暁の明星 宵の流星 #139
完全に日が落ちてから、昂老人(こうろうじん)、アムイやキイ、シータは鍾乳洞へと足を運んでいた。
もちろん結界の最終確認のためだ。
明日の午前中には、馴染みの聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の人間が、助っ人として来てくれる。
すぐにでもキイの封印解除を執り行うためには、念には念を入れなくてはならない。
明日が明ければ、珍学士(ちんがくし)とリシュオンがサクヤをここに連れて来てくれることになっている。
「なぁ、アムイ」
「なんだキイ」
昂老人とシータが反対側の結界を調整に行ったところで、二人だけになったのを見計らってキイが小声で言った。
「…ユナのセツカと話した。お前が教えてくれた内容に基づいて、推測していたのが当たっていた」
「……ユナとセドナダ王家の関係?」
「ああ。…やはりユナはセドナダの隠密…いや、神王専属の隠密だった」
「神王専属?…ああ、だから…。ユナの民がセドナダ王族に詳しいのに合点がいった」
ぼそりとアムイが呟くように答えた。
「この俺が神王の血筋だと認めた上で、教えてくれたんだが…。
ただアマトの件は、直接ユナの長(おさ)に尋ねなければならないそうだ」
「……そうか」
「だからこの件が無事解決しても、結局は東に戻る事になるだろうな」
「東に戻る…か」
「そう、振り出しに戻る。ま、サクヤが助かったら、あいつを連れて聖天風来寺まで行かなくてはならないし。
……あーいう追い出され方したんで、どーいう顔で戻っていいかわからんが」
くすっと小さくキイは笑った。
「ま、その前に現在の聖天師長(しょうてんしちょう)様や師範代と顔を合わせなくちゃなんねーというのも、かえってよかったかもな。気が楽だ」
軽く言うキイに、アムイは真顔になった。
「…なあ、キイ。今なら教えてくれるだろ?
竜虎(りゅうこ)様(故・前聖天師長)存命の時、何であんな追い出されるくらいの狼藉をやらかしたのか。
一体、竜虎様と何があったんだよ。……本当の事、俺は一言も話してもらっていない」
その言葉に、キイは一瞬黙った。
だが、すぐに口角を上げると、アムイを見ないで早口で答える。
「落ち着いたらそのうち話すよ。今はまだ無理」
曖昧に笑うキイに、よほど本人の心の整理がついてないのかとアムイは勘ぐった。
それほどキイにとって、言いたくない事…動揺する事があったのだろうか。
だとしても、その行為が最終的に竜虎様の逆鱗に触れ、袂を別つ結果となった。
結局、長年世話になっていた聖天風来寺を二人して追い出されてしまった。
しかもその間に竜虎様は亡くなり、親代わりだった人の死に目にもあえなかった。
……自分にだって、真実を知る権利ぐらいある筈だ。
アムイは眉間に皺を寄せた。
……度々こうしてわからなくなる。キイは一体何を考えているのだろう…。
その後、二人は会話もないまま、結界の確認をしていた。
「よし、大体こんなもんじゃろう。…一度、戻って休もうか?皆の者」
しばらくして昂老人が周りを見回しながら言った。
「そうですねぇ…。まだだいぶ時間がありますか…。今のうちに休んでおいたほうがいいわね、キイ、アムイ」
シータもそう言って二人の顔を見る。「置いてきたお嬢達も心配だし、ね、」
「そうだな…。とにかく、明日は…」
キイがそう言い掛けた時だった。
「キイ!アムイ!」
切羽詰った男の声が、鍾乳洞に響き渡った。
「どうかしたのか、リシュオン…。珍学士まで…」
突然叫びながら駆け寄ってきた男達に驚いたアムイだったが、彼らの後ろで踊る明るい赤茶色の髪を発見して益々驚いた。
「ガラム!!」
そう、リシュオンの後から、蒼白な面持ちでやって来たのは、ユナ族の長候補(おさこうほ)の少年、ガラムだった。
「何で君がここに…」
「アムイ!助けて!サクヤがいない!!」
勢いよく叫ぶガラムの言葉に、アムイは一瞬頭が白くなった。
「な…?どういう…」
「彼の言うとおりです!サクヤが部屋から消えました!」
ガラムの話を受けて、リシュオンも緊迫した面持ちでそう叫んだ。
「おいおい、どういうことだ?サクがいなくなったなんて…」
キイも顔色を変えて、飛び込んできた三人に詰め寄った。
「とにかく、落ち着きなされ。…一体、何があったんじゃ?」
優しく問う昂老人に、ガラムの緑色の両目が潤み、簡単ではあったが今までの経緯を早口で説明した。
「何…?誰かが侵入してきた痕跡だと?」
「はい、この少年が突然やってきて、彼の言うことを確認しに離れに行きました。
…そうしたら…入り口付近で、助手の方が殺されていて…」
リシュオンがガラムの言葉をついで説明した。
「殺されていた?」
「はい、とにかく付近が物凄い血の海で…。なにやら侵入者は鋭利な刃物で人を斬り捨てていったようです。
その血が点々とサクヤの部屋まで続いていました」
「で、サクヤがいなかった」
「はい、部屋には誰も」
アムイとキイは顔面蒼白で互いを見やった。
「で、部屋の状態はどうじゃった?争った跡は?血痕とかは」
昂老人も冷や汗を掻きながらリシュオン達に問うた。
「…争った跡は…ありました。特に部屋の窓がめちゃくちゃに壊されていた。
家具も破損していましたし…。
血痕も…少量ながら落ちていた。でもそれがサクヤのものとは断定できません。
…たぶん…憶測ですが、サクヤは窓を破り逃げたか、…それとも侵入者に連れ去られたか」
「穢れ人であるサクヤを?」
アムイが怖い顔をしてリシュオンを見た。
「……だけど一体誰が…何のために」
呟いたキイに、ガラムが半べそをかいて答えた。
「きっと、あの南の兵隊だ。…草木をなぎ払って作った道が、あの南軍の拠点だった森の方向から来ていた。
絶対そう!…あいつ、サクヤに恨みがあるような勢いで、殴っていたから」
「南の兵隊…まさか…?」
アムイは背筋が凍った。まさか、でもあり得ない事ではない。
「ということは、南の奴らにここが割れてしまった可能性が高い、という事だな。
くそっ!!あともう少しだというのに!」
キイが悔しそうに足を踏み鳴らした。
「とにかくサクヤを追うぞ!あのような状態じゃ。大変な事態が起こってなければよいが…」
「昂極(こうきょく)様の言うとおりです!何か嫌な予感がする。
早くサクヤ君を見つけないと、取り返しがつかない事になる気が…!」
共に走って来た珍学士も、堪らずにそう叫んだ。
「わかった。アムイ、シータ、サクヤの気を追え。…もちろん皆も、毒素から身を守る布を体に巻きつけよ。
……サクヤが何かあった場合、虫の毒素が周囲を汚染する可能性が大きい。……で、イェンラン達は」
「はい、大事をとって、私の兵達と共に他の場所に避難しています。
何かあったら私の護衛が知らせにきてくれます」
「そうか。じゃ、急ごう。何かあった後では遅いでの」
そう昂老人は言うと、年寄りらしかぬ俊敏な動きで鍾乳洞を後にした。
もちろん、指示された他の者は、言われたとおりに布で体を保護し、慌てて昂老人の後を追った。
(サクヤ!)
アムイは必死に五感を研ぎ澄まし、サクヤの“気”を追い始めた。
微かだ。微かながら鍾乳洞のある場所から北に行った方向に“気”を感じる。
…しかも、それは血の匂いと共に、アムイ達に届いた。
「アムイ!」
シータがアムイの隣で叫んだ。
「ああ、北だ。しかも…」
アムイの呟きに、シータも頷いた。
「サクちゃんの“気“と混じって、もう一人の“気”を感じる…!これって…」
「ヘヴンの野郎だ」
そう吐き捨てるようにアムイは言った。怒りが込み上げ、震えが足元から上って来る。
「アムイ、急ぎましょう。…でも、お願いよ、冷静さは失わないで」
「わかってる!」
その語気の強さに、シータは信じられないというように肩を竦めたが、そのまま何も言わず、アムイと共に北へと急いだ。
一方、その後を懸命にガラムとリシュオンは追い、そのまた後方でキイと珍学士が走ってくる。
「宵様!危険です。貴方もイェンラン達の所に行った方が」
息切れしながら叫ぶ珍に、キイはニヤッとするとこう言った。
「俺が行かないでどうするよ?
…サクヤの毒素にやられない唯一の人間なんだぜ、俺は」
「し、しかし、南軍の輩の目的は、宵様と聞いておりますっ!これじゃあ…」
「かえって好都合!俺は喜んで餌にでもなるさ。
ま、多分気術使いは“気”を使えないようにしているだろうから、これも俺にとっては好都合。
…随分アムイと共にいた事で、“気”も安定している。お陰で身体の調子も戻って来ているし。
こうなったら戦力では負けねぇぜぇ。心配御無用」
と、豪快に笑うキイに、珍はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「それにしても…」
前方を走るリシュオンは何気なく空を仰ぎ、思わず呟いた。
「何て見事な月なんだ。…ああ、今夜は満月か…。
月の光のお陰で、やけに地上が明るかったのか…。これだと何が起こってもすぐにわかるなぁ」
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南軍のテントでは、ずっと引き篭もっていたティアン宰相が、先程から珍しくも外で宵空を仰いでいた。
「宰相、夜風がお身体に障ります。…中にお入りになられた方が」
腹心の側近でもあり、優秀な研究助手でもあるチモンが、ミカエル気術将校を伴い、遠慮がちに申し出た。
しかしティアンは何も答えず、しばしじっと目を閉じ、外気を受けているように見える。
「宰相殿」
ミカエルがチモンに代わって、再び声をかけた。
と、いきなりティアンの鋭い両の目がかっと見開いた。
「宰相殿?」
「今宵は最高の月見だぞ、ミカエル。
ああ、この満ちたる月のエネルギーの半端ない事よ!なぁ、チモン。
……時は満ちた。さ、これから出かけるぞ二人とも」
「…いよいよですか」
ミカエルの呟きに、ティアンは楽しそうな視線を二人に送った。
「そう。…これから面白いものが拝めるぞ」
うきうきと含み笑いをしながら、ティアンは天空に鎮座する丸い黄金色の月を見やった。
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はぁ…はぁ…はぁ…。
畜生。かなり動けるようになったと思ったのに、やはり身の内に赤子同様の大きさと重さを抱えていると、思うように走れない。
サクヤは片手で蛹化している片腹を押さえ、ふらつきながらもう片方の手で草木を掻き分け、重い足を引きずって走っていた。
全身が草木が作った擦り傷でひりひりする。
だがそれ以上に、重くせり出した瘤(こぶ)が気になって仕方がない。
心なしか瘤が熱を帯び、ずくんずくんと脈を打っているような不快さだ。
しかも久しぶりに走ったせいか、四肢が震え、頭がふらふらする。上手く呼吸もできないようだ。
「あ」
思わず足をとられ、サクヤはその場に突っ込むようにしてくずおれた。
駄目だ。早く動かないと…。
だが、思うように身体は動いてくれなかった。霞む視界で後方を仰ぐ。
何だか熱も出てきたようだ。全身が火照るように熱くなってきた。
それは瘤からきたモノのように感じて、サクヤは一抹の不安を覚えた。
(くそ…!何だってこんな時に、滅多に出ない月が顔を出してるんだ)
サクヤは忌々しそうに天を仰いだ。
煌々と月の灯りは地を照らし、これでは闇に紛れて逃げる事もままならない。
そうこうしているうちに、あの悪鬼のような男が自分を殺しに来るかもしれないのに。
悪鬼のような…!
つい先程、自分の部屋に突然現れた男を思い出し、サクヤは震えた。
《お前は…》
寝台にいるサクヤに、やけに背の高い痩せた男はこう言ったのだ。
《お前を殺しに来た》
その声に聞き覚えがあった。
二度と聞きたくもないその声…。
《へ、ヘヴン=リース…》
目以外をすっぽりと布に覆ったその姿のせいで、顔は完全にわからない状態であったが、闇から響くような声は忘れようとも忘れられなかった。間違いない。自分を嫌というほど痛めつけてくれた男だ。
《どうしてここが》
《…南の隠密がここだと教えてくれたのさ。あとはお前の匂いを追ってな》
それは冗談かと思ったが、ある意味野生の勘が発達していそうなヘヴンなら、ありうる事かもとサクヤは思った。
《…本当のところ、お前の中にいる虫を退治しに来てやったんだよ。
感謝して欲しいなぁ。お前、アムイが大事だろ?
俺達の大事なアムイを穢さない為にも、虫もろとも死んでくれよ》
そう言ってヘヴンは血にまみれた釜をサクヤの目の前に差し出したのだ。
《まさか…!お前、ここにいた人はどうした》
その言葉に目元を細め、ヘヴンは喉を鳴らした。
《わかってるだろ?》
その言葉と同時に、サクヤは勢いよく枕をヘヴンに投げつけ、弾かれるように寝台から飛び降りた。
《くっ…!!》
その衝動に腹が反応し、異様な刺激を全身に受ける。
しかし、
(動ける…!この状態なら走れる!)
と、サクヤは判断した。
《逃げんなよ、カワイ子ちゃん。すぐ済むからさ。
この鎌で虫を一突きにして、お前を山の奥に連れて行き、地の奥深くに埋めてやる。
安心しな。早くこの虫から開放してやるよ》
そう言いながら、ヘヴンは鎌を振り上げ、逃げ惑うサクヤを執拗に追いかけた。
その度に椅子もテーブルも倒れ、ヘヴンの力で家具は壊れ、部屋は滅茶苦茶となった。
サクヤは今、どうしても死にたくなかった。
こんな男の手にかかるなんて冗談じゃない。
しかも、こいつを野放しにしてれば、アムイが幾度となく狙われるだろう。
そんなの許せない。
この男こそ、兄貴を貶め、穢そうとしている張本人ではないか。
サクヤは体力をつけていて、これほどよかったと思った事はなかった。
あのままの自分だったらと思うとぞっとした。
(兄貴…!)
サクヤは心の中で呟くと、足元に落ちていた家具の破片で、思い切り窓ガラスを叩き壊した。
ガシャーン!!!
細かなガラスの破片が宙を飛び、サクヤとヘヴンの皮膚をかすめた。
ヘヴンが思わず顔を背けた隙を狙って、サクヤは壊れた窓から外へ飛び出した。
無我夢中で窓枠に伸びていた木の枝を掴み、器用に木に飛び移る。
ここが2階だとはあまり考えもしなかった。とにかく、早くこの男から離れたかった。
《この野郎!待て!逃がさねぇ!!》
頭上でヘヴンの怒鳴り声が聞こえる。サクヤは必死に木から下り、樹木が茂る森の奥へと無我夢中に走った。
だが。
森の中を半分ほど奥に入った所で、サクヤは力が尽きてしまったようだ。
息が荒くなり、この場から動けない。
しかも熱い。異常に身体が熱くなってきた。
しかも、変、だ。
耳鳴りが酷い。先程からキーン、キーンと音波が頭を駆け巡っているかのようだった。
そしてその異変は、サクヤが恐れていた事実を突きつけたのだ。
ぎり…!!
びく、とサクヤの身体が跳ねる。
ぎり…ぐり…ばり…。
不快な音が、腹の奥から聞こえる。
それに伴って、小さな振動が瘤の奥でし始めた。
(嘘だ…!そんな…)
サクヤは咄嗟に瘤を手で押さえた。
確かに、ざわつく振動が、その瘤から伝わってくる。
そしてサクヤははっきり感じたのだ。
今まで蛹となって眠りについていた虫の波動を。
小さく、だが確実に、蛹の硬い部分が裂けていく音と共に…。
(くそぉ…!!こんな時に!!何でなんだよぉ!!!)
サクヤは心の中で叫んだ。
もう間違いない。
穢れ虫の羽化が今、始まったのだ。
.......................................................................................................................................................................................
満月ということもあり、あまりにも明る過ぎる月の明かりの下、一同は目的目指して走っていた。
アムイ達はサクヤの“気”を目指し、ヘヴンはサクヤの匂いを追い、そしてあの南の宰相達は月の光に導かれ、それぞれその場に向かっていたのだ。
森の中。
サクヤのいる場所に。
そして最初に彼を見つけたのは、もちろんヘヴン=リースだった。
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