暁の明星 宵の流星 #108
ここ数日は何事もない、穏やかな日々が続いていた。
海に面した北の寺院はかなり年季が入っていて、それがかえって人の郷愁を呼び起こさせる。
北の鎮守である北天星寺院(ほくてんせいじいん)に比べたら、大きさも豪華さも全くないが、僧侶を十数名以上も抱える中級寺院である。
北天星の最高位(だった)昂極大法師(こうきょくだいほうし)からの口利きでなければ、このような寺院は僧侶以外は足を踏み入れる事のできない場所だ。
だからこそ、身を隠すのに好都合だった。
アムイ達はその寺院の客間でもある離れに滞在していた。
本堂より中庭を隔てて海側に立つ離れは、通常は遠方から来る高貴な客人を泊める場所であった。
だが今は昂極大法師…昂老人の配慮で、アムイ達が好きに使わせてもらっていた。
今朝も本堂から僧侶達の読経が聞こえてくる。
それが波の音と相まって、不思議な空間を作り出す。
「何とまぁ、風情な事よ」
シータが洗濯物を庭先で干しながらそう呟いた。
こう人数がいれば、交代で身の回りの事をするようになる。
今朝はシータとアムイが洗濯当番であった。
当たり前であるが、紅一点であるイェンランだけは、自分の洗濯物は人にやらせない。ということで、彼らが風通しも眺めのよい離れの庭先で、洗濯物を旗めかせ、その横で彼女も並んで自分の物を干していた。もちろん、下着だけは隠すように袋に入れて。
「確かにねぇ。でもさ…こうも平和な日々が続くと…何か調子狂わない?」
イェンランがポツリと、シータの言葉を受けて何となく言う。
「本当ね。でも来週にはここを出て行かなくては。…それまでゆっくりしましょうよ。外に出たら…どうなるか、アタシもわからないし」
シャツやシーツなどをぱんっと叩(はた)きながら、どんどん器用に紐に下げていく。シータもアムイも、手慣れた手つきだ。
修行中は自分の事は自分でする、という徹底した教えのためか、生活に必要な事は何でもこなせる。
「仕方ない。とにかく爺さんが戻って来なければ…」
アムイが独り言のように呟く。
聖天風来寺(しょうてんふううらいじ)へキイを連れて行く、という話になってから、色々と問題が起きていた。
特に北の国モウラでは、南の国と第一王子の癒着の件で、かなり城内がごたついていた。
その事も含め、北天星寺院に王家から相談が来たらしい。
国と寺院(信仰)は昔から深い繋がりがあり、政治的な相談も寺院は多少の役目を担ってはいた。
特に北の鎮守を担う、北天星の元最高位であって、しかも大陸全土の賢者を集めた組織の重鎮でもある、昂極大法師の信頼は絶大で、北のミンガン王も幼い頃から彼を慕っていたほどだ。
だから北天星寺院から使いの者がやってきても、誰も驚きはしなかった。
この海辺の寺院の僧侶達から、この国の現状を聞いてからは尚更であった。
《すまぬのう、皆。とにかくモウラ城に行って来るでの。多分2-3日には戻れると思う。
ついでに聖天風来寺の方にも打診しておくつもりじゃ。
…どんな話か…。もしかしたらキイ達の話題が出るかもしれん。
申し訳ないが、ここで大人しく待っていておくれ。…色々情報も仕入れてくるでの》
そう言って昂老人は迎えの者を供として、こっそりこの寺院を出て行ったのだ。
そうして彼が戻ってきたら、すぐにここを出て、東に向かうつもりであった。
(しかし…)と、アムイは思う。
この人数、しかもイェンランのような若い女性を連れ、あの無法地帯である東に向かうというのは、かなり無謀ではないだろうか?
アムイはちらりと彼女を見た。
あれからキイは気安く彼女の傍に寄らなくなった。だがそれがイェンランに複雑な顔をさせているのに、アムイは気付いていた。
彼女の心の中で、葛藤が渦巻いているのが、痛いほどアムイにはわかる。
元々そういう込み入った話を互いにしない二人だったが、いつかはちゃんと話さないといけない気がする。
イェンランがついて来るのを黙認した時から、アムイはある種の責任をずっと感じていたのだ。
なぜならキイと二人、東で暴れまわっていた頃とは、事情が随分と変わってきている。
それをはっきりと自覚したのは、この寺院の僧侶から、キイがセドの王子であり秘宝の鍵を握るという内容が、全大陸の権力者達の間でもっぱら囁かれている、と聞いたからだ。とうとうここまで話が広まっているとは。
だが、アムイが一番気になったのは、もう一つ聞いた話であった。
《“金環の気”修業者が…殺害されている…?》
キイに関して、いつも傍にいる自分が命を狙われるのは承知の上であった。
だが、この大陸に10人といない王者“金環の気”の使い手が、ここ1-2年のうちに賢者クラスの者を除いて、皆襲われ、命を奪われているという事実が…。アムイに嫌な予感をもたらした。共に話を聞いていたキイの表情もいつもより厳しかった。
キイはその事について口を開かなかったが、何か思い当たるところがあるような感じだ。
アムイは今まで自分の命が狙われてきたのは、キイを手に入れたがる人間の仕業と思っていた。もちろん自分を狙う者には、東でかなりの組織や賊を叩きのめしている関係で、その報復も中にはあるだろう。だが、その他に自分以外の“金環の気”修業者が立て続けに殺されている、となれば、また話は違ってくる。
それはアムイ個人だけでなく、“金環”を扱う人間が邪魔、という事を意味しているのだ。
という事は…まさか。
キイの“光輪”と“金環”の関係が、何者かに知られているという事も考えられるのだ。
キイは何も言わない。アムイもまたその事について話せなかった。
本当の事を言うと、口に出すのが恐ろしかった。
アムイは己以外で、キイの力を受けようと考えている人間の存在を感じ、恐れた。何しろアムイは幼い頃であったが、キイの力を受け損なっていて、完全に自信が持てていない状態だ。
しかもこの“気”の関係に気付き、このような事をしているという事は、セドの秘宝の正体をわかっている、と同じなのだ。
ただの噂レベルでは、やみくもにキイを手に入れればいい、となる筈。
では一体誰が…。
これからキイの封印を解くため、聖天風来寺まで行くとして、いくら隣の国で北寄りにあるとはいえ、このような状況で何が起こるかわからない。今まで以上に危険が襲ってくるだろう。何しろ敵の目当てである【宵の流星】がここにいるのだから。
しかも肝心のキイは“気”を一箇所封印され、その分彼の“気”を敵に探られない利点と共に、化け物じみた戦闘能力を発揮できないという欠点をもたらしている。“光輪の気”は現在は戦闘に使えなくとも、キイは元々その“気”が己の生命のもと。それが一箇所、しかも大元を封じ込められれば、本来よりも力が半減しているのは確かである。
いくら【暁の明星】と謳われたアムイや、聖天風来寺出身のシータがいても、思わぬ事態が起こらないとも限らない。
そうなると、女であるイェンランを連れて行くのはあまりにも無謀だ。
その事について今晩、彼女と話さなくてはいけないと、アムイは考えていた。
キイの問題もあるだろう。その後、キイと向かい合う時間を作ってやりたいとも、アムイは思い巡らしていた。
自分がこうして他人、特に女性に対して色々と考慮するなんて。
アムイは心の中で苦笑した。今まで考えられなかったからだ。
女という生き物が、苦手なのは認める。
ただそれは幼少の頃、女の業に翻弄されたという傷が影響していて、キイのように女を扱えないのは仕方がない。
大人になった今では普通に女が抱けるほど、随分と進歩したのものだが、自分が心を開けるほどの相手を見つけられるかは自信がない。
だがイェンランをこれ以上、危険な目に合わせたくない気持ちは真実である。
ずっと一緒に旅をしてきて、憎まれ口を叩きあいながらも、彼女の気丈さにはアムイも一目置くようになったからだ。
「それにしても…。こうなるとはアタシも思わなかったなぁ」
いきなりのシータの言葉で、アムイは思考を中断された。
気が付くと、楽しそうな話し声が、屋敷の方からこちらに向かってくる。
アムイとイェンランはその方向に目を走らせた。
「あー、わかるわかる!俺もさぁ、チビの頃からその手の男によく追っかけられたなー」
「それをかわすのが、一種のゲームみたいになってしまって、オレも鍛えられたっていうか」
「そーそー!でもそういう奴って粘着質でさー。無視してもぶっ飛ばしても懲りないっていうか」
「お互い嫌な思いしてるんスね…。キイさんの気持ち、凄いわかりますよ。こういう男が多い世の中って、男として辛いかもしれないですよねぇ…」
「そーだよなぁ。男は種まき本能があるから、女が少ないっつーのはある意味拷問だよ」
「本当に本当に」
楽しそうな声の主達はキイとサクヤである。
二人は仲良く肩を並べ、洗濯場がある庭先の方まで歩いて来る途中のようだ。
サクヤはどこかにこれから向かうのだろうか?手には籠を抱えている。
キイは目尻を下げて、サクヤとの話に夢中になっている。
こんな彼を見るのは、アムイ以外では珍しい事だった。
「あらまぁー。随分と意気投合していること」
シータはからかうように呟いた。別にアムイに聞かせようとしていないのよ、独り言なの、といった風情で。
アムイの表情が固まった。シータはそれをちらりと盗み見する。
何事もないような顔をしてアムイは洗濯物に手を伸ばしていた。でも、長い付き合いのシータにはお見通しだった。
(うわー、複雑な顔してるー。あのアムイが動揺してるー。おもしろーい)
心の中で、シータはニヤニヤが止まらない。
二人は軽口をたたきながら、アムイ達の方にやって来る。かなり楽しそうだ。
「サクとはこんなに気が合うとは思わなかったなぁー。顔だって可愛いし、俺、お前とだったら男でも大丈夫かも」
その言葉にアムイ達は同時に思わずぶっと吹き出した。
「そんなー。キイさんだって凄い綺麗じゃないですかー♪
オレもキイさんだったら男でもかまわないかなぁ。今度試してみます?」
サクヤの本気とも冗談とも取れない科白に、聞いていたアムイ達は益々固まった。
「そーだなー。じゃ、もちろん俺が上ね?」
「えー!何言ってんですか、オレ下は絶対嫌ですよ!どちらかというと攻めたい人だもん」
「俺も入れられるより入れたいしなー。じゃ、駄目じゃんお互いに。この話はナシかぁ、残念」
キイがからからと陽気に笑う。
「そういうとこまで同じだと、何か笑っちゃいますねぇ」
サクヤも目を輝かせ、キイを見上げてニヤッと笑った。
愉しげな二人とは反対に、この話が聞こえてる三人には恥ずかしいような、気まずーい空気が漂った。
「なぁに?あれ。ここには女の子もいるんだから、そういう話はしないで欲しいわ、まったく!」
シータが口を尖らせた。前から彼はこういう下ネタを毛嫌いする所がある。意外と潔癖なシータであった。
いつの間にかアムイは眉根を寄せていた。傍からみても、不機嫌な様子が丸わかりだ。
(あららー)
その様子に気付いたシータは、再び自分が心の中でニヤつくのを止められなかった。もちろん、そんな事は顔にまったく出さないが。
(どっちにやきもち妬いてるのかしらー。何か楽しー)
そうこうしているうちに、キイ達二人は洗濯場にいる三人の傍にやって来ていた。
「よっ!頑張ってる?」
キイの屈託のない笑顔に、シータが嫌な顔をしてこう言った。
「アンタ達ねぇ~。仲良くなるのはいいけど、聞いてて恥ずかしくなるような会話してんじゃないわよっ!ここにはレディだっているんだから、ねぇ?お嬢」
思わず振られてイェンランは赤くなって俯いた。
キイはそれを見て頭を掻いた。
「すまねぇ…つい、話弾んでさ。冗談だから、許して?」
「冗談でもそういう話はアタシ達の前ではご法度ですからね!もう」
「お嬢ちゃんはわかるけど、いい歳したお前までそう言うのか…」
キイの言葉に、シータは目を吊り上げた。
「何て言った、今?!キイ、アンタっていつも…」
「はいはい。ー…ったく、相変わらず洒落が通じねぇ奴だなぁ。
…お前、昔はさー。俺達にすんげぇ優しくて、何でも言うこと聞いてくれてたのに、いつからこんなに口うるさくなっちゃったのよ」
その言葉にシータはこめかみをひくつかせる。
「何言ってんのよ!だいたいアンタ、自分のせいじゃない。
ちーいさい頃は可愛かったのに、大きくなるにつれて柄は悪くなるわ、生意気になるわ、口答えするわ…。それに輪をかけてすけべだし」
「男がスケベでなくなったら、人類は滅亡するだろ」
むっとしてキイも応酬する。
二人の様子に目を丸くしているサクヤとイェンランの傍で、アムイはまたか、という顔をした。
「アンタってほんっとかわいくな…」
「あ、あのっ!オレ、これから町に買い出しに行ってくるけど、何か他に必要な物ない?」
自分もちょっとふざけすぎたかなーと反省しているサクヤが、慌てて二人の間に入る。
「一人で行くのか?」
その言葉にアムイが抑揚のない声で尋ねた。
「うん…。もうすぐご老人も帰られるだろうし、そろそろ旅の支度もしないとならないし…。
いつまでもここのお坊さん達に迷惑かけられないでしょう?」
「ねぇ、大丈夫?一人で。追っ手がうろうろしてるかもしれないじゃない」
イェンランが不安そうにサクヤの顔を少し離れた所で覗き込む。彼は安心させるように笑顔を向けた。
「だからさ。今の状況を探るためにも、こっそり行ってこようと。ご老人が戻られたらすぐにここを出発するんだろうし、そのためにもある程度の情報や現状の把握が必要だろ?」
「じゃあ、俺も行こう」
突然のアムイの言葉に、皆は一斉に彼を見た。
「ちょ…兄貴、かえって兄貴が外に出たら拙くない?もし素性がばれたら」
「お前一人で行って、もし何かあったらどうするんだ?二人で行った方がいいだろう。
町中でもフードを被って巡礼中というフリすれば、その方が怪しまれない」
有無を言わせないアムイの雰囲気に、サクヤがおろおろしているのを見て、シータが思わず口を出した。
「じゃ、アタシがサクちゃんについて行こうか…?」
「お前はイェンランを守っていてくれよ。それにシータの容姿では、いくら隠しても目立つだろ?」
「あら…。アタシが隠し切れないほど綺麗だって言わなくても…」
「そんなこと言ってないが…」
アムイは呆れたように溜息をつくと、自分の腰に括りつけていた、【風神天】の紋章が刻まれた己の剣を外し、目の前にいるキイに手渡した。
「アムイ?」
「これ、預かっておいて、キイ。今回は素性がばれる物を持っていくのをやめて、護身用に小剣を持つ事にする」
「でも兄貴」
アムイは困った顔をしているサクヤを一瞥し、最後の洗濯物を干すと、無言のまま町に行く支度のため屋敷の方へと向かった。
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