暁の明星 宵の流星 #123
あれから部屋に引きこもってしまったアムイを気にかけながらも、イェンランは浴室の扉をノックした。
「あの。足の方は大丈夫ですか?…何か着替えでも手伝いましょうか?」
扉の向こうから、掠れた声がした。
「ええ、もう大丈夫です。…何とか着替えられましたから」
しばらくして扉が開き、タオルで長い髪を拭きながら、この寺院に運び込まれた女が現れた。
少し、片足を引きずっているようだが、顔色は先ほどよりも悪くない。いや、白い顔にうっすら紅が差し、何とも艶かしく、女のイェンランでさえドキドキするほどの色香を放っている。
彼女は寺院に備え付けられている修行僧の地味な衣服を借り、身に纏っていたが、それがかえって皮肉なことに、類まれな妖艶さを引き立たせていた。
それほどに目の前の女は、圧倒するほどの美女だった。
年の頃は二十代も初めほどか、落ち着いた風情であるが、少々童顔なのが愛らしさを醸し出し、ガラス玉のような灰色の瞳が、全てを見透かしているような、不思議さを持っていた。…あの、禁欲をも修行の一つとしている修行僧をも、惑わされそうな…。
「本当にありがとうございます。助かりましたわ」
女はイェンランに微笑みながら近づいた。
「いえ。こんな嵐ですから、お着物が乾くかどうかわかりませんけど、何とかやってみますね」
「まぁ、そこまで…。何とお礼を申したらよいか!このような身元も知れぬ人間を…。
寺に救いを求めれば、無下にはしない、というのは確かですわね」
彼女はそう言うと、足を庇いながら部屋の中央にある座椅子にゆっくりと腰掛けた。
寺院の離れでもあるこの屋敷は、元々貴賓客が使えるようになっている。中には、各々浴室や洗面所が備え付けられている豪華な部屋もある。女はこのような部屋の一室に運ばれたのである。…キイが抱えて。
「でも。このような寺院に、こんな可愛らしいお嬢さんがいるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「あ、イェンランといいます。その、私達もここでちょっとお世話になってまして…えっと…」
「カーラです。…本当によかった…。もう少しで私、殺されそうだったから…」
「殺される!?」
カーラはあっと口を手でふさいだ。だが、意を決したかの様に、おもむろに話し始めた。
「…実は、家が落ちぶれて」
カーラの顔に陰りが差した。
「それで私、娼館に売られることに…」
「なんですって?」
イェンランは思わず大きな声を出した。
「それを拒んで抵抗し、逃げてきたんです…。私が逃げられないよう、足を狙われたのですが…。
でも、運がよかったのですね。何とかここまで逃げて来れました」
そこまで言うと、カーラは急に不安そうな顔をした。
「ああ、でも。…もし追っ手がここを嗅ぎ付けて来たらどうしましょう…。
皆さんに迷惑かけるし…連れ戻される…」
はらはらと、真珠のような涙を流し、カーラは自分の袖で涙を拭った。
その様子に、イェンランは居た堪れなくなった。まるで15歳の頃の自分を見ているようだった。
「ああ、泣かないで。大丈夫よ!寺に助けを求めたのは賢明だわ。それにここには腕の立つ者がいるから、相手が力づくで来ても追っ払ってくれる。安心してね」
イェンランは完全にこの女に同情していた。きっと死に物狂いでここまで救いを求めに来たに違いない。
ならば、なるべく手を貸すのは当たり前だ。…これ以上…自分みたいな女を増やしたくない。
だが、そのイェンランの同情も、次の彼女の言葉と様子で、凍り付いてしまった。
「腕の立つ者って、先程の武人さん…かしら?ほら、私を運んでくれた…。
なんて素敵な方かしら。…ねぇ、あの方のお名前教えてくださらない?」
「な~るほどねぇ、確かに凄い美人だわ」
感心したようにシータが言った。
ちょうど昼食時で、ほとんどの人間が食堂にいた。
シータの横で、イェンランはぶすっとした顔をして、さっきから豆をつついている。
その斜め前で、キイとカーラが肩を並べて座っていた。
「うわぁ。本当にフェロモン対決!あの二人が肩を並べてると迫力あるっていうか、妖しい“気”がぷんぷんするわねー。見るからに絵に描いたような美男美女じゃなぁい?お嬢」
面白がっているようなシータの声に、イェンランは益々へそを曲げた。
「本当にお似合いですね。大人のカップル、っていう感じでしょうか」
目の前で食事を取っているリシュオンも、ちらちらと横目で二人を窺いながらさらりと言った。そのリシュオンの何気ない言葉に、イェンランは最高に苛ついた。
「………」
傍(はた)からみても、イェンランの機嫌の悪さは一目瞭然だった。
…このカーラ、という女性。イェンランに服を乾かしてもらった早々に、美しく着飾り、ああして先程からキイの横を我がもの顔で陣取っていた。…誰が見ても、彼女がキイを憎からず思っているのは見え見えだ。
「キイ様は何がお好きなの?…よろしかったら私、取りに行きますわ」
「いや、自分で飲み物ぐらい取りに行きますよ。それよりもどうです?足の方は」
「まだ、少し痛むんです…。よかったら見ていただけます?」
そう言いながら、カーラは長いドレスの裾をするりとめくると、形のよい白い足をキイの目の前に晒して見せた。
皆はその様子にぎょっとしたが、何もないかのように見て見ぬ振りをした。
「ははは。俺は医者じゃありませんよ。せっかく見せていただいたけど、何も役には立てません。
ま、目の保養にはなりますが」
キイも満更ではなさそうに、快活に笑った。それにつられてカーラもコロコロと楽しそうに笑う。
何よ、あれ。
イェンランの心も嵐が吹き荒れていた。
娼館に売られるのが嫌で逃げてきた筈のカーラの、このこれ見よがしの色仕掛けにも呆れるが、彼女にベタベタされて鼻の下を伸ばしている(イェンランにはそう見える)キイもキイだ。
…言葉使いまで、何を気取ってるのよ、キイったら!
イェンランは面白くない。
「まー、ああいう露骨なタイプにも、キイは弱いものねぇ」
シータの言葉に、イェンランはドキリ、とした。
「若い時のキイなんて、来る者拒まずだったし。今はどうだかわからないけど」
皮肉っぽくシータが意地悪く言った。
「そうなんですか?そんな感じには見えないけれど…」
頭から湯気を出しているイェンランの様子を気にして、リシュオンがどうにか取り繕うと口を開いた。
「天下の【宵の流星】の女好きは有名なのよぉ~、東では。他国の方は知らないでしょうけど」
ぶんぶんと手を振り回し、嫌そうにシータは言う。
彼はよっぽどキイのお盛んな女性関係が嫌いとみえる。それでかなり苦労したような言い方だ。
「アイツは肉食獣だもの。キイの姿形に騙されちゃ駄目!あんな儚げで柔な風情をしているけど、中身は獰猛な雄よ、雄。あの容姿で相手を油断させて、パクリっていうのがキイなんだから!
アタシもアムイも、昔からアイツの女関係でどれだけ迷惑したか…」
そこまで言うと、シータはちょっと真顔になった。
「キイも困ったヤツだけど、アムイもどうしたの?朝からずっと部屋から出てこないなんて」
その言葉に、イェンランは我に返った。
…聞いちゃったのよね…。キイの秘密。
その時のショックが思い出された。自分だってかなりの衝撃だった。
あの時の様子だと、アムイもきっと知らなかった筈だ。
イェンランはアムイがあれからずっと部屋に篭っている事が辛かった。アムイの気持ちを思うと、暗澹たる気持ちになる。
「サクちゃんとの事かしらね?
…肝心なサクちゃんも、食べたらさっさと部屋に引き篭もっちゃうし。…気になるな…」
「あ、私、後で声かけてみる」
イェンランはそう言うと、さっと席を立った。
「あら、お嬢。あなたまだおかず残ってるじゃない。…お嬢まで食欲ないなんて、どうしちゃったの…」
その言葉をわざと無視して、イェンランは弱々しく笑うと、そのままお盆を下げに行ってしまった。
「私が西の国へと、無理に勧めたからでしょうか…」
リシュオンが沈んだ顔で、ポツリと言った。
「王子…。そんな事はありませんよ。あの子だってちゃんと、自分の身の振り方を考え、決められます。まぁ、ここ数日、きっといろんな事があって、いっぱいなんだと思いますよ」
シータはリシュオンに気を遣わせまいと、優しくそう言いながら微笑んだ。
そうは言っても…。
イェンランはあれから幾度となく、アムイとサクヤの部屋に行ってみた。
だが、サクヤは対応してくれはしても、思ったとおりにアムイは全く反応しない。
「……あのね、実は…」
「ん?」
自分の中で事が大き過ぎて、つい、イェンランはサクヤに言いそうになった。
「ううん。何でもない。…ごめんね、考え事してるときに」
アムイの事を相談したくても、それはキイの秘密を漏らすことになるのと同じなのだ。
キイはあれから何もなかったかのように、普段の態度で接してくれていたが、どう考えてもこれ以上他の者に話してはいけない内容だ。
なのに、あんな食堂みたいな、いつでも誰かが入ってきそうな所で話してるなんて…。
イェンランはそこまで考えてはっとした。
キイはもしかして、もう隠す事が苦しかったのではないかしら…。
いつかはアムイに本当の事を言わなければならないと、キイだって苦悩していた筈だ。
でも、まさかちょうど本人がその場に来るとは、思ってはいなかっただろうけど。
そう思うと、キイの気持ちが切な過ぎる。
イェンランはそう思いながら自分の部屋に入ろうとして、カーラとばったり出くわした。
「あら」
カーラは妖艶に微笑んだ。思わず硬くなるイェンランに、彼女は何か面白げな視線を送った。
イェンランはむっとする。…なんか、彼女に同情した自分が馬鹿らしくなってきた。
「これからどうするんですか?カーラさん」
重い口調でイェンランは言った。
そうなのだ。いくら救いを求めてここに来たとしても、ここは尼僧院ではない。
自分達だってこの嵐が去れば、ほとんどの者がここを立ち去る…。まぁ、あの話だとサクヤだけは残りそうだけど。
逃げ出してきたという彼女は、これからどうするのだろうか。
「まぁ、普通、尼僧院を紹介してもらって、門下に入るのが、女なら一番安全かしらね?いくら乱れたこの世とて、尼には手を出せないでしょうから…。ま、中にはそういう尼の禁忌を、好んで無理やり破る輩もいるらしいけど」
「……」
どうもイェンランは、この女に違和感を感じてしょうがない。
見た目はもの凄い清楚な美女なのに、ハスキーな声で語る話も話し方も、何やら淫猥な雰囲気が漂って、イェンランに嫌悪を感じさせる。
「…行かないんですか?尼僧院」
イェンランはわざと冷たく言った。
カーラは頑ななイェンランの態度にくすりとすると、彼女を舐める様に、そのガラス玉のような瞳で見つめた。
「心配してくれてありがとう、イェンラン。ほんっとうに可愛らしい方ね、貴女って」
「…そうですか?」
「そうよ。女として愛らしくて魅力的。頭の回転もよくて度胸もあるし。…残念なのは固い蕾のまま、というのが、また…」
カーラは知ったような口調で言い、それがイェンランの気持ちを逆撫でした。
「どういう意味ですか?貴女に私の何がわかるというの?」
その言葉にカーラは不気味な笑いを返した。イェンランはぞっとした。
「ごめんなさいねぇ。私には貴女の事が手に取るようにわかるの。
…キイ様の事を好いているのも、…それなのに女を封印している事も」
イェンランは驚きのあまり、顔から血の気が引いた。何故?何故今朝会ったばかりのこの人に、見透かされてるの?そんなに自分は、周りから見ててわかりやすいのだろうか。
だが、カーラの次の言葉で、イェンランの驚きは言いようのない恐れに変わった。
「…男を知らないってわけでもないのに、男に抱かれる事を極端に嫌悪している。…だから蕾だと言ったの。
…本当の女の快楽も知らない小娘のくせに」
カーラの容赦ない棘のある言葉に、イェンランは身が竦んだ。
「残念よねぇ…。貴女のようなお子ちゃまには、キイ様のような大人の男の相手はできないわ。…あのくらいのレベルの男が、男を怖がって逃げ回っている小娘になんかに満足しないでしょうしね。早く諦めた方が、お嬢さんのためだわ」
「…どうしてそんな失礼なことを言うの?」
怒りで震えるイェンランに、カーラは憐れみの視線を送ると、艶かしい笑みを浮かべた。
「……思い切って好きな男に抱かれてみたら?できるものならね。
まぁ、そうは言っても、彼が貴女を相手にするとは思えないけど」
イェンランはギリ、と彼女を睨み付けた。
「おお、怖い。こうまで言われても負けないわねぇ、貴女。なかなか見所あるじゃない?
これからの大陸には貴女のような女性が台頭してくるんでしょうねぇ」
「……ねぇ、わざと怒らせようとしているの?」
その言葉にカーラは目を丸くし、次の瞬間声を立てて笑い出した。
「ほっほほほ…。いいわぁ。けっこう鋭いのね。
…こういう気の強いの、私は好き。でもね、お気をつけなさいな、お嬢さん」
カーラはそう言うと、目を細めた。
「気をつける?」
「こういうガチガチに固まっている頑なな女こそ、一度快楽の味を覚えると脆いわよ」
「……」
「せいぜい、悪意を持つ男に抱かれないようにね。快楽を覚えさせられて破滅した人間を、私は何人も見てきているのだから」
イェンランは彼女のガラスのような灰色の目の奥に、悪意を垣間見た気がして身震いした。
彼女はにやり、と笑うと、自分の部屋に戻ろうとしながらこう言った。
「安心して。もうすぐしたら迎えが来ることになっているから」
「迎え?」
思わぬ答えにイェンランは目を丸くした。
「その間に、キイ様にうんと慰めてもらおうかしら…。本当に思ったとおり、人間(ひと)の欲望を掻き立てる人よねぇ」
「カーラさん!」
イェンランは思わず、立ち去る彼女の背中に叫んでいた。
怒りの後に、もの凄い悪い予感が彼女を襲ったのだ。
カーラはキイに何かするつもりだ。…何か…というのは、イェンランには考えたくない事柄だけど、彼女がキイを狙っているのは確かだ。
(いや!…そんなの…)
あの彼女の妖艶な指がキイの髪をまさぐる…という想像を思わずしてしまい、イェンランは身震いした。妬けつく様な、どす黒い感情が湧き起こってくる。そしてカーラの濡れた唇が、キイの頬を辿って彼の柔らかそうな口元に落ちてきて…。
ぶるぶると、イェンランは大きく首を振った。
…アムイは誰振りかまわず女と寝る男ではない、と言っていたけど、さっきのキイは満更でもなさそうだったし…、シータは来る者拒まず、って言っていたし…。
何だか泣きそうになって、イェンランは自分の部屋に駆け込んだ。
昼頃がピークだと言われていた嵐の勢力は、一向に衰えもせず、その奔放な雨と風は夜半近くになっても人の神経を逆撫で続けていた。
(眠れない…)
夕飯が終わり、やるべき事を済ませて、皆、明日に備えるために部屋に戻ってから、かなりの時間が経っていた。
特にこの嵐が、眠ろうとするイェンランの目を覚まさせてしまう。
《明日、返事くださいね、イェンラン。貴女にとって、悪い話ではないと思いますから》
そう爽やかに言う、リシュオンの言葉が思い出される。
イェンランは実はまだ迷っていたのだ。
どう考えても、自分の行く道は西の国…。確かにあのアイリン姫のお世話ができれば、自分も嬉しい。
でもやはり。どうしてもキイの事が心に引っかかって、彼女の気持ちは定まらなかった。
しかも、あのカーラの挑戦的な言葉。キイへの誘惑。
…眠れる筈もなかった。
それなのに、堂々とキイと向かい合おうとする勇気すらもない。意気地なしの自分に腹が立つ。
イェンランは大きくため息をつくと、そろそろと寝台から降りた。
…アムイに話してみようかな…。
それに夕飯にさえ顔を出さなくて、シータが食事を部屋に運んでいたくらいのアムイの様子も気にかかる。
イェンランは意を決すると、そっと自分の部屋を出て、アムイの部屋に行こうと薄暗い廊下を歩き始めた。
そのとき、遠目ではあったが、ふっと女の影が横切ったのを見て、イェンランの足が止まった。
(まさか、カーラさん?)
彼女が出てきたのは、アムイの…いや、隣にあるキイの部屋の辺りだった。
イェンランは胸騒ぎがして、彼女が向かった方向に自分の足を向けた。
外は雷鳴を伴うほどの大嵐だった。
雷のお陰で所々屋敷内に閃光が走り、外廊下はかえって賑やかであった。
それは庭先に続く回廊になっていて、こんな時間、こんな嵐には、人なんているわけがなかった。
案の定人の気配もなく、廊下は雨で濡れており、イェンランは足元に気をつけながら彼女の後を追った。
その回廊の果てには、海を見渡せる屋根付の展望台となっており、特に海側の方には開け閉めのできるガラスの扉が備えられて、このような風や雨を凌げるようにできていた。
…どうやらカーラはそこに向かっているらしかった。
(何で、こんな所に…)
いぶかしみながらも、そっと展望台の入り口に差し掛かったイェンランの目に、信じたくない光景が目に入ってきた。
(キイ!)
イェンランは息を詰めた。
その展望台のガラスの扉の前で、柔らかな灯りの下に佇んでいたのは、なんとキイだった。
(そんな…)
キイは怖い顔でガラスの扉ごしに、外の景色を眺めていた。外は真っ暗でよくわからないが、その様子はまるで奈落の淵のように、世界に渦を巻いているように見えた。
その対比として、肩に羽織った長めのローブに、キイの長い絹糸のような髪がまとわりつく立ち姿は、遠目からでも溜息が出るほど美しかった。
カーラはそんな彼の姿を認めると、満面の笑顔で近づいていく。
(まさか、逢引き?)
血の気の引いたイェンランは、いけない、と思いながらも物影に隠れ、二人の様子を窺った。
「キイ様」
カーラは艶めかしい声で彼の名を呼ぶと、キイの背後に立った。
「おや。君も眠れなかったのかい?」
先程までの怖い顔が、彼女に振り向く時にはすでに、いつもの優しい笑顔となっていた。
「ええ。ちょっとお話がしたくてお部屋に伺ったのですが、いらっしゃらなかったので。お捜ししましたわ」
その言葉に、キイの目の奥が光ったような気がした。
「よくここに俺がいるって、わかったねぇ」
イェンランは、二人が逢引きの約束をしたのではない、とわかってほっとしていた。
いや、だからこそ、やはりカーラはキイを誘惑するつもりなのだろう。
本当なら、こんなこそこそと隠れて盗み見ているなんて、人としてはしたない事だとイェンランだってわかっている。
だがそれ以上に、二人の間に流れる空気が、彼女の足を釘付けにしていた。
「思う方のことなら、何でもわかりますわ」
早速カーラはキイの頬に手を伸ばした。
イェンランはどきっとする。
「ほう、何でも…ね」
キイはカーラを見下ろすと、謎めいた笑みを浮かべた。
「初めてお会いしたときからこのカーラ、貴方様の事を忘れられません…」
カーラも妖艶な微笑を湛(たた)え、もう片方の手をキイの胸元に忍ばせようとした。
「おっと」
突然その手を、キイは遮るかのように自分の手に取った。
「キイ様?」
「いつもこうやって男を誘っているのかい?」
キイの声に、からかうような様子が覗いて見えた。
「…あら。来る者拒まず。噂では天下の宵様は女の誘いには抗えないと聞いておりますわ。
今更そんな、無粋なお方ではありますまいに」
いきなりキイは笑い出した。カーラの目が鋭くなった。
「あんたが本当に女ならねぇ」
その言葉に、カーラも、物影に隠れていたイェンランも固まった。
「まぁ、最近は俺もいい歳になっちまったようで、昔みたいな節操なしじゃなくなったけどな。
それでも相手は好みな女じゃねーとなぁ。な?坊や」
その科白に、カーラは美しい顔を憎らしげに歪めた。
(え、ええ?坊やって…?まさか…お、お、男!?)
イェンランにとって、気を失ってしまうくらいの衝撃だった。だが、そこは何とかいつのも気丈さで持ち堪える。
(信じられない…!どう見たって、女の人じゃない!…え、え、??じゃ、身体は男って事だから、胸もないし…ついてる物はついてるって事…よねぇ…?)
彼女は少々パニックに陥っていた。
じっとキイを睨みつけていたカーラだったが、彼も突然大声で笑い出した。
「あーはっはっは!…参ったねぇ!さすが噂の【宵の流星】。
俺の服を脱がせずに、男と見破ったのはあんたが初めてだ!」
女を装うために使っていた声色から、がらっと男の声と口調になったカーラに、イェンランは益々びっくりした。
それでも彼の声は普通の男性よりは高い。まるで少年のようだった。
「お前、何者だ」
キイは目を細め、カーラの両肩を掴んで自分から引き離した。
「…お会いしたかった、宵の君」
にやり、とカーラはキイを下から見上げた。
「……光の姫巫女を陵辱し、生まれた王子よ。あんたがどのような人間か、俺は子供の頃から興味あったんだ。
…あんたと同じ、子供目的で、嫌がる女を無理矢理に犯して生ませた子、としてね」
カーラの言葉に、緊迫した空気が流れた。
「…お前、もしかしたら」
キイの目が益々細くなった。
「へぇ。何も知らないようで、意外と調べてるって感じだね、宵の君。
そうだよ、俺はあんたの代わりとして実験で生まれた子供さ。
セドの王子が巫女を犯して生まれた禁忌の子供があんたなら、俺は吸気士が第九位気術士の女を犯して生まれた子…。
いわば、あんたと俺は愛のない営みでできた子供同士っていう事だ」
「という事は、お前、シヴァの息子か」
「へぇ、よく知ってるねぇ。そう、俺はカァラ。姫胡蝶(ひめこちょう)という異名を持つ。
で、…そのシヴァをけしかけたのが誰かは?」
「いや」
ふぅん、と彼は鼻を鳴らした。
「そいつ、おかしいぜ。寝ても覚めてもあんたとセドのお宝のことばかり。
…しかも俺をあんたの身代わりに散々おもちゃにしやがって…。
ま、そんな事はもういいんだ。もう俺も成人してるし、今は結構楽しくやってるし…」
「その誰かって言うのは?」
「あんたも薄々気づいてるだろ?何度も会ってるじゃないか。…子供の頃も大人の時も」
「………子供の頃は覚えがねぇが…」
キイは眉根を寄せた。「……かなり気術に詳しい奴で、胡散臭いっていったら、あれだな。賢者衆を追い出された奴だろ?」
カァラはくすりと笑った。「なんだ、わかってるじゃん」
「じーちゃんが嫌っていた奴か!ああ…あのセクハラ親父」
前に南の国の護衛として雇われた時、発作で苦しむ自分の身体を撫で回された…。
思い出しても鳥肌が立つ。絶対、関わりになりたくない相手だ。
南の国の宰相ティアン…。
奴がこの自分を執拗に追いかけているのか…。
というか、多分セド王国の術士、マダキの弟子であった男だ。マダキはセドの裏経典を暴いた男。その弟子ならば、セドのお宝に熟知していておかしくはない。ならばその執念もよくわかる。…だが、その宝の真の部分はいくら研究したってわかる筈もないだろう。…あんな男なんかに。
キイの揺れ動く心を見透かそうと、カァラは目を細めた。
それに気づいたキイは、カァラの顔を覗き込み、凄みのある声でこう言った。
「それで?お前は何の目的でこの俺の所に来た」
カァラは悩ましげな視線をキイに投げかけると、おもむろにこう答えた。
「あんたの苦しみを解放してやろうと思ってさぁ。
…宵の君、俺と同じ、こちら側の人間になりなよ。
…男に抱かれるのは駄目でも、女のような男は抱けるかもしれないだろう?」
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