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2010年11月 7日 (日)

暁の明星 宵の流星 #121

12.奈落


遥か頭上に天があるように 足の下には奈落の底がある。
天と奈落を結びし地よ。
それを支え生きゆくもの達よ。
この身が深淵に辿り、たとえ奈落に落ちようと
魂(たま)は光を求め、救いを求める。


..........................................................................................................................................


もうそろそろ夜が明けるというのに、一向に明るくならない空を見上げ、黒いフード付きのマントに身を包んだ大柄な男が溜息ついた。
フードから覗く浅黒い肌に、ポツリ、と冷たいものが落ちた。
「雨が降ってきたようだな」
ぼそっと独り言のように呟くこの男の言葉を受けて、隣にいた中年の男がこう言った。
「嵐になりそうです、メガン様。早く陛下の元に参りましょう」
「わかってる。…というより、兄上のいる屋敷はすぐ目の前ではないか。
まぁ、そんなに急(せ)くな」
男の肉厚な唇の端が、ほんの少しだけ上がった。
その途端、大粒の雨が降ってきて、いきなりの大雨となってきた。
「ほら、言わないこっちゃない。土砂降りになりますよ!さあ、走って」
「わかったから!まったくお前はいつも忙(せわ)しいな」
男はうんざりした様子で肩を竦めると、中年の男に促され、目の前に建つひっそりとした平屋の屋敷に走った。


外はかなりの暴風雨となっていた。
窓に打ちつける雨風の騒音に、応接間の中央で仁王立ちになっている男は眉を寄せた。
「陛下、メガン様がお着きになられました」
一人の警護の者が応接間に入ってくると、中央の男に厳かにそう伝えた。
「うん、ご苦労。…やっと来たか、メガンの奴」
渋い声が男の形のよい口元から零れた。
「兄上!」
入り口から、野太い男の声が飛ぶ。
それは先ほどの大柄の、浅黒い肌をした男だった。
彼は玄関先で濡れそぼったマントを従者に預け、今はすっきりとした身なりで、応接間の中央にいた男の元へ歩み寄っていた。
「メガン、久しいな。元気そうじゃないか」
「ご無沙汰しております、ザイゼム兄上…。アーシュラの事は残念でした。お気持ち、お察し致します」
男だけの国家ゼムカの第8王子であるメガン・デルア=ギザムは、沈痛な面持ちで、目の前にいる自分の異母兄であり、王であるザイゼムに頭(こうべ)を垂れた。
「うむ。…悪いがアーシュラの事は言ってくれるな。もう忘れたい」
メガンはザイゼムの声色に苦渋の色を感じ、言葉の裏に隠された落胆を感じ取った。
「……ところで、兄上がこの私を呼ぶなど、どうかされたのか…気が気でありませんでしたよ」
「メガン、父さんの所には行ったのか?」
「はい。ここに来る前に立ち寄りました。…かなり弱られているようで…」
「やはり。ならば早々に話は進めておかねばな」
「は…?」
目を丸くしたメガンに、目の前の椅子を勧めながら、ザイゼムも自分の椅子に腰掛けた。
「とにかく時間がない。本題から先に話す」
「兄上…?」
メガンはいつにない、兄の切迫した物言いに身震いした。


「…つまり、どうしても引退される、という事なのですか」
納得できない、という重い声でメガンは言った。
「いかにも」
「そこまでして、あの【宵の流星】に入れ込んでいたなんて…。
いや、あのような方は、確かに滅多におられない。兄上が夢中になるのもよくわかる。…それは、いい。それは…。
今までのように、愛妾として置くなら何とも文句はない。だが」
メガンは頭を抱え、大きな息を吐いた。
「あの方を追うために、何故ゼムカの王の座を退くのか…。
私とて、最近の噂は耳に入っています。…あの方が東のセド王家の血を引くのも、各国、権力者がこぞって手に入れようと動き始めたのも。…なら、尚更、兄上個人の問題ではなく、国家の問題としてもよいのではないですか?その方が…」
「メガン」
ザイゼムは彼を軽く制すると、腕を組み直した。
「すでに私情が入ってしまった」
「兄上…」
「…私は一人の男として、国よりも私情に走った愚か者。そんな男には皆を束ねる長としての資格などない。
…私とて、よくよく考えての事。…結論は、こうだ。
この件に、我が国を巻き込んではならぬ、と」
メガンはじっと、言葉なく兄の声を聞いていた。
どう考えても、今のゼムカにとって、この男は必要だろうに。誰だってそう思うのに。

「……狩猟を主としていた好戦的なゼムカが、この国家の大きな問題に向かい合わない事を、不甲斐なく思うなよ。
我々は元々狩猟民族。だが、風のようにこの大陸を気ままに旅する民族でもあるのだ。
この問題は、いつか大きな火種となる。…とすれば今はわが国を強化する事が一番大事。
だがそれに気をとられていると、宵の件に出遅れる。
…頼む。私を身軽な一人の人間とさせて、宵を追わせてくれ」
「…しかし」
メガンは歯噛みした。
「だからといって、この私めが兄上の跡を継ぐ…なんて。それこそ皆も納得しない」
「メガン」
ザイゼムは、自分以上に屈強で男らしい異母弟の手に、優しく自分の手を重ねた。
「お前しかいない。お前が一番適任。弟達の中で一番。
…俺に何かあったら、お前しか俺の跡を継げる者はいないと、ずっと前から側近たちにも言っていた」
その言葉にメガンは目を見開く。
「な、そうだろう?」
ザイゼムは自分の脇で待機している側近達を振り返った。
側近たちは厳かに頷いた。その様子にメガンは益々驚いた。
「……いや、まさか、そんな…。兄上がそんな事をお考えになっていたとは…。だって私は…」
「本来ならば、ザイゼム王のお子様が跡を継ぐのが正当なのですが、…ご覧のとおり、陛下のお子様は…」
右側の側近が、言いにくそうに口を開いた。
「うん、まぁ、私は結局跡取りを作る事に失敗したって事だからな。
…若いときに作った子供は三人いたが、一人は何年か前に病で亡くし、もう一人は相手の女が隠してしまって、今、何処にいるか生きているのかも分からずじまい。……最後の一人は…あいつこそ適性はあるのだが…」
メガンがふっと笑った。それを受けてメガンの隣で控えている、彼の従者である中年の男、ルギが言った。
「いくら適性があったとしても、女では男世界のこの国の王にはなれませんものなぁ…。
本当に惜しい。ご息女が男なら、こんなに苦労しなくてよいものを」
「確かに。本当にゲウラ元老院フィオナ嬢におかれましては、並みの男よりも肝がお据わりになっている。
あの若さ、そして女子(おなご)の身で、中立国の元老院。さすが陛下のお子様。
…ほら、いつでしたっけな?ご息女を手篭めにしようとした盗賊に、胸をはだけさせられても顔色ひとつ変えずに太刀を奮い、見事負かしたという、武勇伝…」
「ああ!あれは世間でも話題になったなぁ。顔色変えずに片乳露わで立ち回り…」
「んんっ!ごほっ!」
ザイゼムがわざとらしく咳をする。珍しくもどこかしら顔が赤い。どうも自分の娘のこういう話は恥ずかしくて困る。
その様子に、皆も笑いを噛み締める。豪胆と知られる天下のザイゼム王も、娘の前ではただの情けない父親でもあった。
確かに、あの娘が男なら、自分も苦労しなかったであろう。他の息子達はよくわからないが、娘は自分の母に似てしまったようだ。隔世遺伝としか思えない。何故なら娘を産んでくれた恋人だった女は、可憐で従順な、男の庇護欲を掻き立てるような儚げな女だった。
「で、まぁ、そんな訳だから、前王は私に子作りを命じたのだが、これも不発。
極めつけは、跡継ぎに関係ない男に狂ってこのざまだ」
「兄上…」
メガンはザイゼムに大事なことを言おうとして口を開いた。
「失礼します」
その時、応接間の扉が開き、ルランがお茶を運んできた。
一同の者はほっとして、緊張を解く。ルランは手馴れた様子で、王から先にお茶を配り始めた。
ルランの端正な顔をメガンはじっと見つめていた。そしてルランがお茶を手渡した時、メガンは彼に声をかけた。
「久しぶりだな、ルラン。…少し、痩せたのではないか?」
その言葉に、ルランは花を咲かせたようにゆっくりと微笑んだ。
「お久しぶりです、メガン様。気のせいではありませんか?僕は変わりませんよ」
「そうか?ならいいのだが」
メガンの含みを持たせた言い方に、ルランは不思議そうな顔をする。
「で、兄上」
メガンは再び、ザイゼムに向き直った。
「…兄上が跡継ぎに関係ない男に走ったのならば、この私だって…いや、ゼムカの掟では私は王になれない筈ですが」
メガンの言葉に、一同息を呑んだ。ザイゼムだけが、口の端で笑みを湛えている。
「だから?」
「ですから…。男だけの国家であるこのゼムカのきまりには、王となる人間に同性愛者を認めない、というのがあるではありませんか」

そうなのである。
男の園、とされているぜムカの半数は、同性と恋愛する者が多い。
だがそれは生理的にも認められている事なので、何も誰も咎めはしない。
問題は国の要である王には、認められない、という事だけなのだ。
つまり世継ぎが一番重要で、それさえできてさえすれば、どのような性癖の持ち主だろうが、王として認められるという事だ。
男の恋人や妾を持ってもいい。だが、女と契れない者、子を作れない王は、言語道断という訳だ。

「私が女を愛せない男と知って、このような事を言われるのか…。ずっと疑問に思っていましたが」
「はは!そんな事よりも、今のゼムカの状況が一番だろう?
…この乱世の大陸。生き延びるためには、賢明で、統率力があり、人望のある人間でないと厳しい。
…17人いる弟の中で、お前が一番適任なのだよ、メガン。
お前はあの西の国の王子の次に、外大陸にも渡って見聞を広め、各国に幾度も留学し、最近では聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)でも修行をして来た。…それにまだお前は30になる手前。若さも十分。
お前以上に誰がいるのだ。私の代わりになる者が」
「兄上…」
「しかも私と違って生真面目で正義感があり、道をはずす事もないだろう。
今のゼムカにはそのような王が必要だ。
きっと皆も納得してくれる」

ザイゼムは異母弟の中で、この第8王子を昔から高く買っていた。
弟が確かに17人もいれば、何かあった時に心強いが、同じ父を持つ者であっても、千差万別。
出来不出来は少なからずあるわけだ。もちろん、王位継承の血筋としては問題ないが、全ての者が適性があるわけでない。
元々子作りには力を入れてきたゼムカの王家。それでも前王の18人の王子、は多すぎだと思う。
それでも第2王子は母方にべったりで、結局母大事さでゼムカを出た。大陸を渡るゼムカの生活に順応できなかった病弱な者だっていた。こんなに沢山の世継ぎを儲けても、王となる素質を持った人間は数えるくらいなのだ。
多く子供を作った方がいいのか、それとも最高の相手を娶って、少数でも手をかけて帝王学を学ばせた方がいいのか、ザイゼムも頭を捻るところである。
だからこそザイゼムは、現王が次の王を指名できるゼムカの慣例に、心から感謝していた。
適材適所。それが全てだ。それさえ間違えなければ、国を守れる。
「それからメガン。跡継ぎの事はそんなに心配する事じゃないぞ。何のために18人も兄弟がいるんだ。
兄弟達に、何人息子がいると思っている?
その時になったら、お前が優秀な甥っ子を王に選べばいい事。
そんなに難しく考えるな」
メガンは尊敬する異母兄の言葉をじっと聞いていた。そして、ゆっくりとザイゼムの方に顔を向けると、決心したかのように彼は答えた。
「わかりました。では、兄上、そこまで仰るのなら、この話お受けいたしましょう」
「おお、そうか!私の話をわかってくれたか、メガン」
「ええ。その代わり、私の願いを聞いてくださいますか?」
メガンはそう言うと、ちらりとルランを見た。
「どんな願いだ?」
「はい。私が王位を継ぐ見返りに、どうかルランをいただきたい」
ルランの身体が硬直し、驚きの眼(まなこ)でメガンを見やった。
ザイゼムは一瞬、複雑そうな顔をした。
その様子にルランは思わずザイゼムの方をすがるような目で見た。だが、彼は顔色ひとつ変えずに、きっぱりとこう言った。
「わかった。…お前ならルランを大事にしてくれるだろう。…ただの小姓としてではなく…。そうだな?」
「陛下!」
ルランは信じられない、という風情で叫んだ。
「お前がルランを憎からず思っていた事は、前から気が付いていた。
…私もこれからどうなるか計り知れない身だ。…メガン、お前がルランを守ってくれるのなら、私は嬉しい」
「はい、もちろん。…大切にします」
「待ってください!陛下もメガン様も、何で僕の気持ちを無視なさるのですか?
こんな…こんな人を物のように…」
「ルラン!」
ザイゼムの厳しい声が飛んだ。
「…頭のよいお前の事だ。…私の気持ちをわかってくれるだろうな?」
「へ、陛下…」
ルランは泣きそうだった。
嫌な予感はずっとしていた。…陛下が【宵の流星】を追う事を決意された時から。自分は覚悟はしていた。
でも。だからといって…。
他の男のものになれ、だなんて。
…結果的にはそういう話なのだ。
自分はずっとサイゼム王の小姓という立場で控えていたかった。それなのに、メガン王子の愛妾になれ、という事を暗に示唆しているのだ。
信じられない思いで、ルランはその場を逃げ出した。
何も考えたくなかった。…自分の思いが成就しなくてもいいのだ。ただ、自分の気持ちだけは尊重して欲しかった。
なのに…。


「兄上。……私の願いを聞いてくださり、感謝します」
メガンはルランが去った方向を見つめ、そう言った。
「うん。…ルランの事は、実は私も心残りだった。あの子は少年の頃から、私によく仕えてくれた。
こんなどうしようもない男より、お前の方が数倍、あの子を幸せにしてくれる。
…頼んだぞ」
メガンは兄の言葉に頷いた。
どのくらい時間がかかってもいい。いつしかルランの心を溶かしてみせる。
メガンは静かに息を整えた。


外の嵐と連動するかのように、ルランの心も大きな嵐に翻弄されていた。
すでに日が昇っている筈なのに、大きな黒雲のせいで薄暗い庭先を、ルランはぼうっと窓越しに見つめていた。
先ほどの応接間から、少し離れた大きな渡り廊下のベランダに通じる大きな窓だ。
窓越しに映る、自分の顔がとても情けなく見える。
…自分は…陛下にとって、必要な人間ではない…。
わかってはいたつもりだが、時たまに触れるザイゼムの優しさに、ルランはずっとすがり付いていた気がする。
どんなに苦しくても、歳が親子ほど離れていようが、ルランにとって、唯一の恋慕…なのだ。
ザイゼムの代わりなどいる筈もなかった。
「ルラン!」
その声にルランははっとして、その場を逃げ出そうとした。
「待ってくれ、ルラン」
それはメガン王子だった。彼は逃げようとするルランの手首を、がしっと掴むと力強く引き寄せた。
華奢なルランには、大柄なメガンに抵抗するのは難しい。その代わり、ルランは身を硬くした。
「すまない、ルラン。あのような事を勝手に申し出て」
本当にすまなそうにメガンは言った。
「…メガン様は本気で…?本気で僕の事を?」
「ああ。お前の兄上への気持ちもわかっている。…お前の健気さに、私はずっと切なかった。
…どうか、ルラン。私の所に来てくれ」
ルランはじっと俯いた。ルランとて、メガンの事は嫌いではない。どちらかというと、大勢の王子の中では好感のある人物だ。
中には好色な王子もいて、実は幼い頃、幾度かルランは悪戯されそうになった。その時、いつも助けてくれたのはメガン王子だった事を思い出す。しかしそうであっても、彼にはザイゼム王に感じるような激しい思いが湧き出てこない。
「メガン様、僕は…」
意を決して、自分の気持ちを伝えようと口を開いたルランに、メガンはそれ以上言わせなかった。いや、聞きたくなかった。
「ルラン。兄上の許しはいただいた。私はこれからこの国の王となる。
……その王の決定を、お前は意義立てる事はできないぞ。わかっているな」
「………」
「私はお前をただの小姓にするつもりはない。……私が妻を娶るつもりがないのも、お前も知っているだろう?
お前の事はずっと本気だった。一生お前を大事にする。それを忘れないでくれ」
ルランは真剣なメガンの顔を、哀しげに見つめた。
……そして、ルランは決心した。自分の事は自分がよく知っていた。

昼頃にピークに達すると思われた嵐は、その日の夜半まで勢力が衰えなかった。
日も暮れ、真っ暗な闇に、豪雨の叫びがこだまする。
【宵の流星】が去ってから、ゼムカの一部は山を越え、海辺近くの里に身を寄せた。
海からは少し遠く、肉眼では水平線は拝めないが、風に乗ってたまに潮風が匂うと、近くが海だと気づかされる。
ガタガタと不気味に軋む、窓の音を聞きながら、今日の責務を終えたザイゼムは、自室でのんびりとこれからの事を考えていた。
いつも自分の身近にいたアーシュラは、もういない。
自分を和ませてくれるルランも、彼のことを思うのなら、早いうちに手放したほうがいい。

これで、とうとう一人になったなぁ、ザイゼムよ。

今まで、好き勝手に生きてきた。だがこの近年は大人になったせいか、国を治める事に夢中になっていた。
……そしてまた、好きに一人で勝手に行動できる状態に戻ったわけだ。

全て、あの男のせいだ。

ザイゼムは自嘲した。
何てずるい男よ、ザイゼム。…あの男のせいだって?
キイのせいにするな、男らしくない。
これは自分の我がままなのだ。一生に一度の我がままだ。
国を捨ててまで、自分が一人の人間に魅入られるとは露ほども思ってなかった。
これからキイを狙い、凄まじい争奪戦が始まるだろう。
誰にも渡すものか。…特にあのティアンの奴には絶対。
ザイゼムは溜息を付いた。
皆の落胆した顔を思い出したからだ。それなのに、側近達は理解してくれた。
こんな無慈悲で、自分勝手な男なんかのために。
《せめて護衛をお連れください。せめて二人くらい》
そこまでは、と自分は断った。だが、彼らの必死な申し出を、無下には出来なかった。
嵐が治まったら、選んだ者を連れてここを早々に出て行くつもりだ。
……ルランの事も、メガンになら安心して任せられる。
ずっと彼には尽くして貰った。だが、自分は何も返してあげる事はできない。ならばせめて…。

コンコン。

そこまで思い巡らして、突然扉を叩く音に、ザイゼムは我に返った。
「誰だ?」
気が付けばかなり夜も更けていた。こんな時間に…?
いぶかしみながら、ザイゼムはローブをまとうと、扉を開けた。
「ルラン…」
そこには、何やら決意を漲らせた面持ちのルランが立っていた。
「陛下。お話があります。…部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
思いつめたような声に、ザイゼムは小さな溜息を付くと、彼を部屋に招き入れた。

「…どうした。メガンとの事か?あれは…」
「陛下」
いつもとは違う、断固とした物言いに、ザイゼムはルランの顔を凝視した。
「…僕をどうしてもメガン様に差し出す、というのなら、約束を守ってから決めて欲しかった…」
「約束?」
「貴方をずっと慕っていた、僕の気持ち…。どうか無視しないで欲しかった。
僕の自分勝手な我がままだって事もわかっています。
でも、せめて。最後だと言うのなら、どうか、僕の我がままを…」
ルランの海のような青い瞳が揺らぎ、真珠のような涙が零れた。
「ルラン…」
「僕の我がままを受け入れて欲しいのです…」
そしてルランは震える唇で、きっぱりと言った。「“お前が16になったら…私を受け入れるか?”」
ザイゼムははっとした。それは…キイと寝所を一緒に使う前に、ルランと共寝した時、自分がいつも囁いていた言葉だった。
「僕、もう約束の歳を越えました…。僕はいつでも、貴方を受け入れる気持ちはできています。
…あとは、陛下、貴方が僕の…我がままを受け入れてくれれば、僕は…」
真剣なルランの眼差しに、ザイゼムは震える溜息をした。
「私の気持ちを、わかってくれるか?」
「…陛下。…僕は…貴方の幸せをずっと思ってきました。宵の君と幸せになって欲しい気持ちだって嘘じゃない…。でも…」
「ルラン」
「このような離し方は、嫌です。まるでいらなくなった玩具を人に譲るような…!
ああ、どうかお願いです。僕の事、少しでも哀れと思ってくださるのなら」
ザイゼムは居た堪れなくなって、ルランをぐいっと引き寄せ、自分の胸に抱きしめた。
愛しい、と思う。もしキイと出会っていなければ、きっと自分は彼をずっと傍に置いて愛でていただろう。
だが…。
「一度だけでいいんです。陛下。それだけで、僕はきっとこれからも生きていける」
「……」
ザイゼムは彼を抱く手に力を込めた。
こうまで言われて、相手を突き放す事などできないザイゼムだった。
「…わかった。お前の気持ち、受け入れよう」
ルランの胸が喜びに震えた。…ああ、愛しています。この時を、自分はどれ程切望していたのか。

「ルラン、目を閉じなさい」
優しく促され、ルランはおずおずと瞼を閉じた。
その彼の唇に、ザイゼムは優しく自分の唇を落とした。


次の朝。嵐はどうやら去っていったようだった。
鳥のさえずりで、ルランはザイゼムの寝台の上で目が覚めた。
…すでに、ザイゼムの姿はそこにはなかった。
眩暈がするほどの一夜だった。…喜びと痛み、初めての絶頂の果てに、取り残される絶望を味わうのはわかっている。
ルランは痛む身体を庇いながら、のろのろと起き上がった。
気が付かないうちに、涙が次から次へと溢れていた。
だが、彼の表情は晴れ晴れとしている。
…心が決まったからだった。
ルランは何も隠さず全裸のまま、窓の外を覗いた。
嵐の後の景色は、禊(みそぎ)がされたように清々しく、美しい。まるで彼の心も洗ってくれたようだ。

しばらく外の景色を眺めていたルランは、次に手早く身支度を始めた。
早くしなければ、他の人間に見つかってしまう。
ほうっとルランは息を吐いた。
そして、意を決すると、ザイゼムの引き出しからペンと紙を拝借すると、短い手紙を書いた。
宛て先は…メガン王子だ。
(こんな僕を、思ってくれてありがとうございます、メガン様。だけど)
ルランは紙を素早くたたみ、封筒に入れ封をすると、メガンの名前をその上に書き、テーブルの上に置いた。
ずっと彼は考えていたのだ。自分の身の振り方を。
ザイゼムが自分を置いていってしまう事なんて、最初からわかっていた事だ。
多分自分がどんなに泣いてすがろうとも、きっと自分を連れては行きますまい。
…だから、ずっと考えていた。
そして昨夜で自分の気持ちは固まったのだ。

陛下を追いかける…。たとえ疎んじられようとも。

それしか、自分の道はない。
だって、自分はあの宵の君からだって頼まれた。
《純真無垢な天の子》
《ザイゼムを頼む》
《俺は男は受け入れられない》

陛下を受け止め、受け入れる事ができるのは自分しかいない。
昨晩の営みで、ルランは確信したのだ。

ルランはそっと部屋を出ると、裏玄関に隠してあった自分の荷物を取り出し、静かに屋敷を出た。
外はかなり明るくなっていた。
ルランは明るい顔をすると、胸を張ってザイゼムが向かったであろう方向に歩き始めた。
……ザイゼムが何処に行くかは、下調べ済だった。いや、もしすれ違っても、要は宵の君を探し出せばいい事だ。
彼は必ず【宵の流星】の元に行くであろうから。

(陛下。きっと貴方の傍に参ります。貴方を思って、ただ泣いてるだけの運命に甘んじるのはごめんだ。
僕だって自分の人生を自分で切り開く覚悟はある)
ルランは微笑んだ。黒いマントに身を包み、フードを目深に被る。
(これでも僕は、ゼムカ族の男。……今まで貴方を思って涙に暮れた女性が数多くいただろうけど、僕は彼女らとは違う。
自分が欲しいものは、絶対に諦めない!)
彼は遠くに繋いでいた馬に近寄り、飛び乗ると、明け方に出発したであろうザイゼムを目指して馬を走らせた。

一方、ザイゼムの部屋で、ルランの書置きを見つけたメガンは、苦渋の表情でその場に突っ立っていた。
「ルラン…」
ルラン、彼もまた、狩猟民族であったゼムカの男だったのだ。
「はは…。一番大事なことを忘れていたなぁ…」
そう呟くメガンの瞳は、微かに涙で潤んでいた。

 


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