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2010年11月15日 (月)

暁の明星 宵の流星 #124

それは悪魔の囁きと同等のものであった。

「この俺に、闇に染まれと言うのか」
キイの目が冷たく光った。
「そう。…あんたの苦しみ…。楽にしてあげるって言ったら?」
カァラは凄みあるキイの様子にお構いなしに、自分の腕をキイの首に巻きつけた。
「この俺に、闇に堕ちよと言うのか」
キイの顔が苦痛に歪んだ。

その彼の苦悶の波動に、カァラは嬉しそうに目を輝かせ、爪先立ちになってキイの耳元に甘い囁きを繰り返した。

「…苦しいだろうよ、宵の君。この男である俺を抱けば、あんたは苦悩から解放される。
さぁ、俺の手を取って。……あんたもこちら側の人間になって、全ての欲望を成就させるがいい」

イェンランは声も出なければ、身体もがちがちになって動けなかった。
キケン…。
その文字だけが彼女の頭を駆け巡っていた。
それほどまでに、この妖艶な青年の禍々しい波動は周囲を圧倒していたのだ。

「闇を抱えずに、この世に生きている人間などいない」
低く、抑揚のない声で、キイは答えた。
「だからとて、安易に闇に堕ちるつもりもない」
カァラは眉をしかめてキイの顔を見つめた。
「…さすが、光と謳われた巫女の腹から出てきただけある…。
この地に生まれ、欲望と裏切り、恐れや悲哀、憎悪と醜悪にまみれ、地に堕ちた天人を何人も知っているが、…あんたはその屈強な精神力で、この世の地獄を渡り合ってきた魂(たま)ということか」
ふっとカァラの口元が緩んだ。
「……この美しい姿形。誰もが心奪われるほどの艶やかさ。惹きつけてやまぬカリスマ性。
ややもすると、中性的で柔和な姿に皆は気を取られているが、あんたの真の魅力はその類まれな男性性だ。
その表面に隠された、野性的なオスの部分。
…男なのに女の役割を担うよう育てられた俺とは違う。中は正真正銘の男…だからこそ、この俺を惹きつける」
その言葉を聞いているキイの表情はわからない。

…確かに、キイの柔らかな物腰、その美しい姿、優雅な風情…。どんなに乱暴な言葉や態度をとっても、それが彼の魅力を半減することはない。かえって、優美さを引き立てることもあるくらいだ。男であれば、このような美しさを目にしたら、絶対に手に触れたい、ものにしたいと、狂おしく思うだろう。
だが。
女であるイェンランは、カァラの言っていることが我がことのように理解できた。
…女も初めは光を求めるかのように、彼の美しさにに惹かれる。だが、それから女を捕らえて離さない部分は、彼の言う、キイの類まれな男性性。
男が女を求めるように、女が男に求めるものが、彼には完全に備わっていた。
男性が苦手な…いや、男性を嫌悪して女を呪っているこの自分でさえも、余りあるほどに惹きつける…。
どう言ったらいいのか。単純に自然な気持ちで考えると、行き着く先はきっと…。
そう、女の性としての本能が、この男の子供を産みたいと訴えているのだ。
この、誰よりも美しく、強く、最高な男の種を宿し、産み育て、この地に残したい。
これは生き物がこの世に誕生してからの、至極(しごく)自然な感情なのだ。

「ならばお前は不憫だな…。女の気持ちで俺に惹かれるとは」
独り言のようなキイの言葉に、カァラの頬がピクリ、と動いた。
「今わかった。お前のその灰色の目は、この世では見えぬものが見える、邪眼。
…波動が合えば、お前のその目はこの世の真髄をも見通す…。
ふぅん。お前の父と、あのティアンは、この事を見越してお前を儲けた…というわけでもないな」
「すごいね。…さすが、天の力を持って生まれた男。
そうさ、親父達はまさか、生まれた子が邪眼を持って生まれるとは思ってなかったよ。
あんたのように、何かしらの“気”を持って生まれると思っていた」
“気”を扱う吸気士と気術士の掛け合わせ…。結果は天には敵わなかったという事か。というよりも、“気”と人との因果関係は計り知れないものがあるのだろう。“気”に関係のない王子と巫女の掛け合わせで、神の気を持って生まれたのなら、と考えて実行したことだった。その結果は、“気”を扱う者同士の掛け合わせだから“気”を持って生まれるかも、という単純なものではない、というのがこれによってわかったのだ。
「さぞかしがっかりしたろうよ。…物心つくまでは、普通の人間に見えていたんだから」
カァラはその灰色の目を伏せた。
幼い頃から、自分に何かしらの力が備わっていないか、ありとあらゆる実験を繰り返された。
それ以上に、稀有な女気術士の中でも、かなりの美貌を誇る母親に似て産まれた事が、自分を闇に落とす事になろうとは。
邪眼…。自分の力がそうならば、きっとそれは己を守るために出てきた能力だ。…生まれついての才能はあったかもしれないが。
平々凡々な人生なら、何の使い道にもならぬでないか。
そしてその力が高度になっていくにつれ、疎まれる事も比例していく。だがそれを越えるほどの美貌に生まれたのは、ある意味不幸であり、幸いでもあった。…幼くても、彼の美貌と色気は大の男でも骨抜きにさせた。
…カァラは成長するにつれ、それが自分が生きるための武器と知っていったのだ。

「…では、その邪眼に何が映った。だから俺に誘いを掛けてきたんだろう?」
カァラはその言葉に思わせぶりな笑みを浮かべた。
「今の大陸において、男が駄目だって?」
今度はキイの方が、顔をピクリとさせた。
「……何があんたをそこまで頑なにさせているのかなぁ…。
男女という性を越え、愛を貫いたって、この大陸では許されるのに」
「……」
「あ、何かな?やはり血のつながりの方が倫理的に問題?」
「おい、カァラ」
キイは無理やり彼の腕を引き剥がした。
「あれ?核心をついちゃった?」
ふざけたようなカァラの声色に、近くで聞いていたイェンランは胸の鼓動が早まった。
ねぇ、それって…。
「あんたの心を地獄に落したのは、天に通じる身で実の弟を愛してしまったからだ」
その言葉に、キイは息を詰め、イェンランは声が出そうになるのを必死で抑えた。
しかしキイはその直後、ゆっくりと息を吐くと、意外にも不敵に笑った。
「だから?男を抱くことができれば俺が救われると?苦しみから解放されると?」
「…違うの?」
いきなりキイは声を立てて笑った。
「はははっはは…!…お前の事を、服も脱がさずに男と見破ったのは何故かわかるか」
カァラはキイのこの態度に、疑わしい眼差しを向けた。
「いくら女のように着飾り、その辺の女よりも妖艶で美しくとも、お前は所詮は男ということなのだよ。
…お前には女の神なる部分を持っていない。わかるよな?」
「……なるほど」
「そう。俺はこの地に初めて降りた魂(たま)のようだ。
初めて肉という枷にはめられ、生物としての本能に翻弄された人間さ。
はっきり言えば、俺は女の“子を宿す神なる部分”に、本能的に欲情するんだよ。
生殖本能…。ま、皮肉にも、あれだけ獣のようにさかっていても、今まで子供を授からなかったわけだが」
「あんたって本当に内面は野性的だよな。俺のオスの部分を本能で嗅ぎ取っていたってわけか」
そう言いながら、じっとカァラは灰色の目を細め、こう呟いた。
「あー…そうだね。今は時期じゃないんだ。…子を成す事。種がないってわけでもなさそうだし。
可哀相にねぇ、若い時の性欲って並大抵ではないのに…」
「あれ、また人のこと見てるな」
キイは面白そうにカァラを見下ろした。カァラも負けじとキイを見上げる。
「そうだとしたら、やはりあんたは罪な男だな。抱かれる女も可哀相に。
いや、あんたが自分の母親を思い、女に優しく、慈愛を込めて接しているのも、敬っているのもわかるさ。
だから女はあんたを憎まず恨まない。抱かれても文句はないだろう。あ、かえって感謝してるか。
でも結局あんたが、いくらその女に欲情しても、愛しく思っても、その相手を真に愛する事はできないでしょ。
その事に気づいた女は闇を見るだろうなぁ。それをわかってるが故、あんたはそういう闇に落ちそうな女とは寝ないよね。
本当にずるい」
「何でもお見通しってわけかい、坊や。
否定しないよ。俺は元々お前と同じ、背徳を持って生まれたんだ。今更取り繕うこともないさ」
カァラは、薄っすらと笑うキイの目を軽く覗くと、ゆっくりと口の端を上げた。「だからね…」
彼の声色に、キイは何故か真顔になった。
「今ので確信したよ。
あんたが同性に欲情できないのは、雄の本能が働いていること…。自然の摂理なんだ。
情欲よりも、愛よりも、自然の摂理の方があんたの中では勝っている。
どんなに愛し、相手を求めても、現実の世界で相手が同性なら、欲情できないようになっているのか…!」
だからカァラに不憫だと言ったのだ。いくら女の役割ができるとはいえ、所詮は自分も男。キイがなびく道理がない。
カァラは探るような視線をキイに投げかけた。それに気づいたキイは、先程とは打って変わって表情が硬くなっている。
「まるで…、そう、何か制御されてるみたいだ。
現実でそうなってしまったら、何か困ることでもあるの?」
キイの身体が緊張し、強張るのを感じて、カァラはほくそ笑みながら話を続けた。
「陰陽として生まれた筈の二人…。
まるでひとつの魂(たま)がふたつに分かれて生まれてきたような二人。
ここまできれいに分かれていたら、普通は必死になって元に戻ろうとするよねぇ?
よくあるじゃん。自分の魂の片割れ。どんな遠くにいても惹かれあい、結びつく。肉を持ってれば身も心もさ。
同じ魂(たま)が分裂して生まれたのとは違って、ひとつの魂(たま)が真っ二つだろ。 
俺には見えるよ。宵と暁って本当に表裏一体。二人でひとつの、元々が一つの魂だった。
玉を二つに割った場合、再び重ねると、ぴたりと重なるようなね。
…ただ面白いのは、それなのに何故ひとつだけ…」
「遠まわしでなく、はっきり言ったらどうだ?」
キイの声が重く周囲に響く。

いつの間にか嵐は去っていたようだ。外の喧騒が今はぴたりと止んでいた。
そのせいか、二人を取り巻く空間は緊張で張り詰め、話す言葉も異様に響く。
イェンランは身動きできず、息を潜めて二人の話を聞いてしまっていた。罪悪感を感じながらも、今更その場を立ち去る事ができなかった。

「じゃあ、遠慮なく言わせてもらうよ。
どうして、たったひとつだけかみ合わないようになっているの?
本来、陰陽と分かれて生まれてきたのなら、異性同士…男と女として生まれてくる…それこそ自然だろ?」
キイの目が細まった。
「ねぇ、なのにどうしてあんた達は男同士として生まれてきたの?あんたの苦悩はそこじゃない」
「………」
「……苦しいよねぇ。特に肉体を持ってそれじゃあ。……ひとつに戻りたいだろ?ひとつに溶け合いたいだろ?肉体を持つ男と女なら、簡単な事なのに」
キイはカァラの言葉を黙って聞いている。その表情は他人が見ても、よくわからない。

彼はたまにこういう顔をする。怒っているのか、困っているのか、それとも面白がっているのか。
イェンランは、それが彼の強靭な精神力の賜物だと、何故か理解した。そう、キイがそういう顔をする時、それはとても重要な意味を持つ。大きな、何かを悟らせないための…。どうしてそう思うのか、彼女にもよくわからないが…。

「ああ、それじゃもっとやばいか。…近親相姦だものね、完全に」
意地悪いカァラの棘のような言葉に、イェンランの胸は苦しさで張り裂けそうだった。
だが、じっとその話を聞いていたキイは、ふっと息を吐くと、思いの他、明るい声でこう言った。
「確かに否定しねぇよ。ストッパー…、いや、ブレーキ(抑制)という意味ならあれだ。
いくら半分しか血が繋がっていないとはいえ、やっぱまずいじゃん、いくら愛しているとしても兄妹で。
本能でそうなっちゃたら、その方が罪悪感がでかいでしょ」
「理性で止められないから、同性で生まれたわけ?どうして?本当にそれだけ?…しかも何でそんなブレーキが必要なのよ」
そしてカァラはふふん、と鼻を鳴らした。
「…この地で今生、肉によって結ばれないという事は、飢餓感ばかり募らない?その昇華しないエネルギーは何処に向かうのだろう」
カァラのその問いに、キイは小さく笑った。邪眼の彼は、どこまで自分達の事を見透かしているのか。
「愛にも色んな形があるのさ。…お前が重要視する、情欲だけでなくてね」
キイはじっとカァラの瞳の奥を覗い様子見た。
面白いなぁ。一体この子の瞳には、何がどこまで見えているのか…。
「それこそ綺麗事だよ、宵の君」
カァラは珍しく、子供のようにむくれて見せた。
「ははは、そう思うのならどうぞ。…でも、お前のその顔だと、ちゃんと真相を見破ってるんじゃないかと思うがね」


さすが巫女の子、天界の子。一筋縄ではいかないと思ってはいたが。
白いものを黒く染める…のも、楽しいかも、と思っていたカァラは、少しがっかりした。
特に彼は自分と同じような生まれ。普段は人に執着しない、傍観者の立場が好きなカァラでも、ずっと気になっていた男のひとり。彼の存在が自分を生み出したと思えば、ほのかな親近感さえ持っていた。
彼も自分と同じ暗黒面に呼び寄せたら、面白いと思っていた、ずっと。…だが。
「何、そのつまらなそうな顔」
キイの声で、カァラは我に返った。
「知っているんだろうよ、姫胡蝶(ひめこちょう)。そうでなければ、俺の存在を世間にぶちまけないだろ?」
今度はキイの方が、意地悪い言い方となった。
「知っていたの?」
「……俺を侮っては困る。俺にはある筋の情報網があるんだよ。この大陸の情勢をいち早く把握するためのな」
「へーえ。…さすが、【宵の流星】。噂は本当だったんだ。
セドの生き残りである最後の王子が、セドの宝を手に、セド王国を再興し、東を席巻するつもりだと」
キイの片眉がピクリと上がった。カァラは続ける。
「東は今、他国の脅威に怯えながら、自分達の強力な支配者を求めている。…まさしく神王を。
それに納得してない州村もあるけど、今のままでは東がまとまらないという危機感が、セドが滅びてから身に染みているのも事実。
ならばセドの最後の王子をまだ据えた方がよい。神王を立てた方が都合がいい。
しかも王子は、大陸を凌駕するほどの秘宝を持っている。その王子を手に入れれば…。
公表した時の奴らの目、欲望で充血していたのには笑ったよ。
宵の君、あんたさぁ、いつかは東に立とうと密かに思っているんだろう?
だからさ、もっと面白くしてやろうと、俺はあんたの存在を教えてやったんだよ。
究極の指導者を切望している東の人間に、一筋の希望を見せてあげようとね」
「それは、まぁ、お礼を言わなきゃならねぇかい?
…ただ、俺が禁忌を犯した末に生まれた王子だという事を、忘れてもらっちゃ困るぞ。
あの神国オーンが、俺とセドの国を許し、再興を認めるかなぁ?怪しいもんだぜ」
しばらく様子を窺っていたカァラは、次に探りを入れるかのように、小首を傾げ、いきなりこう言った。

「アムイって、面白いよね…」
再び、キイが緊張するのがわかった。
「あの極悪人である俺の親父を、一瞬で廃人にしやがった。…もしかしたらさ。
俺、思い違いしていたのかも」
からかうようなカァラの言葉に、キイは顔を強張らせ、彼の目から余裕の色が消えた。
カァラはしたり顔で話を続けた。
「考えてみれば、おかしな話じゃない、あんたの片割れ…。
…あんたが男性性を強く持って生まれたということは、もう片方は女性性を強く持ってなきゃバランスが悪い。
だけど何だろう?アムイはどう見ても外見も内面も男。…もちろん美しさに関して言えば、あんたと張るくらい見目がいい。男も放ってはおかないと思う。それはわかる。だけど、その魅力があんたと違って幾重にも封じられてる気がするのは…。何か意味があるんでしょ?
……野生動物と同じくらいに鼻の利く奴じゃなきゃわからない、彼の何か」
「……」
「はっ!なら俺の親父も野生動物並みって事か!
あの鬼畜な男が、廃人になってまでもまだ、今でも暁に恋焦がれているのを知っているか?
まるで媚薬にやられちまったかのように、老いぼれてしまった身で、あんたの片割れを思って昼夜胸を焦がしているのを。
親父が暁に触れ、感じたもの…。それこそがあの男の女性性の部分じゃないのか?
奴の花弁に湧き出る蜜腺。その方があんたよりも数倍やばいだろ。
男の身に、本物の女の宮を持つなんて!」
イェンランはキイの顔を見て驚いた。…彼の顔から血の気が失せていた。
「何を勘違いしてるのか、アムイは完全な男だぞ。…まさか身の内に子宮があるとか、陳腐なこと言わないよな?」
しかしさすがの【宵の流星】だ。声にはまったく動揺の色はない。
「ははは。俺だって馬鹿じゃない。
外見は男で、中に子宮を持っているとかいう意味での、両性具有だと言ってるわけじゃないよ。
第一本当に半陰陽者(はんいんようしゃ)※両方の生殖器を持つ者・ だったら、あんたにブレーキは意味ないじゃないか。
俺が言っているのは、この世の現実の事ではない。…見えない世界での話だよ」
「だから?」
「アムイの魂の世界で、ひっそりと息づいている花弁。…それがあらゆるものを惹きつけてしまう。
男も女も、陰も陽も、正も邪も…。何でも受け入れてしまうのは、アムイの持っている“金環の気”と共に、その花弁が大きく作用している。
だから無意識のうちだろうけど、奥深くに隠していたんだよね?アムイが成長するまで」
キイはゆっくりと息を吐いた。まるで、身体の緊張を解こうとしているかのようだった。
カァラの目が意地悪く光った。
「あんたはもうすでに心の闇と戦って、這い上がってきた男だ。
このことについては、もうすでに心の決着はついているみたいだしね。
だからあとは待つだけだ。
アムイが目覚めて、あんたをその花弁で受け入れてくれる時まで。
いつかそんな日がくればいいねぇ、宵の君」
すっと音もなくカァラはキイから離れた。静かになった外の景色をちらりと見る。
もうすぐ、夜が明けそうだ。
「【暁の明星】。すごく興味が出てきたよ…。今の暁なら、あんたよりも楽に落ちそうだ…」
「やめろ!」
キイは思わず叫んでいた。
先程までの態度と違い、見るからに取り乱している様(さま)に、イェンランはぎょっとした。
「アムイに近づくな!指一本、触れるんじゃない!」
その激昂に、カァラはわくわくしていた。
「やっぱりねぇ、宵の君。あんたの弱みはやはり暁の君なんだね。
わかってはいたけど、こんなに簡単に動揺してくれるなんて」
コロコロと笑うカァラの声の響きが、キイの神経を逆撫でする。
「知ってるでしょ?俺を抱くと、もう女は抱けなくなるって。
親父は失敗したけど、相手に快楽を与え、溺れさせるのは親父譲り。得意中の得意でね。
しかも今のアムイなら、どうだろう。何か知らないけど、安定の“気”を持つ筈が、かなり揺らいでいるね。
これは期待していいかもしれない」
「そんなことしてみろ!…ただじゃおかない」
じり、とキイはカァラの前に進んだ。イェンランがふと見ると、キイの利き手は腰に括られている剣に伸びている。
「あれ?俺のことを斬るつもり?…そんなにマジにかっかしていると、益々確信しちゃうなぁ。
……あんた達が通じていない、今がチャンスなんだと」
その言葉で、キイは突然切れた。鞘から自分の剣を抜き、ふぁさ、と肩に掛けていたローブが床に落ちる。
「おお、怖い。本気で怒ったあんたもイカしてるね」
彼の軽口をも無視し、キイはお構いなしに剣を振り上げた。
「あえて見過ごそうと思ったが、アムイに手を出すつもりなら、話は別だ。
姫胡蝶よ、覚悟するがいい」
「覚悟ねぇ」
緊迫した二人の様子に息を呑んでいたイェンランだったが、何気に向けた視線の先に、何かが動いているのに気がついた。
よく目を凝らしてみると、ぽっと小さな火の灯りが見える。
彼女が目にしていたのは、すでに嵐が去った後の、静かな庭先であった。キイ達が近くにいる海側のガラスの扉ではなく、彼女がいる出入り口近い窓の方だった。その方向だと、裏門に続く庭の坂道だ。ということは…。
だんだんと夜が明け始めたのか、薄っすらと周囲が明るくなってきたために、イェンランの目に、その何かがはっきりしてきた。
小さな灯りはひとつ、ふたつではない。…それがどんどん、こちらに向かってくる。
この展望台と、そこから続く離れの屋敷に。

「キイ!」
イェンランは形振(なりふ)り構わず叫んでいた。
突然彼女の存在に気がついたキイは驚いた。だが、その後の言葉で、彼はもっと驚く。
「誰かが来る!こっちに向かって。しかも大勢!!」
「何だって!?」
イェンランの指先を目で追うキイと同時に、カァラは思い切り海側のガラスの扉を開け放した。
その様子に、キイはカァラを振り返った。
「誰かがこっちに来るね」
カァラはそこから外に出ようと扉に手をかけた。開け放たれた所から、海風が吹き込み、カァラの長い髪を躍らせた。
「姫胡蝶」
「俺の迎えかと思ったのに。アベルの奴、何を出遅れてんだ」
ぼそっと独り言を呟くと、カァラは二人に微笑んだ。
「じゃあね、宵の君、気の強いお嬢さん。
この大群は俺の迎えじゃないけど、その後に続いて来てるみたいだから、俺は帰るよ。
ま、優しくしてくれたお礼に、今回は見逃してあげる。
…その代わり早くここから出な。鼻の利いた奴らが、血眼になってあんたを捜しに来たぜ」
生意気な口を利くと、カァラは軽々と外に飛び出した。

それと同時だった。
突然、屋敷の壁に向かって火が放たれた。

「きゃあ!」
思わずイェンランは悲鳴を上げた。
小さな火の灯りは、矢につけた火種だったのだ。
矢の火は大きく燃え、上に登ってぼっと木造の屋根に燃え移った。
その後に続いて、火はどんどん屋敷に向かって放たれる。

「まずい!あいつら、俺達をあぶり出そうとしてやがる!
早く皆に知らせねぇと!!」

二人は展望台から、燃え広がろうとする屋敷に向かって、必死に走り出した。


「ふふふ。出て来い、【宵の流星】よ。この火が燃え盛らぬうちに」
明るくなっていく空と共に、赤々と照らされる建物を眺めながら、少し離れた場所でティアン宰相は呟いた。
「宰相、大丈夫でしょうか。逃げ遅れて焼け死んでしまうなんて事…」
ティアンの後方で控えている、弟子で研究の助手でもある、腹心の側近チモンが不安そうに言った。
「そいつは抜かりない。火の量も燃え広がり方も、全て計算している。しかも嵐で何もかもが湿っておるしな。
それにミカエル率いる、私の気術特殊部隊が指揮を取っておるから、心配はしておらん」
そしてティアンはにやりとすると、こう付け加えた。

「あの宵と暁が簡単にやられるわけがないじゃないか。見てろ、時期に慌てて逃げ出てくるからな」

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