暁の明星 宵の流星 #99
ゼムカ族の王ザイゼムは、目の前の男を軽く睨むと、威圧的な態度で客間に入った。
「これはこれは、ザイゼム王」
南の国リドンの宰相、ティアンは気持ち悪いほど丁寧にお辞儀をした。
「大事な客人とは貴方の事か、宰相。もう我々とは決別したと思っていたのだが」
「つれない事を仰る。…私達は貴方がたと決別した憶えはないのですがねぇ…、ザイゼム王」
ザイゼムはちっと軽く舌打ちをすると、部屋の中央に進み、相手にも座るように勧めながら椅子に腰掛けた。
「…悪いが私も多忙な身でね。手早く用件を頼む」
ティアンは不機嫌なザイゼムの顔をじっと見ていたが、ふっと笑うといきなり本題を振ってきた。
「ならば私が何故貴方に会いに来たのか、もうお分かりでしょう?
随分とお捜し致しましたよ。…都合の良い事に、この北には協力してくれる人物がいましてね…。
このお屋敷を教えてくれた訳ですよ。もしかしたら、ここにいらっしゃるかと思い、尋ねて来て正解でしたな」
「宰相。…さすがに裏で手を回さずに、直接私の所へ来たのは…。
かなり自信があるとお見受けする。
…何かを掴んでいる…。そういう目をされている」
ザイゼムは片手で顎を支えながら、言葉は丁寧に、だが棘のある声でティアンに言った。
二人の間に火花が散った。互いに牽制しているのは、周りには一目両全だ。
部屋ではザイゼムとティアンが睨みあう様に向かい合って椅子に座っている。
その周りを固唾を呑んで、互いの警護や側近達が見守っていた。
ティアンは細くて鋭い目を益々細めると、はっきりと言った。
「…きっと私は…貴方より宵の君の事をわかっている…」
ザイゼムのこめかみがピクリと動いた。
「…そういう自信ですか…。成る程なあ」
「このまま貴方が宵の君を隠していて、どうするおつもりなのか?
彼をこのまま見殺しにする気なのか?…それを私は聞きたい」
ザイゼムはむっとした。痛いところを突いてくる。まったくこの男らしい。
「見殺し…。聞き捨てならないな、宰相。キイの事は大丈夫だ。
この私が死なせない」
きっぱりとザイゼムは答えた。「私の命に替えてもな」
突然ティアンは笑った。だが、目は笑ってはいない。
「はは。笑わせないで下さい、王よ。…宵の君はこの大陸の宝。セドの秘宝の鍵。
気術の事を、何も詳しくない貴方に何ができるというのです?
彼の封印を解けないままでいるのは、私にはわかっていますよ?」
ザイゼムは表情を崩さずに、じっとティアンを見つめた。こいつに動揺している事を悟られたくはない。
「このままだと、宵の君は確実に死を迎えるでしょうなぁ。
…早く気術に精通している者に託さないと…。
私が何も知らないとお思いですか?貴方が最近、北天星寺院(ほくてんせいじいん)に出向いていた事。
大方あの賢者衆のひとり、昂極大法師(こうきょくだいほうし)に会いに行ったのだと思うが、あのもうろくした年寄りに何ができるか。その証拠に今彼は引退して、大陸で遊び呆けているらしいですよ?」
と、ティアンは桜花楼(おうかろう)の酒宴で再会した時の、昂極大法師の姿を思い出した。
まったくあの狸じじいめ。何も知らない顔して、私と暁の前に堂々と現れるとは。いつもながらいい性格をしている。
「気術に関して言えば、この私が現在の最高峰。私なら宵の深まった封印を解く事ができる」
ティアンは高慢に顔を上げて言い放った。
一体、この男の自信はどこからくるのだろう?
まるでキイの事を一番自分が知っていて…さもどうにかできるような口振り…。
ザイゼムはむかむかしてきた。
…いくら高度な気術者とはいえ、こんな男にキイを渡すわけにはいかない。
「さあ、ザイゼム王!宵を何処に隠された。
貴方を一国一族の王と敬意を表して、こうして話しに来たというのに、このままずっと拒否なさるのなら私も容赦はしない。
力づくでも、汚い手を使ってでも、宵をいただく。
最近では“【宵の流星】手にする者、大陸を制す”と噂が出回っているが、皆はまだ詳しい事は知らぬ。
あれを制し、支配するには、普通の人間では到底無理なのだ。
高度な気術を操れる者以外、あれは手に余る。…気術を修得されておらぬ貴公が、宵に何してやれるというのだ。
あれを手に入れただけでは、大陸を制する事はできぬ。
名実共に、身も心も、宵を支配する相手が必要なのだ!」
ザイゼムの頑なな態度に、ティアンはとうとう感情を露にした。
「…高度な気術を…要する相手が…必要?」
ザイゼムは唸った。何となくキイ自身に秘密が隠されていると思っていた。
…そのセドの宝が…キイ自身に関係してくるというものなら、それは…。
ザイゼムの目が光った。
「成る程な…!キイの持つ“気”。それがこの伝説の大きな要なのだろう?
……弟に聞いた事がある。キイは稀有な“気”の持ち主だという事を。
それが関係しているという事なのだな?」
「さすがゼムカの王。…まぁ、ここまで来たら私も隠してはおけませんな。
…何故ならば…。
あの二人が【恒星の双璧】として世に出始めた時から、この事実を知っていた者の誰しもがわかっていた事でしょうから」
「……」
「…何故、今まで隠していたものを、このようにまるで世間に知らしめるがごとく、あの二人が東で暴れていたのか…。
まるで自分達の存在を見つけてくれとばかりに、名を轟かせるような事をしてるのか…。
…最近なのですがね、それを宵の君自身が、わざとその様に行動しているとしか思えない、という事実に気がついたんですよ」
「…どういう意味だ…」
ティアンはニヤリとした。
「ザイゼム王は…どれだけ宵の事を知っておられる?…私はあの方が生まれたときから知っている…。
直接には関わっていないが、ずっと、宵の君を追っていた。
大人に成長してからは特に、宵の君を知るにつれ、凄く興味深い方だとわかってきましてね…。
皆、あの方の姿かたちに惑わされ、彼の本質を見失っている事が多くて面白い。
皆が宵の君を手に入れようと躍起になっているが、かえって本人は面白がっている節がある。
我々の興味を自分に集中させ、わざと自分を奪い合いさせようとしているところがある…。・
あの方は食えませんよ。全ての行動は宵の君の計画通りに進んでる…と、私は思いますな。
……宵の君は何か思惑を持って、この大陸に存在している…。
その思惑は…誰かの指示か、それとも己自身のものか、…果ては天のものか?
…多分このような状態になった事も、宵の君には予想の範疇だ」
ザイゼムは唇を噛んだ。
「では、キイは何か計画してこの世に存在しているという事か?」
「…本当にセドの宝の存在をお隠しになるつもりならば、目立つような行動も取らず、誰も知らない所でひっそりと、偽名を使って生きておられるはず。…何も異名を大陸全土に知らしめなくとも、完全な本名でないが、そのままの呼び名を使っている所など少しガードが緩い。しかもあの稀有な“気”の存在を名前は伏せても、完全に隠そうともしない。…事情を知る者なら…すぐに存在がわかってしまうのに…」
ザイゼムは息を呑んだ。そう言われてみればそうだ。自分も詳しく調べただけで、意外にすぐキイの存在が判明した。…ただ、その当時は噂が先行していて、王国が滅びたという話題ばかりで、当時の人間はまさか王国に生き残りがいたとは思ってみなかっただろう。だから誰も調べなかっただけなのだ。
「だとすると、キイの目的とは」
「…こればかりはご本人にお聞きしないとわかりかねますな…。
私としたら、セド王国の復興でもお考えかと勘繰りたくありますが、いやはやあの一癖も二癖もある宵の君の事。
さて、真意はどうなのか…」
ザイゼムが何か言おうとしたその時、ゼムカの側近がザイゼムの傍に寄り、そっと耳打ちした。
「何っ!?」
ザイゼムは顔色を変え、立ち上がった。
その尋常でない様子に、ティアンは確信した。
「宵の君に何かあったのですね?」
ザイゼムは唇を噛んだ。よりによって、こんな時に!!
少し時間が遡(さかのぼ)る。
アムイ達が、凌雲山(りょううんざん)の屋敷に着いた時、すでに夕闇が迫ってきていた。
6人はこれからの事を確認するために、屋敷の正面から少し外れた所で、姿を潜めていた時だった。
「…あれは…陛下?」
アーシュラが、屋敷の正門から二人の護衛を伴って、足早に出てきた男の影に気がついた。
「…確かにザイゼムらしいな。という事は…」
「ああ、ツキはこちらに回ってきたのかもしれない。屋敷に入るには今がチャンスだ」
アムイの言葉にアーシュラは頷いた。
ちょうど彼らは、ザイゼムが前王の屋敷に呼ばれて、麓に下りるところを目撃したのだ。
「…で、この人数だ。二手に分かれた方がいいと思うんだ」
アーシュラは全員を見渡した。
「そうね。その方がいいかも。…屋敷に入るには危険も伴うし」
シータが顎に手をやって考え込んでいる。
「では、こうしよう。俺とアーシュラとシータが屋敷に侵入し、キイを救出する。
他の者は、外でザイゼムが戻って来ないかを見張る。何かあったら知らせてくれれば…」
アムイがサクヤの方を向いて言った。サクヤは力強く頷くと、
「ここは任せて、兄貴。…安心してよ」と、昂老人とイェンランの方に同意を求めて振り向いた。
イェンランも大きく頷く。心臓が息苦しいほど高鳴っている。
どうか、どうか無事に…。彼女は心の中で天に祈った。
今度こそ、本当にキイを取り戻せますように…!!
そしてアムイ達三人は、日が落ちたのを見計らって、アーシュラの誘導のもと、屋敷の裏手から中に侵入していった。
屋敷の中では、ルランが同じく小姓のシモンと共に、キイの着替えを終えていた。
「ありがとう、シモン。やはり僕だけでは、宵の君を着替えさせるのに時間がかかるから…」
「いや、いいよ。全部ひとりでというのも、限界あるだろう?」
そう言いながら、ザイゼム王の寝台に横たわる、美しい姿にシモンはどうしても目が吸い寄せられる。
男から見ても、本当に綺麗な人だ…。
シモンは感嘆した。その人間が、敬愛する陛下の寵愛をかっさらっているとしても。
ここ何ヶ月間の意識不明状態のせいで、彼は痩せ細っていたが、その美しさはまったく損なわれていなかった。いや、そのやつれ具合がかえって人の保護本能をかき立てるくらい、儚げで、この世のものとも感じさせない、凄まじい美しさを放っていた。
「なぁ、ルラン。宵の君はこのまま目が覚めないのだろうか」
シモンはポツリと言った。
ルランの顔に苦渋の色が浮かぶ。
「…そうなると、あとは死に至るしかないと…陛下が仰っていた。…どうにかして僕…もう一度、宵の君の声が聞きたいな…」
ルランが宵闇のようだと心で賞賛した、深くて低い、甘い声。
いつもは陛下と同じで、奔放で、豪快で。その上顔に似合わず言葉使いが乱暴で。
だけど二人きりになった時の、あの優しい顔、声。自分の事を純粋無垢な天の子、と言ってくれた…。
普段のあの態度は、どうもわざと振舞っているとしか思えない。
確かにこの容姿であるが、話をすると誰もが判る様に宵の君は生粋の男だ。
黙っていると、まるでどこかに消えてしまいそうな儚い風情…。
一見女性のように美しい横顔。長い睫毛。
しかし彼の醸し出すオーラは男性の力強さに満ちている。あの陛下と同じ、眩暈がするような男(オス)の色だ。
それが彼の不思議な魅力となっていた。その色が、男も女も惹き付けてやまない。
ルランは陛下がいなければ、きっと自分も彼の虜になっていただろうと思う。
あの、三年前の二人で会話した夜を思い出した。
普段の粗野で奔放な宵の君と違う顔。様々な心の葛藤を越え、悟りを得たような包容力。
(本当に不思議な方だ…。あの陛下が夢中になるのもわかる…。
セド王国最後の…背徳の王子…)
陛下の苦しむ姿は見たくない。どうか、天よ、宵の君の目を覚まさせて…!
ルランはきゅっと、目を瞑った。
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キイは意識の下で、自分が泣いているのを感じていた。
ああ、あれは俺が聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に来て…間もない頃…。
聖天風来寺の聖天師長(しょうてんしちょう)が住まう、聖天離宮(しょうてんりきゅう)の中庭だ。
「キイ、こちらにおいで」
自分の背後で、優しい声がした。
あれは亡くなった、前聖天師長(ぜん・しょうてんしちょう)の竜虎(りゅうこ)様。
背が高く、かなりのお歳なのに背筋が伸びて、すらりとされてて。普段は厳しいお顔をされてるのに、たまにこうして優しい目をされる。
お付きの僧侶に前、聞いた事がある。
竜虎様は若い頃、あのラムウが“東の鳳凰”と呼ばれる以前に、その名で馳せた人物だと。
しかもその凄まじい風の“気”を、惜しみなくラムウに伝授した師であった事を。
だが竜虎様は一言もラムウや、セドの太陽の話はされなかった。
若かりし頃、長く絹のような滑らかな髪、と讃えられた黒髪も、今は見事な白髪となってはいたが、歳を召され、顔に皺がたくさん刻まれようと、彼が昔、かなりの美形だったという事を伺わせた。
聖天師長となってからは、その責務が重いこともあって、いつも厳しい顔を崩さない方だったが、素の彼はなかなかの変わり者で、冗談好きな気さくな男だった。その堅物でない面白みある性格が、人々の尊敬と憧憬を集めていた。
その彼が、泣きじゃくる自分をさっと抱き上げると、聖天離宮の展望台に連れて行ってくれた。
聖天離宮は山の頂上にある聖天風来寺の中で、最も高い頂にあった。
中庭を抜け、離宮の回廊の先を行くと、突然眼下が開け、東の国を見下ろせる展望台と続く。
雄大な大地。山脈の合間に見える人々の住まう里。
あの天に近いとされる、天空飛来大聖堂よりは高くはないとはいえ、それでも眼下に広がる景色は素晴らしい。
ここに来ると、自分はちっぽけな存在だと、いつも気付かされる………。
「お。泣き止んだな?」
竜虎は豪快に笑う。
「いつもここに来ると、私も心が晴れる。己の存在を考えるのには、もってこいの場所だと思う」
「りゅ…りゅうこさま…」
生意気ばかり言っているキイも、まだあの時は幼くて、あの日の衝撃に耐える術を知らなかった。
一国を滅ぼしてしまった…大罪。
目が覚めた時、どんなに恐ろしかったか。
それ以上に愛する相方の傷の深さに愕然とした。
一国を滅ぼした罪の意識と共に、アムイは他人を自分から追い出し、心を深く閉ざしてしまった。
しかもキイ以外の人間を排除している…。全く他人を受け付けなくなってしまった。
アムイは夜も眠れず、毎夜取り乱し、泣けば楽になるのに、涙が出ない。
そんな彼が、キイにだけは落ち着いて身を預けてくれる。
二人でくっついていると、安心して眠ってくれる。
…それがキイ自身を追い詰めた。
「俺…俺…きっと神様に罰を与えられたんだ…。
俺がこの地に生まれたから。
そしてアムイを独り占めにしようとしたから」
つぅっとまた一筋涙が頬を伝う。
「どうしてそう思う?」優しい声が自分を包む。
…セドの国に行ってから、周りから真実を教えられ、益々自分の存在に疑問を持つようになっていた…。
「お、俺が生まれなければ…。神様はきっと怒らなかった。
だって…俺はこの忌まわしい力で国をひとつ、滅ぼしてしまったんだ。
それなのに…俺達だけが生き残って…」
そう。あの眩いほどの真っ白な光に囚われた者は全て死んだ。
白い閃光に身体を刻まれて。なのにその中心にいた二人だけが生き残った。
その時の悲惨さを思い出し、キイは震えた。
一陣の涼やかな風が二人の間を吹き抜けていく。力強い、風。
思わずキイは目を閉じる。
「アムイの事だってそうだ…。俺、ずっとアムイを独り占めしたかった。
俺だけを見て、俺だけを頼って…。ずっと自分の傍にいて欲しくて。
他の人間にアムイを渡すのが嫌だった。他人がアムイに触れるのだって嫌だった。
だってアムイは…!アムイは人を抵抗なく受け入れちゃうんだ。
本人が嫌でも、結局相手を許してしまうんだ。その相手が自分を傷つけようとする人間でさえも。
俺はそれがどうしても我慢できなくて…!
アムイが自分だけのものになればいいって、いつも思っていた。だから…!!」
竜虎の手が優しく小さな彼を抱きしめる。
「キイよ。それはお前がアムイを守ろうとしただけだ。
お前は自分でアムイを庇護し、外の人間の闇からアムイを守ろうと思っただけなんだよ。
あの純真無垢な魂を。…己の魂の片割れを…」
キイは竜虎にそう慰められても、それは違うと、首をふるふる振った。
「…アムイがあんなになってしまったのは、やはり俺のせいなんだ。
俺がずっと、自分のものにしたかったから。それをずっと天に望んでいたから!
俺以外の人間を受け付けなくなって、俺だけにしか心を開かなくて…。
確かに俺はアムイだけいればそれでよかった。
だけどこんな状態のアムイになって欲しかった訳じゃない!
傷だらけの状態で、他人を受け付けなくなるなんて…!
苦しみながら、怯えながら、外の世界を閉ざしてしまうなんて!!」
「キイ」
「俺をこの地に留まらせた、あのアムイを返して…」
涙は嗚咽となって、自分を苦しめる。
「大地に愛され、人に愛され、生き物全てを暖かく受け入れる…あのアムイを…」
最後は言葉にならなかった。自分の力が疎ましい。自分の無力さが憎い。
そして自分の生まれが…許せない…。
「俺はどうしてこの世に生まれてきたんだろう?
お母さんだって…俺を産んだせいで死んだ…。
父親だって…この力欲しさの為に、お母さんを苦しめて…俺をこの世に呼んだ。
…アムイがいなかったら…俺は…俺は…」
竜虎はキイを抱く手に力を込めた。ありったけの思いを込めて。
「キイ。人は誰しも望んで、望まれてこの地に降りる。
人の寿命も理由がある。人の存在にも理由がある。
今、理解しろとは言わない。いずれは己の魂が気づく時がくる。
天の思い、地の思い、そして己の魂の思い。
……お前が望むなら、必ずやいつか、その答えは手に入る。
お前は宵の流星…。暗闇に瞬く恒星の塵を、この地に降り注ぐ者」
「竜虎様…?」
「お前の異名だ、【宵の流星】…。
宵の星、流れるがごとく。暁に映える星、それを受けてまこと輝く…。
そして流れる星はその光を天空より大地に与える…。
お前の存在理由…。今はわからなくとも、現実にお前がこの世に生きているという事…。
それはこの大地が、お前を必要としているからなのだよ」
竜虎の穏やかな声がキイを包んでいく。
大地が…俺を必要としている…?
いつの間にか、涙が止まっていた。
はるか遠くに広がるこの大地。雲間に覗く、広大な命の器。
「今はアムイにできるだけの事をしてあげよう…。時間はかかるかも知れない。
だがお前には、癒しの光の巫女だった母から、たくさんの宝を受け継いでいる。
その力を…癒しの力をアムイに与えなさい。そしてゆっくりと、彼の心を解きほぐしてあげなさい。
今はそれだけ…それだけでいいから…」
それからずっと夜はアムイと共に眠るようになった。
そうは言っても自分の癒しの力なぞ、たかが知れてはいる。
だが、少しでもアムイの心の傷が治るのなら、自分は何でもしようと決めていた。
互いに“気”の交流をしながら、愛しい寝顔を見つめながら。
それが成長するにつれ、他の意味で苦しくなろうとも。
キイは聖天風来寺を出るまでに、いくつもの闇を越えてきた。
己の闇、アムイの闇。
心の奥底に蠢く闇に引きずられ、翻弄されてはならぬ。
人の心は弱く、闇に取り込まれた者を目の当たりにしていたからこそ。
自分は絶対に闇の住人にはなるまい。
アムイを闇の手に渡してはならぬ。
突然、己の体内の中で、異変が起きた。
母の魂、自分の分身でもある虹の玉が…何かを訴えたような気がした。
その声が段々と小さくなり、存在が消えかかっていく。
玉の力が…もう限界に達していた。
キイの意識は翻弄される。
命つきそうな虹の玉と共に、意識がどこかに引きずり込まれそうになっていく。
キイは必死になって愛する者の名前を呼んだ。
あの馬鹿!!早く、早く俺を引っ張り上げろ…!!
アムイ!!!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「宵の君!?」
ルランは真っ青になって、キイの息を確認した。
いきなり呼吸が不規則になったからだ。
「シモン!!シモン!!」
部屋を出ようとしたシモンが驚いて戻って来る。
「宵の君の容態がおかしくなった!」
ルランは慌てた。…確か薬があったはずだが…。
陛下が寺院でいただいてきた、大切な薬…。
それが寝台の近くにある引き出しに入っていたのを、ルランは思い出し、急いで取り出し、彼の口元に持っていく。
「ああ…そんな…」
ルランは血の気が引いた。
液体を含ませるだけでもかなり効果のあった薬のはずが、唇を開かせ、口内に落としても彼の容態に変化がない。
それがルランを恐怖に陥れた。
「シモンお願い!すぐに陛下に知らせて!!このままだと宵の君が…!!」
「わかった!!待っていろ、すぐに陛下を呼んで来る!!」
シモンはそう言うと脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。
「宵の君!!」
ルランは必死でキイを呼んだ。
いつもと違う彼の様子に、益々不安が募っていく。
とにかく呼吸が途切れ途切れになり、呼吸困難になってかなり苦しんでいる。
今までは静かに息が止まるだけだったのが、今回は彼の体が悲鳴をあげているようだった。
「は…ああ…はぁは…ぁあ」
喉の奥から、キイの苦悶の声が絞り出される。息が荒い。
「ああ、神様!天よ、どうか宵の君を助けて!」
ルランはただ、叫ぶしかなかった。
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