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2011年1月

2011年1月26日 (水)

暁の明星 宵の流星 #132

本来ならば、よそ者に必要以上接近したり、深く内情に立ち入ってはならない、というのがユナ族の掟なのであるが。
ユナ族の長(おさ)の側近中の側近であるセツカは、ちらりと隣のガラムを見やって溜息をついた。
その一方で、ユナ族は律儀な民族で、受けた恩は絶対に忘れないし、その相手に恩返しや身助けをするのが当たり前としている。
特に多大な恩を感じた者に対しては、よそ者であろうとなかろうと、ユナ族は相手に身を捧げるかのごとく尽くすのだ。
それが一生…いや、永久に続く。だからこそ、むやみやたらによそ者と関わってはならない事は、ユナ人ならば誰もがわかっている事だ。

今、セツカとガラムは互いに勢いよく馬を飛ばし、ある場所を目指していた。
この速さでは明け方までには目的地につくだろう。
それはいいが、問題はその後だ。
……運良く、目当ての人間と会えるだろうか…。
この凄腕のセツカとて、ほとんど自信はなかった。
…特にこの状況。簡単にセド王家最後の王子と言われる【宵の流星】に、会えるとは思ってはいないが。
……せめて、その宵の君の相棒という【暁の明星】…もしくは北の鎮守と言われる昂極(こうきょく)大法師だけにでも、会う事はできないだろうか…。

セツカは苦笑した。

何の因果か、本人が仇と追っている暁の仲間の一人に、愛着を持つとは…。
真っ直ぐな若いガラムを、セツカは危なっかしくも、眩しく思う。
長候補であるジース・ガラムの必死の願いを無下にするなど、共に行動している二人の大人はできなかったのである。
一応、反対し、説得はしてみたのだ。だが、ガラムの心は頑として動かなかった。
《サクヤは俺の恩人なんだ!サクヤがいなかったら、俺は異国で不埒な扱いをされていたかもしれない。
だからお願いだ。…サクヤを助けてあげて…。今度は俺が…》
義理堅く、実直で、頑固で。…そういう所は、自分が今、仕えている現在の長(おさ)であるダン様にそっくりだ…。

「ねえ、あとどのくらい?チガンまで」
ガラムの言葉が風に乗って聞こえてきた。
「夜が明ける前には。…とにかく着きましたら情報収集ですよ、ジース。
これもユナ人には欠かせない、拾得しなければならない技術のひとつですからね。
…まさか、ここで実践するとは思ってもみませんでしたが」
「一石二鳥じゃん!セツカの言っていた通りだね。
人生無駄な事はひとつもないって」
呑気で明るい声が返ってきて、セツカはまたまた苦笑した。
「では、ジース。貴方一人で、私がいつも教えていた通りにやってくださいね。
それから、貴方のその風貌は意外と目立ちますから、いつものような格好ではなく、黒いマントできちんと隠すように。
この前、北の兵士に絡まれたような目立つ姿を、決して無防備に晒してはいけません。
いいですね。
私は一切手を出しません。後ろで見ております。これもいい経験ですから」
「わかってる…!」
固い決意を表すように、ガラムはきっぱりと言った。

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ぞろぞろとした内臓を移動する感覚に、サクヤは気分が悪くなってまた目が覚めた。
「…何でこのオレを放っておいてくれないんだよ?」
湧き起こる吐き気を我慢しながら、サクヤは目の前の、完全防備の姿で胡坐をかいているレツに悪態をつく。

海岸から山に入った森の奥深い所に、誰かが昔住んでいたと思われる、小さな廃屋があった。
外観は、完全に悲惨な状況で、見るからに人など住んでいないように見える。
が、内部は意外と奇麗に片付けてあって、しばらくの間、人が潜伏しても問題ないようだ。
小型の暖炉には、ちろちろと小さな炎が踊っている。
冬の到来が早い北の国では、もう日が落ちると、急に底冷えする。
暖炉の火のおかげで、こじんまりとした部屋の中はとても暖かかった。
その火の傍に、サクヤは寝床を作ってもらい、寝かされていた。
だが、どうも孵化した穢れ虫の幼虫が、夜になると体内を這いずり回って、どうしようもない吐き気に襲われてなかなか眠れないのだ。
「ガラムに…言われたからか…?」
「それもあるが、それだけでもない」
レツはそう言うと、暖炉の中に放り込んでいた柄の長い柄杓を注意深く取り出し、サクヤの目の前に持ってきた。
「飲め。まだ熱いが、虫の動きを弱める薬草を煎じてみた。…穢れ虫に効くかはわからないが、虫の苦手な薬草を調合してある。少しはヤツの動きが止まるかもしれん」
サクヤは黙って、おそるおそる柄杓を受け取り、ゆっくりと口に運んだ。
「あつっ!」
苦い味と相まって、舌がびりびりと熱さで刺激される。だが、この状態より数倍いい。サクヤは我慢してぐっと飲み干した。
熱い液体が体内を駆け巡り、虫を牽制したようだった。
活発に動いていた幼虫の動きが鈍くなった。
サクヤはふっと力が抜け、再び床に伏せった。
「…穢れ虫とは、やっかいなものでもあるからな」
レツがぼそりと言った。
「やっかい…」
「そう。放っておくと、周辺を汚染する」
「………」
「通常は土に埋めるか、火で焼き払うか…。
そのくらいまでしないと、他のモノの気を枯らしながら、別の動物に移って卵を産み続ける。 
放っておくと、虫の被害が広がる」
「……なら、焼き殺せばいいだろう?オレはあんたの仇とする、【暁の明星】側の人間だ…」
と、サクヤはそこまで言って、はたと気がついた。
「まさか…。それが目的じゃないだろうな?オレを助けて、わざわざ仲間のところにやろうとするのは、虫の感染を…広げようとか?
特にこの虫は“金環の気”が好物なんだろう?それで仇を取ろうなんていう考え…」
「違うよ!!」
突然、入り口からガラムの声が響いた。
「ガラム…」
サクヤが声の方を振り仰ぐと、全身を黒尽くめにしたガラムとセツカが部屋に入ってきた。
「サクヤの身体が第一だと言ったよ?…アムイには知らせても、なるべく接触しないよう、頼んできたから」
「え…?」
どういうこと?というよな表情で、サクヤはガラムの緑色の瞳を見つめる。
「…戻ったか、二人とも。で、今の話だと会えたようだな、向こうの人間と」
レツの言葉に、サクヤははっとして半身を起こした。
「なっ…!やはり兄貴を捜しに行ったのか!余計な事を…」
「余計な事?…そう。そうかもしれないね、サクヤには。
でもね、皆君の事をとても心配していた。…特にアムイなんて心配のあまり、サクヤを捜しにチガンの町を出たっていうし。
…だから安心してよ。俺達はアムイに会えなかったから」
「兄貴が!?」
信じられない。兄貴がまさか自分を捜すため、身を引き返すような危険な事をする…なんて。
「本当ですよ、サクヤ。確かに我々はチガンの町まで、貴方のお仲間を捜しに行きました。
ま、小さな港町です。意外にガラムが頑張りましてね。やっと西の兵士と繋がりを持てて、そこから貴方のお仲間に繋げました。
いや、本当によかった。……最初は警戒されてましたが、誠意を持って説明しましたら、昂極(こうきょく)様にお目通りを許されました」
「…ご老人に…」
その話を聞いていたレツは、セツカの目をひたと見つめると、おもむろに言った。
「ならば、…あの方にはお会いできたか?」
(あの方?)
サクヤは不思議そうな顔をして、二人を交互に見た。
「その事はあとでゆっくり話します、レツ。
とにかく、今、サクヤを捜しに外に出ているという暁に、伝鳥(でんちょう)を飛ばしてもらいました。
なまじ、彼が貴方の“気“を辿り、無防備にも接触するなんて事になったら、どういう状態になるか見当もつかない…。
昂極大法師様の見解も同じでした。
今、大法師様が貴方の為に穢れ虫専門の学士を呼び寄せてくださり、チガンとここの中間に治療場を設ける、と言ってくださいました。
……ですから、安心してください。
もうすぐどなたかが、ここに迎えに来られると思いますから…」
「…どうして…!どうしてそんな…」
うまく言葉が出てこない。
結局、ご老人や皆に迷惑かけてしまった…!
ただでさえ、現状はかなり厳しい筈だ。
有力者に狙われているキイさんを無事に、東の聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)まで送り届けなければいけない、こんな大事な時に!
こんな…こんな自分の失態で…!もし、もしキイさんの身に危険が及んだら…!
兄貴の大事な人を危険に晒してしまったら…!!

サクヤの青ざめた顔を見て、ガラムは胸中複雑だった。
でも、これでいい。だって、サクヤの仲間は皆いい人ばかりで、本当に彼を心配していた。
…それに…。
あのアムイが、サクヤを捜しに行ったとは…。
ガラムの胸が、きゅっとした。
あの愛想のない、人を頑なに寄せ付けようとしなかった…あのアムイが。
姉さんがどうして、奴を庇ったり甲斐甲斐しく世話したのか、まったく理解できないほど、嫌な奴なのに。
……姉さんの事は何とも思ってなくても、…サクヤは大事なんだ…。
そしてサクヤもアムイをとても大事に思っている。
ガラムはその事を考えると、胃の中でざわざわと、何かの塊がうごめくような気がした。
…もし。自分が姉の仇を晴れて討てたとして、サクヤは自分をどう思うだろう。
…彼も同様、大事な人間を奪われたと思い、自分を激しく憎むかもしれない…。
そして彼も、復讐に囚われて、今の自分と同じように、自分を追い詰め…。

「なぁ、あんた達は…本当に兄貴…【暁の明星】が、仇と信じているのかよ…」
長い沈黙の後、サクヤが唐突にそう言って、ガラムの思考を中断させた。
「そうだと言ったら?」
事も無げに言うレツに、サクヤは眉間に皺を寄せた。
「言い訳じゃないが、兄貴はそんな事するような人じゃない。きっと何かの間違いだ。
……現に、本人は身に覚えないと言っている。
なぁ、本当は確証とかないんだろ?もっとちゃんと調べてくれよ」
サクヤの必死な様子に、ガラムは益々気分が重くなった。
だが、一方のレツは、まったく表情も変えず、冷ややかにこう言い放った。
「暁は俺の大事な妻を奪った。…確証なんていらない。
…間違いだろうがなかろうが、他人のものに手を出したよそ者は、それ相応の咎を受けねばならない。
…もし、暁が犯人でないとしても、我が妻をそそのかし、鍵を開けさせ逃げた事は確かなのだ。
…結果、彼女は死んだ。…その原因は暁以外、何処にある?」
淡々としたレツの言葉が、部屋を寒くする。こんなに火を焚いているのに、何故か薄ら寒い。
「…お前には悪いが、俺の気持ちは変わらない…。
いつか必ず、この手で奴を討つか」
そして、レツは息を整え、ゆっくりと吐き出すように言った。
「……奴の…大事なものを奪うまでだ。…俺とガラム同様の思いを味わわせてやる…。
奴の大事なものを奪い、奈落の底に突き落としてくれる」
「レツ!」
セツカは居た堪れなくなって、大声を出した。
「…今はその話をするのは止めてください!その件については、私は反対だと言っているでしょう?
敵(かたき)討ちなんて…。しかも確証もないのに…。それに、彼の前ではこの事は二度と言わないでください。
…余計な不安をかけさせたくないですから」
セツカの剣幕に、レツは口元だけで、にっと笑った。
「……本当の事を言ったまでだよ。なぁ、ガラム」
だが、レツの言葉に、ガラムは答える事ができなかった。
サクヤの前という事もあった。だが、それと共に、もうひとつ湧いてきた思い…。
「…いいですか、レツ。…私はその事に関して、ずっと目を瞑ってきました。
賛同の気持ちはないけど、邪魔するつもりも咎めるつもりもありませんでした…。
でも、やはりその憎悪が、真実の目を曇らす要因となっているのは確かです、レツ。
憎悪や仇(あだ)討ち、復讐というものは、いつか誰かが断ち切らなければずっと連鎖する。
……憎悪は……この穢れ虫のように、人の心を蝕み、汚染し、連鎖し広がっていく。
私はそう思います」
ガラムは声もなくセツカの話を聞いていた。…そう。
自分が今まさに感じた事はそれなのだ。
このままで…本当にいいのだろうか?
だが、そんなにすぐには人は気持ちを切り替えられないし、割り切れない。 
……特に、愛する者の無残な死に方をこの目で見てしまった自分には…。


とにかく。
ガラム達がチガン町に行ってから、もうすでに2日も経っていたようだ。
そして話はその2日前に遡(さかのぼ)る。

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やっとの思いで、昂極大法師に面通りを許された二人は、チガンの町の、ある居酒屋の2階に通された。
そこで待っていたのは、小柄な白くて長い髭を持つ、かなりお歳を召された気のよさそうな老人であった。
彼の傍には、これまた女性と見紛うばかりの美しい男性が守護するように佇み、何人かの西の兵士が護衛としてその場で待機していた。
初めは警戒されていたようで、そこに行くまで、かなりの人間から尋問を受けた。
そうしてやっと最後に目当ての昂極大法師に会えたのだが、内心、二人は焦っていた。
彼らがチガンの町に着いてから、まる一日も経っていた。
こうしている間にも、サクヤの体内の穢れ虫は、彼の“気”を糧に、どんどん成長していく…・。
いつ、羽化するかわからないのだ。
特にあの南の宰相が改良したという、特別な穢れ虫…。セツカの見解でも、この虫の生態は見当がつかない。
彼らの話を聞いて、その場にいた者達はみるみる血の気が引いていった。
「…ということで、とにかく私も南の宰相が改良した穢れ虫の成長は計り知れなく、彼の体内でいつ羽化(うか)するのか見当もつかない。だから、失礼を承知で、緊急、昂極様のお知恵をお借りしたいと思ってきたのです。
…私の調べによると、昂極様は、サクヤとも懇意にされているということ。
それに、彼のお仲間にもお知らせした方がいいと思って、こうしてやって来ました…。
突然尋ねた我々を信用くださり、本当に感謝いたします」
そう深々と頭を下げるセツカと共に、ガラムも急いで頭(こうべ)を垂れる。
「いや!どうか頭をお上げなされ!感謝するのはこちらの方じゃ!
よく知らせてくださった…。危険を承知で我々のところまで…。
確かにサクヤは我々の大事な人間じゃ。……こちらで何とかいたそう。なぁ?シータ」
昂極大法師は斜め後ろに佇んでいた美男…シータを振り仰いだ。
「はい。早速サクヤを捜しに行ったアムイに伝鳥を飛ばします。詳しい事を託して。
…気術を使う鳥ですから、必ず目当ての気術士が何処にいようが見つけてくれますからね。
……確かに時間との戦いですね。サクヤと接触する前に、アムイに伝言が届いてくれればいいのですが」
「うむ。わしの方も、早速北天星寺院(ほくてんせいじいん)に使いを出し、珍(ちん)に来てもらおう。
やつはわしの古い馴染みでの。北では随一、虫に詳しい男じゃ。専門は穢れ虫。やつに診てもらった方がよいのぅ」

ということで、この町では周辺にも迷惑がかかるだろう、という事で、今サクヤを匿っている場所との中間地点にある山の中に、治療場を設けようという話になった。
とにかく時間はこうしている間にも、とくとくと過ぎていく。
「我々はいったん先に戻り、サクヤの仕度をして出迎えます。…それで、これは今サクヤがいる場所なのですが…」
と、セツカが場所を記した地図を取り出そうと、懐に手をやったその時だった。
出入り口付近がやけに騒がしくなったかと思うと、勢いよく部屋の扉が開き、一人の男が飛び込んできて、一同を驚かせた。
「今の話は本当かい?でもあんたらはアムイを仇と狙うユナの人間だろう?なんだってまたサクヤのために…」
「待ってよ!キイ!姿を現してはいけないって、あれほど言われてたでしょうに…」
長いローブを身にまとい、長いブロンズの髪をひとつに束ねている男は、後ろから止めようとした小柄な黒髪の少女を振り切るように部屋に進んだ。
(キイ!?まさか、この方が噂の【宵の流星】!?)
思わずユナの二人は、その圧倒するような優美な姿に息を呑んだ。
「はぁ、キイの奴か。本当に大人しくできない奴よのぅ…」
ため息交じりで昂老人が呟いた。
(間違いない…。キイ…【宵の流星】。
まさか、こんなに早く簡単にお会いできるとは…)
二人は声もなく、入ってきたキイを凝視した。
…噂に違わず、何というオーラ。何という威厳。
確かにこの方は、我々がお捜しいていた…セドナダ王家、神王のお血筋…。

「キイったら、急に入ってくるなんて、失礼よ!しかも、何かあるといけないから、今回は自重してって言ったのに…」
シータがむっとしてキイに注意した。
「でも、俺にだって大事な話だろ?…俺だけ仲間はずれなんて、冷てぇよ」
ぶうっと子供のように頬を膨らませたかと思うと、言葉なく突っ立っているユナの二人にキイは振り向いた。
「突然の無礼、許されよ。…で、俺の大事な人間を仇としているあんたらが、何で俺らの仲間の為に親身になってくれるのさ」
「キイったら!この人達はねぇ…」
キイのつっけんどんな言い方に、思わずシータが間に入った。
「いえ。確かにそう思われても仕方がない」
セツカがシータを制すると、傍にいたガラムが口を開いた。
「…サクヤは俺の恩人だからです。俺が北の兵士に絡まれているところを助けてくれた。
ユナ人は受けた恩を忘れない。…俺はサクヤを助けたいんだ!」
まっすぐな緑色の瞳を、キイはしっかりと受け止め、ニヤリ、と笑った。
「そうか。…それはありがとうな。…ま、俺もさ、あんた達に聞きてぇ事があってさ…。こうして部屋の外で、待機していたって訳さ」
その言葉に、セツカがピクリとした。
「聞きたい事…」
「…ああ。実はあんた方ユナ族と、セドナダ王家の繋がりの件でね…」
「何?ユナとセド王家の間には、何かあるのか?」
昂極大法師の言葉に、セツカは慌ててこう言った。
「……失礼ですが、貴方様は本当にセドナダの王子…キイ・ルセイ=セドナダ様でお間違いないのでしょうか」
セツカの言葉に、キイはしばし彼らをじっとみつめると、おもむろにこう言った。
「いかにも。この俺は王太子とまでなっていた、アマト=セドナダ王子の不肖の息子だ。
それが何か重要か?」
キイはわざと父の事を王太子と言って、彼らの反応を探った。
「不肖とは…」
思わず昂は、キイのその物言いに苦笑する。
と、突然ユナの二人はキイの前に跪いて、他の者を驚かせた。
「おいおい、何だよ、いきなり!」
驚いたのはキイもだった。
「神王血筋のお方と確かめられて光栄です、キイ様。
ただ、込み入った内情は、他の方の耳がある所では申し上げられません。
…詳しい事は、長の許可なければ、話せない事情がございます。
できればお人払いを。貴方様には色々とお話したい事も、確かめたい事もございます…」
「確かめたい事?」
セツカの言葉に、キイは眉根を寄せた。
(そうです。…本当はこれが一番の私の目的。…ジースにもレツにも知らせていない、私と長の機密…)
じっと俯くセツカの胸のうちを推し量れず、キイはこう言った。
「よくわからねぇが、あれだな。…人払いしろ、という事は、ユナとセドナダの関係は思ったとおり極秘事項って事か。
…よし、わかった!じゃあこれから…」
キイが二人にそう言いかけた時だった。
「大法師!」
幾人かの西の兵士が慌てて部屋に入ってきた。
「何事じゃ」
「大変です。東の荒波(あらなみ)の軍艦が入港してきました!」
「何ですって!」
イェンランが小さな悲鳴を上げた。
「…先ほど、調べさせましたら、偶然に入港してきた雰囲気ではありません!
我々を捜しに来たのは確実です。
……何故だか、荒波の人間に、リシュオン様と大法師様が、宵様と繋がっている事が知れているようで…」
「何だと?」
青ざめて、昂極大法師は立ち上がった。
「…へっ。カァラの奴だな…」
キイがぼそりと言った。
「まさか!カァラって、荒波軍と通じていたの?」
イェンランは驚いてキイを振り仰いだ。

カァラとは、男のくせに女と偽り、キイに接近した、いわくつきの人物だ。
あの“気”を吸う吸気士シヴァの息子で、絶世の美男にして邪眼と言われる見えないものを見る目を持つ…。
有力者の愛人として、男を虜にし、一国をも滅ぼした経緯の持ち主…。
《安心して。もうすぐしたら迎えが来ることになっているから》
その迎えって、もしかして、荒波軍の有力者の事だったのかしら…。
イェンランはカァラの科白を思い出し、身震いした。
「多分そうだろうな。…あいつ、やけに余裕こいてたところがあったしなぁ…」

「大法師様!宵様!どうかご猶予がございません!
早くこの町からお離れになってください!
何かあった時はそのように王子から言いつけられております。
……港の反対側に馬を用意してあります。さあ、お早く」
「主たちの船はいかがする?この状態では、海にも出られないであろう?」
「ご心配なく。皆さんの荷物は、もうすでに他の者がまとめ、馬の方にお持ちしました。
証拠がなければ、我々はしらばっくれるのみ。…もし、我が船が見つかったとしても、何とか切り抜けますから」
緊迫した西軍の兵士に、昂も頷いた。
「有難い、西の方々。わかった、すぐにそのようにいたそう。
で、申し訳ない、ユナの方よ。緊急の事態が起こってしまった。
話の途中じゃが、またの機会に…」
「…ええ仕方ありません、そのような緊急事態では。…我々はとにかく、先にサクヤの元に戻ります」
と、言いながら、残念そうにセツカは立ち上がると、懐の地図を取り出し、キイの手に手渡した。
「おう。もちろん、サクヤは迎えに行く。…場所も落ち着いたら、話の続きはそこでしようや。
お互い、嫌な邪魔が入っちまったが、一刻も猶予はなんねぇ。……じゃ、またな」

そうしてセツカとガラムは急いで馬を飛ばし、この廃屋に戻ってきたのだった。


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「そういうことなんだ、サクヤ。だから仕度しておこうね」
ガラムはそう言って、甲斐甲斐しくガラムの世話をし始めた。
《途中まで、様子を見てきます、ジース。サクヤの仕度を頼みます》
セツカにそう言われたガラムは、チガンに行った時の事を説明しながらサクヤに服を着せていた。
偶然にも、レツは近辺を見回りに外に出ていた。今はガラムと二人だけだった。
しばらく成されるがままにしていたサクヤだが、気分はよくないらしく、青白い顔で、たまに「うっ、うぇっ」と嘔吐(えず)く。
ガラムは心配になって、支えるように様子を見ていたが、いきなり苦しそうにサクヤが腹を抱えて蹲ったのに驚いた。
「サクヤ!?大丈夫!」
サクヤの苦しみように、ガラムは慌てて背中をさすった。
「う、うう…っ、み、水…」
腹に虫を飼っていると、猛烈に喉が渇くようで、たまにサクヤはこうして水を激しく求めるのだ。
「う、うんっ、水だね!ちょっと待ってて…」
ガラムは慌ててテーブルの上に置いてある水差しに手を伸ばし、空いたグラスに水を注ぐ。
(…あ…もう水が…)
水差しの中には、もう一杯分の水しかなかった。
これでは迎えが来るまでに、もう一度外にある井戸まで水を汲みに行かないと…、などとガラムは考えながら、サクヤに水を渡そうとした。
ガシャーン!!
苦しんだサクヤが、グラスを取り損なってしまい、無残にも水は飛び散り、グラスは半壊して床に転がった。
「…あ、ああ……す、すまない…」
「ううん、俺こそ、ちゃんと渡せなくてごめん!もうちょっと待ってて、サクヤ、すぐ代わりのを持ってくるからね!」
苦しみながら謝るサクヤに、ガラムは不安がらせないようにそう言い、水差しを手にすると、急いで部屋を飛び出した。
ガラムが飛び出してすぐに、苦しんで腹を押さえて蹲っていた筈のサクヤが、何事もなかったかのようにのそり、と立ち上がり、そっと外を窺った。
窓の外に、ガラムが井戸まで走って行く姿が見える。
(ごめん…ガラム。…オレ、これ以上皆に迷惑かけたくないんだ…)
ちょうど今、腹の虫は寝ている最中らしい。…これならいつもより動けそうだ。
サクヤは心の中で呟くと、腹の虫が起きる前にと、急いでマントを羽織り、注意深く部屋を出た。
そして井戸のある場所とは反対側の方向に、サクヤはある限りの力をかき集め、走り出した。
走る度に身体が揺れ、内臓が息苦しい。できるならこの体内のものをかき出してしまいたい…。
でも。
(…手遅れです。彼はもう、助からない…)
セツカのこの言葉が、ずっとサクヤの脳裏 を駆け巡っていた。
今一番大事な時に…余計な事で周囲を危険に晒すなんて…。
皆に、特に兄貴に迷惑かけるくらいなら…。
サクヤは自らを滅ぼす覚悟だった。
どこかに。
どこか安全な場所はないだろうか…。
自分が命を絶っても、虫の汚染が広がらない場所は…。
森の中、草木を掻き分けながら、追い詰められたサクヤは、ただひたすら死に場所を捜していた。


......................................................................................................................................................................................


森の奥、アムイとリシュオンは2日もサクヤの姿を追い求め、少々馬も人も疲れを見せ始めていた。
「ここで、ちょっと休憩しようか」
アムイは馬の様子をちらっと見て、こう言った。
「そうですね。…近くに水場があれば、そこで馬を休ませられるんですが…」
その言葉に、アムイは五感を研ぎ澄ませた。
耳の奥で微かな水音を察知し、また鼻腔からも水の存在を感知する。
「リシュオン、左手、半里ほど行った所に水の音と匂いがする。多分小さな滝がありそうだ。
そこで休憩しよう」
「さすが、ですねぇ…」
リシュオンは常人でないアムイの感覚に感嘆した。
「聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)では、当たり前のようにやる修行のひとつだよ。
別に凄い事じゃない」
そう言うと、アムイは馬を早めた。

実はこの時、アムイの元にまだ伝鳥が届いていなかった。
だからアムイは、サクヤの状況を、まったく知り得ていない状況であった。
なかなかサクヤの手がかりを掴めないアムイは、不安を押し隠し、捜索しながら東に向かっていたのだ。
そして彼の言うとおり、半里行った所に小さな滝壺を発見した。
馬を休ませ、リシュオンと護衛の兵士も、一息つこうと水場の近くの石に腰をかけた。
アムイは、こういう水場には万能に効く薬草が採れるからと、その草を探しにその場を離れた。
《こういうものは、いくつあっても無駄にはならないからな》
この場から絶対に離れないよう、リシュオン達に念を押してから、アムイは滝壺の上に登って行った。
(さすがに、あの【宵の流星】の相棒といわれる人だ…)
リシュオンは、キイのような派手さはないが、地道に何でもこなす、アムイに心底感心していた。

「あれ?」
そんな時、何気なく空を見上げたリシュオンは、ぼんやりとした光を纏う、何かが飛んでいるのが目に入った。
(何だ?あれは鳥か…?)
その鳥の飛び方は、一見普通の燕のようにも見える。だが、違うのは淡い茶色の羽と、全身を包むモヤ状の橙色の光だ。
(あのモヤ状の光は…まさか、“気”?…ということは…あの鳥は…)
リシュオンは気術を習っていないため、彼らの通信に使う、伝鳥(でんちょう)というものを見た事はなかった。
それでも知識としてその鳥は、ほとんどを隠密に使うため、普通の鳥でないのは知っていた。しかも、飛んでいる最中は己の発する“気”で、自分の姿をくらますとも、言われている。
もし、今リシュオンが思ったとおり、伝鳥であれば、もしかするとアムイを捜しているのかもしれない…。
そう考えたリシュオンは、初めて見たであろう鳥にも好奇心を刺激され、居ても立っても居られなくなって、その鳥を追いかけようと立ち上がった。
「お待ちください、リシュオン様!!」
「大丈夫!私の考えが確かなら、あの鳥はアムイを捜している。遠くまでは行かないから、心配しないでお前達はここで待機していてくれ」
どうもリシュオン王子の好奇心は、一度火が付くと、どうにも止まらないものらしい。
彼は止める護衛を振り切り、尚且つアムイの言いつけにも背き、その鳥を追って滝壺の横を登り始めて行った。


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2011年1月23日 (日)

暁の明星 宵の流星 #131

「…手遅れです。彼はもう、助からない…」

セツカの無情な言葉が辺りに響き、ガラムの喉を締め付けた。
「…何…それ…。助からないってどういう事?この虫は人を殺める力があるっていう事?」
セツカの代わりに、近くにいたレツが答える。
「…殺めるというか…。とにかくこの穢れ虫っていうのは、何らかの要因で生き物の体内に卵を産みつけ、その“気”を喰らって孵化し、成長する。…宿り主となった動物は、その名の通り、体内をこの虫によって穢されていく」
彼の説明に、ガラムは首を捻った。
「穢される?」
「そう、だから穢れ虫。生き物の“気”を喰らい、毒素を出し、羽化して成虫となれば、そのものの体内を食い破って外に出る。
…成虫の餌も動物の”気”。その“気”を喰らって毒素を出すのも同様。
しかもその毒素が曲者で、それは周囲の“気”を枯らす…」
「“気”を枯らす?」
「そう。“気”が枯れると生気も衰え、病気にもなれば死に至るのも少なからずいる。
……死なずとも、寄生された動物は、一度虫の毒素に侵されると、生涯その身は穢れたまま。
そして最悪な事に、その毒素は周りに普及する。まぁ、一種の感染みたいなものだな。
だから穢れ虫にやられた生き物は、毒素感染を防ぐため、焼却処理されるのが普通なんだ」
「しょ、焼却…って」
「うん。思ったよりも毒素が強いので、ただ単に消毒しただけでは毒素は消えない。
……【火によって浄化するなり穢れの虫】、という言葉もあって、虫によって汚染されたものは全て焼き払わなければならない」
ガラムは言葉もなく 、じっとサクヤの顔を見つめた。
そんな虫の卵を飲まされたなんて…。ガラムは自分が震えてくるのがわかった。
青ざめた様子のガラムをちらりと見やると、レツはその目をセツカの方に向け、言った。
「この虫は元々東と北の境、シャン山脈に生息していたのが東に下りてきて、家畜に絶大な損失を与えたのが始まりだった。
…初めは動物だけで繁殖していたのが、たまに人にも寄生するとわかって、“気”を扱う気術士達が人体にも扱うようになったのが問題になった…。何故ならそれが有力な豪族達の争いの道具にされ、一州を滅ぼした経緯があったからだ。
それ以来、東ではこの虫を人体に使用するのを、賢者衆は固く禁じた筈。
文字通り、“気”を枯らす…虫。“気が枯れる”…気枯れる(けがれる)。
気枯(けが)れる虫、穢れ虫となったわけだ。
それを使うとは…。邪の気術士ティアン宰相という噂は本当であったようだな、セツカ」
その言葉に、セツカは深いため息をついた。
「確かに、このまま孵化(ふか)してしまったら、幼虫は彼の体内で彼の“生気”を喰い続け、成虫となり身体を食い破って外に出る。…一時体調は安定するでしょうが、それは体内で幼虫が蛹化(さなぎか)しただけの事…。彼の肉も血も…体液の全ては虫の毒素によって汚染され、無防備にそれに触れた者は、無条件に毒に侵される」
「じゃぁ…一度この虫に侵されると、…もう、元には戻らないの?」
瞳を潤ませながら、ガラムはぽつりと呟いた。
「…その事ですが…。手がない事もないです。…多少後遺症が残るやも知れませんが、第九以上の“気”、火を司る“煉獄の気”、もしくは、最高位第十の王の“気”、“金環”ならば、虫もろとも毒素を浄化できるかもしれません…」
セツカの言葉に、ガラムの顔がぱっと輝いた。
「と、いうことは、アムイなら何とかできるんじゃない?…だったら、早くアムイ達の所に…」
「いえ。それが普通の穢れ虫だったら、と言う事ですよ」
「え?どういうこと、それ」
セツカは重苦しい表情で、説明し始めた。
「実は今まで、宵の君の行方を色々と探っていたので、ここに来るのが遅くなってしまったのですが」
そう言いながら、セツカはサクヤに水を飲ませた。かなり落ち着いているようだ。
安定した寝息を立てている彼の頭を、ゆっくりと元に戻す。
「…最後に南軍の所に寄ってみたのですよ。そこで、例の宰相達が話しているのを聞いてしまった」
セツカはその時の事を思い出した。
もぬけの殻となった小屋で聞いた、彼らの話の一部始終を。
その恐ろしい内容を。

《そうだ。あれは体内で、人の“気”を喰らう寄生虫の卵さ》
ごくり、とヘヴンの喉が動いた。
《なあ、それってもしかして…穢れ虫の事か?》
ヘヴンの問いに、益々ティアン宰相は得意げになった。
《おや。穢れ虫を知っているのか。…だが、あれはただの穢れ虫じゃないぞ。
私が長年研究に研究を重ねた、特別な虫なのだよ》
ヘヴンはぶるっと身震いする。
《あんなもん、飲ましたなんて、宰相殿もエグイよなぁ…》
《ヘヴン、お前も知っていたのか、穢れ虫》
ミカエルの問いに、ヘヴンはケッと吐き捨てると、言葉を続けた。
《…俺ぁ、虫が苦手なんだよ。つか、大嫌いでね。…何年か前に、ある組織がこっそりと使った事あってさ。
あん時ほど、そこで雇われるんじゃなかったと思ったけどね。
けど、まさかここでもその名を聞くとはなぁ》
《怖いもの知らずのお前が、虫が苦手とは…》
《おい、ミカエルさんよ、面白がらないでくれる?人にはひとつくらい弱点はあるわさ。
で、宰相殿。どう特別なのよ?その虫が》
ヘヴンは横目でミカエル少将を睨みつけながら、ティアンに続きを促した。
《ふふ。だからあれはただの穢れ虫ではないぞ。
…ただむやみに生き物の“気”を喰らうだけの奴じゃない》
《どういう意味だ?》
ヘヴンの顔を面白そうに眺めると、ティアンは厳かにこう言った。
《…第九位以上の“気”を糧にする、特別な可愛い子だ》
《何だって?》
ティアンの言葉を受け、ミカエルが代わりに説明する。
《普通の穢れ虫は、生き物の“生気”を糧とするが、ティアン様が改良したこの虫は、主に第九位の“気”である自然界“五光の気”以上、ならびに第十位“金環”を好物とする。つまり、普通の穢れ虫は、第九位“煉獄の気”や、第十位“金環の気”で滅んでしまうが、改良されたこいつは、それを逆手に取っている》
《…つーことは、何か?そいつはかなりのグルメって事かい》
《はは。確かにそうだ。特に成虫は“金環の気”が大好物でね。貪欲にその“気”を求める》
ティアン宰相の声は楽しげだ。
《という事は、…あのカワイ子ちゃんに飲ませた目的って、狙いはアムイか…?》
ヘヴンは珍しくティアンに対して露骨に非難の目を向けた。
《そんな目で睨むな、ヘヴン。
ま、最初は普通の人間の“生気”でも簡単に孵化し、蛹(さなぎ)化し、羽化(うか)する事ができる。
もちろん宿り主の体内を毒素で撒き散らしながらな。
だがその毒素も、第九位以上の“気”に特に反応し、その高位の“気”の使い手は、普通の人間よりも汚染されやすいというデーターが出てる。…そしてこの毒素はかなり強烈で、汚染された者の血は毒となり肉が溶け、無残な姿となり、必ず苦しみ抜いて死に至る…。
しかも宿り主を食い破って出てきた成虫は、かなり獰猛でね。お目当ての“気”を執拗に求めるんだ。
……どうだ?ぞくぞくするだろう?》
ヘヴンは目を細めた。
《そんな危険な虫、改良して大丈夫かよ?宰相殿。
…あんたらだって、第九位以上の“気”を持ってるだろう?》
《ふふ、まぁ、改良したのは私だ。…一応毒素を分解する研究も平行してやっているよ。
…でも、それには誰かが犠牲になってもらわなきゃならん。
猛獣の毒と同じく、血清が必用なんだよ》
《まさか、それも踏まえて…?》
《さぁ、どうなるかは、あの男の動向次第だろう?仲間と合流するか、我々に見つかるか》
《あいつが我々の手にあるって…さっき言ってたよな?あれはどういう》
それについては、ミカエルが答えた。
《あの穢れ虫の波動は、こちらで記録済みだと言う事だ。あれが孵化し幼虫となれば、虫は好物の“気”を求めて波動を出す。それが宿り主以外、近くに第九位以上の“気”を持つ人間がいれば尚の事。
つまり、だ、あの青年が暁達の元に近づけば近づくほど、虫は波動を出し、我々はその波動を追える》
《なるほどねぇ…。
でも、大丈夫なのかよ?そんな危険な虫が、あんたらの大事な宵の君を襲ったらどうする?》
その質問に、ティアンはにやりとした。
《それは心配ない。…運よく、宵は額に封印の玉を植えつけられている。
つまり、第九以上の“気”が封印されている状態では、虫はまったく反応しないよ。
それに…宵が持っている“気”は…》
《何?》
《いや、何でもない》
ティアンは言いかけて、言葉を濁した。
(そう、宵の持つ“気“はただの“気”ではない。…高貴なる“神気”だ。
邪悪なもの、穢れたものを一瞬にして無にするほどの…。つまり、あの虫には宵の存在自体が天敵。
…これはまだ定かでないが、多分、宵にはあの虫は無害だ)
ティアンの心の中の呟きは、外で聞き耳を立てているセツカにはわからないのは当たり前である。
そして、その邪悪な権現、ティアン宰相は最後にこう言ったのだ。
《だから、その虫を持ったあの男が、アムイの所に行ってくれれば、一石二鳥というものよ。
宵の居所はわかるし、アムイや他の気術使いも一網打尽にできる。
な?いい試みだろう?》


「そ…んな。なんて酷い事を…」
ガラムはセツカの話に顔を歪め、怒りで全身震えていた。
「そういう事だったのか…。どうする、セツカ。そうと言って、彼をこのままにはできんだろう」
「私の知識では…まだ何とも…。ただ“気”の最高峰である、昂極(こうきょく)大法師殿なら、何か知恵があるかもしれない」
「昂極って…。あの北の鎮守の…」
「そうです。その方が、どうやら暁達と行動を共にしておられるらしい…。皮肉な事ですが、結局、彼は暁達の元に連れて行くしかないと…」
そうセツカが言いかけたとき、いきなり何者かに自分の服の端を掴まれた。
「サクヤ!」
「…駄目だ…」
セツカの服を震える手で握り締めたのはサクヤだった。
「目が覚めたの?サクヤ!」
そう叫ぶガラムには目もくれず、サクヤは苦しげな息の中、全身で振り絞るように彼らに言った。
「駄目…だ…!兄貴…の…特にキイさんがいる所には…俺は行かな…い」
いや、行けない、とサクヤは朦朧とした頭でそう思った。
「サクヤ…」
ガラムは眉をしかめた。
「…話を聞いていたのですね…。今の自分の現状も…」
「ああ…。だから尚更…オレは帰らない…」
……兄貴の元へ……と、サクヤは心の中で悲痛に叫んだ。  
「じゃぁ、サクヤどうするの?このまま虫に喰われて死んでもいいの?
俺は嫌だ!そんなの嫌だよ!」
「ガラム!」
息も絶え絶えのサクヤを揺さぶろうとしたガラムを、レツが後ろから羽交い絞めした。
サクヤは辛そうに半身を起こそうとするが、力が入らず、再び床に伏せってしまう。
「嫌だ…?オレこそ…皆の…元に戻るのは嫌だ…」
はぁはぁ、と息を荒げ、サクヤは呟いた。
「頼む…オレは戻らない。…こ…れ以上…皆を危険な目には…」
サクヤは心の中で思った。
そう。これは自分の落ち度だ。簡単に敵の手の内にはまってしまった…自分の。
ならば、自分で落とし前を付けなければならないだろう?
「それに…助けてくれた…君達だって…危険…だ…。
折角…助けてくれたのに…申し…訳ない…が…虫が孵化する前に…オレを置いて去って…くれ…ないか…?」
サクヤの悲痛な言葉に、三人は声を失った。
「できるなら…いっそのこと…オレにとどめを…」
「やめてよ、サクヤ!」
その科白にガラムの目からぶわっと涙が溢れ、頬を濡らした。
「ジース…」
ガラムの様子に、セツカは切なそうに呟いた。

よそ者を極力排除し、我が民族を維持してきたこのユナの民。
本来ならば、特例を抜かし、よそ者に情を通わす事は、良くないとされている…。この閉鎖的な民族ユナ。
ある意味、よそ者に心を動かされる事。すなわち我が民族では、それは命取りにもなる所業でもあるのだ。
あれだけよそ者に心を砕いた末に、殺されてしまった姉の事で、ガラムはそれを身を持って学んだのではなかったのか…。
セツカの内心は複雑だった。…ある程度、情が深いのはいい。だが、長となるのなら、もっと冷静でいなければならない。たとえ、心に色々と思う事があっても、だ。
セツカにはガラムの心の中がよくわかっていた。
(ジースは姉のロータス同様、よそ者に心を奪われているのに…気がついていないのか…)
そこまで思って、セツカは苦笑した。
…まぁ、よそ者のアムイに対し、あれだけ仇と思って、執拗に追いかけているのも、ある意味心を奪われてると同じか。

ガラムは涙を自分の袖で拭うと、凛とした態度でサクヤに言った。
「それはできないよ、サクヤ。貴方は俺を助けてくれた、恩人だもの…。
ユナ族は恩を感じた相手には、最後まで…」
「恩…人?何言ってんだよ…。オレは当たり前の事を…しただけだ…ろ…」
「もういけませんよ、サクヤ。あまり喋ると身体に負担がかかる。
貴方の気持ちはよくわかりましたから」
「セツカ!」
大声を張り上げるガラムをセツカは片手で制しながら、彼はサクヤに言葉をかけた。
「とにかく、今は休んでください…。私達の事は大丈夫ですから。
…穢れ虫が体内にいる時は、注意深く接していれば、表立って毒素に侵される心配はありません。
とにかく虫が羽化する前でしたら、そんなに表に強くは毒素は出ない筈ですよ。
ただ、咳や嘔吐物、排泄物、あと血液には注意が必要ですが」
「そうなの?」
ガラムはセツカに目を丸くして見せた。
「ええ」
(通常の穢れ虫ならば…ですが)
セツカは心の中でそう呟いたが、彼らを不安にさせるだろうからと、あえてその話はしなかった。

そう。自分の見解では、ただの人…ならば、身体を保護し、ある程度看護の為に接触しても、多分そんなに問題はない…。
問題があるとすれば、改良された虫という事だ。
…あの宰相の話だと、体内の穢れ虫は第九以上の“気”が好物で、幼虫の頃からその“気”を求めて波動を出す。
ということは、その“気”を持つ者への影響は、未知数…という事…。多分、第九位以上を操る気術士が近づくだけで、虫は獲物が来たと思い、興奮するのだろう。そうすれば、宿り主への負担が益々重くなると同時に、その気術士が近くに寄っただけでも…いや、特に触れたりなんかしたら、きっと虫は強烈な毒素を表に出す…。
そしてその毒素は、ただの人よりも、先に気術士を蝕む…。

「それ…でも…。オレを絶対に兄貴達の所へは…連れて行かないでくれ」
サクヤははぁはぁ、と肩で息をしながら、必死に頼み込んだ。
「でも」
「ガラム」
サクヤはガラムをひた、と見つめた。ガラムはサクヤのその真剣な眼差しに釘付けになる。
「オレが…戻ったら…皆の居所を敵…に教える…ようなもの…なんだろ…?
それだけ…は…ぜったい…だめ…」
「だったら俺達が、サクヤの居所をアムイに知らせるよ!それで迎えに来てもらう。
だから教えて!アムイは今、何処にいるの?」
真剣に言うガラムの顔を、サクヤはしばらくじっと見つめた。が、ふっと弱々しい笑みを浮かべるとこう言った。
「それを…オレがお前達に言うと…思っている…のか…?
…オレの大事な…人を…仇呼ばわり…する…相手に…」
「サクヤ…」
ガラムは愕然として言葉に詰まった。確かにそうだ。確かに。
あれだけアムイを目の仇にしている自分を、サクヤが信用するわけがなかった…。でも…。
「信じて…よ、サクヤ。今は敵討ちより…サクヤの身体の方が大事なんだよ。
絶対にその時はアムイには手を出さないから。
それに…アムイなら、きっと昂極大法師にサクヤを託してくれる。
きっと何とかしてくれるよ、サクヤのために」
その科白に、サクヤは苦笑した。
「なんだよ…。仇なのに…やけに信頼してんじゃんか…」
「だって…!アムイは身を挺してまでもサクヤを守ってくれただろ?
…それだけあいつにとって、サクヤはとても大事な存在なんだ」
そう言いながら、ガラムの胸が、ちくり、と痛んだ。
どうしてだか自分でもわからない。わからないから、ガラムはその胸の痛みをあえて無視した。
「はは…は…。そんな事はない。兄貴には、もっと大事なものが…あるんだよ」
サクヤはキイの姿を思い浮かべた。今はこんな自分の事よりも、【宵の流星】を守らなければならないのだ。
それはアムイだけでない、セド人である自分の願いでもある。
……世が世なら、神王となっていたであろう…あのお方を。
どちらが重い、といったら、キイの方が重要だ。
あの方を危険に晒す事は絶対にできない。それはアムイとてよくわかっている筈だ。
…こんな…こんな迷惑をかけるような…人間よりも。
(元々、オレは…兄貴の気持ちに構わず、勝手に付きまとっていただけだ。
いつだって兄貴に迷惑かけてきたかもしれない。
……オレがいなくなっても…。いや、いない方が兄貴の負担は軽くなるだろう。
その方がいい。その方が…)
サクヤは視線をすっと下に落とした。
そう、自分がいなくても、今はキイさんが兄貴の傍にいてくれる。
(オレがいなくても…兄貴は大丈夫だ…。いや、何の影響もない)
考えてみれば、執拗にアムイに付きまとっていた理由のひとつは、自分が彼を放っておけなかったから…。
その事に、こんな状態になって初めてサクヤは気がついた。

人を寄せ付けず、ひとりで何でも片付けようとして。
人付き合いが危なっかしくて。素直じゃなくて。
つっけんどんで、人を怒らせる天才で。…不器用で。

思わず笑みがこぼれる。

最強なくせに、意外と脆いところがあって、不眠症だし。
このオレがフォローしないと、すぐに揉め事になるし。
美形のくせに、いっつも眉間に皴寄せて、仏頂面で。
頑固で、硬い殻に閉じこもっちゃって。

…だけど…。

…だけどその硬い殻の下には、涙が出るほど優しいものが隠されていて…。

不覚にも涙が出そうになって、サクヤは考えるのをやめた。

彼の様子をじっと見つめるガラムも、内心複雑な思いに囚われていた。
だけど、彼を何とか助けたい、という気持ちは揺るがない。
ガラムの決意は固かった。どんなにサクヤに反対されようが、彼に嫌われようが。

自分は絶対にサクヤをアムイ…昂極大法師の元に送り届ける。絶対に。

.................................................................................................................................

《いいか、アムイ。お前に施してある“金環の気”の封印は、この俺にかけられているものと違って、簡単に解除できる一時しのぎのものだ。まぁ、俺のように玉を埋め込んでないから、封印というよりもバリアがかかっていると思っていい。
……だから、もし、気術戦となったら、その封印を解かないと、“気”は使えないから、気をつけてな》
《わかっているよ、キイ。そのくらい俺も…》
《まぁ、よほど感知いい奴でも、至近距離にならない限り、お前の金環は察知されないから…。それから…》
《はいはい、わかったから!それよりも、お前こそ俺の言うこと聞いてくれよ?…絶対、ここから出ないって…》

まったく、キイの奴。変なところで異常に過保護なのは、子供の頃から変わっていないんだから。
この俺が、お前なしで何年一人でやってきたと思ってんだよ。

そう思い立った時、ふとアムイは気がついた。
いや、…近年は一人じゃなかった…。
アムイの脳裏に、サクヤの明るい笑顔が浮かんでは消えた。

《兄貴。そんなしかめっ面しちゃいけないよ!皆怖がってるじゃん。ただでさえ、誤解されやすい性格してんだから》
サクヤの奴…。余計なお世話っていう言葉、知らないのかよ。
《師匠が嫌なら、兄貴はどうだ!ね?自称オレは天下の【暁の明星】の弟分っつーのも、いいかもねぇ》
馬鹿。同い年のくせして、弟分とは何だよ。気持ち悪いだろ。
《いーじゃん、オレが兄貴って呼んだって。呼び方ぐらい、好きにさせてよ、あ・に・き♪》
だから、そう呼ぶなって、いっつも言ってるじゃないか。
《…兄貴と、またこうして酒、飲みたいなぁ…。うん、今晩はとてもいい気分だぁ》
………お前、酔っ払うとはしゃいですぐ寝ちゃうじゃんか。ほどほどにしておけよ。
《……兄貴のお陰で、オレ、色々と経験させて貰ってる。色んな事学ばせて貰ってる。……オレ、兄貴に会えてよかった…。
天に感謝しているんだ。…この出会いがなかったら、今のオレはいないから》

…………それは……俺もお前と同じだよ……。


アムイはふぅっと馬上でため息をついた。
外はもう薄っすらと日が落ち、辺りに闇が忍び寄ってくる。
後方ではリシュオンと護衛の兵士二人が、後からゆっくりとついてきていた。

アムイがチガン町を出て、サクヤを捜しに行くと告げた時、反対する者がいないわけでもなかった。
《ねぇ、気持ちはわかるけど、もし入れ違いにでもなったら…》
《その時は…伝鳥(※気術士が使う、伝書鳩みたいなもの。緊急もしくは蜜書によく使う。指定した相手しか内容を確認できない特殊な鳥をいう)を…飛ばしてくれ。
確かに行き違いになるかもしれない。だけど、俺の心の中で、じっと待っていられない、何かを感じるんだ。頼む》
そう深々と皆に頭を下げるアムイの態度に、全員、何も言えなくなってしまった。
ところが、いざアムイがここを一人で出ようとすると、思いがけず、あのキイが子供のように駄々を捏ね始めたのだ。
《俺も行くぞ、アムイ》
《はぁ?何言ってんだよ、キイ!》
《心配なんだよ!またお前と離れるなんて…。それに元々俺はじっとできる性分じゃねぇし》
《あのなぁ、今の自分の立場、よくわかってんだろ!?今お前を危険な状態に晒す訳には…》
《やだ!やだ!お前一人で行かせるなんて…。やっと一緒に戻れたのに…。これ以上俺はお前と離れたら死んじまう!!》
《……あのねぇ、キイ…》
この、天下の【宵の流星】の見たこともない駄々っ子ぶりに、皆が口をぽかんと開けている中、唯一平然としていたシータが、アムイにすがりつくキイの首根っこを掴んで引き剥がした。
彼はキイのその情けない様子は、慣れてる、といった風情で冷静に言った。
《もぉ、ワガママもたいがいにしなさいよ、キイ。それに少しは冷静になって自分の今の状況を見なさいな。
……高位の“気“を封じられてる身では、アムイの足手まといになるだけじゃないの》
《でもよぉ…》
《そりゃ、何年もアムイと離されて、内心はすっごく心細くなってるのもわかっているわよ。
離れたくない気持ちが強いのは、アムイだって同じでしょ。
でも、かえって大人しくしてくれなきゃ、当のアムイが困るのよ?アムイが!》
《シータ…もういいって…》
バツが悪そうに、アムイは頭をかいた。まるで子供時代に戻ったかのようで、それを皆に見られ、かなり気恥ずかしい。
だが、当のキイは、まったくそんな事気にする風でなく、あまつさえ、ふるふると目に涙まで浮かべているのだ。
《キイも…》
勘弁してよ、という言葉をアムイはぐっと飲み込んだ。…まぁ、キイの気持ちも痛いほどわかる。再び離れる不安は自分だって強い。
…特に、キイが己の寿命を隠していた事が、発覚してからは尚の事だった。
それを見かねたリシュオンが、こう提案する。
《ならば、私が一緒に行きましょう》
その言葉に、なんとイェンランが反応した。
《リシュオン?だって貴方、気術も使えないでしょ?一国の王子様には危険じゃない?》
《それは随分、信用ないなぁ。気術は使えないが、これでも一応危険な所には何度も赴いている経験はあるよ。
…心配なら、あと二人くらい護衛をつけるし。
どうでしょう、アムイ?何かあった時、人数がいれば何かと役に立つと思いますよ。
キイもその方が安心するんじゃありませんか?》
アムイはそこまで迷惑かけられない、と渋ったが、彼の提案のおかげで、大人しくキイは納得してくれて、このようになったのだ。

「どうです?アムイ。サクヤの“気”を感じますか?」
後方から、追いついた馬上のリシュオンが言った。
「……微かだが」
と呟きながら、アムイは神経を研ぎ澄ます。
「東よりの海岸の方から…何か感じるものがある…」
「そうですか。とにかく夜が明ける前まで、移動はなるべくしておきましょう」
「そうだな。…ありがとう、リシュオン。一緒に来てくれて」
何だろう。今日はやけに素直な自分がいる。
「いいえ。私もお役に立てるようであれば、うれしいです」

暗闇の中、四つの馬の影は、東の海岸に向けてスピードを速めた。
まるでアムイの胸騒ぎを吹き飛ばすかのように。


.....................................................................................................................................................

サクヤが次に目覚めたのは、自分の体内の異変からだった。
「ああ…?あああ…!」
突然来る、体内の違和感…。内臓を何かが這いずり回るような感覚。
この慣れない、奇妙な違和感。
それは自分以外の生命を、体内に宿しているという感覚、そのものだった。
(…もう、孵化…してしまったのか…)
ぼやけた頭で、サクヤはポツリと思った。
が、次の瞬間、外界の冷たさに驚いてサクヤは飛び起きた。
「何!?」
「目が覚めたか」
その低い声にぎくっとして顔を上げると、目以外を黒い衣装に包んでいる大柄な男と目が合った。
なんとサクヤはその男に抱えられるように馬に乗せられ、外を移動していた。
「おい!」
サクヤは身体をよじろうとした。が、まったく動かない。
見ると、自分は大きな毛布に全身をすっぽりと包(くる)まれ、身動きがままならないようになっていた。
「うん。随分元気が戻ってきたようだな」
黒尽くめの男はそう言って、サクヤの顔を覗き込んだ。
その目に見覚えがある…。
「あんたは…レツ…」 サクヤは呟いた。
「ああ。そうだよ」
サクヤは頭が混乱した。何故…?何故オレはこんな状態に…。
そしてはっとすると、再びサクヤは顔を上げ、レツの瞳を見据えた。
「おい、ガラム達はどうした?何でオレがあんたと移動してる?
…まさか…おい、まさかオレを…」
「静かにしてもらおう。ただ、さっきの場所は病人にはよくない。もっと乾いた場所に移動しようとしているだけだ」
「…嘘じゃないだろうな」
「ああ。まだ幼虫は蛹にもなっていない。そいつが羽化するまでは、まだ時間はある。
…その間に、何とかお前を救う手立てを考える」
「……救うってまさか…。よそ者に情けをかけるのはご法度なんじゃないのか?
ていうか、ガラムは何処だよ?何で此処にいない…?」
そこまで言って、サクヤは言葉を呑み込んだ。
「……おい」
しばしの沈黙の後、サクヤはレツに探るように言った。
「ガラムの奴、まさかと思うが…兄貴を捜しに…行ったんじゃないよね…」
「……」
「そうだよなぁ?オレは兄貴達の行方は他人には明かしていないし…」
「…セツカの調べでは、昂極大法師が西の王子とも行動を共にしているらしいと…」
レツの言葉に、サクヤはどきっとした。
「それが何だよ」
「あのセツカの調査能力は凄くてね。その西の王子は内密に北の王から呼ばれたらしいじゃないか。
…しかも大法師と共に宮殿に招かれている。…もちろん、極秘にね」
「……」
「つまり、だ。多分、南と通じ行方をくらましている、第一王子についての相談だろう。
という事は、彼らの目的も東の神王の血を引くといわれる【宵の流星】。
そして暁とその仲間は、大法師と繋がりを持っている。
……そこから考えると、その西の王子が潜伏している場所を捜した方が早くないか?」
レツはじっとサクヤの目を覗き込んだ。
「セツカの話では…西の王子の乗ってきた船が、ある港に隠されている、ということだが」
サクヤは生唾を呑み込んだ。
「確か…この先にある、チガン…という港町らしいと…」
その言葉に、サクヤの顔からみるみる血が引いていく。その様子で、レツは当たりだと確信した。
一方サクヤの心臓は早鐘を打っていた。
…そこまで…そこまで調べたのか…。
サクヤは、自分を救い出してくれた手際といい、豊富な知識や調査能力、身体能力に、この三人が只者でない事をひしひしと感じていた。
まるで…プロの隠密のようだ…。
確かにユナ人は閉鎖的で世に出ない事で有名なため、謎が多すぎる。
その存在を、わざと隠しているようとも感じる。
(いったい…この人達は…何なんだ?)
疑惑の目で自分を見上げるサクヤに、レツはふっと遠い目をした。

…この我々が…よそ者に加担するとは…。

そして彼は苦々しく思った。
血なのか…?ジース・ガラムも…姉のロータスも…。何故によそ者にこうして心を奪われ、情をかけるのだ…。
その思いを打ち消すように、レツは頭を軽く振った。
駄目だ。今は考えてはいけない…。俺の…俺の目的はただひとつ…。

そして再び、レツはサクヤを見下ろした。
彼はぐっと口元を噛み締めている。
この青年には何の咎もないし、ガラムの今の気持ちとて、単なる若気の至りだ。
彼が救われれば、そのうち何事もなかったかのように忘れるだろう。

だが。
…【暁の明星】…アムイ=メイ。…あいつは違う。
あいつの罪は、我が妻ロータスの全てを奪い去っていった事だ。

…許せない。…あいつを奈落の底に突き落とすまでは、この手で奴を苦しめるまでは…。

レツはぎゅっと、瞼をきつく閉じた。
閉じた目の奥で、赤い火花と共に愛する妻の面影が散っていったのを、レツは狂おしく受け止めた。


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2011年1月22日 (土)

暁の明星 宵の流星 #130

暗闇の中。
するりと音もなく二つの人影が小屋の中に侵入する。
すでに人が出払っている小屋の中は、いつの間にか灯りが消えていて、何がどうなっているのか目が慣れていないとよくわからない。
二つの影は、目が慣れているのか、勘がいいのか。真っ暗な中、確かな足取りで目的の場所に辿り着く。

「…サクヤ?」
囁く様な声が、闇に響く。
二つの影の片方…小柄な人間の方が、壁に括られているサクヤの近くに寄る。
大柄で、がっしりとした体躯のもう片方も、音もなく彼らに近寄り、小さな灯りを懐から取り出した。
ぼんやりと辺りが明るくなり、サクヤの痛々しい顔が浮かび上がる。
「しっかりして、サクヤ」
小柄な方が、心配そうにサクヤの耳元で再び囁いた。
「とにかく、彼を下ろそう」
野太く低い声がしたと同時に、大柄な方が手早くサクヤの手枷(てかせ)に手をかけた。
彼はよほど手馴れているのか、器用に錠を弄くると、いとも簡単に手枷が外れる。
その勢いでぐらっと傾くサクヤの身体を、大柄な男は咄嗟に抱えた。
「ジース・ガラム、早く足枷(あしかせ)の方を」
「うん、レツ」

二つの人影は、東の果ての島、閉鎖的な民族と有名なユナ族のガラムとレツであった。
ガラムは言われたとおりにサクヤの足元に跪くと、レツ同様、器用に錠を外し、枷を取り除いた。
「…なんて酷い仕打ちを」
ガラムは涙目になって、サクヤの顔を覗き込んだ。
「とにかく、今のうちに彼を連れて行こう。これは早く手当てしなければ…命が危ない」
レツの言葉に、ガラムはコクンと頷いた。
そしてレツは、弱々しい息のサクヤを肩に担ぐと、人がいないのを確認し、ガラムと共に注意深く小屋を後にした。


......................................................................................................................................................


アムイの嫌な予感は頂点に達していた。
謂(いわ)れのない感じに、居心地が悪く、彼は何度も寝返りを打った。
「眠れないのか」
隣の寝台から、宵闇のようなキイの声がした。
部屋数が限られているため、何人かと相部屋となり、久しぶりにアムイはキイと同室になった。
それでも昔のように身体を寄せ合って眠る事なく、互いに割り当てられた寝台を使っている。
「…いつもの事だ」
無愛想に答えるアムイに、キイは眉根を寄せた。
「俺とお前の仲だろ?…いまさら格好つけてどうするよ?」
「……」
「正直に言えば?…サクヤが心配だって」
キイは直球を投げてきた。アムイは喉を詰まらせる。
「正直になりな。…お前はいつも自分を偽る。…素直じゃないのは…今に始まった事じゃないが」
と言いながら、キイは心の中で呟く。
あの18年前の悲劇があった以前は、アムイは素直すぎるほど素直な奴だった…。
あれ以来、アムイは自分の殻に閉じこもり、自分を出すのを嫌がるようになってしまった。
…特に人に対して。
「サクヤがいねぇと、俺も落ち着かないよ。…いくらなんでもここに着くのが遅いと思うし」
「………」
押し黙ったアムイに、キイはため息をつくと、ふと話題を変えた。
「なぁ、アムイ。そう言えばお前、この間ユナ族の話、してたよな?」
唐突な話題に、アムイは不思議そうな顔をキイに向けた。
「何だ?いきなり…」
「いや、前から頭にはあったさ。まぁ、今まで立て込んでいたしなぁ」
アムイはじっとキイの顔を窺った。
「俺が犯人と思われている…こと?」
「いいや」
キイは半身起こし、アムイの方に顔を向けた。
「本当なのか」
「えっ?」
「…本当にアマトはユナの島に行ったのか」
突然何を聞かれたのか、アムイは一瞬要領を得なかった。
「……ああ…そう、聞いたけど」
戸惑いながら、アムイは答えた。
アマト…自分達の父親が、まだ自分らが幼い頃に、あの辺境の島まで、何故訪れていたのか。
それはキイでなくても、聞いた時は耳を疑い、疑問に思った。
「その理由(わけ)は聞いていないんだな?」
「……あの時は、自分がセドのアマト王子の子だって…言えなかったし」
あの時だけでない。父親の大罪を知ってからは、アムイの中でセドの王子は禁句であった。
特にキイは、世間がらみもあってか、執拗にアムイ がセドの王子の子だという事は、絶対に他に漏らしてならない、と頑なだった。
「そうだよな…」
キイはアムイの言わんとする事を察して、口ごもった。
「…でも、お前の話だと、ユナの人間はアマトがセドの王子と知っていたようじゃないか。
…それに気になる。…サクヤが聞いたという、ユナとセド王家が何か関係がある、という話も」
「ああ」
それはアムイも同じだ。
推測するに、何かしら閉鎖的な民族ユナと、東の大陸を制していたセド王家は繋がりがあると思われる。
それはいったい何なのだろうか。
今までユナの話なんて、王族関係者や、当の父親からだって一度も聞いたことがなかった。
皆、隠していたのか、それとも知らなかったのか、たいした事がなかったのか。
セドの国が消滅し、父も亡くなってしまっている今、ユナ族の人間に直接聞くしかないだろう。だが、あの他国、他族に閉鎖的な民族が、よそ者の自分達に話してくれるだろうか。…自分達がセド王家の人間だと知れば、もしかしたら教えてくれるかもしれないが…。
「裏に隠された…。まさか…」
「キイ?」
キイの呟きに、アムイは眉をしかめた。
「何か思い当たる事でも」
「いや」
キイは苦笑し、頭を軽く振ると、《何でもない》と手振りを見せた。
「まぁ、謎だけに興味はあるがな。…その、お前を仇と狙っているユナ人に、俺もいつか会ってみたいね」
「…キイ」
「お前らの話じゃ、きっと向こうからしつこく追いかけて来るだろうけど。
ま、誤解が解けるといいなぁ、アムイ?」
アムイはキイの言葉の裏に、何か思うところがあると本能で感じたが、あえてそこは言及しなかった。


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そのユナ人であるガラムとレツは、かなりのスピードで森を抜け、海岸先で見つけた小さな洞窟に身を寄せていた。
中で火を焚き、サクヤの濡れた衣服を乾かす。
サクヤはガラムの替えの衣服を身に付け、火の傍に横たわって息を荒げ、震えていた。
「ねぇ、レツ。サクヤ、熱が出てきたみたいだ」
「……とにかく暖めて…。まだ悪寒がしてるようだ。
取り合えずセツカが戻ってくるまで、痛み止めを飲ましておこう」
そう言いながらレツはサクヤの半身抱えると、小さな瓶を口元に持っていき、一気に飲ませた。
「うっ…ぐっ、ごふっ…」
口元から少し零れた液体を軽くふき取り、レツは静かにサクヤを再び寝かせ、柔らかな毛布をかけてやる。
「これで少し、よくなるといいが」
「……サクヤ…」
ガラムが不安げにサクヤの顔を覗き込む。
サクヤの顔は真っ青で、歯がガタガタと震えている。
全身に受けた傷は、二人がかりで綺麗に消毒をし、手当てした。
「とにかく酷い事をするもんだな、南の連中は。噂どおりだ」
「……でも、あいつらを見張る事にして正解だったよ。
これで奴らの魂胆もはっきりしたし」
ガラムの言葉にレツは頷く。
この緑色の瞳の少年は、東の国、最東端の島ユナの長の息子だ。
ジースという称号は、次期長候補(じきおさこうほ)につけられる。
彼はユナでいう成人を迎えたばかりだが、これでもまだ15歳だ。それでも幼さの残る顔には、長の息子という威厳が出ている。
彼の異父姉の2番目の夫であるレツは、義理の兄弟ということで彼が幼い頃から面倒を見ていた。ガラムにとってレツは、一番敬愛する兄であり、自慢の英雄であった。
「…でも、殺されてなくてよかった…。サクヤがあいつらに捕らえられたと知って、俺…」
涙ぐむガラムに、レツは言った。
「うむ。だが、もう少し早く救ってやれたら…と思うとな。いかんせん、我々が来るのが少し遅かった…」
「でも一応、無事にこうして助けられた。…恩返しできてよかった」
ガラムは独り言のように呟くと、自分の懐から手ぬぐいを取り出し、甲斐甲斐しくサクヤの額の汗をぬぐった。
その様子を後ろで眺めながら、レツは安堵する一方で、一つの疑問がずっと引っかかっていた。
…上手く助け出せたのはいいが…。やけに簡単過ぎはしないか?いくらなんでも見張りも付けず、捕虜を放ったらかしにするとは…。
そう、いくらなんでも無防備すぎる…。
そう思い巡らしていたレツの思考を、ガラムの言葉が遮った。
「それにしても、セツカの奴は、何処に行ってしまったんだ…。
薬師(くすし…※古来での医師…医術士の呼び名)でもあるあいつがいなければ、怪我人をどう扱ってよいのか…」
ぶつぶつとガラムはセツカを責めた。
長(おさ)であるガラムの父直属の側近であるセツカは、ガラムが生まれた時から懇意に接してくれた気心の知れた大人の一人であった。幼少の頃は、教育係としてガラムを厳しくも優しく指導してくれた事もあって、他の従者達よりも近しい存在だ。
特に長直属の側近はエリート中のエリート。医術、戦術、格闘技、学問…など、オールマイティに何でもこなせるのが、ユナでは当たり前なのである。
「一応、基礎は学んでる。…とにかくセツカが来るまで、俺が診る。
……中央殿(長のいる中枢機関)関係者は、側近の者だけでなく、誰もが満遍なく色んな事ができなくてはならないからな」
レツはそう言い、ガラムと場所を交代すると、サクヤの息遣いを確認した。
「……」
「どう?容態は…」
ガラムの問いに、レツは顔をしかめた。
「……うん…。薬が効いてきたのか、さっきよりはいいが…」
「どうかしたの」
レツは口元に手を沿えて、考え込む仕草をした。
「いや、俺の気のせいかも知れん。…とにかくセツカを待とう」
ガラムは不安な顔でレツを見やった。そしてそのままサクヤに視線を落とす。
今度は熱が上がってきたようだ。サクヤの顔は赤く火照り、小さな呼吸を繰り返している。
「何か冷やすもの、持って来る!」
いたたまれなくなったガラムは洞窟を飛び出した。
この洞窟の裏に湧き水があった事を思い出し、辺りに気をつけながらその場に急ぐ。
外は夜が明けようとしていた。うっすらと日が射し始め、小柄なガラムの姿を照らし始めた。


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夜が明けて。

もぬけの殻となった小屋では、ヘヴンが怒りをあらわにし、暴れていた。
「だから言ったんだ!何で見張りを付けなかったんだよ!!」
怒声を上げながら、ヘヴンは外されて放置されている枷を足で蹴飛ばした。
「案の定、逃げられちまっただろ!どーすんだよ!アムイ…いや、あんたらの大事なキイの居所が、パァだぜ、パァ!!」
「おい、落ち着けヘヴン…」
宥めようとするミカエル少将に、ヘヴンはきっと睨みつける。
荒れ放題のヘヴンに比べ、涼しげな顔をして近くで佇んでいるのは、ティアン宰相である。
「なあ、宰相さんよ?あんたなんで焦ってないの?わかる?今の状況!!」
噛み付くようなヘヴンの剣幕にも、一向に顔色を変えないティアンをちらりと横目で見やると、ミカエルは代わりにこう言った。
「いいんだよ、別に」
「はぁあ!?」
ヘヴンの切れ長の目が、益々吊り上った。
「逃げようが逃げまいが、そんなのもうどうでもいい、という事だ」
その返答に、ヘヴンはまったく訳がわからない。
「どういう意味だよ、それ……。まさかわざと逃がしたって…?」
「いや、まさか本当に逃げるとまでは思ってみなかった。…何せ本人はあの状態だからな。
が、こうして姿形がないということは、…誰かがあの男を連れ去ったに違いない」
すると、今まで淡々としていたティアンがおもむろに口を開いた。
「…それが…暁達か、それとも別の人間か…。私にもわからぬが、まぁ、いい。
あの男は我らの手の中にあると同じ。何処に行こうがすぐにわかる。
……しばらくすればな」
「…??」
ヘヴンの単純な頭では、遠回りな言い方では理解不能だったようだ。
ミカエルは苦笑すると、ため息をついた。
「まあ、連れ去ったのが暁達である事を祈りましょう。
…それでなくても、あの青年はきっと、仲間の所に戻るに違いないと踏んでいるがね。
…まぁ、そのために…本当は彼を外に放り出してもよかったのだが」
「…なあ…あの時あいつに何か飲ませてたよな?
…あれ、関係あるのか?」
その言葉に、ティアンは高慢な笑みを浮かべた。
「ふふ。…あれか?…あれは私の長年の研究の成果のひとつだよ。
こうして生身の人間で試せるとは…いいタイミングだったな」
「研究…???」
「そう。彼は実験台だ」
そう言うと、ミカエルはぶるっと震えた。
まったく宰相殿も、あらゆるダブーとされている研究に手を染めるのが好きだな。
だからこそ、大陸の最高峰集団である、賢者衆を追い出されたのもわかる。
南の国で一番の気術者という事は、ミカエルもよく知っていた。その腕前は、ミカエルも唸るほどであった。
今は宰相という地位で収まっているが、本当は何処ぞの術士にも負けないほど、第九位以上の“気”を全て自分のものとして使いこなせる人間だろう。…あの、気術の最高峰と言われる、昂極(こうきょく)大法師にも、ひけにも取らない。いや、高齢で、最近隠居となった大法師よりも、まともに戦えば勝つやも知れぬ。
かなり黒い所のあるティアン宰相であったが、それ以上に“気”の技術に関して、ミカエルは彼に畏敬の念を持っていた。
それに自分の能力を見い出し、認めてくれたのも彼だった。
…だからミカエルは、いかにティアン宰相が危険な人物だとしても、彼に対して忠誠を誓っているのだ。
だが、今回ばかりはミカエルは心底恐ろしかった。…顔色も変えずに簡単に人体実験をするなど…。
「で、いったい何なんだよ、あれは。何飲ませたんだよ」
ヘヴンの声で、ミカエルは我に帰った。
「あれは…」
ミカエルはちらりとティアンの様子を盗み見る。
まったく何でもないという顔をしている。いや、目がかなり面白がっているのに、ミカエルは気がついた。
「…あれか?あれは卵だ」
ティアンのその言葉に、一瞬ヘヴンは押し黙った。
そのヘヴンの嫌そうな表情を見て、ティアンは可笑しかったのか、まるで悪戯をする子供のようにずるがしこく笑った。
「そうだ。あれは体内で、人の“気”を喰らう寄生虫の卵さ」


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早朝に、キイは考え事をしながらある場所に向かっていた。
(……ユナ族がセドナダ王家と何かしらの繋がり…。色々俺も調べてみたが、それらしい文献も言い伝えもなかった。
…とすると、…あれかな?これは王家の極秘機密…。しかも、神王直属の人間でないと知らないレベルの…)
キイはアムイから自分達の父親…アマトが閉鎖的なユナ族の地に赴き、直接長に会いに行った事を聞いてから、ずっとそれが気にかかって仕方がなかった。…あらゆる…セド王国、セドナダ王家に関するものは、この長い年月、アムイには内緒で独自に研究してきた。
その自分でさえも、アムイからサクヤから、ユナの名前が出るまで、まったく知らなかったのである。
(アマトは何故、ユナに行ったのか…)
そう、当時彼は、国や王家を負われ、自分が王家の人間で、しかも王太子の地位にいた事すら隠し続けていた筈だ。
…それが、ユナの地では、当たり前のようにアマトの事をセドの王子と認識していた…。つまり…。
(…セド経典…の…裏…か)
そう。セド王国は神国オーンとも近しい国であったため、オーン教が浸透していた一方、セドナダ王家の宗派はオーンから分かれたセド独特の宗教だ。…オーン教が絶対神を崇めるものなら、セド教はその絶対神の妹、自分達の祖先と言われる女神を主宰神とするものだ。
そのセド経典には、実は表と裏があるという事が、二十年以上前にセド出身の考古学士が発見した。
…それがあの南の宰相ティアンの最初の師、アマギであるのは、キイも重々承知していた。
何故なら、その裏経典を暴いたために、キイが生まれたと言っても…いや、生まされたと言っても過言でないからだ。
……オーンさえも、セド王家すらも、禁忌と畏れて触れなかった裏経典…。
(……それしかないような気がする…。とにかく、もう一度、古い文献をさらうしかないな…)
そうぶつぶつ言いながら、キイは図書室の前までやってきたその時。
「ん?」
図書室の扉の前で、中を覗くようにしている人物が目に留まった。
「おい、何してんだよ」
キイは覗き見をしている人物…シータにずかずかと近づき、咎めるように言った。
「しぃぃっ!」
当のシータは悪びれる風でもなく、キイに静かにするよう、自分の口元に人差し指を立てた。
「何だって…」
キイは眉をしかめ、シータが無言で指差す方向に目を走らせた。
扉の先…図書室の中では、楽しそうな話し声が響いている。
「あれ…、嬢ちゃんとリシュオン?」
目を丸くして呟くキイに、声もなく頷くシータ。
図書室の中央にあるテーブルで、肩を並べて歓談してる二人の様子は、昔からの気の合う者同士、といった風情である。
「…ああーっ!悔しい!」
イェンランが大声を出した。
「はい、残念でした。惜しいなぁ、この一問が正解なら完璧だったね」
くすくすとリシュオンは、悔しがるイェンランに余裕の笑みを向ける。
「あーん、もう一回!ね、まだ時間大丈夫でしょ?もう一度問題出して。
今度は絶対全問正解するから!」
「しょうがないなぁ。…じゃ、これが完璧だったら、何かあげようか。何がいい?」
「……世界大事典…」
躊躇ない返答に、リシュオンは思わずぷっと噴出した。
「何で笑うのよ」
「いやいや。さすがだなぁ、と思って。
女の子に何欲しいって聞いて、本をねだられるのは初めてだ」
「悪かったわね」
ぷっと膨らむイェンランに、リシュオンはにこにこしながら、思わず彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。
その様子にシータはぎょっとしたが、不思議な事に当のイェンランはまったく平然としている。
「あれれ。随分と仲良くなったんだなぁ」
のんびりと呟くキイに、シータも驚きを隠せない。
「あの子、絶対男には無防備に触らせないのに…」
「で、何でシータはさっきからここでこうしているのさ?」
「何でって…」
「ああ、二人が楽しそうにしているのを、邪魔しちゃ悪りぃもんなぁ」
キイはわかっているのかいないのか、そう楽しそうに言うと、まったく意に介してない風情で、そのまま図書室に入ろうとした。
「ちょ、キイ。中に入るの?」
「入るの?って…。俺はここに用があるから来たんだけど。
お前だって何か調べ物しに来たんだろ?何を遠慮してるんだよ」
「あ、あのさ、キイ…」
「確かに入りづらいかも知れねぇが、別に構わないだろ?
二人の間に入って、邪魔するつもりも毛頭ないし。
かえって普通にしてた方がいいと思うぞ」
その言葉の端で、シータはキイが全て理解してそういう言動をしている事がわかった。
「そ…そーだけどさ…」
それでもイェンランのキイへの気持ちを知りすぎているシータは少々複雑だった。
キイが彼女の気持ちに気づいているか、いないのかまでは、シータにも推し量れないものがあるが、とにかく当のキイは悪びれるわけでもなく、どんどん中に入っていくのに、シータは焦った。
「ねぇ、キイ…!」
思わず叫んでしまったシータの声で、イェンランとリシュオンは気づいて後ろを振り返った。
キイの姿が目に入った途端、イェンランはもの凄く動揺した。
(キイ…)
「よぉ、悪い悪い。別に二人の邪魔する気なんてぜんっぜんないからな」
屈託のない笑顔に、イェンランは胸が締め付けられた。
「あ、宵の君。…どうされたんですか?こんな朝早くから図書室になんて」
リシュオンも爽やかな笑顔を彼に振りまいた。だが、内心では少し、複雑な気分だった。
「“キイ”だよ、リシュオン。そーいう堅苦しい呼び方は止めようや。
悪いな、ちょっと古典をもう一度調べたくてさ。
…特にオーン関係、どこかな」
「えっと…一番右奥の棚です。…神国オーンの経典関係はその下段の方ですけど…」
「そ、ありがと!…悪かったな、話を中断させてしまって。
俺はしばらくそこにいるけど、気にしないでな」
「気にするなんて…」
口ごもるイェンランに、キイはいつもの慈愛の眼差しを向けると、さっさと奥の方に行ってしまった。
「キイったら」
後方でバツが悪そうに呟くシータに目を走らせ、イェンランは居心地が悪くなってその場から立ち上がった。
「ああ、あの。ごめん、リシュオン。私ちょっと用事を思い出して…!」
「イェンラン」
「…ほら、昂おじいさんを起こす約束してたの…忘れてたわ。
ごめんね、リシュオン。楽しかった」
そそくさと支度をしてその場を離れようとするイェンランに、リシュオンは優しく言った。
「また、やろうね?イェンラン。約束だよ」
その言葉に彼女は曖昧な笑顔を向けると、足早にその場を立ち去ろうとして誰かとぶつかった。
「きゃ…」
「悪い!大丈夫かイェン」
よろける彼女を、支えたのはアムイだった。
「アムイ?」
ぱっと彼から離れたイェンランは、驚く瞳をアムイに向けた。
「どうしたの?こんな早く」
「…キイ、こっちにいるかな」
イェンランはその名にどきっとして、思わず力強く頷いた。
「やはりそうか」
「どうしたの、アムイ。キイに何か用?」
扉の前でふらっと佇むアムイの真剣な表情に、シータは真顔になった。
「うん。ちょっと…」
「あれ?アムイ、どーした?」
アムイの声に反応して、キイがひょこっと奥の本棚から顔を出した。
「…話があるんだ」
「何?ここで話してもいい事?」
キイは何冊かの、ぶ厚い本を両手に抱えて姿を現した。
「ああ。…皆がいるならかえって都合がいい」
その言葉に、一斉に皆、アムイの顔に集中した。
「何かの相談?」
キイの言葉にアムイは頷いた。
「…というか、もう、決めた事なんだが」
「おい、まさか」
キイの表情が険しくなった。
「…うん…。俺、ちょっとここを出るから」
一同、アムイの言葉に緊張が走った。
「出るって…!アムイ、今の状況、わかってるわよね?」
シータが間髪いれずに言った。
「充分承知してる」
アムイの暗い顔をキイは黙って眺めていたが、おもむろにこう口を開いた。
「捜しに行くのか」
その一言で、皆、アムイが何を考えているのか理解した。
「…皆、申し訳ない。…どうしても胸騒ぎがしてならないんだ…。
この町にキイ…皆がいる事を悟られる危険の大きい行動は、自重するのが正しいと思う。
でも…」
うな垂れるアムイに、皆は顔を見合わせた。
「すまない…。絶対に慎重に行動する。だから…」
きゅ、とアムイは唇を噛み締めると、ぐっと顔を上げ、周囲を見渡した。

「俺……これからサクヤを捜してくる」


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そのサクヤの容態が急変したのは、その日の夕刻になってからだった。

「ああっ!ぐぅ…あぐ…!!」
「サクヤ、どうしたの?大丈夫!?」
突然苦しみだし、暴れるサクヤを、大柄なレツががっしりと押さえ込む。が、それでもサクヤの苦しみようは半端がない。
共にサクヤを支えるガラムの不安は頂点に達していた。
「ねぇ、レツ!いったい急にどうしたんだろう?こんなに苦しむなんて…」
青ざめ、脂汗を大量に流すサクヤの顔を覗き込み、ガラムは泣きそうに言った。
「内臓がかなりやられていたのか?…いや、それでもこの症状は尋常じゃない…。
まさか…」
「まさかって…何だよ?何か思い当たるの?」
半べそをかくガラムに、レツはうーんと唸って押し黙った。
何か嫌な感じがする。何か嫌な…。
「そういえば、あの時、彼に何か飲ませていたような…」
屋根の上の明かり窓から様子を窺っていた時の事を、レツは思い出した。
「え…何かって…」
「穢れ虫(ケガレムシ)の卵ですよ」
突然、洞窟の入り口から男の声がして、ガラムとレツは顔をその方に向けた。
「セツカ!!」
そこにいたのは、仲間のセツカだった。
「ねぇ、遅かったじゃないか!何処行ってたんだよぉ、セツカ!」
「……けがれむし…。やはりその症状だったか…」
呟くレツに、ガラムは不安そうに二人を交互に見る。
「何…?その穢れ虫って…。卵って…?」
混乱するガラムを押しやり、セツカは手馴れた手つきで苦しむサクヤをざっと診ると、胸元から小さな丸薬を取り出し、サクヤに飲ませる。すると、あれだけ苦しんでいたサクヤの息が落ち着いてきた。
「一時しのぎですが」
冷静にセツカは言った。
「卵がそろそろ孵化(ふか)するんでしょう。その時、宿り主の“生気”を大量に欲するので、当の宿り主はひどく苦しむのです。
…痛みを逃す薬を飲ませましたが…。孵化を止める事は、もうできないでしょうね…」
「卵?孵化?…ねぇ、何の事を言ってるんだよ、セツカ!
わかるように教えてよ!サクヤは奴らに何かされたの!?」
ガラムの悲痛な言葉に、セツカは無情な言葉を発した。

「…手遅れです。彼はもう、助からない…」

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2011年1月16日 (日)

暁の明星 宵の流星 #129

リシュオンの船に案内された一行は、作戦会議に最適だという船の中でも一番大きな部屋に通された。
「この階下には、人が休める部屋も完備されています。
宿よりもここの方が安全でしょう。サクヤが来るまで皆ここにいた方がいい」
皆、素直にリシュオンに従った。

その後必要事項を話し合った後、リシュオンは西の国自慢の最新型の船を皆に披露した。
彼が外大陸での留学で、持って帰ってきたもの…それは新しい考え方や制度だけでなく、最先端と言われる外大陸の技術であった。
西の国が一番、外大陸に通じる海に面している。
昔から西の国の人々は大陸内よりも、遥か遠いよその大陸に気持ちを馳せていた。
何故かとうと、西の国に多い青い瞳は、外大陸から来た人間の名残と信じていたからだ。
そう、西は外界への門。何百年という前から、外大陸の人間がこの国を訪れていた。
今から六十年前に、西のルジャン王家が外大陸との貿易を結び、今まで友好な関係が作られているのも、西の国の先祖は外大陸から来たかもしれない、という思いがあったからだ。
もちろんその昔、外大陸からの干渉がなかったとは言えない。紆余曲折し、互いに不可侵条約を結んだからこそ、この平和な関係を保っているのだ。
しかしそれでも、この大陸を“果て”の大陸というほどあって、外大陸へ行くにはかなりの危険と時間がかかる。貿易船とて、しょっちゅう海を行き来出来るわけではないのだ。それでも年に2-3回あればいい貿易船は、西の国を充分潤してくれる。
まるで西の国の象徴、森と豊かな水のように。

ひとしきり案内が終わったあと、男性陣は先ほどの大きな部屋に戻り、誰とはなくこの大陸の情勢の話で盛り上がった。
だがそれも夜更けが迫る頃には、もう遅いからと各々割り当てられた部屋へと退散となった。
(そういえば)
リシュオンは一人、ランプの仄かな灯りがちらつく廊下に差し掛かり、自室へ戻ろうとしてふと足を止めた。
案内の後、何の気もなく男共は集まって話をし出してしまったが、たった一人の女性であるイェンランはどうしただろう。
確か、皆が部屋に移動するとき、昂老人が疲れを訴えていたため、彼女が付き添って行ったような気がする。
リシュオンは、そのうち彼女は皆の所に顔を出すだろうと思っていたが、結局現れなかった。
(まさか…な)
彼は先ほど、皆を船に案内していた時の事をふと思い出した。
会議する部屋と同じ階にある図書室に、案内した時のイェンランの瞳の輝き。
思わず彼女に、鍵は開けとくからいつでも使っていい、とリシュオンは言ったのだ。
もしかしたら…。
いやいや、もうこんな遅い時間だ。彼女が図書室にいるわけないだろう…。
そう考えを打ち消して再び歩き出そうとしたが、彼はまた足を止めた。
何か気になる。
こうなってしまったら、自分の目で確認しないといられない性分のリシュオンは、そのままくるりと反転すると、図書室の方へと足早に向かった。

廊下のはずれに図書室はあった。リシュオンは扉の前に立つと、静かに息を整え、そっと中の様子を窺うため扉を開けた。
(やっぱり…)
案の定、中は煌々(こうこう)と灯りがついていた。
リシュオンはそろりと中に入る。
船の最後尾にあるこの部屋は、中くらいの広さで、壁には天井まで届く高さの本棚が備えられている。部屋の中にも背の高い棚が平行に並び、本がひしめき合っていた。
部屋の中央には、人が調べ物ができるようにと、4人掛けほどの大きさのテーブルと椅子がある。
リシュオンはテーブルに近づくと、きょろきょろと辺りを見回した。
そのテーブルには誰もいなかったからだ。
ふと、奥の本棚の隙間から黒い髪が見え隠れしているのが目に入り、彼は口元をほころばした。
イェンランだった。
彼女は懸命に、自分よりも高い場所にある本を取ろうと格闘していた。
小柄な彼女が背伸びしたり、ぴょんぴょん飛び跳ねてみたりする姿が可愛らしくて、思わずくすりとしてしまう。
「ああん、もう」
焦れた彼女は誰もいないと思って地団太を踏んだ。
あれれ、扉の方に折りたたんである梯子があるのに、彼女は気がついていないらしい。
リシュオンはにっこりすると、再度ひょこひょこ飛び跳ねている彼女の背後に近づき、取ろうとしていた本をすっと代わりに取り出した。
「きゃ!」
驚いて振り向いたイェンランの目が、深くて優しい青い瞳とかち合った。
「リシュオン王子」
びっくりして動揺している彼女を安心させようと、リシュオンは穏やかに微笑むと、優しく彼女に本を手渡した。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう…ございます…」
突然の事で、イェンランもどきまぎしていた。
「ごめんね、驚かせたかな」
「いえ、大丈夫です…。自分一人だと思っていたので、ちょっとびっくりしたけど…」
「いつの間に…って?私が入ってきたのも気がつかないほど夢中になってたんだね。よほど本が好きなんだなぁ」
その言葉にイェンランは少々赤くなった。
「『大陸文明の推移』…?こういう内容に興味があるの?」
「……ええ、まぁ…」
照れているのか、彼女は少し俯き加減に言いにくそうに呟いた。
「へーぇ、女性でこういうジャンルに興味を持っている人に、初めて会ったなぁ」
イェンランはからかわれてると思って、彼の顔を見上げた。が、リシュオンの表情は心底感嘆しているようだった。
「女でこういう事に興味を持ってるのって、おかしいでしょうか?」
照れ隠しも手伝って、思わずつっけんどんな言い方になってしまった。
「いや、気分を悪くしたなら申し訳ない。おかしくなんてないよ。大陸には数は少ないけど、女性の学者や術者も存在する。我が国にも女性の船長だっているし、医術者も、経営者などの専門分野で活躍している女性はいる。
ただ、私の周りには、そういうものに興味を持った女性がいなかったってだけで…」
と、リシュオンは苦笑いした。
宮廷育ちのせいか、どうも自分の周りにいる女性は、美しく着飾ったり、ダンスが好きで、社交的話術に長けているタイプばかりだった。
まるで自分の母親と同様、世間知らずなお嬢様が多く、国の政治は男の仕事だからと、難しい話は嫌いだと、リシュオンの話に興味を示してくれる女性は皆無だったのだ。
自分の周りの男衆も、政治や仕事に首を出す女性を疎んじている者がまだ多い、というのもある。
女性の地位が他の国より比べ、向上しているといわれている西の国でも、まだそういう改革が始まって間もない。今だに古い考えを引きずっている人間がいても当たり前だ。
まぁ、リシュオンにとっては別にそれが悪い事だとは思わない。人それぞれの価値観があって、好みがある。
それに、実は意外と女性の興味ある事に疎い自分も、相手をとやかく言える立場でないと思う。
かえってはっきりと割り切ってしまった方が、気が楽だと思っていた。いや、そういう女性の方が多いとも思っていた所もあった。
だからなのかな…。
初めて会った時から、彼女の意志の強そうな瞳に惹かれていた。
可愛い人だとずっと思っていたけれど、本を前に夢中になっている彼女を見て、彼はただそれだけで彼女に惹き込まれただけではなかった事に気がついた。
「で、結構歴史とか好きなの?どういう分野に一番興味ある?」
彼女の好奇心旺盛な瞳を前にして、リシュオンはつい質問していた。
イェンランもまた、彼の率直な問いかけに好感を抱き、自然と言葉が口から出る。
「歴史、興味あるわ。大陸文明もそうだけど、人文学とかいうの?そういうのも、好き。
実はね、特に冒険ものとか、旅行記とか小さい頃から好きで、そういう本を読みたくて、近所のお寺で文字を習ったのよ」
意外な言葉に、リシュオンは目を丸くした。その彼の様子にイェンランは困ったように笑った。
「驚いたでしょ?…うち、本当に貧乏だったから…。特に女には学問は必要ないって…学校にも行ったこと、なかったのよ」
「……」
「だから学校に行けるのは上の兄さん達だけ。…後は家業手伝ったり奉公したり。
一番上の兄さんは身体が弱かったから途中までしか学校へは行けなかったけど、頭はよくて親は学者か先生にでもしようと思っていたらしいわ。それで、よく学校から本を借りてきていたの。それをやはり学校へ行っていた2番目の兄が、よく下の兄弟に読み聞かせてくれてね、それが唯一の楽しみだった」
リシュオンは言葉なく、彼女を見つめていた。

……貧富の差が大きい他国では、子供達が全て教育を受けられる制度が、整っていないのは知っていた。
この広い大陸で、誰彼とも平等に、ある年齢まで教育を受ける義務を設けているのは、最先端をいっているという西の国くらいだ。
そのように恵まれている西の国は、自国の豊かさにどっぷりとつかり、大陸の問題には見て見ぬ振りをする風潮があった。
それは保守的と言われるリシュオンの父、現在の王の影響もある。
それもあって西の国は、他のどこの国よりも進んでいる筈なのに、中心に立とうとしなかった。
自分だけ豊かであればそれでいいのか…。リシュオンがいつも焦燥し、外の世界に目を向けるようになった要因のひとつである。
大陸は昔から地続きで、広いながらも、国がいくつに分かれても、言語は共通であった。
もちろんその国や地方での方言はあれど、遥か遠い島国に独特の言語はあれど、長い年月にあらゆる国と民族の言語が入り混じった共通語が発達し発展していった事で、他国他民族とのコミュニケーションには支障がない。ただそれが大陸全土の平和に貢献しているとは言い難いのが辛いところだ。

「そんな環境だったから、本なんて最高な贅沢だったの。
家にあった唯一の本が、亡くなった兄が一生懸命働いたお金を貯めて買った、一冊のみ。
昔、兄からよく借りて夢中で読んでいたなぁ…『リシャノアール伝記』」
「…『リシャノアール伝記』!?本当?私も子供の頃、夢中になって読んだよ!」
「リシュオンも?ああ、確かに男の子達には一時流行したわよね、リシャノアール船長の冒険活劇!って、よく演劇にもなってたし」
「ああ。あの伝記で、私も彼のように現状に甘んじず、広い世界を巡ってみたいと。
未知の世界にも恐れず立ち向かう彼の生き方に、とても感化された…」
リシャノアールとは、百年かの前、宗教戦争真っ只中に実在した、中央の国の冒険家の事である。
恵まれた貴族の位を捨て、全大陸を戦火の中巡り、その時に出会った仲間達と西の国で船を調達し、海を駆け巡り、とうとう初めて外大陸まで足を伸ばし生還した勇者だ。その彼が綴った冒険の記録と彼の相棒だった航海士の航海日記を元に、彼の孫が本人の没後にまとめて世に出したのが『リシャノアール伝記』である。
かなり分厚い本で、子供が簡単に読めるものではなかったが、恋あり、冒険あり、人生哲学も散りばめ、実話ならでの臨場感で、世の男達を夢中にさせたのだった。
それが近年、所々の国で演劇となって、少年達の間でも有名になった。
昔に流行った海賊ごっこは、ほとんどがこのリシャノアールの実話を元にしたものである。
それだけ有名な話であるが、元の伝記を読んでいる子供はそうそういない。(大人向けで難解な所があるため)
しかし、その本を読んでいた女の子がいたなんて。
「…で、私はリシャノアールの第3章が一番すごいところだと思うんだ…」
リシュオンは嬉しくなって、この伝記のどこがいいかを、つい彼女に熱く語っていたのに気がついて、しまったと思った。
いつもこの手の話を夢中で女の子にすると、つまらなそうな反応が返ってくるからだ。つまり、ある意味冒険おたくのリシュオンは、ついついその話になると周りが見えなくなるらしい。だからなるべくそういう面を人前で出さないように注意していたのだ。
「ああ、わかる!私もそこのところねぇ…」
ところが思っても見ない事に、対するイェンランも負けていなかった。かなり読み込んでいるという返答が返ってきて、益々リシュオンを熱くさせた。それはリシュオンだけではない、イェンランもかなり熱くなって語り始めた。
最後は互いに議論を交わすほどだった。
そして話はどんどん発展し、伝記から歴史の話になり、人文学まで進んだ。
リシュオンは彼女の知識欲に感服した。
イェンランも話していくうちに、今まで彼に対する緊張が自然と解けていく感じに驚いていた。
次兄としかこんな話、した事なんかなかったのに。
こんなに話しやすい人とは思ってもみなかった。まるで昔からの友人みたい…。
「すごいなぁ、イェンラン。ギガ文字も読めるの?」
時間の経つのも忘れて話に夢中になった二人は、あれやこれやと色々な本や文献を引っ張り出し始めた。
「少しだけだけど…。でもどうしてもオーン経典とかに挑戦するなら、古代語くらいはマスターしないと厳しいわよね?」
「オーン経典…。そうだなぁ。他の国の経典も、ギガ文字表記があるから、勉強した方がいいのは確かだ」
リシュオンはそう言いながら反対側の棚から、一冊の本を持ってきた。
「これ、ギガ文字の習得にはいいと思う。よかったら持って行っていいよ」
「本当に!?」
きらきらと目を輝かす彼女に、リシュオンの心は締め付けられた。
……彼女が自分に心を開いてくれたのが、彼はとても嬉しかった。その甘い幸せに、前にシータに言われた言葉がふっと甦る。

《…だからわかったのです。あの子には性的な接し方はしないでいただけると。
…そして男性の不信感を取り除き、自分の女の部分を受け入れられるまで、そのような対象で見ないでいただけると…》

理性が勝るリシュオンは冷静に状況を分析する。
最初に決めたとおり、これで充分ではないか、リシュオン。
彼女と共通な感覚を持てた事、それで充分だ。
そう思いつつも、ふと、本能で彼女に女性として惹かれ、胸をかき乱す事もあるだろう。
でも、それはどこかにやってしまおう。
彼女の笑顔をこうしてずっと傍で見られるのなら。何のこだわりもなく傍にいられるのなら。
よく言うではないか。
恋人になればいつかは恋も冷め、別れがくるかもしれない。だが、親友ならば…。

若者にしては自制心が強いタイプのリシュオンが、そのように分析し、思い込んだのも無理はなかった。
彼女の屈託のない、無垢な微笑を見ていると、彼女に対し、恋慕を抱くのが汚らわしくも感じる。
元々セクシーさの無縁な、爽やかな雰囲気のリシュオンは、普段でも男の厭らしさを感じさせない、本当に真の紳士、王子様だ。
欲望を封印して接すると決めれば、自然にできてしまうのだ。
その事が、いいのか悪いのか、イェンランにはシータに次いで、接触しても平気な男性の一人となるわけだが…。

「貴方も知ってのとおり、私は桜花楼(おうかろう)に売られて、その時に一般教養を身につけさせられてたのよ。
相手と対等に話せるレベルじゃないと、高貴な顧客はつかないって言われてね。
…お客を取るのは嫌だったけど、…いろいろ学べた事は嬉しかったな…。それだけかな。あそこでいい思いしたのは」
イェンランは伏目がちにぼそりと言った。
リシュオンはいたたまれなくなって、わざと明るくこう言った。
「わからない所、読めない文字とかあったら教えるよ。君は頭がいい。
……もし、もっと学びたかったら…すぐにとは言わないが、やはり西の国に行った方がいいかもしれないね」
「………」
イェンランはそれには答えず、力なく微笑んだだけだった。
それだけで、彼女がまだ自分の身の振りに迷いが生じているのがわかる。
…きっと、…あの宵に輝き流れる星を象徴する、彼を思って…。
リシュオンは心の中で、変な思いに囚われまいと、頭を振った。
「では、イェンラン。もう今晩は遅いから、明日の空き時間にまた続きをしよう。
で、ギガ文字のおさらいでもしようか。結構難しいから」
「難しい?ふふ。そういうの、実は燃えるわ!明日までに完璧にマスターしてみせるから!」
その強気な科白にリシュオンは声を立てて笑った。
「お手並み拝見。私もそういう相手には燃える性質(たち)でね。どこからでもかかってきなさい」
「言ったわね!」
イェンランも心の底から楽しげに笑った。
それは久々の、彼女の曇りのない笑いだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今宵は星すら出ていない。
暗闇にうっすらと浮かぶ小さな小屋に、ミカエル少将は足早に入って行く。
その近くに大きなテントを張り、ティアン宰相以下南軍と、北のミャオロゥ第一王子の軍隊は一時の拠点として、寺院から少し離れた森の中にいた。

「どうだ、ヘヴン」
ミカエルは小屋の扉を開け、迎えに出たヘヴンの肩越しから中の様子を窺った。
部屋ひとつと、小さな台所があるだけの小屋の中は、仄かな灯りがちらついていた。
その奥にうっすらと、一人の人間が、両手を鉄の錠で引き上げられるように拘束されている姿が、ぼんやりと浮かんでいた。
(何で来るんだよ)と言わんばかりに、ヘヴンはふん、と鼻を鳴らした。
「お楽しみ中、悪いけどな、宰相様がどうしても経過が知りたいと言ってな」
ミカエルはお構いなく、ヘヴンの脇を無理やり押しのけると、人影のある奥の方に向かった。
「こいつは…」
ミカエルは唸った。壁に括られているその姿に、つい同情の溜息を漏らす。
「おい、ちゃんと生きてるだろうな?」
その言葉にヘヴンはむっとすると、水場にあったバケツの水を、いきなりその人物にぶっ掛けた。
バシャッ、と冷たい音がして、水飛沫が散る。と同時に、諸に水をかぶった人物が咳き込んだ。
「……意外としぶとい奴でさ、顔に似合わず」
ヘヴンは虫の居所が悪そうだ。
ミカエルは間近に迫って、今まで様々な責め苦を味わされたであろう、その人間…サクヤの顔を覗き込んだ。
(これは酷い…)
初めに彼を見た時、かなり綺麗な若者だった事を思い出す。
だがそれが今では、手酷く嬲(なぶ)られた痕跡が生々しい。
顔の半分は殴られたために変形し、何度も打ち付けられたであろう鞭の為か、衣服は引き裂かれ、体中には肉が裂けて血が吹き出た傷が無数あり、見るも無残な有様となっていた。
見るからに虫の息。この状態では何度意識を失ったのであろうか。
その都度、水を被せられたのであろう。足枷をさせられた彼の足元は、かなりの水溜まりとなっていた。
幸い、殺さないように言っていたため、体の一部を削ぎ落としたりという残虐な行為は、ヘヴンにしては珍しくやっていなかった。
よほど、暁…アムイの行方を知りたいのだろう。

しかしここまで、ヘヴンの責め苦に耐えられる人間がいるとは。
「こんなになってまで、まだ口を割らないのか…」
独り言のようにポツリと呟くミカエルの声に、痛めつけられていた当のサクヤが目をゆっくりと開けた。
「いっそ殺せよ…」
息も絶え絶えに声を絞り出すサクヤに、ヘヴンがかっとして彼の頬を張り倒した。
バシッという鈍い音がして、サクヤは口の中を切ったたのか、赤い血を口から少量吹き出した。
「おい、馬鹿にするなよ!…んな簡単に殺しちまったら面白くねぇだろ!?
それよりも、おい、アムイは何処に行った?!お前仲間だろ!早く喋らねぇと、もっと地獄を見ることになるぜ」
ヘヴンの剣幕に、サクヤはふっと笑った。
「何がおかしい?」
「…知らねぇよ…!わからないのに喋れるわけないだろう?」
「嘘をつけ!」
ガツッ!!ヘヴンはサクヤの腹に蹴りを入れ、その激しい痛みにサクヤは息を詰めた。
「アムイはどこだ、この野郎!」
完全に頭に血が昇っているヘヴンを止めようと、後ろから何とか羽交い絞めにしたミカエルは、努めて冷静にサクヤに言った。
「知らない筈はないな。君はあの屋敷が焼け落ちる前、暁と会っているだろう?隠しても無駄だよ」
「……あの時、会えなかった…んだ…わかる筈ない…」
「嘘だね。ほら、君が守ろうとした若い僧侶。かなりぎりぎりまで弄(いじ)ったら、素直になってくれたよ。
もう一人は絶対に口を割らなかったが、もう修行には戻れないだろうね、あれでは」
ミカエルのその言葉に、サクヤはかっと目を見開いた。
「この、外道!!」
サクヤは怒りで頭が真っ白になった。
白鷺(しらさぎ)さん…周明(しゅうめい)さん…。自分達に関わったばかりに…。
サクヤは喉が熱くなり、目から涙が滲み出た。
「さぁ、君も素直になったらどうかね?絶対に仲間と落ち合う場所を暁と話している筈だよ。
これ以上、屈辱を味わいたくないだろう?」
「……屈辱?そんなもの…」
サクヤの言葉に、ヘヴンは厭らしい笑いを浮かべた。
「屈辱が“そんなもの”なら、恥辱はどうだ?」
その好色そうな言い方に、サクヤはどきっとした。
「…押しても駄目なら引いてみな…ってね」
そう言いながらヘヴンは懐をごそごそ探ると、小さな丸剤の入った瓶を取り出した。
「おい、それは…」
「へへ、天国にイクお薬」
ぞっとするような笑みを見せ、ヘブンは瓶をサクヤの目の前でちらつかせた。
「これを飲むと、すげぇ気持ちよくなってどうしようもなくなるんだと。身体が疼いてどうしようもなくなるらしいぜ。
強情なその口だって、何でも話す気になるかもよ?痛みより快楽の方が人間、弱かったりするからな。
…いつかはアムイに使ってみようかと手に入れたんだけど、ま、実験台になってもらってもいいか」
「ヘヴン…」
ミカエルは眉をしかめた。はっきり言って彼は淫らな事が好きな性分ではない。その露骨な表情に、ヘヴンは馬鹿にしたように笑った。
「あー、やだねぇ。これだから仏神(ぶっしん)関係者あがりは、潔癖な奴が多くてつまらねー。
どこぞの由緒正しき神宮ゆかりのご子息さんか知らねぇが、南の宗教っつうのは、こう、神国オーン教と違って、もっと自由なんじゃなかったっけ。…南の神宮くらいだろ?宮司ならびに神職者が、女と子供作っていいのって…」
「元々世襲制だ。結婚し、世継ぎを儲ける事は推奨されている。
色恋や性的に自由な教えがあるからといって、無理やり欲望を満たす事とは訳が違う」
「欲望?ふん、あんたらがキイを追っかけてるのだって、欲望のひとつだろうがよ。
キイはあんたらなんかに、興味ないって感じなのにな」
ヘヴンはにやにやとサクヤの方を振り向いた。
「人間は欲がないと生きていけないのよ。それが本能っちゅうもんじゃ?」
そう言いつつ、彼はサクヤに近づき、顎に手をかける。
「こうして自分達の欲の為に、一人の男が犠牲になってる。…そんなの、日常茶飯事な世の中に、何お綺麗ぶってるんだか」
ヘヴンはサクヤの唇に指をかけ、押し開こうと試みた。が、サクヤは意地でも口を開けない。
「なぁ、お前。俺のアムイといい仲なんだろ?」
焦れたヘヴンは自分の口をサクヤの耳元に近づけた。
《俺の》という所で、サクヤの頬が引きつったのを、ヘヴンは見逃す筈も無い。
「あのお堅いアムイがねぇ…。キイの奴とできちまってると思っていたが、お前を傷つけようとしたときのアムイの顔、忘れられねぇ」
そこでヘヴンの笑いが消えた。
「あんな顔、あいつでもするんだ…。俺が何回も可愛がってやっても、冷たい顔してた奴がよ…」
ヘヴンの声が、いきなり氷のように冷たくなったのに、サクヤの背筋が凍った。
「あいつ、どんな顔するかな。顔色変え、自分の額を切られてまで守ろうとした奴が、散々陵辱され、甚振(いたぶ)られ…」
彼の声には、はっきりとした悔しさと嫉妬の色が帯びている。どうしようもない憎悪が向けられているのを、サクヤはひしひしと感じていた。
サクヤは益々強固に口を結んだ。奥歯をぎり、と噛み締める。絶対開けてなるものか。
「ち、強情だね」
ヘヴンは舌打ちすると、何度もサクヤの頬を叩き、内臓を蹴り上げた。
「あぐぁっ!!」
十回あたりを過ぎた頃、我慢の限界になってサクヤは血反吐を吐き、大きく咳き込んだ。
まずい、頭が霞む…。
サクヤの意識は限界だった。
それを待っていたかのように、ヘヴンはにやっとすると、大きくサクヤの口を開けさせた。
「う、うう…」
声にならない声が、サクヤの喉を震わす。

「待て!」
ヘヴンがサクヤの口に丸剤を入れようとしたその時、ヘヴンを遮る声が入り口の方から飛んだ。
それと同時に傍にいたミカエルが、がっしりと丸剤を持つヘヴンの手を押さえ込んだ。
「何する!」
ヘヴンはミカエルの妨害に憤慨し、それを指示した人間に振り向き、睨みつけた。
「おい、何で止めんだよ、宰相さんよ!」
遮ったのはいつの間にかやって来ていた、ティアン宰相であった。
ティアンはのそりと、ヘヴンの近くまでやって来ると、ゆっくりとサクヤから彼を引き離した。
「まぁ、待て、ヘヴン=リース。この時間まで口を割らせることができなかったのだ。お前の出番はもう終わりだ」
尊大な言い方に、ヘヴンは憤怒した。
「おい、宰相さんよ!それはねぇだろ?こいつは俺の獲物なんだ!こいつの口はこれから開かせるつもりで…」
「時間がもったいない。それよりも、もっといい方法がある」
有無を言わさぬティアンの迫力に、珍しくヘヴンが口を閉じた。
「宰相?どうするおつも…あ!」
ティアンの様子を窺っていたミカエルが小さく息を呑んだ。
いつの間にか彼の指には、小指の爪、半分ほどの大きさの、小さな乳白色した楕円形の物体が掴まれていた。
「こ、これは、宰相…」
思わず絶句するミカエル少将に、ヘヴンはいぶかしむ目を向ける。
と、いきなりティアンはサクヤの頭髪を掴み、顔を上に向けさせると、その白い楕円形の粒を口に放り込んだ。
「!!」
反射的に目を逸らすミカエルに、ヘヴンは益々訳がわからない。
ティアンは無意識に抵抗するサクヤの鼻をつまみ上げ、バケツに残っていた少量の水を彼の口に流し込んだ。
「ぐっ!!ごふっ!!ごほっっ!!」
サクヤは激しくむせた。だが、その刺激でするりと粒は喉を滑り込み、反射的にごくん、と喉が動いてしまった。
「あ…、はぁっはぁ…は…」
朦朧とする意識の中で、サクヤは何か異物を飲み込んでしまった事だけはわかっていた。
その異物が何なのかは、頭が霞んでよく理解できなかったが。
そして力が尽きたのか、そのままサクヤは意識を手放し、がくりと力が抜けた。
「気を失ったか」
ティアンはサクヤの顔を覗き込んでそう言った。
「…おい、何だよ、今の」
ヘヴンは苛々とティアンの肩を掴んだ。
「……さてと…、我々は退散するか」
「へ?」
ティアンは口の端に笑みを浮かべ、目を丸くするヘヴンの手を、己の身体から引き剥がした。
「戻るぞ、ミカエル」
「はい」
「なあ!何で俺の質問を無視すんだよ」
ぶっと膨れるヘヴンを無視して、淡々とティアンはミカエルを伴って小屋を出ようとする。
しばらく歩いてから、ミカエルは仏頂面のヘヴンを振り返ると、こう言った。
「お前も来い。少しは休め」
「おいおい!少将さん、あんたまで一体何なんだよ!俺がここを離れていいのかよ。
せめて見張りくらいつけねぇのか。こいつ一人にして…」
「いいから早く来い。…ここまで痛めつけているんだ。逃げ出せるわけがないじゃないか」
ミカエルは涼しくそう言うと、ヘブンを手招きした。
「だが…」
「とにかく来い!ちょっと話したい事がある」
ばしっと言い放ったティアン宰相に、ヘヴンはむっとしたが、渋々後をついて行く事にした。
仕方ない…一応雇い主はこの男だ。報酬を貰えなくなるのは困る。
…またすぐに戻ってくればいいさ。
ヘヴンはこっそりそう思うと、サクヤを一瞥してティアン達と共に小屋を後にした。

そんな中、シン、と静まり返った小屋の屋根で、三人が立ち去るのをじっと見つめる、二組の双眸があった。
その闇夜に光る双眸の二つの影は、軽々と屋根から壁をつたい、音もなく小屋の窓を開けると、するりと中に滑り込んだ。
まるでその動きは、プロの隠密のようであった。


その事を知ってか知らぬか、ミカエル少将は無意識に小屋の方を振り向いた。
「どうかしたのか?」
「いえ」
ミカエルはすぐに顔を戻した。
元々他人の“気”…気配を感じやすいミカエルだった。何度心を澄ましても、“気”の変化はないようだ。
何となく、気配を感じたようなような気がしたのは、気のせいか。
(それにしても…)
ミカエルはちらりと半歩先を歩くティアンを盗み見た。
“あれ”を飲ませるとは…。やはりティアン宰相、恐ろしいお方だ…。
「……あの青年は、結局実験台か…」
思わずぽつりと小声に出てしまったようだ。
その言葉に気づいたか、真横にいたヘヴンが片眉を上げて、ミカエルの顔を覗き込んだ。
しかし当のミカエルは、ヘヴンの動きに全く気がつかないほど、難しい顔でじっと何かを考え込んでいた。


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2011年1月 9日 (日)

暁の明星 宵の流星 #128

白鷺(しらさぎ)と周明(しゅうめい)が、息を切らして坂道を下り、御堂のある本殿に向かおうと、横道に続く高台をぐるりと回り込んだ時だった。
「ああ、何てことだ」
その高台から見下ろすような位置に正門が見え、しかもその近くの森林に、住職ら他の僧侶達が多数の兵士に囚われているのが目に飛び込んできたのだ。
ざっと見たところ、御堂には火は回っていない。その事には、二人ともほっと胸を撫で下ろしたのだが…。                     
「ああ…住職…」 「大僧正様…みんな…」
囚われている住職や仲間たちを見て、二人はいたたまれなくなった。だが…。
「どうしたものか、私達は…」
「白鷺さん、助けを呼んだ方がいいのではないですか?見るからに自分達では…」
二人は、多勢の兵士達に圧倒され、目を奪われていたため、背後に近づく人影に全く気がつかなかった。
突然、二人は三人の男達に体を捕まれた。
「ああっ!!」
驚きの声も空しく、あれよあれよと二人は拘束され、がっちりと後ろ手に縄で縛り上げられてしまった。
「あなた方は!?」
白鷺が男達の姿に叫んだ。見るからに兵隊にしか見えない。しかも自国の兵士…。
「上官の言うとおり、遠くまで足を延ばしてみてよかったじゃね?」
一人の兵士が縛り上げた二人を見て、ニヤニヤしながら言った。
「 本当に。こんなところで坊さんが二人もうろちょろしてるなんてな」
屈強なもう一人が顎髭を触りながら笑った。
「あなた方は…!何なんです?何故寺院を…我々を…」
白鷺が震える声でまくし立てた。その様子を薄目を開けて見ていた最後の一人が言った。
「これでも俺たちゃ信心深いんだぜ、坊さん。俺たちの懇願がなければ、御堂にだって火が放たれていたかもしれねぇし、坊さん方も皆、 焼け死んでいたかもなぁ」
「……」
事態が飲み込めない、といった表情の白鷺に顔を近づけ、兵士は言った。
「ま、恨むんなら俺たちじゃなくて、お前さん方が匿(かくま)った客人を恨めよ」
その言葉で、白鷺は全てを解したようだ。みるみると顔色が赤くなっていく。
「こ、こんな…!こんな乱暴な形でっ!!」
「ふふ。ま、とにかくあんたらのお仲間の所に行こうか。特にあんた達、こんな所でふらついていたという事は、結構いい情報(はなし)でも持ってるかもしれんしね」
「ま、ちょっと痛い目にでも合わせてやれば、何か喋るんじゃね?」
白鷺はくっと唇を噛み、後ろの周明は青くなってがちがちと震えている。
「ほら、来い!!」
二人の体がぐいっと前に引っ張られる。兵士達が足元がもたつく二人に焦れ、体を抱えようとしたその時だった。

ガツッ!!

突然、周明の体を抱え込もうとした兵士の一人が後方に吹っ飛んだ。
「あっ!サクヤさんっ!!」
よろめく周明を片手で支えながら、拳を握り締めたサクヤがそこにいた。
「何だこの野郎!!」
サクヤは素早く向かって来るもう一人のわき腹を蹴り上げた。
「ぐえっ!」
「サクヤさんっ!何故お逃げにならなかったんですか!!」
よたよたと近づく白鷺の顔は苦痛に歪んでいる。目は助けられたという安堵ではなく、助けに戻って来たサクヤを咎めているようだった。
「こいつ、やりやがったな!!」
「くそ!」
倒された兵士の二人は憤怒の表情で、自分達よりも小柄なサクヤに向かっていく。
サクヤは無防備な二人を後ろで庇いながら、兵士に応戦していく。
「だ…って!見過ごすわけにはいかないじゃないですか!!」
戦いながら、サクヤは白鷺に叫んだ。
「それに、オレはこんな奴らには負けない!」
ガギッ!!
サクヤの膝が、襲ってくる一人の腹に入った。
「ごふっ!」
相手は血を吐きながら倒れこんだ。
「言うじゃん、ちっこいの……ん?お前どっかで見た…」
最後に向かってきた大柄な髭面の兵士がサクヤの顔を近距離で覗き込み、一瞬目をぱちぱちさせた。
きっと睨み上げるサクヤの整った白い顔に、兵士は戦っている最中なのも一瞬忘れ、ピュウッと口笛を吹いた。
「何だよ」
拳をを振り上ようとした、サクヤの腕を兵士は掴んだ。
「お前、あの時のカワイ子ちゃんじゃねぇか!」
「は?」
「この間は町で世話になったよなぁ!あの時、お前が邪魔しなければ、若い子と楽しんでいた筈だったんだぜ」
「あ!」
「ふん、思い出したか。その時のお前の蹴り、あの後なかなか忘れられなかったぞ」

サクヤの脳裏に、町で遭遇したユナ人のガラムを助け出した時の事が、はっきりと浮かんだ。
連れとはぐれて迷子になっていたガラムを、下心で絡んでいた北の兵士…に、確かこんな髭の男がいたような…。
「よぉ、あの時は邪魔が入ったけどな。どうだ?続きしようぜ」
髭の兵士はそう言うと、サクヤの腕を捻り上げた。
「うっ!」
サクヤは痛みに眉をしかめる。だが、やられっぱなしは嫌いだ。
サクヤは思い切り兵士の股間めがけて足を振り上げた。
「ぎゃ!」
気絶しそうな痛みに、兵士は思わずサクヤを離し、その場に蹲(うずくま)った。
その隙を狙い、サクヤは横から兵士の頭を狙って蹴り入れようとした。

ガギッ!!

鈍い音がして、身体が大きく後方に吹っ飛ぶ。
「うぁあっ!!」
地面に背中を叩きつけられた格好となったのは、髭の兵士でなく、何とサクヤの方だった。
「く、そ…」
横から大きな衝撃を食らったサクヤは、一瞬、何が起こったのか把握できなかったが、次の男の声で悪寒がするほど震え上がった。
「ヘヴン!!」
髭の男は嬉々とした声で、自分の前に立ちはだかる細くて背の高い男に叫んだ。
(ヘヴン!!)
サクヤは恐怖が足元から襲ってくるような感覚に陥った。
この男にアムイの額が切りつけられた場面を思い出し、不覚にも足ががくがくとして止まらない。
「サクヤさんっ!大丈夫ですか?」
白鷺が思わず叫び、彼の元へ行こうと走ろうとした。が、うまく動けない。どうやら白鷺もだったが、近くで震える周明も、腰が抜けてしまったっていたようだ。
「いい所に来てくれたぜ、ヘヴン=リース!早くこいつをやっちまおう」
髭の兵士はそう言うと、まだ痺れる股間を片手で押さえながらも、よろよろと立ち上がり、剣を抜こうともう片方の手を鞘にかけた。
が、その兵士に対し、ヘヴンはぎろりと鋭い目付きを投げかけると、突然容赦なく彼を足で蹴り上げた。
「ぐわっ!」
髭の兵士は再び地面に蹲った。
「な、何するっ!!味方に向かって…!!」
血反吐を吐きながら恨めしそうに叫ぶ兵士を、ヘヴンは冷ややかに見下ろした。
「味方ぁ?何言ってる。俺は南軍の傭兵だ。北の軍なんか知ったこっちゃねぇ」
ペッとヘヴンは兵士に唾を吐きかけると、尊大な態度でこう言った。
「こいつは俺の獲物なの。お前らになんか渡してたまるかよ」
そしてヘヴンは、固まって動けないでいるサクヤの方にゆっくりと振り向くと、獣のような目で舐めるように見、ニヤリと笑った。
「よぉ、カワイ子ちゃん。また会えて嬉しいぜ」

……逃げなくては…

サクヤは、思ったよりも自分が怯えているのに愕然とした。
(だけど駄目だ…。今こいつに捕まるわけにはいかない…)
サクヤの脳裏にアムイの姿が浮かんだその時、ヘヴンの口元から赤い舌が覗き、自身の薄い唇に這い回る様子が更にサクヤを追い込んだ。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
それでもサクヤは、何とか残る平静さを掻き集め、ヘヴンの隙をついて逃げようと様子を窺った。
その気持ちに気づいてか、ヘヴンはニヤつきながらじりじりとサクヤの方に歩み寄ってくる。
「 ああ…、あんた本当に可愛いねぇ。その怯えた様、かなりそそるよね。
アムイの奴も、あんたくらい可愛げがあるといいんだけどなぁ」
すすっと音もなくヘヴンはサクヤの間近に迫ってきた。
「に、逃げてくださいっ、サクヤさん!」
「早く…」
若い僧侶達の悲痛な叫びも、周辺の木々に吸い込まれ、まるで遠くから聞こえる木霊のようだ。
とうとうヘヴンがサクヤのすぐ目の前に立ち、長い胴を折るようにして彼の顔を覗き込んだ。縮こまるサクヤの顔にふっと息を吹きかけた瞬間、サクヤは全ての気力を掻き集め、近距離に迫っていたヘブンに体当たりし、逃げようとした。
「おっと」
だが、まるで大人と子供のようだ。かえってサクヤは、あっけなくヘヴンの腕の中に納まってしまった。
「カワイ子ちゃん、俺から逃げようったて無駄だね」
喉からの、クックと笑う声が耳障りだ。
「あんたを餌にアムイの奴を誘き寄せてやる。…あいつ、どんな顔するかな?泣いちゃうかな?
ああ…想像するとぞくぞくするぜ…」
ヘヴンの狂気にも似た恍惚とした表情に、サクヤは身体が強張った。
「だがその前にカワイ子ちゃん、あんたを昇天させてやるよ。
アムイに天国見せてやるまでの、ま、繋ぎだな」
その言葉にサクヤはぞっとして、ヘヴンの顔を見上げた。
ヘヴンはますますいやらしい笑みを浮かべ、青くなっているサクヤの顔を一瞥した。

「…アムイに比べたら物足りないが、ま、そこそこ楽しませてくれるだろ?カワイ子ちゃん」


「何たる失態ぞ!ミカエル少将!」
案の定、頭上からティアン宰相の激昂が飛んだ。
ミカエル少将は、ティアンの怒りを受けるべく、今、彼の目前で膝を地面に付き、頭(こうべ)を垂れていた。
「いや…、言い訳もできませぬ。これもすべて私が至らなかったため…」
「己の不甲斐なさを素直に認めたからとて、この私の怒りが収まると思ってか?
やっと…、やっと久方ぶりにあの麗しい姿を愛でられると、心浮き立たせておったのに…。
この、大馬鹿者!!」
大声に首を反射的に竦めたミカエルは、相手の様子を窺うため、恐る恐ると自分の顔を上げた。
ティアンの表情を見て、ミカエルは心の中で溜息をついた。
…ああ、これが大陸一の気術士だと豪語する男の顔だろうか。まるで恋煩いしている未成年(こども)のようだ。
(宰相殿は、よほど宵の君にご執心とみえる…)
これは益々、と、ミカエルの【宵の流星】への好奇心は膨らむばかりだ。
「何をじろじろと、人の顔を見ている?」
むっとしてティアンはミカエルを睨み付けた。
「いえ、宰相。確かに此度の失態は、己の責任。…必ずや宵の君を…」
「当たり前だっ!ミカエル、そこまで言い張るならば、何か確かな策でもあろうな?口だけは何とも言えるからな」
「そ、それは…」
ミカエルは内心うんざりしながらも、答に詰まる自分に舌打ちした。
「おいおい、随分メタメタにやられてるじゃんか、気術将校さんよ」
その時、ぞわっとする波動を持つ声が、ミカエルの背後で響いた。
「何だ、ヘヴンか…」
ぼそっと呟くミカエルに、ヘヴンはニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、ティアンとミカエルの間に割って入った。
「ひでぇなぁ、あんたらにいい土産、持ってきてやったっつーのにさぁ」
「いい土産?」
「そう。いいもの」
やたらと上機嫌なヘヴンにいぶかしみながら、ミカエルは跪いていた自分の身体を起こした。
「もったいぶらずに早く言え。…まさか、宵に関する事じゃないだろうな?」
ティアン宰相が苛々と吐き捨てるように言い、珍しくヘヴンの肩を掴み揺さぶった。
いつものティアンなら、禍々しい“気”を漂わせていると言って、ヘヴンに近寄ろうとさえしないのに。
「おやおや、天下の南の宰相さんも、キイ…宵に対して余裕がないと見える」
小馬鹿にした言い方に、ティアンはむっとする。
「とにかく早く報告しろ。我々はこんな所で油を売っているわけにはいかないんだ」
不穏な空気に、ミカエルが努めて冷静にヘヴンに話しかけた。
「へへ、わかったよ。………おい!」
ヘヴンが顎でミカエルの後方を指すと、それを合図に二人の南軍の兵士が、両脇をがっちりと支えながら一人の青年を連れて来た。彼は拘束されながらも、激しく抵抗している。
サクヤだ。
「おい、大人しくしろ!」
片方の兵士が、あまりにも暴れるサクヤに業を煮やし、荒々しくサクヤを地面に叩きつけ、背中に馬乗りになって身動きを封じた。
「く…くそ…」
サクヤは自分の不甲斐なさに涙が滲み出た。
…このオレが…。ヘヴン=リースの毒気に当てられ、ほぼ無抵抗で拉致されるとは…。
必死に抵抗し、相手に致命傷のひとつでも負わしているならいざ知らず、今こうして簡単に拘束されている事が無念で仕方がない。
(ああ、兄貴…キイさん、みんな、ごめん…)
鼻腔を刺激する土埃の匂いが、サクヤの心を益々惨めにさせる。
「お前は…」
サクヤの顔を見たミカエルの表情に、ティアンは眉を上げた。
「こいつ…!あの時は暗くてよくわからなかったが、この“気”には確か覚えがある。暁と共にいた男…だな?」
「暁?…ほぉ、そう言えば私もどこかで見た事がある顔だと思っていた。
うん、確かにこの男、暁と一緒に宴の場にいた若造じゃないか」
中立国ゲウラにある娼館、桜花楼(おうかろう)の酒宴の席での事を言っている事は、サクヤにもすぐにわかった。
「な?いいもの拾ったろう?」
ヘヴンは上機嫌で、ぐるりと周囲の人間を見渡した。
「でかしたぞ、ヘヴン。これで暁達の痕跡を追えるかもしれん。
…あの他人と馴れ合う事が嫌いな暁が、宵以外で傍に置いている男ぞ。これは利用価値がある…」
ティアンの機嫌が直った事に、ミカエルはほっと安堵した。
「さて、これからこの男をどうしましょうか?」
「とにかく口を割らせるしかないだろう?…仲間なら、この先どこかで落ち合う手はずくらいは踏んでいるんじゃないのか?」
ティアンの言葉に、サクヤはどきりとした。
「じゃ、ちょっとこのカワイ子ちゃん、俺に任せてよ。
すぐに喋りたくなるよう、いい思いさせちゃうからさ」
ヘヴンのからかうような物言いに、ミカエルは“またか”というそぶりで肩をすくめた。
「ほどほどにしろよ?ヘヴン。お前、夢中になると歯止めが利かなくなるからな。
…殺さないよう、うまくやれ」
冷たく言い放つミカエルの言葉に、サクヤは全身が凍りつくような感覚に支配され、気が遠くなりそうになった。
それを堪えるため、サクヤは自分の唇を噛み締めた。じわり、と痛みと共に血の味が口内に広がる。
(兄貴…。…オレ、やはり足手まといだった…。ごめん)
悔しさと情けなさで目の前が霞む。だが、この追い詰められた精神状態が、かえってサクヤの覚悟を強固にさせた。
(…だけど。絶対オレ、兄貴達を守るから。絶対悪魔の手に落ちないから)
サクヤは胸の内で、そう叫んだ。
何が来ようがされようが、セド人は誇り高い民族。絶対に屈服するものか。
たとえ、たとえこの身が果てても…。
サクヤはこの時、もう再びアムイには会えないだろうと、覚悟を決めた。
とにかく、こんな悪魔のような連中に、神王の血を引く王子達を引き合わせてなるものか。
これはサクヤの、古から流れる先祖の血がそう思わせるのかもしれない。
だがそれ以上に、サクヤはアムイを魔の手から守りたかった。これが今自分ができる唯一の覚悟と思わなければ、目の前の恐怖に負けてしまいそうだったのだ。
(兄貴…)
再び乱暴に身体を引き上げられ、揺らめく視界に薄笑いを浮かべるヘヴンの姿が映る。
「連れて行け」
無情なミカエルの声が、サクヤの耳を通り過ぎていった。


チガンの町は、確かにひっそりとした漁村だった。
最近、この町を隠し要塞にしようという話が、北のミンガン王から極秘にあったばかりだ。
南に通じた第一王子ミャオロゥ対策のためでもあった。
だから、表向きはひっそりとしたのどかな港町だが、この町に多い海沿いの洞窟内には、様々な武装を施された武器や船が揃っていた。
その一角を、西の王子、リシュオンの中型船が匿われていた。

最初にこのチガンに辿り着いたのは、途中でシータと合流したキイとアムイ達だった。
その二日後に、堂々と隊を成してリシュオン王子と昂老人(こうろうじん)一行が着いた。
彼らは町に着くなり、波止場近くにある居酒屋で一息入れようと、多勢で押しかけていた。
「いや、意外と警備が薄くてびっくりしました」
リシュオン王子が、軽く飲み物を口にした後、爽やかに笑いながら言った。
「ただの旅商人の扮装で正規の道を行ったのですが、拍子抜けするほど安泰な道中でしたよ」
「ま、何か不穏な動きがないか、常にわしがチェックしてたがの」
二人の話に、シータが小首をかしげた。
「…もう少し目を光らせてると思っていたけど…。あれかしら?やはりミャオロゥ王子も自分の身が大事だから、かえって目立たない様にしている…とか?」
「…とにかく、ざっと見て追っ手も来てないようだし、この場所に我々がいるというのは、相手にはまだわかっていないじゃろう。
…ま、長居は出来ぬな。とにかくすぐにでも東に行くことを懸念しなければ」
そしてぐるりと皆を見渡し、昂老人は溜息をついた。
「…サクヤがまだ来てはおらぬか…。アムイ、ちゃんとこの町の事は言っておるんじゃな?」
何となく、沈んだ面持ちのアムイが黙って頷いた。
「アムイの話だと、サクちゃんはお寺のお坊さん達と一緒だったそうよ。
という事は、その人達を安全な場所に送ってからこっちに向かうと思うの。
サクちゃん、ってそういう子だから」
シータがアムイの代わりに答えた。
「そうですか…では、あと二日くらい待ってみましょうか。
…その間にこれからの事を綿密に打ち合わせしましょう」
リシュオンは、はきはきとそう言うと、おもむろに立ち上がった。
「さて、これから我が船に案内致します。どうぞ、こちらに」
「船?」
イェンランが好奇な目を輝かせて彼の方を見上げた。
「興味ありますか?、なら尚更ご招待しなければ。…中型の船ですが、一応これでも八十人は人が乗れるタイプなのですよ」
「そんなに?」
思わず大声を出して、イェンランは赤くなって口を塞いだ。
その愛らしい様子にリシュオンは思わず顔をほころばす。
「ごめんなさい、はしゃいじゃって。だって初めて傍で見るんだもの、船。
ほら、私ずっと草原育ちで、海になんて行った事もなくて」
そう、こうして皆にくっついて旅をしてから、何度も話で聞いていた海を見る事ができたのだった。
初めて見た海の感動は、言い表せないものだったが、色んな事がありすぎて、ゆっくりと浸っている暇もなかったのである。
「よし。じゃ、そこで会議だな。…と、リシュオン、王族関係の船という事は、あれか?」
優雅に立ち上がりながら、キイはリシュオンに言った。
「はい?」
「書斎…書庫くらい備えられてる?ちょっと調べ物したいんだけど」
「もちろんですよ。長い船旅にはある程度の知識も積んでなきゃなりませんからね。
王家の船には必ず小さいですが図書室が設けられていて、全大陸や他大陸の蔵書を取り揃えております」
「ええ?図書室?本!?」
イェンランの目が益々煌いた。
「あれ、随分と食い付きがいいわねぇ。さては文学少女?お嬢って」
シータがからかうように言った。
その言葉にイェンランは赤くなって頬を軽く膨らませた。だが、きらきらした目だけは衰えない。
「…うち、貧乏だったから本なんてそうそう持った事なかったんだけど…」
言い出しにくそうにイェンランは呟いた。
その様子を見て、リシュオンは彼女を微笑ましく思った。
そしてイェンランを見つめると、優しい声でこう言った。
「よかったら、船にいる間は自由に本を見て構いませんよ。本も請う人に読まれれば本望でしょう」
その言葉に、ぱあぁっと表情が明るくなったイェンランに、リシュオンは益々目を細めた。
「それでは、早速、洞窟内にある我が船に行きましょうか」
彼はにっこりとすると、ゆっくりと歩き出した。
それに続いて、他の者も立ち上がり、彼の後に続いた。
だが、最後までアムイだけはこの場を動かなかった。
「アムイ?」
それに気がついたキイが、行きかけた身体を戻し、アムイの傍に近づいた。
「あ?ああ。ごめん。ちょっとぼうっとしてた」
今気がついたかのように、アムイはキイに顔を上げると、のろのろと立ち上がった。
「アムイ…お前」
「何だよ、その、何か言いたそうな顔」
アムイは心配そうなキイの顔を一瞥すると、ぷいっと反対の方に顔を向けた。
「そうか?…何もねぇよ。ほら、時間がないんだ。早く行くぞ」
キイはわざとぶっきらぼうに言うと、アムイを急き立てた。
「わかったよ」
アムイもむっとしながらキイの後について行く。
(…何年一緒にいるんだよ。お前の気持ちくらい手に取るようにわかるんだよ)
キイは後ろからとぼとぼ歩いてくるアムイの姿をちらりと見やった。
今のアムイの心には、今だに到着していないサクヤの事で占められているくらい、キイにはわかり過ぎるくらいわかっていた。
キイは再び前方を向くと、アムイに悟られないように小さな溜息をついた。
(サク…。お前の事だから大丈夫だと思うが…)
だが、そう思う反面、言い知れぬ不安がキイの胸にまとわりついている。
自分がそうであれば、相方のアムイだって同じな筈だ。

リシュオンの船に着く間、ずっと二人は重い沈黙を抱えていた。


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新年のご挨拶

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新年、明けましておめでとうございます。

新年早々、稚拙な絵を晒しまして申し訳ございません
(ああ…やはりサクヤが小さくなってる…。これじゃ大人と子供だぁ)

でも、何かアムイの顔が優しそうなのでつい投下してしまいました。

皆様、お元気でしょうか?
新年早々から始めます、といって、実際始められたのが一週間以上過ぎてからなんて…。
情けないです

実は昨年から不調だった我がパソコン。
正月に義弟に診てもらったところ、本体がかなり重症だった事が判明。
急遽復旧作業となってしまいました(涙)
で、結局再セットアップし直し、という事態。
まだ現在ちまちまとインストールのし直し作業真っ只中(ははは)
なのでまだスキャナは使えないし、音声もぶっ壊れてるし…。と、散々なスタートを切ったわけです

それでも、好調、とは言えませんが、ネットには一応つながりますので、こうしてやっと、#128、アップできました。
昨年からでしたので、長く間が空いて申し訳ございません。
諸々の事情はあれ、もーここからは、ハイピッチで話を進めていかなければ、春まで終わらないし、読んでくださる方にも忘れられてしまうかもしれない危惧もあり…。

ということで、限界まで突っ走るつもりではありますが、倒れない程度に頑張りたいと思います。
やっと、最終の書きたい部分に少しづつ迫ってきていますので、ノリで乗り越えようと(笑)思っております。

こんな自分ですが、今年もよろしくお願いします。


今日から更新、始めます


いつも覗きに来て下さる方々、本当にありがとうございます

まだこの物語は続きます。

ご縁があったら、最後までよろしくお願いいたします。

            kayan

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