暁の明星 宵の流星 #110
アムイとサクヤが出て行ってしまうと、この寺の離れが手広く感じる。
いつものごとくイェンランは同じく残されたシータと共に、自分達の間借りしている部屋の掃除をしたり、たわいもない話をして過ごした。
ここまで来るのにいろいろな事があり過ぎて、のんびりとしている今の現状と反対に、イェンランの心はざわざわと波打ち、落ち着かなかい日々が続いていた。
目の前で自分の剣の手入れをしているシータを、ただぼんやりと見ていた彼女は、ふと、何となくいつも感じていた疑問をぶつけてみようと思い、口を開いた。
「ねぇ、シータは男の人と女の人、どっちが好きなの」
突然そんな事を尋ねられて、シータは目を見開いた。
「あら、どうしたのいきなり」
「だって…。シータって何か不思議なんだもの。
…見た目や話し方が女の人なのに、時折凄く男らしい時、あるじゃない?…ほら、戦っている時とか。
初めは女性らしい男の人だなぁ、と思ってたんだけど、ずっと一緒にいて実際はそうでもないなと…。でもシータって男臭くないよねぇ…。だけど女っぽいとは違う…」
イェンランの言葉に、シータはからからと笑った。
何かキイと似たような笑い方、と彼女はぼんやりと思った。
「アタシはねぇ、男も女も好きよ。博愛主義なの」
けろりとシータは言った。
「え、そうなの」
今度はイェンランが目を見開いた。
「中性的って、昔からよく言われてたわ。…ま、こんな美貌ですからね。男女問わずにモテたのよ、アタシ」
「そーなんだ。じゃ、恋人とかっていた?それってどっち?」
好奇心丸出しで訊いて来るイェンランに、苦笑いしながらもシータは言った。
「うーん。あまり色恋とか興味なかったからなー、昔から。それに博愛主義だって言ったじゃない?」
「ええ?じゃ、決まった人っていなかったのぉ?うそぉ」
「子供の時から修行の事しか頭なかったから」
え?とイェンランは驚いて彼を見返した。思ってもみない言葉だったからだ。
「恋より団子…じゃない、ガチガチの勉学と修行バカでねー。それだけでは世の中を悟れないって気がついて、今はこんなだけど」
ふっと、彼は思い出しながら呟いた。
「じゃ…、恋ってしたことないの…?」
彼女の問いに、シータはちょっと首を傾げた。
「どれを取って恋って言うのかしらね?…人それぞれだと思うけど、アタシの場合、欲情に駆られた恋はない気がするのね。淡白なのかしら、誰かと違って」
その“誰か”が誰を揶揄してるのかは、イェンランは思いっきり無視した。つまりシータは自分があまり欲求が深い性質ではない、と公言してるのだ。
イェンランはそれで何となくわかった。彼が艶やかで色っぽい仕草をしても、それが他人に欲情を与えず、かえって清々しさを感じさせる原因が。
つまり、彼はセクシャルな面を出さないし、出したくない人間らしい。…フェロモン垂れ流している“誰か”と違い…?
「その…じゃ、誰も好きになった事がないの?…何か凄いもったいない気がする…」
こんなに美人で気立てもいいのに…。
彼女の言葉に、シータは何か思いを込めた眼差しを深くした。いつもと違う彼の瞳に、イェンランはドキっとした。
「そんな事はないわよ、人間だもの。恋…じゃなくても、自分の人生に影響を与える人間って、少なからずいるものよ。それが恋愛感情でなくても、アタシは充分幸せなの」
そして口の端で、にっと笑うとこう続けた。
「その中にはお嬢もサクちゃんもいるから安心してね」
「本当に…?それだけで満足なの?」
何か納得できなくて、話を続ける彼女に、シータはしょうがないのね、といった顔で溜息をついた。
「本当の事を言えば、自分の心の中で、一番の人はいるわよ。アタシにも」
え?という顔してイェンランはシータを見つめた。まさかそういう答えが返ってくるとは思わなかった。
「それを恋というには、あまりにも違うのよね。…どちらかというと憧れ…?敬愛に近い想いだから、軽く恋という言葉で片付けたくない人かな。
自分の人生に、もの凄い影響を与えた人だから、…多分軽々しく人には言えないわね。本当は」
「……」
「お嬢だから話したのよ」
シータはちょっと恥ずかしげに微笑んだ。
「その人と…恋に落ちたいって思わないの?」
「思わない。…ただ存在してくれてるだけで幸せ。そういうのを大切にしている人間も世の中にはいるのよ」
「そうか…。どんな人なのかしら、シータにそこまで言わせる人って」
それについてシータは何も言わなかった。ただ口元に笑みを浮かべ、肩を竦めただけだった。
「それよりも、お嬢はどうなのよ?キイのこと」
いきなり話を振られてイェンランはどきっとした。
「アムイが心配してたわ。…キイのこと、これからのこと…。アイツ、口数少ないけどお嬢の事に責任感じてるみたい。珍しいわよね、あの男が」
「アムイが…」
「子供の頃からキイ以外の人間には、心を閉ざしていた子だったもの…。しかも女の子を気にかけるなんて、かなりの進歩よ。小さい頃から世話してたアタシには嬉しい限り」
「小さい頃から世話って…。シータはただの同期門下生じゃないの?」
あら、とバツが悪そうにシータは舌を出した。
「うん…まぁ、それはね…。あの子達が聖天風来寺に引き取られた時、身の回りの世話を頼まれたのよ。あそこ女人禁制でしょ?中性的なアタシなら幼い二人に警戒心を与えないのではないか、という事でね…」
「へーぇ、そうだったんだ…」
初めて聞く三人の事情に、何となく合点がいった。シータの二人に対する態度は、どちらかというと同期というよりも口うるさい親か兄弟みたいだった。傷ついた幼い二人を世話していた、というのなら納得がいく。
「あの頃は二人とも可愛かったのよー。アムイは内に篭って大変だったけど、キイは最初、猫かぶってたしねー」
「猫?」
「見目も綺麗でさ、周囲の人間は皆キイにメロメロだったわ。だけど本性があんなにクソ生意気で、食えない奴とは思ってなかったけど」
シータの苦虫を潰した顔に、思わず吹き出してしまう。
「かなり手こずったんだ」
いやーな顔して、シータは頷いた。
「見た目は本当に…よかったのよー」
シータはあの頃を思い出した。二人が聖天風来寺に来たばかりの頃だ。
《俺さ、母親知らないんだ》
シータが彼らのいる聖天離宮に姿を見せると、目を潤ませたキイが一人、庭に続くテラスに蹲っていた。
《どうしたの?》
その儚げな様子にシータは胸を掴まれた。どうもこの顔にシータは弱い。
キイは涙目でシータを見上げた。
彼の目線に合わせて身体を屈めたシータは、思わず彼の肩に手を置いた。
《寂しくなった?》
その言葉にキイはシータの胸に飛び込んだ。
シータはキイの柔らかな髪を、よしよしとあやすように撫でる。
《シータっていい匂い》
そうかな、とシータは思う。だって、抱きとめている10才の子の方が、ずっと可憐な花の香りがするのに。
《それにとっても美人》
《そ、そう?》
そう言われるのには慣れていたシータでも、何故か胸がどきっとした。この頃でもキイの人を惑わす魅力は破壊的だった。
《シータがお母さんだったらいいのに》
《……》
一瞬、何を言われたのか、シータは戸惑った。…男なんだけど…自分。
《そうしたら、俺も、母親が死んで間もないアムイも、きっと喜ぶ。…そう、アムイもシータがお母さんになってくれたら、きっといい方向へいくと思う!ね?シータ、俺らのお母さんになって》
キイの真剣な眼差しに、シータは声を失った。
えーっと…。どう解釈すればいい?お母さんになるって事は…。
《この間、お祭りの時に着ていた天女の服、もう一度着て》
傷ついている二人を何とか励まそうと、当時聖天師長だった竜虎が、麓の村で派手に催される聖誕祭に連れて行った時の事だ。
同伴したシータの器量にぞっこんになった村の責任者が、祭りの時に奉納する戯曲の天女役を彼に頼み込んだのだ。
何しろ絶世の美女の設定とかで、リアリティを追及すると息巻いていた責任者の男は、なかなか目にかなった女性がいなくて困っていたらしい。
一目シータを見て、是非に、と口説かれた。
その時はまだ聖天風来寺の修行者ではなかったし、昔から女装は似合うと言われていたから、別に抵抗無かったので、快く承諾した。
なのでその役を引き受け、艶やかな天女の姿で現れた時の、皆の顔が賞賛に輝くのは当たり前のことだったのだ。
特にキイの興奮は尋常でなかった。うっとりと自分を見上げる彼に、ちょっとこそばゆい感じがした。それに共にいたアムイも、自分を見て頬を赤らめている。悪い気はしなかった。……けど。
で、結局の所、シータはキイの懇願に折れて、その日から彼は女装して二人の世話をする羽目になった。
門下生になった時はさすがに制服に身を包んだが、いつしか女装した方が落ち着くようになってしまってシータは苦笑した。
今は着飾る事が趣味みたいなものだ。それに女性の格好をしていた方が、関わった人間の警戒心を解く、という事に気がついた。
ま、そういう経緯で今も女装しているわけなので、今更、という感じだが、そのきっかけとなったキイには、騙されたとしかない。
時間が経つにつれ本性を現したキイは、女遊びをシータに咎められて、その繋がりからあの頃の事をつい白状した。
《目の保養。だって、周りが男ばっかで詰まらなかったんだもん》
《はぁあ?》
《むさ苦しい男ばっかりで息が詰まるから、シータに女装させたんだよ!》
そうなのだ。キイはこういう奴だ。
この男以上に、神聖さと背徳感を併せ持った人間はいやしないだろう。
高貴な面を見せたかと思うと、やけに即物的だったり、本当にコロコロと印象の変わる男だ。
反対にアムイは無愛想で、大人しくて、堅物で、ほとんどそのまんま成長したが。
「本当にキイの奴は、どうしようもないからね。よーく考え直した方がいいかもねー」
相変わらずのキイに対する毒舌だが、どうしてもイェンランにはその根底に愛情を感じぜずにいられない。
思わずイェンランの口元がほころぶ。その様子にシータが何か言いかけた時、
「なに人の悪口言ってんだ?」
と二人の背後で、低音の甘い声が部屋に響いた。
イェンランは飛び上がらんばかりに驚いた。心臓が早鐘を打つ。肌がちりちりと焼けるような感覚を覚える。
…どうも、キイと小さな接触をしてからというもの、彼女は自分の身体に起こる変化に戸惑うばかりだった。
背中がじっとり汗ばんできて、今にでもここから逃げ出したくなる。
そんな彼女に気付かないのか、普通に部屋に入ってきたキイは、何やら周りをキョロキョロと見回している。
「何よ、どうかしたの?キイ」
憮然とシータはキイに言った。しかし彼はそんな事は意に介さない、という態度で部屋をうろついている。
「猫」
「はぁ!?」
思わぬ名詞に二人は目を丸くした。
「猫だよ、猫!この部屋に来なかった?」
何驚いてるの、というような素振りでキイは言った。
「何で猫…。キイ、アンタ猫捜してるの?」
「見てないのかよ」
「見てないわよ」
あ、そう、という感じでキイは部屋を出ようとした。
「ちょっと待ってよ、だから猫がどうしたの?」
その言葉にキイはピクリとして、扉の前で止まった。
「逃げた」
「へ?」
「俺の大事なもの、奪って逃げた」
よーくキイの顔を見ると、何やらこめかみがピクピクしている。
驚いてキイを見ていたイェンランだったが、何やら小さな物音がして右側の窓に視線を移した。
窓の外の木の上で、こちらを窺っている猫と目があった。
「あ、猫!」
「どこっ!」
キイはイェンランが指差した方向に顔を向けた。
「いた!あのヤロー!」
そう叫ぶとぱっと身を翻し、窓に駆け寄った。
「ちょっと!ここ2階…」
と、言いかけてシータは口を閉じた。まかりなりにも天下の聖天風来寺出身者に、2階も何もないもんだ。
思ったとおり軽やかな身のこなしで、キイは窓から外の木に飛び移る。
「待て!こいつ」
キイは本物の猫と変わらない敏捷さで、驚いた猫を追っかけて行く。
力半分、とはいえ、それは戦力に比重がある事で、持って生れ、長年鍛えた身体能力に遜色はない。
猫は真剣に追っかけてくる人間に、必死の形相で逃げ回る。
しかし、キイは許さない。その迫力負けして猫は足を滑らし地面に落ちた。その隙を狙い、キイはひらりと下に降りると、さっと慌てる猫の体を掴んだ。
「へ!ざまあみろ!」
子供っぽい満足な笑みを浮かべると、怒って暴れまわる猫の口から、紐に括られた小さな玉を引っ張り出した。
(あ…!あれは目印にと置いていった…虹の玉…)
イェンランは彼の手に納まっている、色を失せた玉に目が釘付けになった。
四肢をばたつかせていた猫は究極に怒りを表し、がぶりとキイの手を噛んだ。
「でっ!!」
あまりの痛さに猫を放り投げる。が、猫は鮮やかな回転をして、スタっと地面に降りると、もの凄い速さで逃げて行った。
「…のヤロー…」
キイは噛まれた手を振った。くっきり歯形がついている。
イェンランは思わず吹き出した。
それに気付いたキイは、2階の彼女を見上げた。二人の目が合う。再びドキン、と胸が高鳴った。
「相変わらず猫みたいな身のこなしねぇ」
シータが呆れたように言った。「顔は犬なのに」
キイはむっとした顔で、シータを睨んだ。
「俺を獣扱いするな」
「とにかくこっちに戻りなさいよ、手当てするから」
シータの提案に、キイは拗ねたような声で答えた。
「大した傷じゃねーよ。心配ご無用」
「素直じゃないわね」
二人のやり取りに、つい笑ってしまう。そんなイェンランに、キイは気付かれないように、安堵の息を漏らした。
「お嬢ちゃん、ありがとな」
「え?」
キイは驚くイェンランに虹の玉を振って見せた。
「ずっと持っていてくれて」
「あ…」
キイはどんな女でも落ちるだろう、というような魅惑的な笑みを浮かべ、彼女にこう言った。
「お嬢ちゃんのお陰で、母親の形見を全部無くさないで済んだ。…効力は失ってしまったけどな。俺のために、全ての力を使い果たしてくれた、大事な分身でもあったんだ。…ゼムカにほとんど置いてきちまって…。これだけ残っただけでも、感謝してる」
イェンランは真っ赤になった。…何かとても気恥ずかしい。
「キイ、ほんとにいいのー?手ー」
キイはニヤッとして、シータに手を振った。
「俺はそんなに柔じゃねぇよ」
そう言うと、何事も無かったようにその場を去って行った。
「まったく、しょうがない男」
イェンランはシータの横で、ずっと彼の去って行った方向を見つめ続けていた。どうしても視線を外す事ができない。
もうすぐ昂老人が、ここに戻ってくる。そうすればキイを聖天風来寺まで連れて行く事になる。
それがイェンランに、小さな恐れを呼び起こしていた。
…このままキイと何も話さないつもり…?
アムイの様子に、気がつかないわけがない。近々彼は自分に答えを聞きにくるだろう。
……この先、どうするのか。したいのか。
それはずっと彼女の心を悩ませている問題だ。そのために、最近はよく眠れなかった。
イェンランはほっと溜息をついた。…キイと微かに触れ合ったあの衝撃。
あれは男性への嫌悪からくるもの?それとは別のもの?
それを考える度にイェンランの心はざわついた。……本当は何となくわかっていた。それが他の男に感じるもの以外の感覚だという事が。
だが、今はそれを確かめる勇気が、何故か彼女には持てないでいた。
(それよりも…)
キイを近くで見ていて、イェンランはわかったことがあった。
くるくると印象が変わる不思議な人。
最初に出会った時の印象が、色んな意味で塗り替えられていく。人から聞いていた人物像も、自分で見た彼も、まるでとらえどころがない。
凄くできた落ち着いた大人の男性かと思えば、さっきみたいに子供みたいな振る舞いもする。
それが【宵の流星】の魅力だとしても、イェンランは真実の彼の姿を知りたい衝動に駆られていた。
…これが恋、というものなのだろうか…?
昂老人が戻るまで、もう時間がない。いつまでも逃げ腰でもいられない。
イェンランは意を決したように、奥歯に力を入れた。
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北の第一王子の友人の屋敷は、貧しい、と言われる北の国にしては豪華だった。
元々この波止場を統べていた豪族の子孫だ。海の恩恵を賜って、海産物は品もよくて豊富だ。北だけでなく、他の国にも船で外商に行くほどで、それがこの波止場町を潤していた。
そしてその豪華な屋敷の、豪華な迎賓室で、見るも高価なソファに座り、南のリンガ王女は寛いでお茶を口元に運んでいた。
その横の椅子に座っている、北の国の第一王子ミャオロゥがうっとりと彼女を見つめている。
リンガは王子の様子に気付いてか、わざと美しい白い脚線美を見せつけるように足を組み替えた。
ごくり、と王子の喉が上下するのに、彼女は心の中で嘲った。
(どこの国でも、男という生き物は…)
お預けを食らっている犬のような王子に対して、彼女を守るがごとくソファの後ろに佇む屈強な護衛の二人は、彼が粗相をしないようにと、じっと怖い顔で監視している。余裕なのは王女だけだった。
そんな彼らに目もくれず、南のティアン宰相は、ずっと落ち着かなく部屋を行ったり来たりしている。
「ねぇ、ティアン」
うんざりしながらリンガは言った。
「いい加減、歩くの止めたら?うっとおしい」
冷たくリンガは言い放つと、テーブルにカップを戻した。
その声に、ティアンはピタリと足を止めた。
「あのねぇ、貴方が落ち着かないのもわかるわ。…なかなか宵は見つからないし、あの姫胡蝶は尋ねて来るしね…。
で、正直に答えて?…貴方、私達…いいえ、お兄様にも何か隠してたでしょ?」
一瞬ティアンの背中が揺らいだ。リンガは冷めた目でそれを見逃さなかった。
「…どういう了見ですかな?王女。私が大帝に隠し事など…」
「してるじゃない。宵がセドの王家の血を引く者だって事、はっきり明言しなかったじゃないの!」
ぐっとティアンは言葉に詰まる。
「どうしてそれを?というような顔ね。……ま、どこから耳に入ったなんて、頭のいい貴方なら察するでしょうけど」
「……そうですね。もう巷でもかなりの噂ですし」
ようやくティアンは口を開いた。顔は苦々しく歪んでいる。その顔を見て、リンガは呆れたように溜息をついた。
「噂…ねぇ。それが耳に入る前にわたくし達はある筋から聞いたのだけど、その顔じゃ本当なのね、隠してたの」
ちらりとリンガはティアンのしかめ面を見た。そして意地悪く心の中で呟く。
(こんな男にわざわざ知らせるのも馬鹿らしい。…暁が宵と血が繋がってるかもしれないなんて)
リンガはこの部屋に通されてすぐに、ティアンにアムイの事をそれとなく探ってみたのだ。彼女の見解では、ティアンはその事を知らないようであった。というよりも、まったく思いも寄らない、という様子だった。ま、確かに確証はないし、ぱっと、見たところ二人が兄弟には見えないし。…一番は王族名簿にすらアムイの名がないことだろう。しかしそれでも、あのセドの太陽に見目がそのものと言っていい彼が、太陽の王子の落し種ではないと言い切れるだろうか。当時、セドの太陽を間近かで見た事のある人間がそう言うのである。しかもセド直系の生き残り、と噂される宵と共にいるのが、何よりの証ではないか?……セドに詳しい者はほとんど国の崩壊でいなくなってしまった。多分一番、王家の事情をよく知る神国オーンすら頑として口を閉ざし、まるでセドの国が初めからなかったような素振りを見せている。だからこそアムイ=メイが、王家の直系だと確かめる術は難しいだろう。だが…。
リンガはふっとティアンから視線を外した。
「…貴方、宵のことばかり追っかけてるから、周りの情報に乗り遅れてるようね」
ティアンはむっとした。…それでなくても、宵の情報がいつの間にか皆に知れ渡っていた事に苛ついてた所なのに。
「ま、隠していたことは、もういいわ。…それよりも、どうしてここに来て宵の素性が一気に広まったと思う?」
ティアンはびくっとした。それはずっと彼も知りたいことだったからだ。
リンガはにこっと微笑んだ。いつもすましたこの男の、うろたえている姿が可笑しくてたまらない。
「…セド崩壊と共に消えたと言われていた、セド王家の王族名簿…。それが出てきたんですって」
「何…!!」
ティアンは絶句した。王族名簿である石盤の行方は、彼とてもう調べはついていたからだ。それは東のある州が、神国オーンの罪人から手に入れ、それを餌に、他国の有力者に金で情報を流していた事も。それはあのゼムカのザイゼム王であったり、他の州の権力者であったり…。それを知ったティアンは、これ以上キイの素性が広まらないために、その州の人間を買収し、または消すなどして、その情報を必死で止めようとした。本当はその名簿を手に入れたかったのだが、彼らがどこに隠したのか見つからなかったのだ。…それが世に出ただと…?
「一体何故…。誰が…」
困惑しているティアンを面白そうに眺めていたリンガは、ゆったりとソファの背もたれに身体を預けた。
「まぁ!貴方よほど姫胡蝶に嫌われてるのね。…昨夜、彼が貴方を訪ねて来たのは、この話かと思ったのに。彼、何も言わなかったの?」
ティアンはぐっと言葉を呑込んだ。シヴァやカァラとの関係は、秘密だったからだ。
「…どういう事ですか…。もしや…」
搾り出すようにティアンは声を出した。自分の声が掠れている事に、ますます苛つく。
リンガはどうでもいい、というような態度で、髪をかき上げこう言った。
「その名簿が、東の荒波(あらなみ)洲のアベル提督の手に渡ったのよ。それを彼に渡したのは姫胡蝶…つまりシヴァの息子のカァラ!
アベル提督の寵愛を受ける前に付き合っていた男が、隠し持っていたらしいわよ。…で、伽の最中にでもねだったんでしょ。あっさりカァラの手に渡って…それでもって東全土に公開したらしいわ。世間を揺るがすような事をいとも簡単にね…。
本当にあの男、一体何を考えているのかしら!」
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