« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

2011年6月29日 (水)

暁の明星 宵の流星 #148

『先日の御目通りを果たせなく、誠に残念でなりません。
我らはあの後、無事に東の聖天山(しょうてんざん)に戻り、門下生への修練を極める日常を送っております……』

秋も深まり、夜も更けるとなると、どこからともなく虫の音が聞こえてくる。
その合奏を耳に、キイは洞窟の入り口付近にある、中くらいの空洞で自分宛の手紙を読んでいた。
キイのいる場所は外の世界に近接するようで、斜め天井にはぽっこりと小さな子供が出入りできるくらいの穴が開いていた。
そこから新鮮な外気が流れ込み、虫の音が外界から遮断されている洞窟に風情に響く。
満天に輝く星たちが天井の穴から覗いていたが、手元のみを照らす“気”の灯りが無ければ、もっと星達の輝きが暗い洞窟に届いていたであろう。

『ところで、多分にお耳に入っておられるとは思いますが、
貴方の身分は、全東の地…いいえ、大陸全土にも広まっておられます。
諸事情も、昂極(こうきょく)様より窺っております。
難儀なこと、せめて我らに協力できることがあれば、なんでも致す所存であります。
どうかご安心下さい。

今の東の国の状況を、貴方もわかっておられると存じていますが、
この混沌とした時代が、セド王国滅亡後、20年近くも続いている…。
あらゆる州や小国、民族が、セド王国に成り代わってこの東を治めようと躍起になっていたも、上手くいかずに荒れ放題です。
その中でのセドナダ王家の直系が生き残っていたという衝撃の事実は、これから先の東の国の国運を左右する、重大な事であります』


キイはふうっと溜息をついた。


『いつでも我々、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の者は、貴方を全力でお守り致します。
先にも書きましたように、これだけの州や民族が、貴方を手にしようと暗躍している。
それは全て、今は民族が滅していようと、重要なのは神の血を引くという神王の存在。
彼らは貴方を、この東の国統一のために利用しようとしているのです。
貴方を東の国の象徴として、東をまとめる力と成す事を期待して』

いつかはこういう日が来ることを、聖天風来寺を追い出される時から覚悟していた。
己に力が無い子供のときに、素性が知られなかっただけでも幸運だった。
聖天風来寺というある意味狭く、聖天山自体が独立した場所であった事も、キイとアムイの二人にとってよい方向に転んでいた。
しかも当時のセドナダ王家が、神国オーンの顔色を覗って、キイの存在を世に知らしめすきっかけを探っていた最中だった事が、彼らの存在が一部の人間にしか知られなく済んだのも幸いした。
聖天山が、この曰く付きの二人の子供を受け入れ、大切に育ててくれた事は、感謝してもしきれない。
この場所ではキイもアムイもただの子供でいられた。ほとんどが本名のまま過ごせる事が出来たのも、外界とほとんど隔離され、保護された聖域だったというのも大きかったのである。
その聖天風来寺から出る、という事は、今までの庇護からの決別と同等の意味を持つ。
外界に出る事、それは、己自身の力と知恵で、あらゆるものと立ち向かわなければ成らない事を示唆していた。
それが己の素性を暴こうとする者や、己の力を欲し、己の存在を利用する者達だけでなく、自分達の背負う重い宿命に対してもだ。
特にキイは、アムイが己を閉ざしていた間、ずっと一国を滅ぼしてしまった罪悪感と戦っていた。このまま安穏として逃げてていいのかと自責の念に駆られていた。いや、子供の頃はそうやって目を瞑っていたいと幾度も思っていた。
だが、成長し、自分の力を信じる段階になったとき、キイは己の背負うものから逃げられない事を思い知った。それは何者かに自分を探られたという事件がきっかけだったかもしれない。
そう、十代の頃、吸気士シヴァに聖天風来寺で襲われた出来事のことだ。
…あの時はまさかシヴァがティアンと通じていたとは全く知らなかったが、“光輪”を持つ自分、神王の血を引くという揺るがない事実…を、捜し求めている人間が少なからずまだ存在する、という事を実感したのは確かだ。

そう。生まれの事実を完全に消し去る事はできない。
この“光輪”の気を身の内に持つ限り、自分の意思でなくとも祖国を結果滅ぼしてしまったという事実がある限り。


『…各州にそういう動きがあるのだという事を、どうか知っていただき、東にお入りくださいますように。
貴方の存在が、この東に一筋の光をもたらしたのは確かであると共に、その存在の大きさが、ある意味命の保障となっている事も、
先を見通す力のある貴方ならもうおわかりかと思います。
しかしその一方で、貴方の存在を恐れ、消し去ろうとする輩もおるかもしれない…。
東に戻られましたら、なるべくすぐに我らにご一報ください。
そしてくれぐれも気をつけて聖天山にお入りになられますよう、風来寺一同、貴方のご来訪をお待ちしております。

              草々 
         奏柳19年10月12日  聖天風来寺・風来教士 朱陽炎 』

キイが差出人の名前までに目を落としたとき、背後からやってきたシータが声をかけてきた。
「なんて書いてあった?サブ(朱陽炎の本名)からの手紙」
「ああ。…思っていたとおり、各州、各村の動向を詳細に書いてあった。
よく調べてくれたなぁ。…かえって申し訳ないくらいだ」
キイはそう言いながら、手にしていた手紙をシータに渡す。
「そりゃサブはアンタのためなら、昔から手間を惜しまない男だったからね。
でも、驚いたわ。アンタのためにサブが手紙を寄越した事もそうだけど、その手紙をわざわざ聖天風来寺まで取りに出向いてくれたユナの…人達の仕事ぶり。まさかサブと彼らが連絡を取り合っていたとはね」
ユナ人がセド王家の隠密であるという事実は公にできない事であったが、彼らがキイに対する態度から、何かがあるとは感付いていた。だが、あえてそれを言及する人間はいなかった。
実は南軍との戦いで、すぐにでも身を隠さなければならないキイ達の事情を伝えるために、セツカが聖天風来寺一行と接したのが発端であった。
キイの事を心配した朱陽炎が、“東に来られるおつもりであれば”と、東の国の様子を伝えたくてセツカに頼んでいたのだ。
「ま、結局は世間にはっきり認識されて、かえってすっきりしたでしょ?…アンタいつも何かを抱えて辛そうだったから」
と、突然シータがポツリと言った。
その言葉にキイは思わずシータの表情を窺った。
だが、外部になるたけ光を漏らさないよう、最少最限度の灯りしか灯せないこの場所では、彼の表情がはっきりと読めるはずも無い。
「辛そうか…」
「でも一番驚いたのは、公表したのがあのシヴァの息子ってとこかしらねぇ。
アンタはあまり詳しい事話してくれないけどさ、彼は一体何を目論んでいるのかしら」
薄明かりの中、シータはそう言うとキイの横に立ち、隙間から覗く星の明かりを見上げた。
その横顔をじっと窺っていたキイだったが、彼もまた誘われるように星を見上げた。
「まぁ、お前も知っていると思うが、シヴァの奴があのティアンと通じていた事が大きいだろうな。
…あいつによると、俺のせいで生まれてきたっていう言い方だった…。
俺の生まれが影響して、ティアンがシヴァに命じてあいつの母親を犯した結果生まれたんだと。
…それも実験のために。力のある子供欲しさのために…一人の女を犠牲にした…」
隣でシータの溜息が聞こえたが、彼は何も言わなかった。
「しかも、本人もあのスケベ爺達におもちゃにされてちゃ、そりゃ歪むよなぁ。
俺が思うに、奴に様々な思惑があるとすれ、その一つがティアンへのあてつけもある気がしてならないんだよ」
「あてつけね…」
「ああ。ティアンの目的は今も変わらず俺を手に入れ、神の力を自分のものにする事だけだ。
あいつに会ってはっきりわかったよ。まったく凄ぇ粘着質!」
「神の力を手に入れ、制する事が出来れば、この世を思い通りにできると思い込んでいるのでしょうね。
アンタを手にすると言うことは、まさしくこの大陸を手に入れると同等…。
単純な奴が簡単に考えそうな事だわ」
「ま、複雑そうに思えて、意外と簡単でシンプルな事でもあるからな、世の中ってやつはさ…。
あながち的を得ているのかもよ、あのおっさん」
腕組みしながら、けけっと笑うキイに、シータもつられて口元を緩めた。
「アタシねぇ、アンタの節操ないとこは嫌いだけど、そういう世の中を達観できるとこは嫌いじゃないわ。
何が起ころうと、アンタは基本前向きだものね。…心の中に色々な葛藤があってもさ」
「…節操ねぇって…おい…」
キイの文句を、シータは涼しい声でやんわり遮る。
「もちろん今はもういい大人だし、昔みたいに来るもの拒まずじゃないでしょうけど、まーそんな事どうでもいいのよ。
話に戻るけど、つまりあのカァラって子、余程ティアンが嫌いなのね。
結果的にはアンタを狙うライバルが増えちゃったわけじゃない」
「ライバル…ね。俺にとっても面倒が増えちまったが、その反面、俺の身分の保証もできったってぇことだ。
いいか悪いかはわからんが、これから何かする時に、王侯貴族どもと対等に接する事ができるようになったのは大きいだろう。
つまり、一介の荒くれもんでなく、相応な位の人間として発言力が持てるってことだ。
それは世間にどのように受け入れられるか、本当はまだ不安な部分もあるが、ティアンみたいな奴の手にもし落ちたとしても、好き勝手させないくらいの立場を手に入れたことになると思う。必ず干渉してくるからな、各国の要人ってー奴らはよ」
「つまり、ティアンにとってはアンタの素性が世間に知れる事が足枷だったところもあったわけなのね。
まだ世間に知られてなければ、思うように操れたろうし、その後にセンセーショナルに公表すれば、もっと有利に働いたでしょうから」
「だからカァラが俺の動かぬ証拠…セドナダ王家の家系図である石板を手に入れて、かなり喜んだに違いねぇと思うとな。
これでティアンに一泡吹かせられるってさ」
そういう面では、いい時期に公表してくれたとカァラに感謝すらしていた。
これも天の巡り合わせ、天が与えてくれたタイミングだろう。
自分が目覚めてからというもの、運命のうねりが大きく動いているのを肌で感じていた。
後はアムイが地獄から這い上がり、色んな意味で目覚めてくれれば……。
「しかも東を束ねていた唯一の王国だったわけだからね…。その王家の人間が生き残ってたわけだし」
シータの言葉に、キイは自嘲気味に言った。
「と言っても、実際どれだけ力を持てるかわからんさ。何しろ、国自体がないんだから。
…国民(くにたみ)を持たない王子がどれだけの価値があるっていうのか…。
サクヤのように生き延びたわずかなセド人だって、人買いのせいで、大陸全土に散らばってしまった…。
どのくらい生存しているかも把握できない…」
「だからこそ公表の意味があるってことよ。アンタを知ったセド人が集まってくるかもしれないじゃない。
それに、国民(くにたみ)を持たなくても、神の血を引く神王の生き残りというのは今の大陸では大きいことよ。
実際にサブの手紙では、もうアンタを自分達のトップに据えようと目論んでる州村もあるようじゃない。
自分達が東の実権を握ろうとしてさー」
再びキイは、朧気に浮かぶシータの横顔に目を移した。
「あのさぁ、シータ」
「何よ、改まって」
「…俺、ずっとお前にお礼言って無かったよな」
その突然の言葉に、シータは目を丸くした。
「やだ!急になんなのよ、もぉ!ね、ね、いったいどうしったっていうの。
アタシにお礼なんてアンタらしくもない…」
上ずった声が、かなり動揺しているようであった。そんなシータに心の中でキイは微笑んだが、表面はいたって平静な様子を装った。
「…ガキん時からいっつも迷惑かけてて、それが当たり前になっちまっててさ。
いつも会えば憎まれ口ばっか。…ま、お前がいつも説教する、俺が反発する、っつーのが恒例だったからねぇ」
キイはじっと下を向き、何やら昔のことを思い出しているようだった。
「特にアムイの…。俺があいつと離れていた時、あいつの前に現れてくれてありがとう…。
本当は偶然ではなく、上から頼まれてたんだろ?俺らに何かあったら、手を貸すように…と」
シータはキイの言葉を、声も無く聞いていた。そして居心地悪そうに体の向きを変えると、ふっと笑った。
「アンタ達とはながーいおつきあいだからね。…確かに亡き竜虎様の遺言で、アンタ達の事を頼まれてはいたわよ。それに…」
シータは一瞬声を詰まらせた。キイはそれでシータの胸の内を察した。
そしてこの先は言わなくてもいい、とばかりに彼の目の前で手を振った。
「…キイ…」
「いいんだよ、どういうことであれ。大事なのは俺らが辛いとき、何かしらお前がいてくれたことだ。
それはもう、長い間。本当に世話になったよなーと思ってさ」
「何か嫌だわ、そういう言い方」
「そうか?」
「アンタにそんな殊勝なことを言われちゃうと、この先何かあるって思っちゃうじゃない…。
…もうすぐ消えちゃいそうな…そんな…」
キイは、ははっと笑った。
確かに己の寿命が限られているのを、最近は特に実感するのが多くなっている気がする。
己自身の焦り…。昂老人に指摘された自分の心情を、痛切に感じる。
残された時間で、自分はどれだけの事を成し遂げる事ができるのか…。
そして今、言っておきたいことを言わずに後悔するのが嫌だったのだ。
「まーいいじゃん。こんなのこの先滅多にないかもよ?だって俺ら犬猿の仲だもん」
茶化すような言い方に、シータは苦笑いした。
「…アタシにとって、アンタは出来の悪い子供みたいなもんだわよ。
アムイもだけど、早く一人前になって安心させてちょうだいよね…」
「おいおい、年齢を気にしてる割には、そんな年寄りみたいなこと言うんだなぁ。
お・か・あ・さ・ん?」
その言葉にシータは、キイの頭を手で思いっきり張り倒した。
「いでっ!」
「アンタ、もうこれ以上言ったら、もう一発お見舞いするからね!」
と、まるで小さな子供に対するように、シータは自分の拳にはぁーっと息を吹きかける。
「はいはい、おっかねぇなぁ、相変わらず。
しかしいつも思ってたけど、 怒った顔が綺麗っつーのも、なかなか女でもいやしねぇよな。
…ほんっと、男にしとくのが惜しいぜ、おかあさんよ」
「キイ!」
シータの怒った様子にキイはぺロッと舌を出すと、するりと彼の前から身を翻した。
「ちょっとアムイの様子を見てくるわ」
キイはそう言うと、にやりと笑い、その場にシータを残して去っていった。

一人残されたシータは、やれやれ、という顔をすると、上空に浮かぶ星を潤んだ瞳で見上げた。
確かに二人の動向を見守り、何かあった場合は手助けして欲しいと頼まれていた。
しかしそれは全て手を貸すという事でなく、基本は二人に任せるという意向があっての事だ。
ただ、幼い頃から面倒を見てきたシータにとって、キイが姿を消し、アムイばかりの噂が耳に入って来た時には、本当は今すぐにでもアムイを助けに行きたかったのは事実だった。だが、それではアムイのためにはならない、と思って、シータはずっと彼の前に出て行くことを我慢していた。もちろん、内心ははらはらと、この何年間は気が気でない日々を過ごしてきたのだ。
しかし、そうこうしているうちにあっという間に四年もの年月が流れ、一向に行方がわからないキイに、さすがの聖天風来寺もシータに動くよう命じたのだ。
これ幸いとアムイの居所を確認し、シータはわざわざ僧侶の護衛として、西の国でアムイの前に現れたというわけだ。
「まったく…本当に手のかかる子達だこと」
シータは自分でしか聞こえないほどの小さな声で呟いた。

「…敬愛する貴方様が、御心を砕いている運命の子達は、御期待通りに成長されております…。
だからどうかご安心ください。
いくら年月が経とうとも、これから何が起ころうとも、お役目を果たすまでは、これからも陰ながら二人を見守る所存です…」

シャラン、とシータの髪飾りが揺れた。
彼は満天の星達に敬意を表すために、その場に膝を付き、正式な形で心からの祈りを捧げ始めた。
それは誰もが入り込めないほど、崇高な祈りの姿であった。

.........................................................................................................................................................................................

「冬の到来が早い国と聞いていたが、確かに日も暮れるとかなり冷え込むな…」
満天の輝く夜空を見上げて、ザイゼムはそう近くにいた従者に話しかけた。
「北の国は元々寒い所ですからなぁ。この分ですと、初雪も来月には降りそうですね」
「初雪か…」
「熱い気候の南の御方には、少々この寒さはさぞかし堪えるでしょうな。
まさかあのような所でお目にかかるとは…」
ザイゼムは口の端で笑った。
「私もだよ。我々と違って滅多に外国なぞに訪れないあの大帝が、わざわざここまで来るとはね…。
余程【宵の流星】の件で、頭にきていたらしいな」
「…あの…宰相の件、ですか」
ザイゼムとお供の二人は、海を一望できる高台で町の灯りを眺めていた。
これからこの周辺をザイゼム自ら独自に調べるために、わざわざ夜中に出発するところであった。


《ほう、貴君は一人の男のために、王位を簡単に手放されたと…。
私には到底考えられぬ。…天下のザイゼムともあろう方が》
あの無機質のような声色で、南の大帝ガーフィンが憐れむように言い放つのを、ザイゼムは笑って聞いていた。
《恋に狂った君主など、男だけの王国には不要なものだ。…ただ用無しになっただけでね》
そのようにさらりと言ってのける自分に、ガーフィンは皮肉めいた表情でこう言った。
《用無し?何を御戯れを。その割にはさっぱりした顔をされておる。
…身軽になって清々したという感じだ》
《それは褒めていただいたと思ってよいのかな?》
《は!そう思いたかったらどうぞ》
ザイゼムは彼の冷たいアイスブルーの瞳を覗きながら、この男は人を愛した事があるのだろうかと、ふと疑問に思った。
《ガーフィン殿こそ、愛するお方はおられないのか?そういえば浮いたお話がまったく耳に入った事が無いと思ってね》
《……即答すると、私は他人を愛した事など、一度もない》
彼の冷ややかな声に、ザイゼムが眉根を寄せた。
《南の国は情熱の、炎の国と聞く。色恋盛んな自由な国とも。
…その頂点に立つお方が、全く真逆な事をおっしゃるのは面白い》
《………》
《皆が貴君のことを【氷壁の帝王】と称するのが、なるほど、納得いたしました。
ならば私の気持ちなど、理解できなくて当然でしょう》
皮肉めいた口調で言うザイゼムに、ガーフィンは冷たく言い放った。
《わかりたいとも思いませんね。…私こそ、何故に貴方がそこまで他人に心を奪われ、全てを投げ出すなんてまったく理解できない。どうぞご勝手に、という気持ちですけどね…。
ただ、貴君の求めている人間が【宵の流星】だというのが、見過ごす事が出来ませんなぁ。
……貴君の事だ、国を巻き込む事はできない、なんてお考えになられたんでしょうが、今の情勢でキイ・ルセイ=セドナダを追う事とはすなわち…国家間の大問題でもあるわけだ。
貴君にすれば、純粋に色恋のために彼を求めているのだろうが、周りはそうは思っていない。
……彼に関しては、我々だって容赦はしない…》


これ以上話しても無駄だと互いに思った二人は、様々な思惑を隠したまま、その場を後にしたのだ。

「何が容赦ない、だ!…絶対にキイをあんな男に渡してたまるものか!
いや、あいつだけでない…。キイを手にしようとするあらゆる存在から、私は出し抜いてみせる…!
彼らよりも、最初にキイを手に抱くのはこの私だ」
ザイゼムはそう呟くと自分の馬に飛び乗り、従者の二人を引き連れ、風のように丘を下っていった。


.................................................................................................................................................................................

「他人を愛した事などない…か」
「何かおっしゃって?兄君」
「いや、何でもない」
闇に浮かぶ町の灯りを窓から眺めていたガーフィンは、くるりと妹の方に振り返った。
目の前には、赤い髪を緩やかにまとめ、愛らしい赤い唇を突き出している自分の妹の姿があった。
情熱的で、色恋には直情的で…。南の女そのもの、といった自分の唯一の妹。
娘は父親に似ると言うが、確かにリンガは亡き父王と似ていた。
性格は無節操と言われていたあの父ほど破綻的ではないが、とにかく彼女の見目は若い頃の前大帝とそっくりだった。
あの容姿で人を翻弄し、誘惑し、弄ぶ…。やっている事は酷いことなのだろうが、本人にとっては邪気がない。
そういうところも、リンガ自身認めたくないところだったが、父親譲りであった。
だが、まだ彼女の方が女である分、ガーフィンの評価が甘いものになるのは致し方ない。

他人を愛した事はない…。
それは事実であったが、情欲以外でなら人を愛した事が無いわけではない。
身内以外の人間には、どうも情が湧かないだけである。
幼少期に受けた傷でさえも、両親を憎もうとしたが憎みきれない…。だが、まったく関係ない人間に同じ事をされると、絶対に許せないし、報復する…。そのような男だ。
それが政(まつりごと)にも顕著に出ていた。
自国の人間以外どうなっても構わない、という政策だ。
自分の国を豊かにするためなら、他国の人間を犠牲にしても構わない。いや、進んで犠牲になってもらう。
そのような冷酷さのある男であった。
その彼が唯一人、人間らしい感情を持たせる人間…。それがこの目の前にいるたった一人の自分の妹である。
「…モンゴネウラ達が言っていたことは、本当なんだな?」
ようやくガーフィンは妹に本題を話し始めた。
つい先ほど、イアン公の屋敷に戻ったガーフィンは、先に戻っていたリンガ王女を自室に呼び寄せていた。
供の者には、二人だけで話をさせてくれと言って。
「…アムイの事?」
リンガは面白くなさそうな顔でポツリと呟いた。
「そうだ、暁の事だ。…【宵の流星】の相棒といわれる、【暁の明星】の事だよ」
リンガはきゅっと唇を噛むと、意を決して兄に言った。
「…確証は今のところないけど…。二人はそう思うって。あまりにも似てるんですってよ、【セドの太陽】と」
【セドの太陽】とは、アムイの父、セドナダ第5王子アマトの呼称である。本来の異名、【太陽の獅子】が、彼への敬意と憧憬を込めて【セドの太陽】と、セドの国民(くにたみ)に呼ばれたのが全土に広まったと言われる。なので、アマト王子の本来の異名よりも、この愛称の方が有名であった。
「【セドの太陽】か。私も子供の頃、姿を見た事がある…。まだ彼が王太子になる前だったかな?
一度だけ南に来た事がある」
「え?本当に?」
それは初耳だった。
「ああ。その頃父君は東の国に興味があって、たまに東の島々にちょっかいを出していた。
気まぐれに攻め入っては、戦利品としてその村や島の宝や見目のいい人間を略奪するのが趣味だった。
そして自分の周りにはべらせ、…お前は覚えていないと思うが、散々好き放題していた」
その当時は、自分は物心つく前の赤ん坊でもあったからよくわからない。ただ、乳母や側近達の昔話の中で、その頃は異国の美女や綺麗な子供などが、宮廷でうろうろしていて華やかであった、という内容を、おぼろげながらリンガは思い出した。
「それを止めさせようと直談判に来たのが、当時セドラン共和国の代表であった、セド王国の第5王子、【セドの太陽】と呼ばれていたアマトだ」
当時の南と東は、互いに牽制しあう仲ではあったが、大きな戦争にならないようにと、なるべく互いに干渉しないようにしていたのだ。それは宗教戦争の名残で、大国は隣国を干渉しない、という暗黙のルールがあったからだ。(現在はそれもかなり崩れてきているのだが)
だが、前大帝はあまりその事に無頓着だったようだ。
ガーフィンとは反対に行動的な彼は、若い頃あちらこちらの珍しい異国を訪れては、そのような無体を働いていたらしい。やっと王位に収まって、そのような遊びは鳴りを潜めるだろうと思っていた数年後、前大帝の悪い癖が隣の国に及び始めた。…といっても、小さな規模での被害で、まるで賊のような所業を堂々と臆することなくやらかしていたわけであるので、すぐに東の国で問題となった。
いささか南の大帝のおイタが過ぎたのであろう、それがきっかけに国家間戦争になったらかなわない、という事で、セド王国から勅使を送ろうと話になった。だが、何名か送った勅使も、南の大帝にけんもほろろに追い返された。
「で、結局痺れを切らした東の国は、セドの王子直々、南に寄こしたってわけなのね…」
「そう。それが悲劇を生んでしまったわけだがな」
「え?それって…どういうこと?」
「私はまだ少年だったけどね。今でもはっきり覚えている。
……初めて東の王子が南に来た時の事を…。そして父君が彼を見て目の色を変えたのを…」
リンガはぞくっとした。それ、もしかして…。
「きめ細やかなセド人独特の白い肌、濡れたような艶やかな黒い髪と瞳。白くて形のよい長い指と夕闇のように低くて甘い声のする青年…。南の国には決して存在しない、東の宝石がそこに存在していた」
「………」
リンガは震えが止まらなかった。どうしてだかわからない…。
ただ、必死に自分の震えを止めようと、力いっぱい両腕を抱きしめた。 
「…父君は年甲斐も無く恋に落ちてしまったのだ。…どうしても東の王子を手に入れたいと、再三彼に迫ったようだが」
王子に迫ろうとする父を、彼の従者である背の高い男が身を挺して阻止していたのだけは、ガーフィンはよく覚えている。
…あの大男がドワーニの言っていた、アマト王子の護衛官【東の鳳凰】…ラムウ将軍だったんだろう。
「…そ、それで…?」
ガーフィンはちらっと妹を見た。
父君によく似た瞳、気性…。そして今まで遊びだけの恋しか知らなかった人間が、初めて身を焦がす恋に落ちたさま。
…全てが酷似していて、珍しくガーフィンの胸をちりちりとさせた。
「……結局、王子は父君のものになどならなかったのさ。それは当たり前だろう?一国の、まかりなりにも次期神王、すでに王太子と決まっていた王子だ。……自分の想いが叶わないと知った父君が…激情のままに隣国を攻め入ろうとしたのは…私も少し短絡的だとは思ったが」
その話にリンガは息を詰めた。
「……東を攻めたって…。それって、あの東との戦争は…!国の領域を広げるためって、モンゴネウラが言ってたけど、あれって違ったの!?」
ガーフィンは無言で頷いた。
「…そう、よね…。一国の大帝が、色恋で、そんな一介の私情で国を挙げた戦争なんて…言えるわけが無い…」
「確かに世間には聞こえが悪い。当時の側近たちも苦労したと思うよ」
ガーフィンは人事(ひとごと)のように言った。あの父なら、そんな事も当たり前なのであろうが。
「当時のセド王国は国勢が衰え、同じ国の州村からの脅威にも晒されていた。
父君はすぐにでもセドを落とせると思っていたのだろうな。だが、そんな甘いものではなかった」
「かえって東の国の結束を強化してしまって、南軍はかなりの打撃を与えられたと聞いたわ…。
その、モンゴネウラに…」
淡々と話す兄の言葉に、リンガは故郷では感じたことの無い寒さに震えていた。
…北の国って…本当に寒い所…。そう、こんなに震えが止まらないのは、ここが寒いからなのよ。
「……お前もその戦いで、父君が片目を失ったのは知っているだろう?」
リンガは小さく頷いた。
そう、それで父はほとんど玉座に姿を現す事がなくなった。この兄が即位する事になる、あの18年前の年まで、前大帝は部屋に篭りきりになった。あれだけ自由に、勝手気ままに生きていたような人が。
己の部屋だけで国を治める帝王。…リンガの思い出の中の父はそういう印象であった。いくら昔の父の姿を他から聞いても、どうもピンとはこない…。若い頃の父が、今の自分に似ていると言われても、だ。
リンガがいくら父親に会いたくても、傍に行きたくても、父は頑なに拒否した。たまに見かける父の表情はいつも暗く、何か思いつめているようであった。言葉を交わした事すらない。というよりも、父の目に自分は映っていないようだった。
リンガの硬い表情をじっと見ながら、ガーフィンは一呼吸置くと、衝撃的な事実を妹に語り始めた。
「父君が部屋から出なかったのは…。目を失くしたからではない。
確かに怪我をした当時、半年は療養のために部屋に篭ってはいたがね…」
「兄君…?」
兄ガーフィンの言いにくそうな声色に、リンガは嫌な感じを受けた。
「……かの王子が禁忌を犯し、犯罪人として国を追放され、行方知れずになったと知ってから…。
父君は少しずつおかしくなってしまった」
リンガは言葉も無く、兄の話を聞いていた。
「私には信じられないがね。恋が人を狂わすなどと。そこまで父君はあの太陽の王子に恋慕していたのかと」
ガーフィンは忌々しげにそう言うと、近くのテーブルに置いてあったグラスに入っていた酒を飲み干した。
「仮にも南の大帝だぞ?他の国に脅かされず、わが国こそ大いなる陽(火)の国、最強の帝国。
その大帝がなんという体(てい)たらくだ!!」
ガーフィンはそのままの勢いで、グラスを床に投げつけた。
パリン!!と音がしてグラスは綺麗に飛散した。
リンガは驚いた。いつも沈着冷静な兄が、ここまで感情をあらわにするとは。
「父君の心の病は、年月を追うほど悪化していった」
ガーフィンの息が荒くなってきた。
「……心の病は…父君を狂気に走らせた…」
「狂気…」
「戯れに人を部屋に引き入れ、その人間が自分の想う人間でないと気付くと、いとも簡単に殺した。
……もうその頃には父君は我々のことなど完全にわからなくなっていた。
言い難いことだが、お前を嫁に出したのは…。父君がお前にも手を出そうとしたからなのだよ」
その衝撃的な告白に、リンガはその場で凍りついた。
「私が…まだ幼いお前を嫁に出したんだ…」
ガーフィンは疲れたような表情で、乱れた自分の髪をかき上げた。
「しかもどこから聞いたのか、王子が処刑された、と知ってからは、どんどん見境がなくなっていった。
王子の死を認められない父君は、彼を求めて益々手当たり次第にいろんな人間に手を出した。
こんな事、国民に言えるか?いや、知られるわけにはいかない。身内にも、世間にも、だ!」
このような兄を見たのは、リンガは初めてだった。
「兄君は…わたくしを守ろうとして…」
そこまで言って、リンガは声に詰まった。それ以上言葉が出てこない…。
「そうしているうちに、あのセド王国の壊滅だ。だからこそ私は思い切って最後の手段に賭けた。
父君を連れて、崩壊したセドの国を見せようと。…そうしてもう、どこにも自分の求めている人間はいないのだと直にわからせるために」
「兄君…!」
「だが、それも無駄に終わった…。その事実は完全に父君に止(とど)めを刺してしまった。
…ちょっと目を離した隙に…父君は自ら川に飛び込み…」
「やめて!」
リンガは兄の言葉を遮った。「わかったからもうやめて!聞きたくない」
不思議と涙は出なかった。ただ嫌な汗だけが流れていた。
まさか…。こんな因縁が自分の父と、アムイの父にあったなんて…。
「情けない話だが、全ては父の一方通行の想い。モンゴネウラにも、ドワーニや当時の側近達にも聞いたが、…相手には全くの非はなかった。完全なる父君の勝手な思い込みだ。…今まで男も女も、自分の意のままに虜にしてきた来たあの父の」
そこまで一気に喋ってから、ガーフィンは大きく一息ついた。そしてゆっくりと自分の大切な妹の顔を見る。
「非はなかったとはいえ、一国の大帝をそこまで追い詰めた【セドの太陽】を私は許せるわけがない。
…こんな事、妹であるお前にしか言ったことは無いが、ずっと私は父君を追い込んだその男を憎んできたんだ。たとえ、もうすでにこの世の人間ではないとしてもな」
ガーフィンの目が鋭くなったのに、リンガは益々身体を硬直させた。
「名目上、父君は東の動乱に巻き込まれて亡くなった事にして、私はすぐに帝位につき、お前を呼び戻した…。
…大人に成長したお前は本当に父君とそっくりだ。奔放な性格といい、華やかな容姿といい…」
珍しく自分の気持ちを雄弁に語ったためか、そのままガーフィンは疲れたように近くの椅子に腰をかけた。
「…まさか、夢中になる男も似るとは思わなかった…」
「あ、兄君…」
「お前が本気になった男なら、私は喜んで受け入れるつもりだった。
…だが、その男が【セドの太陽】の血を引く?…しかもそっくりだと…?
そうなったら話は別だ、リンガ。
その男はやめなさい。…その男には負の因縁を感じる。
お前も父君のように、相手の男に入れ込み過ぎて、身を滅ぼす気がしてならないのだ…」
ガーフィンは、きつく唇を噛み締めている妹を、苦悶の顔で見上げた。
「暁を実際この目で見れば、セドの王子の血を引くか、きっと私にはわかる。
…いや、あの例の宵の近くに寄り添うようにして存在しているのが、多分確かな証拠だ。
他の輩は気付いてない者が多いようだがな…。
わかるな、リンガ。
私がこうして自ら出向いて、お前を連れ戻しに来たわけを。
ただの無法者ならいざ知らず、セド王国の血を引くとなれば、私の思惑以上にやっかいな事になるとも思う。
敵になるか、味方となるか。最悪の場合、彼らと戦うことになるかも知れん。
大事なお前を、国のために色々な所へ嫁に出してきたが、もう充分だ。
これからは私の傍で、落ち着いた家庭を築き、私に世継ぎを与えておくれ。
お前を…父君のような目には合わせたくない。…わかってくれ、リンガ」
そう言いながら、ガーフィンは自分の手を伸ばし、妹の手に重ねた。

「さあ、国に帰ろう」
ガーフィンはじっとしている妹に、俯いたままそっと優しく囁いた。
リンガといえば、先ほどから思いっきり頭が混乱していた。
父親の話を聞く前は、どんな事をしてもアムイを兄に認めさせようという気が満々だった。
いきなり縁談を持ち込んできた理由はわからなかったが、かえってセド王国の血筋を政治的に利用できる筈だと考えて、兄を説得しようと思っていた。
既成事実を作ってしまえば(ここでも相手であるアムイの気持ちは無視して)、誰も何も文句は言わせない、かえって国のためではないか、などと、リンガはそう考えていた。
だが…。
事態は自分が思っていたよりも複雑であったのだ。
衝撃の事実を知って、リンガは何故かショックと同時に腹の底から笑いがこみ上げてきた。
血は争えないとはよく言ったものだ。父を狂わした男そっくりの息子を欲しがるなんて…。
これってもしかしたら父の呪い?執念?あるいは、死してもまだ父は自分の思いを遂げようと、黄泉の国から娘に影響を与えてるのか?
ただ、父親の因縁よりも、リンガがこたえたのは、いつも涼しい顔をして何事も冷静に対処する兄の、見たこともない苦悩した姿だった。
小さい頃から自分を可愛がってくれた敬愛する兄。
兄や国のためなら、進んで政略結婚を繰り返した自分…。
いつもなら、その兄の願いを、リンガは素直に受け入れていた。
だけど…ここまできたらもう自分の気持ちを止められそうにもない。引き返せない。

「兄君」
やっとの思いでリンガは口を開いた。
たとえ因縁と思われようが、たとえ身を滅ぼすと危惧されても。
父君が不幸になったからといって、自分もそうなるとは限らないではないか。
「…わたくし、国には帰らないわ」
まっすぐ自分を見据えて言う妹に、ガーフィンははっとして顔を上げた。
「リンガ…」
「兄君は心配し過ぎなのよ」
努めて彼女は平静な声で、気軽に言った。微笑みさえ浮かべて。
「【氷壁の帝王】の妹であるこのリー・リンガが、一人の男におぼれるわけがないじゃないの。
……わたくしが途中で投げ出すのが嫌いなの、兄君だってよくわかっているでしょ?
しかも彼が本当にセド王国の血筋なら、尚更、彼を利用できれば好都合じゃない。
とにかく中途半端は嫌なのよ。ただ、それだけ」
妹の不敵な笑みに、ガーフィンはじっと探るように目を細めた。
「約束するわ。
兄君の危惧するような結果にはならないって。
暁がどれだけの男なのか、我々にとって有益な相手なのか、最後までわたくしに追及させて欲しいの。
彼を虜にして我々に引き込めれば、それはそれでいいけど、…もし…」
「もし?」
ガーフィンの問いにリンガは意を決したようにきっぱりと言った。

「もし、アムイが我々にとって不利になる…、存在が危険な人間だとわかったら…。
必ずそこで引き返すわ。必ず兄君の元に帰ると約束するから。
わたくしにだって、南の帝国リドンの王女としてのプライドがあるのよ。
相手を滅ぼす事はあれ、自分がそうなるのは絶対に許せないもの。
……だから最後まで、わたくしに暁を追わせて。一生のお願いだから」


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

暁の明星 宵の流星 #147

「いい加減に機嫌を直しなさい、王女」
毅然としたモンゴネウラの声が部屋に響く。
彼の目の前には、寝台の上でシーツを頭からかぶり、ふくれっつらした南の王女、リー・リンガがいた。
そこは洒落た調度品をあつらえた、こじんまりとした宿の一室であった。
「そうですよ、せっかく大帝が会いに来られるというのに…」
モンゴネウラの後方で、ドワーニが遠慮がちに言った。
その言葉を聞いて、リンガ王女は益々頬を膨らませた。
「王女」
その彼女の様子に、モンゴネウラは完全に呆れながらため息をついた。
「いいですか?貴女はもしかしたら頭を打って死んだかもしれなかったんですよ!
…我々の忠告も聞かず、なりふり構わず馬など走らせるから…。
馬が興奮して暴走し、危うく振り落とされてしまう所だった!
…彼らが偶然通りかかり、馬を取り押さえてくれなかったら、貴女は今頃…」
「わかってるわよ!」
噛み付くようにリンガは叫んだ。
「……本当にわかっておられるのか?お命に関わる事だったんですぞ。
このような無鉄砲な事、もう卒業されていたかと思ってたが…」
「何とでも言ってよ。……だって、仕方ないじゃないの。皆してわたくしの気持ちをわかってくれないんだもの」
「だからといって…」
その時、部屋の扉が開き、何ともいえない甘い香りが漂ってきた。
「もうよろしいじゃないですか?モンゴネウラ殿」
そのハスキーで甘い声に、モンゴネウラとドワーニは振り向き、リンガは益々眉をしかめた。
「姫胡蝶(ひめこちょう)殿」
思わずドワーニが赤くなってそう呟く。リンガはその様子を見て、尚更気分が悪くなった。
そう、部屋に入ってきた人物…。
それは姫胡蝶という異名を持つ、女装した絶世な美青年カァラだった。
端正で愛らしい顔立ちを縁取る、絹のような髪がふわりと揺れるたびに、鼻腔をくすぐるような甘い香りが立ち昇る。
白い肌に淡い桃色の透けたストールがよく似合う。長いドレスの裾捌きも優雅である。
一見、どうみても妖艶な美女なのだが、周知の事実、彼は男だ。
だから尚の事リンガは彼が気に食わない。この本物の女である自分を差し置いて男の注目を浴びるなんて。
「リンガ王女、具合はいかがですか?」
優しくそう言いながら、カァラは彼女の傍に寄った。
思わずリンガはそっぽを向いてしまう。
「王女!まかりなりにも貴女を助けてくれた命の恩人ですぞ」
「あら、助けてくれたのは荒波(あらなみ)の兵士じゃないの」
「王女!」
モンゴネウラの叱責にも、どこ吹く風のリンガだ。
「おや、まあ。随分とご機嫌斜めですねぇ」
クスリ、と笑うカァラに、リンガは面白くない。モンゴネウラは頭が痛くなってきた。


そもそも何故、こういういきさつになったかというと。

《いや、いや、いや!!モンゴネウラなんて大嫌い!
アムイに危険が迫っているというのに、国になんて戻るものですか!
わたくしは一人でもアムイの元に行くわ!絶対に帰らないから!!》
と、啖呵を切って馬に飛び乗り駆け出したはいいが、数里いった森の中ほどで彼女の乗った馬が暴走したのだ。
彼女の乱暴な扱いに、馬が憤慨したのか、興奮したのか…。それは定かでないが、あっという間に本人も想像した事も無い速さで、馬が加速したのだ。そして尋常でない暴れ方に、息巻いていた彼女の気持ちが一気に恐怖に変わった。
《怖い!助けて!モンゴネウラ!ドワーニ!…兄君!!》
必死でしがみつくリンガであったが、いつ振り落とされてもおかしくなかった。
もちろん、懸命に追いかけるモンゴネウラとドワーニも、彼女を助けようとするが、暴れ馬の速さに全く追いつかない。

もう限界…。
と、リンガの手が離れそうになった瞬間。
最悪の状態を覚悟したモンゴネウラ達が目にしたのは、ギリギリのところで馬を取り押さえ、気絶しそうな彼女を受け止めた、数人の海兵隊達であった。
《その紋章は…》
息も切れ切れにその場に駆けつけたモンゴネウラは、王女を助けてくれた数人の兵士に声をかけた。
《危ないところでしたね》
《間に合ってよかった。…さすが胡蝶様、このような事態を見抜かれたとは》
《胡蝶様?》
ドワーニが兵士の言葉に呟いた。
《いや、本当に危ないところでした!我が王女を救っていただいて、何とお礼を申したらよいか…》
モンゴネウラが丁寧に頭を下げこう言うと、素早くリンガの元へと走り寄った。
《王女?大丈夫か、リンガ様!》
リンガはとうとう気を失ってしまったらしい。ぐったりとした彼女を兵士が彼の手に渡した。
《ショックで気を失われたようです。お怪我はありませんよ》
兵士の言葉にドワーニも頭を下げてこう言った。
《まことに何とお礼をしたらよいか…》
《その紋章は…東の荒波州のものではないですかな?》
モンゴネウラが王女を抱えながらそう尋ねた。
《そうです。…よかったですねぇ、南の大将殿。王女がご無事で何よりです》
艶かしい声に振り向くと、そこには荒波の海軍提督アベル=ジンと、その愛妾カァラ…姫胡蝶の姿があった。
《やはり…!何故にあなた方がここに?》
荒波の若い提督は、気だるそうに金色の前髪を片手でかき上げると、ふっと笑った。
《我々はこれから港に帰る所だったんですよ。…そうしたら、うちのカァラが胸騒ぎすると言い出しましてね…。
彼の言うとおりにこちらに向かったら、暴走した馬と遭遇した、というわけです》
確か噂では、姫胡蝶と呼ばれるカァラには、人の見えないものが見えるという特別な目を持つと聞いたことがあった。それで男をたぶらかすとも囁かれていた。……本当にそのような能力…千里眼を、この若い男は持っていたのか…?。
モンゴネウラもドワーニも、言葉に詰まった。何とも言えないカァラの雰囲気に、屈強な大の男達が呑まれていたのだ。
カァラは二人の様子を見て、穏やかに微笑むと、こう提案したのだ。

《すぐそこに我々が世話になっている宿があります。…王女のその様子ではどこかで休まれた方がいいでしょう。
どうですか?よろしかったらいらっしゃいませんか、我々と一緒に》


とまあこういうわけで、リンガ達はここ2日、荒波軍の泊まる大きな宿に世話になっていたのだ。

気絶していたリンガは次の日に目覚めて驚いた。
気に食わない姫胡蝶に助けられたのもそうだが、気を失っていた間に、自分の失態を兄であるガーフィン大帝に知られた事だ。
もっと驚く事に、あの国から滅多に出ない兄が、今、わざわざ、なんと自分のすぐ近くに来ている!
しかも自分の失態を大変快く思っていないのは、モンゴネウラ達の会話ではっきりしている。
リンガは震えた。
その兄が今晩、ここに来るというのだから、神経がピリピリするのも仕方ない話だ。
絶対に兄は自分を連れ戻しに来たに違いない…。
自由奔放で、兄には散々我が儘言ってきた彼女だったが、今度ばかりは兄の態度には覚悟した方がいいだろう。
わざわざここまで来るなんて…。
滅多に無い兄大帝の行動だからこそ、訳のわからないリンガは不安になった。
まったく不安で今にでも吐きそうだ。

青い顔した彼女をちらっと覗き込んだカァラは、にっこりと笑顔を作ってこう言った。
「お顔の色が優れないのはいけませんね。
どうです?この近くに王侯貴族だけが入れる最高級のレストランがあるんですよ。
気分転換に美味しい物でもいただきましょう。
そこは海が一望できる、眺めも超一級な所なんですよ。きっとお気に召すはずだ」
「ほう、そのような店がこの町にはあるのですか!
リンガ様!せっかくのご好意、受けましょう。
久ぶりにゆっくりと寛ぎたい気分ですな!なぁ、モンゴネウラ」
カァラの申し出にドワーニが喜んだ。
「この港町は、元々北の王族の別荘地でもあるんですよ。ここの町を束ねる方が王家の血を引く分家だそうで。
それにこの高台には、かなり身分の高い方々が住まわれていますしね」
彼の説明にモンゴネウラも頷いた。
「王女、カァラ殿の言うとおりですぞ。
少しは気分を変えるためにも、この部屋に閉じこもってばかりはいられません。さあ、王女様」
「でも、着ていく服がないわ。…そんな大そうな所に着ていくような服が」
長い旅路では、着飾るような豪華な衣装を持ち歩く事なんかできない。普段の場所なら、出ても恥ずかしくない仕立てのよい服でも、王侯貴族ご用達の店と聞いては、そうもいくまい。
ぶつぶつと呟くリンガを見ていたカァラは、問題ない、というように手を振った。
「ご心配なさるな、王女。すぐに衣装屋を呼んで、貴女に似合う最高のドレスを届けさせましょう。
なにせ貴女は南のリドン帝国の王女なのですから。
それともこの私と行くのは気が引けますか?北の衣装を着こなす自信がないなら…仕方ありませんね」
と、カァラは北の国であつらえた、自分の煌びやかなドレスを見せ付けるようにして、くるりと身体を回した。
リンガはむっとした。
そこまでされては、女を引っ込めるわけにはいかない。
しかも彼のからかうような言い方が、リンガのプライドに火をつけた。
「そんなことあるわけないでしょ!わたくしがなんでも着こなせるってところ、見せてあげるわ」
憤然とそう言うと、リンガはまとっていたシーツを投げ捨て、寝台から勢いよく立ち上がった。
(やれやれ…)
モンゴネウラとドワーニは、ため息をつきながら互いに顔を見合わせた。


.....................................................................................................................................................................................................


「まったく、何たる恥晒しよ!」
北の王家、モウラ国のモ・ラウ家の分家であり、現国王ミンガンの異母弟であるイアン公は、後ろから付いてきている息子のシーランに険しい声でそう叫んだ。
「父上、声が大きいですぞ。他の者に聞かれたらどうしますか」
「ふん、本当の事を言って何が悪い?…国王も本当に子供に恵まれないお人だよ。
このわしと違ってな!なあ、シーランよ」
自分の母親の身分が高ければ…。イアン=モ・ラウはぎりぎりと歯軋りをした。
腹違いの兄弟とはいえ、同じく先代王の血を引く息子であり、はっきり言って、自分は現王であるミンガンとは同じ年だ。
ただ、ミンガンの方がひと月ばかり先に生まれ、しかも由緒正しい高貴な生まれである正妻を母親としていた事だ。
本当のところ、自分の母は先代王の寵愛を一身に受け、妻妾達の中では実質の権力者でもあった。
だが、下級貴族出身だったために、結局格式を重んじる北の国では、いくら寵妃でも身分の低い女の産んだ子供を王に据える訳にはいかなかったのだ。
《本当はお前をこの国の王にしたかった…》亡くなる前にぽつりと残した亡父の言葉が恨めしい。
だが一応常識人でもあったイアン公は、潔く王制の世界から退いた。
自分が王になりたいとミンガンと張り合って、国を不安定にだけはしたくなかった。
その代わり、といってはなんだが、彼は北の玄関ともいう大きな港町を父王からもらいうけた。
イアンはそれはそれで満足であった。
王家がある中央の都の次に大きく豊かな町で、その地主の娘との間にも優秀な息子達を幾人か授かった。
特にこの末っ子であるシーランは、彼にとって一番の自慢の息子だった。
文武両道で、性格も穏やか、利発で真面目だ。容姿だってあのミンガンの二人の息子に比べれば、我が息子の方が数段いい。
今年20歳(はたち)を迎えたこの息子の事を考えると、断念していた王の地位が無性に彼は欲しくなってきていた。
それは異母兄ミンガンの不肖の息子達の話を聞くたびに思う事であった。
《支天の王のごとく》とまで言われた名君である父のお陰で、モ・ラウ王家は根強い支持を今でも北の国で持っている。
一応、今の王であるミンガンもその父の血を引き、まずまずの君主であるだろう。が、その息子達はいただけない。
これでは王家をよく思わない輩が出ても、北の国の権力を手にしたいと対抗する王侯貴族達が何か行動を起こしても、なんら不思議ではない。
「南の国に通じて自分の欲を満たしていた王子が、その通じた国の帝王自らに身柄を引き渡されるとはな!
あんな者が次期王になるなんて寒気がする!…後の王子は病弱で若死にだったし、末の王子は気はいいがそれだけだし。
…お前が次期王になればなぁ…」
「しっ!父上。近くに南の者が滞在しているんですから、そのような事は口に出さない方が…」
イアン公は溜息をついた。
「そうであったな…。これから南の大帝をもてなさなければならんかった。
誰が聞き耳立てているともわからん。…すまん、少し頭に血が上っていたようだ」
押し付けられた、というわけではないが、第一王子を連れてきてくれたお礼をするためと、ミンガン王からイアン公にこの町でもてなすよう要請がきたのだ。
ま、偶然にも南の大帝の妹姫がこの土地に来ているから、という理由の方が大きかったのだが。
ということで、二人はこれからガーフィン大帝一行を伴って、食事に案内するところであったのだ。
「…お前に愚痴るとは、わしもかなりまいっているようだな。
ま、ミンガンの不肖の王子達の事は、今更どうしようもならないだろう…。
唯一、国王として評価に値するのは姫君を授かった事だろうよ。
このようなご時世、女の王族はそれだけで戦略としても価値があるからな…。
まぁ、アイリン姫が姫巫女候補…大聖堂入りにならなくてかえってよかったかもしれないぞ。
聖職者になってしまったら、いくら国の立場が上がれども、俗世から絶たれ、せっかくの姫君なのに政治の駒にもならないしな」
「アイリン姫を西の国に嫁に出したおかげで、西から融資を受けられるわけですからね。
……今のわが国には資金はどうしても必要です。…姫には申し訳ないですが…」
哀れむように言う息子の姿を眺めていたイアンに、ふと、ある考えが浮かんだ。
「ふむ。資金の面が片付いたら、姫を北の国に呼び戻すのはどうか」
唐突にそう明言する父親に、シーランはいぶかしんだ。
「呼び戻すって…。離縁させて、ということですか?何でそこまでして」
「もちろんお前と結婚させるためだよ、シーラン!
ああ、そうだ。何でそう思い当たらなかった!そうすれば姫君の婿として、しかも王家血筋でもあるお前なら、今の王子達を失脚させればこの国の王と迎えられる!
娘を溺愛しているミンガンも反対はしないだろうよ。他の者だってこれ以上に無い、モ・ラウ王家の結束に繋がると、快諾するに違いない」
父親の言葉に、シーランは驚いた。
「何を言い出すんですか、父上!」
「いや、いい考えだと思うぞ、シーラン。
ま、しばらくは西の王家に大事な姫を保護してもらっておこう。まだ子供だしな。
あと数年すれば、いい年頃になる。…その頃までに色々と策を練っておかないと」
父親の勝手な話にシーランは目をぱちくりさせ、次の瞬間眉根を寄せた。
「そんな言うほどうまくいきますかね…。
それにアイリンとは一回か二回くらいしか会ってませんが、まだいたいけない子供じゃないですか。
いくら数年待てば年頃になるとはいえ、僕とは十も歳が離れている。
それに身内という事もあって、結婚の対象と見れるかどうか…」
「そんなものは関係ない。この世の中、形だけの結婚などいくらでもあるわ。
大事な事はこの国の行く末だよ。…そうだ、それが一番いい…!」
「父上!」
自分の考えに満足したイアン公は、機嫌を直して南の大帝を待たせている貴賓室に急ぐ。
「父上ってば!」
シーランは困った様子で、父親の後を追った。
そういう話が出るほど、北の国は切羽詰っているのだ。

このご時世、世継ぎの王子が生まれるよりも、たったひとりでも王女が生まれた方がその国の人々は喜んだ。王女がいる、それだけで有利だとされていたからだ。
女の少ない現状だからこそ、希少な王の娘、というだけで価値があるのだ。
そのために王女は自分の意思など関係なく、王家のために存在する駒…いや、宝と囁かれていた。
国の利益のためならば、王女は敵国に嫁ぐ事も辞さないし、喜んで人身御供になるような立場であろう。

この大陸に存在する王族の娘で、正妃の生んだ由緒正しき姫君は、南のリンガ王女と、この北のアイリン姫だけであった。
自分の好き勝手に生きているという印象のある、南のリドン帝国のリンガ王女でさえ、例外なく何回も政略結婚をしている。
それでも北のアイリン姫よりは、彼女の方がまだ心情的に自由といってもよかった。
リンガにとって結婚とは、完全にビジネスと同等であり、それさえきちんとこなしていれば、後は好きに振舞ってもいいと割り切っていたからだ。
しかも兄である大帝が自分に甘いこともあって、大帝の権力を自分のものとして使えるとさえ思っている。

そんなリンガ王女であったが、今、非常に意に沿わない立場に追い込まれていた。


「え?縁談?いきなりどうして!」
..................................................................................................................................................................................


大きなデッキに備えられた大窓から心地よい海風が室内に流れ込み、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
確かにカァラの言うとおり、このレストランは最高の眺めを持つ最上の空間で、カァラと共に来ていたアベル提督は意外にも会話上手で、リンガが思ったよりも楽しいひと時を過ごしていた。
機嫌がよくなった彼女にお供の二人もほっと胸を撫で下ろし、自分達も存分においしい食事を堪能していた。
食後にはおいしいお茶が振舞われ、しばしリンガは久しぶりの贅沢な時間に浸っていた。
だがその空気を破ったのは、同じくこの町に来ていた兄、ガーフィン大帝の出現であった。
「ほう、偶然だな、ここで会うとは。これはいい、今晩お前を訪ねなくて済んだ」
抑揚の無い聞き慣れた声に、リンガは飛び上がった。
「兄君、どうしてここに?」
「いや。この町の城主に食事をもてなされてね。…さきほどまでこの店の上にいたんだ。
今から一度帰ってからお前の所へ行こうと思っていた。まさか、お前もここに来ているとはな」

ということで、偶然(とリンガにはどうしても思えないのだが)現れた兄大帝は、そのままリンガ達とお茶をする事になった。
ドワーニから報告を受けていたガーフィン大帝は、妹を助けてくれた感謝の意をアベル提督とカァラに述べた。
そして険しい表情の妹には、自分が何故ここに来たのかを、簡単に話して聞かせた。
「私はてっきり、ドワーニの報告で兄君が怒ってわざわざ来たのだと思っていたわ。
そうよね。そうだとしたらこんなすぐに来られるわけないわよね」
「確かにドワーニには、逐一お前の事を私に報告しろと命じてはいた。
だが、それよりも前に、【宵の流星】の素性が公表されたのが大きかった」
と、言いながらガーフィンはちらりとカァラの方を見やった。
「貴方でしたかな?セドの王族名簿を公開したというお方は」
カァラはにっこりと微笑んだが、それについては答えなかった。
彼の様子を観察していたガーフィンはそのまま話を戻した。
「ドワーニの報告で知ったぞ。
…ティアン宰相の事だ。あやつは宵がセド王国の最後の王子と知っていたそうじゃないか!
あれを信用して軍を好きに使わせていたが、こういうことならば話は違う。
私は謀反者として宰相を捕らえに来たのだ。…もちろんリンガ、お前の事も心配で仕方なかったからだが」
「で、ティアンを捕らえ、北の第一王子を王宮に突き渡したという事なのね。
そしてわたくしを国に連れ戻しに来た…と。
なのに何でそれが縁談、なの?わたくしの気持ちをわかってて、どうして」
そう、ガーフィン大帝はリンガに縁談を持ってきたのだ。もはやそれは強制と言ってよかった。
「もう暁の事は諦めろ。事情が変わった。 それにお前はもういい歳だ。
そろそろ故郷に根を下ろし、落ち着いた方がいい。
今まで国のために色々な所に嫁にやったが、もう充分だ。
お前は私の決めた祖国の人間と結婚し子供を作れ」
ガーフィンは、先代の父王が男女見境無くお盛んであったせいで、その反抗心と嫌悪からか、異常に禁欲的に成長した。
潔癖症も重なって、それが異性(もしくは同性)への不感症となり、不能を引き起こし、性欲がなくても構わないという人間になってしまった。
政(まつりごと)にはなんら支障は無く、かえって情愛に流されるリスクも無く、本人としてはまったく楽であった。が、それでは跡継ぎに困ってしまう。いつも明言しているとおり、あちこちにいる異母兄弟には、絶対に大帝の座を譲りたく無い。
だからガーフィンは、将来は最愛の妹を呼び戻し、世継ぎを生ませ、彼女を手元に置いておくと心の中で決めていたのだ。
「炎剛神宮(えんごうじんぐう)の祭主の息子なら、お前の相手に不足はない。あそこの長男が確か跡目を継がないと言っていた。お前にはうんと歳が下だが、若い男が好きなお前にはいい話であろう?」
王家同様、国を支える神宮の血筋なら、次期王の種にするにはもってこいとガーフィンは考えた。
現神宮祭主には3人の息子がおり、才能はあれど本人が祭主を継がない、と公言している長男に目をつけた。
まだ若干20歳を過ぎたばかりでやんちゃだという噂だが、若い男が好きなリンガなら全く問題ないだろう。
「何を言ってるの!兄君。わたくしは暁が…」
「神宮祭主のご子息ならば、王家とは最高の組み合わせですね。
いいじゃないですか、王女。ずっと東のならず者なんかを追いかけなくても…ね」
話を聞いていたカァラが突然口をはさんだ。リンガは思わず彼を、キッと睨み返す。
「アムイはならず者なんかじゃないわよ!彼はね…」
「リンガ様!」
彼はセド王国の血筋を引く…と言おうとして、モンゴネウラに言葉を止められ、リンガは慌てて口を閉じた。
こんな話、まだ確定でもないのに安易に口にしてはならないのだ。もし、本当の事であっても、このような重大な内容を他国に漏らすなんて浅はかだ。
そんな彼女を、邪眼を持つと言われるカァラは思わせぶりに眺めていた。
カァラにしてみれば、アムイがキイの弟であり、本当の意味でのセドの最後の王子である事実はとっくに知っていた事であったが、彼もまたアベル以外にはこのような話をした事も無かった。だから彼は彼で、その事には言及しないで独り言のように呟いた。
「…【暁の明星】ね。一度会ってみたいものだ」
その言葉に、リンガは胸騒ぎを覚えた。
「ちょっと待って…!カァラ、貴方もしかしたら…」
焦った様子のリンガに、カァラは妖艶に微笑んだ。
「どうかされました?王女。暁は我が東の国、荒波州では指名手配されるほどの荒くれ者ですよ。
巷に流れる彼の武勇伝が確かかどうか、この目で確かめてみたい、と言っているんです。何か不都合でも?」
自分の愛人の手前、そのようなもっともな理由を述べているが、リンガの女の勘は誤魔化されなかった。
(そうじゃないでしょ。個人的に…男として興味あるって顔してるじゃないの!)
リンガは兄の話といい、カァラの言動といい、かなり打ちのめされていた。
「まぁ、ご兄妹で積もるお話もあることでしょうから…。
ね、アベル。我々はここでもう帰らない?」
「そうだな。…ガーフィン大帝は、ここのイアン公の屋敷に滞在されているんでしたか…」
「ええ。妹の事では本当に世話になった。改めてお礼をしに伺いますよ。
妹はこのまま連れて帰ります」
そう言いながら、互いに握手を交わし合い、荒波の二人はこの場を去るために席を立った。
「待ってよ、カァラ!!」
「リンガ!」
兄大帝の制止も振り切り、出口に向かったカァラを彼女は引き止めた。
「何か?王女」
「何か、じゃないわ、姫胡蝶。アムイのことですけどね、彼には絶対に近づかないと約束して」
声を潜め、彼に睨みを効かせる彼女に、カァラは面白そうにこう言った。
「お約束は出来ません、ね。どうしても暁には確かめたい事があるんですよ、自分には。
大丈夫です、王女。暁の居所は、このカァラが突き止めますから」
「何ですって…」
「だから安心してお国に帰り、ご結婚された方がよろしいですよ。
…これから大陸は荒れに荒れるでしょうし。…それを見越して貴女の兄君はお迎えに来られたんでしょうから。
暁の事は俺に任せて、国で幸せになった方が、貴女のためです」


.....................................................................................................................................................................................

曰く付き(いわくつき)の姫胡蝶と何を話しているのかわからないが、自分の妹が打ちのめされてような顔を見るのは久しぶりであった。
その残された大帝と、彼の側近でもあるドワーニとモンゴネウラは、王女の様子を気にしながらも、話を進めていた。
「では。…暁達との攻防の果てに逃げおおせた奴らを、タイミグよく待ち構えていた、というわけですか」
ドワーニはティアン宰相の顛末をどうしても聞きたくて仕方なかったのだ。
まかりなりにもスパイ(これはドワーニを崇拝する兵士らの事だが)を使って、ティアンの内情を探っていたドワーニである。
「先の戦闘でかなり弱っていたからな。あっけなかったぞ」
滅多に笑わない大帝が笑った。それでも頬を引きつらせる程度ではあったが。
「しかしガーフィン様。貴方がわざわざ北の国のこのような辺鄙な所まで来られるとは…。
やはり、あれですか?それだけ状況が変化した、という事でしょうかね」
古い付き合いのモンゴネウラは、臆することなくそう言った。
「モンゴネウラ、ドワーニ。お前達のような古参の者の力が必要になったのもそうだが、セド王国の最後の秘宝…。その鍵を握る宵の素性がああも公に晒されたのだ。何となくそうではないかと思ってはいたが、ああもはっきりされてしまうと…。
ティアンの奴が最初からそのような大事な事を隠していなければ、このような情報が出回る前に何とか手を打てたものを!」
傍から見れば涼しい顔をしているガーフィン大帝であるが、幼い頃から育ててきてたモンゴネウラには、その声色で、彼がとてつもなくご立腹である事を見抜いていた。
「何かおかしいとは思っていたが、これで奴は最初からセドの秘宝を我がモノにしようとしていたのがはっきりとした。
これから国に連れて帰り、相応なる処分をするつもりだ」
ガーフィンは、ティアンを捕らえた時に交わした会話を思い出した。


..................................................................................................................................................................................

《そうですか、ばれてしまったらしょうがありませんなぁ》
臆面も無く、ひょうひょうと答えるティアンに、ガーフィン大帝は神経を逆撫でされた。
《ほう、ティアン。この大国、リンガ帝国を謀った罪の重さがわからないようだな。
お前を国に連行し、どのような刑罰を与えようか楽しみだ。覚悟しておけ》
《おや、大帝。この私にそのような口を聞いてもよろしいのですかねぇ…》
《何…!!》
両手を大帝の護衛官に拘束され、見るからに情けない姿であるティアンだったが、その顔は薄笑いさえ浮かべていた。
この余裕は何なのだ?確かに大陸一の気術使いと豪語するだけあって、何やら怪しげな波動を感じる。
《今のうちにご忠告をしておきますよ、大帝。
未来の大陸の王に、浅はかな振る舞いはなさらぬ方が得策だということを》
その言葉に、ガーフィンは確信した。
この男はセドの秘宝を使って、この大陸を支配しようとしている。
《それは聞き捨てならぬな、ティアンよ。己がどれほどの者か、わかってそういう事を言っているのか》
《どれほど…?それは生まれの事をいうのでしょうかな?大帝よ。
そんなもの、これからの大陸には必要なくなる。ただ親から受け継いだ血筋に、何の意味があるだろうか。
高貴な血だからといって、その者が有能とは限らぬ。
北の第一王子をご覧になったろう?あのような者が、高貴な血筋だというだけで王となれる。
そのような時代はそろそろ終わりが来るでしょうな。
これからは真に実力のある者が天下を取るのだ。この私のような…!》
ティアンはそう叫ぶと大帝の前で大笑いした。

この男は…。

《ティアン、ひとつ聞くが、お前は【宵の流星】を手にし、神の秘宝を操り、大陸の頂点と立とうとしているわけか?
その実力を、自分が持っていると思っているわけだ…!
お前にセドの王子の力を牛耳る自信があるということなんだな》
ティアンは大帝のその言葉をじっと聞いていた。それに気付いたガーフィンは鼻で笑った。
《お前の大事な研究助手が口を割ったぞ。少し痛い思いをさせてやったら泣きながら喋った。
意外に部下には恵まれない男だよな、ティアン》
ティアンの顔色がさっと変わった。
《ほう、まだ知られたくなかったと見えるなぁ、ティアン。
お前が長々と27年もの間、追いかけ、研究してきた成果をな。
……セド王国最後の秘宝…その正体は背徳の王子であるキイ・ルセイの生まれながらにして持つ神の気。
そうだろ?あの、オーンが崇める絶対神の持つ、天界の“気”だ》
青くなって、きっとこちらを睨んでいるティアンに、ガーフィンはこう畳み掛けた。
《そもそもティアン。キイ・ルセイ王子の力を操れれば、大陸の王、支天の王になれるとはどういう了見か?
……それはお前ら術士の見解なのか。
彼の持つ“気”を制し、世界を支配する…。キイ・ルセイを手にした者こそ大陸の王となる…それは誰が決めたのだ?
確かにキイ・ルセイがただの人間ならばその考えも有りであろう。彼が東の王子でなかったら、ね》
《何が言いたい、ガーフィン大帝》
《いや、何ね。今だ血筋や格式を重んじるこの世界で、実質の王子を懐柔し、自分が王となれると本気で考えているのかと思うとね。
おお、そうか!そういう制度や考えもろとも、お前はこの世を変えるつもりなのだな》
からかうようにこう言ってから一息つくと、ガーフィンはきっぱりと言った。
《お前だってわかっているんだろう?神の力を持つしかも神の子孫である東の王子だぞ!
宵がその気になれば、彼自身こそこの大陸の王となれる。
いや、世間はその方を所望するだろうよ。特に東の民はね。
彼の存在が世間に公表されたという事は、彼を差し置いて、しかも利用して己が王となるには余程の事がないと無理だという事だ。
まぁ、彼がまかりなりにも神王として復帰し、その側近になって政(まつりごと)に参加する、というならわかるがな》
ティアンは唇を噛んだ。
そういうことか、カァラ。
キイの素性を公表する事、それはすなわち、本人の意向関わらず、世間にセド王国の復活を間接的に示唆する事なのだ。
彼がセドの直系であるというのが、彼の持つ神の力を操り大陸を制する野望を持つ者には、邪魔な事実であった。
だがら早めにキイを手にする必要があったのだ。自分の意のままに動く美しい人形として、そして畏怖するほどの力の源として。
皮肉な事に、セド王家直系という事実が、キイが狙われる理由のひとつに加わったと同時に、世間が彼を王子と認識とした事で、彼の身分や地位が確立され、ある意味あらゆるものから脅かされない存在になった。
これでは彼を手にした所で、世間の、各国の要人の目が、その扱いに目を光らせるであろう。
しかもキイは、もう意のまま一方的に利用しやすい子供ではなく、他国他民族が介入しやすい存在でもない。
今のキイは自分の頭で判断の出来る自立した大人である。
誰が判断したかわからないが、利用されることを危惧して、彼を隠して育てたのは賢明と言わざるを得ない。
案の定、情勢も切羽詰っている東の国に、光明としてキイは受け入れられたのだ。
彼を手にすれば天下を成す、という意味には変わりはないが、ただし、セドの神王という立場に沿ってのことだ。


.............................................................................................................................................................................................

「このガーフィンとて、そういう話なら、宵への認識を変えなければならないだろう。
今の情勢では、セド王家の生き残りがいたという事が一番重要である。
東の国が我らのものになるかならないかは、宵を手に入れるか否かにかかってくるだろう。
…神の力は二の次だ。
とにかく、敵となるか味方となるか…。他の国よりも早く宵と接触しないと…」
と、ここまで言って、ガーフィンは首の後ろに視線を感じ、口をつぐんだ。
「大帝、ではリンガ様に暁を諦めるようにおっしゃたのは…」
その様子に気がつかないモンゴネウラが話を続けた。
ガーフィンモ何事も無かったようにモンゴネウラの言葉に答えた。
「お前達の報告が確かなら、暁の件が吉と出るか凶となるか…。まだ、計り知れない。
その本意は直接リンガに説明するが、妹も考えてみればもういい年齢だ。世継ぎの件もある。
唯一の肉親としての情が勝ったというのかな…。危険を伴う関係よりも、妹には安定した幸せを営んで欲しい…と。
まったく、私らしくないであろう?初めてだよ、国政に関する事なのに、私情で判断するとはな」
自虐気味に話す自分の大帝に、モンゴネウラもドワーニも、ただ言葉も無く頷いた。
彼らとて、振り回されているが、心から王女を大切に思っているのだ。
自分達だって、最終的に王女には幸せな家庭を作って欲しい。
彼女が家族に恵まれなかった幼少期を知るモンゴネウラは特にそう思っていた。
「だが、暁の件は、あのティアンも知らない事なのだな?…なるほど、そう考えると、まだまだあの二人に何かありそうだ」
そこでガーフィンはちらりと入り口に呆然と佇んでいる自分の妹を見、すぐにモンゴネウラに視線を戻した。
「モンゴネウラ。後でリンガを私の部屋に連れてきてくれ。場所は護衛の者がわかっている。
ドワー二、お前は私と共に来い」
そう言うと、ガーフィンはすっとその場から立ち上がり、ドワーニを伴ってテーブルを離れた。
命じられたモンゴネウラは、すぐにリンガの元へと駆け寄る。
と、何を思ったかガーフィンは、出入り口とは反対の、自分の席の後方にあるテラスの方へと歩き出した。
「大帝?」
ドワーニはわけもわからず、ずんずんと歩くガーフィンを追って足早に進んだ。
その途中でガーフィンは、ある一つのテーブルで歩を止めた。
「これは珍しいお方がおられる」
彼が声をかけたのは、黒いマントを頭からすっぽりとかぶった、がっしりした体格の男だった。
その男を守るようにして、テーブルには同じようにマント姿の人間が彼を挟んで席に着いている。
突然の大帝の行動に、ドワーニは驚いたが、次の瞬間、彼は益々驚く事になった。
「よく私がわかりましたな、ガーフィン殿」
と、言ってその男はおもむろにフードを取り、黒い髪と共に浅黒い精悍な顔を周囲に晒した。
「貴方は!」
ドワーニが思わず叫んで、慌てて口を手で塞ぐ。
「わかりますよ、ザイゼム王。隠れても貴方の存在感は隠しきれませんからね」
ガーフィンの言葉に、ザイゼムはにやっと口の端で笑った。

「それはどうも。ただ、もう私はゼムカの王ではありませんがね」


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

取り急ぎまして…

なるべく更新を早めます、と書いておきながら、
諸事情により更新できずにおります。

それなのに、ブログを覗きにきてくださって
本当にありがとうございます!!

先週、今週は、子供の学校行事などが重なりまして、
ほとんどそれらに気を取られ、小説も十数行くらいしか書けないという事態。
なのに!
やってしまいました。

先日、重い鉄の玄関ドアに、勢い良く
顔面殴打((((;゚Д゚))))

鼻血出ました。
鼻曲がった気がしました。
唇も腫れました。

…いやー、メガネが壊れたら危なかったかも、と思いながら
損傷もなく、いや、それが悲惨な状態になるのを少しでも緩和してくれたようで
(メガネがクッションになってくれた…というか)

しばらく目がぼやけてて、ずっと冷却して何とか復活しました


鼻も青痣になったのですが、ひどく腫れ上がるようでもなく、
ただ、顔面の中心なので、安静にして様子見て、何かあったら医者に行こうかと。

ということでして

今書いている分が、中断になっています…。

ですがなるべく近く、更新します。

覗きに来てくださっている方には本当に申し訳ありません…。


取り急ぎまして、ご報告させていただきました

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »