暁の明星 宵の流星 #122
嵐はどんどん酷くなっていく。
北の第一王子の好意で、彼の友人の屋敷にしばらく滞在していた南の王女リー・リンガは、イライラしながら窓の外を眺めていた。
「王女、仕方ないではありませんか。このような嵐では、ここを出るには無謀すぎますぞ」
彼女の護衛、モンゴネウラが呆れたように言った。
「…だって」
「お気持ちはわかりますが。……確かにあのような話を聞くとですね」
「まぁ、これであちらは【宵の流星】確保に本格的始動、というところですしなぁ。
ということはつまり、彼らの後を追えば、必然的に【暁の明星】も…」
モンゴネウラの隣で、南の将軍ドワーニが気楽な調子で言う。
「……だからこそ、ここで嵐があがるまで待っていられないんじゃないの」
リンガは優美な眉をしかめて二人に向き直った。
実はつい今朝方、ティアン宰相に会いに彼の息のかかった兵士がこの屋敷にやって来たのだ。
その時ちょうどリンガはティアンと北のミャオロゥ第一王子と、朝食後のお茶を飲んでいた。
うっとりと彼女を見つめるミャオロゥ王子の視線を疎ましく思いながら、リンガは気のないそぶりで二人の話を聞いている。
「どうです?この話、悪くないと思うのですが」
「いや、これはとてもいい話だ。…もし、この宵の件が上手くいきましたら、直々に我が大帝にお話を持っていてもよろしいですぞ、王子」
ティアンの返事に満足気に頷くミャオロゥは、またまたねっとりと前方にいるリンガを舐めるように見た。リンガの背筋がぞっとした。
「リンガ殿」
突然、ミャオロゥはテーブルに置いていた彼女の手を取った。
「…まぁ、お戯れを、王子」
リンガはわざと妖艶に微笑んだ。内心ではかなりの悪態をついていたが。
「この北と南を強固にするには、私と貴女が結婚するのが一番だ。
南の王女を娶ったとなれば、私も王家での株が上がる。
いや、元々この国は私がいなければ回らない。……今はわけあってここにいますが、セド王家の秘宝を手にさえすれば、この大陸は北と南の天下となる。…巨大な王国の誕生、というわけですなぁ!これはもう、いまだかつて誰も成し遂げた事のない、大陸統一に向けての第一歩となるでしょう」
偉ぶって興奮し、唾を飛ばしながら話すミャオロゥに、リンガはうんざりした。
…確かに、敬愛する兄帝王のため、愛のない政略結婚に身を投じていたリンガであった。(その代わり、好き勝手に男妾を持っていたけど)だが、それは愛する兄の頼みだったからだ。誰が好き好んで好きでもない男に足を開くか。
リンガはむかむかしてきた。だがそこは一国の王女。無礼な振る舞いは、はしたないと躾けられている。
彼女は出来る限りの微笑を相手に向けると、そっと彼の手をはずす。
「…そうですねぇ。王子が見事、秘宝を手にされたならば、我が兄君もお許しになるかもしれませんことね」
まったく、冗談じゃない。何でこのわたくしがこんな豚みたいな男と!
ミャオロゥ王子は、痩せていればそんなに悪くない容姿だと思う。かなり好意的に見て。でも。
太りすぎではないが、小太りで、脂ぎっている。…リンガとしては、できればお近づきにはなりたくないタイプである。
好色そうな目をして、この男は。…南の大帝の同母妹であるこのわたくしを、まるで場末の娼婦を見るような目つきで…。なんて失礼なのかしら。
リンガは表では笑顔を作りながらも、心では王子を罵倒していた。
その時だ。北の警護の者が、ティアンの客だと数人の男達を連れてきたのだ。
「ティアン様、リドン帝国(南の国)のミカエル少将殿がお見えになりました」
「ミカエル?」
居間の片隅で待機していた将軍ドワーニが呟いた。
ミカエル少将といえば、稀有な気術専門の将校。…このティアン宰相直々の配下のものだ。
元々ティアンは、賢者衆の一員でもあったほどの気術士だ。気術使いの者を配下に直に置くのは当たり前である。
しかもこのミカエルという男。南の国でも3本の指に入るほどの優秀な気術士で、南の鎮守・炎剛寺院(えんごうじいん)所属の名のある高僧の嫡子であった。本人は父の寺を継ぐ意思は全くなかったようだが、一応、その時は修行僧であった。
それをティアンが宰相となった時、彼に見出されて寺を辞め、軍に入ってきたのだ。
「おお、ミカエル。何かあったか」
ティアンは珍しく上機嫌になって彼を迎えたが、その彼の背後でひょろっとした背の高い男が目に入った途端、顔をしかめた。
「ヘヴンまで一緒とは…。はて、何か嫌な“気”が漂ってきてるような…」
汚らわしいものを見るような目つきで、傭兵であるヘヴン=リースをじろりとティアンは睨んだ。
ヘヴンはそんな露骨な態度のティアンには全くお構いなしに、ニヤリ、と笑う。
「大ありですよ、宰相。…そうでなければこんな嵐に、わざわざ貴方の所へは来ませんね」
ミカエルが苦笑して言った。確かに、彼らの髪も衣服も濡れている。
ティアンの細い目が光った。
「その様子だと、進展があったようだな、ミカエル」
その言葉に、その場にいた者が皆、緊張する。
「はい。暁に会いました」
ざわ、と一瞬、部屋がざわめいた。特にリンガは小さい悲鳴をあげると、すぐに息を詰めた。
「そうか!暁を見つけたのか!…という事は…!!」
ティアンの嬉々とした声が部屋に響く。
「まぁ、話をお聞きくださいよ、宰相」
まるで子供のようにはしゃぐティアンに、ミカエルは困った顔して笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな!…ミカエル、早くこっちに来て座れ。誰か、この者達に茶を入れてくれ!」
ティアンはそう叫ぶと、ミカエル達を手招きした。
激しく打ち付ける豪雨の最中、ひっそりとした海辺に佇む屋敷の中で、ミカエル少将の説明が続く。
海は風を受け荒れ狂っている。その様子は、地獄の口がぱっくりと開いてるような錯覚に陥るほどに。
何ともこの先の行く末を知っているかのようだ。
「…と、いう事なのです」
ミカエルは一通り喋ると、渇いた喉を潤そうとお茶を口に運んだ。
「……暁達を手助けする者がいる…」
「ええ、さっき説明した様子では…。ねぇ?宰相」
ミカエルはもったいぶった風に笑った。
「…雷雲の術。雷小僧、昂極大法師か。ふん。そんな事だろうと思っていたよ」
ティアンは憎憎しげに吐き捨てた。
「ならば、早いうちに手を打たねば。…宵様を手にするには、北の国境を越えさせてはなりません」
背後で、ティアンの腹心である側近がそう囁いた。
「確かにその通りだ。
ふふ。まぁ、予想はつき易い。昂のおいぼれが絡んでるとなれば、奴らの次なる目的地は東しかない。
…聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)…。あのおいぼれだけで、キイの封印を上手く解けるわけがない。国境越えは必須だろう。
だが、こうなると勝手が違ってくる。あの東の荒波(あらなみ)が北にまで顔を出してくるとは…。
となれば今の東も、荒波以外の州村、小国もこぞってキイを狙っている状況ということか…。【宵の流星】巡っての骨肉の争いとなるのが目に見える。
…東に入られると面倒な事になるな。
キイを北から出すわけには行かぬ。今はまだ競争相手が少ないうちに、何とかせねば…」
ティアンは苛々と歯軋りをした。
ここに来て、今更ながらに吸気士シヴァの息子、カァラの存在がひっかかる。
何故、カァラはあのような事を私に言ったのか?
《暁と通じていない、今が好機だからね。
あの二人が結ばれたら…もう宵は一生手に入らないと思ってもいい》
何故、カァラはキイの素性をあのように大胆に世間に公表したのか?
しかもそれを自分に一言もなく、だ。
もちろん成人してから滅多に会わなかったが、まかりなりにも、彼の育ての親と同然な自分に。
この自分が、宵の君を必死に追っているのも、知っていた筈だ。
いや、知っていたからこそなのか?…彼が自分に嫌がらせをしているようにしか思えない。
あんなに夜毎、可愛がってやったものを…。
ティアンは溜息を付いた。
「で、どうなのだ?逃げられた、だけでお前が私の所に、のこのことやってくるとは思えない」
ティアンはじろり、とミカエルを睨み上げた。
「まぁ、そうですね。…一番の収穫は暁と戦った事ですよ。…しかも奴の血の匂いのおまけつきだ」
ミカエルはにやっとして、隣のへヴンの顔を見た。
「血!?」
咄嗟にリンガが青くなって叫んだ。
「そうさ、あの天下の【暁の明星】の額をこう、ぱっくりとね…。
いやぁ、久しぶりだったなぁ。アムイの真っ赤な血…。綺麗だったぜ。白い整った顔を彩って」
ニヤニヤと話すへヴンに、吐き気にも似た気味悪さを感じて、リンガは後退(あとずさ)った。
(何?この男。…まさか、アムイの事を…)
リンガはピン、ときた。それは女の勘だった。
この男、アムイに只ならぬ執着をもっている。自分だって負けないくらい彼に執着しているからわかるのだ。
ちょっと過激度?には差があるが、この男は自分と同じ匂いがする。
(シヴァといい、この男といい…。ううん、こうなったらあのカァラ…姫胡蝶(ひめこちょう)も怪しいわ)
リンガは身震いした。彼女は自分がアムイに対してやろうとしている事を棚に上げ(彼女にとってそれが無理強いであるとは露ほど思っていない)、急に保護本能が湧き出てきたのに自分でも驚いた。
一応、子供を産んだことがあるから、保護欲、というものがあるのを自分も知っていたが、今まで成人した男に対して、このように感じたことはない。それが嫉妬心と混じって、彼女の心を乱れさせた。
(アムイをケダモノ達から守らなきゃ!)
アムイを狙っているのなら、自分も“ケダモノ”のうちには入らないのだろうか。
彼女にはそういう感覚は全くない。思いもしていないであろう。
それは彼女の思い上がりにも一因していた。男は皆、自分のような女に必ず惚れると、信じて疑ってないのだ。だから無理やり実力行使しても、結局は感謝されると思い込んでいる。…受身の存在である女は、男に何しても許されると思っているのだ。
「特に嵐のおかげで、びんびんと匂ってきますよ。風に乗ってね」
ミカエルが指を立てて、得意げに言った。
「ほう」
「…強烈な血の匂い…。それは雨なんかで簡単に消されは致しません。
それに加えてその血液に含まれる“金環の気”。…これは大きい。
私にとって、大きな足跡を残してくれていると同じですよ」
「そうか!なら、暁の居場所はわかるな!?」
「辿ればね…。ただ…」
身を乗り出したティアンに、ミカエルは目の前で手を振った。
「何だ?」
「慎重に、それに兵を沢山集めましょう。…あの暁には仲間がいます。
確かに昂極大法師が絡んでいるとしたら、一人二人だけではなさそうだ。
…事実、暁を連れ去ったのだって、どこかの小隊でした」
「…ふぅん、暁に仲間…ね」
ティアンは顎を手にして、宙を睨んだ。
やはり宵を手にした今、一人だけでは彼を守りきれないのだろう。
「それ以外に東の荒波、ユナの民…が、彼らを追っているのは明白。
特にユナ人は、暁に何か私怨があるらしく、執拗に追っかけていた。
…この様子では、先手を打たなければ、先を越される恐れがある」
「まぁ、アムイは俺に任せてくれよ。…あんたらはキイ…宵さえ手に入りゃいいんだろ?
ということで、俺も途中同行させてもらうので、よろしく」
ヘヴンが横から口を挟む。その言葉に、リンガはむっとした。
「とにかく、これからの事を話し合いたくてここに来たのでね。
まぁ、この状況では、宰相殿も我々と来て頂くかもしれません…。
貴方もそのつもりでいらっしゃいますでしょ?」
ミカエルがティアンに言った。
「当たり前だ。宵に手が届きそうなのに、私が行かないでどうする?
…で、いつここを出る」
「まあ落ち着いてくださいよ。…私としてはこの夜半。
…この嵐ではきっと彼らも今いる場所を動けないでしょう。
…夜半になって、雨足が落ち着いたらここを出ましょう」
ミカエルはそう言うと、これからの計画を相談し始めた。
その話し合いは昼過ぎまで続いた。リンガももちろん、同行する気でいた。
なのにあの、北の王子の奴…。リンガは益々イライラを募らせて、激しい荒れ狂う海を窓から眺めた。
《女性の貴女様が、そんな危険な真似をするなんて!》
ミャオロゥ王子は必死になって彼女を止めたのだ。
《貴女は私の将来妻になる方だ。ここにいれば安心です。
…なぁに、早く【宵の流星】を捕まえ、すぐさまここに連れて来ますよ。
いいですか?私達が戻るまで、どうかここで大人しく待っていてくださいね》
その言葉を思い出したリンガは、頭に血が昇り、つい、身近にあった花瓶を床に叩きつけた。
「な~にが、私の妻よ!何が大人しく待て、よ!
失礼にもほどがある。…この南のリドン帝国の王女であるこのわたくしに、我がもの顔で命令するなんて!
お前となんか、仮に兄上に頼まれたって結婚なんかするもんですか!」
「落ち着きなさいませ、王女様」
顔色を変えずにモンゴネウラは言った。こういう癇癪は、彼女が子供の頃から慣れている。
「こうなりましたら、別行動に戻ればいいことでは?王女」
傍でドワーニが屈託なく言う。
「…そうね。ティアンと一緒の方が、何かと便利と思ってここにいたけど、もういいわ。
こっそりあの、ミカエルとかいう将校の後をついていきましょうよ。
別にここの王子に遠慮する事なんてないもの」
「それでこそ、我が大帝の妹君!では、早速、支度をしましょうか。…ミャオロゥ殿には内緒で」
モンゴネウラはそう言うと、さっと立ち上がり、荷物を整え始めた。
「相変わらず仕事が早いわね、モンゴネウラ…」
半ば感嘆しながら、リンガも支度するために窓を離れた。
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荒れ狂う雨と風は、人の心を不安にさせ、掻き回すのが得意だ。
同じく嵐に翻弄されているのは、追いかけようと必死な彼らだけではなかった。
(キイ…)
アムイはあれから一歩も部屋から出られないでいた。
ゴトゴトと風が窓を嬲る音が、彼の耳を痛めつける。
《お主の寿命はどのくらい》
《肉体の限界という事ならば、あと、12~3年、あればいい方かと》
この言葉がさっきから頭を駆け巡り、アムイを捕らえて離さない。
幼い頃、闇夜を照らしてくれた月光の異名を持つ母を亡くしてから、夜を極度に怖がるようになったアムイに、まるで催眠術のように、夜毎耳元で囁いてくれた、キイ。
《大丈夫。俺がいるから。アムイがこの地にいる限り、俺はずっとお前の傍にいるから》
《本当に?キイはいなくならない?》
《お前が俺をこの地に呼んだんだろ?お前がいなければここには用はないが、お前がここにいるっつーんなら、俺はいるよ》
そう優しく言い聞かせてくれた…キイ。
その答えに安心して、眠りに落ちる自分。
《安心して、アムイ。お前がこの地を去らない限り、俺は天には戻らない。
…帰りたくなんてない》
これこそキイの願望だったのだろうか?
ああ、いつから?
いつからあいつはこの俺に隠していたんだろう。
…自分の身体の事を。…この俺に…。
アムイは自分の髪をかきむしった。
キイが自分に黙っていた事もかなりのショックだったが、それ以上に、相方の肝心な事に気づかなかった自分に、衝撃を受けたのだ。
それはいつものごとく、自責の念に駆られる。
己の不甲斐なさに憤りを感じる。
自分は一体、今まで何を見、何をしてきたのか。
何がキイを守る…だ。
実際に守られていたのは自分の方。
闇に翻弄されていた自分の方。
……こんなに苦しいのに、涙まで自分を見放した。
アムイはもう、どうしたらいいのかわからなかった。
嵐はどんどん酷くなっていくばかりだ。
まるで彼を嘲るように、高笑いしてるかのように、アムイの神経を苛(さいな)んでいく。
まるで深淵を彷徨っているかのように、アムイの心は揺れていた。
この先に光はあるのかさえ…見当もつかない、深い淵。自分の半身が自分よりも先に逝く、という恐れ。
キイを失う恐怖とも戦いながら、己の闇と向き合わねばならぬ事から逃げられない事を、アムイは心底覚悟したのだった。
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