暁の明星 宵の流星 #131
「…手遅れです。彼はもう、助からない…」
セツカの無情な言葉が辺りに響き、ガラムの喉を締め付けた。
「…何…それ…。助からないってどういう事?この虫は人を殺める力があるっていう事?」
セツカの代わりに、近くにいたレツが答える。
「…殺めるというか…。とにかくこの穢れ虫っていうのは、何らかの要因で生き物の体内に卵を産みつけ、その“気”を喰らって孵化し、成長する。…宿り主となった動物は、その名の通り、体内をこの虫によって穢されていく」
彼の説明に、ガラムは首を捻った。
「穢される?」
「そう、だから穢れ虫。生き物の“気”を喰らい、毒素を出し、羽化して成虫となれば、そのものの体内を食い破って外に出る。
…成虫の餌も動物の”気”。その“気”を喰らって毒素を出すのも同様。
しかもその毒素が曲者で、それは周囲の“気”を枯らす…」
「“気”を枯らす?」
「そう。“気”が枯れると生気も衰え、病気にもなれば死に至るのも少なからずいる。
……死なずとも、寄生された動物は、一度虫の毒素に侵されると、生涯その身は穢れたまま。
そして最悪な事に、その毒素は周りに普及する。まぁ、一種の感染みたいなものだな。
だから穢れ虫にやられた生き物は、毒素感染を防ぐため、焼却処理されるのが普通なんだ」
「しょ、焼却…って」
「うん。思ったよりも毒素が強いので、ただ単に消毒しただけでは毒素は消えない。
……【火によって浄化するなり穢れの虫】、という言葉もあって、虫によって汚染されたものは全て焼き払わなければならない」
ガラムは言葉もなく 、じっとサクヤの顔を見つめた。
そんな虫の卵を飲まされたなんて…。ガラムは自分が震えてくるのがわかった。
青ざめた様子のガラムをちらりと見やると、レツはその目をセツカの方に向け、言った。
「この虫は元々東と北の境、シャン山脈に生息していたのが東に下りてきて、家畜に絶大な損失を与えたのが始まりだった。
…初めは動物だけで繁殖していたのが、たまに人にも寄生するとわかって、“気”を扱う気術士達が人体にも扱うようになったのが問題になった…。何故ならそれが有力な豪族達の争いの道具にされ、一州を滅ぼした経緯があったからだ。
それ以来、東ではこの虫を人体に使用するのを、賢者衆は固く禁じた筈。
文字通り、“気”を枯らす…虫。“気が枯れる”…気枯れる(けがれる)。
気枯(けが)れる虫、穢れ虫となったわけだ。
それを使うとは…。邪の気術士ティアン宰相という噂は本当であったようだな、セツカ」
その言葉に、セツカは深いため息をついた。
「確かに、このまま孵化(ふか)してしまったら、幼虫は彼の体内で彼の“生気”を喰い続け、成虫となり身体を食い破って外に出る。…一時体調は安定するでしょうが、それは体内で幼虫が蛹化(さなぎか)しただけの事…。彼の肉も血も…体液の全ては虫の毒素によって汚染され、無防備にそれに触れた者は、無条件に毒に侵される」
「じゃぁ…一度この虫に侵されると、…もう、元には戻らないの?」
瞳を潤ませながら、ガラムはぽつりと呟いた。
「…その事ですが…。手がない事もないです。…多少後遺症が残るやも知れませんが、第九以上の“気”、火を司る“煉獄の気”、もしくは、最高位第十の王の“気”、“金環”ならば、虫もろとも毒素を浄化できるかもしれません…」
セツカの言葉に、ガラムの顔がぱっと輝いた。
「と、いうことは、アムイなら何とかできるんじゃない?…だったら、早くアムイ達の所に…」
「いえ。それが普通の穢れ虫だったら、と言う事ですよ」
「え?どういうこと、それ」
セツカは重苦しい表情で、説明し始めた。
「実は今まで、宵の君の行方を色々と探っていたので、ここに来るのが遅くなってしまったのですが」
そう言いながら、セツカはサクヤに水を飲ませた。かなり落ち着いているようだ。
安定した寝息を立てている彼の頭を、ゆっくりと元に戻す。
「…最後に南軍の所に寄ってみたのですよ。そこで、例の宰相達が話しているのを聞いてしまった」
セツカはその時の事を思い出した。
もぬけの殻となった小屋で聞いた、彼らの話の一部始終を。
その恐ろしい内容を。
《そうだ。あれは体内で、人の“気”を喰らう寄生虫の卵さ》
ごくり、とヘヴンの喉が動いた。
《なあ、それってもしかして…穢れ虫の事か?》
ヘヴンの問いに、益々ティアン宰相は得意げになった。
《おや。穢れ虫を知っているのか。…だが、あれはただの穢れ虫じゃないぞ。
私が長年研究に研究を重ねた、特別な虫なのだよ》
ヘヴンはぶるっと身震いする。
《あんなもん、飲ましたなんて、宰相殿もエグイよなぁ…》
《ヘヴン、お前も知っていたのか、穢れ虫》
ミカエルの問いに、ヘヴンはケッと吐き捨てると、言葉を続けた。
《…俺ぁ、虫が苦手なんだよ。つか、大嫌いでね。…何年か前に、ある組織がこっそりと使った事あってさ。
あん時ほど、そこで雇われるんじゃなかったと思ったけどね。
けど、まさかここでもその名を聞くとはなぁ》
《怖いもの知らずのお前が、虫が苦手とは…》
《おい、ミカエルさんよ、面白がらないでくれる?人にはひとつくらい弱点はあるわさ。
で、宰相殿。どう特別なのよ?その虫が》
ヘヴンは横目でミカエル少将を睨みつけながら、ティアンに続きを促した。
《ふふ。だからあれはただの穢れ虫ではないぞ。
…ただむやみに生き物の“気”を喰らうだけの奴じゃない》
《どういう意味だ?》
ヘヴンの顔を面白そうに眺めると、ティアンは厳かにこう言った。
《…第九位以上の“気”を糧にする、特別な可愛い子だ》
《何だって?》
ティアンの言葉を受け、ミカエルが代わりに説明する。
《普通の穢れ虫は、生き物の“生気”を糧とするが、ティアン様が改良したこの虫は、主に第九位の“気”である自然界“五光の気”以上、ならびに第十位“金環”を好物とする。つまり、普通の穢れ虫は、第九位“煉獄の気”や、第十位“金環の気”で滅んでしまうが、改良されたこいつは、それを逆手に取っている》
《…つーことは、何か?そいつはかなりのグルメって事かい》
《はは。確かにそうだ。特に成虫は“金環の気”が大好物でね。貪欲にその“気”を求める》
ティアン宰相の声は楽しげだ。
《という事は、…あのカワイ子ちゃんに飲ませた目的って、狙いはアムイか…?》
ヘヴンは珍しくティアンに対して露骨に非難の目を向けた。
《そんな目で睨むな、ヘヴン。
ま、最初は普通の人間の“生気”でも簡単に孵化し、蛹(さなぎ)化し、羽化(うか)する事ができる。
もちろん宿り主の体内を毒素で撒き散らしながらな。
だがその毒素も、第九位以上の“気”に特に反応し、その高位の“気”の使い手は、普通の人間よりも汚染されやすいというデーターが出てる。…そしてこの毒素はかなり強烈で、汚染された者の血は毒となり肉が溶け、無残な姿となり、必ず苦しみ抜いて死に至る…。
しかも宿り主を食い破って出てきた成虫は、かなり獰猛でね。お目当ての“気”を執拗に求めるんだ。
……どうだ?ぞくぞくするだろう?》
ヘヴンは目を細めた。
《そんな危険な虫、改良して大丈夫かよ?宰相殿。
…あんたらだって、第九位以上の“気”を持ってるだろう?》
《ふふ、まぁ、改良したのは私だ。…一応毒素を分解する研究も平行してやっているよ。
…でも、それには誰かが犠牲になってもらわなきゃならん。
猛獣の毒と同じく、血清が必用なんだよ》
《まさか、それも踏まえて…?》
《さぁ、どうなるかは、あの男の動向次第だろう?仲間と合流するか、我々に見つかるか》
《あいつが我々の手にあるって…さっき言ってたよな?あれはどういう》
それについては、ミカエルが答えた。
《あの穢れ虫の波動は、こちらで記録済みだと言う事だ。あれが孵化し幼虫となれば、虫は好物の“気”を求めて波動を出す。それが宿り主以外、近くに第九位以上の“気”を持つ人間がいれば尚の事。
つまり、だ、あの青年が暁達の元に近づけば近づくほど、虫は波動を出し、我々はその波動を追える》
《なるほどねぇ…。
でも、大丈夫なのかよ?そんな危険な虫が、あんたらの大事な宵の君を襲ったらどうする?》
その質問に、ティアンはにやりとした。
《それは心配ない。…運よく、宵は額に封印の玉を植えつけられている。
つまり、第九以上の“気”が封印されている状態では、虫はまったく反応しないよ。
それに…宵が持っている“気”は…》
《何?》
《いや、何でもない》
ティアンは言いかけて、言葉を濁した。
(そう、宵の持つ“気“はただの“気”ではない。…高貴なる“神気”だ。
邪悪なもの、穢れたものを一瞬にして無にするほどの…。つまり、あの虫には宵の存在自体が天敵。
…これはまだ定かでないが、多分、宵にはあの虫は無害だ)
ティアンの心の中の呟きは、外で聞き耳を立てているセツカにはわからないのは当たり前である。
そして、その邪悪な権現、ティアン宰相は最後にこう言ったのだ。
《だから、その虫を持ったあの男が、アムイの所に行ってくれれば、一石二鳥というものよ。
宵の居所はわかるし、アムイや他の気術使いも一網打尽にできる。
な?いい試みだろう?》
「そ…んな。なんて酷い事を…」
ガラムはセツカの話に顔を歪め、怒りで全身震えていた。
「そういう事だったのか…。どうする、セツカ。そうと言って、彼をこのままにはできんだろう」
「私の知識では…まだ何とも…。ただ“気”の最高峰である、昂極(こうきょく)大法師殿なら、何か知恵があるかもしれない」
「昂極って…。あの北の鎮守の…」
「そうです。その方が、どうやら暁達と行動を共にしておられるらしい…。皮肉な事ですが、結局、彼は暁達の元に連れて行くしかないと…」
そうセツカが言いかけたとき、いきなり何者かに自分の服の端を掴まれた。
「サクヤ!」
「…駄目だ…」
セツカの服を震える手で握り締めたのはサクヤだった。
「目が覚めたの?サクヤ!」
そう叫ぶガラムには目もくれず、サクヤは苦しげな息の中、全身で振り絞るように彼らに言った。
「駄目…だ…!兄貴…の…特にキイさんがいる所には…俺は行かな…い」
いや、行けない、とサクヤは朦朧とした頭でそう思った。
「サクヤ…」
ガラムは眉をしかめた。
「…話を聞いていたのですね…。今の自分の現状も…」
「ああ…。だから尚更…オレは帰らない…」
……兄貴の元へ……と、サクヤは心の中で悲痛に叫んだ。
「じゃぁ、サクヤどうするの?このまま虫に喰われて死んでもいいの?
俺は嫌だ!そんなの嫌だよ!」
「ガラム!」
息も絶え絶えのサクヤを揺さぶろうとしたガラムを、レツが後ろから羽交い絞めした。
サクヤは辛そうに半身を起こそうとするが、力が入らず、再び床に伏せってしまう。
「嫌だ…?オレこそ…皆の…元に戻るのは嫌だ…」
はぁはぁ、と息を荒げ、サクヤは呟いた。
「頼む…オレは戻らない。…こ…れ以上…皆を危険な目には…」
サクヤは心の中で思った。
そう。これは自分の落ち度だ。簡単に敵の手の内にはまってしまった…自分の。
ならば、自分で落とし前を付けなければならないだろう?
「それに…助けてくれた…君達だって…危険…だ…。
折角…助けてくれたのに…申し…訳ない…が…虫が孵化する前に…オレを置いて去って…くれ…ないか…?」
サクヤの悲痛な言葉に、三人は声を失った。
「できるなら…いっそのこと…オレにとどめを…」
「やめてよ、サクヤ!」
その科白にガラムの目からぶわっと涙が溢れ、頬を濡らした。
「ジース…」
ガラムの様子に、セツカは切なそうに呟いた。
よそ者を極力排除し、我が民族を維持してきたこのユナの民。
本来ならば、特例を抜かし、よそ者に情を通わす事は、良くないとされている…。この閉鎖的な民族ユナ。
ある意味、よそ者に心を動かされる事。すなわち我が民族では、それは命取りにもなる所業でもあるのだ。
あれだけよそ者に心を砕いた末に、殺されてしまった姉の事で、ガラムはそれを身を持って学んだのではなかったのか…。
セツカの内心は複雑だった。…ある程度、情が深いのはいい。だが、長となるのなら、もっと冷静でいなければならない。たとえ、心に色々と思う事があっても、だ。
セツカにはガラムの心の中がよくわかっていた。
(ジースは姉のロータス同様、よそ者に心を奪われているのに…気がついていないのか…)
そこまで思って、セツカは苦笑した。
…まぁ、よそ者のアムイに対し、あれだけ仇と思って、執拗に追いかけているのも、ある意味心を奪われてると同じか。
ガラムは涙を自分の袖で拭うと、凛とした態度でサクヤに言った。
「それはできないよ、サクヤ。貴方は俺を助けてくれた、恩人だもの…。
ユナ族は恩を感じた相手には、最後まで…」
「恩…人?何言ってんだよ…。オレは当たり前の事を…しただけだ…ろ…」
「もういけませんよ、サクヤ。あまり喋ると身体に負担がかかる。
貴方の気持ちはよくわかりましたから」
「セツカ!」
大声を張り上げるガラムをセツカは片手で制しながら、彼はサクヤに言葉をかけた。
「とにかく、今は休んでください…。私達の事は大丈夫ですから。
…穢れ虫が体内にいる時は、注意深く接していれば、表立って毒素に侵される心配はありません。
とにかく虫が羽化する前でしたら、そんなに表に強くは毒素は出ない筈ですよ。
ただ、咳や嘔吐物、排泄物、あと血液には注意が必要ですが」
「そうなの?」
ガラムはセツカに目を丸くして見せた。
「ええ」
(通常の穢れ虫ならば…ですが)
セツカは心の中でそう呟いたが、彼らを不安にさせるだろうからと、あえてその話はしなかった。
そう。自分の見解では、ただの人…ならば、身体を保護し、ある程度看護の為に接触しても、多分そんなに問題はない…。
問題があるとすれば、改良された虫という事だ。
…あの宰相の話だと、体内の穢れ虫は第九以上の“気”が好物で、幼虫の頃からその“気”を求めて波動を出す。
ということは、その“気”を持つ者への影響は、未知数…という事…。多分、第九位以上を操る気術士が近づくだけで、虫は獲物が来たと思い、興奮するのだろう。そうすれば、宿り主への負担が益々重くなると同時に、その気術士が近くに寄っただけでも…いや、特に触れたりなんかしたら、きっと虫は強烈な毒素を表に出す…。
そしてその毒素は、ただの人よりも、先に気術士を蝕む…。
「それ…でも…。オレを絶対に兄貴達の所へは…連れて行かないでくれ」
サクヤははぁはぁ、と肩で息をしながら、必死に頼み込んだ。
「でも」
「ガラム」
サクヤはガラムをひた、と見つめた。ガラムはサクヤのその真剣な眼差しに釘付けになる。
「オレが…戻ったら…皆の居所を敵…に教える…ようなもの…なんだろ…?
それだけ…は…ぜったい…だめ…」
「だったら俺達が、サクヤの居所をアムイに知らせるよ!それで迎えに来てもらう。
だから教えて!アムイは今、何処にいるの?」
真剣に言うガラムの顔を、サクヤはしばらくじっと見つめた。が、ふっと弱々しい笑みを浮かべるとこう言った。
「それを…オレがお前達に言うと…思っている…のか…?
…オレの大事な…人を…仇呼ばわり…する…相手に…」
「サクヤ…」
ガラムは愕然として言葉に詰まった。確かにそうだ。確かに。
あれだけアムイを目の仇にしている自分を、サクヤが信用するわけがなかった…。でも…。
「信じて…よ、サクヤ。今は敵討ちより…サクヤの身体の方が大事なんだよ。
絶対にその時はアムイには手を出さないから。
それに…アムイなら、きっと昂極大法師にサクヤを託してくれる。
きっと何とかしてくれるよ、サクヤのために」
その科白に、サクヤは苦笑した。
「なんだよ…。仇なのに…やけに信頼してんじゃんか…」
「だって…!アムイは身を挺してまでもサクヤを守ってくれただろ?
…それだけあいつにとって、サクヤはとても大事な存在なんだ」
そう言いながら、ガラムの胸が、ちくり、と痛んだ。
どうしてだか自分でもわからない。わからないから、ガラムはその胸の痛みをあえて無視した。
「はは…は…。そんな事はない。兄貴には、もっと大事なものが…あるんだよ」
サクヤはキイの姿を思い浮かべた。今はこんな自分の事よりも、【宵の流星】を守らなければならないのだ。
それはアムイだけでない、セド人である自分の願いでもある。
……世が世なら、神王となっていたであろう…あのお方を。
どちらが重い、といったら、キイの方が重要だ。
あの方を危険に晒す事は絶対にできない。それはアムイとてよくわかっている筈だ。
…こんな…こんな迷惑をかけるような…人間よりも。
(元々、オレは…兄貴の気持ちに構わず、勝手に付きまとっていただけだ。
いつだって兄貴に迷惑かけてきたかもしれない。
……オレがいなくなっても…。いや、いない方が兄貴の負担は軽くなるだろう。
その方がいい。その方が…)
サクヤは視線をすっと下に落とした。
そう、自分がいなくても、今はキイさんが兄貴の傍にいてくれる。
(オレがいなくても…兄貴は大丈夫だ…。いや、何の影響もない)
考えてみれば、執拗にアムイに付きまとっていた理由のひとつは、自分が彼を放っておけなかったから…。
その事に、こんな状態になって初めてサクヤは気がついた。
人を寄せ付けず、ひとりで何でも片付けようとして。
人付き合いが危なっかしくて。素直じゃなくて。
つっけんどんで、人を怒らせる天才で。…不器用で。
思わず笑みがこぼれる。
最強なくせに、意外と脆いところがあって、不眠症だし。
このオレがフォローしないと、すぐに揉め事になるし。
美形のくせに、いっつも眉間に皴寄せて、仏頂面で。
頑固で、硬い殻に閉じこもっちゃって。
…だけど…。
…だけどその硬い殻の下には、涙が出るほど優しいものが隠されていて…。
不覚にも涙が出そうになって、サクヤは考えるのをやめた。
彼の様子をじっと見つめるガラムも、内心複雑な思いに囚われていた。
だけど、彼を何とか助けたい、という気持ちは揺るがない。
ガラムの決意は固かった。どんなにサクヤに反対されようが、彼に嫌われようが。
自分は絶対にサクヤをアムイ…昂極大法師の元に送り届ける。絶対に。
.................................................................................................................................
《いいか、アムイ。お前に施してある“金環の気”の封印は、この俺にかけられているものと違って、簡単に解除できる一時しのぎのものだ。まぁ、俺のように玉を埋め込んでないから、封印というよりもバリアがかかっていると思っていい。
……だから、もし、気術戦となったら、その封印を解かないと、“気”は使えないから、気をつけてな》
《わかっているよ、キイ。そのくらい俺も…》
《まぁ、よほど感知いい奴でも、至近距離にならない限り、お前の金環は察知されないから…。それから…》
《はいはい、わかったから!それよりも、お前こそ俺の言うこと聞いてくれよ?…絶対、ここから出ないって…》
まったく、キイの奴。変なところで異常に過保護なのは、子供の頃から変わっていないんだから。
この俺が、お前なしで何年一人でやってきたと思ってんだよ。
そう思い立った時、ふとアムイは気がついた。
いや、…近年は一人じゃなかった…。
アムイの脳裏に、サクヤの明るい笑顔が浮かんでは消えた。
《兄貴。そんなしかめっ面しちゃいけないよ!皆怖がってるじゃん。ただでさえ、誤解されやすい性格してんだから》
サクヤの奴…。余計なお世話っていう言葉、知らないのかよ。
《師匠が嫌なら、兄貴はどうだ!ね?自称オレは天下の【暁の明星】の弟分っつーのも、いいかもねぇ》
馬鹿。同い年のくせして、弟分とは何だよ。気持ち悪いだろ。
《いーじゃん、オレが兄貴って呼んだって。呼び方ぐらい、好きにさせてよ、あ・に・き♪》
だから、そう呼ぶなって、いっつも言ってるじゃないか。
《…兄貴と、またこうして酒、飲みたいなぁ…。うん、今晩はとてもいい気分だぁ》
………お前、酔っ払うとはしゃいですぐ寝ちゃうじゃんか。ほどほどにしておけよ。
《……兄貴のお陰で、オレ、色々と経験させて貰ってる。色んな事学ばせて貰ってる。……オレ、兄貴に会えてよかった…。
天に感謝しているんだ。…この出会いがなかったら、今のオレはいないから》
…………それは……俺もお前と同じだよ……。
アムイはふぅっと馬上でため息をついた。
外はもう薄っすらと日が落ち、辺りに闇が忍び寄ってくる。
後方ではリシュオンと護衛の兵士二人が、後からゆっくりとついてきていた。
アムイがチガン町を出て、サクヤを捜しに行くと告げた時、反対する者がいないわけでもなかった。
《ねぇ、気持ちはわかるけど、もし入れ違いにでもなったら…》
《その時は…伝鳥(※気術士が使う、伝書鳩みたいなもの。緊急もしくは蜜書によく使う。指定した相手しか内容を確認できない特殊な鳥をいう)を…飛ばしてくれ。
確かに行き違いになるかもしれない。だけど、俺の心の中で、じっと待っていられない、何かを感じるんだ。頼む》
そう深々と皆に頭を下げるアムイの態度に、全員、何も言えなくなってしまった。
ところが、いざアムイがここを一人で出ようとすると、思いがけず、あのキイが子供のように駄々を捏ね始めたのだ。
《俺も行くぞ、アムイ》
《はぁ?何言ってんだよ、キイ!》
《心配なんだよ!またお前と離れるなんて…。それに元々俺はじっとできる性分じゃねぇし》
《あのなぁ、今の自分の立場、よくわかってんだろ!?今お前を危険な状態に晒す訳には…》
《やだ!やだ!お前一人で行かせるなんて…。やっと一緒に戻れたのに…。これ以上俺はお前と離れたら死んじまう!!》
《……あのねぇ、キイ…》
この、天下の【宵の流星】の見たこともない駄々っ子ぶりに、皆が口をぽかんと開けている中、唯一平然としていたシータが、アムイにすがりつくキイの首根っこを掴んで引き剥がした。
彼はキイのその情けない様子は、慣れてる、といった風情で冷静に言った。
《もぉ、ワガママもたいがいにしなさいよ、キイ。それに少しは冷静になって自分の今の状況を見なさいな。
……高位の“気“を封じられてる身では、アムイの足手まといになるだけじゃないの》
《でもよぉ…》
《そりゃ、何年もアムイと離されて、内心はすっごく心細くなってるのもわかっているわよ。
離れたくない気持ちが強いのは、アムイだって同じでしょ。
でも、かえって大人しくしてくれなきゃ、当のアムイが困るのよ?アムイが!》
《シータ…もういいって…》
バツが悪そうに、アムイは頭をかいた。まるで子供時代に戻ったかのようで、それを皆に見られ、かなり気恥ずかしい。
だが、当のキイは、まったくそんな事気にする風でなく、あまつさえ、ふるふると目に涙まで浮かべているのだ。
《キイも…》
勘弁してよ、という言葉をアムイはぐっと飲み込んだ。…まぁ、キイの気持ちも痛いほどわかる。再び離れる不安は自分だって強い。
…特に、キイが己の寿命を隠していた事が、発覚してからは尚の事だった。
それを見かねたリシュオンが、こう提案する。
《ならば、私が一緒に行きましょう》
その言葉に、なんとイェンランが反応した。
《リシュオン?だって貴方、気術も使えないでしょ?一国の王子様には危険じゃない?》
《それは随分、信用ないなぁ。気術は使えないが、これでも一応危険な所には何度も赴いている経験はあるよ。
…心配なら、あと二人くらい護衛をつけるし。
どうでしょう、アムイ?何かあった時、人数がいれば何かと役に立つと思いますよ。
キイもその方が安心するんじゃありませんか?》
アムイはそこまで迷惑かけられない、と渋ったが、彼の提案のおかげで、大人しくキイは納得してくれて、このようになったのだ。
「どうです?アムイ。サクヤの“気”を感じますか?」
後方から、追いついた馬上のリシュオンが言った。
「……微かだが」
と呟きながら、アムイは神経を研ぎ澄ます。
「東よりの海岸の方から…何か感じるものがある…」
「そうですか。とにかく夜が明ける前まで、移動はなるべくしておきましょう」
「そうだな。…ありがとう、リシュオン。一緒に来てくれて」
何だろう。今日はやけに素直な自分がいる。
「いいえ。私もお役に立てるようであれば、うれしいです」
暗闇の中、四つの馬の影は、東の海岸に向けてスピードを速めた。
まるでアムイの胸騒ぎを吹き飛ばすかのように。
.....................................................................................................................................................
サクヤが次に目覚めたのは、自分の体内の異変からだった。
「ああ…?あああ…!」
突然来る、体内の違和感…。内臓を何かが這いずり回るような感覚。
この慣れない、奇妙な違和感。
それは自分以外の生命を、体内に宿しているという感覚、そのものだった。
(…もう、孵化…してしまったのか…)
ぼやけた頭で、サクヤはポツリと思った。
が、次の瞬間、外界の冷たさに驚いてサクヤは飛び起きた。
「何!?」
「目が覚めたか」
その低い声にぎくっとして顔を上げると、目以外を黒い衣装に包んでいる大柄な男と目が合った。
なんとサクヤはその男に抱えられるように馬に乗せられ、外を移動していた。
「おい!」
サクヤは身体をよじろうとした。が、まったく動かない。
見ると、自分は大きな毛布に全身をすっぽりと包(くる)まれ、身動きがままならないようになっていた。
「うん。随分元気が戻ってきたようだな」
黒尽くめの男はそう言って、サクヤの顔を覗き込んだ。
その目に見覚えがある…。
「あんたは…レツ…」 サクヤは呟いた。
「ああ。そうだよ」
サクヤは頭が混乱した。何故…?何故オレはこんな状態に…。
そしてはっとすると、再びサクヤは顔を上げ、レツの瞳を見据えた。
「おい、ガラム達はどうした?何でオレがあんたと移動してる?
…まさか…おい、まさかオレを…」
「静かにしてもらおう。ただ、さっきの場所は病人にはよくない。もっと乾いた場所に移動しようとしているだけだ」
「…嘘じゃないだろうな」
「ああ。まだ幼虫は蛹にもなっていない。そいつが羽化するまでは、まだ時間はある。
…その間に、何とかお前を救う手立てを考える」
「……救うってまさか…。よそ者に情けをかけるのはご法度なんじゃないのか?
ていうか、ガラムは何処だよ?何で此処にいない…?」
そこまで言って、サクヤは言葉を呑み込んだ。
「……おい」
しばしの沈黙の後、サクヤはレツに探るように言った。
「ガラムの奴、まさかと思うが…兄貴を捜しに…行ったんじゃないよね…」
「……」
「そうだよなぁ?オレは兄貴達の行方は他人には明かしていないし…」
「…セツカの調べでは、昂極大法師が西の王子とも行動を共にしているらしいと…」
レツの言葉に、サクヤはどきっとした。
「それが何だよ」
「あのセツカの調査能力は凄くてね。その西の王子は内密に北の王から呼ばれたらしいじゃないか。
…しかも大法師と共に宮殿に招かれている。…もちろん、極秘にね」
「……」
「つまり、だ。多分、南と通じ行方をくらましている、第一王子についての相談だろう。
という事は、彼らの目的も東の神王の血を引くといわれる【宵の流星】。
そして暁とその仲間は、大法師と繋がりを持っている。
……そこから考えると、その西の王子が潜伏している場所を捜した方が早くないか?」
レツはじっとサクヤの目を覗き込んだ。
「セツカの話では…西の王子の乗ってきた船が、ある港に隠されている、ということだが」
サクヤは生唾を呑み込んだ。
「確か…この先にある、チガン…という港町らしいと…」
その言葉に、サクヤの顔からみるみる血が引いていく。その様子で、レツは当たりだと確信した。
一方サクヤの心臓は早鐘を打っていた。
…そこまで…そこまで調べたのか…。
サクヤは、自分を救い出してくれた手際といい、豊富な知識や調査能力、身体能力に、この三人が只者でない事をひしひしと感じていた。
まるで…プロの隠密のようだ…。
確かにユナ人は閉鎖的で世に出ない事で有名なため、謎が多すぎる。
その存在を、わざと隠しているようとも感じる。
(いったい…この人達は…何なんだ?)
疑惑の目で自分を見上げるサクヤに、レツはふっと遠い目をした。
…この我々が…よそ者に加担するとは…。
そして彼は苦々しく思った。
血なのか…?ジース・ガラムも…姉のロータスも…。何故によそ者にこうして心を奪われ、情をかけるのだ…。
その思いを打ち消すように、レツは頭を軽く振った。
駄目だ。今は考えてはいけない…。俺の…俺の目的はただひとつ…。
そして再び、レツはサクヤを見下ろした。
彼はぐっと口元を噛み締めている。
この青年には何の咎もないし、ガラムの今の気持ちとて、単なる若気の至りだ。
彼が救われれば、そのうち何事もなかったかのように忘れるだろう。
だが。
…【暁の明星】…アムイ=メイ。…あいつは違う。
あいつの罪は、我が妻ロータスの全てを奪い去っていった事だ。
…許せない。…あいつを奈落の底に突き落とすまでは、この手で奴を苦しめるまでは…。
レツはぎゅっと、瞼をきつく閉じた。
閉じた目の奥で、赤い火花と共に愛する妻の面影が散っていったのを、レツは狂おしく受け止めた。
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