暁の明星 宵の流星 #104
「だからさっきも言っただろ?あれは相手を油断させるためだったんだって!
何も好きで誘った訳じゃないって!」
アムイはうんざりした。
元気になったらすぐこれだ。
「それでも俺はあんなやり方、納得できねぇ!
しかも何だあれ?平気な顔して口つけられて、いいように触りまくられて、怒りもしねえどころか、じ、自分から積極的にっ!」
「不動心」
「何っ?」
「俺、キイみたいに何されても動揺しないで冷静でいよう、って。
今までガキみたいな反応ばかりしてたから、その」
「お前、誰かに何か吹き込まれたろう?」
ぎくっとしてアムイは言葉に詰まった。…でも、言えないだろう?アーシュラなんて…。
大事な親友を亡くしたばかりなのに。あんなに彼が死んで悲しんでいるのに。
キイはじっとこちらを窺(うかが)っている。
もう、やめろよ、そんな目で見るの。
アムイはいい加減切れそうだった。
何でこんなに責められなくちゃいけないんだ?結局あのシヴァを倒したじゃないか。結果オーライだろ?
…一体何をそんなに怒ってるんだ。
「あのさぁ、もう勘弁してよ。お前と違って俺に言い寄ってくる男なんて、シヴァみたいな変わり者しかいないから。もうこんな事ないよ、きっと」
「俺と違って?俺はなぁ、自慢じゃないが、自分から男に色目使ったことなんてないぞ!」
「そーかよ」
何か、むかつく。
「キイこそ何だよ。男にも女にも無駄にフェロモン振りまいて。男をその気にさせるよーな姿晒して。
なのに男は完全拒否?その方がよっぽど罪重いんじゃないの?
自分を棚に上げてよく言うよ!
…あの好色なザイゼムに…何もされてないって証拠もないしな!」
キイはぷちっと切れて、思わずアムイを蹴り上げた。ドスっと鈍い音がして、アムイの腹に命中する。
「いてっ!」
「好きでこのよーな姿で生まれたんじゃねー!文句なら大陸一美人だった俺のかーさんと、太陽とか、セドで一番美しい王子とかって、うんと讃えられたお前の親父に言えっつーの!!」
ドコッ!
アムイも完全にぶち切れ、お返しに自分もキイの腹に蹴りを食らわせた。
「ぐ!」鈍い音と共にキイは腹を押さえる。
「そーかよ、ああ、そーかよ!開き直るのかよ!」
「アムイ、てめぇ…!昔は素直な可愛い奴だったのに…。どんどん捻くれちまって。
…俺の育て方が…」
バキ!
またアムイの足がキイの脛を襲った。
「お前は俺の親じゃないだろ!俺を育てたのは竜虎様だ!お前もそうじゃないか!」
ガキッ!!
アムイはキイに頬を殴られ吹っ飛んだ。
「ぃ…ってえなぁ!何すんだよキイ!」
「かかって来い!アムイ!その根性叩きなおしてやる!!」
「それはこっちの科白だっ!!」
「ねー…。このままでいいのー?あれ。
キイが目覚めてから、ずっとああなんだけど」
遠巻きに二人の乱闘を見ているイェンランが、隣のシータにポツリと言った。
「何とかは犬も食わないって言うじゃないの。放っとけば?」
「でもぉ…。ねぇ、いつもあの二人の兄弟喧嘩ってこんなに激しいわけ?
ああ…、お互いの綺麗な顔が…」
シータはフッと鼻で笑うとこう言った。
「何よあれ、見るからに痴話喧嘩じゃない。心配するのも馬鹿らしいわよ。
…それよりもどぉ?キイと再会して。何か感じた?」
いきなりそう振られて、イェンランはどきりとした。
「うん…まぁ、まだ実感がないっていうか…」
今、アムイ達は昂老人の手配で、海に面した崖の上に建つ、小さな寺院に身を潜めていた。
昂極大法師(こうきょくだいほうし)がアムイ達と行動を共にしている事は、まだザイゼム達には知られていない。
その事もあって、昂老人は自分のツテをフル活動し、凌雲山(りょううんざん)から東に少し行った所にひっそりと建つ、この寺院の僧侶に頼んでしばらく身を置かせてもらう事になったのだ。
ここでこれからどうするか、ゆっくりと話し合いする時間を持つために。
という事で、麓の草原で落ち合ったアムイ達は、すでに僧侶と交渉して帰ってきた昂老人の案内で、すぐにこの寺院にたどり着いたのだ。
完全にのびていたキイは、客間の一室に通され、そのまま一晩昏々と眠り続けた。
ところがさすが、化け物と言われた【宵の流星】。
夜明けと共にぱっちりと目が覚め、開口一番、その時近くにいたシータにこう言った。
「飯」
「はい?」
「飯だ、飯!何か食いもん寄こせ!」
「…キイ、アンタね…」
「とにかく何か食い物!何でもいい、腹に溜まるヤツなら何でも!」
その後、運ばれた食事をガツガツと食い漁り、きっちり大人三人分、まるで今までの空腹を満たすかのようにペロリと平らげ、世話役の小僧を驚かせた。
その天神のような麗しい姿でこのような豪快な振る舞い。見ていた寺の僧侶達も、開いた口が塞がらなかったのは言うまでもない。
全くこの男、黙っていればうっとり見惚れるほどなのに、食後には片膝立てて、高楊枝。
「ふぇ~、食った、食った!やっぱ、長期の断食は辛いねぇ。なぁ、食後に酒ねぇの?朝から飲むな?ケッ!けちんぼ」
加えてこの口の悪さ、乱暴さ。姿形に憧れている者ならば、百年の恋も冷めるってものだ。
…いや、これが女の前だと猫をかぶるのか、これほど酷くはないらしい。かえって優しい物言いと、柔らかな物腰で、女を夢中にさせるという。
だからいつもアムイに嫌味を言われるのだ。詐欺師だ、と。
ま、どちらが本当の【宵の流星】か、それは本人のみぞ知る事だ。
そんなこんなで、彼がアムイとシータ以外の人間に会ったのは、満腹になり、体調が完全に戻ってからだった。
「サクヤ」
突然サクヤはアムイに呼ばれた。
「どうしたの、兄貴」
サクヤはこの数日のごたごたで、アムイとゆっくり話す時間がなかった。
なのでとても気にはなっていたが、なかなかキイの話も聞けなかった。
キイ本人すら、いつも遠目でちらりと見ただけ。
ちょうど彼を担ぎ込んだ時は、先に行って部屋の用意を手伝っていたためにじっくり姿を拝めなかった。
なのでサクヤの好奇心はかなり大きく膨れていた。
美人で豪快で大胆で激しく強い。今のところ、サクヤのキイに対する認識はこんなものであったが。
それも全てアムイの事を知りたい気持ちから生じる好奇心でもあった。
最初サクヤは、あのアムイに相棒がいたという事実が少しショックだった。
いつも人を寄せ付けない風情で、アムイはずっと一匹狼だったと思い込んでいたからだ。
あの兄貴のパートナーとなる人物。もの凄い興味があるのは当たり前だ。
ちょっと嫉妬にも似た気持ちがキイに対してあったのは否定しない。だが、彼がアムイと血が繋がって、しかも祖国の王子と聞いて、完全に敵わないとサクヤは思った。そして【宵の流星】がどんな人物か、益々興味が湧いてきたのだ。
「キイがお前と話したいって。行ってくれる?」
「へ…?」
突然の申し出に、サクヤは心臓が跳ね上がった。何で?何でいきなり個人名で呼び出し?
「オレだけ?」
「ああ」
きょとんとしているサクヤの顔を見て、アムイは先ほどキイの様子を窺った時を思い出していた。
満腹後、しぶしぶお茶をすすりながら、キイはシータから色々とこれまでの事や、一緒に行動してきた人間の話を聞かされていたようだ。
昂老人を伴ってアムイが部屋に入ったとき、大まかな話はシータから教わっていた様子だった。
(昂のじーちゃん!!)
キイは昂老人の姿を見ると、懐かしさのあまり立ち上がり、小さな体に飛びついた。
(おいおい、キイよ!お主随分大きくなったが、相変わらず懐っこいのぅ。
本当に犬っころみたいな所は変わらんな。…今は大型犬並にデカくなったが)
(心配かけて…すまなかったな、じーちゃん。それにアムイの事まで。
本当に恩に着るよ)
キイは幼い頃、生意気ばかり言っていた自分に、根気強く己の“気”の制御を教えてくれた優しいお爺さんを思い出していた。
あの頃はまだ、アマトもネイチェルも…ラムウも生きていて、一番、自分達が幸せだった時だ。
アムイは小さかった事もあり、あまりよく昂老人の事は憶えてなかったみたいだが、それは仕方ない。
あの事以来、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に世話になり、育ての親となってくれた竜虎(りゅうこ)様が昂老人の無二の親友だったと知って、とても嬉しかった記憶がある。しかも彼はお忍びで度々キイに会いに来ては、門下生となる年齢になるまで、己が研究してきた“光輪”制御の極意を伝承してくれた。それは極秘に行われていた事もあって、当時殻に閉じ篭っていたアムイは全く知らなかった。
(とにかく、元気になったのはよかった、よかった。後でお前さんのその額の封印を診させておくれ。ここで封印を解く事ができればいいのじゃがなぁ)
(ん…。迷惑かけるなぁ、じーちゃん)
(ははは。ま、お前さん達の事は、あの竜虎が亡くなる前にくれぐれも頼む、と言われてるんでな。
わしの寿命ある限り、お節介させてもらうとするさ)
ひとしきり昂老人と話した後、キイはいきなりアムイにこう言ったのだ。
(サクヤって子と話がしたいんだけど、呼んでくれる?)
(どうしてまた突然…)
アムイは不思議そうな顔をキイに向けた。
(シータから聞いたぞ。無愛想なお前を、見捨てずここまでついて来てくれたって言うじゃないか!俺がお礼しなくて誰がするんだ)
ちょっとアムイはむっとした。…いつまでキイは自分を子ども扱いするんだろう。
今まで頼ってきた事を棚に上げてアムイは心の中で毒ついた。
そして部屋を出る時、涼しい顔をしたキイにぶっきらぼうに言う。
(サクヤにあまり変な事を言うなよ!)
それでアムイはサクヤを呼びに来たという訳なのだ。
「…な、何の話なんだろう…。オレ、ちょっと緊張する…」
サクヤのその様子にアムイはふっと笑った。
「何情けないこと言ってんだ?お前、誰とでも上手く話せるじゃないか、俺と違って。
それなのに緊張する?」
「だって…」
「あんな奴、どうって事ないって。お前の得意な年上の男だぜ。(二つだけだけど)
何も怖がる必要ないぞ」
確かにあのキイがサクヤに何を話したいか、アムイも少々不安だった。
本人はお礼が言いたい、と言ってはいたが、そんなの皆といる時でも構わないじゃないか。
なのに、わざわざサクヤだけ呼び出して…。
(あいつ、何考えてんだ?)
緊張してギクシャク歩いて去って行くサクヤの背中を眺めながら、アムイはほっと溜息を漏らした。
…前から思ってたけど。
キイの奴…、オレには大事な事、ちゃんと話してくれないのが最近多い気がする。
思えば聖天風来寺を出てから特に…。何か俺に隠してるのか、と思うくらいすっきりしない。
そういえば何故、聖天風来寺を追い出される様な事をしたのかも、結局教えてくれなかった…。
一種の寂しさを感じ、アムイは再び溜息をついた。
ドキドキしながら、サクヤはキイのいる部屋の前に着き、ノックした。
これから本物の【宵の流星】に会う…。しかも話まで。
珍しくサクヤは人と会うのに緊張していた。
「入って」
扉の奥から、深くて低い声がした。何ていい声なんだろう。
サクヤはその声に誘われるように部屋に入った。
この客間はちょうど海に面していて、大きなバルコニーからは真っ青な海が広がっている。
そのバルコニーを背にして、彼はすっと立っていた。
サクヤは息を呑んだ。その光景はまるで一枚の絵のようだった。
「君がサクヤ?」
「え…あ、はい」
自分の声がかすれるのがわかる。
な、何だ?この人…。
つい、サクヤは呆然としてしまった。
そこに佇む一人の…男だろ?この人。男だよね…。
だからといってその人物が女か?と、誰かに聞かれても、それも違う、としか答えられない。
よく見れば、確かに骨格も、服の上からでも判る鍛え抜かれた筋肉とか、すらりとした背の高さとか…。
紛れもない男性なのに、彼は性別を超えた美しさを持っていた。
長くて少し癖のある緩やかなブロンズの髪、白い肌、長くて濃い睫毛に縁取られた黒い瞳。
すっと高い鼻、魅惑的なふっくらとした唇。
それ以上にサクヤを動揺させたのは、彼の醸し出す妖艶さだった。
(し、しかもただ立ってるだけなのに、この凄いエロスは何っ?)
今までサクヤは色々な人間と会ってはきたが、ここまで官能を刺激する人間に会った事がない。
しかもそれが男…。
思いっきりドキマギしているサクヤに、キイは魅力的な笑みを浮かべると、優しい声でこう言った。
「シータから話聞いていて、とても会いたかったんだ」
「へ?」
いきなりこう言われて、きっとサクヤは間が抜けた顔をしていたに違いない。
キイは真っ赤になって自分を見上げているサクヤに近づくと、突然彼に頭を下げた。
「うぁ!な、何ですか?キイさん!」
「ありがとう」
「えっ!?」
何故お礼を言われたのか、サクヤは訳もわからず混乱した。
「えーと?オレ、何かしましったけ?…キイさんとちゃんとお会いしたの、これが初めてだと…」
キイは頭を元に戻すと、くすりと笑った。
「アムイの事だ」
「あ」
「…俺があいつの傍にいられなかった間、…ずっと近くにいてくれてありがとう」
「キイさん…」
ウットリする様な低音で甘い声だ。だが、その声色に切なさが含まれているのを、サクヤは感じ取った。
キイは真剣な目で、じっとサクヤを見つめた。
「…あいつ、ずっと闇の箱を抱えていた事は、知っているだろう?」
「は、はい…」
「あの箱を開けるのに、俺は何年もずっと苦労してきた。あの箱はアムイ自身が自分で作り、封じた物。いくら俺や他人が何とかしようとしても、本人が自分で立ち向かい、解決しようとしなければ、開けられもしなかったし消滅できなかった。
あいつ自身が殻に閉じ篭って自分が自分を苦しめていた元凶を、冷静に見て受けとめ、対峙する必要があったんだ。
……箱を消滅した後も、きっと今、あいつは別の苦しみを背負っている最中だと思う。
それに立ち向かう勇気がなければ、あの箱は開けられなかった。
開けて、己の抱える傷や闇を吐き出し、乗り越えなければ本来のアムイの姿が現れない。
闇を外に出してくれさえすれば、あとは俺も癒しの力を充分使ってやれる。苦しい時に手も貸してやれる。
…長かった…。ここまで来るのに」
うっすらと、キイの瞳に涙が浮かんでいるのをサクヤは気が付いた。
本当に苦しかったに違いない…兄貴も…そしてその間近にいたこの人も。
「この箱を開けさせるには、俺では無理だと思った。だから賭けた。
一度あいつを手放し、他力に任せてみようと」
「キイさん…」
「この世に何故、たくさんの人間が存在していると思う?
互いに関わり影響しあい、己の魂(たま)を磨くためだ。
人は人に限らず様々な出会いと別れを繰り返し、思い、考え、気づき、そして成長していく。
いい出会いも、最悪な出会いもあるだろう。
でもそれは全て己のため。決して無駄な事はない」
そう言うと、キイはベランダに広がる青い海を振り返った。
「世界は広いし大きいなぁ。己の小ささがよくわかる。
……俺がいない四年の間、アムイはきっと死に物狂いだったに違いない。
人をずっと拒否して、内面は怖がって生きてきたから。
俺がいるとアムイは俺に甘えてしまう。己の殻から出ることはできない。
それでも普通に人と話せるくらいにまではなったんだが、やはり限界を感じていた。
だから嬉しかったなぁ。シータや昂じいちゃんから聞いて。アムイが仲間という単語を自然に使えるようになって」
と、しばらく海を眺めていたが、再びサクヤに目線を移してキイは言った。
「箱を開ける………あいつにその勇気を与えてくれたのは、君だ。
君に出会わなければ、今のアムイはなかった。
…ありがとう。本当に感謝する」
「そ、そんな!オレ、何もしてないですよ!ただ迷惑がられても一緒についてきただけで…」
キイはニヤッと笑った。
「それが有難いんだってば、サク」
いきなり砕けた話し方に、サクヤの心臓が早鐘を打った。
そして今度は馴れ馴れしくも、キイは彼の頭をポンポンと軽く叩くと、くしゃくしゃっと髪を撫でた。
「キ、キイさんっ!?」
思わず動転するサクヤに、「おっとすまん」と小声で呟くと、キイはその手を離した。
「悪ぃ、俺の悪い癖だな。どうも自分よりも年下だと思うと、ガキ扱いしてしまって…。
よくアムイに怒られるんだよなぁ…。…どうもいかん」
と、バツの悪そうに笑う顔が、まるで悪戯を咎められた子供みたいで、思わずサクヤは吹き出した。
その様子を優しく見つめてから、キイは再び頭を下げた。
「キイさん?やめてくださいって!オレ、大した事してませんから!その…」
「頼む」
「へ?」
「これからもあいつの傍にいてやってくれ。頼む」
「キイさん…」
「…あいつには君のような人間が必要だ。今まで同年代の友人もいなかったあいつが…。
俺が頭を下げる事じゃないのかもしれないが、これからもあいつを頼む」
部屋から出たサクヤは、何だか夢の中にいるような感覚でアムイの元へ戻った。
アムイを頼むと言われた嬉しさもあったが、それ以上にキイのオーラに当てられてしまったようだ。
あの、佇んでるだけであのエロス…。
「兄貴…あの人をずっと抱き枕にしてたっていうのかよ…。
し、信じられないっ!」
あれだけの妖艶さをたたえた人と、よく一緒に寝られるものだ。いくら兄弟とはいえ。
ふらふらとアムイの元に戻ってきたサクヤの顔を見て、アムイは眉をしかめた。
何か心ここにあらずで、一体キイはサクヤに何をしたんだ…。
アムイは益々不安になった。
「おい、何か言われたのか?サクヤ」
心配してアムイはサクヤの傍に駆け寄った。
「あいつ、変な事言わなかっただろうな?おい、どうした?」
サクヤはぼーっとした視線をアムイに向けると、ぼそっと言った。
「兄貴」
「うん?」
「…オレずっと兄貴の事すっげえ人だと思っていたけど、他の意味でも尊敬するよ…」
「はぁ?」
きょとんとした顔のアムイを残し、サクヤはまたふらふらと水をもらいに厨房へと向かった。
で、午後、昼食のために、元気になったキイは皆の前に姿を現し、イェンランとも対面したのだった。
「お嬢ちゃん!」
人垣のはずれで、遠慮して小さくなっていたイェンランを、キイは目ざとく見つけた。
イェンランの事は、アムイとシータから簡単に話は聞いていた。ただ、時間がなくて詳しい事はまだだったが。
キイはこの時点で、彼女が自分を追ってここまで来た、としか知らなかった。
彼女がどういう経緯でアムイ達と出会い、どういう事情で旅をして来たか知らないキイは屈託のない笑顔を彼女に向けた。
イェンランは珍しく顔を赤くして俯くと、消え入るような声で「キイ」と呟いた。
「俺の事、憶えてくれてたのか、嬢ちゃん!あれから三年だよな?
…大きくなったなぁ!今いくつなんだ?」
「18になったわ、私…」
「そうかい、もういいお年頃か。…綺麗になったね、お嬢ちゃん」
「まったくキイ、アンタって相変わらず、その歯の浮くような科白を簡単に言うわよね」
イェンランが固まっている事を察知したシータがさりげなく間に入った。
「本当の事を言っちゃいけないのかよ」
「まぁま、とにかくさっさと食事しましょ。早くしないとここの人にだって迷惑かけるわ。
ね?お嬢」
イェンランはシータが来てくれたお陰で、ほっとした。
あんなに会いたかったキイ。
三年まえと何ら変わりなく、相変わらず綺麗で花の香りがする。
懐かしさと、照れくささで、イェンランはどうしたらいいのかわからなかったのだ。
顔もまともに見れないくらい、緊張していた。
シータはまだ、彼女に起きた恐怖を、キイに話していなかった。
だから心配で間に入ったのだ。
そのうちアムイか自分が彼女の事を説明しないと…。シータはそう思っていた。
イェンランも…もう少しキイに慣れて落ち着いたら、自分で行動するだろうから…それまで気にかけようとも思った。
それから食事が始まり、元気になったキイは、これ見よがしにアムイに説教(はたから聞いて、どうしても文句にしか聞こえないのだが)をちんたら始めたのだ。
…それでアムイが切れて口論となり…・。
で、とうとう夕食後、再燃し、口論が今度は体を張った喧嘩に発展し、今に至る…という訳だ。
(痴話喧嘩…。確かに)
イェンランはむっとした表情で、二人の殴り合いを見ていた。
何か面白くない。というか、他の迷惑顧みず、二人だけの世界に浸って…いや、喧嘩はいくら何でも周りの空気が悪くなるではないか。
「もう、いいから放っときましょうよ、お嬢。…て、あれ、お嬢?」
イェンランはふるふると身体を震わすと、くるりとその場を去り、どこかに行って戻ってきた。
「お、お嬢?それ…」
戻ってきた彼女の手には水の入ったバケツが握られていた。
最終的には寺の庭先に場所を移し、激しい二人の痴話…もとい兄弟喧嘩はまだ続いていた。
「だいたいキイは俺をガキ扱いし過ぎなんだよ!俺だってもう25だぞ!」
バキっ!
「ほー、そおかい、随分色気出してきたじゃん。でもまだまだ甘いぜ。お前はまだ俺の足元にも及ばねぇ!」
ドゴッ!!
「言いやがったなっ!この野郎!!」
「おお、その身体に痛いほど教えてやるぜ、アムイ」
「何をー!?」
バシャーン!!
いきなり二人に水がぶっ掛けられた。
ずぶ濡れになった二人は唖然として動きを止めた。
「いい加減にしてよね!二人とも!!」
イェンランの啖呵が炸裂する。
「そんな無駄な殴り合いっこするなら、もっと有意義な議論くらいしなさいよ!
二人とも子供じゃないんでしょ!!」
恐ろしいほどの剣幕に、二人は幼い頃、アムイの母であるネイチェルに喧嘩を止められた事を思い出した。
あの時、彼女も同じように二人に水を浴びせて、同じような感じで怒鳴っていたっけ。
イェンランの勢いに、二人は反射的に「はい、すみません…」としか言えなかった。
「分かればいいのよ、分かれば!!」
つん、として大股で去って行く彼女に、思わず二人は吹き出した。
「やはり女には敵わねぇ」
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