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2010年4月23日 (金)

暁の明星 宵の流星 #75

話し合いは夜明けと共に終わった。

皆の心配をよそに、百蘭(びゃくらん)はあっさりとこう言った。
「ならば寺からいなくなった、という事になさればよいのでは」
「ええ?でもそうすると百蘭が…」
「私の事はどうかご心配なさらずに。…私も常々、セド王家のやり方に不満がありましてね。
いつかはキイ様を、アマト様にお返ししようと、ずっと考えておりました…。
ただ、セド王家の目や、キイ様の“気”の様子などで、なかなか実行が難しかったですが…。
ですが、こう上手くいくと話は別です、アマト様。
キイ様をここに連れ出し、また大法師様に会わせる事は、一世一代の賭けでございました。
私も今が絶好の機会と思います。これを逃したら…いつこのような好機が訪れるか、わかりません」
不安げに自分を見るアマト達に、百蘭は安心させるように微笑んだ。

「実はこういう事もいずれは、と想定して、私ども…、ええ、弟子や自分の家族もですが、すでにセドの国から出させてあります。…大国も手を出せぬ、中立国のゲウラにです。…あの国に、きちんとした手続きを済ませ、永住権を取ってしまえば、いくらセド王家でも手は出せません。…確かにゲウラの永住権を取るのには、かなりの年月がかかりましたが、…いや、間に合ってよかった」
「中立国に」
「…はい。そして私はキイ様が、神隠しにでもあった、とでも大騒ぎしましょうか。…実はこの村ではそのような伝説もありましてな。…子供が消える、という…。まぁ、普通に賊にでもさらわれた、としてもいい。
……多分、私はこの責を取らされ、国外追放になるでしょう」
百蘭がそこまで考え、用意周到に事を運んでくれてるとは、思ってもみなかった。
「いや、私はですね…。祖国を愛しているのですよ…。本当は王家で、こんな事をして欲しくなかった。
キイ様を見ていて、彼の事は、国の、いや一定の者だけの野望の道具としてはいけない、と思っていました。
これは地に住む我々にもたらされた天の宝です。
大切に扱わなければ、それこそ罰が下る」

百蘭の決意に皆はうなだれた。
だからこそ、ぎりぎりの所でも、この百蘭に疑いがかからないようにしたい…。

なのでこのままキイを連れ去るよりも、一度寺に戻し、護衛の隙を狙って連れ出す事になった。
そうして百蘭はキイを守れなかったと、錯乱するふりをして、護衛と共にセドに戻ってもらう事になった。
特に大陸で重宝される気術者の百蘭には、彼が言ったとおり、刑が一番重くて国外追放だろう。
それならそれで、彼には好都合である。
しかも…
「セドの護衛の者も、生き証人とするか。…彼らには申し訳ないな…。
守れなかったとの事で、かなり重い厳罰が彼らに下されるかもしれない…」
アマトが沈痛な表情で、溜息をついた。
「いや、それでも死刑にはなりますまい。アマト様、そこまでのお気遣いは無用です」
その様子を見ていたラムウは、冷淡な顔してきっぱりと言った。
「私としては、もし見つかって抵抗する様でしたら、斬っても構わぬという覚悟です」
「ラ、ラムウ…」
アマトは辛かった。ラムウにそこまで言わせるなんて。仮にも昔の部下に対して。
だがラムウは全く平気だった。護衛の中にセインがいたが、彼よりもアマトの方が大事なのである。
「だがお前も私も顔が知れているよ…。なるべく対峙しないよう、考えよう…」
アマトはそう言って、ラムウを見上げた。

「とにかく、ここを出発する予定の時刻の頃に、今の手順で…。それまでは私はキイ様とネイチェル様をお連れして、普段どおり寺で過ごしましょう。他の方々は、どうかここで待機なさってください」
百蘭はそう言うと、支度しようと立ち上がった。

だが問題はアムイであった。
彼は絶対にキイの傍から離れない。
いくら後で会えるからと説明しても、彼は泣いて嫌がった。
「だって…しんぱいなんだもの…」
「心配?」
アムイは涙を拭きながら両親に訴えた。
「……なんでこの子はおれを見てくれないの?おれと話をしてくれないの?
…どうして何も見ようとしないの?…昨日は遠くで声がしたと思ったのに」
二人は言葉に詰まった。
小さいアムイも、キイの様子が普通じゃない事に気づいていた。
「やっとこうして会えたのに…。どうしてこの子の心は奥に沈んで出てこないの?」
アマトは優しくアムイの頭を撫でた。
「アムイ、この子の名はキイだよ。キイ・ルセイ…。名前を呼んであげたらどうかな。
もしかしたら気が付いて、返事してくれるかもしれない…」
アマト達はまだアムイにキイが兄とは教えなかった。
彼がまだ小さい事もあって、もう少し大きくなってから説明しようと思っていた。
とにかく子供達が理解する年齢までは、慎重に見守ろうという話になったのだ。
特にキイは今、このような状態でもある。
「キイ?そっか。ねぇ、じゃあ今キイとお庭に行ってもいい?おれのともだちを紹介するんだ」
「友達…?」
「うん、昨日いっぱい遊びにきてたでしょ、鳥さん」
「ああ、そうか…」
アマトは思わず微笑んだ。
「キイって、とても綺麗だよねぇ…。まるでお庭に咲いている白い花みたいなのに…。
だけどお外が嫌いみたいなんだ…。嫌がってるんだもん。
だからさ、お外はこんなにいいよって、おれ教えてあげるんだ!」
そうして少しの時間だったが、両親と共に屋敷の外に子供達は出て、庭先に向かった。
アマト達は少し離れた所で二人を見守っている。

「でも…。本当に不思議な事もあるのね…。世の中には」
ネイチェルはしみじみと言った。
「…まさかとは思ったけど…。こんな事だったら、早く二人を会わせてあげたかったよ…」


小さなアムイはキイの手を一生懸命引っ張っていく。
キイは魂がないような風情でアムイに連れて行かれ、庭に流れる小さな小川までやってきた。
傍にはアムイがさっき言った、白い花がたくさん咲いている。
その中にアムイはキイを座らせた。
まもなくすると、小鳥達が昨日と同じにアムイの周りに集まってきた。
まるで何かの絵画のような光景だと、夫婦は思った。
キイの姿は朝の光を受けて、きらきらと輝いている。
ほとんどが室内から出た事のないキイが、アムイと一緒に自然界の洗礼を受けているようだった。

アムイは必死に、キイの名を呼び、話しかけていた。
「見て、気持ちいいでしょ?空気が動くのがわかる?水も冷たいよね。
あ!ほら鳥だよ、キイ!鳥さんもね、キイの事綺麗だって。好きだって」
だが、まるで反応しないキイに、アムイは哀しくなった。
目を潤ませながら、でも彼は笑顔でキイの前に座り直すと、そっと小さな両の手で、キイの頬を挟んだ。

「ねぇ。見てごらんよ!外の世界はこんなに綺麗だよ!
君と同じくこんなに綺麗だ!」

キイは自分で意識を心の底に押し込めていた。

それは生まれの時に受けた、恐怖の波動のせいでもあった。

いつの頃かは忘れたが、混沌とした暗闇の中、彼はもの凄いエネルギーに呼ばれ、引っ張られたのだ。

(貴方のした事は、私を地獄に突き落としたと同じ。
王国のため?大陸のため?そんなの私は望んでなどいなかった!)
女の怒りの声が聞こえる。
(貴方は私を穢したのよ!私をただの女にした!
私はもう、神の声が、天の声が聞こえない!)
その悲痛で悲しい波動が、自分を突き刺す。
(貴方は私に恐怖をくれただけ。今更言い訳したって、この事実は…。
貴方が私にした大罪は消す事はできないのよ!!)
憎しみの感情が、激しい感情が、負のエネルギーが自分を引っ張っていく。

こわい…!!

キイの小さな意識はそう感じた。

混沌とした渦が、眼下に見える。

怒りと、悲しみと、そして恐怖と…。
そしてどうしようもない苦しんでいるふたつの波動…が渦巻いている。

あそこに行きたくない…。こわい…こわいよ…。


いきなり彼は狭くて暗い所に押し込められたのだ。
そしてずっと自分の事を、その場所は忌み嫌ってるようだった。

(怖い!いやよ!怖い!…助けて…助けて…)
その場所はずっと彼を否定し続け、恐怖に慄いている。

キイは苦しくて苦しくて、何度も自分で自分を消そうと試みた。
だが、上手くいかず、ある時突然、想像を絶する痛みと苦しみの果てに、眩しい光の下へ放り出された。

それから彼は、その時の恐怖と苦しみを思い出す度、大きな力が全身を駆け巡るようになった。
それもかなりの苦痛を伴って。彼はその都度、泣く事しかできなかった。

何故、自分はこうまでして、ここにいなければならないのだ?
その事でも辛いのに、自分は前にいた所で、無理やり“何か”と引き離された。
そこではとても幸せだった。そこにいれば、その“何か”と共にあれば、自分は何もいらなかった。
それなのに何故自分はそこから無理やり引き離されなければならなかったのか?
ここにはいたくない。あそこに帰りたい…。
帰ってまた元に戻るんだ…。


その気持ちが強過ぎて、キイはどんどん意識が沈んでいった。

今いる世界の状況は何となくわかっていた。
目に映るもの、耳に届くもの、全て彼の前を通り過ぎていったが、何の関心も、興味も湧かなかった。

ただ、一生懸命自分に語りかける虹の光だけは、いつも好きで心地よかった。
だけど、その光が何を言っているのか、心を閉じている彼にはほとんど届いていなかった。
彼はそうして虹の光が慰めてくれても、この世界を見たいとも、存在したいとも思えなかった。

キイは意識の底で、ずっと元いた場所に還ることしか考えていなかったのである。

だが、いつもと違う感覚が昨日から彼に起こっていた。
懐かしい…何とも言えない、その感覚…。
底に沈んでいた彼は、あれ?と思って、いつもは興味がない世界を覗いてみる気になった。


「…見て…キイ……外は…こ…綺麗…だよ」

誰かが自分に話しかけている…。なんて優しい波動。
うっとりして、キイは声をもっと聞こうと、耳をすました。

いきなり自分の身体に温かいものが触れ、そこからゆっくりと柔らかな気が流れ込んでくる。

「……キイ…。ねぇ…キイ…。ちゃんと見て。外を見て。…この世界を見て。
……そして…おれを見てよ…、キイ…」

声と共にその柔らかな気は、まるで血流のようにドクン、ドクン、と脈打ちながら、キイの全身を巡っていく。
今まで閉じていた世界が、ぼんやりとしていた外の景色が、段々とはっきりしていく感覚に包まれていく。

「こんなに綺麗なのに、こんなにみんな優しいのに、ちゃんと見てあげないってのは、もったいないよ!
…見て。お空も、花も草も水も…、鳥さん達だって…。
みんなキイに会えて嬉しいって言っているのに…。
おれだってやっとまた逢えて…嬉しいのに」

(綺麗…?この世界が…?)
キイの意識は上に上にと押し上げられ、この温かな手と、声に導かれるように、外の景色が目の前に広がっていくのを感じていた。
そこには真っ青な広がる空と、それを飾る白い雲。緑が柔らかに横たわり、美しくも可憐な花が咲き乱れている世界。せせらぎは心地いい響きを謳い、鳥達も可愛い声で歌い始めた。

この時キイは初めて、この自分が降り立った世界をきちんと見たのだ。

そして彼の目の前に、きらきらした黒い瞳の子供がいた。

その子と目が合った途端、キイは涙が溢れた。


離れて見ていたアマト達は、そのキイの変化に驚き、固唾を呑んだ。


「キイ…?おれだよ。ちゃんと見つけたよ。今までさみしかったぁ…」

その言葉でキイの何かが弾けた。

「あっ…ああ…ああう…」
キイは何かに突き動かされるように、どんどん目から涙が流れていく。

気が付くと、アムイもキイにつられたのか、一緒に泣いている。

「もう離れないよ。おれ達、またひとつに戻れるんだ!」
「うう…うう…ふぅ…う…」
二人は泣きながら、互いを確かめ合うかのように抱き合った。


アマトとネイチェルも彼らのその様子に、涙を堪えきれず無言のまま見守っていた。

キイは無理やり引き離されたもう一人の自分が、この世界に自分を追いかけて来てくれた事を悟った。
もうこれからずっと一緒だ。絶対にもう離れない…。

ただこの時の二人は、別々の肉体という枷にはめられ生きるという苦行を、この地で課せられるとは露ほども思ってはいなかった。

ただ今は、互いの魂の交流だけで、それだけでよかったのだ。


「ね?綺麗でしょ…」
アムイは涙を拭わず、笑顔でこの広い世界を見渡した。

「…き・れい…」


アマトとネイチェルは、キイが初めて言葉を発したのに驚き、そして嬉しくて嗚咽した。

「きれい…。とても…きれい」
感嘆してキイはそう呟いた。
(ここは…こんなに綺麗だったんだね…)
そうアムイに伝えたかったが上手く喋れなかった。
キイは思った。
やっとこの大地にしっかりと足をつける事ができたのだと。

それはアムイが呼んでくれたからだ。
自分を引き上げてくれたからだ。
…彼がこの大地にいたからだ…。

彼がいるからこそ、自分はこの地に留まれる…。

こうしてキイはこの地で生き抜く事を決意した。
この先にどんな事が待っていようとも、この愛しい手があれば、自分は耐えていけるのだ。

そしてこのキイの目覚めが、彼の思わぬ行動となって、あっけなく寺を出る事に成功したのだった。

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