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2010年4月

2010年4月29日 (木)

暁の明星 宵の流星 #80

珍しい赤い月が先程まで夜を照らしていたのに、今はまったく見えなくなってしまった。

この胸騒ぎはどうした事だろう。
大聖堂の外に広がる天空の庭で、サーディオ聖剛天司(せいごうてんし)は暗い空を仰いでいた。
何かとても大切で、大きなものを無くしてしまった様な、そんな感覚がさっきからしていた。
「サーディオ様」
突然背後から呼ばれ、彼は振り向いた。
「クラレンス銀翼天司(ぎんよくてんし)」
彼の後ろには、クラレンスが立っていた。
「………なかなか調査の成果が表れなくて、真に申し訳ありません」
「いや、君はとてもよくやってくれた…。かえって申し訳ないのは、私だ」
サーディオは微笑んだ。
彼にはこの長い間、個人の件でいろいろと飛び回ってもらった…。
もちろん大聖堂での務めの合間に…。
「色々当たってみたのですがね…。…あの太陽の王子を守っていたラムウ、とかいう男にも探りを入れてみたのですが、結局無駄に終わってしまいました…」
「本当にすまない。私も色々考えたんだ。これは自分の個人的感情が走り過ぎてるのではないか、と」
サーディオの横顔を見ながら、クラレンスは言った。
「いえ、これは個人的な事を越えておりますよ、聖剛天司。…セド王国は絶対に何か隠している。
この何年かでの僕の見解です。…今までは外側から攻めて来ましたが…、やはりここは思い切って、王家内を調べてみようと思っています」
「王家内?」
「ええ。なかなかよいツテを見つけました。…必ず、真実に近づいてみせますよ」
そう言って、不敵に笑うクラレンスに、サーディオは少し危険なものを感じ、こう釘を刺した。
「…それはありがたいが、くれぐれも神の御前で恥ずかしくない行動を頼むぞ」
クラレンスはうやうやしく頭を下げた。
「もちろん…。この銀翼の異名にかけて…」


弔いの儀式を済ませたネイチェルの遺体を傍に、アマトはずっと頭を抱えていた。

…セド王家の紋章…。

私は心の支えを失ってしまった。
私の月光を失ってしまった…。

今、彼女は棺の代わりに寝台に寝かされ、白い布で全身を覆われていた。
近くにたくさんの蝋燭が灯っている。

「アマト様」
ラムウが隣で彼の名を呼んだ。ずっとあれからラムウはアマトの傍から離れない。
「私の気が緩んでいたからだ…。今まで幸せすぎて、きっと浮かれていたに違いない…・。
自分は大罪を犯しているんだ。その事を肝に銘じてなければならなかった」
「アマト様」
アマトは疲れた顔をして、窓に視線を移した。
一夜明けて、外は朝から雨が降っていた。
まるでネイチェルを弔うように空が泣いていた。
「出ましょう、アマト様。すぐにここから。…私は王家が我々の事に、気づいたとしか思えないのです」
「そうだな…。私もそうさっきから思っていた。……完全に私が生存しているのも…キイと共にいるのも、多分…」
アマトはそこまで言って、はっとした。
「キイ…。子供達は…」
彼は妻を殺害されたショックで、他の事に頭が回っていなかった。
「…ええ、ずっとハルが二人に付き添ってますよ…。あの子達にも可哀想な事を…」
アマトは急に胸騒ぎを覚えた。
「ラムウ、ちょっと様子を見てくる…」
さっと彼は立ち上がると、足早に子供部屋へと急いだ。

「キイ!アムイ!」
アマトは子供達の名を呼びながら、部屋に入った。
「!?」
子供部屋には誰もいなかった。
「キイ!アムイ!?どこにいるんだ!?」
アマトは嫌な汗が出た。とにかく必死で二人の姿を捜す。が、どこにも姿が見当たらない。
「アマト様!」
ラムウが慌てて子供部屋に入ってきた。
「ラムウ!子供達の姿がないんだ!どこにも…」
と、言いかけて、ラムウを見てぎょっとした。
「ハル!」
ラムウはぐったりしたハルを抱えていた。かなり多勢に殴られた形跡があった。
「ア…アマト様…!」
ハルは息も絶え絶えで、一生懸命に声を出した。
「どうかしたんだ?ハル!こ、子供達は…」
「……つ、連れて行かれてしまいました…。セドの…者達に…」
恐れていた事が現実となってしまった。
アマトは眩暈がした。己の迂闊さに、今回ばかりは後悔どころではなかった。
「アマト様…」
「…ラムウ…。子供達を…取り戻さなければ…」
「ですがこうなってしまったら、アマト様の身に危険が…」
「私はどうなってもいい!子供達をセドには渡せない!」
アマトはそう言って屋敷を出ようとした。が、ラムウはそれを引き止めた。
「落ち着いてください!アマト様!…このまま行ってもセドには敵わない。何か策を考えてから行動致しましょう。いいですね?どうか冷静になってください…」
「しかし」
「セドはキイ様が目当てです。酷い事をするはずがない…」
そのラムウの言葉に半分納得したものの、もう半分には言い知れぬ不安が纏わり付いていた。
…アムイ…。
キイには酷い事はしないだろう。セドには彼は利用価値がある。…だが…。
アムイには何もない。彼らがあの子に酷い仕打ちをしないとは限らない…。
アマトはがっくりとその場に崩れ落ちた。


キイとアムイは馬車の中にいた。二人はぴったりと寄り添っていた。
馬車の中には、ミカとお付きの者が同乗している。
「…本当に後からアマト達は来るの?」
キイが用心深そうにミカに言った。
「もちろんよ」
彼女は優しい笑みを見せた。
「…キイ…」
隣のアムイがポツリと不安げに呼んだ。
「アムイ」
キイはぎゅっとアムイの小さな体を抱きしめた。
その二人の様子を見ているミカの思惑は表情に全く出ていない。
「…さっきも言ったでしょう?…私はキイの伯母さんだって…」
「本当…?」
アムイが小さな声で呟いた。
アムイの黒い瞳を見つめ、ミカは益々謎めいた表情で言った。
「ええ。私達はね、すぐに貴方のお父さんから連絡を受けて、急いでやって来たのよ。
こんな事になってしまって…。子供達が心配だから、預かってくれないか、と」


日が昇ると共に、急遽この地にやって来たセドの人間達と合流したミカは、しばらく様子を伺った後、屋敷に侵入した。彼らは殺された人間の事に気を取られているのか、意外と簡単に侵入できた。
その時、丁度用があって子供部屋から出てきたハルを拉致し、痛めつけ、違う部屋に押し込んだ。
最初はキイだけを連れ出そうと考えていた。
二人は布団の中で泣き疲れて寝ていた。
キイは見知らぬ人間が部屋に入ったのをすぐに察知し、飛び起きた。
子供相手は、女のミカが怪しまれずに済むだろう、という事で、彼女がひとりで部屋に入ったのだ。
成長したキイを見て、彼女は素直に美しい、と思った。アマト様の面影があるようで、彼はやはり母親である巫女の方に似ているのだろう。かえって彼が、アマトの子だという実感が湧かなかった。
彼女は馬車の中で説明した同じ事をキイに話した。当たり前だが、彼は渋った。
「何で今頃伯母さん…なんて。アマトは何も教えてくれなかったぞ」
「あら、貴方は自分の生まれを知っているの?」
ミカはカマをかけてみた。キイが赤くなった。
「アマトから聞いてない?あの人って自分の事は子供に何も説明していないのね」
「だからなんだよ」
「じゃ、アマトが自分の父親だって事は知っているのね。では、お母さんのこと、知ってる?」
キイが固まった。「ううん…」
キイは親の間にある感情は知っていたが、自分の生まれの状況は全く知らなかった。
自分の母が、どのような立場の人間だったのかも。
「…戻ったら教えてあげる。それに貴方は元々私達と暮らしていたのだし。ね、だから一緒に…」
「でも…。俺、アムイと離れる事はできないんだ…。アムイも一緒って事?」
「アムイ…?」
「あれ?アマトから話があったんだったら、知っているでしょ?…アマトと死んだネイチェルの…」
「え?ああ、そうね。知っているわよ、もちろん」
ミカはあの汚らわしい女との間に、もう一人子供がいたのを思い出した。
その時、布団の中が動いた。
キイははっとしてミカに懇願した。
「お願い。俺がアマトの子だって、アムイは知らないんだ。兄弟だって事…アムイには知らせないで」
「…そう…わかったわ」
もぞもぞと布団が動き、小さな黒い頭が外に出た。
「…キイ?」
アムイは泣き腫らした目を擦りながら、布団から体を起こした。
ミカは息を呑んだ。
あの、汚らわしい、あの女が生んだ…汚らわしい罪の子…。
だが、彼女の目の前に現れた子供は、自分の愛する男に似ていた。
黒い髪も、黒い瞳も。優しげな顔立ちも。
ミカはアマトと歳が離れていたので、彼の小さい頃は知らない。が、アマトの幼い頃はきっとこんな感じだったのでは、と充分想像できたほどだった。
ミカの何かが疼いた。
「……アムイ?私、キイの伯母さんなの。貴方のお父さんに頼まれて、迎えに来たのよ」


そうして二人は、父の故郷に連れて行かれた。

それは二人が初めて経験する地獄の始まりでもあった。

特にアムイに降りかかる恐怖は、彼の人生を、彼自身を変えてしまうほどのものだった。

セドの王家の中で、アマトにはラムウ達の様に、ずっと彼を守ってくれる者達がいた。
だが、この二人には…特にアムイには誰も守る者はいない。

この純真無垢な子供に待ち受ける地獄のような日々。
キイの温かな腕の中で、アムイははまだ知る由も無かった。


「……あ…クラレンス…」
一人の女が、人目を気にしながら城の裏手にやって来た。
「ユリカ殿」
フードを目深に被った背の高い男が、女を迎えるために木陰から姿を現した。
女は潤んだ目で、男に駆け寄った。
「ああ…クラレンス…会いたかったわ…」
男はゆっくりとフードを外した。縮れた長い黒髪がふわりと舞った。
彼女は男の美貌に溜息を付いた。
異国の、背徳感のある、甘いマスクの男。このセドに商用で来ていると言っていた。
彼とはひと月前、珍しく町に出た時、暴漢に襲われそうになった所を助けられた。
それ以来、彼の魅力に取り付かれた彼女は、こうして何度も秘密に逢瀬を重ねていた。
「…美しいユリカ殿…。僕の頼みを聞いてくれて嬉しいですよ…」
彼は口の端に笑みを浮かべ、彼女を抱きしめた。
「いいの…。貴方のためなら、何でもするわ…。だからお願い…このまま…」
「貴方のご主人に…摂政のシロン殿に気づかれたら…きっと僕は殺される」
「大丈夫…あの人は私よりも政治の方が大事なのよ」
「…で、あれ、持ってきてくれました?」
いきなりクラレンスは彼女をせかした。
「え?ええ…。もちろんよ…」
と、彼女は彼から離れ、震える手で懐から紫の布に包まれた薄い板のような物を取り出し、彼に渡した。
彼は丁重にそれを受け取ると、布を取り、中身を確認した。
それは手に持てるくらいの石の板であった。…門外不出の王家の系図である。
クラレンスはニヤリ、と笑った。
「ね…?これで私の気持ちが真剣だって…わかったでしょう?」
ユリカは半分、このような恐ろしい事をしたという罪の意識を隠して、震えながら彼に言った。
「…本当に…貴女が僕のためにここまでしてくれるとは…。貴女の僕への愛は確かな物なのですね」
「そうよ!ね?嘘じゃないでしょ?私、貴方のためなら何でもできるって…。ね、だから…」
ユリカは彼に抱擁をねだった。
クラレンスは半分笑いを噛み締めながら、彼女をかき抱いた。
そして彼女の耳元に、甘い声で囁く。
「嬉しいですよ、ユリカ。ご褒美にまた貴女を天国に連れて行ってあげますよ…。何度でもね」
女はうっとりして彼に身を委ねる。
「貴女のお陰で、こうして僕の知りたかった事が、全てわかったのだから…。
お礼に快楽を与えてあげるのは、礼儀、というものでしょ?」
そう言って彼は彼女の唇を激しく貪った。女の甘い吐息が微かに響く。

銀翼の天司、クラレンスはこうしてオーンに爆弾を持ち帰る。

このクラレンス。
彼は神官となった数年後、禁忌を犯したことが公となり、オーンを追放される。
だが、罪人として囚われた彼は再び王家の系図を持ち出し、ある東の州に逃げ出す事になる。
その話をゼムカ族王、若き日のザイゼムが知るのは、まだずっと先の事だ。


ひとしきりの嵐が過ぎ、クラレンスはおもむろに身なりを整えた。
まだ余韻で朦朧としている彼女に、彼は言った。
「もう少し、こうして貴女といたいのですが、どうしてもすぐ故郷に戻らないといけない…。
また、お会いしましょう、ユリカ様」
もちろんそんな事は嘘だ。もうこの女には用はない。


彼がフードを被って、その場から去ろうとした時だった。
「…それ、何に使うんですか?」
クラレンスは立ち止まった。
「…君は…ずっとここにいたのかい?随分、気配を消すのが上手いね」
彼の目の前に、セインが立っていた。
「…ここ、何回か、お見かけしましたよ。一応、僕、ここの護衛もしてるのでね」
セインは思わせぶりに笑った。
「ふぅん。で?」
「…貴方の目的…。何故そんなにこの城の、第五王子の事を調べてるのかな…と。10年前の、あの忌まわしい出来事を詳しく調べてるのか、興味がある」
クラレンスはじっと彼の目を見た。そしてすっと彼の傍に近づいて、自分の顔を近づけた。
「……君…、何か知ってそう…だね?」
セインはじっとクラレンスを見返した。
「…貴方が知りたがった…王家の秘密。それを貴方はどこに持っていくつもりです?」
一呼吸置いて、彼は続けた。
「当ててみましょうか…。それは大聖堂…ではないですか?」
「……だとしたら?」
「この真実を大聖堂が知ったら…どうなりますかね?」
「それは当たり前さ。神の声を聞く姫巫女を穢し…神の力を手に入れたんだ。
怒り狂うに決まっているさ。
君、それを聞いて僕を脅す…?無理だよ。その前にその口を封じるから」
セインはいきなりクラレンスの顔を引き寄せ、唇を奪った。
「な…?」
「これは約束の印ですよ。…かえっていい事を聞いた。
この話、生き証人として僕を大聖堂に連れて行ってください…。
その方が信憑性あるでしょ…」

ずっとセインは考えていたのだ。
自分の事。
ラムウの事。

そして彼はクラレンスと共に爆弾を抱え、オーンに向かった。
それこそ、彼の愛する男への贈り物でもあった。

(ラムウ様…。僕が長い苦しみから貴方を解放してあげます。
…貴方が囚われている神への思いと、王子への思い…。
その二つを、僕が解放してあげる…)

セインはまるで、夢の中にいるようだった。
愛する男への想いがもう限界に来ていた。

セインがラムウの何を解放しようとしているのかは、それは彼しかわからない。

ただ、セド王国が神の力を手にするため、姫巫女を陵辱し子を生ませた事が、十年の年月の末、やっと日の目を見る事になるのは事実である。

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2010年4月28日 (水)

暁の明星 宵の流星 #79

ミカは居ても立ってもいられなくて、夜明けを待たずしてセインと共にセドを出た。
逸る心を抑えつつ、彼女はこの目で、この手で愛しい男の生存を確認したかった。
そして…そして確認できたら…。

セインは自分が見た肝心な詳しい事を、彼女には教えなかった。
自分がくらった衝撃を、彼女にも味わせてやりたかったのである。
王子が姫巫女以外の別の女と子供を作っていたなんて知ったら…。
彼は笑いが込み上げてくるのを、必死で堪えていた。

アマトは昼食を終えて、ふらりと森に散歩に来ていた。
午後からは授業もないし、子供達は遊びに行ってしまった。
彼は少し考え事をしたくてここまで歩いて来た。
そしていつものお気に入りの場所で、ゆっくりと物思いに耽るのが好きだった。
彼は大きな木の下に腰を下ろした。
目前には小さな湖が日の光を反射し、きらきらと輝いていた。
その場所は、あの互いの愛を確認した、島での二人の秘密の場所に少し似ていた。 

自分は罪悪も不安も抱えていたが、今、とても幸せだった。
だが最近、その幸せが続いているのに、恐れを感じている自分がいるのに気が付いた。
大罪を犯し、神を冒涜し、周りを…特に愛する我が子を傷つけたまま…。
このような自分に、いつまでもこの幸せが続かないのではないか、いや本当はこんな幸せ、自分は許されないのではないか…。アマトはずっと苦しんでいた。

あれからキイは、ぎこちなさは残るにしても、普段と変わらぬ態度でいてくれた。
幼い我が子ながら、彼の精神力には敬服する。
…これもきっとアムイのためだろう…。
ちらりといけない考えが浮かんだ。…私は…本当はあの時、死んだ方がよかったのではないか…。
しかしすぐに頭を振った。いや、それは逃げ、だ。
苦しくても、寿命ある限り、生を全うしなくてはならない。
そうでなければ、アムイも生まれなかった。キイを支える人間が生まれなかった。

「これも…全て、天の意なのか…?」

アマトは憂いた表情で、ずっと湖の水面を眺めていた。

ミカは息を呑んだ。
町に向かう森の中、彼女は偶然にも遠目であったが、愛しい人の姿を目に捉えたのだ。
「あ…、ああ…!アマト様…」
小声で彼女は彼の名を呼んだ。目には涙が浮かんでいる。
確かに確かにあの姿は…太陽の王子…。
彼は木の下に座り、あの物憂げな瞳で湖を見つめている。
彼女は馬からそっと降りると、彼に近づこうと草木を掻き分けようとした。
早く…早くあの人の傍に行きたい…。そして本当に現実か、直接彼に触れたい…。
そう思った彼女の動きが止まった。

彼の傍に一人の女が近づいてきた。
(誰…?)
静まった湖畔に、二人の会話が響いてくる。
二人の死角になっているミカにも、話し声は充分届いていた。


「やっぱりここにいたのね!」
息を切らしてネイチェルは彼の傍にやって来た。
「…あれ…。どうしたの君。今日はもう診療所は休み…?」
アマトは彼女を迎えるために立ち上がった。
ネイチェルは笑った。
「うん。…ちょっと早めにあがらせてもらったの…」
何か歯切れが悪い。そういう時は彼女はだいたい何か隠しているのだ。
「何かおかしいなぁ」
「えっ!そう?」
アマトは愛しそうに彼女を見つめた。彼女は何年経っても相変わらず綺麗だ。


ミカは凍りついた。…何?私は今、何を見ているの…?
あの彼のとろける様な眼差し…。あんな目をして女を見ている彼を…見た事なんて…ない。

「ここって本当にあの場所に似てるわね!」
突然ネイチェルが言った。
「うん。…ここに来ると、思い出すよね…」
「何を?」
ネイチェルは意地悪く言った。アマトはちょっと赤くなった。
「ふふ。嘘よ!忘れるものですか…。私達が互いの気持ちを確認した場所を」
そう言うと彼女はアマトの手を取り、指を絡ませ、きつく握り締めた。
「もうすぐ西へ行くのね、私達…」
「うん、明後日にはここを発つ事になるだろう…。これで少しは皆も落ち着く」
「子供達もね…」
しばらく沈黙した後、ネイチェルは意を決したように彼に言った。
「あのね、アマト…」
「何だい?」
突然彼女の声が、緊張したのにアマトは気づいた。
「またこんな大事な時に…。皆にはまた迷惑かけちゃうかもしれないのだけど」
「うん?」
「実はその…」
「何だよ、らしくないなぁ。はっきり言いなよ」
ネイチェルは思い切って口にした。
「…できたの…」
「えっ!?」
赤くなって俯いてる彼女を、アマトは覗き込むように引き寄せた。
「できた…って、その、もしかして…」
「今日診察してもらったの…。三ヶ月ですって…」
アマトは震えた。アムイ以来、自然に任せてはいたが、妊娠する兆候はなかった。
事情を抱えて各地を移動していた事もあって、無理に作ろうとは思ってなかったが、それでもなかなかできなかったので、二人は諦めていた。それが…。
「二人目ができた?」
アマトの声は喜びで裏返っている。
「ええ」ネイチェルは恥ずかしそうに呟いた。
アマトは嬉しさのあまり、彼女を強く抱きしめた。
「苦しいわよ!アマト!」
「あ、ああ!ごめんよ、ネイチェル…」
そう言ってアマトは彼女を抱く手を緩めた。
でも喜びは隠し切れない。
「…嬉しい?今こんな大変な時だけど…。またつわりで皆に迷惑かけるかもしれないけど…」
「何を言っているんだよ。迷惑なんかじゃないさ!…私は嬉しいよ。本当に幸せだ」
「キイ様は…。どう思われるかしら…。最近益々大人びてしまって、私…」
「…喜んでくれるよ。アムイだって、自分の弟か妹が生まれるんだ。きっと可愛がってくれるよ」
「そうかしら…」
「そうだよ、奥さん」
アマトはそう言って優しく彼女を引き寄せると、甘くも熱い口付けを彼女と交わした。
その激しさに、彼女は待ったをかけた。
「誰かに見られたら」
「誰も来ない」
そうやってまた再び彼は彼女の唇を奪った。

ミカは信じられなかった。
今、自分の耳で聞いた事、今、自分の目に映っている事。

(二人目…?)
(子供達…?)
(…奥さん…?)

彼女の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

そして二人の幸せそうな抱擁を見せ付けられ、彼女は気を失いそうだった。

嘘…。どうしてアマト様が…。

あの人は私と寝た時、はっきり言っていたではないか…。
もうこれ以上、誰ともそういう事はしたくない。
子供を作りたくない…。

あれは嘘だったのか…。


それよりも相手の女だった。
ミカは女の顔に覚えはなかった。
だが…

(ネイチェル)

この名前に聞き覚えがあった。

あれは…あれは…姫巫女と一緒にいたという……もう一人の…。

「…相手の女性は、聖職者だったそうですよ…」
いつの間にかセインが自分の後ろにいて、耳元でそう囁いた。
「僕、あの後いろいろ探ってみたんです…。いや、驚いたなぁ。
聖職者とまた通じてしまうなんて…。しかも子供まで作ってしまうなんて。
僕にはそんな恐ろしい事、できないですね…。
さすが姫巫女を陵辱し、無理やり子を成した、大罪人だ」

そうやってセインはやっと理解した。ラムウの心の闇を。
あの高潔で敬虔なオーン信徒である彼が、こんな事、耐え切れるはずがないのだ。
命より大事な王子が、二度も禁忌を犯すなんて事…。


ミカは憎悪が沸き起こってくるのを抑えられなかった。
それは相手の女に?それとも愛しい男に対して?

……汚らわしい……。

彼女はじっと自分の手を見た。
微かに震えている。

本当だったら自分は、何もなければ、ああして彼の愛を独り占めにしていたはずだ。
嫌いな男に無理やり奪われて、子供を作らされる事もなかった。
やっとの思いで授かった、彼と私の可愛い赤ちゃんは…血の塊となって流れてしまった…。
その苦しみ。その悲しみ。…その狂気。

なのにどうしてそんな風に幸せそうにしているの…。

なのにどうして他の女があの人の子供を産むの…。

どうして聖職者だったくせにあの人と…!

どうして…どうして…どうして!!!


ふらりと彼女は歩き出した。
「ミカ様?」
「…セイン…。すぐにセドに戻って、この事をシロンに伝えて…」
「……はい」
「…キイが見つかったって…。あんなに捜していた子供が見つかったって」
セインは薄笑いを浮かべて、踵を返し、馬に乗って去って行った。

ミカは決心した。私が神に代わって裁きを下そう…。
汚らわしい、罪の子が生まれてくる前に………・。

彼女は空ろな目をして、ゆっくりと馬に戻り、近くの木にその馬をつなげた。
そして愛する男と憎い女が連れ立って家に帰る姿を、そっと彼女は気づかれないように後を追った。


「えっ!赤ちゃん?」
アムイは驚いて母親に駆け寄った。
「ほんと?本当に赤ちゃん?おれにきょうだいができるの?」
アムイは喜びで興奮している。

二人は帰ってから食堂に皆が集まっている時に、恐る恐る告白したのだ。
意外とあっさりと皆に受け入れられ、二人はほっとした。
複雑な表情をしていたのはキイだけだったが、アムイがあまりにも喜んでいるので、そのうち彼も笑顔になった。
「ねぇ、母さん、弟?妹?どっちなの?」
「あのね、アムイ。まだ判らないのよ、どっちかなんて…」
「ええー?そうなの?つまんないなぁ」
「どっちでもいいじゃん。元気に生まれれば」
キイが笑ってアムイの頭をくしゃっとした。
彼のその言葉にアマトは胸が一杯になった。
生まれてくれば…キイにとっても兄弟だ…。
アマトは彼の気持ちが少しでも和らいでくれるよう、祈った。
「いや、これで我々も西での新しい生活が待っているし…。いいことづくし、ですな」
ハルは笑って皆にお茶を運んできた。
「そうだね…。これで落ち着いた生活ができるな…」
アマトはゆっくりと息を吐いた。ふと、ラムウの事が気になって、彼の姿に視線を向けた。
ラムウは微かに口元に笑みを浮かべていた。アマトはほっとした反面、何か嫌な予感がした。
「ラムウ…?どうかした?」
アマトはその何か、を確かめたくて、彼の傍に近寄った。
「何も?いかがされましたか?アマト様?」
逆にアマトが問われてしまった。
「そう…?ならいいのだけど…」
アマトの心配そうな顔に、ラムウは微笑んだ。
「アマト様…おめでとうございます…。
…私の様子がおかしいと思われたのなら、それは多分、頭痛のせいですよ」
「頭痛?ラムウ、大丈夫なの?」
ネイチェルが心配して駆け寄ろうとした所を、ラムウは手で制した。
「きっと今頃遠征の疲れが出たのでしょう…。大丈夫です。少し早めに休ませていただければ…」
「いや、もう部屋に戻った方がいい。頭痛を軽く見てはいけないよ」
そうアマトは言うと、ラムウを部屋に戻るよう促した。
ラムウは皆に詫びて、重い足取りで食堂を後にした。

もうすでに外は暗くなっていた。
ラムウはズキズキする頭を片手で支えながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。
窓の外では赤い月がラムウを見下ろしていた。
「…珍しい…月が赤い…」
ラムウはぽつりと呟いた。
その途端、激しい痛みが彼の頭を襲った。
「う…く、くそ…」
彼は壁に片手を付いて、よろよろと自分の部屋に向かった。

頭もそうだったが、彼の心にもその“痛み”が暴れていた。
あの時以来の痛みだった…。いや、それ以上の激痛かもしれない。
だが、アマトの手前、何とか堪える事ができた。
できたが…。

ラムウの全身に、今、黒い渦が、あの時と同じどす黒い闇が駆け巡っていた。

(子供が出来た!)

ラムウの黒い渦は出口を求めて暴れているようだった。
(また、罪の子が出来た!)

実のところ、ラムウはずっと考えないようにしていたのだ。目を瞑っていたのだ。
二人が夫婦だという事を。寝所を共にしている事を。
罪の子であるアムイは、かろうじてアマトにそっくりだった…。
それだから、彼は何とか正気でいられた。
何とか闇を心の底に押し込めた。

…だが、子供が出来た事を告白され、二人がそういう関係だった事を、再び思い起こされたのだ。
二人は夫婦で…それは当たり前のように…交わり…。
その証が子供なのだ。
ラムウはその現実を、また目の前に突きつけられたのだ。

彼は脂汗を掻きながら、よろよろと進んだ。

もう…駄目かもしれない…。

ラムウの心に住む、もう一人の自分がそう言った。

もう、限界かもしれない。…これ以上は…耐え切れない…かもしれない。

彼はぼやけた視線を、何となく前方に向けた。
朦朧とする意識の中、肌を突き刺すような痛みと共に、視線を感じたからだ。

暗い廊下の果てに、女がひとり立っていた。
ラムウは目を凝らした。
その顔に、見覚えがあった。
女はラムウを見ると、ニヤリ、と笑った。
しばらく互いに目を合わせていたが、ラムウの方が先にすっと女から目を離した。
そして彼は何事もなかったかのように、自分の部屋に戻って行った。


皆と歓談していた途中、ネイチェルは気分が悪くなった。
「大丈夫か?ネイチェル」
心配してアマトは彼女の顔を覗き込んだ。
「うん…。始まったみたい…。ちょっと行って来るわね…」
「一緒に行こうか?」
アマトの言葉に、ネイチェルは首を振った。
「大丈夫よ、すぐ戻るから…」
そう言って彼女は微笑んで、食堂から出て行った。


「ねぇ、父さん…。母さん戻ってこないね」
アムイが心配そうにアマトに呟いた。
「ああ…」
確かにあれからかなり時間が経っている。彼女に何かあったのだろうか?
やはりあの時、自分もついて行けばよかった…。
アマトは居ても立っても居られなくなって、椅子から立ち上がった。
「ちょっと母さんを見てくるな…」
そう言って、アムイの頭を撫でると、アマトは彼女の様子を見に行った。
アマトを見送ってから、アムイはどうしても落ち着かなくて、そっと彼も父親の後を追った。


暗い廊下は苦手だった。
でも、父さんが気を利かしたのか、今は所々に灯りが灯っている。
その光をたどって、アムイは親のいる場所へと急いだ。
アムイが突き当たりの廊下を、右に曲がろうとした時だった。

「ネイチェル!!」
父親の只ならぬ叫び声が廊下に響いた。
「父さん…?」
アムイは声の方へと急いだ。


「ネイチェル?ネイチェル!誰だ!誰がやったんだ!!」

アムイは廊下の中央で、父が跪いているのを発見した。
「ネイチェル・・・ああ、しっかりしろ!今誰か呼んでくる!」
父は人を抱き起こしているようだった。まさか…?
「母さん?母さんがどうかしたの?」
アムイは二人に近づこうとした。
「来るな!アムイ!」
突然アマトの怒声が飛んだ。
「父さん…?」
こんな父親の声を、今まで彼は聞いた事もなかった。
「こっちへ来るんじゃない!子供が見てはだめだ!!」
父は半分自分の方に顔を向けて、また叫んだ。
「何で…?母さんがどうかしたの…?」
アムイはやはり気になって、数歩近くに寄ろうとして、何かに滑った。
びっくりした彼は急いで足を戻し、その後父の顔を見てまた驚いた。

父さんが泣いている…。
アマトは泣きながら、抱き起こしていた母らしき人間の身体に、懸命に自分の上着を巻き付けていた。
「今すぐ戻るから…。すぐに呼んでくるから…。しっかりしていてくれ…」
その後、彼女を床に横たわせた彼は、勢いよく立ち上がりその場を駆け出そうとした。
「父さん?」
「アムイ、お前は向こうへ行ってなさい!」
もの凄い剣幕でアマトはアムイにそう叫び、皆のいる食堂の方向に走って行った。

だが、アムイは父に言われた通りにはできなかった。

「アムイ…・。お願い、ここに来て。お前に言いたい事があるの…」

か細い声で、母が自分を呼んだからだ。
アムイはふらふらと、横たわる人間に近づいていった。

あれ…?母さん……。何で…何で…真っ赤なの?

やはりその人間は母だった。
アムイは呆然とした。
彼女が横たわるその周りが、血で真っ赤に染まっていたからだ。

そして横たわる母の白い手も、真っ赤に染まって、力なくアムイを手招きしている。
「か、あ…さん?」
母は全身の力を振り絞るように、アムイに言った。
「お願い…よ、アムイ…。キイ様の…傍…を離れないでね…」
「母さん!!」
アムイははっとして彼女の傍に駆け寄り、床に手を付いた。
「…キイ様…を…お守りし…てあげて…ね」
母の声はどんどん小さくなっていく。
「母さん?何?どんどん声が…声が聞こえなくなっていくよ…?」
彼女は手招きしていた血まみれた手を、アムイの手に重ねた。
「キイ様の存在…お前が…守…るのよ……・・・・・」
最後はほとんど聞こえなかった。

「いやだ!母さん!!目を閉じないで!!」
蒼白となった母の顔が、一瞬ピクッと動いたかと思うと、ゆっくりと目を閉じていく。
重ねた手には、もう力がなかった。
「母さん?母さん!!」
アムイは泣き叫んだ。
その悲痛な声は廊下中こだまし、駆けつけたアマト達に、彼女がこの世から去った事を悟らせた。
取り乱しているアムイに、キイがもの凄い勢いで駆けつけ、抱きしめた。
「アムイ!」
アムイは母の亡骸にすがりついて離れない。
「アムイ!!」
キイも泣きながらアムイを力強く引っ張った。
アムイはやっと、そこでキイが来てくれたのに気が付いた。
「キイ…」アムイはキイの身体をぎゅっと掴んだ。
「キイ、助けて…母さんを…助けて…」
「アムイ!」
うわ言のように繰り返す、アムイの声に、皆はどうする事もできなかった。

その騒ぎを聞きつけて、ラムウが頭を抑えながら皆の所にやって来た。
「一体、どうされと…。!!」
ラムウはこの惨状を見て、言葉を失った。
「ラムウ…」
アマトは呆然と涙を流しながら、ラムウを振り返った。
「誰が…。一体…誰が…」
ラムウはふらふらと、ネイチェルの死体に近寄った。
「これは…酷い…」
ラムウは絶句した。

おびただしい血。彼女はかなり抵抗した後があった。
特に…特にお腹の部分を庇っていたようだ。
ラムウは目をそらした。
…彼女を襲った人間は、彼女の下腹部中心に刃を突き立てていた。
まるでそこに、新たな命が宿っている事を知っていたかのように…。

きっといつもの彼女であったら、ここまではやられはしなかっただろう。
月光という名まで貰った、剣の達人だったのだから…。

ハルは子供達の無事を考えて、二人をその場から子供部屋にと連れ出した。
「今晩はハルがずっといますからね…」
泣き崩れている二人を、ハルは優しく布団に入れた。
そして声もなく、自分も泣いた。
二人の子の受けた衝撃を思い、そしてアマトの気持ちを思い、…ネイチェルの無念を思って、彼は声を殺して涙を流し続けた。


アマトは後悔していた。あの時、自分が一緒について行ってあげていたら…。
彼は空ろな目をして、愛する妻の亡骸を抱いた。身体はすでに冷たくなっていた。
何気なくアマトは、彼女の握られた左手の拳に目をやった。
彼ははっとした。彼女が抵抗した時に、何かを掴んだような形跡だった。
アマトは力を込めてゆっくりと彼女の指を開かせた。

カツーン…。

何かが彼女の手から落ちた。
その物体を見て、アマトは凍りついた。

セド王家の…紋章…。

王家の者が必ず剣につけている、セド王家の紋章が刻まれた小さな装飾品……。

まさか、でもまさか…!!

アマトの背に、冷たい物が流れ落ちていった。

ラムウはその彼の様子を、目を細めて見ていた。
何だろう…?さっきまでの頭痛がまるでなかったかのように治まっている。
あの女の大量の血を見てから、嘘のように気分がすっきりとしていた…。

ラムウは無表情のまま、窓の外に目を移した。
あの赤い月は、どこにもいなくなっていた。


闇夜を照らす月光は、こうして存在を消された。

闇を照らしてくれるものはもう何処にも存在しない。

月光を失いし彼らに、これから闇の手が忍び寄る。

暗闇は、ぱっくりと地獄への扉を開き、彼らを手招きしていた。

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2010年4月27日 (火)

暁の明星 宵の流星 #78

ラムウと共に帰って来たアムイは、キイの様子が変な事に気が付いた。
顔色は青白く、目も泣き腫らしたかのように真っ赤だった。
「…キイ?どうかしたの?」
こんなキイを見たのは初めてだった。
「…何でもねぇよ…。ちょっと具合が悪いだけだ…」
そう言うと、彼はふらふらと自室に入っていってしまった。
「どうされたのか…?ご病気なのか?」
後ろでラムウが呟いた。
「…何か、変。…キイ、おれの顔も見なかったよ…」
どうしてだか、アムイは今、彼の傍に行ってはいけない気がしていた。
彼から“今は寄るな”オーラが出てたのかもしれない。
アムイは不安ながら、キイをそっとしておく事にした。こういう互いの気を読む事に、二人は優れているのだ。


ネイチェルの話で、アマトは恐れていた事が起きたのを知った。
キイの様子、言葉、全てがまだ早かったかもしれない、と思わせた。
だが、このままにはしておけない。
彼に何と思われようとも、紛れもなく自分の息子だ。愛する子供だ。
アマトは意を決して、キイの部屋に向かおうとした。が、それよりも早く、キイの方からアマトの部屋にやって来た。
「キイ…」
扉を開けたアマトを見ずに、キイはずんずんと部屋の中に入った。
「キイ様…。あの、私この場を離れましょうか?」
ネイチェルが気遣って、そう彼に言った。が、キイはゆっくりと頭を振った。
そして振り返ると、アマトの方に目を向けた。
怒りと、悲しみの眼差しだった。
アマトは胸を掴まれ、苦しくなった。
「アマトが…俺の父親なのは…本当なのか」
彼の射るような目に、精一杯答えようと、アマトも真剣にキイの目を見た。
「…そうだよ。私は君の父親だ」
その答えに、彼は苦悶の表情を浮かべ、目に涙を滲ませた。

「…なんで…なんでお前が俺の父親なんだよ…!!」
いきなりキイは声を荒げた。目から涙が溢れている。
「キイ…」
「…俺は…俺は…。苦しい思いしてここに生まれたんだよ。
その怖さと、苦しみ、痛さだけは…。どうしても…。大きくなった今でも忘れられないんだよ!!」
「キイ!」
アマトはショックだった。彼は自分が生まれた時を記憶していた。
「ずっと、ずっと…。どうして俺はここまで忌み嫌われなくちゃいけないんだって…。母親の中で思っていたよ。
こんな苦しい思いまでして、どうしてこの世界に生まれなくちゃいけないんだって…」
キイは涙を手の甲で拭った。
「この世界に放り出されてもさ、あの時を思い出すたび、俺の中で大きな力が暴れて…。どうしたらいいかわからなくて…。怖くて、痛くて。ああ、この世に生まれても同じなんだって、ずっと思ってたよ。
…それを救ってくれたのはアムイだ。あいつが俺を引っ張りあげてくれなかったら…、ずっとあのままだ」
アマトは彼の憤りを、黙って受けていた。
「それから俺は、母親の残してくれた虹の玉の声がやっと聞けるようになった。……俺の事を…本当はとても愛しているって…。怖くて、痛い思いさせてごめんって…。でも母さんの思いは…いつもどこか悲しい波動なんだ…」
アマトもネイチェルも、あの一番辛かった日々を思い出していた。
あの時は本当に…。
「………俺、まだ子供だからまだ大人の全てはわかんないけど…。でも、子供を馬鹿にしないでよ。
俺だってなんとなくわかるよ。だって…。
あんなに…あんなに、母さんが苦しんでいたのは…俺の父親のせいだって事くらい」
アマトの息が凍った。あの自分が犯した愚かしい罪悪が、再び生々しく甦ったのだ。
「母さんは怖い思いも、苦しい思いも、痛い思いも、俺と同じに受けていたんだ。
だからあんなに俺を嫌ってたんだ。それが父親という存在のせいだって……俺だってわかってたよ!」
キイはずっと虹玉が、父親を語る時の、切ない波動を思い出した。
虹玉は、いや、母親は、キイに真実を告げる事はしなかった。というよりも、いつかは大きくなったら他人から聞かされるだろうと思って、あえて伝えなかった。…いや、伝えられなかったのだ。
ただ愛する息子にだけは、素直に自分の気持ちを語ろう、と彼女は思っていた。
…それは…アマトにも、ネイチェルにも…誰にも知らされていない、彼女の本当の心…。

(お父さんを、恨まないでね)
(お父さんを、許してあげてね)
(お父さんを…貴方のお父さんを…どうか悲しませないであげてね…)
母は多くを語らない。ただ、切ないまでの父という存在の男に向けたその想い。
彼女が女として報われなかった思いの丈が虹の玉には詰まっていた。
子供ながらに、父が母を苦しめた末に自分が生まれたと知った。
母は父に愛されていなかった。自分は愛され愛し合ってできた子供じゃなかった。
はっきりとは母は語らない。だが、勘の鋭いキイにはわかってしまった。
……それが、キイをずっと苦しめていた。
自分自身を否定する原因だった。父を根底から否定する理由だった。
自分には母の存在だけでいい…。だが…。

「だけど何故、それがアマト!?なんでアムイの父さんが、俺の父親なんだ!?
なんでお前が…母さんを苦しめた男なんだよ!!」
「キイ…」
二人は何も言葉をかけれなかった。
特にアマトはキイを見れなかった。
こういう事を、自分はあの夜、覚悟して生きようと思っていたはずではなかったか。
だが、やはり辛い。身を切られるように辛い。
自分が犯した罪悪は、やはり消す事はできないのだ。それはわかっている。
だがアマトはそれ以上に、愛する我が子に負わせた傷の深さに、かなりのダメージを受けていた。
どう償えばいいのか、どう接してあげたらいいのか、…どう言葉をかけたらいいのか…。

「……。俺は一生お前を父親だと思いたくない。ないことにしたいくらいだ。
…でも…でもアマトはアムイの父さんだ。アムイはお前を大好きなんだ。
この事をアムイが知ったら、絶対に悲しむ。
だから俺は目を瞑る。何も知らなかった事にする。こんな事、アムイに知られたくない」
キイは泣きながら話を続ける。
「…だから絶対にこの事はアムイには言わないで!俺たちが兄弟だって事、知らせないで!
苦しいのは俺だけでいいんだから……!」

そう叫んで、キイは勢いよくアマト達の部屋から出て行った。
二人は呆然としてその場を動けなかった。

キイが、あそこまで傷ついていたなんて…。

「…覚悟していたとはいえ、……やはり辛いな…」
ポツリとアマトは呟いた。
ネイチェルは涙で頬を濡らしていた。
「でも…。あの夜自分で決めたんだ。天の許しがあるまでは、私はこの地に留まって、罪を償うと。
…子供達を守ると…」
アマトは俯きながら、涙を浮かべ、微かに微笑んだ。
「…父親として、否定されてもいい…。あの子を愛するのには理由など要らないだろう?
それで許されるとは思っていないが…。
……だが私の愚かな判断のせいで、人を苦しめたのは明白な事だ。
ずっと今まで、自分は何ができるだろう、と考えてきた。
…でも、本当に私は無力なんだなぁ…。こんな男が神王になれるわけがない。
これだけはこうなってよかったのかもしれないな…」
ネイチェルはたまらなくなって、そっと愛する夫の背中を抱きしめた。
「…私がいるわ…。貴方は無力なんかじゃない…。
私はいつだって貴方の傍にいるのよ…。
貴方がどれだけ子供達を愛しているか、周りを大切にしているか…そしていつだって大きな目で、世の中を見ているのか、私は知っている」
「ネイチェル…」
「貴方は誰にも明言していないけど、常に心の中に、国と大陸の事を考えているでしょう?
本当は自分の国民を思っているでしょう?今は子供達の事で精一杯だけど、将来は国のために何かしたいと思っているでしょう?」
「…はは。何で君はそんなに私の事がわかるんだい?」
アマトは苦笑しながら彼女を見た。
「わかるわよ、夫婦じゃない。…ずっと貴方を見ているのよ。
そう思っている貴方に、王の資格がないとは思わないわ。…やっぱり…貴方はセドの王子なのね…」

その後、キイは気持ちを落ち着かせるまで、台所でミルクを飲んだ。
そして気持ちを切り替えると、アムイの待つ部屋へ帰って行った。
「あのさぁ、結婚の事は、大人になってから考えよう?」
キイは部屋に入るなり、布団の中にいたアムイに言った。
「どうしたの?キイ」
アムイはキイの様子がおかしいのを気にして聞いた。
「…今は子供だからさ。…大人になって…何でも理解できるようになってから…」
「誰かにそう言われたの?」
「う、うん…まぁ、そっかな。まだ早いってさ…」
アムイはキイをじっと見た。だけどこれ以上、何も聞けなかった。
ちょっと笑ったキイの目が、悲しげに潤んでいたからだった。
「キイ、ゲウラでお土産買ってきたんだよ!見る?」
アムイはさっと話題を変えた。
「うん!で、何買って来たんだ…?」
キイはアムイの優しさに感謝した。

俺のアムイ。
お前は俺のような苦しみは知らなくていいんだ。
苦しんで生まれたのがお前でなくてよかった。

アムイが親から待ち望まれ、愛し愛されて生まれた子供だという事は、キイにもわかっていた。
アムイを見れば一目瞭然だ。

キイはアムイに羨望の眼差しを向けると同時に、何故、天は自分達を一緒に地に降ろしてくれなかったのだ、とちょっとだけ愚痴った。最初から双子として生まれてくれば、もしかしたらこんな切ない思いをしなかったかもしれないのに……。

天に愛され、地に望まれし、俺のアムイ。
きっとこの先も、俺たちにどんな事があろうとも、ずっとこの気持ちは変わらない。

キイは、楽しそうにお土産を開くアムイの笑顔に癒されていた。
ずっと、この笑顔を守っていこう…。そのために俺は何でもする!
キイはそう固く誓った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今宵のセドの空には月も出ず、星もどんよりした雲に覆い隠され、辺りは闇が漂っていた。

「本当なのねぇ…。貴方、女とはできないのね」
長い黒髪を露にした肩から払うと、艶っぽくも皮肉めいた女の声が、部屋に響いた。
ここは王宮より、少し離れた臨時の王家ご用達の別宅だった。
王族が城の周辺を取り囲む森で、狩を楽しむ時にたまに使う屋敷だ。

彼女のいる寝台の隣に若い男が立っていた。
彼は上半身に何も身につけず、腕を組み、ただぼうっと闇を見ていた。
「…貴方、ずっとラムウに身を捧げてるつもりなの」
女は彼に振り向いた。…それはこの国の正妃、現神王の生母ミカ・アーニァであった。
「…それが…貴女と何の関係があるというのです…?」
答えた男は一級兵士のセインだった。
「あら、冷たいのね。…王族の誘いを誰も断れないのはわかっているでしょ?
いくら貴方が男にしか興味なくても、よ」
ミカはそう言って、嘲笑った。
「…貴女が僕を呼んだ理由なんてわかっていますよ…。もちろん」
ミカは目を細めた。
「貴方…。顔はアマト様に似てるけど、やっぱり違うわね。全然違う」
その言い方には棘があった。
「それは本当に残念です、妃」
セインは唇を噛んだ。それを面と向かって言われたくなかった。
「ラムウもきっと、そう思っているのに違いないわよ」
ミカの容赦ない言葉は続く。
「…本物に触れたら…誰もが思うわ…。あの方は素晴らしかった…。滑らかな肌も、柔らかい黒い髪も。
……まがい物の貴方と比べたら雲泥の差」
セインの吸う息が震えているのを、彼女は気づいた。
「あーあ。よく似ているという評判だったから、一度は寝てみようと思ったけど、ちょっとがっかり。
これじゃあラムウも貴方に愛想尽かすわけよね」
「ミカ様。いくら貴女でも、言っていい事と…」
怒りの混じった声を、ミカは遮った。
「だって本当でしょ?もう何年もラムウとは会ってないそうじゃないの」
セインは言葉に詰まった。なんでそれを妃は知っているのだ…?
「私の城内での情報網を甘く見ちゃだめよ」
ミカはセインの表情を見て言った。

「……可哀想に…。ずっと一途な貴方をあの男は…」
わざと哀れむような声で、ミカは呟いた。
彼女は無性にアマトに会いたくなるときがある。その時に自分も彼の元へ行こうかと、何度か思った。
だが、彼女には幼い神王が成人になるまで支えるという責務があった。
虚しくなった彼女は、セインの事を思い出し、こうして彼を誘ったのである。
ラムウと同じに、アマトの面影を求めて…。
 
「貴女に哀れんで欲しくない」
セインはあの、キイ奪還の日以来、ラムウとは会っていなかった。
自分を呼び出し、激しくされる事も、ここ数年ぱったりとなくなった。
セインはずっと、気にしていた。
「…哀れんじゃうわよ」ミカは笑った。
「だって…。ラムウって、男性専門じゃなかったみたいだし」
「どういう意味です?」
「ふぅん、やっぱり知らなかったの」
ミカは意地悪く唇を歪めた。
「ラムウに子供がいるの、知らなかった?」
セインは凍りついた。「嘘…」
「嘘じゃないわよ。…てっきり貴方も知ってるかと思ってた。意外とセドでは噂になってなかったみたいね」

それからセインはどうしたか憶えていない。
ただどうしようもない衝動に駆られ、ラムウに無性に会いたくなったのは確かだった。
気が付くと、里の親が具合が悪いからと言って、無理やり長期の休暇を取り、馬を走らせていた。
ミカの話が本当ならば、ラムウは他に愛する対象を作ったという事だ。
だから自分と終わらせたかった…?
あの最後に頼みごとをしてきた、彼のよそよそしい態度を思い出した。
事実をこの目で確かめたかった。
彼はそれから、ラムウを求めて何日も捜し続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「…いやあ…、子供からは噂に聞いておりましたが…」
「はぁ」
アマトは困っていた。
この土地に来て、これで4人目だ。

アマト達は東と北の国境近くに移り住んだ。そこはなだらかな高原の続く、美しい町だった。
高原の丘の上に居を構えてもう2ヶ月。
アマトはいつものごとく町の子達数名に、塾のように自宅で勉強を教えていた。
彼の教え方の上手さと優しい態度に、子供達は夢中になり、それが町の方で話題になっていた。
「先生の教え方で、子供の成績が上がりましたよ。教え上手で、優しくて…」
アマトは自宅の応接室で、教え子の父親の応対をしていた。
ここ数日、子供達が自分をどう評しているかはわからない…だが…。
多分褒めてくれてると思う。思うが…。
生徒の父親は、さっきから熱い視線でアマトを舐めるように見ている。
そして、テーブルの上に置いた、アマトの手に自分の手を重ねた。
「…そしてとても美しい…」
「……」
アマトは頭が痛くなった。この町は女性が少ないのは知っていた。(調査済み)
結婚し、家庭を持っているのは、かなり裕福なとこが多いのも知っている。(これも調査済み)
……だけど…。男色が当たり前のような町だとは…知らなかった。

「あの…私には妻も子もいるのですが…」
アマトは何故に男にこんな台詞を言わなきゃならない、と苦笑した。
「そんなの、私もですよ」
さらりと父兄はそう言って、指を絡めてきた。
「いや…先生のお声もとても素敵だ。もっと私と話しませんか?できたらこれから私の家に…」

バタン!

いきなり応接室の扉が開いた。
「申し訳ないが、その様な事は一切お断りする」
ラムウが恐ろしい形相で、部屋に入ってきた。
いきなりやってきた大男、しかも怖い顔した美形に、生徒の父親はびびった。
「ラムウ…」
アマトはほっとした。
「だ、誰なんですか?この男は…」
「ああ、私の従兄妹です…。無所属の用心棒をしていまして」
「用心棒?」
男は震え上がった。
「ライは忙しい身なのです。そういう個人的なお誘いは、受けられない」
ラムウの冷たい声は、男を萎えさせるのに充分だった。
「そ、そうでしたか…。これは失礼した。
おお、用事があったのを忘れていた。…では先生、これで。
子供の事、よろしくお願いしますよ…」
そう慌てて生徒の親は転がるようにして、部屋を出て行った。


「まったく…。これで何人目ですか…」
アマトとラムウは家から出て、近くの見渡しのいい丘まで歩いて来た。
丘の後ろには小さな森があり、そこは隣の村に続いている。
吐き捨てるように言うラムウにアマトは困った笑みを見せた。
「助かったよ、ラムウ」
「本当ですよ!私がこうして遠征から戻ってなかったらどうしていたんです?
ネイチェルは?ハルは?まったく皆何処に行ってしまったんだ」
憤慨しているラムウに、アマトはポンポン、と肩を優しく叩いた。
それは昔から、ラムウにするアマトの癖だった。
「ネイチェルは町の診療所なんだ。ハルは子供達と一緒に演劇鑑賞…。他の者は色々雑用があって…」
「それでもアマ…ライを一人にしておくなんぞ…」
こういう不埒な輩が何人もいる事に、ラムウは苛ついた。あの美しいアマト様の指に無断で触るなぞ…。
「いや、いつもは誰かしらいるんだけど、今日はたまたま…。
だからお前が帰ってきてくれて、嬉しいよ」
アマトはラムウの一番好きな、満面の笑顔を見せた。この笑顔だけは小さな頃から変わっていない。
「まぁ、私も男だからな、一応。子供の頃からお前に剣を教わってきたんだ。何かあっても大丈夫だよ」
と言いつつ、教え子の父兄とトラブルになるのは避けたいだろう…。ラムウはアマトの性格を知っていた。
だからこそ、私がこの方をお守りしなければならないのだ。

ネイチェルに対しては、ラムウは一切二人が夫婦だという事を思わないよう目を瞑っていた。
彼女は自分がいない時の、アマトを守ってくれる存在として、ずっと考えるようにしていた。
だから今日彼女がアマトの傍にいないのに、苛つきを覚えた。

「こんな町早く出ましょう。ハルには伝えておりましたが、お聞きになられましたか?」
「うん。西の永住権が取れそうなんだろ?」
「ええ、あとは簡単な事で全てが上手くいきますよ」
「そうか…」
アマトはほっとした。やっと…少しは落ち着いた生活が送れる…。
「ねぇ、ラムウ…」
アマトは丘の下に広がる町の景色を見やった。
「はい…」
ラムウは風になびく、アマトの姿に見惚れた。自分がずっとお守りしていた太陽の王子。
年齢を重ねても、その美しさは衰えることなく、益々光り輝く。
「西に行ったら、私は本格的に気術を学ぼうと思っているんだ。…キイがあのような力を持っている限り、彼を狙う者は将来も必ず出てこよう。誰かが彼を守り、そしてその力を野望や欲望のためでなく、…国の、いや大陸全ての人々のために、素晴らしい事にあの力を使わなければならないと思う。…どのくらい時間がかかるかしれないが、自分ができる事をしていきたいんだ…」
(アマト様…)
ラムウの心は締め付けられた。そこに立っているのは、紛れもない王家の人間だった。
私の神王…。どんなに貴方が大罪を犯したとしても、貴方は私にとっては未来永劫祖国の王だ。
彼は切なかった。あのような事がなければ、アマト様こそあの玉座にふさわしいものを…。 
そして自分はその神王の傍らで、ずっとお守りしていたはずだ。神王と…正規の奥方やお子達と共に。


セインは目を疑った。
彼は何とかラムウが今まで雇われていた豪族を探し出し、彼がこの国境近くの町に滞在しているのを突き止めたのだ。
そして今、その町に行こうとして彼は森を抜けた。
その先に広がる丘に、二つの人影が眼に入った。
「ラムウ様…」
間違いない、一人は自分の愛する男。あの佇まいを忘れるわけがない。だが…。
だがもう一人の男の顔を見たとき、彼の全身から血の気が引いた。
(アマト…様…?)
セインは呆然とその男を凝視した。
見間違えるわけがない…。自分と似た、でも違うあの顔。
いくら世界に似た顔が3人いるといっても、こんなに似ている人間がいるわけがない。
特にその確信の一番はラムウの表情だった。
その男を見つめる彼の目。…自分には絶対に向けたことのない、あの愛しむような瞳。
セインの全身に震えが昇ってきた。
と、しばらく動けないでいると、丘の方から小さな子供二人連れた初老の男が、息を切らしてやってきた。

「ラムウ!お主帰って来てたのか!」
「お帰り」
ラムウとアマトは微笑んで、彼らを迎えた。

セインは再び目を疑った。一緒に丘から上ってきた子供の一人…。
あれは紛れもなく、セドの…アマト王子の子、キイ・ルセイ…。
あと、もう一人の子は…?
セインはその子の顔を見てぎょっとした。その子があまりにもアマトに似ていたからだ。

「ラムウ!帰ってたの!?」
その黒髪の子は嬉しそうにラムウに飛びついた。
「こら、アムイ。ここはおうちではありませんぞ。…そうしたら私はなんでしたっけな?」
あの無表情なラムウが珍しくその子を見て笑みを浮かべていた。
「そうだった…。ただいま!お父さん!」

セインの中で、何かが壊れた。
どう見ても、あの子供はアマト王子の子…。
その子を…その子をラムウ様は父と呼ばせているのか…。

ラムウは軽々とその子供を肩に乗せ、優しげな表情でアマトと顔を見合わせ、その場を皆で去って行った。

セインはずっとしばらく、その場から動けなかった。
彼の心の中に黒い嵐が渦巻いていた。

気が付くと、彼はセドに帰っていた。


「珍しいわね、貴方がこうして私に会いに来てくれるなんて」
彼はその夜、ミカ正妃を宮殿の外に呼び出した。
「やっと女と寝る気にでもなったの?…あら、どうしたのよ、そんな冷たい顔して」
セインはじっと彼女を見ていたが、おもむろにこう言った。
「…僕はまがい物なんでしょう?妃。
本物には敵わない…まがい物なんて本当は相手にしたくないんでしょう」
セインの様子がおかしい事に、彼女は気づいた。
「どうしたの、セイン…」
セインは口の端に笑みを浮かべた。でも、目は暗く、闇の色を漂わせていた。
「貴女にいい事を教えてあげます…」
「え?」


「貴女の愛する本物は…生きていたんですよ。
よかったですね、これで貴女は偽者で我慢しなくて済むじゃないですか」


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2010年4月26日 (月)

暁の明星 宵の流星 #77

「ラムウ殿?東のラムウ=メイ殿ではないですか?」

いきなり中年の男に声をかけられたラムウは、半分警戒しながら振り向いた。

ここは中立国であるゲウラの首都バンガなので、一応身の安全は確保できている地だったが、それはすなわち、手は出せなくとも逢いたくない者まで、いつ遭遇してしまうかわからない、というのも示唆している。

「これはいきなり失礼した。私は南のソウ少尉。…リドンのドワーニ少将を憶えておられるか?」
「ドワーニ…?ああ、あの南の煉獄の魔神…」
ラムウはやっと思い出した。そういえば7~8年前に、わざわざ敵対していたセドまで足を運んできた武人だ。
その南の武人は若いのにかなり腕の立つ男で、よく南との戦いで対決したものだ。ほとんど互角ではあったが、本当の話、ラムウの方が腕は上であった。彼は自分と同じ気術を学んだらしく、“煉獄の気”を操る、【煉獄の魔神】と称されていた。…その男はアマト様が禁忌を犯し、追放となった事を聞きつけて、自分に(南に来ないか)と誘った人間であった。

「…して、ドワーニ殿は憶えておるが、何ゆえ…」
「いや、私は当時からのドワーニ少将直属の部下でして、ラムウ殿も何度がお見かけしております。…その、我が少将が昔、ラムウ殿を我が国にお誘いした時の事も…」
「そうですか」
ソウ少尉は、間近で見る【東の鳳凰】に見惚れていた。
いやぁ、何年経っても相も変わらず…。
「今でも我が少将は、ラムウ殿をお気にかけております。なので、ここでお会いできて、ついお言葉をかけてしまいました…。お元気そうですね。今は…自由な生活をなさってると、噂でお聞きしてました」
そこで彼は、ラムウの肩に乗っている小さな子供をちらりと伺った。
「…ラムウ殿。やはり風の噂は本当だったんですね。…息子さんがいらっしゃる…という…。で、その子が貴方の?」
ラムウは肩に乗せていたアムイを軽々と片手で持ち上げると、ストン、と地面に降ろした。
「そうです。…息子のアムイ=メイです。ほら、アムイ、ご挨拶して」
アムイは恥ずかしそうに頭を下げた。
「こんにちは」
「おお、何とも可愛らしい息子さんですな!貴方と同じ、かなりの美形だ。…でも、どちらかというと、貴方様より、奥方の方に似ていらっしゃるのかな?いくつかい?僕」
「6歳です」
「これは、しっかりなさっておる。将来楽しみですな。
…まぁ、ラムウ殿、ここでお会いしたのも何かの暗示。南に来ていただく事をお考えになってはいかがです?
実はドワーニ少将も、ずっとこの事は考えておられます。もしよろしければ…」
「ソウ殿。申し訳ないが、息子には広い目を養わせたいので、これからも私と大陸中を回るつもりなのです。
…ドワーニ殿のお気持ちも嬉しいが…。まぁ、よろしくお伝えください」
言葉は丁寧だが、本当にそこも変わらず、冷たく言い放つ男だ、とソウは苦笑した。
「そうですか、本当に残念です。ま、気が変わったらいつでも南にお出でください。我が少将も喜ぶでしょう」

そう言ってソウ少尉は二人から去って行った。

「いいの?ラムウ」
「アムイ、ここでは私は“お父さん”ですよ。どうかそれだけは守りなさい」
ラムウは無表情のままアムイにそう言った。
「うん、そうだったね、お父さん…」
アムイは憧れの眼差しでラムウを見上げた。

もうすぐ7歳になるアムイと、9歳になるキイにとって、ラムウは憧れのヒーローだった。


実はキイがアマト達の手に戻ってから、一年は島で世話になっていた。
ところがキイの美しさと利発さがあまりにも有名になってしまい、騒がれたくなかったアマト達は、他所の場所に移動する事にしたのだ。もちろん移動前はラムウ達がその場所を調査してからだが。
なのでこの2年ほどで5回も場所を移動した。
小さな子を連れての移動も簡単ではなかったが、いずれはもっとセドの目の離れた、他国に移住するつもりだった。中立国であるゲウラには、かえって顔見知りの者と会う危険性が高く、割と移住にゆるい、隣国の北のモウラか、かえって遠い西の国…を考えていた。南の国は、帝王が変わってからいい噂を聞かなくなったので、実は除外されていた…というよりも、南はセドと何回も対戦した相手。意外とラムウ…最悪の場合アマトの顔を知れている恐れがあった。
このような逃亡生活のようではあったが、東の国は意外と広い。偽名を使っていたのはアマトだけで、あとはほぼ普通にしていた。しかもアマトは死んだという事になっている。セド以外ではあまり顔を知られていない事もあって、移住先では何の問題もなかった。
ちょっと問題があるとしたら、職や子供達の事ぐらいであった。
島とは違い、正式に職に就くには、きちんとした身分証明が必要だった。
なのでアマトは正式採用ではないが、行く先々で臨時の講師や、自宅で家庭教師などをしていた。
ネイチェルは医術経験を生かし、近所の診療所で助手をしたり、たまには子供達を集めて剣を教えていた。
もちろん元オーン出身の聖職者とは隠していたが。
そして当たり前のように、キイとアムイにも彼女は剣の基礎をみっちりと叩き込んだ。
このご時世だ。特に男の子は剣を習っておいて損はない。
たまに雇われ護衛で遠征していたラムウが戻って来て、二人をしごく事もあった。
こうして二人の剣の腕は、この時から培われたものだった。

それと、もうひとつの問題である子供の事だが、アムイが生まれ、彼が3歳になった時、皆で話し合いが行われた。
アムイが大きくなるにつれ、これから色々と広い世界を学ばせたい。そして王族ではなく、普通の子供としてアマトは育てたがった。そのためには表向きに自分達夫婦の子とすると支障がある。…アマトもネイチェルも罪人だからだ。
普通に学校にも通わせたい、普通に生活させたい、という事で、ラムウが表向きアムイの父親になる事になった。
「一人身のお前にこんな事を頼んでいいのだろうか…?」
この歳の子がいておかしくないのは、ラムウだけだった。
「私は別に構いませんよ、アマト様。今は別に結婚などしなくても、子供を持つ方が多いですから。誰も疑問には思いませんよ」
あっさりとラムウは快諾した。

最初はラムウも複雑な心境でアムイを見ていた。
彼は忌むべき子供…。汚らわしい女が生んだ子…。それは彼の心の底では変わらない感情だった。
それを思い出す度、自分の闇が暴走し、罪を重ねた。
だが、反面、その罪な汚らわしい子供は、愛する王子の子でもあった。
アムイがどんどん成長し、言葉を発する頃になって、ラムウの心境が変化した。
…アムイがどんどん、アマトに似てきたからである。
しかも純真無垢に何の躊躇いもなく、自分を慕う笑顔を見ていると、アマトの少年時代に心が還っていく幻想に、ラムウは襲われた。…それからラムウはアムイと接するのが苦にならなくなった。
それを境にして、ラムウの闇の暴走は段々少なくなっていった。
心の中で、アムイをアマトと摩り替えて考えるようにしたからだ。そうすると心が落ち着いた。
ラムウはそうやって、徐々に自分の闇と悪魔の部分を、無意識のうちに封印していった。
しかしそれは本人が自覚があって越えたものではなかった。…だからいつ何かのきっかけで、再び現れないとも限らないのだ。そのような危うい状態で、何年か彼は過ごす事になる。


そのうちにキイが加わり、益々アマト達も頭を抱える事になった。
…キイは本当に美しい子供で、それだけでも周りの心無い大人に狙われた。
彼が何もわからないと思って、こっそりと連れ出し、いかがわしい事をしようとするのが、必ずいた。
ただ、救いだったのは、キイが異常に早熟だった事だ。
とにかく大人顔負けの状況判断、物怖じしない性格が幸いした。
彼はその度に嫌な思いをして、自分から「強くなりたい」とアマト達に申し出た。
「そうすれば、悪い奴らから自分を守れるでしょ」
キイはそう言って、真剣に剣を習得しようと必死になった。
それにつられてアムイも、剣の練習にのめり込んでいった。
二人は暇さえあれば、木刀で手合いをしていた。

そんな二人の憧れはもちろんラムウだった。
ハル達がこぞって、寡黙なラムウの武勇伝を二人に教えたのもあり、また、移住先に向かう途中、賊に襲われた時も、ラムウの鮮やかな戦いぶりを間近で見た事から、益々二人は彼を神聖化した。

「ほんっと、ラムウって格好いいよな!アムイが羨ましいぜ、一応表の父親だろ?」
見かけは本当に中性的な、やもするとまるっきり女の子なキイだったが、彼が覚醒してから、その容姿とは裏腹に、中身は完全に男だという事が段々わかってきた。
とにかく普通の男の子が興味持つ事に夢中になり、子供のくせにかなり豪胆な所があった。
それに色々とこの世界に興味が出てきた頃、偶然見かけた歌劇団の演目で、伝説の勇者の話を観た時から、彼はその勇者の真似をするほど夢中になった。仕草も、もちろん言葉使いも。
そのキャラクターが無法者の設定だったから、言葉も態度も荒くれだ。キイはそれが気に入ったらしく、それからずっとそういう態度と言葉で、ネイチェルを困らせた。

「うん…。どうして表に行ったら、ラムウがお父さんになるのかはわからないけど…。おれもいつも誇らしいよ」

子供達は何か事情のありそうな自分の家族を、多少疑問はあってもあまり疑いもなくすんなり受け止めていた。
まあ、比べるような家庭が近くにいたわけでもなく、キイは諸事情によりあまり表に出せなかった事も、アムイもまだ小さくて、勉強はほとんどアマトに教わって学校にまだ行っていないため、家族とはこんなものだろう、と思っていた。

それでもたまに、アマトやネイチェルの生徒達と普通に遊んでいた。
何処に行っても二人は皆を虜にした。

アムイとキイの年齢差はやはりかなり離されてしまった感じではあったが、アムイは一生懸命、キイに追いつこうと必死だった。そんなアムイを見て、キイはいつも「アムイはそのままでいいのに」と思っていた。


「とにかくラムウが父さん、っていうのは理想かもな!」
いつも二人は一緒の寝台で眠った。
とにかくあの日以来、二人はなるべく離れたくなかった。
「…うん。おれ達もラムウみたいに強くなろうよね」
もうそろそろ子供は寝る時間だった。二人はいつもそうやって、その時間が来るまで、布団の中で語り合った。
「アマトはどうなのよ?」
キイがいきなりアムイに聞いた。
「…え?父さん?…うーん…」
「何言葉に詰まってんだよ!」
笑いながら、キイはアムイを小突いた。
表ではアマトをライ、と呼ぶのは不思議ながらも二人とも承知していた。
でも今は家族だけだ。そういう時は皆アマトと呼ぶのだ。
「……だってさ、母さんの方が強いんだもん…」
キイは噴出した。
「確かに、アムイの母ちゃんの方が強いよなぁ!」
「父さんは勉強は教えてくれるけど…それだけじゃん」
こんな会話をアマト本人が聞いたらかなり落胆するに違いない。
年端もいかない男の子達には、とにかく今はヒーローが最高なのである。
そうして二人は最強の英雄になって、大陸全土を武勇伝で飾る事を夢に見るのだ。

ま、先ほど二人はアマトの事を好き勝手言っていたが、本当はなんやかんやと一番好きなのだ。
いつも優しくて穏やかで、アマトがいるだけでその場が和む。
ちょっと優男過ぎるのが玉に傷だが、その分潔いネイチェルが補っている。(と、子供達はそう見ていた)
ただキイはこの歳になっても、父親というのを実感できず、いなくてもいい存在としていた。それはやはり、自分の生まれた時の状況と、母親の形見である虹玉の語りの理解から総合して、彼は言葉に出さなくとも、父親のイメージが良くなかった。むしろ、悪かったのである。
それがもう少し経って真実を知る事になり、彼は益々自分の中から父という存在を消すようになるのだが…。
今はまだ、その悪い印象の“父”が、まさかアマトであるとは彼は知らない。


キイとは違って、アムイは人が良過ぎた。
何でも素直に受け止めて、何でもいいように解釈する。
まるで性格の一部が父親に似てしまったようだった。
自己犠牲的で、寛大だった。
アムイは自分と同じく、人に甘い所がある…。アマトはそう感じていた。
「なあ、ネイチェル…。私は少しアムイの事が心配だ。あの子は素直に受け止めすぎる。優しすぎる。
一見、長所のようでいて、その実、あまりにも無防備だ。
この物騒な世界を彼は強く生きていけるのだろうか?」
アマトは自分もそういうところがあって、愚かな事をしてしまった経験上、不安があった。

実はその事を心配していたのはアマトだけではなかった。
「お前、あんな事されて、何で許しちまうんだよ!人がいいのもいい加減にしろ!」
キイが何度もそう言って怒ったのは、数知れないほどだった。
かえってキイの方が世の中をシビアに観察していた。それが生意気と取られようが、彼は人が何を言っても関係ない、マイペースで行動する。そして理論的で客観的、まるで左脳が発達しているようだ。
その逆なのはアムイだった。彼も男の子であったが、どちらかというともの凄い素直で、正直で、優しかった。そしてどちらかというと感性で物事を進めていくタイプだった。まるで右脳が発達しているようだった。

全く正反対の二人であったが、根本的な所は同じものを持っているらしく、それが反発にならず、上手い具合に互いを補っていた。
それはどんどん大きくなるにつれ、はっきりしてくると共に、ちょっとした問題もあった。


互いに成長してくると、他人との関わる事が多くなり、それらが二人を益々固く結びつけるようになっていった。
つまり、お互い以上、しっくりとくる人間はいない、というのが身に染みてきたのだ。
何となく二人は互いが元は一つだったのではないか、という記憶があった。
だが、それは他者と関わる事により薄れていったので、もう最近ではぼんやりとしか思い出せなくなっていた。
それでも互いが互いを必要としているのは、幼いながらも感じ取っていたのだ。

なので、いきなりキイに言われて、ネイチェルは驚いたのだ。

「俺さぁ、大人になったらアムイと結婚する!」
ネイチェルは何を言い出すんだろう、と唖然とした。
いや、幼い頃にそう言う子は珍しくないだろうと思う。
でも、それは対異性に多い事であって、いくら大陸で男色が無言で認められていても、こういうのは稀なのではないだろうか…。
「ええっと、キイ様はどうしてそうお思いになられるのかしら…。何故、アムイと結婚するなんて…」
「好きだからに決まってるだろう?」
キイは赤くなりながらずばっと言った。
「だって、結婚、ていうのは好きあってる者がするって、ハルが言っていた。
永遠の愛を誓うのが結婚なんだろう?未来永劫、この人と共に生きるって」
最近ではそう考えて結婚する者はいないが、確かに彼の言っている事は、結婚の原則だ。
「え、ええまぁ…」
「じゃ、俺とアムイはそうだろ。俺たち、愛し合っているんだから!」

実は最近、二人はよく喧嘩になっていたらしい。
それはこの結婚宣言を夫に報告したネイチェルは、アマトからその二人の様子を聞いたのだ。

その喧嘩の原因は、というと、どっちが女になるか、という事だった。
「それ…どういう事?」
「いや、だからね、最近近所の子達と、海賊ごっこをするようになってさ…」
その時アマト達は海沿いの村に滞在していた。
アマトの話だと、こうだ。

村にも少ないが同じくらいの歳の女の子はいる。なので彼女らはアムイとキイ目当てで、よく他の男の子達と海賊ごっこをしたがった。何ゆえにというと、海賊にさらわれるお姫様をやりたいからだ。そして見目麗しい海賊と、姫を助ける王子役を、彼女らはキイとアムイにさせたがっていた。そして姫役をくじで決めようとするのだが…。
キイがきっぱりとこう言うのだ。
「俺はアムイが姫役じゃなきゃ、やらないよ!」
「やだよ!おれは男だもん。何で姫役なんだよ。どっちかというとキイの方が姫って感じだろ?」
と、アムイが反論し、小競り合いが始まるのだ。で、結局配役は決まらず、いつも流れてしまう…らしい。

つまり最近の二人の喧嘩の理由が、“どっちが女になるか”という事だった。

という事は、二人は一応異性に興味はあるようだ。そうでなかったら、どちらが女になるか、しかも互いに男を主張して喧嘩、なんてしないだろう。

なのでネイチェルはこう言ってみた。
「キイ様。男同士では正式には結婚できないのですよ」
じっと考えていたキイだったが、その次の日、息を切らして彼女の元へやってきた。
「あのな、ネイチェル。男でも愛があれば正式でなくても結婚できるって、友達の兄さんから聞いたぞ!
別に男でもいいや。アムイだから…」
「あら、キイ様はアムイに女の子になって欲しいのではなくて?」
「そうなんだけど…。本当は女の子の方が好きだよ。かわいいし、やわらかいし。
でもアムイは生まれた時から男だろう?アムイも自分は男だって譲らないし…。
なので、妥協する事にした!」
(う~ん、妥協って…)
それはそうかもしれないが、根本的な問題がもうひとつ残されている事を、ネイチェルは彼に告げようかどうか迷った。……それは二人が父を同じくする兄弟だ、という事だ。
兄弟では今の時代はどうしたって結婚はできない。
というか、もしかしたら二人はこの兄弟、という絆を、兄弟愛を、男女の愛と取り違えているのかもしれない、と思った。
「いい機会なのかな…。本当の事を二人に話すのは」
アマトは悩んだ。…ただ、キイの父親へのイメージの悪さは、本人がはっきり言わなくても何となくわかっていた。
だから少し、キイの反応が怖かった。だがいずれは真実を伝えればならない…。これはチャンスなのだろうか?
「そうねぇ…。兄弟だったら血の繋がりがあって、ずっとその絆は切れない、と説明した方が、結婚よりも納得するかも…」ネイチェルも一抹の不安はあれど、そう思った。

アムイもアムイで、無邪気に、結婚すればずっとキイといられると信じ込んでいた。
「キイの方が綺麗なんだから、キイがお嫁さんにならないかなぁ…」
「それは駄目っ!」
最近二人は事あるごとに、喧嘩しながらも楽しそうに話していた。

その調子でキイは、アムイがラムウと共にゲウラまで買い物に行って留守の時、ハルにも無邪気にその話をしていた。ハルは目をぱちくりさせた。最近お二人がこぞって結婚の事を聞きに来たのは、てっきり互いに好きな異性ができたからだと思っていたからだった。
ハルは笑った。
「ははは、キイ様。お二人は結婚は無理ですよ」
「何でハルまでそう言うの?」
「だって、お二人は男同士でしょう?」
「そんなのわかってるさ。正式じゃなくても、愛があればいいんだろ?俺たち愛し合ってるし」
ハルは困った。困ってどう説明したらいいかわからなくなって、つい本当の事を口にしてしまった。
「愛って…。キイ様、それはきっとご兄弟だからそう思うのですよ。それは結婚する男女の愛情とは違うものです」
「…兄弟…って、誰が…」
ハルははっとして口を手で隠した。
「どういうことなの?それ…。誰と誰が兄弟…なの?」
ちょうどその時、ネイチェルがその場面に出くわした。
気まずい雰囲気にいぶかしんだ彼女はそっと二人の近くに寄った。
「まさか、アムイと俺が兄弟なわけ?…だって生んでくれた人は違うじゃん…。…え、?」
ネイチェルはすぐに何があったかを察した。彼女は決心した。
「キイ様…。別に隠そうと思っていたのではないのですが…。あなたのお父さんは…アマトなのよ」
キイの目が驚きで見開いた。
「嘘だろ…?」
「キイ様…。その、色々と事情があって…お話できなかったのですが…」
キイは苦渋の顔して俯いた。
「兄弟…だと、結婚は無理なの…」
しばらくしてポツリと彼は言った。
「ええ、男女であっても、血が繋がっていたら…結婚できません」
その言葉にキイは相当なショックを受けたらしかった。
その続きをハルは一生懸命補充した。
「ですがキイ様、結婚しても別れることだってあるのですよ。…でも、ご兄弟でしたら、これこそ未来永劫、切っても切れない絆で結ばれているわけで…」
まぁ、アマトの兄弟たちを見れば、血の繋がりが全てでないのが証明されてるわけだが、とにかく普通の感覚ならば、他人よりも血縁の方が一生絆は切れることはない。
だが、キイは益々うなだれていった。
「…俺たちは…結婚できないんだね…。父親が一緒だから…。
このこと、アムイには言わないで。お願いだから、言わないで…」
キイはそう言うと、ポロポロと涙をこぼした。
「キイ様…?」
ネイチェルはキイの様子に不安を覚えた。まだ本当の事を言うのは早かったのではないか?ちらりとその思いが走った。彼の中で、色々な感情が渦巻いているのがわかった。
「どんなに愛していても、結ばれたくても…できない事ってあるんだ…」
突然キイは大人びた言い方をした。
それは彼が初めて味わった闇の入り口でもあった。その事が実感し、納得するようになるのは、互いが思春期を迎える頃ではあったが、まだ幼い二人は、そこまでいってはいない。だが、心でキイは感じ取っていた。
初めて煩わしい、と思った、肉体の枷。それを昇華するにはかなりの時間が必要だという事に。


そして彼が父親という存在に、かなり怒りを感じていたことが、アマトに直接伝わることになる。

アマトは自分のした大罪を再び突きつけられる事になるのだった。


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2010年4月25日 (日)

暁の明星 宵の流星 #76 

百蘭(びゃくらん)はネイチェルと共に、キイを連れて寺に戻った。


実はキイはずっと寺の奥まった部屋で、検査や実験をしているという事になっていた。
その間はずっと術者や世話役以外は立ち入りを禁止していた。もちろん護衛の者も部屋に入れず、ずっと部屋の扉の前で待機させられていた。だが、それでも何時間かごとに、セド王家側からの命令で護衛からのチェックが入る。そのせいで本当はあまり長い間、隠れ家にキイを置いておけなかった。
その寺の一室には昔から外に通じる隠し通路があり、それは隠れ家として用意された屋敷の裏手に実は続いていた。彼らはそうして護衛の目を盗み、キイを行ったり来たりさせていた。もちろん何かあった時はセインが上手く仲間の護衛を誤魔化した。
セインはラムウが、亡き王子の忘れ形見であるキイに格別の思い入れがあって、何とかしてあげたいのだと信じていたので、気持ちよく協力していた。…ただ、それを頼みに来たラムウはいつも逢う彼とは違っていた。まるで昔の上司と部下の頃のようで、セインは少しむなしさを感じていた。


百蘭は、アムイによってキイの心が戻った事に、たいそう驚き喜んだ。
だが、今までずっと意識を閉じていたのだ。
キイがどのくらい外の世界に馴染むのかは、予測不能であったのだが…。

それでもとにかく、キイがアムイに単語を発していたのは確かだった。
一度も喋った事のない彼が、いきなり言葉を発したのも驚いたが、一度開いた心がこの世界を吸収していく早さにはもっと驚いた。
彼は元々、何もわからない、学ぶ事もない、ただ自分の世界を閉じていただけではなかったのか?
まるでこの6年間、外との世界は遮断していたが、この世の様子をわかっているかのようだ。


後にキイはこのことについて、こう語っていた。

「目に映るもの。耳に入ってくるもの。情報として自分に入ってきて、全て記憶していた。
ただ、自分には興味がなかっただけ。記憶されてはいるが、再生する気持ちがなかっただけ」
…と。

なのでひとたび意識の壁が取り払われれば、あっという間にキイの中で再生されていったのだろう。

感情面でも、アムイと共に流した涙で、何の問題もない事を示唆していた。

後は発声などの細かな身体の訓練だけだ。

ただ、やはりいきなりこの世界に、出てきたばかりなのは変わりがない。
やっと解放された感情は、抑え、という物を知らぬようだった。

「やだ!アムイもいっしょ!いない、の、やだ!」
今度はキイがそう言って、アムイから離れずに苦労した。
当のアムイは、キイが自分とこの世界で通じた事で、すっかり満足してしまったらしく、黙ってキイに抱きつかれたままだ。なのでアマトはアムイに、キイを説得してくれるように頼むしかなかった。
「ねぇ、キイ。かくれんぼしようっか」
アムイはそう言って、キイの顔を覗き込んだ。
「かくれん…ぼ?」
「うん、面白いよ、きっと」
アムイは父親に言われたとおりに、キイを誘うために説明した。
「キイが鬼で、おれがかくれるの。おれがかくれるまで、キイは待ってなきゃだめだよ。もういいよ!だからね」
これがどうキイに伝わったかはわからない。ちゃんと意味がわかっているのかも、定かではなかったのだが…。
とにかく、アムイの話でキイは大人しく、百蘭達と寺に戻って行った。

そうしてキイを奪還するための準備が始まった。
とにかくここから早く遠くへいかなければならない…。
寺の裏手で、アマト達は馬と馬車の用意を始めた。
ところがしばらくしないうちに、寺の方で何やら騒ぎがする。
皆がいぶかしんでいると、いきなり爆発音がして、寺の屋根が吹っ飛んだ。

「な、何が起こったんです!?」
ハルが驚いて馬車から顔を出した。
「いや、私達にも…」

とにかく何か問題が起こった事は明白だ。
アマト達は急いで馬を引き、寺に向かおうとした。
と、その時、秘密の通路の方から、一人だけ内情を知らされていた、百蘭の一番弟子が血相を変えて走ってきた。
「アマト様!た、た、大変ですっ!」
「どうしましたか!?一体寺の方で何が…」
ハルが不安げに聞いた。
「キ、キイ様がっ!!」
「キイがどうしたんだ!?」
アマトは顔色を変えた。
「ぼ、暴走されまして…」
「はぁぁ!?」


寺に戻った百蘭達は、とにかく準備完了の合図がくるまで、しばらく大人しくしていなければならなかった。
もうすぐに護衛の定期確認時間がやってくる。
朝はキイの“気”が落ちつかず、危険だと言って誤魔化した。
だがあまりその手も使えないので、その次の時刻までには、キイを部屋にいるようにしないといけなかった。
着いて早々、護衛が確認のため部屋に入ってきた。間に合ったようだ。
ところが、見知らぬ人間が入ってきた途端、キイの様子がおかしくなった。

今まではほとんど無表情だった彼が、もの凄い目力で護衛達を睨みつけた。
いつもと違う彼の様子に、一同凍りついた。
「アムイは?」
ぶっきらぼうな声がキイの口から出てきた。
「キ、キイ様…?」
キイはどうやらアムイがいつまでたっても呼ばないので、痺れを切らしたらしかった。
さっき離れたばかりなのにである。
「なんで、アムイ、来ない?」
ずっと無表情で、喋りもしなかった子供が、もの凄い形相で話をしたのに、護衛の者は驚きを隠せなかった。
「キ、キイ様、どうか、もうしばらく…」
ネイチェルが何とか彼をなだめようと近くに寄った。

バシッ!!

いきなりネイチェルは何かに弾かれた。
「キイ様!?」
見るとキイの身体から、白い粒のような物が蒸発するように、立ち昇っている。
(…うそ…。何故今、“気”の放流が…?)
それもキイの感情とシンクロしているようだった。しかもその放流を、自分自身で凝縮している。
その“気”の凝縮により、キイの瞳は段々と黄色味を帯びてきた。
(ああ、いけない、キイ様っ!)

突然白い閃光が走った。
それはまるで何かを求めるかのように、うねり、あらゆる方向に飛び散ったかと思うと、一つの大きな光の柱となって、キイの身体から天に向かって上昇した。

ゴォォォン…!!

その白い光は寺の屋根を付き抜け、天に向かって伸びて行った。

皆はその衝撃で四方にすっ飛ばされた。
屋根の残骸がばらばらと下に落ちてくる。

「なっ!なんだぁ!?」
護衛達は驚愕した。
「キイ様!!」
百蘭もネイチェルも慌てて彼を抑えようとした。が、そんな周囲を意に介さず、キイはずんずんと外に出ようと歩き出した。「キイ様!」
つかさず護衛のひとりが、キイを取り押さえようとした。
しかしキイはその者を自分の“気”で弾き返す。
「さわるな!」
キイの怒声が飛んだ。
「いく、アムイの、とこ!」
キイは特殊な“気”をまとわり付かせながら、皆を寄せつかせず歩いて行ってしまう。
百蘭はネイチェルを突付いた。
(これは思わぬ好機、ネイチェル様、早くキイ様をお追い下さい!!)
彼女は力強く頷くと、キイを止める振りをして追いかけた。
「キイ様、待ってください!」

キイの、アムイと逢えないストレスが、すでにピークに達しているらしい…。
その激しさに、一同驚きを隠せない。
彼は周りの空気をもかき乱すかの様に、“気”と共に風を起こしていた。
そのせいで護衛達も、捕まえようとしてはかなり飛ばされ、皆かなりの傷を負った。


驚き慌て、アマト達は馬と馬車を寺の近くまで急いで誘導した。
「キイは…?」
微かに轟音と共に空気の渦が、外に向かってきていた。
「とおさん!キイだ!キイが来るよ!」
アムイが指した所から、風をまといながらキイが、寺の正面から現れた。
キイはかなり護衛を吹き飛ばしたらしく、彼の周りに誰もいなかった。
「アムイ!!」
キイは遠くの馬車の中でアムイが手を振っているのに気が付いた。
満面の笑顔でキイは寺から飛び出し、坂を勢いよく下っていく。
「早く!こっちだよ、キイ!」
キイは飛び込むようにして、アムイのいる馬車に乗った。
ハルは人がいないのを確認し、急いで馬車を走らせる。
その後から駆け出してきたネイチェルを、馬を走らせながらアマトが引き上げ、彼女を馬上に載せると、一目散に馬車と反対の方に走っていく。
念のため、寺の近くでアマト達は四方に散り、後で国境近くで合流する手順だった。
だが寺の中では、そうしなくても大丈夫な様子だった。
何故なら、百蘭も軽傷であったが、そこにいる者がほとんどダメージを受けて、身動き取れなかったのである。
特にキイを取り押さえようとした護衛達は、かなりやられていた。
実はネイチェルも手や肩に傷を負ったが、なるべく上手く回避しながら追いかけたので、たいした事にはならずにすんだ。

こうしてキイはあっけなく自分から寺を飛び出し、行方知れず、となったのだった。

この状況をセドは驚き、その場にいた者は責任を取らされたが、通常よりは軽くてすんだ。
そしていなくなったキイを捜索する為に、すぐさま特別に捜索隊が編成されたが、目撃もなかったがため難航する事となる。
百蘭は謹慎の責を負わされたが、自分から責任取ってお抱え術者を辞任した。
ほとぼりが醒めたら、家族のいるゲウラに移り住むつもりだ。
もちろんこの騒ぎで、行方知れずになった者も捜索されたが、とうとう見つからず、そのまま保留となった。
ネイチェルの事は、百蘭と一番弟子しか知らない(スタッフを一任されていたので)ため、セド側は把握していなかったのもあって、疑われる事はなかった。

そしてキイはすぐさまアムイ達と共に島に戻った。
そこで彼はリハビリを兼ねてしばらく生活する事になる。
ただ、やはり同じ所にずっといるのも、実は不安だった彼らは、そのうち色々な土地を転々とする事になるのだが、今はとにかくキイが戻った事に、皆喜びを隠せなかった。


島に来て、アムイの傍にいるからか、キイの“気”はかなり安定していた。
その後、昴極大法師(こうきょくだいほうし)がお忍びで島に来てくれた時も、キイの目覚しい進化に舌を巻いていた。
「ご子息は自ら“気”をコントロールしよう、とういう意思を持った事が一番大きいですのぅ。
そのお陰で、突然の“気”の放流はかなりなくなっていくじゃろう…。ただ、やはりアムイ様と離しては不安が残る。
なるべく一緒にさせてやってくだされ」


島では人気者であるアムイの傍に、いつも寄り添っている子供の事は、あっという間に島内で話題になった。
とにかくキイは容姿の美しさもあって、目立つ子供だったのだ。
最初はアムイを独り占めされて、拗ねていた近所の幼馴染達も、キイの美しさと魅力的な笑顔で彼の虜になっていった。
しかもキイの学習能力は馬鹿にならず、あっという間に歳相応、いやかなり上の知能と言語、精神的な発達を習得していった。
なので、島に来てひと月もたたないうちに、彼は普通の子供と変わりない状態になっていた。


「まるで乾いた砂がどんどん水を吸い込んでいくような感じだなぁ」
アマトは我が子ながら感心した。
キイはすぐにアムイ以外の人間も把握した。
だが、親、という概念が彼には乏しかった。
特に彼の中には父親の存在という感覚がない。聞いても実感できないのだ。
なのでアマトは無理強いしたくなかったので、自分が彼の父親だという事は、言わないように周りにお願いしていた。そのうち彼が大人になって、理解できるようになったら真実を話せばいい、と。
ただ、母、という事に関しては、彼は自分の持っている虹の玉のせいか、実感はあるようだった。
そう、ようやくラスターベルの母の愛が、キイに届いたのである。
彼は毎日その虹の玉と過ごし、語り合い、徐々に自分を否定していた母親の、深い愛情を実感できたのだった。


そうやって普通の家族と変わらぬ生活が数年続く。

この時期が彼らにとって、一番の幸せな時だった。

それはアマトが、ネイチェルが、渇望していた普通の幸せ。

ただ、それが長く続かない事を、誰もが心の片隅に感じていた。

だからこそ、今を最高に生きようと、彼らは思った。

この先どんな事が起ころうとも、この生活が支えにばれば…と。

二人の運命の子はそうして離れず、共に成長していった。

ふたりでひとり。
本当にひとつのものを二つに分けたかのように、性格も正反対にしてそれを補っている所が興味深いのが、大きくなるにつれて顕著になっていく。
片方が辛い時はもう片方が明るく引き上げ、また片方が問題あれば、もう片方が解決する、というように、二人は互いに補いながら成長していく。

それは大人になった今も変わらない。

そうして二人はいつも一緒だったのである。

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2010年4月23日 (金)

暁の明星 宵の流星 #75

話し合いは夜明けと共に終わった。

皆の心配をよそに、百蘭(びゃくらん)はあっさりとこう言った。
「ならば寺からいなくなった、という事になさればよいのでは」
「ええ?でもそうすると百蘭が…」
「私の事はどうかご心配なさらずに。…私も常々、セド王家のやり方に不満がありましてね。
いつかはキイ様を、アマト様にお返ししようと、ずっと考えておりました…。
ただ、セド王家の目や、キイ様の“気”の様子などで、なかなか実行が難しかったですが…。
ですが、こう上手くいくと話は別です、アマト様。
キイ様をここに連れ出し、また大法師様に会わせる事は、一世一代の賭けでございました。
私も今が絶好の機会と思います。これを逃したら…いつこのような好機が訪れるか、わかりません」
不安げに自分を見るアマト達に、百蘭は安心させるように微笑んだ。

「実はこういう事もいずれは、と想定して、私ども…、ええ、弟子や自分の家族もですが、すでにセドの国から出させてあります。…大国も手を出せぬ、中立国のゲウラにです。…あの国に、きちんとした手続きを済ませ、永住権を取ってしまえば、いくらセド王家でも手は出せません。…確かにゲウラの永住権を取るのには、かなりの年月がかかりましたが、…いや、間に合ってよかった」
「中立国に」
「…はい。そして私はキイ様が、神隠しにでもあった、とでも大騒ぎしましょうか。…実はこの村ではそのような伝説もありましてな。…子供が消える、という…。まぁ、普通に賊にでもさらわれた、としてもいい。
……多分、私はこの責を取らされ、国外追放になるでしょう」
百蘭がそこまで考え、用意周到に事を運んでくれてるとは、思ってもみなかった。
「いや、私はですね…。祖国を愛しているのですよ…。本当は王家で、こんな事をして欲しくなかった。
キイ様を見ていて、彼の事は、国の、いや一定の者だけの野望の道具としてはいけない、と思っていました。
これは地に住む我々にもたらされた天の宝です。
大切に扱わなければ、それこそ罰が下る」

百蘭の決意に皆はうなだれた。
だからこそ、ぎりぎりの所でも、この百蘭に疑いがかからないようにしたい…。

なのでこのままキイを連れ去るよりも、一度寺に戻し、護衛の隙を狙って連れ出す事になった。
そうして百蘭はキイを守れなかったと、錯乱するふりをして、護衛と共にセドに戻ってもらう事になった。
特に大陸で重宝される気術者の百蘭には、彼が言ったとおり、刑が一番重くて国外追放だろう。
それならそれで、彼には好都合である。
しかも…
「セドの護衛の者も、生き証人とするか。…彼らには申し訳ないな…。
守れなかったとの事で、かなり重い厳罰が彼らに下されるかもしれない…」
アマトが沈痛な表情で、溜息をついた。
「いや、それでも死刑にはなりますまい。アマト様、そこまでのお気遣いは無用です」
その様子を見ていたラムウは、冷淡な顔してきっぱりと言った。
「私としては、もし見つかって抵抗する様でしたら、斬っても構わぬという覚悟です」
「ラ、ラムウ…」
アマトは辛かった。ラムウにそこまで言わせるなんて。仮にも昔の部下に対して。
だがラムウは全く平気だった。護衛の中にセインがいたが、彼よりもアマトの方が大事なのである。
「だがお前も私も顔が知れているよ…。なるべく対峙しないよう、考えよう…」
アマトはそう言って、ラムウを見上げた。

「とにかく、ここを出発する予定の時刻の頃に、今の手順で…。それまでは私はキイ様とネイチェル様をお連れして、普段どおり寺で過ごしましょう。他の方々は、どうかここで待機なさってください」
百蘭はそう言うと、支度しようと立ち上がった。

だが問題はアムイであった。
彼は絶対にキイの傍から離れない。
いくら後で会えるからと説明しても、彼は泣いて嫌がった。
「だって…しんぱいなんだもの…」
「心配?」
アムイは涙を拭きながら両親に訴えた。
「……なんでこの子はおれを見てくれないの?おれと話をしてくれないの?
…どうして何も見ようとしないの?…昨日は遠くで声がしたと思ったのに」
二人は言葉に詰まった。
小さいアムイも、キイの様子が普通じゃない事に気づいていた。
「やっとこうして会えたのに…。どうしてこの子の心は奥に沈んで出てこないの?」
アマトは優しくアムイの頭を撫でた。
「アムイ、この子の名はキイだよ。キイ・ルセイ…。名前を呼んであげたらどうかな。
もしかしたら気が付いて、返事してくれるかもしれない…」
アマト達はまだアムイにキイが兄とは教えなかった。
彼がまだ小さい事もあって、もう少し大きくなってから説明しようと思っていた。
とにかく子供達が理解する年齢までは、慎重に見守ろうという話になったのだ。
特にキイは今、このような状態でもある。
「キイ?そっか。ねぇ、じゃあ今キイとお庭に行ってもいい?おれのともだちを紹介するんだ」
「友達…?」
「うん、昨日いっぱい遊びにきてたでしょ、鳥さん」
「ああ、そうか…」
アマトは思わず微笑んだ。
「キイって、とても綺麗だよねぇ…。まるでお庭に咲いている白い花みたいなのに…。
だけどお外が嫌いみたいなんだ…。嫌がってるんだもん。
だからさ、お外はこんなにいいよって、おれ教えてあげるんだ!」
そうして少しの時間だったが、両親と共に屋敷の外に子供達は出て、庭先に向かった。
アマト達は少し離れた所で二人を見守っている。

「でも…。本当に不思議な事もあるのね…。世の中には」
ネイチェルはしみじみと言った。
「…まさかとは思ったけど…。こんな事だったら、早く二人を会わせてあげたかったよ…」


小さなアムイはキイの手を一生懸命引っ張っていく。
キイは魂がないような風情でアムイに連れて行かれ、庭に流れる小さな小川までやってきた。
傍にはアムイがさっき言った、白い花がたくさん咲いている。
その中にアムイはキイを座らせた。
まもなくすると、小鳥達が昨日と同じにアムイの周りに集まってきた。
まるで何かの絵画のような光景だと、夫婦は思った。
キイの姿は朝の光を受けて、きらきらと輝いている。
ほとんどが室内から出た事のないキイが、アムイと一緒に自然界の洗礼を受けているようだった。

アムイは必死に、キイの名を呼び、話しかけていた。
「見て、気持ちいいでしょ?空気が動くのがわかる?水も冷たいよね。
あ!ほら鳥だよ、キイ!鳥さんもね、キイの事綺麗だって。好きだって」
だが、まるで反応しないキイに、アムイは哀しくなった。
目を潤ませながら、でも彼は笑顔でキイの前に座り直すと、そっと小さな両の手で、キイの頬を挟んだ。

「ねぇ。見てごらんよ!外の世界はこんなに綺麗だよ!
君と同じくこんなに綺麗だ!」

キイは自分で意識を心の底に押し込めていた。

それは生まれの時に受けた、恐怖の波動のせいでもあった。

いつの頃かは忘れたが、混沌とした暗闇の中、彼はもの凄いエネルギーに呼ばれ、引っ張られたのだ。

(貴方のした事は、私を地獄に突き落としたと同じ。
王国のため?大陸のため?そんなの私は望んでなどいなかった!)
女の怒りの声が聞こえる。
(貴方は私を穢したのよ!私をただの女にした!
私はもう、神の声が、天の声が聞こえない!)
その悲痛で悲しい波動が、自分を突き刺す。
(貴方は私に恐怖をくれただけ。今更言い訳したって、この事実は…。
貴方が私にした大罪は消す事はできないのよ!!)
憎しみの感情が、激しい感情が、負のエネルギーが自分を引っ張っていく。

こわい…!!

キイの小さな意識はそう感じた。

混沌とした渦が、眼下に見える。

怒りと、悲しみと、そして恐怖と…。
そしてどうしようもない苦しんでいるふたつの波動…が渦巻いている。

あそこに行きたくない…。こわい…こわいよ…。


いきなり彼は狭くて暗い所に押し込められたのだ。
そしてずっと自分の事を、その場所は忌み嫌ってるようだった。

(怖い!いやよ!怖い!…助けて…助けて…)
その場所はずっと彼を否定し続け、恐怖に慄いている。

キイは苦しくて苦しくて、何度も自分で自分を消そうと試みた。
だが、上手くいかず、ある時突然、想像を絶する痛みと苦しみの果てに、眩しい光の下へ放り出された。

それから彼は、その時の恐怖と苦しみを思い出す度、大きな力が全身を駆け巡るようになった。
それもかなりの苦痛を伴って。彼はその都度、泣く事しかできなかった。

何故、自分はこうまでして、ここにいなければならないのだ?
その事でも辛いのに、自分は前にいた所で、無理やり“何か”と引き離された。
そこではとても幸せだった。そこにいれば、その“何か”と共にあれば、自分は何もいらなかった。
それなのに何故自分はそこから無理やり引き離されなければならなかったのか?
ここにはいたくない。あそこに帰りたい…。
帰ってまた元に戻るんだ…。


その気持ちが強過ぎて、キイはどんどん意識が沈んでいった。

今いる世界の状況は何となくわかっていた。
目に映るもの、耳に届くもの、全て彼の前を通り過ぎていったが、何の関心も、興味も湧かなかった。

ただ、一生懸命自分に語りかける虹の光だけは、いつも好きで心地よかった。
だけど、その光が何を言っているのか、心を閉じている彼にはほとんど届いていなかった。
彼はそうして虹の光が慰めてくれても、この世界を見たいとも、存在したいとも思えなかった。

キイは意識の底で、ずっと元いた場所に還ることしか考えていなかったのである。

だが、いつもと違う感覚が昨日から彼に起こっていた。
懐かしい…何とも言えない、その感覚…。
底に沈んでいた彼は、あれ?と思って、いつもは興味がない世界を覗いてみる気になった。


「…見て…キイ……外は…こ…綺麗…だよ」

誰かが自分に話しかけている…。なんて優しい波動。
うっとりして、キイは声をもっと聞こうと、耳をすました。

いきなり自分の身体に温かいものが触れ、そこからゆっくりと柔らかな気が流れ込んでくる。

「……キイ…。ねぇ…キイ…。ちゃんと見て。外を見て。…この世界を見て。
……そして…おれを見てよ…、キイ…」

声と共にその柔らかな気は、まるで血流のようにドクン、ドクン、と脈打ちながら、キイの全身を巡っていく。
今まで閉じていた世界が、ぼんやりとしていた外の景色が、段々とはっきりしていく感覚に包まれていく。

「こんなに綺麗なのに、こんなにみんな優しいのに、ちゃんと見てあげないってのは、もったいないよ!
…見て。お空も、花も草も水も…、鳥さん達だって…。
みんなキイに会えて嬉しいって言っているのに…。
おれだってやっとまた逢えて…嬉しいのに」

(綺麗…?この世界が…?)
キイの意識は上に上にと押し上げられ、この温かな手と、声に導かれるように、外の景色が目の前に広がっていくのを感じていた。
そこには真っ青な広がる空と、それを飾る白い雲。緑が柔らかに横たわり、美しくも可憐な花が咲き乱れている世界。せせらぎは心地いい響きを謳い、鳥達も可愛い声で歌い始めた。

この時キイは初めて、この自分が降り立った世界をきちんと見たのだ。

そして彼の目の前に、きらきらした黒い瞳の子供がいた。

その子と目が合った途端、キイは涙が溢れた。


離れて見ていたアマト達は、そのキイの変化に驚き、固唾を呑んだ。


「キイ…?おれだよ。ちゃんと見つけたよ。今までさみしかったぁ…」

その言葉でキイの何かが弾けた。

「あっ…ああ…ああう…」
キイは何かに突き動かされるように、どんどん目から涙が流れていく。

気が付くと、アムイもキイにつられたのか、一緒に泣いている。

「もう離れないよ。おれ達、またひとつに戻れるんだ!」
「うう…うう…ふぅ…う…」
二人は泣きながら、互いを確かめ合うかのように抱き合った。


アマトとネイチェルも彼らのその様子に、涙を堪えきれず無言のまま見守っていた。

キイは無理やり引き離されたもう一人の自分が、この世界に自分を追いかけて来てくれた事を悟った。
もうこれからずっと一緒だ。絶対にもう離れない…。

ただこの時の二人は、別々の肉体という枷にはめられ生きるという苦行を、この地で課せられるとは露ほども思ってはいなかった。

ただ今は、互いの魂の交流だけで、それだけでよかったのだ。


「ね?綺麗でしょ…」
アムイは涙を拭わず、笑顔でこの広い世界を見渡した。

「…き・れい…」


アマトとネイチェルは、キイが初めて言葉を発したのに驚き、そして嬉しくて嗚咽した。

「きれい…。とても…きれい」
感嘆してキイはそう呟いた。
(ここは…こんなに綺麗だったんだね…)
そうアムイに伝えたかったが上手く喋れなかった。
キイは思った。
やっとこの大地にしっかりと足をつける事ができたのだと。

それはアムイが呼んでくれたからだ。
自分を引き上げてくれたからだ。
…彼がこの大地にいたからだ…。

彼がいるからこそ、自分はこの地に留まれる…。

こうしてキイはこの地で生き抜く事を決意した。
この先にどんな事が待っていようとも、この愛しい手があれば、自分は耐えていけるのだ。

そしてこのキイの目覚めが、彼の思わぬ行動となって、あっけなく寺を出る事に成功したのだった。

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2010年4月22日 (木)

暁の明星 宵の流星 #74

アムイについて、不思議な事といえば、動物達の事だけではなかった。

意外と彼はのんびりな様でいて、人とのコミュニケーション能力が、幼い頃から非常に優れていた。
言葉もかなり覚えるのが早く、また、たまに大人顔負けのような言葉を発して、人を驚かせた。

すでに物心覚え始めた頃から、アムイは不思議な事を言うようになった。

「ねぇ、とーたん。あのこはどこ?」
小さいアムイはそう言って、アマトにいつも質問して来た。
「あのこ…?」
アマトはそれが、ハルの甥の子供である、近所に住む同い年のトトかと思っていた。
「アムイ、さっき一緒に遊んでたろう?どうしたんだい?」
「……どうしてアムイのところにいないのかなぁ…。アムイ、ここにいるのになぁ」
不思議そうに言う自分の息子を、これまた不思議そうに父親はいつも見ていた。
それが大きくなるにつれ、アムイの言っている“あの子”というのが、トトではないのがわかってきた。

「ねぇ、とーさん。どうしておれ、ふたつにわかれちゃったのかなぁ…」
「…どういう意味かい?アムイ」
「もうひとりのおれ、どこにいるのかなぁ…。こんなにさがしてるのに、どこにいっちゃたんだろ…」
アムイはたまに、そう言っては泣き出すのだ。
本当にアムイは誰かを捜しているようだった。
特に星降る夜は、そのもうひとりを求めて、泣きながらあちこちと歩き回る事もあった。
そしてアマトの腕の中、諦めて泣き疲れて眠る事が多かった。

大きくなったアムイに聞くと、そんな事は憶えてないらしい。
だが、とにかく小さな彼は無意識のうちに、その誰かを求めていたのは確かだった。

それがこの若狭(わかさ)に来てからは、激しくなったような気がした。
初めは、初の遠出旅行なので、興奮していると皆は思っていた。
しかししばらくすると、違う事でアムイが興奮していたのがわかったのだ。

「あのね!さっきお庭を捜したけど、まだみつからないんだ」
突然そう言うアムイに、両親は顔を見合わせた。
「なぁに?アムイ。誰かとかくれんぼしてるの?」
ネイチェルはこの管理人の孫達と遊んでると思って、微笑みながら聞いた。
「あのね、かーさん、今度こそおれ見つけるよ。だって声がするもん。近くにいるってわかるもん」
アマトはそれが、いつも彼が捜している誰かだと、すぐにわかった。
……ずっとアマトは、不思議な事を言うなぁ、とアムイを観察していたのだが、ここに来て今日、その捜している誰かが、何となくわかったような気がしたのだ。……だが、まさか…。
こんな事ってこの世の中にあるものなのだろうか?

初日の今日は、キイを昴極大法師(こうきょくだいほうし)に診て貰う事になっていた。
その診察が終わらなければ、アマトもネイチェルもキイには会えない。

とにかくキイは普通の状態の子供と違う。
他の子や、本人への影響を考えて、なるべく接触は避けて欲しい、と百蘭に言われていた。
だが、アマトにはひとつの考えがあった。
それを提言するのには、どうしても昴極大法師に会わなければ、と思っていた。
アムイをキイに会わせてみたかったのである。


次の日、親子三人で庭先でくつろいでいると、小柄な初老の男が近くにやって来た。

「そなたが、アマト様じゃな?」

アマトは緊張した。彼のただならぬ高貴なオーラで、噂の大法師とすぐにわかったからだ。
「大法師様でいらっしゃいますね?ええ、私がキイの父親のアマトです。この度は本当に息子がお世話に…」
「ふぉふぉふぉ…。まぁ、そんなに緊張せんでもよいですぞ、アマト様。全ての事情は、百蘭とラムウから聞いておりますよ。…私はこれでも僧侶でな、悩める人の話を聞き、助言するのも仕事の内です。個人の事情は守られますので、ご安心くだされ」
彼はそう言って、大らかに笑った。
「…ところで、後でキイ様にはお会いなさるかね?」
「あ…!会ってもいいのですか?」
「取り合えず初見は終わりましたでな、後は対策を考えるのみですよ」
そう言って昴極大法師は優しく二人を見上げた。
「で、キイは…あの子はどんな感じなのですか?」
アマトの沈痛な顔に、大法師は溜息をついた。
「…とにかく、本人があの“気”のコントロールをできるかが、肝じゃろうと思う。本当の事を言えば、あの子に自分でそれをする意思がないと難しいのじゃが」
「…やはり…そうですか…」
アマトは肩を落とした。何故ならキイはまるで自分を消そうとしている。その子に自分から何かをさせるなんて…絶望的だ。
「本当にこの“気”は今まで人が経験した事のないものじゃ。…取り扱いもよくわからぬ…。ただ、あの巨大な力が制御できれば、もの凄い事を成せるのはよくわかった。それを持って生まれたという人間も初めてじゃが、これがこの地に降りるとは思わなんだ…。しかし当の本人は自分を否定して殻に閉じ篭っておる。その殻を上手く壊せれば…」
と、大法師は言いながら、夫婦の背後にいる子供に目が吸い寄せられた。
その子は芝生の上に座って、絶え間なくやってくる鳥達に餌をやっていた。
「昴極大法師…?」
「この子は…」
「あ、はい、私どもの息子で、アムイといいます…。つまりその…キイの弟になりますが」
小さな頭に鳥達が乗って、アムイはちょっと大変そうだった。
しかし鳥達は嬉しそうにアムイの体に乗っかかっていく。
その様子を興味深そうに大法師はしばらく見てこう言った。
「ほう…。この子は随分不思議な子じゃな…。今、この子を少しお預かりして診て見たいのじゃが、よろしいだろうか?」
いきなりの申し出で夫婦は驚いた。だが、自分達もアムイの不思議さはずっと疑問に思っていた。
二人は大事な息子を大法師に渡した。
アムイは人見知りしない子だった。喜んで彼は優しいおじいさんについて行った。


キイは護衛の手前、すぐに寺に返さなければならなかった。
なので百蘭はキイを連れ、屋敷を出ようとしていた。
その時ちょうど、大法師がひとりの子供を連れて屋敷に入ってきた。

その途端、

ビーン、ビーン、ビーン…。

まるで空気が張り詰め、震えてるかのような、音が屋敷中響き渡った。

「な?何だこれは…」
そこにいた者一同は、耳を疑った。いや、耳だけでない、その音と連動して空気も振動してきたのだ。

「う、うぁぁ…あああ…!」
「キイ様!!」
その状況に刺激されたかのように、いきなりキイの“気”の暴走が始まった。
キイは恐ろしい唸り声を上げ、全ての毛穴から“気”を放出する。
(こんな時に!)
百蘭達は慌てた。こうなるとおさまるまで、キイは苦しみ、周りは振動し、大変な状態となる。
しかもここには年端もいかない、小さな子供がいるではないか。
「大法師様!」
百蘭は昴極に助けを求めた。彼は頷いた。
昴極大法師は何とかキイの“気”を鎮めようと自分も“気”を凝縮させた。どの“気”が彼に効果があるかはわからない。だが、何事もやってみないとわからないのだ。

……と、その大人たちの喧騒の中、何と小さなアムイが喜びの顔で、キイに突進して行ったのだ。
「お、おい!危ない…」
百蘭達は青くなった。この状態で、キイ様に刺激を与えるのは…。しかもその子も巻き込まれれば大変な事に…。

しかし、次の瞬間、彼らは驚きの場面を目にする事となった。

アムイはキイに飛びつくように抱きついた。
その瞬間、あのもの凄い“気”の放出が柔らかい波動になった。
「な…?」
あの特殊な“気”が、この小さな子供にどんどん吸収されていくのを、周りは固唾を呑んで見守っていた。
確かにあのキイの暴走した“気”は、この子供によって、和らぎ、吸い込まれ、受け止められていた。

「会いたかった!!」
アムイは泣いていた。
「ここにいたの?ちゃんとおれ、見つけたよ!!」

周囲は驚きのまま、この二人の子供から目が離せなかった。

キイもアムイに抱きつかれた時から、落ち着いたようだった。
相変わらず反応はなかったのだが、心なしか彼の手が、微かにアムイの方に動いたかに見えた。

「…金環(きんかん)の気…」
昴極大法師は唸った。
そうか、そうだったのか…。この特殊な“気”を鎮めるに必要な“気”とは…。

そしてその夜、昴極大法師はアマトとネイチェルを呼び、この件を説明した。

あれからアムイは決してキイの傍から離れず、仕方なくキイはこの屋敷に泊まる事になってしまったのだ。
もちろん、うまく百蘭達に誤魔化してもらって…。


「はっきり言いましょう。…ご子息のアムイ様じゃが…」
二人は緊張した。
傍らで、キイとアムイが、互いに寄り添い、丸くなって安心して寝入っているのを、横目で捕らえながら…。
「アムイ様はキイ様と同様に、珍しい体質をお持ちじゃ」
「珍しい体質?」
「そう…。通常、人が元々持っている“気”とは、それぞれ個性はあるが、生命エネルギーそのものである。
そして武人や僧侶などが、修業して身につける“気”は、自然界のエネルギーを己の持つ生命エネルギーと融合させ発展させて使うもの。…その最高峰が、“金環の気”なのじゃ。

この世に存在する自然界の“気”は、“鳳凰(ほうおう)”“煉獄(れんごく)”“水竜(すいりゅう)”“鉱石(こうせき)”そして“木霊(こだま)”の五つ。これがこの世の基本、“風(金)・火・水・土・木”となる五行の“気”である。
その上に君臨するのが、先程言った“金環”じゃ。

“金環”…の事は、そなた達はご存知か…?」

アマトは緊張した。
「ええ…。キイのために、気術を習おうとしましたので…。
“金環”の“気”は安定、固定、壮大、受容、寛容の特徴がある…」
「そうじゃ。“金環の気”はこの世で一番大きく、安定した、大地の王者の気。この世界の大地…すなわち大陸のエネルギーそのものなのだ」
「それが息子と何の関係が…」
「キイ様もそうじゃが、アムイ様はその完成された自然界の“気”を…生まれながらにお持ちじゃ…。
己の“気”を制御できぬ者は何人か診た事はあるが…。
生まれながらに完成された“気”を持つ者などというのは、わしも初めてじゃ…」
「で、では…。アムイはまさか、その“金環の気”を持って生まれてきたと…?」
大法師は頷いた。
そんな話、俄かに二人は信じられなかった。
「その証拠に異常にこの地の生き物が、彼に吸い寄せられるだろう…。それはアムイ様の持つ、“金環の気”に引き寄せられてくるのじゃ。大地の生命エネルギー…“金環”の持つ、受容を求めて…な」
それで二人は納得した。アムイが異常に動物に好かれるのを。
「…では、キイは…?この二人は…?」
「まぁ、落ち着きなさい。…キイ様の“気”はこの世には稀有な珍しい物とは知っておるな?…その名を“光輪(こうりん)”というのは、聞いたかの?」
「…は、はい…」
「今までこの大地に、実際この“気”が降りた事はなかった…。だから気術者達も、成す術がないのも頷ける。
ただ、これはどういう“気”かは、文献にあるし、大地に降りなくとも、少数だが“気”自体を経験する者もいた。…使えなくともな。
……だからわしも慌てたよ。この様な事は初めての上、どう制御すればわからない…」
大法師はちらりと、すやすや眠っている二人の子供を見た。
「だが、二人が会って、初めてわかったのじゃ。…“光輪”を制するには、“金環”が必要なのだと」
「“光輪”を制するには、“金環”が必要…?」
「キイの持つ“気”はアムイの寛容の“気”によって受け止められ、安定する…。そして二つの“気”は引き合い、絶妙なバランスを取っている…。
まるでS極とN極。プラスとマイナス。…陰と陽…。
この二人は元が一つのような…。二人で一人、の役割があるようじゃ。
くっついたら未来永劫…離れないほどのな」
アマトはアムイの言葉を思い出していた。
彼はずっと、もう一人の自分を捜し求めていたのだろうか。
それが兄であるキイだったのか…。
「何故にこのようなお子が生まれたかは…それは天のみぞ知る事。…天は人智を超えるでな…。それは本人達しかわからないかも知れんの…」

その夜は、大量の流星群が宵の空を飾っていた。


天は人智を超える…


ネイチェルは死ぬ前にこう言ったラスターベルを思い出していた。

アマトとネイチェルは、やっと出会った子供達の満足そうな寝顔を見て決心した。

……このままキイを連れ出そう…。家族皆で暮らそう…。


キイの“気”の問題は、アムイとの出会いで、意外とあっさり解決した。
大法師がキイに何箇所か“気”の流れを作ってやったのだ。
そうやって常に“気”を流す事で、身体に巡回させ、それをアムイの“気”で受け止めさせ、安定させ返す。
そうするとキイの“気”も安定し、暴走も少なくなるのがわかったのだ。
そして安定させながら、できればキイ自身がこの力を制御できるようになると一番いいのだが、彼は意識を遮断している状態だ。
アマトはやはり家族の愛で、キイの心の殻を破らないとならないのでは、と考えていた。
そしてキイの“気”の事は、これからも大法師が定期的に診てくれる事にもなったので安心だった。
これで何の気兼ねもなく連れ出すことができる。
特にアムイがキイの傍にいなければ、この安定もない。
どう考えても、キイを返してもらうしかないのだ。

キイを連れ出すのは最終の明日がチャンスだ。

アマトは皆を集めてその旨を相談した。
もちろんこの事で、百蘭達を危険な目に合わすことはできない…。迷惑をかけられない。
とにかく自分達と百蘭は関係ないようにしなくてはならない。

この事は明け方になるまで、綿密に話し合いが続けられた。

そしてキイを連れ出す当日、彼自身の感情に奇跡が起こる。

それは彼が、初めてこの世界を美しい、と感じた、歴史的瞬間であった。

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2010年4月21日 (水)

暁の明星 宵の流星 #73

意識を自分で閉じたからといって、外の世界の様子が全て閉じられたわけではなかった。
ただ、時間が経つにつれて、どんどん自分の意識は底に沈み、はっきりしなくなってきているのは確かだった。

長い、夢のような場所に、彼は漂っていた。

そしてたまに、時間がランダムに感じる時がある。
そしてたまに、外の声が聞こえる時がある。

愛しいあの声を、ついこの間、何年ぶりかに聞いた。

キイはもどかしかった。

この世の中で、一番自分が求めている、あの人間の声。


戻りたかった。


でも、自分で閉じた外の世界に戻るには、自分ではどうする事もできないのだ。


(ああ、あの時と同じ)


キイは思った。

意識が落ち込み、外の世界を否定していた、あの時の自分と。

あの、愛しい声と、愛しい手がなければ、自分はあの世界にには存在しようと思わなかったのだ。

だけど、あの時はまだ意識は浅い所にあった。

今はどんどん沈み続けて、今にでも自分が消えてしまいそうだった。


(アムイ…。俺のアムイ…。俺の魂の半身よ。
あの時と同じように、この俺の手を取って、この意識の沼から引き上げてくれ。
俺は信じている。
必ずお前はこの俺を見つけ、この俺を呼び戻してくれると)


“ねぇ。見てごらんよ!外の世界はこんなに綺麗だよ!
君と同じくこんなに綺麗だ!”

あの時と同じように…。


キイの心は過去に飛んだ。

二人で見たこの世の地獄を、知らなかったあの時に。
ただ純粋に二人が幸せに存在していたあの時代に。

今まで自分は、闇を越える事に必死になっていて、あの時を思い出すことを忘れていたのだ。
人の優しさを。…そして親が自分達をどれほど愛してくれていたかを。

キイは今、やっと冷静に昔を顧みる事ができた。
皮肉にも、意識を閉じた、この長い時間、年月のお陰で………。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アムイが生まれてしばらくししてから、この子の両親は不思議な事に気が付いた。

アムイは安定した子供だった。
よく笑い、よく泣いて、感情がわかりやすくて…。
だけれどもぐずる、という事をあまりしなかったし、育てやすかった。
まるでキイとは反対だった。

この子の周りだけ、ゆったりした安定の空気が流れているようだった。

そして、好奇心旺盛で、この世界に映る物全てが、彼の興味を刺激していた。
何にでも挑戦したがり、積極的に人と交わろうとし、アムイは皆のアイドルとなっていた。

ここまでは普通の子と、何の変わりはなかった。

アマトは、また再びわが子が普通ではない事に、何と考えていいのかわからなかった。
キイの時はあの力に驚いたが、アムイはとにかく不思議な子だった。

あれはアムイがまだ生まれて間もない頃、気候がよい時にたまに窓を開けていると、寝入っている彼に小鳥達が何故か取り囲むように何羽も集まってくる事が、多々あった。
かと思うと、外に散歩に行けば、アムイの周りに小動物達がまとわりくように現れる。
「何かこの世界の生き物に、この子歓迎されているみたいね」
ネイチェルも不思議そうに我が子を見た。

だが、もっと両親を驚かす事があったのだ。

アムイ歩き始めた頃、好奇心旺盛な彼は、大人の目を盗んで森の奥へとひとり、ヨチヨチと歩いて行った。
アムイの姿がなくなって、屋敷は大騒ぎになった。
とにかく自然や動物達が好きな彼のことだ、森へひとりで行ったかもしれない…。
この島の中央にある森はしばらく入っていくと、奥はジャングルのようになっていて、かなり危険で獰猛な動物が存在している。
アマト達は青くなって、アムイを捜した。
あの気丈なネイチェルでさえも、気が動転し、取り乱したほどだ。
「しっかりしなさいネイチェル!君は母親だろ?大丈夫、絶対にあの子を見つけるから!」
こういう時は男親の方が冷静に判断し、行動できるのかもしれない。
このときほど、夫が頼もしく見えたことがなかった。

そして最悪な状態を覚悟しつつ、彼らは森の奥へと入った。
この奥のジャングルには、獰猛な大蛇も、獣も生息している。
たまに餌を求め、このジャングルの入り口まで来る猛獣もいた。

しかし、そこで彼らは信じられない光景を目にする。

そのジャングルの入り口の木の下に、猛獣が数匹たむろって居た。
その中央に、あの、人に慣れないという大陸原産のビャク(大陸の白虎)が、気持ちよさそうに猫のように丸まり、穏やかに寝息を立てていた。そしてそのビャクをまるでふかふかのベットのごとく使っているアムイを発見したのだ。そして他の豹やコヨーテ等の猛獣達は、見守るかのように、穏やかにその周りを取り囲んでいた。
この島に大陸のビャクがいたことにも驚いたが、それ以上に我が子には驚いた。
アムイは無邪気にもそのビャクと戯れていた。
しかもビャクも、他の猛獣達も、そのアムイを嬉しそうに愛しそうに歓迎しているのだ。

「…何か、あの子、大地に愛されているみたい…」
ポツリとネイチェルは言った。
「確かに私もそう思う…。本当に不思議な子だ…」
アマトはそれが、アムイの持っている何かが、そうさせるのではないか、と思った。
その何かはアムイがもう少し大きくなってから判明するのだが、今現在は不思議だ、という事しか言えなかった。


そうしてアムイは両親の愛をいっぱい受けて、素直に明るく、優しい子供に育っていった。
ハルはアムイがアマトの小さい頃によほど似ているらしく、いつも懐かしみながら世話をしてくれている。
あのラムウは、最初の頃はほとんどアムイの傍に寄らず、顔も見なかった。が、アムイが物心つく頃になり、会話ができるようになると、ラムウは徐々にアムイに慣れたようだった。最近ではたまに自分の肩に乗せて、近所を散策する姿が見られた。

不思議な部分があるだけで、アムイは本当に何も問題ない愛される子供だった。

たまにアマトの生徒達と遊んでもらい、日中はほとんど野生児のように、野山や川、海にと走り回り、この世界を愛し堪能し、喜びを享受しているようだった。

なので両親は、アムイについては何も不安はなかった。
この子はこの世界を愛し、楽しんでいる。そしてまた、この世界もこの子を歓迎し、愛してくれているようだと。


だがその反面、アマトとネイチェルには他に大きな苦悩があった。

それはキイの事だった。


アムイがまだ乳飲み子の時、手がかからないのもあって、ネイチェルは早速またキイの世話を再開した。
彼の成長にネイチェルは感動したが、それは身体での事。
肝心の感情や、心の発育は絶望的だった。

とにかく、彼は何も反応しないのだ。
いや、生物的には体の反応もあり、ちゃんと生活できる。
体は無意識に生きるために機能してるようだ。
食事もトイレも寝る事も起きて動く事もできる。

…だが、人にも、外の世界にも、キイは何も反応を示さない。

それは彼がどんどん成長していくにつれて顕著になっていった。

そう、まだ生まれたばかりの頃は肉体の本能が彼を支配していたようで、肉体が欲するまま生き続けられていたようだった。
だが、普通に物心つく年齢になる頃から、キイの不可思議な行動が目立ってきたのだ。

この頃になると、何とか稀有な“気”の放流は少しづつ収まってきた感じであった。
だがそれは本当に不安定で、良くもあり、悪くもなる、という一長一短ではあったが。

「…困りましたな…。この子はどうも意識を手放してるように見えるのですよ…。自分自身で…」
百蘭(びゃくらん)はキイを診ながら、いつも頭を捻っていた。
「この間みえられたマダキ殿のお弟子の方は、かなり“気”にお詳しかったですが、私とは違う見解でした。キイ様が、生まれつき感情がない、とは私はどうも思えない。…キイ様はどうも…自分の御意思で外の世界を切り離してるとしか思えないのですよ。自分で自分の意識を封じているような…」
「自分で!?」
ネイチェルは嫌な予感がした。
……まさか…キイ様は本当はこの世に生まれてきたくなかったのでは…。
意に沿わぬ妊娠と出産をした、姉(あね)様の恐怖を彼女は思い出した。
「キイ様が反応するのが、あの虹の玉だけ、というのが…私はひっかかるのです…」
ネイチェルは、どうアマトに説明したらいいか、悩んでしまった。
きっと彼は落胆する。再び罪の意識にさいなまれるのは、明白だった。
案の上、アマトはかなりショックを受けた。彼はキイの事が心配で、どうしても会いたい、と涙を流した。
でも今はまだ、それは危険過ぎる。タカト神王が病死してからは、セド王家も余計にピリピリしていた。
ネイチェルは何とか早く、キイをセドから連れ出せないかを考えていた。セドにアマトが行く事はあまりにもリスクが大き過ぎる。

そして大きくなるにつれての、彼の奇行…。それは…。


「キイ様が!誰が来て!キイ様が水の中に!!」
キイが4歳頃の時だった。彼は自分からふらふらと研究所の庭先にある、大きな観察用の池に自ら入っていったのだ。そのまま彼は出てこない。慌てて百蘭が駆けつけ、キイを水から引き上げた。
彼は溺死寸前だった。
そうかと思うと、5歳の時には、確かに隠してあった刃物を、彼はどこからか持ち出して、自分自身を傷つけていた事があった。真っ赤な地が滴り、気づいたネイチェルは卒倒しそうだった。

それでも肉体の本能だけは、食事を取らせ、排泄を促し、睡眠を取らせ、彼を最低限生かしていた。
それに逆らうかのように、大きくなるにつれて、彼の自殺行為はどんどんエスカレートして行ったのである。

それは彼の、生への執着…この世界への執着がないために起こしているとしか、考えられない行為だった。
何度もキイは自分に対し、体の危険を侵した。
それは全く死の恐怖が彼にはない事を示していた。

まるで…。天に帰りたいかのようだった…。

なのでキイには四六時中、監視の目が必要だった。
安心できるのは“気”の放流のない、安らかな睡眠時だけであった。

ネイチェルもずっとキイの傍にいたかったが、まだ幼いアムイをずっと放っておく事もできなかった。
術者やお世話の者全員で、協力し合おう、と彼女に言ってくれた。
もちろんずっと会えないままのアマトが一番辛かった。
何度か抜け出してキイに会いに行こうとして、その都度ラムウやネイチェル達に引き戻された。

キイが6歳を越えた時、百蘭は意を決してネイチェルに申し出た。
「私の“気”の師匠である、昴極大法師(こうきょくだいほうし)にご相談したらいかがでしょう…。あの方でしたら、人の心、気、全てを見れる大賢者であり、大僧侶。……セドからはマダキ殿以外の賢者には言ってはならぬ、と口止めされてますが…。もう私も限界です。私はあの方にこっそりと真実を明かす覚悟です」
「……ええ。キイの事が世間に知れるのも不安だし、ましてやこういう子供が生まれたという事が、大聖堂や賢者衆、寺院などの知れたら大変な事になるのは…わかっています。でも、私も夫も限界です。どうかお願いします」
ネイチェルも決心した。…もう何でもすがりたかった。
「では、ラムウにお願いしましょう。私だとセドの監視がついているので、手紙も出せません。ラムウなら私の口利きで、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)にて、大法師に“気”を直に教わっての師弟の仲。彼に任せれば大丈夫です」


そうしてラムウは極秘に、昴極大法師の元へと北の寺院に飛んだ。

そしてネイチェル達は綿密に、キイをセドから連れ出す事を、計画する事にした。
セド国内では監視の目が光り過ぎている。
キイをセドよりも北寄りの若狭(わかさ)という村にある、百蘭のゆかりのある寺で、この稀有な“気”を制御する方法を試したい、と色々理由をつけ、セドに申請した。セド側は、百蘭の熱意に、しぶしぶと3日間なら、という制約を付けて許可を出した。

そこでアマト達はアムイとハルも連れて、キイに会いに若狭に向かった。
アマトも何年ぶりかに逢う、自分の息子を思うと胸が詰まった。
アムイは4歳にして初めての遠出旅行のためか、ずっと興奮状態で、色々とはしゃいでいた。

そしてラムウも昴極大法師を連れ、若狭に入った。

百蘭達は、セドからついて来た護衛の者に、この計画がわからないよう、寺の近くに隠れ家を借りた。
そこにアマト達を泊まらせ、大法師とキイをそこで会わせようと考えた。
その隠れ家は、百蘭の幼馴染である村の豪族の持ち物で、家、というよりは広い森が隣接している、大そう豪勢なお屋敷だった。喜んだのはアムイである。
彼は好奇心旺盛な目をきらきらさせて、屋敷の中も、庭も、森も、時間ある限り探検して、飽きる事がなかった。
それに屋敷にはそこを管理している老人の孫達も何人か遊びに来ていた。
アムイやキイ達の事は、遠い国から遊びに来た、屋敷主の友人、とされていた。
だからアムイは気兼ねなく、その子達と遊びまくっていた。


そして…肝心のセドの護衛四人の中には…。何と第一兵士のセインがいた。
彼はアマト王子が生きているとは知らなかったが、ラムウのたっての願いで護衛に志願した。
…もちろん、例の逢瀬の時、ラムウの独断であったが、彼を味方にする為に珍しくセインに優しくしたのだ。
その時はあの狂気の闇に支配されていない時だった。
自分でもなんて卑しく、ずるい人間かと、ラムウは自嘲した。
ラムウはあの衝動に侵されている時、少しは自分がセインにしている事は覚えているらしかった。
…だが、まるでその時のことは夢にでも見ていた感じで、正気の時のラムウには、まるで実感がなかった。
だから、セインに優しく抱擁はしたが、彼を抱く事はできなかった。
普段と違うラムウにセインは不思議がったが、彼が必死になって、自分を頼ってくれる事が嬉しくて承知した。
こうしてセインのお陰で、護衛に知られぬよう、キイを連れ出せる事になった。
彼が上手く他の護衛を誤魔化してくれる事になったからだ。


こうしてキイは6年ぶりに実の父親と再会する。

そして同時に運命の出会いをするのだった…。


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2010年4月20日 (火)

ここでつぶやきます(ツイッターではありませんが)

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すいません。ここでちょっと息継ぎいたします(笑)

毎回、更新の度に遊びに来てくださっている方には、本当に感謝しております。
たまに、更新しても度々手直ししたりしていますので、読みにくい所があると思います。申し訳ありません。
特に#70の、ラムウとセインのくだり、3~4回は書き直し、再更新しております(名前間違っちゃだめでしょー)。

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、設定書(1・2)をサイドバーの目次の下にリンクしてあります。
自分の下手なイラストもありますが(汗)かなり詳しい人物紹介なのですが(滝汗)、ご興味ありましたら覗いていただければ、と思います。あまり詳しく知らなくても大丈夫!という方はどうかスルーお願いします。
意外と詳しく書き込み過ぎたかもしれません(登場人物紹介が)
随時更新中です


と、ここからは毎度お馴染み、つぶやきです。
興味ない方はスルーしてくださいね

ところでこの第8章、ここまで長くなるとは思いませんでした(汗)
実は構成を考えていた時、【セドの太陽】と【運命の子】は分かれていたのです。
でも、分けると全14章になってしまうと…長くないか?と思い、本当はかなり簡単に過去の話は描いて、本編に戻るつもりでした。……ところが、これもぶっつけ本番の悪い所でしょうか…。自分の悪い所でしょうか…。
妄想が膨らみ過ぎまして、登場人物に愛着が湧いてしまったのです
こうなると、止まらなくなってしまい、書き込みすぎて、こんなに長くなってしまったというわけです
でも書いていて、改訂版(全部終わったら、考えております)ではしょるとしても、この話をじっくりすると、最終章をより詳細にお楽しみいただけるのではないかと、自分勝手にも思いまして、かなり詳しく書くつもりです。
なので多分、今ここを覗いていただいてる方のみ、8章で描く詳しい内容を、公開するという事となるかもしれません。(未定ではありますが)…本当はもう一章増やして分散する、という手もあるのですが…。どうでしょう。

これから最終章(第9章~第13章)に向けまして、再び気合を入れなきゃーと思ってます。
まだ第8章は終わってませんが、やっと幼い主人公達の話になるので…。本当に長かった…。

多分予想でも最終章は他のよりも長くなるかもしれないです。
実はこれからまだ書きたいところが多くあって、それを今どうしようかと悩んでいる所です。


ここまでこうして、リアルにお付き合いくださる方には、本当にありがたいとしか言葉がございません。
ただ、最初にも書きました通り、この小説は本当にぶっつけ本番で書いています
なので自分ですらも、最初から通して見ると、ちゃんとした小説としてはいかがなものか、と思います。
とにかく構成と肝の台詞は一応頭とメモにありますが、他はその時のノリで書いているので、人物背景が変わったり、サブキャラのくせに詳しく内情を語ってしまったり、ちゃんとした説明が足りなかったり、反対に説明だらけでややこしくなったり……と、反省すべき点が多くて凹みます

この点をどうかご了承くださり、できましたら最後までお付き合いいただけると本当に嬉しいです。
…内容は…ご満足いただけるものかどうかは…自信ありませんが(すっすみません!!)。
とにかく、自分の元ブログ(未完作品、趣味ブログ)の方でも、結構裏話とか調子こいて書いてますが、本当に適当に思い浮かんだ題名の主人公達がここまで育ってしまって、自分としてはかなり愛着持っちゃっています。(メインもサブも、チョイ役までも)
…このまま完結まで突っ走れそうです。
とにかくここまで育てた責任を取れ、と、キャラ達に毎回言われてるようで…(ぐすん)。
それがまた、嬉しいのは確かです(実はマゾ)。
何せ、いつも途中で飽きて投げ出す癖があるので…(とんでもない奴です)。


特に8章は前にも書きました通り、番外編として独立させても書きたかったお話です。
これまた特に太陽の王子、彼の性格づけも、実はあやふやでした。書いているうちに、こういう人だったんだ、と思いましたが。もっと合理的な感じの人の予定だったんですが…。
ラムウが一番気に入っておりますが、彼が一番最初の設定とかなり違う(笑)のに驚いてます。…あんなに危なくなかったのに…(苦笑)。美丈夫設定でなかったのに。中年紳士だったのに(おいおい)。
変化ないのはオーンのキャラです。でも月光天司はもっと小さくて(チビで)男言葉を使う、男勝りの設定でした。それが母性の象徴というのが出てきて、書く寸前でもっと大人の女性に変更しました。
とにかく常に頭は流動しているので、後から辻褄合わなくなるのが恐ろしいです。(そこはあまり突っ込まないで下さい…)それをどう処理するか、頭が痛いのですが。
簡単に説明して、本題にて表現する、という事も考えましたが、どういういきさつで二人が生まれたのかをきちんと書きたかったのです。説明だけでは何か自分では実感がなかったので。
なので本当に小説としては綺麗にまとまっていないと思います(身勝手すぎて)。

自分としては毎回、語り部が昔話をしている感じで、この物語を読んでいただけるとありがたいな、と思ってます。
(偉そうな事を言ってすみません)


これからまだ、8章は続きます事をお許しください。
早く本題に戻れ、と言われそうですが、もうしばらくお待ちください(滝汗)。

一応これから~運命の子~編に入ります。
この第8章はかなり二人のルーツを書くつもりなので、それをふまえて最終章にお付き合いくださるといいかな、と思います。

で、アムイとキイの子供時代
  ↓
Photo


それではまた、明日以降の更新からよろしくお願いします。
(実は下の子がおたふく風邪で、今週は家にいられるのです。いいのか、悪いのか…なんだかなぁ

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暁の明星 宵の流星 #72

セド王家は混乱していた。
現神王であった、タカトがあのような無残な死に方をしたからだ。
王家は恐れ、慄き、この事は絶対外に漏らしてはならぬ、と決心した。
神の血を引くセド王家の神王が、このような形で死したと公になれば、それは王家の失速に繋がると危惧したのだ。
なので彼らはすぐさまタカトの遺体を回収し、周りの者に口止めした。
そして、程よい時期にタカト神王は病死された、と公表する事にした。

…で、一番困ったのは、新たなセド神王を誰にするか、という事だった。

アマト第五王子が禁忌を犯してから、彼は失脚し処刑。
身体の弱かった第二王子フジトもそのショックで病死。
……そして立て続けに他の王子達四人も謎の死を遂げている…。
生き残っているのは、末弟の第九王子ヒロトだけだった。
彼は喘息持ちで、引きこもり状態だった。
特にこの兄弟達の不幸な死が、かなりこたえているらしく、鬱状態が続いていた。
そして彼はうわ言のように、毎日アマトに謝り続けているのだ。
自分達がアマトをそそのかさなければ、自分達が父王の意をないがしろにし、アマトを神王の座から降ろさなければ…。
このような感じであったので、この弟王子を神王に立てることはできやしない。
かといって、死んだ神王の子供達はまだ幼すぎた。
タカトが手を出して生ませた王子二人もまだ年端もいかず、できれば王家筋の血を引く正妃との間に生まれた、第三王子フユトを立てたい所だが、彼はやっとこの間歩いたばかりの赤ん坊だ。
他の兄弟の子供もいるにはいるが、皆まだ子供。
……ここで、苦肉の策として、タカトの正妃の子、まだ赤ん坊のフユトを象徴としての神王に立て、実際は王子達の従兄妹であり、側近でもあったシロンが政治を行う事になった。
彼はずっとタカトと共に政治を執り行ってた実績もあり、また王族の血を引く。誰も異論はなかった。
……確かに末の王子には神王の地位は荷が重すぎる。ただでさえ彼は神王に立てば、自分も神の怒り、アマトの呪いを受け殺されると、被害妄想に取り付かれている。
シロンが出るしかなかった。彼は摂政として幼い神王が大人になるまで事実上の君主になった。

「とにかくタカト神王が誰に殺されたのかを調査してくれ」
シロンは眉間に苦渋の色を浮かべ、それぞれの対応に追われていた。
彼は中年のやせた男だった。もうすでに白髪が黒髪に混じっている。
「…シロン様…。本当は貴方も神の呪いと思ってませんか?」
一緒に仕事をしてきた側近のひとりが言った。
「…神の呪い?…ふん、そんなの迷信さ。きっと誰かが神の怒りにかこつけて、王を暗殺したに決まってるじゃないか」
彼は現実主義だった。その彼でも、アマトと巫女の間の子には心底驚いた。
「…キイの事はくれぐれも内密にな。…あれは大きくなったら我が国の力になる。最後の切り札になる。ちゃんと王族名簿に記しといておくれ、第五王子アマトとオーン姫巫女の間の第一王子キイ・ルセイ、と」

門外不出の王家の名簿は、手に持てるくらいの石版に、小さな文字で刻まれた物だ。
これは神の血族の証となる大事な家系図だった。
ゆえにそれは神王が座す、玉座の間に大切に保管され、またその写し取った物を、神の血脈の報告として十年ごとに大聖堂に納めるのだ。今、新たに作られた大聖堂用の石版は、あと8年は納めなくてもいい。その間にキイの存在を大きなものにできれば…。
慈悲深い神の国オーンなのだ、年端もいかない子供をどうこうできないだろう…。
しかもその子が揺ぎ無い力を持って、納得させるほどの存在となってしまえば。
だが、今は穏便にしなければならない。このセドの状況では。
…しかもまだ王子と巫女が通じたというだけで、かなり心象を悪くしている。それなのに子供まで作った、などと向こうに知れたら…。そしてその子が、あのような力を持っている事がわかったら…。
それ以上に一番恐れているのは、その子供を作るためにセドが無理やり姫巫女を陵辱し、産ませた事が、オーンに知れることだった……。
いや、これは王族にしか知られていない事。我々が口をつぐみ、全てをアマトのせいとしていれば、大丈夫さ…。
シロンは努めてそう考えるようにした。


大陸に珍しい満月が顔を出している夜。
ラムウはセドの首都からすぐ傍の町にいた。
闇夜を照らす月の明かりが、何故かとても疎ましかった。
彼は今、町の外れの小屋の中にいる。
ここはセドの兵士が、たまに遠征の時に使う臨時の小屋だ。普段はめったに使っていない。
「……ラムウ様…」
自分の傍らには、一糸纏わぬセインの姿があった。
「もうお帰りになるのですか?」
「……」
ラムウは頭が痛かった。……たまにこうしてもの凄い感情の荒れと共に頭が痛み出す。
そうなると彼は苛々して何も考えられなくなった。
あの狂おしい真っ黒な渦に翻弄されてから、こうして自分を抑えられなくなる日が、数ヶ月に何回もあった。
彼はそうなるとどうしてもいられなくなって、こうしてセインを呼び出し、まるで彼を傷つけるように激しく抱くのだ。
それでも気分がすっきりしない時は…。

あの夜。憎い男の恐怖に満ちた顔と、赦しを請う震える声、鋭くも短い悲鳴、血が吹き、肉を斬るあの音が、ラムウにいい知れぬ快感を引き起こした。……そして自分はその後、どうやって島に戻ったのかは覚えていない。
ただ、今までの鬱屈とした激しい闇の放流が、まるで嘘のようにすっきりと晴れ、いつのも自分でいられたのだ。

だからまだ気持ちが騒ぐ時は、動物を惨殺し、血を見ることで満足していた。
まだ見知らぬ人を斬るのだけは何とか止まっているようだ。
だが相手が自分にとって汚らわしいと思う人間だったら…。ラムウは多分止まらないだろう。
自分のこのような状態の時で、まだタカト以上の人間には会っていないが。
もちろんアマトの前では、高潔な自分でいたい気持ちが強いので、この状況に陥ると、彼は島を必ず出て行くのだ。この襲ってくる闇を払うために。
彼は無意識のうちに、狂気を肯定しながら、自分を神聖な部分で正当化していた。

……ラムウはそうして自分の心のバランスをかろうじて保っていた。
この悪魔のような自分を、普段の彼は覚えていなかった。…いや、無視していた。
こうすれば、愛する王子の傍にいつもいられる…。彼は本気で思っているのだ。
だがそれは諸刃の剣。これがいつまで続くのか…。このバランスがいつ崩れ、彼の闇が暴走するのか、それとも正気に戻るのか。
……それは彼自身もわからない。というよりもそれすらも彼は気づいていなかった。

彼はただ、自分が愛する王子と同様の大罪人である事に、一種の恍惚を感じていたのだ。

「ラムウ様…?」
セインは不安になった。…セインはあの激しい夜から、ラムウが何回も自分を求めてくれるのが嬉しかった。…優しさはなかったが、それでも自分が彼に必要とされている事に、幸せを感じていた。だから彼が何をしようと、セインは黙って受け入れた。
…ただ、彼の心にも暗い影は付きまとっていた。
自分はやはり、…亡くなった王子の身代わりなのかも、と。
自分がアマト王子に似ているのは、周りからよく指摘されていた。
何度か本人を目の当たりにした事がある。……確かに自分が歳を取ったらこんな感じなのかな…と、思ったことがある。だが、彼のカリスマまでのオーラは自分にはない。それは身に染みてよくわかっていた。
だから…。愛する彼が王子を誇らしげに、そしていつも賞賛の目で見ていることに、セインは狂おしい思いをいつも抱えていた。
特に彼はオーンの信徒。男と通じるのは本来禁じられているはず。
知っていてセインはどうしても彼を自分の物にしたかった。
…多分ラムウ様は王子を愛しているけれど、絶対に肉体的には手を出せないお立場。
…ならば、王子に似ている自分がすがりつけば、もしかしたら…彼は自分を愛してくれるかもしれない、と思って。
だから彼はどんなに乱暴に扱われても、ラムウの傍から離れたくなかった。

…それに…、特に最近のラムウ様は何か苦しんでいる…。
どうにかしてあげたくて、彼はラムウに手を伸ばした。
「触るな!」
いきなりラムウはセインの手を跳ね除けた。
ラムウは再び怒りが込み上げて来たのを感じた。
「ラムウ様!!」
どうしようもない頭の痛さ。どうしようもないこの狂おしい黒い渦。
今晩の彼は、このどうにもならない衝動に、まだ翻弄されていた。
彼はセインを押さえつけ、容赦のない責め苦を彼に与え続ける。
ラムウはおかしくなりそうだった。いや、すでにおかしいのだ、自分は。
何故に自分は、一番大切な人の顔に似たこの者を、こうも傷つけたくなるのか?
何故にこのような衝動に駆られるのか?

…これもすべて、今宵の満月のせいなのだ。
あの光が私を狂わせる…。

そう、今夜とうとうあの忌むべき子供が生まれてくるのだ。
…あの穢れた罪深き女の子供…。
だが、それは同時に自分の愛する王子の子供でもあるのだ。
ラムウは必死に己の心のバランスを取ろうと、闇と戦い続けていた。
その方向が狂気に走っていたとしても。
彼にはもう、それしか方法がなかった。


とにかく、産婆が間に合わなかったネイチェルは、ひとりで産む決意をした。
今この屋敷には自分以外に女性はいない。
おろおろしていたアマトも、意を決して彼女の補助をする事にした。
ネイチェルは驚いたが、夫婦で取り上げるのも原始的でいいだろう、と思った。

なので今、二人は産みの苦しみを、同時に体験していたのだ。

「い、痛ぁ!!…どうしてこんなに痛いのよぉ!!」
ネイチェルはお腹を押さえて息を荒げた。
今まで自分は何回かお産には立ち会ったが、実際こんなに痛いものだったとは、思ってもみなかった。
「ネイチェル、落ち着いて!君は医術者だろ?落ち着けば絶対に大丈夫。ほら、呼吸、呼吸!」
アマトが額に汗をかきながら、彼女の手を取り、必死で励ます。
一応彼は一通り出産の知識は頭に入れていた。好奇心旺盛の彼の事、事前調べは好きなのだ。
万が一、との考えもあったが、本当は命の誕生に立会いたかった。
しかもそれは、指折り数えて、早く会いたかった自分の子供の誕生の瞬間。
どんな子だろう、髪は?目の色は?どっちに似てるのかな、どんな顔してるのかな?
…ずっと彼は想像していて、今、それが形となって現れてくるのだ。
でも本当は、無事に生まれてきてくれる事が一番だった。
どんな子でも愛そうと、二人は思っていた。
どの時代でも出産は命がけである。何が起こるかわからないのだ。


アマトの何とか拙い誘導で、かえって冷静になったネイチェルは、彼と共に呼吸のリズムを整えられるようになった。特に自分は初産だ。かなり時間がかかる事も覚悟していた。
だが、その産みの苦しみは意外と早く終わりが来た。
父と母の共同のリズムによって、お腹の子供は苦しみ少なく、親のリズムに合わせているかのようだった。

東の国の、東の空に、明けの明星が浮かび上がった時、親子の協力の元、その子は狭い産道をするりと下りて来た。

アマトは震える手で、へその緒にハサミを入れる。

赤ん坊が元気な産声を上げている中、二人も涙を流していた。

「私はこの子、女の子かと思ってたのよねぇ…」
まじまじとネイチェルは、先程自分が生んだ我が子を、傍らに置いて見つめていた。
生まれたばかりの息子は、気持ちよさそうにすやすやと寝入っている。
「どちらでもいいじゃないか。とにかく元気に、無事に生まれてよかったよ。
ねぇ、アムイ」
アマトはそう言いながら、そっと小さな自分の息子に口付けした。
「私もどっちでも嬉しいのよ。…ただ、お腹にいた時、元気だけど何かとっても優しい波動を感じてたので、てっきり女の子かなー、と思っただけ」
ネイチェルも愛しい我が子の頬をそっと突付いた。
「この子、貴方に似ているわ。黒い髪に黒い瞳」
「鼻は君だね、うん、なかなかの美男子だな」
「いやだ、まだわからないわよ。生まれたばかりなのに」
そんな二人に、ハルは嬉しそうに、果物を持ってやって来た。
「いや!二人のお子様です。美男子に決まってるじゃないですか。
…本当にアムイ様はアマト様のお小さい頃そっくりですなぁ。いや、懐かしい」


こうして将来、【暁の明星】と異名を頂く者が、この地に生まれた。

まるで【宵の流星】を追いかけてこの大陸に降り立ったかのように。

宵の星、流れるがごとく  暁に映える星、それを受けてまこと輝く


太陽と光を親とする流星。
太陽と月を親に持つ明星。

ふたつはどちらも欠けてはならぬ“恒星の双璧”と呼ばれ、二種の“気”の交流によって他を圧倒し凌駕する事となる。

それはまだ、遥か遠い話。

今はまだ、この二つの小さな命を守り、育てるのみである。


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2010年4月18日 (日)

暁の明星 宵の流星 #71

「うぁっ!動いた!」
アマトは驚いて思わず手を引っ込めた。
「ね?凄いでしょ?」
彼が慌ててるその様子が、ネイチェルは可笑しくて仕方ない。
アマトは愛しそうな顔で、再び彼女のせり出したお腹をそっと触った。
彼が触れた事を、お腹の子供はわかっているのだろうか?
触った途端、また、力強く中でぽこっと動いた。
「わぁ…。また蹴ったよ!元気いいなぁ、うちのチビちゃんは」
感嘆してアマトは、今度は手を引っ込めず、ずっとお腹に手を当てている。

安定期に入ったので、お腹もかなり目立つようになったが、ネイチェルはそろそろ活動しようと思っていた。
だが、意外とアマトは心配性で、身重の彼女が遠出するのに反対した。
ネイチェルは本当は早くキイの様子を見たかったのだが…。
アマトは優しく彼女のお腹をさすりながら、そっと耳をお腹に当てた。
そこはまるで小さな宇宙空間のようだ。
確かにここで小さな命が息づいている。彼のチビちゃんはごろんと動いた。
アマトは幸せな反面、切なくなった。
「……キイにもこうして触ったり、話しかけたりしたかったな…」
ネイチェルはアマトの顔を見た。
彼女もまた、彼の気持ちがよくわかって哀しかった。
彼がとても子供が好きなのは、お腹の子に対する態度でも、生徒達に対する接し方でも、よく伝わってきた。
だからキイ様が生まれて、本当にこの人は嬉しかったんだ…。
だけど、一番大切な時に、彼は一緒にいてあげれなかった…。
その彼の後悔がひしひしと伝わる。
だから余計に今、彼はこうして時間のある時は、お腹の子との時間を大切にしているのだ。
「…キイは大きくなっただろうな…。報告は聞いてはいるが、本当は凄く逢いたいよ…」
ポツリとアマトは呟いた。
「…ええ…。私もキイ様が歩いたところを見たかったわ」
ナミの話では、ネイチェルの代わりにもうひとり、術者でもある子育て経験者の初老の男と、キイの面倒を見ている。その彼が初めてキイが歩いた時に遭遇していた。その時の様子を詳しく文書にしてくれて、二人は感動したのだ。……今は普通にちょこちょこと歩き回っているらしい。早くこの目で確かめたかった。
だが、今の状況では…。
「アマト、絶対にキイ様と逢わせてあげる。…そしていつか、家族皆で暮らせるように…」
かなり厳しいが、いつかはキイを取り戻す覚悟だった。…そして東の国から出よう、皆で。
キイが戻ったら、この子以上に愛を注ごう。アマトはそう決心して目を閉じた。

毎月、ラスターベルが亡くなった日にちには、アマトとネイチェルは彼女の墓参りに行く事をかかさなかった。
しかしこの間の一年目の命日の時は、ネイチェルは動けなくて行けなかった。
それが心残りで、やっと動けるこの時期に、彼女はどうしても行く、とアマトに願い出た。
「先月も行けなかったのよ。…代わりに貴方とラムウが行ってくれていたけど、…それに」
アマトは溜息をついた。
「本当は危険なんだけどね…。目立たないように行くしかないけど…。
確かに今月、君は行った方がいいのかな…」
「…ええ。私もまさか、一年目の命日の時に、彼女が姉(あね)様のお墓参りに来るとは思ってもなかった」
彼女とは、ネイチェルと仲良かった聖職者の年配の女性で、姫巫女直属の世話係りのアリサだ。

アリサはアマト達が墓の前で冥福を祈っている時に、現れた。
ラスターベルの愛した、神殿の庭で咲いていた花束を手にして。
アマトは慌てて、被っていたフードを目深に下ろした。
彼女は彼が、あの太陽の王子だと気がついたかどうかはわからないが、何事もない様子で花を手向けてくれた。
代わりにラムウが彼女と応対した。
「私は大聖堂ではネイチェル様によくしてもらった者です」
彼女はそう言って、ラムウとアマトに一礼をした。
「オーンに送って下さった手紙に、ラスターベル様の亡くなられた日と弔われた場所が書かれてありました…。私は一年目の命日ならば、もしかしたら月光様にお会いできるのではないかと、こうしてやって来たのです」
「…さようですか…。今日彼女は都合で来られませんが…。そなたの事は必ずお伝えいたします」
アリサはラムウを見た後、彼の後ろにいるアマトの方をちらりと伺った。
「……やはり、ネイチェル様は貴方がたといらっしゃるのですね…。オーンに紋章を置いて出られた後、聖職者をやめる旨の親書が届きまして…。大聖堂は大騒ぎになりましたわ。…ですが、自らのお覚悟で去ったという事で、オーンもあの方を追わないと言っております…」

アマトはラムウの様子が気になった。
実はあの件からずっと彼の事を気にしていた。
しかしラムウは、いきなり何処かへ行って戻って来たあの日から、まるで何もなかったかのように、振る舞っていた。…かえってそれがアマトの心配を募らせたが…。
なのでネイチェルの話が出て、ラムウはどう思っているのか、不安になったのだ。
だがラムウは顔色ひとつ変えず、表情も崩さず、この聖職者の女性の話を聞いている。
「…わたくし、どうしても月光様にお渡ししたい物があるのです…。もし今日お会いできたら、と思って」
「ならばお預かりいたしましょうか?」
ラムウがそう言って彼女に手をさし伸べた。
「いいえ。申し訳ございませんが…。ご本人に必ず手渡しするようにと…現・姫巫女がおっしゃってますの」
と、彼女は首を振った。
「現・姫巫女殿が?」
二人は驚いた。一体…何だろうか?
「……わたくし、これからも毎月ラスターベル様が、お亡くなりになった日のこの時間に、花を手向けに参りますわ…。
どうしても、ネイチェル様にお会いしたいのです…。どうか、そうお伝えくださいませ」


「……姫巫女様の渡したい物…。それを本人に手渡し…。
考えるとあれしか思い浮かばないのよ」
ネイチェルは眉間に皺を寄せた。
「あれ?」
「…ええ。普通姫巫女様は、国家規模のご神託しか降ろさない。
個人には余程の事がない限りなさらないのが通常。
…個人は占い師に行け、という事なのでしょうね。
未来を占うのと、神の声を伝えるのは別ですもの。
…でも、たまに個人にもご神託が降りる事があるのよ…。
それを神に伺い、許可が下ると本人に直接伝えられるの……」
「そういう事があるのか…。では、もしかしたら君に神託が…?」
「ええ。多分。だからどうしても、私は今回行きたいのよ」
ネイチェルの決心は固かった。

ラスターベルの墓は、前に隠れていた屋敷から、ほどよく行った小高い丘の上にあった。
ここに元姫巫女が眠っているのは誰も知らないが、かなりの高貴な方が眠っているという事で、管轄の寺院がいつも手入れをしてくれていた。
「そろそろ時間になる。…積もる話もあるだろうから、私とラムウは森の方で待っている。
もちろん、君に何かあったら大変だ。ちゃんと遠くから見守っているからね」
「大丈夫よ、アマト」
先に祈りを捧げたアマトとラムウは、そっとその場から離れた。
ネイチェルはアリサが来ると思うと緊張した。
自分の今の姿を見たら何と思うだろう。彼女はそっと大きくなったお腹に手をあてた。
「月光様!」 その時、背後から声がした。
「アリサ!」
彼女は息を切らして小高い丘を上がって来た。そしてネイチェルの腕を掴むと、涙目で言った。
「ああ…。よかった…。お会いできてよかった…」
「アリサ…、私も!…でも随分早かったのね。まだ少し時間あるわよ」
確かに彼女が言っていた時間よリ、余裕があった。その間にネイチェルは正式な弔いの言葉を、ラスターベルに捧げようと思っていた。
アリサはネイチェルのお腹をちらりと見ると、真剣な顔をして小声で言った。
「お会いできなかったらどうしようかと思ってました。…ですから、これを!姫巫女ロザ様からのご神託を!これを手になされたら、すぐにお帰りになって下さい!」
と、彼女はネイチェルの手に、黄色の小さな封書を握らせた。
「え…?どうしたの、アリサ、そんなに慌てて…」
アリサはそわそわしながらも、ネイチェルを優しく、そして涙を浮かべながら促した。
「とにかくお早くここからお去りください…。
…ああ、でも良かった…。月光様、今お幸せなのですね…。
それがわかっただけでもよかった…」
「アリサ…?」
ネイチェルはいぶかしんだ。一体どうしたのかしら、様子が変だわ…。
ぐずぐずしているネイチェルに、アリサは痺れを切らし、とにかく彼女の背中を押した。
「早くお行きになって!……早くなさらないと、ここにあの方が着いてしまいます!」
「あの方…」
ネイチェルははっとした。
「アリサ、何をしている?……まさか、ネイチェル殿!?」
二人の背後から、美しく通る若い男の声がした。
「あ、ああ…!聖剛天司(せいごうてんし)様!」アリサは青くなった。
(サーディオ!)
そしてネイチェルは固まった。
…できるならお会いしたくなかった…姉(あね)様の…弟君。


サーディオは姉が好きだった花を抱え、ちょうど丘を登りきった所だった。
彼はずっと、姉の墓参りをしたかったのだが、聖剛天司という立場上、なかなか時間が取れなかったのだ。それを何とか仕事を調整し、姉の月命日(つきめいにち)の1日だけ休みをつくった。だからよくお参りしてくれるアリサに頼み込んで、自分も連れてきてもらったのだ。アリサはできれば約束の時間をずらしたかった。だが、ちょうどサーディオもこの時間が都合よかったらしく、変える事ができなかったのである。そのサーディオにアリサは困り果て、ひとり用事があると言い、いつもより早く出て先に墓に向かったのであった。


「ネイチェル殿!まさか貴女にここでお会いできるとは…。
心配してたんです。お捜ししていたんですよ!いきなり大聖堂を出て行かれて…、まさか禁忌を…」
サーディオは、そこで、ネイチェルのお腹に目が吸い寄せられた。
「…ネイチェル殿…。そのお腹は…」
サーディオはずっと、彼女が禁忌を犯すのでは、と不安の毎日を送っていた。
大聖堂に正式に破門の申請が届いても、彼は信じたくなかったのである。
あの、崇高で清らかな、自分の憧れだった月光天司が…。
よもや破門されても、実際に禁忌を犯す事はして欲しくない…。いや、しないで欲しい。
…相手の男がもし自分の姉と通じた奴なら尚の事。しかし、その男はすでに処刑されている。
…サーディオは彼女が罪人になったとしても、禁忌を犯す様な行為はなさらないだろう、と自分の心を落ち着かせていた。……だが…。
現実に彼女が禁忌を犯した証が今、目の前にあった。
「サーディオ様…私は…」
ネイチェルは彼の蒼白な顔を見て、何と声をかけたらよいか、困ってしまった。
サーディオは段々と裏切られた気持ちが膨れ、それが激しい怒りに変わっていったのを止められなかった。
「貴女は!何という恥知らずな事を!!崇高であり、神への愛を一生誓った、天空代理司(てんくうだいりし)が…俗世の男と交わり、禁忌を犯すなど…!!聖職者が子を成すなど、何て汚らわしい事を!!」
「サーディオ!」
ネイチェルは彼の怒りは当前だと思ったが、やはりとても辛かった。でも自分は…。
「貴女の気持ちはわかります!でも、でもねサーディオ、私はこうなった事を後悔していないし、…子供を授かったのは天からの贈り物と思ってる。汚らわしいとは思っていない。…愛し合ってできた子供なのよ…」
「…愛があれば、全て許されるとでも思っているのですか?」
サーディオの目に涙が滲んだ。
「…神への愛を誓ったのに、その崇高なる愛を捨て、裏切り、貴女はひとりの男に操を捧げたという事なのですよ。…ただの肉欲に負けなかった、と、どうして言えるのです?普通の人間なら不完全なものだから仕方がない。だが、貴女は聖職者だったんですよ?普通の人間とは違うんだ!」
サーディオはゆっくりと自分の腰から剣を抜いた。
「聖剛天司様!!」
アリサが悲鳴に近い声で叫んだ。
「大聖堂は宗教戦争後、平和になり、他宗教との共存のために、刑罰が軽くなったのは私は疑問に思う」
じりじりと彼はネイチェルに剣を向けながら迫ってくる。
「…ネイチェル殿!貴女をここまで貶めた相手の男は誰なんです??
…まさか…まさか…あの死んだ男だというのではないでしょうね?
貴女をたぶらかし、悪魔の道に誘い込んだ相手の男は!!」
ネイチェルはきゅっとお腹を庇った。…この子を守らなければ。
今のサーディオは、頭に完全に血が昇っている。怒りで自分を見失っている。
何とか隙を見て逃げなければ。この護身用の剣では、彼の剣には勝てないだろう。
「サーディオ、落ち着きなさい!お願い、私の話を聞いて頂戴…」
「…あの男なのですか?セドの王子は生きていたのですか?
…私は貴女の相手がそれしか考えられない。
それならば、尚更だ。…その男も許されない。絶対許せない。
姉を穢しただけでなく、貴女まで誘惑して罪人にした男を!!」
その時、風と共にラムウがサーディオの前に立ちはだかった。
「!!」
サーディオは突然のことで、一瞬ひるんだ。
そしてネイチェルにはアマトが駆けつけ、彼女を守るようにして覆いかぶさった。
(アマト!)
「今のうちに、ネイチェル!」
彼は小声で囁いて、彼女を抱き上げると森の奥へと走り去ろうとした。
「待て!」
サーディオは逃げようとする二人を、慌てて目で追いかけた。
ちらりと相手の男の顔が、フードから覗いた。 
姉を奪った男の顔は知らない。が、噂で聞いていた。黒い髪、黒い瞳。
…そして太陽と謳われたほどの美貌。
サーディオはその時、何故か確信したのだ。太陽の王子は生きているのだと。
剣を片手にサーディオは二人を追おうとした。が、それはラムウが許さない。
二人の剣が交差した。
「…聖剛天司様…。どうか、どうかこのままお退きください…」
「何っ!?」
サーディオはこの大男の端正な顔を、どこかで見たような気がした。…あれは…どこでだ?
ラムウはこの年若い聖剛天司を知っていた。自分が“鳳凰の気”を修得しに行った聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)。自分が去るその数日前に、まだ少年だった彼が特待生で入ってきた。あの頃でも、かなりの腕前だと見た。…聖剛天司までになった彼なら…きっと簡単には勝負はつきまい。
しかもこの誇り高いまでの、信仰心。ラムウは彼と戦いたくなかった。
「ここは、ここはどうか…目をお瞑り下さいませ!貴方様を崇高な神の申し子としてお願いする。
私は貴方に、本当は剣を向けたくないのです。勝手な事を申し訳ない。
どうかお見逃しください!!」
ラムウはそう言いながら、彼の剣から自分の剣を払い、一礼すると、二人を追って風のようにその場を去った。
サーディオは、彼の悲痛な訴えに、後を追う気力を失った。
…というか、冷静になったのだ。
自分はネイチェル殿にああ言ったが、自分はどうなのか?
神の名を語って彼女を責めたが、自分こそ本当はどうなのだ?
…姉の事で、個人的な思いに囚われてなかったと言えるだろうか?
サーディオはあの時、自分個人の怒りが爆発したのだと、悔しいが認めた。
(…聖職者であっても…所詮は人間…か)
サーディオは唇を噛み締め、ネイチェル達が消えていった方向を、ずっと見つめていた。

いつもと変わらず、ラムウは自分達を助けてくれた…。
アマトは本当に彼に感謝していた。自分が気に病むほど、彼は自分達に憤りを感じていないのかもしれない。
三人は逃げるように島に帰った。
「当分は…ラスターベル様の墓参りは…無理でしょうな」
ラムウはポツリと言った。
「うん。そうだな…。ラスターベルには申し訳ないが…。今オーンと揉めたくない…。できれば子供が生まれるまでは」
アマトはそう言って、辛そうに顔を俯かせた。
「アマト様、大丈夫ですよ。ラムウがおります。そのために私は動けるようにしているのですから。
さ、いつものように明るい顔を見せてください。セドの太陽と言われたあの頃と同じように」
「ラムウ…。私にはもう、その名は似合わないよ…。
お前には本当にすまなかったと思っている…。こんな情けない主人に仕えて…。
お前が思っているほど、私に王の素質はなかったんだよ。
だけどこんな私に、こうしてついて来て、守ってくれている…。本当に嬉しいよ。感謝している」
アマトはそう言って、ラムウの好きな優しい微笑を見せた。
ラムウはこの笑顔を見るだけで、全てが報われるような気がするのだ。
私の太陽の王子…。誰が何と言おうとも、貴方自身が否定しても、私の中でそれは変わらないのです…。
アマトはラムウに絶対の信頼を寄せていた。
彼はいつも自分の事を考えてくれる。味方でいてくれる。
それがアマトにとって、心の支えになっていたのだった。
そしてラムウは、彼にそう思われるのが、至福の喜びであった。

「…ところで、ネイチェルに届いた神託とは…何だったのですかね…」
ラムウは心配そうに、彼女の部屋…今は夫婦の部屋だが…の方向を見た。
「うん。…それが個人の神託は本人以外、見せても聞かせてもいけないんだそうだ…。ちょっと不安だが…」
アマトもかなり心配だったが、……こればかりは悶々としても無駄な事であった。


ネイチェルは自分達の部屋の中、震える指でその神託を開いた。
黄色の小さな封書には真っ白な二つ折りのカードが入っている。
神託は、具体的な文章の時もあるが、ほとんどが読解力が必要な詩みたいな文章だった。
彼女に降りた、その神託とは…。
ネイチェルは息を呑んだ。


『月光を照らす者よ、よくお聞きなさい。
貴女は闇を照らす者。
愛を照らす者。

太陽はその存在ある限り、闇を完全に隠すが、
月は元々闇に存在す。

貴女の使命は、その闇を照らす事。
愛を持って照らす事。

恒星の母として、月は存在する。


げに恐ろしきは神の怒りではなく。

真実(まこと)に恐ろしいのは、この世の人に巣食う闇。


気をつけなさい、月光の君よ。

人の闇を侮るなかれ。


正しき素晴らしき光が降りるとき、必ず闇と魔が横行する。

この事を心に刻み、愛を持って生きなさい。

自分の心を信じなさい。
自分の愛を信じなさい。


それが天の願い。

この事が月光の君に届く事を強く願う』


(闇…。人に巣食う心の闇…。それが神の怒りよりも恐ろしいもの…)

激しい不安がネイチェルを襲った。
だが、心にしっかりとその一文を刻み込んだ。

正しき素晴らしき光が降りるとき、必ず闇と魔が横行する

この意味はよくわからないが、ネイチェルは自分の選んだ道を、天は見守ってくれているのだと思った。


自分の心を信じ、
愛を持って生きる…。

…神に背いた自分を、天はなんと大らかな愛で包んでくれるのだろうか…。

そしてネイチェルは思った。


闇はいつも人の背後にいる。
それが人の心を蝕もうと、舌なめずりをしているのだ。
そして人はその闇を抱えながらも、この地に生きる。
闇に取り込まれるのか、それとも越えていけるのか。

越えたその先には何があるのだろうか…。

そして彼女はこれから生まれる自分の愛しい存在に、そっと呟いた。

「…どんなに辛くても、どんなに意に沿わない場所にいようとも…。この世に生きる理由が必ずあるのよ…。
だからどんな事があなたに起きようとも、決して絶望してはいけない…。
私がいる限り、あなたのお父さんがいる限り、あなたは望まれ、愛されて、この地に迎えられた事を、どうか知っていて欲しい。たとえ周りに何と言われても。
闇を越える魂の力が、あなたに備わっていますように…。」

ネイチェルの頬に涙が光っていた。
私は月光…。闇夜を照らす母の愛の光。…それが私の使命…。

彼女はこうして真に【月光】とう名を、天から直々に頂いたのであった。


そして、時は満ち、珍しい満月が大陸の夜空に浮かんだ時、とうとう彼女の産みの苦しみが始まった。


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2010年4月16日 (金)

暁の明星 宵の流星 #70

ネイチェルが自分の異変に気づいたのは、セドに滞在していた時だった。
互いを確かめ合った、あの夢のような日からひと月近く経っていた。
…病気らしい病気をしなかった彼女が、最近何故か熱っぽい。
たまにぼうっとするくらい、どうしてだかすっきりせず、最初は風邪でもひいたかと疑った。
「…セアラさん…?調子がよくないのなら、代わりの人を頼みますよ?早めにお帰りになった方が…」
百蘭の助手が心配そうに言った。ネイチェルはここでは“セアラ”と呼ばれていた。
「…そうね…。風邪かしら。キイ様にうつしてしまったら大変よね」
「ご無理なさらなくても、大丈夫ですよ、もう少しでリサさんが島から交代に来てくれますし」
リサとは、ハルの姪、ナミの仮の名だ。
「そうねぇ…」

だが、そうこうしている内に、何だかムカムカしてきたのである。
彼女はそこで、自分の体の変化を知った。
指折り数えながら、ネイチェルは確信した。
……これって…。
ネイチェルは皆の言葉に甘えて、急いで島に戻った。

戻るなり彼女は愛する自分の夫にこの事を報告した。
彼は一瞬、言葉を失った。
「…アマト?」
彼の黙りこくった様子に、やはりもう少し気をつけた方がよかったのではないか?と、彼女は不安になった。
やはりちょっと早い気もするわよね…。
でも、無理よ。だってお互い自制できなかったんですもの。
「…あの、アマト?…やはりちょっと早かったかしら…。その、こんな大変な時に」
いきなり彼が涙ぐんだのに、ネイチェルは慌てた。
「ど、どうしたの?…そんなにまずかった?」
「…違うよ…。その反対」
アマトは懸命に涙を堪えているのか、目が充血して赤くなっている。
「とても嬉しいよ、ネイチェル。…この子に大きな物を背負わせてしまうかもしれないけど…。
でも、私達の所に降りてきた子だ。私達がいる限り、この子を守って、愛してあげようね」
ネイチェルは嬉しくて、彼の胸に飛び込んだ。
「そうよね!この子は私達を選んできてくれたのよね!」
「ああ、そうさ。この世に生まれる命は、全て意味を持って生まれて来るんだろ?」
アマトは嬉しくて優しく妻を抱きしめた。


そうして二人は皆に報告し、セドに行ってくれているナミにもお願いして、出産を迎えるため、自分の代わりの人間を探してもらうよう頼んだ。もちろんそれまでは、いや、産む直前まで、彼女はキイの世話をやめたくなかった。
だが、あの体だけは資本のネイチェルが、思わぬ事で安定期まで動けなくなってしまった。
つわりがひどかったのである。
ちょっと起き上がるだけでも気持ち悪い。食べないと気持ち悪い。吐きそうなのに吐けない。…自分の知ってる妊婦は、吐けば結構けろっとしていたものだったから、自分もそうかと思っていたが、それも個人差があるらしい。
とにかく、ネイチェルは万年船酔い状態に陥った。
これでは船になんて乗れるわけがない。
たまに胃の中のものが出て、すっきりする事もあったが、ほとんどが気持ち悪いのに、吐きそうで吐けない状態だった。仕方ないので、彼女はずっと食べられる物しか口に出来なかった。それも凄い偏食だ。一時はトマトしか口に出来なかった。今は何故か氷菓子だった。
「これじゃあ、体力が…。ネイチェル様、どうしたらいいでしょうか…」
ハルは心配で心配で、日に何回も彼女を見舞ってくれる。
ありがたいが、本当は放っておいて欲しかった。
「……そのうち収まる…と思うのよね」
と、言いながら、彼女は安定期入っても、つわりがあった妊婦を診たことがあったのを思い出して、うんざりした。
こればかりは予測不可能だと知った。


で、当の子供の父親は、妻の症状に心配して、夜も眠れなかった。
彼女が突然、夜中に気分が悪くなって起きてしまうからだ。
「だ、大丈夫だから…放っといて?」
ネイチェルは毎回洗面所で、気丈にその都度こう言った。
「とにかく落ち着くまでは大事にしないと…」
「でも情けないわ、病気じゃないのに」
彼女は悔しそうに涙ぐんだ。皆にもとても迷惑かけてるし。
アマトは彼女をそっと抱き上げると、二人の寝台にゆっくりと寝かせた。
そして自分もその隣に横たわると、彼女を優しく見た。
「迷惑なんて、かけてないよ。君は医術者だろ?今が一番大事だって知ってるはずじゃないか」
「でも…。こんなにひどいものだとは知らなかったわ。私達のおチビちゃん、本当は嫌がってるのかしら?」
アマトはそっと彼女のお腹に手を当てて、優しいあの甘い声で囁いた。
「チビちゃん、あまりお母さんを苦しませないでおくれ。大丈夫、君を辛い目に合わせないよ。
だから少し、協力してくれ」
ネイチェルは照れくさくなって、ついぶっきらぼうに言った。
「…なにそれ?辛い目って」
「生徒のお母さんから聞いたんだ。つわりが強いのは、無意識に赤ちゃんを守るためだって。
本当かどうかは私は専門家じゃないからわからないけど、今この子は懸命に体をつくっているんだよ。
…君は行動的だから、知らないうちに無理しちゃうのを、チビはわかってるんじゃないかな?」
「そ、そうなのかしら…」
ネイチェルは自分のお腹を見た。
小さな命。懸命に自分の中で確かに生きている。
そう思うと、愛しくて、彼女はやはり無理してはいけない、と思った。
「大丈夫。おチビちゃんはわかったってさ。もう少しの辛抱だって、お母さん」
と、笑った彼に、ネイチェルは口を尖らせた。
「んもう、そんな適当な事言って」

ネイチェルがこうして具合悪く臥せっている最中に、他国に行っていたラムウがやっと帰ってきた。
「思いの他、期間が延びてしまって…」
皆にそう報告した後、ラムウはネイチェルがいないのを不審がった。
今はセドにはナミが行っているはず…。キイ様に何かあったのか…?
「アマト様、ネイチェルがいませんが、彼女は今はここにいるのでは?」
「あ、ああ…。いるにはいるのだけど…。あ、あのね、ラムウ、実は…」
アマトは彼に、彼女の事を言わなければ、と焦った。
と、そこへネイチェルが青い顔して、ラムウの前にふらふらと現れた。
「…ネイチェル…。顔色がすごく悪いが…。お主、具合悪いのか?」
ネイチェルはラムウが帰ってきたことを知って、わざわざ部屋から出てきたのだ。
「お帰りなさい、ラムウ。…ごめんなさい、変な姿見せて…」
「何かの病気なのか?大丈夫か?」
「ええ、病気じゃなくて…その……、うう!」
ネイチェルは我慢できなくて、口を押さえ、慌ててその場を駆け去った。
「ネイチェル!だから無理するなと…」
その後をアマトが追いかけて行き、彼女の様子を伺ってから、参ったような顔をして、皆の所に戻ってきた。
「ネイチェル様は大丈夫ですか?」
「うん、心配するなと言うのだけど…」
ラムウは眉間に皺を寄せ、心配そうに彼女の去った方向を見ていた。
「一体どうしたのというのだ。あの体力には自信のある天司(てんし)が…。何か悪い流行病でも…」
「いや、そうじゃないんだラムウ、じ、実は病気じゃなくって…」
「病気じゃない?あんなに苦しそうなのにですか?」
声を荒げたラムウに、アマトは益々言い出せなくなった。そんな自分が情けない。

アマトが言いにくそうにしているので、ハルは見かねて自分が言った。
「ご病気じゃありませんよ、ネイチェル様は今つわりがひどいのです」
「つわり?」
一瞬ラムウは自分が聞き間違えたのかと思った。
聖職者である彼女に、縁のない言葉だからだ。
「……何を馬鹿な事を…」
と、言って、やっと彼はアマトの様子が変な事に気が付いた。
「アマト様…?まさか…」
いや、そんな事、私のアマト様がなさる訳がない。まさかまた、その…聖職者と…。

アマトは敬虔なオーン信徒であるラムウが、ショックを受けないはずがない、と思っていた。
だが、自分の決めた事だ。
この先何があろうとも、これから生まれる子供、そして彼女を守らなくてはならない。
アマトは意を決した。
「……ラムウ、お前にはショックな事かもしれないが…。
実は私達…、ネイチェルと私は事実上の夫婦になったんだ」
ラムウの顔に血の気が引いたように見えた。
「…わかっている。犯罪を重ねた上、またも聖職者と子供を作ったのは…。また罪を犯してしまった事になるという事を。…だけどラムウ、私は彼女を愛しているんだ。彼女も私のために禁忌を犯してまで一緒になってくれた。…わかって欲しいとは言えないが、…私は彼女とこれから生まれてくる子供を、命ある限り守りたいんだ」
そしてアマトは苦渋の表情を俯かせ、搾り出すように言った。
「だから…こんな男に愛想がついたのなら、いつでも…私から去って行っても構わない…。自分勝手な事を言ってると、私も思う。でも、でも…本当はお前は、こんな大罪人と共にいるより、やはりセドに戻って…」
「アマト様」
ラムウは息を吸うと、ゆっくりと微笑を浮かべた。
「ラムウ…?」
「何をおっしゃいますか。ラムウは何があろうとも、アマト様のお傍を離れません」
「ラムウ…」
ラムウは穏やかな表情で、アマトを見つめた。
「……私のアマト様。……貴方が幸せなら、私は何も言う事はないのです」


「ラムウが…本当にそう言ってくれたの?」
ネイチェルは信じられないといった感じで、アマトに言った。
「ああ…。だけど、本当にそう思ってくれたのだろうか?…私は彼が、無理をしているのではないか、と思うんだよ」
アマトは辛かった。……彼があっさりと微笑んだ事が、余計に申し訳ない気持ちにさせた。
いっそ、怒鳴って欲しかった。罵って欲しかった。
ネイチェルはアマトの様子を見て、二人の長い歴史を感じた。
彼女はそっと彼の頭を胸に抱くと、優しい声で囁いた。
「…ラムウは…本当に貴方を愛しているのね…。彼にはいつも、貴方が一番なのね…」
ネイチェルは自分もラスターベルに仕えていた頃を思い出していた。
姉(あね)様が自分にとって一番大切だった…。あの方を心からお守りするのが全てだった。
だからネイチェルはラムウの気持ちが痛いほどわかる。
……守りきれなかった自責の念も。

アマトも二人の気持ちを思うと、罪悪感が沸き起こる。…全ては自分が愚かだったから…。
自分は二人の人生を狂わせたのではないか…。
それを考えると身を引き裂かれるほど辛かった。
…しかし、それを背負って、自分はこの道を生き抜こうと決心したのだ。
もう後戻りはできなかった。

そのラムウは朝早く、次の仕事を求めて島を出て行った。
朝一番の早起きである、料理人のケンが不思議そうに彼を見送った。
いつもなら、屋敷を出る前にはきちんと皆に挨拶をしていく、あの律儀なラムウ殿が…。
彼はなそんなケンに、無表情でこう言った。
「どうしても今出ないと目的時間に着かないのでな。アマト様も仕事に行かれてて大変お疲れだろう。
私が無理を言ってまで挨拶しない方がよいと思う。お前からよろしく伝えておいてくれ」
ハルが漁師の家の者だった、という事で、個人的な小さい船を譲り受けていた。
これがあれば客船を待たずして、好きな時間に島を出入りできるのだ。
ラムウはひとり船に乗って、大陸へ向かった。

ラムウが何も言わずに島を出たと聞いて、アマトは不安になった。
やはり彼は、かなりのショックを受けたのではないか?
だがラムウはケンにすぐに戻るから心配するな、とも伝言を皆に残したという。
本当に仕事の都合なのかもしれない。

そしてあれほど苦しんだネイチェルのつわりが、安定期に入った途端、すっきりと無くなった。
今までの苦しさは一体何だったのかしら…、と思うほど、けろっとしてしまったネイチェルは、今度はもの凄い食欲に襲われた。そしてアマトの前で、懸命に食事をパクつく彼女はすまなそうにこう言うのだ。
「…私じゃないのよ、チビが食べたいって言うから…」


ラムウが大陸に降り立って、仕事を探すわけでもなく、馬を借りて東の中央を目指した事を誰も知らない。

とにかく何も考えずに馬を走らせたかった。
この渦巻く暗い影を振り払いたかった。
だが、己の噴出す感情を、彼は止められなかった。
この狂おしいほどのどす黒い衝動はどこから来るのだ?

ラムウの頭に、心に、ぐるぐると激しい渦が出口を求めて暴れていた。
(……まかりなりにも聖職者と!!)
ラムウはもう自分がこの黒い衝動に支配されていくのを、頭の隅で感じていた。
(しかも2度も禁忌を犯す愚かな事を!!)
風が容赦なくラムウをなぶる。
鳳凰を扱う“気”を修得しようと思ったのは、自分が太陽の王子に仕えたからだ。
あの方は罪人として人生を終えるような方ではないのに!
あの神王が存在する玉座の間、あれはアマト様が君臨するはずだった神聖な場所なのに!

あの告白をアマト本人から聞いて、背筋が凍るようだった。
全身の血が一気に引いていった。
……だが…彼が自分の元を去っても構わない、とまで言った瞬間に、ラムウはかろうじて自分の気持ちを抑える事ができたのだ。
そう、だからラムウは微笑んだ。…自分は彼に何も逆らえない。
まして離れるなんて考えたくもない。

だからその矛先は相手に向けられた。


(汚らわしい!)
ラムウはどんどん馬を早めた。
(聖女の面をした売女め!私のアマト様をたぶらかして再び罪人に陥れ、忌むべき子を宿すとは)
彼はもう、この狂おしい黒い衝動を止める事ができなかった。
(ああ、アマト様。もう神は貴方を絶対に許すまい。
貴方が禁忌を犯しても…。私を疎んじても……。それでも…それでも…。
…私は貴方の傍を離れられない。離れる事ができない!)
彼自身も、どうしたらこれを静められるかわからない。
夢中で馬を走らせた先には……。彼の目の前に懐かしいセドの国の夜景が広がっていた。

いつものごとく、第一兵士のセインは、全ての戸締りを確認し終えて、宿舎に戻るところだった。
後は護衛の者に任せて、自分は眠るだけだ。
彼はまだ若いが、腕を認められて第一兵士に早く昇格した。
これも全て、恋焦がれた上司がいたからだ。彼は、彼のために、彼に近づくために、一生懸命腕を磨いていたのだ。
辺りは真っ暗で、自分の持っている小さな灯りだけが、周辺をぼうっと照らしている。
そしてあの晩、セインは彼への想いを遂げる事ができた。でも、尚更彼が恋しくなるとは思ってもみなかった。
(ラムウ様…)
彼の憂いを含んだ整った顔が、哀しげに曇った。
セインが彼の事を思いながら、宿舎に通じる外廊下を歩いている時だった。自分の右手には煉瓦で出来た長い壁がある。セインは足元に何か当たった気がして、思わず壁に手をついた。
その次の瞬間、自分の背後で人の気配がし、彼は緊張した。
「誰だ?」
振り向いてセインは驚いた。
「ラムウ様!?」
そこにはラムウが無表情のまま彼の背後に立っていた。
「ラムウ様、どうしてここに…」
セインが言い終えないうちに、いきなりラムウは彼の正面を壁に押し付けた。
「ラ、ラムウ様?」
突然の事に驚いたセインは、彼の顔を見ようとして身をよじろうとした。
が、無言のままラムウは、力強く彼を壁に押し付け、自分の体を彼の背中に密着させた。そのためセインは振り向くことができなかった。

「見るな」
ラムウは感情の無い声でセインに言った。
「え?」
「壁に手を付け、セイン。私の顔を見るな」
ラムウはそう彼の耳元に息を吹きかけるように囁いた。
それはまるで悪魔の囁きのようだった。
「あ…?ラムウ様、何を…」
セインは今自分の体に起きていることが信じられなかった。
「あっ…ああっ!!」
セインの小さな悲鳴は、だんだんと切ない声となって、苦しみと喜びが混ざった様な喘ぎ声に変化していった。
「ああ…。はぁ…。ラ、ラムウ様…。ぁ…ん」
セインの嬌声を耳に感じているにも関わらず、ラムウの表情は冷たいままだった。
闇の中、セインの切なく彼を呼ぶ快楽の声だけが、すすり泣くように変わっていった。
それでもラムウはひとつも声を出す事はしなかった。

同じ頃、城内の庭先にある林を、ひとりでタカト神王は満足げに歩いていた。
こんな夜中に彼は護衛もつけず、先程愛人である侍女と逢瀬を交わしたばかりだった。
彼女とはお忍びの付き合いである。一応人妻だ。
タカトは自分の正妃であるミカを大事には思ってはいたが、それとこれとは別の話。
手が早いのは王子の頃からだったタカトは、こういう事は日常茶飯事であった。
しかも妃は子供の産めない身体になってからは、自分を遠ざけるようになってしまった。
だからタカトとしてはあちらこちらに愛人を持っても、別に構わないと思っていた。
何せあのよくできたミカが、自分の欲望のためを思って、愛人を作るのに快く賛成してくれている。
そして彼はつい先日、自分が前から目をつけていた女を、自分の物にしようと目論んでいた。
(セアラとかいったな、あの女…)セドにはいない、異国の美女。
凛とした佇まい、清楚な感じが、タカトをそそった。彼女は交代でキイの世話をしている医術者だ。
神王の相手として不服は無い。だが、彼女はいなかった。
何と今妊娠して家に戻っているというのではないか。
タカトはつまらなかった。…何だ、夫持ちか…。
だがまぁいい。出産したら戻ってくるような事をそこの者が言っていたな。
別に夫がいたって構わないだろう。
何せこのセドの神王が相手だ。断れるわけも無いさ。
タカトは上機嫌で闇夜の中、自分の部屋に戻ろうと足を速めた。

その近くで、ラムウは何の感情もなく、ふらふらと彷徨っていた。
彼の、何かが壊れていた。
自分の狂おしい闇は、まだ収まりきれない。
まだ出口を求めて自分を翻弄しているみたいだ。
まだだ…。まだ足りない…・。
自分の中の闇はそう言って彼を急かしてるかのようだった。
その時、彼の精気の無い目が、足取りも軽く横切るタカトの姿を捉えた。
ラムウの口元が、獲物を狙うかのようにゆっくりとほころんだ。
乾いた唇を潤すように、彼は舌を唇に這わせる。
それはまるで、悪魔のようだった。

ラムウが島に戻ったのは、次の日の真夜中だった。
戸締りをしようと、ハルが玄関の鍵をかけようとした時、ふらりと彼は帰ってきた。
もうすでに屋敷の者は寝静まっている。
「ラムウ!こんな時間に帰ってくるとは思わなかったぞ!夜の海は危険だと、前に言ったような…」
と、ハルはそこで、ラムウの様子がおかしい事に気がついた。…いや、自分の気のせいか?やけに上機嫌じゃないか…。
ラムウは確かにすっきりした顔をして、何やら楽しそうだった。
「何かいい事でもあったのか?珍しく顔が明るいぞ」
「ああ…。何かすっきりして、気分がいいんだ。…どうしてだか、よくわからないけれど」
ラムウは微笑みながら、ハルの前を通り過ぎようと近づいた。
その時ハルは、ラムウから漂う臭いに気がついた。これは…血の臭い?
「ラムウ…。お前、どこか怪我をしているんじゃないか?」
「え?」
「…だって…お前から血の臭いが…」
「……ああ」
ラムウはしばらくして笑った。
「実は帰る途中、獣に襲われてね。そいつを斬ったからじゃないか?かなり大物だったんだ」
と、ラムウは血糊のついた剣を見せた。
「…そ、そうなのか…?…まぁ…無事でよかったな…」
ハルは彼の剣を見て、何故か背筋が寒くなった。
「とにかく疲れた。私はすぐに休ませて貰うよ。おやすみ、ハル」
「あ、ああ。おやすみ、ラムウ…」
ハルはどうしてだか言い知れぬ不安を感じていた。
いや、まさか…。まさかラムウに限って、そんな…。

セドの城内は騒然としていた。
今朝早く、城内の林で神王の惨殺死体が見つかったからだ。

しかもそれは無残にも切り刻まれて、まるで獣が食い散らかしたように、遺体の肉片が方々に散乱していた。

王家の者は再び恐怖に慄いた。

……これは神の怒りだ。
神の罰だ…。
王族が犯した大罪を、やはりまだ神はお許しになってはいなかったのだ………。

我々は神の逆鱗に触れたのだ…。

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2010年4月15日 (木)

暁の明星 宵の流星 #69

その晩はまるで別世界のような美しい夜だった。
大陸で珍しい月、しかも美しい満月が夜空に輝き、うっすらと下界を照らしていた。
いつも見える満天の星空は、月の光に遠慮して目立ちはしなかったが、それでも星は優しく瞬いていた。
ネイチェルはその月に導かれるように、秘密の場所にたどり着いた。
ほのかに明るいその場所は、まるで彼女を歓迎しているようだった。
不思議な静寂が、夢の中にいるような気分にさせていた。

パシャ…。

微かに泉から水の跳ねる音がする。
ネイチェルはふらふらと吸い寄せられるかのように、音のする方へ進んだ。
透明な泉の水は、まるで鏡のようだ。
月に照らされ、周りの景色を映しこんでいる。
彼女が泉の近くに来た時、大きな水音がして、ひとりの人間が水から上がってきた。
ネイチェルはそれが誰か、すぐにわかった。
彼は上半身何もつけてなかった。
前から斬られた傷は意外と浅かったので、塞がるのは早かった。
ただわき腹の傷は深かったので、かなりよくなるまで時間がかかった。
だからこうして水に入れるようになったのはつい最近の事だ。
もちろん傷はきちんと保護されているが、その痛々しさをも通り越してまでも、彼はやはり美しかった。
照らされた水の雫がきらきらと彼の優美な体にまとわりつき、その姿に彼女は見惚れた。
太陽と謳われた王子。
だが彼は今、月に愛されてそこに存在していた。

「ネイチェル…?」

彼の、あの甘くて優しい低い声。…まるでその宵闇のような声が、彼女の心を締め付けた。
「こんな時間に…。君がここに来るなんて」
アマトは心底驚いているようだった。
近くに置いてあったタオルを手に取ると、頭を拭きながら彼女の傍に近づいた。
「やはりここで泳いでいたのね?」
ネイチェルは彼から目が離せない。
「……今晩は、色々と考えたい事があったんだ」
その言葉に彼女は胸が高鳴った。
「考えたい事?」
彼は彼女に優しく微笑むと、そっと手を取って、近くの茂みに腰を下ろすよう促した。
「君とこれからちゃんと話そうと思ってたんだ。色々考えていて、気が付いたら目の前に君がいるんだもの」
アマトは笑った。
「私はまた、君に嫌われてしまったのかと、いつも苦しかったんだよ」
「そんな…嘘よ。苦しいなんて。いつも貴方は普通だったじゃない」
「そうかい?そんな風に見えた?」
アマトは彼女の顔をじっとうかがった。いつも忙しくて、こうしてちゃんと彼女を見たのは久しぶりだった。
彼女は月の光を受けて、きらきらと輝いていた。
まさしく私の月光の君。アマトの心に愛しさが込み上げてきた。
「そうよ…。私こそ、貴方は私の事なんて、全く興味がないと思っていたわ」
その言葉にアマトは少し驚いた。
「興味ないなんて…。そんなこと、どうしてそう思うんだ?私はこれからの人生は君と共にいたい、って言った気がするんだが…」
アマトは彼女がどうして不機嫌なのか、やはりきちんと聞かないといけない、と思った。
自分は結構、女心に疎い所があるみたいだ。それは彼女と付き合ってみて、最近分かった事だった。
「あのね、ネイチェル。私は君とこうしてきちんと話さなきゃ、ていつも思ってたんだよ。…確かにお互いすれ違いばかりで、よくないとは思っていた。…せっかく君が戻って来てくれたんだ、私はもっと君と話がしたいんだよ」
ネイチェルも、今こそ自分の気持ちを言わなきゃ、と思った。…恥ずかしくても。
ううん、大事な事よ。だって、私達これからずっと一緒にいよう、って誓い合ったのだもの。
「…話したい…だけ?」
「え?」
ネイチェルは彼を真剣な瞳で見上げた。そして勇気を振り絞って言った。
「そう思ってくれてるのなら…。どうして私を抱いてくれないの?」

アマトの息が止まった。というか、固まった。
「…私達…、気持ちを確かめ合ってから、全く以前と変わらないし…」
ネイチェルは務めて真面目に話そうと意気込んでいたので、彼が赤くなって困ったような顔をしてるのにも構わず、完全にムードも何もない様子で話を続けた。
「私、きちんと話し合わなければ、と思っていたの。貴方は私と一緒にいたい、って言ってくれたけど、話をしたいだけなら、別に友人のままでもいいわけじゃない?…それに貴方は前に、誰とも契らないし、子供も作らないって宣言したし、確かに…子供を無責任に作るのは問題あるわよね。だからそれは抜きで私は形だけの恋人でいて欲しい、という事なのかしら。…それとも本当は私に何も感じないから…。その、妹みたいに思っているのかと…」
アマトはゆっくりと息を吐いた。
「あのね、ネイチェル。…君をただの友人だとか、妹だとか、思ったことないよ」
「…じゃあ、貴方はやはりあの宣言前提で私と付き合うつもりだったの?だったら初めからそう言ってくれれば…」
「ちょっと、待って。確かに私はそう宣言したよ。その方が罪を広げなくていいと思ってたし。…ラスターベルにすまないと思ってたし。
…でも、君を好きになって、君が罪を犯す覚悟で答えてくれた時から、私は甘んじて罪も罰も受ける覚悟だ。
だから…子供の件は…自然にまかせたいと思っている…」
本音をいえば、アマトは彼女との子供がとても欲しかった。二人を繋ぐ確かな存在。
…自分がした事に、もの凄い罪悪感を持ち、それが今も消えた訳ではない。
生まれてくる子だって、世に出ると同時に罪人の子としての宿命を背負わせる事にもなる。
だが……。
「…子供、作る気があるの…?じゃあ、何故…」
アマトはちょっと言いにくそうに彼女に言った。
「君は…その、こういう事は初めてだろう?」
ネイチェルは言葉に詰まった。…当たり前じゃない…だって私、聖職者だったんだもん…。
確かにこの大陸で、はたち過ぎても処女なのは、聖職者ぐらいなもので、女は皆15過ぎれば当たり前のように経験済みな世の中だった。…それって、やはり問題があるわけ…??
「……私はもっとじっくり時間をかけてもいいと思っているんだ…。その…君が初めてだから…」
「あの…私だってもう大人の女だけど…。これでも医術者でもあるのよ?体の構造とかだってわかってるし、男女が何をするかだって知らないわけじゃないわよ」
アマトは溜息をついた。
「…君、本当にわかっている?……何故私が君に深く触れないのか」
ネイチェルはドキッとした。何故なら、彼の瞳がいつもと違う色を帯びていたからだ。
でもそれは彼女自身も知りたい事だった。
いつも挨拶程度のキスばかりで、彼がそれ以上自分に触れなかった訳…。

アマトは意を決すると、そっと手で彼女の頬に触れ、優しく彼女の唇に自分の唇を重ねた。
突然の事で、ネイチェルは緊張したが、彼の優しい口づけに、彼女はうっとりと溶ける様な気分になった。
だが、その口づけはどんどん深くなり、激しくなっていく。ネイチェルは息も出来なくて苦しくなった。
いつもと違う激しさに、彼女は少し怖くなった。苦しさもあって、彼から逃げようとしたが、いつの間にか腕をがっしりと押さえ込まれた上に、彼はびくともしない。
まるで貪るような唇の感触に、彼女は頭が痺れてくるのを感じた。身体の芯が熱くなっていく。
何これ?私、こんなの知らない…。こんな感覚知らない…。
彼女は怖さを通り越して、彼の情熱を全身で感じ取っていた。
彼女の力が抜けたのを感じて、アマトはやっと唇を離した。
お互い、息が荒い。
「……わかっただろ?」
ぼうっとしているネイチェルに、彼は辛そうに言った。
「え…?」
彼女の思考回路はまだちゃんと動かない。わかったって…何が??
「だから…。私は自信ないんだよ。…その…君に触れてしまうと、こうやって我を忘れてしまうんだ。
…自分を抑える自信がないんだよ」
ネイチェルは真っ赤になった。…何かやっと彼の言ってる事が分かった気がした。
彼もまた、溢れる感情と身体の衝動が暴れださないようにするのに、かなり苦労した。
「特に君は初めてだろう?……そういう女性を…その、無理やりしてしまうのが…相手をとても傷つける事になるのは…私は身を持ってわかっているんだ…。だから、私は時間をかけて…」
その言葉に彼女はやっと、彼のもう一つの苦悩も知った。
アマトは、自分がキイの母親にしてしまった事を、後悔し、ずっと心の傷になっていたのだ。
彼女の泣き叫ぶ声や、彼女の身体に及ぼした激痛が、ずっと彼の心を苦しめていた。
あの時の自分はどうかしていた。大義名分ではなく、本当に彼女を愛していたら、あんな残酷な事はしなかったのに…。
だから、彼は怖かったのだ。
特に今まで気持ちを抑えていた分、ネイチェルに触れるとアマトは暴走してしまいそうだった。
抑制が利かない自分は、初めての彼女を傷つけてしまいそうで。壊してしまいそうで。
そんな風になりそうな自分が怖かったのだ。
「だから…。もう少し時間をくれないか、ネイチェル。君の身体に辛い思いをさせたくないんだ。初めてのときはゆっくりと…その、時間をかけて…。私がそういう自制ができるようになるまで…その…」
アマトが最後まで言わないうちに、ネイチェルは彼の胸に飛び込んだ。
「ネイチェル?」アマトは慌てた。

ネイチェルの気持ちも、今にも破裂しそうだった。…彼の気持ちが嬉しくて、そして切なくて。
自分から男性に抱きつくなんて、生まれて初めてだ。…幼い頃、父親にはしたけど。
彼女は彼に対する愛おしさが溢れてきて、もう我慢の限界だった。
「……私は待たなくていい。ううん、待ちたくなんかない…。
だってずっと貴方への気持ちを抑えてきたのよ…。
お互いの気持ちがやっと確認できたというのに。……一時は生涯の別れになるかもしれなかったのに」
ネイチェルは彼を失うかもしれない、という、その時の恐れや辛さを思った。
「その時の辛さに比べたら…。身体の辛さなんて。
それに私、結構身体は鍛えているし、痛みにだって強いのよ?
何が問題あるの?」
アマトは彼女のその言い方に思わず笑ってしまった。
本当に彼女が愛しかった。私の月光…。
アマトは震える手を彼女の背中にゆっくりと回し、力強く抱きしめた。
「…太陽と月の契合(けいごう)…だな…。もう止められないぞ」
「何それ…。アマトってたまに変な事、言うわよね」
「しっ。もう黙って…」
そう言って、彼は再び彼女と唇を重ねた。


二人を照らしていた月が、まるでその事に満足したかのように、いつの間にか姿を消していた。
ネイチェルは彼の肩越しに、満天の星空を感じた。
まるで、宇宙空間の中に二人が存在しているような感覚に陥った。
星は瞬き、まるで二人を優しく見守っているようだった。
二人の嵐のような熱情が交差し、求め合う全てが痛みを伴って一つになった時、それを歓迎するように流星が降って来た。
互いの生のエネルギーの交換…。それは心も体もどちらも欠けてはならない、愛の交歓。
二人は初めての感覚に感動していた。
これが全てを求め、全てを受け入れ…全てを愛する事なのか…。
こうして陰と陽は融合し、新たな命を呼び込む磁場となる。
互いの目に涙が浮かんだ。


「大丈夫…?辛くさせなかった…?」
激しい情熱が甘美な疼きを経て、二人にゆったりとした時間が訪れた。
アマトは荒い息を整えながら、汗でしめっている彼女の額の髪を、優しくかき上げた。
「ええ…大丈夫…」
ネイチェルも呼吸が乱れているのを隠そうとはしない。
本当は身が裂かれるほど痛かった。
でも、彼女はそれ以上に、彼と一つになった感動の方が勝っていた。

「見て。…凄い流れ星…」
ネイチェルは彼の背後に広がる、星空を指差した。
彼は振り向き、感嘆した。
珍しいほどの流星群。
きっと二人はこの日の事を一生忘れない…。

そうして二人は、彼女がセドに行くまでの一週間、毎晩のように秘密の場所で、たくさん話をし、そして愛を確かめ合った。幸せな、幸せな時間が、ずっと流れていた。


アマトは彼女がまたセドに行く前日に、皆にきちんと二人の事を話した。
従者達は驚いたが、二人の幸せそうな顔を見て、とても喜んでくれた。
ハルなんて特に、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
二人はなんとなく、気恥ずかしいのと嬉しいので、困ってしまった。


…ただ、ラムウに伝えるのは彼が戻って来てからになる。
彼に何と言おう…。アマトは少し不安だった。


そう、ラムウが二人の事を知ったのは、彼が帰って来て、すでにネイチェルのお腹に新たな命が宿っていた時だった。

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2010年4月14日 (水)

暁の明星 宵の流星 #68

あのラムウが身を隠すでなく、わざわざアマトの死を知らせに来るとは思ってもみなかった。
タカト神王達はその時、アマトの安否を疑った。
「死体も見ていないし、信じられますかな?」
側近でもある長老が、顔をしかめた。
「とにかくアマトが死んだ事は、国中に広まっている。城内も皆安堵している。
……おいおい調べてもいいのだが…。ま、もしあの状態で生きていたとしても、あいつはもうセドの王子ではない。それに、巫女の子供は手に入った。もうあいつの事は考えたくない。それでいいじゃないか」
「しかし神王、その子供の事を他に漏らされる可能性だってあるではないですか。…いくら、元セドの英雄だからといって…」 
タカトは引き出しから一通の文書を取り出した。
「これは?」
「奴が敬虔なオーン信徒でよかったよ。神への誓約書だ。
これがある限り、巫女と子供の事は死ぬまで黙するとさ」
と言って、文書を開き、ラムウが血文字で書いたサインを見せた。
これはオーン信徒が、相手の信用を得るために、特別に出す誓約書であった。
相手だけではない、神へも誓って、約束を結ぶ、という重要な文書であった。
これを交わしたら最後、神と誓約したと同じ。必ず果たさなければならないのだ。
破れば…死か、神からの罰を受けるとされる。
長老は頷いた。

「ところで、例の子供を見たか?さすがにあの大陸一の美女と謳われた巫女の子だけあるなぁ。
あのような美しい子供は見たこともない。…しかもあれがアマトの種から、というのもなかなか頷けるな」
アマトの事を昔から憎たらしく思ってはいたが、素直に彼の容姿は認めていた。
さすがに最高級娼婦の子。女をたらしこむのはお手の物だったな。
「…で、あの子供の力ですが…」
「私も初めは驚いた。…マダキの言うとおりだった。あの子がいる限りセドは安泰だ。…あの力があれば、東だけでない、よもや大陸をも手に入れられる!」
将来はあの子を神王に立て、我が息子を摂政にするというのもいいだろう。
タカトは妃の事で暗い気持ちだったのが、これで少し晴れた気がした。

一方のミカ妃は、流れてしまったアマトの子供を思って、毎日泣き暮らしていた。
それに追い討ちをかけるように、彼の死をタカトから聞かされ、ショックで何も考えられなくなってしまった。
しかもあの夫は、自分の気持ちも知らないで、嬉々としてアマトが死んだと告げたのだ。
(これでお前の流れた子の敵を討てたぞ。もう神への呪いを気にしなくてもいいんだよ)
彼女の中で、タカトに対する憎悪と殺意が生まれた。
……できるなら、誰かこの男を殺して欲しい。悪魔でもいい。
この男もあの方と同じ思いをさせてやりたい…。
…自分の手でやれるものならやりたい…。
悶々とした中で、彼女は自分の弱った体を何とかしたい衝動に駆られた。
動けるようになったら、あの方の敵をとるのよ。
ミカはもうすでに半分正気を失っていたのかもしれない。
彼女は自分自身の闇に取り付かれていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


東の国には、小さな島がたくさん点在している。
その中には独立した民族もいるが、皆少数で平和に暮らしている。
特に南側には大きめの孤島が多く、その中のひとつが自治国である神国オーンである。

で、アマト達が今世話になっている島も、中くらいの規模で、原住民であるリタン族と大陸から移住してきた人間が、仲良く暮らしていた。南に近い事もあり(東の最南端はオーン)気候は暖かく、過ごしやすかった。
職を探していたアマトも、思わぬところから簡単に仕事が決まった。
「いやぁ、こういう島ですから、子供達に学問を教えてくれる人材が少ないんですよ」
島の案内人がそう言ってアマトを…いや、ライを歓迎してくれた。
実は、アマトは剣の腕はそんなでもなかったが、昔から頭がよく、いつも本ばかり読んでいた物知りな子だった。そのせいもあって、よく城内の家臣の子達に勉強を教えてあげていた。彼は意外と人に教える事が上手かったのだ。剣は教えられないけれど、勉強なら得意だ。
アマトはほっとした。
明日からこの島の港町で子供達に学問を教える事になった。
これで皆に少しでも負担をかけないで済む。
彼は喜んだ反面、ネイチェルの事を思い出して、気分が暗くなった。

彼女がいる一週間…。自分はどうしたらいいのだろう…。
仕事が決まったことで、益々彼女と話す時間がなくなってしまった…。
アマトは重い気持ちで屋敷に戻った。


「ほう、アマト様が教師に」
ハルは益々人のいい顔をほころばせた。
「いや、前から私のアマト様は利発で、人に教えるのが上手かった。…なるほどぉ、教師、合ってますねえ」
「言い過ぎじゃないか、ハル」
アマトはちょっと恥ずかしそうに答えた。
「という事は、明日からアマト様は港町までお仕事に行かれるのですね…。
私はいいのですが、これがあのラムウに知れたらと思うと」
ハルは心配そうにアマトを見上げた。
「う~ん、確かに…。ラムウの怖い顔が目に浮かぶ。あいつは昔から私を過保護にし過ぎるんだ。もう子供ではないのに」
そう言いつつも、アマトはラムウにはいつも感謝していた。
子供の頃からずっと自分の傍にいてくれた。本当は、こんなに彼に甘えてばかりいてはいけないのかもしれない。彼だって、自分の人生がある。もし私と共に来なければ、彼はセドの英雄として…、第一将軍として、華やかな人生を送っていただろうに。こんな自分にいつまでも仕えなければ、彼は…。
アマトはラムウの将来を、自分が潰してしまったようで、心苦しかった。
「まぁ、結局はラムウはアマト様の味方ですからな。ちゃんと話せば納得するでしょう…。
…こんな事言うのは神に対して不謹慎なのかもしれませんが、私はアマト様が第2の人生を幸せに生きてくだされば嬉しいんですよ。アマト様がこの世にお戻りになられた、それは新しい人生を生きてもいい、と天がお許しくださったようで、ハルは…」
何やら最近のハルは涙もろくなっている。年齢のせいかもしれない。
「…ハル、辛い思いをさせてすまない。…それでも私は罪人なのだよ。…それは消しようのない事実だという事は、肝に銘じている。だが、お前の言うとおり、私は第2の人生のチャンスを貰ったのかもしれない。…それはありがたく、天から頂く事にしたんだ」
そう言いつつ、アマトはちらりとネイチェルを見た。
彼女は自分が職を見つけた話を聞いても、何も言ってくれなかった。
アマトはかなり落ち込んだ。でも、第2の人生には彼女は自分にとって必要だ。
ハルはそのアマトの様子を興味深く見ていた。
長年だてにお世話をしてきたわけじゃない。ハルは二人の間の空気を察知していた。
ハルはコホン、と咳をすると、アマトを突付いて言った。
「アマト様、これからはごく普通の生活を満喫して欲しいと私は思ってるんですよ。
…ラムウ達は、貴方に多大の期待を寄せていた…。貴方もそれに答えようと並大抵ならぬ努力をされてきた…。でも、でもハルは、お小さい頃から見てきたハルには、この乱世では、本当にお優し過ぎる貴方が王となるよりも、普通の平凡な生活を送られた方が幸せじゃないか、と常々思っていたのです。
……これはいい機会ですよ。普通に仕事をして、普通に…ご家族をお作りになられて…」
彼の言葉にアマトははっとした。
「ハル、お前…」
彼はウィンクしてアマトに言った。
「ハルは何でもわかってますよ。もうはっきりと彼女を妻だと皆に言ったらどうですか?
あの方なら、私は何も文句ありません。あの方ほど、アマト様にお似合いな方はいらっしゃらない。
ネイチェル様が紋章をお外しになられてから、私はわかっておりましたよ」
「ハル…」
アマトは彼の優しい言葉に目頭が熱くなった。
「だが…。他の者は何て思うだろう…。禁忌を犯した上に、また禁忌を犯すこの私を。
いや、私はもう覚悟は決めている。だが、この私を慕ってついて来てくれてる者たちは…」
アマトの頭にラムウの顔が浮かんだ。
特に敬虔なオーンの信徒である彼を、また落胆させてしまうのではないだろうか。
「アマト様。私達はアマト様をよく知っております。それだからこそ、貴方を慕い、こうしてついて来ているのです。貴方は自分の信じる道を、どうか進んでいただきたい」
アマトはハルの言葉を胸に刻んだ。
……今晩、じっくりとこれからの事を考えよう。そして彼女とちゃんと話そう。
そしてもちろん皆にも…。
アマトは食事の後、ひとりこっそりと屋敷を抜け出した。

そのネイチェルは今、自己嫌悪に陥っていた。
私ったら、まるで拗ねた子供のような態度を、彼に取ってしまった。
今までの自分では考えられない事だ。
どうして彼にはこう素直になるのが難しいの?
何でこうも余裕がないの?
何で彼はあんなに普通でいられるの?
何かいつも自分ばかり気持ちが不安定で…。
…それにちゃんと彼は自分に言ってくれたじゃない、“愛してる”って。
なのにどうしてこうも不安になってしまうの?

ネイチェルはシーツの上で、うつ伏せになって涙をこぼしていた。
こんな感情、今まで知らなかった。聖職者だった頃、本当に無縁だったから。
今まで清らかでいる事が、誇らしいと信じていたあの頃と、全く違う感情の波、渦。
今なら姉(あね)様が言っていた、最期の言葉の意味が分かる気がする。

(ねぇ、ネイチェル…。愛って何かしらね?)
(私は神の愛だとか、言葉を伝えていたつもりだったのだけど、本当に真底、愛を語っていたのかしら…)
(…。私は愛、というものについて、何だか表面的な事しか知らなかった気がするの。
こんなに色んな形があって、たくさんの種類があるものなのね……)

人はこうして様々な感情を経て、何かを掴み取っていくものなのか。

経験が全てではないけれど、自分がそうなって初めてその気持ちが分かる事もあるのだ。

ネイチェルは段々自分に腹が立ってきた。
私はこう見えても、元、月光の異名を貰った女。
剣の道だって、医術の道だって、自信持って突き進んできた女じゃないの!
こんな事でぐずぐずしてるのなんて、馬鹿みたい!

彼女はいきなりがばっと起き上がった。
(自分からちゃんと彼の所へ行って話そう!これからの事…私達の事…。)
彼女はこの気持ちが萎えないうちに、アマトの部屋の扉を叩いた。
だが、彼は部屋にいなかった。
(どこに行ってしまったのかしら…)
彼女はがっかりした。せっかく一大決心をしたのに。
どうしようかと悩んでいたが、その時ネイチェルは思い出した。

アマトは最近リハビリを兼ねて、たまに夜、例の秘密の場所の泉で泳いでいる、と。
もしかしたら…。
彼女は予感がした。彼はきっとそこに行っているに違いない。
ネイチェルはそのまま屋敷を飛び出し、夜空に珍しく輝く月の明りの中、その場所へと急いだ。


その頃、他国で護衛の任に就いていたラムウは、同じく雇われ兵士である胡散臭い男と知り合った。
「貴方があの、有名なセドの将軍でしたか」
男は長い縮れた黒い髪を揺らし、見るからに艶かしい色男、という風情だった。
「元、だ」
ラムウは目を細めた。
「あの東の中心であるセドから出て、どうしてこんな他国で雇われてるんです?
貴方ほどの武人、こんな所でくすぶっているのはもったいないではありませんか?」
「……セドには…もう私が仕える人間がいないからだ」
ぼそっとラムウは答えた。何故かこの男に危険なモノを感じ、彼は警戒した。
「……ああ、貴方はあの追放されたセドの王子に仕えられていたのですってね。
何か神を冒涜したか何かで、最近処刑されたとか…?」
「お主は何が知りたい?」
ラムウはずばっと言った。
男は不気味な微笑を見せると、ラムウにこう言った。
「いや…。ただの好奇心、ですよ。僕は貴方のファンでね。…色々知りたいだけです。貴方の事を…。
どうしてあのセドを捨ててまで、亡くなった元王子に忠誠を誓ってたのか…。
興味ありますねぇ。そんなにいい主人だったのですか?貴方がそこまで入れ込むほどに」
ラムウは益々この男を信用できない、と思った。彼はじっと相手を見た。
「……私はオーンの信徒だ。ひとりの人間に忠誠を誓って何が悪い?それがどんな大罪人であれ」
男はくっくと笑った。
「そうですか。オーンの信徒ですか。…それは本当に固そうだ。
いや、失礼した。…ま、このひと月、仲良くやって行きましょう」
と言って、男はラムウから去ろうとした。
「お主の名は?」
ラムウは追いかけるように男に問うた。
「おっと、これは失礼。申し遅れた、僕はリジェロ。
…クラレンス=リジェロだ。…どうぞよろしく、ラムウ=メイ」
クラレンスはそう言って、ラムウに手を差し出した。
だが、ラムウはその手を取らずに、軽く会釈をしただけだった。

セド王国に向かう馬車の中で、マダキは弟子の若い男をひとり相手に、自分の成した結果を、夢中になって話していた。弟子はその話に目を輝かせて聞いている。
「本当に、本当だった…。
神の申し子である巫女と、神の血を引くとされるセド王家の間に生まれた子。
本当に奇跡だ。あの“気”をお前にも是非見せたい、ティアン!
お前が私の話から、すぐに気術者に転向してくれるとは、嬉しかったぞ…。これで鬼に金棒だ」
「我が師よ、元々私は気術に興味あったんです。
…今だかつて誰も扱った事がない…あの稀有な“気”。
それがこの目で見られるとは…。本当に素晴らしい!」
若い弟子のティアンは、長い銀髪を頭の上に纏め上げ、鋭く細い目が只ならぬ妖気を醸し出しているような男だった。
「結局お前は気術の権威である昴極大法師(こうきょくだいほうし)には、取り入る事ができなかったみたいだな…。
あの大法師は何を考えているかわからん…。
若い頃は、あの竜虎・聖天師長(りゅうこ・しょうてんしちょう)と、コンビ何ぞ組んで、俗世で暴れまわったという変り種だからな……。
ま、仕方ない。とにかくお前は精進して気術のトップになってくれ」
「ああ、デコボココンビ…ですか。よくその話は聞きましたよ。
あの人、本当に気術の天才なのですかねぇ」
ティアンは嘲るように言った。
「…“気”の扱いは、私だって負けていませんよ。
これでも母の実家は術者の家系。…才能では私は上をいきますから…。
どぞご覧になっててください。この1-2年で、賢者衆に入ってみせます」
そうティアンは傲慢に言ってのけた。
マダキはこの男なら絶対やるだろう、と思った。敵にすると恐ろしい奴…。
「しかし、残念だったのは、あの子供をセドに渡す前に略奪しそこなった、という事だな」
マダキは悔しそうに歯を鳴らした。
「雇った者が失敗しなければ、じっくり自分の手元に置いて、研究出来た物を…」
彼の言葉にティアンも頷いた。
「本当に…。是非中央のゲウラにある、私の研究所に連れて行きたかったですよ…」
「悔しいが、まだチャンスはあるさ。取り合えずあの子を診てくれるだけでいい。
ま、楽しみにしておけ、ティアン。…“気”だけでないぞ。あの子供は…一見の価値がある」
「どういう事です?」
「ふふ。お前、綺麗な子が好きだろう?なら絶対気に入るぞ…。
一目見たら、お前も必ずあの子を手に入れたい、と思うはずだ…」
師匠の言葉に、ティアンは生唾を飲み込んだ。

「…言葉通り、大陸の宝だよ…。いや、神の宝そのものだ。
あの子が大人になったらどれほどの破壊力があるのだろうか。
末恐ろしい事よ……」

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2010年4月13日 (火)

暁の明星 宵の流星 #67

アマトの意識が戻った事に、ラムウ以下従者達に安堵と喜びが沸き起こった。
特にラムウは人前で涙を拭おうともしなかった。

意識が戻ってからは、アマトの容態は一気に良くなっていった。
しかしまだ完全ではなかったので、それからひと月、彼は寝たきりの生活を送らなければならなかった。
ネイチェルがアマトの全ての世話の管理をし、彼女が聖職者である紋章をつけていない事に気が付いた者がいても、皆、あまり気にしなかった。何故なら彼女が、大聖堂に許可なく去ったという話からと、この島では聖職者は珍しいため、目立たぬようにしているからだ、と思っていた。

かなり容態が安定してから、アマトだけはその事について、彼女に質問した。
それまではずっと看病やら、他の人間が入れ替わり立ち代り彼の側にいたので、ずっとこうして二人でじっくりと向き合う時間がなかった。

その日は珍しく、他の者は出払っていて、アマトとネイチェルの二人だけになった。

彼女は随分体調の戻ったアマトに、髭を剃らないか、と提案した。
かなり放ったらかしにしていたため、かなり伸びてきてまるで別人だ。
「今日はかなり陽気もいいし」
彼女は剃刀を持ってきた。
「いや」
アマトは自分の顎の髭を触って、陽気にこう言った。
「……このままでもいいような気がする。私は死んだ人間だし。別人として生きるなら尚更に」
彼が助かった事は、誰もが世間に知られてはならない、と思っていた。
アマト=セドナダは死んだのだ。それを世に知らしめようと、残った従者達は考えた。

(今日からアマト様はライ、と名乗ってください)
ラムウはそう言った。
彼はアマトが死んで、自分はかろうじて生き残ったと、セド側に申し立てた。
これからの事を考えて、自分は身を潜めず、世間の表に立とうと思ったのだ。
もうすでにラムウの存在も顔も、世間に、もちろん他国までにも、広まっていたからだ。
かえって身を隠すと、いらぬ疑惑を持たれるかもしれない。
そして自分は主君を失くしたフリーの武人となって、各国を回っている、という事にした。
もちろんもうセドには戻らない。
あのタカトの顔を見るのも嫌だった。


「でも、それじゃあまりにも清潔とは言えないわ。まるで浮浪者みたい」
ネイチェルは顔をしかめた。
「そ、そうかな…」
「全快してから伸ばしましょうよ。今はすっきりさせた方がいいわよ」
彼女はそう言って彼の頬に泡立てた石鹸をくっつけた。
「いいよ、自分でやるから」
アマトは赤くなって、彼女の手から剃刀を奪った。
「遠慮しなくていいのに…」

何故かむすっとしたまま、アマトは寝台の近くに置いてもらった鏡を覗き込みながら、髭を器用に剃り始めた。
ネイチェルは自分の気持ちが決まってからは、何事にもどっしり構えて行動できるようになっていた。
なのでもう、恥ずかしいを通り越していた。まぁ、自分は医術者でもあるし。

(あのね、私は貴方が寝たきりの時、体だって拭いたし、髪だって洗ったし、…まぁ、ちょっと下の世話はハルにお願いしたけど、今まで世話をしてきたのはほとんど私じゃない。…今更何を恥ずかしがってるのよ…)

ネイチェルはつまらなそうに彼の姿を見ていた。
本当は彼の世話を焼きたかった。彼に触れていたかったのである。
「ねぇ、ネイチェル」
突然、髭を剃りながらアマトが言った。
「なあに?」
「君、やはり本気なのか。私がよくなったらセドに行く、というのは」

実はキイに関して朗報があった。
キイを今見てくれている気術者の百蘭(びゃくらん)は、密かにアマト達の味方だった。
彼はキイの世話を手伝う侍女を、アマト側の人間から選んでくれたのである。
もちろん素性は隠して、である。これはアマト達と百蘭しか知らない。
今はずっとキイを見ていた使用人の娘が側にいてくれて、逐一キイの様子を伝えてきてくれている。
だがらネイチェルは、アマトの代わりにキイの側にいようと考えたのだ。
そして今の使用人の娘と交互に、ここと行ったり来たりするつもりだった。
もちろん細心の注意を払って、セド側に知られないようにしなくてはいけないが。

だが、アマトはそんな危険な事を、彼女にさせたくなくてずっと反対していた。
「やはり気が進まない。何でそんな危険をしてまで…」
「大丈夫よ。私は向こうには顔を知られてないから、好都合でしょ。それに医術関係者はあまり疑われないものよ、安心して」
アマトは浮かない顔をしている。
しばし無言のまま、彼は綺麗に髭を剃り落とし、剃刀を彼女に返した。
「…ネイチェル。君はどうして聖職者の証である紋章を外したのかい?」
いきなりこう質問されて、ネイチェルの心臓は跳ね上がった。
……これはもしかしたら、自分の気持ちを伝える絶好のチャンスなのでは?
彼女はそう意気込んだ。
実は…彼の意識が戻ったら自分の気持ちを伝えようと決心した割には、タイミングを逃してしまった事や、恥ずかしいのもあって、なかなか勇気がなくて言い出せなかったのである。
「……そ、それは…。……私…聖職者をやめてきたの…」
彼女はやっと、彼に言えた。
「やめた?」
「…だから、その。紋章はオーンに置いてきたというか、まだ大聖堂には申請してはいないけれど」
「君は…。何故だ?どうしてそんな事を。自ら聖職者を辞めるなんて…それは自分から罪人として生きる、という事じゃないか」
アマトは苦しそうに言った。彼もまた、自分の本当の気持ちを言いそびれてしまっていた。何か意識が朦朧としていた時に、告白したような気がしたが、彼女の変わらぬ態度に、あれは自分の思い違いかと思っていたのだ。
だから、二人きりになったこの機会に、彼は彼女の気持ちを確かめたかったのである。
今、ネイチェルは自分が素直になるべきだと思った。
彼女は彼が怒るかもしれないのを覚悟して。
「…そんなの、とっくに承知してるもの。…じゃなければ私はここにはいないわ、だって…」
突然、彼女の手を、アマトが取った。
ドキッとしてネイチェルは彼の顔を見た。
アマトは真面目な顔をして、自分をじっと見つめている。
「私の自惚れでなければ…」
彼があの甘くて優しい低い声で囁いた。彼女の体に電流らしきものが走った。
彼は彼女の手を大事そうに両手で包むと、意を決したように言った。
「君は私と共に生きてくれるという事なのか?」
彼の瞳に情熱の炎が見える。彼女は息を呑んだ。
「私と共に、一生を…。私の側で、この先の人生を共に生きてくれる気持ちがあるからなのか?」
ネイチェルの瞳が徐々に潤んできた。
「この大罪人の自分と、自ら罪びととなって、添い遂げてくれる覚悟があるというのか」
「アマト…」
「私は大罪人だ。それはもう変える事はできない事実。
だけど、君に迷惑をかけることを承知で、私は伝えたかった…」
彼の声は切なく彼女の心に響いた。
「君を愛している」
ネイチェルは胸が苦しくなって、涙がこぼれ落ちた。ずっと隠してきた想いを、今自分も告げていいのだ。
「…迷惑じゃないわ…。もう、もうとっくに自分の気持ちは決まっていた。
私は貴方の側にいたいの。これからずっと。この命が終わるまでずっと。
……貴方が嫌だといっても、私は側にいる覚悟よ…、アマト。
私も…」
最後まで言わないうちに、アマトは彼女を引き寄せ、力を込めて抱きしめた。
「ネイチェル…ありがとう…」
彼は震えていた。
「君に、君に罪を犯させてまで、私は君と一緒になりたい。
何もしなくていいい、ただ、こうして一緒にいてくれ、ネイチェル」
「いるわ、ずっといさせて、アマト…」
そうしてアマトはやさしく彼女の唇に自分の唇を重ねた。
本当に羽のようなやさしい口づけだった。
それが彼の彼女への愛の印でもあった。

二人が自分達の気持ちを確認したのと同時に、思ったよりも早くに、ネイチェルがセドと隠れ家のある島との行ったり来たりが始まった。あのやさしいキスの後、二人は完全に清い関係が続いていた。
すれ違いも災いして、なかなか二人きりになれない事も原因だったが、互いの気持ちを確認したのに、アマトの態度は全くといっていいほど、いつもと変わらなかった。
禁忌を犯す覚悟のネイチェルは、ちょっと肩透かしをくらっている気分だった。 
たまに顔を合わせ、二人きりになる機会があっても普通に話しをし、人がいないのを確認してはお休みの軽いキスをするだけ。


……えっと…自分は、彼の正規でないが事実上の妻…になる…という事ではなかったのかしら…。
これでは前と全然変わらないんですけど…。いえ、一応キスは交わすから、恋人にはなってるのよね…。


女は覚悟を決めると、腹が据わるものだ。
全く自分が聖職者だった、という事を忘れている。
だって、紋章を置いて、罪を犯す覚悟をしてから、自分は普通の女になったのだ。
ネイチェルは23歳にして初めて恋する女の気持ちを知った。
しかもずっとずっと気持ちを抑えてきた相手である。
もっと近づきたい、と思うのは自然な事ではないか?

ただ、ネイチェルには一抹の不安があった。
(何もしなくていいい、ただ、こうして一緒にいてくれ、ネイチェル)
……何もしなくていい…。まさか、そういう意味?
考えてみれば、彼はあれだけはっきりと、誰とも契らない、子供を作らない、と宣言していた。
……つまり、このまま清い関係のままで、私は彼の側にいる、という事?聖女として?
それって拷問じゃないの?

彼女は自嘲した。
いやだわ、これがまかりなりにも、月光という異名まで貰った、もと天空代理司(てんくうだいりし)の台詞かしら。
精神的には禁忌を犯したから、もう自分は聖職者には戻れない。なのに体は清らかなまま?
……何だか自分が恥ずかしくなってきた。
自分だけが彼の全てを求めているみたいで、まるで発情期のメスみたいで…。


ということで、彼女は心の底では日々、悶々とした生活を送っていたのだ。
それでも一向にアマトの自分への態度は変わらない。彼女の溜息はどんどん増えていった。
いつかはこの事について、じっくり話し合わなくちゃ…。
そう思いながらも、お互い忙しい毎日のため、なかなかそういう機会がなく、時間は過ぎていった。

アマトはかなり体力も戻り、体のリハビリを始めていた。
もうそろそろ、外にも出て、働く事もできるだろう。
アマトが働きたい、といった時、あの事件から共について来ていた、ハル以下の5人の従者達は、口を揃えて反対した。
他の従者には申し訳なかったが、アマトを死んだ事にしたため、連絡も出来ず、とにかく島に同行できた5人のみが、彼に付き添う事にしたのだ。その内のひとりはキイの世話のために今セドに行っている、使用人の娘だ。彼女はハルの姪でもあった。

「アマト様は外に出ない方がよろしいのでは?もし、知っている者に気づかれたら…」
「今まで私がセドから出たのは数えるくらいしかないよ。他所の土地では私の顔を知ってる者はいないだろう。もし、心配なら髭でも生やすかな」
と、笑って皆に言った。
「…もうこれ以上、皆に迷惑かけれないよ。…アマト=セドナダは死んだんだろ?
私はライだ。かえってその方が、変にこそこそしているより、よっぽど良くないか?」

ネイチェルはアマトとの時間がほとんどないままにセドに滞在していた。
ハルの姪、ナミとは一週間ごとに交代している。
そして、今、彼女はセドの城から少し離れた屋敷で、術者達と共にキイの面倒を見ていた。
キイは離乳も完全にでき、最近つかまり立ちし始めていた。
術者たちの日々努力と研究のお陰で、キイの負担は少しずつ軽くなっているように見えた。
だが、いきなり来る“気”の放流は相変わらずで、その度キイは不安定になるのだ。
一同は毎日どうしたらいいか、思い悩んでいた。
……そしてもう一つ、気になる事があった。
それはキイの感情だった。


「喜怒哀楽が…ない?」
アマトは帰ってきたネイチェルから告白されて驚いた。
「…前から…何かおかしいとは思っていたの。
例の症状になる時だけは、大騒ぎして泣き喚くのだけど、…普段は、何も反応しないので変だなって…。
生まれてからずっと…キイ様が笑った顔を見たことがない。私達の姿すら、見えてない感じで、もしかして本当に目が見えないのか、耳が聞こえないのか…ずっと疑っていたの…。でも」
ネイチェルは俯いた。
「ずっと今まで観察して、診察して、最近やっとわかったの。…キイ様に感情、というものがないのよ」
アマトはその事実に愕然とした。
「私達だけでない、キイ様はこの世界すら見えてない…いいえ、興味がないみたい…。ただ、生物的に生きているってだけで、本当の意味で生きていない…。ただ…」
「ただ?」
「姉(あね)様がキイ様に贈った、あの【巫女の虹玉】にだけ反応するの。まるで会話をしているかのように…」
二人に辛い沈黙が訪れた。
キイはもしかしたら、この世界に生まれた事を拒否しているのではないだろうか?
やはりあの子は天から無理やり呼んでしまった子で、本人は天に帰りたいのではないか?
そのアマト達の不安は、キイが物心つくであろう年齢になって、的中してしまう事になってしまう。
だが、今はもう少し様子をみようと、見守ろうと二人は話し合った。成長には個人差があるもの。もしかしたら発達が遅いだけかもしれない…と。

「で、君はどのくらいここにいるの」
アマトは最後に彼女に聞いた。
「一週間よ。いつもの事じゃない、どうしたの?」
ネイチェルはちょっと期待して答えた。
もしかしたら彼は自分とずっと一緒にいたいと思ってくれてる?

「そうか…。ラムウが他国に偵察兼ねて、一ヶ月間、他の豪族の護衛に行くんだ。その間、職でも探しに行こうと思ってるんだ。…何せラムウの奴、私が働きに出るのをすごく反対していて…」
「で?それが私と、何の関係があるの?」
ネイチェルの冷たい声に、アマトは不思議そうな顔をした。
「いや…その、君のいる一週間、私は家を度々空けなくてはならないから…。また会えなくなるかと」
「ふうん、そう」
ネイチェルは不機嫌になって、アマトの側を離れた。
アマトは彼女の様子に慌てて、急いで話を続けた。
「だから、さ、久しぶりに明日、私が出かける前に、二人であの場所に散歩がてら行かないかな、と思って」
「あの場所?」
ネイチェルは、アマトがリハビリを兼ねて散歩につきあった時の事を思い出していた。
その時偶然見つけた、美しい場所。
人が誰も訪れた事がなさそうな、そんなに大きくもないが綺麗な泉が湧いていて、それを取り囲むように、木々が茂っている。泉の周りには、まるで絨毯のような短くて柔らかな草が敷き詰められていた。
その場所だけ、まるでおとぎの国の妖精が存在しているような、不思議な空気が流れていた。
二人はその場所が一目で気に入った。そしてここを二人だけの秘密にしよう、と約束した。
あの秘密の場所…。
ネイチェルは少し心が動いたが、彼が取ってつけたように言った気がしたのと、落胆と疲れもあって、もうどうでもよくなっていた。
「無理に気を遣わなくていいわよ。…それに私疲れてるし、明日は遅くまで寝かせてもらうから。
どうぞ好きに家を空けてくださいな。私は全然構わないわ」
と言い放つと、いつものキスを待たずに、彼女は彼の部屋を出た。


翌朝、ラムウはひと月も家を空けるので、全員に挨拶をしていた。
アマトは遠くから姿を現したネイチェルをちらりと見た。
(…昨夜、今日は遅くまで寝てるって言ったのに…)

アマトは彼女が最近、不機嫌なのを察していた。
自分が何か悪い事でもしたのだろうか?
それを考えると、本当は何も手につかないのだが、何となく彼は二人の会話が少ないせいだと思った。
ちゃんと時間を作った方がいいよな…。
それはアマトも感じていた。
でも仕方ないじゃないか。キイの件で感謝はしているが、自分の心配を押し切ってセドに行ってしまったのは、他ならぬ彼女じゃないか…。本当は自分だって彼女とたくさん話したいのだ。
時間がまたなくなると思ったが、やはり仕事も見つけたかった。今のままでは本当に自分は不甲斐ない。
すれ違いが多くなっているのは、自分だってわかっていた。
アマトは溜息をついた。
27年間も生きてきて、自分を見失うほどひとりの女性を好きになった事がなかった。
今まで淡い想いを持った人もいたし、ちゃんと恋愛経験してきたとも思っていた。
だが……。彼女の前では、どうも情けない男になってしまうのだ。
どうしたらいいのか、全くわからない。しかもいつも的外れになってしまうようだ。

悶々としていたのは、アマトも同じだった。


「すまない、私がいない間、皆アマト様を頼む」
ラムウはそう言って朝早く出発した。
本音を言えば、彼の側を離れるのが不安だった。
でも大事なアマト様は傷の経過もよく、かなりお元気になられた。
それに諸国の思惑や内情も気になる。
ここで稼ぎながら色々探るのは都合がよかった。
まぁ、あの高潔な月光天司もいる事だ。アマト様に無理などさせないだろう。
ラムウはそう思いながら島を後にした。

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2010年4月11日 (日)

暁の明星 宵の流星 #66

セドの元第五王子は死の間際にいた。

セド王国より東南に抜け海岸を渡った小さな島に、ラムウ達は身を寄せていた。
そこは長年アマトの世話をしているハルの母方の故郷であった。

アマトが体に、特にわき腹に致命傷を受けて、もう2日。
ラムウは生きた心地がしないのと同時に、このような状況を許してしまった自分を責めていた。
そして寝ずに彼は神に祈り続けていた。

あの日、タカト達が何を考えているか、早く気が付けばよかった。
追放とされているはずのアマト様をわざわざ城まで呼び寄せた事に…。


セドの城に着いていきなり、お抱え術者のグループがやってきて、小さなキイを奪うようにアマトから取り上げた。
「その子の父親は私だ!いきなり取り上げるなんて、失礼ではないか!」
術者たちは青い顔して、アマトを見た。
その様子に不安を覚えたアマトは、眉をしかめた。
「申し訳ありません!アマト様!」
術者総括責任者の百蘭(びゃくらん)が慌てて叫びながら飛んできた。
「…百蘭、一体どうかしたのか、何かおかしいぞ」
「アマト様!キイ様は私どもにおまかせして、早く城からお出になってください!」
「どういうことだ…」
アマトが彼に詰め寄ろうとしたその時、背後からいきなり多勢から剣を突きつけられた。

ラムウはその時、元部下にたわいもない事で、城に入る手前呼び止められ、アマトの側に行くのが少し遅れた。
そのためにこのような状況を許してしまった。
今思えばそれも城内での策略だったのだろう。

「これは…何だ?」
アマトは唸った。
「見ての通りだよ、セド王国元第五王子アマト。よく戻って来てくれた」
タカト神王が暗い眼をしてアマトの前に現れた。
「私はお前の兄として、頼みたい事があってな」
「頼みたい…事?」
「なぁ、お前が大聖堂での温情により王位継承権剥奪および追放という事と、我々も子供の事があるから大目にみていたのだが、やはりお前には死んでもらう事にしたんだ」
「タカト!」
タカトは薄笑いを浮かべると、一応眉だけは寄せて困ったような顔をした。
「……大聖堂が、この件を調べているみたいなんだ…。本当の事がわかったら、ま、お前は死罪確実としていいとしても、このセドだって何かの責任取らなければならないだろう。それよりもお前と巫女の子供の存在が今知られたらもっとまずい。だからなぁ、アマト。この件が明らかにならないうちに、先にお前の首を送って謝罪した方が、大聖堂も変な勘繰りをやめてくれるかもしれんと思ってね。彼らの目をお前の処刑に向けさせるんだ」
「……それで私を…」
アマトは唇を噛んだ。頭にキイの顔が浮かんだ。
今死ぬわけにはいかない!
アマトが反抗的な顔をしているのに気づいたタカトは舌打ちした。
「アマト。お前が死んでくれれば、取りあえず収まるんだよ。…お前も妃から聞いて知っていたろう、兄弟達の死を」
アマトは息を吸い込んだ。
「…セド王国ではお前が神を冒涜した行為を行ったから…つまり姫巫女と駆け落ちしたから…神が大変お怒りになっていると国民が不安がっているんだよ。…王家の中でも…神の天罰だとか、呪いとか、皆恐れをなしてる。
実は…兄弟達の死もそうだが、我々にも不幸があってね…。ミカ妃が先日早期流産して、もう子供を持てない身体になってしまったんだ…」
タカトは本当に辛そうな顔をした。心底彼女を心配しているようだった。
(流産……?)
アマトはそれがあの時の子だと、直感でわかった。
そうか…流れてしまったのか…。
アマトの心は複雑だった。自分の意に沿わない不義の子だったとしても…多分私の子。可哀想な子…。
しかし心の片隅では、もうこれ以上辛いものを背負った子が、この地に降りず早々に天に帰ったのは良かったのかもしれない、とほっとした。ミカの事を考えると辛かったが。
「あれから彼女は乱心してしまって…床から出ようとしない…。私にも大事な二人目だった。……これも神の怒りかもしれない、と私は思ったのだよ。…だからさ、許しを請うにはお前の首が必要なんだよ、アマト。お前の息子の事は大事に育てる。だから安心して首をはねられてくれないか」

タカトの目に狂気の色が浮かんでいた。彼は本当に自分の首をはねるつもりだ。
アマトは腰の剣を構えようと身を動かそうとした。が、それをすぐに察知した兵士の一人がすぐにアマトを襲ってきた。
ザッ!!嫌な音がして彼は服もろとも上方から前を斬られた。
「くっ!!」
アマトはよろけた。その時騒ぎに気づいたラムウが突進してきた。
「アマト様!!」
剣に覚えのある味方達も、アマトを助けようと斬り込んで行った。
が、数十人以上の敵に、たった四人ほどではかなりの苦戦だった。
ラムウも元部下達に応戦しながらも、アマトの側に駆けつけた。
その時、敵がアマトめがけて剣を振った。咄嗟にラムウがアマトを庇う。
ぐさっという肉を切る嫌な音がしてラムウの腕に貫通した。
「!!」
「ラムウ!」
その一瞬の隙をついて、他の敵がアマトのわき腹に剣をつき立てた。
「ぐっ…!」
真っ赤な血が噴出した。
ラムウは蒼白になった。「アマト様!!」
他の味方は早々に皆斬られてしまっていた。ラムウはもうここから撤退する事しか頭になかった。
彼は痛みのある腕にかまわず、アマトを抱えると、その場から開いている窓の方に向かった。
ここは城の一階部分だが、高台に建てられているため、裏手は崖になっていて、下には堀がある。
ラムウは敵をなぎ払いながら、窓からアマトと共に堀の水に飛び込んだ。
「くそ!」
兵士達は二人を追おうと窓の下を覗き込んだ。
かなりの高さがある。
「神王様!」
「もうよい。…この高さ、あの傷の深さ、かなりの出血であろう。もう助かるまい」
廊下に残った血糊を見ながら、タカトは面倒臭そうに呟いた。
「…ですが、大聖堂には…」
「うん。あいつの従者の遺体でも切り刻んで、アマトを処刑した証として送りつけてやれ。
偽者かどうかなんて、わかりゃしないさ」
タカトは本当に恐ろしかったのだ。神の呪いで、そのうち自分も罰を受けるかもしれない、と。
流れてしまった我が子のように…。
彼は自分が思ったよりも妃に入れ込んでいたらしい。二人目ができた事が、大変嬉しかった。
だが彼女が流産し、乱心し、毎日泣き崩れて弱っていくのに、自分は辛くて怖くて仕方なかった。
だからこそアマトを神に差し出そうと考えたのだ。大聖堂の件も追い討ちをかけていた。
タカトはアマトがこの世にいなくなればそれでよかった。

かなり重傷を負ったアマト様に無茶をさせてしまった…。城からかなり外側の堀から、必死の思いで這い上がったラムは人がいないのを確認すると、すぐアマトに止血した。
血の気のない顔を見てラムウは体が震えて仕方なかった。
…とにかくここから出なくては…。
アマトの傷は見るからにひどい。即死でもおかしくなさそうだった。
それでもまだ息のあるアマトを抱え、自分も深手を負いながら、ラムウはセド国境にいた仲間達と合流し、逃げるようにこの島に来たのだ。

結局キイ様はセドに取られてしまった。

アマト様は今、生と死の狭間にいる。

もう少し、自分が早ければ…。ラムウは苦悶した。
あの時と同じ、自分はまた王子の一大事に間に合わなかったのだ。それが彼を追い詰めていた。
「神よ、罰するのならこのわたくしを!どうか、どうか…私からアマト様を奪わないでください…」
悲痛なラムウの祈りの言葉はずっと彼の近くで響いていた。


船上でそのいきさつを知ったネイチェルは、全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
心配したハルが彼女を支えようと手を伸ばした。
「だ、大丈夫よ…ハル。…で、今アマトの容態はどうなの?」
彼女は震える声で聞いた。
「…意識も戻っておりません…。それが熱も出てきまして…。医術に詳しい貴女様なら、アマト様を助けていただけるのではないかと……」
「ええ、ええもちろんよ!」

彼女は無意識に祈っていた。
それは神以上に、天そのものに直接請うかのように。

(天よ!命全てを見守る宇宙(あま)よ!
どうか間に合いますように。あの人を失いませんように。
……あの人を…私からどうか奪わないで…)

アマトは生死の境を彷徨っていた。
これは夢かそれとも現実なのか、今自分がどこにいるのか、彼はわからなかった。
確かに体に激しい痛みと熱い衝撃を受けた…のは覚えている。
そして今はぐるぐると、子供の頃からの映像が自分の周りを回っている。
初めてラムウに出会って、剣を教えてもらった事とか、母が悲しげな顔をして自分を抱きしめ、城を出て行った事とか、初恋の女の子と初めて口付けを交わした事とか…。それらが走馬灯のように駆け抜けて、まるで今までの自分の人生を見せられているようだった。

私は黄泉の国に行くのか…。

アマトは思った。
そうか、神は私に罰をお与えになったのだな…。
何故か素直に納得している自分がいた。
あれだけの大罪…。神がお許しにならないのは分かっていた事だった。
気が付くと、ふらふらと不思議な黄金色の空間を自分は漂っていた。
目前に何やら光が見えている。

あれは何だろう…?
何故か懐かしい気持ちになって、その光に向かって手を伸ばそうとした。
(だめよ)
その時鈴の音のような声がして、アマトは誰かに手を掴まれた。
振り向くとそこにはラスターベルが自分の側に立っていた。
(ラスターベル?)
気が付くと、そこは一面の花畑だった。
赤、青、黄色、白、…桃色…紫。この世のあらゆる花という花が咲き乱れているかのような、何とも美しい世界。
まるで…昔話に聞いたような、天の奥にあるという神界の世界。
彼女はそこで、神々しい女神のように佇んでいた。
アマトは切ない気持ちになった。

(ラスターベル…。君は天界に行けたんだね?私が君に禁忌を犯させてしまって…とても心苦しかったんだ。君はここにいるんだね?)
アマトはずっと彼女に対して罪悪感を持っていたのだ。
(…ああ、やはり私は罰を受けたんだね…。でも、これでよかったのかもしれない。君にこうして会えた。会えてやっと君に謝る事ができた。本当に君にあんなひどい事をして、ごめん…)
アマトは彼女の前で頭を下げた。どうしても自分がした事を許せなかった。
あの時の自分の浅はかさを、彼はずっと悔やんでいた。
(いやだわ…。私は謝ってほしくないわ、アマト…)
ラスターベルはそう言って、彼の両手を取った。
(え…?)
(貴方に謝られたら、私とキイの存在を否定されてしまう事になるわ。
だから、お願い。自分を責めないで…。
お互い辛かったけど…。これも運命だったのよ…。
貴方には言わなかったけど、私、キイを授かり、キイを産んだ事は後悔していないの…。
…だから…貴方とこうなった事も、私は後悔していないのよ。
ただ、ひとつ後悔しているといえば、貴方達の側に生きて存在できなかった事くらいかしらね)
そう言って彼女は優しく微笑んだ。
(ラスターベル…)
彼女は何て優しいのだろう。これが自分の都合のよい夢だとしても、アマトに温かな気持ちが広がっていくのを感じた。
生前彼女は、巫女の能力と共に、癒しの能力を持つ光の聖女として、大聖堂に存在していたのを思い出した。この穢れない女性が、天に召され、天界に住まうのは当たり前なのだ。…いくらこの卑しい自分が穢したとしても。彼女には何の意味などないのかもしれない。
(貴方って…。本当に自分を卑下しやすいんだから…。
もっと強く生きて欲しいのよ、私。
貴方にはまだまだやってもらわなきゃならない事があるんですから。
天が許すまで、貴方は今の自分の生を全うしなければならない努めがあるのよ)
彼女には自分の考えている事がわかってしまうのだろうか?
アマトは不思議な気持ちで彼女をみつめた。
(だから、ね。貴方はここにはまだ来てはいけないの。
まだ課題が残っているのよ。大きな課題)
アマトには彼女の言っている事がわからなかった。
きょとんとしていると、彼女は自分の手を再び力強く握った。
(ほら、よく自分の中の声を聞いて!まだここへは来てはいけない理由がわかるわ。
辛くても、厳しくても、…苦しくても。貴方は戻らなくてはいけないの。
貴方を必要としている人の声、聞こえてる?ほら、貴方の大切な人の…)

アマトは繋がれた手が、熱を帯びてくるのに驚いた。
まるで本当に誰かに手を掴まれているようだ。
彼は心を澄ました。
もうラスターベルの姿はなかったが、彼の手のぬくもりはどんどんリアルになっていく。


(帰ってきて)

聞き覚えのある声。

(お願い、私の元に帰ってきて!)

突然聞こえたその声に、アマトは狂おしい衝動に駆られた。

(ネイチェル!!)

そうだ、忘れられるわけがない、私の大切な人。

何故自分はこうも彼女に惹かれてしまうのだろう。
まるで磁石のように、彼女に吸い寄せられてしまうのは、どうしてなのか。
彼女の気持ちはよくわからないが、何となく、彼女も自分と同じなのではないかと、自惚れてしまう事もあった。
彼女を思うとどうしようもなくなる。自分が自分でなくなる。
誰かに聞いた事がある…。人の間には見えない絆がいくつもあって、その中でどうしても引き合い、ひとつにならなければならない強い存在があるのだと。魂の片割れ、もう一人の自分…?何かそんな難しい事を誰か言っていたような気がする。
……ああ、あれは母上だ…。子供心に夢見がちな事を言うなぁ、と思ってた。
運命を感じる人…。このような立場の母でも、その夢は捨ててなかったみたいだ。
その時、父上はどうなの?と聞いたら、小さく笑って困ったような顔をしていた。…今の夫は彼女の運命の人なのだろうか。彼女が幸せなら、きっとそうなのだろう。

アマトは段々強くなっていく手の感触に、引っ張られる感覚を覚えた。
それはぐいぐいと下の方に向かっていく。

(アマト!)
彼女の悲痛な声が耳にこだまする。


戻りたい!


アマトは痛切に思った。彼女の元に戻りたい。
だって、だってまだ伝えていない。
自分のこの気持ちを…。

禁忌がなんだ?罪悪がどんなものだ?

この気持ちを罪というのなら、私は甘んじて受けよう。

そして戻ったらこの手で彼女を抱きしめて……。


「アマト!!」
ネイチェルは彼が目を開けた事に安堵した。
自分はこの何日か、ずっと寝ないで彼の側で看病していた。
自分で処方した薬を、セドの百蘭に内緒でお願いして作ってもらい、傷を消毒し、汗を拭き、熱を下げる諸々の努力をし、それ以外ではずっと彼の手を握って、彼の名を呼び続けた。
彼に戻って来て欲しかった。

彼女もまた、自分の気持ちを彼に伝えていない事に、もの凄い後悔を感じていた。

彼が目を開けたら、今度こそ自分に正直になろう…。
どんな風に思われてもいい、彼の側をもう自分は離れる事はできない。
この気持ちをわかってもらおう。それが禁忌というなら、それでもかまわない。
自分は彼の方が大切なのだ。


二人は万感な思いで、お互い目を合わせた。
アマトはネイチェルの涙を見て、彼女の元に帰って来れた事を、天に感謝した。

「ネイチェル…」
かすれた声でアマトは呟いた。
「アマト…!ああ、よかった!本当によかった…。意識が戻って…本当に…」
これで峠は越した。まだ安心はできないけど、取り合えず彼は戻って来てくれた。
「私は…」
彼の声は苦しげだ。
「アマト?だめよ、まだ喋っては…」
意識は戻っても、彼はまだ少し朦朧としている。
余計な体力を使わせたくない。
だが、彼は彼女が握ってくれている手を弱々しく握り返した。
「ネイチェル…私は…君が好きだ…」
そうやっと呟くと、そのまま再び目を閉じてしまった。

ネイチェルは固まった。
聞き間違えじゃない…わよね?
熱に浮かされての戯言じゃないわよね?

呆然としながら、彼女は彼の寝顔から目が離せなかった。

窓から神々しい朝の光が差し込んできた。
ネイチェルはたまらなくなって、彼の手にそっと唇を寄せた。

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2010年4月 9日 (金)

暁の明星 宵の流星 #65

一年半ぶりのオーンは相変わらずこの世の楽園のようだった。
ラスターベルが愛でた、色とりどりの花が咲く庭もそのままだった。
彼女はひとり、その巫女が住まう神殿の庭先に佇んでいた。
潮風が眼下に見える海岸より上がってくる。
彼女はその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「…月光天司!!」
彼女の姿を認めたサーディオ聖剛天司(せいごうてんし)が、大股で丘を登ってきた。
「…聖剛天司様」
久しぶりの再会だった。
まだ若くて精悍なサ-ディオは、緩やかなくせのついた、肩までの金が混じった亜麻色の髪を揺らし、灰がかった群青色の瞳を煌きながら彼女の前に現れた。顔立ちはさすが大陸一美しい、と言われた元姫巫女の弟君だけあって、彼女に面差しが似て、まるで大聖堂の彫刻から抜け出たように麗しかった。まさしく神の申し子、神の化身と賞された人物だった。もちろん、姿だけでなく、高潔で勇ましく、また頭脳明晰で小さい時から神童とまで言われたくらいの優秀さも、持ち合わせていた。文字通り、非のない人物。それがサーディオ聖剛天司である。

「様、はよしてください、師匠。いつものようにサーディオとお呼び下さい」
「貴方こそ、師匠はやめて。もう私よりお強いんですから」
ネイチェルは困ったように笑った。
何せ彼は、聖職者にして初めて、自ら聖天風来寺に修業を志願し、一発で合格を貰った男である。
五年という短い間で、他の者が十年もかかる修業を見事にこなし、三年前、大聖堂に戻ってきたのだ。
その経歴がかなりきいたようで、その一年後、若き聖剛天司が誕生したのである。
「貴女は私の生涯の師匠ですよ、月光天司……。ああ、でも本当にお元気そうでよかった」
彼の心配は、オーンの手紙と共に送られた、カードが物語っていた。

〈心より、貴女様の無事を神に祈っております…〉

それだけで、ネイチェルは彼の辛い気持ちがわかった。
だが、今は真実を話したくなかった。サーディオが真実を知ったら、きっと怒り狂い、悲しみの底に叩き潰されてしまうかもしれない。あれだけ姉思いで、敬愛し、大切に巫女の神聖を守ろうとした彼が…。あの事を知ってしまったら。
聖職者であれ、彼は地獄に突き落とされてしまうだろう。

だから…。彼にも皆にも、自分は本当の事を告げられなかった。
神に懺悔をするならば、自分が姉(あね)様を守れなかった事だけだ。
聖職者が嘘を……。
ネイチェルは力なく心の中で笑った。
もういいの。私は聖職者失格だから。……神以外の対象を愛してしまったから。
ここに戻ってもう3日。彼女は毎日自分自身と向き合い、問いかけを続けていたのだ。

(心の目を閉じてはダメよ。自分の気持ちに素直に生きなさい。迷った時は自分自身にじっくりと聞くの)

姉(あね)様のあの時の言葉がずっと自分の中でぐるぐると回っていた。

(……何故ならその答えは、すでに貴女の中にあるものだからよ)

そして…やっと先程、自分の答えをみつけたのだ。

これから最高天司長様に申し出て、自分を破門、もしくは罪人にしてもらおう、と。
……このまま、この気持ちのまま、神に仕えるなんてできやしない。
現在は宗教戦争前とは違い、死罪、というのは余程の事がなければ、下る事がなくなった。
なので聖職者を辞めても、結局軽罪人というレッテルを貼られ、追放されてしまうが、死する事はない。
……ただし、やはり神の巫女を略奪、しかも陵辱して子を産ませたというのは、死罪中の死罪である。
今ははっきりした事が不明であるという事と、同意の上の駆け落ちと位置づけされ、しかも相手がセド王家直系、ときているからこの程度で罪状はすんでいるが、もし、もし真実が明るみになったとしたら……アマトが死罪になるのは、完全に避ける事ができない…。
ネイチェルはそれだけは絶対にさせたくなかった。だから子供の事も、真実も、口を閉ざした。

……ただ自分の場合、聖職者を辞める理由が、神以外の対象に走ったという事により、通常の罪よりはかなり重いのは覚悟しなければならない。一生、汚らわしい人間として、世間で後ろ指を指されるのを覚悟しなければならない。
だからもし、聖職者を辞めて、普通に結婚したくても、正規の結婚すらできないのだ。

「お顔の色が優れませんね、月光天司。色々貴女も大変だったでしょう…。
姉の事は、本当に世話になりました。礼を言います…」
サーディオは彼女を気遣って、優しく言った。
「…いいえ。サーディオ様には、辛い思いをさせてしまいましたわ」
彼は哀しい目をすると、眼下に広がる海を見渡した。
「月光天司。姉は…本当に幸せだったのでしょうか?……私はどうしても信じられないのです。
あの、恋も知らないような、童女のようだった姉が…。たった一度会っただけの男と、駆け落ちするとは」
サーディオは、事実、信じていなかった。絶対に何か裏があると睨んでいた。
だからネイチェルが戻ってくるのを、ずっと待ち望んでいたのだ。
自分が密かに送っている調査の者も、かなりてこずってるようだったし、彼女が帰ってきてくれれば、本当の事がわかると思っていた。しかし……。
「サーディオ様、貴方は恋、という物をわかっておられませんね。…まぁ、聖職者にはいらない感情ですが…」
ネイチェルは力なく微笑んだ。
「目と目が合って…。そのまま好き合う事なんて世の中には沢山あるのですよ。よく言うではありませんか、恋は頭ではなく…心でするもの。いいえ、する、のではないですね。落ちるものなのですよ。ストン、と恋に落ちる…」
彼女は自分が初めてアマトと目が合った時の感覚を思い出していた。
「これは理屈ではありません。…不思議ですよね。どうしてそういう相手がいるのか」
彼女のまるで呟きのような言葉に、サーディオは眉を寄せた。
「…私は…それでも相手の男が許せません…。いくら何でも、聖職者であり、しかもその上を行く巫女であった姉を、結局は穢し、自分の物とした。大聖堂は許しても、私は絶対に許せない…。
だから、奴が処刑された、と聞いて、私は聖職者であるにも拘らず、安堵しましたよ…」
ネイチェルの時間が止まった。
「…それでも、死んだ姉は戻りませんが…。死を持って償い、姉に謝って欲しかったから…なおさら…」
「サーディオ?」
どこから声が出てるのか、自分でもわからなかった。
「は、はい?」
ネイチェルの様子が変な事に、彼はやっと気づいた。
「今、何て言いました?」
「…だから…。死を持って償い…」
「いいえ、その前よ。…奴が…処刑されたって…」
ああ、言葉にも出したくない。どうか、自分の聞き間違えであって欲しい。
だが、サ-ディオの返事は冷たく彼女を奈落の底に突き落としたのだ。

「…先程、セド王国から連絡と、遺品が届いたんですよ。
元セド第五王子、アマト=セドナダを、王国自身で死罪とし、処刑したと。
その証拠にと、彼の遺髪と…本人の指を送ってきました。
これで、セド王国を許して欲しい、と。
…遺物なんて!まったく、あの国もそこまでしなくてもよいのに……」

ネイチェルはその後、何をどうしたか記憶になかった。
ただ、彼女は一目散に、大聖堂の最高天司長の部屋に駆け込んだのは…覚えていた…。

彼女は最高天司長の足元に蹲ると、取り乱したように訴えた。

「最高天司長様!!どうかわたくしをたった今より、オーンから追放してください!!
月光の異名も剥奪して下さい!!
私は罪深き人間……。
崇高な聖職者の資格はない!
お願いします!
わたくしを罰して!罰して私をただの人間にしてください!!」

突然の彼女の乱心ぶりに皆驚いたが、それもこれも、姫巫女に対する罪悪感で耐え切れなくなったからだ、と思った。とにかく、ネイチェルは帰ってきてから、姫巫女を守れなかった事をずっと懺悔していたからだ。

最高天司長は、突っ伏して泣きじゃくる彼女に、優しくこう諭した。
「月光天司よ。自分を責めてはいけません…。
貴女はよく姫巫女に仕えられた。
きっと姫巫女も天界にまでは行けないにしろ、中界で感謝しておる事だろう。
……それに、大聖堂は簡単に人を罰する事は出来ませんよ。
貴女はここに来る時に、神とお約束なされた。それが全てです。
罪と成すのは、罰を与えるのは、全て神。
貴女が神との契約を破棄し、罪人となりたいというのなら、貴女は大聖堂ではなく、神から罰をお受けなさい。
その覚悟がおありなら、ここを出て構いませんよ」


彼女はとにかく早くこうするべきだった、と激しく悔やんだ。
そう、彼は大罪人。いつこうなってもおかしくなかった。
だったらもっと早くにただの女になって、何故自分は彼の側にいなかったのか。
ネイチェルは次の瞬間、とにかく遺物の置いてある小聖堂の方に向かった。
そこは死した者を分け隔てなく弔う場所で、必ず遺体などを置く場所だった。
彼女はそこに入るなり、冥福を祈っていた自分の同僚に詰め寄った。
「お願い、天司!セドの王子の遺品を見せて頂戴!!」
同僚は驚いたが、彼女の剣幕に押され、おずおずとそれを見せてくれた。
それは黒い髪の束、と、指が何本か木の箱に丁寧に収まっていた。
彼女はそれを見て、激しい衝動が湧き起こるのを感じた。

(違う!)

彼女はその箱に入っていた白い指を一目見て思った。
直感だった。もちろん確かな事は、これだけの遺体の一部じゃわからなかったが、彼女はこれが彼の指に思えなかった。……あの、形のよい、白くて長くて…。

(行かなくては!)
ネイチェルは自分の目で彼の生死を確かめたかった。
とにかく自分は彼がこの世にいなくなったのが信じられないでいた。
気が付くと簡単に身支度をし、オーンの紋章を部屋に置き、勢いよく港町に向かっていた。


ネイチェルが突然乱心し、つい先程紋章を置いてここを出て行った事を知ったサーディオは凍りついた。
彼女が自分の話を聞いておかしくなったのは明白だったからだ。
あの話を聞いた後、彼女は心あらずして、ふらふらと去って行った。
(月光天司…?どうか、されましたか?)
(いえ…。何でも…何でもありません…)
か細くそう答えた彼女の様子に、サーディオは不安になった。だからこうして彼女を追ってきたのだった。
だがまさか、最高天司長様の元に行ったとは思わなかった。
だから今大聖堂で、彼女の話を他の人間から聞いたのだった。
「で、何故それをお止めにならなかった!天司は普通じゃなかった!」
「え、ええ…お止めしようと何人かお声をかけたのですが…。月光天司はまるで何も聞こえてないようで…。あっという間に出て行かれたのです」

サーディオは唇を噛んだ。
「今すぐ彼女を追う。ネイチェル天司は罪人になるつもりだ。それだけは避けたい!」
自分が少年の頃から、尊敬し、慕っていた…年上の女性。いつも高潔で博識で心が広くて…。
憧れだった。自分もそのような聖職者になって彼女に認められるのが目標だった。
その自分にとって聖女に等しい彼女が、神を捨て罪人になろうとするのを、誰が黙って見ていられようか。
サーディオは嫌な予感を感じながら彼女の後を追った。
(ネイチェル天司は…まさか、禁忌を犯すおつもりなのでは…)
それは勘のいい、彼の直感だった。彼女がおかしくなったのは、あのセドの王子の名が出てからだ。
相手がこの世にいないにしろ、もし神でなくひとりの男に身を捧ぐのは、神への裏切り。許されない。
しかもその相手が自分の姉を奪い、通じた男なら尚の事。
サーディオは着の身着のままで大聖堂を後にした。


その少し前、ネイチェルは最終便の船に乗ろうと、波止場にやって来ていた。
何とかその最終便に乗り込みたかった。
彼女は逸る気持ちを抑えつつ、料金売り場に急いだ。
そこで恰幅のいい、初老の男が何やら係員と揉めているのに遭遇した。

「お願いします!!大聖堂に今から行きたいんです!どうか、馬車を出してもらえませんか!?」
「お客さん、困るよ。もう終わったんだよ、大聖堂行きは。それに何の用事があるかわからないけど、今行っても入れてくれないと思うよ」
「会いたい人がいるんです!どうしても!急いでいるんです!」
それでも初老の男は食い下がった。
「よわったなぁ…」
ネイチェルは足が止まった。この声…聞き覚えが…って、間違いないわ!
「ハル!?」
「ああ!ネイチェル様!!」
あの恰幅のいい、人の良さ気な口髭をたくわえた顔。忘れるはずない。
アマトを小さい頃から面倒見てきた人だ。
「な、何で貴方ここに…」
「ああ!!よかった!!お会いしたかったんです、ネイチェル様!」
ハルは涙目で彼女の腕を掴んだ。
その様子で、彼が何かを伝えに自分の所へ来たという事を悟った。もちろんそれは決まっている。
「ハル!時間がないの!とにかく一緒に最終の船に乗ってくれる?話は船の中で聞くわ」


サーディオが波止場にようやくたどり着いた時、すでに最終の船が出た後だった。
彼は自力で船を出そうとしたが、この時間では出せない、と言われてしまった。
とにかく朝になるまで足止めを食らった感じだ。
しかも自分は聖剛天司の立場。簡単に持ち場を離れる事はできない。
彼は夕闇に揺らぐ暗い海を見つめながら、ぽつりと人の名を呟いた。
「クラレンス」
サーディオの背後に影が現れた。
「クラレンス、いるんだろう?そこに」
「はい、聖剛天司殿」
うやうやしく彼に礼をしながら若い男が口を開いた。
「お前には申し訳ないが、引き続き調査をしてくれ。もちろん…姉君の件もそうだが、月光天司様の行方も追って欲しい。有能なお前にしか頼めないのだ、銀翼(ぎんよく)天司」
クラレンス銀翼天司は再びお辞儀をすると、闇の中に消えて行った。

そして船上で、ネイチェルはアマトが今、死の淵にいる事を知った。


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2010年4月 8日 (木)

暁の明星 宵の流星 #64

「ほら!右が甘い!」
ラムウのよく通る声が丘にこだまする。
「まだまだ!!」
二人の剣士は今、熱い剣を交わしていた。
「噂に聞く月光天司、お主の腕はここまでか?」
「うるさいわね!ラムウ!その減らず口、叩いてやる!!」

対戦中は、セドの元将軍・ラムウと、月光天司ネイチェルだった。
二人は最近、こうして手合わせする事が多かった。
腕に覚えがあるネイチェルも、さすがに大男のラムウは手ごわかった。
……で、そんな二人の様子を、いつもアマトは見せつけられていて、何だかすごくつまらなかった。

何かネイチェルは、あんな悪態をラムウに言ってるくせに、やけに嬉しそうじゃないか?
ラムウだって、対戦中に相手に声をかけるなんて、……今までなかったじゃないか(自分以外)。
二人が手合わせに夢中になっているのは、アマトだけでなくても他の者にも一目瞭然だった。

アマトはいつものごとく、その二人の対戦を、近くの木の下に座ってぼーっと眺めていた。

何で私はこんな気持ちにならなければならない?
彼は面白くない自分の気持ちを分析しようとして…やめた。
きっとまた、いけない方に話がいってしまうだろう。
もう考えるのはよそう、と決めたではないか。

アマトはむすっとして、木の側から立ち上がり、自分の上着を手に取った。

東の国に、冬がそろそろ来ようとしていた。
肌寒い風がそれを告げにやって来る。
国を出て、東のとある土地に来て、アマトは自分の人生を考える。
自分が王家の直系でなく、普通の家に生まれていたら。
…そして彼女が、聖職者でなく普通の娘だったら…。
そうして普通に出会っていたのなら、こんな苦しい想いをしないですんだのだろうか。

ああ、いけない。また考えてしまった。
所詮は仮定の話。夢物語。現実はそんな甘いものではないのは身に染みている。
それに自分はこのような幸せを求めてはいけない人間なのだ。

アマトは夢中になっている二人を置いて、ふらりと子供部屋の方へと向かった。
子供の顔が見たくなったのだ。

ところが彼は子供部屋の前に来て、微かな異変に気がついた。
いつもキイを見てくれている使用人の娘がいない。
何やら嫌な予感がする。
アマトは青くなって子供部屋に急いだ。
「キイ!!」
 
アマトは目を疑った。

その使用人の娘が子供の寝台で倒れている。
しかもそこにはキイの姿がなかった。
「どうしたんだ!大丈夫か!」
抱き上げた途端、彼女が何者かに刺されている事に気がついた。それはアマトの手に生温かいものがべっとりとついた事が知らしめていた。「しっかりしろ!」
彼女は息も絶え絶えに、うっすらと目を開けた。
「……ああ、アマト様…」
「何があった!?キイは?あの子はどこだ!!」
彼女は震える声で言った。
「早く…。キイ様を助けて…。知らない男達が…キイ様を…」
彼女の傷を止血した後、アマトは蒼白となって、男達が去っていった方向に急いで向かった。

「キイ!キイ!」
アマトの只ならぬ様子に、買い物から戻った従者のハルが驚いた。
「アマト様!?どうかされ…」
「キイが何者かに連れ去られた!!」
「何ですと?!」
「私は後を追う!お前は皆に知らせてくれ!頼む!ラムウにも伝えてくれ!!」
そう叫ぶとアマトは剣を持ち、森の奥へと走っていった。


満足げに荒い息を整えながら、二人の手合わせは終了した。
「なかなか、ですね。月光天司。ちょっと隙が多い気がしましたが」
「あら、貴方だって、まあまあよ。ちょっと単純な気がしたけれどね」
二人は顔を見合わせて、ニッと笑った。
ラムウはこの聖職者である女性に、尊敬の念を持っていた。
彼女が聖職者、というだけではなかった。
女性にしてはどっしりとして、なかなか肝が座っている。
しかも後を引かないさっぱりとした性格。
剣の腕も、女性にしてはかなり立つ。本音を言えば、我が君より強い。
……ま、当たり前か。
あの、聖剛天司(せいごうてんし)の剣の指導者だったのだから。

「あら…?アマトは?」
ネイチェルはいつの間にか、近くで観覧していたアマトの姿がないのに、やっと気が付いた。
「…どこに行かれたのか…。いつも終わるまで待っていらしたのに」
ラムウは何となく不安になった。
そこへハルが息を切らしながら丘を登ってきた。
「ラムウ様ーっ」
その只ならぬ様子に二人は顔をしかめた。
「どうした?ハル」
ラムウはハルを待たずして駆け寄った。
「…き、キイ様が…!」
ネイチェルは背筋が凍った。
ハルは途切れ途切れの息で、懸命に話そうと必死だった。
「落ち着け!ハル!!キイ様がどうしたのだ!」
「キイ様が何者かに連れ去られました!!ア、アマト様が今、懸命に追って、森に…」
二人の顔色が変わった。
「森ね!?」
ネイチェルは脱兎のごとく森に向かって走り出した。
もちろんラムウも彼女と共に、森に走る。

頼む。間に合って…!

二人はキイを救うため、一心不乱にアマトの後を追った。


黒い衣服の男達が3人、布で包んだ小さな物体を抱えながら、森の中を急いでいた。
その布の包みから、小さな赤ん坊の頭髪が覗いていた。
「本当にこの赤ん坊が金になるのか?」
一人の男が言った。
「ああ、この子を無事、連れてくればかなりの額ははずむってよ」
赤ん坊を抱えている男が答えた。
「確かこの赤ん坊、…気味悪いらしいですぜ。実は乳母をしている女が、知人の嫁なんだが、…変な力があるとかで…。結構村では噂になってるんですよ、悪魔の子じゃないかってね…」
「悪魔の子?…どちらかというと…天子のように綺麗な子じゃないか。俺はこの子の親に恨みでもある人間が仕組んだ事だと思うんだが」
そう言って、ちらりと赤ん坊の整った顔を男は見た。
本当に愛くるしく、美しい赤ん坊だ。ここまで綺麗な赤子を見るのは初めてだった。
それが悪魔の力を持つ…?俄かに信じられない話である。
「ま、邪魔する者は容赦なく片付けろ、とまで言われているんだ。そうだとしても、俺達はきちんと報酬を貰えれば、それでいい。関係ないさ」


アマトは気が狂いそうだった。
キイ!可愛い私の息子!!
一体誰が息子をさらっていったのだ。
アマトは声の限り、森の中で彼を呼んだ。
「キイ!!」

その時、ぐっすりと眠っていたはずの赤ん坊がむずがリ始めた。
「しっ!静かにしろ!」
男は小声で言いながら、赤ん坊の口を塞ごうとした。

だが、その時、もの凄い地響きと共に、彼らの周囲がざわめき始めた。

「あ…ああ、ん…。ああーん…、あーん」
まるで遠吠えのような、身が切られるような悲痛な泣き声だった。
「な、何だ!?」
赤ん坊の泣き声は、段々と大きく、激しくなっていく。
それと共に、周囲もつられて空気がどよめいていく。
男達は慄いた。
それは初めて経験する、恐れ、だった。
正体の知れない大きな力に対する恐怖、だった。
それがこの小さな赤ん坊から発する、得体の知れないものだというのは明白だった。
赤ん坊の泣き声に呼応するように周囲の木々はまるで踊るように揺らぎ、地面からはずっと地鳴りが湧き起こっている。そしてその赤ん坊からは、白くて細かい、発光体のようなものが次々と現れては消えていく。
まるでその子の周りから白い光の粒子が生まれ、それらは集まり、蒸気のように上に昇り消滅していくように。

「ひ、ひいい!!」
恐怖で我を忘れた男達は、赤ん坊を投げ捨て、殺そうとした。
その時キイの力に気が付き、急いで駆けつけたアマトが躍り出た。
「息子に何をする!!」
アマトは必死に、男が投げ出そうとする赤ん坊をひったくった。
「あああーん、あーん」
キイは益々けたたましく泣き喚く。その度に木々は狂ったようにざわめく。
アマトは無事に自分の腕に戻ってきた我が子にほっとしながらも、男達が恐怖の眼差しでこちらを見ているのに気が付いた。
「お前達は何者なんだ!!何故息子を狙う!!」
だが、アマトの声は男達には届かない。泣き続けているキイの現象が収まらないせいで、男達の恐怖も最高に達し、それを忌み嫌う衝動に支配されていったのだ。
「あ、悪魔の子!」
アマトはびくっとした。
「やはり噂は本当だ!!この赤ん坊は普通の子じゃない!悪魔の力を持っているぞ!!」
彼らの目は尋常な色ではない。恐怖の果てにある、狂気の色、だ。
「なんて恐ろしい……。金なんかどうでもいい…。この悪魔を消さなくては、俺たちが殺される……!!」
アマトの目が驚きで大きく開かれる。
「殺せ悪魔の子を!!」
男達は剣をぬらりと抜き、キイを抱きしめるアマトに向かって切りつけようとした。
アマトは片手でキイを抱きながら、何とか鞘から抜いた剣で、彼らの攻撃に応戦した。
が、多勢に無勢。しかも子供を抱えている。
思わぬところに木の根がせり出していたのに気が付かなかったアマトは、その根に足がひっかかりよろめいた。
その隙を察して男が剣を振りかざす。
間に合わない!咄嗟にアマトは、キイに被害が被らないように自分を前に押し出した。
アマトは自分が切られる事を覚悟した。
が、剣はアマトの肩をかすっただけだった。
「?!」

切り付けた男が、ゆっくりと崩れ落ちた。
その男の後ろから、ラムウの姿が浮かび上がった。
「ラムウ!!」
アマトは喜びの目で彼を見上げた。
「私のアマト様に剣を向ける者は誰とて容赦せん!」
「早くこちらへ!アマト!」
気が付けばもう一人の男を倒したネイチェルが自分に手を差し伸べていた。
「ああ、ネイチェル!」アマトは彼女の側に行こうと身体を起こし、走ろうとした時だった。
最後の男がアマトの右側から切りかかって来た。
「だめ!」
思わずネイチェルはその男の前に躍り出た。
「ネイチェル!」
彼女の背に、激痛が走った。
その痛みを奥歯で噛み締め、彼女は剣を男に振った。
彼女の剣は男のわき腹に入った。それでも襲おうとする男に、ラムウが駆けつけ、男の背中に止めを刺した。
「ネイチェル!血が…」
辺りがおさまった時、キイも疲れたのか落ち着いて泣き止んでいた。
アマトは青くなって彼女に駆けつけた。
「だ、大丈夫よ。こんなの…何でも…」
言葉の途中で彼女は意識を失った。思いの外、出血していたらしかった。


気が付くと、彼女は自分の部屋で目が覚めた。
ふと横を見ると寝台の枕元の近くに、アマトの思いつめた顔があった。
「…私…。もしかして、気を失ってたの?」
アマトはじっと彼女の顔を見たまま、何も答えない。
「い、いやだわ、私とした事が。やはりラムウの言ったとおり、私もまだまだね」
アマトの様子が変な事に、ネイチェルは気にしながらも、明るく言った。

「…ネイチェル」
やっとアマトは口を開いた。
「……な、なぁに?」
「君は…もう、大聖堂に戻った方がいい」
淡々と、そして静かに彼は言った。
「アマト…?どうして?
だって私大聖堂には元々、もう戻る予定ないし…。それよりもキイ様の世話だって」
「キイは気術専門の養育者に預ける事にした」
「気術専門の?」
アマトは溜息をついた。
「ああ。この村でもあの子の噂は悪い意味で広まっているし、やはり専門家に診てもらいながら育てた方が、彼のためだと思うんだ…。…セドからも、そう打診してきた」
「キイ様を」
アマトは彼女に、暗い目をしてこう告げた。
「だから、君はもう、ここに…我々のところにいる必要、ないんだよ」
その言葉は、ネイチェルに鋭く突き刺さった。
もう自分は用なしだ、と告げられたようで、いや実際そうなのかもしれないが、彼の口から聞くのは辛かった。
「それに…」
追い討ちをかけるようにアマトは続けた。
「これは何だい?月光天司。オーンから手紙が来ているなんて…。しかも戻れという話がきているなんて、君は何も言わなかったじゃないか」
そう彼は彼女に手紙の束を見せた。
「見たの?」
ネイチェルは驚きの目で彼を見上げた。
「見たも何も…。君の机の上に広がったままだったよ、手紙。嫌でも目に入るよ」
ネイチェルは唇を噛んだ。そういえば、読んでいる最中にキイ様の事で用事頼まれて、そのままだったっけ。…迂闊。
「でも、ほら。私はどうせ医療奉仕するつもりだったし、もう大聖堂には戻らないって返事…したのよ。だから…」
「ネイチェル」
アマトは溜息をついた。何か、怒っている感じだ。…どうして?
「ならば、その医療奉仕とやらに、もう行った方がいいじゃないか?」
「アマト…」
ネイチェルは泣きそうになったが、こんな感情になるのがおかしいのだ。
「そ、そうよね…。キイ様が…、ここを出られるのなら…私はいらないわよね…」
「……君を必要とする人間は…世の中には沢山いる…。もう、こんな大罪人がいる所に、いる理由がないだろう?」


ネイチェルは重い心のまま、 オーンに向かう船に乗っていた。

〈月光天司。此度は医術経験ある聖職者を集い、新たな機関を作ろうと思っています。是非、貴女様に大聖堂にお戻りいただき、お力をいただきたいと存じます……〉

彼女は、二つ先のの村で預かって貰っていた、大聖堂からの文書を手の中で握り締めた。
姫巫女の手紙を出した時、自分も大聖堂に手紙を出した。

自分は無事でいる事、巫女様を守れなかった事、彼女を自分自ら見取った事。
その贖罪のために、オーンに戻らぬ事。

場所は教えられなかったので、二つ先の村の雑貨屋に頼んで、手紙を出してもらった。
この雑貨屋は何でも揃っていて、ネイチェルがよく使っていた店だ。
何度も通ううちに、そこの店主と仲良くなった。
何か事情がありそうだと察した人のいい老人は、彼女の頼みを快く引き受けてくれた。
もちろん彼女の首にかかっている、オーンの紋章で聖職者と知って、安心しているのもあった。
それが先日、子供のものが足りなくなって、久々に彼女は馬でその雑貨屋に行った。
(天司様)聖職者は全てこう呼ばれる。
(天司様、オーンからお手紙が届いておりましたよ)
(オーンから?)
そう言われてネイチェルは、店主から手紙の束を受け取った。
(なかなかこちらにおいでになりませんでしたので…。かなりたまってしまいましたが、よかったです。今日お渡しできて)

ネイチェルは、その手紙を開いたまま、机の上に出しっぱなしにした事を少し後悔していた。
…確かに、迷いはあった。…自分はオーンに戻った方が良いのではないか、と。
…本当は、怖かったのかもしれない。
このままあそこにいたら、自分の気持ちが大きくなりそうで。
だから正直、戻ろうかと思い悩んだ。
だがそれ以上に、自分があの場所から動きたくなかったようだった。
色々手がかかるけど、キイ様が可愛くてしょうがない。
みんなもいい人達ばかりだ。
あの無骨なラムウだって、話すと意外に気さくだし、剣の相手はしてくれるし、
それに……。

それに……。

ネイチェルは目を閉じた。
あの満月の夜に、彼の手を取ったあの日から、自分はどうもおかしいのだ。
あの手の感触を思い出すたびに、心も身体も言い難い何かに疼くのだ。
彼の黒い瞳を見るたび、あの甘くて低い声を聞くたび、心臓が早鐘を打った。
まるで、自分が自分じゃないみたいだった。

だから、つい、最近は彼を避けるような事ばかりしてしまった。
なので時間があると必ずラムウにせがんで剣の相手をしてもらった。
……この気持ちを振り払うために。

彼に向かった刃を見たとき、何も考えられなかった。ただ、彼を守りたかった。
………その時はっきり自分の気持ちが見えてしまった。
私は……聖職者のくせに、神と契った女のくせに…。
ひとりの男を愛してしまったのだ。
いや、正確には初めて会った時から、多分自分は彼に惹かれていた。
彼が大事な姉(あね)様とああなって、怒りと悲しみでいっぱいだった時も、自分は彼を心から憎む事ができなかった。…ただ、心の底に哀しみだけが横たわっていた。
…だから…。手紙を見られたのは、まずかったと思ったが、これでよかったのかもしれない。
アマトが、冷たく自分を遠ざけてくれて、よかったのかもしれない。
…でも……。

ネイチェルの目から涙がこぼれた。
それがこんなにも辛い事だったなんて………!!
彼の側にいられない事が、姿を見れない事が、こんなに辛い事だったなんて…!!
彼女は潮風がなびく甲板で、ひとり顔を手に埋め、むせび泣いた。

アマトはキイを抱きしめたまま馬に乗り、1年半ぶりにセドの国に戻る途中だった。
この子をセドの息がかかった術者に預ける…。
確かにこの子の将来のためには、その方が安心かもしれない。
もちろん自分も彼のために、色々と学ばなければ…。
そう思いながら、腕の中の愛する我が子を見下ろした。
彼は今、落ち着いてすやすやと眠っている。

セドの術者である百蘭(びゃくらん)は王家直属の担当術者でもあり、かなりの術に長けている中年の男だ。彼はその能力を買われて大陸の賢者衆に推薦されたのだが、そういう称号や権位には興味がなかった。それで即座に断り故郷のセドのお抱え術者になったのだ。
彼に預ければ安心だ。彼は子沢山だし、しかもラムウをあの聖天風来寺に推薦までしてくれたほど、自分達の味方だった。

「キイ、もう少しでセドの国だよ。父の故郷…お前の国でもあるんだよ」
アマトはそっと、息子の柔らかな髪に口づけした。
一体誰が、息子をさらおうとしたのか……。結局判らずじまいだった。
あの状況では、正気を失っていた相手を倒すのが精一杯だった。
その事に不安を感じながらも、彼はネイチェルが自分の目の前で倒れた時の事を思い出して、小さく慄いた。
まさか自分達のために、彼女が身を挺して刃の前に飛び込んでくるとは思わなかった。
あの時の恐怖。彼女が傷つけられた事の怒り。あの血の気の失せた顔を見た時の感情。
アマトは愕然とした。
本当に怖かったのだ。もしこのまま彼女を失ってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう??
正気でいられなくなりそうで怖かった。
ネイチェルは一晩中、寝台の上で眠り続けていた。
その青白い顔を見ながら、アマトは胸が苦しくてどうしたらいいかわからなかった。
しかも、彼女の机の上にあった、オーンからの手紙。
彼の気持ちは決まったのだ。

これ以上、彼女をここに縛りつけるのはやめよう。
いつまた彼女を危険な目に合わせるかもわからない。
キイの力の事、自分が大罪人という事も、もしかしたら関係しているかもしれない。
それより何より、アマトは彼女の安全を願ったのだ。
彼女は崇高なる聖職者。これ以上巻き込むわけにはいけない。
自分のような大罪人と一緒にいてはいけない。
……彼女が…自分達のせいで、この世にいなくなるのは…死ぬよりも辛い。
だからわざと突き放した。冷たくした。助けてくれた事には感謝したが、もう、これ以上辛い思いをしたくなかった。

(ネイチェル、君は早く私達の事を忘れて、本来の月光天司に戻ってくれ…。
そうしてくれなければ…私は…自分がどうにかなってしまいそうなんだよ…。この大罪人の自分が…)


そしてアマト達はセドに入った。
城ではアマトを脅かす相談がなされていたとも知らずに…。


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2010年4月 7日 (水)

暁の明星 宵の流星 #63

寝苦しい夜だ。
大陸に滅多に顔を出さない月が、今宵に限って姿を現している。
しかも完璧な満月だ。

ラムウはひとり、暗闇の中でその月を眺めていた。
庭には亡くなった姫巫女のために植えられた花々が色付いていて、月の光と共に何とも幻想的な世界が広がっていた。

(貴方の元部下の子よ。随分と貴方、その子可愛がってあげたようじゃないの)

あの女、どこからそのような事を知ったのか…。

ラムウは目を閉じた。

まだ若い部下のひとりだったセインが自分を慕っていたのは知っていた。
彼は若い時のアマト様に確かに似ていた。
顔立ちもそうだったが、その彼の雰囲気が、アマト様を思い起こさせた。
つい懐かしくて自分は彼が、自分を慕ってくれる事にも気を許してしまっていたのかもしれない。
だが自分は敬虔なオーンの信徒。今までも男も女も自分を慕ってやってきたが、己を律するためと、王子への忠誠を貫くため、彼は聖職者でないにしろ、一生独身を貫く決意をしていた。だからみな、そういう申し出を全て断ってきた。だが、あの日は……。
アマト様が禁忌を犯し、それを止められず、しかも聖なる巫女と姦通する事を許してしまった自分。
あの時から自分は普通じゃなかったのだ。

アマト様達を安全な土地に移動させた後、ラムウは自分の部下達に別れを告げに、そして残しておいた荷物を取りに、あの日は兵士の宿舎に寄った。
全てのやるべき事を終え、自分はすぐにでも自分の大切な王子の元へ戻るつもりだった。
だが…。宿舎を出ようとした自分を、セインが思いつめた顔をして引き止めた。
(お願いです、ラムウ様!僕も一緒に連れて行ってください!)
ラムウは困った。彼は若いながらも有能な戦力。セドの国には彼は必要だ。
ラムウは彼に一生懸命説得を試みた。だが、彼は納得できなかった。そしてとうとう彼の熱い思いが噴出したのだ。
(ならばせめて、せめて僕に思い出をください…)
そう泣いてすがってきた彼の姿が、あの辛そうにしているアマトと重なった。
ラムウはセインの情熱に抗う事ができなかった。自分らしくなかった。

自分は男と通じてしまったのだ。
オーンでは正当な結婚以外は全てが姦淫の罪。
欲望のままの性行為は禁じられているのだ。

ラムウは笑った。

私もこれでアマト様と同じ、大罪人なのだ。
……神に背いた罪悪感よりも、アマトと同じ立場になった喜びの方が勝っていた。
その事に彼は、自分の何かが壊れていくのを感じた。

だが、この事は私のアマト様には絶対知られてはならぬ。
お優しい方だ。きっと自分のせいだと、ご自分を責められるに決まっている。
我が君はそういう方。人をなじるよりも全て自分の責任だと思ってしまう。
これ以上他の雑音で、あの方を苦しめる事はできない。
それこそが、自分が一番辛い事なのだ。

何やら人の気配を感じて、ふと目を開けると、庭をふらふらと横切るアマトの姿が目に映った。
「アマト様……?」
いつもの彼らしくないその姿に、ラムウはいぶかしんだ。
まるで、心がそこにないようだった。
しかもシャツも着崩れていて、ボタンも半分も止まっていなかった。
その無防備な姿は、月の光に照らし出されて、何ともいえない妖艶な美しさを放っている。
ラムウの胸は締め付けられた。
あの太陽と謳われた私の王子。
彼がその光を閉じてしまってから、私の苦悩は始まったのだ。
「アマト様!」
ラムウは嫌な予感がして、彼の後を追った。

「いかがされたのです?アマト様。このような格好されては風邪をひきます…」
ラムウは自分の上着を脱いで、彼の肩にかけた。
アマトはラムウのされるがままだ。
(まさか…。何かあの女とあったのか…?)嫌な汗が出た。
「アマト様、何かあったのですか?……様子が変ですよ…」
「……ラムウ…」
アマトはあの低い声で囁くように呟いた。
「はい…?」
「私は自分で犯した大罪を、どうやっらたら償えると思うか?」
「アマト様…」
アマトは暗い目をして、じっと地面を見ていた。
「………やはり、死を持って償うしかないだろうな…」
ラムウはその言葉に凍りついた。
「お前も…そう思うだろ?ラムウ」
アマトの生気のない声に、ラムウは言葉を失った。
「…許される事ではない…。私は大変な過ちをしてしまった…。
ならば死を持って神に直接許しを請うしか…私にはもう、道はないのではないか?
いや…許してもらおうなんて、虫が良すぎる。
地獄の炎に焼かれ、私はこの身を消してしまいたいのだ」

重苦しい沈黙が続いた。

そうか…。それも致し方ないのかもしれぬ。
ラムウは思った。その方がアマト様が楽になるのであれば、それもいい。
神に直訴しても許していただけるかはわからない。
だがこのラムウがいる。
「アマト様、大丈夫です。私も一緒に神に許しを請いましょう。
心から謝罪すればきっとわかっていただける。
私も死して神に直訴しましょうぞ。
だからアマト様が行くと言われるのなら、私は…喜んで地獄までお供いたします」

その言葉にアマトははっとして顔を上げた。
そして息を整えると、ゆっくりとラムウを振り返った。
「ラムウ、今のは私の愚痴だよ。本気にしないでくれ。
……私には息子の事もある。彼に対しての責任だってある……。
勝手に死ねるわけがないじゃないか」
アマトは弱々しく微笑んだ。
「アマト様…」
「ラムウはいけないね。
自分は罪も犯していないのに、こんな大罪人と共に死ぬなんて。
頼むからそんな戯言、言わないでくれ」
アマトはそういうと、彼の手を優しく跳ね除け、上着を返した。
「ラムウは本当に心配性だ。こんな暖かさで風邪なんてひかないよ。
…お前も早く寝なよ。明日は色々と忙しいんだろ?」
そう言いながら自分から去ろうとするアマトに、ラムウは急いで声をかけた。
「アマト様!どちらへ…」
「心配するな、キイの寝顔を見に行くだけだ。…急に顔が見たくなってね…」
アマトは儚げな表情を浮かべると、何事もなかったかのように子供部屋のある離れに向かった。
ラムウは切ない瞳で、彼の姿が消えるまで離れの方向を見つめていた。
我が君…。私は貴方のためなら、死ぬことなんて怖くはない。
もちろん、神が忌み嫌う大罪でさえ犯す事も。
私が恐れているのは、貴方が私の前から消えてしまう事なのだ…。

「その時は、私もこの世にはいる事ができますまい」
ラムウは思わず声に出して呟いていた。
それほどまでに、自分は彼を……。


アマトは迂闊だった。
こんな事を言えば、責任感の強い彼の事だ。簡単に後を追いかねないではないか。
…そんなこと、させてはいけない。
死ぬのは自分と……だけでいい。
彼は涙がこみ上げてくるのを必死で堪えた。
子供部屋は珍しくひっそりとしていた。
キイが眠ってくれているのだろう。
彼はネイチェルがいるかと思って、寝室前の部屋にそっと入った。
……彼女は疲れて寝てしまっているらしい。
テーブルに突っ伏して、腕を枕に彼女は安らかな寝息を立てていた。
アマトは彼女を起こさないように、足音をたてないよう、寝室に向かった。
彼女には本当に辛い思いをさせてしまった。
アマトはあの予感の通りに、今、激しい後悔をしていた。

自分が姫巫女にあんな残酷な事をしなければ。
普通に彼女と出会っていたら…。

いや、それだって自分は切ない思いをするには違いない。

あの時二人の間に流れた空気。
何度も否定し、何度も忘れようとした。
相手はまかりなりにも聖職者。その人間に対し、持っていい感情ではない。
……それこそが罪悪。

自分のこの罪深さに、アマトは自嘲した。
何故、人は人を好きになり、相手を求めるのか。
何故、このような罪深き感情を、神は人にもたらしたのか。


自分の可愛い息子は、すやすやと気持ちよく眠っていた。
我が子ながら、本当に美しい……まるで、天の子だ。
……いや、まさしく天の子。

貴方がこうまでして欲しかった子供です…

ラスターベルの声が、彼の脳裏にこだまする。
アマトは息子が眠る子供用の寝台の横に跪いた。
(私は……なんて事をしてしまったのだ)
アマトの目から、堪えきれなくなって涙が落ちた。
(天から奪った宝は、天に返さなければ…)
アマトは意を決した。
彼は、自分が隠し持っていた護身用の短剣を、腰の下から取り出した。
(大丈夫だよ、キイ。父も共に逝くからね…。
お前を天に帰してあげる…。母親の元に連れて行ってあげる。
もう、この恐ろしい“気”に翻弄されなくても済むんだ。
…ごめん…ごめんな…。こんな愚かな人間がお前の父で……)
瞳からは止めどなく涙がこぼれて仕方がなかった。
震える手で鞘を抜くと、短剣を赤ん坊にかざした。
(私は汚い。…汚らわしい…。こんな父親を持ったお前は不幸だ。
ならばまだ間に合うかもしれない。何もわからない赤ん坊ならまだ…)
アマトはキイの小さな体めがけて、刃先を突き立てようと手に力を入れた。

「やめて!!」

突然、叫び声と共にアマトの背中に誰かが抱きつき、振りかざした腕を押さえた。

カシャーン……。

軽い金属音と共に、短剣は床に転がった。

「何をするの!!アマト!貴方、自分で何をしようとしたか、わかってる!?」
ネイチェルだった。
彼女は突然、何かに呼ばれたような気がして目が覚めた。
嫌な予感がして、急いでキイの様子を伺いに来たのだ。

アマトは崩れるようにその場に手をついた。
ネイチェルはこの時、彼が放心状態で涙を流している姿に気づき、愕然とした。
……こんな、ボロボロな彼を見たのは初めてだった。
ネイチェルは自分の中から湧き上がってくる感情に震えた。
今まで彼女が感じた事のない、未知なる感情……。
訳がわからぬまま、彼女は彼に触れようとした。

「触るな!!」
いきなりアマトは叫んだ。
ネイチェルはその場に固まった。
「…触っては…いけない…。君は私に触ってはいけないよ、月光天司。
この汚らわしい私に…」
「アマト?」
「そうさ、私は君の言うように、汚れている大罪人なんだ。
そんな人間に、君は触れてはいけないんだよ。君が穢れる……」
そして彼は苦悶の顔で、自分の額を右手で押さえた。
「…だから、頼む。私を神の元へ行かせてくれ。
キイと共に、神と、ラスターベルに会いに…。
私は…罪を重ねた私は…もうこれしかないのだ。
死して神に懺悔し、天から無理やり奪った子供を、天に返す事しか……」
アマトの悲痛な言葉に、彼女は彼が、子供を道連れに死を覚悟している事を知った。

ネイチェルは、悲しみと切なさと、やりきれない思いと…そして怒りが湧いてきた。
「しっかりしなさいよ!」
彼女はアマトを一喝した。
「そんなので、責任取るつもりなの!?
冗談じゃないわ!
そんなのただ自分が楽になりたいからじゃないの!?」
ネイチェルの言葉が、アマトの心に突き刺さった。
「いい加減にしてよ、アマト…。
何でそんな風に簡単に考えちゃうのよ…。
だったら何?死ねばそれまでの事はそれで全部なくなるというの??
命がけでキイ様を産んだ、姉(あね)様の気持ちはどうなるの!!
あんなに辛い思いまでさせて、新たな命をこの世に送り出した貴方の責任は!?」
彼女も言いながら涙が出てきた。

「この世に生まれし子供は、全て意味を持って生まれてくるもの。
それを貴方は自分の罪の意識のために、せっかくこの世に授かった命を奪うというの?
それはただの傲慢よ。天の意ではない」
彼女は涙を手の甲で何度も拭いながら、彼の側に跪いた。
「もし、本当にこの世に必要のない命なら、生まれる苦しみまで持ってしてまで、この世に生まれ出る事なんてないのよ…。天から授かりし命は天に許されてこの世に降り立つ。いくらこの地に生まれたくても、生まれる事ができない魂だってある。……今、こうしてキイ様はこの世界で生きている。それが全てではないの?」
(天から授かりし命は……この世に降り立つ…。全て意味を持って…)
アマトはじっとネイチェルの言葉を聞いていた。
「自分が罪を償いたいと思うのなら、生きて償いなさいよね!その方がきっと、数何倍も辛いから!!
天から死を許されるまで、貴方はこの地で生きて、自分の成す事を考えなさい。
罪を償い、そこまでして手に入れたキイ様を守りなさいよ!
もし死ぬ事を天が許しても、私は許さない!!そんな無責任な事、私はぜーったい、許しませんからね!!」

いつの間にか彼女は、アマトの手を取って握り締めていた。
二人は泣いていた。
あの気難しいキイが、珍しく静かに眠っていた。
こんなに近くで大声をだしているのに……。

アマトは目が覚める思いがした。
己の弱さに呆れるばかりだった。
天がキイを取り戻そうとするのなら、もうとっくにしているだろう。
命は人が考えているほど、単純なものではないのかもしれない。
ネイチェルの言う事が真実ならば、キイはこの世に使命を持って生まれたのかもしれないじゃないか。
それを邪魔する方がよくないのだとしたら…?
ならば、私は彼をこの地に呼び寄せた責を全うせねばならない。
彼がこの世にいなくなるまでは。
…それが私の贖罪なのだ。自分の成すべき事なのだ。

繋がれた手が熱い。
二人はそのまま夜が明けるまで、その体勢のまま、その場を動かなかった。
もう言葉はなくても、彼女の思いは彼に届いている。

だけど。

自分達に流れているこの感情の渦だけはお互い見ない振りをした。

苦しい思慕は、いつか必ず昇華される…。
ネイチェルも自分と葛藤していた。
私は聖職者。それは紛れもない事実。
神と民を差し置いて、一人の男にだけ愛を感じる事は許されない。
それ以上に、自分が罪を犯す事よりも、彼にさらに罪を重ねさせる事はできない。


(私はもう誰とも契らない。子供を作らない。キイが生まれてからそう決心した)

そう宣言した彼の瞳が痛々しかった。

これを運命と言うならば、天は二人に何ていう試練を与えたのか。

……それでも彼女は彼の側を離れたくなかった。
この太陽と謳われた美しい王子が、本来の自分に戻ってくれるまで、彼女はここにいたかった。


窓からその太陽の光が優しく差し込んできた。

キイがお腹をすかせて大泣きしたのを合図に、二人はやっと手を離した。

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2010年4月 6日 (火)

暁の明星 宵の流星 #62

アマトは一年ぶりにミカ王妃と再会した。
彼女は自分を見ると、瞳に嬉しそうな色を浮かべた。
だが、彼女の持ってきた話は、アマトを驚愕させた。

「…ええっ?第2王子並びに3人の王子が…しかも末の王子まで…亡くなった?」
「ええ、アマト様がお隠れになってから、たて続きに…。
第2王子フジト様は、アマト様の件でかなりショックを受けられていて、体力が落ちた所で肺炎になってしまって…。ただ、他の王子達なんですけど……」
「他の?」
「それが…死因がわからないのと、見るからに殺された疑いがあるのと」
「こ、この一年の間に?兄弟が5人も亡くなった、というのか!?」
「はい」
「え…。そんな…。私は知らなかった…。王子達が…」
ミカは顔色を変えないでアマトに言った。
「アマト様は今、表向きには追放、という事になってますから…。そうしょっちゅう王家と連絡を取れませんでしょう?」
「?表向き?私は本当に追放されたのでは…」
「……お子様の件がありますから…」
ミカは搾り出すように呟いた。
「その方が大きくなられ、我が城に引き取るまでの間、神王は実父であるアマト様が養育した方がよい、と」
「ほぉ、さすがセドの神王。心が広いお方ですなぁ」
彼女の言葉を受けて、マダキはわざとらしく言った。
「…確かに王家はアマト様を追放しましたけど、こうしてお子様のためにも、たまに連絡を取りたい意向だそうよ、神王は…。ま、まかりなりにもアマト様は直系。したがって巫女様の産んだ子も神王になられる予定なのでしょ?」
「……やはり…セドは我が息子を所望するというのか…」
アマトは震えた。
本来はその目的のために子を成したのではなかったか。
そう彼はわかってはいたのだが、実際生まれた可愛い我が子を見て、心に迷いが生じた。
あの子を手放すなんて…自分にはできない!
しかし、その我が子は……普通の子供ではない。

「だが、それにしても…兄弟達が死んでいたなんて……。何者かに殺された、という事は?」
アマトは王家からの訪問者に問うた。
「…現在はまだ調査中ですわ、アマト様。…私も毎日が安心できませんの。でも城では神の呪いではないかと、噂が立っているのです。……アマト様が禁忌を犯したため、神がお怒りになっている、と」
そうやってミカはちらりと何か言いたそうにアマトを見た。
彼女の言葉に辛そうに俯き、眉をしかめている彼の姿を見て、ミカはなりふり構わずに飛んでいって抱きつきたい衝動に駆られた。私のアマト様。本当なら私が貴方の子を産む立場だったのに!
だからこそ彼女は全く諦めてはいなかった。準備は完璧だ。今宵しか、自分にはチャンスがない。

その後マダキを連れて、アマトはキイの部屋に向かった。
丁度キイはむずがっている最中で、いつものごとく、得体の知れない“気”が部屋に渦巻いていた。
「こ、これは」
マダキは一目見て、感嘆するように言った。
「…す、素晴らしい…!!この“気”は!やはり私の思ったとおり!さすが巫女の能力を受け継いだ子供!」
「どういう意味ですか?貴方は息子のこの状態について何か判っているんですか!?
お願いだ!何でもいい、分かっている事を全て私に教えて下さい!!」


アマトはその後聞いたマダキの話に打ちのめされ、二人が屋敷を離れた後、灯りもつけない自分の部屋に引きこもった。

(お子様の事は、オーンには今、絶対に知らせない方がよいと存じます。
この方が大きくなられてから、ご存在を説得された方か得策かと思いますよ…)
そうマダキは言って、我が子が放つ“気“をうっとりと眺めた。
(さすが姫巫女様。お子様の存在を黙したのは賢明ですな。……いくら聖職者を離脱したとはいえ、巫女様が禁忌を犯して生んだお子様。オーンが放っとくわけがございませんでしょうね)
そしてマダキは高揚してキイの現象をアマトに語った。
キイが乳を離れた頃、専門の気術者の元で養育した方がいい、とも力説した。

アマトは寝台に腰をかけて、ずっと頭を抱えていた。


……そうか…神の力を手に入れる…。
そういう意味だったのか………。

私は…神の宝を穢しただけでなく、神の宝まで天から奪ったというのか……。

私は……なんて事をしてしまったのか……。

キイの今暴れている“気”は…。この世にはまだ使いこなす人間がいないという、稀有な特殊な“気”。
だからこそ、この小さな息子の中で暴れているのだ。
そして今だかつて、人はこの“気”を扱った事も、使いこなした事もない。

この“気”が使いこなせるのは、絶対神かそれに相当する者のみ。

私は天から、この力をこの地まで奪ってきてしまったのだ………。

自分の可愛い息子は、この力を持って生まれてきてしまった。
このコントロールが難しいであろう力を。
それはきっと息子にとって、想像を絶する激しい苦しみなのではないか?
あの小さな子が…耐え切れない苦しみを持って、生まれてきてしまったのではないか?
だからあの子は不安定なのではないか??


あの子はこの地の浅はかな人間によって、力づくで呼び寄せてしまった天の宝。
天から奪った宝は、天に返さなければならないのではないのだろうか………。

アマトは顔を両手に埋めた。

自分がしでかした事の、取り返しのつかない現実に、彼は完全に打ちのめされたのだ。

その時、かけていた鍵が何者かによって開く音がした。

「……?」
アマトは不審に思って、扉の方を見た。
がちゃり…。
重い扉がゆっくりと開き、薄暗い部屋に女が入ってきた。
「誰だ?」
アマトは驚いて立ち上がった。
「アマト様…」
その声に聞き覚えがあった。
「ミカ…?」
「ええ、アマト様」
彼女は短くそう言うと、扉を静かに閉め、ゆっくりと鍵をかけた。
「な…?どうしたというのです?こんな夜更けに…。一国の王妃が男の部屋になんて…」
アマトは驚いて彼女を見た。
「君はもう城に戻ったのでは…」
「ええ、そのつもりでしたけど、どうしてもアマト様とお話がしたかったの」
「ミカ王妃、それは困ります。…神王も王子もきっと心配している…」
「大丈夫よ、アマト様。神王は心が広いお方なの。私の事を不憫に思ってくださっているの。
いくら国のために駄目になったとはいえ、私、貴方の婚約者だったんですもの。
…昔話くらい、してきなさいって」
アマトはいぶかしんだ。…タカトがそんな事を言うなんて…。
もちろん、それは彼女の嘘であった。
彼女は今晩のために、神王に強い眠り薬を飲ませるよう、腹心の侍女に命令していた。
それは最近、彼女がよく使う手だった。少し幻覚剤も入っているこの薬を、彼女は夫にたまに飲ませていた。そうすると夫は現実と夢の区切りがよくわからなくなり、自分とコトに及んでいる様な錯覚をしたまま、深い眠りについてくれるのだ。…それは彼女が自分の実家の術者に泣きついて作ってもらった薬だった。もうあの男と子供を作りたくない、彼女の執念だった。そのおかげで、夫は自分といたしているという、いい夢を見て満足しているのだ。

それにそうしているのは、実はもうひとつ、彼女には目的があったのだ。

「アマト様、ミカの我儘を聞いてください…。小さい頃のように。これが…最後のお願いでしょうから…」
そう言いながら、彼女は灯りをひとつ灯すと、大きな袂からお酒の瓶を取り出した。
「ほら、セドの梅の実を漬け込んだお酒よ!アマト様お好きだったでしょ?特別にもらってきたの」
そうはしゃぎながら、彼女は近くの棚に置いてあったグラスを二つ取り出すと、その酒を注ぎ、彼に渡した。
「…ただ、ミカは少し昔話したかっただけなの。アマト様を困らせたいわけではないわ。私だって自分の立場くらいわかっているもの。でも今晩くらいしかもうお会いできない、と思ったら…。最後の時だって、ちゃんとお別れできなかった事がとても心残りだったのよ?」
彼女はまるで子供の頃に戻ったような気安さで、アマトを安心させた。
「ねぇ、…何か、小さい頃を思い出さない?よく侍女たちの目を盗んで、夜中にこうしてお喋りしたわよね!あ、あと憶えてる?…」
明るく昔話を始める彼女に、アマトは冷たい態度を取れなかった。
小さい頃から妹のように可愛かったミカ。
このまま何もなければ、自分は普通に彼女と結婚して家族となっていただろうに…。
しばらくたあいもない話をした後に、ミカはアマトがグラスの液体にじっと目を落として動かない事に気が付いた。
「アマト様?何かとても元気がない…。そうよね、無理もないわね。身内が立て続きに死んだのですもの…。ご兄弟も、……巫女様も」
彼女はそこで暗い目をした。
「巫女様…って、どんな方でした?」
アマトはその名を聞いて、胸が痛んだ。
「……赤ちゃん…綺麗な坊やですってね…。私は今回会うのはご遠慮したけど。
巫女様に似てるって…聞いたわ」
アマトは何か答えようとしたが、喉が詰まって咳き込んだ。喉がからからだった。
彼は琥珀色をした液体を喉に流し込んだ。
ラスターベルの事を思い出すと、身を切られるほど辛かった。
彼女にした事を、自分が犯した罪を、思い出すたび喉が詰まる。
ミカは彼の様子をじっと見ていた。

カラーン…。

いきなりアマトのグラスが手から離れ、床に転がった。
「あら?アマト様?どうかなさったの?随分ご気分が悪そう…」
ミカはそう言って、彼に寄ろうと立ち上がった。
アマトは自分で身体を抱えるようにして下を向き、荒い息を繰り返していた。
「駄目だ!こちらに来てはいけない…!」 
彼の白い肌はまるで、上気したように赤く火照っていた。心臓が早鐘を打ち、下半身に何とも言い難い衝動が大きくなるのに困惑した。
「……お辛そう…。かわいそうなアマト様」
ミカは彼が、悶え、苦しそうにその場に蹲るのを、冷ややかな瞳で見下ろしていた。
「…ミ、、ミカ?君は一体、私に何を……」
息も絶え絶え、彼は潤んだ目で彼女を見上げた。
「…だって…。こうでもしなければ、アマト様はミカのものにならないでしょ?」
その言葉にアマトはショックを受けた。
「ミ、ミカ!!」
彼女は唇の端で笑った。
じりじりと、彼女は彼に近づいていく。アマトはこの自分の身体に起こっている激しい衝動と戦いながら、懸命に彼女から遠ざかろうと後ろに下がった。
「何故、逃げるの?本当は私達、夫婦になるはずだったじゃない」
「いけない!いけないミカ!こんな事は許されない!姦通の罪は……」
「姦通の罪…?」
ミカは喉の奥で笑った。目に悔し涙が溢れた。
「巫女と姦通した貴方の台詞じゃないわ、アマト様。いいじゃない、もうすでに大罪を犯したのだから、このくらい」
それでもアマトは抵抗した。
彼女に、そして自分の狂おしい身体の衝動に。
「な…何故だ…。何故、君はこんなことを…」
うわ言の様に繰り返す彼の問いに、ミカは涙を流しながら答えた。
「当たり前じゃないの。…ミカは貴方の子供が欲しいのよ」


そのために、この夜のために彼女はずっと準備をしてきたのだ。
自分の身体のリズムを知り、整え、その日を目指して、全ての用意を整えた。
こうして彼に個人的に会えるのだって、またいつになるかもしれない。
意外にあの夫は嫉妬深かった。夫に疑われぬよう、気が付かれぬ様、彼女は心を砕いた。
そして夫と完全に通じないために、薬も使った。
それもこれも、この日のため。
彼女は同じく術者に作ってもらった媚薬を酒に忍ばせて、今宵に賭けたのだ。

これからの人生、自分は愛する男の分身と共に生きるのだ。
彼女はすがるものが欲しかった。
彼自身を手に入れられないとしたら、こうする以外、どうしようもないではないか。


だから彼女はラムウをも利用した。
あの男!
ミカは嘲笑した。
何が敬虔なオーンの信徒よ。中身は私と同じ、暗い闇を抱えている偽善者じゃないの。
彼女は利用できるものなら、何でも利用したかった。
ラムウの闇を偶然知ってから、彼女はこれを使わない手はない、と思ったのだ。

(は…?今宵アマト様の部屋にお忍びで…?)
一時屋敷を去る直前に、彼女は人気のないところにラムウを呼んだ。
(王妃、何故そのような事を…) 
(ね、一生のお願いよ、ラムウ。今晩だけしか、多分私アマト様とじっくりお話できないと思うの)
(しかし…。そんな夜半に男の部屋に…)
(あら?何を心配しているのかしら、ラムウは。まかりなりにも私は神王の妻よ。そんな大罪犯す心配ないでしょ?ただ私はアマト様と昔話したいだけなのよ。まぁ、前は婚約者だったかもしれないけど、私達は兄妹みたいに育ったのだもの、ちょっと身内の込み入った話をするだけよ)
(王妃、ですが)
(二人きりじゃなきゃ意味ないのよ。身内の話って言ったでしょう?)
ミカは苛々した。噂通り、頑固な男!
(王妃、もしその様な事、誰かに見られたなんてしたら…)
(貴方のように?)
ミカの冷ややかな声に、ラムウの息は止まった。
(私…。義弟の部屋から出てくる貴方の姿を偶然見かけたの。おかしいわねー。その時には貴方、もうすでにアマト様について国を脱していたはずなのに)
いつものごとく、表情を変えないラムウであったが、拳が小刻みに震えているのをミカは見逃さなかった。
彼女は小声で彼に言った。
(……その次の朝だわよね、義弟が心臓発作で死んでいたのが発見されたのは)
ラムウはずっと押し黙ったままだ。
(あら、ラムウ、私はそんな事で、貴方を責めてはいないのよ。どちらというと、私は貴方の味方だもの。
アマト様の苦しみを考えたら、きっと私も同じ事をしたわ……きっと)
(何のことですかな?王妃)
ラムウはまだしらばっくれようとした。ミカは鼻を鳴らした。
(まぁ、いいわ。貴方にとって、王族殺しなんて大事な主人に比べたらどうでもいいことよね。
……でも、あの事はどうかしら?あの事を知ったら、アマト様はどうお思いになるかしらね?)
ラムウは横目で彼女を見た。一体、何が言いたいのだ、この女は…。
ミカは待ち構えたかのように気味悪く笑って言った。
(貴方の元部下の子よ。随分と貴方、その子可愛がってあげたようじゃないの)
ラムウの顔色が変わった。
(……その子本当に貴方にご執心なのねー。毎晩貴方を恋しがって泣いているっていうじゃない。何でその子も連れて行ってあげなかったの?
……ま、わかるけどね。清廉潔白なオーンの信徒さん。
あの子を連れてはいけないわよねぇ。……だってあの子、アマト様に似てるじゃない)
表情を変えないラムウが珍しく眉間に皺を寄せている。
そして彼は黙ったまま、ミカに王子の部屋の合鍵を渡した。
彼女は嬉しそうにそれを受け取った。
(ありがとう、ラムウ。昔話をしたらすぐに出て行くわ、心配しないで。
もちろんアマト様には内緒にしておいてあげる。だって、私は貴方の味方ですもの)

(子供……?)
その言葉にアマトは凍りついた。
だが、身体は火のように熱い。
「だめだ!いけない!お願いだ、そんな事をしてはいけない……」
アマトは懸命に手で払うように宙をかいだ。
もうこれ以上、罪な子供を作ってはいけない。
だが、火をつけられた彼の身体は、もう限界に近づいていた。

ミカはするりと自分の衣服を脱いだ。
「アマト様。…私を見て」
「だめだ!頼む、ミカ!こちらに来るなっ!!」
彼女は苦しく喘ぐ彼の側に容赦なく近づいた。


「もう、楽になりましょうよ、アマト様。
……ね?ミカが楽にしてあげる…。何も考えないで……」
そう言いながら彼女は彼の熱い肌に触れた。

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またまたお知らせです(くどくてすみません)

前回は8章を前半(…の前くらい)部分を一気にアップさせていただきました。
本当はまたまた書き溜めて、お約束の12日までに一気に後半をアップしようかと思ったのですが、8章の登場人物にも慣れていただいたかもしれないという、自分の独断と偏見で、今週あたりからまた、書き終わって更新、をさせていただこうと思います。…いえ、主人公のひとりがもう生まれましたので、それでもいいかなー、と。
(本当にお約束守らずご迷惑おかけします……)

ということでして、今夜から一話づつ、更新します。
(日によっては更新が遅れることもあるかもしれません。よろしくお願いします)

ですが、今の段階で8章が他の章と比べて、かなり長くなりそうなのは、明白でして(汗)
そこのところをご了承いただけると嬉しいです。

それでは、#62をどうぞ。

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2010年4月 4日 (日)

暁の明星 宵の流星 #61

うっすらと、景色に光が戻ってきた。
明け方、ネイチェルはラスターベルに呼ばれて、部屋に入った。
「姉(あね)様…?」
そっと彼女は寝台に横たわっているラスターベルに小声で呼びかけた。
その声にラスターベルはゆっくりと目を開け、彼女を見つめた。
「いかがされました?何か御用ですか?」
ラスターベルは、ゆっくりと手を伸ばすと、ネイチェルの手を取った。
「ええ。お願いがあるの」
か細い声だった。
ネイチェルは嫌な予感がした。
「どんな事ですか?私にできる事なら何でも言いつけてください」
いたたまれなくて、わざと明るい声を出した。
「…ここに。天空飛来大聖堂への……遅くなってしまったけれど、巫女解任の願い書と、禁忌を犯した懺悔を書いた手紙と……。
……この…虹玉の腕輪を…あの子に…キイに…」
「姉(あね)様」
ラスターベルは微笑んだ。
「…ふふ。この時になって、やっとその呼び名に似つかわしい自分になった気がするわ。
いつも貴女には頼ってばかり。どっちがお姉さんだったのかしら…」
「……」
「ねぇ、ネイチェル…。愛って何かしらね?」
突然の質問に、ネイチェルは言葉に詰まった。
「………私は神の愛だとか、言葉を伝えていたつもりだったのだけど、本当に真底、愛を語っていたのかしら…」
「どういう事です?」
「…。私は愛、というものについて、何だか表面的な事しか知らなかった気がするの。
こんなに色んな形があって、たくさんの種類があるものなのね……」
どう答えたら良いか、ネイチェルにはわからなかった。
「でも、ね。私、こんな風になって初めてわかった事があるの」
「わかった事?」
ラスターベルは遠い目をした。
「天はね……人が思っているほど、浅くもなく、遠い存在でもなかった、という事よ」
「姉(あね)様?」
「人って、いつも何かに縛られているのね。それが生活だったり、他人だったり。
…そして自分の観念だったり…。ああ、肉体の枷、という言葉もあるわね。
本当は、もっと心は自由なものだと思うの。でも、この世界に、肉体に、思いに、人は囚われすぎている事が多い…。自分もそうだった…。私はずっと自分で自分に枷をはめていたの」
ネイチェルは、珍しく雄弁な彼女の言葉に聞き入った。
「……巫女は純潔でなければ、神の天の声を聞くことはできない……。
この思い込みにね……」
「え…」
「確かにそういう体質の人もいるでしょう。でも、それは人が作った思い込みだったみたい、私の場合。
……自分がこのような状態になって、私は絶望したのよ。これで天とは話せない。何故なら自分は穢れているから、と。でも、違ったの」
「違った…のですか?と、いう事は…」
「……さっきも天と話したわ。…やっと、声が届いた、って喜んでくれていた」
「あ、姉(あね)…様、それじゃあ…」
ラスターベルは、ゆっくりと息を吐いた。少し喋り過ぎたようだ。
「確かに声は聞こえなかった、あの時から。…でもね、違ったの。聞こえなくなったのではない、自分が聞こうとしなかったの。自分の心が渦巻いていて、それどころじゃなかった。耳を、心の窓を塞いでいただけ…。
天はいつものように、私に語りかけていてくれていたというのに」
そして彼女は目を閉じた。
「ネイチェル。天は人智を超えるわ。それを憶えていて欲しいの。
……だからこそ、貴女には私の二の舞にはなって欲しくない…。心の目を閉じてはダメよ。自分の気持ちに素直に生きなさい。迷った時は自分自身にじっくりと聞くの。
……何故ならその答えは、すでに貴女の中にあるものだからよ」

そう言い切ると、彼女は満足したのか、小さな寝息を立てた。
ネイチェルは呆然とその場を動けなかった。
(その答えは、すでに自分の中にあるもの……?)
ネイチェルは知らなかったが、ラスターベルは自分を取り戻して、もうひとつ気づいた事があったのだ。
…それは、アマトとネイチェルの間に流れる何か、だった。
ラスターベルはこの何か、が、互いの思い込みや罪悪感で、駄目になってはいけないものだと直感的に思ったのだ。だが、彼女はその事をはっきり言うのをやめた。ちょっとだけ、羨ましかった。もしこれが運命であるのなら、きっと天が二人を導く、そうも思ったからだった。

そして、その日の夕刻、ラスターベルはまるで眠るように天に召された。
屋敷は悲しみに包まれた。
そして彼女はこの土地で一番美しい花が咲き乱れる小高い丘に葬られ、その報告がてら、彼女の手紙はサーディオの元に届いた。
ただ、彼女が子供を産んだという事実は、彼女も公にしたくなかったようで、隠されたまま伝えられた。
だから彼女はただの女として、この地で生きた、という事だけを大聖堂宛てに手紙に書いたのだ。
簡単な謝罪と共に。
そして、そこから相手がやはりセドのアマト王子だと判明して、彼は王位継承権を剥奪、王家追放の処罰が正式に下った。アマトにしてみれば、本当は最初から王家を離脱する心構えだったのだが。


だが、当たり前だがこれだけで騒動は治まらなかった。
キイの存在が、今度はアマトを追い詰めていく事になっていく。
その後、彼は我が子が大きな運命を背負って生まれてきた事実に愕然とするのだった。


「まことか!巫女との間に子が生まれたとはな!」
偵察の者の報告に、タカト王はそう興奮して、王家にやって来ていたマダキと喜んだ。
「これは素晴らしいですぞ、神王!しかも王子とは……。是非、その子を私は確かめたいものです」
「うむ。その子を見たあかつきには、神の力とやらの説明をしてくれ!それまではアマトの奴は放っておく。
まかりなりにも、その子の父親でもあるからな。ま、その子が乳飲み子じゃなくなったら、こっそり城に引き取ってもいい。我が妃も、ついこの間王子を生んだばかりだ。いい事が重なった。今宵は宴を開こうぞ。マダキ殿もごゆるりとなされ」
と、いつになく上機嫌なタカト王に、近くで話を聞いていた正妃のミカ・アーニァは、暗い目をしてふらふらと部屋に戻っていった。部屋には小さな赤ん坊の寝台があり、近くで乳母が赤ん坊を見ていた。
「あ、お妃様!ご覧下さい、王子様がお笑いになりましたよ!」
はしゃぐ乳母を彼女は冷たい目でちらりと見ると、「頭が痛いの。赤ん坊の世話はお前にまかすわ…」と言いながら、子供の顔も見ないでさっさと寝室に引き込んでしまった。
乳母は彼女が育児ノイローゼかもしれない、と疑った。それほどまでに、彼女は自分が生んだ子供に愛想がなかった。極端な事を言えば、興味がないように見えた。
……確かに、彼女は自分の生んだ子が可愛いとは思えなかった。
あの、自分の夫と同じ顔の子を見るたび、彼女は絶望した。
ミカは寝台に身を投げると、むせび泣いた。

あの、一年近く前。
愛する人の衝撃の告白に、ミカは眩暈がしたのだ。
「嘘…嘘でしょう?アマト様…。王太子を譲るなんて…。あのタカト王子に!」
「すまない。君には本当にすまないと思っている。
だが、タカトもセドの王子だ。私よりも血筋がいいし、ミカ姫を気に入っておられた。きっと姫を大事にしてくれる…。
君は未来の神王の正妃となるべく生まれた姫。でも私はこれから国のため、どうしても成さなければならない事があるのだ。許してくれ」
「それって、アマト様じゃなきゃいけないの?どうしても?他にも兄弟がたくさんいるじゃない!」
彼女は絶望した。このままアマトの後を追って行きたい。いや、そうするつもりだった。
が、彼は彼女に妹にするような軽いキスをして、明け方国を出て行ったのだ。
その後、すぐさま神王となったタカトから、彼女は事の顛末を聞かされた。
彼女は頭がぐるぐると渦巻いた。
(巫女と…契る?巫女と…子供を作る……?)
パニックになった彼女に、タカトは追い討ちをかけた。
(なぁ、ミカ。あいつだってオーンの巫女とよろしくやってる。私が神王になった時点で、そなたは私の正妃だ。我々だって子供を早く作った方がよくないか?)
そう言って手の早いタカトはまだ式もしないうちに彼女に手を出した。
彼女は地獄に突き落とされた。しかもその一回の関係で、彼女は妊娠した。
それでもタカトは若くて綺麗な彼女に夢中になり、嫌がる彼女を無理やり毎夜寝所に引っ張り込んだ。
…その日から…いや、本当はその巫女がアマトの子供を産んだ、という報告を聞いてからが頂点だと思う。彼女の何かが壊れた。それは彼女の中で、どす黒い闇として、女の悲しみとして、ずっと死ぬまで続く事になる深い暗闇。
ミカはひとしきり泣いた後、やはりある計画を実行しようと決意した。
どうしても、自分にはすがるものが必要だったのだ……。

ラスターベルを亡くしたアマトは数日、気の抜けた毎日を送っていた。
だが、乳飲み子は待ってくれなかった。
アマトはネイチェルがラスターベル亡き後、すぐに天空飛来大聖堂に戻るものと思っていた。
だが、彼女はここに留まった。
何故ならキイがいるからだ。
彼女はすぐに隣村に行って乳が出る女性を雇った。
そしてなるべく彼女はキイの側から離れなかった。事実上は、彼女がキイを育てていた。
アマトは感謝すると同時に、彼女に心苦しさを感じていたのだ。

そんなアマトに彼女はさらっと言った。
「だって、大聖堂にはもう昨年付けで出る予定だったんですもの。
申請もしているから、戻るつもりはないわ……。
キイ様がもう少し大きくなったらね、その時は医療奉仕に全国を回るつもりよ」

アマトは心強い気持ちと、彼女がここにいてくれる、という事実が嬉しかった。
嬉しい…?私が…?
彼は頭を振った。
キイの為に彼女がいて心強いのは当たり前じゃないか。
嬉しい気持ちも、キイのためだからこそなんだ…。
彼は再び、最初に彼女と会った時以来の感情が湧きあがろうとするのを必死で抑えた。
彼女がオーンを出たとしても、聖職者なのは変わりがない。
それに彼は、ラスターベルとの子を儲けた時から決心していたことがあった。
もうラスターベル以外の女性と、通じたり、子供作る事は絶対にしない、と。
自分を戒めるのと同時に、彼はもう、同じ過ちはしたくなかったのである。

この大罪を犯した男の、せめてもの神への懺悔でもあった。
しかし、その懺悔の気持ちがエスカレートし、命をもってでしか償えないとまで思い込むような出来事が彼に起こる。……その発端は、生まれたばかりの我が子の異変だった。

けたたましい赤ん坊の泣き声と共に、子供部屋は大変な現象に襲われていた。

キイは生まれが不安定なのか、それともその子の個性なのか。
生まれたときから、安定する、という事がなかった。

大人しくなった、と思うと、次の瞬間大声で泣きわめく。
夜泣きなど日常茶飯事、時には誰の手にも負えない。
ネイチェルも、何故にこの子はこうまでして不安定なのか、不思議だった。

ただ、彼女はキイが生まれたとき、ラスターベルの後悔を知っていた。
(私はこの子がお腹にいた時、いいえ、お腹に宿す瞬間から、恐怖でこの子を否定し続けた。
この子はその事に影響されていなければいいけれど……)
そう彼女は愛しそうにキイを抱きしめた。
ネイチェルは、まさか、と思った。
が、キイの様子は、ラスターベルが亡くなってから段々とひどくなっていったのである。


そして…キイの異変。
それは彼が泣き叫ぶ度に起こる、“気”の放流である。

誰もがこんな現象、初めてだった。

あの“気”を使うラムウでさえ、こんな事は経験した事がない。

しかもそのキイから発せられる“気”は、今だかつて誰もが接した事のない、未知のものだったのである。

大陸を制するほどの…神の力。


アマトも他の皆も、恐ろしい考えが頭によぎった。


特にアマトは、自分は心底、本当に大それた事をしでかしたのではないか、と蒼白になった。
人が、本当は決して足を踏み入れてはいけない領域に、自分は土足で上がりこんだのではないのだろうか?


とにかくこの自分の息子を、この地に呼んだのは、他ならぬ自分なのである。

アマトはこの息子の様子を、気術の権威に相談するしかなかった……。
そして彼も息子の為に、自分も気術を学ぼうと思った。
とにかく、我が子の為に何とかしたかったのである。

それからしばらくして、アマトの元に、あのマダキがミカ正妃と共にやって来た。
もちろん、生まれた彼の子を見舞う為と、ミカは公務で城を出られぬ神王の代わりとして、兄弟の訃報を告げにやって来たのだ。

そこでアマトは、完全に自分のしでかしたでき事と、自分の存在に、とことん追い詰められていった……。

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暁の明星 宵の流星 #60

「ああ!いや!もうここには来ないで!!
貴方のした事は、私を地獄に突き落としたと同じ。
王国のため?大陸のため?そんなの私は望んでなどいなかった!
貴方は私を穢したのよ!私をただの女にした!
私はもう、神の声が、天の声が聞こえない!
貴方は私に恐怖をくれただけ。今更言い訳したって、この事実は…。
貴方が私にした大罪は消す事はできないのよ!!」


姫巫女はアマトが部屋に訪れる度、そうやってなじった。
彼は百も承知だった。
だが、彼は彼女をそのまま放り出す訳にはいかなかった。
なじられながらも、叩かれながらも、彼は一生懸命彼女を説得しようと試みた。
そして必ず、全てを出し尽くした後、彼は彼女を抱いた。
最初は抵抗していた彼女も、諦めの気持ちが出たのか、最後は抵抗しなかった。
アマトは、この美しい女性を穢したことについて、一生責任を取るつもりでいた。
嫌われようと、疎まれようと、それは彼が唯一できる誠意だった。
彼女に子供ができれば、もしかしたら気持ちが和らいでくれるかもしれない。
そんな甘い一筋の希望をアマトは持っていた。
だが、彼女の心は益々閉ざされていった。
アマトはもう成す術がなくなっていた。
そういう関係が、一月続いたある日、彼女の身体に異変が起きた。
妊娠したのである。
アマトは彼女の身体を考え、また、精神的にも疎まれている自分が顔を出さない方がいいのではないかと思い、それが判明した以降、彼は彼女の部屋に通うことを控えた。
その事こそが、彼女を益々精神的に追い詰めてしまったという事も、アマトにはわからなかった。
彼女は、彼がやはり子供を作る目的だけのために、自分を穢し続けたのだと涙した。
子供を宿した途端、彼が自分の所に寄り付かなくなったのは、その証だと思った。


ネイチェルが、やっと幽閉を解かれたのは、ラスターベルの懐妊が明るみになってからだった。
彼女はその事実に眩暈し、そのまま相手であるアマトに怒りをぶつけた。
「この盗人!!大罪人!!」
ネイチェルは何度もアマトの頬を平手打ちした。
「あなたがした事は、ただの獣と同じ!!この極悪人!!この悪魔!!」
アマトは彼女のされるがままだった。
何故ならネイチェルは自分を叩きながら、とめどなく涙を流していたからだ。
自分のした事を、彼女に言い訳する気はさらさらなかった。
怒りは甘んじて受けるつもりだった。
アマトは、彼女の瞳を初めて見たあの瞬間に沸き起こった感情を忘れようとした。
いつか必ず後悔する……。その予感が、現実になりそうで怖かった。


「月光天司!!」
その様子に気づいたラムウが青くなって彼女を止めに入った。
「いい!止めるなラムウ!!」
アマトは叫んだ。
「天司の怒りはもっともだ!わたしは神に背いた大罪人なのだから!」
ラムウは唇を噛んだ。ああ我が君。
ネイチェルはその言葉にわっと床に突っ伏して号泣した。
私は守り切れなかった…。私の巫女…。
ラムウは一言も彼女に声をかけれなかった。
彼女の気持ちがよくわかる。自分もまた、愛する王子を守りきれなかった。


だが、ネイチェルはそうしてずっと泣いてばかりいられなかった。

彼女はラスターベルの身の上を危惧していた。


彼女が慰問で各地の土地を回った時も、意に沿わない妊娠をした女性達をたくさん見てきた。
彼女達の苦悩。恐怖。そして自分自身の身体の変化に伴う精神的苦痛。

子供は宝だ。だが、世の中には親に望まれないで生まれてくる子もあるのだ。
どうしてそういう人間ができるのだろう。
生物的な欲望のひとつだとして、知性も理性もある“人”ではないか。
彼女はさっきはああ言ったが、獣だって同意の上子供を作っているではないか。


ネイチェルの心配は現実となっていた。
ラスターベルの精神はもうどうにかなりそうな所まできていた。
彼女はネイチェルを見るや、力なく涙を流した。
「ネイチェル…私…。怖いの。何だか自分の身体じゃないみたいなの…。
怖い。すごく怖い…。もう神も天も私には何も答えてくれない…。
ううん、穢された私では、もう天は語りかけてくれないのよ……」
ネイチェルは辛かった。まさか神の申し子が、このような目に合うとは…。

ラスターベルの精神不安は、お腹が大きくなるにつれ、どんどんひどくなっていった。
時には彼女は錯乱した。
お腹の子供が動く度、得体の知れない生き物を身体に飼っているようで、恐怖は最高に達した。
そして時には心を閉ざし、何も口にしない事もあった。
心配したアマトが様子を見に来ても、彼女は大きなお腹を抱え、彼をなじった。
ネイチェルはいたたまれなくなって、アマトに顔を出さないように申し出た。


そうこうしている内に、ラスターベルは臨月を迎えた。
彼女の恐怖は半端ではなかった。
この、今まで体内で蠢いている得体の知れぬ罪の子供を、想像を絶する痛みと共に体の外に出さなくてはならないのだ。
「いや、怖い、助けてネイチェル!」
その数日後、陣痛が始まり、下腹部の痛みが激しくなるにつれ、彼女の恐怖は増加した。
このままでは母子共に危険だわ…。
医術を学んでいる中で、何度か偶然子供を取り上げた事もあったネイチェルは、とにかく落ち着かせなければとラスターベルに優しく声をかけた。
「姉(あね)様!ネイチェルがついていますからね。大丈夫ですよ、さぁ、ゆっくり深呼吸して…」
「痛い!いやぁ!痛いわ、助けて!」
「ゆっくりと…。姉(あね)様、ほら、姉(あね)様の好きな花を思い出しましょうよ。そしたらネイチェルと一緒に同じく息をしましょうね」
ネイチェルは彼女の手をきつくにぎりそう励ました。
ラスターベルはネイチェルの誘導で、息にリズムをつける事ができた。
ネイチェルと二人、共同で鼓動を合わせているようだった。
「はい、そこで息を止めて!力を入れて…」
ネイチェルの言葉がラスターベルの心を取り戻していくようだった。
この、規則正しいリズムの中、ラスターベルの恐怖はいつの間にか消えてしまっていた。
痛いし、苦しかった。
だが、意識の果てはそれ以外の気持ちが湧きあがろうとしていた。
その一瞬の無の境地の時に、彼女ははっきりと声を聞いた。
それは彼女がいつも、会話をしていた懐かしい声でもあった。
その声は暖かく、彼女の頭に響いている。
(……もうすぐ、もうすぐよ……。もうすぐ会えるからね…)

彼女はそう聞こえたような気がした。

その瞬間、大きな産声と共に、男の子が生まれた。

「何て綺麗な赤ちゃん!」
助手をしてくれていた王子の使用人の女性が、思わず感嘆の声をあげた。
生まれたばかりの男の赤ん坊は、今まで見たこともないほど綺麗な子だった。
ネイチェルは感動の涙を流しつつも、少々不安になりながら、ラスターベルの胸の近くに赤ん坊を乗せた。
その時、ネイチェルにとって奇跡が起こったのだ。
「……可愛い…」
「姉(あね)様…」
「…なんて可愛いの?私の赤ちゃん………」
そう言ってラスターベルも涙を流していた。
ネイチェルは嬉しかった。
意に沿わない出産をして、生まれた子供を忌み嫌い、親権放棄する母親も多く知っていたからだ。
生まれてくる子供には罪はない。
だが、母性というのは女だから必ず持っているものとは限らないのだ。
ネイチェルはとりあえず安堵した。
あれほど恐怖に自分を見失っていた彼女が、生まれた赤ん坊を可愛い、と言った。
“私の”赤ちゃんと言ってくれた。

それだけで、ネイチェルに希望が湧いてきたのだった。

生まれた子供はキイ・ルセイと名づけられた。
アマトは初めて見る我が子に涙が出た。
小さくて、本当に守ってやらなければならない、と思った。
そしてアマトは再び決心した。
この子のためにも、もう一度、彼女と上手くやっていこう…。
反面、自分を脅かす、神の力の件が頭に浮かんだが、彼は今その事を考えたくなかった。
子はかすがい、というではないか。
何年経ってもいい。家族としてずっと仲良くやっていきたい。
アマトは切実に思っていた。

だが、思わぬ事にラスターベルは産後の肥立ちが悪かった。
というよりも、妊娠中に無理していた事が、彼女の体力を弱らせていたのだ。
この出産は本当に奇跡だったのである。


アマトは出産後、初めて彼女を見舞った。
顔色がとてもよくない。憂いた顔でアマトは言った。
「今日は…私を追い出さないのですね……」
ラスターベルは、初めて彼に微笑んだ。
「坊やは今日、大丈夫でしたか?私を恋しがっていなかったかしら」
声もとてもはかなげで、彼は彼女にした大それた事を、本当にこのとき痛感したのだ。
「……貴女に似た、本当に可愛らしい子だ」
ラスターベルは、アマトの顔をじっと見た。
「……アマト。貴方がこうまでして欲しかった子です。どうですか?どう思われますか?」
彼は彼女が自分に皮肉っているのかと思って悲しくなったが、それも自分が悪いのだ。最後まで、自分は彼女の心を溶かすことは出来なかったらしい…。落胆しつつも、アマトは言った。
「……ありがとう、ラスターベル。私はこの子が可愛いですよ…。私の初めての子だ。大切に思います」
その言葉にラスターベルは安堵した。そして嬉しかった。
彼女は皮肉で聞いたのではない。本当に彼が、自分が生んだ子を歓迎してくれているのかが知りたかっただけであった。

その晩、彼女は久々に穏やかな時間の中にいた。
ずっと恐怖と悲しみと怒りの中で、自分を見失っていた。
…ラスターベルは、自分の死期が近いことを、本能で感じていた。
彼女は涙が溢れてくるのを堪え切れないでいた。
……可愛い私の坊や!
自分の死が近づいて、やっと自分を取り戻すなんて。
いいえ、昔の自分は身体だけは大人で、心は子供のままだった。
こうなって初めて、やっと自分と向き合えるようになった、という方が正しい。


すると彼女は、自分の力が戻って来ている事を感じた。
あの、何年も付き合ってきた……天からの声が……。

彼女は自問自答した。
やっとその余裕ができたのだ。


恐怖は今まで経験していない事柄に対してのもの。
……幼いときから自分にとっては無関係だった経験と、神への罪悪。そして男性の力。
それらが彼女の恐怖の正体だった。

悲しみは、天の声を聞く巫女ではいられなくなってしまった事。

では、怒り……。自分のこの怒りの理由は……。


頭の中で懐かしい声が響いた。


(そう、そうよね…。そのとおりだわ…)
彼女はうっすらと微笑み、そして堪えきれなくなって、嗚咽した。

「私は、……私は……本当は私自身を愛して欲しかったのだ」
ラスターベルは自分の思いを声に出した。

彼女は自分の心の底に渦巻く、このどす黒い感情を、やっと冷静な目で見ることができたのだ。

彼女は自嘲した。
涙を流しながら弱々しく笑った。

(なんという理由!何ていう女の業。
この怒りは、自分は神の意思を担い崇高に生きてきた、
その誇りを奪われ神から遠ざけられたことに対してだと思っていたのに………。

本心はただの女としての怒りだったのだ。

あの人に……
姫巫女だからではない。
他の理由や大義名分ではなく、
私は彼に私自身を求めて欲しかったのだ…。
私に恋し、私自身を愛し求めて欲しかったのだ。
その事に、私の本心はずっと怒り苦しんでいたのだ。)

彼女はそっと両手で顔を覆った。

何回も彼が自分に会いに来る度、差し伸べられた手を跳ね除けてきた。

あの時、私がその気持ちに気づいて、あの人の手を取っていたのなら、また違う人生があっただろうか。


彼女は愛くるしい、自分の息子を思いやった。
何回か胸に抱き、乳を含ませた。
柔らかくて、温かい……。

ああ、私の坊や。愛しい坊や。

彼女は後悔していた。彼がお腹にいた時に、いくら恐怖に慄いていたからといって、ずっと彼を否定してきた。
自分の命が短いのであれば、もっと彼といたかった。
いくら気が付かなかったとはいえ、その時間を無駄にしてしまった。

ラスターベルは、重い身体をやっとの思いで起こし、自分の髪にいつも飾っていた、虹色の玉の髪飾りを枕の下から取り出した。
それは虹色に輝き、まるで生き物のように煌いていた。
彼女はその玉をひとつひとつ、丁寧にばらし始めた。
心を込めて、思いを込めて。……そして魂と命を込めて。


(私の坊や…。お前はこれからこの生まれのせいで、この世で辛い思いをするでしょう。
だからこそ、私が本当にお前を愛していた事を、どうかわかって欲しいのです。
自分の存在を私が望んでなかったと思うかもしれませんが、本当にお前の存在を、母は愛しく思っていた事を…知って欲しいのです。この玉は私とお前を繋ぐ魂の化身。きっとお前を守ってくれる…)

ラスターベルは震える指で、ひとつづつ、玉を糸に紡いでいく。


そうして彼女は明け方に、ネイチェルを自分の枕元に呼んだのだった。

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暁の明星 宵の流星 #59

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ラムウが何かがおかしい事に気が付いた時、すでに王子は姫巫女の元へ向かった直後だった。
彼は何かしら胸騒ぎを覚えて、一心不乱に数日間寝ずに仕事をこなし、急いで明け方城に戻った。
そこで王子の事がわかって血の気が引いた。
そうなのだ。敬虔なオーン信徒であるラムウは、自分の知らぬ間に命よりも大事な王子が、王太子を辞退し、とんでもない役割を押し付けられていたのに愕然とした。
彼は脱兎のごとく王子を追った。とにかくすぐに自分は、王子の元へ駆けつけたかった。

その晩はやけに生暖かな日だった。
隣島からオーンに明け方戻るつもりで、姫巫女一行は慰問を終え、夕刻港町の宿に泊まった。
何しろ5歳の頃から姫巫女は神殿暮らしだった。
こんな遠出、滅多にない事で、彼女は子供のようにわくわくしていた。
「姫巫女様、お願いです。どうかもう少し自重された方が…」
ネイチェルが思わず忠告してしまうほどに彼女は浮かれていた。
確かにいい年齢の彼女であるが、箱入り娘と同じ、精神的には童女のような所があった。
だからネイチェルは年下ながら、いつも彼女を庇護する気持ちで接していた。
時には姫巫女にとって、それはちょっと煩わしかったけれど。

だから姫巫女はネイチェルの目を盗んで、ちょっと足を伸ばしてみたくなったのだ。
それもひとりで。きっとネイチェルは怒るだろう。
でもこの島はオーン所縁の島、他よりも安全なはずだ。
彼女はそっとひとり、海とは反対の森の方へと向かった。

ネイチェルがその事に気づいたのはかなり外が薄暗くなってからだった。
「姫巫女は?」
ネイチェルは嫌な予感がして部屋も辺りも彼女を捜した。
浜辺も海も、一帯を探し果てて、彼女は森の方をまだ探していない事に気が付いた。
彼女は草花が好きだった。
特にこの島には珍しい花がたくさん咲き乱れている。
ネイチェルは自分の迂闊さを悔やんだ。
もの凄い胸騒ぎがする。彼女はとにかく森へ急いだ。


姫巫女は辺りが暗くなって、初めて自分が花に夢中になっていたのに気が付いた。
「ネイチェルが怒るわ、きっと」
彼女は慌ててその場を去ろうとした時だった。
突然誰かに後ろから抱きかかえられた。
「きゃ…」
大声を出そうとして彼女は口をふさがれた。
恐怖で身体が硬直した。
「申し訳ない、姫巫女」
彼女の耳元で、夕闇のような声が響いた。
この声…。忘れられるはずもない、この低い声は…。
(セドの王子!?)
彼女は混乱した。
「……貴女にするこの無礼…。一生かかっても私は償います、だから…」
彼女は彼が何を言っているのかわからなかった。
切なげで、苦しそうな彼の声に、姫巫女は息が詰まった。
王子は意を決したように、次の瞬間彼女を押し倒した。
覚悟を決めた男の力は、女の身である彼女にはびくともしなかった。
その時になって、姫巫女は彼が自分に何をしようとするのかを察した。
「王子!」
彼の手の隙間から、彼女は声を出した。
「な、何をするの!やめて!やめてください!!」
身体は大人の女性でも、心はまだ未成熟な少女のような彼女であったが、本能で身の危険を感じた。
恐怖が彼女を支配した。
暗闇に、彼女の泣き叫ぶ声がこだました。

その声を微かに聞いたネイチェルは青ざめた。
「姫巫女…!」
彼女は声のする方に懸命に走って行った。
「姫巫女!!」

ネイチェルがその場に着いたとき、暗闇に二人の人影が放心状態で半身を起こし、向かい合っていた。
そのひとりがネイチェルの大切な姫巫女だという事を、彼女がすすり泣いている声で知った。
暗闇でぼんやりとしかわからないが、何があったかは想像がついた。
ネイチェルの頭に血が昇った。
「貴様!何ていう事を!!」
彼女は剣を抜き、相手の男に切ってかかっていった。

カキーン!

彼女の刃は違う方向から来た大男によって遮られた。
「くっ!」
もの凄い力に彼女はひるんだ。
それでもすぐに体勢を整えた彼女は、大男に向かっていった。
「邪魔するな!!この不届き者!我らが大陸の宝、神の申し子に何て所業をしたんだ!!!」
ネイチェルは我を忘れた。
確かに女が少ないこの大陸で、神の声を聞く巫女は今はかなりの希少な存在。
それを穢されたという事は、この世の神の宝を壊したのも同じ。
もの凄い気迫で彼女は相手に切りかかった。
が、相手もかなり腕が立つ。女の彼女は体力的に疲れが出てきてしまった。

「ラムウ!もういい、もういいのだ!」
二人の合戦に、姫巫女の側にいた男が叫んだ。
ネイチェルははっとした。
(この声…アマト王子!?)
「アマト様を…。私の王子を…。いかなる事情であれ、切る事はこのラムウが許さない!
女、剣を納めよ、お前の腕は私にはわかったから」
ネイチェルの相手は、急いで後を追ってきたラムウだったのだ。

彼女もまた混乱した。
何故?何故セドの王子が姫巫女を……?何故!!
彼女の脳裏に王子の黒い瞳がよぎった。あの、手が触れた感触を思い出した。
その一瞬に隙ができた。
ラムウは彼女を峰打ちした。崩れ落ちた彼女を、ラムウは抱えた。

宿の方角が段々騒がしくなったのを見計らったラムウは、周りに潜んでいた者達を呼び、こう言った。
「ここをすぐさま離れる!一行早く船に乗れ。とにかくここを出よう」

姫巫女が、月光天司と共に、行方がわからなくなった事に、大聖堂は大騒ぎになった。
特に姫巫女の実弟、サーディオ聖剛天司は気が気でなかった。
「姉上の行方は?一向にわからぬのか!!」
兄弟姉妹多くいれど、サーディオにとって姉ラスターベルは姫巫女にして神聖。敬愛する一番の人間だ。
しかもサーディオがこれまた尊敬している、月光天司まで行方がわからなくなるとは…。
このまま飛び出ていきそうだ。サーディオが痺れを切らして大聖堂を出ようとした時だった。

「……セドの王子が…姉君に結婚を…?」
その信じがたい話に、サーディオは呆然とした。
「…だから、今、セド王国に確認に行っておる。それまでなるべく騒ぎは内輪だけにしたいのだ」
最高天司長はにべもなくそう言った。
「何故?どうして?セド王国が何故に神の巫女を???」
「それは我々にも要領を得ないのです。王子の説明している事は…どうもよくわからない…」
「それでももしセドが関係していたとしても、巫女を誘拐するとは神をも冒涜する行為。
何故早く兵を出さないのですか!」
「だからちゃんと確認を取ってから、と言ったではないか。…それに、セド王国というのは厄介なのだ。
セドはオーンと縁が深すぎる。身内と言ってもよい。…大事にはしたくないのだ」
「最高天司長!!」
サーディオは納得いかなかった。いくらなんでも冒涜は冒涜。
そこまでセドに義理立てる必要があるのか。
何が女神の子孫だ。何が神の血を引く王だ。
サーディオにとって、そんなのはただの伝説にすぎない。


そしてその後、セドのアマト王子が姫巫女と駆け落ちしたのではないか、という話が浮上した。
セド王国の新しい神王タカトは申し訳なさそうに、オーンに謝罪したのだ。
「我々もおかしいと思っていたのです。…我が弟のアマトの様子が最近変でした。
いきなり王位を私に譲ると、婚約者までいたのにですよ…。
アマトはそれほどまでに姫巫女に入れ込んでいたのか…。あの日以来、彼の行方が我々もわからないのです。
もし、本当にそんな大それた所業をしたのなら、我々も弟を罰せねばなりません。
どうか、オーンよ。大事な姫巫女を略奪したと思われる弟王子を、好きに罰していただきたい」


巫女略奪、という前代未聞のこの所業。
しかも相手は身内のような王家の人間。
普通なら死罪にも当たるほどの大罪。
しかし、今はまだ、真相はわからぬ。
……それにもし、本当に駆け落ちとならば、姫巫女の意向はどうあれ、すでに純潔は失われただの人になってる可能性のほうが高い。……そういうはっきりしない事も手伝って、最高天司長はこの件を保留にしたのだ。
ただ、セド王家には面目が立たないだろうという事で、アマト王子が本当にこの件に関わっているのならば、王位継承権を剥奪、追放、という処罰を下すように申し出た。

だがサーディオだけは、ひとり納得いかなかった。
多分今でも姉と共にいる月光天司の所在も気になる。
彼は何年かかっても、この件をうやむやにするつもりはなく、独自に調査する事を決めた。


「出して!お願い出して!!姫巫女…。
…姉(あね)様!!お願い私を姉(あね)様のところに行かせて!!」
昔懐かしい呼び名を、ネイチェルは繰り返し叫んだ。
気が付いたら彼女は知らない土地の、知らない屋敷の一室に幽閉されていた。
彼女の不安は大きくなるばかりだ。
自分よりも年上だが、本当に純真無垢で、この世の穢れを知らない…いや、知らな過ぎる姉(あね)様。
本当に天の子供のようなあの彼女に、今起きている事実をネイチェルは考えたくなかった。
怒りと、悔しさ、…そして悲しさ…。
ありとあらゆる感情が渦巻いて、ネイチェルを翻弄した。
彼女は拳が血に染まるまで、重い扉を叩いた。
そして心の片隅に、あの王子の黒い瞳がちらついていた。


「すまない…ラムウ」
アマトはラムウの顔を見れなかった。
ラムウは怒りでどうにかなってしまいそうな勢いを、何とか持ち前の精神力で抑え続けた。
王子に怒っているのではない。
自分の大事な彼を、陥れた者達に対してである。
彼は馬鹿ではなかった。
この王子を疎んじ、自分が王に成り代わろうとする人間がいた事くらい、わかっている。
だからこそ、ラムウは自分をも許せなかった。
私の王子…。私達がずっと待ち望んでいた本物の神王となるべきお方を…。
迂闊だった。本当に迂闊だった。己が守りきれなかった。
それなのにこの私の王子は、この大罪を大罪と知って、国のためと信じ、覚悟を決めて決行したのだ。
ラムウは王子には何も言えない。
彼はそういう彼の甘い所をも、愛していたからだった。
だが、この時から、彼の運命も知らないうちに狂っていった。
彼は、大罪を犯してしまった自分の王子と、運命を共にする決心を固めた。

そして大罪をおかしてしまったアマトは、泣き暮れる姫巫女の元へ、毎晩通うようになった。
……彼女を説得するためと、責任を取るため、そして………子を成すために。
それはお互いにとって、地獄のような苦しみでもあった。


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暁の明星 宵の流星 #58

オーンは南に一番近い、東の孤島にある。
一年中、暖かで穏やかな気候。爽やかに駆け抜ける潮風。
楽園と呼ばれるにはふさわしい。
島の入り江には、オーン信徒が生活している村がある。
そこから数キロ、緑を抜けると、天に一番高いとされる山があり、その頂点に天空飛来大聖堂がある。
そこは絶対神に全てを捧げた聖職者が集う神聖なる場所。
その最高位はふたつあり、神事を担う最高天空代理司長(さいこうてんくうだいりしちょう)、通称・最高天司長(さいこうてんしちょう)という男性の神官と、姫巫女(ひめみこ)と呼ばれる神の声を聞く巫女だ。


「姫巫女様!そろそろ日が暮れます。何か上に羽織るものを…」
ひとりの若い女官が、大聖堂の外れにある巫女達が住まう神殿から、庭を散策していたふたつの人影に向かって叫んだ。色とりどりの美しい花が咲き乱れる、この世の楽園とまで謳われる庭で時を過ごしていた、巫女の最高位である、姫巫女のラスターベルは、その声にゆっくりと振り向いた。

大陸一、美しいと謳われた、美の化身がそこにあった。

長い亜麻色の緩やかで絹糸のような髪。陰影を作るほどの長く濃い黒い睫毛に優しく煌く琥珀色の瞳。
女神の再来とまで囁かれた彼女は、齢5歳の時に能力を認められ、ずっとここで育ってきた。
たまに神事だ、感謝祭だ、と、行事くらいしか彼女は皆の目の前に現れないが、この姿を一度見たら忘れられるはずもない。

それほどまでに、彼女は美しかった。

「大丈夫よ。まだ風は暖かいわ」
鈴の音を転がすような美声で彼女は答えた。
「姫巫女様。そろそろ神殿に戻りましょう。今日は色んなことがありましたね」
彼女の隣にいた、戦士の格好をした女性が促した。
短い髪は明るい赤茶色。瞳は大地の土色をしている。
はきはきと話す声が小気味いい。
「ネイチェル天司(てんし)、まだいいじゃないの」
ラスターベルはやんわりと言った。
ネイチェル天司(天空代理司の略)は異名を月光天司(げっこうてんし)といった。
女性を象徴する月の名を神官より受けた。
彼女の家は代々武道の家柄であり、何人もの名将を生んできた家柄の娘だ。
なので剣の腕は幼少の頃から親に叩き込まれている。しかも母親は敬虔なオーン信徒だった。
その母のたっての希望で、彼女は14歳の時聖職者になった。しかもオーン最高位である姫巫女の護衛官長に。
10代の頃からネイチェルは、ラスターベルを敬愛し、ずっと守ってきた。
ラスターベルも自分より年下の彼女を頼り、全ての信用を委ねていた。
二人はどこに行くにも一緒だった。
光の巫女と、それを守る月光天司。
ラスターベルとはまた違った美しさを持つ彼女とふたり、天空の聖女と周りは羨望の眼差しで見ていた。

「それよりも姫巫女様、弟君のサーディオ様の聖剛天空代理司(せいごうてんくうだいりし)のご就任、おめでとうございます」
「ありがとう。これもネイチェルのお陰ね。貴方の指導が良かったから、弟が聖戦士となれたのですもの」
聖戦士とは神の戦士。宗教戦争は終わったにしろ、この動乱の世。大聖堂を守る者達が必要であった。
剣も武術も気術も全てを完璧にこなす事ができなければ、聖戦士の長、聖剛天司にはなれない。
この位に就くには並大抵のない実績と実力を有するのだ。
将来、最高位の神官にもなり得る程のポジションだった。
それに若干19歳で、ラスターベルの弟であるサーディオ天司が就任した。
周囲はさすがに姫巫女の弟君、と彼を讃えた。
もちろん将来の最高天空代理司長候補としての期待の声も高かった。
「いえ、サーディオ様に実力がなければ、ここまでなりませんでしたよ」
ネイチェルは彼の剣の専属指導者であった。
「それよりも本当なの?この感謝祭が終わったら…貴女、ここを出るって」
「…はい。姫巫女様には私の次の者をお願いしてあります。……これは長年の夢だったので…」
ネイチェルは言い難そうに答えた。
「長年の夢…。ここを降りて、大陸の医療奉仕に従事する…って事よね」
ネイチェルは母の願いを聞いたが、本当は医術に興味があった。
なので密かに医術を学んでいた。自分が聖職者になり、初めて慰問した先の内情を知って愕然としてから、彼女はいつも自分が何かできないか、問いかけていた。
この動乱で、東の国には難民が増えた。
いつの世も、犠牲になるのはか弱い女子供だ。
ネイチェルは若いながらも一本芯の通った、向上心の高い女性であった。
「寂しいわ、ネイチェル…」
ラスターベルは哀しげに溜息をついた。今まで何をするにも一緒。
姉妹のように、親友のように…。
二人は黙って歩き出した。
気が付くと辺り一面が夕焼けに染まっていた。

「ねえ、どう思う?ネイチェル。セドの王子…アマト=セドナダ」
食事中にいきなりこう切り出されて、ネイチェルは思わずスプーンを落としてしまった。
「あら、どうしたの?ネイチェルらしくもない」
ラスターベルは目を丸くした。そんなに動揺することかしら?
「…いえ、その…突然その名前が出たもので…」
「私に求婚したから?」
ネイチェルは苦笑いした。冗談にも程がある、と思っていたが彼の黒い瞳は真剣だった。
当のラスターベルは完全に冗談と受け取っているようだ。
それもそのはず、こんな馬鹿げた申し出、今まで聞いた事もない。
「……でも、綺麗な目をしていたわよね…アマト王子」
(それにあの声もね…)
呟くように言ったラスターベルの言葉をついで、ネイチェルも心の中で呟いた。
あの宵闇のような低くて甘い声は、なかなか忘れられるわけがない。

彼は突然、供を連れて大聖堂に現れた。
神官と何やら話をしていたようだ。神官達は皆苦い顔をしていた。
丁度明日からの感謝祭について、神官と打ち合わせをしようと巫女達も大聖堂に集まっていた。
神に仕える聖女の巫女達も、セドの太陽と噂される本人を目の当たりして、深い感嘆の溜息をついた。
白い肌に黒いビロードのような髪。黒い瞳は物憂げで、ちょっと影の入った風情が何とも艶かしい印象を与えている。そして、あの声。世の女性を全て虜にしてしまうほどの破壊力があった。
彼はつかつかといきなり姫巫女ラスターベルの前に進んだ。
神官の慌てた顔が彼の後ろで見え隠れした。
「姫巫女殿ですね。はじめまして、セド王国のアマト=セドナダです。
突然だが、無礼を許されよ。どうか私と結婚して欲しい」
その言葉に一同固まった。
が、次の瞬間、何の冗談かと失笑が沸いた。
だが彼は真剣だった。間近で見ていたネイチェルだけはわかった。
「何のご冗談でしょう、セドの王子様。感謝祭での何かの催し?」
ラスターベルは瞳に笑いを浮かべて、この美しい王子を見やった。
彼は苦悶の表情で、また何か言おうと口を開いた。
が、その時後ろにいた神官が慌てて王子を引っ張った。
「王子、その件はこちらで…」
神官が強く引っ張ったせいか、彼の剣に付いているセド王家の紋章が刻まれた装飾品が、勢いよく落ちた。
ネイチェルは咄嗟にその小さな装飾品を拾った。
「あ、申し訳ない…」
その時初めて二人は目を合わせた。
ネイチェルは不思議な感覚に陥った。
「いえ…。どうぞ、王子」
ネイチェルがそれを彼の手に渡した時、微かに二人の手が触れ合った。
その瞬間、びくっとして二人は手を引っ込めた。
(何…?今の)
ネイチェルもそうだったが、アマトの方も不思議な顔をして自分を見ていた。
そうこうしている内に、アマトは急き立てられるように、神官に連れて行かれてしまった。

あの時、確かに二人の間に電流のような物が流れた。
この感覚は一体何だったのだろうか…。
アマトもまた、赤みがかった茶色の髪の女性の瞳を見たとき、何か衝撃を感じた。
よくわからないが、彼はその時、自分は将来後悔するかもしれない、と一瞬思った。
初めて合わせた互いの瞳。敏感な者が見たらわかったかもしれない。
確かに二人の間に火花が散った。
…それは本人たちにはよくわからない現象だったが、紛れもない事実だった。


「当たり前じゃないか、アマト。その様な話、直に大聖堂に持っていけば、断られるに決まっている!」
その日の夜半、セド城に戻ったアマトに、タカトが言った。
「では、どうしろと?まさか相手の了承もなく、力づくで…なんて考えてないよな?」
「考えてるよ」
当たり前のように言うタカトに、アマトは凍りついた。
「……なぁ、アマト。我々はもうこの手段しかないんだよ。この間も泣いて頼んだだろう?
セドの存続、国の安泰…しいてはお前の言う、大陸の平定のため、巫女との子供が必要なんだよ!」
アマトは唸った。
今まで自分に対して尊大だった彼が、父王崩御のショックで錯乱し、この自分に初めてすがってきたのだ。
「お前は次代の王として、何をするべきか、いつも皆に言っていただろう?覚悟を決めてくれよ。お前しか適任がいないんだ。……他の兄弟達は身体も精神も弱い。いつフジト兄上のように床に伏すかもわからない。
私が本当は国のため、この身を捧げても良かったのだが……。
知っている通り、私は父上のお供で先の戦に出た時、足に後遺症が残るほどの大怪我をした。
今でも歩くのに困難をきたしている、遠出なんかもうできやしない。
……だからこそ、こうしてお前にすがっているんだ。
兄弟の中で、お前しか健康で、全てを兼ね備えた王子はいない。
巫女殿だって、そういうお前なら喜んで子供を作ってくれるかもしれん。
お前しかいないんだよ、アマト。セドの国を守るため、大陸の平和のため、神の力が、お前の力が必要なのだ」
タカトはそう泣きながら、アマトの足元にすがりついた。
こんな彼を見るのは父王が亡くなった以来だった。
アマトは元来、情に脆かった。どちらかというと、自己犠牲的なところがあった。
困っている者、助けを請う者を、見捨てる事ができない性格だった。
タカトはそれをよく知っていた。だから彼はアマトのそこに付け入ろうと思ったのだ。
「タカト…お前はそこまで…国の事を考えていたのか…」
「そうだよ、アマト。私だって、神王の子だ。国の事を考えないわけがない。
このような不自由な身体だが、国にいて、国を守る事はできる。
お前と巫女の子が神王になるまで、私がこの国を守るから…」
アマトは苦渋の表情で目を伏せた。
覚悟をしないとならない気がしてきた。
「…姫巫女が大聖堂から出れるのは、感謝祭での行事くらいだ。
しかも今年は姫巫女が、隣の島に慰問に行く、というじゃないか。
こんな機会、もうないかもしれぬ。なぁアマト、時間がないんだ。
…既成事実を作ってしまえばいいんだよ。
理由なんか後から説明して、時間をかけて説得すればいい。
きっと神の申し子、本当の事を知れば判ってくださる。慈悲深い方に決まっているからな」


アマトはその日のうちに、ここを出る決心を固めた。
いくら国のため、平和のため、これは死罪に当たる大罪を犯すも同じ事。
アマトはそれが判らぬほど、愚かではなかった。
だから彼が覚悟を決めた時、今まで自分に誠実に仕えてくれた者達を呼び集めた。
「私はこれから、神を背く事と同じ事をする。
…今までこんな私に仕えてくれてありがとう。いくら国のためという大義名分があれど、どんな結果になるやもしれぬ。お前達に迷惑をかけられない。後の事は城の者にお願いしてきた。
…もう、私の事は忘れてくれ…」
暗い瞳の王子に、皆は驚き、むせび泣いた。皆、王子を愛していた。
「いいえ、王子。我々はアマト様以外、誰にも仕える気はありません。我々をお供に、どうか王子と共に」
総勢20数名あまりの気持ちは全員同じだった。
「それは…いけない。お前達まで巻き込む事なんてできない」
アマトは躊躇した。
が、供の者達の決意も固かった。
アマトは苦しいながらも、皆に感謝した。
「…ところで王子、ラムウ様にはこの事を…」
子供の頃から自分の子守をしてくれていた、ハルがアマトに囁いた。
「言うな。彼には言わない方がいい」
アマトは辛そうに目を瞑った。
「しかし…」
「いいんだ。ラムウは敬虔なオーンの信徒。この事が知れたら絶対に悲しむ。
彼にはここで、私の護衛の任を解く。セドの大切な将軍を道連れにはできない」


セド王国将軍、ラムウ=メイは敬虔なオーン信徒であり、アマト王子の絶対な守護者であった。
アマトが10歳の時に、5歳年上のラムウは彼専門の護衛を任された。
その時からラムウはこの利発で美しい王子を敬い、自分が彼を守る事に誇りを持っていた。
彼はこの腐ったセド王家の中で、唯一の希望の星だった。
未来の神王…。名実共にラムウの切望した理想の君主。
自分が“鳳凰の気”を修得するために聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に短期で修行に向かった時以外は、彼はアマトの側を離れなかった。高貴高潔。見目麗しく、男らしく。武将としても男としても、ラムウは他の、いや敵方さえも羨望を集める男だった。
その影のように仕える彼を、他の王子達は脅威に思い、疎んじていたのは明白である。
だからこそ、アマトをこのような状況に追い込むために、ラムウを彼から離す必要があった。


アマトが苦渋の選択をした半月前、ラムウはいきなりガイの町を強化するよう申し付けられた。
それは神王直々の命令だった。
「まことに神王様が?」
ラムウはいぶかしんだ。神王はずっと床に伏せているはずだ。
「ガイはセドの防波堤。国境近い町。人手不足の今、お主程の適任はいないのだ。
これは王家皆の意向、神王様も了承済み、との事なのだ。頼む、ラムウ」
ラムウは王子を残していくのに気持ちが揺らいだが、神王命令は断れなかった。
彼は何年ぶりかでアマトの側を離れた。
まさかそのすぐ後に、神王は崩御し、愛する王子がこのような状況に追い立てられるとは、露ほども思っていなかった…。

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暁の明星 宵の流星 #57

「ガイの町がやられた?」
深手を負いながらも、城に戻って来た兵士の話を聞いて、アマトは青ざめた。
ガイの町はセド王国の防波堤。
ここがやられてしまうとかなりの痛手だ。
昨今、東の中でも2番目に大きい州、荒波(あらなみ)が、セドに打って変わろうと敵意を剥き出していたのはわかっていた。そういう輩は長い歴史の中、多々あることで、今更というところだったが、現神王は先日の戦で深手を負い、しかも持病の心臓病も悪化した。いつ崩御しても不思議ではない、不安定な状況だった。
とにかくアマトはガイの穴をうめるべく、すぐさま城の兵を向かわせた。
しかし、セドの苦悩はそれだけでなかった。
隣国南のリドンの干渉である。
リドン現大帝は、かなり気性が荒い男でもあり、虎視眈々と大陸制覇を狙っている節があった。
だからこそ、「東を制するもの、大陸を制す」という伝えに従い、ここ最近セドを目の敵にしているのも知っていた。
それだけ東は五大王国の中で、一番の大きさを誇っていた。
まずは大国セドラン共和国。
どの国の、どの有力者も、誰もが皆思っていた。


「王太子、隣州から姫君がご到着いたしました!」
城の応接間に兵士が報告に来たと同時に、若い娘がアマトに駆け寄ってきた。
「王子!アマト様!」
アマトは突進して来た彼女を優しく受け止めた。
「ミカ・アーニァ姫」
「怖かった!怖かったです、王子。もうミカは貴方様と離れたくない!」
まだ年の頃17くらいだろうか、まだあどけなさが少し残っているが、かなり美しい娘だ。
「ご無事で何よりです。姫。さあ落ち着いて」
アマトは彼女を落ち着かせようと、誰もが魅了される、低く、甘い優しい声で囁いた。
「昔のようにミカ、と呼んで、アマト様。ミカは早く貴方と結婚したい。こんな怖い思いをするなら、早くミカをアマト様の妃にして!」
ミカ姫は潤んだ瞳で彼を見上げた。
「ミカ…。貴女の州はガイの町と隣接。ガイと共に襲われたと聞きました。私も心配していたのですよ」
「では、早く!貴方が神王になるまでなんて待てません。今すぐミカと結婚して」

彼女は隣州に嫁いだ現神王の姪の娘だった。
隣州と密な関係を築くため、希少な王家の娘を嫁に出したのだ。彼女はそうしてミカ姫を産んだ。
実は遠縁にあたる姫君で、丁度よい年齢の娘はミカ姫しかいなかった。
彼女は生まれたときから、次の神王になる男の正妃になる事が決まっていた。
その神王が誰になるにしろ、彼女はそのように育てられた。

小さい頃は、よく王家に遊びに来ていて、王子達とも遊んだ事もある。
文字通り幼馴染でもあった。
彼女は小さい頃から、ずっとアマトを崇拝していた。 
だから彼が王太子の地位についた時、天にも昇る気持ちだった。
周りからの羨望も彼女には心地よかった。
「いいわね!ミカ様!あの太陽の王子のお妃に決まったなんて!」
「本当に羨ましい!あの方に私も抱かれてみたいわー」
「ああ、私も、側室でいいの。アマト様のお傍に行きたい!」
そのように口々に言う、友人やお供の者に、彼女はいつもきっぱりと答えた。
「それは絶対許さないわ!私。アマト様は私のもの!他の女には絶対に触れさせないの」
まだ若くて潔癖な所のあるミカは、彼が他の女と関係するという想像だけで嫉妬の炎に狂う。
「まったく、姫様、後世継ぎの問題だってあるでしょうに。それにもうアマト様だっていい大人の男性。
あれだけのお方、恋人くらいいらっしゃるでしょうにね」
「今までは仕方ないわよ。だって、私はまだ子供だったんだもの。でも、もうミカは大人よ。私、妃としての責務は果たすわ。ちゃんと子供産める体だって、医術者のお墨付きだもの。
…だから結婚したあかつきにはそれは絶対に許さないの。彼が、私以外の女と子供を作るなんて汚らわしい事」


とにかくアマトはミカをなだめ、兄弟たちが待っている会議室へと向かった。
心も足取りも重苦しい。
「アマト、今のミカじゃないか。随分育ったなぁ」
突然後ろから声がした。
異母兄弟のタカト第四王子だ。
彼はアマトと全く似ていない。似ているとしたら肌の白さぐらいで、そのせいか鼻の周りにうっすらとそばかすが目立つ。背もすらりとしたアマトとは対照的で、中背でがっしりした体格だった。
細くて小さな目は、いつも何かを考えてるらしく、ぎらぎらしている。
「それにしても、女って驚くなぁ。あのいつもピーピー泣いていたチビが、あんなに美人になるなんてな」
タカトはそう言って、まるで獲物を前にした獣のように、ぺろりと唇を舐めた。
アマトは溜息をついた。
兄弟の中でも、どうも彼とはそりが合わない。これからは兄弟皆で力を合わせていかなければならないのに。
「しかし、何でまたセド出身の賢者が来ているんだ?」
タカトは首を捻った。
「何か重要な話らしい。とにかく主要の王族全て集めろと言われたんだ…」
二人は肩を並べ、会議室の重い扉を開けた。


そしてその会議室で、とんでもない話を王族達は聞かされた。


「……なんだと…?神の血を取り入れるだと?」
「どういう意味だ、それは…」

セド王家にも縁の深い、そのセド出身の賢者の話に皆、驚愕を隠しきれなかった。

「ご存知のように、我がセド王国は女神の血を引く、絶対神とも縁ある古い民族。
それが昨今、セドの勢いが失われているばかりか、その存続も危ぶまれているとは…。
セド人の私は心苦しくてどうにかならぬものかと、色々と研究しておりました」
その賢者は、賢者衆のひとり、マダキという考古術者であった。
「セド王族が絶えることは、すなわち東の崩壊と同じ。この国の皆はその事に危機感が少なすぎる。
しかも直系の血も濃すぎるが故の悲劇も止まらぬ。
私は神国であるオーンの文献も経典もずっと研究してきました。
もちろん我が国の歴史も全て…。かなりの時間を費やし、金をかけて。
そこでとうとう私は裏の文献を見つけたのです。…再び人が神の力を手に入れるための一文を」

部屋はどよめいた。
「人が…神の力を手に入れる?」
「そうです。セド存続のためには、大陸平定のためには、神の力が再び必要なのです。
…神の血を引く、セドナダ家でしか、それはできない」

「よく…その、わかりませぬ。そなたが見たという、裏の文献とは…」
長老のひとりが、マダキに恐る恐る言った。
「再びオーンと繋がるのです」
「……それが、神の力を手に入れる事とどういう…」
皆はマダキの話が今ひとつよくわからない。
彼もまた何となく歯切れも悪い。
「オーンと我が国は兄弟のようなもの。昔から繋がりは深いが…。
そなたの言う事はよくわからん」

マダキは意を決したように言った。
「だからこそ、神の血を再び取り入れる、と言ったのです。
……伝説ではセドナダ家は女神の血を引く。それは流れる血脈に神の記憶(遺伝子)が存在しているという事実。そしてオーンは、血脈なきにしろ、魂で神と一番繋がりが深い。特にオーンの最高位のひとつ、姫巫女(ひめみこ)は真実、神の申し子。神の声を聞き、神の意と言葉を伝え、いつも宇宙(あま)と繋がっている稀有な力を持つ人間。………そのふたつがひとつに結び合った時、最高の神の力を手に入れる事ができるのです」

その衝撃の言葉に、部屋の者全員は凍りついた。

宇宙(あま)の姫巫女と…結びつく…?
それって……。

「…それは…まさか、その…。純真純潔な巫女と…」
「そうです。巫女と契り、その証に子を儲けるのです」


部屋はまるで水を打ったような静けさが広がった。


「そんな!そんな大それた事!!神の申し子、つまりは神の妃と同様である巫女に!いくら神の血を引くとはいえ、ただの人間が……子を成す、とは、その…巫女の神聖を穢すと言う事になるのではないか!?」
「生物学的にはそうでしょう。そうしなければ人間は子供を作る事は出来ません」
マダキはさらりと言った。
「し、しかし、そんな事、オーンは絶対に許しはしないぞ!特に今の姫巫女は歴代の姫巫女の中で一番の力を持っておる。人と契るとは、オーン聖職者にとって姦淫の大罪。特に巫女は純潔を穢されるとその能力を失うというではないか……!そのような貴重な姫巫女をオーンは絶対に渡しはしない!」
長老が青くなって叫ぶ様子を見て、マダキはゆっくりと答えた。
「ですが、神の力を借りなければ、いつまでたってもこの大陸は安定いたしますまい。
特にセド王国は……再び神の血を入れないと、このまま絶えるのは目に見えている。
ごらんなさい。そのために現神王は王家以外の血を取り入れなければならなかったではないですか。
ならば、巫女と通じ、その証の子を神王に据えた方が、王国、いや、大きな目で見ての大陸の平定と成すでしょう。何か大きな事を成すには、常に大きな障害はつきものですよ。
まぁ、よくお考え下さい。…神の怒りを買う覚悟があればですがね」


マダキのその衝撃的な話の内容に、王族一同は放心状態だった。
神の怒りを買うかもしれない。…だが、神の力を手に入れれば、この世は安定し、王家は安泰する…?
その神の力というのは、マダキははっきりと言わなかったが、この荒れた大陸をまとめるほどの力があるらしい。
それができるのはセドナダの王子とオーンの姫巫女だけなのだ。


アマトはいくらなんでもそれは出来ないだろう、と思った。
姫巫女といえば、オーンの最高位。
神と繋がる唯一の大陸の宝。
その女性が、ただの人間として神の座を降りるとは思えない。
神と契った女性が、男と姦淫などという、恐ろしい事ができるわけがない。
それに、このマダキという男の話がどれだけ信憑性があるのか。
アマトは益々気が重くなって自分の部屋に戻った。


その夜半に、アマト以外の兄弟達がタカト王子の部屋に集まっていた。
もちろん寝たきりのフジト王子はもうすでに就寝していてその場にはいなかったが。
「今日の話をどう思う?」
タカトが兄弟達に言った。
「かなり面白い話じゃないか、神の力。王家の為に神の血を取り入れるとは…」
「確かに興味深い。だが神を冒涜する行為ではないか?無理だよ」
タカトと、他6名の異母兄弟たちは、皆自分達がセドナダの王子という事に異常にプライドを持っていた。
「でもこのままじゃ、確かに我が王家は力を失う。何せ、あの下賎な血を引くアマトが次の神王なんだから」
「まったく、父上も何を考えているのやら…。我々はタカト兄さんが神王に一番ふさわしいと思ってるのに」
タカトは鼻を鳴らした。
「由緒正しい我々を差し置いて、アマトの奴、あいつは所詮娼婦の子じゃないか。本当に父上の子かも怪しいぜ」
一番年下の王子がいきり立った。彼は喘息持ちでいつも大声を出さないようにしていたが、アマトが余程気に入らないらしい。珍しく興奮していた。
「残念ながらあいつは正真正銘父上の子で、私達と血が繋がってるよ。声なんか父上とそっくりじゃないか。
低くて独特の声。姿だけはあの卑しい女にそっくりだけどな」
タカトこそ王子らしかぬ卑しい笑いを浮かべ、腕を組み兄弟達に言った。
「面白いじゃないか。セド王国の存続の責任を、王太子に取ってもらうというのは」
その言葉に兄弟達は息を呑んだ。
「どうせ卑しい娼婦の子。女の扱いくらいお手のものだろうよ。正当な血筋の私たちが、直接神には背きたくないが、アマトなら適任だろ?もし何かあったとして神罰がくだったとしても」
そういうタカトこそ、侍女に手をつけてすでに王子を二人生ませていた。
「兄君…それって…」
タカトは笑った。
「そうだな。そのためには現神王にはお隠れになっていただかないと」


その数日後、現神王は持病の心臓病が悪化し、突然この世を去ってしまい、セド王家は大混乱となった。


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暁の明星 宵の流星 #56

その8.セドの太陽~運命の子~

東の国に一人の若き王子あり
太陽と賞賛された期待の王子は禁忌を犯し、罪の子を得る

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東の国に、一番美しい春が訪れた。
突風を伴い春の使者が現れた後、特に東の中央にあるセド王国の首都、曙(あけぼの)に一斉に花をつける桜が一番美しい時期だ。
大陸で桜が見れるのは、このセドと中央の桜花楼(おうかろう)くらいである。
もともと桜花楼の桜は、セドの桜を植林したもの。
中央国はセドとの友好の証として、美しい桜を女性にたとえ、女達の集まる桜花楼の象徴としたのだ。
特にセド民族は、伝説でいったら神の子孫。肌きめ細やかで、色白で、一番美人の多い民族だ。

このセド王国は国自体はそんなに大きくはなかったが、大陸太古にして最も古い民族で、絶対神の妹神の子孫と言われているため、東では一番力のある国だ。
彼らは東の他の州や村、民族をまとめ、セドラン共和国を築き上げていた。
それでも東は他国と違い、一番いざこざが多い国でもあった。
今も何とかセドが頑張って国を治めてはいるが、崩壊の危機が幾度かあった。
それだけ東は自己主張が多い民族の集まりでもあった。


神王が統べる、大陸最古の民族セド。
ただそれだけで他州、他村、他民族は、納得して共和国として甘んじていた。
それが近年、セド王家に存続の危機が訪れていた。

女神の子孫と言われるセドナダ家は、その血を絶やさない事だけに必死だった。
それがあるからこその、セド王国の価値と信じていた。
だから彼らはその事実だけ、それだけを守ろうとし、己の霊性や頂点に立つ者の何たるかを置いてけぼりにした。
そして、大陸での女性の減少。
益々王家は血を濃くするために、近親結婚を繰り返していたのだ。

その結果、王家では不遇な子が生まれ続いた。

現神王である、リクト王の兄弟や子供達も例外ではなかった。
確かに近年、昔のように異母きょうだい同士で結婚する事はなくなりはしたが、女性が少ない今、王家も例外ではなく、限られた者としか結婚できなくなったいた。
いや、側近達の中には、昔のように近親婚も致し方がない、と考えるような者も出てきていて、王家を悩ませていたのだ。
だが、リクト王は王子達が続けての不遇な出生を目の当たりにして、一代決心したのであった。

「私は王家以外の女性と子供を儲ける」
周りは驚いたが、王家の為に新たな血を入れた方がいい、というのは明白だった。
確かに血が薄くなると心配する声もあったが、このままでは存続すら危ういではないか。
一部の人間を残して王家は王の意向に従った。
それでも王はセドの血にこだわった。
いくら王家以外の血を入れるとしても、他国、他民族では何の意味もない。
当時王には従兄妹である正妻と、王家筋の側室達がいた。
この妻達の間に、王子が何人かいたが、ほとんどが身体虚弱、精神薄弱、短命、であった。
稀に普通の子が生まれても、やはりどこかが健康ではなかった。

王はセドの国を色々出歩いて、自分の花嫁を探した。
できるなら、次の王となってもおかしくない、いや、最高の神王となり得る息子が欲しい。
この閉鎖的な王家に新たな風を入れたい。
その願いだけで、王は色々な娘に会った。
だが、どうも自分には今ひとつ。
元来女性というと王家の人間しか知らなかった王は、いい歳の大人でもかなり奥手だったのだ。
女性の扱いに慣れてはいなかった。

そんなある日、最高級娼婦の集まる桜花楼の中に、セド人の娘がいるという噂を聞いた。
しかも彼女は若くして桜花楼の最高峰、【夜桜】までなったという。
美人が多いセドの女性。しかも女性が少ない今、セド人、というだけでもかなり希少だったのである。
王は珍しいと思い、彼女に興味が湧いた。
側近達も少しは王も女性慣れしてくれれば、という軽い気持ちで桜花楼に出向く事にした。

そこで王はそのセドの娘に会って衝撃を受けた。
彼女は本当に【夜桜】のように美しい満開の桜の化身だった。
それに会話をして、彼女の頭の回転に舌を巻いた。
しかもそれを全く鼻にもかけない、文字通り美貌と教養、全てを兼ね備えた娘だったのだ。
王は恋に落ちた。
彼は彼女に夢中になり、他の意見を聞かずに彼女をセド王国に連れ帰り、すぐさま側室にした。
周りはもちろん驚いた。
何せいくらセドの人間だとしても、どこかの豪族でも身分の高い女でもない。
王家にしてみたら彼女はただの遊び女だ。
他の国の王国はどうであれ、神の子孫たるセドナダに、娼婦を入れるとは…。
しかも王は彼女に執心し、彼女の元を離れようとしなかった。
面白くないのはもちろん他の妃達である。
先の正妻はすでに病気で亡くなり、新たに正妻を迎えようという話が出てきた矢先の事でもあった。
本当は王は彼女を正妻に据えたかった。しかし周りは許さなかった。
彼女を王家に迎える代わりに、きちんとした家柄、血筋の娘を正妻に迎えよと条件を出された。
王の意見は絶対だが、王家あっての王でもある。
折れるところは折れなければならない。
王はしぶしぶであったが、セド王族の血を引く一回りも歳の若い、王の遠縁の貴族の娘を正妻に迎えた。

そのうちに彼女にも、正室にも子供ができた。
王は喜んだ。元々子煩悩な人である。自分の子は誰でも可愛い。
最初に正室の方に王子が生まれた。遠縁筋という事もあってか、危惧していたような疾患もない、五体満足な王子であった。
ほどなくして側室の方にも王子が生まれた。彼は彼女にそっくりで美しい我が子を天になぞらえ“アマト”と名づけた。


王族の誰もが、正室の王子が次の神王になると思っていた。

だが、次の神王という立ち位置である王太子に据えられたのは、第五王子であるアマトであった。
王太子は、必ずしも現神王の長男を指すとは限らない。代々セドの王位は、長幼の序を重んじつつ、本人の能力や外戚の勢力を考慮して決定され、長男であれば必ず王太子になれるとは限らなかった。それゆえに王太子の決定権は現神王の影響もかなり大きく、彼は成長した王子達の中で、アマトを選んだのである。

先の正妻の子である第一王子は短命。第二王子は身体が弱くて寝たきり。側室の子である第三王子は精神薄弱。第六王子も持病を持ち、第七王子は四肢障害を患っていた。
普通に生活を送れるのは第五王子のアマトと、後に正妻に入った妃との間に生まれた第四王子初め三人の王子達だけであった。
特に歳の近かったアマトと、正室の王子であるタカトは何かしら比べられた。
兄弟達も第二王子であるフジト以外は、全てタカトの味方で、アマトを下賎の血を引く者として密かに疎んじていた。


「アマト。私はお前なら素晴らしい神王になると思うんだ」
寝たきりではあったが、博識で、公平な目を持つ第二王子は言った。
「他の兄弟はダメだ。王となる資質に皆欠ける。
私は常に思っていた。父君とも沢山話し合った。
…セド王国を今こそ立て直さないと…大変な事になる…。
これまでの王族は、血縁のみが重視されがちで、真実の王たるものの本質を見失ってきた。
血が薄まる、絶えるよりも私はそれが恐ろしい。
神が我々に期待していた事はそんな事ではないはずだ」
「兄君、どうか無理なさらずに…」
アマトは起き上がろうとする、か細い兄王子を支えた。
「いや、いい。今まだ力があるうちに話しておきたいんだ。
神の王、なんて名前だけの王族。私はいつかその歪みが大事になりそうで恐ろしいのだ」
兄フジト王子は敬虔なオーンの信徒でもあった。
セドは元々絶対神を崇めるオーンと同じ系統の宗教を持っている。
それはやはり、王家の伝説が大きい。
本宗教はオーンであることもあり、セド国民の四割はオーンの信徒と言っても良かった。
だがアマトは桜花楼から来た母の元で育ったため、意外と宗教については寛容だった。
全ては天の意。天の理。を主義にしていた。
それは宗教戦争が終わった後にオーンと他の宗教の違いを表す意味にもなっていた。

すなわち、世間でいう“神”とは絶対神の事を指し、“天”とはその絶対神が住まう、天界全てのものを意味する。
他国はほとんどが多神教のため、すんなりとその意が浸透したのだ。

「兄君。私がこの国でできる事はやりたいと思っています。そのためにも兄君にはまだお元気でいていただかないと」
アマトは誰もが見惚れる優しい笑顔で兄をいたわった。
「アマトよ。お前は兄弟の中で一番優しく賢い。そして懐が深い。その寛大な心は持って生まれたもの。
そのようなお前の本質も見抜けぬ、血筋で人を見下す王族の奴らは、本当に身内といえ愚かだ。
まだ国民の方がお前をよく知っている。私はお前こそ神の希望した王だと思う」
アマトはその大げさな言い方に少し戸惑った。
「それは私を買いかぶりです、兄君。私なんて本当にまだまだ。もっとこの世をよくするために、沢山勉強しないとならないと、いつも思っているのですよ」

桜花楼出身の母を持つとはいえ、アマト王子は姿、頭脳、性格、全てが他の兄弟達よりも抜きん出いた。
その母はアマトを産んでから身体を壊し、もう次に妊娠する事ができなかった。
王は彼女を手放したくなかったのだが、そのために彼女はここを追い出された。
しかも王家での人間関係にも疲れていた彼女は、早々に王家を出る事になってほっとした。
一人息子を気にかけながら。
子供が産めなくなったとしても、彼女の美しさは衰えなかった。
桜花楼に戻ったすぐに、他の国の貴族に見初められ、再婚して幸せな生活を送っているらしい。
母を愛していたアマトにはそれだけでよかった。
彼女が幸せならば、本当にそれだけでよかったのだ。

それ以上にアマトは国を、民を、愛していた。
彼は他国にはあまり出向いた事はなかったが、国内には暇があれば必ず様子を見て回った。
本来、とても美しい国。どの国よりも歴史が古く、独特の文化を持ち、国民は平和主義で皆温かい。
国民も、美しく、気高く、なのに気さくな若い第五王子を愛していた。

セドの太陽・‥…━━━

彼がいるとまるで日が射したごとく、周りがぱっと明るくなる。
文字通り国の太陽そのものであった。

その国民自慢の王子が王太子となった事は、国全体が大歓迎だったのは言うまでもない。
もちろん、一部の王族だけは快く思っていなかったが…。

今年もまた、アマトの好きな桜が咲き乱れている。
まるで白い雪のような花びら。
桜を見ると母を思い出す。

ただ、王太子となったはいいが、彼はずっと悩み続けていた。

セド王国存続の危機。


兄弟達、ならびに側近の長老達が危惧している事実。


セドを討とうとしているいくつかの国が活発になってきた事。


ここ数年の東の、いや大陸の緊張感は小さな王国、セドまで暗い影を落としていたのだ。

アマトはいつも考えていた。

どうしたらこの世を安定させる事ができるのだろうか。

どうしたら大陸全土が平和になるのか。

それは自国の幸せだけではない。
全てが幸せにならなければ、まだこの乱世は続くという事を、彼は知っていた。


自分がオーンの巫女のように、天や神と話ができるのならば、いい叡智を授かれるだろうにと、彼はいつも思っていた。
答えてくれないとしても、それでも彼は胸のうちで、いつもその事を天に問いかけていた。


そのような真摯な彼でも、人生の中で、目を誤る事もある。

それが取り返しのつかない事になったとしても、全ては己自身の責任。運命であった。


この時はまさか、彼は自分が神に背き、禁忌を犯すとは思ってもみなかったのである……。


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長くなり過ぎました…(お知らせです)

Akatuki_convert_20100404060745


突然ですが、お知らせします。

本日、4月4日、16時以降に第8章、#56~#61を急きょアップいたします。
(これを見ていただける方に向けてのお知らせになってすみません)


何故か、というと、実は第8章がいつもの枠より長くなりそうな事が判明しました。
(これがぶっつけ本番、書いている最中にわかる…という証です)

で、力、入っとります。
親知らずの痛みを、薬で抑えて書いております。

最後まで書きますと、一日アップするページ数が多くなってしまうので、こうして前半(くらいと思います)だけ、先に公開いたします。
勝手ながら、ご興味ある方、ご縁のある方、どうぞ覗いていってくださいまし。


とりあえずご報告まで…。


現在#61を書いています。

その後、全体を見直しての公開という予定です。


どうぞよろしくお願いします。


で、キイとアーシュラ
  ↓
Kiiasyu_convert_20100404072826


それでは、また夕方お会いしましょう

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