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2011年7月17日 (日)

暁の明星 宵の流星 #150

無我夢中で父の存在を追いかけていたアムイは、いつの間にか最初に居た場所に戻っているのに気が付いた。
広大な赤茶けた不毛の地…。
再び寒さが自分を襲い、思わずアムイは己を抱きしめた。

偉ぶらず、優しく諭すような話し方…確かにあれは自分の父だった。
父の魂(たま)に会うなんて…やはりここは黄泉の国なのか…。
アムイは今自分が立っている、寒々とした光景を確認するかのように見渡した。

『落ち着いて、今の状況をよく見なさい。そうすれば次にする事が自ずとわかってくるだろう』
耳元で…いや、あれは魂(たま)直々に届いた声であろうか。アムイは父の慈愛に満ちた言葉を思い出していた。

その場所は最初に居た時と変わらず、赤茶けた不毛の大地が延々と続き、所々に凍りついた岩石が転がっていた。
半分砂漠で半分が氷の世界。赤黒い空に浮かぶ、鈍色の雲。
ここに存在する己の不安定さ、不確かさ…が、今立っている所があの世だということを物語っている。
改めてこの場を観察していて、今まで見えていなかったものがはっきりと見えてきた。
ひび割れた大地の隙間からおぞましい空気と共に、死人の嘆きが噴出している傍で、数匹の異形の者がうろうろしていた。
かと思うと、ふと横を見れば延々と続く人々の行列が目に入る。
様々な衣装と人種…見るからに死者だとわかるその一行の行き先は、前方に広がる大きな黒い山にぽっかりと開いている、赤黒い光が放たれている洞穴の入り口だった。
アムイでなくとも、冥府か地獄か、どちらかの入り口だろうと安易に想像が付いた。
氷と砂漠が相乱れているこの場にも大きな金色の川が流れていて、そこを必死に泳ぎ渡る死人も幾人か目にした。

……どう考えてみても、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)で風来教典を学んだときの、あの世…冥府の国の様相と酷似している。
やはり自分は黄泉の国…冥界へと来てしまっているようだ。
そして多分、ここは冥界と地獄の正統な境目…。
死して振り分けられた魂(たま)が連れてこられる所…。

アムイはやっと冷静に頭を働かせられるようになった。
自分は望んで此処に来た…。本当は地獄を希望していたのだが、結局は地獄ではなく、この境目の冥界で漂っていたらしい。
そして、自分の魂の存在を嗅ぎ取ったミカ神王大妃の亡霊が、地の底へと自分を引きずり込んだのだ。
生臭い血の海を思い出して、アムイは思わず吐き気を催した。
肉体がないはずなのに、ここでも普通に体の感覚が残っているのには驚いていた。
でも、よかった。
あの時、黄色い小さな光が誘導してくれなかったら、自分はずっとあの場所を彷徨っていたであろう。
と、ここでアムイは可笑しくなった。
あれだけ地獄の炎に焼かれる覚悟で奈落に落ちた筈だったのに…。
念願の地獄に行けたはずが、結局抜け出せてほっとしているなんて…。

「俺はまだ…救われたいと思っているのか…」

他人事(ひとごと)のように呟いて、アムイの目から一筋の涙がこぼれた。
サクヤを死なせてしまったのに、まだ自分は救われたがっているのか…。
アムイの両の目から、とめどなく涙が溢れた。
(…何で俺なんか助けようとしたんだよ、サクヤ…)
アムイは片手で自分の顔半分を覆った。
(こんな俺なんかのために…、馬鹿だよ、お前。
いつだってそうだった…。お前って奴は、自分の事よりも、最後には他人の事ばかり優先して)
二人で過ごした短い日々を、アムイは思い出して嗚咽した。
邪険にしても、冷たくしても、無邪気に自分に向かってきてくれたサクヤ。
罪深い自分の運命に巻き込みたくなくて、わざと遠ざけていたのに…。
結局は自分と関わったために若い命を犠牲にさせてしまった。
(すまない、サクヤ。守ってやれなくて…。
俺がもっと強かったら…しっかりしていれば…お前をあんな…)
アムイはサクヤの最後の時を思い、耐え切れなくなってその場に蹲った。

サクヤの事だ、あの状況で咄嗟に判断したのだろう。
自分がああ行動すれば、皆が助かると踏んだんだ。
結果、俺を助けるために身を投じたようになってしまったが、あいつはそれ以上に戦いを終わらせようとした。
体内の穢れ虫を利用して、自分自身を武器にして敵に打撃を与えれば、苦戦している皆の役に立てると決意したに違いないのだ。
きっとその時のサクヤには、自分の命の事すら頭になかったに違いない。
あいつは…そういう奴だった…。

アムイは冷静に考えようとすればするほど、これからどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
…そう…これから、この自分はどうしたいのか、どこへ向かえばいいのか…。
この、黄泉の国で。
冥府と地獄の境目で。
かといって元の世界に戻るには、まだ気力が足りないようにも思えた。
…何が何でも帰りたいという思いの強さが、今のアムイにはほとんどといっていいほどなかった。
その世界で、自分の大切なキイがどんな思いで自分を待っているかという事も、今のアムイには感じ取る事ができない。
それだけアムイの心の傷は深かった。
それだけ己の不甲斐なさを呪っていた。

「父さん…」
俯いたアムイの口から、自然とその名が出た。

《そうすれば次にする事が自ずとわかってくるだろう。…その時になったら私を呼べばいい》

「わからない…。わからないよ、父さん…。益々わからなくなってきた…。
俺は…次にどうしたらいいんだ…。こんなんじゃ、父さんを呼べないよ」

《私はお前の近くにいて、必ずお前の声に答えよう》

アムイの目から、また涙がこぼれた。
肉体レベルでの涙の封印が解き放たれてからというもの、霊体(だと憶測する)でも涙が出やすくなってしまっているのか。
アムイは今まで抑えていた分を取り戻そうとするかのように簡単に泣けた。
「…父さん…。会いたいよ、父さん…。
さっき言ってくれた言葉が真実なら、いますぐにでもここに来てくれよ…。
こんなに自分を見失っている俺だけど…」
アムイが切望したような声でそう言った時だった。

『完全に私の存在を確信してくれたね』

「父さん!?」

耳元であの低くて懐かしい声が響いて、アムイは慌てて顔を上げ、辺りを見回した。
すると、アムイの前方で、淡く輝く楕円形の光が現れた。
「…と、父さん…?」
アムイは呆然としながら、その淡い光を凝視した。
淡くて優しい光は、うっすらと形を作り始め、ぼんやりとした人の姿となった。
細身で優美な男性の姿であるのがわかるが、不思議な事に顔がわからない…。
だが、その優しい波動で、その存在が自分の父親だという事がわかる。
アムイは懐かしい父の顔を見たくて、その存在に近づこうとした。

『アムイ、残念だが、私の顔は見えないのだよ』

父の寂しそうな声がアムイの心に響いた。

「どうして…?」
『今ここにいる私は分魂なんだよ。
私の本体は天上にあって、分魂でさえここまで降りてくるのが精一杯だった…』
「天上…って…」
それは多分、この地獄の境目よりも遙か上の世界…。アムイにも安易に想像がついた。
父の魂(たま)は今、天上界にあるのだ。
…地上界において犯罪人とされた父の魂は、死して天界にいる…。
『魂となった私は、この荒い波動には耐え切れず、本来ならばここまで来れない…。
それが天の定め…天地界の秩序でもある。
だがお前自身が私の存在をしっかりと確信してくれたお陰で、お前の傍にこうして形として具現できた』
アムイの父、アマトの魂はそう言うと、ぼやけた姿のままでアムイの頭に手をやった。
不思議と、感触はそこにあった。
現実では魂同士の触れ合いであろうが、その感覚はまるで肉体を持っているときと全くと同じであった。
アムイはその感触に安らぎを覚えて、ゆっくりと目を閉じた。
「…ここまでして…どうして俺に会いに来てくれたの…」
アムイの小さな呟きに、アマトが微笑んだ気配がした。
『……必要だったからだよ、アムイ…。お前がここに来るのは、前からわかっていた事だったのだ。
そのために私はここに来た。天界に願い出て、お前を守護するために』
その言葉にアムイは驚いて目を開け、父アマトの光体を見上げた。
「前からわかっていた…?俺が奈落に堕ちる事が?」
アムイの強い口調に、なだめるように父の手が優しく動いた。
『きっかけはどうであれ、いつかは必ずお前はここに来なければならなかったのだ。
…それをお前は、まだ思い出していないから混乱しているだけなんだよ。
よく…自分の気持ちを見つめてごらん…。思い出そうとしてごらん。
─何故自分がここに来たのかを。
どうして無意識のうちに地獄に行こうとしていたのかを』
父の問いかけに、アムイは詰まりながらこう答えた。
「どうしてって…。それは自分の罪が重いから…。もうこれ以上運命に翻弄されたくないから…」
自分を裁いてもらおうとして、と言いかけたときに、突然言葉を遮られた。
『本当にそれだけかい?…それはお前が地上で生きてきたしがらみから来る魂の叫び。
その理由も確かな事だろう。
…だが、その表面だけでない、もっと意識の奥深く、お前の魂(たま)自身が持つ理由がある筈だ』
己の意識の奥深く…?魂が持つ理由…?
アムイの頭は必死になって記憶の糸を手繰り寄せていた。
『そう。答えはお前自身が知っている』
アマトはゆっくりとアムイの横に移動すると、優しく息子の肩を抱き寄せた。
『ゆっくりと、自分の魂に問いかけてごらん。自分自身を取り戻すために。
…子供の時に失われた記憶、遙か彼方の昔の記憶を…─』

遙か彼方の…?

そうだ。何だろう?心の奥底、確かに何かがひっかかっている。

─自分自身を取り戻す…?

突然アムイは思い立った。
そうだ、確かに今の自分には軸がない…。まるで暗闇を模索しながら歩いてきたような今生。
闇の中で硬い殻を自分で覆い、人を寄せ付けず、本心を外の世界から遮断して。
キイの存在のお陰で、かろうじて今生を生きてきたが、それは本当の自分だったのだろうか。
いや、偽りの自分も、自分自身には変わりはない。
ただ、本来の自分は、まだ人々の闇の中に一筋の光を見出し、その光と共に生きようとしてはいなかったか?

…アムイは徐々に思い出していった。

思えばあの時からだ。
それは自分が幼い頃。
自分が恐怖の中、己を守ろうとして閉じ込めた闇の箱、闇の扉。
突然何かを無くしてしまったという喪失感…。
怒涛の絶望の中で、受け切れなかった眩しい天の光。

アムイの脳裏に、あの時の激しい光の渦が甦ってきた。

ああ…!!

あれは18年前、キイの“光輪“がセドの国を包んだあの日…!!
俺はあの時何かを失った……!!

アムイの全身が震えだした。いや、これは魂の震え。
今、アムイははっきりと大事な事を思い出したのだ。

「鍵…!」

うわ言のように突いて出た言葉だった。

「鍵はどこにいった…?」

呟いて、はっと我に返る。
「鍵って…」
それは自分でも思いもしなかった答え、であった。
再びアムイの頭は混乱した。
確かに。確かにとても大事なものだ。
とても大切で、それがあるからこそ自分が自分でいられたのだ。
…鍵…そう、俺は生まれながらに鍵を持っていた…。
その鍵は、自分の魂と共に地に降りた…!


『そうだよ、よく思い出したね、アムイ』
ほっとしたような声が、アムイの思考を中断させた。
「父さん、俺…。何か持っていた…。俺の魂は何かを持って地上に生まれた。
それがあの時…!父さんが殺され、キイが暴走始め、俺がショックで心を閉じた…あの時に…!!」
アマトの心地よい声がアムイの耳元をくすぐった。
『お前の鍵、だ。お前が天界から持ってきた鍵。
キイと同じく、ある場所を開くために授かってきた天上の鍵』
アムイは大きく溜息をついた。
「そう、だ。あれがないと…俺は完全にキイを受け止め切れない…」

『お前達が何故に高位の“気”を持って生まれたと思う?
キイは“光輪”、お前は“金環”。…そして鍵。
それは地上において、各々の“気”を管理するため。
キイは“光輪”を管理する、天界にあるすべての扉の鍵、天空の鍵を。
お前は“金環”を管理する、大地の奥に存在するある場所の…』

父の音楽のようなゆったりした語りかけに、アムイは腑に落ちていく感覚に支配されていった。

「あの光の渦の中、俺は無くした…。自分の大事な鍵を…。いや、落としてしまった」
ごくり、と喉を動かした後、アムイははっきりと言い切った。
「…この地の底に」
『そうだよ、アムイ。お前はこの黄泉の国に、あの大地の鍵を落としてしまったのだ』
「大地の鍵…」
『天地万物(てんちばんぶつ)の鍵だ』


天と地を繫ぐために必要な力は、あまりにも巨大で、
ただのヒトが治められるわけがないのです。
それ相応の魂が、天上界での許しを経て、
万物の鍵を持たなくては、その力を使える筈もございません。
天地万物の鍵。
それを持つ者、天地の力を管理する資格があるという事です。


何故かアムイの脳裏に、そのような言葉がこだました。
誰に言われたのか、それとも自分の中にある魂の核が言ったのか、それは定かではなかったが、そのお陰でアムイは自分がここに来た本来の目的の一つを思い出したのだった。

「父さん…。落としてしまった鍵の行方…、まさか地獄にまで落ちてしまったなんてこと…」
父はしばし黙っていたが、言いにくそうにこう言った。
『お前が大人になるまでの年月、色々と鍵はこの辺りを移動していたようだ。
多分、お前の思うとおり、鍵は奈落のどこかにあるだろう』
「だから…父さんが俺のガード(守護)のために…」
アムイの顔に、決意の表情が表れた。
「…探さなくては…」
大きな衝動が、アムイを支配しつつあった。
自分が無くしてしまった万物の鍵。…キイのために、自分を取り戻すために。
アムイはふらふらと立ち上がった。そうだ。
「運命に立ち向かうためにも…!!」
今まで枯渇していた勇気が、目的が見えたお陰で、足元からじわじわと湧いてくるようだ。
とはいうものの、これからどうしたらいいのか、アムイにもまだよくわからない。
取り合えず、地獄の入り口に向かわなければならないだろう。
そう決意して、のろのろと歩き始める。
だが、ぱっくりと開く山の麓に覗く地獄への入り口に向かおうとして、アムイは父アマトに止められた。

「どうして?父さん。とにかく地獄へ行かないと」
父の分魂が自分と共にあるとわかってから、アムイにはある種の安心感が生まれていた。
再び地獄に向かう事さえ、先ほどの死霊との攻防を思い出しても、不思議と平常な自分がいる。
それも父の存在があってからこそだ。まるで昔の何も恐れも穢れも知らない子供の頃に戻ったような気がする。
その安心感の源(みなもと)がこう言った。
『あの入り口は死者のためのもの。お前は違う。
下手にあそこを通って、地獄の正規の門番に、お前を死者と認識されてはやっかいだ。
あそこではなく、他の入り口から行こう』
そう言うアマトの姿が再び揺らぎ、地獄の境目に近くなるにつれ、彼は徐々に光の玉と化身していった。
「父さん?」
『これから先は、私の本体の光が届きにくい場所になる。
分魂ですら人の形を保つのも難しい。
…奥に行くほど、私の姿は見えにくくなるが、存在はお前の傍についているからね』
アムイはこっくりと頷いた。
父の気持ちが嬉しかったし、頼もしかった。
アムイとしては、“一人で行け”と言われれば、覚悟の上、それでも構わなかった。
でもこれから向かうのは、光のガード(守護)のガイド(案内)なくては、元の世界に戻れないとされる地獄の世界。
アムイは詳しく知らなかったが、そういう取り決めであったのだ。
天地界の掟は、自然の摂理、万物の法に従っているものだ。


ごろごろと転がる岩を乗り越えながら、アムイは地の裂け目へと近づいて行った。
異様な臭気が鼻腔を刺激し、ごおおと唸る風の音が、ここからが地獄であるという事を主張している。
『おんや、旦那』
突然アムイは足元で誰かに呼び止められた。
その声の主に目を留めると、それは邪鬼と呼ばれる小さな鬼であった。
『旦那は珍しいほど綺麗だねぇ。…こんな所に来るような、餓鬼(亡者)じゃねぇなぁ。
何か理由(わけ)あり?』
邪鬼にも色々な姿のものがいるが、この小鬼(しょうき)は丸っとした玉ねぎのような顔かたちをして、丸くて大きな、端が切れ上がったような猫のような緑色の目を持ち、上を向いた申し訳ない程度の小さな鼻と、その反対に大きくて、鳥のくちばしのような尖った口をしていた。頭に乗る小さな角と、身体は小さな幼子のようにずんぐりと寸胴な愛嬌のある体形で、それがアムイに親しみを感じさせた。
しかも威嚇するようでもなく、淡々と話しかける様子に、アムイは警戒心を解いた。
「お前はここの見張り役か?…この先を降りて行けば、地獄に入れる?」
確か、黄泉の国の世界に詳しいとされる聖天経典に、地獄へ通じる多くの境目には、必ずそこを守る門番か、餓鬼(罪深き亡者)や魔物達が逃げ出さないように目を光らせている見張り番がいると書いてあった。
先ほどからうろうろしていた異形のもの。ここが地獄の境目であれば、それらはここを見張る邪鬼…夜叉神(やしゃじん)と呼ばれる改心した鬼神─善神─である筈だ。ならばこの邪鬼も夜叉神であって、自分に害をなさないだろうと思った。
『地獄に入るぅ?』
邪気は素っ頓狂な声を出すと、むぅ、と困ったような顔をした。
『見たとこ、旦那は餓鬼となる魂ではないからなぁ。
あ、餓鬼ってわかる?生前でもそうであったように、死してまだまだ欲望や飢えや渇きを手放さなかった魂…亡者のことだよ』
「ああ、知ってる。生前に私利私欲に耽ったり、強欲で執着の激しい者が堕ちて転生する地獄の鬼だろ?」
『何だ、知ってるんじゃん。
というかさ、生前でもそういう強欲とか執着とかの悪心を捨てきれないとさー、死してここに来てもなかなか捨てられない亡者がわんさといるわけなのさよ。
ここはそういう魂が来る地獄界の入り口なの。地獄にはまった魂は餓鬼となってそこでもがき苦しむ…。
天からの恩恵か、その悪心を削ぎ落とさんと苦行し、最終段階の煉獄に行くまでにゃあ、長く留まる獄となる。
黄泉にいる間にさくっと改心してそんな荷物なんか放り出しゃいいのによ。
人間って、哀れな存在だよな。自分らがその荷をしょってるから魂が重くなって上に上がれないってのがわからないの。そうやって地獄に来ていることすらわからないで半数が怯えている。
結局は自分で選んでここに来ちまっているっていうのがさ。それに気付いた魂は何とか手前で踏みとどまるんだが』
「それでも罪を償うために、獄界に行く魂だってあるだろう?」
アムイの問いに邪鬼はけけっと笑った。
『そうさね。だが、ここは罪を償うというよりも、己の波動のレベルによって振り分けられた世界でもあるだね。
まー、強いていれば裁くのは己自身の御魂(みたま)様だろうがよ』
「御魂様?」
『元は皆、神様の分魂よ。魂の奥深くには誰だって必ず神様がおるに。
自分で自分を偽る事はできないし、己の御魂様には、欺こうとしてもできないっちゅー事さね』
「………」
アムイは自分の顎に手を当てて、じっと考え込んだ。
『だからさ、さっきも言ったように、ある程度の穢れや罪悪感はあるとしても、ここに来るような魂には見えないんだよ、旦那は』
「俺は人を殺している。それでもか?」
『う~ん、地獄といってもたっくさんあるからねぇ。
生前どんなに聖人君子と崇められた人間でも、ここでは素の魂に戻り、穢れてればそれだけ獄に落とされる。ある意味公平だね』
邪鬼はアムイの様子を興味津々に眺めながらこうも言った。
『あのさぁ。旦那が本当の亡者であったら、それ相応の場に自ずと行っている筈だから、そんな質問、しないと思うけどね』
アムイはふうん、と邪鬼のしたり顔を見返した。さすが地獄の見張り役。
自分が完全な死人でない事に気が付いているようだ。
「じゃあさ、…此処は地獄の境といっても、地獄の先端と言われる煉獄じゃないのか?
ほら、お前も言っていたろう?地獄の最終段階だって」
やっと口を開いたアムイは、今度は自分の素朴な疑問を口にした。
『煉獄はねぇ…。罪の軽い亡者、穢れの軽い亡者が上界に行くときに禊(みそ)ぎ祓う、最終段階の浄化の炎獄(えんごく)だよ。
場所など決まった所はないのさ。その霊魂が必要になったら自ずと扉が現れるんだ。
此処は業突く張りで、執着心の固まりの魂が集まる獄だよ。
…なんね?此処に誰か知り合いでも堕ちているのかね?』
邪鬼の問いにアムイは苦笑した。確かに、此処に落ちた知り合いは多そうであるが…。
と、アムイはふと思った。
では、自分が気が付いたら此処に居たというのは、探している鍵が此処に迷い込んでいる、という事なのだろうが、何故に鍵は此処に落ちたのだろうか?しかも強欲で執着の強い魂が集まる、この餓鬼地獄に。それともただの偶然にか。
『まぁ、そうだとしたって、無謀といっちゃ無謀やね。
悪い事は言わないよ。できたら元居たとこに帰った方がいい。
そんなお綺麗な魂で、餓鬼地獄に入ったらどうなると思う?此処はあらゆるものに固執し、飢えた魂がうじゃうじゃしてるんだ。金、食、贅、色、美、性、…そして愛。ずっと飢え続けている餓鬼どもに、旦那喰われちまうよ』
やはりこの見張り役は夜叉神だ。さりげなく異質である魂のアムイを元に戻そうと誘導している。
「だとしても、俺は行かなくちゃいけないんだ。…行って、自分が無くしたものを探し出さなければ…」
アムイの決意に、邪鬼が不服そうな表情で反論しようと口を開いたと同時に、アムイの背後から父アマトの声が響いた。
『申し訳ない、見張り役の方。この者を地獄に案内してはもらえないか』
「父さん…」
その声に邪鬼は驚いて辺りを見回し、アムイの後方でちかちかと光る小さな球体を見つけて、目をぱちくりさせた。
『なんだ!旦那はガード(守護)の御方が付いてなされるのかい。それを早く言って下さいよ。
しかもその光の輝き、天上の御方やね。ならば邪悪鬼魔王(じゃあっきまおう)殿も何も言うまいね。
こりゃ、失礼、失礼』
かかか、と小さいくせに豪快に笑うと、邪鬼はぴょぉん、と、飛び跳ねた。
「じゃあっき…まおう…?」
『そうさね。餓鬼地獄を担当されてる魔王様だ。おっかねぇぞ。
地獄でも3本の指に入る怖さだ。…一番は…この地獄と黄泉の総責任者様だがね。……●▲※ 大王様』
それが誰を意味しているのか、アムイは何となくわかった。
これも教典を読めば、誰だってわかるレベルだ。
だが、先ほど出た名に、アムイは心当たりがなかった。という事は、教典でも把握できていないお役目の地獄の王がいるという事か。
『そうとなったら途中まで案内するでよ。…ただし、なるべくひっそりとな。
でないといつ、貪欲な餓鬼どもに襲われるかしれないからさ。
………まぁ、なるべく邪悪鬼様にもお会いしないよう、目的を果たしなね。
地獄一凶暴な怪鳥を飼っているんだ。機嫌を損ねたら本当にあの方は恐ろしいからさ』
『恩に着る。見張り役殿』
アマトの言葉に、邪鬼はへへっと照れ笑いして頭を掻いた。
『んじゃ、付いて来なよ。悪いがオラも見張りを長くサボるわけにはいかないんでね。
本当に入り口の先までだよ?』
アムイは邪鬼の言葉に頷いて、ピョンピョンと跳ねる彼の後に付いて、岩間を走り出した。
邪気はそのまま荒涼とした大地の裂け目に身を滑らし、勢いよく地の奥深くへと降りて行く。
もちろん、アムイも邪鬼同様、軽々と身を滑らせた。冷たい霊気が頬を弄(なぶ)り、段々と下に落ちていくにつれて熱気か何かで熱くなってきた。
(これが本当の地獄の炎)
高位の気である“煉獄”とは似ていて否なる熱さであった。
降りていく自分の足元をふと見ると、幾多もの穴からぼこぼこと真っ赤なマグマらしきものが沸き出している。
それが熱となって、風を起こし、アムイを弄っていたのだ。

その暑さをしばし我慢すると、ようやく足元が地面に着いた。
前方を見ると、邪鬼が先の方でおいでおいでと手招いている。
急いで傍に寄ると、邪鬼はスッと一つの洞穴を指差した。
『ここが入り口の一つさね』
見るとぽっかりと口のように開いた穴は、暗闇に支配され、ここではよく中の様子が窺えない。
『他んとこよりも、こっからのが一番静かだ。…まぁ、さ迷い続けている亡者もちらほらと紛れ込んでいる事もあろうがね』
アムイはごくりと唾を呑み込んだ。この場は暑さでうだるようなのに、背筋がぞくぞくと寒くなる。
『お目当てのものが見つかればいいね、旦那。じゃ、オラはここで…』
邪鬼はくるんと身を翻すと、ニヤリと笑ってこの場から消えた。
残されたアムイとアマトの光は、恐る恐ると真っ暗な入り口に入って行く。

『アムイ』
暗闇を慎重に前進する息子に、アマトが呼びかけた。
「何?父さん」
『お前の探す鍵の事なのだが…』
言いにくそうな父の声に、アムイは首を傾げた。
『…実は…私に覚えがあるのだ…。あの時、お前が鍵を落とした時の事を』
「どういう意味?」
『…すでに息絶え、霊となった私は…。その後、気になるものを見たんだ』
「え…?」
突拍子もないアマトの言葉に、アムイは益々いぶかしんだ。
『実はあの後…』
と、アマトが言いかけた時、突然アムイの視界が広がった。
「凄い…」
思わず呟いてしまったほど、そこは不思議な世界が広がっていた。
上下が逆さまになったような所があったかと思うと、ドーム型の天井が広がり、まるで写し絵を切り貼りしたような様々な空が埋め尽くされていた。…天井と思ったのは目の錯覚だろうか。刻々と変わる色合いによって、暗くなったり明るくなったりしていた。そこには星も点滅して見え、うごめく雲もあった。
足元には絵の具を塗りたくったような、原色の砂利が無数に敷き詰められている。
もっとおどろおどろしい場所を想像していたアムイにとって、この光景は禍々しくも美しく瞳に映った。
ふらりと言葉なく前を進むと、確かに数名、さ迷っていると思われる亡者がうろうろしていた。
髪を振り乱し薄汚れ、かろうじて人の姿を留めてはいるが、皆やせ衰えてふらふらと歩く姿は、生前の者とは違い過ぎる。
皆、ぶつぶつととめどなく言葉を呟き、何かに囚われている様で、周囲に全く目がいかないようだ。
その証拠にアムイがこの場に現れたというのに、誰一人とてその存在に気がつかなかった。
「此処は…本当に地獄なのか?」
アムイの言葉に、アマトが答えた。
『…まだ此処は地獄の入り口部分なのだろう…。どうだ?アムイ。
何か惹きつけられるものはないか?』
「惹きつけられるものか…」
と、アムイが呟いたその時だった。
ある一人の亡者に、何故かアムイは強烈に目を引かれたのだ。
自分の左斜め前方、枯れ果てた木々の合間をふらふらとさ迷う亡者。
……真っ白なぼさぼさとした長い髪に、ぼろぼろの服で腰を屈め、よろよろと歩く姿は、一瞬見るとまるで弱った老人のようであった。
「あれは…」
不思議な事に、さっきまで会話していた父の声がぱったりと止んでいた。
ふらふらと引き寄せられるようにアムイはその亡者に近づいた。
そしてその亡者の顔をよく見ようとして、アムイははっとした。
亡者はぶつぶつと何かを呟いていた。
その言葉に驚愕すると共に、崩れかけたその顔を見て確信した。

「─ラムウ…!」
懐かしくも恐ろしくもあるその名が、アムイの口から突いて出た。

《アマト…さま…》
疲れたようなしゃがれた声が、アムイの心を揺さぶった。

「──ラムウ!!」

間違いない。アムイの目の前にいるこの亡者は…。

生前“東の鳳凰”と一世を風靡した、セド王国の将軍だった男…─。
そして父の守護者であり、清廉潔白で敬虔なオーン信徒と誉れ高かった男。
ラムウ=メイ…その魂であった─…。


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