暁の明星 宵の流星 #132
本来ならば、よそ者に必要以上接近したり、深く内情に立ち入ってはならない、というのがユナ族の掟なのであるが。
ユナ族の長(おさ)の側近中の側近であるセツカは、ちらりと隣のガラムを見やって溜息をついた。
その一方で、ユナ族は律儀な民族で、受けた恩は絶対に忘れないし、その相手に恩返しや身助けをするのが当たり前としている。
特に多大な恩を感じた者に対しては、よそ者であろうとなかろうと、ユナ族は相手に身を捧げるかのごとく尽くすのだ。
それが一生…いや、永久に続く。だからこそ、むやみやたらによそ者と関わってはならない事は、ユナ人ならば誰もがわかっている事だ。
今、セツカとガラムは互いに勢いよく馬を飛ばし、ある場所を目指していた。
この速さでは明け方までには目的地につくだろう。
それはいいが、問題はその後だ。
……運良く、目当ての人間と会えるだろうか…。
この凄腕のセツカとて、ほとんど自信はなかった。
…特にこの状況。簡単にセド王家最後の王子と言われる【宵の流星】に、会えるとは思ってはいないが。
……せめて、その宵の君の相棒という【暁の明星】…もしくは北の鎮守と言われる昂極(こうきょく)大法師だけにでも、会う事はできないだろうか…。
セツカは苦笑した。
何の因果か、本人が仇と追っている暁の仲間の一人に、愛着を持つとは…。
真っ直ぐな若いガラムを、セツカは危なっかしくも、眩しく思う。
長候補であるジース・ガラムの必死の願いを無下にするなど、共に行動している二人の大人はできなかったのである。
一応、反対し、説得はしてみたのだ。だが、ガラムの心は頑として動かなかった。
《サクヤは俺の恩人なんだ!サクヤがいなかったら、俺は異国で不埒な扱いをされていたかもしれない。
だからお願いだ。…サクヤを助けてあげて…。今度は俺が…》
義理堅く、実直で、頑固で。…そういう所は、自分が今、仕えている現在の長(おさ)であるダン様にそっくりだ…。
「ねえ、あとどのくらい?チガンまで」
ガラムの言葉が風に乗って聞こえてきた。
「夜が明ける前には。…とにかく着きましたら情報収集ですよ、ジース。
これもユナ人には欠かせない、拾得しなければならない技術のひとつですからね。
…まさか、ここで実践するとは思ってもみませんでしたが」
「一石二鳥じゃん!セツカの言っていた通りだね。
人生無駄な事はひとつもないって」
呑気で明るい声が返ってきて、セツカはまたまた苦笑した。
「では、ジース。貴方一人で、私がいつも教えていた通りにやってくださいね。
それから、貴方のその風貌は意外と目立ちますから、いつものような格好ではなく、黒いマントできちんと隠すように。
この前、北の兵士に絡まれたような目立つ姿を、決して無防備に晒してはいけません。
いいですね。
私は一切手を出しません。後ろで見ております。これもいい経験ですから」
「わかってる…!」
固い決意を表すように、ガラムはきっぱりと言った。
......................................................................................................................................................................................................
ぞろぞろとした内臓を移動する感覚に、サクヤは気分が悪くなってまた目が覚めた。
「…何でこのオレを放っておいてくれないんだよ?」
湧き起こる吐き気を我慢しながら、サクヤは目の前の、完全防備の姿で胡坐をかいているレツに悪態をつく。
海岸から山に入った森の奥深い所に、誰かが昔住んでいたと思われる、小さな廃屋があった。
外観は、完全に悲惨な状況で、見るからに人など住んでいないように見える。
が、内部は意外と奇麗に片付けてあって、しばらくの間、人が潜伏しても問題ないようだ。
小型の暖炉には、ちろちろと小さな炎が踊っている。
冬の到来が早い北の国では、もう日が落ちると、急に底冷えする。
暖炉の火のおかげで、こじんまりとした部屋の中はとても暖かかった。
その火の傍に、サクヤは寝床を作ってもらい、寝かされていた。
だが、どうも孵化した穢れ虫の幼虫が、夜になると体内を這いずり回って、どうしようもない吐き気に襲われてなかなか眠れないのだ。
「ガラムに…言われたからか…?」
「それもあるが、それだけでもない」
レツはそう言うと、暖炉の中に放り込んでいた柄の長い柄杓を注意深く取り出し、サクヤの目の前に持ってきた。
「飲め。まだ熱いが、虫の動きを弱める薬草を煎じてみた。…穢れ虫に効くかはわからないが、虫の苦手な薬草を調合してある。少しはヤツの動きが止まるかもしれん」
サクヤは黙って、おそるおそる柄杓を受け取り、ゆっくりと口に運んだ。
「あつっ!」
苦い味と相まって、舌がびりびりと熱さで刺激される。だが、この状態より数倍いい。サクヤは我慢してぐっと飲み干した。
熱い液体が体内を駆け巡り、虫を牽制したようだった。
活発に動いていた幼虫の動きが鈍くなった。
サクヤはふっと力が抜け、再び床に伏せった。
「…穢れ虫とは、やっかいなものでもあるからな」
レツがぼそりと言った。
「やっかい…」
「そう。放っておくと、周辺を汚染する」
「………」
「通常は土に埋めるか、火で焼き払うか…。
そのくらいまでしないと、他のモノの気を枯らしながら、別の動物に移って卵を産み続ける。
放っておくと、虫の被害が広がる」
「……なら、焼き殺せばいいだろう?オレはあんたの仇とする、【暁の明星】側の人間だ…」
と、サクヤはそこまで言って、はたと気がついた。
「まさか…。それが目的じゃないだろうな?オレを助けて、わざわざ仲間のところにやろうとするのは、虫の感染を…広げようとか?
特にこの虫は“金環の気”が好物なんだろう?それで仇を取ろうなんていう考え…」
「違うよ!!」
突然、入り口からガラムの声が響いた。
「ガラム…」
サクヤが声の方を振り仰ぐと、全身を黒尽くめにしたガラムとセツカが部屋に入ってきた。
「サクヤの身体が第一だと言ったよ?…アムイには知らせても、なるべく接触しないよう、頼んできたから」
「え…?」
どういうこと?というよな表情で、サクヤはガラムの緑色の瞳を見つめる。
「…戻ったか、二人とも。で、今の話だと会えたようだな、向こうの人間と」
レツの言葉に、サクヤははっとして半身を起こした。
「なっ…!やはり兄貴を捜しに行ったのか!余計な事を…」
「余計な事?…そう。そうかもしれないね、サクヤには。
でもね、皆君の事をとても心配していた。…特にアムイなんて心配のあまり、サクヤを捜しにチガンの町を出たっていうし。
…だから安心してよ。俺達はアムイに会えなかったから」
「兄貴が!?」
信じられない。兄貴がまさか自分を捜すため、身を引き返すような危険な事をする…なんて。
「本当ですよ、サクヤ。確かに我々はチガンの町まで、貴方のお仲間を捜しに行きました。
ま、小さな港町です。意外にガラムが頑張りましてね。やっと西の兵士と繋がりを持てて、そこから貴方のお仲間に繋げました。
いや、本当によかった。……最初は警戒されてましたが、誠意を持って説明しましたら、昂極(こうきょく)様にお目通りを許されました」
「…ご老人に…」
その話を聞いていたレツは、セツカの目をひたと見つめると、おもむろに言った。
「ならば、…あの方にはお会いできたか?」
(あの方?)
サクヤは不思議そうな顔をして、二人を交互に見た。
「その事はあとでゆっくり話します、レツ。
とにかく、今、サクヤを捜しに外に出ているという暁に、伝鳥(でんちょう)を飛ばしてもらいました。
なまじ、彼が貴方の“気“を辿り、無防備にも接触するなんて事になったら、どういう状態になるか見当もつかない…。
昂極大法師様の見解も同じでした。
今、大法師様が貴方の為に穢れ虫専門の学士を呼び寄せてくださり、チガンとここの中間に治療場を設ける、と言ってくださいました。
……ですから、安心してください。
もうすぐどなたかが、ここに迎えに来られると思いますから…」
「…どうして…!どうしてそんな…」
うまく言葉が出てこない。
結局、ご老人や皆に迷惑かけてしまった…!
ただでさえ、現状はかなり厳しい筈だ。
有力者に狙われているキイさんを無事に、東の聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)まで送り届けなければいけない、こんな大事な時に!
こんな…こんな自分の失態で…!もし、もしキイさんの身に危険が及んだら…!
兄貴の大事な人を危険に晒してしまったら…!!
サクヤの青ざめた顔を見て、ガラムは胸中複雑だった。
でも、これでいい。だって、サクヤの仲間は皆いい人ばかりで、本当に彼を心配していた。
…それに…。
あのアムイが、サクヤを捜しに行ったとは…。
ガラムの胸が、きゅっとした。
あの愛想のない、人を頑なに寄せ付けようとしなかった…あのアムイが。
姉さんがどうして、奴を庇ったり甲斐甲斐しく世話したのか、まったく理解できないほど、嫌な奴なのに。
……姉さんの事は何とも思ってなくても、…サクヤは大事なんだ…。
そしてサクヤもアムイをとても大事に思っている。
ガラムはその事を考えると、胃の中でざわざわと、何かの塊がうごめくような気がした。
…もし。自分が姉の仇を晴れて討てたとして、サクヤは自分をどう思うだろう。
…彼も同様、大事な人間を奪われたと思い、自分を激しく憎むかもしれない…。
そして彼も、復讐に囚われて、今の自分と同じように、自分を追い詰め…。
「なぁ、あんた達は…本当に兄貴…【暁の明星】が、仇と信じているのかよ…」
長い沈黙の後、サクヤが唐突にそう言って、ガラムの思考を中断させた。
「そうだと言ったら?」
事も無げに言うレツに、サクヤは眉間に皺を寄せた。
「言い訳じゃないが、兄貴はそんな事するような人じゃない。きっと何かの間違いだ。
……現に、本人は身に覚えないと言っている。
なぁ、本当は確証とかないんだろ?もっとちゃんと調べてくれよ」
サクヤの必死な様子に、ガラムは益々気分が重くなった。
だが、一方のレツは、まったく表情も変えず、冷ややかにこう言い放った。
「暁は俺の大事な妻を奪った。…確証なんていらない。
…間違いだろうがなかろうが、他人のものに手を出したよそ者は、それ相応の咎を受けねばならない。
…もし、暁が犯人でないとしても、我が妻をそそのかし、鍵を開けさせ逃げた事は確かなのだ。
…結果、彼女は死んだ。…その原因は暁以外、何処にある?」
淡々としたレツの言葉が、部屋を寒くする。こんなに火を焚いているのに、何故か薄ら寒い。
「…お前には悪いが、俺の気持ちは変わらない…。
いつか必ず、この手で奴を討つか」
そして、レツは息を整え、ゆっくりと吐き出すように言った。
「……奴の…大事なものを奪うまでだ。…俺とガラム同様の思いを味わわせてやる…。
奴の大事なものを奪い、奈落の底に突き落としてくれる」
「レツ!」
セツカは居た堪れなくなって、大声を出した。
「…今はその話をするのは止めてください!その件については、私は反対だと言っているでしょう?
敵(かたき)討ちなんて…。しかも確証もないのに…。それに、彼の前ではこの事は二度と言わないでください。
…余計な不安をかけさせたくないですから」
セツカの剣幕に、レツは口元だけで、にっと笑った。
「……本当の事を言ったまでだよ。なぁ、ガラム」
だが、レツの言葉に、ガラムは答える事ができなかった。
サクヤの前という事もあった。だが、それと共に、もうひとつ湧いてきた思い…。
「…いいですか、レツ。…私はその事に関して、ずっと目を瞑ってきました。
賛同の気持ちはないけど、邪魔するつもりも咎めるつもりもありませんでした…。
でも、やはりその憎悪が、真実の目を曇らす要因となっているのは確かです、レツ。
憎悪や仇(あだ)討ち、復讐というものは、いつか誰かが断ち切らなければずっと連鎖する。
……憎悪は……この穢れ虫のように、人の心を蝕み、汚染し、連鎖し広がっていく。
私はそう思います」
ガラムは声もなくセツカの話を聞いていた。…そう。
自分が今まさに感じた事はそれなのだ。
このままで…本当にいいのだろうか?
だが、そんなにすぐには人は気持ちを切り替えられないし、割り切れない。
……特に、愛する者の無残な死に方をこの目で見てしまった自分には…。
とにかく。
ガラム達がチガン町に行ってから、もうすでに2日も経っていたようだ。
そして話はその2日前に遡(さかのぼ)る。
.....................................................................................................................................................................................
やっとの思いで、昂極大法師に面通りを許された二人は、チガンの町の、ある居酒屋の2階に通された。
そこで待っていたのは、小柄な白くて長い髭を持つ、かなりお歳を召された気のよさそうな老人であった。
彼の傍には、これまた女性と見紛うばかりの美しい男性が守護するように佇み、何人かの西の兵士が護衛としてその場で待機していた。
初めは警戒されていたようで、そこに行くまで、かなりの人間から尋問を受けた。
そうしてやっと最後に目当ての昂極大法師に会えたのだが、内心、二人は焦っていた。
彼らがチガンの町に着いてから、まる一日も経っていた。
こうしている間にも、サクヤの体内の穢れ虫は、彼の“気”を糧に、どんどん成長していく…・。
いつ、羽化するかわからないのだ。
特にあの南の宰相が改良したという、特別な穢れ虫…。セツカの見解でも、この虫の生態は見当がつかない。
彼らの話を聞いて、その場にいた者達はみるみる血の気が引いていった。
「…ということで、とにかく私も南の宰相が改良した穢れ虫の成長は計り知れなく、彼の体内でいつ羽化(うか)するのか見当もつかない。だから、失礼を承知で、緊急、昂極様のお知恵をお借りしたいと思ってきたのです。
…私の調べによると、昂極様は、サクヤとも懇意にされているということ。
それに、彼のお仲間にもお知らせした方がいいと思って、こうしてやって来ました…。
突然尋ねた我々を信用くださり、本当に感謝いたします」
そう深々と頭を下げるセツカと共に、ガラムも急いで頭(こうべ)を垂れる。
「いや!どうか頭をお上げなされ!感謝するのはこちらの方じゃ!
よく知らせてくださった…。危険を承知で我々のところまで…。
確かにサクヤは我々の大事な人間じゃ。……こちらで何とかいたそう。なぁ?シータ」
昂極大法師は斜め後ろに佇んでいた美男…シータを振り仰いだ。
「はい。早速サクヤを捜しに行ったアムイに伝鳥を飛ばします。詳しい事を託して。
…気術を使う鳥ですから、必ず目当ての気術士が何処にいようが見つけてくれますからね。
……確かに時間との戦いですね。サクヤと接触する前に、アムイに伝言が届いてくれればいいのですが」
「うむ。わしの方も、早速北天星寺院(ほくてんせいじいん)に使いを出し、珍(ちん)に来てもらおう。
やつはわしの古い馴染みでの。北では随一、虫に詳しい男じゃ。専門は穢れ虫。やつに診てもらった方がよいのぅ」
ということで、この町では周辺にも迷惑がかかるだろう、という事で、今サクヤを匿っている場所との中間地点にある山の中に、治療場を設けようという話になった。
とにかく時間はこうしている間にも、とくとくと過ぎていく。
「我々はいったん先に戻り、サクヤの仕度をして出迎えます。…それで、これは今サクヤがいる場所なのですが…」
と、セツカが場所を記した地図を取り出そうと、懐に手をやったその時だった。
出入り口付近がやけに騒がしくなったかと思うと、勢いよく部屋の扉が開き、一人の男が飛び込んできて、一同を驚かせた。
「今の話は本当かい?でもあんたらはアムイを仇と狙うユナの人間だろう?なんだってまたサクヤのために…」
「待ってよ!キイ!姿を現してはいけないって、あれほど言われてたでしょうに…」
長いローブを身にまとい、長いブロンズの髪をひとつに束ねている男は、後ろから止めようとした小柄な黒髪の少女を振り切るように部屋に進んだ。
(キイ!?まさか、この方が噂の【宵の流星】!?)
思わずユナの二人は、その圧倒するような優美な姿に息を呑んだ。
「はぁ、キイの奴か。本当に大人しくできない奴よのぅ…」
ため息交じりで昂老人が呟いた。
(間違いない…。キイ…【宵の流星】。
まさか、こんなに早く簡単にお会いできるとは…)
二人は声もなく、入ってきたキイを凝視した。
…噂に違わず、何というオーラ。何という威厳。
確かにこの方は、我々がお捜しいていた…セドナダ王家、神王のお血筋…。
「キイったら、急に入ってくるなんて、失礼よ!しかも、何かあるといけないから、今回は自重してって言ったのに…」
シータがむっとしてキイに注意した。
「でも、俺にだって大事な話だろ?…俺だけ仲間はずれなんて、冷てぇよ」
ぶうっと子供のように頬を膨らませたかと思うと、言葉なく突っ立っているユナの二人にキイは振り向いた。
「突然の無礼、許されよ。…で、俺の大事な人間を仇としているあんたらが、何で俺らの仲間の為に親身になってくれるのさ」
「キイったら!この人達はねぇ…」
キイのつっけんどんな言い方に、思わずシータが間に入った。
「いえ。確かにそう思われても仕方がない」
セツカがシータを制すると、傍にいたガラムが口を開いた。
「…サクヤは俺の恩人だからです。俺が北の兵士に絡まれているところを助けてくれた。
ユナ人は受けた恩を忘れない。…俺はサクヤを助けたいんだ!」
まっすぐな緑色の瞳を、キイはしっかりと受け止め、ニヤリ、と笑った。
「そうか。…それはありがとうな。…ま、俺もさ、あんた達に聞きてぇ事があってさ…。こうして部屋の外で、待機していたって訳さ」
その言葉に、セツカがピクリとした。
「聞きたい事…」
「…ああ。実はあんた方ユナ族と、セドナダ王家の繋がりの件でね…」
「何?ユナとセド王家の間には、何かあるのか?」
昂極大法師の言葉に、セツカは慌ててこう言った。
「……失礼ですが、貴方様は本当にセドナダの王子…キイ・ルセイ=セドナダ様でお間違いないのでしょうか」
セツカの言葉に、キイはしばし彼らをじっとみつめると、おもむろにこう言った。
「いかにも。この俺は王太子とまでなっていた、アマト=セドナダ王子の不肖の息子だ。
それが何か重要か?」
キイはわざと父の事を王太子と言って、彼らの反応を探った。
「不肖とは…」
思わず昂は、キイのその物言いに苦笑する。
と、突然ユナの二人はキイの前に跪いて、他の者を驚かせた。
「おいおい、何だよ、いきなり!」
驚いたのはキイもだった。
「神王血筋のお方と確かめられて光栄です、キイ様。
ただ、込み入った内情は、他の方の耳がある所では申し上げられません。
…詳しい事は、長の許可なければ、話せない事情がございます。
できればお人払いを。貴方様には色々とお話したい事も、確かめたい事もございます…」
「確かめたい事?」
セツカの言葉に、キイは眉根を寄せた。
(そうです。…本当はこれが一番の私の目的。…ジースにもレツにも知らせていない、私と長の機密…)
じっと俯くセツカの胸のうちを推し量れず、キイはこう言った。
「よくわからねぇが、あれだな。…人払いしろ、という事は、ユナとセドナダの関係は思ったとおり極秘事項って事か。
…よし、わかった!じゃあこれから…」
キイが二人にそう言いかけた時だった。
「大法師!」
幾人かの西の兵士が慌てて部屋に入ってきた。
「何事じゃ」
「大変です。東の荒波(あらなみ)の軍艦が入港してきました!」
「何ですって!」
イェンランが小さな悲鳴を上げた。
「…先ほど、調べさせましたら、偶然に入港してきた雰囲気ではありません!
我々を捜しに来たのは確実です。
……何故だか、荒波の人間に、リシュオン様と大法師様が、宵様と繋がっている事が知れているようで…」
「何だと?」
青ざめて、昂極大法師は立ち上がった。
「…へっ。カァラの奴だな…」
キイがぼそりと言った。
「まさか!カァラって、荒波軍と通じていたの?」
イェンランは驚いてキイを振り仰いだ。
カァラとは、男のくせに女と偽り、キイに接近した、いわくつきの人物だ。
あの“気”を吸う吸気士シヴァの息子で、絶世の美男にして邪眼と言われる見えないものを見る目を持つ…。
有力者の愛人として、男を虜にし、一国をも滅ぼした経緯の持ち主…。
《安心して。もうすぐしたら迎えが来ることになっているから》
その迎えって、もしかして、荒波軍の有力者の事だったのかしら…。
イェンランはカァラの科白を思い出し、身震いした。
「多分そうだろうな。…あいつ、やけに余裕こいてたところがあったしなぁ…」
「大法師様!宵様!どうかご猶予がございません!
早くこの町からお離れになってください!
何かあった時はそのように王子から言いつけられております。
……港の反対側に馬を用意してあります。さあ、お早く」
「主たちの船はいかがする?この状態では、海にも出られないであろう?」
「ご心配なく。皆さんの荷物は、もうすでに他の者がまとめ、馬の方にお持ちしました。
証拠がなければ、我々はしらばっくれるのみ。…もし、我が船が見つかったとしても、何とか切り抜けますから」
緊迫した西軍の兵士に、昂も頷いた。
「有難い、西の方々。わかった、すぐにそのようにいたそう。
で、申し訳ない、ユナの方よ。緊急の事態が起こってしまった。
話の途中じゃが、またの機会に…」
「…ええ仕方ありません、そのような緊急事態では。…我々はとにかく、先にサクヤの元に戻ります」
と、言いながら、残念そうにセツカは立ち上がると、懐の地図を取り出し、キイの手に手渡した。
「おう。もちろん、サクヤは迎えに行く。…場所も落ち着いたら、話の続きはそこでしようや。
お互い、嫌な邪魔が入っちまったが、一刻も猶予はなんねぇ。……じゃ、またな」
そうしてセツカとガラムは急いで馬を飛ばし、この廃屋に戻ってきたのだった。
...............................................................................................................................................................................
「そういうことなんだ、サクヤ。だから仕度しておこうね」
ガラムはそう言って、甲斐甲斐しくガラムの世話をし始めた。
《途中まで、様子を見てきます、ジース。サクヤの仕度を頼みます》
セツカにそう言われたガラムは、チガンに行った時の事を説明しながらサクヤに服を着せていた。
偶然にも、レツは近辺を見回りに外に出ていた。今はガラムと二人だけだった。
しばらく成されるがままにしていたサクヤだが、気分はよくないらしく、青白い顔で、たまに「うっ、うぇっ」と嘔吐(えず)く。
ガラムは心配になって、支えるように様子を見ていたが、いきなり苦しそうにサクヤが腹を抱えて蹲ったのに驚いた。
「サクヤ!?大丈夫!」
サクヤの苦しみように、ガラムは慌てて背中をさすった。
「う、うう…っ、み、水…」
腹に虫を飼っていると、猛烈に喉が渇くようで、たまにサクヤはこうして水を激しく求めるのだ。
「う、うんっ、水だね!ちょっと待ってて…」
ガラムは慌ててテーブルの上に置いてある水差しに手を伸ばし、空いたグラスに水を注ぐ。
(…あ…もう水が…)
水差しの中には、もう一杯分の水しかなかった。
これでは迎えが来るまでに、もう一度外にある井戸まで水を汲みに行かないと…、などとガラムは考えながら、サクヤに水を渡そうとした。
ガシャーン!!
苦しんだサクヤが、グラスを取り損なってしまい、無残にも水は飛び散り、グラスは半壊して床に転がった。
「…あ、ああ……す、すまない…」
「ううん、俺こそ、ちゃんと渡せなくてごめん!もうちょっと待ってて、サクヤ、すぐ代わりのを持ってくるからね!」
苦しみながら謝るサクヤに、ガラムは不安がらせないようにそう言い、水差しを手にすると、急いで部屋を飛び出した。
ガラムが飛び出してすぐに、苦しんで腹を押さえて蹲っていた筈のサクヤが、何事もなかったかのようにのそり、と立ち上がり、そっと外を窺った。
窓の外に、ガラムが井戸まで走って行く姿が見える。
(ごめん…ガラム。…オレ、これ以上皆に迷惑かけたくないんだ…)
ちょうど今、腹の虫は寝ている最中らしい。…これならいつもより動けそうだ。
サクヤは心の中で呟くと、腹の虫が起きる前にと、急いでマントを羽織り、注意深く部屋を出た。
そして井戸のある場所とは反対側の方向に、サクヤはある限りの力をかき集め、走り出した。
走る度に身体が揺れ、内臓が息苦しい。できるならこの体内のものをかき出してしまいたい…。
でも。
(…手遅れです。彼はもう、助からない…)
セツカのこの言葉が、ずっとサクヤの脳裏 を駆け巡っていた。
今一番大事な時に…余計な事で周囲を危険に晒すなんて…。
皆に、特に兄貴に迷惑かけるくらいなら…。
サクヤは自らを滅ぼす覚悟だった。
どこかに。
どこか安全な場所はないだろうか…。
自分が命を絶っても、虫の汚染が広がらない場所は…。
森の中、草木を掻き分けながら、追い詰められたサクヤは、ただひたすら死に場所を捜していた。
......................................................................................................................................................................................
森の奥、アムイとリシュオンは2日もサクヤの姿を追い求め、少々馬も人も疲れを見せ始めていた。
「ここで、ちょっと休憩しようか」
アムイは馬の様子をちらっと見て、こう言った。
「そうですね。…近くに水場があれば、そこで馬を休ませられるんですが…」
その言葉に、アムイは五感を研ぎ澄ませた。
耳の奥で微かな水音を察知し、また鼻腔からも水の存在を感知する。
「リシュオン、左手、半里ほど行った所に水の音と匂いがする。多分小さな滝がありそうだ。
そこで休憩しよう」
「さすが、ですねぇ…」
リシュオンは常人でないアムイの感覚に感嘆した。
「聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)では、当たり前のようにやる修行のひとつだよ。
別に凄い事じゃない」
そう言うと、アムイは馬を早めた。
実はこの時、アムイの元にまだ伝鳥が届いていなかった。
だからアムイは、サクヤの状況を、まったく知り得ていない状況であった。
なかなかサクヤの手がかりを掴めないアムイは、不安を押し隠し、捜索しながら東に向かっていたのだ。
そして彼の言うとおり、半里行った所に小さな滝壺を発見した。
馬を休ませ、リシュオンと護衛の兵士も、一息つこうと水場の近くの石に腰をかけた。
アムイは、こういう水場には万能に効く薬草が採れるからと、その草を探しにその場を離れた。
《こういうものは、いくつあっても無駄にはならないからな》
この場から絶対に離れないよう、リシュオン達に念を押してから、アムイは滝壺の上に登って行った。
(さすがに、あの【宵の流星】の相棒といわれる人だ…)
リシュオンは、キイのような派手さはないが、地道に何でもこなす、アムイに心底感心していた。
「あれ?」
そんな時、何気なく空を見上げたリシュオンは、ぼんやりとした光を纏う、何かが飛んでいるのが目に入った。
(何だ?あれは鳥か…?)
その鳥の飛び方は、一見普通の燕のようにも見える。だが、違うのは淡い茶色の羽と、全身を包むモヤ状の橙色の光だ。
(あのモヤ状の光は…まさか、“気”?…ということは…あの鳥は…)
リシュオンは気術を習っていないため、彼らの通信に使う、伝鳥(でんちょう)というものを見た事はなかった。
それでも知識としてその鳥は、ほとんどを隠密に使うため、普通の鳥でないのは知っていた。しかも、飛んでいる最中は己の発する“気”で、自分の姿をくらますとも、言われている。
もし、今リシュオンが思ったとおり、伝鳥であれば、もしかするとアムイを捜しているのかもしれない…。
そう考えたリシュオンは、初めて見たであろう鳥にも好奇心を刺激され、居ても立っても居られなくなって、その鳥を追いかけようと立ち上がった。
「お待ちください、リシュオン様!!」
「大丈夫!私の考えが確かなら、あの鳥はアムイを捜している。遠くまでは行かないから、心配しないでお前達はここで待機していてくれ」
どうもリシュオン王子の好奇心は、一度火が付くと、どうにも止まらないものらしい。
彼は止める護衛を振り切り、尚且つアムイの言いつけにも背き、その鳥を追って滝壺の横を登り始めて行った。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント