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2011年1月22日 (土)

暁の明星 宵の流星 #130

暗闇の中。
するりと音もなく二つの人影が小屋の中に侵入する。
すでに人が出払っている小屋の中は、いつの間にか灯りが消えていて、何がどうなっているのか目が慣れていないとよくわからない。
二つの影は、目が慣れているのか、勘がいいのか。真っ暗な中、確かな足取りで目的の場所に辿り着く。

「…サクヤ?」
囁く様な声が、闇に響く。
二つの影の片方…小柄な人間の方が、壁に括られているサクヤの近くに寄る。
大柄で、がっしりとした体躯のもう片方も、音もなく彼らに近寄り、小さな灯りを懐から取り出した。
ぼんやりと辺りが明るくなり、サクヤの痛々しい顔が浮かび上がる。
「しっかりして、サクヤ」
小柄な方が、心配そうにサクヤの耳元で再び囁いた。
「とにかく、彼を下ろそう」
野太く低い声がしたと同時に、大柄な方が手早くサクヤの手枷(てかせ)に手をかけた。
彼はよほど手馴れているのか、器用に錠を弄くると、いとも簡単に手枷が外れる。
その勢いでぐらっと傾くサクヤの身体を、大柄な男は咄嗟に抱えた。
「ジース・ガラム、早く足枷(あしかせ)の方を」
「うん、レツ」

二つの人影は、東の果ての島、閉鎖的な民族と有名なユナ族のガラムとレツであった。
ガラムは言われたとおりにサクヤの足元に跪くと、レツ同様、器用に錠を外し、枷を取り除いた。
「…なんて酷い仕打ちを」
ガラムは涙目になって、サクヤの顔を覗き込んだ。
「とにかく、今のうちに彼を連れて行こう。これは早く手当てしなければ…命が危ない」
レツの言葉に、ガラムはコクンと頷いた。
そしてレツは、弱々しい息のサクヤを肩に担ぐと、人がいないのを確認し、ガラムと共に注意深く小屋を後にした。


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アムイの嫌な予感は頂点に達していた。
謂(いわ)れのない感じに、居心地が悪く、彼は何度も寝返りを打った。
「眠れないのか」
隣の寝台から、宵闇のようなキイの声がした。
部屋数が限られているため、何人かと相部屋となり、久しぶりにアムイはキイと同室になった。
それでも昔のように身体を寄せ合って眠る事なく、互いに割り当てられた寝台を使っている。
「…いつもの事だ」
無愛想に答えるアムイに、キイは眉根を寄せた。
「俺とお前の仲だろ?…いまさら格好つけてどうするよ?」
「……」
「正直に言えば?…サクヤが心配だって」
キイは直球を投げてきた。アムイは喉を詰まらせる。
「正直になりな。…お前はいつも自分を偽る。…素直じゃないのは…今に始まった事じゃないが」
と言いながら、キイは心の中で呟く。
あの18年前の悲劇があった以前は、アムイは素直すぎるほど素直な奴だった…。
あれ以来、アムイは自分の殻に閉じこもり、自分を出すのを嫌がるようになってしまった。
…特に人に対して。
「サクヤがいねぇと、俺も落ち着かないよ。…いくらなんでもここに着くのが遅いと思うし」
「………」
押し黙ったアムイに、キイはため息をつくと、ふと話題を変えた。
「なぁ、アムイ。そう言えばお前、この間ユナ族の話、してたよな?」
唐突な話題に、アムイは不思議そうな顔をキイに向けた。
「何だ?いきなり…」
「いや、前から頭にはあったさ。まぁ、今まで立て込んでいたしなぁ」
アムイはじっとキイの顔を窺った。
「俺が犯人と思われている…こと?」
「いいや」
キイは半身起こし、アムイの方に顔を向けた。
「本当なのか」
「えっ?」
「…本当にアマトはユナの島に行ったのか」
突然何を聞かれたのか、アムイは一瞬要領を得なかった。
「……ああ…そう、聞いたけど」
戸惑いながら、アムイは答えた。
アマト…自分達の父親が、まだ自分らが幼い頃に、あの辺境の島まで、何故訪れていたのか。
それはキイでなくても、聞いた時は耳を疑い、疑問に思った。
「その理由(わけ)は聞いていないんだな?」
「……あの時は、自分がセドのアマト王子の子だって…言えなかったし」
あの時だけでない。父親の大罪を知ってからは、アムイの中でセドの王子は禁句であった。
特にキイは、世間がらみもあってか、執拗にアムイ がセドの王子の子だという事は、絶対に他に漏らしてならない、と頑なだった。
「そうだよな…」
キイはアムイの言わんとする事を察して、口ごもった。
「…でも、お前の話だと、ユナの人間はアマトがセドの王子と知っていたようじゃないか。
…それに気になる。…サクヤが聞いたという、ユナとセド王家が何か関係がある、という話も」
「ああ」
それはアムイも同じだ。
推測するに、何かしら閉鎖的な民族ユナと、東の大陸を制していたセド王家は繋がりがあると思われる。
それはいったい何なのだろうか。
今までユナの話なんて、王族関係者や、当の父親からだって一度も聞いたことがなかった。
皆、隠していたのか、それとも知らなかったのか、たいした事がなかったのか。
セドの国が消滅し、父も亡くなってしまっている今、ユナ族の人間に直接聞くしかないだろう。だが、あの他国、他族に閉鎖的な民族が、よそ者の自分達に話してくれるだろうか。…自分達がセド王家の人間だと知れば、もしかしたら教えてくれるかもしれないが…。
「裏に隠された…。まさか…」
「キイ?」
キイの呟きに、アムイは眉をしかめた。
「何か思い当たる事でも」
「いや」
キイは苦笑し、頭を軽く振ると、《何でもない》と手振りを見せた。
「まぁ、謎だけに興味はあるがな。…その、お前を仇と狙っているユナ人に、俺もいつか会ってみたいね」
「…キイ」
「お前らの話じゃ、きっと向こうからしつこく追いかけて来るだろうけど。
ま、誤解が解けるといいなぁ、アムイ?」
アムイはキイの言葉の裏に、何か思うところがあると本能で感じたが、あえてそこは言及しなかった。


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そのユナ人であるガラムとレツは、かなりのスピードで森を抜け、海岸先で見つけた小さな洞窟に身を寄せていた。
中で火を焚き、サクヤの濡れた衣服を乾かす。
サクヤはガラムの替えの衣服を身に付け、火の傍に横たわって息を荒げ、震えていた。
「ねぇ、レツ。サクヤ、熱が出てきたみたいだ」
「……とにかく暖めて…。まだ悪寒がしてるようだ。
取り合えずセツカが戻ってくるまで、痛み止めを飲ましておこう」
そう言いながらレツはサクヤの半身抱えると、小さな瓶を口元に持っていき、一気に飲ませた。
「うっ…ぐっ、ごふっ…」
口元から少し零れた液体を軽くふき取り、レツは静かにサクヤを再び寝かせ、柔らかな毛布をかけてやる。
「これで少し、よくなるといいが」
「……サクヤ…」
ガラムが不安げにサクヤの顔を覗き込む。
サクヤの顔は真っ青で、歯がガタガタと震えている。
全身に受けた傷は、二人がかりで綺麗に消毒をし、手当てした。
「とにかく酷い事をするもんだな、南の連中は。噂どおりだ」
「……でも、あいつらを見張る事にして正解だったよ。
これで奴らの魂胆もはっきりしたし」
ガラムの言葉にレツは頷く。
この緑色の瞳の少年は、東の国、最東端の島ユナの長の息子だ。
ジースという称号は、次期長候補(じきおさこうほ)につけられる。
彼はユナでいう成人を迎えたばかりだが、これでもまだ15歳だ。それでも幼さの残る顔には、長の息子という威厳が出ている。
彼の異父姉の2番目の夫であるレツは、義理の兄弟ということで彼が幼い頃から面倒を見ていた。ガラムにとってレツは、一番敬愛する兄であり、自慢の英雄であった。
「…でも、殺されてなくてよかった…。サクヤがあいつらに捕らえられたと知って、俺…」
涙ぐむガラムに、レツは言った。
「うむ。だが、もう少し早く救ってやれたら…と思うとな。いかんせん、我々が来るのが少し遅かった…」
「でも一応、無事にこうして助けられた。…恩返しできてよかった」
ガラムは独り言のように呟くと、自分の懐から手ぬぐいを取り出し、甲斐甲斐しくサクヤの額の汗をぬぐった。
その様子を後ろで眺めながら、レツは安堵する一方で、一つの疑問がずっと引っかかっていた。
…上手く助け出せたのはいいが…。やけに簡単過ぎはしないか?いくらなんでも見張りも付けず、捕虜を放ったらかしにするとは…。
そう、いくらなんでも無防備すぎる…。
そう思い巡らしていたレツの思考を、ガラムの言葉が遮った。
「それにしても、セツカの奴は、何処に行ってしまったんだ…。
薬師(くすし…※古来での医師…医術士の呼び名)でもあるあいつがいなければ、怪我人をどう扱ってよいのか…」
ぶつぶつとガラムはセツカを責めた。
長(おさ)であるガラムの父直属の側近であるセツカは、ガラムが生まれた時から懇意に接してくれた気心の知れた大人の一人であった。幼少の頃は、教育係としてガラムを厳しくも優しく指導してくれた事もあって、他の従者達よりも近しい存在だ。
特に長直属の側近はエリート中のエリート。医術、戦術、格闘技、学問…など、オールマイティに何でもこなせるのが、ユナでは当たり前なのである。
「一応、基礎は学んでる。…とにかくセツカが来るまで、俺が診る。
……中央殿(長のいる中枢機関)関係者は、側近の者だけでなく、誰もが満遍なく色んな事ができなくてはならないからな」
レツはそう言い、ガラムと場所を交代すると、サクヤの息遣いを確認した。
「……」
「どう?容態は…」
ガラムの問いに、レツは顔をしかめた。
「……うん…。薬が効いてきたのか、さっきよりはいいが…」
「どうかしたの」
レツは口元に手を沿えて、考え込む仕草をした。
「いや、俺の気のせいかも知れん。…とにかくセツカを待とう」
ガラムは不安な顔でレツを見やった。そしてそのままサクヤに視線を落とす。
今度は熱が上がってきたようだ。サクヤの顔は赤く火照り、小さな呼吸を繰り返している。
「何か冷やすもの、持って来る!」
いたたまれなくなったガラムは洞窟を飛び出した。
この洞窟の裏に湧き水があった事を思い出し、辺りに気をつけながらその場に急ぐ。
外は夜が明けようとしていた。うっすらと日が射し始め、小柄なガラムの姿を照らし始めた。


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夜が明けて。

もぬけの殻となった小屋では、ヘヴンが怒りをあらわにし、暴れていた。
「だから言ったんだ!何で見張りを付けなかったんだよ!!」
怒声を上げながら、ヘヴンは外されて放置されている枷を足で蹴飛ばした。
「案の定、逃げられちまっただろ!どーすんだよ!アムイ…いや、あんたらの大事なキイの居所が、パァだぜ、パァ!!」
「おい、落ち着けヘヴン…」
宥めようとするミカエル少将に、ヘヴンはきっと睨みつける。
荒れ放題のヘヴンに比べ、涼しげな顔をして近くで佇んでいるのは、ティアン宰相である。
「なあ、宰相さんよ?あんたなんで焦ってないの?わかる?今の状況!!」
噛み付くようなヘヴンの剣幕にも、一向に顔色を変えないティアンをちらりと横目で見やると、ミカエルは代わりにこう言った。
「いいんだよ、別に」
「はぁあ!?」
ヘヴンの切れ長の目が、益々吊り上った。
「逃げようが逃げまいが、そんなのもうどうでもいい、という事だ」
その返答に、ヘヴンはまったく訳がわからない。
「どういう意味だよ、それ……。まさかわざと逃がしたって…?」
「いや、まさか本当に逃げるとまでは思ってみなかった。…何せ本人はあの状態だからな。
が、こうして姿形がないということは、…誰かがあの男を連れ去ったに違いない」
すると、今まで淡々としていたティアンがおもむろに口を開いた。
「…それが…暁達か、それとも別の人間か…。私にもわからぬが、まぁ、いい。
あの男は我らの手の中にあると同じ。何処に行こうがすぐにわかる。
……しばらくすればな」
「…??」
ヘヴンの単純な頭では、遠回りな言い方では理解不能だったようだ。
ミカエルは苦笑すると、ため息をついた。
「まあ、連れ去ったのが暁達である事を祈りましょう。
…それでなくても、あの青年はきっと、仲間の所に戻るに違いないと踏んでいるがね。
…まぁ、そのために…本当は彼を外に放り出してもよかったのだが」
「…なあ…あの時あいつに何か飲ませてたよな?
…あれ、関係あるのか?」
その言葉に、ティアンは高慢な笑みを浮かべた。
「ふふ。…あれか?…あれは私の長年の研究の成果のひとつだよ。
こうして生身の人間で試せるとは…いいタイミングだったな」
「研究…???」
「そう。彼は実験台だ」
そう言うと、ミカエルはぶるっと震えた。
まったく宰相殿も、あらゆるダブーとされている研究に手を染めるのが好きだな。
だからこそ、大陸の最高峰集団である、賢者衆を追い出されたのもわかる。
南の国で一番の気術者という事は、ミカエルもよく知っていた。その腕前は、ミカエルも唸るほどであった。
今は宰相という地位で収まっているが、本当は何処ぞの術士にも負けないほど、第九位以上の“気”を全て自分のものとして使いこなせる人間だろう。…あの、気術の最高峰と言われる、昂極(こうきょく)大法師にも、ひけにも取らない。いや、高齢で、最近隠居となった大法師よりも、まともに戦えば勝つやも知れぬ。
かなり黒い所のあるティアン宰相であったが、それ以上に“気”の技術に関して、ミカエルは彼に畏敬の念を持っていた。
それに自分の能力を見い出し、認めてくれたのも彼だった。
…だからミカエルは、いかにティアン宰相が危険な人物だとしても、彼に対して忠誠を誓っているのだ。
だが、今回ばかりはミカエルは心底恐ろしかった。…顔色も変えずに簡単に人体実験をするなど…。
「で、いったい何なんだよ、あれは。何飲ませたんだよ」
ヘヴンの声で、ミカエルは我に帰った。
「あれは…」
ミカエルはちらりとティアンの様子を盗み見る。
まったく何でもないという顔をしている。いや、目がかなり面白がっているのに、ミカエルは気がついた。
「…あれか?あれは卵だ」
ティアンのその言葉に、一瞬ヘヴンは押し黙った。
そのヘヴンの嫌そうな表情を見て、ティアンは可笑しかったのか、まるで悪戯をする子供のようにずるがしこく笑った。
「そうだ。あれは体内で、人の“気”を喰らう寄生虫の卵さ」


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早朝に、キイは考え事をしながらある場所に向かっていた。
(……ユナ族がセドナダ王家と何かしらの繋がり…。色々俺も調べてみたが、それらしい文献も言い伝えもなかった。
…とすると、…あれかな?これは王家の極秘機密…。しかも、神王直属の人間でないと知らないレベルの…)
キイはアムイから自分達の父親…アマトが閉鎖的なユナ族の地に赴き、直接長に会いに行った事を聞いてから、ずっとそれが気にかかって仕方がなかった。…あらゆる…セド王国、セドナダ王家に関するものは、この長い年月、アムイには内緒で独自に研究してきた。
その自分でさえも、アムイからサクヤから、ユナの名前が出るまで、まったく知らなかったのである。
(アマトは何故、ユナに行ったのか…)
そう、当時彼は、国や王家を負われ、自分が王家の人間で、しかも王太子の地位にいた事すら隠し続けていた筈だ。
…それが、ユナの地では、当たり前のようにアマトの事をセドの王子と認識していた…。つまり…。
(…セド経典…の…裏…か)
そう。セド王国は神国オーンとも近しい国であったため、オーン教が浸透していた一方、セドナダ王家の宗派はオーンから分かれたセド独特の宗教だ。…オーン教が絶対神を崇めるものなら、セド教はその絶対神の妹、自分達の祖先と言われる女神を主宰神とするものだ。
そのセド経典には、実は表と裏があるという事が、二十年以上前にセド出身の考古学士が発見した。
…それがあの南の宰相ティアンの最初の師、アマギであるのは、キイも重々承知していた。
何故なら、その裏経典を暴いたために、キイが生まれたと言っても…いや、生まされたと言っても過言でないからだ。
……オーンさえも、セド王家すらも、禁忌と畏れて触れなかった裏経典…。
(……それしかないような気がする…。とにかく、もう一度、古い文献をさらうしかないな…)
そうぶつぶつ言いながら、キイは図書室の前までやってきたその時。
「ん?」
図書室の扉の前で、中を覗くようにしている人物が目に留まった。
「おい、何してんだよ」
キイは覗き見をしている人物…シータにずかずかと近づき、咎めるように言った。
「しぃぃっ!」
当のシータは悪びれる風でもなく、キイに静かにするよう、自分の口元に人差し指を立てた。
「何だって…」
キイは眉をしかめ、シータが無言で指差す方向に目を走らせた。
扉の先…図書室の中では、楽しそうな話し声が響いている。
「あれ…、嬢ちゃんとリシュオン?」
目を丸くして呟くキイに、声もなく頷くシータ。
図書室の中央にあるテーブルで、肩を並べて歓談してる二人の様子は、昔からの気の合う者同士、といった風情である。
「…ああーっ!悔しい!」
イェンランが大声を出した。
「はい、残念でした。惜しいなぁ、この一問が正解なら完璧だったね」
くすくすとリシュオンは、悔しがるイェンランに余裕の笑みを向ける。
「あーん、もう一回!ね、まだ時間大丈夫でしょ?もう一度問題出して。
今度は絶対全問正解するから!」
「しょうがないなぁ。…じゃ、これが完璧だったら、何かあげようか。何がいい?」
「……世界大事典…」
躊躇ない返答に、リシュオンは思わずぷっと噴出した。
「何で笑うのよ」
「いやいや。さすがだなぁ、と思って。
女の子に何欲しいって聞いて、本をねだられるのは初めてだ」
「悪かったわね」
ぷっと膨らむイェンランに、リシュオンはにこにこしながら、思わず彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。
その様子にシータはぎょっとしたが、不思議な事に当のイェンランはまったく平然としている。
「あれれ。随分と仲良くなったんだなぁ」
のんびりと呟くキイに、シータも驚きを隠せない。
「あの子、絶対男には無防備に触らせないのに…」
「で、何でシータはさっきからここでこうしているのさ?」
「何でって…」
「ああ、二人が楽しそうにしているのを、邪魔しちゃ悪りぃもんなぁ」
キイはわかっているのかいないのか、そう楽しそうに言うと、まったく意に介してない風情で、そのまま図書室に入ろうとした。
「ちょ、キイ。中に入るの?」
「入るの?って…。俺はここに用があるから来たんだけど。
お前だって何か調べ物しに来たんだろ?何を遠慮してるんだよ」
「あ、あのさ、キイ…」
「確かに入りづらいかも知れねぇが、別に構わないだろ?
二人の間に入って、邪魔するつもりも毛頭ないし。
かえって普通にしてた方がいいと思うぞ」
その言葉の端で、シータはキイが全て理解してそういう言動をしている事がわかった。
「そ…そーだけどさ…」
それでもイェンランのキイへの気持ちを知りすぎているシータは少々複雑だった。
キイが彼女の気持ちに気づいているか、いないのかまでは、シータにも推し量れないものがあるが、とにかく当のキイは悪びれるわけでもなく、どんどん中に入っていくのに、シータは焦った。
「ねぇ、キイ…!」
思わず叫んでしまったシータの声で、イェンランとリシュオンは気づいて後ろを振り返った。
キイの姿が目に入った途端、イェンランはもの凄く動揺した。
(キイ…)
「よぉ、悪い悪い。別に二人の邪魔する気なんてぜんっぜんないからな」
屈託のない笑顔に、イェンランは胸が締め付けられた。
「あ、宵の君。…どうされたんですか?こんな朝早くから図書室になんて」
リシュオンも爽やかな笑顔を彼に振りまいた。だが、内心では少し、複雑な気分だった。
「“キイ”だよ、リシュオン。そーいう堅苦しい呼び方は止めようや。
悪いな、ちょっと古典をもう一度調べたくてさ。
…特にオーン関係、どこかな」
「えっと…一番右奥の棚です。…神国オーンの経典関係はその下段の方ですけど…」
「そ、ありがと!…悪かったな、話を中断させてしまって。
俺はしばらくそこにいるけど、気にしないでな」
「気にするなんて…」
口ごもるイェンランに、キイはいつもの慈愛の眼差しを向けると、さっさと奥の方に行ってしまった。
「キイったら」
後方でバツが悪そうに呟くシータに目を走らせ、イェンランは居心地が悪くなってその場から立ち上がった。
「ああ、あの。ごめん、リシュオン。私ちょっと用事を思い出して…!」
「イェンラン」
「…ほら、昂おじいさんを起こす約束してたの…忘れてたわ。
ごめんね、リシュオン。楽しかった」
そそくさと支度をしてその場を離れようとするイェンランに、リシュオンは優しく言った。
「また、やろうね?イェンラン。約束だよ」
その言葉に彼女は曖昧な笑顔を向けると、足早にその場を立ち去ろうとして誰かとぶつかった。
「きゃ…」
「悪い!大丈夫かイェン」
よろける彼女を、支えたのはアムイだった。
「アムイ?」
ぱっと彼から離れたイェンランは、驚く瞳をアムイに向けた。
「どうしたの?こんな早く」
「…キイ、こっちにいるかな」
イェンランはその名にどきっとして、思わず力強く頷いた。
「やはりそうか」
「どうしたの、アムイ。キイに何か用?」
扉の前でふらっと佇むアムイの真剣な表情に、シータは真顔になった。
「うん。ちょっと…」
「あれ?アムイ、どーした?」
アムイの声に反応して、キイがひょこっと奥の本棚から顔を出した。
「…話があるんだ」
「何?ここで話してもいい事?」
キイは何冊かの、ぶ厚い本を両手に抱えて姿を現した。
「ああ。…皆がいるならかえって都合がいい」
その言葉に、一斉に皆、アムイの顔に集中した。
「何かの相談?」
キイの言葉にアムイは頷いた。
「…というか、もう、決めた事なんだが」
「おい、まさか」
キイの表情が険しくなった。
「…うん…。俺、ちょっとここを出るから」
一同、アムイの言葉に緊張が走った。
「出るって…!アムイ、今の状況、わかってるわよね?」
シータが間髪いれずに言った。
「充分承知してる」
アムイの暗い顔をキイは黙って眺めていたが、おもむろにこう口を開いた。
「捜しに行くのか」
その一言で、皆、アムイが何を考えているのか理解した。
「…皆、申し訳ない。…どうしても胸騒ぎがしてならないんだ…。
この町にキイ…皆がいる事を悟られる危険の大きい行動は、自重するのが正しいと思う。
でも…」
うな垂れるアムイに、皆は顔を見合わせた。
「すまない…。絶対に慎重に行動する。だから…」
きゅ、とアムイは唇を噛み締めると、ぐっと顔を上げ、周囲を見渡した。

「俺……これからサクヤを捜してくる」


.............................................................................................................................................................

そのサクヤの容態が急変したのは、その日の夕刻になってからだった。

「ああっ!ぐぅ…あぐ…!!」
「サクヤ、どうしたの?大丈夫!?」
突然苦しみだし、暴れるサクヤを、大柄なレツががっしりと押さえ込む。が、それでもサクヤの苦しみようは半端がない。
共にサクヤを支えるガラムの不安は頂点に達していた。
「ねぇ、レツ!いったい急にどうしたんだろう?こんなに苦しむなんて…」
青ざめ、脂汗を大量に流すサクヤの顔を覗き込み、ガラムは泣きそうに言った。
「内臓がかなりやられていたのか?…いや、それでもこの症状は尋常じゃない…。
まさか…」
「まさかって…何だよ?何か思い当たるの?」
半べそをかくガラムに、レツはうーんと唸って押し黙った。
何か嫌な感じがする。何か嫌な…。
「そういえば、あの時、彼に何か飲ませていたような…」
屋根の上の明かり窓から様子を窺っていた時の事を、レツは思い出した。
「え…何かって…」
「穢れ虫(ケガレムシ)の卵ですよ」
突然、洞窟の入り口から男の声がして、ガラムとレツは顔をその方に向けた。
「セツカ!!」
そこにいたのは、仲間のセツカだった。
「ねぇ、遅かったじゃないか!何処行ってたんだよぉ、セツカ!」
「……けがれむし…。やはりその症状だったか…」
呟くレツに、ガラムは不安そうに二人を交互に見る。
「何…?その穢れ虫って…。卵って…?」
混乱するガラムを押しやり、セツカは手馴れた手つきで苦しむサクヤをざっと診ると、胸元から小さな丸薬を取り出し、サクヤに飲ませる。すると、あれだけ苦しんでいたサクヤの息が落ち着いてきた。
「一時しのぎですが」
冷静にセツカは言った。
「卵がそろそろ孵化(ふか)するんでしょう。その時、宿り主の“生気”を大量に欲するので、当の宿り主はひどく苦しむのです。
…痛みを逃す薬を飲ませましたが…。孵化を止める事は、もうできないでしょうね…」
「卵?孵化?…ねぇ、何の事を言ってるんだよ、セツカ!
わかるように教えてよ!サクヤは奴らに何かされたの!?」
ガラムの悲痛な言葉に、セツカは無情な言葉を発した。

「…手遅れです。彼はもう、助からない…」

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