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2011年6月12日 (日)

暁の明星 宵の流星 #147

「いい加減に機嫌を直しなさい、王女」
毅然としたモンゴネウラの声が部屋に響く。
彼の目の前には、寝台の上でシーツを頭からかぶり、ふくれっつらした南の王女、リー・リンガがいた。
そこは洒落た調度品をあつらえた、こじんまりとした宿の一室であった。
「そうですよ、せっかく大帝が会いに来られるというのに…」
モンゴネウラの後方で、ドワーニが遠慮がちに言った。
その言葉を聞いて、リンガ王女は益々頬を膨らませた。
「王女」
その彼女の様子に、モンゴネウラは完全に呆れながらため息をついた。
「いいですか?貴女はもしかしたら頭を打って死んだかもしれなかったんですよ!
…我々の忠告も聞かず、なりふり構わず馬など走らせるから…。
馬が興奮して暴走し、危うく振り落とされてしまう所だった!
…彼らが偶然通りかかり、馬を取り押さえてくれなかったら、貴女は今頃…」
「わかってるわよ!」
噛み付くようにリンガは叫んだ。
「……本当にわかっておられるのか?お命に関わる事だったんですぞ。
このような無鉄砲な事、もう卒業されていたかと思ってたが…」
「何とでも言ってよ。……だって、仕方ないじゃないの。皆してわたくしの気持ちをわかってくれないんだもの」
「だからといって…」
その時、部屋の扉が開き、何ともいえない甘い香りが漂ってきた。
「もうよろしいじゃないですか?モンゴネウラ殿」
そのハスキーで甘い声に、モンゴネウラとドワーニは振り向き、リンガは益々眉をしかめた。
「姫胡蝶(ひめこちょう)殿」
思わずドワーニが赤くなってそう呟く。リンガはその様子を見て、尚更気分が悪くなった。
そう、部屋に入ってきた人物…。
それは姫胡蝶という異名を持つ、女装した絶世な美青年カァラだった。
端正で愛らしい顔立ちを縁取る、絹のような髪がふわりと揺れるたびに、鼻腔をくすぐるような甘い香りが立ち昇る。
白い肌に淡い桃色の透けたストールがよく似合う。長いドレスの裾捌きも優雅である。
一見、どうみても妖艶な美女なのだが、周知の事実、彼は男だ。
だから尚の事リンガは彼が気に食わない。この本物の女である自分を差し置いて男の注目を浴びるなんて。
「リンガ王女、具合はいかがですか?」
優しくそう言いながら、カァラは彼女の傍に寄った。
思わずリンガはそっぽを向いてしまう。
「王女!まかりなりにも貴女を助けてくれた命の恩人ですぞ」
「あら、助けてくれたのは荒波(あらなみ)の兵士じゃないの」
「王女!」
モンゴネウラの叱責にも、どこ吹く風のリンガだ。
「おや、まあ。随分とご機嫌斜めですねぇ」
クスリ、と笑うカァラに、リンガは面白くない。モンゴネウラは頭が痛くなってきた。


そもそも何故、こういういきさつになったかというと。

《いや、いや、いや!!モンゴネウラなんて大嫌い!
アムイに危険が迫っているというのに、国になんて戻るものですか!
わたくしは一人でもアムイの元に行くわ!絶対に帰らないから!!》
と、啖呵を切って馬に飛び乗り駆け出したはいいが、数里いった森の中ほどで彼女の乗った馬が暴走したのだ。
彼女の乱暴な扱いに、馬が憤慨したのか、興奮したのか…。それは定かでないが、あっという間に本人も想像した事も無い速さで、馬が加速したのだ。そして尋常でない暴れ方に、息巻いていた彼女の気持ちが一気に恐怖に変わった。
《怖い!助けて!モンゴネウラ!ドワーニ!…兄君!!》
必死でしがみつくリンガであったが、いつ振り落とされてもおかしくなかった。
もちろん、懸命に追いかけるモンゴネウラとドワーニも、彼女を助けようとするが、暴れ馬の速さに全く追いつかない。

もう限界…。
と、リンガの手が離れそうになった瞬間。
最悪の状態を覚悟したモンゴネウラ達が目にしたのは、ギリギリのところで馬を取り押さえ、気絶しそうな彼女を受け止めた、数人の海兵隊達であった。
《その紋章は…》
息も切れ切れにその場に駆けつけたモンゴネウラは、王女を助けてくれた数人の兵士に声をかけた。
《危ないところでしたね》
《間に合ってよかった。…さすが胡蝶様、このような事態を見抜かれたとは》
《胡蝶様?》
ドワーニが兵士の言葉に呟いた。
《いや、本当に危ないところでした!我が王女を救っていただいて、何とお礼を申したらよいか…》
モンゴネウラが丁寧に頭を下げこう言うと、素早くリンガの元へと走り寄った。
《王女?大丈夫か、リンガ様!》
リンガはとうとう気を失ってしまったらしい。ぐったりとした彼女を兵士が彼の手に渡した。
《ショックで気を失われたようです。お怪我はありませんよ》
兵士の言葉にドワーニも頭を下げてこう言った。
《まことに何とお礼をしたらよいか…》
《その紋章は…東の荒波州のものではないですかな?》
モンゴネウラが王女を抱えながらそう尋ねた。
《そうです。…よかったですねぇ、南の大将殿。王女がご無事で何よりです》
艶かしい声に振り向くと、そこには荒波の海軍提督アベル=ジンと、その愛妾カァラ…姫胡蝶の姿があった。
《やはり…!何故にあなた方がここに?》
荒波の若い提督は、気だるそうに金色の前髪を片手でかき上げると、ふっと笑った。
《我々はこれから港に帰る所だったんですよ。…そうしたら、うちのカァラが胸騒ぎすると言い出しましてね…。
彼の言うとおりにこちらに向かったら、暴走した馬と遭遇した、というわけです》
確か噂では、姫胡蝶と呼ばれるカァラには、人の見えないものが見えるという特別な目を持つと聞いたことがあった。それで男をたぶらかすとも囁かれていた。……本当にそのような能力…千里眼を、この若い男は持っていたのか…?。
モンゴネウラもドワーニも、言葉に詰まった。何とも言えないカァラの雰囲気に、屈強な大の男達が呑まれていたのだ。
カァラは二人の様子を見て、穏やかに微笑むと、こう提案したのだ。

《すぐそこに我々が世話になっている宿があります。…王女のその様子ではどこかで休まれた方がいいでしょう。
どうですか?よろしかったらいらっしゃいませんか、我々と一緒に》


とまあこういうわけで、リンガ達はここ2日、荒波軍の泊まる大きな宿に世話になっていたのだ。

気絶していたリンガは次の日に目覚めて驚いた。
気に食わない姫胡蝶に助けられたのもそうだが、気を失っていた間に、自分の失態を兄であるガーフィン大帝に知られた事だ。
もっと驚く事に、あの国から滅多に出ない兄が、今、わざわざ、なんと自分のすぐ近くに来ている!
しかも自分の失態を大変快く思っていないのは、モンゴネウラ達の会話ではっきりしている。
リンガは震えた。
その兄が今晩、ここに来るというのだから、神経がピリピリするのも仕方ない話だ。
絶対に兄は自分を連れ戻しに来たに違いない…。
自由奔放で、兄には散々我が儘言ってきた彼女だったが、今度ばかりは兄の態度には覚悟した方がいいだろう。
わざわざここまで来るなんて…。
滅多に無い兄大帝の行動だからこそ、訳のわからないリンガは不安になった。
まったく不安で今にでも吐きそうだ。

青い顔した彼女をちらっと覗き込んだカァラは、にっこりと笑顔を作ってこう言った。
「お顔の色が優れないのはいけませんね。
どうです?この近くに王侯貴族だけが入れる最高級のレストランがあるんですよ。
気分転換に美味しい物でもいただきましょう。
そこは海が一望できる、眺めも超一級な所なんですよ。きっとお気に召すはずだ」
「ほう、そのような店がこの町にはあるのですか!
リンガ様!せっかくのご好意、受けましょう。
久ぶりにゆっくりと寛ぎたい気分ですな!なぁ、モンゴネウラ」
カァラの申し出にドワーニが喜んだ。
「この港町は、元々北の王族の別荘地でもあるんですよ。ここの町を束ねる方が王家の血を引く分家だそうで。
それにこの高台には、かなり身分の高い方々が住まわれていますしね」
彼の説明にモンゴネウラも頷いた。
「王女、カァラ殿の言うとおりですぞ。
少しは気分を変えるためにも、この部屋に閉じこもってばかりはいられません。さあ、王女様」
「でも、着ていく服がないわ。…そんな大そうな所に着ていくような服が」
長い旅路では、着飾るような豪華な衣装を持ち歩く事なんかできない。普段の場所なら、出ても恥ずかしくない仕立てのよい服でも、王侯貴族ご用達の店と聞いては、そうもいくまい。
ぶつぶつと呟くリンガを見ていたカァラは、問題ない、というように手を振った。
「ご心配なさるな、王女。すぐに衣装屋を呼んで、貴女に似合う最高のドレスを届けさせましょう。
なにせ貴女は南のリドン帝国の王女なのですから。
それともこの私と行くのは気が引けますか?北の衣装を着こなす自信がないなら…仕方ありませんね」
と、カァラは北の国であつらえた、自分の煌びやかなドレスを見せ付けるようにして、くるりと身体を回した。
リンガはむっとした。
そこまでされては、女を引っ込めるわけにはいかない。
しかも彼のからかうような言い方が、リンガのプライドに火をつけた。
「そんなことあるわけないでしょ!わたくしがなんでも着こなせるってところ、見せてあげるわ」
憤然とそう言うと、リンガはまとっていたシーツを投げ捨て、寝台から勢いよく立ち上がった。
(やれやれ…)
モンゴネウラとドワーニは、ため息をつきながら互いに顔を見合わせた。


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「まったく、何たる恥晒しよ!」
北の王家、モウラ国のモ・ラウ家の分家であり、現国王ミンガンの異母弟であるイアン公は、後ろから付いてきている息子のシーランに険しい声でそう叫んだ。
「父上、声が大きいですぞ。他の者に聞かれたらどうしますか」
「ふん、本当の事を言って何が悪い?…国王も本当に子供に恵まれないお人だよ。
このわしと違ってな!なあ、シーランよ」
自分の母親の身分が高ければ…。イアン=モ・ラウはぎりぎりと歯軋りをした。
腹違いの兄弟とはいえ、同じく先代王の血を引く息子であり、はっきり言って、自分は現王であるミンガンとは同じ年だ。
ただ、ミンガンの方がひと月ばかり先に生まれ、しかも由緒正しい高貴な生まれである正妻を母親としていた事だ。
本当のところ、自分の母は先代王の寵愛を一身に受け、妻妾達の中では実質の権力者でもあった。
だが、下級貴族出身だったために、結局格式を重んじる北の国では、いくら寵妃でも身分の低い女の産んだ子供を王に据える訳にはいかなかったのだ。
《本当はお前をこの国の王にしたかった…》亡くなる前にぽつりと残した亡父の言葉が恨めしい。
だが一応常識人でもあったイアン公は、潔く王制の世界から退いた。
自分が王になりたいとミンガンと張り合って、国を不安定にだけはしたくなかった。
その代わり、といってはなんだが、彼は北の玄関ともいう大きな港町を父王からもらいうけた。
イアンはそれはそれで満足であった。
王家がある中央の都の次に大きく豊かな町で、その地主の娘との間にも優秀な息子達を幾人か授かった。
特にこの末っ子であるシーランは、彼にとって一番の自慢の息子だった。
文武両道で、性格も穏やか、利発で真面目だ。容姿だってあのミンガンの二人の息子に比べれば、我が息子の方が数段いい。
今年20歳(はたち)を迎えたこの息子の事を考えると、断念していた王の地位が無性に彼は欲しくなってきていた。
それは異母兄ミンガンの不肖の息子達の話を聞くたびに思う事であった。
《支天の王のごとく》とまで言われた名君である父のお陰で、モ・ラウ王家は根強い支持を今でも北の国で持っている。
一応、今の王であるミンガンもその父の血を引き、まずまずの君主であるだろう。が、その息子達はいただけない。
これでは王家をよく思わない輩が出ても、北の国の権力を手にしたいと対抗する王侯貴族達が何か行動を起こしても、なんら不思議ではない。
「南の国に通じて自分の欲を満たしていた王子が、その通じた国の帝王自らに身柄を引き渡されるとはな!
あんな者が次期王になるなんて寒気がする!…後の王子は病弱で若死にだったし、末の王子は気はいいがそれだけだし。
…お前が次期王になればなぁ…」
「しっ!父上。近くに南の者が滞在しているんですから、そのような事は口に出さない方が…」
イアン公は溜息をついた。
「そうであったな…。これから南の大帝をもてなさなければならんかった。
誰が聞き耳立てているともわからん。…すまん、少し頭に血が上っていたようだ」
押し付けられた、というわけではないが、第一王子を連れてきてくれたお礼をするためと、ミンガン王からイアン公にこの町でもてなすよう要請がきたのだ。
ま、偶然にも南の大帝の妹姫がこの土地に来ているから、という理由の方が大きかったのだが。
ということで、二人はこれからガーフィン大帝一行を伴って、食事に案内するところであったのだ。
「…お前に愚痴るとは、わしもかなりまいっているようだな。
ま、ミンガンの不肖の王子達の事は、今更どうしようもならないだろう…。
唯一、国王として評価に値するのは姫君を授かった事だろうよ。
このようなご時世、女の王族はそれだけで戦略としても価値があるからな…。
まぁ、アイリン姫が姫巫女候補…大聖堂入りにならなくてかえってよかったかもしれないぞ。
聖職者になってしまったら、いくら国の立場が上がれども、俗世から絶たれ、せっかくの姫君なのに政治の駒にもならないしな」
「アイリン姫を西の国に嫁に出したおかげで、西から融資を受けられるわけですからね。
……今のわが国には資金はどうしても必要です。…姫には申し訳ないですが…」
哀れむように言う息子の姿を眺めていたイアンに、ふと、ある考えが浮かんだ。
「ふむ。資金の面が片付いたら、姫を北の国に呼び戻すのはどうか」
唐突にそう明言する父親に、シーランはいぶかしんだ。
「呼び戻すって…。離縁させて、ということですか?何でそこまでして」
「もちろんお前と結婚させるためだよ、シーラン!
ああ、そうだ。何でそう思い当たらなかった!そうすれば姫君の婿として、しかも王家血筋でもあるお前なら、今の王子達を失脚させればこの国の王と迎えられる!
娘を溺愛しているミンガンも反対はしないだろうよ。他の者だってこれ以上に無い、モ・ラウ王家の結束に繋がると、快諾するに違いない」
父親の言葉に、シーランは驚いた。
「何を言い出すんですか、父上!」
「いや、いい考えだと思うぞ、シーラン。
ま、しばらくは西の王家に大事な姫を保護してもらっておこう。まだ子供だしな。
あと数年すれば、いい年頃になる。…その頃までに色々と策を練っておかないと」
父親の勝手な話にシーランは目をぱちくりさせ、次の瞬間眉根を寄せた。
「そんな言うほどうまくいきますかね…。
それにアイリンとは一回か二回くらいしか会ってませんが、まだいたいけない子供じゃないですか。
いくら数年待てば年頃になるとはいえ、僕とは十も歳が離れている。
それに身内という事もあって、結婚の対象と見れるかどうか…」
「そんなものは関係ない。この世の中、形だけの結婚などいくらでもあるわ。
大事な事はこの国の行く末だよ。…そうだ、それが一番いい…!」
「父上!」
自分の考えに満足したイアン公は、機嫌を直して南の大帝を待たせている貴賓室に急ぐ。
「父上ってば!」
シーランは困った様子で、父親の後を追った。
そういう話が出るほど、北の国は切羽詰っているのだ。

このご時世、世継ぎの王子が生まれるよりも、たったひとりでも王女が生まれた方がその国の人々は喜んだ。王女がいる、それだけで有利だとされていたからだ。
女の少ない現状だからこそ、希少な王の娘、というだけで価値があるのだ。
そのために王女は自分の意思など関係なく、王家のために存在する駒…いや、宝と囁かれていた。
国の利益のためならば、王女は敵国に嫁ぐ事も辞さないし、喜んで人身御供になるような立場であろう。

この大陸に存在する王族の娘で、正妃の生んだ由緒正しき姫君は、南のリンガ王女と、この北のアイリン姫だけであった。
自分の好き勝手に生きているという印象のある、南のリドン帝国のリンガ王女でさえ、例外なく何回も政略結婚をしている。
それでも北のアイリン姫よりは、彼女の方がまだ心情的に自由といってもよかった。
リンガにとって結婚とは、完全にビジネスと同等であり、それさえきちんとこなしていれば、後は好きに振舞ってもいいと割り切っていたからだ。
しかも兄である大帝が自分に甘いこともあって、大帝の権力を自分のものとして使えるとさえ思っている。

そんなリンガ王女であったが、今、非常に意に沿わない立場に追い込まれていた。


「え?縁談?いきなりどうして!」
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大きなデッキに備えられた大窓から心地よい海風が室内に流れ込み、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
確かにカァラの言うとおり、このレストランは最高の眺めを持つ最上の空間で、カァラと共に来ていたアベル提督は意外にも会話上手で、リンガが思ったよりも楽しいひと時を過ごしていた。
機嫌がよくなった彼女にお供の二人もほっと胸を撫で下ろし、自分達も存分においしい食事を堪能していた。
食後にはおいしいお茶が振舞われ、しばしリンガは久しぶりの贅沢な時間に浸っていた。
だがその空気を破ったのは、同じくこの町に来ていた兄、ガーフィン大帝の出現であった。
「ほう、偶然だな、ここで会うとは。これはいい、今晩お前を訪ねなくて済んだ」
抑揚の無い聞き慣れた声に、リンガは飛び上がった。
「兄君、どうしてここに?」
「いや。この町の城主に食事をもてなされてね。…さきほどまでこの店の上にいたんだ。
今から一度帰ってからお前の所へ行こうと思っていた。まさか、お前もここに来ているとはな」

ということで、偶然(とリンガにはどうしても思えないのだが)現れた兄大帝は、そのままリンガ達とお茶をする事になった。
ドワーニから報告を受けていたガーフィン大帝は、妹を助けてくれた感謝の意をアベル提督とカァラに述べた。
そして険しい表情の妹には、自分が何故ここに来たのかを、簡単に話して聞かせた。
「私はてっきり、ドワーニの報告で兄君が怒ってわざわざ来たのだと思っていたわ。
そうよね。そうだとしたらこんなすぐに来られるわけないわよね」
「確かにドワーニには、逐一お前の事を私に報告しろと命じてはいた。
だが、それよりも前に、【宵の流星】の素性が公表されたのが大きかった」
と、言いながらガーフィンはちらりとカァラの方を見やった。
「貴方でしたかな?セドの王族名簿を公開したというお方は」
カァラはにっこりと微笑んだが、それについては答えなかった。
彼の様子を観察していたガーフィンはそのまま話を戻した。
「ドワーニの報告で知ったぞ。
…ティアン宰相の事だ。あやつは宵がセド王国の最後の王子と知っていたそうじゃないか!
あれを信用して軍を好きに使わせていたが、こういうことならば話は違う。
私は謀反者として宰相を捕らえに来たのだ。…もちろんリンガ、お前の事も心配で仕方なかったからだが」
「で、ティアンを捕らえ、北の第一王子を王宮に突き渡したという事なのね。
そしてわたくしを国に連れ戻しに来た…と。
なのに何でそれが縁談、なの?わたくしの気持ちをわかってて、どうして」
そう、ガーフィン大帝はリンガに縁談を持ってきたのだ。もはやそれは強制と言ってよかった。
「もう暁の事は諦めろ。事情が変わった。 それにお前はもういい歳だ。
そろそろ故郷に根を下ろし、落ち着いた方がいい。
今まで国のために色々な所に嫁にやったが、もう充分だ。
お前は私の決めた祖国の人間と結婚し子供を作れ」
ガーフィンは、先代の父王が男女見境無くお盛んであったせいで、その反抗心と嫌悪からか、異常に禁欲的に成長した。
潔癖症も重なって、それが異性(もしくは同性)への不感症となり、不能を引き起こし、性欲がなくても構わないという人間になってしまった。
政(まつりごと)にはなんら支障は無く、かえって情愛に流されるリスクも無く、本人としてはまったく楽であった。が、それでは跡継ぎに困ってしまう。いつも明言しているとおり、あちこちにいる異母兄弟には、絶対に大帝の座を譲りたく無い。
だからガーフィンは、将来は最愛の妹を呼び戻し、世継ぎを生ませ、彼女を手元に置いておくと心の中で決めていたのだ。
「炎剛神宮(えんごうじんぐう)の祭主の息子なら、お前の相手に不足はない。あそこの長男が確か跡目を継がないと言っていた。お前にはうんと歳が下だが、若い男が好きなお前にはいい話であろう?」
王家同様、国を支える神宮の血筋なら、次期王の種にするにはもってこいとガーフィンは考えた。
現神宮祭主には3人の息子がおり、才能はあれど本人が祭主を継がない、と公言している長男に目をつけた。
まだ若干20歳を過ぎたばかりでやんちゃだという噂だが、若い男が好きなリンガなら全く問題ないだろう。
「何を言ってるの!兄君。わたくしは暁が…」
「神宮祭主のご子息ならば、王家とは最高の組み合わせですね。
いいじゃないですか、王女。ずっと東のならず者なんかを追いかけなくても…ね」
話を聞いていたカァラが突然口をはさんだ。リンガは思わず彼を、キッと睨み返す。
「アムイはならず者なんかじゃないわよ!彼はね…」
「リンガ様!」
彼はセド王国の血筋を引く…と言おうとして、モンゴネウラに言葉を止められ、リンガは慌てて口を閉じた。
こんな話、まだ確定でもないのに安易に口にしてはならないのだ。もし、本当の事であっても、このような重大な内容を他国に漏らすなんて浅はかだ。
そんな彼女を、邪眼を持つと言われるカァラは思わせぶりに眺めていた。
カァラにしてみれば、アムイがキイの弟であり、本当の意味でのセドの最後の王子である事実はとっくに知っていた事であったが、彼もまたアベル以外にはこのような話をした事も無かった。だから彼は彼で、その事には言及しないで独り言のように呟いた。
「…【暁の明星】ね。一度会ってみたいものだ」
その言葉に、リンガは胸騒ぎを覚えた。
「ちょっと待って…!カァラ、貴方もしかしたら…」
焦った様子のリンガに、カァラは妖艶に微笑んだ。
「どうかされました?王女。暁は我が東の国、荒波州では指名手配されるほどの荒くれ者ですよ。
巷に流れる彼の武勇伝が確かかどうか、この目で確かめてみたい、と言っているんです。何か不都合でも?」
自分の愛人の手前、そのようなもっともな理由を述べているが、リンガの女の勘は誤魔化されなかった。
(そうじゃないでしょ。個人的に…男として興味あるって顔してるじゃないの!)
リンガは兄の話といい、カァラの言動といい、かなり打ちのめされていた。
「まぁ、ご兄妹で積もるお話もあることでしょうから…。
ね、アベル。我々はここでもう帰らない?」
「そうだな。…ガーフィン大帝は、ここのイアン公の屋敷に滞在されているんでしたか…」
「ええ。妹の事では本当に世話になった。改めてお礼をしに伺いますよ。
妹はこのまま連れて帰ります」
そう言いながら、互いに握手を交わし合い、荒波の二人はこの場を去るために席を立った。
「待ってよ、カァラ!!」
「リンガ!」
兄大帝の制止も振り切り、出口に向かったカァラを彼女は引き止めた。
「何か?王女」
「何か、じゃないわ、姫胡蝶。アムイのことですけどね、彼には絶対に近づかないと約束して」
声を潜め、彼に睨みを効かせる彼女に、カァラは面白そうにこう言った。
「お約束は出来ません、ね。どうしても暁には確かめたい事があるんですよ、自分には。
大丈夫です、王女。暁の居所は、このカァラが突き止めますから」
「何ですって…」
「だから安心してお国に帰り、ご結婚された方がよろしいですよ。
…これから大陸は荒れに荒れるでしょうし。…それを見越して貴女の兄君はお迎えに来られたんでしょうから。
暁の事は俺に任せて、国で幸せになった方が、貴女のためです」


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曰く付き(いわくつき)の姫胡蝶と何を話しているのかわからないが、自分の妹が打ちのめされてような顔を見るのは久しぶりであった。
その残された大帝と、彼の側近でもあるドワーニとモンゴネウラは、王女の様子を気にしながらも、話を進めていた。
「では。…暁達との攻防の果てに逃げおおせた奴らを、タイミグよく待ち構えていた、というわけですか」
ドワーニはティアン宰相の顛末をどうしても聞きたくて仕方なかったのだ。
まかりなりにもスパイ(これはドワーニを崇拝する兵士らの事だが)を使って、ティアンの内情を探っていたドワーニである。
「先の戦闘でかなり弱っていたからな。あっけなかったぞ」
滅多に笑わない大帝が笑った。それでも頬を引きつらせる程度ではあったが。
「しかしガーフィン様。貴方がわざわざ北の国のこのような辺鄙な所まで来られるとは…。
やはり、あれですか?それだけ状況が変化した、という事でしょうかね」
古い付き合いのモンゴネウラは、臆することなくそう言った。
「モンゴネウラ、ドワーニ。お前達のような古参の者の力が必要になったのもそうだが、セド王国の最後の秘宝…。その鍵を握る宵の素性がああも公に晒されたのだ。何となくそうではないかと思ってはいたが、ああもはっきりされてしまうと…。
ティアンの奴が最初からそのような大事な事を隠していなければ、このような情報が出回る前に何とか手を打てたものを!」
傍から見れば涼しい顔をしているガーフィン大帝であるが、幼い頃から育ててきてたモンゴネウラには、その声色で、彼がとてつもなくご立腹である事を見抜いていた。
「何かおかしいとは思っていたが、これで奴は最初からセドの秘宝を我がモノにしようとしていたのがはっきりとした。
これから国に連れて帰り、相応なる処分をするつもりだ」
ガーフィンは、ティアンを捕らえた時に交わした会話を思い出した。


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《そうですか、ばれてしまったらしょうがありませんなぁ》
臆面も無く、ひょうひょうと答えるティアンに、ガーフィン大帝は神経を逆撫でされた。
《ほう、ティアン。この大国、リンガ帝国を謀った罪の重さがわからないようだな。
お前を国に連行し、どのような刑罰を与えようか楽しみだ。覚悟しておけ》
《おや、大帝。この私にそのような口を聞いてもよろしいのですかねぇ…》
《何…!!》
両手を大帝の護衛官に拘束され、見るからに情けない姿であるティアンだったが、その顔は薄笑いさえ浮かべていた。
この余裕は何なのだ?確かに大陸一の気術使いと豪語するだけあって、何やら怪しげな波動を感じる。
《今のうちにご忠告をしておきますよ、大帝。
未来の大陸の王に、浅はかな振る舞いはなさらぬ方が得策だということを》
その言葉に、ガーフィンは確信した。
この男はセドの秘宝を使って、この大陸を支配しようとしている。
《それは聞き捨てならぬな、ティアンよ。己がどれほどの者か、わかってそういう事を言っているのか》
《どれほど…?それは生まれの事をいうのでしょうかな?大帝よ。
そんなもの、これからの大陸には必要なくなる。ただ親から受け継いだ血筋に、何の意味があるだろうか。
高貴な血だからといって、その者が有能とは限らぬ。
北の第一王子をご覧になったろう?あのような者が、高貴な血筋だというだけで王となれる。
そのような時代はそろそろ終わりが来るでしょうな。
これからは真に実力のある者が天下を取るのだ。この私のような…!》
ティアンはそう叫ぶと大帝の前で大笑いした。

この男は…。

《ティアン、ひとつ聞くが、お前は【宵の流星】を手にし、神の秘宝を操り、大陸の頂点と立とうとしているわけか?
その実力を、自分が持っていると思っているわけだ…!
お前にセドの王子の力を牛耳る自信があるということなんだな》
ティアンは大帝のその言葉をじっと聞いていた。それに気付いたガーフィンは鼻で笑った。
《お前の大事な研究助手が口を割ったぞ。少し痛い思いをさせてやったら泣きながら喋った。
意外に部下には恵まれない男だよな、ティアン》
ティアンの顔色がさっと変わった。
《ほう、まだ知られたくなかったと見えるなぁ、ティアン。
お前が長々と27年もの間、追いかけ、研究してきた成果をな。
……セド王国最後の秘宝…その正体は背徳の王子であるキイ・ルセイの生まれながらにして持つ神の気。
そうだろ?あの、オーンが崇める絶対神の持つ、天界の“気”だ》
青くなって、きっとこちらを睨んでいるティアンに、ガーフィンはこう畳み掛けた。
《そもそもティアン。キイ・ルセイ王子の力を操れれば、大陸の王、支天の王になれるとはどういう了見か?
……それはお前ら術士の見解なのか。
彼の持つ“気”を制し、世界を支配する…。キイ・ルセイを手にした者こそ大陸の王となる…それは誰が決めたのだ?
確かにキイ・ルセイがただの人間ならばその考えも有りであろう。彼が東の王子でなかったら、ね》
《何が言いたい、ガーフィン大帝》
《いや、何ね。今だ血筋や格式を重んじるこの世界で、実質の王子を懐柔し、自分が王となれると本気で考えているのかと思うとね。
おお、そうか!そういう制度や考えもろとも、お前はこの世を変えるつもりなのだな》
からかうようにこう言ってから一息つくと、ガーフィンはきっぱりと言った。
《お前だってわかっているんだろう?神の力を持つしかも神の子孫である東の王子だぞ!
宵がその気になれば、彼自身こそこの大陸の王となれる。
いや、世間はその方を所望するだろうよ。特に東の民はね。
彼の存在が世間に公表されたという事は、彼を差し置いて、しかも利用して己が王となるには余程の事がないと無理だという事だ。
まぁ、彼がまかりなりにも神王として復帰し、その側近になって政(まつりごと)に参加する、というならわかるがな》
ティアンは唇を噛んだ。
そういうことか、カァラ。
キイの素性を公表する事、それはすなわち、本人の意向関わらず、世間にセド王国の復活を間接的に示唆する事なのだ。
彼がセドの直系であるというのが、彼の持つ神の力を操り大陸を制する野望を持つ者には、邪魔な事実であった。
だがら早めにキイを手にする必要があったのだ。自分の意のままに動く美しい人形として、そして畏怖するほどの力の源として。
皮肉な事に、セド王家直系という事実が、キイが狙われる理由のひとつに加わったと同時に、世間が彼を王子と認識とした事で、彼の身分や地位が確立され、ある意味あらゆるものから脅かされない存在になった。
これでは彼を手にした所で、世間の、各国の要人の目が、その扱いに目を光らせるであろう。
しかもキイは、もう意のまま一方的に利用しやすい子供ではなく、他国他民族が介入しやすい存在でもない。
今のキイは自分の頭で判断の出来る自立した大人である。
誰が判断したかわからないが、利用されることを危惧して、彼を隠して育てたのは賢明と言わざるを得ない。
案の定、情勢も切羽詰っている東の国に、光明としてキイは受け入れられたのだ。
彼を手にすれば天下を成す、という意味には変わりはないが、ただし、セドの神王という立場に沿ってのことだ。


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「このガーフィンとて、そういう話なら、宵への認識を変えなければならないだろう。
今の情勢では、セド王家の生き残りがいたという事が一番重要である。
東の国が我らのものになるかならないかは、宵を手に入れるか否かにかかってくるだろう。
…神の力は二の次だ。
とにかく、敵となるか味方となるか…。他の国よりも早く宵と接触しないと…」
と、ここまで言って、ガーフィンは首の後ろに視線を感じ、口をつぐんだ。
「大帝、ではリンガ様に暁を諦めるようにおっしゃたのは…」
その様子に気がつかないモンゴネウラが話を続けた。
ガーフィンモ何事も無かったようにモンゴネウラの言葉に答えた。
「お前達の報告が確かなら、暁の件が吉と出るか凶となるか…。まだ、計り知れない。
その本意は直接リンガに説明するが、妹も考えてみればもういい年齢だ。世継ぎの件もある。
唯一の肉親としての情が勝ったというのかな…。危険を伴う関係よりも、妹には安定した幸せを営んで欲しい…と。
まったく、私らしくないであろう?初めてだよ、国政に関する事なのに、私情で判断するとはな」
自虐気味に話す自分の大帝に、モンゴネウラもドワーニも、ただ言葉も無く頷いた。
彼らとて、振り回されているが、心から王女を大切に思っているのだ。
自分達だって、最終的に王女には幸せな家庭を作って欲しい。
彼女が家族に恵まれなかった幼少期を知るモンゴネウラは特にそう思っていた。
「だが、暁の件は、あのティアンも知らない事なのだな?…なるほど、そう考えると、まだまだあの二人に何かありそうだ」
そこでガーフィンはちらりと入り口に呆然と佇んでいる自分の妹を見、すぐにモンゴネウラに視線を戻した。
「モンゴネウラ。後でリンガを私の部屋に連れてきてくれ。場所は護衛の者がわかっている。
ドワー二、お前は私と共に来い」
そう言うと、ガーフィンはすっとその場から立ち上がり、ドワーニを伴ってテーブルを離れた。
命じられたモンゴネウラは、すぐにリンガの元へと駆け寄る。
と、何を思ったかガーフィンは、出入り口とは反対の、自分の席の後方にあるテラスの方へと歩き出した。
「大帝?」
ドワーニはわけもわからず、ずんずんと歩くガーフィンを追って足早に進んだ。
その途中でガーフィンは、ある一つのテーブルで歩を止めた。
「これは珍しいお方がおられる」
彼が声をかけたのは、黒いマントを頭からすっぽりとかぶった、がっしりした体格の男だった。
その男を守るようにして、テーブルには同じようにマント姿の人間が彼を挟んで席に着いている。
突然の大帝の行動に、ドワーニは驚いたが、次の瞬間、彼は益々驚く事になった。
「よく私がわかりましたな、ガーフィン殿」
と、言ってその男はおもむろにフードを取り、黒い髪と共に浅黒い精悍な顔を周囲に晒した。
「貴方は!」
ドワーニが思わず叫んで、慌てて口を手で塞ぐ。
「わかりますよ、ザイゼム王。隠れても貴方の存在感は隠しきれませんからね」
ガーフィンの言葉に、ザイゼムはにやっと口の端で笑った。

「それはどうも。ただ、もう私はゼムカの王ではありませんがね」


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