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2010年6月

2010年6月29日 (火)

暁の明星 宵の流星 #104

「だからさっきも言っただろ?あれは相手を油断させるためだったんだって!
何も好きで誘った訳じゃないって!」
アムイはうんざりした。
元気になったらすぐこれだ。
「それでも俺はあんなやり方、納得できねぇ!
しかも何だあれ?平気な顔して口つけられて、いいように触りまくられて、怒りもしねえどころか、じ、自分から積極的にっ!」
「不動心」
「何っ?」
「俺、キイみたいに何されても動揺しないで冷静でいよう、って。
今までガキみたいな反応ばかりしてたから、その」
「お前、誰かに何か吹き込まれたろう?」
ぎくっとしてアムイは言葉に詰まった。…でも、言えないだろう?アーシュラなんて…。
大事な親友を亡くしたばかりなのに。あんなに彼が死んで悲しんでいるのに。
キイはじっとこちらを窺(うかが)っている。
もう、やめろよ、そんな目で見るの。
アムイはいい加減切れそうだった。
何でこんなに責められなくちゃいけないんだ?結局あのシヴァを倒したじゃないか。結果オーライだろ?
…一体何をそんなに怒ってるんだ。
「あのさぁ、もう勘弁してよ。お前と違って俺に言い寄ってくる男なんて、シヴァみたいな変わり者しかいないから。もうこんな事ないよ、きっと」
「俺と違って?俺はなぁ、自慢じゃないが、自分から男に色目使ったことなんてないぞ!」
「そーかよ」
何か、むかつく。
「キイこそ何だよ。男にも女にも無駄にフェロモン振りまいて。男をその気にさせるよーな姿晒して。
なのに男は完全拒否?その方がよっぽど罪重いんじゃないの?
自分を棚に上げてよく言うよ!
…あの好色なザイゼムに…何もされてないって証拠もないしな!」
キイはぷちっと切れて、思わずアムイを蹴り上げた。ドスっと鈍い音がして、アムイの腹に命中する。
「いてっ!」
「好きでこのよーな姿で生まれたんじゃねー!文句なら大陸一美人だった俺のかーさんと、太陽とか、セドで一番美しい王子とかって、うんと讃えられたお前の親父に言えっつーの!!」
ドコッ!
アムイも完全にぶち切れ、お返しに自分もキイの腹に蹴りを食らわせた。
「ぐ!」鈍い音と共にキイは腹を押さえる。
「そーかよ、ああ、そーかよ!開き直るのかよ!」
「アムイ、てめぇ…!昔は素直な可愛い奴だったのに…。どんどん捻くれちまって。
…俺の育て方が…」
バキ!
またアムイの足がキイの脛を襲った。
「お前は俺の親じゃないだろ!俺を育てたのは竜虎様だ!お前もそうじゃないか!」
ガキッ!!
アムイはキイに頬を殴られ吹っ飛んだ。
「ぃ…ってえなぁ!何すんだよキイ!」
「かかって来い!アムイ!その根性叩きなおしてやる!!」
「それはこっちの科白だっ!!」


「ねー…。このままでいいのー?あれ。
キイが目覚めてから、ずっとああなんだけど」
遠巻きに二人の乱闘を見ているイェンランが、隣のシータにポツリと言った。
「何とかは犬も食わないって言うじゃないの。放っとけば?」
「でもぉ…。ねぇ、いつもあの二人の兄弟喧嘩ってこんなに激しいわけ?
ああ…、お互いの綺麗な顔が…」
シータはフッと鼻で笑うとこう言った。
「何よあれ、見るからに痴話喧嘩じゃない。心配するのも馬鹿らしいわよ。
…それよりもどぉ?キイと再会して。何か感じた?」
いきなりそう振られて、イェンランはどきりとした。
「うん…まぁ、まだ実感がないっていうか…」

今、アムイ達は昂老人の手配で、海に面した崖の上に建つ、小さな寺院に身を潜めていた。
昂極大法師(こうきょくだいほうし)がアムイ達と行動を共にしている事は、まだザイゼム達には知られていない。
その事もあって、昂老人は自分のツテをフル活動し、凌雲山(りょううんざん)から東に少し行った所にひっそりと建つ、この寺院の僧侶に頼んでしばらく身を置かせてもらう事になったのだ。
ここでこれからどうするか、ゆっくりと話し合いする時間を持つために。


という事で、麓の草原で落ち合ったアムイ達は、すでに僧侶と交渉して帰ってきた昂老人の案内で、すぐにこの寺院にたどり着いたのだ。
完全にのびていたキイは、客間の一室に通され、そのまま一晩昏々と眠り続けた。
ところがさすが、化け物と言われた【宵の流星】。
夜明けと共にぱっちりと目が覚め、開口一番、その時近くにいたシータにこう言った。
「飯」
「はい?」
「飯だ、飯!何か食いもん寄こせ!」
「…キイ、アンタね…」
「とにかく何か食い物!何でもいい、腹に溜まるヤツなら何でも!」
その後、運ばれた食事をガツガツと食い漁り、きっちり大人三人分、まるで今までの空腹を満たすかのようにペロリと平らげ、世話役の小僧を驚かせた。
その天神のような麗しい姿でこのような豪快な振る舞い。見ていた寺の僧侶達も、開いた口が塞がらなかったのは言うまでもない。
全くこの男、黙っていればうっとり見惚れるほどなのに、食後には片膝立てて、高楊枝。
「ふぇ~、食った、食った!やっぱ、長期の断食は辛いねぇ。なぁ、食後に酒ねぇの?朝から飲むな?ケッ!けちんぼ」
加えてこの口の悪さ、乱暴さ。姿形に憧れている者ならば、百年の恋も冷めるってものだ。
…いや、これが女の前だと猫をかぶるのか、これほど酷くはないらしい。かえって優しい物言いと、柔らかな物腰で、女を夢中にさせるという。
だからいつもアムイに嫌味を言われるのだ。詐欺師だ、と。
ま、どちらが本当の【宵の流星】か、それは本人のみぞ知る事だ。

そんなこんなで、彼がアムイとシータ以外の人間に会ったのは、満腹になり、体調が完全に戻ってからだった。
「サクヤ」
突然サクヤはアムイに呼ばれた。
「どうしたの、兄貴」
サクヤはこの数日のごたごたで、アムイとゆっくり話す時間がなかった。
なのでとても気にはなっていたが、なかなかキイの話も聞けなかった。
キイ本人すら、いつも遠目でちらりと見ただけ。
ちょうど彼を担ぎ込んだ時は、先に行って部屋の用意を手伝っていたためにじっくり姿を拝めなかった。
なのでサクヤの好奇心はかなり大きく膨れていた。
美人で豪快で大胆で激しく強い。今のところ、サクヤのキイに対する認識はこんなものであったが。
それも全てアムイの事を知りたい気持ちから生じる好奇心でもあった。
最初サクヤは、あのアムイに相棒がいたという事実が少しショックだった。
いつも人を寄せ付けない風情で、アムイはずっと一匹狼だったと思い込んでいたからだ。
あの兄貴のパートナーとなる人物。もの凄い興味があるのは当たり前だ。
ちょっと嫉妬にも似た気持ちがキイに対してあったのは否定しない。だが、彼がアムイと血が繋がって、しかも祖国の王子と聞いて、完全に敵わないとサクヤは思った。そして【宵の流星】がどんな人物か、益々興味が湧いてきたのだ。
「キイがお前と話したいって。行ってくれる?」
「へ…?」
突然の申し出に、サクヤは心臓が跳ね上がった。何で?何でいきなり個人名で呼び出し?
「オレだけ?」
「ああ」
きょとんとしているサクヤの顔を見て、アムイは先ほどキイの様子を窺った時を思い出していた。


満腹後、しぶしぶお茶をすすりながら、キイはシータから色々とこれまでの事や、一緒に行動してきた人間の話を聞かされていたようだ。
昂老人を伴ってアムイが部屋に入ったとき、大まかな話はシータから教わっていた様子だった。
(昂のじーちゃん!!)
キイは昂老人の姿を見ると、懐かしさのあまり立ち上がり、小さな体に飛びついた。
(おいおい、キイよ!お主随分大きくなったが、相変わらず懐っこいのぅ。
本当に犬っころみたいな所は変わらんな。…今は大型犬並にデカくなったが)
(心配かけて…すまなかったな、じーちゃん。それにアムイの事まで。
本当に恩に着るよ)
キイは幼い頃、生意気ばかり言っていた自分に、根気強く己の“気”の制御を教えてくれた優しいお爺さんを思い出していた。
あの頃はまだ、アマトもネイチェルも…ラムウも生きていて、一番、自分達が幸せだった時だ。
アムイは小さかった事もあり、あまりよく昂老人の事は憶えてなかったみたいだが、それは仕方ない。
あの事以来、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に世話になり、育ての親となってくれた竜虎(りゅうこ)様が昂老人の無二の親友だったと知って、とても嬉しかった記憶がある。しかも彼はお忍びで度々キイに会いに来ては、門下生となる年齢になるまで、己が研究してきた“光輪”制御の極意を伝承してくれた。それは極秘に行われていた事もあって、当時殻に閉じ篭っていたアムイは全く知らなかった。
(とにかく、元気になったのはよかった、よかった。後でお前さんのその額の封印を診させておくれ。ここで封印を解く事ができればいいのじゃがなぁ)
(ん…。迷惑かけるなぁ、じーちゃん)
(ははは。ま、お前さん達の事は、あの竜虎が亡くなる前にくれぐれも頼む、と言われてるんでな。
わしの寿命ある限り、お節介させてもらうとするさ)
ひとしきり昂老人と話した後、キイはいきなりアムイにこう言ったのだ。
(サクヤって子と話がしたいんだけど、呼んでくれる?)
(どうしてまた突然…)
アムイは不思議そうな顔をキイに向けた。
(シータから聞いたぞ。無愛想なお前を、見捨てずここまでついて来てくれたって言うじゃないか!俺がお礼しなくて誰がするんだ)
ちょっとアムイはむっとした。…いつまでキイは自分を子ども扱いするんだろう。
今まで頼ってきた事を棚に上げてアムイは心の中で毒ついた。
そして部屋を出る時、涼しい顔をしたキイにぶっきらぼうに言う。
(サクヤにあまり変な事を言うなよ!)


それでアムイはサクヤを呼びに来たという訳なのだ。
「…な、何の話なんだろう…。オレ、ちょっと緊張する…」
サクヤのその様子にアムイはふっと笑った。
「何情けないこと言ってんだ?お前、誰とでも上手く話せるじゃないか、俺と違って。
それなのに緊張する?」
「だって…」
「あんな奴、どうって事ないって。お前の得意な年上の男だぜ。(二つだけだけど)
何も怖がる必要ないぞ」
確かにあのキイがサクヤに何を話したいか、アムイも少々不安だった。
本人はお礼が言いたい、と言ってはいたが、そんなの皆といる時でも構わないじゃないか。
なのに、わざわざサクヤだけ呼び出して…。
(あいつ、何考えてんだ?)
緊張してギクシャク歩いて去って行くサクヤの背中を眺めながら、アムイはほっと溜息を漏らした。
…前から思ってたけど。
キイの奴…、オレには大事な事、ちゃんと話してくれないのが最近多い気がする。
思えば聖天風来寺を出てから特に…。何か俺に隠してるのか、と思うくらいすっきりしない。
そういえば何故、聖天風来寺を追い出される様な事をしたのかも、結局教えてくれなかった…。
一種の寂しさを感じ、アムイは再び溜息をついた。


ドキドキしながら、サクヤはキイのいる部屋の前に着き、ノックした。
これから本物の【宵の流星】に会う…。しかも話まで。
珍しくサクヤは人と会うのに緊張していた。
「入って」
扉の奥から、深くて低い声がした。何ていい声なんだろう。
サクヤはその声に誘われるように部屋に入った。
この客間はちょうど海に面していて、大きなバルコニーからは真っ青な海が広がっている。
そのバルコニーを背にして、彼はすっと立っていた。
サクヤは息を呑んだ。その光景はまるで一枚の絵のようだった。
「君がサクヤ?」
「え…あ、はい」
自分の声がかすれるのがわかる。

な、何だ?この人…。

つい、サクヤは呆然としてしまった。
そこに佇む一人の…男だろ?この人。男だよね…。
だからといってその人物が女か?と、誰かに聞かれても、それも違う、としか答えられない。
よく見れば、確かに骨格も、服の上からでも判る鍛え抜かれた筋肉とか、すらりとした背の高さとか…。
紛れもない男性なのに、彼は性別を超えた美しさを持っていた。
長くて少し癖のある緩やかなブロンズの髪、白い肌、長くて濃い睫毛に縁取られた黒い瞳。
すっと高い鼻、魅惑的なふっくらとした唇。
それ以上にサクヤを動揺させたのは、彼の醸し出す妖艶さだった。
(し、しかもただ立ってるだけなのに、この凄いエロスは何っ?)
今までサクヤは色々な人間と会ってはきたが、ここまで官能を刺激する人間に会った事がない。
しかもそれが男…。
思いっきりドキマギしているサクヤに、キイは魅力的な笑みを浮かべると、優しい声でこう言った。
「シータから話聞いていて、とても会いたかったんだ」
「へ?」
いきなりこう言われて、きっとサクヤは間が抜けた顔をしていたに違いない。
キイは真っ赤になって自分を見上げているサクヤに近づくと、突然彼に頭を下げた。
「うぁ!な、何ですか?キイさん!」
「ありがとう」
「えっ!?」
何故お礼を言われたのか、サクヤは訳もわからず混乱した。
「えーと?オレ、何かしましったけ?…キイさんとちゃんとお会いしたの、これが初めてだと…」
キイは頭を元に戻すと、くすりと笑った。
「アムイの事だ」
「あ」
「…俺があいつの傍にいられなかった間、…ずっと近くにいてくれてありがとう」
「キイさん…」
ウットリする様な低音で甘い声だ。だが、その声色に切なさが含まれているのを、サクヤは感じ取った。
キイは真剣な目で、じっとサクヤを見つめた。
「…あいつ、ずっと闇の箱を抱えていた事は、知っているだろう?」
「は、はい…」
「あの箱を開けるのに、俺は何年もずっと苦労してきた。あの箱はアムイ自身が自分で作り、封じた物。いくら俺や他人が何とかしようとしても、本人が自分で立ち向かい、解決しようとしなければ、開けられもしなかったし消滅できなかった。
あいつ自身が殻に閉じ篭って自分が自分を苦しめていた元凶を、冷静に見て受けとめ、対峙する必要があったんだ。
……箱を消滅した後も、きっと今、あいつは別の苦しみを背負っている最中だと思う。
それに立ち向かう勇気がなければ、あの箱は開けられなかった。
開けて、己の抱える傷や闇を吐き出し、乗り越えなければ本来のアムイの姿が現れない。
闇を外に出してくれさえすれば、あとは俺も癒しの力を充分使ってやれる。苦しい時に手も貸してやれる。
…長かった…。ここまで来るのに」
うっすらと、キイの瞳に涙が浮かんでいるのをサクヤは気が付いた。
本当に苦しかったに違いない…兄貴も…そしてその間近にいたこの人も。
「この箱を開けさせるには、俺では無理だと思った。だから賭けた。
一度あいつを手放し、他力に任せてみようと」
「キイさん…」
「この世に何故、たくさんの人間が存在していると思う?
互いに関わり影響しあい、己の魂(たま)を磨くためだ。
人は人に限らず様々な出会いと別れを繰り返し、思い、考え、気づき、そして成長していく。
いい出会いも、最悪な出会いもあるだろう。
でもそれは全て己のため。決して無駄な事はない」
そう言うと、キイはベランダに広がる青い海を振り返った。
「世界は広いし大きいなぁ。己の小ささがよくわかる。
……俺がいない四年の間、アムイはきっと死に物狂いだったに違いない。
人をずっと拒否して、内面は怖がって生きてきたから。
俺がいるとアムイは俺に甘えてしまう。己の殻から出ることはできない。
それでも普通に人と話せるくらいにまではなったんだが、やはり限界を感じていた。
だから嬉しかったなぁ。シータや昂じいちゃんから聞いて。アムイが仲間という単語を自然に使えるようになって」
と、しばらく海を眺めていたが、再びサクヤに目線を移してキイは言った。
「箱を開ける………あいつにその勇気を与えてくれたのは、君だ。
君に出会わなければ、今のアムイはなかった。
…ありがとう。本当に感謝する」
「そ、そんな!オレ、何もしてないですよ!ただ迷惑がられても一緒についてきただけで…」
キイはニヤッと笑った。
「それが有難いんだってば、サク」
いきなり砕けた話し方に、サクヤの心臓が早鐘を打った。
そして今度は馴れ馴れしくも、キイは彼の頭をポンポンと軽く叩くと、くしゃくしゃっと髪を撫でた。
「キ、キイさんっ!?」
思わず動転するサクヤに、「おっとすまん」と小声で呟くと、キイはその手を離した。
「悪ぃ、俺の悪い癖だな。どうも自分よりも年下だと思うと、ガキ扱いしてしまって…。
よくアムイに怒られるんだよなぁ…。…どうもいかん」
と、バツの悪そうに笑う顔が、まるで悪戯を咎められた子供みたいで、思わずサクヤは吹き出した。
その様子を優しく見つめてから、キイは再び頭を下げた。
「キイさん?やめてくださいって!オレ、大した事してませんから!その…」
「頼む」
「へ?」
「これからもあいつの傍にいてやってくれ。頼む」
「キイさん…」
「…あいつには君のような人間が必要だ。今まで同年代の友人もいなかったあいつが…。
俺が頭を下げる事じゃないのかもしれないが、これからもあいつを頼む」

部屋から出たサクヤは、何だか夢の中にいるような感覚でアムイの元へ戻った。
アムイを頼むと言われた嬉しさもあったが、それ以上にキイのオーラに当てられてしまったようだ。
あの、佇んでるだけであのエロス…。
「兄貴…あの人をずっと抱き枕にしてたっていうのかよ…。
し、信じられないっ!」
あれだけの妖艶さをたたえた人と、よく一緒に寝られるものだ。いくら兄弟とはいえ。
ふらふらとアムイの元に戻ってきたサクヤの顔を見て、アムイは眉をしかめた。
何か心ここにあらずで、一体キイはサクヤに何をしたんだ…。
アムイは益々不安になった。
「おい、何か言われたのか?サクヤ」
心配してアムイはサクヤの傍に駆け寄った。
「あいつ、変な事言わなかっただろうな?おい、どうした?」
サクヤはぼーっとした視線をアムイに向けると、ぼそっと言った。
「兄貴」
「うん?」
「…オレずっと兄貴の事すっげえ人だと思っていたけど、他の意味でも尊敬するよ…」
「はぁ?」
きょとんとした顔のアムイを残し、サクヤはまたふらふらと水をもらいに厨房へと向かった。

で、午後、昼食のために、元気になったキイは皆の前に姿を現し、イェンランとも対面したのだった。
「お嬢ちゃん!」
人垣のはずれで、遠慮して小さくなっていたイェンランを、キイは目ざとく見つけた。
イェンランの事は、アムイとシータから簡単に話は聞いていた。ただ、時間がなくて詳しい事はまだだったが。
キイはこの時点で、彼女が自分を追ってここまで来た、としか知らなかった。
彼女がどういう経緯でアムイ達と出会い、どういう事情で旅をして来たか知らないキイは屈託のない笑顔を彼女に向けた。
イェンランは珍しく顔を赤くして俯くと、消え入るような声で「キイ」と呟いた。
「俺の事、憶えてくれてたのか、嬢ちゃん!あれから三年だよな?
…大きくなったなぁ!今いくつなんだ?」
「18になったわ、私…」
「そうかい、もういいお年頃か。…綺麗になったね、お嬢ちゃん」
「まったくキイ、アンタって相変わらず、その歯の浮くような科白を簡単に言うわよね」
イェンランが固まっている事を察知したシータがさりげなく間に入った。
「本当の事を言っちゃいけないのかよ」
「まぁま、とにかくさっさと食事しましょ。早くしないとここの人にだって迷惑かけるわ。
ね?お嬢」
イェンランはシータが来てくれたお陰で、ほっとした。
あんなに会いたかったキイ。
三年まえと何ら変わりなく、相変わらず綺麗で花の香りがする。
懐かしさと、照れくささで、イェンランはどうしたらいいのかわからなかったのだ。
顔もまともに見れないくらい、緊張していた。
シータはまだ、彼女に起きた恐怖を、キイに話していなかった。
だから心配で間に入ったのだ。
そのうちアムイか自分が彼女の事を説明しないと…。シータはそう思っていた。
イェンランも…もう少しキイに慣れて落ち着いたら、自分で行動するだろうから…それまで気にかけようとも思った。
それから食事が始まり、元気になったキイは、これ見よがしにアムイに説教(はたから聞いて、どうしても文句にしか聞こえないのだが)をちんたら始めたのだ。
…それでアムイが切れて口論となり…・。


で、とうとう夕食後、再燃し、口論が今度は体を張った喧嘩に発展し、今に至る…という訳だ。


(痴話喧嘩…。確かに)
イェンランはむっとした表情で、二人の殴り合いを見ていた。
何か面白くない。というか、他の迷惑顧みず、二人だけの世界に浸って…いや、喧嘩はいくら何でも周りの空気が悪くなるではないか。
「もう、いいから放っときましょうよ、お嬢。…て、あれ、お嬢?」
イェンランはふるふると身体を震わすと、くるりとその場を去り、どこかに行って戻ってきた。
「お、お嬢?それ…」
戻ってきた彼女の手には水の入ったバケツが握られていた。

最終的には寺の庭先に場所を移し、激しい二人の痴話…もとい兄弟喧嘩はまだ続いていた。
「だいたいキイは俺をガキ扱いし過ぎなんだよ!俺だってもう25だぞ!」
バキっ!
「ほー、そおかい、随分色気出してきたじゃん。でもまだまだ甘いぜ。お前はまだ俺の足元にも及ばねぇ!」
ドゴッ!!
「言いやがったなっ!この野郎!!」
「おお、その身体に痛いほど教えてやるぜ、アムイ」
「何をー!?」

バシャーン!!

いきなり二人に水がぶっ掛けられた。
ずぶ濡れになった二人は唖然として動きを止めた。
「いい加減にしてよね!二人とも!!」
イェンランの啖呵が炸裂する。
「そんな無駄な殴り合いっこするなら、もっと有意義な議論くらいしなさいよ!
二人とも子供じゃないんでしょ!!」
恐ろしいほどの剣幕に、二人は幼い頃、アムイの母であるネイチェルに喧嘩を止められた事を思い出した。
あの時、彼女も同じように二人に水を浴びせて、同じような感じで怒鳴っていたっけ。
イェンランの勢いに、二人は反射的に「はい、すみません…」としか言えなかった。
「分かればいいのよ、分かれば!!」
つん、として大股で去って行く彼女に、思わず二人は吹き出した。

「やはり女には敵わねぇ」


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2010年6月26日 (土)

暁の明星 宵の流星 #103

眼下に真っ青な海が広がっていた。
山道をしばらく下りて行くと途中切り立った崖があり、その木々の隙間から、きらきらと日の光を反射する海岸線が目に飛び込んできた。
親友だった人間をあっけなく亡くしたキイも、何とか落ち着きを取り戻してきたようだ。
三人は足取りも速く、一心不乱に麓を目指している。
優れた身体能力を持つ三人だ。下るのは上りよりも早い。
あっという間に麓手前の鬱蒼とした森に着いていた。
かなり深い森だった。重なり合う木々の枝と葉のせいで、日の光は遮られ、日中だというのに夕方のように薄暗かった。
この先を出れば、海が広がる草原になる筈だ。多分そこでサクヤ達は待っているに違いない。
進める足も、無意識のうちに速くなっていく。

と、突然森の中で異変が起きた。

「何だ!?」
いきなり空気が澱んだかと思ったら、ぐわぁあっと熱い緑の波動が三人を襲った。
これは間違いない。
「“木霊の気”!?」
緑の“うねり”は容赦なく三人を追いかけ、炸裂する。
三人はいきなりの攻撃に面食らいながらも、華麗に波動を避けていく。
だが、やはり本調子でないキイの身体には無理があった。
息を切らし、彼はその場に崩れた。
「キイ!!」
アムイは青くなって、キイの傍に近寄ろうとした。が、見えない敵の攻撃は、二人を近づけまいとしているように襲ってくる。
「シータ!頼む!キイを頼む!」
キイのすぐ近くにいたシータは頷くと、急いで膝を突いて息を整えているキイの身体を支えた。

「誰だ!!姿を見せろ!」
アムイはぐるりと森を見渡した。
キイを狙った新たな追っ手が来たのだろうか?ザイゼム達が来るにはまだ早すぎる。
では誰が…。

ごぉっ!!

いきなり突風に扇がれて、アムイは身体のバランスを崩し、キイ達よりももっと遠くに転がされた。
説明するまでもない、今度は“鳳凰の気”だ。
すると今度は冷たい波動がアムイを襲った。アムイは間一髪でそれを避ける。
(次は“水竜の気”かよ!!)
アムイは舌打ちした。かなりの気術の腕前の持ち主という事は明白だ。
しかし何故か、その攻撃はアムイに集中しているようだった。
「アムイ!」
キイとシータはアムイを助けようと傍に行こうとした。
少しキイの身体も落ち着いたようだ。

「!?」
ところが、アムイに近づこうとした途中で、二人は見えない何かに遮られた。
まるで透明なバリアで塞がれている様な感じ…。
「やだ…!結界を張られてる…!!」
シータが足元を見て言った。
確かに地面には光を放つ、巨大な魔方陣らしい図形が、アムイをすっぽりと包んでいた。
「結界!?いつの間に」
キイも驚いて地面を確認した。
結界を張られると、中と外の世界が遮断され、外部のものは絶対に結界の中には入れないのだ。
つまり、結界に囚われているのは…アムイだった。
「アムイ!!」
キイは叫んだ。何故?何故俺ではなくアムイ?
キイの背筋に嫌な感覚が走る。
「おい、シータ、何とかできないか?結界とか魔方陣とか、お前得意だったろう?」
だがシータの表情は険しかった。
「そうだけど…。この結界、かなり高度な…。幾重にも色々な結界がかけられている。
こんな事できるの、余程の鍛錬した者でないと…。
でも、何故アムイが…」
と、ここまで来て、シータははっとした。
熟練した波動攻撃、かなりの修行者でなくては使いこなせない結界。
どう考えてもちょっとやそっとの若造ができる代物ではない。かなりの年月をかけて鍛錬した者でなければ…。
シータには心当たりがあった。
名前を言うのも禍々しい。
こんな事ができるのも、しかもアムイを狙ってくるなんぞ、あの男しかいないではないか。
「まさか、シヴァ?」
「何っ!?」
キイこそ、その名前に驚いた。シヴァ?シヴァってあの吸気士?
何でシヴァがアムイを…?…という事は、え…!?

アムイを翻弄させた波動攻撃がピタリとやんだ。
息を切らしながら、アムイは自分の周りを見てぎょっとした。
いつの間にか結界が張られてる…?しかも俺に?
そういぶかしんだ時、あのぞわっとした男の声が耳元でした。
「会いたかったぞ、姫君」
アムイは驚いて振り向いた。いつの間に自分の背後にやって来てたのか、会いたくない男の姿があった。
「…?姫君?なんだそれ。俺は男だぞ」
アムイはむっとした。自分は男だ。女扱いされるのは嫌だ。
シヴァはそんなアムイを面白そうに観察すると、ニヤニヤしながらこう言った。
「…セドの王子なんだろ?お前」

その場が一瞬凍りついた。

アムイもだが、結界の外にいるキイもシータも、シヴァの言葉に愕然とした。
何故…この男が今だ他に出回っていないアムイの素性を…?
アムイがその言葉に固まったのをいい事に、シヴァはじり、と近づき、アムイの頬を右手で触った。
「ア、アムイっ!」
キイははっとして叫んだ。シヴァに触られる、という事は…。
ビクン!とアムイの身体が反応する。シヴァに触られている手から、己の“気”が吸い取られていく感覚をおぼえる。
これで動きが鈍くなるのを、シヴァは狙っているのだ。相手が抵抗しないように。
「アムイ!!」
青くなって再びキイが叫んだ。シヴァはそれをちらりと横目で見ると、舌なめずりをしながらアムイに言った。

「お前が男なのは百も承知よ。でも俺は気付いちまったんだ、暁。
…セド王家の血を引く王子。そしてお前のその甘美で芳醇な“金環の気”…その奥に隠されている花弁にさ」
「……」
「姫君…つまり“秘めたる君”…秘め君という事さ。男でも関係ない」
シヴァの右手がするりと頬から下に下がり、アムイの白い首筋を撫でる。
「お前は面白い。表面には現れないその花弁に、お前は魅惑の蜜腺(みつせん)を隠し持っている。
それに気付いた者は、お前に溺れるくらい虜になるだろうよ。
滅多に知られる事のない、秘めた本当のお前の持っているもの…。
お前の“気”を吸って、その事を知ってしまった俺が、もっと深くその花弁に触れたくて我慢できないくらいに」
いきなりシヴァはアムイの身体をぐいっと自分に抱き寄せた。
「やめろ!!」
キイの怒声が結界の外で響く。だが、シヴァはまるでそれを面白がっているようだった。
「お前…。男として生まれてもかなり綺麗だが、女として生まれていたら大変な事になってたろうな。
というか、男でよかったのかもよ、暁」
ニッとシヴァは笑いながら、アムイを抱く手を強めた。抱きしめられているアムイの表情はキイ達の所からは全くわからない。
「セド王家の血を引いて、しかも“金環の気”を持っている…女?
こりゃやばいわ。お前をめぐって大きな戦争が起こる。
男共の血みどろの争奪戦が目に浮かぶようだ。…よかったなぁ暁、男に生まれて。
しかも固い鎧に覆われて、多分、本能で嗅ぎ取る野生動物しかわからない、その蜜腺は隠されている訳だし。
…俺も年の功だよな。他人でその事に気付いたのは、きっと俺が初めてだろうよ」

結界に張り付いているキイが震えているのに、シータは気が付いた。
(キイ…?)
キイは顔面蒼白だった。握り締める両手の拳は白くなり、血管が浮き上がっている。
噛み締めている唇はわなわなと震え、彼の額からは脂汗が浮かんでいる。
鋭い眼光は、ギッとシヴァを睨みつけている。
こんな彼を見るのは初めてだった。
何事にも動じない、余裕すら感じさせるこの男が。
昔からアムイの事になると取り乱すことはあったが、ここまで追い詰められている顔は初めてだ。

「離せ…。離せシヴァ!!アムイを離せ!!」
キイは地獄に突き落とされたかのような声で叫んだ。
シヴァはキイのその姿を見ると、わざと見せ付けるようにアムイを抱きかかえ跪いた。
「…宵の君、久しぶりだなぁ。あの時は世話になった。
相変わらず神々しいお姿、目の保養だな」
“気”を吸われて力が出ないのか、アムイはシヴァのされるがままになっている。
そのアムイの顎を、シヴァは自分の顔に向けさせた。
アムイは無表情だった。伏せた目が何やらと艶かしい。
「アムイ!!」
キイは気も狂わんばかりに結界を破ろうと拳で叩き続ける。だが、そんな事で結界が破れるわけもない。
「ああ…、アムイに触るな!!俺のアムイに」
キイは完全に己を見失っていた。沸騰するような感情の渦が、彼を翻弄していく。
「俺のアムイ?」
くすっと笑うと、シヴァは馬鹿にするように呟いた。
「あんた男は駄目なんだろう?ならいいじゃないか」
キイは固まった。こいつ…いつから俺達を見ていたんだ?

そっとシヴァはアムイの唇を親指でなぞる。
「……俺の結界を破れる奴なんていないよ。なぁ、暁、だからここには邪魔は入らない。
ゆっくりお前を堪能する事にするよ。“気”も身体も」
「触るな!外道!!」
キイの怒声を無視し、シヴァはアムイの唇から指を離し顎にその手をかけようとした時だった。
動けないはずのアムイの手が、シヴァのその手を取った。
「暁…?」
動けないと思ったのに、まさかのアムイの行動でシヴァの動きが止まった。
アムイはそっと目を開け、じっとシヴァの目を覗き込むように見つめた。
その仕草が異様に妖艶で、シヴァは自分の背がぞくっと疼くのを感じた。
キイもアムイのその様子に言葉を失った。今まで、あんな目を見せたことがない。
あんな…あんな人を誘うような目。…多分女相手でも…。

「お前、俺がそんなに欲しいか」
その言葉に、シヴァはごくり、と唾を飲み込んだ。
アムイは捉えたシヴァの手を、すっと自分の唇に寄せた。
「あ、暁…?」
「なら奪ってみろ。この俺を」
その言葉に、キイは我を忘れた。
「アムイ!何言ってるんだ!?」
何でみすみすこのような男に…!!キイはアムイの言葉に信じられない思いだった。
「ならば、遠慮はいらないな、暁」
シヴァの燃える様な視線を受けて、アムイは目を細めた。
触れている身体から、自分の“金環の気”が吸い取られていくのをアムイは感じていた。
「あああ…やめろぉ…」
キイの切ない声が森を揺るがした。
シヴァがアムイの頭を抱え込み、彼の唇を奪ったからだ。
アムイの手がビクン、と跳ねる。合わせた唇から大量の“気”が相手に流れ込んだ。
シヴァは夢中になった。
芳醇な“気”と唇の甘さに、自分がどうにかなってしまいそうだった。
長い間生きてきて、こんなに我を忘れなくさせる魅惑的な人間は初めてだ。
「暁…!俺のものになれ」
アムイの唇を貪りながらシヴァは囁いた。
シヴァはアムイのもっと奥深くに入り込もうと、自由になる方の手で彼の身体をまさぐった。
その度に、アムイの身体は反応して震える。
それがシヴァの欲望に火をつけた。彼のまさぐる手が、アムイの下肢に伸びる。
「やめてくれ!頼む!そんな事しないでくれ!!」
キイの叫びに、シヴァは名残惜しそうにアムイの唇から離れると、彼を挑発するように言った。
「悔しいか?悔しいだろうなぁ、宵よ。お前の大事にしている姫君は、俺のモノになるんだよ。
…男が駄目?はは、ならそんな事に囚われない俺は幸運なわけだ。
お前ができない事を、俺がしてやる、それだけの事だよ」
「シヴァ!アンタなんて事を!こんな事してただじゃ済まないわよ!」
我慢しかねてシータも叫んだ。

「…たまんねぇな、お前」
シヴァは二人の怒声を無視し、うっとりと呟くと再びアムイの唇に夢中になる。
吸っても吸っても、彼から出る豊かな“気”は終わる事がない。
それよりもその“気”が徐々にシヴァを支配する。
(何だこいつ…?ああ、やばい。…もう致死量に近いくらいに吸っているというのに…。
こいつの“気”に限界はないのか…??)
普通の人間ならば、そろそろ他力である“気”は吸い尽くされ、本来持っている“気”…生命エネルギーに達する筈なのに…。
なのにどんどん彼の持つ“金環の気”が湧いてくるようだ。
(ああ…このままだと俺が壊れてしまいそうだ…。容量の限界が…。
こいつ、一体…)
シヴァはそう思いつつも、アムイを手放せない。それだけ彼はアムイに溺れていた。
まるで麻薬だ…。シヴァは思った。
くそ…!俺とした事が、自制が効かない!!
突然、アムイの身体が熱くなった。
「!!」
シヴァは驚いて思わず彼から離れようとした。が、意外な事にアムイはシヴァの身体を自分の方へと引き戻した。
「アムイ!?」
結界の外で成す術もなく見ている二人も、そのアムイの行動に驚く。
「逃げるなよ」
その言葉に一同固まった。
アムイは全身に“金環の気”を放出させ、赤く熱い“気”をシヴァに押し付けるがごとく、彼の口を自分の口で塞いだ。
「!!!」
思いもしないアムイの行動に、皆唖然としていた。
自分から男に口づけするなんて…!


だが、当のアムイは目を閉じるどころか、赤く染まった目をカッと見開き、シヴァの反応を窺(うかが)っているかのようだった。
その顔は平静そのものである。
「う、ぐぐ、ぐ…」
アムイが放出する“金環”が、シヴァの限界を超えようとしていた。

…大地のエネルギー。
他力を借りて、己の力を増幅させる。
先ほどキイのために試し、成功した事がアムイの自信につながっていた。
自分の持つ“気”…生命エネルギーはこの大地のエネルギーそのものである。
すなわち、この大地に横たわる広大な力、それは自分の物なのだ。
この地ある限り、アムイに限界はないと同じ。
頭ではわかってはいたが、実行し実感したのは初めてであった。

アムイはシヴァにありったけの“気”を放ち、シヴァは苦痛と快感に身悶えた。
「ふ…う、ううう…」
シヴァの喘ぎが重なる唇から漏れる。
もはや限界か?という所で、周りが思ってもみない現象が起こった。
シヴァの体内に渦巻くアムイの“金環の気”は、彼の全身を駆け巡り、嘗め尽くし、恐ろしいほどの苦痛にも似た快楽を与えながら、彼を翻弄させた。
血液のような真っ赤な“気”は、段々と橙・黄・緑・青・紫…と色を変え、シヴァの全身から立ち昇る。
「あ!ああっ!」
思わずシヴァは声を荒げ、アムイの唇から逃げ出した。
「まだだ」
アムイの冷たい声が飛んだ。
「も、もう…やめてく…」
そう喘いだ言葉をアムイは再び口で塞ぐ。
「アムイ!!」
愕然とキイとシータはその有様を凝視した。
普段のアムイと違う…いや、まるで人ではないものが、そこに存在していた。
それを禍々しいと感じるか、神々しいと感じるかは、見る人間によって違うのだろう。
どくどくと、地底から熱いものが立ち昇ってくる。
アムイの瞳が黄金に輝く。
彼の髪は微かに逆立ち、二人の周りに密度の高い気流が蠢いている。
この世のものと思われないその姿に、キイ達はただ息を潜めて見ているしかなかった。

「ひっ!ひぃぃぃ!!」
突然シヴァが悲鳴を上げ、苦しみだした。
苦しさのあまり離れたシヴァの両手首を、逃げないようにがしっとアムイは自分の両の手で掴んだ。
「あ!ああああっ!!」
シヴァはアムイに掴まれながら、背を後ろに反らし顔を上に向け、叫んだ。
「悪いな、お前には俺は荷が重過ぎる」
無表情だったアムイが、突如ニッと口の端に笑みを浮かべた。
掴まれた手首から、シヴァの身体に充満していたアムイの“気”が、今度は逆流するかのように持ち主に戻っていく。
まるで一仕事を終えたような感じで、再び赤い気流となってアムイの方へと流れていく。
「はぁ、ああぁ、は…」
シヴァは耐え切れなくなって、がくり、と身体が崩れ落ちる。
「やはり俺、男は嫌だ」
ぼそっとアムイはシヴァに言った。
「全然よくないし、心が動かない」
そう言いながら、アムイはシヴァを解放した。
「お、お前は…」シヴァは呻いた。
「お前…一体何者なんだ…?」
そのまま彼はがくりとうな垂れるようにその場に蹲った。
シヴァは…髪が真っ白になっていた…。

アムイは、シヴァのその様子を冷たく見やると、彼の頭上に言い放った。
「…俺を支配していい男は、【宵の流星】唯一人。
俺はキイ以外の男のものには絶対ならない。
それ以外の男には俺を手に入れることさえできないよ。
…これでわかっただろう?」
「アムイ…」
キイは思わず呟いた。お前…。

いつの間にか結界は解かれ、森もいつもの空気に戻っていた。
ただ違ったのは、まるで廃人のようになったシヴァの姿。
シータは恐る恐る彼の様子を見に行って、ぎょっとした。
彼の姿がよぼよぼの年寄りのように変わっていたのだ。いや、元の年齢に戻った、と言っていいだろう。
「アンタ、これ…」
シータが眉を寄せ、アムイに問いただそうとして彼の方を振り向いた。
当のアムイはその場に呆然とし、己の右手をじっと眺めている。
「アムイ…?」

まだ、“金環の気”の余韻が、身の内に残っている。
それは大地から呼び寄せた、ほとばしるような熱い力。
ドクドクとそれは脈打ちながら、アムイの身体を火照らせていた。

自然界と繋がる…。
この驚きと喜び、アムイの中かから何かが目覚め始めたようだった。
シヴァの言っていた花弁、という物が自分にあるのなら、多分そこが刺激され、繋がったのかもしれない。
アムイは大地との交流に満足の溜息を漏らした。


シータはその様子をじっと見て、何となく理解した。
アムイの“金環”はシヴァを満たし、それがあまりの量だったために、“気”の中和が始まったのだ。
特に“金環”は他の“五光の気”を吸収してしまう働きがある。
その延長でシヴァの持っている“気”は吸収され、中和され、己の“吸気”という性質までも無に変えさせられたのだ。
という事は…。

「…シヴァはただの人間になってしまったという事…?」
その呟きにアムイが答えた。
「ああ…。“金環”で中和させた後、生命エネルギー以外のものを返してもらっただけさ。
だからこいつにある余分な物を中和した事で、本来の姿に戻ったという事だ。自然の法則にのっとって」
「すごい…!そんな事ができるなんて…。アンタ、一体どうしたらこうなるの?」


アムイはその事には上手く答えられなかった。
何故なら、元々最高十位の“気”を持っているなんて、軽々しく言えないからだ。

そうだ。俺だけの“気”じゃ無理だったが、他力を借りたら、思ったとおりにこうなった。
ずっと考えてたんだ。こいつ…シヴァに会ってから。
…俺は今まで“金環”を呼び込むことをしなかった。というかトラウマのせいでできなかったというのか…。
でもまさか、限界なし状態になるとは思わなかった…。

再びほぅっと溜息を付くアムイを、シータは不思議そうに眺めていたが、ふと口うるさいもう一人の男を思い出した。
(あら?何か怖いほど静かなんですけど…)
いつもなら、アムイの事となると一番に自分の方から飛んでくる男が、全く来ない。
(…あらー、まさかさっきのでショック受けてるんじゃないわよねぇ…)
いやーな予感がして、シータは恐る恐るキイのいる方向に振り向いて飛び上がった。

そこにはしかめ面した恐ろしい形相のキイが、怒りのオーラを全身漂わせて腕を組み、仁王立ちしていた。
「キ、キイ?」
(うわー怒ってる…、すごく怒ってる…)
シータは珍しくびびった。【宵の流星】のこんな怒りの表情…余程の事なんですけど…。
でも何で…?…って、やはりあれしかないわよねぇ…。
シータはどうしたもんか、と思ってアムイに知らせようとしたその時、キイの不機嫌極まりない怒声が森をこだました。


「アムイ!お前、男とキスしたな!!」
「はぁ!?」
いきなり怒鳴られて、アムイはカチンときた。
「不可抗力だよ!見てただろ?今」
だがキイはアムイの言葉を無視し、ずんずんと怒りのまま歩いてくると、まくし立てた。
「俺はお前を、男を誘うような人間に育てた覚えはないっ!!」
「へ!?」
何を言うのかと思えば、キイの怒りは変な方向にあるらしい。
「だから!何も自分から誘惑する事はないだろう?男を!」
「どういう意味だよ!してない…だろ、別に」
と、アムイはとりあえず首を捻って、先ほどの事を思い出す仕草をした。
「誤魔化しても俺の目は節穴じゃねえ!お、お前、自分から、キ、キスしたじゃないか!男と!!」
“男”を何気なく強調する所、キイのショックはそこら辺に集中しているようだ。
「キイ」
はぁっと面倒臭そうにアムイは溜息をついた。
「お前だってわかってるだろ?ああでもしなきゃ、こいつにやられるだけだった、って」
「だ、だからといって、あんな…あんな艶かしいやり方じゃなくたって!」
「それ以外方法があるのかよ?あの時点で」
口を尖らせ、反抗的に言い返す様は可愛げがない。
キイはぷつっと切れた。
可愛さ余って憎さ百倍。…というよりも、ほとんど嫉妬の感情で動いているようだが…。
「俺ならあんなはすっぱな方法はしなかった!!」
「はすっぱって…。俺は男なんだけど…」
「お、俺にも見せた事のない色っぽい目で男誘ってよく言うよ!
俺はそんな風にお前を育ててきたわけじゃねぇぞ!」
「何だよ、さっきから!言っとくが、俺はお前に育ててもらってません!
何保護者面してんの?」
その言葉にキイの沸点は最高に達し、限界を超えた。
「アムイ、てめぇ…」
と言いかけた時、キイの目の前が突然真っ暗になった。
「キイ!?」
耳元でアムイの叫ぶ声がする。だが、そのままキイの意識は飛んだ。

衰えた筋力を無理やり動かし、その上極度の緊張状態、今までの絶食状態が極限を迎えた上に、一気に頭に血が昇ったせいで、化け物とまで言われた天下の【宵の流星】もとうとう撃沈したのだった。

ああ…俺の純真無垢な天の子が…。
キイは心の中でちょっぴり泣いた。
アムイの成長は喜ばしい事だが、色仕掛けなんて事まで目覚めなくていいのに。
元気になったら、いっぱい説教してやる!
覚悟しろよ、アムイ!!


「はぁ…。ったく、しょうがねぇ」
ぶっ倒れたキイを目の前に、アムイはポリポリと頭を掻いて困った顔をした。
「…とにかく、ここを出ましょうよ。キイを休ませなきゃ」
呆れた顔をしてシータはアムイを促した。
「そうだな」
よいしょ、とアムイはキイを背に担ぐと、サクヤ達が待つ、麓の草原を目指して歩き始めた。

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2010年6月24日 (木)

暁の明星 宵の流星 #102

暗闇の中での山登りはかなり怖かった。が、昂老人(こうろうじん)が気術で作った灯りの玉のお陰で、周辺はうっすらと明るく、足元を見れる状態ではあった。
息を切らして、やっとの思いでサクヤ達は、吊橋のある場所にたどり着いて足を止めた。
「うそ…!本当にここを渡るの…?」
不安げなイェンランの目の前に、今にも壊れそうな、縄で作られた吊橋が風に揺らいでいた。
申し訳程度に足場となる木の板が括り付けられてはいたが、それも所々壊れて、穴が開いている。
その吊橋の下から微かに川が流れる音がするのだが、この耳遠さだとかなり深い谷間に川がある事を窺(うかが)わせた。
まだ夜の闇に包まれて、どのくらい深いかを目で確かめる事ができないのは、かえって良かったのかもしれない。
明るい時間にこの橋と、眼下に映る景色を見たら、きっとそのあまりにもの高さに、誰もが足が竦んでいただろう。
落ちれば確実に死が待っている深さだった。
「そのようだ。アーシュラさんはここを通って、海側へ行けって…」
サクヤも息を呑んでから、ぼそっと呟いた。
「…とにかく、ここを渡るしかないのお、大丈夫じゃ、ゆっくりと、向こう側だけを見て行こう」
昂老人はそう言うと、軽やかな足取りで橋を渡り始めた。
その様子に、サクヤとイェンランは意を決し、生唾を呑み込むと、ゆっくりと橋に手をかける。
何を思ったか、ふ、とイェンランはこの場所に目印をしたくなった。

キイが目覚め、後からアムイ達とやってくる…。
その知らせをサクヤから聞いて、涙が出るほど嬉しかった。
その時自分の心の中で、やはりキイは特別な人なのだと感じた。
それが恋というのなら、自分の中の女が彼を求めているという事だ。
あの出会いから三年以上も経っている。彼が自分を憶えてくれているかも定かではない。
それでもイェンランは彼にもう一度会いたかった。
会ってこの気持ちが恋なのか、確かめたかった。
それだけのために、危険を顧みずここまで来たのだ。
その気持ちを、何故かここに残したくなった。
後からアムイ達がここに追ってくるのなら、自分達がちゃんとこの橋を通った事がわかるだろう。
彼女は胸元から、紐に通されたキイの虹の玉を取り出した。アムイに返した、あの【巫女の虹玉】。
実は自分が男達に襲われた次の日、アムイがお守りにしろ、と再び彼女の手に戻してくれたのだった。
玉は力を使い果たし、何も色を放たなくなっていたが、キイの分身だと思っていつも身につけていた。
きっとキイ達はここを通る。
その期待を込めて、彼女は吊橋の入り口にその玉をくくり付けた。
自分達は無事にここを通るから安心してくれ、と。先に行って待っていると。

「おい、早く来いよ、イェン」
サクヤの声が橋の入り口で聞こえた。自分を待ってくれているようだ。
「ごめん、すぐ行く」
イェンランは気持ちを引き締め、吊橋の縄に手をかけた。


辺りはうっすらと朝の光が射しはじめていた。
ルランを人質に、アムイ達は無言で獣道を登りきり、吊橋の方へと向かっていた。
「キイ、アンタってさ…」
屋敷から逃げ出して、ずっと押し黙っていた皆の空気を最初に破ったのはシータだった。
彼はキイの補佐をするように、人質であるルランの片方の腕をがっちりと抑え、挟んで彼のもう片方の腕を持つキイに話しかけた。
「今まであんな寝たきり状態だったていうのに、もう普通に動けるわけ?
さすが天下の【宵の流星】…。本当に化け物ね、アンタ」
「そーかい?といっても、前のようには早くは動けねぇが…。筋力も落ちてるようだし…。なにしろ何か腹に入れなきゃ、戦えねぇ」
そう言いつつ、キイはニッと笑った。
ルランは怖いのと、キイの真意が計り知れなくて、ずっと緊張し押し黙ったままだ。
そうこうしているうちに吊橋までやってきた。

夜が完全に明けたようだ。眩しい太陽が東の方向から顔を出している。
だが、山の周辺には朝もやが立ち込めていて、あまり視界は良くなかった。
アムイは吊橋の入り口に、紐で括られた虹の玉を発見した。
「イェン達は無事、ここを通っていったようだ…」
誰に言うでもなくぽつりと呟くと、玉を外し、それをキイの方に見せた。
「それは…」
キイは色を失っている虹の玉を見て、ふっと険しい表情を緩めた。
「…お前が自分の形跡を伝えるために、ある女の子に託しただろ?
憶えてるか?」
キイは優しく微笑むと、頷いた。
「ああ、憶えてる…。まるで迷子の子猫みたいな子だったなぁ」
「…彼女はお前を追って、俺達とここまで来ている」
「え!」
キイはアムイの言葉に驚いた。
「詳しい事は落ち着いてから説明する。山のようにお前には話したい事があるんだ。
…とにかく早く麓まで行こう…キイ」
そう言うと、アムイは玉をキイに渡した。キイは片手でそれを受け取ると、しばらく手の中で握り締め、そっと自分の懐にしまった。

見るからに華奢な吊橋は風に少し扇がれて、ゆらゆらと揺れている。
大の大人が一人、やっと渡れるくらいの幅だった。
下に組まれている木の板は、所々はずれ、かなり不安定だ。
(よく渡って行けたな、サクヤ達)
まさかとは思うが、途中で落ちた、という事もないだろう。運動神経が並以上あれば。
それに調べる限り、まだ橋は自分達が通っていっても、簡単に崩れなさそうだ。
アムイとアーシュラは、ざっと橋を確認すると、渡ろう、というように頷いた。

と、突然キイはシータに目配せすると、掴んでいたルランの腕を解いた。
「宵の君…?」
まさかの自由になったルランは、呆然としてキイの顔を見上げて、はっとした。
キイの目が、あの三年前と同じ、優しくも慈しみある色を湛(たたえ)えていた。
先ほどの鬼神のような目とは全然違う。
どうして…。
するとキイは、自分がルランにつけた首筋の傷をそっと右手で覆った。
「宵の君…」
「ルラン、すまなかった」
ああ、あの優しい宵闇のような声。
ポゥッとした柔らかな光と共に、首筋が温かな熱に覆われていく。
キイはそっと手を離した。もうルランの首筋に傷はなかった。
茫然自失とルランはキイから目が離せない。
「怖い思いをさせて、本当に悪かったな。お前とはここでお別れだ」
その言葉に、ルランははっと我に返った。
「宵の君…!まさかわざと」
「ま、俺はどうしても逃げたかったし、…それとは別にお前さんと最後に話したかった」
「え…?」
僕と話したかった?一体何を…?
キイはルランの青空のような青い瞳を覗きこむと、こう言った。
「かなりの長い間、お前さん達に世話になった事は…意識がなかったとはいえ、俺にはわかっていた。
だがこのチャンスを逃したら、俺は自由になれない。…だからお礼を言う時間もなかった。
それと」
キイは一瞬息を止めると、ゆっくりと言葉を続けた。
「…お前に伝えたい事がある」
「…?」
「ザイゼムの事、よろしく頼む」
突然キイにそう言われ、ルランは面食らった。
彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。
「どういう事です…?宵の君?」
解せないという表情のルランに、キイは苦笑しながら、優しく彼の頭を撫でた。
「純真無垢な天の子」
低くて甘い声が、ルランを包む。
「ザイゼムの俺への気持ち、肌でよく感じていた。俺は意識がなくても、感覚は心の底には届くんだ。
俺もザイゼムの奴はいい男だと思う。魅力的だと思う。だけどな」
キイは視線を下に外した。伏せる長い睫毛が陰影を作り、溜息が出るほど美しい。
「俺はあいつを受け入れる事はできないんだ」
ルランは言葉もなく、キイの話を聞いていた。
「…というか、俺は男は駄目なんだよ、生理的に。
この男同士が当たり前の世界において、こんな奴、希少価値かもしれないが、こればかりはどうしても体が受け付けない。
はっきり言えば、同性には欲情しない性質(タチ)なんだ、俺。
だからお前が羨ましいと感じた事があった。
性別も越えて、ただ愛する者を身も心も受け入れられる…。
普通、一般的には相手を好きになったら、全てが欲しいのは当たり前だ。
たとえ、愛してしまった相手がたまたま男だったとしても、それを越えて愛し合う人間は世にたくさんいるだろう。
相手が欲しくて、体の深い部分で繋がりたいと思うだろう。
だけど俺は女じゃなきゃ無理なんだ。どんなに相手を愛していても、相手が男だと駄目だ」
しん、とその場が静まり返る。

アーシュラは暗い目を思わずアムイに向けた。
アムイはずっと下を向いている。心なしか、震えているように見えた。
二人の間に流れる緊張感…。たまに感じるこの感じは、やはりこれか…。
アーシュラは苦笑した。キイが男を欲の対象に見れない事は、昔からわかっていた事だった。
だから自分も、自分の恋心をずっと隠してきた。
ずっと親友でもいいと思って傍にいた。…それがどんなに苦しい事か。
…だけどアーシュラは、キイをゼムカに引き入れてからは、ザイゼムの事もあり、もう自分の気持ちに素直になってもいいと思っていた。
自分はずっと、キイを親友として見てきていなかったという事を。
ザイゼムの手前、もっと秘めた恋になったのは皮肉な事だったが。


キイは心の中の、自分の闇を思い起こした。
思春期になってから、隣で安心しきって眠るアムイの顔を見て苦しく思うようになったのは、それは彼に欲情しての事ではなかった。
狂おしい愛しい思いを、欲望に進展しない事への辛さだった。それをさっと認め、この愛情は肉親の情だと割り切ってしまえば簡単な事だったのに。
なのに魂の奥底で、この人間と一つに溶け合いたい気持ちがどうしても拭えない。だけど手っ取り早くひとつになれる方法は、自分の体がまったく反応しない、受け付けない。
しかも相手は自分の半分血の繋がった弟だ。そう思う自分をどれだけ嫌悪したか。
早熟な自分を恨んだ事もあった。思春期の性欲はキイをかなり苦しめた。
心はアムイを求め、体は異性を求める。心と体がバラバラになっている状態。いつも満たされない思い。
キイはその闇を思春期の頃、悩みに悩み、乗り越えてきたのだ。
割り切るまで、かなり思い悩んだ。
キイは苦笑した。
長かったなぁ、今の心境になるまでは。
どれだけアムイが女だったら、兄弟じゃなかったらって、ずっと十代はそう思ってきたんだものなぁ。
肉を持って生まれるのって、本当にめんどくせぇ。
肉体の枷にはめられて、こんなに苦しむとは思わなかった。
魂はこんなに自由なのによ。


「だからな、ルラン。ザイゼムにはお前のような人間が必要なんだ。
お前ならザイゼムを愛し、奴の激情も受け止めてやれる。
…俺じゃ駄目だ。何せあいつと俺は本当に似すぎてる。
どちらかが譲るなんて、考えられん」
主導権を争って二人が揉める所を想像し、ルランは思わず笑った。
「お。やっと笑った」
ほっとしてキイは、ルランの頬を軽く二回叩いた。
「本当にごめんな、ルラン。俺は俺の居場所に戻る。
これだけは誰にも邪魔させない。
さ、頼む。このまま行かせてくれ、な?」
キイがそう彼に言った直後だった。

「キイ!!」
草木のざわめきと共に、ザイゼムが戦士達を伴って現れた。
「陛下!」
ザイゼムは佇むキイとルランの姿を確認すると、剣を構えて言い放った。
「ルランを返して貰う。もちろんキイ、お前もこの橋を渡らせない」
わっと戦士達が吊橋目指して突進してきた。
「キイ!早く!」
アムイの叫び声に、キイはトン、とルランをザイゼムの方に軽く突き飛ばした。
ルランは勢いよくザイゼムの胸の中に飛び込んだ。
「陛下っ!」
「ルラン!」
ザイゼムは華奢なルランをがしっと受け止めた。
キイはその様子を見ると、ニヤッと口の端で笑いながら、アムイ達の待つ橋へと駆け出した。
「待て!キイ!!」
応戦していたシータとアムイは、押し寄せる戦士達を半数以上倒し、キイが来るのを待っていた。
両者とも、橋の手前でかなりの乱闘となった。
キイが戦渦を潜り抜け、やっと橋の入り口まで来た。
そしてアーシュラが先に橋を渡りかけた時だった。
戦士の放った弓矢のひとつが、アーシュラの手前の橋を支える縄に命中した。

ブツッ!!

鈍い音がして、目の前の縄に亀裂が入り引き千切れた。

ガクン!

橋がバランスを失い、一方に傾いた。

アーシュラはバランスを取ろうと足を踏ん張った。
が、それに気付いた戦士が、容赦なく弓を放つ。
人にではない。橋を支える縄に集中して、だ。
彼らは橋を落とそうとしている。もちろん向こう側へ行けなくするために。

ブツ!
またもう片方の縄が切れた。
ぐらりと橋がまたも傾く。アーシュラは焦った。
橋を落とさせるものか!!アーシュラは自分が橋を支えるかの様に、縄を強く握った。
「早く渡れ!俺達ならこの橋をすぐに渡り切れる!早く!!」
皆は頷くと、次々と橋を渡り始めた。
シータ、アムイ、そしてキイ。
いくら軽々とした身体能力を持っている三人とはいえ、大人の男だ。かなり橋に体重がかかり、アーシュラは歯を食い縛り、握る手に力を込めた。
「アーシュ!もう少しだ!」キイが励ます。
大勢を引き連れて、ザイゼム達が橋に向かってきていた。
「は、早くしろ!陛下が来る…!!」
「アーシュラ!お前も早く!」
キイのその声で、三人が橋を渡りきった事を知ったアーシュラは、今度は慎重に自分の体重を先へと移動し始めた。
みし、と鈍い音がして、重さに耐えかねた縄が徐々に千切れていく。これで他の人間が橋に乗ったらもう耐えられない。
やっと橋の中央を越え、もう少しで向こう側、という所で、橋を渡ろうとするザイゼム達の気配がした。
「待て!逃がさん!!」
ザイゼムの声が後方で響いたのを合図に、アーシュラは決意を固めた。
彼は背から自分の剣を片手で抜くと、僅かに後方で繋がっている縄を思いっきり切り落とした。

「アーシュラ!!」

橋は見事崩れ、バラバラと足場の板を谷底に落としながら、何本かの綱だけが残った。
渡ろうとしたザイゼムは寸での所で踏みとどまり、崩れていく橋を眺めた。
「くそ!!」
前方を見ると、アーシュラが向こう側に数本残ったうちの一本の縄にしがみ付き、揺れている姿が目に入った。
「アーシュラ…お前!!」
弟の判断に、ザイゼムは彼の思いの深さを知った。
母を同じくする、同じ子宮から生まれて来た兄弟なのだ。
これだけで弟の覚悟を、そしてキイへの愛をザイゼムは思い知らされた。
自分とは違う、愛し方…。


「アーシュラ!!」
キイは咄嗟に無二の親友に手を差し伸べた。
「早く上がって来い!アーシュ!!俺の手を取れ!!」
だが、キイの手を差し伸べている場所は、足場が脆かった。
彼が上体を乗り出す度に、パラパラと土が崩れていく。
「キイ!やめろ!お前が落ちる!」
アーシュラは揺られながらキイに叫んだ。
眼下は深い谷間が横たわっている。まるで地獄の入り口のようだ。
どのくらい深いか計り知れない。まるで口を開けて獲物を待っているかのようだった。
キイは焦った。ここで大事な友を失くすわけにはいかない。
ここまで自分を助けてくれた…。キイは諦めようとしない。
シータとアムイも手伝って、キイを支える。だが、近くに体重を支えらるような樹木もない。
アムイは剣を抜くと、ガシっと地面に突き立てた。これで少しは支えとなるだろう。
だが、思ったより地盤は緩かった。徐々に剣は重さで体重に引っ張られ、傾き始める。
「アーシュラ!!」
アムイも思わず叫ぶ。
その声にアーシュラはふっと笑った。

嫌な奴だとずっと思っていた。だけど、本当はいい奴なのかもしれないな…。
あのキイがこの世の中で愛している、唯一人の男だ。
アーシュラはアムイが女でなくて良かったと、心の底から思った。
何故かって?だってこいつが女なら、誰も敵わないじゃないか。
キイはきっと今以上に溺愛し、身も心も溺れるだろう。それこそ自分を見失うくらいに。
だからアムイよ、お前は男として生まれて正解だったんだよ。
キイが平常心を保つためには。
そして兄弟という血の繋がりがあれば、切れない絆でずっと繋がれている。
考えを変えれば、幸せな事だ。二人とも。


「アーシュラ!頼む!上がってきて俺の手を取ってくれ!!」

頭上でキイの叫ぶ声がする。
だが、自分の持っている縄が、じりじりと悲鳴を上げているのに気付いていた。
これ以上刺激を与えると、縄が千切れそうだった。
 
「早くアーシュラ!」
「キイ!!」
アーシュラは叫んだ。
「俺の事はもう放っておけ!!お前達は早くここから去れ!
遠回りして敵が来る前に、早く仲間の所へ行け!!」
彼の叫びにキイは懸命に首を振った。
「嫌だ、アーシュ!!お前は俺の大切な友じゃないか!!
お前を見捨てられるわけがないだろう!!」
冷や汗と共に、涙が滲み出て来る。お願いだ…。
「友…?」
アーシュラが喉の奥で笑った。
「違うよ」
その声は、まるで何かを訴えているようだった。
「アーシュラ…?」
「友達じゃない」
アーシュラは冷たく突き放すように言うと、キイを見上げて、ニッと笑った。
「!?アーシュ…!」
次の瞬間、キイの声が悲鳴に変わった。
「アーシュラぁっっー!!」
キイは咄嗟にアーシュラの手を掴もうと、身を乗り出した。
アーシュラはすっと、いとも簡単に縄から手を離したのだ。
彼の体が谷間に吸い込まれていく。
キイもつられて落ちそうになる所を、シータとアムイが両脇からがっしりとキイを支え、引き上げた。

「アーシュラ!!アーシュラが!!」
キイは取り乱し、アーシュラの名を叫び続けた。
キイを抱きかかえる二人も、アーシュラの覚悟に唇を噛み、目を伏せた。
キイは嗚咽し、蹲った。
「アーシュラ…!馬鹿な奴…」
嗚咽を抑えようと、手を口に持っていくが上手く行かない。
涙がぽたぽたと地面に落ちる。
ずっと聖天風来寺では一緒だった。
互いに腕を競い合い、馬鹿なことも一緒にやった。
喧嘩して、笑い合って。…この世に生まれて、友達っていいものだ、と思わせてくれたのがアーシュラだった。
どんな事があっても、キイはアーシュラを信じていた。
アーシュラが、自分を思ってくれている事も肌で感じていた。
それが恋慕だったとあの瞬間、彼の目でわかったとしても、キイにとってアーシュラは…。
「…それでも…お前は俺の…友達だ。唯一無二の親友なんだ…」
キイは顔を両手で覆った。


「この高さでは…今度こそ助かるまい…」
ザイゼムは橋のない谷間をぼんやりと眺めていた。
「馬鹿な弟だ」
目に涙が浮かぶのを、ザイゼムは堪えた。
今は泣いている暇はない。
アーシュラの最後に涙しているルランをちらりと見ると、ザイゼムはきっと顔を戦士達に向けて言い放った。
「遠回りになろうが、このまま【宵の流星】を追って海側に向かう!一度屋敷まで戻るしかないのが悔しいが、とにかく急ぐぞ!」


キイはひとしきり友のために泣き、アムイとシータに支えられながら、この場を後にした。
自分達はアーシュラの気持ちを無にしてはならない。
早く麓まで下りて、他の仲間と合流しなければならない。


三人は無言のまま、麓を目指して山を下りて行った。


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2010年6月22日 (火)

暁の明星 宵の流星 #101

ザイゼムは必死になって麓から屋敷を目指していた。
(キイ!頼む、持ちこたえてくれ!!)
見えないところで嫌な汗が流れる。
自分の後方から護衛の者達と、南の宰相ティアンとその護衛の者数名がついて来る。
不本意だが仕方がない。
キイの容態の悪化を食い止められるのは、キイを狙っている相手だとしても、気術の最高位でもあるティアンの力が必要だった。
今は彼と敵対しているという事を、考えている場合でない。

急いで屋敷に戻ってみると、中の様子がおかしい事に気がついた。
「?おい!」
屋敷は静まり返っていた。屋敷に置いて来た警護の者の姿が見えない。
嫌な予感を持ちながら、ザイゼムは上階の奥にある自分の部屋に足早に向かった。
「これは…」
上階に上りきってザイゼムは眉をしかめた。
置いて来た警護の者数名が、何者かにやられたか、廊下のあちこちに倒れていた。
「誰かが侵入してるようだ」
後方で、ティアンがぼそっと言った。
ザイゼムはぎり、と唇の端を噛んだ。
(ここに侵入するなんて、奴しかいないだろう)
奥の自分の部屋から大声が聞こえてきた。あれはルランの声。その直後に聞こえた微かな男の声。あれは…。
ザイゼムの胸が高鳴った。
忘れようとも忘れられない、あの低い宵闇のような声。
(まさか…キイ!!)


「宵の君!貴方に何がわかるのです!貴方がずっと意識がない間、陛下がどれだけ苦しまれたかなんて…。
それを傍でずっと見てきた僕の気持ち!貴方にわかる筈がない!!」
「ルラン…」
薄暗い廊下の奥、開け放たれた扉からもれる灯りの方から、ルランの叫ぶ声が響いた。

(キイ…?キイ!!まさか目覚めたのか?)
ザイゼムの脳裏にあの生命力溢れる黒い瞳が思い浮かんだ。
胸がときめく。もしそうなら、私は…!!


扉を塞ぐようにして立つ、ルランの後姿が目に入った。
ザイゼムは足を緩め、扉の奥を窺(うかが)った。
ルランの前に、四人の人間が佇んでいるのが見えた。
二人の男に挟まれて、支えられているキイの姿が目に飛び込んできた。
(ああ!キイ!)
だが次の瞬間、ザイゼムは驚いた。
暁の姿は予想の範疇であったが、もう一人の人間は…。
死んだと思っていた、愛する弟の姿だった。
(アーシュラ!!生きていた!!)
ザイゼムは嬉しい気持ちが湧き上がるのを、ぐっと堪える。
(アーシュラ…、お前が暁を連れてきたのか…!)
彼の心は複雑だった。
きっとアーシュラがキイのために、暁を連れてきたのだ。
だからキイが目覚めた。
それは嬉しい事だが、反面、ザイゼムの心に焼け付くような嫉妬の感情が沸き起こった。
(キイを迎えに来たのかもしれんが、絶対に渡すものか!)
彼は前方を睨むと扉に近づいた。
「近寄らないで!何されても僕は…」
と、ルランが叫ぶ。
「よく言ったぞ、ルラン」
ザイゼムは部屋の中の人間達を一瞥した。


「お前は渡さん!誰にも渡さない!」
思わずザイゼムは叫ぶ。やっと手に入れた自分の宝。横取りなぞされたくない。
護衛の戦士達が彼の合図で四人に襲い掛かる。
アムイはまだ足がおぼつかないキイをシータに託すと、アーシュラと共に剣を抜いて応戦する。
さすが二人とも聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の修業者。
あれだけいた護衛の者が、あっという間に片付けられてしまう。半端のない強さ。
だが、彼らも勇猛果敢なるゼムカ族の戦士だ。数名はかなり二人に食らいつき、激しいせめぎ合いとなった。
その隙にザイゼムもまた剣を抜き、部屋に入り込むと、キイの近くへと進んだ。
シータもまた剣を抜き、キイを庇うようにして体勢を整えた。
その背後でキイがシータに耳打ちした。
「俺にも何か武器をくれ」
シータは軽く頷くと、片手で懐からナイフを取り出し、キイに渡した。
「無理しないでよ、キイ」
「おう。ありがとな」
キイは不敵に微笑んだ。

「キイ。さぁ、こちらに来い。私は本気だ」
ザイゼムはシータに剣を向けた。彼の気迫も半端ではなかった。
見るからしてザイゼムもかなりの使い手だという事が明らかだ。
「よぉ、ザイゼム。久しぶりだな!」
キイは笑った。ザイゼムの胸が詰まる。この三年、どれだけこの笑顔を見たかった事か。
「キイ、最初から言っていた筈だ。お前は私のもの。今でも変わらない。
さあ、私の方へ来るんだ」
ザイゼムは自由になるもう片方の手を、キイに差し出した。
キイはそれをちらりと眺めたが、片眉を上げるとザイゼムにからかうように言った。
「俺は誰のものでもないさ。いや、世界中の女のものかな?
今は気楽に一人の方が俺らしい。だから世話になっといて悪いが、断る」
「ほぅ?誰のものでも?…暁のものでもないのか」
キイの頬がピクリと引きつった。
「…あれだけ自分は暁のものだと言っていたのになぁ」
今度はザイゼムがからかうような口調で言う。
キイは下を向いてふっと笑うと、再びザイゼムを見て呟くように言った。
「そんな事言ってたっけ?ま、本当の事を言えば、暁…アムイが、俺のモノなんだけどな」
ザイゼムが眉をしかめる。
「お前と俺は似たものだ。自分が他人のものになるよりは、思った相手を自分の手に入れたい方だろ?
だから俺達は平行線。どちらも受身にゃなりはしねぇ。
まー、お前が女だったら、話は違ってくるんだが、残念だなぁ。
俺は女は拒めない性質(タチ)なんでよ」
キイのはっきりとした拒絶に、ザイゼムは笑った。
まったく、こいつらしい。
だが、あの時のキイの言葉に嘘はなかった。いくら自分への挑発から出た言葉だったとしても。
それなら尚の事。そのキイを受身に思わせるアムイは、特別の存在だという証ではないか。
ザイゼムの心の奥底で、どす黒いものが蠢いた。
「お前を無理にでも自分のものにしておけばよかった。
お前の意識のないときに、私を忘れられないよう、その身体に刻印を刻めばよかったよ」
「そうだとしても、俺はお前のものにはならねぇよ、ザイゼム。
言ってたじゃねぇか、たとえ陵辱されても俺は損なわれないんだろ?」
ザイゼムの目に、憤りの炎が浮かぶ。
……どんなに焦がれても、絶対お前の手には入らない……
キイの断固とした拒絶に、ザイゼムは苛ついた。
今まで望めば何でも自分の手にできた。もちろん自分の力で、だ。
その自分の世界が、この男によって崩される…。でもザイゼムは負けを認めたくなかった。
「お前を飼い馴らすのは無理か…。本当に野性のビャク(大陸原産の白虎)みたいな奴だ。ならば力ずくでも奪う!」
ザイゼムは剣を振り上げた。シータがそれを受けようと剣を構える。

ガキーン!!甲高い金属音が部屋に響いた。
「!!」

キイは驚いた。「アムイ!!」
「…お前の相手はこの俺だ、ザイゼム!!」
ザイゼム王の剣を受けたのは、シータではない。横から咄嗟に割って入ったアムイだった。
アムイの瞳が怒りのせいで、赤く染まっている。かなり身の内の“金環の気”が渦巻いているようだ。
アムイは本気だ。それは重なり合った剣と剣の熱さが物語っている。
「おい…アムイ…」
キイが思わず呟いた。その様子をザイゼムはちらりと見ると、
「やるか、小僧。いくらお前が気術の使い手とはいえ、俺は強いぞ」
と、アムイに視線を移して言い放った。
「私は気術は使えないが、これでも一族の王。…波動攻撃を防ぐ術くらいできる。
来るがいい!【暁の明星】よ」
二人の間に火花が散ったかと思うと、互いに重なった剣を振り払い、一歩後方に跳び下がった。
「アムイ…!よせ、アムイ」
キイは一年であったが、ザイゼムを傍で見てきたこともあり、彼が一筋縄でいかないほどの腕前と知っていた。
何せ、あのアーシュラの剣の手ほどきをした人物である。
キイは心の中で、舌打ちをした。くそ!自分の体が本調子であれば…!
「アムイ…!」
思わずキイが二人の前に飛び出ようとした。
だが、それをシータの腕で遮られる。
「待って、キイ!アムイを信じなさいよ」
「え?」
キイはシータの横顔を見つめた。彼の顔は真剣だった。
「アムイはアンタなしで、この四年…立派にここまで来たのよ。
アンタが眠っていた間、きっといろんな事を乗り越えてきたと思うの。
アムイだって成長している。アンタはそれを黙って見てあげればいい」
キイはぐっと胸が詰まった。…四年…?互いに別れて…四年も経っているのか…!? 
「そ、そんな長い間…」
ああ、俺はこの混沌とした物騒な大陸にアムイを一人にさせたのか…!
それが自分の、天の計画があったとしても、そんな長い時間、アムイはたった一人で…!!
「…わかってる…。俺だってアムイを信じてるさ」
思わず目頭が熱くなって、キイは上を向いて目を瞬かせた。

キーン!!
再び刃物が重なる金属音が鳴り響いた。
アムイの華麗な剣を、ザイゼムは上手く己の剣で受けていく。
その間も、彼はアムイの脇を狙う。だが、アムイも間一髪のところで避ける。 
互いの見事な剣捌きは、一歩も譲らず、特にアムイの腕が前と比べて上達した事を物語っている。
最初は怨念に突き動かされていたアムイも、ザイゼムの剣に立ち向かっていくうちに、徐々に落ち着きをもたらし、冷静になっていくのを自分で感じていた。
相手の動きがわかる!
アムイは不思議だった。
先ほど自然界での他力を実践した余韻が、自分の身の内に残っているせいなのか…?
全ての感覚が鋭敏になっているようだった。
ザイゼムが右に揺れる。その瞬間、アムイは彼が次に正面から切り込んでくるのを察知した。
ザイゼムの動きよりも前にアムイは正面に向かう。

ガキッ!!

鋭い音を立て、ザイゼムの剣が宙に舞った。剣はくるくると回りながら、彼らの横に、大きな音を立てて床に突き刺さった。
「アムイ!!」
思わずキイが叫んだ。
「あらー。本当に一本取っちゃたわねぇ…」
シータはそう言いながら、ちらりと隣のキイを盗み見た。
「…キイ。アンタ、顔が緩んでるわよ」
「え!そ、そお?」
キイは思わず、ニヤつく口元を手で隠した。だけど、嬉しさを隠せない。
「惚れ直した、って顔に出てる…」
「…はは……」
照れくさくって、反論しようとしたが、ま、いいか。
キイは、自分がデレデレした顔をしているな、と思いつつ、昔よりも頼もしくなった相棒に見惚れた。
確かに一人でやってきた年月は無駄ではなかった。あの若さだけで突っ走っていたアムイではない。
大人びた風情のアムイに、キイは目が離せなかった。
(よかった…)
安堵の気持ちがキイを包んでいく。
やはり一度、互いが離れてよかったのだ。

(お前がいるから、他は必要ない)
その言葉を聞くたびに、嬉しさよりも焦燥感と苦しさが自分を襲うようになったのは、いつからだろうか。
駄目だ。
このままでは互いにとってよくない。
確かに自分はアムイが少しでも元に戻って欲しくて、ずっと傍に付いていた。
アムイも俺のために、ずっと離れはしなかった。
それが互いにとって、一番しっくりくる、居心地のいい世界だ。
他人に心を閉ざしてから、自分は何とかしてアムイを外の世界に連れ出そうとした。
アムイが昔に戻るのなら何でもした。…過保護だと自分でも思うくらいに。
だが結局、アムイが外に目を向けない、(お前だけでいい)そんな科白を言わせていたのは自分だった。
アムイが俺に依存しているように、自分もまた愛しさのあまりアムイを手離せない。
…聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)を追い出されてから、益々その焦りは本格化した。
今まで、聖天風来寺という狭い世界だったから、何とかなった。
でも、そこから広い大陸に出れば、このままでいい筈がない。
他者との係わり合いなくして、魂の成長はありえない。
その限界に迫った時、天からの響きと共に、己の心は決まったのだ。
《二人を離してはならない…》皆から言われたその言葉を一度切り捨てる。
一度、互いが離れ、各々一人でこの世界を生きようと。

…だから馬賊に自分がやられ、まさかゼムカに捕らえられようと、キイはすでに覚悟をしていたのだ。
このような事態になる事を。互いがいい意味で自立するために。

ザイゼムはちっと舌打ちをすると、床に突き刺さった自分の剣を一気に引き抜いた。
「やるじゃないか、小僧」
ニヤリ、とザイゼムは笑った。アムイは再び緊張した。
その言葉が終わらないうちに、第2戦が始まる。
今度はザイゼムも容赦しなかった。激しい動きでアムイを攻めにいく。
アムイも必死にそれを受け、避け、反撃する。
激しい攻防が展開されている。
しばし息を呑んで二人の戦いを見守っていたキイ達の横から、アーシュラの叫ぶ声がした。
「おい!新手が部屋になだれ込んでくるぞ!!早くここから出ないと!!」
部屋に緊張が走った。
アーシュラはゼムカの戦士をやっとの思いで倒しながら、キイとシータの方に向かって来た。
扉から大勢の戦士達が駆け込んできた。
しかもゼムカだけではない、見るからに南の兵士も中にいたのだ。
その兵達を不敵な笑みで見送るティアンが扉から姿を現した。
「ティアン宰相!」
キイは唸った。こいつがいたのか!まさかこの兵もこの男が…。
「まったく、私の機転で味方を呼ばなきゃ、今頃どうなってたんでしょうかね…。ゼムカの王は」
皮肉めいた口調でそう呟くと、キイを自分の扇子で指しながら、ティアンは叫んだ。
「我が南軍は【宵の流星】を捕獲しろ!あとは斬って捨てよ!!」
その声で、アムイとザイゼムは我に返った。
「キイ!」

わっと兵と戦士達がキイ達を取り囲もうとする。
アーシュラとシータは剣を振りかざし、彼らをなぎ倒す。
「早く!ベランダから出るぞ!」
アーシュラはキイに叫んだ。
シータがキイをベランダに誘導しようと手を伸ばした。だが、彼は何を思ったか、その手をするりとすり抜けると、驚くほどの敏捷さで、部屋の隅で固まっていたルランの腕を引っ張った。
「宵の君!?」
突然の事で、ルランは困惑した。
「お前も来い!!」
キイはそのまま叫ぶと彼の腕を強引に引っ張り、引きずるようにしてベランダにいるアーシュラ達の方へと戻った。
「キイ?」
突然のキイの行動に驚いた者達は、一瞬動きを止めた。
その隙を窺(うかが)って、キイはルランをがしっと後ろから抱え込むと、部屋にいる人間達にまるで見せ付けるようにルランを盾にし、彼の首筋にナイフを突き立てた。
「キイ!!」
「宵の君!!」
ザイゼムもルランも、まさかの彼の行動に心底驚きを隠せなかった。
「俺達が出るまで、ここを動くな」
冷たく、しかも本来の低い声にドスを効かせ、キイは敵を牽制するために言葉を発した。
「…言う事を聞かなければ、こいつの首を掻っ切る!!」

衝撃が部屋に広がった。
「うそだ…。よ、宵の君…」
がっちりとキイに羽交い絞めされたルランだったが、どうしても信じられない。
「何を言う、キイ。お前にそんな事、出来るわけがない!」
信じられないのはザイゼムもだった。あのキイが、ルランを手にかけるなんて考えられない。
はったりなのでは…?
緊張感漂う空気の中、ザイゼムはキイの言葉を信じられないまま、前に進もうとした。
「やめろ、そんな嘘をつくな!お前がルランのような少年を、自分が逃げるために殺そうとする奴でない事はわかっている。
人質を取っても無駄だ!キイ。さ、早くルランを離せ」
キイは、手を伸ばしたザイゼムが近づこうとするのを、氷のような目で一瞥すると、口元だけふっと笑みを浮かべた。
「俺が本気でないと…?」
ぐっとナイフを持つキイの手に力が入る。
「よ、宵の君っ!!」
ルランはぞっとした。と、同時に、首筋に鋭い痛みが走った。
「キイ!!」
つぅーっと、ルランの首筋から一筋の赤い血が流れた。
「これでも俺が本気じゃないと言うのか」
キイの目は気迫に満ちている。
「さあ、俺のいう事を聞け。そうしなければ、今度こそこいつを刺す」
「あ…ああ…。へ、陛下…」
ルランの瞳に恐怖の涙が浮かぶ。
本気だ。
彼の手には何のためらいもない。要件を飲まなければ、確実に実行するのは間違いないだろう。
【宵の流星】の冷徹な面を、周囲は固唾を呑んで見ていた。
噂には聞いていたが、普段は天神のように美しい姿という事もあり、皆それに惑わされているが、肝心な時には鬼神のように冷徹になると囁かれていた。その姿を、敵陣は初めて目にして背筋が凍った。

その緊迫した様子を打ち破ったのは、ティアンだった。
「何をしている!そんな人質、我らには関係ない!
早く宵を捕まえろ!!」
彼の叫びで南の兵士は我に返り、武器を握り直すとキイ達に襲い掛かろうとした。
キイのナイフが鋭くルランの首に、また突き立てられる。
「陛下あっ!!」
ルランの悲鳴に反応したザイゼムは、彼を庇うようにキイ達の前に躍り出て、南の兵士に剣を振り上げた。
「ザイゼム王!」
ティアンが咎めるような声で叫んだ。
「手を出すな!南の兵士よ!」
その一言で、ゼムカの戦士達も南軍に対峙した。
その様子にキイはニヤッと笑うと、部屋の中央にいるアムイに叫んだ。
「アムイ!早くこっちに来い!行くぞ!」
アムイは、キイの声に弾かれるように走り出すと、ベランダから飛び降りようとしているシータ達と合流した。
キイはそれを確認すると、低い小声でルランの耳元に囁いた。
「ルラン、悪いがしばらく一緒に来てもらう」
「え…?」
そう言い終わらないうちに、キイはルランをさっと抱えると、今まで臥せっていたとは思えないほどの機敏さで、ベランダを乗り越えた。


「ザイゼム王!何て事をしたんだ!たった一人の小姓のために、みすみす宵を逃がしてしまうなんて…!」
「逃がしはしない!」
ザイゼムは叫んだ。彼は悔しさで全身が燃えるように熱くなっていた。
「だが、宰相。勝手な真似はしないでいただきたい!我々の事に口を出して欲しくない!!」
ザイゼムはそう一喝し、身近にいた戦士に目配せすると、半数の戦士を引き連れ、部屋を急いで飛び出して行った。
「ザイゼム王!」ティアンが続いて部屋を出ようとした時、残ったゼムカの戦士が彼を取り囲んだ。
「通せ!!」
ティアンが怒声を放った。しかしゼムカの戦士達は身じろぎもしない。
南の兵とゼムカの戦士の睨み合いが始まった。

キイの奴、本気だ。
あの冷たい無機質な瞳を見て、ザイゼムはぞっとした。
それは初めて見た、キイの鬼神の部分だった。
……ふふ、だからこそ奴は面白い。だからこそ、こんなにも惹かれてしまう。
お前を逃がしはしない…。だが、まずルランを返してもらう。
あの子は私にとって、いるだけで癒される存在だ。みすみす奪われては適わない。
キイ達が消えた方向から推察すると、きっと山を越え、海側に出るに違いない。
ザイゼム達は彼らの形跡を追って、疾風のごとく薄暗い山道に消えて行った。

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2010年6月19日 (土)

やっとこさ#100記念ということで

毎日蒸し暑いですねぇ…。

皆様お体大丈夫ですか?

関東では昨日から雨ですが、むしむしとして、調子悪くなりそーです。


で、物語の途中ではございますが、小説カテゴリ100ページと、キイ様お目覚め復帰記念(なんじゃそりゃ)が重なりまして、嬉しさのあまりちょいと呟かせていただきます


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いやいや、レベル高い連中の中に、超絶美形が入ると、旅すりゃ結構目立つのではないかと、つい妄想している私であります。…まいったなー。結局アムイも美人設定になってるし。(ま、あのおとーさんの子なら仕方ないかー)シータもサクヤも目立つだろーし…(あ、紅一点のイェンちゃんも負けてないか)
しかし、最近自分の描くキイの線が細すぎる自分の頭の中では、結構な細マッチョなんですが…。
ちょっと女性的すぎるかも。…精進します…。


後半になってから、本当に更新が進まなくて、毎回覗きに来て下さっている方には、申し訳ないと思っております…(汗)でも覗きに来て下さるのは嬉しいです。

完全に今忙しすぎて、一気に書けない日が続いています。
加えて細かい所の練り直しに、少し時間がかかっています。
大筋はできていますが、細かい部分がまだできていない事もあり、諸事情も重なって、苦手な湿度にも悩まされ、のろのろ進めております事を、ご了承くださいませ。

で、この章入れてあと4章と迫っているわけですが、ほっとする反面、終わるのがちょいと寂しい自分がおります。
これだけ人数が多いと、番外編とかたくさんできそうで、どこかでひっそり書いてもいいかな、と最近思ってます。
Rakugaki6_convert_20100619114225

たまにこうして遊んでいます。本編ばかりだと煮詰まってしまうので。


やっとキイ様が本編に再登場できました。
ここまで本当に長かった。
…ここまでお付き合いいただいている方には、本当に感謝しております。
ほとんど自己満足的な作品なのに、文章能力ないくせに、長編書いて…。
反省する事が多くて、恥ずかしい限りです。
それでも好きに書けて、本当に嬉しい。
蛇足ばかりの内容で、本当に申し訳ありませんが、最後まで頑張ります。


これからも、更新が不規則になるかもしれませんが、この分ですと、秋頃には終われそうです。

ふえ~。書きたい部分がちゃんと書けるか、ちょっと不安ですが…。


これからもよろしくお願いします。

と、追記です。

それから、現在のBGMは、二十絃箏奏者GAYO(中垣雅葉)さんの“Brilliant Star”です。
完全に一聴惚れです。箏と現代音楽の融合に、完全にノックアウトです。
この曲、この物語の雰囲気そのままで、今はこれと“大地の鼓動”をよく聴いています。

音楽がなければ、書けないくらい、音楽中毒です。


それからここだけの話ですが、最初の挨拶のページで書いていると思います、自分の未完作品集のブログに、たまにこの小説の事を、かなり詳しく呟いています。(ネタバレ注意)
あまりお披露目していないお身内的ブログでありますが、ご興味ある方は覗いて見てくださいね。
(ココログにリンク貼っていませんが)

超 私的。未完空想図鑑(ほとんど妄想)
жここでは茅野ちゃこ美となってますが

それではページ101以降(やっと!)でお会いしましょう。


           kayan

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暁の明星 宵の流星 #100

「なぁ、キイ。私は知ってしまったんだよ。…その生き残った人間の真実を。
石版の最後に刻まれた名前。そして…セド王国が己の存続の為に犯してしまった最悪な大罪を」

ザイゼムは自分の髪を指に絡ませ、耳元で悪魔のごとく囁いてきた。

「セドの王子が、神の一番の申し子であるオーンの姫巫女を無理やり陵辱し、その果てに産ませた王子。
…最後の石版に刻まれた背徳の王子の名前。それがお前だ、キイ=ルファイ。
………………いや、
キイ・ルセイ=セドナダ。
禁忌の末に生まれたセド王国の最後の王子」


そうか。

ザイゼムの奴、俺の素性をすでに知っていたのだな…。

だが、こいつは俺の光輪(こうりん)にまでは、調べが及んでいないようだ。

思わず含み笑いをしてしまう。
……俺がセド王家の血を引く事を、完全に隠し通すつもりはない。
何故なら、俺の名はすでに王家の名簿に刻まれてしまっているからだ。
しかも別人として生きるには、己の光輪は隠し切れぬほどに大きい。
必ず何処からか足がつく。それならば、いっそ…。


「それで?」
つい、からかうような声を出してしまう。
「だから何?それでお前は俺を…どうしようというのか?」
ザイゼムがむっとしたのがわかった。
「背徳の王子であるお前が握っているその王家の秘宝を私がいただく。
そのためにはお前を逃がす訳にはいかないのだ」
「そうか…やっぱりな…」


やはり俺の“気”についてはまだ何も知らないようだ。
俺を手にすれば、神の力が手に入る…。
はは!肝心な話が、噂止まりの情報じゃねぇか。
……だけど。

だけど、このままだと…。
一番知られたくない部分まで、探られる恐れがある。
…先ほど、あれだけ光輪の奴が大暴れしやがったのも…まずい。
アムイが傍にいない今、もう一度あの逆流が来るはずだ。
そうしたら、完全にやばい。
まだ…まだ機が熟していないというのに…。

アムイ…!!

「……じゃあ、このセドの王子である俺様が、【暁の明星】が是非必要なんだ、と言ったら、お前は俺にアムイをくれる気があるか?」
皆のきょとんとした顔が、自分を安堵に導いてくれる。

「なぁ、正直に答えなよ。この俺に、暁をくれるのか、くれないのか」
さあ、ザイゼムよ。お前のアムイに対する認識はどのくらいだ?言ってみろ。

「…何故、お前に暁を与えなければならない?あの影のようにいつもお前の傍にいる…目障りな小僧を」

その言葉で、自分の心は決まった。

俺の存在は、隠しても隠し切れないが、アムイは違う。
信頼できる者以外、今はアムイの素性を暴かれたくない。
アムイが俺と同じ、セド王家の血を引いている事。
俺の光輪を受けるために、いつも傍にいる事。
…俺達が本当の意味での、二人でひとつの存在だという事を。

今はできるだけ知られたくはない。
アムイが目覚めるまでは。
アムイが闇を超えるまでは。

「くっくく…」
ああ!まだこいつらにはアムイの価値がわかっていない。

「…ふふ、ふ、ふ、ふふふ、ふ、はは…ははは…」
ならばこれ以上、俺達を詮索しないようにしてやるさ。

「ははは、あーっははっはっ!」
自分の懐で脈打つ虹の玉が、俺の気持ちを察して輝く。


俺はいきなり椅子から立ち上がり、一瞬で隣にある寝台の上に飛び乗った。
肩の関節を緩めると、後ろ手に縛られた手を目の前に戻し、結ばれていた手首の腰紐を、思いきり歯で引きちぎる。

「キイ?」
皆が唖然としている。
でももう周りなど、どうでもよかった。

あるのは愛しい者への思いだけ。

あるのは一国を滅ぼした責任だけ。


取り出した8粒の虹の玉は、自分の決意に同調してくれていた。

一か八か…!信じてるぞ、アムイ。

息を詰めると、一気に玉を全て口に放り込む。ごくり、と喉が動く。


「キイ!何をするんだ!!」

はるか遠くで、ザイゼムの叫ぶ声が聞こえたような気がした。

だがもうすでに、光る虹の玉は体内に留まり、キイの意識を閉じ込め始めていた。
あの、子供の頃の懐かしい感覚が彼を支配する。

ああ、アムイ。俺はこうするしかなかったんだよ。

せめて…せめて…。お前を今、現状以上の危険に晒したくないんだ。

俺は時間を稼ぐ。

だから、アムイ。俺を捜してくれ。俺を見つけてくれ。

……そして俺をあの時のように、その手で引き上げてくれ…!!

朦朧としているキイの意識が混ざり合い、過去と未来がごちゃごちゃになっていく。
必死で今、キイは己の意識が引きずられていくのと戦っていた。
そのせめぎ合いの中、微かに、あの求めていた懐かしい、甘美な“気”の存在が近づいて来るのを感じ取った。
…ああ!あれは…!!


アムイの大馬鹿野郎っ!!
いっつもお前は時間がかかり過ぎるんだよ!!
ったく!近くに来ているのを感じてるぞ!
早くしろー!!この馬鹿っ!!てめぇ!
俺様が死んじゃうじゃんかっ!!!


「今、誰かに罵倒された…」
ぼそっとアムイが呟いた。
「何だ?」
アーシュラが解せない顔をした。
「いや、この感じ…。この懐かしい感覚…」
アーシュラに誘導され、多分キイがいるであろう、ザイゼムの部屋に行く途中の廊下に、アムイ達三人はいた。
「?」
「いや、誰かなんて決まってる…」
眉根を寄せていたアムイは、突然はっとすると、青くなって走り出した。
「おい、アムイ!待て」
アーシュラとシータは驚いて、アムイの後を追ったその時だった。

「宵の君!!」
少年の甲高い声が廊下に響いた。
「しっかりして!宵の君!!お願い、誰か助けて…」
あの声はルラン!!アーシュラはキイの身に何かが起こったことを感じ、シータと共に弾かれるように部屋へと急いだ。
すでにアムイは二人の先頭を走り、声のする扉に向かっていた。
「アムイ!早く」
アーシュラは周りを確認しつつ、アムイを促した。
ルランの声は尋常ではなかった。嫌な予感がする…!キイ!
大きな音を立てて扉を開くと、勢いよく三人は部屋に駆け込み、ぎょっとした。

寝台の上で、真っ白な顔をして息を荒げているキイ。
それをなす術もなく、泣きながら支えているルラン。
緊迫したその様子に、キイの命の火が今にでも消えそうな事を皆は察知した。

「キイ!!」

突然表れた侵入者に、ルランは心臓が飛び出るほど驚き、その中にアーシュラの顔を発見して、さらに驚いた。
「ア、アーシュラ様っ!?」
生きてらしたのか!あの崖から飛び降りて…もはや死んだとばかり…。
「どけ!ルラン!!」
アーシュラはルランの華奢な身体を軽々抱き上げると、引きずるようにしてキイの傍から引き剥がした。
その瞬間、素早くアムイはキイの傍に行き、彼を抱き上げる。
「キイ!」
夢にまでも見た、愛する唯一人の人間が、今自分の腕の中にいる。

アムイは己の“金環(きんかん)の気”を凝縮させ、キイの“光輪”を呼び戻そうとした。
が、いくら彼に“金環”を送り込んでも、キイの容態に変化がない。
アムイは焦った。このままだと本当にキイを失う…!!
背筋がぞっとした。間に合わなかったのか?どうしたら…!!!

アムイはふと、吸気士(きゅうきし)に会ってからずっと考えていた事を、実行してみようと思いついた。
きっと、このままの“気”の量では追いつかないのだ…。ならば…!

通常ならば、第九位以上の“気”を自分のものとして使うとき、他力(五光・金環)を呼び込む術が必要となってくる。
普通の人間は、そのために自然界の力を自分の方から働きかけ、呼び込み、己の持っている“気”と融合させて、外に放つ。
だが、元々“金環の気”を持つアムイには必要なかった。何故なら、すでに彼の身の内にその“気”があるからだ。
キイもそうだが、ちょっと同調するだけで、凝縮させ、すぐに使えるようになる。
だからアムイは今まで、自分から自然界に働きかけた事がなかった。
その必要がなかったからだ。
だが、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)を出てからは、キイに《たまには受身だけでなく、積極的に自分から働きかけてみろ》と、言われて何度か挑戦した事があった。しかし思うように上手くできなかった。その理由が今ならわかる。
…己の持っていた闇の箱が、自然界との繋がりを邪魔していたのだ。
闇の箱が開かれ、消えてしまった今、はたして上手くいくだろうか…。

アムイは大地の核に、意識を向け、集中した。
呼び込む…大地のエネルギーを自分に…、呼び込もうと…。

ドクン!と、地底の奥深くから、鼓動が鳴り響くのをアムイは感じた。
大地が自分の呼びかけに反応してくれているようだった。

(お願いだ…!キイを呼び戻してくれ…!!)

地底の奥深くから、アムイめがけて赤くて熱い気流が流れ込んでくる。
それがアムイを伝って、キイの身体を包み始めた。
(やったのか…?)
突然キイの身体がアムイの熱い“気”に反応しだした。
奥深く渦巻いている光輪が目覚めたのだ。
だが、息が正常にならない。かえって段々とキイの息苦しさが増していく。
まるで空気を求めているかのように、キイの唇が喘ぎ始めた。

皆はその様子を、息を潜めて見守るしかなかった。
もうどうしたらよいのか、誰もわからない。

アムイは咄嗟に、喘ぐキイの口を自分の口で覆った。

本能だった。

アムイは苦しがるキイの頭を抱きかかえると、彼の唇を自分の唇で強引に開かせ、執拗に思い切り吸い込み始めた。
息を吹き込むのではない。反対にアムイがキイの息を吸い込んでいるのだ。

「う…!ふぅ、ふうぅ…う…」
重なる唇と唇の間から、キイの喘ぐ声が漏れる。

まるで深い口付けをしているような艶かしい光景に、周りは目を吸い寄せられ、息を呑んだ。
だが、当の本人達は、そんな色っぽい行為をしてるでも何でもなく、とにかく必死だ。

がち!
アムイの奥歯に固い物が当たった。
それをアムイは舌で絡め取ると、キイの口から離れ、プっと吐き出す。
コロン…。
色を失った、虹の玉が床に転がった。
そして再びキイの口を口で覆おうと、また同じ行為を繰り返す。
その都度、床に虹の玉が増えていく。
(あとひとつだ、キイ!頑張れよ!!)
アムイはキイの体内にある、最後の虹の玉を吸い出しにかかる。


アムイの“金環の気”が自分の体内に満ちてくる喜びに、キイは必死にしがみ付いた。
これで意識を上に向ける事ができる。キイはほっとした。
アムイが今、俺を呼び戻そうとしている。

時間の感覚は鈍っていたが、何となく、かなりの年月が過ぎているのをキイは肌で感じていた。
(ああ…。思いの他、時間がかかってしまった…!)
それはキイの誤算でもあった。
ザイゼムの思惑を探ってから、一年くらいでアムイの元に戻るはずが…。
キイは自嘲した。
まさかザイゼムがこの自分を追い詰めるとは思わなかった。
しかも肝心の“光輪”が暴れるのも早かった。

キイはどうしても、セドの秘宝を公にしてはならない責があった。
今はまだ、この正体を明かす事はできない。
それは国が滅んだ18年前。機が熟するまでは、己の責で封印しようとした、モノ。
力の暴走を、どうしても止めなければならなかったのだ。
あの日の二の舞にだけはしたくない。
……しかも18年前と違い、自分は大人に成長している。
子供の頃の自分の力でさえ、ああして一国を破壊してしまった。
…今暴走するとどのくらいの規模となるのか…。
自分でさえも計り知れない。


そんな事をつらつらと思っていたら、突然アムイの声が響いた。

《戻って来い!!》


最後の虹の玉を吐き出すと、アムイは叫んだ。
「戻って来い!!キイ!戻ってくるんだ!!」
「ぐ…!ごほっ!!ごほ!」
キイは大きく咳き込むと、はぁはぁと荒く息を始めた。
「キ、キイ!?」
うっすらと長い睫毛が震えたかと思うと、ゆっくりと眩しそうにその目が開いた。
まるで今まで深い水の底にいたかのように、少なくなった空気を求め、キイは大きく喘いだ。
「あ…、はあっ!はぁ…は…」
「キイ!!」
霞んだ目に、待ち焦がれた男の顔が映った。
「…よぉ…相棒…」
キイはなるべく息を整えると、かすれた声でそう言った。
「キイ…」
アムイは泣きそうな顔になって、キイの顔を見つめた。
「よかった…。キイ…。間に合った…!」
その場にいた皆も、キイの様子に安堵の溜息が出る。

(ああ!天よ感謝します…。再び彼の声が聞けた事を…!)
思わず目頭が熱くなるのを、アーシュラは懸命に堪える。
シータはもうすでに目が赤くなっていた。
ルランもまた、嬉しさを隠せなかった。
だが当のキイは肩で息をしながら、のろのろと上半身を起こし、恨めしそうにアムイを睨んだ。


「……ったく、おっせえよ!!この馬鹿!!
まったく危ねぇ所だったんだぞ!げほっ!」
「キイ……ごめん…」
思わずアムイはうな垂れた。だがその反面、変わらぬキイの口の悪さに、アムイはほっとしていた。
キイはニヤリと笑うと、アムイの頭をくしゃくしゃしながら、自分の胸に抱き寄せた。
「あー!よかったぁ!!絶対お前が呼び戻してくれると信じてた。あの時と同じ様に」
「キイ…」
アムイは言葉が詰まって、何も言えない。

「キイ、大丈夫か?」
アーシュラが嬉しさに我慢できなくて、キイに話しかけた。
「アーシュラ!シータまで!…俺を心配してくれたのか…」
キイは顔を上げ彼らを見ると、名残惜しそうにゆっくりとアムイを離した。
自分の身体はアムイの“気”を充分に受けたお陰で、落ち着いている。
このまま、何とか立ち上がれそうだ。
「アムイ、肩、貸してくれ」
キイの言葉にアムイは黙って頷くと、昔よりもほっそりとした彼の身体を支え、二人でゆっくりと寝台を下り、立ち上がった。
「ザイゼムは?」
部屋を見渡し、ルランの姿を確認すると、キイは言った。
「今、ここにはいないけど、すぐ戻ってきそうよ。アンタが危なかったから、きっともう誰か呼びに行っていると思う、ね?君」
シータは近くにいたルランに振り向いた。彼は目を逸らした。
「とにかく、ここを早く出よう!外で他の仲間が待っているんだ」
「仲間?」
アムイの口から、今まで聞いた事もない言葉が出たのにキイは驚いた。
こいつの口から初めて聞いた…。仲間…。

キイが感慨に耽っていると、いきなり出入り口から声が飛んだ。
「兄貴!王が戻ってきた!!今麓から上がって屋敷に向かってる。早く逃げよう!」
サクヤの声だ。アムイ達は緊張した。
「わかった!…キイ、大丈夫か?ずっと寝たきりだったんだ。身体、動くか?」
「おう!俺様を誰だと思ってるんだ。そんな柔じゃねぇよ」
不敵に笑う自分の相方を頼もしく見やると、彼の肩を支えながら扉に向かいながらアムイは叫んだ。
「サクヤ!お前先にイェン達とここを出てくれ!」
「兄貴?」
アーシュラもその言葉に同意した。
「その方がいい。陛下達が戻って来たという事は乱闘になる危険がある。
巻き込まれるよりも、無事に逃げてくれた方がこちらも安心だ。なぁ?アムイ」
「ああ、俺達よりもイェン達を守ってくれ、サクヤ。アーシュラ、何処に向かえば安全か?」
「この屋敷の後方、北側に獣道がある。そこをまっすぐ上っていくと、頂上の近くまで行ける。
そこから右方向に下る道があって、しばらくすると吊橋があるから、それを渡ってまっすぐ行け。
…山を越える。海側に出るんだ」
アムイは頷くと、サクヤに叫んだ。
「わかったか?サクヤ。海側の麓で落ち合おう。イェン達を頼むぞ!」
「了解!兄貴達も気をつけて!」
サクヤはそう叫ぶと、イェンランと昂老人を待たせた場所へと急いだ。

「よし。俺達も急ごう。アーシュラ、手を貸してくれ」
アーシュラは素早くキイの傍に来ると、もう片方の肩を支えた。
「…悪いな、アーシュ。恩に着るぜ」
キイが嬉しそうな目をアーシュラに向けた。きっとアーシュラがアムイ達を連れて来てくれたのだろう。
彼の友情に感謝していた。
アーシュラの胸が疼く。いつもどおりの彼に涙が出そうだ。

キイは身体に力が蘇って来るのを感じた。あと少ししたら自由に動けそうだ。
四人が急いで出口に向かおうとした時、突然ルランが扉の前に立ち塞がった。
「ルラン!」
アーシュラが叫んだ。「そこをどいてくれ!」
「駄目です!」
ルランは毅然として言った。
「陛下が来るまで、ここを通すわけにはいきません!絶対僕は退かない!」
彼の青い瞳が、揺るがない決意を表していた。
自分が何されようとも、ここを死守するつもりだ。
「ルラン…頼む。このまま行かせてくれ。お前の気持ちもわかるが…」
キイの言葉にルランは憤った。
「宵の君!貴方に何がわかるのです!貴方がずっと意識がない間、陛下がどれだけ苦しまれたかなんて…。
それを傍でずっと見てきた僕の気持ち!貴方にわかる筈がない!!」
「ルラン…」
アーシュラはルランの悲痛な叫びに、己の心臓を掴まれたような気がした。
陛下の…苦悩を、目の当たりにしてきたのは、ルランだけではない。だが…。
「だから貴方を行かせるわけにはいかない…。貴方が去ったら、陛下が…陛下が…」
ルランの目から、大粒の涙がこぼれた。
「ごめんね、君。だから尚の事、君の大切な王様とアタシ達、できるだけ争う事を避けたいのよ。
どうしてもダメなら、力づくでも退いてもらうわ」
シータがそう言いながら、ルランに近づいた。
「近寄らないで!何されても僕は…」
と、ルランが叫んだ時だった。

「よく言ったぞ、ルラン」
開け放たれていた扉から、渋い声と共にザイゼムが姿を現した。
「ザイゼム…」
「陛下!」
ルランが喜びの声をあげて、自分の背後に立つ男を振り返った。

ザイゼムは腕を組み、アムイ達を見渡した。
彼の後方には、数十人の護衛と共に、あのティアン宰相の姿があった。

ザイゼムの視線が、キイの目とぶつかった。
一瞬、彼は心底ほっとした表情を浮かべた。が、すぐにそれを引き戻した。
「キイ。目覚めたんだな…。これは手間が省けた。
ルランの言うとおり、お前をここから出す訳にはいかん」
「ザイゼム…!!」


緊迫した空気がその場を包んだ。

アムイ達は無言で剣を抜いた。

ザイゼムの後方で、護衛の戦士達も戦闘体勢で相手を睨んでいる。

ザイゼムが片手を挙げた。
それを合図に戦士たちがアムイ達めがけて突進して来た。


「お前は渡さん!誰にも渡さない!」

ザイゼムの叫びにアムイは切れた。
怒りの色が瞳に宿る。
こいつのせいで…。こいつのせいでキイは追い詰められ、俺達を何年も引き離した…!!
なのにまだそんな事を言っているのか!!
許せない!!!


アムイの怒りの剣は、襲ってきた戦士に容赦なく炸裂した。

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2010年6月17日 (木)

暁の明星 宵の流星 #99

ゼムカ族の王ザイゼムは、目の前の男を軽く睨むと、威圧的な態度で客間に入った。
「これはこれは、ザイゼム王」
南の国リドンの宰相、ティアンは気持ち悪いほど丁寧にお辞儀をした。
「大事な客人とは貴方の事か、宰相。もう我々とは決別したと思っていたのだが」
「つれない事を仰る。…私達は貴方がたと決別した憶えはないのですがねぇ…、ザイゼム王」
ザイゼムはちっと軽く舌打ちをすると、部屋の中央に進み、相手にも座るように勧めながら椅子に腰掛けた。
「…悪いが私も多忙な身でね。手早く用件を頼む」
ティアンは不機嫌なザイゼムの顔をじっと見ていたが、ふっと笑うといきなり本題を振ってきた。
「ならば私が何故貴方に会いに来たのか、もうお分かりでしょう?
随分とお捜し致しましたよ。…都合の良い事に、この北には協力してくれる人物がいましてね…。
このお屋敷を教えてくれた訳ですよ。もしかしたら、ここにいらっしゃるかと思い、尋ねて来て正解でしたな」
「宰相。…さすがに裏で手を回さずに、直接私の所へ来たのは…。
かなり自信があるとお見受けする。
…何かを掴んでいる…。そういう目をされている」
ザイゼムは片手で顎を支えながら、言葉は丁寧に、だが棘のある声でティアンに言った。
二人の間に火花が散った。互いに牽制しているのは、周りには一目両全だ。
部屋ではザイゼムとティアンが睨みあう様に向かい合って椅子に座っている。
その周りを固唾を呑んで、互いの警護や側近達が見守っていた。
ティアンは細くて鋭い目を益々細めると、はっきりと言った。
「…きっと私は…貴方より宵の君の事をわかっている…」
ザイゼムのこめかみがピクリと動いた。
「…そういう自信ですか…。成る程なあ」
「このまま貴方が宵の君を隠していて、どうするおつもりなのか?
彼をこのまま見殺しにする気なのか?…それを私は聞きたい」
ザイゼムはむっとした。痛いところを突いてくる。まったくこの男らしい。
「見殺し…。聞き捨てならないな、宰相。キイの事は大丈夫だ。
この私が死なせない」
きっぱりとザイゼムは答えた。「私の命に替えてもな」
突然ティアンは笑った。だが、目は笑ってはいない。
「はは。笑わせないで下さい、王よ。…宵の君はこの大陸の宝。セドの秘宝の鍵。
気術の事を、何も詳しくない貴方に何ができるというのです?
彼の封印を解けないままでいるのは、私にはわかっていますよ?」
ザイゼムは表情を崩さずに、じっとティアンを見つめた。こいつに動揺している事を悟られたくはない。
「このままだと、宵の君は確実に死を迎えるでしょうなぁ。
…早く気術に精通している者に託さないと…。
私が何も知らないとお思いですか?貴方が最近、北天星寺院(ほくてんせいじいん)に出向いていた事。
大方あの賢者衆のひとり、昂極大法師(こうきょくだいほうし)に会いに行ったのだと思うが、あのもうろくした年寄りに何ができるか。その証拠に今彼は引退して、大陸で遊び呆けているらしいですよ?」
と、ティアンは桜花楼(おうかろう)の酒宴で再会した時の、昂極大法師の姿を思い出した。
まったくあの狸じじいめ。何も知らない顔して、私と暁の前に堂々と現れるとは。いつもながらいい性格をしている。
「気術に関して言えば、この私が現在の最高峰。私なら宵の深まった封印を解く事ができる」
ティアンは高慢に顔を上げて言い放った。

一体、この男の自信はどこからくるのだろう?
まるでキイの事を一番自分が知っていて…さもどうにかできるような口振り…。
ザイゼムはむかむかしてきた。
…いくら高度な気術者とはいえ、こんな男にキイを渡すわけにはいかない。

「さあ、ザイゼム王!宵を何処に隠された。
貴方を一国一族の王と敬意を表して、こうして話しに来たというのに、このままずっと拒否なさるのなら私も容赦はしない。
力づくでも、汚い手を使ってでも、宵をいただく。
最近では“【宵の流星】手にする者、大陸を制す”と噂が出回っているが、皆はまだ詳しい事は知らぬ。
あれを制し、支配するには、普通の人間では到底無理なのだ。
高度な気術を操れる者以外、あれは手に余る。…気術を修得されておらぬ貴公が、宵に何してやれるというのだ。
あれを手に入れただけでは、大陸を制する事はできぬ。
名実共に、身も心も、宵を支配する相手が必要なのだ!」
ザイゼムの頑なな態度に、ティアンはとうとう感情を露にした。
「…高度な気術を…要する相手が…必要?」
ザイゼムは唸った。何となくキイ自身に秘密が隠されていると思っていた。
…そのセドの宝が…キイ自身に関係してくるというものなら、それは…。
ザイゼムの目が光った。
「成る程な…!キイの持つ“気”。それがこの伝説の大きな要なのだろう?
……弟に聞いた事がある。キイは稀有な“気”の持ち主だという事を。
それが関係しているという事なのだな?」
「さすがゼムカの王。…まぁ、ここまで来たら私も隠してはおけませんな。
…何故ならば…。
あの二人が【恒星の双璧】として世に出始めた時から、この事実を知っていた者の誰しもがわかっていた事でしょうから」
「……」
「…何故、今まで隠していたものを、このようにまるで世間に知らしめるがごとく、あの二人が東で暴れていたのか…。
まるで自分達の存在を見つけてくれとばかりに、名を轟かせるような事をしてるのか…。
…最近なのですがね、それを宵の君自身が、わざとその様に行動しているとしか思えない、という事実に気がついたんですよ」
「…どういう意味だ…」
ティアンはニヤリとした。
「ザイゼム王は…どれだけ宵の事を知っておられる?…私はあの方が生まれたときから知っている…。
直接には関わっていないが、ずっと、宵の君を追っていた。
大人に成長してからは特に、宵の君を知るにつれ、凄く興味深い方だとわかってきましてね…。
皆、あの方の姿かたちに惑わされ、彼の本質を見失っている事が多くて面白い。
皆が宵の君を手に入れようと躍起になっているが、かえって本人は面白がっている節がある。
我々の興味を自分に集中させ、わざと自分を奪い合いさせようとしているところがある…。・
あの方は食えませんよ。全ての行動は宵の君の計画通りに進んでる…と、私は思いますな。
……宵の君は何か思惑を持って、この大陸に存在している…。
その思惑は…誰かの指示か、それとも己自身のものか、…果ては天のものか?
…多分このような状態になった事も、宵の君には予想の範疇だ」
ザイゼムは唇を噛んだ。
「では、キイは何か計画してこの世に存在しているという事か?」
「…本当にセドの宝の存在をお隠しになるつもりならば、目立つような行動も取らず、誰も知らない所でひっそりと、偽名を使って生きておられるはず。…何も異名を大陸全土に知らしめなくとも、完全な本名でないが、そのままの呼び名を使っている所など少しガードが緩い。しかもあの稀有な“気”の存在を名前は伏せても、完全に隠そうともしない。…事情を知る者なら…すぐに存在がわかってしまうのに…」
ザイゼムは息を呑んだ。そう言われてみればそうだ。自分も詳しく調べただけで、意外にすぐキイの存在が判明した。…ただ、その当時は噂が先行していて、王国が滅びたという話題ばかりで、当時の人間はまさか王国に生き残りがいたとは思ってみなかっただろう。だから誰も調べなかっただけなのだ。
「だとすると、キイの目的とは」
「…こればかりはご本人にお聞きしないとわかりかねますな…。
私としたら、セド王国の復興でもお考えかと勘繰りたくありますが、いやはやあの一癖も二癖もある宵の君の事。
さて、真意はどうなのか…」
ザイゼムが何か言おうとしたその時、ゼムカの側近がザイゼムの傍に寄り、そっと耳打ちした。
「何っ!?」
ザイゼムは顔色を変え、立ち上がった。
その尋常でない様子に、ティアンは確信した。
「宵の君に何かあったのですね?」
ザイゼムは唇を噛んだ。よりによって、こんな時に!!


少し時間が遡(さかのぼ)る。

アムイ達が、凌雲山(りょううんざん)の屋敷に着いた時、すでに夕闇が迫ってきていた。
6人はこれからの事を確認するために、屋敷の正面から少し外れた所で、姿を潜めていた時だった。
「…あれは…陛下?」
アーシュラが、屋敷の正門から二人の護衛を伴って、足早に出てきた男の影に気がついた。
「…確かにザイゼムらしいな。という事は…」
「ああ、ツキはこちらに回ってきたのかもしれない。屋敷に入るには今がチャンスだ」
アムイの言葉にアーシュラは頷いた。
ちょうど彼らは、ザイゼムが前王の屋敷に呼ばれて、麓に下りるところを目撃したのだ。
「…で、この人数だ。二手に分かれた方がいいと思うんだ」
アーシュラは全員を見渡した。
「そうね。その方がいいかも。…屋敷に入るには危険も伴うし」
シータが顎に手をやって考え込んでいる。
「では、こうしよう。俺とアーシュラとシータが屋敷に侵入し、キイを救出する。
他の者は、外でザイゼムが戻って来ないかを見張る。何かあったら知らせてくれれば…」
アムイがサクヤの方を向いて言った。サクヤは力強く頷くと、
「ここは任せて、兄貴。…安心してよ」と、昂老人とイェンランの方に同意を求めて振り向いた。
イェンランも大きく頷く。心臓が息苦しいほど高鳴っている。
どうか、どうか無事に…。彼女は心の中で天に祈った。
今度こそ、本当にキイを取り戻せますように…!!

そしてアムイ達三人は、日が落ちたのを見計らって、アーシュラの誘導のもと、屋敷の裏手から中に侵入していった。


屋敷の中では、ルランが同じく小姓のシモンと共に、キイの着替えを終えていた。
「ありがとう、シモン。やはり僕だけでは、宵の君を着替えさせるのに時間がかかるから…」
「いや、いいよ。全部ひとりでというのも、限界あるだろう?」
そう言いながら、ザイゼム王の寝台に横たわる、美しい姿にシモンはどうしても目が吸い寄せられる。
男から見ても、本当に綺麗な人だ…。
シモンは感嘆した。その人間が、敬愛する陛下の寵愛をかっさらっているとしても。
ここ何ヶ月間の意識不明状態のせいで、彼は痩せ細っていたが、その美しさはまったく損なわれていなかった。いや、そのやつれ具合がかえって人の保護本能をかき立てるくらい、儚げで、この世のものとも感じさせない、凄まじい美しさを放っていた。
「なぁ、ルラン。宵の君はこのまま目が覚めないのだろうか」
シモンはポツリと言った。
ルランの顔に苦渋の色が浮かぶ。
「…そうなると、あとは死に至るしかないと…陛下が仰っていた。…どうにかして僕…もう一度、宵の君の声が聞きたいな…」
ルランが宵闇のようだと心で賞賛した、深くて低い、甘い声。
いつもは陛下と同じで、奔放で、豪快で。その上顔に似合わず言葉使いが乱暴で。
だけど二人きりになった時の、あの優しい顔、声。自分の事を純粋無垢な天の子、と言ってくれた…。
普段のあの態度は、どうもわざと振舞っているとしか思えない。
確かにこの容姿であるが、話をすると誰もが判る様に宵の君は生粋の男だ。
黙っていると、まるでどこかに消えてしまいそうな儚い風情…。
一見女性のように美しい横顔。長い睫毛。
しかし彼の醸し出すオーラは男性の力強さに満ちている。あの陛下と同じ、眩暈がするような男(オス)の色だ。
それが彼の不思議な魅力となっていた。その色が、男も女も惹き付けてやまない。
ルランは陛下がいなければ、きっと自分も彼の虜になっていただろうと思う。
あの、三年前の二人で会話した夜を思い出した。
普段の粗野で奔放な宵の君と違う顔。様々な心の葛藤を越え、悟りを得たような包容力。
(本当に不思議な方だ…。あの陛下が夢中になるのもわかる…。
セド王国最後の…背徳の王子…)
陛下の苦しむ姿は見たくない。どうか、天よ、宵の君の目を覚まさせて…!
ルランはきゅっと、目を瞑った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


キイは意識の下で、自分が泣いているのを感じていた。

ああ、あれは俺が聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に来て…間もない頃…。

聖天風来寺の聖天師長(しょうてんしちょう)が住まう、聖天離宮(しょうてんりきゅう)の中庭だ。
「キイ、こちらにおいで」
自分の背後で、優しい声がした。
あれは亡くなった、前聖天師長(ぜん・しょうてんしちょう)の竜虎(りゅうこ)様。
背が高く、かなりのお歳なのに背筋が伸びて、すらりとされてて。普段は厳しいお顔をされてるのに、たまにこうして優しい目をされる。
お付きの僧侶に前、聞いた事がある。
竜虎様は若い頃、あのラムウが“東の鳳凰”と呼ばれる以前に、その名で馳せた人物だと。
しかもその凄まじい風の“気”を、惜しみなくラムウに伝授した師であった事を。
だが竜虎様は一言もラムウや、セドの太陽の話はされなかった。
若かりし頃、長く絹のような滑らかな髪、と讃えられた黒髪も、今は見事な白髪となってはいたが、歳を召され、顔に皺がたくさん刻まれようと、彼が昔、かなりの美形だったという事を伺わせた。
聖天師長となってからは、その責務が重いこともあって、いつも厳しい顔を崩さない方だったが、素の彼はなかなかの変わり者で、冗談好きな気さくな男だった。その堅物でない面白みある性格が、人々の尊敬と憧憬を集めていた。
その彼が、泣きじゃくる自分をさっと抱き上げると、聖天離宮の展望台に連れて行ってくれた。
聖天離宮は山の頂上にある聖天風来寺の中で、最も高い頂にあった。
中庭を抜け、離宮の回廊の先を行くと、突然眼下が開け、東の国を見下ろせる展望台と続く。
雄大な大地。山脈の合間に見える人々の住まう里。
あの天に近いとされる、天空飛来大聖堂よりは高くはないとはいえ、それでも眼下に広がる景色は素晴らしい。
ここに来ると、自分はちっぽけな存在だと、いつも気付かされる………。


「お。泣き止んだな?」
竜虎は豪快に笑う。
「いつもここに来ると、私も心が晴れる。己の存在を考えるのには、もってこいの場所だと思う」
「りゅ…りゅうこさま…」
生意気ばかり言っているキイも、まだあの時は幼くて、あの日の衝撃に耐える術を知らなかった。
一国を滅ぼしてしまった…大罪。
目が覚めた時、どんなに恐ろしかったか。
それ以上に愛する相方の傷の深さに愕然とした。
一国を滅ぼした罪の意識と共に、アムイは他人を自分から追い出し、心を深く閉ざしてしまった。
しかもキイ以外の人間を排除している…。全く他人を受け付けなくなってしまった。
アムイは夜も眠れず、毎夜取り乱し、泣けば楽になるのに、涙が出ない。
そんな彼が、キイにだけは落ち着いて身を預けてくれる。
二人でくっついていると、安心して眠ってくれる。

…それがキイ自身を追い詰めた。

「俺…俺…きっと神様に罰を与えられたんだ…。
俺がこの地に生まれたから。
そしてアムイを独り占めにしようとしたから」
つぅっとまた一筋涙が頬を伝う。
「どうしてそう思う?」優しい声が自分を包む。
…セドの国に行ってから、周りから真実を教えられ、益々自分の存在に疑問を持つようになっていた…。
「お、俺が生まれなければ…。神様はきっと怒らなかった。
だって…俺はこの忌まわしい力で国をひとつ、滅ぼしてしまったんだ。
それなのに…俺達だけが生き残って…」
そう。あの眩いほどの真っ白な光に囚われた者は全て死んだ。
白い閃光に身体を刻まれて。なのにその中心にいた二人だけが生き残った。
その時の悲惨さを思い出し、キイは震えた。

一陣の涼やかな風が二人の間を吹き抜けていく。力強い、風。
思わずキイは目を閉じる。

「アムイの事だってそうだ…。俺、ずっとアムイを独り占めしたかった。
俺だけを見て、俺だけを頼って…。ずっと自分の傍にいて欲しくて。
他の人間にアムイを渡すのが嫌だった。他人がアムイに触れるのだって嫌だった。
だってアムイは…!アムイは人を抵抗なく受け入れちゃうんだ。
本人が嫌でも、結局相手を許してしまうんだ。その相手が自分を傷つけようとする人間でさえも。
俺はそれがどうしても我慢できなくて…!
アムイが自分だけのものになればいいって、いつも思っていた。だから…!!」
竜虎の手が優しく小さな彼を抱きしめる。
「キイよ。それはお前がアムイを守ろうとしただけだ。
お前は自分でアムイを庇護し、外の人間の闇からアムイを守ろうと思っただけなんだよ。
あの純真無垢な魂を。…己の魂の片割れを…」
キイは竜虎にそう慰められても、それは違うと、首をふるふる振った。

「…アムイがあんなになってしまったのは、やはり俺のせいなんだ。
俺がずっと、自分のものにしたかったから。それをずっと天に望んでいたから!
俺以外の人間を受け付けなくなって、俺だけにしか心を開かなくて…。
確かに俺はアムイだけいればそれでよかった。
だけどこんな状態のアムイになって欲しかった訳じゃない!
傷だらけの状態で、他人を受け付けなくなるなんて…!
苦しみながら、怯えながら、外の世界を閉ざしてしまうなんて!!」
「キイ」
「俺をこの地に留まらせた、あのアムイを返して…」
涙は嗚咽となって、自分を苦しめる。
「大地に愛され、人に愛され、生き物全てを暖かく受け入れる…あのアムイを…」
最後は言葉にならなかった。自分の力が疎ましい。自分の無力さが憎い。
そして自分の生まれが…許せない…。
「俺はどうしてこの世に生まれてきたんだろう?
お母さんだって…俺を産んだせいで死んだ…。
父親だって…この力欲しさの為に、お母さんを苦しめて…俺をこの世に呼んだ。
…アムイがいなかったら…俺は…俺は…」
竜虎はキイを抱く手に力を込めた。ありったけの思いを込めて。

「キイ。人は誰しも望んで、望まれてこの地に降りる。
人の寿命も理由がある。人の存在にも理由がある。
今、理解しろとは言わない。いずれは己の魂が気づく時がくる。
天の思い、地の思い、そして己の魂の思い。
……お前が望むなら、必ずやいつか、その答えは手に入る。
お前は宵の流星…。暗闇に瞬く恒星の塵を、この地に降り注ぐ者」
「竜虎様…?」
「お前の異名だ、【宵の流星】…。
宵の星、流れるがごとく。暁に映える星、それを受けてまこと輝く…。
そして流れる星はその光を天空より大地に与える…。
お前の存在理由…。今はわからなくとも、現実にお前がこの世に生きているという事…。
それはこの大地が、お前を必要としているからなのだよ」
竜虎の穏やかな声がキイを包んでいく。

大地が…俺を必要としている…?

いつの間にか、涙が止まっていた。
はるか遠くに広がるこの大地。雲間に覗く、広大な命の器。

「今はアムイにできるだけの事をしてあげよう…。時間はかかるかも知れない。
だがお前には、癒しの光の巫女だった母から、たくさんの宝を受け継いでいる。
その力を…癒しの力をアムイに与えなさい。そしてゆっくりと、彼の心を解きほぐしてあげなさい。
今はそれだけ…それだけでいいから…」

それからずっと夜はアムイと共に眠るようになった。
そうは言っても自分の癒しの力なぞ、たかが知れてはいる。
だが、少しでもアムイの心の傷が治るのなら、自分は何でもしようと決めていた。
互いに“気”の交流をしながら、愛しい寝顔を見つめながら。
それが成長するにつれ、他の意味で苦しくなろうとも。

キイは聖天風来寺を出るまでに、いくつもの闇を越えてきた。

己の闇、アムイの闇。
心の奥底に蠢く闇に引きずられ、翻弄されてはならぬ。

人の心は弱く、闇に取り込まれた者を目の当たりにしていたからこそ。

自分は絶対に闇の住人にはなるまい。
アムイを闇の手に渡してはならぬ。


突然、己の体内の中で、異変が起きた。
母の魂、自分の分身でもある虹の玉が…何かを訴えたような気がした。
その声が段々と小さくなり、存在が消えかかっていく。

玉の力が…もう限界に達していた。

キイの意識は翻弄される。
命つきそうな虹の玉と共に、意識がどこかに引きずり込まれそうになっていく。

キイは必死になって愛する者の名前を呼んだ。

あの馬鹿!!早く、早く俺を引っ張り上げろ…!!

アムイ!!!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「宵の君!?」
ルランは真っ青になって、キイの息を確認した。
いきなり呼吸が不規則になったからだ。
「シモン!!シモン!!」
部屋を出ようとしたシモンが驚いて戻って来る。
「宵の君の容態がおかしくなった!」
ルランは慌てた。…確か薬があったはずだが…。
陛下が寺院でいただいてきた、大切な薬…。
それが寝台の近くにある引き出しに入っていたのを、ルランは思い出し、急いで取り出し、彼の口元に持っていく。
「ああ…そんな…」
ルランは血の気が引いた。
液体を含ませるだけでもかなり効果のあった薬のはずが、唇を開かせ、口内に落としても彼の容態に変化がない。
それがルランを恐怖に陥れた。
「シモンお願い!すぐに陛下に知らせて!!このままだと宵の君が…!!」
「わかった!!待っていろ、すぐに陛下を呼んで来る!!」
シモンはそう言うと脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。

「宵の君!!」
ルランは必死でキイを呼んだ。
いつもと違う彼の様子に、益々不安が募っていく。
とにかく呼吸が途切れ途切れになり、呼吸困難になってかなり苦しんでいる。
今までは静かに息が止まるだけだったのが、今回は彼の体が悲鳴をあげているようだった。

「は…ああ…はぁは…ぁあ」
喉の奥から、キイの苦悶の声が絞り出される。息が荒い。

「ああ、神様!天よ、どうか宵の君を助けて!」

ルランはただ、叫ぶしかなかった。

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2010年6月13日 (日)

暁の明星 宵の流星 #98

西の国・ルジャンでは、夏祭りの準備が始まっていた。
街は色とりどりな花が満開に咲き乱れ、綺麗な飾りが街路を彩り、それが人々の祭り気分を盛り立てていた。
その様子を首都にある王宮から眺めていた、この国の第四王子リシュオンは、甥である14歳のキース王子にある提案をしていた。
「なあ、キース。夏祭りにアイリン姫を連れて行ってあげてくれないか?この国に来てまだ慣れないし、お互い仲良くなるいい機会だと思うんだ」
とうもろこしのような黄色い髪と、うっすらと顔にそばかすのある王子は、さっきからむすっと、目の前の叔父に反抗的な青い目を向けていた。
「何で僕があんな子供のお守りしなくちゃいけないんだ」
ぼそっと、キース王子は呟いた。
「キース…」
はぁ、とリシュオンは溜息をついた。
王太子である長兄の息子…将来この国の王となる自分の甥は、とにかく両親から甘やかされて育ったせいか、かなり我儘な性格だった。
特に思春期に差し掛かり、反抗期もかなり激しくなっていた。
「今まで僕の言う事は何でも聞いてくれてたのに、勝手に結婚なんて決められて…。
僕は嫌だからね、あんなやせっぽちで、目ばかり大きい子供なんて。
あんな子が僕の妻だなんて、恥ずかしくて嫌だよ」
ぷいっと、キースはふくれたまま、顔を横に向けた。
「恥ずかしいって…。アイリン姫はまだ幼いけれど、立派な由緒正しい王家の姫だ。
それに、昔大陸一美しい、と讃えられた、あのオーンの前姫巫女様の姪御さんでもある。
彼女の亡き母君は、その前姫巫女様に面影があるという、評判の美人だった。
今は幼い姫君だが、将来はもの凄く美しい姫に成長されると、私は思うよ」
「そんなの、将来本当にそうなるかなんて、わからないじゃないか」
キースは声を荒げた。
「それに歳だって、僕よりも弟のケインの方が近いじゃないか!ケインと結婚させなよ。それがいいよ」
「確かにケインは11歳で、姫と年齢も近い。が、この国の王に立つのは兄である君なんだよ?
北の正当な姫君はこの国の正妃として迎えられ、将来の王太子妃となり、この国の王を産む大切な方。
…君が王位を譲ると言うなら、君の言うとおり彼女と結婚するのはケインだけどね…。
そうするかい?キース」
ぐっとキースは言葉に詰まった。が、一呼吸置くと赤くなって反論し始めた。
「そ、そんな勝手な事、リシュオンにできるものか!結婚を嫌がったからって、父上がケインを王にする訳がない!
だって僕が未来の王だと、父上も母上もいつも言っているんだ。
僕が頼めば、何だって言う事を聞いてくれるし…」
まったく、いくら長男だからって、兄夫婦はキースを甘やかし過ぎる。
リシュオンは冷たく言い放った。
「君の父上はそうかもしれないが、現王であるおじい様がそう仰っているんだがね、キース。
これは個人レベルの話じゃない。国家が関わっているんだよ。
君の好き嫌いよりも、政治的な事が今は重要だ。
将来王となるつもりなら、その事ぐらいもう理解できるよね?そう教わっていないのかい?父上から。
…それができない、というのなら、代わりにケインが王となるのに誰も反対しないと思うが」
「……」
キースは悔しそうにリシュオンを睨み付けた。
「とにかく、キース。ルジャン国の恥にならないような、王族らしい振る舞いを心がけてくれ。
私は北の国から、大切な姫君を託されたんだ。
姫君に失礼があったら、たとえ甥でも私は許さないよ」
いつもの穏やかなリシュオンとは違い、冷たい眼差しと声でキースを諭した。


この先の王家が思いやられる…。
リシュオンは、先ほどのキースの態度から、兄王太子夫婦にキースについて苦言したのを、はぐらかされた事実を苦々しく思い出した。
(猫可愛がりにもほどがある…)
王位継ぐ者、それ相応の帝王学を学ばせるのではなかったのか…?
とにかく長男のキース王子は、最初の子供であり、難産の末に生まれた事もあって、兄夫婦の溺愛は半端ではなかった。
弟王子のケインの方が、しっかりしているのは誰にも明白だった。
あのような夫を持つ事になってしまって、アイリン姫には申し訳が立たない。
本当ならリシュオンだって、こんな政略結婚、賛成したくないのだ。
西の国が女性を大切にする国になってからは、結婚も女性の同意がなければできない風潮になっている。
しかもまだ男女の比率が、他の国よりも差が広がっていないこの国は、一夫一婦制が主流だ。
一夫多妻は、王侯貴族などの権力がある者しか許されず、ほとんどの国ではあぶれた者は同性とくっつくか、桜花楼などの娼館に行って、多夫一妻のように一人の女を他の男とシェアする。もちろん子供が欲しい時は、必ずその女と契約を結び、多額の費用がかかるのだ。(ただ、無計画にできてしまった子供は、認知制度を使わない限り、父親が不明の子、として託児院で育てられる)
一般の民も似たようなもので、もちろん結婚制度はあるが、ひどい地域になれば、それこそ女は道具のような扱いを受けている所が多かった。
自由もなく、管理はされているが、秩序にそって保護されているのは、桜花楼のような娼館に入れる上等な女だけ。
最近では誰が父親かわからない子供ばかりが増えているという問題が大陸に起こっている。
リシュオンとしてはその事実を知るたびに、何とかしなくてはと、いつも思うのだが…。

「あ、リシュオン」
突然背後から、可愛らしい声がした。
「アイリン姫」
リシュオンは強張った顔を、何とか元に戻し、笑顔を作った。
「どうです?少しはここに慣れました?」
「はい。…まだ祖国との違いに戸惑いはありますけれど…。フェイもレンもいるので…寂しくはないのですが…。
あの、キース様は、私の事、お気に召さなかったみたいですね…。
一度しかお会いしていなくて…何度もお伺いしたのですが、なかなかお話してくれません…」
ちょっとしょんぼりしているアイリン姫に心苦しさを感じながらも、キースに彼女はもったいない、とりシュオンは思った。
そしてふと、国に入ってから彼女が告白した、運命の人の話を思い出した。
もしあの話が本当なら、…このような不幸な結婚をしても、将来彼女は幸せになれると思っていいのだろうか。
…この先、国勢だってどうなるかもわからない。事実、一国の姫は、世界情勢によって何度も結婚・離婚を繰り返すのが常。
今はまだ、偽りの結婚のままの方が、彼女にはいいのかもしれない…。
「リシュオン王子…?」
自分が物思いに耽っていたのを、アイリンの声で気がついた。
「あ、ああ。キースは、叔父の私が言うのもなんですが、ちょっと癖があって…。
本当に申し訳ない、姫。…ま、歳も少し離れているのもあって、彼は姫にどう接したらいいのか、戸惑っているのだと思いますよ…。
それよりも、どうです?明日からの夏祭り、いっぱい楽しんでもらいたいなと…」
リシュオンの言葉に、アイリンの顔がぱっと輝いた。
「はい。明日、ケイン王子が連れて行ってくださると…。明るくて気さくな方ですね」
「へぇ、ケインがね…」
確かに歳も近いし、人見知りも物怖じもしないケインの事だ。
彼女が輿入れすると知ってから、妹ができると(本当は義姉なのだが)喜んでいた。
…きっとアイリン姫のいい話し相手になってくれるだろう。だけど…。
やはり彼女の傍に、身の回りの世話をする女性が必要だろうと、痛切にリシュオンは感じた。
今は一緒についてきたフェイとレンが、彼女の世話をしている。今はいいが、やはり姫が成長される事を考えると…。
もちろん城内の侍女を選んでもいいのだが、できれば彼女と同じ国出身で、彼女が心を許せるような…。
と、そこまで考えて、リシュオンの脳裏に一人の女性の顔が浮かんだ。
(イェンラン…)
どうも彼女の笑顔が忘れられない。事情が許すなら、もっと色々話をしたかった。
初めて彼女を見たとき、こんなに可愛い人がこの世にいるのかと、正直驚いた。
確かに立場上、綺麗に着飾った淑女達に会う機会は沢山ある。が、誰も胸をときめかせるような女性に会った事はなかった。
あの危険なシャン山脈際で出会った事もあり、その時のイェンランの姿は悲惨、といってもよかった。
髪はボサボサだったし、顔は薄汚れ、衣服も泥だらけで、所々破れかけていた。
でもそれがかえって、彼女の素の美しさを際立たせていた。
あの柔らかな笑顔に、リシュオンは完全に射止められたのだった。しかし…。
彼女には思う人がいるのだろうな、と、リシュオンは気持ちが暗くなるのを止められなかった。
「では、姫。明日思い切り楽しんでくださいね。ケインなら楽しい事をいっぱい知っていますよ。
わからない事があれば、いつでもケインなり私なりに、訊いて下さいね」
と言って、リシュオンは微笑みながらアイリンと別れた。
だが、彼女の姿が見えなくなると、リシュオンは突然暗い顔して深々と溜息をついた。
「…ああ。気が重い…」
ポツリとそう呟くと、彼は重い足を動かして、ある部屋に向かった。


「で!どうだい?かなりの美人だと思わないか?」
部屋に入るなり、いきなり女性の人物画を見せられて、リシュオンは固まった。
「サイモン兄さん…」
「何だ、その気のない声は…」
その絵を持つ主はむっとして、浮かない顔の弟を見やった。
リシュオンは次兄である、第二王子サイモンの部屋に呼ばれたのだ。
そう、いつもこの次兄が自分を呼びつける理由…。
「じゃあ、このご令嬢はどうだ?リシュ。なかなかのナイスバディだぞ。
え?うーん、あまり胸が大きいのは好みじゃなかったっけ?
では、リード卿の三女ミネルヴァ嬢はどうだ?幼馴染で気心も知れてる。
うん!いい考えだ!彼女と結婚したらどうだい?リシュ!それがいい!!」
「に、兄さん勘弁してくださいよ…もう…」
リシュオンは頭を抱えた。

次兄であるサイモン第二王子は、結婚して王宮の離れに居を構えているが、こうして度々リシュオンに会いに、元の自分の部屋に戻ってくる。
もちろん彼の目的は可愛い弟の嫁探し。半分彼の趣味と言ってもよい。
長兄である兄王太子と違い、次男という立場にどっぷり甘え、結構気楽に生きてきたこの王子。
代々、西のラ・ルジャング王家の人間は、ほとんどが早婚である。
早めに連れ合いを見つけ、早く子供を持つ。それがこの王家の美徳とするらしい。
真偽はどうかはわからないが、この第二王子はそう思い込んでいるようだ。
「私はこの間23になったばかりですよ。結婚なんてまだ考えた事も…」
「何を言っているんだ、リシュ!」
さも大事(おおごと)のように、サイモンは大声を出した。
「私なんかお前の歳には、息子のモリスがすでに生まれていたぞ?
兄弟の中で、三男のミシェランは22で地主に婿入りしたし、末っ子のパーシモンはまだ19なのにもう婚約中だ。
相手がいないのは、お前だけじゃないか。これでは一生独身でいいと言っているようなものだ!」
「一生独身て…。大げさ過ぎやしないですか?兄さん…」
リシュオンはまた深い溜息をついた。
とにかく早い結婚と早い子作りは、王家の安泰と固く信じているのだ。
一夫一婦制度が主流のこの国では、若くして結婚し、たくさん子供を持つのが、血を絶やさない一番の方法と考えていた。
しかも異母兄弟とのいがみ合いや抗争も避けられる。
それが西の国が、他国と違う所であった。
「…とにかくサイモン兄さん、私にはやる事が一杯あるんです。今は結婚なんて考えられない。
前にも話したはずですよ。いい加減諦めてください!」
「だが、リシュ…。お前は兄弟の中で一番もてるというのに、相手を決めない事が問題になってるんだぞ…。その…」
「私は別にもてませんよ。兄さんが勝手にそう思っているだけじゃないんですか?」
不機嫌そうに横を向く可愛い弟を、サイモンはじっと観察した。
どうやら本気でもてないと思っているらしい。
昔からリシュオンは外の世界にばかり気が向きすぎて、色恋にはてんで無関心であった。
それ以上に恋には鈍感だという事実も拍車をかけ、多数の女性達の熱い視線や、アプローチにまったく気が付かない。
いや、一応ガールフレンドや、付き合っていた彼女もいたはずだ。リシュオンとて普通の男。
だがそれ以上に彼の心を占領しているのは、外の世界、国の安否、情勢、大陸の平和だ。
(やれやれ…。こいつは本当にわかっていないのか。
自分が相手を決めないから、周りが大変な騒ぎになっている事を…。
ま、リシュらしいと言ったらそうなんだが)
コホン、とサイモンは咳をした。
「お前はもてるんだよ、リシュオン=ラ・ルジャング!お前が相手を決めないせいで、私はかなり周りから責められてるんだがね」
「何で兄さんが責められなくてはならないんですか?私の結婚の事で」
リシュオンは憤慨した。まったく、私を結婚させたいがために適当な事を言って…。
「あのなぁ、お前と結婚したがる貴婦人が多くて凄いんだよ!前は牽制だけだったのが、今は露骨にお前の奪い合いでトラブル続きだ。いつもそれで妻に頼まれ、私が間に入って仲裁しているんだぞ。知らなかったのか?」
「知りませんよ、そんな事…。だけど何で私のいない所で、そんな事態になってるんですか」
まだ疑いの目でサイモンを見ている。
「とにかく、だな。婦人会の会長をやっている妻が一番困ってるのは事実なんだよ。
ひっきりなしに、お前との仲を取り持ってくれだの、結婚させて欲しいだの…。
もういい加減疲れてるんだ。察してくれよ…」
「そんな…」
サイモンは最後の泣き落としにかかった。
「なぁ、リシュ。誰か好きな子はいないのか?もう誰でもいいぞ!平民の娘でも、他国の女でも、何でもいい!
とにかく身を固めてくれ。無理ならせめて恋人くらい作ってくれよ。な?リシュオン」

と、その時突然扉が開き、末の第五王子パーシモンが慌てて部屋に駆け込んできた。
「ああ!やはりリシュオン兄さん、ここにいたんだ…」
血相変えて飛び込んできた弟に、只ならぬものを感じて、二人は同時に振り向いた。
「どうかしたのか?パーシー」
リシュオンが嫌な感じを受けて、弟王子に詰め寄った。
「と、とにかくお父様のお部屋に来てくれる?…何か話があるって…」


「え…!南が北に…」
父王の部屋に入るなり、リシュオンは兄王太子から北の国の現状を聞かされた。
「そうなんだ。北の第一王子が手引きをして、南の国の介入を許しているのを、前から北の王から聞いてはいたが、それが今もの凄い問題になっていてね。同じく現モウラ国王の片腕として、国政に携わっている、第三王子シャイエイ殿が我が国に相談しに、内密に使者をよこしたのだ」
それを受けて、父王も重苦しい声で、リシュオンに言った。
「内密に使者が…」
「うむ。外交問題を担当しているお前にも、言っておかなくてはならないと思ってな…」
国の外交は主にリシュオンの仕事であった。その中でも特にアイリン姫の事もあり、北の国の第三王子シャイエイを、リシュオンはよく知っていた。
聡明な方、というのがリシュオンの印象だった。前正妃の息子である17歳も年上のシャイエイに、アイリンも懐いていた。だが次期王となる第一王子はかなり利己主義な人物で、地味で大人しいシャイエイ王子は、なかなか兄王子には表立って意見を言えないようなのだ。兄は自国のためと言いつつ、いつの間にか南と通じていた。それはミンガン現国王の悩みの種、とはりシュオンも聞いていたが…。

「それではその第一王子であるミャオロゥ殿が…セドの秘宝を手にする目的で、南の宰相と手を結んでるという事が確証されたという事ですか?」
「そうらしい。シャイエイ王子の話では、前から北が貧しい事をいい事に、ミャオロゥ王子が南に手引きをして、南の人買いの組織を招き入れたり、裏組織を優遇したりという、怪しい事をしていたらしいのだ。しかも国のためと口実しておきながら、実際はその見返りをミャオロゥ王子個人が内密で受けていた事が先日発覚した。その時に、南のリンガ帝国の要請で、かなりの南の軍隊を北に潜入させている事実もわかったのだ。
シャイエイ王子にしてみれば、北の国を南に乗っ取られるのではという、激しい脅迫観念が大きく膨れて、悩みに悩んだあげく、こうして我が国に泣きついてきたという事だ」
リシュオンは嫌な汗をかいた。
「それで、その当の第一王子はどうしたのですか?」
「うん、それが自分の兵士を一隊引き連れ、南の宰相の所に逃げ込んだらしい。
…何やらその宰相…。セド王国最後の秘宝を追っている重要人物らしく、かなりそれについて詳しいという話だ。シャイエイ王子の話では、ミャオロゥ王子はその秘宝を手にするいい機会とばかりに、その宰相と手を組んだ…。その宰相が、その秘宝の鍵を握る人物を追って、今北に来ている」
「…秘宝の…鍵を握る人物…!という事は【宵の流星】が北にいるという事ですか?」
その時リシュオンも確信した。あの時北で出会った、【暁の明星】の一行…。彼らは詳しい事は教えてくれなかったが…やはり【宵の流星】を捜していたのか…!!…となると、まさか…。
リシュオンの胸がちくりと痛んだ。
イェンランが捜している人物も…やはりあの噂の【宵の流星】なのか…。
考えてみれば、そうとしか考えられないのは、リシュオンとてわかっていた。だが、噂の【宵の流星】はあの男前の【暁の明星】のはるか上をいく、美貌の持ち主、と聞いたことがある。しかも大変強い武人だという事も…。
噂を聞けば聞くほど、リシュオンは自分が落ち込んでいくような気がした。なのであえて考えないようにしていたのだ。
その人物はやはり北にいたのか。…でもそうすると彼を追って、幾千もの兵が…。
「そ、それで我が国はどうするつもりなのですか?北のシャイエイ王子は我々にどうして欲しいと…」
「それを今、お前と相談しようと思っていたのだ。…とにかくミンガン王も、これ以上、南の国と関わりを持ちたくないようだ。
だが彼らの兵も、財政難で人数が集まらないらしい。…我が国としては、今南と対立するのは避けたい方針…。
しかし、北の姫君を嫁にいただいた関係上、無下にもできないし…」
珍しく保守的な父王が迷っていた。
リシュオンは、我が国が巻き込まれる事を恐れ、姫君を返す事も致し方ないと、いつもの父王ならば言うと思っていた。
だが、この父王も、セドの宝探しが深刻な大陸の問題となっている事を、もう見ない振りできないと感じているらしかった。
「父上。ならば私個人に、北に行かせてください!」
突然の言葉に、父王と兄王太子は驚いた。
「リシュオン?お前個人で行く…と?」
リシュオンはもう決心していた。とにかく北に行かなくては…。きっと【暁の明星】にも危険が迫っている。そうなればイェンランの身も…!!
「心配なさらないで下さい!私の個人所有の兵と、この国の兵を少しお借りしていきます。
それで、これは私個人の行動だとすれば、我が国も大事(おおごと)にはなりますまい。
とにかく早く北のシャイエイ王子の元へ行き、セドの秘宝の件にも探りを入れてきます。
それからどうかこの事は、アイリン姫のみならず、他の者にも内密にお願いします。
…私に任せて下さい。……私が行って協力すれば、我が国の面子も立ちますし、南に気付かれないよう、水面下で行動するように致しますから」
父王も王太子も、心配そうな顔で、リシュオンを見つめた。
「しかしリシュオン…。お前だけ危険な場所に行かせるのは…」
兄王太子が、珍しく自分を気遣ってくれた。
「私が旅慣れているだけではないのは、兄上もよくご存知でしょう?今までどんな危険な所にも視察に行った経験があるのは自分だけです。
私が適任なのは明白ですよ。どうか心配しないで下さい」
リシュオンはこれで、イェンランに会いに行ける口実もできたし、サイモン兄王子に縁談を進められる事もない、と、内心ほっとしていたのだ。
危険よりも、リシュオンの胸を熱くさせたのは、本人の持っている冒険心や好奇心であった。
「…ただ、今から国境を越えていくと時間がかかる。
…兄上、船をお貸しくださいませんか?海周りでモウラ国に入ります!」
外大陸(そとたいりく)に一番近い(それでもかなり遠方なのだが)港を持ち、古くから貿易が盛んな港町である大国ルジャン。
船の技術は大そうな物である。子供の頃からリシュオンは、船について学んでいた事もあり、中型船くらいならば自分でも動かせることができるのだ。
「わかった。お前がそこまで言うのなら、頼むとしよう。
船を使うのならば、やはり専門の人間を連れて行くがいい。他の事に気持ちを取られてもいかんからな」
父王は不安ながらも、息子の運と機転の良さに、この件を託す事にした。
「ええ。お任せください」
ニッと笑ったリシュオンの顔は、すでに冒険家の顔であった。

その夜、リシュオン達を乗せた中型の船が、西の港から北に向けて出航した。
この分だと、明け方にはモウラ城に着くだろう。

さて…。
リシュオンは甲板に出て、潮風に吹かれながら星の瞬く夜空を眺めた。
夜中の航海は危険なので通常は出航しないのだが、海運が発展しているルジャン国には夜間航海の専門航海士がいて、他の国よりも融通がきくのだ。
(まずはシャイエイ王子と話してから、アムイ達を捜そう。…彼らが【宵の流星】を追っているのなら、あの南の宰相の行方を追った方が早いかもしれない…。今その【宵の流星】が何処にいるのか…それが重要だろうな…)
そしてリシュオンは、心の奥で、イェンランが無事でいる事を天に願った。
早く彼女の無事を確認したい…。
このような国家規模の問題に巻き込まれている事を、多分アムイ達もわかっているとは思うが…。

星はリシュオンの逸る気持ちを知っているかのように、きらきらと輝き、癒しの光を彼に降り注いでいた。


一方、ゼムカのザイゼム王は、自分の隠居した父王の屋敷に、客が来ていると知らせを受け、凌雲山(りょううんざん)の隠れ家を離れる事なってしまった。
状態の不安定なキイを置いていくのは嫌だったが、今彼を動かす事はできない。
渋々ザイゼムは、簡単に身支度をし、ルラン達小姓にキイの容態を見てくれるよう、もし何かあった場合すぐに知らせるよう、念を押して麓に下りた。
そこで彼を待っていたのは…。

もう二度と会いたくない男、南の宰相ティアンの一行だった。

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2010年6月 9日 (水)

暁の明星 宵の流星 #97

「で、王女はこれからどうするおつもりですか?」

朝、開口一番に、南の国大将ドワーニに問われ、リー・リンガ王女は言葉に詰まった。
「ど、どうするって…。もちろん、諦めないわよ、わたくし」
リンガは炎のような真っ赤な髪を器用に纏め上げ、朝の身支度を終えていた。
「まさか…もう国に帰ろうと思ってるんじゃないわよね?ドワーニ」
ちょっと心細そうに、リンガはこの大男をちらりと眺めた。
「いえ。王女の兄上…大帝様から王女をお守りするよう言われております。
リンガ様が国へ戻らぬ限り、このドワーニ、一人でなぞ帰ったら大帝に叱られてしまいます」
「…本当にドワーニの忠誠心は素晴らしいこと…」
リンガはふう、と大きな溜息をつくと、傍らに待機している、子供の頃からの自分の護衛隊長モンゴネウラを振り返った。
「ねぇ、モンゴネウラは??お前はどう思う?もうわたくしは暁を諦めた方がいいのかしら?ねぇ」
モンゴネウラは厳つい顔を、ふっとほころばして、王女に言った。
「おやおや。我が王女はいつからそんな気弱におなりになったんですか?
…あの暁が…セドの王子かもしれないからですか?」
「……そうね。でも、それはお前達の見解であって、確証ではないわ。
もしそうであっても、わたくしがあの男を欲しいのに変わりはない。ただ…」
「ただ?」
リンガは俯いて浮かない顔をした。
「本当にセド王家の最後の生き残りだとしたら…。これはちょっと面倒かなって。
あのお兄様が何て思うか…怖いの」
モンゴネウラも困った顔をした。
「確かに。暁がセドの王子だと判明したら、それは国家規模の問題ですからね。
ただの荒くれ者をものにするとは違う。…今でも東の国にとって、セド王国の影響は大きい。
…今、大帝が宵を手に入れようとしているのも…。
宵がセドの秘宝に関係あるだけでなく、もしやセド王家に深く関わりのある人間かもしれない、という事もあるからで…。
残念ながら、もし暁が王子だとしたら、完全には王女のものにはならないでしょうね、多分」
「うむ。確かにそうだなぁ。…ま、暁の気持ちにも寄るだろうが…。
大帝の事だから、リンガ様と暁を結婚させて、セド王家の血筋…つまり神王の血脈を確保しようとしなさるとは思いますがね。
もし、拒否するなら…ばっさり!でしょうね。
何故なら、セドの王子の存在を政治的に利用しようと、目論む輩が必ず出てくる筈ですから。
その時、暁が我々の味方になるか、敵になるか?それが重要になってくる。
ただの荒くれものなら潰すのは簡単。だけど、王子ならば存在が大き過ぎる。
……我が国の脅威になる存在は、芽が小さいうちに潰さなければならない…」
ドワーニは気難しい顔をして言った。
「いや…そんなの…」
リンガが不安そうな顔をしたその時、三人の背後に人影が忍び寄った。
モンゴネウラとドワーニは、いち早く気配を察し、王女を互いに庇うように体勢を整えた。
「誰だ!?」
ドワーニの威嚇した声に、人影は姿を現した。
「はは。さすがりドンの大将。“煉獄の気”の使い手」
「吸気士…シヴァ」
モンゴネウラが唸った。「お前、何故ここに」
シヴァは面白そうにくっくと笑うと、三人の近くに歩み寄った。
「いい事聞いてしまったなぁ。そうか、あの暁はセドの王子なのか」
三人は警戒の色を強めた。
「ねぇ、シヴァ。貴方その事聞いてどうするの?それに確証ないわよ。
…この二人の見解というか、憶測なんだから、まだ」
リンガが嫌な顔をしてシヴァに言った。
「お久しぶりです、リンガ王女。
貴女のお父上…前大帝様には本当にお世話になった。
だから、まぁ、そんなに怖い顔なさらなくとも。
…貴女がたには危害は加えませんよ。どちらかというと味方ですから」
珍しくシヴァはうやうやしく王女に頭を垂れた。

この吸気士は、聖天風来寺を追われてから、国に帰っても何処にも行く宛がなかった。路頭に迷っていた彼を、内密で王女の亡き父王(当時はまだ王子)が手厚く保護してくれたのだ。
それ以来、シヴァは恩義を感じ、自由にやっている今でも、何かと王家を陰ながら手助けしてくれる。
頭ではわかっていても、彼は極悪犯罪人。しかもあの性癖。警戒してしまうのは仕方がない。
「そ、それで…。その話を聞いてどうするの?お兄様に報告する?
…別に確証ないんだし、してもかまわないけど…。って、貴方、暁の事をどうして…?まさか」
「暁の刺客とはお前なのか」
モンゴネウラが目を細めた。ガーフィン現大帝にはかなり信頼されているようだが…。
「先ほどまではね。…でも本人に会って、気が変わったんですよ。
で、王女が暁を所望してると聞いて、これは報告しないと、と思って会いに来たわけです」
「ほ、報告…?…って、まさか!!貴方…!」
リンガは背筋がぞっとした。
「ええ。俺も暁が欲しいんです。まかりなりにも恩義ある方の娘さんだ。
こそこそするのは嫌いなんでね。堂々とこうして話に来たんですよ」
シヴァはニヤッと笑った。
「そしたらもっと面白い事を聞いてしまった。…な~るほどね…。くくく。
こりゃあ、いい。もっとあいつが欲しくなったなぁ」

シヴァはアムイを手にした時の恍惚感を思い出した。
あのまったりとした何とも言えない深くてまろやかな“気”。
あの男の唇も甘かった。…もう一度、この手に奴を…。

「それで貴方、味見したって訳なのね?アムイを」
じろり、とリンガは睨んだ。シヴァの表情を見て、彼がアムイを思い出しているのを察したのだ。
「はは。王女には隠し事できませんねぇ。
…そうか…。暁が王子ならば…。宵とは血が繋がってるかもしれないのか…」
独り言のような最後の言葉を、リンガが聞き逃すはずもなかった。
「それ…。どういう事?」
リンガは真剣な顔してシヴァに詰め寄った。
「おおっと!やはりティアン殿は、王家に隠しておられたか!」
ニヤニヤしながらシヴァはわざと慌てたように言った。
「シヴァ」
いつにないリンガの真剣さに、シヴァはふっと微笑むと、人差し指を立てた。
「…王女様、おたくの宰相には気をつけなさい。…というか、信用しちゃ危険だ。
あの男は…この世の王の座を狙ってる。そのためにリドン国を利用しているだけ…。
そう大帝にお伝えくださいな、りー・リンガ王女。
これはシヴァの、王家への恩返しの一つです、と」
その様子をじっと見ていたモンゴネウラは、おもむろにこう言った。
「つまり…。ティアンが大帝に重要な事を隠している…という事だな。
その、例えば宵の素性とか」
「…セド王家の最後の秘宝の正体もね」
シヴァは片目を瞑った。
「お前、何故そこまでこの事を我々に教えるんだ?
…お前と宰相は一体…」
ドワーニが言った。
「ま、察してくださいよ。守秘義務すれすれなんで。
とにかく王女様が欲しがってる男を、タダで横取りするのはちと気が引けたのでね。
それだけ前の大帝に恩を感じてるって事で」

この極悪非道な男が、ここまで前大帝に恩義を感じているとは…。
ん?恩義だけ…?
リンガはその時、娘の勘で理解した。
ああ、この男、お父様の恋人だったんだわ。
まったく、お父様も変わった人間が好きだったから…。
では尚の事、このまま黙ってアムイを取られるのは自分は我慢できない。

「では、お邪魔して申し訳ありませんでしたねぇ。
ま、どうかくれぐれも今の大帝様に、よろしくお伝えくださいよ」
シヴァはそう言うと、片手をひらひらさせてその場を去って行った。
取り残された三人は、しばし呆然とシヴァの去った方向を見ていたが、リンガが突然モンゴネウラを揺さぶりながら、泣きべそをかいた。
「いや、いやぁ!あの男に暁を取られるのだけは嫌!!
あんな変態にアムイが何されるか!思っただけでも腹立たしい!
お願い!!何とかしてぇ、モンゴネウラぁ!!」
「はいはい…。落ち着いてください、リンガ様…。大丈夫ですよ。
このモンゴネウラが必ず何とかいたしますから…。ほらほら、泣かないでくださいね」
モンゴネウラは王女をなだめながら、頭を優しく撫で、背中をポンポンと叩いてやった。
彼にとって、この王女はいつまでたっても小さな女の子なのだ。
「…モンゴネウラ…。お前本当に王女様には甘いんだから…。
ま、仕方ないか。相手はあの吸気士だ。
暁か…せっかくこの王女様が本気になった相手だからな…。
しかも本当にセドの王子なら、奴に好き勝手はさせられんし…・」
ドワーニは、ふと、憧れていたセドの将軍のいつも隣にいた、優しげな微笑をたたえた男の姿を思い起こした。
(セドの太陽か…。印象はまったく違うが…、やはりあの身のこなしといい、顔立ちといい…。
アムイ=メイは、セドの太陽の息子に間違いない…。
あの当時の王子はすでに大罪人…。あのラムウなら彼の息子の義父になるのは、至極(しごく)当たり前であろう。
…しかも、あの【宵の流星】が暁と血が繋がっている、というのなら…彼もまたあの王子の…?
「まさか…な」
ドワーニはふっと笑うと、困った顔で空を見上げた。
「うーん。さて、どうするか…」

アムイ達一行は、ようやくアーシュラの案内で、凌雲山(りょううんざん)の麓までやって来た。
「ここから屋敷まで、ゼムカの警護に知られずに行く事ができる。
ただ、かなり道は険しいが…。ついてこれるか?」
アーシュラはちらりと、イェンランの方を振り向いた。
イェンランはちょっとむっとした。
「大丈夫よ!だって、あの国境にあるシャン山脈を越えてきたんですからね!」
「ほお、勇ましい。…なかなか、気の強い娘だな。
…ま、そうじゃなきゃここまでキイを追っかけてなんか来ないか…」
ニヤッとアーシュラは笑った。
「何よ…」

イェンランはふくれた。
このアーシュラという男、思い出したけど、初めて会った時だって態度悪かったし…それに私を殺そうとしたんだっけ!

アーシュラはイェンランの表情を見て、益々面白がった。
「ふぅん、あともう少し大人の女になれば、キイのタイプだろうな。
何せキイの奴、黒髪で黒い瞳の女には昔から弱かった…」
と言いかけて、アーシュラは隣のアムイをまじまじと見た。

黒い髪に黒い瞳…か。ああ、そうか、なるほどね…。
アーシュラの胸が一瞬痛んだ。
昔はあまり考えてもみなかったが、思い出してみると…。そうだな。
キイが夢中になる女は…どことなくアムイに似ていた。
色が白くて、その肌に映えるような黒い髪。ちょっと小生意気そうだが、芯が一本通っているような女。
だけどいつも長くは続かない。
修行中の身だった事もあるが、あんなに女が好きなのに、いつも一人に絞れない…。
隣で涼しい顔をしているアムイを見ていると、何だか無性に意地悪したい気持ちにさせられた。

「おい、ひよっこ。ちゃんと俺について来いよ」
「ひよっこ?」
いきなりアーシュラにそう言われて、アムイはむかっとした。
「おおそうだよ、ひよっこ。…お前はキイに比べりゃ、まだまだくちばしの黄色いひよっこだ。
ま、腕は確かに上達したとは思うがね」
「アーシュラ…。どういう意味だよ、それ…」
アーシュラはふふん、と鼻で笑った。
「お前、男にキスされて落ち込んでたんだろ?」
「な!なんだよ…昨日の事、何で知って…。お前寝ていたんじゃ…」
「当たり前だろう?昨夜あんなに皆で大声で喋ってたら嫌でも耳に入るよ。
ま、だからさ。お前はまだ修行が足りないって事だ。
そんな事ぐらいでショックを受けてるなんざ、お子ちゃまっだっていう証だよ」
アムイは言葉に詰まった。
「そういう面ではキイは何事にも動じない男だぞ。
特にあの容姿だ。男が多いこの世界、いくらでもそういう場面に出くわしているの、お前だって知っているだろ?
だけどキイの凄い所はまったく表情に出さずに、軽々とあしらう事かな。
普段はガラは悪いし、口も悪いが、いざとなる時の不動心。何があろうと動じない精神力。
それに比べりゃやはりお前はまだガキ臭い。そういう面ではな」
だがそのキイが取り乱す時、いつもアムイが関係しているとは、口が裂けても言いたくないアーシュラだった。
アムイは眉間に皺を寄せ、昨夜のようにまた何か考え込んでいる。
「ま、この大陸では男の方が多いんだ。遅かれ早かれ、そういう事があるのは当たり前なんだよ。
嫌ならそういう風にならないように自分の身を守れよ、ひよっこ」
「…お、お前は平気なのか?というか…」
言い難そうなアムイに、アーシュラはにっと笑った。
「俺?お前だって知ってるだろ?
俺はあの男だけの一族の人間なんだぜ。…周りは男ばっか。
もちろん女も好きだが、最近は特に大陸には女が少ないからな。
あぶれた者は…男とするしかないんだよ。手っ取り早い性的欲望の処理だ。
お前も男ならわかるだろう?」
「それだけか…?」
アムイは何故かむすっとしてアーシュラを細目で見た。

まったくなぁ…。アーシュラは苦笑いした。
キイが言っていたが、本当にこいつは“おくて”だったんだな…。
それがやっと女を抱けるようになって、一人前みたいな顔をしているが…。
ま、他人を寄せ付けないオーラのせいと、キイの庇護のお陰で今まで無事にきてたようだ。
「お前が聞きたいのは、キイの事だろ?はっきり言えよ。
…そりゃ、恋愛は自由だ。男同士でも本気になれば、相手を身も心も独占したいのは変わらないさ。
俺は…ただ、傍にいられるだけでいいけどな…。
特に相手が嫌な事は絶対したくない性分でね。
安心しろよ、キイには手を出す…いや、出させてくれないよ、あいつは」
アーシュラの瞳が一瞬悲しげに曇ったのを、アムイは気がついた。
「悪い…俺…」
「まぁ、安心しろよ。お前もわかってる通り、いくら男だけの一族だからって、キイに手を出す輩なんぞいないから。
ていうか、怖くて手を出せないって感じ?もちろんキイのせいじゃないぜ。
…我が陛下が怖いからさ」
意味深な言葉に、アムイは不安げな顔をしてアーシュラの表情を伺った。
「……俺は陛下に逆らえなかった。あの人は俺にとって絶対だったからだ。
兄であり、尊敬する君主であり…。
だが陛下がキイに本気になるとは思わなかった…。
この四年間、どのくらい自分を抑えてきたんだろう…。
特にキイが意識を封じ、それから毎夜、陛下がキイと寝所を共にしてからは、地獄の苦しみで…」
と、思わず言ってから、アーシュラはアムイの様子にはっとして口を閉ざした。
アムイの目が怒りで赤黒く変色していた。
「寝所を共に?あのザイゼムと?意識のないキイが?」
声も絞り出すような低い唸り声だった。
(あーあ…)
アーシュラは余計な事を言ってしまったようで、思わず冷や汗をかいた。

でも、まぁいいか。
実際あの方の性分では、意識のない人間を無理やり襲う事はしない筈だが(ただし、何もしないという保証もないが)、自分だってずっと苦しい思いをしていたし、同じ思いをこいつにもしてもらったっていいよな…。

アーシュラはそう思い直すと、わざとアムイに悲しい顔をしてみせた。
「…そうだよ。お前も今までキイと一緒に寝てたと同じで、ひとつの寝台でね…。」
アムイはむっと黙りこくって、アーシュラの元を離れた。
背中が怒っているのがよくわかる。
(おやおや、キイが絡むと平常心がなくなるのは、やはり変わっていないか…)
アーシュラは苦笑いすると、この二人の絆について思い巡らした。

…話によると、二人は兄弟。しかもかなり衝撃的な生まれ。
……他人が入り込めない…その雰囲気は、血の繋がりせいなのかと、腑に落ちた自分がいた。
それにも拘らず、今ひとつ、どうも何かがひっかかっていた。
それはキイの心の闇を垣間見た時…。あの時のキイの言動…。
ただの兄弟と片付けられない、深い何か…。それがこの二人に存在しているようで、アーシュラは落ち着かなかった。
そして何となく、先ほどわかってしまったのだ。
キイの、心の闇の一部。
アムイの、心の奥深い所。
それはずっとキイを見続けてきた自分だからこそ、気がついたものだった。
(俺も切ないが、お前はもっと切ないな、キイよ)
きっとこれは、互いの生まれが深く関係しているのだろう。
感情だけではない、魂までのレベルの問題。
上手く説明できないが、二人の抱える宿命が、大きく影響しているのは確かだ。
(“光輪の気”と“金環の気”か…。
引かれ合い、一つになろうとする“気”。なのに、その相反したこの世での現実…。
そりゃ、自分の人生を呪うだろうよなぁ…)
アーシュラは小さな溜息をつくと、気を入れ直した。

「さ、俺について来てくれ。ここから一時間ほどで屋敷に着く。
それから様子を伺って、また策を練ろう」

アーシュラの言ったように、山道はかなり険しかった。
だが、あのシャン山脈を抜けたイェンランには、意外と楽にこなす事ができた。
(あれに比べたら…)
それよりも、イェンランは先ほどから落ち着かなかった。
(本当に…これでキイに会えるの…?)
そう思うと、期待と不安が一緒になって、イェンランの胸を騒がせた。
特に不安のひとつ…。
ただ男性の事が苦手だったのが、今は恐怖症までいってしまっている事実だ。
今でも、男性に触られると気分が悪くなる。
アムイ達はあれから絶妙な距離で、自分に気を遣ってくれているのがわかる。
だからアムイやサクヤに関しては、ある程度、近寄られても平気でいられた。
だが見知らぬ男の場合、触るどころか近寄っただけで、自分は完全に駄目だ。
だからなるべくアーシュラとも距離を置いていた。まぁ、向こうの方から絶対に寄っては来ないけれど。
今は男を感じさせないシータや、年寄りの昂だけが、彼女の傍にいられるのだ。
本当はこんな風になってしまって、涙が出るくらい悔しい。
男の存在に自分が負けたようで、情けなくていたたまれない。
(…もし…もし、キイに会えて、自分が彼に拒否反応を起こしたら…?
私、どうしよう…!あんなに会いたかったキイを…自分が受け入れる事ができないと判ったら…。
多分もう立ち直れない…。一生、男の人を避けて暮らすようになってしまう…)
あの時の恐怖と気持ち悪さが、今でもはっきりと甦る時がある。
だから、イェンランは怖かった。キイに会える嬉しさよりも…。

「イェン」
その時、アムイがいつものごとく絶妙な距離感で、イェンランの隣に来た。
「なぁに?」
イェンランはアムイに心配かけないよう、努めて平気を装った。
「今度こそ、キイに会えると思う」
いきなりこう言われ、イェンランはどきっとした。
「うん…」
「…お前はそうしたらどうする?」
「え…」
アムイは暗い瞳をして言った。
「お前の旅、だよ。大きなお世話かもしれないが、キイにもう一度会うのが…会って確かめるのが、お前のこの旅の目的だったろう?
この目標が叶ったら…この先、どうするか、よく考えていて欲しいんだ。
俺は…俺達は…。生まれがこうだから、この先も必ず危険が付きまとう。それは事実だ。
だから…キイに会ってからでいい。自分のこれからを…」
イェンランはアムイが何を言いたいのか、よくわかっていた。
…そう、今まではただキイに会いたいだけ。それだけで危険も顧みず、皆にも迷惑をかけて、ここまで来た。
あんなにアムイに反対されていたのにね…。イェンランは苦笑した。
「うん、わかってる。心配かけてごめんね、アムイ」
イェンランの言葉に、ちょっと赤くなりながら、アムイは悲しげに微笑んだ。
彼がこのような表情で自分を見たのに、イェンランは驚いた。
いつも眉間に皺寄せてるか、仏頂面か、無表情か…。
いつも尊大で、言い方がきつくて、たまに脅されてるのでは?と、よく思ったものだ。
だけど…。
よく考えると、本当は優しい人なのかもしれない。
あの時だってちゃんと自分を助けに来てくれたし、何も責めはしなかったし…。
そう思い始めた時、いきなりアムイが小さく咳払いした。
「ばか。…心配なんか、誰がしてるか。
とにかく足手まといにだけにはなるな、って言っているんだ」
と、いつもの気難しい顔でそう言うと、さっと自分の先を急いで行ってしまった。

「あはは、いつものアムイだ」
イェンランはアムイの背中を見ながら、自分の気持ちに渇を入れた。
くよくよ考えたって仕方ないか。
とにかくキイに会ってから…。彼に会い、自分のこの気持ちを確かめてから…。
自分の行く道をもう一度、考えてみよう。
今は考えられるいろんな可能性を、精一杯自分の中に溜めておこう。


気がつくと、アーシュラの言っていた屋敷が、目の前にその姿を現していた。


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2010年6月 8日 (火)

暁の明星 宵の流星 #96

「アムイ!しっかりしなさいよ!アンタらしくもない!
あんな変態にやすやすと“気”を吸われて…!!しかも目をつけられちゃったじゃないの!!」
シータが珍しく涙目になって、体が半分自由にならないアムイを、サクヤと抱えながら歩いている。
「…もう、言うなよ…俺だって迂闊だったと…」
アムイがぼそっと言った。本当に情けない。というか死ぬ所だった…。

四人は元いた場所に戻ると、火の回りに各々座った。
「どうしたの?気がついたら皆いないんだもの、心配しちゃったわ」
イェンランが起きていて、不安げに皆を待っていたようだ。
「ごめんね、お嬢。起こしちゃった?ちょっとトラブルがあって…。
悪いけどお茶入れてくれる?
特にアムイには濃いのをね!!」
イェンランはシータの剣幕に不思議そうな顔をすると、軽く頷き、水の入った鍋を火にかけた後、再び皆に振り向いた。
「で、一体何があったの?」


「きゅ、きゅうきし…?なぁに、それ」
イェンランは初めて聞くその名前に首を傾げた。
簡単なシータの説明で、先ほど何があったのかはわかった。
でも、シータの只ならぬ機嫌の悪さ、アムイのいつもとは違う落ち込みように、何だかすっきりしない。

「吸気士(きゅうきし)というのは、名前の通り“気”を吸う者。あまりよく知られていないけれどね。
だって、闇の気術者の部類だもの、ねぇ?老師」
シータはそう言ってむっつりしてお茶をすすった。
「闇の気術者…」
サクヤが眉をしかめた。あの男、あの兄貴をあんなに簡単に…。
「うむ。…気術にも光と闇がある。…あのシヴァは、気術の闇の部分の集大成のような男での。
気術界、寺院、大聖堂のみならず、賢者衆においても、お尋ね者の凶悪犯じゃ…。
気術も医術のように人を診るとき、他人の“気”の調整のために、相手の“気”を吸い取る術もあるのだが…。
奴は元々、他人の“気”を吸う特異体質でな。それを糧に生きているといっても過言ではない」
「え?それじゃ…」
シータと昂老人は同時に頷いた。
「他人の“気”を吸い、糧として、しかもそれを持ち帰り、保存し、また取り出す事ができる…。
しかもその他人の“気”を自分でも使う事もできる。
まるで妖怪みたいな奴なのよ、しかも変態だし」
むっとしてシータは口を尖らせた。とにかくシヴァにかなり恨みがあるらしい。
「さっきから変態変態って…。シータはその男の事、よく知ってるの?」
「そうそう、オレもそれ、今聞こうと思ってた。だっていつもと違うからさ、シータ…。
何かあったの?」
イェンランの言葉を取り次いで、サクヤが尋ねた。
「そんなにアタシ、普段と違う?」
シータの言葉に二人は同時にうんうんと頷いた。
はぁーっと、シータは深い溜息をつくと、今だショックが抜け切れていないアムイを、ちらりと見てから話し始めた。
「…アイツ、一回キイに手を出した事、あるのよ」
その言葉にアムイは青ざめ、一同は固まった。
「何だそれ…。俺は知らないぞ?キイの奴、一言も…」
アムイの口元がわなないている。よほどの衝撃だったようだ。
「口止めされてたし…」
ぶすっとしてシータは呟いた。
「ほぉ?じゃ、奴は初めキイに目をつけたと」
何故か面白そうに昂老人が言った。
「十年くらい前だったかしら?…誰かが、キイの噂を聞いて、シヴァに依頼したらしいの…。
その、稀有な“気”の正体を知りたいから、盗め、って。
キイが襲われた時、ちょうどアタシ通りかかって…」
その答えに、昂老人は眉を寄せた。
「それが誰とは…わからなかったのじゃな?」
こくん、とシータは頷いた。「でもね」

「アイツ、キイに指を絡めただけで、すぐに手を引っ込めて、その後アタシとキイとで、シヴァ相手に大乱闘になったんだけど…。
アイツ…アイツ、アタシの気を吸おうと抱きついてきて!!」
シータはまた涙目になっている。よほど嫌だったらしい。
「ああ、気持ち悪い!!アイツ、アタシのこの綺麗な“おみ足”に口つけたのよ!!
あの変態許せないったら!!」
「指を絡めただけ?本当にキイにはそれだけの被害で済んだんだな?」
アムイが執拗にその部分を確認したがった。
「…というか…キイはアイツに押し倒されて…かなり危なかったけどね。
あの変態は歯の浮くような事をキイに囁いてたけど、でも、キイが顔色一つ変えなかったのは偉いわ」
「お、お、押し倒された!?」
アムイの声が裏返った。
「でも…何でだかわからないけど…シヴァの奴、嫌な顔して…キイから離れたの。
きっと好みじゃなかったんでしょ?それ以降はキイに指一本触らなかったのが不思議だったんだけど…。
でもアタシは…!その代わりにアタシを」
「そうか…」アムイは何となくわかった。シヴァはキイの“光輪”にあてられたのだ。
「アイツはね、ただの変態じゃないの!筋金入りの変態なのよ!」
「はは…は…シヴァの奴は…美人が好きだからのー。ま…変態なのは昔からじゃが…」
昂老人が苦笑いした。
「もぉー、だからさっきから変態って!どう変態なの?」
イェンランが痺れ切らして聞いた。ちょっと興味があるらしい。
「そうそう、それにさっきも思ってたんだけど、ご老人はその吸気士にかなり詳しいみたいじゃないですか。というかお知り合い?」
サクヤも先ほどからの疑問を昂にぶつけた。
「そうよ!老師も何?あの男と本名で呼び合っちゃって…。なんっか怪しい…」
シータも急に思い出して、思わず声を荒げた。
「う、むむ。まぁ、落ち着きなさい…。シヴァ…奴はなぁ。
かなり腕の立つプロの刺客じゃ。その己の特異体質を最大限に生かしとるというか…。
ま、どこにも所属しない、風来坊な殺し屋じゃな。
人の“気”…最後には生命エネルギーを全て吸い取り、相手を死に至らせる。
吸われた本人は、恍惚と共にまるで眠るように死する。
道具を使うわけではないから、殺しの痕跡を残さない…。だから重宝がられる。
…ま、たまに殺し以外に“気”を盗む、という依頼もあるようじゃがの」
「で、それのどこが変態なの?」
今までの話の流れからいって、何となくわかるような気がしないでもないが、若い娘であるイェンランにはどうもよくわからないようだ。
シータはコホン、と咳払いをした。
「…その、ね。アタシ達その後アイツについて調べたのよ。そしたらかなり有名人なんじゃない!ねぇ?老師」
「まぁ、なんだ、確かにその筋にはの…」
昂老人は何となく歯切れが悪い。
「はっきり言うと、アイツの性癖はとんでもないのよ!
普通、吸気士っていうのはさー、相手の身体のどこか一部でも触れていれば吸気できるわけ。
極端な話、髪の毛一房でもいいのよ。ね?老師」
「うう、む。ま、そうじゃな…」
シータにいちいち同意を求められ、昂老人はたじたじである。
「なのにシヴァはね、気に入った相手だと手を出すのよ!吸気する時!」
「手を出す?」
「あ…やはり…」
イェンランはぽかんとしているが、サクヤはあの様子を目の当たりにしていた分、すぐに納得した。
「そうなの。でもアイツは最悪よ。たったそれだけで吸気できるのに、アイツはそれ以上深く触れてくる。
好みの相手を一度簡単に吸気して動けなくしてから、まるで獲物を弄ぶかのように、相手の肉体を貪るのよ。
で、散々自分がいい思いした後、あっさり相手の生命エネルギーまでも抜き取る。
本人は相手にも快楽を与えながら死に至らしめるから、自分は悪い事していないって言い張るの。
そんな外道なのよ、シヴァって」
「げ…。そ、そうなんだ…」
イェンランは身震いした。
シータは一気に喋ってから、ふうーっと溜息をついた。
「…で、もっと嫌なのは、本気になった相手には執拗に追っかけてくるとこ。だから、面倒なのよ…。
で、どうするの?アムイ」
アムイが眉間に皺を寄せながら、ピクッとした。
「う~む。殺しの依頼を受けているとはいえ、あのシヴァが“また来る”宣言したという事は…。
かなりアムイを気に入ったようじゃのぉ。
奴はああ見えて、有言実行タイプじゃからなぁ。必ずまた現れるじゃろ」
「で、本当にご老人の本名って…ポンちゃんなんですか?」
サクヤが興味津々になって訊いた。
「え~?ポンちゃん?うそぉ」
思わずイェンランは吹き出してしまった。
「そーよ、老師の本名を何であの男が知ってるのか、説明してくださいよ」 
「う…。そ、そんなにおかしいかの?わしの本当の名はポン・リャオロン。
皆にはリャオと呼ばせてたんじゃが…。
…それをあやつは昔から、わざとわしの嫌がるのを承知で、そう呼ぶんじゃ…」
昂老人はちょっと赤くなってひとつ小さな咳をした。
「で、何故そんなに互いをよく知ってるかというとな、実はあやつとは…同期門下生だったんじゃ…
しかも同じく特待生としての」
その言葉に、一同驚いた。
「わしは元々身寄りがなくての。子供の頃から北の北天星寺院(ほくてんせいじいん)で修行しててな。
気術の才能を見込まれて、当時の大法師様の推薦で聖天風来寺に特待で入ったのじゃ…。
ま、その時に亡くなった前聖天師長(ぜんしょうてんしちょう)竜虎(りゅうこ)と知り合ったわけじゃが…。
で、同じく気術系特待生としていたのが、シヴァじゃった。
奴もわしと同じで身寄りがなく、南の炎剛神宮(えんごうじんぐう)に世話になっていたそうじゃ…。
しかし、あやつの特異体質は並大抵でなくての、すでにその頃から恐れられておった…」
「ど、同期門下生…って!?老師と同期門下生?
つまりシヴァは聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)出身?
しかも、どう考えたって…嘘でしょ?だってアイツ、どう見たって30代くらいにしか見えない…」
シータは驚きのあまり、声が上ずった。
「…シヴァは、他人の“気”を糧に生きとると同じと言ったじゃろ?
実は第九位以上の自然界の“気”には細胞を活性する特性があって、あやつはそれを他人の生命エネルギーと共に吸引し続け、若さを保っとる。
だが中身はわしと同じ、80過ぎの爺さんじゃ…。それがあやつの恐ろしい所でもあるのじゃがな」
昂老人はそう言いながら、心配そうにアムイをちらっと横目で見た。
アムイはじっと難しい顔をして、黙りこくっている。
「しかもあやつはその性癖が問題となり、特待を切られ、聖天風来寺から出入り禁止をくらっとる。
竜虎なんか、何度危険な目にあったか…。ま、わしは全く眼中になかったようじゃが。
…とにかく、シヴァはアムイの“金環の気”に味をしめとるじゃろ。
しかも今までのあやつの好みを考えると、…見た目もタイプらしいしの、アムイは。
とにかく、なるべく一人になる隙を与えてはいかん」
皆の視線がアムイに集中した。
(兄貴…?何を考えてるんだろう…?)
サクヤは、先ほどから気難しい顔をして視線を落としているアムイの様子が気になった。ずっと何かを考えているようだった。
それとも…男に口付けされた衝撃がまだ尾を引いているとか…?
「そうね、アムイにはアタシ達も気を付けるわ。やっとここまで来て…!
肝心のアムイがあんな変態にいいようにされたら困るわ」
シータはぷりぷりしながら、昂老人に同意した。


まだ夜も明ける前、コツン、と何かがぶつかる音で、南の国宰相ティアンは目が覚めた。
「シヴァ」
のそっと寝台からゆっくりと起き上がると、彼は簡単に長めのガウンを羽織り、音の方へと足音も立てずに近寄った。
「よぉ、ティアン殿」
闇夜を映した窓を背にして、肩までのぼさぼさの銀髪、鋭い灰色の瞳をぎらつかせている、シヴァが立っていた。
「…やけに早いな。…もう仕留めたのか?あの小僧を…」
その言葉に、シヴァはくっくと笑った。
「いや、まだ。その代わりにお前さんに頼まれた、暁の“気”。
持ってきたぞ、受け取れ」
そう言うとシヴァはティアンに掌をかざし、ゆっくりと彼の腕を掴んだ。
ボワッと赤い靄(もや)が立ったかと思うと、ティアンの腕にその靄が吸い込まれていく。
「こ、これが…暁の“金環の気”か」
「かなり美味だろ?」
シヴァはちろりと上唇を舐めた。
「私はお前じゃないから味なんてわからないが、…確かに…極上の“気”だな…」
ごくり、とティアンは唾を飲み込んだ。
「これだけありゃ、お前さんの研究のサンプルには余裕だろ?」
ニッとシヴァは笑った。
「ああ…。もちろんだ。この分の報酬はきっちり払う。
で、あの小僧の命の方はいつ…」
「悪いがそれは反故にさせてもらう。
俺の他にもあいつの首を狙ってるのは結構いるんだろ?
別に俺じゃなくたって…」
ティアンの目が細くなった。
「…お前まさか」
「そうだよ。俺は暁が気に入った。
あいつを殺すのはもったいない。…俺のものにして…そうだな。
飼い殺しっていうのも悪くねぇなぁ」
シヴァはニヤニヤしながら顎を触った。
ティアンは溜息をついた。
「…まったく…。お前といい、あの王女といい…。
暁を殺すなと。自分にくれ、と。……ふっ…。
…私としては奴は目障りなだけだから、宵の君の前から姿を消してくれれば、それでかまわないが…。
その代わり報酬はこの分削るからな」
「ほぅ、王女って…リドンの王女さんかい?あの色っぽい」
「そうだ。…何で暁にこうも執着するのか、私にはわからないが…。
…まさかお前もとはなぁ。
私は10年前、てっきりお前は宵の君をものにしてしまうのでは、とヒヤヒヤしていたが…」
シヴァは眉をしかめた。宵の君…キイ=ルファイか。
「は!ものにしたいのは、お前さんだろう?
俺はもう御免だ。姿かたちは美しいが…。あいつの持っていた“気”。
あれは何だ?あんな毒にも薬にもなるような…。
昔馴染みのお前さんがどうしてもサンプルとして欲しい、と言うから、二度と行きたくもない聖天風来寺まで行って…。
しかもあのキイとかいう奴。…若造の割に肝が据わってやがって、全く可愛げがねぇ」
シヴァは口を尖らせ、顔をしかめたが、次の瞬間うっとりするような顔をした。
「その反対に相方の暁はいいねぇ。もっと早く味見しとけばよかったよ。
初々しいというか、抑えた色気があるっていうか…。それ以上にあの芳醇な“気”。
あの若さであんな“気”を持っている奴は…長く生きてきて初めてだ」
ティアンは先ほどシヴァから貰ったアムイの“気”を手の上に取り出し、丸め始めた。
「その暁の“気”。…お前さんは多分、あの宵の“気”のために使うんだろうが、…本当に不思議な二人だ。
俺も長くこういう事をしているが、今まで遭遇した事もない。
……あれが伝説の…セド王家最後の秘宝の正体か?」
「宵の君の事か?…彼はセド王家の生き残りだ。これは当時セド王家に関わった者しか知らぬ事だ。
私の初めての師匠、マダキ殿が一度彼を解放している…。それでセドは滅びた。
この話は当事者以外は全て口を閉ざした。…私はずっと、彼を捜し続けたのだよ。
…まさか聖天風来寺にいたとは、近すぎてかえって見落としていた。
ま、長年この研究を続けている成果が、もうすぐ実を結ぶ。
そのためには、あの小僧の存在が邪魔なのだ。…これで奴の“金環の気”も手に入った。
後は好きにしてくれ。まあ、お前に狙われたら、暁の奴も逃げられないだろうしな」
シヴァは何か言いたげに、じっとティアンの様子を伺っていたが、ふっと笑って窓を開けた。
「では、宰相殿。金は後から取りに来る。…ま、暁の事はまかせとけ。
それじゃ…」
シヴァはそういうと、軽々と窓を越え、部屋から出て行った。
「…ふ。相変わらずだな。まぁ、奴に任せとけば大丈夫だろう。
…とにかく…私も急がねば…。早く宵をこの手にしなければ…。
夜が明けたら必ずザイゼムの奴から、宵の場所を聞きだして…」
そう。南の国のティアン宰相は、今、カウンの村にアムイ達と入れ替わりに来ていた。
キイを隠している、ゼムカ族の王に会いに…。
今のティアンには、キイの事しか頭になかった。
あの、天の“気”、光輪…。今だかつて、この地に降りた事のない神の力。
そしてあの美しい子供が成長し、この世のものとも思えぬほどの優美で妖艶な姿で存在している事実が、ティアンの欲望を益々かき立てていた。
(欲しい…!今度こそ絶対に手に入れてみせる!!)
ティアンは自分の拳に力を入れた。
(宵を支配し、この大陸に君臨するのはこの私だ。誰にも渡すものか…!!)

(まったく…あの、姫さんが暁を所望してるって…?)
闇夜を駆け抜けながら、シヴァはティアンの言葉を思い出していた。
(これはちょっと面倒かもなぁ。…まぁ、ちょっと挨拶がてら宣言くらいしておくか)
シヴァはニッと笑いながら、闇の森に消えて行った。

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2010年6月 5日 (土)

暁の明星 宵の流星 #95

「そう、“気”を凝縮したら、それをゆっくりと手の中で…小さく丸めて。
うん、いいぞ。なかなか筋がいい」
サクヤはアムイの言われたとおり、神経を集中させ、己の“気”を使い両掌でボールを作った。
だが、気力が続かず、作った“気”のボールはすぐに壊れる。
「ふぅ」
「さっきよりはよくなったな。
これを毎日鍛錬すれば、かなり気力も大きさも維持できるようになる」
「へぇー!珍しい、アンタが人に教えてるなんて…」
アムイの背後で、シータの感心したような声が飛んだ。
サクヤはにっこりと笑った。アムイは何だか、気まずそうな顔をしている。
二人が“気”の訓練中、微かな“気”を感じ取ったシータが様子を見に来たのだ。

ここはカウン村から少し離れた森の中だ。
アーシュラの体が動くのを待って、一行は凌雲山(りょううんざん)に向かう途中だった。
馬に乗って半日で着く場所だが、アーシュラの提案で、正面からではなく、遠回りだが東側にある麓の道を目指す事になった。
何故なら、そのまま最短で行く正面の麓には、ザイゼムの父の隠居後の屋敷がある。
できればゼムカに知られないように隠れ家まで辿り着きたい。
だからあえて多少時間はかかるが、遠回りして行く事にしたのだ。

もうすでに日は落ち、イェンランもアーシュラもすでに火の傍で就寝している。
早寝である年寄りの昂老人(こうろうじん)は、珍しくまだ起きていて、何やら書物を開いている。
そこから少し行った所で、サクヤとアムイは“気”の訓練をしていた。

「何かアンタ達、随分と打解けてるみたいじゃない?いい事だわ」
ニヤニヤしながらシータは二人を交互に眺めている。
アムイは益々、仏頂面になる。
「よかったわねぇ、サクちゃん!アムイが人に教える事なんて滅多にないのよ。
聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)きっての秀才がさ。
第十最高位・王の気である金環(きんかん)の“気”をすでに修得しているアムイに、教えてもらいたかった後輩がかなりいたようだったけど。
上からの命令以外で、教えてるのは初めてじゃない?アムイ」
アムイはジロリとシータを睨んだ。
「全く!少しは変わったかと思ったら、その愛想ないのは相変わらずね」
「そんなにすぐに変われるもんか。長年積み重なった性格が、一朝一夕で」
「ふーん、どうかしらねぇ」
「何だよ…」
不穏な雰囲気の二人に、サクヤが慌てて間に入る。
「あ、あのっ!オレ、まだ気術に関してはほとんど知識ないっすけど、“金環の気”って、そんなに凄いんですか?」
アムイを軽く睨んでたシータは、横にいるサクヤに振り向くと、にこっと笑った。
「そうよねぇ、一般の人にはほとんど関係ないものね、気術って。
あのね、術者や武人が習得する“気”というのは十段階に分かれていて、最低位の第一位の気は、今のサクちゃんが訓練していた、己の“気”の事なのよ。人には各々、生命エネルギーという物があって、それは一人一人微妙に違うの。うーん、個性、というのかしら?その人個人のね。
それが最高修得者になると、判別できるので、個人を特定するのにとても便利。但し、その相手を知ってないとできないけど。
で、修業していくと段階があって、それが第七位くらいの修得までは皆同じ。このくらいになると、大体“気”を取り扱えるようになるわけ。
よく、アタシ達がする、簡単な波動攻撃とか、変化させて物壊したり、色を付けたり、発光させたり…。ま、己の“気”で様々な事ができるわけ。鍵壊したり、色玉作ったり、簡単な灯り作ったりね」
サクヤは桜花楼(おうかろう)でアムイが作った様々な物を思い出した。
「じゃあ、よく武人達が戦いに使う特異な“気”って…」
アムイがボソッと言った。
「それは第八位からの…。これからが本当の“気”の修行なんだ」
「本当の修行?」
その時、シータがいきなり“気”を凝縮し始めた。
彼の瞳が緑に染まる。周りの木々がざわめき始めた。
「シ、シータ?」サクヤはぎょっとした。
シータの身体の周辺が、様々な緑のオーラで彩られていく。彼はゆっくりと片手を上げた。
その緑色のオーラが彼の指先に集中し、丸い、巨大な玉となっていく。
周辺の木のざわめきが大きくなる。よく見ると、その木々から、薄緑の空気がシータの身体に吸収されている。
「おい、もうその辺で止めとけよ」
アムイがぶすっとして言った。
「はいはい」
シータはそう言うと、徐々に気持ちを緩めるようにゆっくりと呼吸を始めた。
先ほどの緑色の“気”の玉がしぼみ、彼の瞳の色も元に戻り、木々も静まった。
「い、今の…」
「シータは、“木霊(こだま)の気”の修得者で使い手だ」
「そ。アタシのは第九位、“木霊の気”」
「こ、こだま…?」
サクヤはごくりと唾を飲み込んだ。今まで、アムイの波動攻撃は何度も見ていて、その破壊力は知っている。
赤い、でも炎とは違う、純粋な赤い色。容赦なく繰り出される赤い光…。
でも今見た、緑色の“気”をも目の当たりにして、その迫力に言葉を失った。
「第八位からの修行は、特異気術。己以上のエネルギーの応用だ。つまり、他力を利用する」
「他力…」
アムイは目を閉じ、神経を集中させた。木々がざわめき、空気が流れる。そして、微かな振動…。
それは深い大地の底から、響いてくるような、鼓動。
「…だ、大地が…鳴ってる…?」
サクヤは思わず自分の足元を見た。本当に、微かな振動。
そしてどこからともなく、耳元に雨だれのような水音。炎の臭い。コツンコツンと小石の跳ねる音。
「な、何?…これって…」
アムイの周辺が不思議な空間に包まれていた。
空気が、オーラが、アムイの身体から優しく放たれて、それに周囲が呼応してるかのようだ。
シータがじっとその様子を見ながら、おもむろに口を開いた。
「第八位、人も含む動物の“気”。第九位、自然界五行…つまり五光(ごこう)の“気”」
「し、自然界…五行?五光の“気”?」
シータも目を閉じ、アムイの放たれている“気”と、周辺の自然界の“気”の呼応に集中した。
「自然界にある…エネルギー…。
五行、すなわち、火・水・土・木・金…基本特徴をそれぞれ持つ、自然界五光の“気”。
“煉獄(れんごく)”…地獄の浄化の炎。火の属性。
“水竜(すいりゅう)”…ほとばしる命の源の水竜…水流。水の属性。
“鉱石(こうせき)”…頑丈なる意思…石。土の属性。
“木霊(こだま)”…命育みし霊性を司る。木の属性。
“鳳凰(ほうおう)”…風を伴う、金脈の霊鳥。金の属性。
これがこの世の自然界の基本よ。この自然界の“気”を自らの“気”と融合させ、力を借りて世に放つ。
そしてその集大成であり、全ての“気”の頂点である、第十最高位、王者の“気”金環(きんかん)。
この大陸で、習得した者は十人といない…。それだけ難しい壮大な“気”」
アムイはふっと“気”を緩めた。先ほどの空気の揺れも、大地の振動も、水や石の音、火の臭いが全て消えた。
サクヤはその様子を呆然と見ていた。鳥肌が立っている。
まるで…常人が見てはならないものを、垣間見てしまったような…そんな気持ち…。
「特に最高位“金環の気”は全ての集大成。これを習得するにはかなりの年月がかかるのよ。
だからこの若さでこの“気”を持つ、アムイはかなり異例よね」
シータは目を開け、サクヤに微笑んだ。
「そ、そうなんだ…。そんなに凄いことだったの…?大陸で十人といないって…」
「“金環”は“金冠”…つまり冠。王の事なの。この世に存在する全ての“気”の最高峰」

そう…それはこの大地の…大陸そのものの…エネルギー…。
アムイはそっと心の中で呟いた。

「アムイはきっと、この“金環の気”に順応しやすい…性質の“気”を持ってるのね。
たまにいるのよ、その様に己の“気”が属性に順応しやすいものを持って生まれた、才能のある者が」

アムイはシータの言葉に頷いて見せたが、本当は違う事を、口が裂けても言えなかった。
己が…己自身が、キイと同じく、その他力の“気”を持って生まれた人間だとは、きつくキイに口止めをされていた。
キイの稀有な“光輪の気”は、その存在が近いうちに知られるだろう。
キイはそれを覚悟していた。己個人の“気”自体が“天の気”であるキイ…。
何故なら、己の生まれを、その“気”を手にするため巫女と通じた事を、知っている者は…全くいない訳ではないからだ。
だが、自分は違う。そうキイは言っていた。
詳しい説明を彼はしてくれなかったが、とにかく自然界の“気”を個人そのまま持って生まれたのは、例がない事もあって、周囲に知られるとよくないらしい。
…元々最高位“地の気”を、個人の“気”として持って生まれたアムイは、キイと同じく、かなりの使いこなしを要求された。
“金環の気”の安定の性質のお陰で、アムイはキイみたいに制御不能を起こした事もないが、それを臨機応変に使う事ができなかった。
ただ、キイの“気”を、受け、流すだけ。完全な受身だった。
特に精神力に影響されやすい気術は、その時の精神状態にも左右される。
元々その様な凄い“気”を持っているからといって、初めからそれを使いこなせる訳もない。
アムイはキイと共に、聖天風来寺に来てから三年後、門下生として修業を始めた。
だが、その素質を持っている者は通常よりも飲み込みは早い。
アムイは第一位から、第十位まで、通常二十年以上はかかる修行を、たったの六年で修得してしまったのだ。
もちろんアムイの勤勉で努力家の性格も大きかったが、真実を知らぬ者は驚愕した。


「己の“気”が属性に順応しやすい…?という事は人によって習得する“気”が違う…?」
サクヤがポツリと呟いた。シータはそれを受けて説明した。
「そうなのよ。実は第九位からの“気”は、属性というものがあって、個人の“気”の相性で修得できる五光の“気”が決まる。
だから私は木の属性である“木霊の気”と融合しやすい、“気”を元々持っている、という事。
そうやって、個人の“気”は、その特性によって、それぞれの相性のいい属性の“気”を身に付けられる。
中には、一人で、何個も属性に対応できる人間もいるけど、だいたいは賢者クラスよね、昂老師のように…」
「お、奥が深いんですね…。気術って…」
サクヤは溜息を付いた。このクラスにまでなるには、一体どのくらいの年月がかかるのか。
「そうだ!ねぇ、サクちゃん。
気術を本格的に習うんだったら、やはり聖天風来寺に入門した方がよくない?
ねぇ、アムイ」
「え!ええっ!?待ってくださいよ!そんな大それた事…そんな簡単に…」
突然のシータの提案に、サクヤは慌てた。

天下の聖天風来寺…。そりゃ、強くなりたい者は必ず目指したい武人の聖地…。でも…。
「で、でもオレ、金もないし、入門試験もかなり厳しいらしいって…。何せ合格するまで何年もかかるのが通常だと…」
確かに、聖天風来寺に一般入門するのには、かなり狭き門である。
入門試験も、十代までなら可能性で選ばれるが、二十代過ぎれば、かなりの実力を持っていないとなかなか合格しない。
しかし一度合格してしまえば、最低15年は修業を保証してくれる。
基準レベルに達する事ができなければ、何年も無料延長可能だ。
それ故に15年分の修業(生活も含む)分の布施(料金)も、半端なく高い。
聖天風来寺とてボランティアではない。それを維持していくには何でも費用がかかるのだ。
だからこそ聖天風来寺に一度入れば、滅多な事で破門せず、最低15年は最後まで面倒をみてくれるのだが。
ちなみに聖天風来寺は名前の通り、基本は寺院である。
武人育成、修業場の他に、ちゃんと僧侶育成も行われている。
この場合僧侶は、天と神に使える者として優遇され、補助が出るので無料である。

シータはサクヤに目の前で人差し指を振って見せた。
「特待制度、使えばいいのよ」
「へ?とくたい…制度?」
サクヤはきょとんとした。
「意外と世間様には知られていないのよねー。この制度。
ま、だいたいが身分の高い人や金持ちのぼんぼんが使うのが多いからねー。
アーシュラみたいに国家のために使うのもいるか。
この特待制度、一定の基準を満たしていれば、修業内容、期間、全て都合よく決められて修行できるの。
もちろんテストはあるわよ。でもサクちゃんクラスなら楽勝でしょ。
問題の費用は、奨学金制度を使えばよいし…。ねぇ、アムイ?」
アムイはシータの話をじっと聞いていたが、ゆっくりと頷いた。
「そうか…。確かにその方が都合よく学べるな…。
だが、特待制度、奨学金制度を使うには、後見人兼保証人の推薦がないと駄目だろ?
それはどうする…」
「あら、いるじゃない。凄く適任の人が」
遠くで昂老人のくしゃみする声が響いた。
「あ、なる…!爺さんなら簡単にパスだな」
アムイが口の端でニヤッと笑った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!そんなご老人にも迷惑じゃないですか?勝手に決めないで下さい!」
するとアムイは真面目な顔をして言った。
「お前…もっと強くなりたいんだろ?なら、やはりきちんと修行した方がいい。気術も武術も」
「でも兄貴…」
「いいじゃない、サクちゃん。まーこれからもアムイにひっついていたい、って思うんだったら、修行した方がいいわ」
「おい、シータ…」
アムイが妙な顔をした。それをちらっと横目で見てシータはふふん、と鼻で笑った。
「やーね、何照れてんのよ」
「て、照れてない!」
アムイはそう怒鳴ると、突然くるりと反対方向に向いた。
サクヤはポカンとアムイを見た。こ、心なしか耳が赤い…?
シータは腕を組んでニヤニヤしている。
「ま、そういう事だ。俺はちょっとそこら辺散歩してくる。
先に寝ててくれ」
後ろ向きでそういうと、アムイは返事も待たずに、スタスタと皆のいる反対方向に歩いて行ってしまった。 
「あ、兄貴…?」
「かーわいいの、アムイって。あんな一面あるのかー。
サクちゃん、アンタ、アムイにかなり気を許されてるのね」
今度はサクヤが赤くなった。
「本当に?そう思います?」
「うんうん。最近特にね。いい事だわー。だってアイツ、本当にキイ以外の人間と関わらなくってさ…。
キイは喜ぶんじゃない?アムイに同年代の友人を作ってやりたくて、いつも撃沈していたから」
「友人なんてそんな…」
「ま、キイをめでたく救い出したら、考えましょうよ。聖天風来寺の件は。
でも、本当よ。アムイとこれからも一緒にいたかったら、きちんと基礎を学んだ方がいい」
シータはポンっとサクヤの肩を叩いた。
「は、はい…」
サクヤはきゅっと口を結んだ。ずっと傍にいたいのなら…。
確かにそうだ。この先、何があるかわからない。
その時自分が足を引っ張ってはならない。
ふと、サクヤはアムイの相方である、キイの事が凄く気になった。
あの兄貴と同じく強くて、二人でいると、無敵に強いという…。
桜花楼(おうかろう)ではちらっとだけしか姿を見た事がない。噂は聞いてるけど…。
「ねえ、シータ。キイさんって…どんな人なんですか?その…戦いぶりとか…」
「キイ?アイツ?」シータの片眉がピクリとした。
サクヤは前に、シータとキイは犬猿の仲という話を、どこかで聞いた気がしたのを思い出した。
(ま、まずい事…聞いちゃった?)
一瞬、サクヤはそう思ったが、シータはふぅと溜息を付くと、小首を傾げた。
「アイツはねー。普段普通にしてると、柔和な雰囲気でー。
目、おっきくて、ちょっと垂れてるのね、よく見ると」
「は、はぁ…」
いきなり容姿の話を始めて、サクヤは面食らった。…いや、そうじゃなくて…戦い振りを…。
「いつも牽制してるんだかなんだか知らないけど、男が相手だと口悪くって柄悪くって、そりゃーもぉびっくりすると思うわ。
でも本当は意外と温和なのね。黙ってると儚い風情、というか。
その柔らかな雰囲気はまるで、血統書つきの大型犬みたいなのよ。
それが尻尾振って、アムイにいつもまとわり付いている感じ…?」
「え…い、犬?」
サクヤは余計面食らった。血統書つきの犬…ですか。
「でも、それがね。戦いモードになると、印象ががらりと変わるの。
オーラも顔つきも。目なんて特に、釣りあがってさー。
キイの戦いはアムイとちょっと違うわね。見たら多分驚く。
二人とも、身のこなしが優雅で品があるんだけど、アムイの場合は人としての優美さ?
でもキイはね…。何ていうの?その、戦いにスイッチが入ると、まるで猛獣みたいになるの。
…猫科の猛獣?野性的で大胆。容赦ない剣さばき。
あの稀有な“気”が使えない分、顔に似合わず激しいわよー戦い方。
ああ、見せてやりたい!」
シータの説明にサクヤは益々興味が湧いた。
【恒星の双璧】…か。二人が戦ってる所を、この目で見たい…。
「でも、性格はねー。アイツ女には手は早いわ、プライド高いわ、奔放だわ、やんちゃだわ。破天荒で血の気が多くて…。
全く何であんなヤツがもてるんだかわからないわよ。
いつも迷惑かけれらてたアタシは…」
ぶつぶつとシータは文句言い始めた。
「あ、ありがとう、シータ。そ、それから聖天風来寺の詳しい事なんだけど…」
サクヤはこれ以上、彼がヒートアップしないよう、別の話に切り替えた。

闇の箱を開けたからといって、すぐに解決するものではなかった。
ただ、己を縛り苦しめていた様々な原因が、明確になった事でアムイに向き合う覚悟を作らせた。
だからまだ、不眠症は治らない。かえって今までの感情が襲ってきて、もっと酷い状態になっている。
だが、これも全ては膿み出し。そう思って、アムイはひとつひとつ手放そうと必死だった。

そう、自分がこの闇を抱えたままだと…。
あの、キイの巨大な“気”を、あの時のように受け損なう恐れが大きい。
精神に影響してくる“気”の制御。
自分はかなりの訓練をして、精神統一は得意となったが、それもキイに比べるとまだまだだった。
キイのような強靭な精神力。アムイははっきり言って羨ましかった。
それは、彼が生まれたときから苦痛を伴い、あの神気と戦ってきたからこそ。
多分、キイ以外、この“気”と戦える者はいないのではないだろうか。
幼い時から間近で見ていたアムイには、よくわかっていた。
だがそれも、その“気”が暴走すると取り乱す。自分を求めて苦しみのたうつ。
それがわかっているが故、アムイはいつもその彼を受け止めれるようでなければならなかった。
普段の互いの“気”の交流は、可愛いものだ。
例えればスキンシップみたいなものだ。
だが、あの時のような状態になってしまったら…。
あの強大で激しい光の渦を、完全に受け止められる事が、果たして自分はできるのだろうか?
多分、きっと、そのために自分は“金環の気”を持って生まれた。
キイのために。キイを補助するために。
そのために心に巣食っていた闇を、何とかしなければならなかったのだ。
まだまだ己の精神修行は続く。あの時の二の舞にはしてはいけない。
キイのためにも。世界のためにも。…自分のためにも。

考え事をしていて、アムイは隙を作った事を後悔した。
近くに殺気を感じ、剣に手をかけようとした時だった。
すっと音もなく、アムイの背後に男が立った。
振り向こうとした瞬間、いきなり身体の力が抜けるような感覚がアムイを襲った。
その男は、アムイが剣を抜こうとした手を、掴んでいる。
そこから不思議な感覚がする。まるで…力を吸い取られているような…・。
いや、まさか…。

「それ(剣)を抜かれたら、俺が困る」
耳元で男の低い声が響いた。
「だ、誰だ…?」
男の息遣いが耳から自分の首筋に移る。
「お前が【暁の明星】だろ?“金環の気”の使い手…」
アムイの体が、まるで金縛りにあったように動かない。
「だったら…どう…」
アムイははっとした。自分の命を狙う刺客の存在…・。まさか…。
しかもこの男は只者ではない。それはアムイにもわかった。
「俺を…殺しに来たか」
男が喉の奥で笑った。
その瞬間、アムイの首筋に生温かい感触が悪寒と共に走った。
男はぺろりとアムイの首筋を舐めると、笑いを含んだ声で言った。
「美味そうだな」
ぞくっと、アムイの背中に冷たいものが走った。
「噂の暁がこんなに若くて綺麗だとは、俺もついてる」
男はアムイを背中から抱きしめた。
自分よりも頭ひとつ大きな男は、すっぽりとアムイの身体を覆った。
アムイはくらっと眩暈がした。何だ…?こ、この感覚は…?
自分の“気”が、男の身体に吸い取られていく感覚。まさか、こいつ。

男は口元に薄笑いを浮かべると、アムイを自分の方に向き合わせた。
アムイは朦朧し始めた状態で、男を見上げた。
男の、鋭く冷たい灰色の目とぶつかった。
「暁…お前には恨みはないが、悪いな。命を貰うまで、お前さんをいただくとするよ」
「…?」
「久々に極上な“気”だな。しかもお前は美しい。役得だね、今回は」
男はそう言うと、いきなりアムイの唇に自分の唇を押し当てた。
「!!!」
アムイは逃げようともがいたが、全く身体に力が入らない。
それよりも男の唇は執拗にアムイを攻撃してくる。
そこからどんどん、自分の力を吸い取られていくようだった。
アムイは気が遠くなりそうだった。
何とか…何とかこいつから逃げなくては…!
動かない手に意識を集中させ、アムイは力を入れようと試みた。
だが…。
(吸い取られていく!)
初めての恐怖だった。
己の“気”が、この男によって吸い取られていく。このままだと…。
そう、このままだと生命エネルギーを持っていかれ…すなわちそれは…死…。
アムイは焦った。
(キイ!!)


「離れなさい!!」
その時、二人を緑の波動が襲い、気付いた男がアムイを抱えたまま、それを避けて転がった。
男は波動攻撃のあった方向を見て、ちっと舌打ちをした。
「吸気士(きゅうきし)シヴァ!アムイから離れなさい!まさかアンタが出てくるとは…!」
「よぉ、シータ。相変わらずべっぴんさんだなー。怒った顔もなかなかそそるな」
「…早くアムイを離して。…で、今度は誰から依頼されたの?
アムイを狙ってるのは誰!?」
シータは剣を構えた。シヴァはふ、と笑いながら、一人で立ち上がった。
「おお、怖い。それは守秘義務があって、死んでも言えねぇや。いくらお前が美人でも断る」
シヴァはぼさぼさの自分の銀髪をかき上げた。
「シヴァ…お主…今度はアムイに目をつけたか…」
シータの後ろで、呆れたような声がした。
いつの間にか、昂老人が立っていた。
「あれ、ポンちゃんまでいたんだ。…まったくチビなのは変わってねえなぁ」
シヴァはニヤッと笑った。
「む…。ポンちゃん、って本名で呼ぶな。今のわしは昂極大法師じゃ。まったくいつもながら失礼な奴め」
「ふ~ん、こりゃますます面白い。ますます暁が欲しくなった。
それじゃまた来るわ、ポンちゃん」
シヴァはそう言うと、まるで風のようにその場を去った。


「また来るって…!!」
シータは憤怒した。
「アイツ、アムイに今度は何する気よ!?あのド変態!!」
「う、むむむ…」

「兄貴!」サクヤは心配してアムイに駆け寄った。
アムイは気力を少し取り戻し、半分その場で起き上がるように蹲っていた。
「兄貴、大丈夫…。あ、あにき?」
サクヤはアムイの顔を覗き込んで絶句した。
顔色が真っ青だ。目も焦点が合っていないほどで、かなりのショックを受けているのがわかる。
「兄貴…身体の方は…」
「…れた」
「え?」
「…男にキスされた…」
アムイのショックはただならぬ程だった。
「え?そこ?ショックなのはそこ?」
思わず口に出してから、サクヤははっとして手で口を覆った。
アムイの目が殺気を帯びて、サクヤを睨んだからだ。
アムイは自分の唇を懸命にごしごし拭って、地獄の底から唸るような声で、一言呟いた。


「あの男、舌まで入れやがった…」


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2010年6月 1日 (火)

暁の明星 宵の流星 #94


その10.目覚め


長く、深い眠りから、今、目覚める時が来た。
心の奥底で埋もれしものの、再び起き上がる力を感じよ。
それはずっと…誰もが待ち焦がれた目覚めの時。

その晩は珍しく月が昇っていた。まるで王冠のような月… 。
凌雲山(りょううんざん)にある、ゼムカ族の隠れ家から、灯りが少しずつ消えていく。
ここは元々、ザイゼム王の生母…すなわち、アーシュラの母の持ち物であった。
今は、麓のザイゼムの父親の屋敷と周辺には民が控え、ここには王と、お付きの者、護衛数十人…そして、王の大切な人間が居た。

「…それでは…後はお願いします…陛下」
ルランはザイゼム王にゆっくりと頭を下げた。
その表情は、少々暗い。
ルランは自分が全く成長していないのに、心の中で苦笑した。
宵の君が心を閉じてから…三年以上は経つというのに…。
もう諦めているはずだったのに…。
やはり、こうして自ら、宵の君を陛下にお渡しするのが…自分にとって、こんなに苦しい事とは…。

寝台の上には、まるで人形のように横たわる、半裸の美しい姿があった。
その傍で寝台に腰掛けるようにして、ザイゼムが自ら絞ったタオルで、彼の身体を拭いていた。
「うん。ご苦労だった、ルラン。…ゆっくりお休み」
ザイゼムの声は、普段よりもとても優しく、ルランの耳をくすぐる。
一瞬、狂おしいほどの羨望が、彼の心に沸き起こった。
だが、ぐっとルランはそれを堪えた。
「お休みなさいませ、陛下」
ルランはそっと扉を閉じた。途端に涙が込み上げてくる。

キイが意識を封じてから、こうしてザイゼムは毎晩、彼の元を離れない。
ザイゼムが緊急でキイの傍に居られない時以外は、この三年…ずっと…。

我が陛下は毎夜、自分の寝床に宵の君を寝かせ、たまにああして自ら彼の身体を清める。
それからは、他の者に決して触れさせないよう、誰かに奪われないよう、つきっきりで共に就寝するのだ。
まるで親のように、夫婦のように、恋人のように…、慈しみながら彼と寝所を共にする。
それがルランには寂しく、辛かった。何故なら…。

王の寝所に呼ばれるのは、3年前まではいつもルランだった。
まだその時の彼は幼くて、大人の付き合いが充分にできなかったが、宵の君が来られる前は、あの逞しくも広い胸に抱かれて眠るのはいつも彼だった。その時、ザイゼムはいつもルランの耳元で、囁いてくれたのだ。
《お前が16になったら…私を受け入れるか?》

男も女も見境がない、奔放で絶倫、という噂のザイゼムだが、意外と紳士的であった。
いや、もちろん若いときはかなり羽目を外してはいたが、今現在大人の彼には、プライドもあるのだろう。
夜伽に関しては決して無理強いはしなかった。
実はそれが、ザイゼムが他の権力者と違う所だった。
豪傑で冷淡、気ままで自由奔放、厭きっぽい、という世間の噂を持ってしても、夜の彼は大人の包容力で相手を魅了した。
そのギャップに触れた者は、皆、彼の虜になるほどであった。
今まで誰にも本気になった事がない…。それは周知の事実であり、何人も相手を変えてきた事からわかる。
だからこそ尚更、誰もがこの気まぐれな王の、真実の唯一人になる事を切望した。
もちろん、ルランだってそうだ。

だが4年前、【宵の流星】を連れてきてから、王は変わった。
最初の一年は普段通りだったが、いつも近くで彼を見ているルランには、ザイゼム王の変化がはっきりとわかっていた。
宵の君を見る眼差し。かける声すらも。もちろん彼に対する態度も。

ルランは自分の部屋に帰ってから、声を殺して泣いた。
今まで、ずっと我慢していたのが、ここにきて溢れ出した。
ルランは辛かった。
王を心から愛している。この気持ちは真実だ。
待ち焦がれていた、あの約束の年齢を、もうすでに越えていた。
もう自分の事は忘れられているだろう…。
この事実も悲しかったが、それ以上に彼を苦しくさせたのは、その宵の君だった。
(宵の君を憎めればよかったのに…!!)
ルランはシーツに顔を埋めた。
(あの方を嫌いになれれば…。自分はもっと楽だったに違いない…)
前にも仲間に言われた事がある…。
《陛下の寵愛を独り占めにしている人間に、嫉妬とかないの?》
もちろんないと言ったら嘘になる。事実、さっきも嫉妬と羨望でおかしくなりそうだった。
だが…。
(陛下が宵の君を心から愛しているのがわかる…!だからこそ辛い…。
あの様な陛下は初めてだ…。
もし、もし宵の君を失ったら…一体陛下はどうなられるのだろうか?)
その事を考えるとルランは居た堪れなくなる。
今は、己の嫉妬よりも、愛する王の胸の内を思って、むせび泣いた。

「痩せたな…キイ」
ザイゼムは思わず呟いた。
キイの身体を拭き終わると、ザイゼムはいつものように彼の隣に身体を横たえた。
彼は顔を横に向け、うつ伏せになっている。真っ白で傷一つない、美しい背中が露になっている。
ザイゼムは優しく彼に触れながら、その背中にそっと口付けを落としていく。
(…全く反応なし…か…)

当初、キイが意識を封印したばかりの時は、普通に生活はできていた。
ただ、心だけが無かった。
だが、どんどん意識が沈んでいき…肉体までも機能を閉じていくのに、ザイゼムは恐怖を感じた。
このまま…このままずっと意識がなくなり、身体も動かなくなり…もう、自分の元に戻らないのではないか、という恐れ。
だからこうして毎晩、彼の反応を知るために、そして外からの刺激で意識の沈みを少しでも止まらせたくて、ずっとキイに触れてきた。
最初は触れる度、体が本能的にピクリと反応して、彼を少し安心させた。
だが…今月に入ってからは、全く彼の肉体は死んだように動かない。
ザイゼムはいたたまれなくなって、キイをいきなり上向かせると、自分の腕の中に抱きかかえた。
キイの、甘い花の香りがザイゼムを包む。
ザイゼムはキイの柔らかな髪に顔を埋めた。
何度か彼を、自分のものにしようと思ったことがある。
だけどそれは自分のプライドが許さなかった。
同意無い者に無理強いするのも、それ以上に意識の無い者に、そんな事は絶対したくなかった。
だが、どうしても愛おしさが溢れて、こうして毎晩彼に触れている。
彼の意識を引き戻したくて、毎夜耳元で彼に呼びかけるように、ザイゼムは自嘲気味に声に出した。
「こうして私は毎晩お前を好き勝手触ってるんだぞ…。嫌なら早くこちらの世界に戻って来い。
プライドの高いお前のことだ。こんな事をされて、烈火のごとく怒るに違いない」
だが、キイはピクとも動かない。微かな息遣いだけが、ザイゼムの胸元をくすぐる。


激しい後悔…。

ザイゼムは苦悶し、涙が零れそうになるのをぐっと堪えた。
「初めてお前を見たとき、衝撃を受けたぞ」
ザイゼムは彼に囁くというよりも、まるで独り言のように呟いた。

あの日はアーシュラと共に、彼の姿を確認するため、東の国にお忍びで来ていた。
ずっと自分が捜し求めていた背徳の王子。
証拠はなかったが、そのために彼に近づき、探るために、大事な弟をわざわざ聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)まで修行をさせたくらいだ。
しかも有能な弟は、しっかり彼と親しくなって、逐一自分に報告してくれていた。
最初は大陸の宝としての、彼の存在にわくわくしていた。大陸をも揺るがすセドの秘宝。その鍵を握る、生き残った王子。
アーシュラの語るキイの様子に、己の野望を刺激されていたのは確かであった。
しかしこの堅物な弟が、心なしか頬を染めながら、キイの話をする度に、いずれかは実物に会いたいと思うようになっていた。
今のところ、このような詳しい情報は、自分以上に持っている人間はいないだろう。
【宵の流星】がセド王国最後の秘宝を握る鍵だという事は…。
今のうちに彼を手に入れなければならない。
そう思って、東の国に来て、いきなり【恒星の双璧】の戦う場面に出くわした。
(あれがキイです、陛下!あの、長い髪の方…)
ザイゼムはアーシュラが説明する前から、肩までの髪を緩やかに一つに結んでいる、背の高い男にすでに目を奪われていた。
動きがまるで、猫科の猛獣のようだ…。優美で野性的。機敏で隙がない。
それに見ろ、あの力強い目。人を射抜くに充分だ。
(あれが、あれが本当に宵なのか?)
自分の声が上ずるのがわかった。多分勘の良い弟の事だ、自分が彼に興味を抱いたのに気付いただろう。
この様に想像を絶するほどの美しさを持っているとは思わなかった。
噂ではかなりの美男子、しかも強い、とだけで、【宵の流星】を詳細に語られる事がなかった。
このような人間離れした美しさなら、もっとそれが話題になっても良いはずなのに…。

事実、【宵の流星】の噂は、【暁の明星】と共に色々東では言われていた。
とにかく、二人並ぶと見栄えが半端ではない。
それ故に、物騒な東では、二人りはいつも自分達の姿を晒すような事はしなかった。
長いフード付のマントに身を包み、普段はその姿がわからないようにしていた。
余計なトラブルに見舞われたくないからだ。
ま、それはキイがいるからであって、片方のアムイは彼と離れた後、無頓着にそのままの姿で旅していたが。
だから戦いの時に度々見えるその姿に、誰もが驚き、かえって脅威を感じたようだ。
しかもこのような若造に…こてんぱんにやられるなぞ、荒くれ者達は認めたくなかった。
なので二人の事を、2メートル以上の大男だとか、屈強な猛者だとか(これは嘘ではないが)とにかく強面の怪物のように、ある事ない事、話を広げたのだった。その反面、かなりの若い美男子、という噂も入り乱れ、二人については数々の武勇伝と共に、あらゆる情報が脚色され、世間に浸透していった。

ザイゼムはすでにアーシュラから、容姿の美しさは聞いていた。
だが、ここまでとは思わなかった。
何だ?この男は…。世の中に、こんな人間がいるのだろうか…??
そして何故かキイは敵に討ち取られ、相手方の手に渡りそうになった。
アーシュラに言われなくとも、自分は彼を救おうと思った。今がチャンスだ。
長年追い求めていたものを、自分の手にするチャンス…。
それ以上に彼をもっと間近に見たかった。傍に置きたかった。
そして本人と接するうちに、容姿だけでない、彼の内面にも魅了されていった。

こんな思いは人生で初めてだった。

自分は今まで色々な所に旅し、様々な人間と出会ってきた。
もちろん、その過程で、恋もしたし、愛人もたくさんつくった。
だが、彼との出会いは、今までの自分を覆すほどの衝撃だった。
自分がここまで…一人の人間に入れ込むなど…。今まで考えられなかったのだ。

「なぁ、キイよ。お前は本当に存在が罪な男だ。
きっとお前は私と同じ、自由奔放な反面、内に激しい物を持っている。
…私達は似た物同士…、多分人の愛し方もよく似ているだろう…」
ザイゼムはキイを抱く手に力を込めた。
「…お前が本気で人を愛すると、どうなるのかが見てみたい…。
いや、もうすでにお前にはそういう大切な人間がいるのか…?」
そこまで言って、ザイゼムは首を振った。
「考えたくもないな…。自分がどうにかなってしまう」
多分それはきっと自分ではない。
もっと時間があれば…。
そう思って、ザイゼムはふっと笑った。
「馬鹿だな、私は…」

狂おしいほどの思い。
この世の中にどれだけ、身も心も全て、深く、満足に愛し合い、一つになれるような相手が存在するのだろうか。
互いに惹かれ合い、想い合い、愛し合える相手など、本当はそんなに簡単には見つからないものだ。
こんなに思い焦がれても、成就するとは限らない。それが多いのが世の常。
もし思いが通じても、それを昇華するのもまた至難の技。
それが人間なのだ。
だからこそ、面白くもあり、自分の成長にも繋がる。
障害が大きければ大きいほど、燃えるというではないか…。

それでも人は恋焦がれる時があるのだ。
自分にとって、唯一の人間との愛の交歓。
永遠の愛の関係…。
まるでもう一人の自分を求めてるかのような、切なさの果ての至福の喜び…。
こういう人間にもし出会ってしまったら、人はどうするのだろう。
きっと陰陽のごとく一つに重なりたいと、一つに戻りたいと願うのではないか?


ザイゼムの中で、様々な考えや感情が通り過ぎていく。
腕の中で愛しい者の息遣いを感じるたびに安堵しながら。
…早く、何とか彼を救わなければ…。
ザイゼムは、再び北天星寺院(ほくてんせいじいん)に訪れようと決意していた。


はるか彼方にあるキイの意識は、ザイゼムの微かな波動で、目が覚めた。
だが、意識は深い海の中に漂ってるみたいに、思うように動けない。

己がひとつになりたい、自分にとっての唯一人の人間…。

その波動でキイの心は揺さぶられた。

…もし、その人間に会えていたら…??

キイは自嘲した。

もちろん一つになろうとする。それはもう自然の摂理さ。
離されたものは一つに戻ろうとする。
その思いは半端じゃないぞ。

だが、きっとお前は知らない。

それがもし、できないとしたら…?
それが許されないとしたら…?
したくても無理だとしたら…?

その絶望も半端じゃないぞ。きっと己の人生を呪うぞ。

しかもその本人を目の前にしてみろ。

もう笑うしかないじゃないか。


キイは漂いながら、ザイゼムに悪態をつくと、ちょっと気分が落ち着いた。
我ながら子供っぽいと苦笑しながら。

そうこうしているうちに、キイは子供の泣き声に気が付いた。
これは自分の意識の海の記憶だ。外の刺激ではない。

ふわりと自分はその方向に気を向けた。

(ああ…アムイ…)

そこには愛する自分の片割れが、子供の姿で泣いていた。
あれは…そうだ、俺が一国を滅ぼした後、意識のなかったアムイが初めて目が覚めた時の…。
あの時、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の一室で、自分は衝撃を受けたのだ。
…泣いているのに…アムイの目からは涙が出ていなかった。
目を赤く腫らして、痛々しくて、悲痛な声だけが身を切られるようで。
だからなのか?
彼の分まで涙が止まらない。どんどん溢れてくる涙。
なのにアムイの目には…。

その日以来、アムイの涙をキイは見ていない。
それ以上に辛かったのは、彼の恐怖だった。

(怖い!怖いよ、キイ!眠れない。目を瞑ったら、黒い物が追いかけてくる!
助けて、キイ!!)

あの時の一部を封印したにも拘らず、アムイは毎晩、見えない恐怖に脅かされ、半狂乱となった。
その都度自分は彼を抱きしめる。
泣きながら彼を抱きしめるのだ。
そうしないとアムイは夜、眠れなかった。
その時、キイは己に宿る、母から譲り受けられた癒しの力に気付いたのだ。


(返して…)
子供の頃の自分が…いや、今の自分も心で叫んでいる。
(返して、俺のアムイを。あの本来のアムイを…!!)


キイの苦悩は幾つもの山を越えながら、ここまで来たのだ。

そして己自身を閉じ込めた今は、ただ、あの愛する懐かしい手が、自分を引き上げる事だけを、ずっと、ずっと待ち望んでいた。


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