« 暁の明星 宵の流星 #133 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #135 »

2011年2月 5日 (土)

暁の明星 宵の流星 #134

何とも憂鬱な雨だ…。
目が覚めてから、ずっと霧のような雨が降り続いていた。
アムイは小さく息を漏らすと、ある建物の二階にある窓を振り仰いだ。
細かな雨は、アムイの全身を嬲(なぶ)るようにまとわりついている。
彼は全身を緑色の特殊な布をマントのようにまとい、先ほどからその場をじっと動かないでいた。
この特殊な布は、穢れ虫の毒素を直接受けないために、専門家が開発したものだ。
穢れ虫に侵された人間を看護する者の為に作られたという。
虫の毒を完全に無力化することはできないが、ある程度消毒効果があるといわれる薬草で染めた糸で編み上げてある。

その布で包(くる)まれ、サクヤは急遽、この離れの建物に運び込まれた。
サクヤとアムイが接触した地点より、北東に向かった山の中に彼らはいた。
その山はほとんど人が踏み入れた事がないだろう、と言われる未開発の場所で、鬱蒼としたジャングルのような山林が人を拒んでいるようだった。
その、人が訪れないような未開の土地に、大昔、北の国に疫病が流行った時代、隔離と治療や研究の為に建てられた、秘密の施設があった。通常の人間が暮らす屋敷と、二階建ての小部屋が多数作られている病人用の隔離部屋がある建物と。鬱蒼とした森の中に隠されるように建っていた。
今、アムイが佇んでいるのは、その隔離部屋である離れの建物だった。
幸いにもこの隠された施設は、疫病が廃れた後、維持する資金が尽きた事もあって、ここ何十年も放置され、世間からも忘れられた存在となっていた。

《いや、備品も器具も使えそうなものがまだ残っていて助かった》
この場所を昂極(こうきょく)大法師…昂老人に指定された、虫専門の学士、珍(ちん)はほっとした表情で言った。
《さすが昂極様!この場所をご存知だったとは》
《まーのぅ。わしも伊達に八十も生きていないという事じゃ。…しかも、来るまでは大変じゃったが、施設がまだ使えそうでよかった》
そう言いながらも、昂老人は不安な顔を隠せない。
アムイとサクヤが接触した場所から、幸か不幸か半日かけて辿り着いた場所である。
宿り主となったサクヤを早く落ち着かせるには丁度よい距離であったが、それだけ敵に捜され易いのは否めない。
《まったく、どうしたものか…。時間との戦いとは、よく言ったものだ》
そうして昂は押し黙った。対する珍も言葉をなくした。
とにかく、サクヤを蝕んでいるあの虫は、想像を絶するほど只ならぬ存在であったのだ。


そのサクヤの容態をアムイが聞かされたのは、アムイが目覚めてすぐ、明け方の事であった。
とにかく連れて来た当初のサクヤは、一時、珍が施した薬で容態は安定していた。だが、この施設に隔離された途端、薬が切れたのか、急に虫の成長が早まったらしく、七転八倒の地獄の苦しみに襲われた。
その都度、高位の“気”を持たない珍やイェンラン、リシュオンや珍の助手らが一丸となって、サクヤの看護に懸命になった。
皆、特殊な緑の布に目以外をすっぽりと覆い、手袋をし、完全防備でサクヤに対応している。普通の気を持つ人間には、さほど驚異的な毒素の汚染はないようだ。…ただ、本体を内在する宿り主の人間以外は。
そして青白かったサクヤの顔は、虫の発する毒素のせいで土気色に変色し、“生気”を喰われているせいで、体がどんどん痩せ衰え、免疫力もかなり落ちてきていた。
その様子に居た堪れなくなって、イェンランは涙した。だが、決してサクヤの目の前では、彼女は涙を零さなかった。
看護の最中は、いつもと同じ声で、いつものように気丈に振舞った。

サクヤの容態、そしてその現状を聞いて、アムイの全身は怒りで震えた。
《…という事じゃ、アムイ。ティアンの改良したその虫は、特にお主のような高位の“気”が大好物。
お主らがあのような状態になったのもそのせいじゃよ。
だから今の状況では、お主をサクヤに合わせるわけにはいかん》
《だが爺さん》
《アムイ。今話を聞いたでしょう?…アタシだってサクちゃんの看護をしたいのよ。
でも、第九位以上の“気”を持つ者は、近寄ってはいけないって珍(ちん)学士に固く言われてて。
現に老師だって隔離部屋に来てはいけないと念を押されてるのに》
《そうじゃ、アムイ。わしだって近くに行って、サクヤを何とかしてやりたい…。
だが今のところ、専門家に任せないとな…》

サクヤが奴らにされた惨状を思い、アムイは居た堪れなくって、それからずっとこうして彼のいる部屋の真下に佇んでいるのだ。
何という卑劣な事を…!!
アムイは怒りで吐きそうになった。
昂老人より聞かされた、あの南の宰相の悪行は、キイの事もあって益々アムイの憎しみを煽り立てた。
相手を八つ裂きにしてやりたい、同じ目に合わせてやりたい、という所まで相手を憎悪するなど、アムイは初めてだった。
自分はまた、何もできないのか…。
この虚無感。自分の力のなさに、アムイはいつも放り込まれる。
何故にこんなにも、自分は無力なのだ…。乾ききった目に、涙の代わりに雨が降り注ぐ。
じっと部屋の窓を見上げていたアムイだったが、ふと、人の気配を感じてその方へ視線をずらした。
「キイ!!」
信じられない姿を発見し、アムイは思わず大声を出した。
「おい、声がでけぇよ」
自分の前方から、キイがイェンランを伴って建物に向かって歩いてきていた。
信じられない。あれだけ自分や皆が潜伏先で大人しくするように言ったのに。
「お前、どうして来たんだよ!あれほど言ったじゃないか、今は動かないでくれと。
お前を危険な目には合わせられないからと…」
「わかってるけどよ、だからといって俺がじっとできない性分なのは知ってるだろ?」
事も無げに言うキイに、後ろにいたイェンランはため息をついた。
「どうしてもサクヤに会いたいって、キイが」
「キイ!」
「おいおい、怒鳴るなよアムイ。お前の苛立ちもよくわかるよ。
だからこそ俺は来たんだよ…。
じーちゃんの話だと、玉で“気”を封印されてる俺は、普通の人と変わりねぇから防備だけすりゃ大丈夫だと。
…お前の代わりに、俺がサクヤに会いに行く」
「何でそんな余計な事…」
「余計?本当にそう思っているのか?お前の本心は」
その言葉に、アムイは声を詰まらせた。
実際、キイが今自分の目の前にいる事が、どんなに心強いか。今の自分の足元が、どれだけぐらぐらと揺らいでいるか。
さすがに己の相方。……見抜かれていた。
「それに、俺自身も何かできないか、そう思って来たわけよ。
……今は俺の“光輪(こうりん)”は使えないが、それは表に出られないだけで、相変わらず俺の体内では渦巻いている。
その“光輪の気”を元に変化させて、少しは人を癒す力を俺が持っているのは、お前だって知っているだろう?
…まあ、大した治癒力もないけどよ。…だけど、こういう特技を母親から受け継いで、俺はすごく感謝してる」
キイの持っている癒しの力は、神国オーンの大聖堂に仕える最高位、姫巫女だった母親から受け継いだものだ。
己の生体エネルギーを、天の気の助けを借りて融合し、変化させ、怪我や病気を癒す力。
キイもまた、その母の力を僅かながら受け継いだ。
特に彼の持っている生体エネルギーは神の気とされる“光輪の気”。だが、それを変化させて出すので、癒しの力と高位の“気”とは性質が違う筈。…だから少しはサクヤの穢れを祓えるかもしれない…。
キイはそう考え、皆の反対を押し切って、急いでここまでやって来たのだ。
「とにかく、お前はじーちゃんとこで待っていろ。…サクヤの様子を見てくるから」
「キイ…」
「大丈夫だ。…何か伝えたい事はあるか?俺が代わりに…」
キイの気持ちは嬉しかったが、元々口下手な自分だ。…適切な言葉が思い浮かばない。
それ以上に人伝(ひとづて)ではなく、できれば自分自身で直接本人と話したかった。
「いや、いい。…サクヤの様子を後で教えてくれ」
ぼそりと言うアムイの顔を、キイはじっと見つめた。
「…わかった…」
そうキイが言った時だった。
「イェンランさん!ここにいらしたんですか!」
建物の入り口からいきなり緑の布をすっぽりと被った男が飛び出してきた。
彼は共にサクヤの看護をしている、珍学士の助手の一人だ。
「どうしたの?何かあったの!?」
彼の切羽詰った勢いに、その場の者は緊張した。
「サクヤさんの容態が急変しました!今皆で押さえているんですが、酷い苦しみようで…。
しかも予備の鎮痛剤や虫の抑制剤を使い切ってしまって」
「わかったわ!貴方はすぐに戻って手を貸してあげて!私は急いでお爺さんの所で薬を貰ってくるわ」
イェンランはそう叫ぶと、慌てて昂老人の元へと走って行った。
「そいつは大変だ」
キイもそう叫ぶと、助手の男の後について行く。
「キイ!!」
「お前は戻ってろ!いいな、絶対だ!!」
そう叫ぶとキイはもの凄い勢いで建物の中に入って行った。
「サクヤ…」
アムイは震える唇でポツリとその名を呼び、再び部屋の窓を振り仰いだ。
戻る気持ちになれなかった。あの部屋で、あいつが地獄の苦しみを味わっていると思うと。
……自分達と関わったばかりに。こんな俺なんかにくっついてきたばかりに…。
だからついてくるなと…。
だから俺は一人でいいと…。
ぐるぐると、そのお思いがアムイを支配し、棘の縄で自分の心をがんじがらめにしていく。
その頭の隅で、あの忌まわしい、呪いの言葉がこだましていた。
《お前は汚らわしい女の“子”》
《お前の父は大罪人。その血を受けたお前も同等なのだ》
《お前は何故、神の怒りの下に生まれたくせに生きているのか》
《お前の存在自体が罪なのだ》
………そう。俺の近くにいると…皆不幸になる…。何故なら、俺は罪の子だから…。
自分の傍にいてよかったキイだって、何もなければ自分よりも先に逝く。
……俺を置いて。俺を一人にして……………。
本当に俺は、この世の元凶なのかもしれない…。
考えてはいけない思いに囚われては負ける、と、何度も気持ちを引き上げようとしても、心の闇から抜け出せなくなっていた。
特に、身近な存在が地獄の底に突き落とされたと知ってからは…。


................................................................................................................................................................................

「うわぁあっ!!ぐわぁ!」
「しっかりしろ!!まだか薬は…」
のた打ち回って暴れているサクヤを必死で取り押さえている珍学士は、勢いよく部屋に入ってきた人間を振り返り、ぎょっとした。
「宵の君!!どうしてここに…」
珍は一度、サクヤの事で呼ばれた時にキイと会っていた。
キイは熱心に自分に質問し、穢れ虫の説明を聞いていた事を思い出した。
「今、イェンランさんが昂極様の所に薬を取りに行ってもらってます!お力お貸しします」
と言いながら、キイと共に部屋に入ってきた助手は、サクヤの足をがしっと掴んだ。
珍学士以下、三名の助手と一人の西の兵士が、完全防備でサクヤの世話をしていた。
大の男五人でも、サクヤの身体を押さえきれない。それほどまで、彼の体内の虫は獰猛なのだ。
だが、原因はそれだけでなかった。通常の穢れ虫では考えられない事が起きていた。
サクヤの体内の激痛。そして珍が触診した結果、恐ろしい事実が判明した。
《通常の穢れ虫より…大きい》
その言葉に、皆息を呑んだ。
《それも信じられない大きさだ。…幼虫にてこの大きさ。通常の…十倍はある。
臨月間近の胎児ほどもあるとは…。これでは動くたび、宿り主は死ぬほどの激痛を伴うぞ。
幼虫が蛹(さなぎ)となるまで…宿り主の苦しみは続く。
だからといって、このまま蛹となって羽化した時、どのくらいの大きさとなるのか…。
人の嬰児と同じくらい、と私は推測するが》
その言葉に一同、ぞっとした。そんなものが、サクヤの体内に巣食っているとは。
だからこうして発作のようにサクヤが苦しむと、何とか鎮痛剤と虫を抑制する薬の力を借りなければどうしようもなかった。
その度に、サクヤは泣き叫ぶのだ。
【早く自分を虫と共に殺してくれ!】、と。
そして今も同じく、途切れ途切れに枯れた声で、まるでその言葉をサクヤは呪文のように繰り返していた。

何てことだ。
キイはその状況に愕然とし、自然に涙が頬を伝った。
サクヤの肌は毒素のために茶褐色に変色し、窪んだ目には光さえも届いてないかのようにどんよりと曇っている。
「ちょっとどいてくれ!」
キイはそう叫ぶと、肩を押さえていた一人を無理に追いやり、暴れるサクヤを抱きかかえようとした。
「宵様!」
「黙っていてくれ」
キイは皆に叫ぶと、ぐっとサクヤの身体を引き寄せ、右手を腹に押し当てた。
ボウッとした白い光が手から放たれたかと思うと、不思議な事にサクヤの呼吸が安定してきた。
「おおお…」
周囲の人間は信じられないといった顔で、その様子に息を呑んでいる。
もっと不思議な事に、そのキイの光が徐々に全身に巡り、あれほど毒素で変色していた肌の色が、元の白さに戻ってきた事だ。
「は…はぁ…」
サクヤは痛みから解放されたのか、いつの間にか息も落ち着き、表情も和らいでいた。
そして安心したのか気分がよくなったのか、そのまま眠りについたようだった。
「…よかった…やはり効いてくれたか」
ほっとしたようなキイの声で、皆は我に返った。
「い、今のは宵様…」
「まぁ、俺もたまには役に立つ」
キイは皆の反応に、照れ隠しでそう言った。
薬を両手に抱え、今しがた入ってきたイェンランは、この様子にほっと息を漏らした。
(久々に見たけど…やっぱりキイって凄い…)
皆が大人しくなったサクヤを、そっと寝台に横にさせた後、珍学士が彼を丁寧に診察した。
「どうかい?サクの容態は」
「うむ、信じられん。…虫に侵された部分の毒素がかなり抜けておる。
これなら少しは食事を取る元気も出るだろう…。…虫も驚いて静かになったようだな。
宵様?今のが昂極様が仰っていた…癒しのお力というものでしょうか」
何かを含んでいる、といったような珍の言葉に、キイはしばらくして答えた。
「うん。完全に邪気や毒を消せるほどの力はないが、少しは効いてよかった」
「……なるほど。これが宵様の…」
珍は何やら考え込んでいる。キイは彼が、サクヤの虫を退治する策があるのではないかと勘ぐった。
だが珍学士はそれ以上何も言わなかった。 


...........................................................................................................................................................................................

キイからサクヤの状態を聞いたアムイはがっくりと肩を落とした。
「ということでさ…。この俺の力が少しでもサクヤの苦しみを軽くできるならと、明日も少しやろうと思ってる。
…ただなあ…」
「…俺もこれ以上、お前がここにいるのは歓迎しない…」
掠れた声がアムイの口から漏れた。
「本当にそう思っているのか?」
「当たり前だ。お前は俺にとって一番護らなければならない存在。
しかも、もうそれだけでもなくなっている。
…お前の存在が、世界に知れ渡った…。それがどういうことかわかるか?
もうお前は俺だけの存在ではないという事だ。
…今お前を狙っている者から護りたいと思っているのは俺だけではないんだよ」
俯いてそう言うアムイに、キイはじっと視線を注いだ。
「…おい、俺の目を見て話せ、アムイ」
キイの言葉に、アムイは肩を震わせた。だが、どうしても顔を上げることができない。
しばらく気まずい沈黙が流れた。
「とにかく、俺の事は俺自身で考える。もう今夜はここに泊まるから。
…明日話そう」
キイはポン、とアムイの肩を叩くと、音もなくアムイの部屋を出て行こうとした。
が、扉の前でキイは足を止めると、振り返らずにアムイに言った。
「…それまでよく自分と話しろよ?……自分の心の声を良く聞くんだ。
……周りの現状とか、自分の立ち位置とか、そんなもの考えなくていい。
自分の…素直な気持ちを、明日、俺に聞かせてくれ」
アムイは頭を 上げぬまま、唇をわななかせた。
頭上で扉の閉まる音がする。彼はしばらくその姿勢を崩せなかった。


.........................................................................................................................................................................................................

「……やはりそうかの。あのセツカというユナの方の言った事と照らし合わせてみれば、そのような結論になるか」
昂老人は、サクヤの元から戻って来た珍学士の話を聞いた後、ため息混じりにそう言った。
「いや、私も驚きました…。話には聞いていましたが、宵の君のあのお力、まこと鳥肌が立ちました」
「そうか、もはやお主の結論も…わしの考えと同じか」
昂老人は困ったように唸った。
もうすでに夜は更け、すでに他の者は寝静まっているだろうの時間。
ほんのりと灯りで照らされた部屋を覆い隠すよう、窓には夜の間だけ厚い布が覆われていた。
外から敵に確認されないためだ。いつ何時、誰かがここに気づくかもしれない。その恐れは口に出さなくとも皆の中にはあった。

《それは心配ない。…運よく、宵は額に封印の玉を植えつけられている。
つまり、第九以上の“気”が封印されている状態では、虫はまったく反応しないよ。
それに…宵が持っている“気”は…》

セツカが聞いたこのティアンの言葉に、昂老人は異常に反応した。
「……癒しの力は、変化させてキイが放つもの。だが、その大元はあやつの持つ“光輪”であるのは間違いない。
やはり思ったとおり、ただ“気”を封印されているから、キイが穢れ虫に毒されないわけではなさそうじゃのう。
…確かにキイは素手でサクヤを触っていたのじゃな?」
「はい。突然の事で宵の君も慌てておられたのか、手袋もなしで宿り主に…。驚いて注意しようと思いましたが、結果があれでしたので」
そう、その事を目の当たりにした珍は驚いた。
素手で宿り主に障れば、少なからず毒素の影響を受ける筈なのに。
毒素に侵されるどころか、その毒を…。
「浄化…じゃの」
昂老人は呟いた。
「はい。…それもかなり強力な」
珍も頷きながら呟いた。
二人はしばし無言になったが、昂老人が意を決したようにこう言った。
「…あの特殊な穢れ虫は、高位の“気”…特に第十位“金環”が好物と言ったな。通常の穢れ虫なら滅させ消毒する“気”を、反対に喜んで喰う…恐るべき虫。
その穢れ虫を死滅させるには、それ以上の力が必要と思っておったが…。
そうか、やはり“光輪”か…」
「……昂極様の仰るとおり、…あの虫を死滅させ、宿り主を救うには…」
珍がそこまで言った時だった、いきなり出入り口から声が飛んだ。
「爺さん!今の話はどういうことだ…。サクヤを助ける術(すべ)があるというのか」
アムイだった。
実は、キイと分かれてからしばらく考え込んだ後、サクヤの事で昂老人を訪ねようと来ていたのだ。
「立ち聞きは悪いと思った…でも」
アムイは昂老人の傍に近づいた。
「ちょうどサクヤが助かる見込みがあるのかを聞きに来た所だ。…爺さん、正直に教えてくれ。
サクヤを助けられるのか?それに今、聞き違いでなければ“光輪”って…」
アムイの必死な様子に、昂老人と珍学士は気まずそうに顔を見合わせた。
「どうなんだ、教えてくれよ」
二人はしばし何やら考え込んでいたが、意を決するとゆっくりとアムイに話し始めた。
「お主なら、話してもいいのかも知れん。
…まだ推測の段階ではあるが、…多分」
「何だよ、爺さん。やけに歯切れが悪いな。…まさか、本当に“光輪”が関係あるのか…?」
「うむ。…サクヤを脅かしているあの虫は…お前の“金環”を好物とする事は話したろう?
という事は、それ以上の力であれば、あの穢れ虫を滅する事ができるかも知れんのだ」
「まさか、それが“光輪”……?」
アムイは呆然とした。
「そのようだぞ、アムイ。今しがた、珍よりキイの話を聞いた。
…キイが虫の毒素にやられる以前に、あやつは虫の毒素を分解した。…いや、浄化したのだ」
「浄化…」
「そうです、暁殿。きっと宵様の癒しのお力は、昂極様の言う“光輪”を変化したものと聞きました。
つまりそのお力には“光輪の気”の成分が混じっている…」
「そうじゃ、つまり神気がな…」
(神気…)
アムイはその言葉に鳥肌が立った。
“光輪”…それはキイが天から持ってきたもの。…神の気、“光輪”。
あの18年前の幼い時に見た、あの神々しくも眩しい白い光を思い出した。
白い光は地上を包み、人を包み、…そして自分が受け損なった、あの鋭い刃(やいば)のような光。
「すなわち神気という事は、この世の禍々しいもの、悪しきもの、穢れたものを祓い浄化する力。
……今まで大陸創造期以外にこの地に降りた事もなく、使われた事もない“気”である。
ゆえに、わしも想像の域を出ないのじゃが、おそらくその虫は“光輪”には無力。…あの虫を滅し、毒素を浄化できる唯一つの力じゃ」
「…それじゃ…。“光輪”をサクヤに当てれば、虫は死ぬのか?」
昂は声もなく頷くと、ひとつため息をつき、再び口を開いた。
「……じゃが、それはわしも、いや、誰一人として使った事も、経験した事もない未知な事じゃ。
…本来は神の…いや、天の領域。
…理論はそうとして、実際サクヤがどうなるかはわからん。…運がよければ持ちこたえるし、悪ければサクヤも虫と共に“光輪”にやられてしまう可能性だって否めないのじゃ。
そのような危険はあるが、ただ、このままでは確実にサクヤは助からん。
…あの穢れ虫は赤子と同じ大きさくらいになるそうじゃ。という事は…」
「羽化し、身体を食い破って外に出るという事は、宿り主は完全にその時に命を落とします」
無情な言葉が、珍の口から突いて出た。
「その大きさで出てくるという事は、身体に大きな穴が開く。…血肉と共に虫に食い千切られ、内臓をやられ、多量出血は確実だ」
アムイは真っ青になって、珍に詰め寄った。
「他には!?他にサクヤを助ける術(すべ)は!?他に何かないのか!!」
アムイの剣幕に、珍は苦痛の顔でただ首を振るばかりだ。
「…てことは…。サクヤを助けるには“光輪”が必要…。つまりキイの…」
昂老人も顔を歪めた。
「お主の思っているとおり。…そう、そのためにはキイの額の“気”の封印を解かないといけない、という事じゃ」
「封印を解く?…まさかここで…」
「そうじゃ。だからわしとてこの方法が最適とは思わぬ。
何故なら、ここでキイの封印を解くには危険が多すぎるでの」
アムイは押し黙った。
確かに、確かに方法としたら今すぐにでも“光輪”を解放し、サクヤに流す事が唯一だろう。
だが。
アムイは眩暈がしそうだった。
「前にも話たように、キイの額の封印は普通の封印じゃなくなっている。
二重封印のせいで、奥に引っ込んでいると説明したな?それを解くには…いや、安全に解放するには何重もの慎重さが必要じゃ。
いきなりはずせば圧のかかった瓶の栓を抜くと同じ。
多分“光輪”は勢いよく噴出す。…それがこの一帯にどのような影響や被害を起こす事になるか。
そのために幾人かのこなれた術者や、そのための環境が必要で、キイを聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)に連れて行く目的はそこじゃった。
…しかも今、キイは大陸で注目の的じゃ。…誰もがキイを手にしたいと舌なめずりをしとる。
聖天風来寺なら大きな結界も張れるし、キイを護れる基盤がある。…欲望を滾らせている輩からの」
昂老人の淡々とした話が、アムイの背筋を凍らせた。
そうなのだ。ここで“光輪”を解放するとどんな事態を招くかわからない。
そしてキイの身の危険だ。
解放するという事は、キイを無防備にする、と同じ事だ。
そのために結界を張る。“光輪”から周囲を守る為と、本人を外界から守るためだ。
ここで完璧な準備ができるとは、どう考えても難しいと考えるのが普通だ。
できればキイを安全な聖天風来寺に連れて行ったほうがいい。その方が安心である。
「もし、じゃ。もしここでキイの封印を解くとするならば、やはり聖天風来寺よりかなりの助っ人が必要となる。
…それらをここに呼ぶ、という事が果たしてできるか。…しかも内密に。しかもここに来るのが、間に合うかどうか…」
「…そうですね…。大きさもですが、成長の具合が異常に早い。…いつ蛹になって羽化するか、私も予想できない」
昂の言葉を受けて、珍が苦しげに言った。
「どう思う?アムイ。主の考えは…。
わしとて、危険を冒してまで強行してよいものかどうか。
サクヤのためを思うとそうしたい。…じゃが」
昂老人はじっとアムイの顔を見据えると、きっぱりと言った。
「確実にキイを危険に晒す事は間違いない。
……ここで“光輪”を解放する。すなわち世にキイの居場所や存在を公表すると同じじゃ」
アムイは顔面蒼白だった。握り締める拳が震えている。
「…アムイ?」
返事を促す昂に、やっとの思いでアムイは口を開いた。
「…幼い頃から…俺はキイを守る事しか考えてない…」
そう。そして亡き母の遺言でもあるのだ。
《お願い…よ、アムイ…。キイ様の…傍…を離れないでね…》
《…キイ様…を…お守りし…てあげて…ね》
アムイはぎゅっと目を閉じた。
《キイ様の存在…お前が…守…るのよ……・・・・》
そしてアムイは震える声で言った。
「爺さん…お願いがあるんだ…」
「なんじゃ?」
「直接サクヤと話がしたい」
昂老人と珍学士は答えに詰まった。
「…お願いだ…。あれからあいつとちゃんと言葉を交わしていない…。
無謀な頼みとはわかっている。…だけど!
部屋の扉越しでもいい…。俺の“金環”を封じ込めてもいい!だから…」
その時、話を遮るようにイェンランが飛び込んできた。
「大変よ、お爺さん!サクヤが…」
その言葉に一同ぎょっとして彼女に振り向いた。
「サクヤがどうかしたのか?」
「蛹化が始まったらしいの!!…サクヤのお腹が硬くなって…」
「何だと?それは早すぎはしないか?」
驚いて昂が声を荒げる。
「確かに早い。…もしかしたら、宵の君の力に驚いて、保身の為に蛹になったのでは…。いや、まさか」
珍もかなりうろたえている。
「サクヤの様子はどうじゃ?」
「…ええ、容態は何故か安定しています。驚くほど、普通に食事も喉を通るようになって…」
その説明をじっと聞いていた昂老人は、おもむろにアムイの方に振り向いた。
「…アムイ、今ならサクヤと話せるかもしれん」
「本当か?爺さん!」
「うむ。そのかわり、お主の“気“をキイと同様玉で封印させてもらうぞ。
ただ、それだけでは心もとない。なにせ主の“気”は敵の大好物じゃ。
…扉越しで、もちろん、完全防備でな」
「感謝する、爺さん」
口元を震わすと、アムイは深々と昂老人に頭(こうべ)を垂れた。

アムイはどうしてもサクヤと話したかった。
彼がこのような状態になって、このままずっと話ができないのが、堪らなく辛かったのだ。
もし、このまま永遠に彼と言葉を交わす事が叶わなくなってしまったら…?
今のアムイにはそれが一番、恐ろしい事であった。

…キイを危険に晒す事と同じように…。


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

|

« 暁の明星 宵の流星 #133 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #135 »

自作小説」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 暁の明星 宵の流星 #134:

« 暁の明星 宵の流星 #133 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #135 »