アマト様…?まさか…」
いや、そんな事、私のアマト様がなさる訳がない。まさかまた、その…聖職者と…。

アマトは敬虔なオーン信徒であるラムウが、ショックを受けないはずがない、と思っていた。
だが、自分の決めた事だ。
この先何があろうとも、これから生まれる子供、そして彼女を守らなくてはならない。
アマトは意を決した。
「……ラムウ、お前にはショックな事かもしれないが…。
実は私達…、ネイチェルと私は事実上の夫婦になったんだ」
ラムウの顔に血の気が引いたように見えた。
「…わかっている。犯罪を重ねた上、またも聖職者と子供を作ったのは…。また罪を犯してしまった事になるという事を。…だけどラムウ、私は彼女を愛しているんだ。彼女も私のために禁忌を犯してまで一緒になってくれた。…わかって欲しいとは言えないが、…私は彼女とこれから生まれてくる子供を、命ある限り守りたいんだ」
そしてアマトは苦渋の表情を俯かせ、搾り出すように言った。
「だから…こんな男に愛想がついたのなら、いつでも…私から去って行っても構わない…。自分勝手な事を言ってると、私も思う。でも、でも…本当はお前は、こんな大罪人と共にいるより、やはりセドに戻って…」
「アマト様」
ラムウは息を吸うと、ゆっくりと微笑を浮かべた。
「ラムウ…?」
「何をおっしゃいますか。ラムウは何があろうとも、アマト様のお傍を離れません」
「ラムウ…」
ラムウは穏やかな表情で、アマトを見つめた。
「……私のアマト様。……貴方が幸せなら、私は何も言う事はないのです」


「ラムウが…本当にそう言ってくれたの?」
ネイチェルは信じられないといった感じで、アマトに言った。
「ああ…。だけど、本当にそう思ってくれたのだろうか?…私は彼が、無理をしているのではないか、と思うんだよ」
アマトは辛かった。……彼があっさりと微笑んだ事が、余計に申し訳ない気持ちにさせた。
いっそ、怒鳴って欲しかった。罵って欲しかった。
ネイチェルはアマトの様子を見て、二人の長い歴史を感じた。
彼女はそっと彼の頭を胸に抱くと、優しい声で囁いた。
「…ラムウは…本当に貴方を愛しているのね…。彼にはいつも、貴方が一番なのね…」
ネイチェルは自分もラスターベルに仕えていた頃を思い出していた。
姉(あね)様が自分にとって一番大切だった…。あの方を心からお守りするのが全てだった。
だからネイチェルはラムウの気持ちが痛いほどわかる。
……守りきれなかった自責の念も。

アマトも二人の気持ちを思うと、罪悪感が沸き起こる。…全ては自分が愚かだったから…。
自分は二人の人生を狂わせたのではないか…。
それを考えると身を引き裂かれるほど辛かった。
…しかし、それを背負って、自分はこの道を生き抜こうと決心したのだ。
もう後戻りはできなかった。

そのラムウは朝早く、次の仕事を求めて島を出て行った。
朝一番の早起きである、料理人のケンが不思議そうに彼を見送った。
いつもなら、屋敷を出る前にはきちんと皆に挨拶をしていく、あの律儀なラムウ殿が…。
彼はなそんなケンに、無表情でこう言った。
「どうしても今出ないと目的時間に着かないのでな。アマト様も仕事に行かれてて大変お疲れだろう。
私が無理を言ってまで挨拶しない方がよいと思う。お前からよろしく伝えておいてくれ」
ハルが漁師の家の者だった、という事で、個人的な小さい船を譲り受けていた。
これがあれば客船を待たずして、好きな時間に島を出入りできるのだ。
ラムウはひとり船に乗って、大陸へ向かった。

ラムウが何も言わずに島を出たと聞いて、アマトは不安になった。
やはり彼は、かなりのショックを受けたのではないか?
だがラムウはケンにすぐに戻るから心配するな、とも伝言を皆に残したという。
本当に仕事の都合なのかもしれない。

そしてあれほど苦しんだネイチェルのつわりが、安定期に入った途端、すっきりと無くなった。
今までの苦しさは一体何だったのかしら…、と思うほど、けろっとしてしまったネイチェルは、今度はもの凄い食欲に襲われた。そしてアマトの前で、懸命に食事をパクつく彼女はすまなそうにこう言うのだ。
「…私じゃないのよ、チビが食べたいって言うから…」


ラムウが大陸に降り立って、仕事を探すわけでもなく、馬を借りて東の中央を目指した事を誰も知らない。

とにかく何も考えずに馬を走らせたかった。
この渦巻く暗い影を振り払いたかった。
だが、己の噴出す感情を、彼は止められなかった。
この狂おしいほどのどす黒い衝動はどこから来るのだ?

ラムウの頭に、心に、ぐるぐると激しい渦が出口を求めて暴れていた。
(……まかりなりにも聖職者と!!)
ラムウはもう自分がこの黒い衝動に支配されていくのを、頭の隅で感じていた。
(しかも2度も禁忌を犯す愚かな事を!!)
風が容赦なくラムウをなぶる。
鳳凰を扱う“気”を修得しようと思ったのは、自分が太陽の王子に仕えたからだ。
あの方は罪人として人生を終えるような方ではないのに!
あの神王が存在する玉座の間、あれはアマト様が君臨するはずだった神聖な場所なのに!

あの告白をアマト本人から聞いて、背筋が凍るようだった。
全身の血が一気に引いていった。
……だが…彼が自分の元を去っても構わない、とまで言った瞬間に、ラムウはかろうじて自分の気持ちを抑える事ができたのだ。
そう、だからラムウは微笑んだ。…自分は彼に何も逆らえない。
まして離れるなんて考えたくもない。

だからその矛先は相手に向けられた。


(汚らわしい!)
ラムウはどんどん馬を早めた。
(聖女の面をした売女め!私のアマト様をたぶらかして再び罪人に陥れ、忌むべき子を宿すとは)
彼はもう、この狂おしい黒い衝動を止める事ができなかった。
(ああ、アマト様。もう神は貴方を絶対に許すまい。
貴方が禁忌を犯しても…。私を疎んじても……。それでも…それでも…。
…私は貴方の傍を離れられない。離れる事ができない!)
彼自身も、どうしたらこれを静められるかわからない。
夢中で馬を走らせた先には……。彼の目の前に懐かしいセドの国の夜景が広がっていた。

いつものごとく、第一兵士のセインは、全ての戸締りを確認し終えて、宿舎に戻るところだった。
後は護衛の者に任せて、自分は眠るだけだ。
彼はまだ若いが、腕を認められて第一兵士に早く昇格した。
これも全て、恋焦がれた上司がいたからだ。彼は、彼のために、彼に近づくために、一生懸命腕を磨いていたのだ。
辺りは真っ暗で、自分の持っている小さな灯りだけが、周辺をぼうっと照らしている。
そしてあの晩、セインは彼への想いを遂げる事ができた。でも、尚更彼が恋しくなるとは思ってもみなかった。
(ラムウ様…)
彼の憂いを含んだ整った顔が、哀しげに曇った。
セインが彼の事を思いながら、宿舎に通じる外廊下を歩いている時だった。自分の右手には煉瓦で出来た長い壁がある。セインは足元に何か当たった気がして、思わず壁に手をついた。
その次の瞬間、自分の背後で人の気配がし、彼は緊張した。
「誰だ?」
振り向いてセインは驚いた。
「ラムウ様!?」
そこにはラムウが無表情のまま彼の背後に立っていた。
「ラムウ様、どうしてここに…」
セインが言い終えないうちに、いきなりラムウは彼の正面を壁に押し付けた。
「ラ、ラムウ様?」
突然の事に驚いたセインは、彼の顔を見ようとして身をよじろうとした。
が、無言のままラムウは、力強く彼を壁に押し付け、自分の体を彼の背中に密着させた。そのためセインは振り向くことができなかった。

「見るな」
ラムウは感情の無い声でセインに言った。
「え?」
「壁に手を付け、セイン。私の顔を見るな」
ラムウはそう彼の耳元に息を吹きかけるように囁いた。
それはまるで悪魔の囁きのようだった。
「あ…?ラムウ様、何を…」
セインは今自分の体に起きていることが信じられなかった。
「あっ…ああっ!!」
セインの小さな悲鳴は、だんだんと切ない声となって、苦しみと喜びが混ざった様な喘ぎ声に変化していった。
「ああ…。はぁ…。ラ、ラムウ様…。ぁ…ん」
セインの嬌声を耳に感じているにも関わらず、ラムウの表情は冷たいままだった。
闇の中、セインの切なく彼を呼ぶ快楽の声だけが、すすり泣くように変わっていった。
それでもラムウはひとつも声を出す事はしなかった。

同じ頃、城内の庭先にある林を、ひとりでタカト神王は満足げに歩いていた。
こんな夜中に彼は護衛もつけず、先程愛人である侍女と逢瀬を交わしたばかりだった。
彼女とはお忍びの付き合いである。一応人妻だ。
タカトは自分の正妃であるミカを大事には思ってはいたが、それとこれとは別の話。
手が早いのは王子の頃からだったタカトは、こういう事は日常茶飯事であった。
しかも妃は子供の産めない身体になってからは、自分を遠ざけるようになってしまった。
だからタカトとしてはあちらこちらに愛人を持っても、別に構わないと思っていた。
何せあのよくできたミカが、自分の欲望のためを思って、愛人を作るのに快く賛成してくれている。
そして彼はつい先日、自分が前から目をつけていた女を、自分の物にしようと目論んでいた。
(セアラとかいったな、あの女…)セドにはいない、異国の美女。
凛とした佇まい、清楚な感じが、タカトをそそった。彼女は交代でキイの世話をしている医術者だ。
神王の相手として不服は無い。だが、彼女はいなかった。
何と今妊娠して家に戻っているというのではないか。
タカトはつまらなかった。…何だ、夫持ちか…。
だがまぁいい。出産したら戻ってくるような事をそこの者が言っていたな。
別に夫がいたって構わないだろう。
何せこのセドの神王が相手だ。断れるわけも無いさ。
タカトは上機嫌で闇夜の中、自分の部屋に戻ろうと足を速めた。

その近くで、ラムウは何の感情もなく、ふらふらと彷徨っていた。
彼の、何かが壊れていた。
自分の狂おしい闇は、まだ収まりきれない。
まだ出口を求めて自分を翻弄しているみたいだ。
まだだ…。まだ足りない…・。
自分の中の闇はそう言って彼を急かしてるかのようだった。
その時、彼の精気の無い目が、足取りも軽く横切るタカトの姿を捉えた。
ラムウの口元が、獲物を狙うかのようにゆっくりとほころんだ。
乾いた唇を潤すように、彼は舌を唇に這わせる。
それはまるで、悪魔のようだった。

ラムウが島に戻ったのは、次の日の真夜中だった。
戸締りをしようと、ハルが玄関の鍵をかけようとした時、ふらりと彼は帰ってきた。
もうすでに屋敷の者は寝静まっている。
「ラムウ!こんな時間に帰ってくるとは思わなかったぞ!夜の海は危険だと、前に言ったような…」
と、ハルはそこで、ラムウの様子がおかしい事に気がついた。…いや、自分の気のせいか?やけに上機嫌じゃないか…。
ラムウは確かにすっきりした顔をして、何やら楽しそうだった。
「何かいい事でもあったのか?珍しく顔が明るいぞ」
「ああ…。何かすっきりして、気分がいいんだ。…どうしてだか、よくわからないけれど」
ラムウは微笑みながら、ハルの前を通り過ぎようと近づいた。
その時ハルは、ラムウから漂う臭いに気がついた。これは…血の臭い?
「ラムウ…。お前、どこか怪我をしているんじゃないか?」
「え?」
「…だって…お前から血の臭いが…」
「……ああ」
ラムウはしばらくして笑った。
「実は帰る途中、獣に襲われてね。そいつを斬ったからじゃないか?かなり大物だったんだ」
と、ラムウは血糊のついた剣を見せた。
「…そ、そうなのか…?…まぁ…無事でよかったな…」
ハルは彼の剣を見て、何故か背筋が寒くなった。
「とにかく疲れた。私はすぐに休ませて貰うよ。おやすみ、ハル」
「あ、ああ。おやすみ、ラムウ…」
ハルはどうしてだか言い知れぬ不安を感じていた。
いや、まさか…。まさかラムウに限って、そんな…。

セドの城内は騒然としていた。
今朝早く、城内の林で神王の惨殺死体が見つかったからだ。

しかもそれは無残にも切り刻まれて、まるで獣が食い散らかしたように、遺体の肉片が方々に散乱していた。

王家の者は再び恐怖に慄いた。

……これは神の怒りだ。
神の罰だ…。
王族が犯した大罪を、やはりまだ神はお許しになってはいなかったのだ………。

我々は神の逆鱗に触れたのだ…。

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