暁の明星 宵の流星 #141
未開の山林は戦場となった。
アムイとシータはヘヴンと激しく剣を交え、キイを得ようとした南の宰相ティアンとその軍隊が攻撃を始めた。
特に南軍と対峙しているキイと昂老人(こうろうじん)は見るからに不利に思えた。
何せ二人に対し、敵将ミカエル率いる隊は、“気”を封じた気術使い三十数名とそれを援護する兵士が数百人。
それがぐるりと二人を囲み、次々と襲い掛かってくるのだ。
なのに相対するキイと昂老人は、敵が驚愕するほどの腕っ節で、一向に勢いが衰えない。
さすが【宵の流星】と東で畏れられたキイの強さは、特に半端ないものだった。
次から次へとやってくる敵を、軽々と剣だけでなぎ倒していく。
「やるのぉ、キイ。前の不調が嘘のようじゃな」
昂老人は感嘆したように言った。
「ははっ。あれからばっちりアムイの近くにいたんだ。
あいつの“金環の気”のお陰で十分に安定させてもらってる。
“気”は使えなくとも、“力”は復活してる。
今は体調も万全だぜ」
「しかしのぉ、こう囲まれては、サクヤ達を追えぬ。仕方ない、わしの“気”を一瞬解放しようかの」
「やめろじいちゃん。…ティアンの奴、穢れ虫を使ってよからぬ事を考えているに違いない。
一瞬の高位の“気”でも、虫の刺激になったらサクヤがやばいんじゃないか?
……とにかくサクヤ達があそこまで辿り着くまで時間を稼ぐしか…」
「これはこれは昂極大法師(こうきょくだいほうし)殿。
貴君のお力がこの程度のものだとは、がっかり致しました。
噂は本当でしたなぁ。一世を風靡した雷小僧も老いて術も錆付いたと。
今それがよくわかりましたよ。それが明るみになることを恐れて“気”が出せないとね」
高みの見物と決め込んだティアン宰相が、突然二人に向かって言い放った。
彼はキイ達の戦闘を見渡せる場所に、護衛としてミカエル少将と腹心のチモンを連れ、さっさと移動していた。
その場は険しくも切り立った岩場の頂点で、全体を指揮するには好都合であった。
もちろん、サクヤを抱えて逃げる珍学士(ちんがくし)の姿もよく見える。
その二人を守るように、後から追いかけて来たガラムとリシュオンが、両脇をがっちりと固めていた。
「何っ?何でそんな聞き捨てならぬデマを…」
思わずむっとする昂老人に、キイが叫んだ。
「じいちゃん!あいつに乗せられるな!…くそ…!これではっきりした。
あの野郎、わざと挑発してこちらの高位の“気”を解放させようとしてやがる!
……虫の奴に餌をちらつかせ、早急に食らわせるつもりだ!」
ガキッ!!!
カキーンッ!!!
キイは焦る気持ちを抑えつつ、大鉈を振るうように剣を使い、一気に数十人をなぎ倒した。
もちろん昂も、小柄さと身軽さで敵を翻弄し、八位の“気”でキイの援護をする。
が、焼け石に水。次から次へと兵士が二人を襲ってくる。
「まったく可愛くないなぁ、我が君は」
ふふ、とティアンは笑った。
「宰相様」
隣で不安げに腹心のチモンが呟いた。
「まぁ、いい。どうせすぐに私の思うとおりになるさ。…私の可愛い穢れ虫を腹に持つあの男を手にすればな。
…ミカエル!」
「は、宰相殿」
「何としてもあの男をここに。…いや、なんならその場で腹をかっさばいて取り出しても構わんぞ。
もう羽化が済んでいるのなら、本当ならば宿り主がどうなろうがこちらは知らんことだ。
…その時は毒素にはくれぐれも気をつけろ。
“核”(※注釈・#135)を持つ者は、普通の人間よりも毒素にやられ易いのはお前もわかっておるだろう?
ただ、初めに言った事を踏まえて行動してくれよ。…我々に被害を広げない為の策だからな」
「ええ、もちろんですよ」
ミカエル少将は一瞬強張った顔をしたが、すぐにいつもの冷静な声でこう言った。
「もうすでに第2軍を向かわせております。すぐに彼らをここに連れてくるでしょう」
ミカエルの言うとおり、鍾乳洞を目指していた珍学士達はいきなり脇から現れた南の兵士達に行く手を遮られた。
いち早く珍とサクヤを守ろうと、ガラムとリシュオンは剣を抜き、迫りくる兵士らに応戦する。
だが、思ったよりも兵が多い。
埒が明かないリシュオンは、応戦しながらも助けを求めた。
「キイ!昂極様!!」
彼の叫びがキイ達に届かない筈がない。
「くそぉっ!!」
キイは反転して助けに行こうと身を翻した。が、
「行かせはしません、宵の君!」
その軍でも腕の立つ、大柄な兵士がキイの行く手を遮った。
「このぉっ、どきやがれ!!」
いきり立って剣を振り回すキイを避けながら、兵士は彼に向かって行った。
「東で何度も噂を耳にしておりました!一度は手合わせしてみたい、ずっと焦がれていたのですよ!」
そう叫びながら、兵士はキイの剣を受ける。
「んなこと、俺には関係なぁいっ!!」
確かにそうだ。そんな敵の気持ちより、今はサクヤの身の方が重要なのだ。
ガキガキーンッ!!
「くそぉ、どけーっ!!」
サクヤを抱え、蹲っていた珍学士の元にも、南の兵士の手が伸びようとしていた。
「さぁ、一緒に来い!」
兵士達は皆黒いマントに身を包み、完全に毒素から身を守る出で立ちであった。
「やめろ!」
口でしか抵抗できない珍は、サクヤを守るかのようにぎゅと彼を抱きしめた。
自ら毒素に犯されても構わない、というような行動であった。
「抵抗するなら仕方ない。別にお前達の命なんてどうだっていいんだ。
我々の目的はその男の腹の中だからな」
「!!」
珍は目を見開いた。
「悪く思うなよ」
そう言いながら兵士は二人めがけて剣を振り上げた。
ザシュッ!!
肉を斬る音と共に、その場に崩れ落ちたのは南の兵士だった。
「大丈夫!?」
兵を斬ったのは、慌てて駆けつけたガラムであった。
「あ、ああ!助かった…」
珍がそう呟いた時だった。
「危ない、君!後ろ!!」
遠くで敵に応戦していたリシュオンが叫んだ。
「うわっ!!」
間一髪のところでガラムは敵の攻撃をかわしたが、そのせいで体勢を崩し、もう片方から襲ってきた敵の刃(やいば)を諸に受けそうになった。
ガキッ!!
その場で転倒したガラムの視界に、セツカの背中が広がった。
「セ、セツカぁっ!!」
ガラムの代わりに剣を受けたのは、ユナのセツカだった。
「ジース!あなたって人は!」
敵を倒しながらセツカは叫び、その声にガラムはびくっと身を縮まらせた。
「帰りが遅いと思って探してみれば!宵の君の一大事と知って駆けつけてみれば!
こんなところにいたのですか!」
「ご、ごめん…セツカ」
しょんぼりと言うガラムに、容赦ないセツカの声が響く。
「将来、セド神王のお役に立とうというお方が、別から来る敵に気がつかないなど、言語道断!
ユナの頂点に立とうとするなら、今すぐ立ち上がって宵の君をお助けなさい!!」
「セツカ…」
「ここは私が請合います!さあ、ジース!」
見事な棒捌きで、次々と敵を振り払いながらセツカは叫んだ。
そう言われても、ガラムはサクヤが心配で仕方がなかった。
躊躇しているガラムにセツカはため息をつくと、
「今、宵の君を助けにレツが行っています。…いいですか?貴方は将来ユナの長になるつもりでしょう?
優先するのが誰なのか、よく考えて行動しなさい!!」
その言葉にガラムはきゅっと唇をかみ締めると、勢いよくキイのいる方向へと走り出した。
.......................................................................................................................................................................
戦闘の騒々しさと、誰かにきつく抱きかかえられて、サクヤは意識を取り戻した。
「…せ、せんせ…」
自分を抱きかかえていたのは珍学士と知って、サクヤは声を振り絞った。
「大丈夫だ、サクヤ君!いいから何も考えてはいけないよ」
そう言われても、彼の体の震えがサクヤに伝わらないわけがない。
それにもうすでに自分の中で羽化してしまった穢れ虫の波動が不気味に蠢いているのを、気にするなというのはかなりの無理があった。
その波動は虫の意思とシンクロし、サクヤの心を直に揺さぶってきていた。
……オソトニデタイ…
……オナカスイタ…
羽化したばかりのこの虫が、いつまで大人しく自分の中にいられるだろうか。
その恐怖の中に、サクヤは放り出されていた。
…この虫が自分を食い破れば自分は確実に死ぬ。
だがその恐れ以上に、出てきた虫の周囲への被害を考えれば、その方がサクヤとしては脅威だったのだ。
もう疑いもなく。
この状況は現実なのだ。
……今、自分はどうしたらいいか…。
珍学士に考えるなと言われても、サクヤにそれはできなかった。
ぐるぐるとあらゆる思いが彼の頭を駆け巡っていた。
.........................................................................................................................................................
キーンッ!!!
「助かったぜ!お前ユナの者か?随分腕が立つなぁ!」
「お褒めいただき恐縮でございます」
敵を斬りつけながら、レツは抑揚のない声で答えた。
先ほど戦いを挑んできた大柄な南の兵士は、このレツに不憫にもあっけなくやられてしまった。
それでも周囲はキイを得ようとする輩がどんどん襲い掛かり、確かにキイら二人だけでは埒があかないのは事実だった。
だからレツの突然の援護ははっきり言って大助かりだった。
「じいちゃん!もうこうなったら俺がサクヤをあそこへ連れて行く!!
ここは頼んだ!アムイが来たらすぐに追っかけてくれと言ってくれ!」
そしてくるりとレツの方を振り向くと、
「頼む。ユナの猛者ならここを何とか食い止めてくれ!」
「承知しました」
キイは頷くと、弾かれる様にサクヤのいる方向に走った。
それを追おうとする敵を、レツはことごとく打ち負かす。
「よ、宵の君!?」
途中ですれ違ったガラムに、キイは叫んだ。
「君も頼む!君の仲間と一緒にここを死守してくれっ!俺はサクを守る」
「は、はいっ!」
キイの勢いにガラムは反射的に返事した。
ガキーン!
「ジース!気を抜くな!早く体勢を整えろ!」
自分の方向に飛んできた矢をはらってくれたレツがそう叫んだ。
「ごめん」
ガラムは慌てて体勢を立て直すと、降って来る矢を剣で叩き落した。
キイが逃げようとしていると踏んだ南軍は、とうとう矢を放ってきたのだ。
「とにかく宵の君の命令だ!あの方の手をこれ以上煩わせてはならない。
いいか?ジース、この境から敵を向こうへ行かすなよ!」
「うんっ!」
ガラムは素直に頷き、気を引き締めた。
宵の君がサクヤを守ってくれるためなら、ここは死んでも守らなければ。
.................................................................................................................................................
「おい!ミカエル!私達も宵を追うぞ」
「は?」
突然のティアンの言葉に、ミカエルは思わず聞き返した。
「宰相、今部下達が任務を遂行している最中ですぞ。宰相自身が宵の君を追うのは危険では…」
「何を言っている!私の目的は宵と虫だ!
だからこそこの満月を待っていたのではないか!
宵のことだ、宿り主の元へ行ったのだろう。
なら、今が好機!今この私が行かなくてどうする?
何のために指揮官のお前を私の傍に置いているのだ!」
「宰相様…」
恐々とティアンを見上げるチモンに、ティアンは言った。
「チモン、お前はここで見ていろ。兵でもない研究助手のお前を連れてきたのは、何かあったときのため。
いいな。虫のことで緊急な事態が起こったら、すぐに言われたとおりにするのだぞ」
「はい、宰相様」
ティアンは、チモンの傍に待機している数人の護衛にちらりと目くばせし、暗に彼を守るように指示した後、すぐに隣にいたミカエルに命令した。
「ミカエル、早く私を連れて行け!“気”を封じているのはもどかしいが、それは相手も同じこと!
お前は私を守ってくれればよい」
そう言い放ってさっさとティアンは身を翻した。
「ティアン宰相!」
ミカエルは慌てて彼を追う。
(まったくこの人は…)
気術使いとしては最高であっても、このティアンという男、人間としては甚(はなは)だ疑問が残るミカエルであった。
が、そう薄々とわかってはいても、この男が次々と繰り出す気術の世界は、まるで魔法を見ているかのようで、完全にミカエルを魅了していた。
それがどんなに世間では邪道と、天に背く行いと叩かれようが、多大な犠牲を伴う研究なくして気術の進歩はありえないのではないか…。医術同様そうであろうと、ミカエルは信じていたからだ。
気術を極めるためには、人としての感情を一部捨てなければならぬ。
ミカエルはティアンという刺激的な人物に出会ってからというもの、そう思い込んでいた節があった。
それはまるで麻薬のように。元は神宮出身であるミカエルさえも、人としての道よりティアンの存在の方が魅力的だったのである。
己の心の中に、一抹の疑念が残っていたとしても。
............................................................................................................................................................................................
「先生!サクは俺が連れて行く!
リシュオン!先生を守ってくれ!」
弾丸のごとくサクヤの傍に辿り着いたキイに、その場の者は皆驚いた。
「宵の君!どうしてここに!」
もちろん驚いたのはセツカもだった。
「よぉ、セツカ!お前の仲間が今、向こうの兵を食い止めてくれてる!
お前はこの俺の援護をしてくれ!頼む」
有無を言わさぬ勢いでキイは叫ぶと、サクヤと珍学士の方に向かった。
だが、敵もそう簡単には許す筈もなく。次々とキイの行く手を遮っていく。
「ええいっ!邪魔だ!!そこをどけーーーっ!!」
キイ、リシュオン、セツカの3人は急いでサクヤと珍学士の元に駆けつけようとした。が、同じく敵も彼らを追ってわっと集まったため、収拾のつかない事態となっていった。
まるで蜜を求める蟻のように、中心に向かって渦を描くがごとくその場が騒然となった。
もちろん敵の手はサクヤだけでない。
キイにも手が伸びるは当たり前だ。
それをセツカとリシュオンが遮る。だが、そうしているとサクヤ達の方が手薄になってしまう。
「くっ!キイ、すまない!サクヤの所まで行けないっ!!」
珍学士の事を頼まれたリシュオンは、敵を倒しながらも申し訳なさそうに叫ぶ。
そうこうしている間に敵兵が珍学士とサクヤの体に手をかけた。
「やめろぉっ!!」
キイは声を張り上げた。
「キイ!!」
はっとしてアムイは自分の後ろを振り返った。
「どこよそ見してんだよ!こっち向けよアムイ!」
ガキッ!
ヘヴンの声で引き戻されたアムイは、咄嗟の判断で襲ってくる刃を跳ね返す。
「どうしたのっ!アムイ」
アムイの様子の変化に気がついたシータは、素早く彼の傍に寄った。
「キイが呼んでる!あいつが危ない!」
戦闘体勢のままアムイはうわ言のように繰り返し、見るからに動揺していた。
長い付き合いのシータは、すぐにこの状況を察知し、アムイの肩を押しながら叫んだ。
「行きなさい、アムイ!ここはアタシがやるから!早くキイの所に行って!!」
その言葉で、弾かれるようにアムイは向かった。
「おい!こら、待てよっ!!逃がさねぇって言っただろうが!!」
ヘヴンが激高するのは無理もない。
鬼のような形相でアムイを追いかけようとした時、軽やかなシータの剣が彼を遮った。
「邪魔すんじゃねぇ!このオカマ!!」
「アンタって本当に失礼ねっ!こうなったら絶対アンタをアムイの元になんか行かせないわよ!」
頭が沸騰したのはヘヴンばかりではなかった。
シータも普段とは違う、大の男でも震え上がるほどの睨みをきかせながら、ヘヴンに向かって行った。
「覚悟しなさい、ヘヴン!!」
あわや珍学士とサクヤが数名の兵士に抱えられ、連れ去られそうになったその時、激高したキイが渾身の力を搾り出し、一気に二人の前に躍り出た。
「連れて行かせるかあっ!その手を離せっっ」
キイの振った一太刀で、多勢の兵士がなぎ倒された。
急いで二人の元に駆けつけたキイは、珍学士の肩に手を置いて言った。
「さ、早くサクを俺の方に」
素早くサクヤを自分の手元に引き寄せようとしたその時、
ボンッ!!!
いきなり煙玉が三人の手前で爆発し、むせるような煙が周囲を包んだ。
「げほっ!ごほっ」
咳き込む三人の前方に、ティアン宰相とミカエル少将が現れた。
「く…!ティアン、お前か」
喉を押さえながら、キイは呟いた。
「さあ、いらっしゃい、美しい宵の君。
おやおや、もう私の可愛い子が出たがっている状態ではありませんか!
可愛そうに。今その男の腹を切って出してあげた方がいいかな?」
「ばっ!馬鹿なこと言うんじゃねぇ!そんなことしてみろ!お前のその“気”を無理にでも解放してやる!!」
すでに南軍の気術使い全員が、穢れ虫対策のために“気”を封印していることを見抜いていたキイは、堂々とそう宣言した。
「おお、怖い。いいですよ?ま、放っておいても結局は毒素と共に出てくるんだから。
そうなったらどうします?…貴方の高貴な“神気”でも解放されますか?」
キイはぐっと言葉に詰まった。本心はそうしたいのが山々だ。
だが、ここで“光輪(こうりん)の気”を解放するということは、この一帯を破壊すると同じであるのはキイ本人も重々わかっている。
……そう、この己の強大な力を、受け止める存在がいない限り…。
受け止めて欲しいと願う肝心のアムイは、覚悟は出来ていると言っても、まだ不安定なのは明白だった。
自信がないのは…実はキイもだった。だが、あえてそう表には出さなかった。
自分も揺れているのを悟られれば、皆が不安がるだろう。
だからこそ安心して己の力を解放できる場所が必要だったのに…!
キイもアムイと同様、不可抗力に“光輪の気”を発動することに恐れを持っていた。
18年前、セド王国を滅した事がまだまだ二人に重く圧し掛かり、それが今でも傷となっているのだ。
宰相と少将の登場で、キイを取り巻くこの場での南軍の攻撃は止んだ。
もちろんリシュオンとセツカはまだ後方で戦い続けている。
キイは唇を噛んだ。
「ああ、この時をどれほど待っていたか!
さ、手をお取りなさい!…その男を救いたいのでしょう?
私の元に来れば、安全に中の虫を取り出して見せましょうぞ」
「嘘をつくな…!」
会話を聞いていた珍学士が唸った。
「もうこのような状態で、安全に手術が出来るわけがない…。
何をしても虫の毒素は免れない。…安全は保障できない筈だ。
だが何か?貴君には安全に行える術(すべ)でもあるというのか?」
珍の言葉に、ティアンは不気味に笑った。
「私を信じるか信じないかは、宵の君の問題だ。…さあ、どうされるか?キイ。
大人しく私の元に来た方が得策だと思いますがねぇ」
ニヤニヤとしながらティアンは舐めるようにキイを見た。
冷たいものがキイの背に流れる。
「さあ、【宵の流星】。ご決断を」
と、じりじりと迫るティアンに、キイが口を開こうとしたその時、
「お前は信用できない!!」
と、叫びながら、一心不乱に戦場を駆け抜けて来たアムイが、キイを守るがごとくティアンの前方に躍り出た。
「アムイ!」
キイの驚喜の声にティアンは気分を害した。いや、害したなどとは生ぬるい表現だ。
喜びの目でアムイを見上げるキイの姿に、ティアンは底知れぬ憤りを感じた。…単純に言えば、激しい嫉妬。
その激しい感情は当たり前のようにアムイに向けられる。
「暁…!いつもいつも私の邪魔をしくさって!
ええいっミカエル!!こやつを宵から引き離せ!!」
ミカエルはその言葉と同時に、アムイに向かって剣を突き立てた。
「!!」
それを寸での所でかわしたアムイは、自分も剣を抜いて応戦する。
鋭い金属の音が、森にこだました。
「暁!互いに“気”を封じられて、やり合えないのが残念だな!
まぁ、いい。久々にお前の剣を受けてやる」
ミカエルの話など、アムイの耳には入らない。
彼の気持ちはキイとサクヤに占領されていたからだ。
「キイ!早くサクヤを!」
アムイはミカエルと戦いながら叫ぶ。
「そうはさせぬぞ!」
ティアンが近くの兵に命じ高と思うと、すぐさまキイ達を捕らえようと兵士らが再び動いた。
「させるか!」
キイは片手でサクヤと珍をかばいながら、もう片方の手で剣を敵に振り回す。
「くそぉ!----キイ!!」
アムイは急いでキイの元に駆けつこうと身をよじった。が、それを許すミカエルでない。
「キイーーーーーっ」
アムイの叫びに呼応したかのように、やっとその場に駆けつけたリシュオンとセツカが、キイ達を取り囲んでいた敵中に斬り込んだ。
ティアン宰相は死闘が繰り広げられているその場から、身を守るために少し後退した。
(…何にせよ、満月のエネルギーを浴びて羽化した穢れ虫は、かなり獰猛だ。…高位の“気”に飢えているに違いない…。
ということは、微量の“気”でも刺激になる筈…。
………ふふ、ミカエルよ。当初の指示通り、上手く暁の懐に飛び込み、奴の額の封印を解くのだ!)
そう心の中で笑うと、ティアンは近くに立っていた木の上に身を移した。
ここならば全体を見ることができる。隙あれば無理にでもキイを手にする思惑だった。
(暁の“金環(きんかん)の気”が少しでも放てば、虫はあやつに喰らい付く。
そうすればその隙を突いて宵を奪える。邪魔な奴らも一網打尽にできる。
この一帯が宿り主の穢れた体液で汚染されても、毒素を分解するキイには心配も及ばぬ。
この私がかけた高位の“気”の封印は、どこぞの老いぼれなんかよりも強固だ。
……穢れ虫は一つの“核”を喰らい尽くすまではその者からは離れないという習性がある。
だからこそミカエル!思う存分、暁の封印を、“金環の気”を解放してやれ!!!)
ティアンの妬みを伴う激しい憎悪は、まっすぐにアムイに向けられていた。
(宵の力を受けるのはこの私一人でいい!暁め、この世から抹殺してくれるわ!)
そしてもう一人。同じく妬みを伴う激しい憎悪を持つ者がこの場にいた。
「キイだな!!!」
まるで猛獣のようにヘヴンは吼えた。
「アムイはキイの所に行ったんだなっ!!」
ガキッ!!
狂おしいほどの激しい憎悪。
昔の二人の仲をまざまざと思い出したヘヴンは、すでに頭に血が上り、もうわけが分からなくなるほど怒りで我を失っていた。
゛キイ”の存在を思い出しただけでも、全身の血が嫉妬の炎で沸騰するかのようだ。
「ヘヴン!!」
懸命に阻止しようとシータは向かって行く。が、今のヘヴンは完全に手に負えない猛獣そのものだった。
「うるせぇ!そこをどけぇーーーー!」
ザシュッッ!!!
「!!!」
刃(やいば)を止めようとしたシータの左腕から、真っ赤な鮮血が噴出した。
咄嗟によろめいた彼の隙を狙って、ヘヴンは烈火のごとくアムイの元へと駆け出した。
「ま、待ちなさいっ、ヘヴン!」
追いかけようとしたシータは、己の血で足を取られ膝を付いた。
思ったよりも出血しているようだ。
「く…、思い切りやってくれたわね…!!」
歯ぎしりしながら、シータは緑の布を引き裂き、負傷した腕にきつく巻きつけ止血する。
(このアタシに深手を負わせるなんて、アイツ、かなり危険な状態だわ!)
だからとて、このまま放って置いてはどうなるか…。
ぞっとした感覚がシータを襲った。
「アムイ…!キイ!」
痺れる腕を庇いながら、彼は気丈にも立ち上がると、ふらつきながらも懸命にヘヴンの後を追った。
....................................................................................................................................................
今宵、満月が支配したこの地上に、二つの恒星を取り巻くように運命の渦が加速する。
ミカエルと互角に戦っていたアムイだったが、彼の意識は常にキイとサクヤに向けられていた。
サクヤを守りながら戦うキイには限界があった。
誰かがサクヤと珍学士保護してくれないと…!!このままではキイが持たない!
アムイはそう直感した。
だが現状は、キイ達を助けようと傍で戦っているリシュオンもセツカも、次々と迫り来る大群に為す術(すべ)もなく、かなりの苦戦を強いられていた。
しかも遠方で戦っているガラムやレツ、昂老人も、その場を死守するだけで必死だったのだ。
思ったよりも南の兵隊の数が多い。いや、この数では北の第一王子の軍隊も混じっているであろう。
この事からも、ティアン宰相の本気度の強さが窺(うかが)える。
どんな事をしても必ずや目当てのものを手にしようとする、貪欲な執着心…。
その対象がキイなのは明白な事である。
アムイの怒りが最高潮に達しようとした時、疲れの出たキイが不覚にも剣を払い取られてしまった。
「キイ!!」
ミカエルの剣を受けながら、アムイは叫んだ。
「くそぉっ!」
キイは素早くなぎ払われた己の剣を取り戻そうと、身を屈めて手を伸ばした。
そこを好機とばかりに数人の敵がキイを取り押さえようとする。
「やめろ!」
アムイは身を反転させ跳躍すると、ミカエルを飛び越え、そのままキイの元へと走り去った。
「待て!暁!!」
ミカエルも慌てて彼の後を追う。
ガッ!ザシュッ!!カキーン!!
「アムイ!」
キイの元へ間に合ったアムイは、もの凄い勢いで周囲の敵兵を蹴散らした。
「キイ!大丈夫か?」
「ああ!助かったアムイ!」
代わりに剣を拾ってきて手渡したアムイは、サクヤの様子がおかしい事に気がついた。
彼は全身を真っ赤に染め、荒い息をし、辛そうに目を閉じている。
「サクヤ?…一体これは…」
思わず彼に手を伸ばそうとしたアムイの腕を、キイが咄嗟に掴んで首を横に振った。
「駄目だ、アムイ!サクヤに触ってはいけない」
「だって」
「………もう羽化した。いつ食い破って出てくるかわからない」
苦渋の表情で呟くキイの言葉が、アムイに衝撃を与えた。
「サクヤの中でか?」
震える声で訊ねるアムイに、キイは目を背けた。アムイの顔を見ることができない。
どんなにかショックを受けていることだろう。
だが、辛くても真実を告げなければ、今のサクヤの危険性を理解してもらえない。
「そうだ。…だからお前は絶対サクに近寄ってはならない。…特に芳醇な“金環の気”を持つお前が…。
いくら額に封をしているとはいえ、特殊なこいつに気づかれないとは断言できない」
「宵の君の言うとおりだ、暁殿」
キイの話を受けるがごとく、突然珍学士がアムイを振り仰いで言った。
「…虫にも意思がある。特に羽化したばかりの虫は、ひどく飢餓状態だ。
微量でも餌の波動に敏感になっている今、どんな事が呼び水になるかわからんのだ。
近くに高位の“気”を感じれば、虫は興奮し性急に出てこようとするだろう」
顔面蒼白で動揺しているアムイに、キイは激しく彼の肩を揺らしながら厳しく言い放った。
「しっかりしろ!
お前がこんなんでどうする?
いいか、今から俺はサクを連れて鍾乳洞に突入する。
お前は追っ手を食い止めろ!
だが俺達が入ったらお前もすぐに来い!」
その言葉でアムイはキイの覚悟を悟った。
解放する気だ…。
キイは結界の張ってある鍾乳洞に入り、自ら“光輪”の封印を解く気なのだ。
それは一か八かの、キイの苦渋の決断でもあった。
無防備なこの場所で解放するよりは、結界の効いているあの場所の方が、確かにまだ無難かもしれない。
だがそれだって、幾人ものサポートもなく、熟練の先導者がいない所で、無理やり封印を解除する事が、どれだけ周囲に影響し、どのような被害を生むかなんて、今の自分達にも計り知れない事であった。
…そして…最後に自分を呼んだという事は、お前も覚悟しろ、というキイの暗黙の要請だった。
今度こそ、“光輪”を受け止めろと。
全ては自分の受け方で、最小に被害を食い止められるか否かにかかっている。
アムイは武者震いをした。
18年前、受け損なって国を滅してしまった自分には、まだ確固たる自信などない。
だが、覚悟は決めている。いつかは、このキイの神気を受ける覚悟を。
........................................................................................................................................................................................../
ちょうどその時ミカエルは、懸命にアムイの元へと急いでいた。
だが、思わぬ邪魔が入った。アムイを追ってきたと気付いたリシュオンが前方を遮ったのだ。
「ここは行かせません!」
「これはまたお若い剣士だ。…悪いが君の言うことは聞けないぞ」
ミカエルは前方いるアムイとキイに気を取られながらも、リシュオンと剣を交える。
(早く!早く暁の元へ行かないと、虫が出てきてしまう!)
ミカエルはのここに来る前に言われた、ティアン宰相の話を思い出していた。
《虫が自然と宿り主の体を食い破って出てきた場合、毒素の被害が拡散する恐れがある。強行に腹を切り開いて出した場合とは対処法も異なるのだ。
外部の力で外に出された場合、そのショックでしばらくの間虫も硬直して動かない。そこを薬剤を染み込ませた布に包んで捕獲すれば大丈夫だ。
だが、自分の力で出てきた場合はやっかいなのだ。
何故ならその時の虫は激しく飢えているからだ。
あたりかまわず人を襲い、餌である“気”を求め、貪り、毒素を撒き散らす。
いいなミカエル。もし、埒(らち)が明かなくなって、宿り主も手にする事ができなかったら、だ。
その場に高位の“気”を持つ者がいたら、そいつを差し出せ!
封印しているだろうからそれを解くだけでいい。
その“気”をめがけて虫はそいつに喰らい付く。そしてそいつを喰らい尽くすまで離れない。
周囲に被害が拡散せずに済むし、その混乱時に宵を連れ去る事ができる。
その後に贄の屍から、虫の産んだ卵を回収すれば研究にも支障がない。卵を産み落とした親は勝手に息絶えるから問題もないしな。…ただそこ一帯が穢れの地になるだけだが。
わかったな?ミカエル。
…できたらその生贄が【暁の明星】なら尚更好都合ではないか?》
だからこそ今、うまい具合にアムイが宿り主の近くにいるという事は、恰好のチャンスなのだ。
焦るミカエルに、リシュオンは食い下がった。
「くそっ!」
邪魔するな、と叫ぼうとしたミカエルは、一陣の風のごとくもの凄い速さで駆け抜ける、一人の男に気が付いた。
「ヘヴン!!」
驚愕してその方向を目で追うと、ヘヴンはそのままアムイとキイのいる場所に突っ込んで行った。
それはまるで狂った野獣のようで、その恐ろしさに誰も彼を遮ることができなかった。
ヘヴンはアムイがキイと共にいた事に、激怒した。
昔は奴の強さにひれ伏した。
その時の悔しさも手伝って、ヘヴンのキイへの憎悪が頂点に達していた。
「キイ!!お前をぶっ殺す!アムイから離れろ!!」
「ヘヴン!!」
驚いたのはアムイだけではなかった。
キイも突然の乱入者に、無意識のうちにサクヤを守ろうと彼に覆いかぶさった。
「やめろ!ヘヴン!!」
ヘヴンの凶器は完全にキイの背中を狙っていた。
「死んでしまえ!キイ=ルファイ!!」
アムイは反射的にキイとサクヤを守ろうと、ヘヴンの刃(やいば)の前に躍り出た。
| 固定リンク
「自作小説」カテゴリの記事
- 暁の明星 宵の流星 #204(2014.11.24)
- 暁の明星 宵の流星 #203(2014.11.05)
- 暁の明星 宵の流星 #202(2014.08.10)
- 暁の明星 宵の流星 #201(2014.07.13)
- 暁の明星 宵の流星 #200(2014.05.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント