暁の明星 宵の流星 #84
ゴズモルの一味が滞在している屋敷は、村の中心から少し外れた所にあった。
そこはこの村の長が、彼らのために用意した自分の持ち物だ。
この村に来たのは、何十回というイゴールだったが、あの顔を何年かぶりに見た事で、かなり上機嫌だった。
この国に商売しに来たのは、ある豪族が見目の良い子供を何人か所望していた為で、明後日までにある程度数を揃えなければならなかった。
だが東の国では、ほとんど乱獲したようなもので、もうあまりいい人間が望めなくなっていた。
そのために、ここ数年、貧しい国である北に進出した訳なのだが、それでも今回はまだ人数が揃わない。
もうすでに手下が昨日まで買い付けした子供を南に連れて行った。
今日は自分から飛び込んできたシュウロゥという少年だけで、この村にはあまり収穫がなく、明日には別の土地に向かおうと思っていた所だった。
ある程度人数が揃わないと、また親父殿の雷が落ちるだろう。
あの人は奴に右目を潰されてから、もう片方の目も最近ではかなり悪くなって、ほとんど外に出られなくなっていた。
そのために、次期頭領となる自分がこうして動いている訳だが、それでも親父殿の権力は衰えていない。
親父殿は切れると何をしでかすかわからない、かなり危ない人間だからだ。たとえ目が悪くても。
自分だって、こうして親父殿と血が繋がってなければ、今まで命がいくらあっても足りないだろう。
なので今回、ノルマがなかなか達成できず、苛付いていたのだが…。
まさかあのサクヤを見つけるとは思ってもいなかった。あいつを連れて行けば顔も立つだろう。
何せ奴は…。
そう含み笑いした時、目の前にいたリーヤンという青年の哀願する声が、再びイゴールの耳に届いた。
「お願いします!弟を返してください!こうしてお金を持ってきたじゃありませんか!」
イゴールは面白そうにリーヤンを見た。
今日買ったシュウロゥという子供の兄だというその青年は、なかなか見目が良かった。
イゴールのいつもの悪い癖が出た。
「俺たちだって困るんだがなぁ。もうあんたの借金は俺たち払っちまったし、…それにお前の弟は自分から来たんだしな」
「だから!こうして金を用意してきたんです。弟は…多分僕の事を考えて…こんな無謀な事をしたんだと」
「ほぅ?」
イゴールは値踏みするようにリーヤンを見た。
「お前…、弟を育てるため、身体売ってるんだってな。それが嫌で自分から来たと言ってたぞ、あの弟は」
リーヤンが青ざめた。
「シュウロゥ…」
「健気な弟の気持ちを無下には俺たちゃできねぇなぁ。…その金だって、それで作ったんだろ?」
リーヤンは苦渋の表情で俯いた。
「ふん…。まぁ、金もちゃんとあるようだし…弟返してやってもいいんだがな」
リーヤンはその言葉にぱっと顔を上げた。
「ただなぁ、やはり俺たちも商売でさ。こいつを帰しちまうと厳しいんだよ…。それ相応のものを払ってもらわねぇとなぁ」
「…あと、幾らぐらい必要ですか…」
震える声で言うリーヤンを、イゴールは笑って遮った。
「いや、金はいいさ。…あんたが俺らを楽しませてくれれば…」
リーヤンは固まった。
「簡単だろ?そうやって客取ってんだろ?お前。それで弟返してやるって言うんだから…お安いものだろうよ」
リーヤンは苦しそうに目を閉じた。
「……わかりました…」
自分だって好きでこうして身体を差し出しているわけじゃない。普段は普通に仕事をしている…。だけど、どうしても金が足りない時は、中央まで行ってこのような仕事をした。…それを望む相手がいたからだ。自分の身体に金を払う男がいるからだ。……きっとこの事が、弟を傷つけていたんだろう。…自分が苦しんでいたのを…シュウロゥは知って…。
「素直でいいじゃないか…」
舌なめずりをしてイゴールは俯くリーヤンの身体に手を差し伸べた。
「まったく摘み食いの性癖、変わっちゃいねぇなぁ、イゴール」
突然後方の扉から、呆れた声が飛んだ。
イゴールはその声の主を見て、思わずニヤリとした。
「やっと来たか」
「お前が来い、って言ったんだろ?」
腕を組み、扉に寄りかかっていたサクヤは、冷たい目をイゴールに向けると、ずかずかと部屋に入って来た。
イゴールは、自分の気分が高揚してくるのがわかった。
「その目だよ、サク。十年前と変わらないその氷のような目…。ぞくぞくするねぇ。
お前はこうでないとな。さっきのような猫かぶりはやめた方がいいぜ。
まぁ、あれはあれで、なかなかか良かったけどよ」
サクヤは蔑むような目でイゴールを一瞥し、彼の目の前に立つと尊大に腕を組んだ。
「あれもオレだよ。…お前達がオレをこんな風にさせてるんだろ」
「そうかい」
イゴールはいやらしく笑った。
「という事は、俺達より今の仲間の方が数倍いいって訳か」
「お前達は…オレの心をずっと殺していたのも同じだったからな…。ペットとして」
「言うねぇ。十年経つとこうも口が達者になるもんかね…。昔はあまり喋らなかったくせにな」
サクヤはちらっとリーヤンの方を見ると、すぐに視線をイゴールに移した。
「なぁ、イゴール。オレがここに来たんだ、彼に弟を返してやれよ」
その言葉に、イゴールはニヤリとした。
「ふぅん。じゃあ何?こいつの代わりにお前が俺の相手するっていうのかよ」
サクヤは大きく息を吐いた。「お望みなら」
イゴールはヒュゥっと口笛を吹いた。
「へー。随分物分りもよくなったんだな。…昔もこんなに素直なら、最初から可愛がってやったのに…」
「返すの?返さないの?」
「ちっ、わかったよ。そうせかすな…。おい」
イゴールは近くにいた手下に顎で指示した。手下は頷くと、部屋を出て行き、しばらくして10歳くらいの男の子を連れてきた。
「兄ちゃん!」
「シュウロゥ!」駆け寄ったシュウロゥを、リーヤンは抱きとめた。
「馬鹿だよ、お前は…!兄ちゃんがどんな思いで…」
「だって…だって俺は兄ちゃんが…」
半べそかいている弟を、リーヤンも泣きながら抱く手に力を込める。
「ほら、早く帰りな。…もう兄ちゃんに内緒で勝手な事、しちゃだめだぞ」
サクヤは優しくシュウロゥに言うと、二人を出口に誘導した。
「後の事は、二人でよく話し合うんだな。…これからの生活の事も」
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
リーヤンはサクヤに深々と頭を下げると、弟を連れて屋敷を去って行った。
二人が帰っていくその様子を、窓から眺めていたサクヤは、小さな溜息を付くと、イゴールの方に向き直った。
「おい、サク。お前の言う事聞いてやったぜ。もったいぶらずにこっちへ来いよ」
ニヤニヤしながらイゴールは手招きした。それと同時に、彼を取り巻く数人の手下に指示を出した。
「お前ら、邪魔が入らないよう、外見張っていろ」
「へぇ」
手下どもも、ニヤつきながらサクヤをちらりと見ると、全員部屋を出て行った。
部屋の中は、イゴールとサクヤの二人だけになった。
「サクヤ、お前が脱走してから、うちは大変だったんだぜ。…親父殿も喜ぶだろうなぁ…。俺もかなり苦労したんだ、お前の後始末をさ」
二人だけになった途端、イゴールは早速サクヤに近づき、顎に手をかけた。
「その見返りにオレに触って大丈夫かよ。痛い代償にならないか?」
「くっく…。ここは遠い北だぜ。お前が黙ってたらわかりゃしねぇよ…。
まったくなぁ。まさかあの親父殿をあそこまで骨抜きにさせてるとは…甥の俺様でもわかんなかったさ」
サクヤの瞳は益々暗い色を帯びた。
こいつのせいで嫌な思い出が走馬灯の様に甦る。
子供心に売られる恐怖と戦いながら、この荒くれ者の連中の中で暮らしていた過酷な日々。
自分の心が壊れていくのに、小さな自分はどうにもしようがなかった。
「おい、ちっとは愛想良くできねぇのかよ?このガキが!」
そう何度もいろんな輩に乱暴に言われ、手を上げられた。
「全く、にこりともしねぇ…。顔は可愛いのにむかつくぜ」
そう何度もなじられる度、自分の心が死んでいくような気がした。
南に来てから、サクヤは一度も笑った事がなかった。
いつも悲しそうな眼をして、黙りこくっている子供だった。
そのため、最初は苛付く男たちの餌食となり、何度かそうやってなぶられた。
そうして益々自分の殻にサクヤは閉じ篭っていった。
だがそれも姉がいなくなり、他の連れて来られた人間がどんどん消えて行き、自分だけが売られずに残っている事に、疑問が湧く頃から変化があった。
その辺りから何故かサクヤに手を上げるものはいなくなった。
かえって腫れ物に触るような態度に変わっていった。
それは連中の要であるゴウ親分が、自分の事を絶対に傷つけないよう、全員に指示していたらしかった。
親分はもっといい所に高額で売り飛ばすため、セドの子供として自分達の切り札にするために、サクヤを大事にしていると、皆は思っているようだった。
それだけサクヤは、セドの子供達の中でも抜きん出て見目が良かった。
そのうち彼らの手伝いをさせられるようになっていき、主に連れて来られる商品の子供や女の世話を任された。
複雑ながらも、子供達といる時だけ、サクヤは自分を出せるような気がした。他は全てが敵だった。
…いや…正確には一味の中でも、彼を心から心配し、陰ながら助けてくれる人間は少ないがいた。
だが、それもサクヤが成長するにつれ、大っぴらにできない状態になっていく。
……それが…その、ゴウ親方の自分に対する異常な執着の結果だというのは、もっと大きくなってから判った事だったが…。
「お前が親父殿に特別扱いされてる事はわかってたさ。何せあの人は美しいモノが好きだ。物でも人でも。
だがあの人は異常に執着心が強いっていうのか、その対象に何かあったら、手がつけられないほどに切れちまう…。他の奴らが自分の物に手を出しただけでも相手を叩きのめしちまうからなぁ」
イゴールはサクヤの髪を撫で回した。
「それ知っててオレにも手を出そうっていうんだろ。お前は本当に見境がない。
どっちもどっちだね」
サクヤは冷たい顔でされるがままになっている。イゴールは自分が興奮してくるのがわかった。
「親父殿がああじゃなかったら、俺はとっくにお前をやっちまってたがな。
サクヤ、お前は大の男をそそる何かを持ってやがるよなぁ。
あわよくば…という男供がうじゃうじゃいたんだぜ。
ある意味、親父殿のお陰で身の安全が守られていたって訳だ。
まったく…その恩人をあんな風にしちまうなんて…。大した玉だよ、お前…」
そう言うと、イゴールはサクヤの髪をぎゅっと掴み、自分の方に引き寄せた。
「あれから十年経っても、お前はそういう所は相変わらずだな。どうだ?男にもうやられちまったか?
…例えば…あの、暁の男にさ」
サクヤのこめかみがピクッとした。
「下衆(げす)だなお前。……相手をそういう対象でしか見れないのかよ…」
そう言いながらサクヤは小さく溜息を付いた。
やはりイゴールには判っている。…兄貴の素性を。
これで本当に、皆にも…兄貴にも…迷惑かけられない。
自分の事は自分で解決する…
その通りだ。これはオレの問題だ。自分で解決する事なのだ。
だから黙って出てきた。戻らない覚悟で。
サクヤは目を閉じた。イゴールの息が自分にかかっているのが判る。
【暁の明星】の命を狙っているのは、今まで拾ってきた情報から南の国だと判断すると、こいつらに話が回らない筈がないのだ。あの時のイゴールの顔。サクヤにはそれも頭にあった。
(おい、サク。笑って相手を油断させるのも手なんだぞ。…お前は媚びてると思えて、毛嫌いしそうだがな)
(笑えばいいのか?ガイア兄ちゃん)
(おお、お前の笑顔はそれだけの破壊力があるぞ。ここぞという時に使ってみろ。
ま、頭を使えって事だな)
(頭?)
(こういう世の中を渡り歩くには、腕力と共に頭も必要って事さ。…ま、相手をよく洞察して、どう相対するか、っていうので人生かなり変わるからな…。この世はいろんな人間がごった返している。
自分と合わない奴なんか五萬といるさ。それが出来れば生き抜くことが少しは楽になる)
ガイアは一味の中では変り種だった。
いつも自分を陰ながら気にかけてくれていた。
交渉に才があるとかで、親方には重宝されていたらしい。
自分が強くなりたい、と洩らしたことから、ガイアは内緒で自分に戦う術を教えてくれた男だ。
なんでこんな人がこの組織にいるのか不思議だったが、少年のサクヤには彼との秘密の特訓が唯一の楽しみであり、生きる希望でもあった。
…サクヤがこの荒くれ者達の中で、唯一【兄貴】と呼んだ男だ。
他の奴らには、どんなに強制されても、サクヤは絶対に呼ばなかった。心から呼べなかった。
それだけは今でも変わらないのだ。自分の納得できる人物以外は呼ばない、と。
ガイア兄貴とのその交流が、そのうち親方に知れる事になった。
彼は親方に呼び出され、釘を刺された。
「サクヤには戦術は必要ない。あれに何も教えるな。でないと…」
それからガイアはサクヤとの接触がほとんどなくなった。それでも何かと気にかけてはくれていた。
だが…ある日…ガイアは指を数本組織に残して姿を消した…。
そう、彼は…。
サクヤは俯くとふっと口元を緩めた。
ガイア兄貴のお陰で、自分はこの十年、上手く世間を渡ってこれたのだ。
必要な時には嫌な相手にも媚びてみせた。
だが、相手に自分の身体を許した事なんか一度もない。絶対にさせた事もない。
イゴールの息がサクヤの口元の方に下りてきた。
サクヤは意を決したように目を開け、彼を見つめた。
「何だ?」
「オレ、初めてだからよくわからない」
「は?」
「男相手はしたことないんだ」
と、サクヤは恥ずかしげに微笑んだ。イゴールが生唾を飲んだ音が聞こえた。
「へぇ…。じゃあ、俺が初めてって事か…。いいぜ、優しくしてやるよ」
そう言うと、イゴールはサクヤをゆっくりと床に押し倒した。
「お前、やっぱりたまんねぇよ。女にしか興味なかったあの親父殿が狂っちまうのもわかるぜ…」
イゴールはそう言って、サクヤの顔に口を寄せようとした。
「そうやって、お前、オレの姉貴もやったんだろ?」
イゴールは自分の喉元に鋭利な感触を覚えて、動きを止めた。
「サク、てめぇ…」
いつの間にか、彼の喉元にナイフが突き立てられていた。
「お前、何油断してんだよ。普通、こういう事は事前に調べるものだろ?
馬鹿にされてんだな、オレ」
「…この刃物、どけろ」
「どかす訳ないだろ?…さ、答えろよ。
お前がオレの姉貴に手を出して…殺したんだろ?」
サクヤの目に闇が蠢く。こいつに会ったら、まず一番に確認したかった事だ。
「何を…」
「本当の事、言えよ。親方に聞いたよ、あの時に。
…お前がまだ子供だった姉貴を手篭めにして…殺したってな。
言わなきゃ、これで喉を切り裂く」
イゴールはサクヤの異常な気迫に押され、冷や汗を掻きながら声を絞り出した。
「こ、殺したんじゃない…。あ、あれは自殺だったんだ…。お前の姉貴が自分で窓から身を投げて」
サクヤの目に涙が滲む。
「殺したも同じだ、イゴール…。お前は本当に何でもいいんだな。そうやって気に入った、売り物にする女子供を、売る前に味見してたの、オレは知ってた。
…でも、でも…。まさか姉貴がそれで死んでたなんて…。誰もオレには…」
「あれはさすがに俺もまずいとは思ったさ…。何せ希少価値のセドの娘だったからな、お前の姉貴」
「…お前が親方の甥じゃなきゃ、多分ぶっ殺されてるね。
…でも、このオレ相手じゃどうかな?
言ってたよ、あいつ。
オレに近づく者は全て…血縁だろうが…この手で切り裂くってさ」
そう言ってサクヤはニヤリと意地悪く笑った。
もうここまできたら、後は前に進むだけだ。
サクヤはぎりぎりの所まで、イゴールの肌に刃先を突きつける。
「く…。ちゃんと話したじゃねぇか!早くその物騒な物をどけろ…」
「まだだ。…お前、言っただろ?…真実を知りたかったら、一人で来い…って。
ミギ姐さんがどうしたか、話して貰おうじゃないか…」
サクヤはそう言って唇を噛んだ。
自分の事を…まるで弟のように、子供のように…本当に可愛がってくれた。
この世の中で、自分の中で、一番綺麗な人だ。
…その彼女が自分のために死んだなんて…。
サクヤの心は彼女への面影を追って、十年前へと飛んでいった。
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