暁の明星 宵の流星 #73
意識を自分で閉じたからといって、外の世界の様子が全て閉じられたわけではなかった。
ただ、時間が経つにつれて、どんどん自分の意識は底に沈み、はっきりしなくなってきているのは確かだった。
長い、夢のような場所に、彼は漂っていた。
そしてたまに、時間がランダムに感じる時がある。
そしてたまに、外の声が聞こえる時がある。
愛しいあの声を、ついこの間、何年ぶりかに聞いた。
キイはもどかしかった。
この世の中で、一番自分が求めている、あの人間の声。
戻りたかった。
でも、自分で閉じた外の世界に戻るには、自分ではどうする事もできないのだ。
(ああ、あの時と同じ)
キイは思った。
意識が落ち込み、外の世界を否定していた、あの時の自分と。
あの、愛しい声と、愛しい手がなければ、自分はあの世界にには存在しようと思わなかったのだ。
だけど、あの時はまだ意識は浅い所にあった。
今はどんどん沈み続けて、今にでも自分が消えてしまいそうだった。
(アムイ…。俺のアムイ…。俺の魂の半身よ。
あの時と同じように、この俺の手を取って、この意識の沼から引き上げてくれ。
俺は信じている。
必ずお前はこの俺を見つけ、この俺を呼び戻してくれると)
“ねぇ。見てごらんよ!外の世界はこんなに綺麗だよ!
君と同じくこんなに綺麗だ!”
あの時と同じように…。
キイの心は過去に飛んだ。
二人で見たこの世の地獄を、知らなかったあの時に。
ただ純粋に二人が幸せに存在していたあの時代に。
今まで自分は、闇を越える事に必死になっていて、あの時を思い出すことを忘れていたのだ。
人の優しさを。…そして親が自分達をどれほど愛してくれていたかを。
キイは今、やっと冷静に昔を顧みる事ができた。
皮肉にも、意識を閉じた、この長い時間、年月のお陰で………。
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アムイが生まれてしばらくししてから、この子の両親は不思議な事に気が付いた。
アムイは安定した子供だった。
よく笑い、よく泣いて、感情がわかりやすくて…。
だけれどもぐずる、という事をあまりしなかったし、育てやすかった。
まるでキイとは反対だった。
この子の周りだけ、ゆったりした安定の空気が流れているようだった。
そして、好奇心旺盛で、この世界に映る物全てが、彼の興味を刺激していた。
何にでも挑戦したがり、積極的に人と交わろうとし、アムイは皆のアイドルとなっていた。
ここまでは普通の子と、何の変わりはなかった。
アマトは、また再びわが子が普通ではない事に、何と考えていいのかわからなかった。
キイの時はあの力に驚いたが、アムイはとにかく不思議な子だった。
あれはアムイがまだ生まれて間もない頃、気候がよい時にたまに窓を開けていると、寝入っている彼に小鳥達が何故か取り囲むように何羽も集まってくる事が、多々あった。
かと思うと、外に散歩に行けば、アムイの周りに小動物達がまとわりくように現れる。
「何かこの世界の生き物に、この子歓迎されているみたいね」
ネイチェルも不思議そうに我が子を見た。
だが、もっと両親を驚かす事があったのだ。
アムイ歩き始めた頃、好奇心旺盛な彼は、大人の目を盗んで森の奥へとひとり、ヨチヨチと歩いて行った。
アムイの姿がなくなって、屋敷は大騒ぎになった。
とにかく自然や動物達が好きな彼のことだ、森へひとりで行ったかもしれない…。
この島の中央にある森はしばらく入っていくと、奥はジャングルのようになっていて、かなり危険で獰猛な動物が存在している。
アマト達は青くなって、アムイを捜した。
あの気丈なネイチェルでさえも、気が動転し、取り乱したほどだ。
「しっかりしなさいネイチェル!君は母親だろ?大丈夫、絶対にあの子を見つけるから!」
こういう時は男親の方が冷静に判断し、行動できるのかもしれない。
このときほど、夫が頼もしく見えたことがなかった。
そして最悪な状態を覚悟しつつ、彼らは森の奥へと入った。
この奥のジャングルには、獰猛な大蛇も、獣も生息している。
たまに餌を求め、このジャングルの入り口まで来る猛獣もいた。
しかし、そこで彼らは信じられない光景を目にする。
そのジャングルの入り口の木の下に、猛獣が数匹たむろって居た。
その中央に、あの、人に慣れないという大陸原産のビャク(大陸の白虎)が、気持ちよさそうに猫のように丸まり、穏やかに寝息を立てていた。そしてそのビャクをまるでふかふかのベットのごとく使っているアムイを発見したのだ。そして他の豹やコヨーテ等の猛獣達は、見守るかのように、穏やかにその周りを取り囲んでいた。
この島に大陸のビャクがいたことにも驚いたが、それ以上に我が子には驚いた。
アムイは無邪気にもそのビャクと戯れていた。
しかもビャクも、他の猛獣達も、そのアムイを嬉しそうに愛しそうに歓迎しているのだ。
「…何か、あの子、大地に愛されているみたい…」
ポツリとネイチェルは言った。
「確かに私もそう思う…。本当に不思議な子だ…」
アマトはそれが、アムイの持っている何かが、そうさせるのではないか、と思った。
その何かはアムイがもう少し大きくなってから判明するのだが、今現在は不思議だ、という事しか言えなかった。
そうしてアムイは両親の愛をいっぱい受けて、素直に明るく、優しい子供に育っていった。
ハルはアムイがアマトの小さい頃によほど似ているらしく、いつも懐かしみながら世話をしてくれている。
あのラムウは、最初の頃はほとんどアムイの傍に寄らず、顔も見なかった。が、アムイが物心つく頃になり、会話ができるようになると、ラムウは徐々にアムイに慣れたようだった。最近ではたまに自分の肩に乗せて、近所を散策する姿が見られた。
不思議な部分があるだけで、アムイは本当に何も問題ない愛される子供だった。
たまにアマトの生徒達と遊んでもらい、日中はほとんど野生児のように、野山や川、海にと走り回り、この世界を愛し堪能し、喜びを享受しているようだった。
なので両親は、アムイについては何も不安はなかった。
この子はこの世界を愛し、楽しんでいる。そしてまた、この世界もこの子を歓迎し、愛してくれているようだと。
だがその反面、アマトとネイチェルには他に大きな苦悩があった。
それはキイの事だった。
アムイがまだ乳飲み子の時、手がかからないのもあって、ネイチェルは早速またキイの世話を再開した。
彼の成長にネイチェルは感動したが、それは身体での事。
肝心の感情や、心の発育は絶望的だった。
とにかく、彼は何も反応しないのだ。
いや、生物的には体の反応もあり、ちゃんと生活できる。
体は無意識に生きるために機能してるようだ。
食事もトイレも寝る事も起きて動く事もできる。
…だが、人にも、外の世界にも、キイは何も反応を示さない。
それは彼がどんどん成長していくにつれて顕著になっていった。
そう、まだ生まれたばかりの頃は肉体の本能が彼を支配していたようで、肉体が欲するまま生き続けられていたようだった。
だが、普通に物心つく年齢になる頃から、キイの不可思議な行動が目立ってきたのだ。
この頃になると、何とか稀有な“気”の放流は少しづつ収まってきた感じであった。
だがそれは本当に不安定で、良くもあり、悪くもなる、という一長一短ではあったが。
「…困りましたな…。この子はどうも意識を手放してるように見えるのですよ…。自分自身で…」
百蘭(びゃくらん)はキイを診ながら、いつも頭を捻っていた。
「この間みえられたマダキ殿のお弟子の方は、かなり“気”にお詳しかったですが、私とは違う見解でした。キイ様が、生まれつき感情がない、とは私はどうも思えない。…キイ様はどうも…自分の御意思で外の世界を切り離してるとしか思えないのですよ。自分で自分の意識を封じているような…」
「自分で!?」
ネイチェルは嫌な予感がした。
……まさか…キイ様は本当はこの世に生まれてきたくなかったのでは…。
意に沿わぬ妊娠と出産をした、姉(あね)様の恐怖を彼女は思い出した。
「キイ様が反応するのが、あの虹の玉だけ、というのが…私はひっかかるのです…」
ネイチェルは、どうアマトに説明したらいいか、悩んでしまった。
きっと彼は落胆する。再び罪の意識にさいなまれるのは、明白だった。
案の上、アマトはかなりショックを受けた。彼はキイの事が心配で、どうしても会いたい、と涙を流した。
でも今はまだ、それは危険過ぎる。タカト神王が病死してからは、セド王家も余計にピリピリしていた。
ネイチェルは何とか早く、キイをセドから連れ出せないかを考えていた。セドにアマトが行く事はあまりにもリスクが大き過ぎる。
そして大きくなるにつれての、彼の奇行…。それは…。
「キイ様が!誰が来て!キイ様が水の中に!!」
キイが4歳頃の時だった。彼は自分からふらふらと研究所の庭先にある、大きな観察用の池に自ら入っていったのだ。そのまま彼は出てこない。慌てて百蘭が駆けつけ、キイを水から引き上げた。
彼は溺死寸前だった。
そうかと思うと、5歳の時には、確かに隠してあった刃物を、彼はどこからか持ち出して、自分自身を傷つけていた事があった。真っ赤な地が滴り、気づいたネイチェルは卒倒しそうだった。
それでも肉体の本能だけは、食事を取らせ、排泄を促し、睡眠を取らせ、彼を最低限生かしていた。
それに逆らうかのように、大きくなるにつれて、彼の自殺行為はどんどんエスカレートして行ったのである。
それは彼の、生への執着…この世界への執着がないために起こしているとしか、考えられない行為だった。
何度もキイは自分に対し、体の危険を侵した。
それは全く死の恐怖が彼にはない事を示していた。
まるで…。天に帰りたいかのようだった…。
なのでキイには四六時中、監視の目が必要だった。
安心できるのは“気”の放流のない、安らかな睡眠時だけであった。
ネイチェルもずっとキイの傍にいたかったが、まだ幼いアムイをずっと放っておく事もできなかった。
術者やお世話の者全員で、協力し合おう、と彼女に言ってくれた。
もちろんずっと会えないままのアマトが一番辛かった。
何度か抜け出してキイに会いに行こうとして、その都度ラムウやネイチェル達に引き戻された。
キイが6歳を越えた時、百蘭は意を決してネイチェルに申し出た。
「私の“気”の師匠である、昴極大法師(こうきょくだいほうし)にご相談したらいかがでしょう…。あの方でしたら、人の心、気、全てを見れる大賢者であり、大僧侶。……セドからはマダキ殿以外の賢者には言ってはならぬ、と口止めされてますが…。もう私も限界です。私はあの方にこっそりと真実を明かす覚悟です」
「……ええ。キイの事が世間に知れるのも不安だし、ましてやこういう子供が生まれたという事が、大聖堂や賢者衆、寺院などの知れたら大変な事になるのは…わかっています。でも、私も夫も限界です。どうかお願いします」
ネイチェルも決心した。…もう何でもすがりたかった。
「では、ラムウにお願いしましょう。私だとセドの監視がついているので、手紙も出せません。ラムウなら私の口利きで、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)にて、大法師に“気”を直に教わっての師弟の仲。彼に任せれば大丈夫です」
そうしてラムウは極秘に、昴極大法師の元へと北の寺院に飛んだ。
そしてネイチェル達は綿密に、キイをセドから連れ出す事を、計画する事にした。
セド国内では監視の目が光り過ぎている。
キイをセドよりも北寄りの若狭(わかさ)という村にある、百蘭のゆかりのある寺で、この稀有な“気”を制御する方法を試したい、と色々理由をつけ、セドに申請した。セド側は、百蘭の熱意に、しぶしぶと3日間なら、という制約を付けて許可を出した。
そこでアマト達はアムイとハルも連れて、キイに会いに若狭に向かった。
アマトも何年ぶりかに逢う、自分の息子を思うと胸が詰まった。
アムイは4歳にして初めての遠出旅行のためか、ずっと興奮状態で、色々とはしゃいでいた。
そしてラムウも昴極大法師を連れ、若狭に入った。
百蘭達は、セドからついて来た護衛の者に、この計画がわからないよう、寺の近くに隠れ家を借りた。
そこにアマト達を泊まらせ、大法師とキイをそこで会わせようと考えた。
その隠れ家は、百蘭の幼馴染である村の豪族の持ち物で、家、というよりは広い森が隣接している、大そう豪勢なお屋敷だった。喜んだのはアムイである。
彼は好奇心旺盛な目をきらきらさせて、屋敷の中も、庭も、森も、時間ある限り探検して、飽きる事がなかった。
それに屋敷にはそこを管理している老人の孫達も何人か遊びに来ていた。
アムイやキイ達の事は、遠い国から遊びに来た、屋敷主の友人、とされていた。
だからアムイは気兼ねなく、その子達と遊びまくっていた。
そして…肝心のセドの護衛四人の中には…。何と第一兵士のセインがいた。
彼はアマト王子が生きているとは知らなかったが、ラムウのたっての願いで護衛に志願した。
…もちろん、例の逢瀬の時、ラムウの独断であったが、彼を味方にする為に珍しくセインに優しくしたのだ。
その時はあの狂気の闇に支配されていない時だった。
自分でもなんて卑しく、ずるい人間かと、ラムウは自嘲した。
ラムウはあの衝動に侵されている時、少しは自分がセインにしている事は覚えているらしかった。
…だが、まるでその時のことは夢にでも見ていた感じで、正気の時のラムウには、まるで実感がなかった。
だから、セインに優しく抱擁はしたが、彼を抱く事はできなかった。
普段と違うラムウにセインは不思議がったが、彼が必死になって、自分を頼ってくれる事が嬉しくて承知した。
こうしてセインのお陰で、護衛に知られぬよう、キイを連れ出せる事になった。
彼が上手く他の護衛を誤魔化してくれる事になったからだ。
こうしてキイは6年ぶりに実の父親と再会する。
そして同時に運命の出会いをするのだった…。
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