暁の明星 宵の流星 #140
熱い…!
意識が朦朧としてきた。全身が沸騰したかのように熱い。
まるで燃えるようだ。
サクヤはじんじんと脈打つ瘤(こぶ)…もとい、自分の中にいる蛹(さなぎ)を片手で強く押さえた。
それは穢れ虫が羽化し、己の身を破って出てこないようにと、無意識のうちにした行動かもしれなかった。
(兄貴…!)
サクヤは心の中で叫んだ。
薄れそうになる意識の中、サクヤは懸命に歯を食い縛って意識を保とうと試みた。
しかし。
(あああ…。駄目だ…。オレにはもう、虫の羽化を止める力が…ない…)
絶望。
足元から襲ってくるこの感覚は絶望だ。
《だから、サクヤ。約束してくれ。…諦めないと。悪魔と戦うと》
(あくま…と…たたか…う…)
アムイの言葉がサクヤの頭をぐるぐると駆け巡り、今襲ってきた絶望を懸命に押さえ込もうとする。
サクヤの、唯一の抵抗。唯一の希望の言葉。
そうだ。このままアムイとの約束を反故する事などできない。
(悪魔に…なんて…負けてなるか…!)
サクヤが心の中で叫んだその時だった。
ザシュ!!
一本の鋭い木の枝がサクヤの顔面をかすみ、頭近くの地面を突き刺した。
「!!!」
その衝撃で、朦朧とし始めていたサクヤの目が一気に覚めた。
驚愕して振り仰ぐと、そこには鎌を手にしたヘヴンが冷ややかに自分を見下ろしていた。
「おい、羽化が始まったようだな」
ヘヴンは珍しく淡々とした声でそう言った。
「俺は戦地で穢れ虫の惨状を嫌になるくらい見てきたよ。
……羽化が始まるとさぁ、皆全身が赤く染まるんだよね。熱を帯びるからさ。
まるで今のお前のように」
「く…そ…」
「こうなっちまったら、何をしても無駄だぜ。…そいつが食い破って出てくる前に、一気に息の根を止めてやるよ。
…成虫が出てきたらもっと悲惨な事になる。
周辺はお前の穢れた体液で汚染され、虫は次の宿り主に卵を産むために人を追い求め、さらに毒素を周囲に撒き散らす。
…そうなったらここにいる人間だって、どれだけの被害を被るかわからねぇ。
しかもその虫、アムイの“気”が好物だっていうんだろ?
お前ごと虫を殺さなきゃ、俺のアムイが穢れちまうんだよ」
そう語るヘヴンの冷淡な声とは対照的に、すっぽりと覆った黒いマントから覗く目は、怪しくぎらぎらと光っている。
その目はもう尋常な人間のものではなかった。彼の目に潜む狂気にサクヤは震えた。
「なあ…アムイのためにお前、死んでくれよ。
お前だってアムイの事好きだろう?あいつのためを思うなら、大人しく死ぬのが筋じゃねぇか」
………こいつは…。
サクヤの心の奥底から、怒りにも似たどす黒いものが湧き出てきた。
ついこの間までのサクヤなら、ヘヴンの言い分も最もだと、素直に従っていたかもしれない。
だが…。
《共に戦ってくれ。そして運命に勝ったら、俺達の片腕になって欲しい》
《そうだよな?ずっとずっと目的の為にしぶとく生きてきたお前が、簡単に諦めたりしないよな?》
《……俺達の為に、生きてくれ》
アムイの言葉がサクヤを奮い立たせる。
彼の思いを受け止めた今は、こんな男の言葉に耳を貸すわけにはいかない。
こんな…!こんな奴のいいようにされてたまるものか…!
「…お前なんかに…指図される謂(いわ)れなんてないね」
息を荒げ、持てる力を振り絞って言い切るサクヤに、ヘヴンは冷たい目を益々ぎらつかせた。
「へぇ…、言うじゃん。お前って顔に似合わず強情だよな。
…自分の今の状態、よく見てみろよ。こんなんで、よくもまぁ、そんな強がりを」
「強がり?…馬鹿にすんな」
サクヤの語気が強まった。
「何?」
「セドの男を馬鹿にするんじゃない…。
神王を頂点にいただく誇り高き国民(くにたみ)、お前ごときの悪党なんかに、この身を斬らせてなるものか!」
自分にこんな力がまだ残っていた事に驚いた。
サクヤは思い切りそう叫ぶと、左手に一握りの土を握り、それをヘヴンの顔面めがけて投げつけた。
「がっ!!」
思いがけないその所業に、油断していたヘヴンはもろに土を顔に受け、それがわずかだが目の中に入った。
「くっ!…き、きさまぁ…!!この期に及んで抵抗するとは!!
この…!ぶっ殺してやる!!」
目を擦りながらも、いきり立ったヘヴンは鎌を振り上げ、サクヤめがけて振り下ろした。
その隙に逃げようと無理に身体を起こそうとしたサクヤの頭上に、刃の先端が喰い込まれるかと思った瞬間、二人の間を邪魔するかのように黄色の光が走った。
キーーーーンッ!!!
その光はヘブンを吹き飛ばし、草木をしならせ、サクヤは身を守るため近くの木に必死にしがみついた。
転がったヘヴンはすぐに態勢を整え、光が放たれた方向を睨み付けた。
「誰だ!!」
その光には殺傷能力はない。長き戦場にいたヘヴンには馴染みある波動攻撃の一種だった。
ある程度の者なら簡単に使えるという、第八位の“気”、“生命体の気”だ。
自然界の力を借りる高位の“気”(第九位以上)よりも破壊力は数段に落ちるが、人や動物の力でなす“気”は、様々な用途に変化させる事ができる便利なものだ。
例えば凝縮させて灯りの代わりにしたり、目くらましや目印にも使え、このように放ってその場をかく乱させる事だってできる。
「サクヤ!大丈夫か!」
と、頭上で老いた男の声がサクヤの耳に届いた。
「ご老人!?」
はっと顔を上げ、きょろきょろと見回すが昂(こう)の姿は見当たらない。
「すまない、サクヤ。わしは“気”を半分しか封じておらんため、お主の近くには寄れぬ。
だがもうすぐ珍(ちん)達が来る。あと少し辛抱しておくれ!
その間、あの男をお主に近づけないよう、簡単な“気”で邪魔をする。このくらいなら虫を刺激しなくてすむ筈じゃ」
どうやら高い木の上にいるらしい。ざわざわと風でざわめく木の葉の音に混じって、昂老人の声が届く。
「ふっっざけんじゃ…ねぇ!邪魔すんな!出て来いこの野郎!!」
邪魔されて頭に血が上ったヘヴンは、もの凄い形相で鎌を振り回し、怒鳴りながらサクヤの方へと向かった。
ビシッ!ピシッ!!
ヘヴンが歩を進める度、黄色い光がその前を遮るように降り注ぐ。
だがその妨害も、怒りで一杯となっているヘヴンには何の役にも立たない。
俊敏な動作で上手く昂老人の放った光を掻い潜り、ヘヴンはあっという間にサクヤの元へと辿り着いた。
「こんなの、屁でもねぇ!おい、お前は虫と共に死ぬんだよ!!」
「!!!」
恐ろしい剣幕で振り下ろされた鎌に、サクヤは思わず目を瞑った。
ガツッ!!!
その瞬間、鈍い音が辺りに響き、昂老人の叫びがサクヤの耳に飛び込んできた。
「アムイ!」
その名にサクヤはハッとして目を開けた。
「あに…き…!」
サクヤの目には、煌々と輝く満月を背にしたアムイと、膝を付きながらも、その彼を見上げるヘヴンの姿が映っていた。
「お前の相手はこの俺だ!」
怒気を含んだ激しい声に、辺りの木々が震えたかのように呼応した。
霞みそうになるその目で、サクヤは何度も夢見た彼(か)の姿を、必死の思いでに凝視した。
緑色の布にその身を包んではいたが、急いで走ってきたためか、白くて端正な顔立ちと乱れた黒い髪があらわになっていた。
その白い顔は怒りで歪み、闇と燻(くすぶ)る黒い瞳は目の前の男を射るように見据えている。
珍しく感情をあらわにするアムイの姿に、ヘヴンの喉元が動いた。
…それはこの場であっても、鳥肌を立たせるほどの美しさであった。
地獄に落とされた天人(あまびと)とも連想させるほどの危険で妖しいまでの美しさ。
怒りの表情を、これほどまでに妖艶な美を持って具現する存在が、この世にあろうとは…。
「……そうだよ…」
思わずヘヴンは呟いていた。
「そうだよ…!この俺の相手はお前だ…!!」
恍惚とした目をアムイに向けながら、ヘヴンはおもむろに立ち上がった。
「来いよ、アムイ!俺がお前を天国に連れて行ってやる」
「ほざくな!!」
カキーンッ!!
互いの刃が火花を散らして交差する。
月に照らされたその激しい攻防は、森林全体を揺るがすものだった。
「あに…き!」
サクヤは震える声で呟いた。
思うように動かない己の身体を、この時こそ心底呪ったことはない。
悔しい思いでなすすべも無く、遠目で戦う二人を見ていたサクヤは、突然誰かが自分に触れたのにびくっとした。
「大丈夫か、サク」
「キイさん」
それは後からやってきたキイだった。
キイが熱を帯びているサクヤの身体を抱き起こすと、すぐ後ろにいた珍学士(ちんがくし)が、急いでサクヤの容態を確かめる。
「せん…せい…、オレ」
「何にも言わなくていい。わかっているから」
短く珍はそう言うと、懐から液体の入った小瓶を取り出し、それをサクヤに飲ませた。
「…これで多少は虫の動きがおさまるかもしれない」
そう呟く珍学士であったが、今の状態を見る限り、それは気休めにしかならないと思った。
通常の反応よりも激しい。
今にでも虫が羽化しそうな勢いであるからだ。
飲ませた薬が一時的にその虫の羽化を止めたとしても、それがいつまで持つかなんてわからない。
そんな状態にまで、サクヤの容態は悪化していた。
珍の気持ちを読んだキイは、かえって安心させるようにサクヤに言った。
「すぐに鍾乳洞に移動しよう。大丈夫、あの野郎はアムイに任せて」
「…で、でも」
「いいから黙りな」
そう有無を言わせない勢いでキイは言うと、軽々とサクヤを肩に担いだ。
「キイさん…」
「ったく、ヘヴンの奴。何が天国に連れて行く…だよ。
アムイはお前のいいようにはならないって、昔あれだけ俺が身体に教えてやったっつーのに」
忌々しげに吐き捨てるキイに、サクヤは思わず心の中で笑った。
この人が傍にいれば、兄貴は大丈夫だ…。
今更ながらサクヤはそう確信し、安堵した。
宵の流星は闇夜を飾り、暁の明星に光を注ぐ。
何故かふと、そんなイメージがサクヤの脳裏に浮かんだ。
“希望”を表す暁の明星を異名に持つアムイに、サクヤはずっと憧れていた。
この異名を授けた人は、どんな思いで彼にこの名を与えたのだろうか。
きっと将来、この世界の希望の星と育つことを、その人は彼に期待したのではないだろうか。
本人は絶対に否定するだろうけど。
その明星に光を注ぐための流星となり、宵を飾るこの人は、やはりその異名のごとく輝かしい存在だった。
この二人が共にいれば、絶対にこの世は大丈夫…。
何故だかサクヤにはそんな確信が芽生えていた。
将来、この人達なら必ずやセド王国を再興してくれるだろう。
そして荒れまくっている東を安泰に治めてくれる筈だ。
一国を滅ぼしたと罪の意識を背負っているのかもしれないけど、それだって腐りきったセドナダ王家の犠牲になった結果に過ぎない。
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ガキッ!!
アムイは寸での所でヘヴンの刃を剣で受け止め、相手の顔を睨みつけた。
「アムイ、ぞくぞくするぜ、その目。たまんねぇ」
「うるさい!」
ヘヴンはその瞬間、まさか近寄ってくるとは思わなかったアムイの隙をつき、いきなり彼の懐に飛び込んだ。
「!!」
驚くほどの速さで、ヘヴンはアムイの剣を持つ手を掴んだかと思うと、抱き込むようにしてアムイの身体をもう片方の腕で拘束した。
その手には鎌が握られている。一瞬でヘヴンは喉元にその刃先を突きつけた。
「詰め、甘いよ。お前の相棒に言われなかった?お前の弱いとこ」
「くっ…ヘヴン…」
アムイは喘いだ。そのつど、鎌の刃先がアムイの喉元にちくちくと触れる。
振り払おうと力を込めるが、それ以上に相手の力が勝っていた。
どこにこんな力がこの男にあるのだろうかと思うくらいだ。
「自分だって敵の懐に飛び込む戦術した事があるだろうが、お前は反対に敵が身を捨てて飛び込んでくると弱いんだよ。あそこにいた当時、無駄にお前の手合わせを見ていたわけじゃないんだぜ。
…何でだろうなぁ…。昔からお前はそういう押しの一手に弱いところがある。
それまで虚勢を張って、命一杯他人を近付けさせないくせによ」
アムイは目を見開いた。…確かに。幼い頃からそんなところがあった気がする。
そしていつもキイに言われるのだ。
“何故、悪すらも受け入れることを許してしまうのだ”と。
アムイの心の動揺が伝わってきたヘヴンは、内心ニヤリとし、舌なめずりをした。
「ああ、アムイ。ずっとずっとこうして俺の腕の中に閉じ込める事を夢見てきたんだ。
抵抗してもいい、もっと取り乱せよ!だがお前がどんなになっても、俺はもう逃がさないからな」
悪魔のような囁きを直に耳に受けたアムイはぞっとした。
この絡みつくような禍々しい劣情に、アムイは眩暈しそうになり、吐き気を催した。
まるで獲物に巻きつくような大蛇のごとく、ヘヴンはアムイを封じ込める力を強めた。
「離せよ!お前なんかの言う事を素直に聞くわけ無いだろう!!」
アムイはぞわぞわと粟立つ皮膚を意識しまいと努めながら、まっすぐヘヴンの顔を見据えた。
「いいねぇ。そうだよ、そういう反応を俺は見たかったんだ。
昔みたいな人形じゃなく、人間らしい感情を剥き出しにしたお前を」
ぎらぎらとした目を向けながら、ヘヴンはゆっくりとアムイの首筋に突き立てた鎌の刃先を軽く滑らした。
「……!」
首筋から赤い血がつつーっと一筋流れ、アムイの白い肌を際出たせるように染めた。
その少しばかり彩った筋を、ヘヴンは身をかがめて舌で追った。
「なっ…!何を…」
「甘いんだな、お前の血は」
うっとりと呟くヘヴンに対し、物凄い嫌悪感がアムイを襲った。
(何なんだこいつ…!!!)
その嫌悪感は怒りに変化し、押さえ込められた手に力が再びよみがえった。
ガツッ!!
力を振り絞ってアムイは、剣を持たない方の手でヘヴンをなぎ払った。
「おっと!」
だが、ヘヴンは執拗にアムイを離そうとせず、自由になった左腕をも掴もうと手を伸ばす。
「この野郎!離せっ!!」
アムイが叫んだその時、ヘヴンの後方から空気を切り裂くような速さで剣が振り下ろされた。
「!!」
咄嗟にヘヴンは己を守るために身を翻した。その隙を狙ってアムイは力づくでヘヴンの拘束から抜け出す。
「誰だっ!」
邪魔をされたヘヴンは激高し、繰り返し襲ってくる剣を己の鎌で遮った。
「相変わらず、気持ち悪い男よね、ヘヴン」
「シータ!!」
ヘヴンとアムイは同時に叫んだ。
「ごめんアムイ、遅くなって!老師(昂老人)の様子を見に行ってたから…。
それよりも何よ、ヘヴンってばちっとも変わってないじゃないの!
サディストで変態なのは、昔のままねー。成長してないんだから」
それはシータだった。
「なんだ、あんたもいたのか。
だが気持ち悪いってどうよ。久しぶりだが、あんたこそなんだその格好…」
ヘヴンは緑色の布から見え隠れするシータの派手で煌びやかな出で立ちに絶句した。
「あら、着飾って何が悪いのよ、アンタなんかより、美しいアタシの方が数倍いいに決まってるでしょ!」
カキーン!!
(シータ…!)
アムイは体勢を整えながらも感嘆した。
あのヘヴン相手に、悪態を叩きながらも剣の勢いが衰えない。
派手な女装をして、一見弱そうな印象のあるシータであるが、戦いとなると何でこうまで…というくらい、屈強になる。
隙の無い剣捌き、身軽さを武器にした滑らかで力強い動き。
さすがに同期門下生の中でも、将来の総師範代では、とまで讃えられていたシータである。
聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)きっての豪傑児と言われたキイと、お互い避けていたのか何なのだか、一度も勝負したことがないというのも不思議であったが、多分互角の実力の持ち主だ。
いくつくらい年上かはアムイは教わってはいないが(というかシータ本人が言うのを拒否)、自分が幼い頃からあの姿だったシータは、どちらかというと同期というよりも武道の師匠のような存在でもあった。…普段はただの世話好きな兄さんなのだが。
「くそぉ!邪魔するんじゃねぇよ!」
「するわよ!アンタねぇ、いい加減にしなさいっ!!元級長だったアタシをなめんじゃないわよ!
アンタのような汚らわしい奴に、アムイをいいようにさせないからね!」
「くそぉ!」
頭にきたヘヴンは益々暴れだし、周りの木々をも破壊するほどの勢いでシータに向かっていった。
「くっ!」
その激しい攻撃をかわしていたが、大きく振り回したヘヴンの一撃が、とうとうシータの腕を掠めた。
「優等生面して大きな顔するんじゃねぇ!!いつも偉そうに説教たれやがって!
あんたは何か?アムイの親のつもりかよ!」
その言葉に、シータはふっと不思議な目をした。だがそれは一瞬の事で、次の瞬間には何事もなかったかのようにシータの蹴りがヘヴンの脇腹を直撃した。
「ぐっ…!!」
怯んだヘヴンに畳み掛けるようにしてシータは華麗に足蹴りを食らわす。
「よくもこのアタシに傷をつけてくれたわねっ!覚悟なさい!!」
だがヘヴンも負けてはいない。さすがに傭兵としてあらゆる戦(いくさ)に借り出された男だ。
「へっ!痛くも痒くもねぇ!!これでもくらえ!!」
ヘヴンはそう叫ぶと、懐から小型ナイフを多数取り出し、それをシータめがけて投げつけた。
カキーン!カキ!ガキンッ!!!
「アムイ!」
素早い動作でシータの前面に躍り出たアムイが、ものの見事にヘヴンのナイフを弾き返す。
「許さない!よくも俺の仲間に手を出してくれたよな!!」
アムイの剣幕に、ヘヴンは嘲笑した。
「仲間?ははっ!お前からそんな言葉を聞くなんてさぁ」
「もうお前の手には落ちない!」
「どうだかな」
「もぉっ!いい加減にしなさいよっ!!」
ガキーン……ッ!
シータとアムイ、対するヘヴンの激しい攻防が始まった。
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一方、サクヤを担いだキイと珍学士は、一目散に鍾乳洞へと向かっていた。
「あっ…ああ…」
移動の最中、サクヤの熱はどんどん高くなり、息も荒くなっていく。
「大丈夫か?サク」
担いでいるキイには、サクヤの熱が直に伝わってくる。それが今まで押し込めていた、キイの不安に拍車をかけた。
「先生…!またサクの波動が変化した!どうにかならないか?」
キイは我慢できなくなり、後から付いてくる珍を振り返りながら言った。
珍はずっと苦い表情で、キイ達の後をついて来ていた。
「まいった…!やはりあの薬が効かないとは…。
普通あの薬は、どんな虫でも症状でも、半日は麻痺させ、進行を遅らせる事のできる妙薬の筈だった。
…サクヤ君に何か起こった時のためにと、西の国から取り寄せたものだったのだが…!
嫌な予感はしていたのだ。反応を見たときから」
珍は思わず悔しそうに本音を漏らし、その言葉が滅多に動じないキイを一気に焦らせた。
「じーちゃん聞いてるか?!上の方にいるんだろ!今ここで俺の封印を解けねぇか!?」
その大声にはっとしたサクヤは、途切れがちな声でキイに言った。
「い…いけない…!キイさん、そんなこと…だめだ…」
「いや、だって…」
直に接しているキイにはわかっていた。波動がめまぐるしく進行していく。
中の虫の動きがおかしい。…今にでもサクヤの腹を食い破りそうな勢いで…!
だが…。
「サクヤの言う通りじゃ!今ここでお主の力を解いたらどうなるか。
大人になったお主の力は、セドを滅した時の数十倍となってる筈ぞ!
そうしたらどうなる?こんな山だけでは済まぬ、最悪の場合、北の国どころか周辺の国も危ないぞ!!」
木の上から昂老人の声が響いた。
「でも、じーさん!!こうしている間にサクが…」
「とにかくあそこへ移動じゃ!あそこなら外界への影響を少しでも和らげられるかもしれん。
…結界を張りまくったあの場所なら…!もう少しじゃ、もう少し…」
キイは唇を噛み締めた。
(アムイ!!早くあんな奴ぶっ倒してこっちに来てくれ!
…お前がいてくれなくては…俺を受け止められるお前がいてくれないと…!!)
キイが心の中でそう叫び、今以上に足を速めたその時だった。
「がふっ!!」
「サク!」
突然、サクヤが吐血した。
もう疑いもない。穢れ虫が蛹を破って羽化したのだ。
…もう、こうなってしまったら、いつ虫がサクヤの肉を食いにかかるか時間の問題である。
「サクヤ君!」
珍は叫び、キイの足を止めると、虫が嫌うとされる薬草を織り込んだ布で、サクヤの腹部をきつく締めた。
もう珍にはこれしかできなかったのだ。
彼の無念の声が森にこだまする。
「くそ…!なんでだ?何故あの薬が効かなかった?…一体何が羽化の進行を止められなかったのだ!」
「当たり前だ。満月はあらゆる生命を産み出す力を持っているからな」
突然、からかうような声がキイ達の鼓膜を刺激し、一気に彼らは声の方向に目を走らせた。
「………ティアン…!!」
キイの口から、まるで忌むべきものを見つけたかのような声色が絞り出た。
そう、キイ達の後方には、目以外を布で覆った南の宰相ティアンならびに、その従者であるミカエル少将率いる多勢の南軍がずらりと顔を揃えていたのだ。
「満月…。満月!…そうか、満月!!
あの虫のもうひとつの栄養となっていたのは、月のエネルギーだったのか!!」
珍の言葉に、ティアンはハハ、と乾いた笑いを返した。
「そう。私の可愛い子は人の“気”や高位の“気”だけでは大きくならないのだよ。
…天体の月の波動が、この子の栄養源だ。
特に新月から満月にかけては、月の波動が大きくなる時期。
……本当に好都合だったよ」
ティアンは面白そうに目を細めた。
「そんなしょぼくれた布、悪いが私の子には効かないぞ。ふふ。
……ずっと生まれる日を楽しみにしていたんだ。さ、早くあの男の身を破って私の元に来ておくれ」
「ティアン…!!!」
挑発するようなティアンの科白に、キイの頭が沸騰した。
その凄みのある声に気が付いたティアンは、ねっとりとした視線をキイに送った。
「宵の君」
ぞっとするするような気味の悪い声だ。
「会いたかったぞ、私のキイ。…どんなにお前を手にしたかったか!」
「ざけんじゃねぇ!!俺は会いたくなかったぜ。このスケベ爺!!」
キイの脳裏に、5~6年前、この男にいいように身体を触られた嫌な記憶がよみがえった。
「おやおや。やはりあの時、物心つく前に貴方をさらっておけばよかったですなぁ、キイ・ルセイ殿。
この様な口の悪いならず者に成長なさるとは。…まったく竜虎殿はどういう育て方をなさったのかな?
いや、それとも貴方のお父上が悪かったのか。やはり神をも裏切る大罪人ではねぇ…」
「おい、口を慎め!」
キイはぎらぎらと怒りの目をティアンに向けた。
「唯一の心残りは、この私が手元でお育てしていれば、このようなお方にはならなかったであろう事ですな。
うんと慎ましく従順で、誰もが見惚れるほどの優美さを備えた、大陸一の貴人とお育て出来たのに…!ああ、残念」
「その結果がカァラ…、シヴァの息子なんじゃねぇの?」
「…どうしてカァラを…」
「会ったことがあるからさ。…お前の好みってああいう奴なのかよ?
趣味悪ぃ…!」
吐き捨てるように言うキイに、ティアンはむっとして目を細めた。
「本当に一から教育し直さなければいけませんね、我が君。
……さ、大人しく、その男と共にこちらにいらっしゃい」
「けっ!ざけんじゃねぇぞ!!…何が二十も後半の男に再教育だよ。
馬鹿にすんじゃねぇ!
…この俺様がお前の思うようになると思ってんのか!」
キイの啖呵に、ティアンは眉根を寄せ、仕方ない、という風に溜息をついた。
「額に封をしたままの貴方なんて、何も怖くありませんよ、宵の君。
そこまで言うのなら私は力づくでも、貴方を手に入れる」
「やってみろ!!」
「おい、キイ!」
頭上で昂老人の声がする。だが、もうこうなっては一戦交える覚悟だ。
この多勢を振り切って鍾乳洞に行くには、ティアンとぶつかる事はどうしても避けられないとキイは踏んだ。
だが唯一、サクヤだけが心配だった。
キイはゆっくりとサクヤをその場に下ろすと、悔しそうにこう言った。
「サク、すまねぇ。もうしばらく我慢してくれ!
先生、サクの事を頼みます!」
珍はその言葉に頷くと、残っていた薬をもう一度サクヤに飲ませた。…無駄かもしれないと思いながらも…。
「キ、キイさん…」
サクヤの声に、キイは安心させるようにニッと笑った。
「すぐに片付ける!……先生、申し訳ない、できればサクをできるだけ遠くに…」
「承知した」
いつ腹を破るかわからない。もう手遅れかもしれない。
だが、キイは自分の“光輪の気”の解放を諦めていなかったのだ。
暗に鍾乳洞に向かってくれ、という意が含まれていた。
そして必ずやすぐに追いつくから、と。
キイの頭ではあらかた敵をなぎ倒したら、隙を窺って鍾乳洞に向かうつもりであった。
「キイ、わしも手伝うぞ!」
昂老人がそう叫び、木の上から飛び降り、キイの前方に躍り出た。
「じーちゃん、やめとけ。もう歳だろう」
「何を言う。サクヤが遠くにいてくれれば、わしの力も使えるではないか。
それにお主一人では…」
その様子を見ていたティアンが笑った。
「ほぅ、賢者衆の老いぼれ様も、まだ現役のおつもりですか。
面白い、どちらが上か、試させていただこう」
「言うね」
キイはすっと姿勢を正すと息を整え、腰から剣をすらりと抜き、相手に刃先を向けた。
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