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2011年5月12日 (木)

暁の明星 宵の流星 #145

絶対神(ぜったいしん)が大陸を創造し 命を生み出し 人を創りし
この創った世界を完全なものにするために
神は最後に分身でもある妹神(いもがみ)をこの地に降ろした

天は地を想い 地は天を支え
確かなる豊穣と繁栄と
天の意を具現化する場として
地は慈愛の源となることを

人よ
お前たちの嘆きは天にも届いている

親である神と魂(たま)を離れ 
地に降り そこで生きるうちに
人と神のあいだに間(魔)が入り
それゆえ【人間】となった我らの祈りに

その証として妹神を天から授かったのだということを
人間よ忘れるなかれ

       ........................セドナダ経典第1巻序章 祖始の言葉................

───────────────────────────────────

「宵の君(よいのきみ)がいなければ、この一帯はもっと酷く穢れていた事でしょう」
全ての処理を終え一段落した後に、珍学士(ちんがくし)が沈痛した面持ちでそう言った。
「…それにサクヤ君の出血を伴う傷…。普通なら即死でもおかしくないあのような状態でも、長く息を保てたのは、宵の君の癒しの力のお陰だとしか思えない」
そうして彼はきつく目を瞑ってうなだれた。
「だけど…本当に…、本当に…無念です…」

あの一連の悲劇が幕を閉じてから、残った者達は急遽処理に追われた。
とにかく毒素をこれ以上広めないためにも、珍学士が急いで持ってきた解毒作用のある薬品を含んだ砂を周辺にばら撒き、キイの癒しの力で毒素をなるべく薄めた。
そのおかげで、サクヤが飛散させた穢れた血はほぼ浄化され、一帯は普通の人間が軽い防備だけで入れるくらいまでに落ち着いた。
キイが退治した穢れ虫は慎重に剣から抜かれ、消毒の意味で深く掘った穴の中で燃やされた。

他の者は怪我が酷いアムイを筆頭に、すぐさまどこかに身を隠さなければならなかった。
アムイについてはヘヴンに切られた傷が思いのほか深く、さらに出血も多くて意識不明状態であった。
その次に傷が深かったシータも、これ以上動くのがはばかれるほどの重傷だった事に、戦いが終わってから気が付いた。

本来なら南軍がいつ戻ってくるかもしれない状況。
あのティアン宰相の事だ。穢れ虫の毒素放出が収まった頃を見計らってキイの痕跡を調べ、追いかけてくるだろう事は容易に想像が付いた。
不幸中の幸いだったのは、自分で改良した穢れ虫がここまで威力があると思わなかったティアンが、焦って撤退した事だった。
実は冷静さを保っていたように見えて、サクヤに飛びつかれた時、ティアンはかなり動揺していた。助けに入ったミカエルを虫に差し出さなければ、いくらキイの“気”を素に作った解毒剤でも追いつかないほどの毒が全身を蝕んでいただろう。そうティアンは踏んで、後ろ髪を引かれながらもこの場を逃げ出したのだ。一旦別の場所に待機し、隠密をつかって穢れた地を捜索するつもりで。
しかもあの状態では、かなりの被害が出ている筈…。ティアンはそう予測した。
あれほど執着していたキイをその場にあっけなく残したのは、彼には虫の毒が効かない事を知っていたからだ。
上手くいって他の人間が穢れても、肝心のキイだけは無事である。
毒の飛散が収まれば、必ずやその場に戻る…。
そう考えたのはティアンだけではなかった。
もちろん、キイも昂老人(こうろうじん)も、そう予測した。だからこそ急いでこの場を浄化し、何処かへ隠れなければならなかった。
気が付くと虫に襲われた筈のミカエル少将も、その場から姿を消していた。
卵を産み付けられる前、“気”の核を食われる寸前で助かった筈の彼は、重い毒素に侵されている状態だけで、多分命は助かったのであろう。
今の彼は、毒素を持つ重症の穢れ人である。行方が知れなくなった事自体が何やら不気味であった。

だが、今はそれよりも全員を安全な場所に移動させなくてはならない。
しかも重症な怪我人のみならず、壮絶な戦いで他の人間達もボロボロであった。
そこで、昂老人の提案で、どこか遠くへ逃げて危険を晒すよりも、この近くに潜む事にした。

鍾乳洞だ。
ここなら完全な結界を張ってある。しかも南軍にも知られていない筈の場所だ。
鍾乳洞を奥まって行くと、反対側の土地に出るあたりで普通の洞窟と繋がっていると、ユナ族のセツカが調べてきていた。
ならば鍾乳洞から入り、入り口を閉じてしまえば追っ手には気付かれないだろう。
そのまま鍾乳洞を進み、反対側の山の麓に通じている洞窟で、皆の傷が癒えるまで潜伏する。そのように昂は考えた。
そう決まってからは、皆手分けして行動した。
穢れた地(穢れ地)を処理する者。怪我人を運ぶ者…。
もちろん、穢れ地を浄化するのはキイや珍学士、結界を施すのは昂老人が担った。
…この穢れ地をこのまま放っておけなかったのは、これ以上被害が広がらないためでもあり、一番の理由は毒に穢れたサクヤの遺体を何とかしてやりたかったのだ。
サクヤの遺体はキイの癒しの浄化力で清められ、顔だけを残して全身を緑の布でくるまれた。
「……こうすれば当分遺体を運んでも、他の者に害は及ばないであろう。
…だが、宿り主だ。遺体をこのままにはしておけぬ。
元北天星寺院(もとほくてんせいじいん)の僧侶であったわしが許可すれば、サクヤを火葬してやれる。
その方が浄化される意味も強化され、骸(むくろ)の穢れたサクヤも魂(たま)だけは天界に旅立てるだろう…」
この当時の大陸では、火を重んじる南の国以外、死んだものは全て大地に返すという意味で、ほとんどが土葬であった。
南の国と同様、火葬は魔を燃やすという意の方が強く、他の国ではサクヤのように穢れた者、もしくは罪人にのみ施されるものであった。
神聖なる火を扱うため、その時には必ず僧侶の許可と、立会い(経文)を義務付けされている。
それができない穢れた遺体は、その土地で指定された山奥の深い洞穴に捨てられるのが多い。山の神に喰ってもらおうという考えからである。穢れた遺体は土壌も穢す。その考えは一般に浸透していたため、いくら穴を深くしたとして穢れ遺体を土に埋めるというのは、正規の行動ではないからだ。
不浄として亡くなった者に対して敬意をはらうには、僧侶が行う火葬が最も最適なのは、どこの国でも同じであった。
「じいちゃんが坊さんでよかったよ…。これでサクも迷わず成仏できる」
キイがサクヤの遺体を抱えながらポツリと言った。
その言葉に反応したのか、近くですすり泣く声がする。
「……ガラム、だっけか?今までサクのためにありがとうな。
結果は残念な事になっちまったけど…」
キイは泣き声の方に振り返り、優しい声で語りかけた。
慈愛溢れる声は余計にガラムの涙を誘い、サクヤの遺体を見つめながら、彼は嗚咽を止められなかった。
その様子をじっと見ていたキイだったが、ガラムの隣に寄り添うように立つセツカに視線を移した。
 ユナ族であるガラム、セツカ、レツの三人は、キイ達を手伝って場の清浄に努めていた。
先ほどまで涙を堪え、黙々と作業していたガラムだったが、サクヤの遺体を運ぶ段階になって、とうとう涙が決壊したのだ。
「お前達はどうする?俺らと一緒に来るかい」
キイの問いに、セツカは恭(うやうや)しく答えた。
「いいえ、宵の君(よいのきみ)。
我々は貴方に何かあるといけませんので、敵に目を光らせるつもりです。
何か動きがありましたら、ご報告に参ります」
「そうか」
見るからに屈強な戦士というよりも、一見儚げな印象を与えるセツカである。
だが、さすがユナ族の長(おさ)の右腕と称される男だ。半端の無い内面の強さが伝わってくる。
キイは事が終わり、重傷であるアムイが皆に担がれて移動する時に、彼が仲間に向けて淡々と発した言葉を思い出していた。


《…仇の者を、同じ目に合わせる…。
結果的には、あなた方の思い通りになったではありませんか。
暁は大事な人間を奪われて奈落の底に落ちた。
……あなた方と同様に。
どうですか?仇を取ろうとしていたあなた方が望んでいた事だ。
そうでしょう?…》
その一見冷淡ともいえる科白の裏には、仇を取ろうとしていた二人に向けての哀しい問いが含まれているのを、キイのみならず他の者にも伝わった。
《そんな…!!》
ガラムはそう言い掛けて、ぎゅっと唇を噛み締め、苦悶の表情を浮かべた。
彼の心は嵐のように吹き荒れていた。
サクヤを結局救えなかった事、仇と信じている暁が奈落に落ちた事、本当にこれが自分の望んだ事だったのか?
ガラムの自問自答するような心の動きとは違って、レツだけはやけに冷たい表情を浮かべていた。
彼は始終一言も言葉を発しず、押し黙ったまま作業を手伝っていた。まるで何事もなかったかのように…。


先に行ったアムイ達を追うために、キイはサクヤの遺体を担いで鍾乳洞に向かった。
沈痛な面持ちで見送るガラムが見守る中、鍾乳洞に彼らが急いで入って行った後、セツカとレツが入り口が封じた。
もちろん昂老人の文書を、内密に聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の人間に手渡し、事の顛末を知らせたのもセツカ達である。
聖天風来寺の者達は、すぐに理解し、何事も無かったかのようにそのまま北の国を去った。
ただ、キイに会いたくて会えなかった師範代の朱陽炎(しゅかげろう)が、かなりの落胆ぶりで東に帰って行ったらしいが…。

このようにしてその場から痕跡を消したかのように、キイ達一行は姿を隠した。
西の兵隊を持っているリシュオンだけは、アムイを運んでから、避難させていたイェンランと兵を迎えに行くため、別の抜け穴から鍾乳洞の外に出た。そうして急いでイェンランを連れてきたのだ。
リシュオンは自分の兵士数名を手許に残し、他の兵を船に戻した。何か起こった時にすぐに動けるよう、綿密に計画を立てて。
イェンランのショックを考えると、彼は説明するのに勇気がいった。が、それでもどうなってしまったかをきちんと伝えなければならない。…彼の危惧したとおり、話を聞いたイェンランはその場に崩れ落ちた。
それでも気丈な彼女は、懸命に意識を保とうとしていた。
《ねえ…、嘘よね?何かの間違いよね?》
喘ぐように言う彼女に、リシュオンは黙って首を振った。
《いやよ…!信じない!……この目で見るまで信じない!!
早く、早く私をそこに連れて行って!!》
短い間ではあったが、苦楽を共に支えてきた仲間だ。
イェンランは信じたくなかった。…サクヤの死を。
だが、悲しくも厳しい現実が、彼女の目の前にあった。
まるで眠っているかのような、綺麗な死に顔…。
リシュオンに連れられ、横穴から洞窟に入ったイェンランの目に映ったのは、大切に安置されているサクヤの亡骸であった。
そしてアムイが昏睡状態である事も、キイが懸命にアムイの傷を癒すためにつきっきりだという事も、彼女をさらに悲しみの底に追い込んだ。
それでも気丈なイェンランは人前ではなるたけ涙は見せなかった。
ただ、一人きりになると、抑え切れなくて号泣した。彼女の人生の中で、こんなに涙が出るのは初めてだ、というくらいに。

そしてサクヤは、ほどなく近くの密林で昂老人立会いの下、無事に荼毘(だび)に付された(火葬された)。
結界を張った上での事と、長く外に出られない事もあって、祈りの経文も短いものであったが、高僧と名高い昂極大法師に死者への言葉を手向けられ、さぞかしサクヤも安眠に付した事だろう。立ち昇る煙を見ながら、そうキイは思った。
ただ、やはり救えなかったという悔いは残る。それ以上に相方の容態も気にかかる。
皆でサクヤを冥府へと送った後、キイはいつものごとくアムイの傍に戻った。
「アムイ…」
キイはそっと呟きながら、いつもしているようにアムイの身体の横に胡坐(あぐら)を掻き、彼の動かない手を取って両手で包み込む。
「…聞こえてないかもしれないが、今サクを見送って来たからな。…毒素に侵されていたために、骨も残らなかったけど…」
弱々しくキイは笑った。
「だがお前は必ずは戻って来いよ。地獄の炎に焼かれるのではなく、奈落から這い上がって来てくれ…。
俺は待ってる。信じて…ここで待っているからな…!!」


........................................................................................................................................................................................

ここは地獄の何丁目か。

ふと、アムイの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
アムイは今、死霊に奈落の底に引きずりこまれ、どうやら何処かの沼に落ちたらしかった。
まといつく液体が、それを物語っている。が、
どうやらそこは普通の沼ではないらしい。
周囲は真っ暗でよくわからない。
ただ、すえた様な生臭い臭い、べたべたとまとわりつくこの感じ…。
アムイはぞっとした。
底に足が着かないほど、深い深いこの沼の水は、……いや、水ではない。
赤黒くくすんだ血が、溜まってできたものであった。

自分は今、汚れに汚れた血液にまみれているのだ。
しかも足首には、あの、死霊となっているミカ神王大妃(しんおうたいひ)の赤い爪が食い込んでいた。
その爪の食い込みに、彼女の執念を感じたアムイは、益々恐ろしさに背筋を凍らせた。
何とかその死霊を振り払おうともがくが、底なしの血の沼に力を取られ、上手くいかない。
そうこうしているうちに、ミカの手がするするとアムイの身体を這い上がって、胴体に巻きついてきた。
「く…そ!やめろ!その手を離せ!!」
アムイは懸命に抵抗するが、たぷたぷと波打つ血が口に入りそうになって、そのつど物凄い吐き気に襲われた。
振り払おうともがき苦しむアムイに、ミカの嬉しそうな声が暗闇に響く。
『もうだめよ。離さないわ、私のアムイ。あんたは一緒に来るのよ、私の元へ。
未来永劫、この場所で…。
さ、あの時みたいにまた一緒に寝ましょうよ。あんなに毎夜、可愛がってあげたでしょう?
忘れちゃったの…?』
その言葉に、アムイは恐怖を募らせた。
あの、悪夢のような日々。素直で無垢な自分を意のままにしようとした卑劣な大人達。
「いやだ!絶対にいやだ!!もうやめてくれ!!」
『本当に可愛かったわぁ…。私の胸の中で小さく震えて…。私が何をしても素直に身を任せて…』
「やめろ!違う!」
『違う?何が違うの?…可愛いアムイ。こんなに大きくなって…、アマト様にそっくりに育って…。
やはりお前はあの人と私の子供なのよ。間違ってよその女の腹から出てきただけ。
そうよ…そうなのだわ。あの時流れた私達の子が、あの女の身体を使って甦ったのね!
ああ…今まで寂しくさせてごめんね…。もうお前を離さないからね』
「違う!!お前は俺の母親じゃない!俺の母は…」 
『あの女の事を言うんじゃない!!』
突然、怒り狂った波動がアムイの身体を突き抜け、その隙に血の沼に引きずり込まれる。
「う、ぐぅあーっ!!」
アムイは懸命にミカを引き離そうと力を振り絞り、何とか顔だけを外に出した。
(やだ!こんなのはもういやだ!)
再び沼に引きずられそうになりながら、アムイは必死に抵抗し、脱出しようともがいた。
だが、あたりは真っ暗で、どちらへ行けばよいのか見当も付かない。
『あら、ずるい』
必死になっていたアムイの耳に、違う女の声が響く。
『…ほんとうだわぁ…。若い男を独り占めするなんて、ずるいじゃないの』
『あら、見て!すっごいいい男じゃない?こんないい男、何千年ぶりかしら』
聞けばそれは一人だけではなかった。幾人もの女の声が、四方八方からわらわらと涌き出るように聞こえてくる。
『向こうへ行ってよ!この男は私のよ!
あんた達には関係ないわ!』
ミカの憤った声が暗闇にこだました。
『同じこの沼に閉じ込められている仲間じゃないの、つれないわねぇ…』
『そうよぉ…。私達だって男が欲しいんですからね』
『ここは男に執着し、もしくは肉欲に溺れ、裏切られた悲しい女の溜まり場よ。
今更ひとりだけいい思いしようたって、許さないんだから!さあ、寄こしなさい、その若くて美しい男を!』

ぐわん、と、それを合図に空間が大きく揺らいだ。
『寄こせ!寄こせその男!』
『ああ、男よ、男!しかも若くて美しい!見て、この綺麗な肌』
『早く私にも触らせてよ』
アムイは息が止まるほどの衝撃を受けた。
一気に何十もの死霊に襲われたのだ。
目がちかちかする。身体を方々から引っ張られ、身体を裂かれるかと恐怖した。
『触るんじゃないわよ!この男は私のよ!
あんた達のような下卑た女が気安く触れていい男じゃないの!
この人はねぇ、神王となるべき王太子様のご子息よ!セドの王子よ!
大陸で真の王となるべきだったセドの太陽の息子なんだから!
とっとと向こうへお行き!!』
ミカの高圧的な物言いに、他の女の死霊達は憤然とした。
『何よ!此処に来たらそんなの関係ないわ!』
『お高くとまっても、此処にいるんじゃあんたも大した事無いじゃんか!
セドの王子?なら尚更独り占めになんかすんじゃないわよ!』
それでも懲りずに口々に騒ぎ立てて、アムイを奪おうとする女達にとうとうミカは切れた。
『触るなって言ってんでしょ!!その汚い手をどかしな!!』
『きぃぃ!よくも言ったね!』
『お前こそ八つ裂きにしてやる!!』
ぐわっと突然水流が大きくうねり、アムイは死霊達の群れから弾き飛ばされた。
ミカが女達と争っている。そのおかげでアムイは死霊達に解放された。が、いつ自分意に気が付いて再び襲ってくるかもしれない。
アムイは手と足を懸命に使って、死霊達がいる反対方向へと、血の沼を泳ぎ始めた。
だが、やはり周囲は真っ暗で、しばらくするとまた方向がわからなくなってしまった。
(どうしたら…!どの方向へ行けばいいんだ!)
焦るアムイに、死霊の声が届く。
『あ、あそこにいたわ!』
『抜け駆けしないでよ!早く早く!逃げちゃうよ』
アムイは再び手足を動かした。だが、べっとりとした血がまとわり、上手くいかない。
そうこうしているうちに、死霊達に追いつかれるかもしれない。
(どこだ!)
アムイは心の中で叫んだ。
(俺はここから出たい!!)
すると、ちかっと頭の隅で小さな光が点滅した。
(この光…?)
初めは気のせいかと思ったその光は、実は先ほどから彼の頭をちらちらとよぎっていた事を思い出した。
死霊を振り切る事ばかりに気を取られて、その存在に気が付かなかったのだ。
(……まさか…出口?)
その光は小さいながらも黄色く力強く輝きを持っている。
アムイはその光に安心感を覚えた。
まるでその光に導かれるように、アムイはその光を追って前に進んだ 。
前方を掻く手に何かが当たった。それは水辺に生息する水草の一種であった。
アムイは必死でその草を手繰り、岸に上がった。
後方の沼では、女の死霊達の阿鼻叫喚に混じって、怒声が聞こえる。その中には自分を追いかけてくる死霊の声もあった。
アムイは後ろを振り返らずに、懸命に耳をふさぎ、この場から走り去った。

もっと遠くへ!

本能がそう叫んでいた。
面白い…。あれだけ地獄に落ちて、この身を裁いて欲しい、身を滅ぼしてもいい、と望んだ筈なのに…。
いつの間にかここから抜け出す事しか考えていないなんて…!
乾いた笑いがアムイを襲う。
もうどうしたらいいかわからない。
これはお前が望んだ地獄ではないのか?
アムイは無我夢中で黄色い光を目指して突っ走った。
狭い息苦しいトンネルのような場所を、気が付いたらアムイは走っていた。

『お~い…』
だがその間にも、今度は別の死霊の声が逃走するアムイを呼び止めようとする。
『お前も来たのかぁ…』
『よく来たなぁ、大罪人の子。お前も親父と共にこの業火に焼かれに来たんだろう?』
それは暗くおぞましい男達の声であった。それも昔どこかで聞いたような声…。
『くくく。そうだよなぁ!ほら、一緒に来いよ!聖職者が産んだ穢れた子よ』
『お前のせいで、王家は滅んだ。お前のせいで、王国は滅した。
その民の無念を、ここで償っていけぇーーー』
どうやら死滅した王家の亡霊達のようだ。
アムイは急いで再び耳を塞いだ。
だが死霊の声は耳からではなく、直接頭に響いてくるのだった。
『おまえ~あか~つきー。おまえにころされーたー無念ーをー』
『お前の事、待っていたぞ!今度こそ俺と勝負をつけろ!』
『何が暁の明星!俺の方が強い!』
『今度こそお前をめちゃくちゃにしてやる』
これは自分が倒したならず者達のようだ。
その怨念が、声と共に重い重い波動となって、アムイの身体にまとわり付きだす。
がくん、と急に身体が重くなり、思考が停止しようとする。
(やめてくれ!!)
アムイは声にならない声で叫んだ。

苦しい。息苦しい。
この状態を、アムイは遠い昔に経験した事があるのを思い出した。
ちかちかと目の前に光る明り。狭くて窮屈な暗闇…。
あと、もう少し。
あと少しであの光に手が届く!

俺は何故、あの光を目指しているのだろう…。
地獄に落ちてもいいのではなかったのか…。
いや、そうじゃない…。
俺はこのまま死霊と沈むわけにはいかない…。
そのために俺は地獄(ここ)に来たんじゃない…。

そこまで思って、アムイははっとした。

そのために来たんじゃない…、って?
では何のために?
それでは何のために俺は此処に来たんだ…!?

混乱するアムイに、目の前の光はどんどん近づいてくる。
だが、死霊達もアムイを逃すかと懸命に身体にのしかかってくる。

この苦しさ…!そして目の前の明り。

気を失う寸前で、アムイは思い出した。

そうだ。…これは母の産道を通り、この世に生まれ出る苦しみと同じ…。

あの時も自分 はあの光を目指したのだ。
どんなに苦しくても。
あの暖かい光の元へ。
優しい両親の励ます声に導かれるように…。

俺はこうして大地に降りた。

俺はこうしてこの世に生まれた。

俺は…。


…………


そこでアムイは意識を失った。

はるか冥府の底の底。
奈落の底へと落ちて行った、アムイの意識はどこに行ったのか。
それは誰も、本人でさえもよくわからない…。

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