今まさに、キイの“光輪の気”は凝縮し、充満し、解放されようとしていた。
この段階にくると、キイの肉体の痛みは不思議な事に治まり、何とも言い難い状態になった。
もう、キイにはどうする事もできない。
まるで自分の身体であって、そうでない、不思議な感覚。
ただ、意識はちゃんと、自分の心の中央にある。
だが身体は、この溢れ出る白金の光の渦に、支配されているようだった。
一方、アムイは暗い、闇に堕ちようとしていた。
心の痛みが限界に達し、本能的に己を守ろうと、意識を閉じ始めた。
だから、アムイにはキイの変化がわからない。
渦巻く自分の暗い、闇。そして真っ赤な血の海。
そして…。
アムイの閉じようとしている心に、女の詠う様な声が響いてきた。
「…セドの太陽が…私のアマト様が…お戻りになった…」
いつの間にか、ミカ大妃が玉座の近くに、ふらついた足取りでやってきていた。
その玉座には、血に彩られたアマトと、その彼の膝元に蹲るようにして、ラムウが血にまみれて絶命していた。
ミカは髪を振り乱し、もうすでに心が完全に壊れているのが、一目でわかる。
「…アマト様…やっとお帰りになったのですね…。
ミカは子供たちと共に貴方のお留守をしっかり守っていたのよ。
ね?だから褒めてくれる?ちゃんと神王大妃の務めを果たしてるでしょ?」
ミカは恍惚とした表情で、アマトの傍に寄り、跪くと、もう息をしていない彼の胸に頬を寄せた。
血糊が彼女の顔を染める。
「貴方の王子達も、皆いい子で貴方を待っていたのよ。
もう貴方の思っている小さなミカじゃないもの。もうちゃんと大人でしょ?」
そう言いながら彼女はアマトの首に手を回し、顔に唇を寄せた。
「だからご褒美のキスをして…。これからも貴方の妻として、貴方の子の母として…
ミカはずっと貴方と一緒よ…。もう、どこにも行かないわよね…?
だって…私はこの国の神王の正妃…貴方の妻だもの…」
キイの全身から、白い発光体が上昇し始めた。
額の光は益々眩く広がっていく。
(アムイ…アムイ…)
白光に支配されながらも、キイの心はずっとアムイを呼び、求め続けている。
狂おしい…この感覚。…そして。
憤怒したような天の唸りに、サーディオ聖剛天司(せいごうてんし)は尋常でないものを感じていた。
(一体、これは一体…)
サーディオが息を呑んだその時、
ドゥン…ッ!!
城の最上階から激しい爆音と共に、白い光の筋が屋根を突き破り、天に勢いよく昇っていった。
その白光は黒い雲に吸収され、中で発光していく。
まるで、どちらかが力を呼び寄せているようだった。
光の筋は徐々に太くなり、どんどん黒雲に呑み込まれていく。
雲も発光し始めた。細かなプラズマが雲を飾っていく。
天の唸り声が大きくなっていく。
(いけない!!)
サーディオは本能で感じ取った。
これは危険だ。これは…!
「皆の者!!退け!!早くここから撤退せよ!!すぐさまここから離れるんだ!!」
閃光が、黒雲から大きな音と共に地上を襲った。
白い、白い閃光だった。
一瞬で、セド城は光に包まれた。
まるで神の怒りのごとく。白い光は城内を覆い始めた。
何が起こったのか。
何が始まったのか。
全てアムイの記憶の渦で展開していた。
だがアムイはその時の事を、自分の心に再現する事を拒んだ。
というよりもあまりにもの衝撃で、再生しても心がついていけなかったのだ。
アムイは言葉を失った。
白い、白い閃光。眩しい光の洪水。
そして…そして…。
《アムイ!!こっちに戻って来い!!俺の所に戻って来てくれ!!》
キイの叫びでアムイは闇から引き上げられた。
それから…それから…!!!
セドの象徴だった太陽が、こうして存在を消されたと同時、
太陽を失いし彼らに、神の白い光は容赦なく広がった。
その光はセドの国を襲い、首都を中心に全てを破壊尽くした。
一夜にして、太陽を失った王国は壊滅した。
その様子を、白光からぎりぎりで逃れたサーディオはじめ、聖戦士達は丘の上から呆然と見下ろしていた。
眼下には、セドの城が、町が、破壊され、所々に火の手が上がっていた。
まるで、闇の海に浮かぶ漁火のようだった。
「何と…何という…」
先頭に佇んでいた馬上のサーディオは、ゆっくりと馬から降りると、ふらふらと前に進んだ。
「人の思い込みというものは…何という愚かな事よ…」
彼は眼下に広がる惨状に、そして今見えていた事実に打ちのめされていた。
サーディオは全てを悟った。
霊的に敏感な者誰もが、城内で起きた事実を脳内に、映像として、音声を伴い見えていたのだ。
いや、それはまるで、人ではない者が、わざと見せ付けている様でもあった。
「…天は…天の考えは…人智を超える…」
サーディオは呻いた。
「人というものは何という愚かなのだ…。真実はそこにあるのに…。
己の思い込みに目を、心を奪われ、真実を見極める事ができない…。
己の考えが全て正しいと判断を誤る…!!
私も…何という愚かな人間なのだ…。
天の意思に…こんな事態が起きてから、やっと気づくなんて…」
聖剛天司サーディオは己の未熟さを後悔し、心から神に懺悔した。
大聖堂の最高位、最高天司長(さいこうてんしちょう)と最年少でなる事が決まっていた彼は、その後、オーンに戻り、大聖堂に全てを報告した。
そして話し合いの結果、大聖堂はこの件を、封印する事に決めたのだ。
何故、大聖堂が怒り、兵を出したのか、何故セドが一夜にして壊滅したのか…。
そして一番は、セド王家に生まれた巫女の子、神の気を宿した王子の存在を、完全に黙された事だ。
真実は、大聖堂が、いや、サーディオが完全に封印したため、謎と憶測と噂だけが残った。
セド王国、最後の秘宝の伝説として…。
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最後の部分は、アムイは言葉にする事ができなかった。
再生はしていても、心で拒否していたから、説明できなかったのである。
だが、ずっと彼の心を見つめていた昂老人には、全て、何が起きていたのかが、詳細に見えていた。
(そうか…そうじゃったのか…。やはり、竜虎(りゅうこ)と想像していた事は当たっておった…)
昂は迷ったが、考えて、その今見た光景をアムイに知らせるのをやめた。
まだその時のショックが抜けきれておらぬ。
時期がくれば、おのずと自分から思い出すだろう。
あえて今、追い討ちを掛けぬ方がよいであろう…。
震える体、喉の奥に何か詰まっている感覚。涙の代わりに溢れ出る汗…。
アムイはどうにかしようと、気持ちに力を入れた。
長い沈黙の果て、やっと、アムイは声を出す事ができた。
「俺は…俺達は…」
悲しい声だった。
「一国を…滅ぼしてしまった…。国も…その国に住む人も…すべて…」
皆は声も出せずに、ずっと息を殺してアムイの様子を伺っている。
「俺は…。自分の闇に翻弄されていたために…!キイの異変に気付かなかった…!
いや、遅かったんだ…キイに呼ばれた時にはもう…!
俺は受け損なったんだ。…あのキイの巨大な力を…!
受けられなかったんだ…!!俺には受ける事が…!!」
アムイはその場に突っ伏した。全身が震える。
「だから被害は拡大した!俺達の…俺のせいで…一つの国を滅ぼしてしまったんだ!!
みんな一夜にして破壊された。
みんな一夜にして死んだ。
俺も…キイも…とんでもない事をしてしまったんだ…!!
それなのに…俺達だけ…助かって…」
気が付くと、自分は聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)にいた。
今でも憶えている。
目が覚めて初めて目にした、キイの、苦悩と絶望の瞳を。
…キイの闇は自分以上だったに違いない…。
その時、すでに自分は記憶が飛んでいたからだ。
何が起ったか、憶えていたキイだけ、事実を背負う事になってしまった。
キイはひとり、どれだけこの現実に耐えなければならなかったのか。
それでも俺達は互いに抱き合って泣いた。
あの時の事は、詳しい経緯を自分が封印していたとしても、キイの様子で何が起きたのかを自分は知ったのだ。
しかしもう、その時点でアムイの涙は出なかった。
泣いているはずなのに…彼の目からは一滴の雫も湧き出なかった。
それからずっと、己から感情の涙が出ることはなかった。
出るとしても、それは身体の反応でのみ。
…それは…この闇の箱を開け放しても、相も変わらずであったのに、アムイは愕然とした。
それだけ…彼にとって、大きな傷となっていたのだ。
「アムイ、よく耐えた。よくぞ頑張った…。
これからは己の闇を解放し、昇華し、手放していこう。
時間がかかるかも知れぬ。
突然その時の記憶と感情が甦り、己を恐怖に突き落とすかも知れぬ。
…だが、もう一人で抱え込むのではないぞ。
どうしても…の時には、わしも、ここにいる誰かがお主を支える。
だからゆっくりと、本来のお主に戻ろうぞ。
キイが…思い焦がれた…本来のお主に…」
昂老人は優しく、諭すように言いながら、アムイの身体を抱え起こし、顔を正面に向けさせると、額に己の掌をかざした。
「本来の…俺…?」
昂は小声で経文を唱え始めた。
「……。さあ、アムイよ。ゆっくりとこの場に戻ろうぞ。
お主の闇となった記憶は全て表に放たれた。
もう闇の箱は中身を吐き出しきって消滅したぞ。
あとは全てお主次第…。向き合い気付き、ひとつひとつ浄化しよう…。
その為には、今の場所に戻るのが大事じゃ。
今の主なら、必ずやこの闇を超えられる…。
さあ、深く息を吸って…ゆっくりと…吐いて…」
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その晩は、珍しく大陸に月が昇っていた。
満月ではない、まるで王冠の様な三日月…。
皆、それぞれが、様々な思いを抱えて夜を過ごした。
シータはあれからずっと無口だった。
イェンランとアーシュラはキイを想って眠れなかった。
昂はずっと目を閉じ、二人を育てたこの世を去った親友を想い、これからの事を考えていた。
一国を滅ぼした罪は…己の生まれよりも重い…。
アムイは眠れず部屋を抜け出し、宿の庭先で、ぼんやりと月を眺めていた。
…サクヤと顔を合わす事ができなかった。
どういう顔をしていいのかわからないのもあったが、それよりもサクヤの顔を見るのが怖かったのだ。
心地よい風が、アムイの黒い髪を撫でていく。
月はきらきらと黄金色に輝き、まるでアムイを励ましているようだった。
でも…。
「あ~にきっ♪ここにいたぁ。
もう、すんごい捜しましたよ~。
まったくいつもながら冷たいんだから、オレまいっちゃいますよ」
いきなりアムイの背後から、いつもの明るい声が飛んだ。
「サクヤ」
アムイはどうしたらいいのか、思わず言葉に詰まった。
だが、当のサクヤは全く変わらず、にこにこしながらアムイの目の前で笑っている。
「ほら、今夜は無礼講といきましょうよ。宿の人から特別に貰ってきちゃった♪
…思えばこうやって、二人で飲んだ事、ないですもんねぇ」
そう言いながら、アムイの横に機嫌よく座ると、彼の目の前に酒瓶を振って見せた。
「お前…」
サクヤはアムイの辛そうな顔を無視して、彼の手に杯を持たせ酒を注いだ。
「ほらほら、ぐっといきましょ。そんな苦虫潰した顔…らしくないですよ、って、はは、いつも兄貴は眉間に皺寄ってるか!」
と、かかか、と豪快に笑った。
「おい、言うようになったじゃないか」
思わずつられてアムイは噴出した。
「言いますよ。だって、もう一年も兄貴追っかけてるんだもん。
昨日今日の仲じゃないでしょ」
サクヤは自分の杯に酒を注ぐと、それをぐいっと飲み干した。
「…サクヤ…俺…俺は」
サクヤの故郷を破壊した原因の自分が、彼にどういう言葉をかければいいのだろうか…。アムイにはわからなかった。
その様子を察したのか、サクヤは途端に神妙な顔になった。
「……兄貴のお陰で、オレ、色々と経験させて貰ってる。
色んな事学ばせて貰ってる。……オレ、兄貴に会えてよかった…。
天に感謝しているんだ。…この出会いがなかったら、今のオレはいないから」
アムイは驚いてサクヤの顔を見た。
そんな事、言われるとは思ってもみなかったからだ。
「…そんな…俺にはそう言われる資格ないぞ…。むしろお前に…」
…お前に出会ったお陰で今の自分がいる…
と、言おうとしたが、アムイは照れ臭くて、その言葉を飲み込んでしまった。
その代わりにアムイはこほっと咳払いすると、サクヤを軽く睨み、こう言った。
「だからもう兄貴って呼ぶなって…何回も言ってるだろう?
もうこれからは名前で呼べよ、遠慮しないで」
「えー?」
何でかサクヤは煮え切らない。
「だいたい、同い年の奴に兄貴って呼ばれるのは、おかしくないか?
言われる度に調子狂うんだが…」
「いいじゃないですか、呼び方ぐらい、好きにさせてよ、あ・に・き♪」
「だから兄貴はやめろって言ってんだろ!」
「だって兄貴は兄貴じゃないですか、何を今さら」
二人は顔を見合わせ、一瞬黙ると、同時にぷっと噴き出した。
「だめだ。全然進歩ねぇ」
「オレって懲りねぇ」
サクヤはアムイとこうして笑いながら酒を飲む日が来るとは思ってもみなかった。
もちろんアムイだってそうだ。
特にアムイには同じ年代の友人など、今までいた事も、こんな風に談笑した事なんかもない。
だからこの時間が、とても不思議だった。
こういう時間を他人と過ごすのも、悪くないな、とアムイは思った。
「なぁ、サクヤ」
「はい?」
「…お前、雪を見たことないんだろう?」
「え…」
サクヤは言葉に詰まった。
…兄貴は…憶えていた?前に酒の席で、ご老人に酔って喋っていた事を…。
まさか…あんな酒の席での戯言を…?
「いつかお前に本物の雪、見せたいな。
聖天風来寺は北側にあったから、よく雪が降っていた。
綺麗だぞ。…桜の…花びら見たいに…」
「兄貴」
「ちょうどここは北の国だ。今、夏だろうが、すぐに冬がやってくる。
積もったら積もったで、なかなか圧巻だ。
…花と違って凍えちまうけどな」
サクヤは口元が緩むのを隠すように、そっと俯いた。
「そうだね…兄貴。
きっともの凄く感動しそうだ…。早くこの目で見たいな」
「何だよ、ただの雪だぜ。そんな大そうなもんじゃないって」
アムイは困った顔して笑った。
横目でそんな彼の顔を見ながら、サクヤはそっと胸の中で呟いた。
(…それでも、オレにとって兄貴と見る雪はきっと特別だ…)
サクヤはいつも怖い顔をしているアムイが、いつになく柔和で、楽しげな様子に嬉しさを隠せなかった。それが酒の助けを借りていても。
「今度、お前に気術を教えてやる」
突然、アムイが言った。
「え?」
「お前、俺のいない所で、気を凝縮させる訓練、しているだろう?
俺が気付いていないとでも思ったのかよ。
なかなかセンスいいぞ、サクヤ」
「兄貴…」
駄目だ、鼻につんとした物が…。サクヤは慌てた。
「頼みます、オレはまだまだ強くなりたいし…。
…なって、最後には兄貴を超えますからね」
わざとサクヤは挑発するように言った。
「おお。おお、超えてみろ。いつになるかは保障しないけどな!」
サクヤはそう言いながらも、心の中ではもうすでに気持ちは固まっていた。
オレはもっと強くなる。
【暁の明星】を支えるくらい、護れるくらいに強くなる。
…ずっと…この人の傍で…オレは……。
アムイはサクヤの心遣いが嬉しかった。本当は心では泣いていた。
でもこの時だけは、涙が出なくてよかった、とアムイは思った。
だって、恥ずかしいじゃないか…。
「兄貴、早くキイさんを助けに行きましょうね」
サクヤは最後の一滴を飲み干した。
「うん」
アムイもぐいっと杯を傾ける。
「……もうすぐです。もうすぐですよ、兄貴の大事な人に…今度こそ逢える」
「サクヤ…」
アムイは勇気付けられた。サクヤの励ましに。
サクヤもまた、アムイの、キイの、背にどっしりと圧し掛かっている運命を思い、気持ちが奮い起こされていた。
…我が祖国の最後の王子達…。
こうして傍にいられる幸せ、きっとそれはセド人であるサクヤにしかわからない。
アムイはキイに思いを馳せた。
今度こそ…俺は今度こそお前を取り戻す。
お前の信頼を俺は絶対に裏切らない。
お前が俺を信じて待っているように、俺もお前が、俺が来るまで持ちこたえる事を信じている。
俺達はふたりでひとり。
【恒星の双璧】なのだ。
どちらも欠けてはならない、太陽の子なのだ。
アムイはそっと目を閉じた。
柔らかな風が、彼の頬を通り過ぎていく。
二人はそのまま夜が明けるまで、ずっとこの場から動かなかった。
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