暁の明星 宵の流星 #148
『先日の御目通りを果たせなく、誠に残念でなりません。
我らはあの後、無事に東の聖天山(しょうてんざん)に戻り、門下生への修練を極める日常を送っております……』
秋も深まり、夜も更けるとなると、どこからともなく虫の音が聞こえてくる。
その合奏を耳に、キイは洞窟の入り口付近にある、中くらいの空洞で自分宛の手紙を読んでいた。
キイのいる場所は外の世界に近接するようで、斜め天井にはぽっこりと小さな子供が出入りできるくらいの穴が開いていた。
そこから新鮮な外気が流れ込み、虫の音が外界から遮断されている洞窟に風情に響く。
満天に輝く星たちが天井の穴から覗いていたが、手元のみを照らす“気”の灯りが無ければ、もっと星達の輝きが暗い洞窟に届いていたであろう。
『ところで、多分にお耳に入っておられるとは思いますが、
貴方の身分は、全東の地…いいえ、大陸全土にも広まっておられます。
諸事情も、昂極(こうきょく)様より窺っております。
難儀なこと、せめて我らに協力できることがあれば、なんでも致す所存であります。
どうかご安心下さい。
今の東の国の状況を、貴方もわかっておられると存じていますが、
この混沌とした時代が、セド王国滅亡後、20年近くも続いている…。
あらゆる州や小国、民族が、セド王国に成り代わってこの東を治めようと躍起になっていたも、上手くいかずに荒れ放題です。
その中でのセドナダ王家の直系が生き残っていたという衝撃の事実は、これから先の東の国の国運を左右する、重大な事であります』
キイはふうっと溜息をついた。
『いつでも我々、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)の者は、貴方を全力でお守り致します。
先にも書きましたように、これだけの州や民族が、貴方を手にしようと暗躍している。
それは全て、今は民族が滅していようと、重要なのは神の血を引くという神王の存在。
彼らは貴方を、この東の国統一のために利用しようとしているのです。
貴方を東の国の象徴として、東をまとめる力と成す事を期待して』
いつかはこういう日が来ることを、聖天風来寺を追い出される時から覚悟していた。
己に力が無い子供のときに、素性が知られなかっただけでも幸運だった。
聖天風来寺というある意味狭く、聖天山自体が独立した場所であった事も、キイとアムイの二人にとってよい方向に転んでいた。
しかも当時のセドナダ王家が、神国オーンの顔色を覗って、キイの存在を世に知らしめすきっかけを探っていた最中だった事が、彼らの存在が一部の人間にしか知られなく済んだのも幸いした。
聖天山が、この曰く付きの二人の子供を受け入れ、大切に育ててくれた事は、感謝してもしきれない。
この場所ではキイもアムイもただの子供でいられた。ほとんどが本名のまま過ごせる事が出来たのも、外界とほとんど隔離され、保護された聖域だったというのも大きかったのである。
その聖天風来寺から出る、という事は、今までの庇護からの決別と同等の意味を持つ。
外界に出る事、それは、己自身の力と知恵で、あらゆるものと立ち向かわなければ成らない事を示唆していた。
それが己の素性を暴こうとする者や、己の力を欲し、己の存在を利用する者達だけでなく、自分達の背負う重い宿命に対してもだ。
特にキイは、アムイが己を閉ざしていた間、ずっと一国を滅ぼしてしまった罪悪感と戦っていた。このまま安穏として逃げてていいのかと自責の念に駆られていた。いや、子供の頃はそうやって目を瞑っていたいと幾度も思っていた。
だが、成長し、自分の力を信じる段階になったとき、キイは己の背負うものから逃げられない事を思い知った。それは何者かに自分を探られたという事件がきっかけだったかもしれない。
そう、十代の頃、吸気士シヴァに聖天風来寺で襲われた出来事のことだ。
…あの時はまさかシヴァがティアンと通じていたとは全く知らなかったが、“光輪”を持つ自分、神王の血を引くという揺るがない事実…を、捜し求めている人間が少なからずまだ存在する、という事を実感したのは確かだ。
そう。生まれの事実を完全に消し去る事はできない。
この“光輪”の気を身の内に持つ限り、自分の意思でなくとも祖国を結果滅ぼしてしまったという事実がある限り。
『…各州にそういう動きがあるのだという事を、どうか知っていただき、東にお入りくださいますように。
貴方の存在が、この東に一筋の光をもたらしたのは確かであると共に、その存在の大きさが、ある意味命の保障となっている事も、
先を見通す力のある貴方ならもうおわかりかと思います。
しかしその一方で、貴方の存在を恐れ、消し去ろうとする輩もおるかもしれない…。
東に戻られましたら、なるべくすぐに我らにご一報ください。
そしてくれぐれも気をつけて聖天山にお入りになられますよう、風来寺一同、貴方のご来訪をお待ちしております。
草々
奏柳19年10月12日 聖天風来寺・風来教士 朱陽炎 』
キイが差出人の名前までに目を落としたとき、背後からやってきたシータが声をかけてきた。
「なんて書いてあった?サブ(朱陽炎の本名)からの手紙」
「ああ。…思っていたとおり、各州、各村の動向を詳細に書いてあった。
よく調べてくれたなぁ。…かえって申し訳ないくらいだ」
キイはそう言いながら、手にしていた手紙をシータに渡す。
「そりゃサブはアンタのためなら、昔から手間を惜しまない男だったからね。
でも、驚いたわ。アンタのためにサブが手紙を寄越した事もそうだけど、その手紙をわざわざ聖天風来寺まで取りに出向いてくれたユナの…人達の仕事ぶり。まさかサブと彼らが連絡を取り合っていたとはね」
ユナ人がセド王家の隠密であるという事実は公にできない事であったが、彼らがキイに対する態度から、何かがあるとは感付いていた。だが、あえてそれを言及する人間はいなかった。
実は南軍との戦いで、すぐにでも身を隠さなければならないキイ達の事情を伝えるために、セツカが聖天風来寺一行と接したのが発端であった。
キイの事を心配した朱陽炎が、“東に来られるおつもりであれば”と、東の国の様子を伝えたくてセツカに頼んでいたのだ。
「ま、結局は世間にはっきり認識されて、かえってすっきりしたでしょ?…アンタいつも何かを抱えて辛そうだったから」
と、突然シータがポツリと言った。
その言葉にキイは思わずシータの表情を窺った。
だが、外部になるたけ光を漏らさないよう、最少最限度の灯りしか灯せないこの場所では、彼の表情がはっきりと読めるはずも無い。
「辛そうか…」
「でも一番驚いたのは、公表したのがあのシヴァの息子ってとこかしらねぇ。
アンタはあまり詳しい事話してくれないけどさ、彼は一体何を目論んでいるのかしら」
薄明かりの中、シータはそう言うとキイの横に立ち、隙間から覗く星の明かりを見上げた。
その横顔をじっと窺っていたキイだったが、彼もまた誘われるように星を見上げた。
「まぁ、お前も知っていると思うが、シヴァの奴があのティアンと通じていた事が大きいだろうな。
…あいつによると、俺のせいで生まれてきたっていう言い方だった…。
俺の生まれが影響して、ティアンがシヴァに命じてあいつの母親を犯した結果生まれたんだと。
…それも実験のために。力のある子供欲しさのために…一人の女を犠牲にした…」
隣でシータの溜息が聞こえたが、彼は何も言わなかった。
「しかも、本人もあのスケベ爺達におもちゃにされてちゃ、そりゃ歪むよなぁ。
俺が思うに、奴に様々な思惑があるとすれ、その一つがティアンへのあてつけもある気がしてならないんだよ」
「あてつけね…」
「ああ。ティアンの目的は今も変わらず俺を手に入れ、神の力を自分のものにする事だけだ。
あいつに会ってはっきりわかったよ。まったく凄ぇ粘着質!」
「神の力を手に入れ、制する事が出来れば、この世を思い通りにできると思い込んでいるのでしょうね。
アンタを手にすると言うことは、まさしくこの大陸を手に入れると同等…。
単純な奴が簡単に考えそうな事だわ」
「ま、複雑そうに思えて、意外と簡単でシンプルな事でもあるからな、世の中ってやつはさ…。
あながち的を得ているのかもよ、あのおっさん」
腕組みしながら、けけっと笑うキイに、シータもつられて口元を緩めた。
「アタシねぇ、アンタの節操ないとこは嫌いだけど、そういう世の中を達観できるとこは嫌いじゃないわ。
何が起ころうと、アンタは基本前向きだものね。…心の中に色々な葛藤があってもさ」
「…節操ねぇって…おい…」
キイの文句を、シータは涼しい声でやんわり遮る。
「もちろん今はもういい大人だし、昔みたいに来るもの拒まずじゃないでしょうけど、まーそんな事どうでもいいのよ。
話に戻るけど、つまりあのカァラって子、余程ティアンが嫌いなのね。
結果的にはアンタを狙うライバルが増えちゃったわけじゃない」
「ライバル…ね。俺にとっても面倒が増えちまったが、その反面、俺の身分の保証もできったってぇことだ。
いいか悪いかはわからんが、これから何かする時に、王侯貴族どもと対等に接する事ができるようになったのは大きいだろう。
つまり、一介の荒くれもんでなく、相応な位の人間として発言力が持てるってことだ。
それは世間にどのように受け入れられるか、本当はまだ不安な部分もあるが、ティアンみたいな奴の手にもし落ちたとしても、好き勝手させないくらいの立場を手に入れたことになると思う。必ず干渉してくるからな、各国の要人ってー奴らはよ」
「つまり、ティアンにとってはアンタの素性が世間に知れる事が足枷だったところもあったわけなのね。
まだ世間に知られてなければ、思うように操れたろうし、その後にセンセーショナルに公表すれば、もっと有利に働いたでしょうから」
「だからカァラが俺の動かぬ証拠…セドナダ王家の家系図である石板を手に入れて、かなり喜んだに違いねぇと思うとな。
これでティアンに一泡吹かせられるってさ」
そういう面では、いい時期に公表してくれたとカァラに感謝すらしていた。
これも天の巡り合わせ、天が与えてくれたタイミングだろう。
自分が目覚めてからというもの、運命のうねりが大きく動いているのを肌で感じていた。
後はアムイが地獄から這い上がり、色んな意味で目覚めてくれれば……。
「しかも東を束ねていた唯一の王国だったわけだからね…。その王家の人間が生き残ってたわけだし」
シータの言葉に、キイは自嘲気味に言った。
「と言っても、実際どれだけ力を持てるかわからんさ。何しろ、国自体がないんだから。
…国民(くにたみ)を持たない王子がどれだけの価値があるっていうのか…。
サクヤのように生き延びたわずかなセド人だって、人買いのせいで、大陸全土に散らばってしまった…。
どのくらい生存しているかも把握できない…」
「だからこそ公表の意味があるってことよ。アンタを知ったセド人が集まってくるかもしれないじゃない。
それに、国民(くにたみ)を持たなくても、神の血を引く神王の生き残りというのは今の大陸では大きいことよ。
実際にサブの手紙では、もうアンタを自分達のトップに据えようと目論んでる州村もあるようじゃない。
自分達が東の実権を握ろうとしてさー」
再びキイは、朧気に浮かぶシータの横顔に目を移した。
「あのさぁ、シータ」
「何よ、改まって」
「…俺、ずっとお前にお礼言って無かったよな」
その突然の言葉に、シータは目を丸くした。
「やだ!急になんなのよ、もぉ!ね、ね、いったいどうしったっていうの。
アタシにお礼なんてアンタらしくもない…」
上ずった声が、かなり動揺しているようであった。そんなシータに心の中でキイは微笑んだが、表面はいたって平静な様子を装った。
「…ガキん時からいっつも迷惑かけてて、それが当たり前になっちまっててさ。
いつも会えば憎まれ口ばっか。…ま、お前がいつも説教する、俺が反発する、っつーのが恒例だったからねぇ」
キイはじっと下を向き、何やら昔のことを思い出しているようだった。
「特にアムイの…。俺があいつと離れていた時、あいつの前に現れてくれてありがとう…。
本当は偶然ではなく、上から頼まれてたんだろ?俺らに何かあったら、手を貸すように…と」
シータはキイの言葉を、声も無く聞いていた。そして居心地悪そうに体の向きを変えると、ふっと笑った。
「アンタ達とはながーいおつきあいだからね。…確かに亡き竜虎様の遺言で、アンタ達の事を頼まれてはいたわよ。それに…」
シータは一瞬声を詰まらせた。キイはそれでシータの胸の内を察した。
そしてこの先は言わなくてもいい、とばかりに彼の目の前で手を振った。
「…キイ…」
「いいんだよ、どういうことであれ。大事なのは俺らが辛いとき、何かしらお前がいてくれたことだ。
それはもう、長い間。本当に世話になったよなーと思ってさ」
「何か嫌だわ、そういう言い方」
「そうか?」
「アンタにそんな殊勝なことを言われちゃうと、この先何かあるって思っちゃうじゃない…。
…もうすぐ消えちゃいそうな…そんな…」
キイは、ははっと笑った。
確かに己の寿命が限られているのを、最近は特に実感するのが多くなっている気がする。
己自身の焦り…。昂老人に指摘された自分の心情を、痛切に感じる。
残された時間で、自分はどれだけの事を成し遂げる事ができるのか…。
そして今、言っておきたいことを言わずに後悔するのが嫌だったのだ。
「まーいいじゃん。こんなのこの先滅多にないかもよ?だって俺ら犬猿の仲だもん」
茶化すような言い方に、シータは苦笑いした。
「…アタシにとって、アンタは出来の悪い子供みたいなもんだわよ。
アムイもだけど、早く一人前になって安心させてちょうだいよね…」
「おいおい、年齢を気にしてる割には、そんな年寄りみたいなこと言うんだなぁ。
お・か・あ・さ・ん?」
その言葉にシータは、キイの頭を手で思いっきり張り倒した。
「いでっ!」
「アンタ、もうこれ以上言ったら、もう一発お見舞いするからね!」
と、まるで小さな子供に対するように、シータは自分の拳にはぁーっと息を吹きかける。
「はいはい、おっかねぇなぁ、相変わらず。
しかしいつも思ってたけど、 怒った顔が綺麗っつーのも、なかなか女でもいやしねぇよな。
…ほんっと、男にしとくのが惜しいぜ、おかあさんよ」
「キイ!」
シータの怒った様子にキイはぺロッと舌を出すと、するりと彼の前から身を翻した。
「ちょっとアムイの様子を見てくるわ」
キイはそう言うと、にやりと笑い、その場にシータを残して去っていった。
一人残されたシータは、やれやれ、という顔をすると、上空に浮かぶ星を潤んだ瞳で見上げた。
確かに二人の動向を見守り、何かあった場合は手助けして欲しいと頼まれていた。
しかしそれは全て手を貸すという事でなく、基本は二人に任せるという意向があっての事だ。
ただ、幼い頃から面倒を見てきたシータにとって、キイが姿を消し、アムイばかりの噂が耳に入って来た時には、本当は今すぐにでもアムイを助けに行きたかったのは事実だった。だが、それではアムイのためにはならない、と思って、シータはずっと彼の前に出て行くことを我慢していた。もちろん、内心ははらはらと、この何年間は気が気でない日々を過ごしてきたのだ。
しかし、そうこうしているうちにあっという間に四年もの年月が流れ、一向に行方がわからないキイに、さすがの聖天風来寺もシータに動くよう命じたのだ。
これ幸いとアムイの居所を確認し、シータはわざわざ僧侶の護衛として、西の国でアムイの前に現れたというわけだ。
「まったく…本当に手のかかる子達だこと」
シータは自分でしか聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「…敬愛する貴方様が、御心を砕いている運命の子達は、御期待通りに成長されております…。
だからどうかご安心ください。
いくら年月が経とうとも、これから何が起ころうとも、お役目を果たすまでは、これからも陰ながら二人を見守る所存です…」
シャラン、とシータの髪飾りが揺れた。
彼は満天の星達に敬意を表すために、その場に膝を付き、正式な形で心からの祈りを捧げ始めた。
それは誰もが入り込めないほど、崇高な祈りの姿であった。
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「冬の到来が早い国と聞いていたが、確かに日も暮れるとかなり冷え込むな…」
満天の輝く夜空を見上げて、ザイゼムはそう近くにいた従者に話しかけた。
「北の国は元々寒い所ですからなぁ。この分ですと、初雪も来月には降りそうですね」
「初雪か…」
「熱い気候の南の御方には、少々この寒さはさぞかし堪えるでしょうな。
まさかあのような所でお目にかかるとは…」
ザイゼムは口の端で笑った。
「私もだよ。我々と違って滅多に外国なぞに訪れないあの大帝が、わざわざここまで来るとはね…。
余程【宵の流星】の件で、頭にきていたらしいな」
「…あの…宰相の件、ですか」
ザイゼムとお供の二人は、海を一望できる高台で町の灯りを眺めていた。
これからこの周辺をザイゼム自ら独自に調べるために、わざわざ夜中に出発するところであった。
《ほう、貴君は一人の男のために、王位を簡単に手放されたと…。
私には到底考えられぬ。…天下のザイゼムともあろう方が》
あの無機質のような声色で、南の大帝ガーフィンが憐れむように言い放つのを、ザイゼムは笑って聞いていた。
《恋に狂った君主など、男だけの王国には不要なものだ。…ただ用無しになっただけでね》
そのようにさらりと言ってのける自分に、ガーフィンは皮肉めいた表情でこう言った。
《用無し?何を御戯れを。その割にはさっぱりした顔をされておる。
…身軽になって清々したという感じだ》
《それは褒めていただいたと思ってよいのかな?》
《は!そう思いたかったらどうぞ》
ザイゼムは彼の冷たいアイスブルーの瞳を覗きながら、この男は人を愛した事があるのだろうかと、ふと疑問に思った。
《ガーフィン殿こそ、愛するお方はおられないのか?そういえば浮いたお話がまったく耳に入った事が無いと思ってね》
《……即答すると、私は他人を愛した事など、一度もない》
彼の冷ややかな声に、ザイゼムが眉根を寄せた。
《南の国は情熱の、炎の国と聞く。色恋盛んな自由な国とも。
…その頂点に立つお方が、全く真逆な事をおっしゃるのは面白い》
《………》
《皆が貴君のことを【氷壁の帝王】と称するのが、なるほど、納得いたしました。
ならば私の気持ちなど、理解できなくて当然でしょう》
皮肉めいた口調で言うザイゼムに、ガーフィンは冷たく言い放った。
《わかりたいとも思いませんね。…私こそ、何故に貴方がそこまで他人に心を奪われ、全てを投げ出すなんてまったく理解できない。どうぞご勝手に、という気持ちですけどね…。
ただ、貴君の求めている人間が【宵の流星】だというのが、見過ごす事が出来ませんなぁ。
……貴君の事だ、国を巻き込む事はできない、なんてお考えになられたんでしょうが、今の情勢でキイ・ルセイ=セドナダを追う事とはすなわち…国家間の大問題でもあるわけだ。
貴君にすれば、純粋に色恋のために彼を求めているのだろうが、周りはそうは思っていない。
……彼に関しては、我々だって容赦はしない…》
これ以上話しても無駄だと互いに思った二人は、様々な思惑を隠したまま、その場を後にしたのだ。
「何が容赦ない、だ!…絶対にキイをあんな男に渡してたまるものか!
いや、あいつだけでない…。キイを手にしようとするあらゆる存在から、私は出し抜いてみせる…!
彼らよりも、最初にキイを手に抱くのはこの私だ」
ザイゼムはそう呟くと自分の馬に飛び乗り、従者の二人を引き連れ、風のように丘を下っていった。
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「他人を愛した事などない…か」
「何かおっしゃって?兄君」
「いや、何でもない」
闇に浮かぶ町の灯りを窓から眺めていたガーフィンは、くるりと妹の方に振り返った。
目の前には、赤い髪を緩やかにまとめ、愛らしい赤い唇を突き出している自分の妹の姿があった。
情熱的で、色恋には直情的で…。南の女そのもの、といった自分の唯一の妹。
娘は父親に似ると言うが、確かにリンガは亡き父王と似ていた。
性格は無節操と言われていたあの父ほど破綻的ではないが、とにかく彼女の見目は若い頃の前大帝とそっくりだった。
あの容姿で人を翻弄し、誘惑し、弄ぶ…。やっている事は酷いことなのだろうが、本人にとっては邪気がない。
そういうところも、リンガ自身認めたくないところだったが、父親譲りであった。
だが、まだ彼女の方が女である分、ガーフィンの評価が甘いものになるのは致し方ない。
他人を愛した事はない…。
それは事実であったが、情欲以外でなら人を愛した事が無いわけではない。
身内以外の人間には、どうも情が湧かないだけである。
幼少期に受けた傷でさえも、両親を憎もうとしたが憎みきれない…。だが、まったく関係ない人間に同じ事をされると、絶対に許せないし、報復する…。そのような男だ。
それが政(まつりごと)にも顕著に出ていた。
自国の人間以外どうなっても構わない、という政策だ。
自分の国を豊かにするためなら、他国の人間を犠牲にしても構わない。いや、進んで犠牲になってもらう。
そのような冷酷さのある男であった。
その彼が唯一人、人間らしい感情を持たせる人間…。それがこの目の前にいるたった一人の自分の妹である。
「…モンゴネウラ達が言っていたことは、本当なんだな?」
ようやくガーフィンは妹に本題を話し始めた。
つい先ほど、イアン公の屋敷に戻ったガーフィンは、先に戻っていたリンガ王女を自室に呼び寄せていた。
供の者には、二人だけで話をさせてくれと言って。
「…アムイの事?」
リンガは面白くなさそうな顔でポツリと呟いた。
「そうだ、暁の事だ。…【宵の流星】の相棒といわれる、【暁の明星】の事だよ」
リンガはきゅっと唇を噛むと、意を決して兄に言った。
「…確証は今のところないけど…。二人はそう思うって。あまりにも似てるんですってよ、【セドの太陽】と」
【セドの太陽】とは、アムイの父、セドナダ第5王子アマトの呼称である。本来の異名、【太陽の獅子】が、彼への敬意と憧憬を込めて【セドの太陽】と、セドの国民(くにたみ)に呼ばれたのが全土に広まったと言われる。なので、アマト王子の本来の異名よりも、この愛称の方が有名であった。
「【セドの太陽】か。私も子供の頃、姿を見た事がある…。まだ彼が王太子になる前だったかな?
一度だけ南に来た事がある」
「え?本当に?」
それは初耳だった。
「ああ。その頃父君は東の国に興味があって、たまに東の島々にちょっかいを出していた。
気まぐれに攻め入っては、戦利品としてその村や島の宝や見目のいい人間を略奪するのが趣味だった。
そして自分の周りにはべらせ、…お前は覚えていないと思うが、散々好き放題していた」
その当時は、自分は物心つく前の赤ん坊でもあったからよくわからない。ただ、乳母や側近達の昔話の中で、その頃は異国の美女や綺麗な子供などが、宮廷でうろうろしていて華やかであった、という内容を、おぼろげながらリンガは思い出した。
「それを止めさせようと直談判に来たのが、当時セドラン共和国の代表であった、セド王国の第5王子、【セドの太陽】と呼ばれていたアマトだ」
当時の南と東は、互いに牽制しあう仲ではあったが、大きな戦争にならないようにと、なるべく互いに干渉しないようにしていたのだ。それは宗教戦争の名残で、大国は隣国を干渉しない、という暗黙のルールがあったからだ。(現在はそれもかなり崩れてきているのだが)
だが、前大帝はあまりその事に無頓着だったようだ。
ガーフィンとは反対に行動的な彼は、若い頃あちらこちらの珍しい異国を訪れては、そのような無体を働いていたらしい。やっと王位に収まって、そのような遊びは鳴りを潜めるだろうと思っていた数年後、前大帝の悪い癖が隣の国に及び始めた。…といっても、小さな規模での被害で、まるで賊のような所業を堂々と臆することなくやらかしていたわけであるので、すぐに東の国で問題となった。
いささか南の大帝のおイタが過ぎたのであろう、それがきっかけに国家間戦争になったらかなわない、という事で、セド王国から勅使を送ろうと話になった。だが、何名か送った勅使も、南の大帝にけんもほろろに追い返された。
「で、結局痺れを切らした東の国は、セドの王子直々、南に寄こしたってわけなのね…」
「そう。それが悲劇を生んでしまったわけだがな」
「え?それって…どういうこと?」
「私はまだ少年だったけどね。今でもはっきり覚えている。
……初めて東の王子が南に来た時の事を…。そして父君が彼を見て目の色を変えたのを…」
リンガはぞくっとした。それ、もしかして…。
「きめ細やかなセド人独特の白い肌、濡れたような艶やかな黒い髪と瞳。白くて形のよい長い指と夕闇のように低くて甘い声のする青年…。南の国には決して存在しない、東の宝石がそこに存在していた」
「………」
リンガは震えが止まらなかった。どうしてだかわからない…。
ただ、必死に自分の震えを止めようと、力いっぱい両腕を抱きしめた。
「…父君は年甲斐も無く恋に落ちてしまったのだ。…どうしても東の王子を手に入れたいと、再三彼に迫ったようだが」
王子に迫ろうとする父を、彼の従者である背の高い男が身を挺して阻止していたのだけは、ガーフィンはよく覚えている。
…あの大男がドワーニの言っていた、アマト王子の護衛官【東の鳳凰】…ラムウ将軍だったんだろう。
「…そ、それで…?」
ガーフィンはちらっと妹を見た。
父君によく似た瞳、気性…。そして今まで遊びだけの恋しか知らなかった人間が、初めて身を焦がす恋に落ちたさま。
…全てが酷似していて、珍しくガーフィンの胸をちりちりとさせた。
「……結局、王子は父君のものになどならなかったのさ。それは当たり前だろう?一国の、まかりなりにも次期神王、すでに王太子と決まっていた王子だ。……自分の想いが叶わないと知った父君が…激情のままに隣国を攻め入ろうとしたのは…私も少し短絡的だとは思ったが」
その話にリンガは息を詰めた。
「……東を攻めたって…。それって、あの東との戦争は…!国の領域を広げるためって、モンゴネウラが言ってたけど、あれって違ったの!?」
ガーフィンは無言で頷いた。
「…そう、よね…。一国の大帝が、色恋で、そんな一介の私情で国を挙げた戦争なんて…言えるわけが無い…」
「確かに世間には聞こえが悪い。当時の側近たちも苦労したと思うよ」
ガーフィンは人事(ひとごと)のように言った。あの父なら、そんな事も当たり前なのであろうが。
「当時のセド王国は国勢が衰え、同じ国の州村からの脅威にも晒されていた。
父君はすぐにでもセドを落とせると思っていたのだろうな。だが、そんな甘いものではなかった」
「かえって東の国の結束を強化してしまって、南軍はかなりの打撃を与えられたと聞いたわ…。
その、モンゴネウラに…」
淡々と話す兄の言葉に、リンガは故郷では感じたことの無い寒さに震えていた。
…北の国って…本当に寒い所…。そう、こんなに震えが止まらないのは、ここが寒いからなのよ。
「……お前もその戦いで、父君が片目を失ったのは知っているだろう?」
リンガは小さく頷いた。
そう、それで父はほとんど玉座に姿を現す事がなくなった。この兄が即位する事になる、あの18年前の年まで、前大帝は部屋に篭りきりになった。あれだけ自由に、勝手気ままに生きていたような人が。
己の部屋だけで国を治める帝王。…リンガの思い出の中の父はそういう印象であった。いくら昔の父の姿を他から聞いても、どうもピンとはこない…。若い頃の父が、今の自分に似ていると言われても、だ。
リンガがいくら父親に会いたくても、傍に行きたくても、父は頑なに拒否した。たまに見かける父の表情はいつも暗く、何か思いつめているようであった。言葉を交わした事すらない。というよりも、父の目に自分は映っていないようだった。
リンガの硬い表情をじっと見ながら、ガーフィンは一呼吸置くと、衝撃的な事実を妹に語り始めた。
「父君が部屋から出なかったのは…。目を失くしたからではない。
確かに怪我をした当時、半年は療養のために部屋に篭ってはいたがね…」
「兄君…?」
兄ガーフィンの言いにくそうな声色に、リンガは嫌な感じを受けた。
「……かの王子が禁忌を犯し、犯罪人として国を追放され、行方知れずになったと知ってから…。
父君は少しずつおかしくなってしまった」
リンガは言葉も無く、兄の話を聞いていた。
「私には信じられないがね。恋が人を狂わすなどと。そこまで父君はあの太陽の王子に恋慕していたのかと」
ガーフィンは忌々しげにそう言うと、近くのテーブルに置いてあったグラスに入っていた酒を飲み干した。
「仮にも南の大帝だぞ?他の国に脅かされず、わが国こそ大いなる陽(火)の国、最強の帝国。
その大帝がなんという体(てい)たらくだ!!」
ガーフィンはそのままの勢いで、グラスを床に投げつけた。
パリン!!と音がしてグラスは綺麗に飛散した。
リンガは驚いた。いつも沈着冷静な兄が、ここまで感情をあらわにするとは。
「父君の心の病は、年月を追うほど悪化していった」
ガーフィンの息が荒くなってきた。
「……心の病は…父君を狂気に走らせた…」
「狂気…」
「戯れに人を部屋に引き入れ、その人間が自分の想う人間でないと気付くと、いとも簡単に殺した。
……もうその頃には父君は我々のことなど完全にわからなくなっていた。
言い難いことだが、お前を嫁に出したのは…。父君がお前にも手を出そうとしたからなのだよ」
その衝撃的な告白に、リンガはその場で凍りついた。
「私が…まだ幼いお前を嫁に出したんだ…」
ガーフィンは疲れたような表情で、乱れた自分の髪をかき上げた。
「しかもどこから聞いたのか、王子が処刑された、と知ってからは、どんどん見境がなくなっていった。
王子の死を認められない父君は、彼を求めて益々手当たり次第にいろんな人間に手を出した。
こんな事、国民に言えるか?いや、知られるわけにはいかない。身内にも、世間にも、だ!」
このような兄を見たのは、リンガは初めてだった。
「兄君は…わたくしを守ろうとして…」
そこまで言って、リンガは声に詰まった。それ以上言葉が出てこない…。
「そうしているうちに、あのセド王国の壊滅だ。だからこそ私は思い切って最後の手段に賭けた。
父君を連れて、崩壊したセドの国を見せようと。…そうしてもう、どこにも自分の求めている人間はいないのだと直にわからせるために」
「兄君…!」
「だが、それも無駄に終わった…。その事実は完全に父君に止(とど)めを刺してしまった。
…ちょっと目を離した隙に…父君は自ら川に飛び込み…」
「やめて!」
リンガは兄の言葉を遮った。「わかったからもうやめて!聞きたくない」
不思議と涙は出なかった。ただ嫌な汗だけが流れていた。
まさか…。こんな因縁が自分の父と、アムイの父にあったなんて…。
「情けない話だが、全ては父の一方通行の想い。モンゴネウラにも、ドワーニや当時の側近達にも聞いたが、…相手には全くの非はなかった。完全なる父君の勝手な思い込みだ。…今まで男も女も、自分の意のままに虜にしてきた来たあの父の」
そこまで一気に喋ってから、ガーフィンは大きく一息ついた。そしてゆっくりと自分の大切な妹の顔を見る。
「非はなかったとはいえ、一国の大帝をそこまで追い詰めた【セドの太陽】を私は許せるわけがない。
…こんな事、妹であるお前にしか言ったことは無いが、ずっと私は父君を追い込んだその男を憎んできたんだ。たとえ、もうすでにこの世の人間ではないとしてもな」
ガーフィンの目が鋭くなったのに、リンガは益々身体を硬直させた。
「名目上、父君は東の動乱に巻き込まれて亡くなった事にして、私はすぐに帝位につき、お前を呼び戻した…。
…大人に成長したお前は本当に父君とそっくりだ。奔放な性格といい、華やかな容姿といい…」
珍しく自分の気持ちを雄弁に語ったためか、そのままガーフィンは疲れたように近くの椅子に腰をかけた。
「…まさか、夢中になる男も似るとは思わなかった…」
「あ、兄君…」
「お前が本気になった男なら、私は喜んで受け入れるつもりだった。
…だが、その男が【セドの太陽】の血を引く?…しかもそっくりだと…?
そうなったら話は別だ、リンガ。
その男はやめなさい。…その男には負の因縁を感じる。
お前も父君のように、相手の男に入れ込み過ぎて、身を滅ぼす気がしてならないのだ…」
ガーフィンは、きつく唇を噛み締めている妹を、苦悶の顔で見上げた。
「暁を実際この目で見れば、セドの王子の血を引くか、きっと私にはわかる。
…いや、あの例の宵の近くに寄り添うようにして存在しているのが、多分確かな証拠だ。
他の輩は気付いてない者が多いようだがな…。
わかるな、リンガ。
私がこうして自ら出向いて、お前を連れ戻しに来たわけを。
ただの無法者ならいざ知らず、セド王国の血を引くとなれば、私の思惑以上にやっかいな事になるとも思う。
敵になるか、味方となるか。最悪の場合、彼らと戦うことになるかも知れん。
大事なお前を、国のために色々な所へ嫁に出してきたが、もう充分だ。
これからは私の傍で、落ち着いた家庭を築き、私に世継ぎを与えておくれ。
お前を…父君のような目には合わせたくない。…わかってくれ、リンガ」
そう言いながら、ガーフィンは自分の手を伸ばし、妹の手に重ねた。
「さあ、国に帰ろう」
ガーフィンはじっとしている妹に、俯いたままそっと優しく囁いた。
リンガといえば、先ほどから思いっきり頭が混乱していた。
父親の話を聞く前は、どんな事をしてもアムイを兄に認めさせようという気が満々だった。
いきなり縁談を持ち込んできた理由はわからなかったが、かえってセド王国の血筋を政治的に利用できる筈だと考えて、兄を説得しようと思っていた。
既成事実を作ってしまえば(ここでも相手であるアムイの気持ちは無視して)、誰も何も文句は言わせない、かえって国のためではないか、などと、リンガはそう考えていた。
だが…。
事態は自分が思っていたよりも複雑であったのだ。
衝撃の事実を知って、リンガは何故かショックと同時に腹の底から笑いがこみ上げてきた。
血は争えないとはよく言ったものだ。父を狂わした男そっくりの息子を欲しがるなんて…。
これってもしかしたら父の呪い?執念?あるいは、死してもまだ父は自分の思いを遂げようと、黄泉の国から娘に影響を与えてるのか?
ただ、父親の因縁よりも、リンガがこたえたのは、いつも涼しい顔をして何事も冷静に対処する兄の、見たこともない苦悩した姿だった。
小さい頃から自分を可愛がってくれた敬愛する兄。
兄や国のためなら、進んで政略結婚を繰り返した自分…。
いつもなら、その兄の願いを、リンガは素直に受け入れていた。
だけど…ここまできたらもう自分の気持ちを止められそうにもない。引き返せない。
「兄君」
やっとの思いでリンガは口を開いた。
たとえ因縁と思われようが、たとえ身を滅ぼすと危惧されても。
父君が不幸になったからといって、自分もそうなるとは限らないではないか。
「…わたくし、国には帰らないわ」
まっすぐ自分を見据えて言う妹に、ガーフィンははっとして顔を上げた。
「リンガ…」
「兄君は心配し過ぎなのよ」
努めて彼女は平静な声で、気軽に言った。微笑みさえ浮かべて。
「【氷壁の帝王】の妹であるこのリー・リンガが、一人の男におぼれるわけがないじゃないの。
……わたくしが途中で投げ出すのが嫌いなの、兄君だってよくわかっているでしょ?
しかも彼が本当にセド王国の血筋なら、尚更、彼を利用できれば好都合じゃない。
とにかく中途半端は嫌なのよ。ただ、それだけ」
妹の不敵な笑みに、ガーフィンはじっと探るように目を細めた。
「約束するわ。
兄君の危惧するような結果にはならないって。
暁がどれだけの男なのか、我々にとって有益な相手なのか、最後までわたくしに追及させて欲しいの。
彼を虜にして我々に引き込めれば、それはそれでいいけど、…もし…」
「もし?」
ガーフィンの問いにリンガは意を決したようにきっぱりと言った。
「もし、アムイが我々にとって不利になる…、存在が危険な人間だとわかったら…。
必ずそこで引き返すわ。必ず兄君の元に帰ると約束するから。
わたくしにだって、南の帝国リドンの王女としてのプライドがあるのよ。
相手を滅ぼす事はあれ、自分がそうなるのは絶対に許せないもの。
……だから最後まで、わたくしに暁を追わせて。一生のお願いだから」
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